投稿者「にらめっこ高阪」のアーカイブ

vol.159 暮らし上手 -食「種を考える」

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「種は買うものと思われがちだけど、自家採種した種の方が、その場所の環境に順応していて育てやすいんだよね」

昔の野菜はもっとおいしかった…
よく耳にする言葉です。たしかに昔の野菜は個性的で、大根にはもっと辛みがあり、人参には子どもが嫌うほどの強い香りがあったような気がします。

時代につれて、私たちの食べる野菜は変わってしまったのでしょうか? その裏には、「」の事情が大きく関わっているといいます。

二つの種

野菜の種は、「固定種(在来種)」と「F1種」に大別されます。

固定種の種

<伝統野菜・地方野菜・地場野菜と呼ばれるもので、その地域の気候風土のなかで何世代にもわたって選別・淘汰されて、その地域の風土に合った種として固定化したものを指す。丹波では、黒豆や小豆などがその代表的な例>

  • 何世代にもわたり、絶えず選抜
  • 淘汰され、遺伝的に安定した品種。
  • ある地域の気候、風土に適応した伝統野菜、地方野菜(在来種)
    を固定したもの。
  • 生育時期や形、大きさなどがそろわないこともある。
  • 地域の食材として根付き、個性的で豊かな風味を持つ。
  • 自家採取できる。

F1種の種

<人為的につくられた一代限りで、大量生産・大量消費にうってつけの種。一代限りのF1種は世代を超えて生命の受け渡しをすることができませんから、循環しない品種ともいえる>

  • 異なる性質の種を人工的に掛け合わせてつくった雑種の一代目
  • F2(F1の種から採取した種)になると、多くの株にF1と異なる性質が現れる。
  • 生育が旺盛で特定の病気に大病性をつけやすく、大きさも風味も
    均一。
  • 大量生産、大量輸送、周年供給などを可能にしている。
  • 自家採取では、同じ性質をもった種が採れない
    (種の生産や価格を種苗メーカーにゆだねることになる)

種子支配

F1種の普及は、思いがけない深刻な事態をもたらしています。種の多様性が、どんどん損なわれているのです。と同時に、種子支配も進行しています。

F1種が普及すると農家は毎年その種を種子会社から買うようになり、これまで自ら行っていた採種をしなくなります。その結果、その地域で固有に存在していた伝統的な品種が放棄され、次々と消滅しています。

種の多様性

多様性こそが自然の理であり、生命の理であると、フランス人植物学者ジャン=マリー・ペルトは述べています。現存する種の多様性を守ることは、調和のとれた都市の魅力や各々の民族の伝統を尊重することと同義であると、彼は熱く主張します。

種の多様性を取り戻すために、私たちはいったい何をすればいのでしょうか?

まず見直すべきは、農業のやり方です。現行農法においては、三点セットといわれる農薬、化学肥料、それらの使用に耐える品種が必須でした。しかしその過程で品種が画一化され、土壌を劣化させてきた事実があります。

農業の本文は、人々を食べさせることです。一時的な利益を追求するあまり、農地を傷めたり収穫を共倒れさせるようなことをすれば、飢えを招きかねません。

従って、私たちは永続的な農法を採用すべきです。その際求められるのは、農薬と化学肥料を使わないことを前提とした品種なのではないでしょうか?

循環する種子を復活させ、永続的な農法へ転換する、これができるかどうかは、私たちが自然に対して真摯な態度をとれるかどうかにかかっています。

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バングラディシュの新しい農業のムーブメント
ウピニック ノヤクリシー 10の原則

  1. 農薬は使わない
  2. 化学肥料は使わない
  3. 自家採取
  4. 混植でバランスをとる
  5. 自分達で作る野菜と野草をたいせつにする。
  6. 地下水は使わない
  7. 売れる物だけを作るのでなくトータルに考える。
    売れないものでバランスを取る物の有用性
  8. 家畜はハイブリッドでなくローカルなものを使う
  9. 魚などもすめる環境をまもる
  10. 自分たちの畑の周りに木を植えよう

ノヤクリシー有機農業に転換した農民に聞きました。

農薬と化学肥料によって土が疲弊し経費がかさみ実質的には生活は楽にならなかったこと、何か変だと思っている時にウピニックノヤクリシーの運動に出逢い実践を始めた。

最初は収量が減り皆からはチャコール(バカ)と言われた。
でも仲間も増えて今は変換して良かったと感じています。
家族の会話も増えてネパールにノヤクリシーを紹介に行ったり暮らしが充実しています。畑は混植がされて虫喰いも少ない畑と有機質堆肥のお陰で良く出来ると言っていました。

種も自分たちで採るために在来種を使うことになり発芽率も高まったそうです。感想として自信に満ちた生活をしている感じがしました。

種バンクは種を借りると来年2倍にして返すシステムです。
日本各地に種バンクができてノヤクリシー(新しい農業のムーブメント)有機農業が広がればいいな~と思っています。


vol.159 アウトドア特集「まぶしい季節。さぁ、どこ行こう?」

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観天望気(かんてんぼうき)

01観天望気とは、自然現象や生物の行動の様子などから天気を予想することで、天気のことわざのようなものです。
古くから天気を予想することは、漁師・農民・商人など多くの人々にとって重要なものであり、世界各地で人々は観天望気を用いて天気を予想してきました。

雲を使った予想は、気象学的に考えてもっとも信用性がある

  • 太陽や月に輪(暈)がかかると雨か曇り:
    温暖前線の接近に伴う巻層雲のため
  • うろこ雲(巻積雲)は雨の前ぶれ:
    温暖前線の接近によって高層雲が現れるため
  • 夏の朝曇りは晴れ
  • 山に笠雲がかかると雨や風:
    低気圧や前線に伴う風により、湿度の高い空気が山の斜面を上って水蒸気が凝縮するため
  • 上り雲(北に向かう雲)は雨、下り雲(南に向かう雲)は晴れ:
    低気圧の前面は南寄り、後面は北寄りの風となるため
  • 飛行機雲がすぐ消えると晴れ:上空の湿度が低いため
  • 飛行機雲が広がると悪天の前兆:上空の気流が安定していないため

鳥や虫などの状態から予想
日本では古来から予想してきた

  • ハチが低く飛ぶと雷雨:湿度が高いと、昆虫が低く飛ぶとされる
  • カエルが鳴くと雨:雨の前兆で空気が湿ると茂みから出て来て鳴く
  • ネコが顔を洗うと雨:
    湿度が高い時、顔や髭についた水滴をネコがぬぐうため
  • ミミズが地上に這い出したら大雨
  • ヤマバトが鳴くと雨になる・クモが糸を張ると翌日は雨は降らない

虹などの気象条件を利用したものや煙など人工的な現象を
対象とするもの

  • 夕焼けの次の日は晴れ:
    地球上の多くの場所では、天気が西から東へ移動するため
  • 朝虹は雨、夕虹は晴れ
  • 朝焼けは雨
  • 星が瞬くと風強し:強風下では、大気のゆらぎが強くなる。
  • 煙が立つか東にたなびけば晴れ、西にたなびくと雨:
    低気圧接近時は、東寄りの風が多いため
  • 鐘の音が遠くまで響けば雨・嵐:前線などで上空に暖かい空気が入ると、音波の伝播方向に影響を与えるため
  • リウマチが痛むと雨:気圧に結びつけた説明がされることもある
  • 茶碗のご飯粒がきれいに取れると雨:湿度が高いためとされる

ソーラークック

01ピーカンの日に
ぜひ試したい
「ソーラークック」
アウトドアだからこそできる!!

ソーラークッカー作りに準備するもの

  • レンジクリーンパネル2枚(ガスコンロの横に置くもの)
  • 空き缶(スチール)・網・割り箸4本・ふた(なくても大丈夫です)
  • アルミホイル
  1. 太陽の光を吸収しやすくするため、空き缶とふたはマジックやペンキなどで黒く塗りつぶします。
  2. 網の四隅に割り箸をたて、網が少し浮くようにします。
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  3. 1枚のレンジクリーンパネルを下に引き、そのうえに、網を置き、もう1枚のパネルを立てかけます。
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  4. 反射した太陽光が集まるように、立てかけたパネルを湾曲させ、アルミホイルをかぶせて、さらに表面を滑らかにします。
  5. その上から、アルミホイルをかけてこれで完成です
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ピーカンなら

  • 約20分ほどでお湯が沸きます(ただし沸騰はしない)
  • 鮭の香草焼き(黒アルミ箔に好みの香草を敷きその上に切り身をのせる。塩コショウ適宜、アルミ箔をとじソーラークッカーにセット。無風で外気20 度くらいなら2時間で熱が通り食べられる)
  • ホットケーキ(ミックス粉を溶き、生地が飯ごうにくっつかないようにアルミホイルを使用する。約2時間で焼きあがり!!

スローな時間を楽しもう!


I’m Challenger 山岳ガイド 赤木淳也さん

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山岳ガイド、アウトドアガイド、登山旅行家 赤木淳也さん

01自然の中に出かけて身体を動かして、なかまと過ごす、というのはすごく楽しいですし、気持ちいいですよね。

 

 

 

 

 

 

はじめての登山

父親が山とかアウトドアが好きだったので、子どもの頃からよく家族でキャンプ、サイクリングやスキーに行ったりしていました。

私が本格的に高い山に登ったのは中学1年生の時の穂高岳が初めてでした。その時はずっと雨で天気は良くなかったんですけど、宿泊した最初の山小屋・涸沢ヒュッテは、僻地にあるので衛星電話が引いてあったり、岩だらけの地下に小屋があるような形で、要塞みたいですごいなぁって思ったんですね。

翌日行った穂高山荘では、ガスで霧が濃くて見通しの悪い中、ヘリが入って荷揚げをしているところだったんです。すごいところですごいことをしているなあとその時は思いました。

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その後、高校3年の時、やってみたいことリストというのを作ってみたんです。その中の一つに「山小屋で働いてみたい」というのがありました。それで21歳のとき、燕岳にある燕山荘という山小屋の従業員になりました。

山小屋で勤務した5年間、なんでもしました。受付業務、調理、部屋の掃除、破れた布団の繕い、窓や階段の修理、登山道の整備や除雪も。冬には雪を溶かして水を作ったり、遭難者の救助もしました。

大きな小屋ですけど、生活の全てが凝縮されているというか。嫌なやつとも一緒にご飯食べなきゃいけないし(笑)。人間関係も含めいろんなことを学ばせてもらいました。でも、4年目くらいのときに、学んでいくことよりも失っていく時間の方が大きいと感じたときがあって、そろそろ辞め時かな、と。

とにかく上昇志向が強かったとき

当時の自分は妙に技術志向で、いろいろ技術を吸収したい時代でした。もっと山やクライミングの技術や経験を身につけたいという気持ちと、外国に住んでみたいという気持ちが重なり、30歳になって最後のチャンスと思いカナダにわたりました。

始めの一年半はカナダ。その後はカナダを拠点にアメリカ、ヨーロッパ、メキシコにクライミングに行きました。

日本のクライマーは一般的には、日本人同士で仲間を作って登ったりすることが多いんですけど、私の場合は、1人で行って、自分で生活基盤を作りながら、現地でパートナーを探して一緒に登る、という形をとっていたんです。

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地中海を見下ろしながら絶壁を登攀中。クライミングに飽きたらビーチに泳ぎに行くこともできる。
フランス南部マルセイユ近郊の岩場

当時はとにかく経験が欲しいばかりで妙に危険なことに首を突っ込んで、自分の限界までやっていました。

でも、だんだんと、山で気のあう奴らと一緒に楽しんでる方がいいな、というふうに変わって来て、難しいルートをやることよりも、仲間と一緒に楽しく過ごすというのが好きになりました。

日本との文化の違い

カナダではアウトドアが身近にあるんだなあと感じました。
気軽に山を始めています。日帰りだったらラフなスタイルで。気象条件が悪そうなときは行かないとか、無理もしないですし。普通に誰でも気軽にアウトドアを楽しんでる。

ガイドシステムというのも確立されているので、本格的な登山もさかんです。それが文化として認められている社会なので、クライミングしていても、あいつら気が狂ってる、なんてふうには思われないですし(笑)。

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カナディアンロッキーのレイクルイーズの岩場。観光地のすぐそばにもクライミングエリアがある。

ヨーロッパや北米の場合、登山とハイキングは全く別ものなんです。というのは、登山の領域に入った場合、氷河があったりしますので、アイゼン、ピッケル、ロープ、ヘルメットが絶対に必要なんです。で、ハイキングの領域には、岩場とか危険な箇所はほぼ出てこないんですよね。

日本の場合は、穂高岳や白山などのクラスの山では地形的に登山とハイキングの中間部分がいっぱい混じっているんですね。鎖場とか岩場とか出てきますからね。ですので、そういうところで線の引き方が難しいな、と思います。

ガイドの仕事とは

01ガイドというのは判断する仕事なんですよね。そのときどう判断するか、答えはない、もしくは答えはいくつかあって、その中からどれを判断するかっていうのが、そのガイドの力量というかセンスになってきます。

結局、何を優先するか。そのときの優先順位の問題になってくるので、それを言ったら間違っていた正しかったというのはわからないですけど、そこで山のピークを踏むことを優先するのか、安全を優先するのか、難しい。

ピークを踏む数を増やす事を楽しみにしている人もいれば、写真を撮りたい方もいらっしゃいますし。写真を撮りたい方はどんだけ吹雪こうが何があろうが写真摂りたいってなるんで、それをどう判断するか、ですね。

山を楽しむ

今、中高年だけでなく、山ガールとか言われるように若い子が山に登っていますよね。あの子たちはピークハントじゃないんですよね。

涸沢へ行って、そこでテントをはって山見て帰って来るとか。おしゃれな格好をしてキャンプするのが楽しいとか、そういう楽しみ方をしているんですよね。

雨が降ろうが何だろうがとにかくピークを踏むというのも一つかもしれないけれど、そういう別の楽しみもあるんじゃないのかな、というのは思いますけどね。

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氷河と岩と雪のアルパインクライミングのため、重い荷物を背負って山を目指す。
カナダ、バガブーにて。

登山は晴れていなければつまらないという方もいらっしゃいますけど、雨の日には雨の雰囲気がありますし、私は林の中で雨に打たれているとか、しっとりと静かに雨の中を歩くのもそれはそれで好きですけどね。

ずっと晴れていると逆にあまり面白くなくなっちゃうかもしれないですね。いろんなことがあるのがやっぱり自然で、いい日もあれば悪い日もあります。いい日ばっかりだったらあまり面白くないかなあ。

自然は一日として同じ日はないですし、その雨の日はその日しか楽しめない。
あと、そういった日の方が記憶に残ったりして、後から思い出すとみんなで笑い話になったりとか、そういうのはすごく多いですよね。

山の天気などは、ある程度は予測できても、やっぱり予想外のことはいっぱいあるので、その時に対処できるだけの能力をいっぱい持っておくことは必要ですね。

あらたな思い

日本に帰ってくる時に、今度は自分が発信していく方になりたいな、という思いを抱きました。それまでは自分が勉強する方、吸収する方だったんですよね。いろんな人に教えてもらい、いろんな経験もつんで、講習会も受けて。

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山小屋のわきで見かけたマーモット。油断するとすぐに食料を荒らされるが、元々ここは彼らのすみか。「自然保護」ではなく「野生は野生のままに」というスローガンをよく見かける。

それがカナダへ行って3年目くらいの頃から、いろんなことをやりながら発信していけたら、っていう思いが出て来たんです。今まで自分が経験したことなどを含めた情報発信。

今、雑誌に記事を書かせてもらっています。それプラス、講習会とか、山岳ガイドの養成とか、後輩の育成などをやっています。

独立しても、事務所をかまえるとか道具を揃えたりとかそういう形はとらずに、依頼されたガイドの仕事を本当にしっかりとガイドして行きながら、自分の時間を持ちながら、日本とカナダの二重生活を送りたいと思っています。

この11月に一つ検定があって、それを受ける予定です。ガイド協会の資格で山岳ガイドは1と2に別れて、山岳2の資格をとれば国内では全てのルートをガイドできるようになるので。

もっと気軽にアウトドアを楽しもう

私は山で過ごす時間が好きですね。準備段階でみんなでわーわー言って。山に行って楽しんで、帰ったら写真を見たり、みんなであのときはこうだったよねとか思い出を共有する。

これから自分が登山を楽しむなら、仲間と一緒にクライミングキャンプが混ざっているようなのがいいですね。沢登りしながら川原で火を焚いて、川で魚を釣って食べて。山菜とか採れたら最高ですね。そういう感じで一緒に輪を作っていきながら、みんなで活動をしていくというのは楽しいですね。

今はわりと誰でもアウトドアを楽しめるようなシステムというのができてきていると思うんですよね。

例えば会社の仲間や友達とか、今までは集まって旅行やボーリングに行ったりしていたのを、ちょっと志向を変えて一度山に行ってみるとか、キャンプをしてみるとか、川原でバーベキューするだけでも一応アウトドアですし、ラフティングの場合も簡単に申し込めますから、最初の一歩はそういうところから始めたらいいんじゃないかなと思います。


vol.158 現地レポート エコビレッジfromオーストラリア

オーストラリアでエコビレッジの立ち上げに参加している
日本人女性YAOさんのレポート

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Eco Village “Paradice One Retreat”の目的

  • 持続可能な自給自足の生活をする事
  • 生活を共有するもの同士、お互い高め合って成長する事
  • 大規模なパーマカルチャーのプロジェクトの達成
  • 安全で健康的な食材を、お客様と一緒に共有する事
  • 可能な限り地球上に自然を残せるようにする事
  • ひらめき!を感じてもらえる「暮らしのモデル」を提供する事

2013年5月、オーストラリアの東海岸中央付近のcoorabell,bayronbayでParadise One Retreatをopenしました。
元はリゾート施設として使われていた場所を、eco retreatとしてエコロジカルな生活を目指した宿泊施設に方向転換。住み込みのスタッフで持続可能なライフスタイルを模索しながら、自給自足を目指した生活を始めました。宿泊施設として運営を続ける大きな理由は、ここでの生活そのものを泊まりに来てくれたお客さんと共有する為です。

経済最優先から環境優先へ、生きる軸足をシフトしたい。そのためには、まずは自分たちから変わっていく。そしてその体験を共有して、伝えて行くことが必要だと思うからです。

食と環境は密接につながっています。私たちは自分たちで育てられないものは食べません。畑が整うまでの期間は、地元の野菜や、有機野菜を選んで購入しています。ここでは動物を育てていないので、当然のことですが動物は食べません。それでなくとも、肉を食べ続ける事は、さまざまな理由から環境破壊につながり、持続可能な生活を維持できないと思うので、ここではベジタリアンの食事を提供しています。

周辺の森は植林だった楠林から、原生林の植物を植え直し、rainforestをよみがえらせ、動物たちとの共生を取り戻すという大きなプロジェクトも現在進行中です。木を植えて行くのは、長い期間のプラン作りが必要なので、3年後、5年後のイメージを想像しながら進めて行こうとしているところです。

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あるものを利用してガーデンベッドを製作中のYAO(右)とスタッフ。

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私たちは今、大規模なパーマカルチャーのプロジェクトの初期段階に取り組んでいます。

