VOL153. 記者雑感 From気仙沼-(Vol.6) どうしても犠牲は出るのか

01

どうしても犠牲は出るのか

01「また家を探すなんて、避難所に戻ったみたいだ」。お年寄りの女性が、わめいた。7世帯15人が暮らす東新城2丁目仮設住宅。土地の持ち主が市との貸借契約を更新しないので、解体して来年1月には返さなければならない。7家族は別の仮設住宅に移る。東北3県で初のケースだ。
女性が訴えた場は、それを説明する3月の市主催の会合。別の男性から「次の仮設も途中で出ることにならないか」と疑問の声が上がったのは当然だろう。
市内の仮設住宅93カ所のうち、民有地は43カ所。仮設住宅設置は2年と震災直後に国が決めたため、市は建設・撤去期間を含めて2年半の契約を地権者と結んだ。今年11月から来年5月にかけて満了を迎える。どうも2年では済まないと考えた市は、全地権者と直接会い、2?3年の延長を頼んだ。これまでほとんど無償だったが、賃料を払うことも伝えた。東新城2丁目だけが不同意だった。
だから、「次も途中で出る」心配はないように思ったが、菅原茂市長は否定した。民有地は大丈夫でも、校庭の仮設は空きが多くなれば減らす、だから今年は仮設から仮設への引っ越しが頻繁に出る、と。生徒の運動環境を考えると一理あるし、「子どもに申し訳ない」と話す仮設の住民はたくさんいる。でもなあ。
契約と言えば、数カ月から1年の期限で全国の自治体から派遣された職員約50人の解任式が3月末にあった。私と同じ昨年4月に来た岐阜市職員もいた。震災後に新設した土地区画整理室のトップに就き、極めて忙しい日を送った。岩手県一関市の仮設から通勤する毎日。01一度車ですれ違うと、とても眠そう。事故を起こさないか心配だった。
 兵庫県尼崎市の職員も阪神大震災後に地元で区画整理に携わったプロ。「本当は何年もいて復興を見届けたいけどね」。1月、兵庫県宝塚市から岩手県大槌町に派遣された職員が自殺した。それが頭にあったのか、菅原市長は「健康な姿で帰っていただけるので安心した」と挨拶した。
復興に直接体を張るのが建設作業員。食堂が少ないうえ、現場は山や海岸なので、飯はコンビニばかり。店側も「大盛り」「BIG」のカップ麺を増やす。宿直でたまに行く仙台市と明らかに品揃えが違う。カロリーだけで栄養がない。こんな食事を続けて体を壊さないで欲しい。復興は大事。でも、健康と命あってこそ。悲しむ人、苦しむ人を、もう見たくない。

●実母と夫、次女と二人の孫を亡くした

伊藤美江子さん(63)の遺族代表の言葉
(仙台市からの帰りの車内で津波に巻き込まれ、6人中1人だけ助かった)

(前略)月日が過ぎていけばいくほど、悲しみが増してきているような気がします。母と同年代の方や夫の友人の方と会えば生きている姿を思い、娘と同じ年頃の方と会えば「おしゃれや子育てを楽しんでいただろう」と思う時があります。そして二人の孫と同じ年頃の子どもたちを見れば、想像して落ち込みます。「これではいけない」と思いながら、ついつい思ってしまう、そんな日々の繰り返しです。同じ車の中にいたのに私だけが生きた。波にのまれながら生きた。これが現実なのだと思い、みんなの分まで頑張って生きていかなければ、と自問自答の繰り返しの毎日です。だからこそ、私を助け、励まし、力を与えてくれた皆様と、亡くなった家族の分まで生きていかなければ、と思います。それが残された私の務めだと思います。(中略)明日から3年目が始まります。もっともっと前向きに欲張って生きていこうと思います。(後略)。

●年度末で閉校になった浦島小学校。

卒業式で6年生5人が唱和した言葉
(前略)浦島小学校で過ごした6年間。振り返ってみれば本当に楽しい、あっという間の6年間でした。私たちは浦島小学校最後の卒業生であることを誇りに、あふれる夢と希望を抱いて、今未来に向かってはばたきます。はばたきます。(中略)大好きな浦島小学校。さようなら。さようなら。

 

現役新聞記者(宮城県・気仙沼在住)
私のいる事務所兼住居は、1階の浸水のみですみましたが、3軒隣の警察署も、少し離れた小学校も解体です。節電といわずとも、家の周辺は真っ暗。人がいないから…街灯もいらないわけで……これから、気仙沼で自分の見たまま感じたままをお届けします。





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