223号(2025.1&2)」カテゴリーアーカイブ

vol.223 慣れてくると気持ちが緩む?

「慣れ」は怖い、ともすれば慢心して「今まではこうしていたから大丈夫」となりがちです。

「慣れ」と「慎重」
時間が経過するとともに今ある環境に適応するようになります。慣れることによって、丁寧さや大切さを見落としがちですが、良いこともあります。ストレスと感じることも減り、楽な気持ちで物事をすすめることができるから。しかし、ことわざに、「初心忘れるべからず」という言葉があるように、慣れてきた時こそより慎重に。物事に取組む際に新鮮で謙虚な気持ちを忘れず、心掛けていきたいものです。

“慣れる”ということは大切なことですが、慣れほど怖いものはないのかもしれません。「慢心」というものを生み出さないように心したいものです。人間にとって慣れてよいこととそうでないことがあります。慣れにどう抗っていくか…マンネリというのもその一つ。習慣化は欠かせませんが、この慣れというのは、潜在的なミスやトラブルの原因となることも。慣れるというか習慣というのは、人間の本能的なもので、安心安全に生きていくために、人類が誕生以来本能的に持っているもの。毎日が不安定では、それこそストレスで体がおかしくなってしまいますから。


人間は置かれた環境には、時間がかかっても慣れていく、これは言い方を変えれば、適応するとも言えます。人間は幸せにも不幸せにも慣れるとも言えるのではないでしょうか?
良い国のはずが、幸せ指数や豊かさという尺度になると、日本は他の国に比べて評価はとても低いです。未来を見たら、課題だらけの日本。日本に生まれ育って、今のこの環境で生活できれば、平和で幸せな人生なのかもしれません。だけど、日本はなんとなく、世界からは幸せな国には見られていないようです。物質的な豊かさは手に入れたが、心の豊かさが満たされていないということは、以前から日本の課題として言われてきました。

逆に物質的な豊かさが達成されたからこそ、心の豊かさに関心が向くようになったとも言えます。
実際、日本よりはるかに遅れた国に行くと、今の環境の中で、幸せそうに暮らしている。ただ、それは、比べるものを知らないからなのかも。
今の日本人は、物質的な満足には慣れてしまった。
ますます、便利で快適なサービスは増殖して、どこまで行くのかというぐらいにエスカレートする便利を追っかけても、すぐに慣れてしまって、ゴールが見えない。
本気で心の豊かさが必要というのなら、それは、日本で身近な所で体験できるし実現できる。都会よりもよっぽど不便な田舎に慣れていくこと。不慣れな中に、幸せのきっかけはあると思うのですが。

台湾の独立は戦争を意味する?
緊張の度を増した台湾海峡の今後

台湾ではなく「チャイニーズ・タイペイ」
東京2020オリンピックに、台湾は「チャイニーズ・タイペイ」という名称で参加した。オリンピックに限らず、台湾が国政スポーツ大会に参加する場合はチャイニーズ・タイペイを名乗るのが慣例になっているが、それは中国が「台湾」や「中華民国(台湾の国号)」という名称使用に反対しているため。この名称問題からも分かるように、中国と台湾は対立関係にある。
1945年に第二次世界大戦が終結した後、中国大陸では蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる中国共産党が対立し、内線がくり広げられた。その闘いに勝利した共産党が「中華人民共和国(現在の中国)」を成立させる一方、国民党は台湾に逃れて「中華民国」を樹立。両者は反目しあったまま、歴史を重ねていくことになった。
当初、国連などの国際機関では中華民国が中国代表とみなされたが、1972年にアメリカのニクソン政権が中華人民共和国に接近し、1979年に国交を正常化すると、中華人民共和国(以下、中国)と中華民国(以下、台湾)の立場が逆転する。

台湾海峡で一触即発の危機
「一つの中国」を主張し、台湾の存在を認めようとしない中国は、台湾近海で軍事演習を実施したり、沿岸部に短距離弾道ミサイルを配備するなど、台湾に対する威嚇行動をくり返した。一方、台湾は国際社会で孤立しつつも、中国による台湾併合を阻止したいアメリカから兵器の支援を受けて対抗する。いつ武力衝突が起きてもおかしく回緊迫状態が続いた。
その緊張がピークに達したのが、1990年代半ばだった。台湾の季登輝(リートンホイ)総統(当時)が独立を声だかに叫び、中国政府が台湾海峡で軍事的挑発を見せるなか、1996年3月に台湾で史上初の総統・副総統直接選挙が行われた。このとき中国は、台湾近海でミサイル発射演習などを強行し、台湾を威嚇。これに対し、アメリカが2隻の空母を中心とする機動部隊を派遣したのである。
結局、軍事衝突には至らなかったが、その後も中国と台湾の対立は続いた。

香港の次の標的は台湾?
しかし21世紀に入ると。少しづつ状況が変わっていく。中国が急速な経済成長を続けるなか、台湾は2002年にWTO(世界貿易機関)への加盟を実施する。
さらに2008年の政権交代で総統になった国民党の馬英九(マーインチウ)は、中国との間で貿易・移動・郵便の自由(三通)を容認する「経済協力枠組み協定」を締結、「ひとつの中国」を確認しあって中国と直接取引を行うことを認める政策を採った。・・・・・
ところが、2016年、中国よりの国民党の候補者ではなく民進党の葵英文(ツアイインウエン)が新総統に就任すると、潮目が変わる。
初の女性総統となった葵英文は中国との間で「ひとつの中国」の原則を確認していないし、中国とのパイプも少ない葵政権下において、再び”台湾意識”が高まってきた。さらに2021年1月には中国国防層の報道官が「火遊びをする者はやけどを負う。台湾独立は戦争を意味する」と発言。対米関係を緊密にしようと動いている台湾への警告とされる。アメリカも黙っておらず、同年4月に海軍の駆逐艦を派遣し、台湾海峡を通過させた。
万が一、中台衝突が起これば日本も対岸の火事ではなくなるだろう。その場合、自衛隊によるアメリカ軍の支援も噂されている。緊張が高まる台湾海峡から目が離せない。

今年の「おとな芸術村」活動記録

そんな一触即発とも言える台湾へ「アートな旅」を企画している次回の「おとな芸術村」。情勢をよく理解した上で、実施する予定ではありますが、何より心強いのは現地を案内してくれる人がいるということ。前号でご紹介したイラストレーターのヒコちゃんは台湾人で台北の桃園出身。
旅は旅先の情報をしっかり勉強、理解して出かけるのがその国へのリスペクトにつながります。”おとな”なら尚更、ですよね。第2回「おとな芸術村」の詳細は次号でお知らせいたします。


vol.223 「戦争はしない、させない〜私の戦争取材体験から」

私が主に取材した、ベトナム戦争や中越戦争(中国とベトナムの戦争)を省みながら、写真とともにお伝えしていきます。

中越戦争(中国とベトナムの戦争)
1979年に中国が大部隊を抱えて国境を超えて、ベトナムに派遣し、ベトナム侵略をはじめた。ベトナム戦争中も、色々取材して来たんですが、日本は“戦争をできる国”どころか、“する国”に変貌してしまいました。

アメリカのベトナム戦争は21年間続きました。取材したこの二つの戦争を教訓として、侵略戦争と抵抗戦争について考えます。さらに「戦争をする国」とした日本の危うさを考えます。

ジャーナリストは狙われる
私と一緒に取材をしていた赤旗の高野功記者が、殺された。戦争の現場ではジャーナリストは狙われます。いかに敵がひどいことをやっているか、リアルに撮影し報道しているから、相手にとっては「敵」なんですね。殺された人間の悔しさも含めて、戦争というのはあっちゃいけないんだと伝えようと思っています。