ここでの共同生活は、自分は一人で生きているのではなく、支え合い、協力し合い、補い合いながら生きている事を教えてくれます。そしてそれを外部に発信できるような力をも与えてくれます。ここに訪れてくれる方々にいい影響が及ぶように、努力しています。また、ここの運営を支える仕事にお給料はありません。稼ぐために働くのではなく、持続可能な生活モデルというプロジェクトを発展させて行く事が目的だからです。共通の志を持ち続けるにはそのためのミーティングは欠かせません。

私にしてみれば新しいことの連続ですが、日々を大切にたのしんで生活をしています。

“Paradice One Retreat” stuff YAO:日本人スタッフとして日本料理を四苦八苦しながら、ゲストに提供。また、アートで施設内の壁をペイントしたり、オブジェを作って空間デザインをしています。

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これからの時代の鍵となるものに、コミュニティというものがあります。自給自足をするといっても、すべて自分だけでできるわけではありません。地域の中で助け合っていくことが不可欠です。そんなコミュニティのひとつの形態として、エコビレッジというものが現在注目されています。

エコビレッジとは、お互いが支え合う社会づくりと環境に負荷の少ない暮らし方を追い求める人々が作るコミュニティのことです。多くは田舎にできていますが、中には都市部にできているものもあります。50人?200人ぐらいの人たちが共同生活を営んでいます。

日本のエコビレッジはどこにあり、どんな形態で運営されているのでしょうか……
一つひとつご紹介していきます。
木の花ファミリー(静岡県富士宮市下条923-1)

01富士がくっきりと映える木の花ファミリーの
田んぼ

  • TEL:0544-58-7568/FAX:0544-58-8015
  • http://www.konohana-family.org/
  • 設立:1994年/位置:富士山の西の麓/人口:46名
    「地球を汚さない暮らしをしよう!」という想いを抱いた20名のメンバーにより創立。

特徴

  • 血縁、世代を超えた共同生活
  • 3つの住居で生活(本宅・まことの家1号館・2号館)
  • 収入はファミリーで得て、大人全員で平等に分配
    (血縁を超えたひとつの家計)
  • 化学肥料、化学農薬を使わない自然農法により、食べるものの
    ほとんどを自給
  • 化学肥料、化学農薬を使わない自然農法により、食べるものの
    ほとんどを自給
  • 玄米菜食をベースにした健康な食生活、EM菌の活用
  • 自然をモデルにした調和の精神、こころを磨くことを重視
  • 創立以来一晩も欠かさない夜のミーティングで日々の運営を決定
  • 心の問題をはじめ、あらゆる事柄を全員でシェアする
  • 心の病を持つ人を受け入れ、回復を支援
  • 富士宮市との共同事業により有機農業実践講座などを実施
  • 自然食レストランや出版・教育事業などの「いのちの村」づくりを
    推進

vol.158 ぎむきょーるーむ・「早寝、早起き、朝ごはん」

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● 疑うことがなかったけれど

人間としてはあたりまえのことを幼少時からさせないのは、成長の妨げになるような気がします。朝ご飯だけでなく、食事は三回とるものだし、子どもは早く寝るものだと思うし、早起きは三文の得だとなにも疑わずに思っていました。大人になったら、ちがってきましたが。
(7歳・3歳)

01● 小学生までは

早寝・早起きをしなければ、朝食をゆっくりおいしく食べられない。朝食は、脳と体を動かす大切なエネルギー補給源。朝食抜きでは一日を元気に過ごせないと思うから。…といいつつ「早寝・早起き」に関してはいちばん大切にすべきかな…と思っている。中学生になると、それなりに夜やらねばならない勉強もあるわけで…。もちろん、ゲームやネットをやっているくらいなら「寝ろ!」という私ではあるけれど。
(14歳・13歳)

● 朝ごはん、食べないといけない?

早寝・早起きはよいと思いますが、やはり子どもは朝ごはんを食べないといけないのでしょうか?大人ならいろいろ考え方もあり、一日二食、一日一食などもいらっしゃいますよね(青汁だけで生きている方もいるくらいです)。
(12歳・9歳・6歳)

● もって生まれた体質

早寝!わが家の息子たちは、どんなに運動しても、9時半前に寝ることはほとんどないです。いっしょに遊んだ子どもたちの親が「昨日は夕飯食べながら7時前に寝ちゃった?」といっているのを聞くとうらやましく思いますが、これはもう、もって生まれた体質だと思います。
(8歳・5歳)

● 共働きではむずかしい

早寝。共働きで帰宅後は時間に追われて、なかなか早寝させれません(いいわけ)。朝ごはん。食べるだけはかならず食べるようにしていますが、その内容がひどい。ふりかけごはんのみということもたびたびあり。けれど、朝も時間に追われている(いいわけ)のでなかなかできません。(7歳)

● 健康的な生活が送れる制度を

国に人の生活をとやかくいわれたくない。それより、そういう健康的な生活が送れるような制度(たとえばヨーロッパなどは20日以上続けて休暇をとらなければいけないとか)をどんどん入れて変えてほしい。提唱すれば(いえば)いいというもんでもないし、なにも変わらない。(9歳・3歳)

「早寝、早起き、朝ごはん」をいろいろな角度で考えてみると…

「自己責任」が極端なかたちになると… 山田 真
今の時代は新自由主義の時代といわれ、それは自己責任の時代ともいわれます。どんな時代かといいますと、たとえば健康面では、「病気になるのは個人の不摂生の結果だから、病気になっても国は面倒をみない、医療費などは自己負担。だから、病気にならないために、国民一人ひとりはあらゆる努力をしなくてはいけない」と国が宣言する時代だということです。極端なかたちになると、国民はすべて「健康を保つこと」を義務づけられたりしますが、それが実行されたのが『健康増進法』という法律の制定でした。健康であることが国民の義務になっているような社会では、生まれつき病気や障がいをもってる人は不適格な国民としてあらかじめ排除されてしまう危険がありますし、年をとって病気になった人なども非国民あつかいされてしまう危険性があります。それはとてもおそろしい社会です。
そのおそろしさは、「早寝早起き朝ごはん」という一見おそろしげでないスローガンの中にも潜んでいます。国が国民すべてに一定の枠にはまった生活スタイルをとるように求める時代は、やはりとてもおそろしい時代なのです。
やまだ・まこと 小児科医、「ちいさい・おおきい」編集委員

多様性が受け入れられる社会を 桜井智恵子
「早寝早起き朝ごはん運動」ができない家庭はたくさんある。週に一度以上、ひとりで朝ごはんを食べる子は全体の半分だ。子どもが起きるより早く出勤する親や、夜中の仕事で朝早くは起きられないような親、心身ともに弱っている親がいたりと、もういろいろな家庭がある。
社会には黒い人、黄色い人、若い人、お年寄り、障がいのある人…いろんな人間がいる。人びとの多様性が受け入れられることが、その社会のキャパシティでもある。子育てをもっと懐深く共有することは、包容力のある社会を育て、私たち全体の未来の大きな利益になる。
さくらい・ちえこ 大阪大谷大学教員「ちいさい・おおきい」編集委員。専門は教育学

子どもの知的欲求を無視していないか? 藤井誠二
01「早寝早起き朝ごはん運動」の背景には学力低下の問題があります。学力を上げるためには、朝早く起きて、ごはんを食べて勉強したほうがいいんだ、と主張している方々が多いし、朝ごはんを食べている子どものほうが学力が高いみたいなことをいわれる…
ぼくはひねくれているから、もし、勉強がほんとうに面白いものだとしたら、朝ごはん食べたかどうかなんて関係ないだろうという気もするけれど。塾に通っているとか、親の教育熱心さとか、いろんな要素もからんでいるはずで、単純に朝ごはんと学力向上をつなげるのには違和感がぬぐえません。
ふじい・せいじ ノンフィクションライター

大人たちの自己満足運動が始まった 岡崎 勝
「早寝早起き朝ごはん運動」は、「早起きは三文の徳」の現代版ともいえる。しかし、わざわざ「国民運動」になってしまうところがすごい。
寝ることや起きることは、非常に個別的なことである。どうも、日本全体が健全という中身に「勤勉な生活」をイメージしているようだ。しかも、「精神力」がその基盤にあるので、怠けることは「社会的に許されない」というムードがあふれている。早寝もいいけど、遅寝もときどきはあっていいんじゃないか?とか、早起きもあんまり早いとつらいよねえ、というときもあっていい。
そして、忘れてはいけないのは、この運動は、「早寝早起きなんていってたら、勉強している時間が短くなるじゃん」という子どもたちのつっこみに耐えられないくらいの、法律や条例で「善意の顔で押しつける」、非常に危険な大人たちの自己満足運動だということなのだ。  おかざき・まさる お・は編集人

「早寝・早起き・朝ごはん」国民運動とは、平成18年文部科学省が提唱したもので、その推進母体として「早寝・早起き・朝ごはん」全国協議会が設置された。そこが構想するのは、経済界、メディア、行政、各種団体、PTAなどが参画する国民運動。

 


好評連載! 中高生・平和を語る

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標的の村

0112月1日に岐阜で上映された映画「標的の村」をみてきました。この映画は、沖縄で今起こっているヘリパッド移設増強反対運動に取り組む高江の人達を記録したドキュメンタリー映画です。今回は、映画を見た感想と、この後の感想交流会で出た意見についてお話ししたいと思います。

感想交流会では「自分達が住んでいる日本なのに、ちゃんとした情報、現状を知らなかったことが、一番くやしいと思った」という声があがりました。沖縄の人々は、戦後もずっとずっと戦いを続けています。そう思ったとき、あなたはどうおもいますか?悲しくなりませんか?

私は「戦時中から今までずっと苦しめられているんだなぁ…」と思い涙があふれてきます。ヘリパットを作ってほしくないという住民の思いから、現場で座り込むのです。自分の命もあるのに、動いているクレーンにしがみつき、必死に止めようとする人々がいる。皆さん、想像できますか?

現実にそのようなことが起こっているんです。国は自分達の生活を守ろうという人達を「通行妨害」で訴えました。現場にも行っていない7歳の女の子まで訴えられたのです。ほんと、ありえません。

一昨年9月、10万人が結集した県民大会での知事の訴え、そして反対にもかかわらず、電話一本で「オスプレイ」配備が県に通達されたのです。どんな意見も聞いてもらえず、国民の意見を馬鹿にしてるのですか?…心が苦しくなりました。

感想交流会では「自分達が住んでいる日本なのに、ちゃんとした情報、現状を知らなかったことが、一番くやしいと思った」という声があがりました。沖縄の人々は、戦後もずっとずっと戦いを続けています。そう思ったとき、あなたはどうおもいますか?悲しくなりませんか?

私は「戦時中から今までずっと苦しめられているんだなぁ…」と思い涙があふれてきます。ヘリパットを作ってほしくないという住民の思いから、現場で座り込むのです。自分の命もあるのに、動いているクレーンにしがみつき、必死に止めようとする人々がいる。皆さん、想像できますか?

現実にそのようなことが起こっているんです。国は自分達の生活を守ろうという人達を「通行妨害」で訴えました。現場にも行っていない7歳の女の子まで訴えられたのです。ほんと、ありえません。

一昨年9月、10万人が結集した県民大会での知事の訴え、そして反対にもかかわらず、電話一本で「オスプレイ」配備が県に通達されたのです。どんな意見も聞いてもらえず、国民の意見を馬鹿にしてるのですか?…心が苦しくなりました。

感想交流会の中でよく出てきたのが、2012年9月29日の配備強行前夜、アメリカ軍普天間基地ゲート前を人々が完全閉鎖したシーンについてです。腕を組み座り込む人々、それを排除していく警察。1人を4人がかりで、手足を持ち運んでいく……車はレッカーで運ばれ、泣きながら沖縄の歌を歌い続ける人々の姿…。ジャーナリストたちも排除されていく…それをみている、アメリカ兵の笑顔…。
それは、実際にあったこととは思えないようなシーンでした。警察も沖縄の人なのだから、いやならいやと言えばいいのに…それも言えないのは情けないと私たちは思いました。

私は、沖縄の問題を日本中の一人ひとりが考えていくべきだと思いました。また、この映画を日本中の人々が全員みるべきだと思いました。

私たちにとって、この先色んなことを知ることや、周りに発信することが必要だと思いました。また、それぞれが、自分に出来ることや思うことを語り合う場をつくり、交流することも必要だと思いました。

その結果、何かが、急に変わるということはないでしょう。しかし、こうした交流の時間を過ごせる輪が広がることがとても大切だと思っています。「何がなんだかわからない!」って思う人もたくさんいると思います。でも、あきらめずに、一人ひとりの力を信じて、出来る限りのことを頑張って行きたいと思ってます。

ぜひ、皆さんも私たちと一緒に交流してみませんか?

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〔註〕高江:沖縄本島の東北端に近く、北部訓練場に囲まれた集落で、那覇から車で3時間近くかかる。
同訓練場の用地の約半分が返還されることになった代償として、ヘリコプター着陸場(ヘリパッド)の移設増強工事が進んでいるが、これ以上の基地機能強化に反対する住民らが、工事現場で座り込みを続けている。


新米Nurseものがたり-(Vol.20)

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しあわせって、なんだろう。異国にいてつくづく感じること

なんで北欧のほうが幸せ度が高くて 日本や韓国が国民の幸せ度が低いかを最近よく思う。

デンマークやノルウェイ、ブータンもちょっと前までは幸せ度が高くて話題になってた。ようは、いろいろあってもやっぱり今の暮らしがハッピーさって思える人が多いってことやおね。

アメリカで、とくにニューヨークでその国からの移民をみかけない国は、多分国民の幸せ度も高い国。
たとえば、今住んでるクイーンズは世界でもっとも多民族・多国籍の住む場所で、中国・台湾・香港・マカオ・フィリピン・インドネシア・マレーシア・バングラディシュ・タイ・ベトナム・韓国・北朝鮮・ロシア・ウズベキスタン・ウクライナ・カザフスタン・ポーランド・チェコ・イタリア・ルーマニア・ギリシャ・アルメニア・トルコ・ブルガリア・アイルランド・パキスタン・インド・ネパール・チベット・ビルマ・ジャマイカ・キューバ・ほとんどの中南米の国・中央と西アフリカの国々・・・はほぼ見かける。

それ以外の国、たとえばヨーロッパの人達(アイルランドやイタリアやギリシャを除いた)、あと北欧の国の人達はほぼみないし、いてもアメリカによっぽどの目的(アート、ビジネス)があって移民してきた人。ブータンもみないし、オーストラリアやニュージーランドもみない。UAEもみない。

 

01移民してきた人達はみんな故郷を思う気持ちが強くて、恋しさあれど、今の暮らしのほうがましという。 物質的な豊かさが増して、最低限の人権は守られる。移民が多ければ、その国の食べ物は流通してその国の宗教の寺院やコミュニティーセンターもあって、英語がしゃべれなくても、違法だろうと合法だろうと現金収入の道さえ確保できれば、なんとか生活していける。子どもは学校に行けるし、むしろ働かせたりしたら即児童労働やなんやと、捕まる。

子どもは大人になるころには、英語もペラペラになって親を助け、仕事もビザもなんとかなって、立派なアメリカ人となってまた家族をつくっていく。そのころには、食べるものも、着るものも、しゃべる言葉さえも、アメリカナイズされて、民族性は薄れていく。2世ともなれば、言葉はなんとか親の母国語をうけつぐものの、アイデンティティは半々のような曖昧なものになっていく。
文化も風習も伝統も、知ってても、触れたり経験しないまま、育っていく・・・。

日本の近代の住宅地もそうやないかと。うちも土着文化にあんまり触れないまま育ったことがけっこう悲しかった。 新しく山を切り開いた新興住宅地で、伝統のお祭りも昔から伝わることもなく、隣町のお太鼓やお囃子がちょっとうらやましかった。おばあちゃんちにいくと、祭でおくるまを曳いて、ちびっこもみんな法被きて、ちんとろ船があって、あの独特な土地の熱気がうらやましかった。

いくら移民がきても、その国はなくならないし、その土地の伝統も文化も受け継がれていくやろうけど、やっぱり、その土地からきた人達がどんどんアメリカナイズされていくのも、またなんだか複雑で。 その土地の人々の幸せ度アップとコミュニティーが維持できるような仕組み(北欧の国のような国自体がたくさんのものに頼らずにまわっていってる)をどんどんつくっていかんとなって思う。ちびっ子たちが大学や若い時に故郷を離れたとしても、定住するのに戻ってきたいと思える土地づくりというか・・・

世界もいろんな国の人が、わざわざ移民として遠く離れた異国の国で暮らさなくてもいいような、そんな世の中になればなって思う。

うちはその土地で先祖代々生きてきた、その土地で、土地とのつながりをもって、その土地の空気や水で、その土地で収穫されたものを食べて、いろんな風習や伝統を受け継ぎながら、生きていくのが、一番人間の体に健康的やと思う。DNAにもそれが一番自然なはず。そうゆう暮らしがハッピーと思えるような、生き方や生活ができるといいんやけどね。

アメリカ生活が長いと複雑な思いに囚われます。

あ~日本が恋しいなぁ・・・

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知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa

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「楽観主義バイアスを理解し自分らしく生きること」

01テーマに座学のあと、意見交換を行いました。楽観バイアスを理解し、その時に備える。その時、とは・・・すなわち「死」。悲観的だろうと、楽観的だろうと『死』は必ず迎えることになる。その時をどうイメージするか、参加者全員で意見交換をしました。

楽観主義バイアスは、楽しく生きていくために(人生トータルの幸福度を上げるのに)とても重要なこと。多くの人はものごとをつい楽観的に考えがちです。いざというときのパラシュートは準備しておけるよう、自分の中のバランスをうまく調整していきたいものです。
あらゆることに対して楽天的に考え期待をしながらも、現実的な備えを怠らない。』物の見方は長い期間をかけて培われてきたもの。そう簡単に変わるものではありませんが、私たちもそう考えられるように意識的に変えていきませんか?

あなたは1.2.3のうち、どのペンギンですか?

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  • 1.悲観的なペンギン
  • 2.極端に楽天的なペンギン
  • 3.楽天的なペンギンで、念のために
  • パラシュートを背負ったペンギン

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01参加者11名中2番のペンギンと思った方が3名。 1寄りの3が1名、7名の方が3番ペンギンでした。

 

 

生前準備ノートは3番のペンギンのパラシュートになるのかな?

 

 

「人生これから」

01モグラのとおり道をふさいで、水もれを防ぐために「あぜぬり」もします。田ぐわで、どろ土をあぜの内側と上部に押しつけて、ぬりかためていきます。これは、どろ壁(かべ)をぬりつける感じで。
あぜから水がもれないようにすることが目的ですので、足を使ってペタペタとぬるやり方もあります。
どろんこ遊び感覚で、お子さん連れの家族の参加大歓迎!ビオトープにはめだかやかえるがいっぱい!

