vol.172 「アフガンに命の水を」中村哲講演会ダイジェスト

アフガンに命の水を

ペシャワール写真

遠い国?アフガニスタン

OLYMPUS DIGITAL CAMERAアフガニスタンという国は日本人にとって最もわかりにくい国の一つですね。6000〜7000m級の山々で占められる山の国です。アフガニスタンではこの山に降り積もった雪が、あるいは、何万年もかけてできた氷河が、夏に少しづつ融けてきて川沿いに実りをもたらす。人も動物も植物も、こうやって生命をつないできた。雨はほとんど降りません。が、かつては食糧自給率が100%近くを誇っていた農業国です。アフガン人のほぼ100%が敬虔なしかも世界で最も保守的なイスラム教徒です。日本のような警察やいろんな権力がないという状態で、地域ではそれぞれの大富豪が、金曜日になると礼拝にやってきてもめ事を解決する・・・といふうに、地域が宗教で結びつきながら社会を形成していて、近代国家とはほど遠い国であります。貧富の差が激しいこの国で、私たちは、PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス)で活動をしています。この中でもいちばん苦労したのが、いかにして患者のことが理解できるか。言葉が違う、習慣が違う、宗教が違うというと、どうしても我々が犯しやすい過ちがおきます。単に違いであるのを、善悪とか、優劣だとか、あるいは、遅れている、進歩しているという目で裁いてしまうということがあります。我々は患者の命を助けることに専念するということで、その地域の文化、風習、慣習につきましては一切これを裁かないという、方針を固めていきました。しかし、医療を通して人々の支えになっていったのですが、私たちの活動の大部分が一見医療とは関係のないところに力が注がれてきました。

戦争と大干ばつが襲う
もう一つ日本人になじみの薄いものが、戦争。日本はこの70年間、少なくとも公式には海外に兵を送ったことはありません。しかしアフガニスタンは、この40年間ずーっと戦争が続いてきた国で、私たちも医療の立場からこのアフガン問題に巻き込まれていきました。初めは細ぼそと難民キャンプで治療をしていましたが、ハンセン病の問題がある、しかもこのハンセン病の多いところは同時に、他の感染症、腸チフス、結核、マラリア、デング熱、皮膚リーシュマニア症などありとあらゆる感染症の巣窟である場合が多い。私としては、内線が下火になった暁には、こういったアフガニスタンの国内に診療所を開設して、ハンセン病もいろんな感染症のひとつとして、さりげなく診るという方針を立てアフガニスタン国内の診療所開設に向けて動き出しました。ペシャワール会の支給が続く限り患者を診るという方針にしました。そのように体制を整えて続けて行こうというときに襲ったのが、現在も進行中のユーラシアの大干ばつです。2000年の夏、6月のことです。それはこれはおそらく人類が体験したことのないような規模であり、その中でも最も激烈な被害を受けたのがアフガニスタンです。国民の半分以上に相当する1200万人が被災し、さらに400万人が飢餓寸前、さらに100万人が餓死寸前・・・その現状を訴えましたが、政治的な理由によって、ついに国際救援は届かなかった。私たちの診療所の周りでも、つい最近まで何千人も住んでいた豊かな村が次々と消えていきました。半年もたたないうちに、一木一草も生えないような砂漠になってしまったんです。

ゲームのような戦争に巻き込まれ・・・
アフガニスタンではほとんどの人が農民で、自給自足が基本です。で、彼らにとって水がないということは、まず飲み水がない。水がないと食べ物が作れない、農業ができない。そのために栄養失調になり身体が弱くなってくる。だからちょっとした病気でも、死んでしまう・・・。
私たちは、清潔な飲み水と、十分な食べ物さえあれば、患者達は死なない!薬では飢えや乾きを治せないということで、診療所の周りから井戸を掘り始めたのが2000年の8月。この5年間のあいだに、約1600ヶ所で清潔な飲料水源を得て、なんとか村を離れずに数十万人の人々が難民化せずにすんだ。そうこうするうちに、15年前、2001年の9月11日、ニューヨークで同時多発テロ事件が発生しました。その翌日から、アフガン報復爆撃ということが国際的論調となって主張され始めます。これはとんでもない話しで、先ほど申しましたが、アフガニスタンという国はいわば政府のない国。そのごく一部がテロリストをかくまったという理由だけで、アフガニスタン全土を空爆する理由はなにもなかったわけであります。
当時募金の呼びかけに私は日本に帰っておりましたが、日本人の顔が異常に見えました。どういうことかというと、みんなテレビにかじりついている。戦争を見ているんです。まるでサッカーか野球のゲームでも見ているかのように。あの当時流されたのは、爆弾を落とす側の映像で、落とされる方の映像はほとんどなかったと思います。こうやって世界中に、いわば戦争を肯定するような論調で流された。しかし、実際、起きたのは無差別爆撃であります。おもな犠牲者は女性、子ども、お年寄り、こういった弱い人が実際に犠牲となっています。
そうしてタリバン政権が消える、米国軍が進駐してくると、その当時流された映像にこれでまた世界中がおどろきます。それは、極悪非道の悪のタリバンを打ち破って、絶対の自由と正義の味方、アメリカ及びその同盟軍を歓呼の声で迎える市民達の姿。アフガニスタンは忘れ去られていきました。