中越戦争・どうして中国がベトナムに入り込んだか
中国は文化大革命があって、ポル・ポトと非常に親しかった。ポル・ポト派自国民(カンボジアで)170万人も虐殺。特にインテリ、ポル・ポトのやり方に反抗しそうな学校の先生、宗教者、学生とか、知識のある人を片っ端から殺しました。ポル・ポトの恐怖政治です。そのポル・ポトが中国の文化大革命を真似たんです。文化大革命は毛沢東が引き起こしたんですが、1,000万人もの中国人が死んだと言われています。

1979年にベトナム軍がポル・ポトを追い詰めて国境まで追い出しプノンペンを解放しました。そんなの中国(当時は鄧小平)としては許せないと、ベトナムに懲罰を与える!と。それでこの中越戦争がおきたのです。

捕まった中国軍の兵隊を見るとみんな若い。ベトナム兵に聞くと、上官からの命令は「なるべく殺さないで手足を打て」と。そうすると担いで帰らなきゃならない。助けてくれーという兵士を置いていくわけにはいかないから。そうすることで戦力は失われる。帰ってからも手当を続けなければいけないし、社会福祉制度も整え補償もしていかないということもあり、中国の負担になるということで、狙いは手足なんです。どういう戦いを挑めば相手は怯むのか、よくわきまえていましたね。(これが現実・非人道的な戦争の現場)

ベトナム戦争史を振り返る
ベトナムは、100年余りもフランスの植民地でしたが、45年にベトナム民主共和国を建国。しかし列強(第2時世界大戦で勝った、米・英・ソ連・フランス・中国という5大国)はジュネーブ会議でベトナムを南北に分断しました。
日本の侵略はその頃から始まった。1940年です。フランス軍と戦わないで、ベトナムを奪え、という形で日本軍は動きます。ハノイもサイゴンも日本軍の支配下に入り日本軍はベトナムの農民から徹底的に米を取り上げる。ベトナムの農民は次々と餓死します。実に200万人も死んでいるんです。
そして、1945年にポツダム宣言を受けて、日本が負けた。しかし、ベトナムは日本兵を皆殺しにしなかった。その代わり鉄砲を置いて行け、と。そしてホーチミンはハノイで独立宣言をし、ベトナム民主化はこの時に誕生しました。

<ベトナム独立宣言>
“1940年の秋、日本軍がインドシナを侵略し、フランスは日本に国を明け渡しました。以来、我が民族はフランスと日本という二重の枷をかけられたのです。私たちは日増しに困窮しました。その結果、年初めにはクアンチから北の200万人が餓死しました。日本が連合国に降伏した時、私たち民族は、フランスからではなく日本からベトナム国を取り戻したのです。”
ベトナム独立宣言の中に、「日本から独立した」と書いてある。このことを知らない日本人がいっぱいいる。近現代史を教えない日本の教育。このことに我々はもっと関心を持たなきゃならない。

<ベトナム戦争、民衆の抵抗>
ところが1953年に当時アイゼンハワー政権の副大統領・ニクソンがベトナムのフランス軍基地を訪問して激励した。それは東西冷戦を見越した、共産主義を封じ込めるんだという理由から。しかし、フランス軍はベトミン軍、農民軍にやられ降伏します。南北に分けられたベトナムの南はアメリカのものとし、まず傀儡政権を作りアメリカの大使がゴジンジェムを大統領に任命したんです。大使が大統領任命するなんて、あっていいのかっていうはなしですが、傀儡政権とはそういうものです。
しかし、民衆の抵抗がすごかった。ベトナムの民衆のほとんどが仏教徒。ティク・クアン・ドクという位の高いお坊さんがサイゴンで弟子にガソリンをかけさせて、戦争に対する抗議で焼身自殺しました。1963年です。時のケネディ大統領は「これはまずいぞ、こんな民衆の抵抗があると、それをまたみんな支持している姿を見ると、アメリカのベトナム侵略は、間違っているんじゃないか」とつぶやき始めた。そうしたらもう、アメリカの軍産複合体が「ケネディーはけしからん!」と大騒ぎ。ベトナムに撃退されたら、軍事全て飛んじゃいますから、軍部系統の企業も反対する。そうして11月にケネディーは暗殺されます。その犯人も連行されていく途中で何者かに殺された。ですから真相は闇の中。わからないままケネディ暗殺事件は葬られた。非常に謎の多い事件です。

また、相模原米軍補給艦での戦車阻止闘争では、社会党・共産党・ベ平連、学生・労働者の50日間にわたる座り込みで、米軍は1台の戦車もベトナムに送ることができなかった。歴史に残る大闘争でした。

非人道的兵器
 ボール爆弾(新聞ではクラスター爆弾)野球のボールくらいの大きさで、中にびっしり鋼鉄の玉が入っている。ボールが爆発すると、これが四方八方に飛ぶ。だから近くにいる人間は蜂の巣のように穴が開けられるし、遠くにいても一発くらい当たるという爆弾です。イスラエルもロシアも使っています。ビルを壊すことはできない小さい爆弾ですが、人間を殺すためだけの対人殺傷爆弾です。
さらにアメリカは化学戦争をやった。軍上層部とメーカーは劇毒ダイオキシンの混入を知りつつ、枯葉作戦を遂行した。1961年から71年まで南ベトナムに対して10年間散布した。ジャングルを全部枯らしちゃえば、隠れる場所がなくなるからですね。

枯れ葉剤の影響はベトちゃん&ドクちゃんだけじゃなくて、いろんな症状を持った子がいっぱい生まれています。水頭症の子も多いですし、眼球症の子も多いです。
ベトナム戦争に行った米軍部隊、集団的自衛権の発動で韓国軍の兵士もベトナム最前線に送られた。彼らも、枯葉剤を浴びて帰ってきてガンになるなどの深刻な影響が出ています。

アメリカ政府はベトナムに従軍した延べ280万人のアメリカ兵全員が枯葉剤を浴びたとみなすと決定。疫学調査で、20種類近い疾病やがんを枯葉剤による疾病と認め、補償対象にしています。ただし、ベトナム兵がアメリカ兵と同じ基準でいいから、補償してくれという訴えを連邦地裁に起こすんですが、連邦最高裁は2009年に不受理。同盟国である韓国の兵隊からの訴えも、不受理です。日本はアメリカの傘下に入って、集団的安保を実現しようとしていますが、どんなことが起きてもアメリカは補償しません。

ちょっと突然話が飛びますけど、ウクライナの大虐殺が起きたキーウ。小学校や病院が常にターゲットになってミサイルが落とされています。あれは誤爆じゃなく意図的に徹底的に狙っています。ベトナム戦争でもそうですが、北爆で最初に狙われたのが病院です。病院と学校を集中的に狙う。どうしてか、恨みを持たないように殺しちゃえ!ということ。子どもたちはいずれ10年か20年経つと兵隊になるから。そういう発想です。ガザ地区でイスラエルがやっているのも同じ。子どもであろうが、病人であろうが、皆殺しです。必ず誤爆なんて言いますが大嘘です。

過去10年の日米共同訓練の回数
2013年24回 2022年 108回。「先制攻撃こそ圧倒的に有利」「敵基地攻撃能力をもたないといかん」と安倍さん。それを固めたのが岸田さん。問題はミサイルやら、次期戦闘機やら、すべてが閣議決定で決めたこと。全部憲法違反です。そんなことを我々は許しちゃいけない。

