2010年5月アクティバが取り組んだモギソウギ。これがきっかけとなり、葬送の自由を確信した酒井氏※が「モギツヤ」を企画、2015年3月7日に執りおこなった。簡素な祭壇が雰囲気を醸し出し本番さながら。棺に入った酒井さんは「黙祷の瞬間は、参列していただいた方々の意識がずしんと体に入った感覚がした。死んだら友人たちから手向けられるありがたいことばを聞くことはできない。それはもったいない」と感想をのべた。また、「臨場感溢れる体験でした。みなさんもぜひ体験してみてほしい。今回、自分のために集ってくれた人たちが財産となった。そして、自分だったら“こうしたい”という思いをみなで掘り下げたい。それが終活につながると思う」。
参列者の感想
・ 生きている間にその人のことを真剣に考えることってそんなにない。友人代表のあいさつを考えて下書きしたが家に置いてきた。その場のその時の気持ちで話をしようと思った。 ・思った以上に厳粛になった。日本人の縛り、とかがあったのでは… ・ 故人(企画者)のお人柄に左右されますね。いい会でした。 ・回数を重ねれば、厳粛とかこだわりが外れるのかも。 ・ 今日のこの企画の落としどころは…大人の遊びかな。
スタッフこぼればなし
ミーティングの中で、棺の中に入るなんて…あっちの世界に連れて行かれたら…とか、もし、モギツヤをやったがために…とか不安がないわけではなかった。しかしその時、酒井さんが「やろうがやろまいが死ぬときは死ぬ」のことばで吹っ切れた。迷信(迷心)に惑わされずやってみようと思った。しかし、もっとギャグっぽくなるかと思っていたが、意外でした。みんな深刻になっちゃって。で、こちらもつい泣いちゃいましたよ。
※酒井稔(さかいみのる)岐阜市生まれ。
株式会社酒井設計事務所 代表取締役 一級建築士
ぎふ草の根交流サロン主宰 鶏ちゃん合衆国 副大統領
殿町珈琲 殿町市場 やぎカフェ 店主
自主映画監督出演、アート作品制作、音楽活動、にもチャレンジ中。死生観に興味をもち、モギツヤ等を通じて社会にメッセージ発信中。
生まれた以上「死」は定め。どのタイミングで死への覚悟を決めるかが問題。このような企画は覚悟を決めるきっかけになると思いました。同時に、すべてのつながりの中で生かされていることへの感謝の気持ちがわいてきた。厳粛な気持ちでいたら、献奏のチェロに音を重ねるようにどこからかサックスが聞こえる…すると突如、棺から白装束でサックスを吹きながら、息を吹き返した酒井さん。この演出には度肝を抜かれました。粋ですね。(三)
Q.散骨する際には遺骨を粉末にしますが、業者に依頼せず自分で粉末にしても良いのでしょうか?
A.遺骨の粉末化は業者に依頼すれば専用の機械を使ってパウダー状にしてくれます。しかし業者に依頼せずに自分で行うことも可能です。ビニール袋などに入れて、ある程度細かく砕いてから、すり鉢で細かくしていきます。ある程度細かくなるとすり鉢も目詰まりしてきますので、さらに細かくするためには乳鉢を使用します。遺骨を粉末化する作業は想像以上に大変です。精神的に辛くなることも考えられますので、自分達で粉末化する際には覚悟も必要でしょう。
「死後どのような形で葬られたいか、家族をどのように送り出したいかという希望は、信教の自由とも関係のある重要な権利です。しかし、全ての権利がそうであるように、他人との調整が常に必要なこともまた真実です。できれば国民的議論を経て法整備されることが望ましいでしょう」 (弁護士・談話)