難民達が戻る場所ができた
私たちは何事もなかったかのように仕事を続けました。飲み水は確保したものの、食糧が必要となります。当時私たちの活動地で一般的だったのは、カレード(横井戸)で地下水を導いて、田畑を潤すカレーズ。名前はカレーズでもこれが涸れていくんです。(笑い)ついに地下水利用の限界を思い知り、残るは大河川から水を取り入れるしかない、ということで、私たちは緑の大地計画を打ち出しました。その第一弾として、用水路の建設を始めました。2003年から2010年。100の診療所、千、一万の診療所を作るより1本の用水路が人々の命を救う、ということで仕事が進みました。現在は約27キロメートル、3500ヘクタールを潤して、15万人の難民達が戻ってきました。

日本の先人達の智恵にまなぶ
みなさん、世界中で電気がどこにでもあると思っている方はおられないでしょうか?アフガニスタンのほとんどは電気がありません。コンピューター制御の取水口は当然できません。そこで私たちが行き着いたのは、日本の古い取水施設でした。OLYMPUS DIGITAL CAMERA
私の出身地である福岡の筑後川には220年前に作られた石堰(斜め堰)は、川を斜めに横切って石張りで作った堰ですが今でも現役です。220年も前に作られた堰ですが今でも現役です。筑後川は日本三大暴れ川といわれていまして、昔から手を焼いてきた川だったんです。そこを我々のご先祖様が人力だけで、築きそれが今も現役で稼働している。220年前にはダンプカーだとか掘削機なんてなかったはず。我々にできないはずはないと、古い日本の伝統的な技術を大幅に取り入れて建設をすることにしました。これなら現地に適した方法で、洪水も避けながら、春夏秋冬一定した水量が取りこめる。これは素晴らしい!この護岸工事をして、見事にインダス川支流の激流を防いだのです。10年ほど前から用水路が延びるたびに、緑地が回復していきました。

生きようとする健全なエネルギー
2005年。ガンベリ砂漠というこれまた広大な砂漠。我々のグループによって、最終的には森林地帯となりました。
摂氏53度、摂氏54度、毎日数十名の人が熱中症でバタバタと倒れていく。今年はもう中止しようとしたら、本人達が「いや、またやり直すのはたいへんだから、我々は働きます」といって、率先して働いているんですね。
彼らの願いというのはたった2つ。ひとつは、一日3回ご飯が食べられること、もう一つは自分の家族と自分のふるさとで、仲良く暮らすこと。それが満たされなかったために、国外に難民となって惨めな生活をしていた。もしこの用水路ができれば、自分たちのその願いを叶えることができる。生きようとする健全な意欲が、この仕事のエネルギーの一つだと言うことが言えます。
第一回の注水試験が成功して、彼らは開口一番「ドクター、これで生きていかれる!」という言葉でした。まさに命の水です。こうやって27キロの用水路によって3500ヘクタールが潤い、15万人の難民達が帰ってくるという、嘘のようなホントの話しが起きたわけでございます。
農産物が増えれば、人が集まってくる、そこに、商売が発生して、バザールが復活してくる。当たり前の営みかもしれませんが、あの荒野に人間の私生活が戻ってきたわけです。
くり返し私が訴えたいのは、気候変動でアフガニスタンでは干ばつが猛威をふるう。新聞を見れば、アフガン問題、中東問題、テロ対策、戦争、爆破事件、そんな話しばかりですがまず、食糧自給を整えることが大事、ということです。
220年前の我々のご先祖様の技術思想で洪水にも強く渇水にも強い、夢のような堰が現地で実現し、アフガニスタンの多くの人々を救いつつある。数年後には、アフガン東部穀倉地帯が現実として復活し、65万人1万6500ヘクタールの荒地が蘇ります。これをさらに他の地域へ広げていこうという試みが、今準備がされています。

自然と折り合いをつけて生きる
私たち人間はですね、ややもすれば科学技術で自然を征服したり、コントロールできるというような錯覚に陥りがちですが、それは絶対にできないということ。しかしそれとほどほどに折り合っていけば、自然の方からも、なにがしかの恵が約束されている。自然から無限大に受け取ろうとする時代はもう終わったと、私は思っております。生産と消費をくり返しながら、成長を続けられる経済があるかと思えば、一方で、人間の意識とは全然無関係に、人間を襲ってくる自然があるわけです。いかに我々はその自然と折り合いを付けて生きていくのか、というのがこれからの大きな課題であろうと思うわけであります。
我々にとって大切なものは何なのかしっかり見据える時代が、単にアフガニスタンだけではなくて、私たちの活動を通して、自分たちの足元を見る時代が来たのではないかと、私は密かに思っております。          (文責・にらめっこ)

インサイドストーリー
歩行補助具を頼りに、可児市の今渡から単身電車で来場された高齢のご婦人。中村哲さんの本は全部読んだし全部持っている。自分は慢性疲労症候群で5年ほど寝たきりで、気分が沈んだときにいつも先生の本を開き、元気をもらっていた。今日は是が非でも中村哲さんのお話を直に聞きたいと来たとのこと。講演が終わりロビーでぽつんとしていらっしゃるので声をかけました。「どなたかをお待ちですか?」すると「バスは何時かと・・・」この時間にバスと電車を乗り継いで今渡まで帰るのはかなり困難と判断。幸い実行委員に美濃加茂在住の人がいたので、自宅まで送ってもらいました。あらためて中村さんの存在を心強く思った一コマでした。





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