 民間空港を軍事利用するということ。民間機が離着陸するところで自衛隊の戦闘機が離発着する。空港だけじゃなく港湾も軍艦が入れるようにされています。最近の話しでは、米軍が「日本の統合軍令部を自衛隊に置く」ともう決めたんですね。つい先月です。アメリカ軍の配下に日本の自衛隊が入ると、ということは、ベトナム戦争で韓国軍が背負ったような集団的自衛権があてにされ、どこへでも派遣される。アメリカの戦争では日本兵を使うということが起きるわけです。

戦争国家づくりを急ぐ日本政府
先日行われた日米安全保障協議委員会(2プラス2)は「日本をアメリカの軍事戦略に一体化させる」ことで合意した。米軍は統合軍司令部を日本に起き、自衛隊の統合作戦司令部との相互運用性を強化する。これは日本国憲法を足蹴にし、核を含む米軍の戦争態勢・ミサイル防衛システムに自衛隊を深く組み込むもの。ミサイルで敵基地攻撃をやるということを、日本が公然と言っている。アメリカの軍事アドバイザーは「アメリカが中国と対立する時、アメリカは前面に立つわけではない」と言っています。さらに米政府軍事アドバイザーは「前面に立つのは日本の自衛隊の若者だ、極東での戦争はアメリカ兵の命を失わせたくない」ということをベトナム戦争の時に言っています。アジアでの戦争はアジア人同士でやらせるべきだ。その準備を完成させたのが岸田さんです。

戦争で前線に立つのは誰?
自衛隊の若者です。台湾になんかあったとき、日本が中国軍と戦うことになるんです。その時、日本が一番気をつけなきゃならないのは原発です。そこにミサイルが打ち込まれたら、核分裂が始まり原子爆弾となってしまいます。核爆弾が来なくても、原発が狙われたら核分裂が始まる。つまり、核爆弾と同じ大爆発がおきる。そういうことを我々は知っておかなければいけない。大事なのは43兆円とかいう軍備を強化することではない!そんなことでは平和は実現できません。本当に安全を確保するには外交的な努力で、憲法をかざして、絶対に日本は戦争をしないんだ、と。だからあなたがたも戦争には手を出すな、という形で、外交交渉をするしかないんです。           文責・にらめっこ


vol.223 その水道水、だいじょうぶ?part-3

共同通信

発がん性が指摘される有機フッ素化合物(PFAS)を巡り、一部浄水場で高濃度の値が確認された岡山県吉備中央町が25日、住民ら約800人を対象に公費による血液検査を開始した。環境省によると公費での検査は初めて。
山本雅則町長は「5年後も検査をする」と述べ、血中濃度と健康への影響について長期的に調査する考えを示した。
PFASに詳しい群馬大の鯉淵典之教授は、データを蓄積する観点から検出地域での血液検査は重要と指摘。他地域での実施についても「国や自治体が検討する必要がある」としている。日経
検査はPFASの影響を解明し、公衆衛生施策の提案に役立てることなどが目的。今回は12月上旬まで行い、PFAS濃度の他、脂質や肝機能なども調べる。
浄水場の水を継続的に飲んだ約2千人のうち、11月25日時点で18歳以上の成人710人、子ども80人が検査を希望した。25日の検査には50人が参加した。
結果は来年1月中にも検査を受けた人に通知。病気の状況などを尋ねた健康調査票と組み合わせ岡山大が詳しく分析する。この浄水場の水を飲んでいない町民とも比較してPFASによる影響を検討する。

NHKスペシャル

調査報道新世紀
File8 追跡“PFAS汚染”初回放送日:2024年12月1日
自然界で分解されることがほとんどなく永遠の化学物質と呼ばれる有機フッ素化合物PFAS。去年WHO・世界保健機関が一部の物質について発がん性の評価を引き上げたが、そのPFASが日本各地の水道水から検出されているのだ。国が暫定的に定めた目標値を大きく超える地域もあり住民から不安の声が上がっている。汚染源を探る住民、PFASを製造してきた企業、国内外の研究者への独自取材から“PFAS汚染”の全貌に迫る。

ほか、東京新聞、朝日新聞、中日新聞、岐阜新聞からネットニュースにいたるまで、報道は熱を帯びている全国的なPFAS問題。
そんななか、ギャラリーで、「人々の言葉と、言葉にされない思いを紡いだ」という鈴木 萌氏の写真展が開かれていた。

Untitled, Aabuku © Moe Suzuki

鈴木萌写真展「AABUKU」
京都:2024/5/3-5/12

朝起きてまず初めにコップ一杯飲んだ水
保育園に行く息子に毎日持たせた水
毎朝手ですくって飲んだ湧水
自然農法で育ててきた田芋
グッピーを手で捕まえたせせらぎ
サッカーボールを蹴る学校のグラウンド
卵を投げ入れて拝む池
サップに乗ってのぼる川

目に見えず、匂いも味もしない。その物質はあの時飲んだ水に、手ですくった水に、畑にまいた水に、含まれていたのだろうか。そして今まさに、蛇口をひねって流れ出るこの水にも含まれているのだろうか。体の中に蓄積されたこの物質は、自分に、あるいは子供たちにどんな悪さをしたのだろうか。これからもするのだろうか。
2016年、沖縄県中部に位置する浄水場から本島中南部45万人に供給される水道水が有機フッ素化合物(PFAS)で汚染されていることが公表された。それは自然界や人間の体内ではほとんど分解されることのない「永遠の化学物質」(フォーエバーケミカル)の異名を持つ発がん性物質だった。4年後の2020年、宜野湾市の普天間飛行場格納庫にある火災報知器が誤作動し、大量の泡消火剤の泡が排水溝を通って基地外に流れ出た。ロマンチックにふわふわと漂い、いつまでも消えない泡には高濃度のPFASが含まれていた。そしてそこには、当たり前のように飲んで、遊んで、仕事に、そして拝みに使ってきた水の本当の姿を、昔見たかもしれない「泡」の記憶の断片をたぐりよせながら自分なりに捉えようとしていている人たちがいた。

これは、沖縄における米軍基地由来のPFAS汚染の実態を、人々の水や土地にまつわる記憶を軸に語った物語である。時を遡って汚染の数値を測ることはできず、国も米軍も根本的な解決策を提示しないばかりか汚染の事実さえも認めてはいない。それでも汚染の実態が徐々に明かされるにつれ、今まで気にも留めていなかった日々の記憶に生じる歪み…その記憶を聞き取りながら、汚染された土地と水を歩いた。ふわふわの泡以外に視覚的に捉えることはできない永遠の化学物質。基地のフェンスに遮られどうしても辿り着くことができない汚染源。訪れる人々が気持ちの良い風と波の音を被せ、あえて見ようとしないこの地の重荷。こうして「見えないものたち」は捻れて重なっていた。つかめそうでつかめない、ふわふわと漂う夢のようなあぶくをかきわけるようにして、私は人々の言葉と、言葉にされない思いを紡いだ。       鈴木 萌

鈴木 萌 | プロフィール:東京都出身。London College of Communicationで写真を学び、2011年帰国。主な媒体とる写真を軸に、アーカイブ、イラスト、リサーチ、映像などを織り交ぜ、本やインスタレーションの形で物語を表現する。前作「底翳」は東京、京都、シンガポール、マレーシア、オーストラリア、北アイルランド、フランスなど世界各地で展示され、同タイトル写真集はLuma Rencontres Dummy Book Award 2021を始めとする世界のダミーブック賞への入選・受賞経験を持つ。

