vol.188 ホスピスナース奮戦記 最終回

自然なこととして死をむかえるために…

今日一件目の訪問は60代のメキシコ人の男性。末期の肝疾患のためにたまった腹水の圧迫で、かなり呼吸が苦しい状態とのこと。腹腔にたまった体液を対外に排出するためのカテーテルが腹部に入れてあるので、その体液をある程度取り除いて呼吸困難や痛みの緩和と、家族も体液を抜くことができるようにやり方を覚えてもらうことが今回の訪問の目的だった。着いてすぐ、英語が話せる患者さんの甥っ子が出迎えてくれた。患者さんも他のご家族もスペイン語のみだったので、甥っ子さんの存在はとても助かった。もちろん通訳電話も使うけど、やっぱり誰かがそこにいて意思疎通を手伝ってくれるのが一番だ。他国からの移民は、お国柄やそれぞれの事情はあれど、家族や親戚とのつながりがとても強く、看取りの場でも親戚一同で協力しあう姿に毎度感心させられる。
患者さんは、話すのがやっとの状態でとても苦しそうだった。痛みよりも呼吸が楽にできない苦しさで落ち着けない。つきっきりで世話をしている患者さんの妻も、そんな夫をみて実に辛そうだった。呼吸ができない苦しさは、水に溺れるような、なんともいいあらわせない恐怖にも似た苦しさだそうだ。酸素吸入をしていても、上半身を起こしても、どんな格好をしても、とにかく苦しく、眠りにつくこともままならない。
在宅のホスピスケアに移行してまだ2日、カテーテルから腹水を抜くためのいろいろなキットは段ボールに入ったままだった。ホスピスケアから送られた症状緩和のための薬もまだ一度も使っていなかった。入院先の病院から在宅ホスピスへの切り替え時のサポートが、充分でなかったのかもしれない。言葉の壁があったのかもしれない。
ご家族は、患者さんがこんな苦しい状態で家でケアをしていけるだろうか、必要な時に、自分たちで薬をあげていいのか、カテーテルから腹水を抜くことができるのか、とてもとても不安だったと思う。患者さんは、溜まった腹水や下半身のむくみのせいで大人2人がかりでしか動かせないような状態。しかし、なによりも自宅で、家族のそばで過ごせるのが、とても有意義なことのようだった。
今日はまず腹水を抜く手順を一つ一つご家族に見せながら、2Lほど抜いた。パンパンに張ったお腹にはまだ腹水が溜まっているけど、今できるのはここまで。患者さんは、少し呼吸が楽になったと教えてくれたけど、まだ苦しそう。痛みもあるようだったので、呼吸の苦しさの緩和にも使うオピオイド(モルヒネ)の使い方をご家族に説明し実際に患者さんにあげてもらった。ご家族に助けてもらいながら、なるべく落ち着ける体勢を探した。とにかくご家族にどんどんケアをやってもらえるように覚えてもらうしかない。やれないことや問題があれば、すぐに電話してもらう。家族の不安と緊張、患者さんの肉体的な苦痛と衰弱とはうらはらに、患者さんの口からは片言ではあるが、「ありがとう」「助かるよ」「大丈夫」。といつもあたたかい言葉がでてくる。
衰弱が一定のレベルに達すると、ご本人にはわかるのだろう。死というものがとても近いことを。体に刻々と訪れる変化を受けとめていくしかない。そしてこの患者さんは多分しっかりと自分の体の変化を受けとめていた。
家族にとっては、その変化が早ければ早いほど、どうにか生きていてほしいと思うだろうし、死へむかう変化にとまどい、本人以上に変化を受け入れづらかったりする。とまどいも、悲しみも、不安も、緊張も、すべて患者さんには伝わっている。だから患者さんからは、どんなにしんどくても、「ありがとう」「大丈夫」、そんな言葉がでてくるのだろう。この家族をみていてそんなことを思った。

怖いのは、実は死ぬことではなくて、死ぬとは実際にどういうことなのかわからないゆえの、いわば未知への恐怖だと私は思っている。家族との肉体的な別れや、愛する人々が悲しみにくれるのを見たくないという思い、自分の人生に対する心残り、自分という存在がどうなってしまうのかという不安、そういった漠然とした、なにかとても大きなエネルギーに飲み込まれるような感覚。でも、この患者さんをみていて、自分の死を間近に自覚すると、心はなにかあたたかいもので包まれているような、そんな感覚になるのではないかと思った。そうであるならば、おかしな言い方かもしれないけれど、死に対しても希望をもてる。生まれたら死ぬという自然なことを自然に受けとめられる。そんなふうに肉体の死をむかえるために、家族や患者さんにはホスピスケアや緩和ケアをおおいに活用してほしいと思う。自分たちが舵をにぎっているつもりで・・・。

長い間ご愛読ありがとうございました。新しい“いのち”を育む為に今回にて連載を休止させていただきます。また、いつかお目にかかれる日まで。       わかばま〜く

わかばま〜く:プロフィール 1987年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。その後訪問看護師としてホスピスケアに携わっていた。岐阜県各務原出身。