山梨県にリニア中央新幹線の実験線建設が計画されていた1990年代の初めからリニア計画の反対運動をけん引してきた懸樋(かけひ)哲夫さんが5月31日、亡くなりました。69歳でした。94年に出した共著「リニア・破滅への超特急 テクノロジー神話の終着点」(柘植書房)のあとがきで懸樋さんは、ベストセラー「パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」の一節を紹介しこう述べています。「スピード追求社会の現在でも、私たちはかなりの大事なものを失ってきたことに気付かされる。ましてこのリニアで失うもののスケールは計り知れないと思われるのである」。リニアで失われる大井川の水と南アルプスの自然を巡り、静岡県知事とJR東海社長、国土交通省事務次官との会談が6、7月、立て続けに開かれました。
井澤宏明・ジャーナリスト
「静岡のせい」という風評
オンラインが速い
川勝平太・静岡県知事と金子慎・JR東海社長による初めての会談が開かれたのは6月26日。焦点は、南アルプストンネル静岡工区の準備工事着手を川勝知事が認めるかどうかでした。金子社長は5月末の定例会見で「6月中に準備工事の了解が得られないと、(品川―名古屋間の)2027年開業は難しくなる」と発言していました。
6月もあと5日を残すのみとなったギリギリのタイミングで開かれた会談でしたが、結果は最初から明らかでした。会談に先立つ6月16日、川勝知事は大井川流域10市町首長とオンラインでの意見交換会を開き、「国交省の有識者会議の結論が出ていない段階で、トンネル掘削工事と一体である準備工事を認めるべきではない」という意見で一致していたからです。
会談では、川勝知事が「私は国土審議会の委員もしていたから、この(リニア)計画には全面的に賛成」としながらも、「今、コロナウイルスの関係で、誰がリニアに乗るのか、リニアが許されるのか、時代遅れだとか(いう意見もある)」と中日新聞(静岡版)の識者インタビューを紹介し、「オンラインの方がリニアより速いですからね」などとコロナ時代にリニアが必要なのかという根本的な問いを投げかけましたが、金子社長がまともに答えることはありませんでした。
進捗状況の公表を
続いて7月10日に川勝知事のもとを訪れたのは国交省の藤田耕三・事務次官です。当時、熊本県をはじめ列島各地が豪雨に襲われ、河川が氾濫、道路や線路が寸断されていました。防災の指揮を執らなければならない国交省の事務方トップがのこのこと静岡県を訪れたのです。
新聞の「首相動静」は7月3日、東京・赤坂の日本料理店で安倍晋三首相と葛西敬之・JR東海名誉会長が会食したことを伝えています。この場で川勝知事と金子社長の会談不調が話題に上ったことは想像に難くありません。9日には藤田氏の退任報道がありました。藤田氏は旧運輸省出身で鉄道局長も務めた人物。最後の「ご奉公」だったのでしょうか。
藤田氏が川勝知事に提案したのは、次のようなことでした。国交省の有識者会議の結果、トンネル坑口などの位置変更が必要になればJR東海に応じさせるから、7月の早い時期に準備工事を始めさせてやってほしい。国交省自らが開催する有識者会議の存在をないがしろにし、既成事実を積み重ねるかのような提案に応じられるわけもなく、川勝知事は提案を拒否しました。
川勝知事は藤田氏との会談後の記者会見で、「(6月23日の)株主総会の前に、JR東海さんは一度、(27年開業をあきらめる)決断をされていたみたいです。だけど、有識者会議で国交省が汗かいてるんだから、静岡県に社長が行って、川勝にノーと言わせろと」と発言、27年開業延期の責任を静岡県に押し付ける「シナリオ」があったという見方を示しました。
岐阜県中津川市のトンネル陥没、名古屋市の異常湧水もあり、リニア工事の遅れは明らかです。JR東海によると、リニアが走る予定の本線286キロのうち、山梨実験線をのぞき着手しているのは岐阜県の日吉トンネルと山梨県の南アルプストンネルの計2か所だけ。川勝知事は「JR東海が進捗状況を明らかにすることが、(静岡のせいで工事が遅れるという)風評をなくす解決策になる」と述べています。