 NHKや新聞、さまざまなメディアから取材をうけた小川さん(PFAS汚染と市政を明らかにする会・代表)にお話をうかがいました。

ーマスコミも取り上げる頻度が高くなりました。PFASを知る人は確実に増えている。でも、当事者よりもマスコミの方が熱意があって市民より怒っているよね。社会的使命というか…。20年後30年後という長いスパンで水資源を考えないと不安ですよ。だって、日本の水って安全で美味しい。特に各務原の水はお墨付きだったし。

この夏に東近江市に行きました。「地域にないものは自分たちで作ろう!」と加工品なども全部自分たちで作る。水と土がきちんとしているということ、これってものすごく大事ですよね。地下水保全条例でもきちんと見える化することが重要です。PFASの問題はどういう分野からでも取り組めます。環境問題、地質問題、地学的にも、あと、健康からもしっかりアプローチできるんですよ。わたし達はもっと危機感を持つことが大事だと思います。“新しい水源地を作るから”とか、“活性炭で除去しているから大丈夫”とか、そういうこととは別に、PFASとはどんなものなのか、知ることが大事ですよね。
鈴木 萌写真展「AABUKU」京都:2024/5/3-5/12を観てきました。ギャラリーでPFASのことを発信していたんです。展示が未だかつて見たことのない方法が用いられて、PFASのことがよくわかり、ちょっとカルチャーショック!こんな展示方法があるんだって。
そこで小川の提案:PFASを逆手にとって、PFASのことが何でもわかる学習館とかつくっちゃう?下の世代に繋いでいくことが大事。だって、PFASはただちに影響は出ないと言われているし、だからこそデータを積み上げ、因果関係がはっきりすることをしていかなきゃ、今は問題ないから知らない、ではいけないでしょ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


vol.223 ぎむきょーるーむ 冬こそ外遊び

「子どもの体力低下」は、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、さらに拍車がかかっているようです。この季節は外遊びがぐんと減る時。でも、「子どもは風の子!!」それを意識して外に送り出しましょう!屋外が寒くても、鬼ごっこやドッジボールなど、身体全体を存分に動かす遊びを取り入れることで、じわじわと身体が温まる感覚を知る機会につながりますよ。 また、冬ならではの冷たい空気や息の白さ、氷・霜柱といった現象に興味を持ち、夢中になる子どももいるかもしれません。

子どもたちの体力が低下している主な原因は?

運動時間が減少

1日の総運動時間が60分以上の子どもはその他の子どもに比べ体力合計点が高い傾向にありますが、その割合は減少しており、特に男子の方が顕著に減っています。中学高での部活動の減少も手威力低下の一員と考えられます。

スクリーンタイムが増加
平日1日あたりのテレビ、スマートフォン、ゲーム機等による映像の視聴時間が長くなる傾向があり、学習以外に2時間以上見ている割合が増加。特に男子で長時間化しています。これが運動時間の減少にも繋がっていると考えられます。新型コロナウイルス感染の影響を受けて、放課後の遊びや休日の外出なども含めた子ども達の行動・運動が制限されたことが、それまでの傾向に拍車をかけたといえます。

子どもに最低限必要な運動量は「1日60分」
日本スポーツ協会による「子どもの身体活動ガイドライン」では、子どもとって最低限必要な身体活動量は「毎日60分以上」とされています。

これはいわゆる「スポーツ」だけに限らず、身体を使った遊び、 生活活動なども含めた時間なので、たとえば保育園や幼稚園の行き帰りに少し遠回りして散歩してみたり、家の中でも遊びに体操やダンスのような動きを取り入れたり、掃除などの家事を手伝わせるなど、いろいろな形で運動量を増やす工夫ができます。

子どもの体力をつけるために必要なこと

【運動】外遊びや家の中でできる軽い運動からはじめる
例えば、食事の支度や後片付けの手伝いで少しずつ重いものを運んでもらったり、遊んでいる時の姿勢を意識するように声をかけたりするだけでも、毎日の積み重ねで運動の機会を増やせます。歌が好きな子には踊りながら歌ってとお願いする、できるだけ思い切り体を動かせる公園などに連れ出すなど、様々な場面で体を動かすことを意識をすると良いでしょう。

【食事】肉・魚・卵などたんぱく質をバランスよく
なかでも意識したいのは、筋肉の成長に必要なたんぱく質。小学生は1日30〜50g、成長期では60g以上のたんぱく質が必要といわれています。

 はやい段階で、外遊びを楽しむ習慣を身に付けていることは、生涯にわたっての豊かなスポーツライフを実現するための素地になります。

 

 「外は寒いから、温かい教室にいたい」「外に出たくない」というのは、自然な感情です。外から帰ったら、手洗い・うがい・水分補給等も忘れずに。

 

 「鬼ごっこ」という遊び一つとっても、子どもたち一人ひとりが考えるルールには、小さなズレがあります。そのズレを修正して、みんなのルールを作ることが大切。小さなズレをそのままにしておくと、うまく仲間に入れない子が出てきたり、言い争いになってしまったりすることも。ルールの共通理解が、みんなで楽しく遊ぶことにつながります。

具体的な遊びを2つ紹介します。
へびじゃんけん
人数:5~10人くらい
遊びの時間の目安:5分
2チームに分けて、先頭の子が線の上を走ります。途中で、相手と出会ったら、タッチしてじゃんけんをします。勝った子はそのまま進み、負けた子は戻って自分の陣地の一番後ろに並びます。それを繰り返し相手チームの陣地に入ったら勝ち。

おしくらまんじゅう
人数:5人くらい
遊びの時間の目安:1分
腕を組んで背中を合わせて円になります。「おしくらまんじゅう押されて泣くな」と歌いながら、肩を寄せて押し合います。体と体をくっつける面白さを感じたり、ギューギュー押すことで体の温まりを感じたりすることができます。子どもたちの円陣の外側に円を描き、押されてはみ出してしまった子は、アウトになるルールにすると、さらに盛り上がります。

 

 


vol.223 続・しょうがいをみつめる vol.5

マイノリティーの強み

障害であるとは、単に足が不自由だとか、自閉症の診断があるということではありません。
足が不自由であるということで行きたい場所に行くことを制限されてしまったり、自閉症であることで人とのコミュニケーションでトラブルが生じやすかったり、生きていくうえで社会との間に生じるハードルのことをいいます。
これは、障害のある人に限ったことではなく、LGBTQの人たちや日本に住む外国人など少数派の人たちにもいえることで、多数派を中心として成り立っているこの社会で少数派の人たちが生きていくということは、より多くのハードル(障害)に阻まれやすく、より多くのハードル(障害)を乗り越えていかなければならないことにほかなりません。

では、多数派が圧倒的に有利なこの社会において、少数派の人たちの強みとは何でしょう。

つには「人としての成長」があげられます。
私たちは人生がうまくいかず壁にぶち当たると、悩み、苦しみを感じます。しかし、その苦難に耐え、乗り越えることで学びが得られることも知っています。
先述したとおり、障害のある人をはじめとする少数派の人たちは普通の人たちよりも多くの逆境に直面しやすく、悩みや苦しみを感じることも多いですが、それはその人を成長の機会にもなり得ます。
かつて発達障害の自助会に参加させてもらった際、当事者の方が自らの生きづらさを吐露する一方、そこから得た学びや前向きに生きていくためのマインドセットの方法を語られていました。また、悩みを開示した他の当事者の方に対し、自らの経験を通じて思いやりのある言葉をかけてらっしゃいました。当事者であり、多数派よりも多くのハードル(障害)にぶつかったからこその思慮深さと懐の深さに、多くを学ばせていただきました。

