vol.175 チャレンジャー 若き禅層 佐藤隆定さん

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仏教との出会い
得度式というお坊さんになる式で僧侶となり、10年です。
実は僕、お寺の生まれではなくて、美容師として生きていきたいと思っていました。お寺の娘さん(現在の妻)と出会ったのが、この世界に入るきっかけではありましたが、美容師を続けたくてお寺を継ぐことは考えていませんでした。結婚するとき、住職であるお義父さんから、「お寺は継がなくていい、結婚したからお坊さんになるなんて気持ちでなれるものじゃないよ」と言われました。だからといって仏教のことを考えることすらしないなんてどうなのかな、一応勉強だけでもと、自分で勉強をしてみたら、大分思ってた世界とは違ったんですね。
僕が小学校の頃にオウム真理教の事件がありました。宗教=オウムという1つの形ができている世代で、それまでは、お寺に入るだなんてそんな恐ろしい、みたいな(笑)。だけど、自分で本をめちゃめちゃ読んで学んでみると、全然違うんですよね。特に禅っていうのは宗教ではない、哲学のようなものだと思うんです。どんどん学んでいくうちに、これは思っていた程悪い世界じゃない、むしろ一生かけて学んでいく価値がある世界だなあと思って。そこから禅を学び始めたんですね。
そりゃあ僕も悩みましたよ。嫌でしたもん、頭剃るなんて(笑)。でも、何で自分は美容師になりたかったんだろうってよく考えたんですね。すると、あ、自分は人からかっこよく見られたかったんだ、と気づいた。で、かっこ良く見られたいというのと本当にカッコイイというのは、ちょっと違うんじゃないか。禅を学んでいくと、そういうふうに考える様になって、これは一生かけてでも学ぶべきものなのかなあと思って。で、大転換ですよね(笑)。

「今」「ここ」「自分」
人からカッコイイと思われたいということは、人からどう見られるかが自分の価値になる。そう考える人は、無条件に自分で自分を認めることができないんですよね。それって本当に苦しい。そうなるとへりくだってでも人から良く言われたいとか、自分を抑えて生きていくとか、そういうのに繋がっていきがちですよね。
禅の考えで「今」「ここ」「自分」という三つのベクトルがあるんですが、過去でも未来でもない今この瞬間に、自分がいるここで、自分が何をするか。それが大事なんだよ、と。それは意識的にしないとわからないですね。

出版
禅語って端的にポンと言うんですよね。そこから自分で、頭の中で考えるのではなくて、体験の中で理解していきなさい、というような姿勢なんです。でも、現代では、ポンってひと言だけではなかなか伝わらないですね。文字化というか言語化するというのが必須になってきています。
ただ、この本の冒頭にも書いたんですけど、頭で理解することがゴールではない、ということが大切なんです。最後の一歩は自分の体験として理解しないと、それは本当の理解じゃないんだ、っていうのが禅の基本です。それだけは分かっていただきたいです。その上で、そこに至るまでは文字がとっても大事なんですね。そういうことを感じたので、本にしました。
この本には文字以外のイメージとして写真が多く使われています。百聞は一見にしかずというか、文字だけでは伝わりにくいことが、写真を加えることでことばの意味がひろがるのではないかと思ったんです。
そして、出版社にこういうのを考えているんですけど、どうですかって伝えたら、1社からお返事いただいて。本当にありがたかったですね。

一押しの言葉
本の中で一番最初にもってきた「冷暖自知」。知識で本当のことは理解できない、体験じゃないとわからないよって言ってるんです。お風呂の温度が温かいか冷たいかは自分で入ってみないとわからない。入った人が仮に良いお湯だったとしても、41℃なのか39℃なのかわからないですからね。結局、あらゆることがそうだけど、自分の体験なくしては知ることはできないんだ。人から聞いて知ったつもりになっているのは、借り物の情報であって、知識とはいえない。ところが、今の社会は情報イコール知識というように考えられてます。情報というのは自分の生き方を左右するような知識までには上がらないんですよね。それをどうやったら知識までに高められるかといったら、ひとつはやっぱり体験だと思うんです。
僕も5歳と2歳の子どもがいるんですけど、失敗してもいいからいっぱい体験すればいいって思います。ただ、なかなか子どもだけで外で遊ばせるってことができなくなってきたりと、そういう環境も今は少なくなってきてるのかなって感じはありますね。

伝えるツール
ちょうど一ヶ月くらい前からなんですけど、ブログを始めたんですよ。僕、いまだにガラケーで、インターネットは未知の世界だったんですけど、仕事上メールのやり取りが必須になってきて、しょうがないなって思ってネット環境を整えました。そしたら、今って本当になんでも検索なんですね。それで、多くの人に知ってもらうということを最優先に考えれば、ブログという形でもいいのかなあって思いまして。
でも紙、いいですよね。僕は紙が好きなので最初はやっぱり「本」にこだわりましたが、ネットでは、日々の暮らしを綴るブログ「禅の視点-life-」を、もし良ければ読んでください。
仏教のよい点
仏教は、絶対者に対する信仰ではなくて、あくまでも本当に世の中はどうなっているのか、という見方で成り立っているので、他を否定しないんですね。
仏教は昔からある宗教と混ざり合ったりして、ものすごく形が変わりました。今、日本でもすごく混ざり合っていますけど。それがいけないというか、自分がないみたいにとられる人もいますけど、それは1つの寛容性の現れじゃないかと。他を否定しなければ、当然自分が変わることはあるんですね。それは別にいいんじゃないか、自分が変わったところで世界に存在する真理は何も変わらないんだから、といった寛容性というのはとてもいいですよね。
仏教の説き方で、待機説法というのがあるんですが、相手によって分かりやすく比喩を持って説き方を変えるんです。みんなに同じこと言うんじゃなくてね。そういうのは本当に面白いなあ、なるほどなあって思います。人にこういうことを伝えたいなって素朴に思いました。仏教、いいなと思いますね。

 

佐藤隆定(さとう・りゅうじょう)

1984年。愛知学院大学文学部在籍中、曹洞宗で出家得度。卒業後、福井県永平寺にて修行。現在、岐阜県美濃市霊泉寺副住職。禅僧でありつつエッセイストとしての顔ももつ。「生きる」という、人間にとって根源的・日常的な活動について禅という視点から考え、法話や執筆等を通じて多くの人々に伝える活動を行っている。
佐藤さんのブログ「禅の視点-life-」 http://www.zen-essay.com/

9784336060426
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売り上げの内、著者分印税は、認定NPO法人 国境なき子どもたち(KnK)に全額寄付され、困難な状況下にある青少年の教育と自立のために活用されます。