NY貧乏Nuseものがたり part -9
今日は近くの病院でボランティア。
うちのやってる階には、普段ボランティアしている訪問看護ホスピスの病室もあってうちは行ったり来たりしてる。
在宅で様態が急変したり医療施設でのケアが必要になった患者さんが一時的に入院したりするんやけど、今日は3人いた。
そのうちの一人。
朝ちょっとだけ様子をみにいった患者さんが、その一時間後に死んだ。ご家族が来たちょうど一時間後。
まるでご家族がくるのを待っていたかのようだった。
ホスピスの現場では「死ぬ」という言葉を使う。
「亡くなった」とか「息をひきとった」とかは使わない。
初めて死んだ患者さんを包んだ。
彼女の遺体をみたとき、うちの背筋になにか走った。
命の絶えた体はみただけで本当にわかるものなんだなぁって。本当に体はただの乗り物というか、命を動かすものにすぎないんだなぁって、あらためて感じた。
あっけないもの・・・
でもお顔が安らかで、Death rattleが聞こえなくなった彼女をみて、不思議やけど、「今終わりましたよっ、お疲れ様でした」って思ったの。
ちょうどご家族二人が見守る中で息をひきとられたので、彼女にとってはいい最期だったのではないかと思う。
「静かで安らかな瞬間だった」といい、ご家族も帰る途中涙ながらにありがとうと声をかけてくださった。
たった3分も時間を過ごしてない私に。
その瞬間胸の中に熱いものがこみあげてきた。
かと思うと別の部屋には、ホスピスなのにアグレッシブな治療を続けたいご家族がいて、患者さんに語りかけたり手を握ったりするよりも、血液検査の結果や薬の内容ばかりに気をとられていて、やっぱりホスピスを選ぶんじゃなかった、なんてずっと言われている方もいた。
そのご家族はまだ患者さんの死が近づいてることを受け入れられないようで何とかして治療を続けたい、他の病院に連れていく!と、少し混乱されているようだった。
癌の専門医にも「もう手のほどこしようがありません」と言われてホスピスケアを受け始めたはずだったのに、まだ現実を受け入れられず現実を否定しておられるようだった
人それぞれやけど、やっぱりそれは当然のこと。
たった5,6ヶ月前まで普通にしゃべって会話できたのに…
今はただ死にゆくのを見守るだけなんて、いてもたってもいられない。
当然の心境だと思う。
でも意思疎通のほとんどとれない患者さんを目の前にして、
ご家族が勝手に、こんな夫(父)の姿はみていられないからと、治らないし症状が改善する余地もないのに、治すための治療を再開して、患者さんに薬やチューブを体の中に送り込むのはやはり痛々しい。
でもよくあること…
大事なのは患者さんにとって何がベストかということ。 私が働いている現場は、今までずっとボランティアをやっていたMed/Surg/Hospiceという病棟です。ここは、一般内科・外科・ステップダウン・ホスピスといういろいろな患者さんがくるので、幅広くいろんなことを学べます。特にホスピスは自分の興味のある分野なのでやりがいがあります。が、現実はミスの連発で…しかも初歩的なミス・・・忙しくて忙しくて落ち着いてできないんだ。はぁ~。でも、先日ある患者さんが、「あなたはかわいいわね。顔とか体じゃなくって、ここがかわいいのよ」って、心臓のあたりを指して言ってくれたの。
なんかうれしかったなぁ。でも、あとでやっぱ、顔とか体はかわいくないんや~って思った。(笑い)
Elmhurst Hospital Center of NY Citty より
プロフィール
まいまい
ニューヨークの片隅在住。2010年6月に看護師国家試験取得。不況のあおりで就職難民・・・そんな日々の中で遂に2011年10月に就職!感じたこと、気づいたことをお届けさせていただきます。