「あぜつくり」

(昼食後アクティバ会員は25年度の総会をします)
4月20日(日)10:00-14:00

  • 場所:アクティバの田んぼ(関市武芸川温泉を西へ1,2km)
  • 参加費:会員1,000円 非会員2,000円
    (アクティバ米のおにぎり、味噌汁、漬け物付き)
  • 持ち物:長靴、鍬、スコップ、着替え、水、タオル

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記者雑感 From気仙沼-(Vol.11)

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・ 津波が4階まで押し寄せた気仙沼向洋高校。3階には車が突っ込んだままだ(1月28日)

私立東陵高校(気仙沼市)の春のセンバツ出場が決まった。市内の高校としては26年ぶりの甲子園だ。昨秋の東北大会で準優勝したものの、決勝は13-2と大敗。選ばれたのは「被災地枠」だろうと、他社の記者らと噂した。もちろんそんな物はないが、少なくとも関東以北の全国紙や全国ネットは大きく取り上げた。逆にこういう話題でもないと震災関連の記事が載りにくい状況に、かなり前からなっている。

取材に行った1月下旬、高台の高校から市街地を見下ろすと、盛り土の山、山、山……。アルファベットチョコだったか、ああいう台形の塊をテーブルに無造作に並べた感じだ。実際のチョコは巨大で、てっぺんで重機が土をならしている。本当にあの上に工場や家が建つんだろうか。

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・ 魚市場近くの仮設店舗でたい焼きを売る小野寺さん夫妻。震災以後6万個を焼き上げた(11月30日)

高校から国道45号を30キロほど南へ行くと小泉海岸。県内最高の14・7メートルの防潮堤が作られる。がれきを取り除いた後はほぼ手つかずで、国道の海側も陸側も巨大な湿地帯のようだ。少し前、その様子を撮影し、空き地に止めた車に戻った。草刈りの休憩をしていた女性に呼び止められた。「新聞?最近記事見ないよ。忘れられるの、一番つらいんだよぉ」。頭を下げるしかなかった。

忘れないために。市は有識者を交え、伝えるべき、残すべきものを選び始めた。「震災伝承検討会議」。2年近く市内と南三陸町の被害を記録してきたリアス・アーク美術館の山内宏泰学芸員は初会合で言った。「忘れないで、じゃ弱い。覚えとけよ、です」。

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・ 気仙沼市は戸建て・長屋の災害公営住宅すべてを地元業者に発注する協定を結んだ(12月27日)

何をか。「過去の津波の情報も記録もあったのに、無視してきたと言わざるを得ない」「河口を埋め立て、先端に石油タンクを23基作った。そんな街が津波を受けたから、これだけの被害が出た。課題や反省点を伝えないと」。防災会議のような内容だったが、身内とも言える学芸員の指摘を、市はきちんと受け止めて欲しい。

1月中旬、中国地方を巡った。広島平和祈念公園の石碑に有名な「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」を見た。気分転換の旅なのに東北を思い出してしまった。震災と原爆は違う。けれども、石巻の指定避難所で多くの人が亡くなった。気仙沼は津波後の火災が被害を広げた。人災の面があるのは否めない。だからこそ、次の惨事は防げるはずなのだが。

市は1月27日、流された石油タンクの近くに壊れにくいタンク8基を作ると発表した。うーん。翌28日の第2回伝承検討会議。資料はこう謳っていた。「これまでも、地震・津波の被害を受けた地でありながら、同じことを繰り返した結果となった」

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・ 大手コンビニの依頼で気仙沼西高校の生徒が 「気仙沼復活(フカカツ)弁当」を考えた
(1月13日)


カタコトの部屋「ママが働くとき」

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それぞれの仕事

  • Oさん:
    私は歯科衛生士の仕事をしています。以前は月曜から金曜までの仕事をしていたんですが、学校から帰る時間までに私が帰れないこともあって、子どもが不安定になってしまったんです。子どもが休みの日に自分が仕事に行くことは不安だったんですけど、子どもが、やっぱり平日にお帰りって言ってくれた方がいい、土日には仕事に行ってもいいよって言ってくれて、それで今は土日中心で、他にも学校が休みで職場が忙しい日は出て行く時もあります。
  • Mさん:
    私はずいぶん前ですが、上の子が6ヶ月の時に仕事を再開しました。家でできる仕事だったので、子どもが眠っている時にしたり、締切りが迫れば、友人に時間いくらでお礼してベビーシッターをしてもらったりしてこなしていました。
  • Sさん:
    私の今の仕事はおんぶひもや布ナプキン等をハンドメイドして販売したり、おんぶひもの講習も要望があればやっています。本当はお母さんをサポートするような仕事をして行きたいんだけど、なかなか難しい。やりたいこととやれることの間を埋めるのが今の仕事なんだけど、ここからどういうふうに踏み出そうかなって今模索中です。
  • Aさん:
    私は、週に1日カフェでランチを作って、月に3回くらい料理教室を開き、月に1,2回はイベントに出店。準備や何かでほとんど毎日動いています。この間年輩の男性に、週に一回ランチ作る、それは働いているうちに入らない、遊んでいるっていうんや、って言われたの。きっと企業戦士で一生懸命にガーッと働いてきたんだろうな、それを働くってこの人は言うんだろうなって思ったけど、ママがその通りにしたら家族は崩壊するよ。

「働く」「仕事」ってなに?

01Sさん: 私の中では今やっていることも、立派に仕事なんだけど、でもなかなか仕事と認めてもらえない。幼稚園でも趣味でハンドメイドやってるくらいにしか思われていないみたい。今、幼稚園で役員やっているんだけど、幼稚園のイベントと仕事が重なって、仕事の方は行かざるを得ないから行ったんだけれど、他の役員の人からはえ?!そっちに行くんだって言われて。なかなか理解してもらえないというのが…。自由がきく反面で仕方ないのかなぁ。

Aさん: 3年前、自分が勉強したいことの費用を稼ぎたくてフルに働いていた時があって、そのときは子どもたちの様子がおかしくなっちゃった。子どもたちが情緒不安定になったり、私が忙しいから食事もできあいのものが増えて、風邪引きやすくなったりアトピーが出たり。しまいには、私が仕事に行く時に限って熱が出るようになったり。夏休みは子どもを夏休み保育や学童に預けて仕事していたけど、その支払いで給料も消えて、その時になんのために働いているんだ?って思った。結局その仕事は半年でやめて、勉強も中途半端に終わってしまったの。社会と繋がっていたいという思いがあっても、それで子ども に毎日寂し思いをさせて、となると、自分自身の自己表現と母親としての責任というのがものすごくぐらついてくる。そのバランスをうまくとってやっていける仕事があるといいな、って思うな。

 

仕事と子ども

01Oさん 私、歯科衛生士という仕事がすごく好きで、月に何日かでも、自分が自分でいられる場所だと思えるんです。その日があるので、平日に主婦やお母さんとして頑張ろうかな、と思えます。でも、ちょっと後ろめたい気持ちもあるんですよ。自分はそうやって楽しい仕事をしているんだけど、子どもはいいよって言ってくれているけど、実際はどうなんだろうとか。

Mさん 私が印象に残っているのは、上の子が6年生の時に、イベントを主催して、帰りが12時過ぎちゃった。家に帰ったら上の子が起きて待っていて、うわ、何言われるんだろうと思ったら、「お母さんお疲れさま」って。その時、親が一生懸命やっていれば子どもはその背中を見てるんだって思ったの。だから、ぶれずに、お母さんは子育てが楽しい、働くことが楽しいって頑張ってやればいいと思う。絶対それは子どもに伝わると思う。子どもはちゃんと見てるもん。でも、子どもがいいよって言ってくれてるからと、あぐらをかいて外の仕事を増やすと、子どもが寂しい思いをするよね。

Oさん 何歳くらいまでそういう配慮が必要かしら。

Mさん 友人で、子どもが中学生になったら思春期でいろいろ心配だからと仕事を辞めた人いるよ。

Aさん へぇ?!逆に?

Oさん 中学生くらいになればいいと思っていたんだけど。

Mさん 中学生はさなぎの時代っていうからね。殻にこもちゃって中でウゴウゴ動いているから、ちょっとの変化でも親がまず感じていたいってその人は仕事を辞めたの。でも、人それぞれ。その人はそういうふうに思ったってことね。

Aさん 私、自分では憶えていないんだけど、中学生の時に、親が、そろそろ働きに行ってもいいかなぁって聞いたら、鍵っ子なんてやだ!高校生になったらいいよって言ったらしいの。だからその子どもの個性というのもあるよね。

今はお金じゃなくても…

Sさん 子どもが小さい時って、子どものことと家のことだけで終わっちゃう。楽しいけど、子どもは可愛いけど、それはそれでシンドイよね。なんかそこでちょっとね、社会に出られて、話しができて、ちょこっとそこで、金額じゃなくても役に立ったとか、感謝されたとかほしいよね。

Aさん 主婦の仕事って感謝されないからね。

Sさん そう!いくらやってもね。

Aさん ね!換算すると月給30万円以上の労働といわれてるのにね。なのに三食昼寝付きとかひどいこと言われちゃう。そりゃ昼寝することもあるけどさ(笑)。

Sさん 私は母や女性である事、小さい子がいることを言い訳にしないで、強みにしてしまえばいいんだって思うの。でも、そういう私もまだまだ修業途中なんだけど。

Mさん お給料もらうだけが仕事じゃなくて、家事も立派な仕事だよね。私は女の人はすごくオールマイティで、能力もあると思う。でも、家事って限りなくあるし、女の人でも家事が苦手な人もいるし、そこは個人差に注目して、その家によってルールを作ったりして、家族全員が幸せになれたらいいよね。

私にとって、働くとは?

  • 01自分自身が生きるために稼ぐ手段、自分を成長させる(この分野で成長したいと思う)手段、社会に属するものと してその社会に貢献する手段。
  • 「働く」とはどういうことかと聞かれて、私は最初に「お金を稼ぐ」と思いました。だけどいろいろと考えてみると「働く」ということはお金を稼ぐことだけではないことがわかりました。家で料理を作ったり、掃除をしたりしている人やボランティアをしている人は、決してお金をもらっているわけではないけど働いていると思いました。
  • 私にとって「働く」ということは、「生活をしていくために仕事をしてお金を稼ぐこと」。

ママたちが働く時って、理由やスタイル、職場や家庭環境と、一人ひとり違います。今回集まってくれたママたちも、状況が変わり、悩みも変わっていくかもしれません。結婚、妊娠出産、子育て、そして仕事をするとき、常に選択に迫られる女性ですが、それぞれのスタイルを認めながら、お互いに手を繋いで元気に生きたいですね。みなさまからのいろんなご意見もお聞かせください。お待ちしてます。


暮らし上手・住 持続可能な暮らし方

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有機農法からみた循環の捉え方

01【食糧自給】

有機的な生産方法により、自分たちの食料はできる限り自分たちで生産する。または、地産地消のネットワークを持つ。

【住まいや技術】

化石燃料にできるだけ頼らない持続可能なエネルギーを利用する。また、エネルギー消費の少ない生活形態を実践する。雨水や排水の利用、 排泄物や生ゴミ等を資源として活用する仕組みを持つ。

【経済】

グローバリズムよりもローカリズム。地域内の物質循環や地域生活、地域の文化を豊かにし相互連帯を維持するための経済を求める。地域通貨や市民銀行などの新しい経済の仕組みを生かす。

【コミュニティ】

住民間の交流や合意形成、自治力を重視する。また、社会や組織に働きかける力(エンパワーメント)を持つ。

なんか字面が固いですが、たとえば、【食糧自給】の項目にある、有機的な生産方法は、右に記しましたが、すべてが循環しています。循環は自然がもたらすシステムです。

大地があって、太陽があって、水があって、雨がふり、風が吹き…。そういう自然物と自然現象の中で植物が育ち、私たち動物が生きられます。そういうあたりまえなことが意識の中から抜けてしまいがちです。しかし、自然の中で、自然の声を聞きながら、自然と共生していく農のある生活は、自分の生き方を整えてくれる力を持っていると思います。

自然界の物質は、循環を繰り返す

01土壌中の微生物や菌類たちが多ければ多いほど、その土壌は健康である…この点を理解して頂いて、左のイラストをご覧ください。
これは『生物圏における物質の循環』について、わかりやすいようにイラストにしたものです。人間は生きるために様々な家畜(牛・豚・鶏など)を飼い、その生産物(卵や食肉、牛乳など)を家畜たちから得ています。

そしてその家畜たちが排泄した糞を、落ち葉や籾殻などの植物残渣と合わせて、肥料として扱いやすくします。 これが【堆肥とよばれる有機物】です。

この【堆肥】を圃場に散布して耕耘すると、土壌中の微生物たちがそれをムシャムシャと食べることで微生物たちの体内で消化され、再度糞として排泄されます。
また、土壌中の菌類たちがその糞や堆肥を分解して、自然界由来の無機物に変化させてくれます。

窒素】【リン酸】【カリウム】【カルシウム】など、植物が生育するために必要な栄養素はこうして土壌中で作られて、野菜や果樹、 そして健康で生命力に溢れた野菜や果実を人間が食することで、その生命力を身体に取り込み、人の営みに必要な活力を得ることができます。

そして人の営みも、循環を繰り返す

01花卉などの植物がスクスクと健康に育つ元気の源となるのです。
そして健康で生命力に溢れた野菜や果実を人間が食することで、その生命力を身体に取り込み、人の営みに必要な活力を得ることができます。

物質の循環について上記では説明しましたが、下のイラストでは『伝統的な農業の循環』について描かれています。人が生きていくために家畜を飼いながら田畑を耕す際に、家畜の糞と落ち葉や藁などを発酵させた堆肥を圃場に入れ、米や野菜などの作物を栽培する。

人間が農耕を始めてから、何千年も繰り返されてきた【営農の循環】です。いえ【人類の営みの循環】と言い換えても良いのかもしれません。

『The circle of life』
「The circle of life」は生活の循環とも言えますし、人生の循環とも言える。そして生命の循環とも言えます。
この輪の中で生活し、営農し、学び、喜び、悲しみ、愛し合い、そして生きていく。
家族で楽しくゆっくりと美味しい食事を楽しみながら、この輪をちょっぴり意識して生きていく。

有機農業とは、地域の資源である有機物を使用し、田畑の生き物を生態系に沿ってバランス良く管理する。そのことで土壌が健康になり、健康な土が作物を健康にし、健康に育った作物が人々の健康を支える…。
このように、自然界(圃場内)を健康な状態に保つことで、様々な問題を解決する持続可能な生産システムのことです。

『BIO Farm 風の丘農園』農園主・kobaさんより

 


暮らし上手・食 ほんとうに美味しい野菜の食べ方

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たまねぎ、だいこん、ごぼう、さといも、などなどの野菜の皮、そして一番だいじな「成長点」は生きる力になる!

01「えー、野菜の皮をむくのは常識でしょう?」。

そんな声が聞こえますが、プロの料理人は、ゴボウの中身は捨てても皮は捨てません。
だって、皮にこそ味があるから。害虫やばい菌、紫外線など、野菜の周りに存在するさまざまな「外敵」から、大切な部分を守る皮は命のバリアー。とても栄養価が高いんです。

これは科学的にも証明されています。有害な活性酸素を中和して、体の老化防止や発がん抑制など、病気予防や健康維持に効果があるとされる抗酸化物質ファイトケミカルは、植物の皮に集中しているのです。

想像してみてください。直射日光が照り付ける夏の日に、あなたが裸で長時間、鉄棒にぶら下がった姿を。体は大やけど間違いなしだけど、ナスビはそんな中で黒光りしている。それはあの皮に、紫外線に対抗するファイトケミカルの一種、ポリフェノールがたくさん含まれているからです。

玉ネギを軒先につるしておけば何ヶ月も保存できるのも、茶色の薄い皮の中にあるケルセチンというファイトケミカルのおかげ。あの皮には、人間が本来持っている長寿遺伝子のスイッチをオンにする効果があるケルセチンが、中身の30倍も含まれているんです。

でも皮は食べられないって? いえいえ。そんなときはみそ汁やスープのだしに使いましょう。お湯にしばらく漬けるだけで、何割かの成分が出てきます。カレーを作るときも、皮だけを煮出してもいいし、具と一緒に煮込む場合は網袋に入れ、ルーを加える前に取り出せばOKです。煮出した皮もごみに出しちゃいけませんよ。庭の土に混ぜれば、このパワーが土壌中の微生物を活性化させ、とびきり元気な野菜が育ちます。

01「だって皮には農薬がついているから…」

なんて言う人がいますが、そんなに農薬が心配なら、イチゴとピーマンの皮こそむくべきでしょう。それに比べたら根もの野菜の皮なんかほとんどないに等しいです。単に人は、習慣を変えるのをおっくうに感じるものなのだと思います。

「最初ニンジンの皮をむくなと言われたとき、とても抵抗があったけど、今は逆に、皮をむくように言われたら、とても抵抗感があります」。

長崎県佐世保市の江永保育園の栄養士、河上愛子さんの言葉です。人の感覚もどんどん変わります。まずはやってみてください。一週間でウンチが変わりますよ。

さて、ここで問題です。玉ネギの皮以外にも、土に戻したときに、なかなか分解しないところ、つまり土の中の菌ちゃん(微生物)が食べきれないほど、非常に元気で生命力あふれる部分が、野菜にはあるんです。それはどこでしょうか。

生長点が大事 生きる力取り込んで

土に戻してもなかなか分解しない、元気で生命力あふれる部分とは、新芽の出る場所「生長点」です。キャベツ、レタスなら芯の部分、ホウレンソウ、ダイコン、ニンジンなら葉の付け根付近などにあります。というわけで、「生長点こそいただこう」です。

生ごみリサイクルで野菜を作ろうと、野菜くずを土に返したキャベツの芯から芽が吹き出しているのを見て、そのすさまじい生きる力に本当に感動します。

うそだと思うなら、玉ネギを縦割りし、そのまま放置してみてください。皮のバリアーを破られた玉ネギの内部は腐敗していきますが、それでも芯の付近は腐るどころか、ぐっと頭をもたげて成長しだすんですよ。玉ネギのけなげな生命力に脱帽です。

この芯は加熱したらまったく硬くありません。「なんでこんな柔らかくて元気なところを今まで捨ててたんだろう。これまで誰かに洗脳されていたのかなあ」。食べ物があなたの細胞になり、体と心をつくるのです。あなたがすぐ何かのせいにしてあきらめてしまうとしたら、その本当の理由は、野菜の中で簡単にあきらめる部分だけを食べていたからではないですか?

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夏の生長点といえば、カボチャやキュウリ、トマト、ナス、ピーマンなどのわき芽です。新しい命が吹き出ているこの部分には、たくさんの成長促進物質が生産されています。家庭菜園している方、どうぞ捨てないで自分の体に取り込んでください。和(あ)え物や汁ものの具に最適です。

最近、野菜売り場に並び始めた「スプラウト」は、発芽して一週間ほどの盛んに生長している野菜のことで、ビタミンやミネラル、ファイトケミカルなどの宝庫です。栄養学はまだ栄養素の十分の一も発見していないといわれているのですが、未知の成分は、こんな生長点の中にあると私はみています。

野菜は90%以上が水分。私たちはその中のごく微量な成分(生きる力)をいただいているのです。それがたっぷり詰まった皮や生長点を捨てることが、どんなにもったいないことか。

特に家庭菜園で、小さいうちに間引いた野菜は全体が生長点のようなもの。柔らかい根っこまで全体を丸ごといただいてください。
これこそが「いのちいただきます」の真骨頂。元気にならないわけがない!


