毎回のように訃報から始めるのは気が引けてしまいますが、安倍晋三元首相が参院選応援演説中に凶弾に倒れた事件は、未だに世に暗い影を落としています。首相だった安倍氏は2016年、リニア中央新幹線建設への3兆円もの財政投融資を決めました。背景には安倍氏の「無二の親友」で先日亡くなった葛西敬之・JR東海名誉会長の存在があると言われ、当時、国会で追及が続いていた森友学園、加計学園になぞらえ「第3のモリカケ問題」と指摘されました。2人の強力な「牽引車」が世を去った今、迷走するリニアはどこへ向かうのか、残された私たちは見極めていかなくてはなりません。 井澤 宏明・ジャーナリスト
「最悪」のシナリオ
「不適ではないか」
静岡県の川勝平太知事は8月8日、リニアの南アルプストンネル建設が計画されている大井川源流部を視察しました。トンネルから掘り出される残土置き場のうち、最大規模のものが計画されている「燕沢」について、「ここは不適ではないかと思います」と発言し波紋を呼びました。
JR東海は燕沢近くの大井川沿いに東京ドーム約3杯分約360万立方メートルの残土を処理する計画です。盛り土は高さ最大約70メートル、奥行き約600メートル、幅最大約300メートル。昨年7月発生した熱海市の土石流約5万5000立方メートルの60倍以上にもなります。「不適」だと考える理由を川勝知事は次のように述べました。
「ここはどうして平坦になっているのか。長谷川先生によれば、(上流の)上千枚沢の方から大規模な土石流が2000年に4回起こって、ここに天然ダムを作った。(中略)天然ダムが作られるような、土石流が流れてくるようなところに盛り土を盛って大丈夫かという議論があります」
知事が口にした長谷川先生とは、この連載15回目(2018年11&12月、186号)の「『安全神話』に守られて」(にらめっこHP参照)に登場した長谷川裕彦・明星大学教授(自然地理学、当時は准教授)のこと。
中日新聞が長谷川教授の現地調査をスクープしたのは18年12月31日。1面と社会面に「リニア工事 葵区の残土置き場 過去2000年 土石流4回」「専門家『巨大地震で土砂ダム恐れ』」という見出しが躍り、こう書かれています。
「残土置き場では過去2000年に少なくとも4回、大井川まで到達する『岩屑雪崩』が発生した可能性が高いことが専門家の調査で分かった。南海トラフ巨大地震などが起きれば、土石流が天然ダム湖を造り、大雨などで決壊し下流域に被害が及ぶ恐れがある」
記事中でJR東海は「当社で実施したシミュレーションでは残土の有無にかかわらず、大規模な土砂崩れが発生しても大井川まで届かず、土砂ダムはできない。従って下流部への影響はないと考える」と答えています。このスクープは残念ながら静岡県外の中日新聞には掲載されませんでした。
「東電と変わらない」
長谷川教授は、静岡市の有識者会議「中央新幹線建設事業影響評価協議会」の委員も務めています。17年2月8日に開かれた第5回会合では、JR東海が行った深層崩壊と100年に1度の規模の洪水が起きた時のシミュレーションについて厳しく迫りました。
「ちょっときつい言い方になってしまうが、それでは東日本大震災前の東京電力の考え方と変わらないと言われてしまいかねない。ここはぜひ、『最悪のシナリオ』をチェックしておくべき」「地形学者の目で万年のオーダーで山の地形を見てきた者からすると、明日起こる可能性もある。そこをまったく無視するというのは。信頼を得るためにもぜひ、ご検討いただきたい」
静岡市のHPに有識者会議の議事要旨や議事録が公開されていますが、なぜかこの5回目だけは欠けています。市環境創造課に問い合わせると、「不手際で議事録をなくした」とのこと。
長谷川教授の指摘から5年余り、JR東海が「最悪のシナリオ」を検討した跡はありません。8月8日の川勝知事の現地視察に同行した宇野護・JR東海副社長に尋ねると、次のような答えが返ってきました。
「(JR東海の)シミュレーションに専門的裏付けがあると考えている。それでも、熱海(土石流)の話もあったし、色々と懸念、不安があり、それを受け止めてしっかり払しょくしていく」
「最悪のシナリオ」は果たして検討されるのでしょうか。