もう一つには「より良い社会を作る原動力になること」があげられます。
2019年大型の車椅子を利用している重度障害のある国会議員が誕生しました。当時話題になったのでニュースなどで目にした方もいらっしゃるでしょう。このことがきっかけとなり、国会のバリアフリーが一気に進んだと言われています。
近年、少数派の人たちが自ら声をあげる機会が増えてきました。それは多数派にとって当たり前の社会のあり方に一石を投じることとなり、時には物議を醸すこともありますが、長期的には誰もが生きやすい社会を作ることにつながっていくのではないでしょうか。

 障害のある人たちと長年関わってきて、彼らの生き方・彼女らの声はわたし自身に多くの気づきや学びを与えてくれました。そして、それはわたし自身の成長にも寄与しています。今後も彼らから学び、彼女らと共に成長していけたらと思っています。

 


vol.223 熱中人 河口 準さん 山口 晋一さん

イギリスで好きなガーデニングを学ぼうと渡英
30になった時に仕事をやめてイギリスに行きました。ガーデニングの勉強と、英語の勉強も含め、ヨーロッパを回ったりとか、人間関係づくりとか、友達づくり、いろんな文化を見るという6年間でした。
帰国して、東京で仕事を探していたのですが、体調を崩し岐阜に帰ってきました。自分の周りにカフェを始める状況が整ってきたというか…これは今やるべきなんでは?と思い、全部DIYで作ったんです。さぁOPENしようと思ったら、すぐにコロナに。預金が日に日に減っていく…本当に辛い4年間でした。

実家をリノベして、カフェに
最初は4ヶ月でこの店を作れると思っていたんですが、実際は11ヶ月かかった。でもまだ完成ではないんですよ。もっと変えていきたいと思うし、それも楽しみの一つです。こんな田舎にこの空間を自分で作ったというと、入ってきた人はみんなびっくりします。カフェに来てくれる人とはいろんな話をします。僕の提案にある人は「あ、じゃぁそうしてみようと思います」と反応してくれたり、またある人は「一歩踏み出せました」って言ってくれたり。

Phin and Beanではベトナムコーヒーを提供
知り合いの人から頂いたベトナムコーヒーがあまりにも美味しかったんです。それから何回かベトナムに行って、コーヒーを飲みまくりました。海外旅行が好きなんで、ベトナムに自分で豆を買い付けに行けるというのがモチベーションの一つになっています。店では「これしかできないですよ」と言うスタイルで、食事も提供しています。それでもオッケーの人から「美味しかった」って言ってもらえればそれでいい。来てくれた人がご飯をおいしい、コーヒー美味しいって。そういう姿を見るだけでも十分幸せを感じます。

俯瞰してみることの大切さ
海外に出て感じたことは、まず自分を俯瞰して物事を見られるようになったこと、日本も含めてね。自分の知らない世界に身を置くと目新しいもの、新しい経験を重ねていけるのでとにかく毎日が楽しくて。経験値も知識も上がります。また、自分がいかに日本のことを知らないかというのを感じました。逆に僕たちは「教えられてない」ということを、海外の人に教えてもらいました。どの国の人もきちんと自分たちの歴史を学んでいます。

続けることでみえてくること
いろんな人と知り合いになれたことかな。ここが人が集まる場所っていうことに意味があるので、ここで交流できたらいいなって。関係人口が増えますよね。
持続可能というか、うちのトイレは水洗なんですが、ためておいた水にはバクテリアと、キアレーションを入れて分解するんです。うちの周りの畑の野菜は全部それで育っています。そういう植物を育てるのも楽しいし、趣味の延長で仕事をやっている感じ。ボクは庭を造るのが好きなので、イングリッシュガーデン的な庭を作りたい。高い木があって、庭をぐるっと回れて、中にいろいろな花が咲いていて、「あ、今日こんな花が咲いてる」って近くのおばさんたちが集まって来て、ただの空き地が交流の場に生まれかわるんですね。

創り出す喜びはすべてアートに
あと、フラワーロードとかもつくりたい。ただ鹿がいるので・・・花芽を食べられちゃう。でも鹿はきちんと命をいただいて、骨はインテリアに。花をあしらいオブジェにしました。動物に対するリスペクトですね。これもヨーロッパで見たものを見ようみまねで創りました。創り出す喜びがボクの中ではすべてがアートです。
自分が手がけることで、分からなかった、知らなかった価値観が見えてきます。アートってそういう垣根を越えて行く力を持っている。それは今までここにはなかったんですよ。
「おんせぇよぉ~(農家レストラン)」でやっていることがボクには刺激的でしたね。山口君みたいな人がいて、景色があって、水があって、それを活かさない手はないですよ。でも目の前の自然が壊されるのはいやだから、見張り役も要る。いつ誰がどこの土地を買っちゃうか分からないし、知らないうちに山を買われたとか、やっぱり、人がいて気にかけてないとね。ここの自然をキープすることは最大のミッションとなっています。あとDIYで古民家改修とかみんなが集まって来るようなおもしろいモノを作って、そこに泊まれるようにする。いろんな人が「ここはいいとこだ」と来てくれて、ここが潤うようなことのために尽力したいなって思っています。


人を呼ぶことが大事だなって
地元の観光系のことに興味を持ったのは、追ヶ谷さん(川魚料理屋:追ヶ谷は美山の中心から川上にどんどん登り、美山キャンプ村を過ぎてもっと上流、さらにそこから追ヶ谷という支流へ入っていったところにあった)。追ヶ谷というめっちゃいい場所で釣り体験とかして、釣った魚も食べさせてもらいました。昔は多くの観光客が来てたんですよ。残念ですが、今はもうないんです。すごく魅力的なのになんでこんなに人が来なくなったのか。人が来ないということは、こういうお店もなくなっちゃうんだなって。そこで、人が来てもらえるにはどうしたらいいんやろうって思い、観光のことを勉強しました。旅行会社は旅行業務取扱管理者という資格がないとできない。それでその資格をとりました。
旅行業法では資格を持っていないと、バスとか宿泊施設がお客さんに代わって予約ができないし、ツアーが組めないんです。人を呼ぶことが大事。それで山県ツアーズというのを作ったのが2023年2月でした。

交流しながら地域の活性化をめざす
リーマンショックで会社自体が休業中に。新規事業を探す中で、春日井市の勝川弘法市で開かれたイベントに参加しました。そこで商店街活性化に関わる方と出会って、「都市と農村の交流イベントをやりたいなら山県市に行こう」ってなったんです。
そのころ、名古屋市でCOP10(平成22年10月18日から29日、生物多様性条約第10回締約国会議)が開催されました。生物多様性保全に向けたさまざまな取り組みですね。その会場に商店街活性化の方と環境を考える団体の1スペースで出させてもらいました
そこからJAさんの活動を引き継いで、本気で「都市と農村の交流イベント」をやりたいと思ったんです。
「方言を学ぶ」とか、「昔遊びをする」「お茶摘みをする」とか、いろんなアクティビティーを企画して、街の人に参加してもらいました。

廃校を利用して飲食店をオープン
市が国に補助金の申請をして、5つの小学校区に補助金が降りました。いつも、地域のおばあちゃんたちが「人に来てもらったり喜んでもらえることをしたい」「加工場もあるといいよね」と話しているのを思い出し、飲食店、加工場を北山小学校区でつくることに。市役所の方から、「飲食店をやるなら廃校になった北山小学校を使ったらいいよ」って勧められ、2013年10月に「舟伏の里へおんせぇよぉ〜」という飲食店を個人事業としてオープン。これは山県ツアーズとは区分しています。