「つくる・みらい」の会 発足!

「つくる・みらい」の会 発足!!

私たちが住む各務原市で、私たちが心地よく暮らすために、暮らしに関わるいろんな問題に意識を向け、自分たちの手に負えない事柄などを行政、有識者、専門家などの力を借りながら解決の糸口を見つけ、みらいをつくっていきたい。そんな思いをこめ「つくる・みらい」。感心ある方、いっしょに「みらい」を創りませんか?

01「つくる・みらい」の会の活動
・定期的に各務原市長と懇談会を持ちます。
ただし市長は超多忙なため日程調整が必要。
♪農業について(無農薬・生ごみを堆肥にし生活の循環を考える)♪子育て支援について♪教育、
福祉について♪環境・エネルギー問題について
♪まち作りについて、などなど。
「つくる・みらい」の会は、さまざまテーマで市長と懇話会をもち、提案や要望を一つでも実現していくために市民の有志が集う会です。
市長との懇談会は、テーマごとに関心のある
参加者で構成します。
・各務原市の市民なら誰でも参加できます。
・特定の宗教、政治団体とは一切関係ありません。

 

「つくる・みらい」の活動報告

01初回は10月2日、子育て真っ最中のお母さん達が浅野市長と初懇談会を持ちました。テーマは「農業」。かねてから、耕作放棄農地が気になっていた Kさん。「市内の放棄農地を市が借り上げ市民に開放し、[生ごみを堆肥にする循環型の自然農]の取り組みをしていただけませんか?」と提言。農政課の方々にもご出席いただいており、コンポストの助成金支給をはじめとし、市民農園の現状などの説明を受けました。最後に、このような会を定期的に持ちたいと要望し、2ヶ月に1回(要調整)開くことになりました。

第2回目は12月3日。今回のテーマは「福祉」。福祉といっても幅が広いので、・医療費のこと・ふれあいバス・障がい者アート展で気づいたことなど、項目別に質問や要望を織り交ぜ懇談会を持つことができました。

医療について:現在、各務原市は中学生までが医療費無料となっています。が、そのせいか、小児科や耳鼻科などはいつも超満員。(季節柄もありますが)無料のメリット・デメリットをあげながら、人が持つ本来の治癒能力を高め、予病、未病への取り組みについて意見交換をしました。ふれあいバス:各エリアで意見交換会が展開されており、便数が多くなることを期待したい。障がい者アート展について:障がいのある人の特性をよく理解するため、障がい者アート展はとてもよかった。ただ、作品が少なかった気がしたので、来年はさらに見応えのある展覧会にしてほしい。などなど。市長と意見交換するのは初めて、という若いお母さんは「とてもいい経験になりました」と話していました。次回は2014年2月の予定です。

01

興味のある人は、「つくる・みらい」の会   まとめ役   各務(090-3568-0174)まで。
次回の市長との懇話会の日程が決まり次第連絡をさせていただきます。


話題にしよう「けんぽう」のこと

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おすすめBOOK

01『今だから、日本国憲法』
地湧社 盛 泰寛 編・松尾弌之 解説

人類普遍の理想が主張されている日本国憲法。その精神にもとづいて、重要テーマごとにストーリー性をもたせるよう条文を組み替えたら、散文のような読みやすさが生まれた。改憲論をはじめ、憲法論議が続く一方で、私たちの生活実感からますます遠ざかっていく憲法。いま改めて普通の人たちが自らの判断と行動の基準を憲法に求めようとするとき、身近に学ぶためのテキストとして最適。

 

 

 

 

日本国憲法第2章 戦争放棄の条文。バッグに、携帯ストラップに、さりげなく人目につくよう身につけて!

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先着10名様限り!お早めに!  申し込みは「にらめっこ」編集部まで!

 


ぎむきょーるーむ「小中学生の叱り方あああ」

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● 余裕があるとき、ないとき(息子16歳)
自分に余裕があるときはまず子どもの気持ちを受け止めてから叱るようにしていますが、余裕がないとキーッとなって、感情のままに叱ってしまいます。●つい、ねちねちと(娘12歳・6歳・歳)
最初に大声でいって、あとはネチネチ理由を聞く(反省)。●過激かも(娘13歳・12歳)
どなる、避難する、げんこつ。パンチ。外に出す…。怒らないで、叱ることができたらいいです。

●冷静に叱るとイヤミ?(息子16歳)
思春期には、冷静に叱るとイヤミに聞こえるらしい。「電車に遅れそう」などと、前もって叱ってしまい、タイミングをはずしてしまうことが多い。

● 同時に叱らない(息子6歳)
父親と母親、同時に叱らないように気をつけています。● 感情的になりたくないけど(息子10歳、娘8歳)
感情的にならないよう、しつこくならないようにしたいが、結局、感情的にしつこく怒っている。● 子どもの人格は傷つけない(息子11歳・8歳)
これ以上いってはいけないという一線は守るようにしています。子どもの人格を傷つけるかもしれない言葉とかはいわない。
●過去を蒸し返さない(娘12歳、息子11歳・8歳)エスカレートして、過去のことを掘り返して叱らないようにしています。

●くらべないで叱る(息子6歳、娘4歳)

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● どんなとき、叱られる? (娘12歳双子)
こどもに「どんなとき、叱られてると思う?」と聞いたら「お母さんがしんどいとき」といわれました。

01● 知人にすべて筒抜け?(息子8歳・1歳)
約束の時間までに帰ってこなかったので、玄関の鍵を閉めておいた(ふだんは鍵をかけていない)。インターホンで「開けて?」といったが謝らなかったので、インターホン越しに思いっきりクドクドと叱った。そうしたらたまたま知り合いの人が通りかかっていて、全部聞かれていた(恥)。

● これは大変!(息子7歳、娘2歳)
息子が娘(2歳)に自分のおちんちんを触られているのに、そのままにしていた。娘はただの興味で触っているのに、息子がニヤけていたので、「これは大変!」とその場で叱ってしまいました。もっと穏やかに注意するべきだと反省しました。のちの性教育に影響しないかと心配になりました。

なにを守ろうとしていますか?  大学教員 桜井知恵子

叱る理由って
日本の場合、小学校高学年の親は次のようなことで子どもを叱っている。
① 家のお金を持ち出して買い食い ② 塾やけいこ事をさぼった ③ 12時頃まで起きていてテレビを見ていた ④ 机や部屋を何日もちらかしたまま⑤ レストランで大声を出してふざけた ⑥ 明日テストなのに勉強しない 日本では、子どもが言うことを聞かなかったり、行儀の悪いことをしたり、いつまでも機嫌を直さなかったりする行動に対して頻繁に叱るようだ。しかし、生活自立が不十分だったり、調べ物などで本が使いこなせなくても叱ることは少ないという。
日本では「いうことをきく子がよい子」、米国ではたとえば「他者に対して自己を主張し対等に渡りあってゆける子がよい子」とされていて、文化による違いも大きいのだ。

親はなににこだわっているか

01 毎日いっしょにくらす親子。親がリーダーシップをとっているので、子どもはせかされたり、押しつけられたりする。そうしなくちゃ生活が回らないから、子どもには気の毒だけれどしょうがない。常識に生きる大人と、自由が基本の子ども。だから、ぶつかりあいはあたりまえで、その場面に「叱る」が登場する。
問題は叱り方より、なにを守るために叱っているのかということだ。キレイ好きな人は「かたづけなさい!」を連発するだろうし、ちらかっていても気にならない人は、そこでは叱らない。でも、テストの成績に関しては厳しいかもしれない。つまり、子どもを叱るとは、親がなににこだわっているかということ。
親は自分を観察し、それを知ってほしい。「私は子どもをどうしたいのか、自分はどう生きたいのか。それが、相手にとってはどうなのか」が、そのつど問われる。
あなたは、子どもとのくらしでなにを守ろうとしていますか?そこに目を向けて、叱るということを、親それぞれが自分の生き方を考える絶好のチャンスとしてほしい。


中高生・平和を語る

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11月15日(金)に大垣で『激動、シリアの今』という大垣出身のフォトジャーナリスト久保田弘信さんのお話を聞きました。お話を聞いた中で印象に残ったことを少しずつピックアップしてお話したいと思います。
まずは自由シリア軍の勢力下にある地域の病院でのことです。毎日毎日たくさんの怪我人がはこばれてきて、ドクターは休む暇もありません。また、傷口を洗うきれいな水が足りてません。輸血のために必要な血も足りてません。ドクターは自分の血を取り、輸血に使います。骨を固定するメタルもありません。その辺に落ちている鉄を削って使っている、そんな状況なのです。

01国外に逃れた人たちは難民キャンプの中に住んでいるのですが、その中にも貧富の差があります。さらに、難民キャンプにも入れず、苦しい中生活している人がたくさんいます。
毎日毎日、お墓がたくさん増えていく、そんな状況。みなさんはそんな状況が想像つきますか?私はつきません。また、皆さんはこんなことが世界で起こっていることを知っていましたか?私は知りませんでした。

久保田さんがある一枚の写真をみせてくださいました。私はその写真をみて、家族で避難するのかな?と思いました。そしたら、ちがいました。その家族は「トルコに避難したけれど、トルコでは食べていけない」と言って、危険なシリアに帰るところだというのです。「この写真をみた人たちは99%避難すると思うでしょう。」と久保田さんがいいました。私もその1人です。シリアからトルコに避難するところだと言う説明でこの写真を使いたいという雑誌の編集者の提案に、みんなに嘘はつきたくない、この写真にはもっと深刻な事情があることを伝えなくてはという思いでその写真を使うことを断ったそうです。

01私が話を聞いている中ですごく心に残った言葉がありました。それは、シリアのドクターがいった言葉です。「頼むから、薬ではなく武器(身を守るため)をくれ。」私はこの言葉をきいてとても悲しくなりました。皆さんはどう思いますか?私が率直に思ったのはただ1つでした。「こんな世界でいいのかな?私たちは何をやっているのだろう」私ひとりでは何もできません。これは、日本中、いや世界中で考えなければならないことだと思いました。シリアだけではなく、困っている人たちはたくさんいるはずです。その人たちのためにも、考えなければならないことがたくさんあると、私は思いました。

最後に久保田さんがこのようなことをいいました。「他人事ではない。内戦を止めるために僕たちは向かっていかなきゃいけない。内戦を止められるのが日本人だ。僕たちは一人ひとりがシリアに対する思いをしっかり持たなければならない。」一人ひとりがちゃんと考えれば、いつか平和な世界になるはず!
そう私は信じます。


新米Nurseものがたり-(Vol.19)

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メキシコ人のおばちゃん

この人はハンティントン病っていう病気で、症状が進んだ今はほとんど自分で何もできない。自分ではコントロールできない筋肉の動きのせいで、ときどきベッドの上で飛び跳ねたりもする。
手も足もクビも口もすべての筋肉がそうで、見ていてもいたたまれない。表情もひきつってるようにみえるけど、笑うとちゃんとわかるし、怒ってるのもわかる。まだかろうじてしゃべれるし、スペイン語しかしゃべれんけど、簡単な単語ならまだ聞き取れる。

このおばさんには、娘さんが5人いて、2人はアメリカにいる。ふつうに生活してて子どもも育て、それなのに病気のせいでだんだんといろんなことができなくなって、ひきつる筋肉のせいで思うように体が動かない。すごいストレスやろうなと思う。

ある日うちがうけもったとき14時間一回もおしっこしなくって困った。ふつう8時間おしっこしないとなると、ドクターに連絡して膀胱がダメージうけないよう、いろいろ手当てをするんやけど、この人の場合とにかく意志疎通も難しいし、水分飲むにも思うように飲めないし、とにかくどうしようかとドクターも困った。
彼女は前の日までおむつで用を足してたから、うちもみんなも、膀胱を自分でコントロールできないんやとばっかり思ってた。だからどうして尿がでてこないんやと、脱水症状なのか、何らかの原因で尿が膀胱にたまったままでてこないのか、膀胱炎おこしちゃったのか。。。となんやらかんやらと考えた。
そのうちドクターが、じゃあFoley catheter(膀胱に挿入するチューブ)を試してみますって、そのFoley catheter のキットをもって患者さんの前にいったら、もうあばれて暴れて叫びまくって、彼女のできる限りの抵抗をした。涙も流してた。足ももう少しで他のナースの顔蹴るくらいやった。それで、これは違う。きっと彼女は拒否してるから、やめましょうっていって、あきらめた。

ふと、患者さんにうちのつたないスペイン語できいてみたら、トイレって何回もいうから、じゃあベッドパン(ベッドの上で尿をたせるような容器)を試してみようと思って、容器をもってった。そしたら、容器をおしりの下に入れた途端に、すっごい勢いでおしっこした。 あ! この人めっちゃ我慢しとったんや・・・ 膀胱のコントロールちゃんとできるんや・・・って気づいた。なんでそのこと考えなかったんやろう、思い込みでみんながみんなIncontinentやと思いこんどった。この人、本当はいろんなことまだできるんや・・・そんときは本当にごめんなさいって反省したし、なんで最初から患者さんにふつうの人のようにベッドパンをオファーしてあげられんかったんやろうって自分が恥ずかしくなった。

それから数日たって、今度はがんとして食べなくなった。
何をもっていっても拒否して、食べなかったし飲まなかった。
それでうちは心配になって、何が好きか何が食べたいかこれまた赤ちゃん言葉のようなスペイン語できいてみたら、メロンっていった。それからフルーツっていった。。。気がした。それで次に働く日にメロンを細かく切って持って行ったんや。そしたらそれまで3日も4日もほとんど飲まず食わずやったのに、いっきに全部たべて、そのあとは病院食も全部たべるようになった。あぁ、新鮮なフルーツや野菜が食べたかったんやなぁ。。。

そのあとまたメロンをいっぱい持って行って、バナナも持って行った。この人すごい勢いでおいしそうに食べたよ。

コミュニケーションもろくにとれずに、自分の体をコントロールできずに、自分の意志とはまったく違った動きをしてしまう筋肉と、一日中ベッドの上で過ごす毎日は、どんなものやろう。そして時がたつにつれて、症状は悪化する。
彼女はそのうち自分で食べられなくなる。そうやって死んでいくんやなぁ。そう思うといたたまれない。

でも、うちはこの患者さんが大好き。

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知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa

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01私の名前は「村長」です。今年3歳になりました。相棒に「助役」って子がいたんだけど、脱走して行方不明…。きっと今頃誰かにかわいがってもらっていると信じてる。番犬(?)という名目でわたしは引き取られたの。ここは山あり川ありで本当に居心地がいいんだけど、夏はマムシやダニがいるから、用心深く行動してます。でも私、マムシやヘビを発見する得意技で、大好きな飼い主(これから会長と呼びます)さんに褒められます。会長は自然をこよなく愛する人です。53歳で会社を引退し、事業を息子さんにまかせ、自分のやりたいことを実行にうつした人です。これからは社会に恩返しするんだって。人の為になることをしたい!って。それが、小瀬げんき村の開村だった。荒れた山や河川敷を整備し、見晴らしを良くして、掘っ建て小屋を建てた。それだけに留まらず、炭焼き窯、くど、ピザを焼く窯まで造っちゃった。

会長は高山生まれで山育ちです。だから「自然から学ぶことが生きる力になる」ってことが身にしみている。人工物に囲まれた生活はもう嫌なんだって。だから、ここを「田舎の在所」みたいな居場所にしたかったみたい。遊びにきてくれる子ども達のために、最初は遊具を作ったりしたみたいだけど、これだけ自然がいっぱいあるんだから、自発的に遊べる方がいいと思って全部取り払ってしまったの。ここに来る子ども達は果敢に山に入っていくし、夏なんかは川にどぼーん!って泳いだり、魚を捕まえたりする。会長は目を細めて見守っています。

01くどってわかる?薪でご飯を炊くの。「はじめちょろちょろなかぱっぱ」火加減、水加減、手加減…昔は炊飯器なんてなかったから、かまど炊きだったんだよね。今IHなんかがはやってるけど、災害時にライフラインが途絶えたらお手上げだしね。裏山の堅木を切って(間伐)干して薪にして、炭にして、それらを使って煮炊きして、灰になったら土に帰して…。自然物を循環させながら生活することをとっても大事にしているの。そうすると、生きとし生けるものすべてに感謝の気持が自然に胸の内にわいてくるって。

げんき村は、会長がいつも話している三つの幸せのうち「あげる幸せ」をカタチにしたものかなぁ?三つの幸せって言うのは、「もらう幸せ」(生まれて命をもらい、育ててもらう、食べさせてもらうなど)「できる幸せ」(社会人として家族ができる、仕事ができる、自分を活かす事ができるなど)
「あげる幸せ」(人として、社会の恩恵を受けて年を重ねてこられた。その恩返し)( )内は私が会長から常に聞いている話を言葉にしてみました。そんな会長とともに過ごす日々。とてもしあわせな村長です!

