「種は買うものと思われがちだけど、自家採種した種の方が、その場所の環境に順応していて育てやすいんだよね」
昔の野菜はもっとおいしかった…
よく耳にする言葉です。たしかに昔の野菜は個性的で、大根にはもっと辛みがあり、人参には子どもが嫌うほどの強い香りがあったような気がします。
時代につれて、私たちの食べる野菜は変わってしまったのでしょうか? その裏には、「種」の事情が大きく関わっているといいます。
二つの種
野菜の種は、「固定種(在来種)」と「F1種」に大別されます。
固定種の種
<伝統野菜・地方野菜・地場野菜と呼ばれるもので、その地域の気候風土のなかで何世代にもわたって選別・淘汰されて、その地域の風土に合った種として固定化したものを指す。丹波では、黒豆や小豆などがその代表的な例>
- 何世代にもわたり、絶えず選抜
- 淘汰され、遺伝的に安定した品種。
- ある地域の気候、風土に適応した伝統野菜、地方野菜(在来種)
を固定したもの。 - 生育時期や形、大きさなどがそろわないこともある。
- 地域の食材として根付き、個性的で豊かな風味を持つ。
- 自家採取できる。
F1種の種
<人為的につくられた一代限りで、大量生産・大量消費にうってつけの種。一代限りのF1種は世代を超えて生命の受け渡しをすることができませんから、循環しない品種ともいえる>
- 異なる性質の種を人工的に掛け合わせてつくった雑種の一代目
- F2(F1の種から採取した種)になると、多くの株にF1と異なる性質が現れる。
- 生育が旺盛で特定の病気に大病性をつけやすく、大きさも風味も
均一。 - 大量生産、大量輸送、周年供給などを可能にしている。
- 自家採取では、同じ性質をもった種が採れない
(種の生産や価格を種苗メーカーにゆだねることになる)
種子支配
F1種の普及は、思いがけない深刻な事態をもたらしています。種の多様性が、どんどん損なわれているのです。と同時に、種子支配も進行しています。
F1種が普及すると農家は毎年その種を種子会社から買うようになり、これまで自ら行っていた採種をしなくなります。その結果、その地域で固有に存在していた伝統的な品種が放棄され、次々と消滅しています。
種の多様性
多様性こそが自然の理であり、生命の理であると、フランス人植物学者ジャン=マリー・ペルトは述べています。現存する種の多様性を守ることは、調和のとれた都市の魅力や各々の民族の伝統を尊重することと同義であると、彼は熱く主張します。
種の多様性を取り戻すために、私たちはいったい何をすればいのでしょうか?
まず見直すべきは、農業のやり方です。現行農法においては、三点セットといわれる農薬、化学肥料、それらの使用に耐える品種が必須でした。しかしその過程で品種が画一化され、土壌を劣化させてきた事実があります。
農業の本文は、人々を食べさせることです。一時的な利益を追求するあまり、農地を傷めたり収穫を共倒れさせるようなことをすれば、飢えを招きかねません。
従って、私たちは永続的な農法を採用すべきです。その際求められるのは、農薬と化学肥料を使わないことを前提とした品種なのではないでしょうか?
循環する種子を復活させ、永続的な農法へ転換する、これができるかどうかは、私たちが自然に対して真摯な態度をとれるかどうかにかかっています。
バングラディシュの新しい農業のムーブメント
ウピニック ノヤクリシー 10の原則
- 農薬は使わない
- 化学肥料は使わない
- 自家採取
- 混植でバランスをとる
- 自分達で作る野菜と野草をたいせつにする。
- 地下水は使わない
- 売れる物だけを作るのでなくトータルに考える。
売れないものでバランスを取る物の有用性 - 家畜はハイブリッドでなくローカルなものを使う
- 魚などもすめる環境をまもる
- 自分たちの畑の周りに木を植えよう
ノヤクリシー有機農業に転換した農民に聞きました。
農薬と化学肥料によって土が疲弊し経費がかさみ実質的には生活は楽にならなかったこと、何か変だと思っている時にウピニックのノヤクリシーの運動に出逢い実践を始めた。
最初は収量が減り皆からはチャコール(バカ)と言われた。
でも仲間も増えて今は変換して良かったと感じています。
家族の会話も増えてネパールにノヤクリシーを紹介に行ったり暮らしが充実しています。畑は混植がされて虫喰いも少ない畑と有機質堆肥のお陰で良く出来ると言っていました。
種も自分たちで採るために在来種を使うことになり発芽率も高まったそうです。感想として自信に満ちた生活をしている感じがしました。
種バンクは種を借りると来年2倍にして返すシステムです。
日本各地に種バンクができてノヤクリシー(新しい農業のムーブメント)有機農業が広がればいいな~と思っています。