vol.181 平和特集Part-2 「あらしのよるに」とわたしがおもう平和

日本国憲法公布71周年記念  2017年ぎふ平和のつどい 11月3日岐阜市民会館にて

「あらしのよるに」とわたしがおもう平和

記念講演 きむらゆういち氏(絵本作家)

オオカミのガブ ヤギのメイ

「あらしのよるに」。登場するのはヤギとオオカミですが、彼らにはお互いの情報がありません。相手がいくつで、男か女か、自分よりもえらそうか、それとも気安いのか、怖い感じなのか、全く分からないんです。わかっているのは声のみ。そうしたときに2人は心が通じるあえるんだろうか。
本というものはすべて主人公がいます。そして読んでいる人は、主人公に気持ちを乗り移らせてドキドキハラハラして、読みます。ですから、子どもに限らず読み物は10冊の本を読めば、10通りの主人公の気持ちになる。ということは自分以外の人の気持ちになっている。それだけでも絵本というのは価値がある、そう思っています。
今、主人公の気持ちになると言いましたが、みなさんは「あらしのよるに」を群読で聞いて、ヤギの気持ちで聞いていましたか?オオカミの気持ちで聞いてましたか?それとも2匹を見守っている気持ちで聞いていましたか?ありがとございます、この会場では3番目が一番多いんですね。1巻目では、真実を知っているのは読んでいる人だけ。ですから、ついつい見守っている人の気持ちになります。
「あらしのよるに」はいろんな方に紹介の文章を書いてもらいました。宮本亜門さんは「僕にとってのガブ(オオカミ)とメイ(ヤギ)は、国であり、人種であり、敵と味方であり、貧富であり、宗教であり、男と女であり、地球上のありとあらゆるものの姿である」と書いてくれました。そんなわけで、ガブとメイはありとあらゆるものの姿。それは読む人によっていろんなふうに見えていいんだな、と。

絵本を朗読する、きむらゆういちさん

「あらしのよるに」は7巻もありますから、最低限のメッセージは入っています。でも、僕はメッセージ本というのはあまり好きではないんですね。一人ひとり自由に受け取ってほしいから。本には「生きた世界」があるので、読み返す度に違ってもいいという気持ちで描いています。
「あらしのよるに」も、憲法を内側に隠している?そう受け取る人もいるだろうし、もしかしたら男と女の話し?と受けとる方もいるかもしれない。作者としては絵本という形で表現しているので、あえて平和についての話しをしなくても、と思うのですが、今日はこういう機会ですので、僕が思う平和のはなしをしたいと思います。

僕は戦後に生まれたのでアメリカを一度も敵と思っていなかったんです。テレビが入ってきて、毎日アメリカのホームドラマとか、子どものものから大人のものまでたくさんのドラマをやってました。そうするとアメリカ人に対して友好的な気持ちになっていくんですね。そう思うと今、日本の「ドラえもん」が海外でたくさん読まれているという事は、とてもいいことだと思います。例えば「この国は敵だ」と国家立場的に思っても、そこの人たちの暮らしぶりやその人たちのいろんな生活をドラマとして見ていたら、個人的にはとてもそんな気持ちにならないと思います。戦争って子どものケンカに似てますね。そっちがミサイルを持つならこちらも持つぞ、ってどんどん緊張を高めていく。お互いがそれをやっていったら最後はどうなるでしょう。
「あらしのよるに」でヤギとオオカミがお友だちになったと同じように、相手の事を知ると戦わなくてすむかもしれない。
日本はマンガとアニメの最大の輸出国です。もちろん絵本も海を渡っています。その結果、いろんな日本の暮らし、文化を広めていけるというのは素晴らしい事です。こういう文化交流をすることも含め、憲法9条を最大の日本の誇りとしてもっとアピールしないとね。

あらしのよるに逃げ込んだちいさな小屋の暗闇の中、2匹の動物が出会う。風邪をひいて鼻のきかない2匹は、お互いがオオカミとヤギ、つまり「食うもの」と「食われるもの」であることに気付かない。すっかり意気投合したヤギとオオカミは、翌日のお昼に会う約束をする。合言葉は、「あらしのよるに」。

ふしぎな友情物語が、いまはじまる。

群読「あらしのよるに」オオカミは和太鼓、ヤギは篠笛の音色に乗せて

 

憲法を人生の中に  吉田千秋(岐阜・九条の会)