地元愛が強い…のかな?
「おんせぇよぉ〜」の料理を美味しい!と紹介するために、カメラを買いました。そうしたら、撮影の仕事も入るようになり、スチール写真、動画編集もするようになりました。円原川の光芒も撮影しました。(上・写真)
 そして、みんなでこの地域を盛り上げたいね、ということで任意団体「山県フットパス実行委員会」が立ち上がりました。フットパスは小道を歩くという意味です。イベントだけではなく地域を歩いたり、地元の人のお祭りを手伝ったり。僕は山県市の無形文化財の一つの「北山雨乞い太鼓」にも入っていて、そういう地元のサポートもずっと続けています。
僕の実家は美山の南の方なので小学校も違う。だけどここが盛り上がれば自分の地区も盛り上がるんですよ。広く言えばそれが地元愛なのかな?出身は旧美山町なので、僕はめちゃ他所もんなんですよ、実は。河口さんは地元だけど、僕はよそもん。(笑)
 もうひとつ、個人事業として、河合さん(地域おこし協力隊)と、地域まるごと宿にしようと、宿泊施設の整備、営業を進めています。リノベは河口さんに協力してもらってます。

 

 

 

 


vol.223 続 今、地球の生態系が危ない!!

 前号では「地球生態系の危機」をテーマに種の激減に警鐘を鳴らす記事でした。
今号は、その続編として「昆虫種の存続危機」について特筆。小動物や鳥たちの餌、植物の受粉、死骸や糞の分解など、食物連鎖の土台を支える昆虫が絶滅してしまったら、最終的に人類の生存にも影響が及びます。昆虫減少を止めるために私たちができることは……          文/山田 征

 

暗闇を照らす電気の明るさは、自然界には迷惑

前号で昆虫たちの激減の原因を、戦後開発され使用され始めた各種農薬やさまざまな化学物質だけではなく、多くの人たちが便利に使い、今の社会にとってはなくてはならないものになってしまった各種IT機器による電波である、ということを書きました。
今回はそこに書ききれなかった、もう一つの大きな要因を述べたいと思います。
それは、私たちの日常生活の近代化に伴い、社会全体が明るさを増し、便利になればなるほど、この地上から暗闇が消えていくことです。
本来、私たち人間は、昼の明るさの活動が主になっていますが、電気というものの使用が可能になったことで、夜も昼の明るさを保つことが当たり前になりました。
その分、人間は昼と同じく行動する時間がぐんと増えましたが、それは人間社会だけの利便性であって、自然界の動植物にとっては大変迷惑な命取り、とも言える環境となってしまいました。
ときどき、空の高み(宇宙)から夜の地上を撮った映像が紹介されることがありますが、世界の文明国のほとんどが夜も明るく光り輝いています。特に日本などは、その地図上の地形がそのまま明かりで描き出されるのをご覧になった方も多いかと思います。

暗闇が失われ、虫やサンゴが混乱

 とかく私たちは、明るい昼間に行動する生き物たちの視点で、この自然界を見てしまいがちですが、本当は暗くなってから動き始める生き物たちが、昼間のものと変わらぬ数で行動し、生き物にとって大切な本能である、次世代に生命を繋ぐ生殖活動をしていることに気づいていない、知らずにいる人が多いと思います。
蜂や蝶のような昆虫が昼間、たくさんの植物たちの受粉を担っていることはよく知られていますが、蛾やコウモリ、他の生き物たちが暗闇の中で同じくたくさんの植物たちの受粉、送粉を行っていることを知っている、気づいている人はとても少ないと思います。
昔私は、石垣島白保集落に面するサンゴの海を埋め立てて造ろうとした、空港建設を止める活動をしたことがあります。
その時出会った、アメリカの海洋学者キャサリン・ミュージックから、「サンゴはね、春三月の満月の夜に一斉に卵子と精子を海中に放出するのよ。その光景は、それは美しい夢のような世界なの……」と教えてもらったことがありました。
ところが今は夜の空が明るくなりすぎて、サンゴたちにはいつが満月なのか解らなくなっている、というのです。
陸上の虫たちも真の暗闇が失われたことで、さまざまな混乱が起きてしまっています。

異常な光景が種の本能を狂わせ、やがて人間も滅びる

 私たちの生活圏には、たくさんの「誘蛾灯」が設置されていますが、この人間社会そのものが、虫たちにとっては巨大な「誘蛾灯」化してしまったことで、大量の虫たちを誘き寄せ、本来向かうべき方向を、見失わせてしまっています。
次世代に生命をつなぐため、暗闇の中で行われる交尾や送粉、といった行為が、今は大きく阻害され、おびただしい数の昆虫の種がこの世から消滅してしまった、と言われます。
少し前から私たち人間社会では、それまでの白熱灯や蛍光灯からLEDの明かりに大きく切り替わってしまい、これまでの光の質とは全く異なってしまいました。特に夕方以後の車のライトの明るすぎる光は、眩しすぎて異常です。
いずれ人類全体の視力はガタ落ちするのではないでしょうか。人間はそれで良いとしても、この地球上から動植物たちの新しい生命、つまり生態系が失われてしまっては、人間も共に滅びていかざるを得ません。
2022年にカナダで行われた「COP15」(国連の生物多様性条約締結国会議)の場で、「地球の生態系30%保全」への努力ということが採択されましたが、それから2年経ち、今年はコロンビアで「COP16」が開催されるとのことです。
その時、どんな数字が私たちの前に示されることになりますか、よく注視していかなければなりません。

 征さんは、徹底した現場主義。メディアが報道する内容は自分の目で確かめないと気が済まない性分だとか。これまでに数十カ国へ足を運び、事実を自分の目で確認。ガザへも2回訪れています。
情報が溢れ錯綜している昨今です。何が事実で何がフェイクか見極める力が必要。征さんのお話は揺るぎがない。判断に迷ったら、征さんの話を思い出してみよう!

山田 征(やまだ せい):東京武蔵野市在住。 4人の娘たちの子育てと共に、農家と直接関わりながら共同購入グループ「かかしの会」を約20年、地元の学校給食に有機農産物他、食材全般を約17年にわたり搬入。 仲間と共にレストラン「みたか・たべもの村」をつくる。反原発運動、沖縄県石垣島白保の空港問題他さまざまな活動を経、現在は、日本国内だけではなく地球規模で設置拡大され続けている風力や太陽光による発電設備の持つ深刻な諸問題についての講演活動を精力的に続けている。1988年4月9日から自動書記によるノートを取り始める。2002年1月より「隠された真実を知るために」のタイトルで、ひと月に1回の小さな勉強会「菜の花の会」を続けている。

DNA情報の利益「基金へ」
生物多様性保全 評価方法は持ち越し

コロンビア・カリで開かれていた国連の生物多様性条約締結国会議(COP16)は2日夜(現地時間2日午前)、議決に必要な定足数を満たさなくなった本会議を「中断」とし、日程を終えた。国政目標の評価や資金に関わる重要議題で合意がもちこされるという異例の結末となった。