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楽観バイアスとは?
楽観バイアスとは「都合の悪い事態は見ない、考えない」こと。災害や事故は他人に起こっても自分の身に降りかかる確率は少ない、と考える傾向のこと。「自分だけは大丈夫」と思い込む楽観的な歪んだ考え方のことです。人は自分の死を想像できないようになっているそうです。そうでないと何をするにも警戒心を抱き、常に緊張状態になりまともに生活できなくなるので、そのような精神衛生を保つ機能が付いてるらしい
▼誤った安心感なのだが、人の精神的健康を保つ上ではプラス。一方、災害への備えを抑制してしまうことにもなり、防災にはマイナスの心理。

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この世に生まれたからには、避けては通れない「死」。なのに話題にしにくいのはなぜか?今生きているのに死を考えるなんて悲観的…そう思っている方は圧倒的に多い。そこで「死」が心理的ストレスにならない考え方や、楽観バイアスを知り、参加者とコミュニケーションをとりながら、最終的に全員の考えをシェアします。

アクティバオリジナル生前準備ノート
『ゼロの昇天』の書き込みレクチャーもありますよ。

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Report平和のつどい「日本国憲法は真昼に輝く星」

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鼓笛隊、子どもたちのユニフォームかわいかったね。でも、軍服じゃん。(笑)

ここ二日ほど私はとても憂鬱だった。それはなぜか、山本太郎さんが園遊会の時に天皇陛下に手紙を渡して大騒ぎになりました。これは大変な罪です。太郎さんは「どうしても伝えたかった。純粋な思いだから、やっていいんだ」と、ということをにおわせています。それでは、テロを許すことにつながります。純粋な思いだったら何をやってもいいのか。心さえ良ければいいのか。ダメでしょう!
山本さんは67万人分の主権者の権力を持って働かなきゃならない。なのに、権力を持たない天皇にお願いすることは憲法を解っていない証拠。山本太郎議員に不敬罪を問うと騒いでいる自民党、維新の会も憲法を解っていない。

今日は憲法のお話しということですが、あえて天皇のことを話そうと思います。怒られるのを覚悟のうえ01で、「天皇制がなくならなければ」という声に対して正直言って私はわからないです。かといって尊崇する?それもわからない…。
平和憲法は根付いてきた。山本さんは天皇に力を貸してと手紙を渡したというが、天皇にそのような力はありません。精神的レベルで、国民を激励したり、ねぎらったりしている。東日本大震災以降、東北3県で寒い中、本当によく訪問されています。
平成17年の歌会始に
戦なき世を歩みきて思ひ出づかの難き日を生きし人々
と天皇は詠んだ。皇族達が詠む歌はロマンチックな歌が多いのですが、天皇はとても抽象的。
「天皇は戦争がお嫌いなんだよね」とおばあさんの感想でした。おばあさんおじいさん達は天皇ダイスキ、戦争ダイキライなんですよ。それが今めちゃくちゃ危うい。
今年、皇后の誕生日に、皇后さまにとってのこの1年、印象に残った出来事やご感想をお聞かせ下さい。という質問に対して、

「5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」(一部省略)

…五日市憲法を世界文化遺産だと仰っているんです。もし皇后の誕生日以前に、山本さんが天皇に手紙を渡していたら、皇后のこのようなスピーチはなかっただろう。この社会を本気で直したいと思っているんなら、主権者である山本さん、自分でやるべきでしょう。天皇に直訴はNGです。

01

ここに「日本国憲法改正草案」(現行憲法対照) 2012年4月27日(決定)という小冊子があります。孫子の代まで自民党をバカにするために一家に一冊用意していただきたい。(笑い)
憲法を変えた国は確かにあるが、どう変えたかが問題。どの国も、憲法を変えにくく変えている。日本の場合96条を変えようとしています。各議院の総議員の2/3以上の賛成…これを1/2に?!論外です。憲法の変え方は、悪い方向(国の都合のいいように)にしてはいけないのです。たとえば、人権を拡げる改憲はOKだけど狭める方向はNG。
憲法の第3章「人権」これはとても大事!!自民党草案は、以下に示すように主権在民ではなくなっています!
現行憲法:公共の福祉に反しない限り…公共の福祉=あなたの自由はどこで生まれる??あなたの自由は私の自由が始まるところで終わります。つまり個人の人権を制限する根拠は、別の個人の人権保障にあるのです。
改正草案:公の秩序、公益に反しない限り…これはヨコの関係じゃない。まったく上から目線ですね。(編集部より:憲法の話しと現行憲法対照はP-19にも掲載してあります)
ダグラス・ラミスさんの『憲法は政府に対する命令である』この英語文を読むと面白いですよ。
We Japanese People …と始まるんです。私たち日本国民は、って誰が主語かはっきりしている。自民党の改正草案は、つねに日本国は…ではじまる。これは憲法ではない。国が国民を守ってやる?家庭を大切にしろ?よけいなお世話だって、そう思いませんか?今やるべき事は憲法改正よりも、まずは原発事故の収拾に全力を注ぐべきでしょう。
政治家に憲法を変えられる前になんとしても守らないと!!
人権を制限するような改憲はあり得ません、これは廃憲です。

「ふるさと」という歌、いいですね。でも3番の歌詞
♪志(こころざし)を果たして?♪の「て」を「に」に変えましょうよ。

01♪いつの日にか帰らん♪
♪山はあおきふるさと♪
♪水は清きふるさと♪

「君が代」も「民が代」がいいですね。
「きみがよ」の「き」を「た」に変えましょう。
主権在民ですから。私、一字替えダイスキなんですよ。
(文責・にらめっこ)

 

 

 


カタコトの部屋   自然派ママたちの座談会「おやつをつくろう!」

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おやつの工夫あれこれ

Rさん うちは幼稚園から帰って来た時に、今日は何を作ってくれたの!?って楽しみ に帰ってくるので、作ることも多いです。でも、子どもがラムネ菓子が大好きなので、 作り方を調べてみたら、も?う!私には無理!って思って(笑)。私は基本的に混ぜて 焼くだけとか、簡単なものは作りますけど、それ以外は市販です。買うのも本人の楽 しみの一つになっているし、いいかなって思ってます。
Sさん  上の子が生まれた時から卵アレルギーだったので、それがきっかけで動物性の ものをあまり入れないおやつを作るようになりました。でも、それがなかったら多分 普通の物を買っていたと思います。
Tさん うちは朝「これを作っておくからね」というとすんなり保育園に行くから(笑) 作っています。マクロビを始めてみたら、お菓子作りでも泡立てとかがないのですご く簡単なんですよ。材料を混ぜて、オーブンに入れて焼くだけとか。最近この子に手 がかからなくなって来たというのもあって、おやつは時間がある時やごはんのついで に作ったり、何もないときは芋をふかしておいたりしています。子どもも、そういう おやつを食べていたら、最近はイベントなんかでお菓子の詰め合わせをもらっても、  そのときはわーい!って喜ぶんだけど、一口食べて「もういい」みたいな感じで。あ あやっ ぱりそういうふうに舌ができてるのかな、ってちょっと嬉しく思ってます。

01Aさん うちの子はイベントのお菓子を心待ちにしている(笑)。でも、 スナック菓子と かたくさん食べた後は、唇がまっかっかになって、 腸の調子が悪くなったり、体が痒くなったりとか下痢したりする のね。お菓子も作るけど、おにぎりもおやつに時々作るよ。「はーい、 おにぎり作ったから食べて」って出すと、すごい勢いで食べちゃう。
Aさん 家でにぎったおにぎりっておいしいよねぇ。
Rさん この間「おかゆパン」を幼稚園で教えてもらって作りました。余っ たさつまいもご飯をおかゆにして、そこに小麦粉とお水入れて焼くだけ。さつま芋も 入ってて、子どももおいしいってパクパク食べましたよ。

おやつの甘みについて

Kさん 私は、以前はおやつを作っていたんですけど、面倒だし、この季節はよくもら うから、果物やお芋が多いです。市販の物を買う時は、白砂糖が入ってないならOK。 材料の表示を見て、「砂糖」って書いてあったら白って思う。てんさい糖だったら絶対 てんさい糖って書くよね。
Tさん 私自身が、どんないい砂糖でも摂りすぎると頭が痛くなるんです。りんごのケー キを焼く時でも、りんごとレーズンだけでも十分甘いから砂糖は入れないの。それで 慣れてくると市販の物は甘すぎて、だんだん頭が痛くなってきちゃう。だからどんな いいお砂糖でもとり過ぎは良くないのかな、って。
Rさん 子どもにも甘いものはあまり食べさせないですか?
Tさん 市販のおやつだったら醤油や塩だけのせんべいとか。やっぱり内部からの刺激 はちょっと気をつけたいから。でも、子どもも友だち関係とかあるから、あまり神経 質にならずに、せめて家の中では減らそうかな、という程度です。
Aさん 私もてん菜糖より黒砂糖の方が好きだし、砂糖にもいろいろあるからその時の 気分で使っているけれど、基本甘いお菓子っていうのはあまり作 らないなぁ。りんご煮ただけっていうのでも甘くなるもんね。
Sさん 砂糖については、人それぞれ言う事が違うんですよね。 メイプルシロップならいいような気がしていたけど、メイ プルは外国産で地産地消でないから良くないとか。砂糖は 全部ダメだという考え方もあれば、てん菜糖なら北海道産 で、寒いところで採れるから身体を温めるからいいとか。

01Aさん でも、てん菜糖は農薬を使うものも多いらしいよ。
Tさん 遺伝子組み換えの心配もあるし。
Aさん あと、ほうれん草と一緒でシュウ酸が強いとか聞くけど、考えてると食べるも のがなくなってくるんだよね。
Sさん きりがないよねぇ。
Aさん きりがないよ。
Rさん いろんな説があるけど、家族が喜んで食べてくれるならある程度摂る事はいい かなって思うんです。もちろん、なるべくいい砂糖を選ぶようにはして。
Kさん あれもダメ、これもダメって思いながら食べたくないよね。

駄菓子がいけないわけじゃないないけど・・・

Rさん 話は変わりますけど、お友達とおやつ食べる時はみなさんどうしてますか?う ちは幼稚園のお友達と急遽遊ぼう!となったとき、普段はこだわっているお母さんが 多いんだけど、急に決まるとみんなで食べるようなおやつがないから、そのへんで買 う事になりがちで。
Tさん うちはそういう集まりのときのために、自然食品のお店でお菓子を買っておいて るの。みんながそれぞれ持ち寄るから、うちだけあまり気にしてもしょうがないんだけど。
Kさん でも、そういう身体にいいおやつがあることを知らない人もいるから、持って 行く事で知らせることになるし、いいよね。

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暮らし上手 -住「持続可能な暮らし方とは」

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01有機農業、ローカルな暮らし、ペースダウンした生活、多様性を大切にしたエコロジカルで持続可能な生き方は、少なからぬ数の人々が何年も前から言い続けてきたこと。機械化され、時間に追われ、競争が余儀なくされる社会では、大量生産による単一文化を企業がコントロールしています。工業文明とは、エコロジー的に持続不可能な社会の姿なのです。
複雑になりすぎた社会をもっとシンプルに、大きくなりすぎた人間のエゴを持続可能な大きさに戻していきましょう。

社会コストの視点で見る 「食とくらい」に対して「環境」を見る場合

社会コストとは私たちが知らない間に払われている、社会全体が負担する、社会がうまくいくために必要な費用のことです。私たちはいつも生活する上で結局なんらかの形でこの社会コストを負担しています。
食べ残しも実は大きな負担で、多い時は半分くらいがゴミになってしまう。またゴミの分別を面倒だと無分別に出すと、回収後の分別コストが大きく膨らんでしまうのですが、それは全て行政負担となり税金が使われます。

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変化を恐れることなく、自身とユーモアと感謝の気持ちを持って日々暮らしていきませんか。  (食と位の環境経済学より)

かつては「今の人間が地球を荒らすと未来の自分の子孫が酷い目に遭う」という感じでしたが、現在では「今日の私が地球を荒らすと近い将来の自分が酷い目に遭う」というように自分自身の問題になってきています。これは、環境容量に対して人間の影響度はかなり大きく過剰になってきたため、影響が出るタイムラグが短くなってきたからでもあります。

持続可能とは…地球の再生産の力の中で最大の恩恵を受けて利用して生きていくことだと思います。
そのためには、少ない資源で最大限の恩恵を長期に受けられるようにする技術も必要でしょう。現在少なくとも世の中はそのような流れになり始めていると思います。昔は自動車はパワーがあるほど性能がいい、ガソリンの使用量がどれだけでもいいというところでしたが、現在はいかに燃費がいいか、いかに限られたガソリン使用量の中で最高の性能を引き出せるかということが、技術進歩の目標になってきています。

具体的な取り組み  (地球レポートより)

「持続可能な社会」とは、2050年には90億人になるといわれる世界の全ての人が、「生活の質」を向上(もしくは維持)しながら、それでいて地球上の有限の資源を賢く循環させている社会のことです。

ストックホルムの南東にある美しい水辺の街、ハンマビー・ショースタッド臨海地区。
「持続可能」というコンセプトに徹底的にこだわり、環境負荷を1990年代の中ごろの半分にすることを目標にしています。
その目標に基づいて、土地利用、交通、建材、エネルギー、水と汚泥、ゴミ等について、それぞれに明確なゴールを数多く定めています。

01たとえば、ほんの少しだけ例をあげると、土地の利用では「春と秋に少なくとも4-5時間の日照がある中庭スペースを15%以上確保する」、交通手段では「80%の住民が公共交通もしくは徒歩、自転車での移動をする」、エネルギー利用では「全ての暖房は、余熱もしくは再生可能エネルギーを利用する」、水に関しては「1日、ひとり100リットルの削減」、ゴミに関しては「80%の食品廃棄物を肥料、もしくはバイオエネルギーのために提供」……などなど、どれも具体的で、しかも野心的な目標ばかりです。

エネルギは都市に眠っている

01都市人口が増えれば(生ゴミやトイレの数が増えるほど!?)、バイオガスの原料も増えるというわけです。また、バイオガスの組成は天然ガスと同じくほとんどがメタンですから、純度を高くすれば、すでにある天然ガスのインフラを全て使うことができます。実際ヨーロッパでは天然ガス網上に200以上のガス補給所があり、550万台のガス車が走っています。このインフラを使ってバイオガス車を増やしていくことが可能なのです。

ここでは、その処理の過程でメタンガスを取り出し、バイオガスを作っています。つまり、下水処理場であると同時にエネルギー会社でもあるのです。作られたバイオガスは家庭で使うガスとして供給される他、ストックホルム市内を走るバスなどの公共交通の燃料として使われています。日本でも家庭から出る年間の生ゴミの量は1000万トンにもなります。そのほとんどが、燃えるゴミとして出されて焼却されているわけで、これはもったいないですよね。バイオガスの資源だと考えれば、生ゴミの見方も変わります。

持続可能な未来を選択する

「◎◎しなければならない」というルールではなく、「持続可能な社会」を目指すための多用な選択肢が用意されている、というのがスウェーデンの印象です。つまり、スウェーデンの人々は誰かから強制されて義務感で持続可能な社会を目指しているのではなく、主体的に未来を選び取っている感覚があります。

 


暮らし上手 -医・食「デトックスで体内浄化」

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さまざまな不調には「毒」大きく関係している!

01基本のデトックス
① 朝食前とお休み前に、コップ1杯の水を飲んで、腸を動かす。
② 食材の選び方と食べ方で、デトックスの基礎をかためる。
・よくかむ・やさいは流水でよく洗う・肉や魚はいったん湯通しする。
・薬味をたっぷりとる・デトックス食材をたくさんとる。
③深い呼吸で、体と脳にたまった毒を追い出す。
④汗腺やリンパ腺を刺激して全身から
毒を溶かし出す。

01

ガーリックオイル:炒めもの、サラダ、あえもの、活躍度NO.1
・にんにく…3?4個(粗みじん切り)・オリーブオイル…1カップ・塩…小さじ1と1/2
◆ 煮沸した瓶に材料を入れ静かに混ぜ合わせる。密閉して保存。オイルが少なくなったらつぎ足して。
オニオンビネガー:ドレッシングやマリネ、刺身などの付け合わせにピッタリ
・玉ねぎ…大1個(皮をむき薄くスライス)・酢(玄米酢などお好みで)…300ml
◆ 煮沸した瓶に材料を入れて混ぜ最低1日はおく。
ハーブオイル:パスタ、肉や魚のソースに、トーストにかけても美味
・ハーブ(バジル、パセリ、セルフィーユ、タイムなど)…合わせて100g・にんにく…1かけ・塩…小さじ1/オリーブオイル…1カップ
◆ ハーブはよく洗い水気をしっかり拭き取る。ハーブとにんにくは粗みじん切り。煮沸した瓶にハーブと塩を入れ、上からオリーブオイルを注ぐ。菜箸でかき混ぜ全体になじませる。

どうすれば毒を体から出すことができる?

特定の毒には特定の成分が「ひっつき虫」(キレート成分)のように働くことがわかってきました。毒を捕まえ動かなくする、そして出す。体外へスムーズに出すためには、水や食物繊維、運動やマッサージなどが効果的。体の「出口」をいつもスルーな状態に!
毒の出口である排泄物の代表選手は、尿と便。汗も、尿とは別の毒を排泄してくれる大切な出口。お風呂や運動などで代謝を良くして、いい汗がかけるよう気を配りましょう!

髪の毛で毒の汚染度が一目瞭然!

01髪の毛は、体の状態を記録した履歴書と同じ
毛髪には血液中のミネラル成分がつねに排出されています。尿や便、汗や爪なども排出物ですが、尿や便はサイクルが短すぎて『たまり具合」がつかめません。その点、ゆっくりと排出される(伸びていく)髪や爪、とくに髪の毛がチェックしやすい。毛髪検査は電話やインターネットで簡単に申し込めます。

メディカルブレイン03-5537-6019


I’m Challenger 画家・吉野 公賀さん

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僕のたからもの

僕は子どもの頃に野球をやっていたのですが、当時の監督やコーチからいただいた言葉が宝物となって、今でも僕を支えてくれています。監督からは「やれば出来る!100%の結果より100%の努力!」、「『夢』を見ろ!『夢』を追え!そして最後に『夢』をつかめ!」。
コーチからは「努力に勝る天才はなし」。
夢は見るだけでもわくわくするし、それがモチベーションにもなる。そして夢をつかむために努力する、それ自体が素晴らしいことですよね。
僕の仕事というのはある意味、夢を語るというか、そこが最も大事な部分だと思うんです。叶う叶わないという前に、まず夢を持つということが大切だと思うんです。

直感力を信じる

01建築士を目指して就職した1年目、23歳のときです。緑内障という病気で、右眼の視力が失われていきました。そのとき瞬間的に思ったのが「絵を描きたい!」ということ。同時に「できそうだ」という直感も閃きました。
それまで建築の勉強はしていても、絵の勉強は全然していませんから、技術はもちろん、やり方も分からないし、人脈も何もないんですけど、なんかできそうな気がした。とにかく美しい絵が描きたいというだけで、画材屋さんに行きました。お店の人に「絵が描きたいので道具を買いにきました」と言うと、「じゃあキャンバスがいるよね」「筆もいるね」「何で描くの?きれいな色だったらアクリル絵の具というのがあるよ」と教えてもらいました。
そうやって絵を描いていこうと決めた頃、ふと入った雑貨屋さんで一枚のポストカードが目に留まりました。そこには夏目漱石の「草枕」(*註1)という小説の冒頭の部分が書かれていました。暗唱できるほど、何回も何回も読んで、僕の心の中にずっと残る言葉となりました。
今って暗いニュースがたくさん流れている、住みにくい世の中ですよね。「草枕」は100年以上前に書かれた本ですが、その当時は日露戦争がある頃なので、もしかしたら、今よりもっと住みにくい世の中だったかもしれません。これからも住みにくいと思う事は多いでしょう。だからこそ自分が描いた絵が、人の心を豊かにするとか、観た人の心を癒すとか、ちょっとでも生まれてきて良かったなとか、そういうことを感じられる時間をつくっていくことができたらいいな、と思うんです。
絵に限らずアート全般そうなんですけど、一見世の中になくても生きていけるように思われがちです。でもそれが存在するのは、やはり人間が生きていくうえで必要だからじゃないでしょうか。人の想いがあって、それを何かしら形にしたものが絵であったり詩であったり音楽であったりするのだと思うんです。

自分は自分

01 絵を描き始めてからも決して順調ばかりとは言えませんでした。自分のやっていることがうまくいかなくて悩んだときもあります。そういうとき、自分の親がどんな人生を歩いてきたか、自分がどう生まれてきたのか、気になり始めました。
おじいちゃんが戦争で命からがら帰ってきたこと、父と母の生い立ちや出会いなど、僕が生まれる前の家族の歴史を知ったとき、それまで当たり前のように感じていた自分の命が、実はとてもありがたいことなんだと気付きました。奇跡の連続だったんじゃないかと思うくらいそれは衝撃的だったのですが、同時に、妙に落ち着いた気持ちになって、「ああ、自分は自分でしかないから、他人の人生を歩めるわけではない」と思えてきたんです。
それまでは、同じ世代の作家がチャンスをつかんで出世していくのを見て、「なぜ自分はああいうふうにできないんだろう」と思っていた。でもそれは、他人の人生を歩もうとしていることなんだと気付かされたんです。
子どものころ、毎週野球の練習場まで送迎してくれたのは父でした。両親が一生懸命応援してくれたおかげで野球を続けていくことができました。自分一人が頑張っているんじゃないし、頑張れるのも周りの人がいて、そういう環境があったからなんですね。

