vol.219 続しょうがいをみつめる vol.1


『障害は個性か』
この問いに対する私の見解は、
「現時点ではNO ですが、社会(我々)が変わればそう言える日が来るかもしれない」です。

障害とは何か。

一般的には、目が不自由なこと(視覚障害)とか、半身麻痺がある人(身体障害)などと考える方が多いでしょう。これを、障害の「医学モデル」といいます。障害は、目が不自由だとか、半身麻痺がある『人』そのものがもっているという考え方です。だから、目が不自由な人はそれを補うため「点字を読めるようにしよう」とか、白杖の使い方を学ぼう」と言われます。半身麻痺のある人は、「杖を使ったりリハビリしたりして機能回復を目指しましょう」と。努力を求められるのは、障害のある人の側だということです。

「障害」という言葉を辞書で引いてみましょう。「物事の成立や進行の邪魔をするもの」とあります。この本来の意味に立ち返ってみると、障害は、目が不自由だとか、半身麻痺のある『人』がもっているものではなく、生活、学習、仕事の成立や進行を邪魔している『社会』の側にあるということになります。これを、障害の「社会モデル」といい、世界的には主流の考え方です。このモデルで障害を考えると、努力を求められるのは、社会の側だということになります。
日本でもこの考え方に基づいて、公共施設にエレベーターが設けられたり、要請があれば筆談で窓口対応をしたりといった環境がかなり整えられてきました。障害者差別解消法などという法律も整備され、障害者雇用率も上昇して社会的に活躍する障害のある方も増えています。
一方でなかなか変わらないのが、社会(我々)の価値観であるしょう。表立って差別することは流石に減ってはきていますが、何かがあると「障害者だから・・・」と言われることはいまだに多いのではないでしょうか。
「障害者だから・・・」と当事者が自分にレッテルを貼り、自ら機会を奪ってしまうことすらあります。
社会(我々)の価値観を変えることは容易ではありません。ですが、社会の仕組みを変え、法律を変え、目に見える部分から変えていくことはその第一歩であり、まさに今その途上にいると私は信じています。

「個性」という言葉を辞書で引いてみましょう。「個人に具(そな)わり、他の人とは違う、その個人にしかない性格・性質」とあります。
目が不自由であっても半身麻痺であっても、その人の望む生活、学習、仕事ができる社会(障害となるものがない社会)であれば、不自由な目も麻痺のある半身も『個性』だと言えるようになるかもしれないし、そうなってほしいというのが、私の望みです。
たとえそれが、まだ遠い道のりだったとしても、障害のある方々を支援する者として理想をもっていたいと思います。

ライター・障害者支援に携わっているS.Iさん