COP16「中断」し日程終了

会議は当初1日に閉会予定だったが、交渉が難航する議題が続出。日程を延長し、開始がずれ込んだ本会議は10時間を超えた。会場を離れる締約国が相次ぎ、定足数に達しなくなった。条約事務局によると、改めて再開会合が開かれる見込み。
2年前のCOP15では「生物多様性の損失を止め、反転させる」ことをめざし、2030年までの23項目の国際目標を採択。締約国はそれぞれ国家戦略を提出することになっていた。(中略)
日本の企業にも密接に関わる議題。日本は拠出を強制されない形でも決着をめざしていた。経団連も開会前に「資金拠出は、任意とする」と表明していた。
会議は参加登録者が過去最大の約2万3千人に上った。23年に生物多様性への依存や影響について情報を開示する枠組み「TNFD」が正式に始まって最初のCOPとなり、企業の参加も目立った。TNFDのページによると、日本企業ではすでに世界最多となる130社以上が開示に取り組んでいる。会期中に環境省は、TNFDに2年間で約50万ドル(約7600万円)を拠出することを発表した。
また、国連環境計画などは10月末、国際目標に掲げられた「30年までに陸や川、海のそれぞれ30%以上を保全する」という目標の進み具合を検証した報告書を発表。保全されているのは陸域・内水面で17.6%、海で8.4%だったとした。             2024年11月4日 朝日新聞


vol.223 ボーダーレス社会をめざして vol.81

NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子

障がいのある人の支援者

朝日新聞10月25日付の記事に『障害者施設を運営前理事長が性加害 東京地裁 元職員らへの賠償命令』というのが掲載されました。障害者施設などを運営する社会福祉法人「グロー」(滋賀県)の北岡賢剛・前理事長(66)から性的加害を受けたとして、元職員の女性ら2人が賠償を求めた訴訟で、東京地裁は24日、性加害を認めお金の賠償を命じる判決を言い渡しました。
北岡さんは、障害福祉業界ではかなり有名で圧倒的な力のある人で、厚生労働省の社会保障審議会障害者部会の委員などを務めていました。障害者のアート「アール・ブリュット展」を展開した立役者であると私は思っています。
北岡さんが中心になっていたのだと思うのですが、アメニティフォーラムという研修会が毎年1回、全国の支援者・関係者を対象に滋賀県の大津プリンスホテルで行われています。それは、それは大きな研修会で、そこに出席すると、これから少し頑張れるぞ~という気分にさせられるものです。この場所で、アール・ブリュット展が開催されたのを機に、障がいのある人のアートが注目され始めたのを覚えています。私にとっては、とても有意義な研修会で、最新の情報を得られる場所なのです。
滋賀県は「この子らを世の光に」と障がいのある人を隔離収容するのではなく、障がいのある人、一人ひとりの要求を大切にした人、糸賀一雄さんの実践により、福祉の最先端の県であると認識していました。私にとって滋賀県は特別な県で、岐阜県より10年20年先を歩んでいる県でした。ですから滋賀県で大きな研修会が開催されるという事は、福祉の世界では当たり前だったのです。しかし、そんな滋賀県代表の北岡さんが実際にはこんなことをしていたのかと残念で仕方ありません。
人はミラーボールの様にいろいろな側面を持っていると作家の一穂ミチさんが先日テレビで話していましたが、確かにその通りです。しかし、障がい者の支援をしている人が、人を大切にできないという事は情けない限りです。偉くなった人は何をしてもいいわけではありません。誰かもっと早くに彼を止められなかったのでしょうか?
2023年5月に大きく報道されました障がい者のグループホーム「恵」の問題もしかりです。十分な食事を提供しなかった事や不正請求をした事などで指定取り消しが決まりました。その後、譲渡先が決まり、そのままグループホームは経営されるようです。行政の方のご尽力で、障がいのある人・ご家族が困ることなくスムーズに移行できるようです。一安心と関係者は胸をなでおろしています。 障がいのある人は、環境が変化すると対応するのが困難な方もいらっしゃいます。それが回避できて本当に良かったと思います。しかし、誰もこのような違法な行動を止められなかったのでしょうか?障がいのある人たちは、ひどい扱いをされたのです。決して現場の支援者が悪い訳ではありません。
岐阜のグループホームについては、私自身は、良い話しか聞いていませんでした。ただ、支援者がよく変わるということは、漏れ聞いていました。その理由が経営のやり方だったのかもしれません。障がいのある人を守るための課題は次々と出てきます。


vol.223 夢か悪夢かリニアが通る! vol.52

リニア中央新幹線の「関東車両基地」の工事説明会が11月15、16の両日、神奈川県相模原市緑区の鳥屋地区で開かれました。鳥屋地区は、標高1000メートルを超える峰々が連なる丹沢山地の山あいにある閑静な集落です。ここに全長約2キロ、幅最大約500メートル、広さ約60ヘクタール、東京ドーム13個分にも及ぶ巨大な車両基地をつくる計画です。(関東車両基地については、連載第5回「真の文化は山を荒らさず」=にらめっこ176号・2017年3、4月、第39回「不都合な『真実』」=同210号・2022年11、12月でも取り上げています)     井澤宏明・ジャーナリスト

 

集落の真上に巨大車両基地


「環境アセスやり直さない」
住民説明会の対象は例によって「鳥屋地区にお住いの皆様」と関係者。取材はお断りのようです。参加者から説明会の配布資料と録音データを入手したので、それを元に報告します。
まず驚いたのが、この説明会が終了したら、年明けから本格的に工事着手する予定だという点です。会場で以下のようなやりとりがありました。
参加者:この工事説明会後、すぐに工事着手となっている。「環境保全計画」は12月下旬に公表予定だという。きょうの説明だと、一つの空港をつくるぐらいの大工事だと思うが、環境影響評価(環境アセスメント)の時点ではここまでの計画は出ていなかった。環境影響評価をやり直すことになるのか、神奈川県の環境影響評価にかけることになるのか。
JR東海:今回、環境影響評価をやり直すということではない。この工事計画を踏まえて、改めて環境保全計画書を工事が本格的に始まる前に公表させていただく。
つまり、環境保全計画書を公表したら、神奈川県の環境影響評価審査会などのチェックを受けることなく、工事を始めてしまうというのです。さらに、こんなやりとりもありました。
参加者:環境影響評価のときの車両基地の計画は、ただ四角だけだった。だから、環境影響も何も分からなかったと思うが、ようやくここ(公表された計画)から具体的な環境影響が分かるのではないか。
JR東海:評価書上、四角で記載しているが、具体的な形に基づいて予測評価していて、四角の形ですべてを予測評価していない。
「環境影響評価書」資料編(2014年8月)の施設計画に示されている関東車両基地は、長方形の中に施設の概要が記されているだけです。

「自然の摂理に反する」
一方、今回の配布資料によると、車両基地は大きな谷を4つ埋め、4つの沢を暗渠化する、つまり土管の中を流す計画です。これだけ谷を埋め、沢を改変してしまえば、周辺の環境は大きく変わってしまうでしょう。
神奈川県の黒岩祐治知事は2014年3月、「環境影響準備書に対する意見」で、県環境影響評価審査会の審査結果について「車両基地や変電施設等の位置が明確に示されていないため、環境影響が及ぶ範囲が確定していないなど具体性に欠ける」としたうえで、「特に、車両基地は面積が約50ヘクタールと大規模なこと(中略)から、講じようとする環境保全措置等の内容について、住民に対し十分に説明を尽くすこと」などと念を押しています。
黒岩知事の意見書に沿った具体的な計画がようやく公表された今、県のチェックは働くのでしょうか。環境アセスメントを所管する県環境課環境影響審査グループに尋ねてみると担当者は「(車両基地とは)全然違うものをつくるなら話は別だが」と断ったうえで、環境影響評価審査会などを開いて審議する予定はないと明言しました。
JR東海の計画によると、これだけの大規模な盛り土の造成を2027年9月までの約2年半で行ってしまうことになっています。その後の車両基地建設のスケジュールは明らかにされていませんが、環境影響評価書で工期が11年とされていたことから、2035年までかかることになります。
住民説明会直後の11月23日、地元・鳥屋地区の住民団体が開いた講演会で、環境カウンセラーで技術士の桂川雅信さんは「車両基地全体が鳥屋の集落の真上。集落に向かって水が流れてくるところを止めて盛り土をしようということですから、自然の摂理に反すること甚だしい」と計画全体を強く批判しました。


vol.223 ここいく日記 はじめの40歩!