リセット・出会い・覚悟

2年前の34歳のときには、10年くらい画家として築いてきたものを捨てた時期がありました。自分なりに一生懸命頑張っていたんですけど、うまくいかないことが続いて自分らしさを失い、絵をだんだん嫌いになっていくということがありました。たぶん常に上を上を目指してやってきたので、必要以上に背伸びをしていたんでしょうね。その疲れがもう許容できないくらい溜まってしまった。
それで、「もういい!今までやってきたけど、これから先はリセットして一からやり直そう」「これが最後になってもいい!」そういう気持ちで個展を開催しました。
不思議なことに、その気持ちが新たな出会いを生みました。
横浜の画廊さんが目を留めてくれたんです。そのときは、自分がこんな気持ちでやっていても相手に迷惑をかけることになりかねないし、正直、眼の病気のこともあったのですが、丁寧にお話をしていく中で「一緒にやっていきましょう」ということになり、今に至っています。
有難いことに絵を描き始めた頃から様々な方と出会い、応援していただいているのですが、そうした良縁の積み重ねのおかげで、今でも画家として活動を続けることができているんです。
振り返ると、節目節目に良い出会いに恵まれてきました。投げかけられた言葉や印象的な出来事は、そのどれもが僕の大切なものとして心に響いています。

 

 

0-にらめっこよしのとものり◆プロフィール

視覚障がい者としての壁を越えようとする画家として、各地で個展を開催。国内外での展覧会にて作品が買い上げられるなど、ファンやコレクターからの支持が順調に広がっている。現在、横浜元町の画廊 「フジムラコンテンポラリーアート」 の所属作家として、更なる飛躍を目指して活動中。

【作品テーマ】“人=樹 to 命” “光=希望”
人の命や人生そのものを樹木に例え、奥深い愛の力と、困難に立ち向かい希望へと辿り着く姿を描き続けている。
いつ失明するかわからないという恐怖の中、今見えるわずかな光の大切さを実感。今の吉野でなければ描けない絵のスタイルで表現の追及をしている。

 


記者雑感 From気仙沼-(Vol.9)

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01 話が古くて恐縮だが、あの妄言を、安倍首相は絶対に口にしてはいけなかった。東京五輪開催が決まったIOC総会でのことだ。「福島第一原発の汚染水はコントロールされている」。

総会には、昨年のロンドン五輪フェンシング団体で銀メダルを取った気仙沼市出身の千田健太選手が参加した。決定の朝、市内に住む家族に会いに行った。父親の健一さんも、フェンシングのオリンピアン。しかし、モスクワ五輪の代表だったため、競技場には立てなかった。
だから「国内開催は非常に喜ばしいが」と、現職の県立高校長でもある健一さんは語った。「安倍さんのスピーチを福島の人はどう聞いたでしょう。五輪より復興を、と願う人たちが反対運動をせず、じっと我慢したことを考えて欲しい」。
極めて真っ当な感覚だと思う。

01 その5日前、村井嘉浩・宮城県知事が気仙沼を訪れた。市中心部の防潮堤について、住民らと話し合うためだ。テレビカメラを退場させた後、「港町はムテイも実現可能です」。ムテイ?「ああ、無堤(堤防なし)か」と気づくのに数秒かかった。

次に、なぜ今頃、という思いに見舞われた。建設計画を出してから約2年。景観を損ねないよう低く作ることも、頑なに拒んだ。譲歩は一切なかった。だから住民と折り合いがつかず、中心部の復興が最も遅れている。無堤OK? じゃあ、これまでの時間は何?
住民も当然同じ疑問を、知事にぶつけた。「高さを変えないと言ってきたはずだ」「誤解を招く表現だった。(比較的頻度の高い津波を防ぐ)基準を変えない、という意味だった」。何じゃそりゃ。国の、自治体の、トップの発言が軽すぎる。

01 それから11日後。気仙沼から避難して仙台市で暮らす人たちの親睦会があった。約80人が出席。出身地区ごとに席を設けたので、そこらじゅうで再会を喜び合っていた。その後は、菅原茂市長との懇談会。
市長は、五輪が開かれる2020年までに、気仙沼でも変化があると説明。新病院ができる、大島との橋が架かる、などなど。持ち時間の40分はたちまち過ぎ、予定していた質疑応答は流れた。言いたいことをぶちまけて終わり、はよくない。言葉と時間、どちらも意識するのが政治家だろう。

間違っていれば指摘していただきたい。フォード元米大統領が「私はフォード(大衆車)であり、リンカーン(高級車)ではない」とスピーチして人気を取ろうとしたそうだ。面白くないが、それなりかな、と思える。気仙沼で聞く安倍首相や村井知事の言葉は、クスリとも笑えない。

 

現役新聞記者(宮城県・気仙沼在住)

私の居る事務所県住居は、1階の浸水のみですみましたが、3軒隣の警察署も、少し離れた小学校も解体です。節電といわずと、家の周辺は真っ暗。人がいないから…街灯もいらないわけで……これから、気仙沼で自分の視たまま感じたままをお届けします。


ぎむきょーるーむ・どうしたら身につく?自活の基本

01

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・将来家事のできる男でないと、お嫁さんが来ない かもしれないから。(息子10才)


・親の家事労働が減り、楽になるから。(娘19才・息子17・11才)


・いずれひとり暮らしをすると思うので、そのときに困らないように(娘16・13才)


・生きていく力をつけてほしい。(息子22才・娘20・10才)


・家族の一員としての意識をもち、生活するために家庭内の労働も必要であることをわかってほしい。 (息子10・7 才)


・手伝ってくれると助かるし、女の子は少しでも家事ができたほうがいいと思う。(息子14才・娘11才)


・汚部屋になってしまうのではないかと心配。(娘21才・息子17才)


・外食ばかりで栄養がかたより、健康に過ごせないのではないか。(娘9才)


・精神的なもの。親や家族に対して外であったイライラをぶつけたり、 機嫌が悪いときもあるので、ひとりでそれを解消していけるのか。(娘21才・息子19才)


・お金の管理が上手にできるか。(娘11才)


・火の元だけ注意してほしい。(娘17・15・13・9才)


・異性関係とか?(息子10才・娘5才)

 

まずは、こんなふうに始めてみませんか?  辰巳 渚

そうじ…かたづけとそうじは別のもの

かたづけとは、出したものを元にもどすことです。元にもどすためには、「元の状態」がはっきりしていなければ、もどせません。だから、子どもといっしょに「元の状態」をつくります。
1)使わないものを捨て、使うものだけ残す。
2)その量を定量とする。
3)ものの定位置を決める。

あとは、「出したらもどす」を習慣にすれば、毎日の生活で「かたずけ」という家事はなくなるはずです。まあ、そう簡単にはいかないからやっかいなのですが…
小さい部分をまかせる

私は、かたづけについては「自分の場所」から始めればいいけれど、そうじについては「みんなの場所」から始めるのがいいと考えています。
子どもにまかせるおすすめの場所
1,リビングのはたきかけ ぱたぱたとはたくはたきは、子どもが大好きな道具です。部屋の窓を開けるなど、大事な基礎も教えてください。
2, 玄関そうじ みんなが見る場所であり、小さく完結している場所なので、やりがいがあります。
3,お風呂そうじ 2と同じです。入った時に「きれいにできたね!」とほめられるのもいいですね。
4,窓の汚れふき 窓全体はたいへんですが、自分がつけた手のひらマークを濡れぞうきんできれいにするのは、楽しい作業です。

01洗濯…自分の手で洗う

子どもの日常で、自分で対処できるといい「洗濯」は、小さなものですね。食事をしていてケチャップが飛んだ。ちょっとだけパンツにおしっこがついてしまった。そんな小さな汚れを、自分の手で洗うことから教えましょう。
洗面器に水を張り、洋服のしみの周囲を濡らします。しみの部分をつまんでせっけんをつけて、両手の指先でゴシゴシ。あっというまに落ちるのが楽しいものです。そのあとは、しわをパンパンとたたいて伸ばすことも忘れずに。
また、洗濯機で洗いあがったものをいっしょに干すのも、おすすめです。シャツをハンガーにかけるときは裾のほうから入れる、下着はピンチに留めて人目に触れにくいところに干すなど、洗濯のルールを親子で確かめましょう。

食事づくり…料理は一区切りまで

包丁で切る、みそ汁のみそを溶く、卵を割って溶くなど、小さな仕事もいいですが、ある程度大きくなったら、その部分だけを遊び感覚でやるのでなく、ステップアップのチャンスです。野菜を切り終わったら、包丁やまな板を洗ってかたづけ、切った野菜をボウルに入れるまでが一区切り、と伝えたらどうでしょう。料理は、技術以前に手順や段取りの仕事というニュアンスも、少し伝わるかもしれません。

たつみ・なぎさ 生活哲学家・消費行動研究家・「家事塾」主催。マーケティングプランナー、子ども環境アドバイザーとしても活躍。「家を出る日のために」(理論社)他、著書多数。

ちょっと視点を変えてみる むしろ親はズボラでいい  毛利 子来

01毛利 そもそも、自分の好きなことに没頭する人は、見てくれや整理整頓なんてかまっていられない。坂本龍馬は鼻水たらしてたし(笑)、自分の意志や感情をしっかりもっている人は、概して不潔なんですよ。
?だったら親はズボラでかまわない?
毛利 むしろ親がズボラだと子どもがしっかりしますよ。「うちのお母ちゃん、すぐにものをなくしちゃうから、ボクがかたづけておこう」って。子どもがひとり立ちしていくためにはエネルギーが必要で、生きることに無我夢中になればなるほど、頭の中もやりたいことでちらかるし、家や身のまわりもちらかるもの。そんなゴチャゴチャした家の方が、子どもは元気に育つんですよ。
?自分もズボラなくせして、誰かがちらかすのは気に入らない。子どもに「かたづけなさい!」と、どなってしまいます。(汗)
毛利 「出したものはかたづけなさい」というお題目は、元の場所にもどす必要性を子どもが感じないのだから意味がない。自分の流儀でかたづけられるようになるまで放っておくのがいちばんですが、家族と共用の場をちらかされるのが困るなら、「こんなにちらかっていると、なにがどこにあるのかわからなくなるなあ」「お母さんかたづけるのしんどいわ?」などとお母さん自身の感想をいってみるのもいい。案外、子どもは「しかたないな、やるか」なんてかたづけはじめたりするもんです。まあたとえ汚ギャルに育っても、彼氏やダンナが助けてくれるかもしれないしね。ズボラでもどうにかなるよ!

(もうり・たねき 小児科医。お・は編集協力人。)


新米Nurseものがたり-(Vol.18) ホスピスのこと

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ホスピスのこと

昨日うけもったホスピスの患者さんは、朝から顔が真っ白で今にも意識がなくなりそうやった。前日の夜にクリティカルケアからホスピスに移った患者さんで、AAAという、おなかの動脈に動脈瘤ができて、それがはじけて体内で(おなかのなかで)出血してた。それでもとても意識がはっきりしてて、すべての認識が正確で、しかもすごい勢いでしゃべった。

でも朝いちばんのバイタルサインは、血圧が低すぎて測れなかった。脈は速かった。開口一番からものすごい勢いで、気分がよくない、医者をよべ、本物の医者をよべ、医者と話がしたい の一点張りやった。あんたとは話をしたくない!本物の医者をよべ!医者をよべ!本物の医者をよべ!正直やっかいな患者さんをうけもったなぁってそのときは思った。

体の痛みも訴えはじめて、息ができないと苦しそうにベッドで動くから、モルフィンをあげようとしたけど、それもすごい抵抗した。医者にきいてからにしろ、と命令口調で繰り返した。
痛みも呼吸の苦しさも、モルフィンで楽になるからやってみましょう、といっても聞いてくれない。
ベッドサイドに座ったり、メガネをとったりつけたり、とにかくすごい苦しそうに動き回るもんやから、こっちもベッドから転げ落ちないか、立ち上がろうとして転ばないか、冷や冷やした。そんなこんなでベッドのアラームもなりっぱなしで、午前中はずっと走り回ってた。
とりあえずどうにかしてモルフィンの点滴をつるしたところで、ホスピス担当のナースプラクティショナーとアテンディングドクターがきた。
アテンディングドクターが、患者さんの脈を診たあとに、「血圧低すぎるね」ってぼそっていった。
それから少しドクターは患者さんと会話をした。

そのあと、”I feel like dying, I feel like dying” ”I cannot breath” ” I can’t breath” って繰り返して、不安で不安で気が狂いそうになってる患者さんに、
「あなたの時はもうすぐきます。とても早くきます。」
右の肩をさすりながら目をまっすぐに見つめて言った。

患者さんは、「それはもうすぐ死ぬっていうことですか?今日死ぬっていうことですか?」って聞きかえした。ドクターの目をまっすぐに見返して。

「はい、そうです。もうすぐその時がやってきます。」ってドクターはもう一回言った。
そのとたん、患者さんの表情がすーっと落ち着いて、呼吸も落ち着いた。何かがすっと収まるべき場所におさまったみたいやった。そのあとはおどろくほど落ち着いて、うちがベッドサイドにいって痛みがないか苦しくないか聞くたびに、ありがとうね、いろいろやってくれてありがとうねって。本当に顔の表情もおだやかになった。

そのあとは早かった。ほんの少しの親戚がベッドのそばにきてからは、また一段と落ち着いたのか、薬も何もあげてないのに、静かに眠りについた。そのあと家族の希望で、精神安定剤と、痛み止めのモルフィンを一回ずつ投与した

それから午後6時20分に安らかな寝顔のまま死んだ。

朝うけもったときは、まさかこの患者さんが今日死ぬなんて思ってもみなかった。でも、患者さんが自分の死を受け入れた瞬間、すべてがすっとクリアになって空気が変わったのを見た気がした。あの会話のあとすべてが変わった。体と心と魂が一致したというか…

きっとすごい気の強い患者さんやったんやろう…最後の最後まで怖くて怖くてしょうがなかったやろう…
死というのはとても受け入れることの難しいこと、ましてや自分の死。それがわかって、うけいれて、待つというのは、みんながみんなできるわけじゃない。できないまま死んでいく人もいれば、そんな時間がない人もいる。

ドクターと患者さんの会話は正直きいていて胸が痛かった

あとできいたけど、ドクターもあんなふうに直接患者さんに「あなたはもうすぐ死にます」って面と向かっていったのは、
初めてやったそう。何かがそうさせたんやろうと思う。
今日のこの経験は、ホスピスの中でもとても特別な経験やったと思う。この場におらせてくれてありがとう。

帰るまえ、うち一人でこの患者さんの体を包んだ。
本当に安らかな顔だった。

01


新連載!中高生・平和を語る

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01私達は各務原で活動をはじめたpeace of peace というグループです。平和について考えたいと思い、中学生2人でこの会を立ち上げました。

今回、私は大垣のようこそ先輩平和課外授業という会の人に「長崎へ行こうよ」と声をかけてもらい、8月の7日から9日の3日間、何もわからずについていき、原水爆禁止世界大会と全国高校生平和集会に参加してきました。この3日間で多くのことを知ることができました。長崎に行ったことによって、日本の現状を知ることができました。

2日目には全国高校生平和集会がありました。ここには少しですが中学生も来ていました。午前中には各県からの活動報告があり、いろんな県で中高生が平和活動に取り組んでいることを知りました。午後は分科会でした。私は憲法について考える分科会に参加しました。自分自身憲法について自分の意見が言えるか心配でしたが、言うことによって、私の意見に賛成してくれる人もいれば、反対して意見を言ってくれる人もいて、また深く考えることができました。すごくいい経験になりました。思ってたよりも楽しく意見交換ができました。

3日目は、最初岐阜の木戸先生に、先生が被爆された現場とかを案内してもらいました。お話を聞いて、戦争というものがまたさらに怖いと感じました。先生のお話を聞いて、戦争に対しての疑問が増えました。また、すごく悲しくなりました。また詳しくお聞きできる機会があれば、もっと聞きたいと思いました。
その後参加した閉会総会では、オリバー・ストーン監督の話が一番印象的でした。一番に思ったことは「このままだと、日本がダメになっちゃう」ということでした。すごくいい勉強になりました。

みなさんは、今の日本のについて知っていますか?私は知らないまま行ってしまったので、とても怖くなりました。憲法が改正されたら、また戦争が起こってしまうかもしれない。戦争が起きれば、また悲しむ人が増えてしまう。
原発を世界に輸出したり、再稼働したら被曝する人がまた増えちゃったり、放射能問題が増えてしまう。考え出したらきりがありません。みなさんはそんなたくさん問題がある日本好きですか?私は嫌いです。また、たくさんのことを考えさせられました。私は
平和な日本がいいです。日本だけではなく、平和な世界がいいです。みんなで平和について考えられたらいいと思ってます。
長崎にきてよかったと思いました。

01


カタコトの部屋  自然派ママたちの座談会「三つ子の魂って…」

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三つ子の魂百まで

【読み】 みつごのたましいひゃくまで
【意味】 三つ子の魂百までとは、幼い頃の性格は、年をとっても変わらないということ。
【注釈】 「三つ子」とは、三才の子供のこと。転じて幼い子をいう。「魂」が「心」「根性」「知恵」、「百」が「八十」「七十」「六十」に置き換わった表現があり、組み合わせによって多くの句がある。
【注意】 幼い頃に習ったり覚えたりしたことには用いない。誤用例 「三つ子の魂百までだから、音感が良くなるように今すぐピアノ教室に通わせよう」
【用例】 「三つ子の魂百までというけれど、あの子は幼い頃から負けん気が強かった」

~資料を読んでどう思われましたか~

 

01Aさん:昔の人はえらいねぇ。今のように化学的データとかない江戸時代にちゃんとこういうことが知恵としてあったんだね。
Kさん:三歳までは躾や勉強よりも、心なんだ。
Mさん:豊かな人格の土台がないと知識やお金も役に立たないって、確かにそうですよね。
Aさん:昔インドで発見された狼に育てられた少女の話しがあったよね。狼に育てられた少女が発見されて、人間界の言葉や生活をどれだけ教えようとしても、普通の子どものようにはならなかったんだって。やっぱり小さな頃の環境はずっとその人に影響するんだねえ。この資料を読むと3才くらいまでは特定の人、お母さんや誰かが愛を注ぐ事がその子どもの人格形成に大きく関わるってことだよね。
Kさん:うちのパパが子どもに○○教室に通わせろってすごく言うの。自分も小さい頃からやっていて良かった、なんで入れないの?って。三つ子の魂百までもっていうから、本当はもっと早く入れたかったのに、って。でも、これを読むと「三つ子の魂」というのは心や精神のことを言っているので、習い事は違うってことだよね。これでパパに反論できるわ。
Mさん:行ってて良かったってご主人は実感されてるんですよね。
Kさん:学校で勉強がよくわかったから楽だったんだって。宿題も早く終わらせることができて、遊ぶ時間もあって良かったって。私はそれよりも自然の中でのびのび遊ばせたいのに。
Aさん:本人が嫌がらなければ、行かせてみるのもいいかもしれないよ。要は他とのバランスがとれていればいいんだから。こどもがそのうち自分で決めるかもしれないし。本人はどう言ってるの?
Kさん:お外で遊んでいたいって。
一同:う?ん、そうなんだぁ。
Aさん:親って結局見守る存在だもんね。子どもは親の思うようには進まないよね。私、幼稚園の時に、どうしてもピアノが習いたくて、「ピアノ習わせてくれないならご飯いらない!」ってハンストしたの(笑)。でもその後ちゃんと20年間続けたよ。その子が勉強でも習い事でもやりたくなったら、その時に頑張ってやれるようにバックアップしてあげたらいいんじゃないかなあ。

