『パリパラに思う』
パリでオリンピック・パラリンピックが開催された今夏。前回東京大会は新型コロナウィルスの影響で無観客でしたので、2大会ぶりの有観客開催となった今大会は、遠く日本の私たちもその熱気をいつも以上に感じた大会ではなかったでしょうか。
連日多くの試合がテレビで放映され、メダリストがニュース番組やスポーツバラエティに引っ張りだこだったオリンピックと比べると、パラリンピックは見られる試合はほんの一部、しかもNHKでのみ、ニュース番組で取り上げられるのも一部の金メダリストだけ。もちろんネットではいくらでも知ることはできましたが、テレビをつけていれば自然と情報が入ってくるオリンピックとはどうしても格差を感じずにはいられませんでした。
金メダルの有力候補として注目されていた車いすテニスの小田凱人選手も、自身の初戦を前に「試合はあるけどテレビ放送はないらしいです。・・・これが現実」とSNSで発言しています。ですが「とりあえず試合で魅せます」と記したとおり、魅せる試合で見事金メダルを獲得してくれました(有言実行かっこいい)。
なぜパラリンピックの注目度が低いのか。理由はさまざま考えられますが、やはり私たち社会の関心が低いからというのが大きいのではないでしょうか。障害者スポーツは自分たち健常者のスポーツとは別物、障害者スポーツをしている人を知らない(身近でない)、こういった無意識の無関心が私たち社会の中にはあるのだと思います。
ただ、社会の関心が低いからとテレビ放送をしないことで、障害者スポーツに私たちが関心をもつ機会やきっかけが失われてもしまうのも事実です。
パラリンピック開催期間中のある日、日本では『24時間テレビ』が放送されていました。『24時間テレビ』とは、1978年から日本テレビが毎年放送しているチャリティー番組で、マラソンやドラマなど複数の企画を通して福祉や社会支援の必要性を訴える目的で行われています。近年では、感動の押し売りとか障害者に対する画一的なイメージだなどと批判を受けることも多くなっていますが、テレビという最も身近なメディアで46年前から一貫して障害のある人たちをメインに据えて番組を制作してきたことは、障害者という少数派の人たちの現状や問題を多数派が知る機会としては大きな意味を果たしてきたと個人的には感じています。
日本では盛り上がりに欠けたパラリンピックでしたが、現地パリでは違うようでした。
その日、私はNHKで放送されていたブラインドサッカーを見ていました。監督やガイドの声、音の鳴るボールを頼りに、まるで見えているのではないかとみまがうほど正確で無駄のない動きの選手たち。エッフェル塔を間近に臨むコートには1万人の満員の観客。しんと静まり返った会場はプレーが止まると同時に大声援に包まれ、多くの観客がブラインドサッカーを楽しんでいる様子でした。
確かに障害者スポーツは身近ではないですし、私たち健常者のスポーツとルールも異なります。しかし、自己の能力を高め、限界に挑戦し、そしてスポーツを楽しむ選手たちの姿は私たち健常者と何ら違いはなく、見る者を感動させます。
スポーツに限ったことではなく、何かに夢中になり、何かを楽しむ姿には多くの人を魅了する力があります。見たことがない、身近でないから避けるのではなく、興味をもって見てみる、そういう人が多くなれば、もっと豊かで面白い社会になっていくのではないかと思っています。