コロナに罹患した。なかなかしんどい時間を過ごしなんとか回復したが、体力の無さを今更ながら実感している。夫婦順番に罹患していき、”いつ罹ってもしょうがないよね”と少しばかりの余裕もあった。
「コロナ禍」と言われた時期は数年に渡り人々が口にしていたと思うが、思い出すとそれが始まった時期には私はまだ経営者であり、知的障がいの長男と認知症が進んだ母親と同居していた。自分の環境が変わったのだという実感をひしひしと感じる。
今はもう長男・母ともに存在としてこの世にはいない。
コロナが蔓延し始めた頃は”高齢の母親が罹患したらどうしよう”とか”治療や通院が難しい長男が罹患したらどうしよう”とか少ない情報の中で戸惑っていた。社会生活は規制が暗黙的に敷かれ、マスクが日常的に着用出来ない母親にマスク着用や手洗い消毒を促す毎日にイライラしたり、逆ギレされて怒ったりと日常の形が変わった時期でもあった。会社の運営方法にも工夫が必要とされる時期でもあり、自分自身も罹患しないよう経営指揮を執り、細心の注意を払いながら過ごすことが日常となった。
日常という些細な今は、次から次へと過去という形態になり過ぎ去っていく。その積み重ねが日常であり、”今”を過去から見たら”未来”というのであろう。未来とはそんなあるようでないものでしかないようだ。パンデミックという世相は生活習慣や「当たり前」を変えながら、繰り返し変わらないと思っていた日常が「そうではないかも?」と思わせるひとつのキッカケとなったのかもしれない。
簡単に1分先や10年先の未来描くことを私たちは頭の中で巡らせている。しかし当たり前が変化した時、その先は予測できない不安に包まれる。日常的に私たちはまだ起こらない未来に戸惑い、夢を見、自分の心が”今ここにない”ことにどれほどの時間を費やすのだろう。それらの未来を案じる”希望”や”憂い”は自分を突き動かす原動力となり、結果としての喜びや達成感を感じさせてくれたり、悲しみや失望にも形を変えてきた。それに突き動かされることは悪いことではないけど、翻弄されていることに気づかないままだと厄介だ。
常に変化し続けている”今”を日常と呼ぶのならば、予測しようがなかった2人がいない今を生きている私の現実は思いもよらなかった未来と言えるだろう。幸か不幸かという未来図よりも、日常はいつもそこにあるものではなく、とどまることなく変化し続けていて、今も刻々と変化しているということ。そう感じていたいと願っている。
コロナ禍という言葉が人々の日常から薄れゆく今、薄れることなくただ濃密に色濃くハッキリと私の心に映し出された過去という日常は、今は望んでも得ることが出来ない。それは時間の流れから一歩離れたところに今も脈々と漂っている。それは悲しみや苦しみという想いを超えて現在という未来となった。今やその過去はあるべくしてあった必要な経験であったと変化し、これからも変化するだろう。今の捉え方次第で過去と呼ばれる過ぎ去った時間はどうにでも捉えなおすことが出来ることは原体験から映し出され続けている。それは今という日常を色濃く照らし、常ならぬ日常を暮らしていくヒントになっている。そして、それは”今”が積み重なった未来をうっすらと映し出す光となっている。
映し出される景色を感じるために私は日々を生かされている。その先はこれからもハッキリとは見えることはないだろう。
MASA:若者をはじめ、障がい者も一緒になって、ごちゃまぜイノベーションを目指している。知的障がいのある息子は享年24歳で2021年2月27日に旅立った。関市在住。