~お子さんに、百まで持っていてほしいものってなんですか~

01Aさん:人って信頼できるもんだよ、自分は愛される存在なんだよ、ってことかなあ。そういう安心感を持っていてほしい。それから、蝶や花、樹や鳥、そういう自然の中で自分も生きてるんだってことも感じてほしい。マヤ文明では、7才くらいから性教育を始めるっていうよね。自分も宇宙の中の一部、というのを腑に落ちるまで学ぶんだって。自分もこの広い宇宙に住む1人だと思えたらみんなとの繋がりを感じて、孤独にはならないと思うの。
Mさん:私はやさしさとか思いやりとかですね。
Kさん:私も自然との繋がりを感じてほしいから、散歩のときなどに「花が咲いたね」とか「虫がいるよ」という自然を意識した言葉掛けをするようにしています。
Aさん:子どもと一緒に散歩する時間を持つと、自然にも触れるし、呼吸も深くなっていいよね。
Mさん:私も子どもと一緒に土を一緒にいじったりしています。最近、父が家の前に家庭菜園を始めたのですが、生ごみをボカシに混ぜて堆肥にして畑へ入れている、そういう命が循環する様子とか、感じてくれてたらいいな、と思います。
Kさん:それから、親戚とか身内の集まりにはなるべく子どもと一緒に行くようにしています。
Mさん:小さい子を連れて身内の集まりに行くとみんなが可愛がってくれませんか?
Kさん:そうなの。それで、おじいちゃんおばあちゃんもすごく喜んでくれるの。
Aさん:お年寄りの方が「子どもってそこに居るだけで場が明るくなる」って言われるのを時々聞くけど、そこに居てくれるだけでいい、て思ってもらえるってすごくいいよね。
子ども自身は育つ力を持っているから、みんなでそれを大事にしたいね。
Mさん:こういうところで話していると、そうだなあと思うんですけど、日にちがたつとついつい、忘れてしまうんですよね。
Aさん:本当にねえ。子どもは天からの預かりもの、社会に返すまで育てさせてもらってるっていうよね。そういうふうに思うと、もっと客観的な子育てができるかもしれないねぇ。
それから、我が家では食べ物も、食材本来の味を憶えてほしいから、おやつのドライフルーツも漂白されてないものを選ぶようにしています。
Kさん:私も食べ物は添加物はできるだけとりたくないから、なるべく自分で作った物を食べさせてあげたいです。
Aさん:というわけで、今日はおやつを作ってきましたよ。みんなでいただきましょう。
一同:わぁ、ありがとう?!いただきま?す!

資料

辞書には「幼時の性質は一生変わらないものだということ」と記されています。実際には、胎児期から3歳までが、人間の一生で脳がもっとも急速に発達する時。育児環境の質の良し悪しが、その発達していく脳の組織と機能に深い影響を及ぼすことが、脳医学の発達に従って顕著になってきています。この発達期に長期にわたる虐待や放置、無視(泣いても抱いてあげないなど)や、一貫しない育児方法、何時も異なる世話人等を経験すると、それは、トラウマ的(心的外傷的)経験として、幼児期に持続する過覚醒反応を起こさせ、脳神経発達や、中枢神経系統に障害を与える。こういった子どもたちには、往々にしてPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が出るようになり、また、愛着と、感情を調整する、眼窩前頭皮質と呼ばれる人間の顔の表情に(例:母親の笑顔など)に敏感に反応する脳の部分が充分に育たないため、衝撃的で暴力を振るってしまう傾向が現れます。これを「愛着障害」といいます。お腹にいるときから、3歳くらいまでの記憶が、一生を左右するといっても過言ではない。「鉄は熱いうちに打て!」と言います。人格形成の一番重要な時期に、特定の養育者(母など)がすべてを受け入れるという「愛」を注ぐことが大切ということでもあります。『江戸しぐさ』などの著書にも江戸のおとなたちは、「三つ心、六つ躾、九つ言葉、文(ふみ)十二、理(ことわり)十五で末決まる」と言って、稚児(おさなご)の段階的養育法を考えて、今でいう全人教育を実践していました。 とあります。この時期、厳しい躾や、英会話など必要ないわけです。知識やお金は豊かな人格の土台がないと、役に立ちません。

つくってみませんか?とっても簡単スコーン

01・小麦粉100g ・ベーキングパウダー小さじ1 ・油30g・砂糖20?30g
・レーズン 大さじ2・水もしくは豆乳大さじ1?2
小麦粉とBPをボウルにいれ、油を加え手でサラサラにする。
その後砂糖、レーズンを加え、水気を加え練らないように生地をまとめる。
2cmくらいの厚さにのばし一口大に切り分け170℃で20分くらい焼く。


暮らし上手 -住「ほしい未来は、つくる。」

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スペースがないなら屋根に植えてみる? スペイン発、環境でも観光でも注目の屋上緑化バス「Phyto Kinetic」

01rom Espana
今年の夏も暑かったですが、温暖化やヒートアイランド現象の影響で都市の気温が高まる今、都市緑化はとても重要なテーマになっています。しかし緑を増やそうにも、肝心の場所がない…そんな課題を解決しようとするのが、今回紹介する「Phyto Kinetic」です。

♪都市の中で新しい場所を見つけるのが難しいなら、もうすでにあるスペースを使えばいい。そこで思いついたのが、交通機関の屋根でした。♪と語るのは、「Phyto Kinetc」を開発したスペイン在住の風景画家、Marc Granen(以下、マルクさん)。
目の付けどころがユニークなだけではありません。夏の暑い日には車内でエアコンが使われますが、そこから排出される水を再利用して、自動的に屋上に水分を送ることもできます。また、屋根に植物があることで、車内の温度が3度以上も下がることもあり、節電にも大きく貢献してくれるのです。

♪僕たちのゴールは、都市に緑を増やしてCO2削減を進めることだけでなく、交通機関の中に新しい観光名物をつくることです。「Phyto Kineic」が都市に住む人と自然との新しい関係をつなぐものになってほしいですね。♪

あなたの車の上にも植物を!とは簡単にはいきませんが、ちょっとしたアイデアで周りの緑、増やしてみませんか?

ポリ袋がライフジャケットに! 身近なもので救命道具をつくるデザインプロジェクト「THAI THAI DAIJOBU!」

01from Thai
子どもたちがしがみついているモノ、何だと思いますか?実は救命用具なのです。しかも、何百本ものペットボトルを、魚をつかまえる網でしばってできています!

救命用具といえば、浮き輪やボート、ライフジャケットを思い浮かべます。でも、それらは多くの場合、災害時にすぐ手元にはない場合もあります。「Design for Disasters」は、自分で命を守れるよう、日用品を活かした洪水への対策術を紹介する「Thai Thai Daijobu」という取り組みを広めています。

タイでは2010年に大規模な洪水が起こりました。特に世界遺産にも認定されているアユタヤ地方では、低い丘地にある大きな河に近接しているなどの理由から、深刻な被害を受けたのです。この現状に立ち向かうべく、ウィパーウィーさんたちは、「外からの助けを期待する前に、まず自分自身を救う方法を教えなければいけない」と動き出しました。
そこで思いついたのが、誰もが、どこでも手に入るモノを使い、すぐに作ることのできる救命用具。「Design for Disasters」のメンバーがつくり方や使い方をレクチャーする活動もしているので、誰でも簡単につくることができます。

“七色のマメ”が大阪と東北をつなぐ! 納豆の魅力を伝え、納豆のイメージを変える「710TVプロシェクト」

01from Japan
「おもしろいことを本気でやろう!」その一念で、3人の男たちが大阪で始めたのが、納豆の魅力を面白く自由気ままに伝える「710TVプロシェクト」です。
♪大阪では、納豆は野球の巨人みたいなもんなんです。本当は好きな人がたくさんいるのに、変な圧力があって言い出せない。そんな状況を変えたかった。♪

3.11がスイッチを入れてくれた
♪何か自分たちにできることがないかと、アイデアを出し合いました。それで見つけたのが、僕たちのいる大阪府“福島”区から、気仙沼が710(ナットー)kmの位置にあるという事実と、復興支援のための諦めない納豆「ネバー(粘ー)ギブアップ納豆」というアイデアです。そのとき、東北にむけたプロジェクトをやろうと決心しました。

食べたマメーをマネーにする「カラフル納豆」
「納豆を作って売って食べて、東北の力になろう!ネバネバギブアップや!」そんな意気込みとともに、関西での納豆の悪いイメージをこわし、さらに納豆の故郷、東北の力にもなれるような「ネバーギブアップ納豆」をつくるプロジェクトは動き出しました。そのなかで、ひとつの案に過ぎなかった「カラフルな納豆」というアイデアが「七色の納豆」へと昇華されました。七色というのは、大豆・うずら豆・青大豆・黒大豆・赤大豆・えんどう豆の7種類。

710TVチームは、これからもまたまだ仕掛けていくとのこと。特に7月10日には注目です。震災から2年経った今年も「福島ネバル」をやろうと、チームも地域も、新しい試みを考えている真っ最中だそうで、楽しみですね!


暮らし上手 -医・食「だぁ~いすき!雑穀」

雑穀は補気しながらも、老廃物を排出させたい時にピッタリ!

01そもそも雑穀は、縄文時代前期(今から5500年前)には栽培されていたのではないかと
言われています。雑穀は土壌や気象条件が不良でも成育し、長期間の保存に耐えられる作物
なので、多くの地域で主食として食生活を大きく支えて来ました。古代からの伝統を
持つこの食物の生命力が、今こそ必要なのです。
雑穀の魅力
やせた土地でも育つ雑穀は、元気になるパワーのかたまり。
お米とブレンドすると栄養価がアップ、独特の粘り気と味わいが出て、食べやすくなります。
■雑穀の素朴な味→おだやかなコクのある美味しさ。
■たくましさ→ 水田を必要としない雑穀なら空き地があればどこでも栽培を始められます。
■優れた栄養バランス→食物繊維とミネラルが抜群に多く、良質のたんぱく質と植物性脂肪が含まれ、栄養バランスも最高に優れた食べ物。さらに、免疫力を高める様々な物質も豊富に含まれています。

米が白いと書いて「かす・粕」

01米の栄養価のほとんどは、外皮、ぬか、胚芽にあるので、精白米は重要な栄養素を捨てたことになります。
玄米は、精白米に比べビタミンB1は4倍以上、食物繊維は5倍、カルシウムは2.5倍、ビタミンB2は2倍など、栄養価がかなり高いという特徴があります。

つぶつぶご飯の代表格!

01

01■いい素材のものを選ぶ
安全なものは味も良いもの。毎日食べるものだからこそ、無農薬のものを購入しましょう。
■よく噛んで食べる
よく噛む習慣をつければ、少ない量でも満腹感が得られ、太りにくくなります。もちろん、よく噛めばそれだけ甘みが出て美味しくなるのは言うまでもありません。玄米と相性がいいのは…
■味噌汁・味噌にはお米には含まれない必須アミノ酸が含まれていて、お互いに栄養価を高め合います。つまり、玄米と一緒に食べることで栄養面がパーフェクトになるのです。
■お漬物・梅干しは、身体のph(ペーハー)バランスを整えてくれます。
そしてぬか漬けは、野菜の食物繊維を効率的にとれるうえ、乳酸菌が腸内環境を良好に保ってくれます。

01これらに、葉野菜のおひたしや、噛みごたえがあって玄米と相性のいい根野菜の煮物、さつまいもなどのいも類、あずきなど豆類の小鉢……。現代の高カロリーでボリュームたっぷりの洋食に慣れた人には、最初は物足りなく感じるかもしれません。でも、昔ながらの日本食は世界に誇れる健康食・長寿食なのです。

 

個性豊かな雑穀たち

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01きび……穀物では一番の低カロリー
黄色くて丸い形が愛らしいきびは、炊き上がるとほのかにやさしい甘みが感じられます。もちきびとうるちきびとがあります。特有の苦みとほのかな甘みを持っています。
・スープやご飯と一緒に炊くのがお手軽です。

もちあわ……食物繊維が豊富なフワフワ雑穀
ぜんざいやお団子など、和菓子の材料としてお馴染みのあわ。奈良時代には米とあわが正規の租税として扱われるほど、最も早くから価値を認められ、長い間主食になっていたようです。もちあわとうるちあわの2種類がありますが、これはでんぷんの性質による違いです。クセがなく食べやすいので、はじめて雑穀を食べるという人におすすめ。
・鮮やかな黄色の粒粒はドレッシングや衣がオススメ。

ひえ……稲よりも古い日本最古の穀物
小さなグレーの粒で、少しほろ苦くさっぱりとした味。炊くとホクホクっとし、煮込むとトロトロのクリーミーな味になります。日本では縄文時代から栽培されていたと言われます。冷害や干ばつに強く、不作のときに備える作物として重要な
役割も果たしてきました。
・サラっと溶けてとろみを出すので胃に優しいヒエ粥がオススメ。

そばむき実……そばに含まれるすごい成分「ルチン」
そばの種子の殻を取り除いたものです。そば米とも言われます。奈良時代に朝鮮半島から伝わり、生育期間が短いので、夏と秋に収穫できます。消化が良く、栄養も豊富で使いやすい雑穀のひとつです。
・煎ったものはスープの浮き身やサラダのトッピングに。

はと麦……代謝を促す美!美!美!の雑穀
女性にうれしい体内の水分や血液の代謝を促してくれる。代謝の活性化は、むくみ、老廃物排出、解毒、イボ取りなどに効果があり、また胃腸を整え、腎臓の働きを促すのでシミ・そばかす等肌荒れにも効果的。中国では「ヨクイニン」と呼ばれ、漢方薬としても利用されている実力派。
・コロっとした存在感の麦はスープやサラダの具がグー。

01アマランサス…バランスの取れた栄養で雑穀の王様!
バランスの取れた高い栄養価で世界中で驚異の穀物と大人気。小粒だが、不足しがちな鉄、カルシウム、食物繊維を多く含む。良質なタンパク質をもつことから未来食として、食物アレルギーの代替食品として、現在世界中で積極的な研究開発が行われている。
・クセのない小粒な雑穀。ポテトサラダや衣が美味しい。

たかきび…ミネラル豊富で若さ維持をサポート
バランスよく豊富な栄養が含まれることから間伐地帯で主要穀物として今もなお栽培されている栄養たっぷり雑穀。赤い色素にはポリフェノールが含まれ、病気や老化の原因となる活性酵素を抑える効果がある。また、熱気をとり体を冷やす効果があるとされ、夏ばて防止に効果的。
・弾力のある食感がひき肉に似ている。ハンバーグのようにして食べることもでき、料理のレパートリーは無限大。

キヌア……NASAが認めた未来食!!
NASAが「21世紀の主食」と奨励したほど高い栄養バランスを持つ。良質たんぱく質、ミネラル分、食物繊維、ビタミンはもちろん穀物で不足しがちな必須アミノ酸をすべて含んでいる。非常に魅力のあるスーパー雑穀。高地の人の主食となっていて血圧を下げる効果もあるとされる。クセがなく非常に食べやすい。
・パラっとしてクセがないのでピラフでも何でもオススメ。

01紫黒米……美味しさもハイレベルな古代米
滋養強壮や美肌、造血に効果的とされ、かの  ・楊貴妃が食していた美容ビタミンがたっぷり含まれる古代米。黒い色素に含まれるアントシアニンには、老化・発ガンの誘因となる体内酸化の抑制や動脈硬化の予防にも効果的であるとされ、大注目の美容健康米。
・白米に少量混ぜるとモチモチで食味Up!

発芽玄米…ギャバ効果で血液サラサラ血圧ダウン
発芽玄米に含まれる「GABA~ギャバ~」は血液をサラサラになる、血圧が下がり安定する、中性脂肪の増加を抑える、などの現代病に効果的とされており、非常に注目がされている。玄米を一定の温度に一昼夜浸して発芽させた芽の部分に多くの栄養(特にギャバ)が含まれ食べ易さもあって大人気。
・プチプチした食感はライスコロッケやピラフがグー。

白麦(はくばく) 食物繊維豊富!食べやすい麦
押し麦と同じ大麦であるので、食物繊維が非常に豊富で便秘解消に効果的。抗酸化作用がある栄養を含んでいるいる為、動脈硬化や糖尿病などの誘因を抑える。白麦は大麦を精白する際溝に添って割った麦を押しつぶしたものである。パラッとした食感と小さな麦粒は目立たず非常に食べ易い。
・パラッとした白麦はスープやピラフがグー!


I’m Challenger  たじみプレーパーク楽風・世話人 浅井智子さん

I`m Challenger

01

自然の中での育ちあい

2009年6月に開園した、園舎を持たない認可外幼稚園「森のわらべ」は、多治見市内の里山や緑地公園などがフィールドです。雨が降っても基本的にはいつも屋外で活動をしています。だから親御さんには、入園時にはカッパだけはきちんとした登山用のレインコートを買っていただいてるんですよ。特に冬場の雨にあたってしまうと、小さい子は体温を奪われてしまいます。そういった雨対策をきちんとすれば園舎がなくても充分活動できます。逆に園舎がない気楽さ、自由さをすごく感じていて、園舎が欲しいとは思ってないですね。
ただ、野外の体験が第一の目的か、というと、そうではないんです。子どもの育ちに寄り添ってみたら自然が一番いいフィールドだったということ。子どもって、とっても自然な生き物なので、彼らが持っている物を一番受け入れてくれて、また、子どもの育つ力を発揮できるのが自然の中かなって思うんです。
私自身、次男と春日井市の森のようちえんに通いました。そこでは、母であり、スタッフでもあるという経験をし、母親目線で森のようちえんを見た時に、あぁ、すごくいいなぁと思ったんです。お母さんたちが関わる度合いが普通の幼稚園や保育園と比べたらうんと濃い。それが外側から見たらとても大変そうに見えると思うんですけど、お母さんたちにしてみたら、森の中で子どもを仲間と一緒に育てて行く事がとっても心地いい。育児の不安だったり悩みだったりということが軽減されていくんです。自然の中に入って行く事でお母さん自身も癒されていくし、仲間と一緒に、何を一番大事に子育てをするか、という共通のものを学び、知り、考えて行きます。本当にお母さんが育っていくということを実感しています。

多治見に楽しい風を

01私が「プレーパーク」の存在を知ったのは1998年のこと。「火や水、木も土なども自由に扱え、のびのび遊び回れる場所が名古屋市天白区に誕生!」と、「てんぱくプレーパーク」が報道番組で紹介されていました。初めて知る「プレーパーク」にワクワクし、こんな場所が近くにあったらいいなぁと、ニュースを見た直後に問い合せの電話をしました。
その後「森のようちえん」を知り、春日井市の森のようちえんで次男を自然の中で仲間と共に育て合い、息子が小学校一年生になるときに「森のわらべ」を多治見に開園し、<信じて待つ>、を理念に、活動を始めました。
開園して5年目、どんどん成長して行くわが子と、卒園した「森わらっ子」たちがいます。卒園してこういう環境と縁が切れてしまうというのではさみしい、いつまでも自然の中で自由に遊び回れる場所・プレーパークを地元につくりたい、ずっと描いてきた夢への想いはますます強くなっていきました。そんな私の呼びかけに応えてくれた仲間、6人の世話人と5人の実行委員たちと共に、今年2月から準備を始め、8月9日と10日、とうとう「たじみプレーパーク楽風」を開幕させることができました。心から大事に思える仲間たちと共に追いかけた夢が本当に、本当に、実現したんです!