今日11月3日は「文化の日」という祝日ですが、71年前に日本国憲法が公布された日です。その翌年の同日、当時の憲法担当大臣金森徳次郎は、「戦争を放棄した世界最初の憲法、そのこと自体が高い文化性を物語っている」と述べました。さらに、「戦争は文化を滅ぼすものであって、(中略)文化をして戦争を滅ぼさしめるべきが至当である」と、戦争と文化と憲法のつながりを明快に語っています。文化は人間を人間らしくさせてきた結晶ですから、この憲法をしっかり活かすことが私たちの暮らしと人生を生き生きと輝かせる基本・原点であり、ひいては戦争の廃絶にもつながるということです。 ところがこの憲法、とくに第9条を何としても変えようと躍起になっているいまの政権は危ないですね。こうした動きが出てくるのには、私たちの憲法の理解、とくに9条の理解をもっと深め、広げる点が足りなかったとも言えるでしょう。きむらさんも言われましたが、この憲法をもっともっと世界にも広めなければもったいないですね。
ところで平和ってなんでしょうか?戦争がない、ということだけでいいでしょうか。ドンパチやっている戦争状態がなくても、貧困や飢餓、差別、不衛生・病気、無教育などの常態化は、平和とは言えないでしょう。やはり明日の生活に不安がなく、みんなが今日を穏やかに過ごせることではないでしょうか。そういう点で「平和とはひとの痛みが分かること」が、大切だと思っています。これは四国の霊場の一つ「石手寺」に掲げてあった文ですが、今の様々な社会状況、人間のあり方をに照らしてみて、ピタッと当てはまります。
相手のことをよく知ること、相手の痛みが分かること、これをできないと自分勝手なことばかりしてしまい、ケンカになりるでしょう。〜ファーストの立場、ヘイトスピーチなどは、ケンカを売り、戦争へのきっかけになるものです。相手の立場・状況・意見をしっかり聞いて対話できること、この態度を基本にして、9条を壊そうとしている勢力に対してしっかり声をあげたいものです。戦争というのは庶民が望んだものでもなく、民衆が起こしたものでもありません。権力を握っている人たちが、権力を利用して「国のため」「国民のため」と称して起こしたものです。
いまこそしっかり憲法を守り、活かしたいものです・・・
「憲法を人生の中に」を合い言葉にして。

文章わたしがおもう平和
にらめっこ30周年記念パーティーにかけつけて下さった方々に「わたしがおもう平和」を書いていただきました。

*日常を元気に健やかに過ごせることです。家族で揃って食事できると平和だなと思います。30代女性
*経済的にも軍事的にも福利厚生的にも安平で和やかに過ごせるもの。50代
*あたり前に旅に行けること。人々と触れ合えること。50代女性
*あたり前の日常。大切な人が笑顔で暮らせる毎日が、そして自然も大切に、生き物皆が幸せであること。50代
*小さな所、まず自分、そして夫、子供が毎日笑っていられること。そして周りの環境がそうさせてくれていることが平和だと思います。40代女性
*ノーベル賞作家アレクシェヴィチの『戦争は女の顔をしていない』に出会って、これまで描かれてきた戦争/平和像が大逆転しました。70代男性
*あしたが今日よりいい日になると思えること。50代男性
*言語、身体的、環境、価値観など色んな違いがあるけれど、喜怒哀楽は太古の昔からずっと一緒。相手に壁を作らない事、信じる心。40代
*原発のない、戦争もない世の中。安全な食べ物が主流になってくれるとうれしい。40代
*戦争のない社会。貧困のない社会。50代
*個々の個性が尊重される世の中が平和だと思う。
*最後には笑えること。素直な思いを言いあえる、話しあえること。ハグすること。30代ありがとうございました♡
*戦争がない状態であることはもちろん、軍隊のない世界。軍事的にだけではなく、民生的にも豊かで安定した社会。これこそが積極的平和主義。70代男性
*ブータンのように幸福という言葉の意味がわからないように、平和ってどういう意味(いい意味で)言葉がなくなっている世界。50代男性
*普通の生活が普通に過ごすことが出来、何も意識せずに呼吸ができること。普通に町の景色が普通に変わって行く姿を何も意識せずに見れる事。40代
*おいしい物が食べれる事。60代女性
*手をとりあって、みんな笑顔♡60代女性