vol.174 沖縄・高江ヘリパッドの現実は…

人の痛みに寄り添うということは・・・ 沖縄 ヘリパッド 標的の村
沖縄・高江ヘリパッドを考える

 
今、世界のあちこちで争いが絶えず、病気や貧困のため命を落とす現実があり、各国(一部の富裕層)のエゴのために犠牲を強いられる地域や人々・・・断片的な情報にこころを痛めても、自分とそれらの問題が直接結びついているわけでもない。間接的に関わっているといわれても実感が伴わない。そして、日常の生活に紛れてしまい、つい問題を棚の上に置いてしまう。hokubu400
断片的にメディアから流れる情報を読み知った風な気になる。ほんとうはどうなんだろう。事実を知るための情報は、自分でたぐり寄せるしかない。もしくは現地へ赴くか。それにも限界がある。
沖縄の基地移設問題、同じく沖縄の高江ヘリパッドの問題。
人ごとでいいのか、自分の生活には関わりがないし、と言えないことは、次の記事を読んだらどうだろう。

キャンプ岐阜
(沖縄タイムス、琉球新報、共同通信合同企画 47NEWSより)
1956年2月、岐阜県と山梨県に駐留していた米海兵隊・第3海兵師団は移動を始めた。行き先は沖縄。当時、岐阜労協事務局長として米軍基地反対運動の先頭に立っていた渡辺嘉蔵(85)は「うれしかったけれど、沖縄に行くのか、と思った」と振り返った。複雑な心境だった。
(キャンプ岐阜(現・航空自衛隊岐阜基地)は戦前、旧日本陸軍が使用した各務原飛行場。川崎航空機工業(現・川崎重工業)岐阜工場が隣接し海兵隊にとっても使用価値は高かった。だが地元でのトラブルは深刻だった。反対運動を率いていた渡辺は「酔っぱらっての誤射、発砲事件はしょっちゅう。女性がいる職場では、米兵から守るために男性が護衛付きの出退勤をしていた」と証言する。)
55年、冷戦構造が深まり米国が東アジアの米軍再編を検討する中、沖縄では当時、米軍による大規模な土地接収が始まっていた。
沖縄を統治していた陸軍を主体とした琉球列島米国民政府(USCAR)が、接収に抵抗する住民を「合法的」に弾圧することを可能にした「土地収用令」を布告。真和志村(現・那覇市新都心地区)を皮切りに、各地で住民をカービン銃で威圧して家屋を壊し畑をならして整地していった。
沖縄の多くの米軍基地は、旧日本軍跡地や国有地を利用した本土の基地とは違い、民有地を強制的に接収して造られていった。「銃剣とブルドーザー」による支配は住民をおびえさせ、怒りは沖縄全土に広がった。(中略)
第3海兵師団に属する下級部隊の部隊史は「日本から米軍の地上部隊を撤退させるという日米合意に基づいて、沖縄に移転した」と記す。ここでの「日本」は「本土」を指すことは明白だ。米国は、日本本土を含めた東アジア情勢激変への対応に、米軍が継続支配し事実上、自由にできた沖縄を使ったのだった。
基本的人権の尊重を定めた日本国憲法が沖縄に適用されたのは本土復帰の1972年。この間、本土では司法の場でも憲法と安全保障条約の優位性が議論になる一方、憲法が及ばない沖縄には、次々と基地が造られていった。
(渡辺嘉蔵さんは今年2月、90歳で死去)

9月22日 沖縄は今!辺野古基地・高江ヘリパッドを問う!という辺野古基地建設反対の集いに参加した。(瑞穂市総合センター)
講師の安次富(あしとみ) 浩さん(沖縄ヘリ基地反対協共同代表)は言う。
「高江にオスプレイのヘリパッドをつくることは、歴代の県政で賛成しているし、村長たちも賛成している。国立公園にして世界遺産に登録するといっている。自然を破壊してなにが自然遺産ですか!!オスプレイが飛ぶところが世界遺産ですか?矛盾しています。

やんばるの森を護らなきゃとみんな頑張っています。
軍事防衛は国に従え、これでは酷策です。抑止力!?それは後付けです。
しかし私たちには自己決定権がない。沖縄のみらいは沖縄に住んでいる私たちが決める!それが地方自治じゃないですか?
沖縄は差別されています。そして差別する側に差別しているという意識はないんですね。歴史的事実を知る努力をしよう。

先の衆議院選挙、参議院選挙も沖縄は自民党を拒否しました。それが「基地はいらない!」という沖縄の民意です。それなのに選挙の開票翌日から高江では強制撤去が実行されました。ほとんど暴力的に。沖縄の民意はまったく無視されたのです。安倍政権は民意を無視して強硬手段で沖縄・高江にヘリパッドをつくろうとしています。これは、沖縄に限りません。

20160721e9ab98e6b19fe383bbe79089e79083e696b0e5a0b1私たちは主権者です。
運動で法律も変えられる!不当な判決は覆すことができる!それには、学区単位の地域で集まってまちづくりをして、そこで子どもたちとどう関わっていくか。子どもと関わるということは未来と関わるということ。これこそが原動力です。
創意。工夫。努力。情熱。この4つがそろえば世論を変えることができる。

平和なときこそ観光地になり得る。沖縄の特産を活かした食事を出す、沖縄の野菜はぬちぐすい(いのちの薬)、地産地消の観光地にしたい。エコツーリズムっていうんですね。どうか沖縄に来て下さい。高江まで行かなくていいです。観光でいいです。かりゆしのホテルに泊まってください。少し高いですが。そして、沖縄の野菜を食べて、沖縄のお土産を買ってください。私たちはそれだけでうれしいです。」(「かりゆし(嘉例吉)」とは、沖縄の方言で「めでたい」という意味)

集会の最初に紹介された名護市長・稲嶺進さんのメッセージが胸に残る。「背負ってきた荷物の重さ、苦しさを知っている私たちは、自ら進んでその荷物を他の誰かに押しつけたくありません。だから今は歯を食いしばって負担に耐え、私たちとともに背負ってくれる誰かが現れるのを待っているのです。

沖縄に観光に行くだけでもともに背負うことになるのなら自分たちにもできる。しかし、その言葉に甘えず、歴史的事実を知る努力はしなけらばならない。そのために集会や勉強会にはすすんで足を運ぼうと思う。    (三)