vol.180 訪問看護日記 fromニューヨーク

深い学び

60代のALSの患者さん。ALSは、意識や感覚ははっきりあっても体がどんどん動かなくなっていくので、とてつもなく辛い。また、ケアも難しい。どんどん動かなくなる肉体という乗り物の中に、閉じ込められた状態といったらいいのか。ホスピスで出会うALSの患者さん達はどの方もとても精神的に苦しんでおられる。体の自由が利かなくなるのに加えて、そのうちに息さえもできなくなるということを知りながら生きる恐怖。肉体と意識がお互いに連動しないギャップの中で生きる苦痛。この日訪問した患者さんは、左手のみがかろうじて動く状態で、コミュニケーションはすべてiPadと呼び出しベルを使っていた。もうしゃべることはできないが、食べ物や飲み物を飲み込むことはまだできていて、呼吸も継続的に自発呼吸ができている。iPadを使って質問に答えてくれる。先週までは左手でコップがつかめたのに、今週はもう何もつかめないととても悲しそうに伝えてくれた。毎日少しずつ体が動かなくなっていく、その精神的な苦痛と、肉体的な痛みを考えると、いたたまれない。この先、嚥下や呼吸に関わる筋肉も動かなくなることを考えると、想像を超える怖さだと思う。呼吸ができなくなって死ぬのを知っている、というのはどんなに恐ろしいだろうと思う。この患者さんはホスピスで、DNR(蘇生処置の拒否)を希望しているので挿管拒否も含まれる。
また話すことができないため、意志疎通に倍以上時間がかかるし、体が動かせないため、ちょっとした体位交換や痛み止め投与などが頻繁に必要になる。ケアをする側も、忍耐をもって頻繁に痛みの緩和やその時々の患者さんの必要なことにできる限り応えていくことが必要となる。たった1時間程度の訪問でも、言いたいことが伝わらないフラストレーションや、痛みがうまくコントロールできない苦しみが、痛いほど伝わってきて、その苦痛に飲み込まれそうになるほどだった。病気に意味を見出そうと努力しても、果たして自分だったら、このALSに意味を見出してALSを受けいれることができるだろうか。もしも、病が体からのシグナルであったり、何かを気付くため、魂が成長するための試練であったりするならば、なんと難易度の高い試練なのだろう。患者さんにとっても家族にとっても。
ただ筋肉が自分の思った通りに動かせること、ただしゃべれること、ただ寝返りをうつこと、ふつうに息をすること、食べること、飲むこと、そのすべてがとてもとても愛おしく素晴らしいことなんだよ、と言われている気がした。思い返せば、この当たり前のことを、普段自分はないがしろにしていないか?ただ食べるという行為も、ただ息を吸ったり吐いたりも、本当は、一口一口が、一息一息が、とてつもなく愛おしい瞬間なのだ。
自分の体へ、自分のすることなすこと、もっともっと意識を向けてみよう。自分の体にもっと愛を伝えよう、感謝しよう。そんなことを考えさせられる訪問だった。患者さんへ。。。私がこんなことを言ってもあなたの苦痛を減らすことはできないし気休めにもならないけれど、あなたの生きる姿は、この短い時間にとてもとても多くのことを教えてくれて、深い学びを与えてくれました。本当にありがとうございました。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気

わかばま〜く:プロフィール 1982年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、 ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。





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創刊:1987年
発行日:偶数月の第4月曜日
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