 10月31日(日)各務原瑞巌寺で開催されたお産トークまつりに参加してきました。
ここいくメンバーの古川あけちゃんと、代表の中村あきちゃんが参加するトークセッションが楽しみなのはもちろん、一番は産む育つを応援する市民団体NPO法人『Umiのいえ』代表・齋藤麻紀子さんにお会いできること!会場入りされた麻紀子さんに向かってつい「生(なま)麻紀子さんだ~」とつぶやいてしまった私を、優しくハグしてくださり、始まる前から感動でした。

第1部    麻紀子さん・あけちゃんと、急遽大阪から参加された助産師の越本さんでの、子どもの出産を通してのババトーク。
自分で考えて、自分で選択し、自分で決断し行動したそれぞれのお子さんたちのお話は、長男の出産時を思い出し少し胸が苦しくなった。何も知らなくて、考えることも調べることもなく、何かおかしいと思っても、しょうがないよね…と受け入れてしまい、納得のいかない出産をした私の育児はマイナスからのスタートで、とても辛かった。
自分で選択したお産、幸せなお産で、その後の育児が全然違ってくる。幸せなお産は、その人だけじゃなく周りの人までも幸せにしてくれる…そして日本を変える!と改めて思いました。

第2部 助産院とミッドワイフ。ゆりかご助産院の赤塚さんと暁助産院の中村あきちゃんの、これまで関わってきた赤ちゃんとお母さんたちのお話。あ~こんな素敵な助産師さんがいるところで産みたかったなぁと思いました。お母さんと赤ちゃんの人権を尊重し、対等であること、そして二人の力を信じて待つ。
妊娠、出産、子育ては自然なもの、思い通りにいかなくて当たり前。だからこそ、妊娠中から信頼関係を築いていく1対1助産を目指したいという言葉に感動。

第3部 BFF@(Birth For the Future@ぎふ)の山本ちかこちゃんと渡部みゆきちゃんの発表。この二人が本当に凄い!
まずちかこちゃんから、出産費用の保健適用化とお産を女性の手に取りもどすネットワークとして、厚生労働省へ提言書の提出をした経緯の報告。本当に普通のお母ちゃん?!と感じるぐらいの行動力にびっくり。そして、私には夢がある「産婆魂を無形文化遺産にしたい!!」と、明るく元気に叫ぶみゆき母ちゃんの熱い思いはズキューンと心に響きました。こういう若いお母ちゃんたちがいる!これが未来への希望ですね。
 同時開催されていた、『わたしのお産展inぎふ』もとても素敵でした。私も次男の出産の時の写真を提供させてもらいました。みんなそれぞれの出産ごとにドラマがある。写真についているキャプションを読むだけで、涙が溢れました。

当日は、県外から参加された方も多かったようで、熱い思いの人たちが各務原市に集結して、お産とは?助産とは?医療とは?見直さないといけないことだらけの現実と、守らないと消されてしまうお産の文化、その危機感をみんなで共有し、希望につながる勇気をもらった1日となりました。

私たち ここいくも、ここいくらしく、出産を伝えられるよう、包括的性教育を広げていきたいです。

担当:ここいくメンバー 小田 佐知子でした。
ここいく☎090-3446-8061(中村)

 


vol.223  菌ちゃん野菜応援団 vol.43

 急に寒くなりました。今年はいつまでもいつまでも暑くて、にんじんも大根も、種をまいてもまいても出てこない、もしくは出てもすぐに枯れてしまう、を繰り返し。ようやく芽が出ても、大きくなれずにちまっとしたままのところも多く、長年つないだ種がほぼなくなってしまいました。

農家さんも早生の野菜はほぼ全滅、お米も3割減は当たり前、ひどいと5割減のところもあったと聞きました。
このところの気象はちょっとおかしくて、畑仕事を楽しむ方にもきつい日々ですね。
でも、こんなに暑くても自然農を始めて5年以上の場所はそれなりに野菜は育っていたりするので、環境が悪くなればなるほど土にどれほど微生物がいるかということが野菜の出来を大きく左右するんだな、と改めて思ったのでした。

体調面でいえば、暑いかと思えば一気に寒くなったりと、このところの寒暖差で体調不良の方も多くいらっしゃいました。

ここからは冬本番。
さぁ、こんなときはどうしたら良かったでしょうか?

しんどいときほど基本に忠実に!
・お腹を冷やさない・身体の負担になるものを食べすぎない・体が喜ぶものを食べる・くよくよせず日々よく心も身体も動かす
これですよね!人は自然界の一部です。人間は自然から離れすぎた時に病を得、自然に立ち戻ったとき健やかで居られるようにもともと出来ているのです。

迷ったときほど基本に忠実に。

応援団の畑はいつでも見学可能。事務所ものんびりくつろいでお話していただけます。興味のある方はぜひ足を運んでください。

この冬を元気に乗り切りましょう!


vol.223 プレゼントコーナー

223号PRESENTS

ハガキまたはe-mailで、下記のアンケートを
1〜6までご記入の上、編集部・プレゼント係りまでお送りください。

1-2025年、私はこんな年にします!さあ、新しい一年が始まります。あなたの決意を教えてね。
2- 気になるにらめっこ紙面での広告
3- 気に入った記事、気に入らない記事の
タイトル1つ・その理由もお書きください。
4- ご希望のプレゼント名 (第1希望・第2希望を必ずお書きください)
※B、Dは編集室までとりに来られる方
5- 本紙をどこで入手されましたか?
6- 氏名、年齢、住所、郵便番号、電話番号、家族構成
〆切:2025年1月25日  当日消印有効。
宛先 〒504-0855 各務原市蘇原新栄町3-15
e-mail: info@niramekko.com
※お寄せいただいた個人情報は、本紙プレゼントの発送に限り、 使用させていただきます。
※当選の発表は発送をもって代えさせていただきます。


A.やきものワールド ペア招待券テレビ愛知様より…3組様

国内最大級のやきもののイベントが今年もやってくる!食卓を楽しくするアイテムが集まる、買えるブースが大集合!詳細をチェックしてみてね♪

https://yakimonoworld.jp/


B.青パパイヤ 信長バナナ様より…3名様

青パパイアの魅力は、シャキシャキの歯ごたえと、ほんのりと感じる甘味。 クセがないので、生のままサラダや和え物にしても良いですし、炒め物や煮物にしてもおいしくいただけます。 沖縄などでは「青パパイアチャンプルー」という炒め物が人気の定番です。

にらめっこ編集室でお受け取りください


C.CINEX映画招待券 CINEX様より…ペア3組様

私たちの知らない日常を過ごしている子どもたちがいる。その事実をどう受け止め、何を感じたか。良質な映画を観た後は、誰かと語り合いたくなります。写真は「大きな家」の1コマ。

柳ヶ瀬のCINEXでご利用いただけます。


D.トートバッグ型コンポスト 命の循環プロジェクト様より…1名様

生ごみを「入れる・混ぜる・フタをする」たったこれだけ。おしゃれなトートバッグ型コンポストで、生ごみを捨てない暮らしを。スタイリッシュなトートバッグ型のコンポストです。生ごみと混ぜ合わせる原料つき。栄養価の高い堆肥を作ることが出来ますよ。

にらめっこ編集室でお受け取りください