vol.222 順応と適応について

順応と適応は、どちらも変化する環境や状況に対応する能力を指す言葉です。

 環境や境遇の変化に従って、性質や行動がその環境に合うように変化すること。慣れることでストレスなどから身を守り、生き延びるために無意識に自然と変化していきます。

 

自らの意思や意識で外部に適するように変化していく様で、状況が変化した際に、自分自身を修正したり新しいスキルを学んだりする能力を指すことが多いです。

 

適応と順応。 同じニュアンスを持ちながらも、それぞれが持つ言葉の意味の違いが明らかになってきました。

この夏は「危険な暑さ」というフレーズを何度も聞きました。気温40度は今まで体験したことのない暑さ。体温を超えています。こんなフレーズを何度も聞くと、いつか慣れてしまって、危機感が薄れてしまう気がします。しかしそういう状況でも、人は順応していくんだろうか・・・
今までに経験したことのない暴風雨、線状降水帯・・・だんだん耳馴染んできて、「またか」にならないか。気象情報に限らず、その原因などを考えることに及ばないと、トンデモない状況に直面してしまうのではと危惧しています。

加えて、水道水の問題。各務原市では問題が発覚して早1年が経ちます。新聞では全国的な広がりに懸念を示し度々報道されていますが、喉元過ぎれば熱さ忘れる??なのか、話題に上らなくなりました。これは「順応」?それとも「適応」したの?度々報道されるPFASについて、ちゃんと理解しているか、周りの人に「その水本当に安全?」と聞いてみると、「国の基準より下がったからいいんじゃない?」という返事が多かった。基準値・・・そもそも基準はどこにあるのでしょうか。

ここで基準値についておさらい
PFAS(有機フッ素化合物)の基準値は、次のような根拠や経緯で決められています。
水道水中のPFASの暫定目標値
厚生労働省は、2020年に水道水中のPFOSとPFOAの合算値を50 ng/L(1リットルあたり50ナノグラム)としました。これは、体重50 kgの人が一生涯にわたって毎日2 L以上飲用したとしても、人の健康に悪影響が生じないと考えられる水準です。ここで疑問が生じます。
疑問① 健康な大人(体重50kg)が一生涯・2リットル以上飲用しても影響がない?では子どもはどうなんだろう。大人より寿命は当然長いし、体重だって少ない。
疑問② 飲み水以外に、食品にはありとあらゆる添加物が含まれています。大気中にも化学薬品(消臭剤や忌避剤など)が浮遊する今の生活では「複合汚染」※を考慮しないといけないのでは?そのアセスメントはできているのかしら。
疑問③ 人の健康に悪影響が生じない、とは?悪影響ってなに?具体的に示すことが重要です。
疑問④ ③を受け、血液検査は今後の知見のために必要では?

PFASの規制値
環境省は、PFASの合計値を100 ng/L、4つのPFAS(PFOS、PFOA、PFNA、PFHxS)の濃度合算値を20 ng/Lとして規制値を定めています。これらの規制値は、それぞれ2026年と2028年から適用される予定です。
PFASの要検討項目
国は、有機フッ素化合物のPFHxSを2023年4月1日に要検討項目として位置づけました。これは、毒性評価が定まらないことや、浄水中の存在量が不明などの理由によるものです。
また、日本企業はPFASへの対策が求められており、2010年には化審法(化学物質審査規制法)でPFOSの輸入や製造などが原則禁止となりました。

※複合汚染:2種類以上の汚染物質が共存して、人の健康や生活環境に相加的、相乗的な影響を及ぼすこと。
作家・有吉 佐和子(1931-1984)が、朝日新聞紙上で1974年10月-1975年6月にかけて連載した小説(その後、新潮社より発行)『複合汚染』は、さまざまな毒性物質の複合汚染の実態とそれを生み出す構造について告発・警告し、大きな反響を与えた。
『複合汚染』(有吉佐和子・著)
内容紹介: 工業廃液や合成洗剤で河川は汚濁し、化学肥料と除草剤で土壌は死に、有害物質は食物を通じて人体に蓄積され、生まれてくる子供たちまで蝕まれていく……。 毒性物質の複合がもたらす汚染の実態は、現代科学をもってしても解明できない。


違和感はとても大事
たとえば、水を飲んで「おいしくない」と感じることで、自分が望む水とは違うと感じる違和感はとても大事。水に限らないですが、自分が感じることへは真摯に向き合って、違和感を感じたら、「まぁいいか」ではなく、とことん突き詰めることが重要です。

不自然と思われる食べ物、例えば、ゲノム編集されたトマトや鯛。遺伝子組換えされたトウモロコシや小麦、大豆…。そういう食べ物に、今までにらめっこでは警鐘をならして来ましたが、普通に流通されていると違和感も薄れ「慣れ」てしまうのか?でも、忘れた頃に、そのつけが回ってくるということになりかねません。

“「慣れること」に慣れるな”は、新一万円札の顔・渋沢栄一の言葉。要するに習慣というものは、善くもなり、悪くもなるから、別して注意せねばならない。現代の言葉で言うと…
同じことを習慣にしていても、それが“精進”になればいい結果につながり、“マンネリ”になれば悪い結果しか生まない。注意して、両者を分ける必要がある。「慣れること」に慣れて、流されることのないように、違和感を感じたらその感覚を大事にすること。


違和感への対処
それは違和感に素直に従うこと。いたってシンプルです。違和感の理由を明確な理屈で説明できないために、従うのは少し勇気が必要なことかもしれません。でも、それは自分では処理しきれていない情報を直観的、無意識的に感じ取っているということかもしれません。それに従うことによって、顕在化していない自分の視点を得ることができるかもしれません。もし違和感を持つような瞬間があったら、その時が自分の行動を変える良いチャンスとなるのではないでしょうか。