01 開催当日真っ先にやってきたのは、森のわらべの卒園児たちで、木に登り、火をおこし、ハンモックに揺られました。「木登りしていい?ヤマモモの樹が多いね」とやってくる子。森わら時代に木に登り、実を食べた体験がちゃんと根付いているなぁ、と実感しました。
いろんな面において、プレーパークの必要性を森のわらべのお母さんたちは理解をしてくださっていて、今回の立ち上げに関しても、ものすごく力になっていただきました。多治見にこういう場所がほしい、という潜在的なニーズとして、「森のわらべ」で育って来たお母さんたちがいらっしゃることは大きいな、と思います。

 

 

子どもがつくる縦のつながり

プレーパークにもいろいろ特色があるようですが、私たち楽風が目指しているのは、遊ばなくてもいい場所、遊んでてもいい場所。その子がそこで何を表現をしていてもいい場所。人に迷惑をかけたり、大きな取り返しがつかないことでなければ。
プレーパークでは、0才から120才までってよく言われますけど(笑)、対象は誰でもOKです。ただ実際には今の楽風は、お母さんに連れられて来ている幼稚園、小学校低学年のお子さんの割合がとても高いです。小学校のグラウンドの裏山でやっているので、そこの小学生の子どもたちが自分でぶらっと自転車に乗って来て、という高学年の子たちもいますけど、中高生はほとんどいないんですね。
小さい子どもたちにとって、ちょっとお兄さん、お姉さん、という人たちがやっていることに憧れる気持ちは大事で、ああいうお兄さんたちみたいになりたいな、みたいなのを見せてくれるのは、やっぱり中高生。彼らは自分がしてもらって自然と小さい子にしてあげている、素敵なつながりだと思います。これから何年もかかって、楽風で育って来た子が、中学になっても高校になってもそこに戻ってきたい、という形になっていくのでしょう。そういう子たちの来られるプレーパークにしたいですねぇ。それにはまだまだ時間がかかるんですけど。

子どもたちの居場所として

01 最近は実体験が乏しい子が多いと言われますが、それよりも前に実は、その子の存在そのものが、今の社会では受け入れられていない環境にあります。中高生、小学生も不登校、ひきこもりの数が日本は非常に多いです。そういった子たちが、自分は居てもいいんだ、と思える場所がプレーパーク、となっていけばいいな、って思っていますね。そういう意味では、私たちの目指しているところはみなさんが最初にイメージするプレーパークとちょっとニュアンスが違うかもしれないです。
本当なら各家庭とか各地域が居場所になっていればプレーパークは存在しなくてもいいのかもしれません。それが難しいのなら、子どもたちにはこういう場が必要だよね、という発信基地になっていくという役割もプレーパークにはあるんじゃないかと思っています。
子どもにとって家庭が居場所になること。そのことの大事さをお母さんたちに伝えていきたいんです。でも、そこの受け皿に入りきらない方達がいる。子どもたちが苦しくなって生き辛さをすごく感じてたときに、「楽風があるよ」と伝えたい。申し込みも登録も会費も必要がない楽風に、子どもが行きたいと思えば行ける、というのがすごく大事かなと思っています。

01 社会には行き辛さを抱えて苦しんでいる子どもたちはいるので、そういう子と出会える場として楽風が機能していたら嬉しいし、森のわらべで育ったお母さんの子どもたちが、やがて楽風の中でも持ち味を発揮する存在にもなっていってくれる、と私は思っています。
楽風の開催日は、今は月に一回です。世話人全員が仕事を持っていたり子育て中のお母さんだったりします。常駐のプレリーダーは楽風にはいないし、実際物理的にはまだ常設のプレーパークは難しいですね。気持ちとしては常設しているつもりですけど…とにかく、長く続けていくことを大事にしたいと思っています。

「子どもたちにとって遊ぶことは生きることそのもの。子どもから遊びを取り上げることは、生きる力を奪うこと」そんな楽風の理念が多治見に根付いていきますように。

Introduction

01楽風の次回開催予定日/11月30日 (土)、
12月14日(土)10:00?16:00
場所/多治見市滝呂小学校裏山
問合せ/tjpprafu@yahoo.co.jp
開催日当日連絡先・三原携帯090-6617-2684

facebook/ https://ja-jp.facebook.com/TajimiPlayPark

【プレーパークとは】プレーパークは「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーにした遊び場です。子どもたちの好奇心を大切にして、自由にやりたいことができる遊び場を作ろうというもので、1940年(昭和15年)以降ヨーロッパを中心に広がった遊び場です。屋外での自由な「遊び」を通して得られるさまざまな体験や交流を通して、子どもたちは自主性や主体性、社会性やコミュニケーション能力を育んでいきます。そんな願いが込められた遊び場です。

【その他の岐阜県のプレーパーク】
団体名    大垣公園プレーパーク/NPO法人 緑の風
URL    http://oogakiplaypark.blog.fc2.com/
活動場所    岐阜県大垣市郭町大垣公園内
活動日    毎週水曜日から日曜日(10~17時)

団体名    岐阜県立森林文化アカデミー みのプレーパークの会
URL    http://www.forest.ac.jp/index.html
活動場所 岐阜県美濃市曽代88番地  岐阜県立森林文化アカデミー内
活動日    不定期


ぎむきょーるーむ・理科・算数・数学に 目覚める本!

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小中学生には「子供の科学」http://www.kodomonokagaku.com/
中高生には「ニュートン」こちらは有名ですね。「相対性理論」とか、意味も分からず言ってみたい年頃に向いています。あとは日経サイエンスです。http://www.nikkei-science.com/ここら辺になってくるとよく言えば飽きさせない、悪く言えば雑多な記事でちょっと大人向けかなとも思いますが。こういったツールを、それとなくそこら辺に置いておくこと。そして子どもがそう言ったことを話してきたときに、ことさら驚いて関心を向けてあげ、「スゴイこと知ってるね-!もっと教えて!!」と言う態度を周りの大人が、特に親が取ることが大切だと思います。
ですが、これらはきっと他の先生方もおすすめされることとおもいます。
「これは出てこないだろう!」と思うものは、ずばり「星新一の小説」です。
緻密かつリアルに作られた近未来が出てきて、薄紙を挟んだすぐ裏側にぞくっと来るような恐怖が潜んでいる。かつ、短編できりっとしていて今どきの読書嫌いの子どもたちにもウケが良い。これほど素晴らしい「理科系への誘い」はないのではないかと思うほどです。圧倒的に人気です。

(開智塾塾長岩田茂明)


記者雑感 From気仙沼-(Vol.8)

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着物を仕立て直した洋服は見事なできばえ。6月に公民館で開かれたファッションショーでは、その珍しさに、観衆は歩くモデルの服を触りまくった。奈良県の服飾デザイナーが昨年5月から月に1回、2カ所の仮設住宅の住民たちに教えた成果だ。この女性は75歳。往復2200キロを1人で運転して通い続けた。昨年10月には気仙沼から戻った翌日、墓地で転落して両手首を骨折。それでも今年3月、気仙沼行脚を再開した。材料の着物は、教室を始める前に、地元奈良の弟子らに提供を呼びかけた。
千枚以上が集まり、女性は通うたびに車で運び、仮設に保管していった。
ショーは盛況だったが、女性はこの1年間に「嫌な物も見た」。教室に参加せず、着物だけを取っていく人。仮設から新築の家に引っ越す時、大量に持ち去った人……。「嫌な物」以外で私が構成した記事は、7月の新聞に載った。すると、仙台市民から「母親の着物を届けたい」と連絡があった。女性に相談したら、「市役所に送って公平に配ってもらえば」とのこと。市の担当者にその旨を伝えたが「市が分けると、『なせあそこだけ』となるから困ります」。

01 多くを失った故か。物欲の強さや自己中心的な考え方に、寂しくなる時がある。6月の市議会で、ある議員が「小泉地区に、いい事業をつけてもらいたい」と要求した。農地でのがれき処理場建設を受け入れた地区の一つだ。様々な薬品や油を扱う処理場だけに、苦悩の末の決断だった。負担を引き受けた農家には感謝している。ただ、処理が終われば耕作できる状態に整備して返す約束だ。「いい事業を」はちょっと虫がいい。市も当然認めない。「では他の地区より優先して復興を」。議員は食い下がるのだった。
災害公営住宅の仮申し込みが始まった。希望者の多い物件は、「特に配慮が必要な世帯」が優先して入居できる。例えば「身体障害者で車いすを使う単身世帯」。私の事務所の隣に住んでいたおばあちゃんは、アパートが取り壊されたので、別のアパートに一人で暮らす。ある時、「私は高齢の独居だから、公営住宅の希望は優先されるわよね」と聞かれた。気持ちは分かるが、健康そのものだし、毎日パチンコに出かけて、居酒屋で晩酌をしているじゃないか。もっと大変な生活をしている人がたくさんいるのに。「調子に乗らない方がいいですよ」と言いたくなった。
本人に悪意はないけれど、もらって当然、いい扱いが当たり前。震災から2年半近く過ぎ、そういう人とそうでない人の差がはっきりしてた。

現役新聞記者(宮城県・気仙沼在住)
私のいる事務所兼住居は、1階の浸水のみですみましたが、3軒隣の警察署も、少し離 れた小学校も解体です。
節電といわずとも、家の周辺は真っ暗。人がいないから…街灯 もいらないわけで……
これから、気仙沼で自分の見たまま感じたままをお届けし


Report-2「農業はとってもクリエイティブ」小田まゆみさん

01

01KIYO:どういういきさつでアーティストになったのですか?
まゆみ:3才から絵を描くでしょ、みんな。やめなかっただけですよ。6才の時に描いた絵と、今もなんにも変わらないんですよ。上手だとみんながほめてくれた。
KIYO:それで東京芸大に?
まゆみ:2年浪人しましたよ。工芸科で染色を習った。実は私、大学一年で結婚しちゃったの。夫はアメリカ人で大江健三郎とか三島由紀夫の翻訳をしていた人。それで、大学の時に面白い作家たちに、いっぱいいろんなこと教えてもらった。それからニューヨークに渡った。それが1966年。60年代のアメリカはベトナム戦争の真っ最中で大変な時期でした。私は男の子を生むんですが、だんだんおっぱいが大きくなって、お腹が大きくなって、女の人の力強さを感じ、それで女神を描くようになったんです。それがアメリカですごく受け容れられた。私ね、アーティストっていうのは、社会の望みを無意識的に感じられる人だと思うんです。
KIYO:アメリカでは超有名な人Mayumi Oda。外国人の心には何か特殊な印象を与えるのではないでしょうか?
まゆみ:アメリカというか西洋は、アートと生活は別々なの。日本は生活様式そのものがアートでしょ。だから私なんかの絵なんか要らないんじゃないかと。
KIYO:それはないよ、あなたの絵でぼくは救われている。えっと、それからニューヨークからハワイに移り住むんですよね。
まゆみ:その前にカリフォルニアのグリーンガルチ農場に入ったの。79年の頃から20年近く農業をやり、教えられることがいっぱいだった。1992年に日本が原発にプルトニウム政策に突っ走ったとき六ヶ所村ができた。同時に私は絵をやめて「脱原発・反原発」の運動に10年近く関わったんです。私たちは太陽、風力で分散型のエネルギーになれば原発はいらないと、自然エネルギー推進運動に深く関わりました。そして50歳になって日本で何をやろうか、と思ったとき『わら一本の革命』の著者:福岡先生のところに行った。既に農業をやっていたから、私にとっては神さまみたいな人。種団子を作って、砂漠に撒いて、地球温暖化を止めよう!と本気で思った。そして2011年、ぜったいに事故は起きないという安全神話が3.11の地震であっけなく崩れた…。
KIYO:原発事故のあった後に、僕はすぐ引っ越した。80年代後半から原子力問題に危機感を感じていました。
まゆみ:原発と食べ物。本当に抱き合わせで悪くなっている。私の家族が東京に住んでいたので、家族が安心して食べられるものを作ってあげようと思った。誰かが大変なときには、こうやって生きていたら大丈夫だよ!という事を実践しなきゃと思った。でも私もう72歳でしょ。この年で農業をといってもたいへんですよね。だから若い人を教育しながら一緒に畑をやってもらおうと思ってハワイに6000坪の土地を取得しました。開墾からはじめて1、2年で作物がとれるようになったけど、土作りをして、果物が食べられるまでに11年かかりましたよ。
KIYO:そこをジンジャーヒルファームと名付けた。
まゆみ:ジンジャーヒルだから、ウコンを植えたの。ウコンは肝臓・腎臓にすごくいい。放射能がひどくなったら一番効力がある!と一生懸命ウコンを作りました。そのほか果物、野菜などの食べ物はほとんど自給できるようになりました。
女神というのは女だけじゃない、やさしい利他というか、人のためにやるって、自分が宇宙とひとつだと思ったら、他の人にもよくしなきゃって。そういう気持ちをトレーンニングする。私ね、この世で一番幸せな人は、畑で作って食べられる人だと思うの。だから、食事の前には必ずお祈りをします。
「この食べ物は全宇宙からいただいたもの。大地、海、空、そしてたくさんの人々の労働。それをいただくのに値する人になれますように。私たちの親切な心に変えて、むさぼらない食べ方を学べますように。この食べ物が私たちの力になり、病気から守ってくれますように。理解と愛の道をあるくことができますように。今地球でたくさんの人々が飢えで苦しんでいることを忘れないように、この食事をいただきます」
ちょっと長いんだけど、お祈りしている時間に、食べ物と自分たちの身体が食べ物からできている、それはみんなの労力からできている、ありがたいねと実感できるんです。そして、畑の作業もお祈りしながらするの。
ここのコミュニティーも、在来種のお茶の木をしっかり次世代に残していけるよう、人がつながっていくことを望みます。    (文責・にらめっこ)

 


新米Nurseものがたり-(Vol.17)

01

ホスピスの患者さん

バングラディッシュ人の患者さんに”Kill me”って言われた。
殺せないよ、でも逝かしてあげたいと思った。
何もかもがゆっくりすぎて、何もかもが苦しみに満ちている

7月はラマダンの月。ラマダンの間に死ぬと天国へいくそう。それもあってかラマダンが始まってからは、今まで眠くなるから痛み止めや精神安定剤のような薬はいやだって言ってたのに、もっと強い眠くなる薬をくれ、もっともっと痛み止めをくれって言い続けるようになった。やせほそった体は人口栄養がつながれてるせいで、まだその役目を終わることなく、細々と命の維持を続けてる。

ホスピスのソーシャルワーカーが切り出した。
「人口栄養を止めるオプションもあります。もう苦しみ抜いたと思うから自分の感じるままの選択をしてください。これ以上人工栄養で体を生かしていると、あなたの心と体は食い違ったまま。ラマダンの間に逝きたいと願う気持ちもわかります。相談しましょう」

前は本人と家族の意向があって人口栄養を続ける選択をした。でも今はソーシャルワーカーの言葉に彼は何度も何度もうなずいた。本人が人口栄養はもういいと止めたがっている。それを止める=きっとすぐに死がやってくる。

彼は食べることもできないまま7か月間ここまできた。何のために……家族のためだろう…
まだ若い奥さんと13歳と10歳と5歳の娘さん達がいる。
彼女達を前に彼は昨日涙を流してた。5歳の末っ子の女の子の後ろ姿がさみしくて、涙がでた。いたたまれない。

今は3つのチューブにつながれていて本人は何度も全部取り外したいと言ってた。癌のせいで取り外すと、とてつもない苦しみがやってくる。
のどの渇きをいやすために少しでも飲んだりすれば吐いてしまうし、排泄物が逆流するから、ときには便のようなにおいの嘔吐もあって、これは難しい…
本人は自分でおしっこしたくても弱すぎてすぐにベッドから落ちてしまいそうになるために、そのチューブも抜けないまま尿意があっても尿が足せない痛みも避けたい。
今週も何回も何回もベッドから落ちそうになって、うちらは冷や冷やしながら走りっぱなしだった。うつろな表情のまま、彼の心と意志が体の衰弱に関係なく彼を突き動かしてるようにさえみえた。まるで誰かが彼の肉体を乗っ取ってるように…意識があるまま、ゆっくりすぎる彼の最期の時、現実はむごい。

今は一刻も早く楽になってほしいと願う。
あらためて心と体と精神を統一することの大切さを考える。

ホスピス2人目は96歳のおばあちゃん。

脳梗塞で倒れてそのまま意識が戻らず他の病棟からホスピスにきて4日目。毎日今にも死にそうな呼吸をしてた。
案の定、昨日、体位交換に行ったときに呼吸が今にも止まりそうで迷ったけど一応そっと体位変えたら、ため息のようなラストブレス(最後の息)をした。あの最後の息って、なんか本人の意思もあるような、そんなひと息。
人それぞれやけど、「はい、これでおわり。もういいよ、よく頑張った体にお疲れ様…」って言ってるような、なんともいえないため息のような深呼吸のような最期の一息。
ある人にとっては、受け入れの一息なのかもしれない。
このおばあちゃんは「はい、おしまい」ってため息のような息をして、すーっと顔色が白くなった。目の黒い部分は完全におっきくなって、脈も感じられず、心臓の音も肺の音もなかった。胸を強くさすっても動かなかった。眠るようにそのまんま。
こういう死は正直ほっとする。人工呼吸器やいろんな機械につながれていろんな薬を自分の意思と無関係に投与されて…ってなるよりも96年という命をまっとうして、今人間らしく、その時を迎えたんやから。
倒れる前まではおトイレも自分でできて歩くこともできるおばあちゃんだった。だからなおさら倒れて脳が働かなくなってから、亡くなるまでが短くってほっとする。
ただこの患者さん、家族が一度も、亡くなった連絡をしてからも、誰一人こなかったことがちょっとだけさみしかった。

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知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa

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典型的なガキ大将だった。長良川は絶好の遊び場でもあったし、食糧を得る重要な場所でもあった。17歳で山岳部に入り、毎週山に行った。夜行で行って夜行で帰り即仕事なんて強行軍も平気だった。海外遠征も何度も行った。ヨーロッパのアルプスより、圧倒的にネパールの山が美しいという。
そのネパールで筋田さんは、山中間と学校づくりに取りかかる。若い頃お世話になった恩返しに、と。定年を機に本格的にネパール支援をはじめる。ネパールは国土の80%が山岳地帯。農業、繊維業、観光以外に目立った産業がない貧しい国。「貧困」という環境が教育の遅れを生んでいる。未だに識字率は50%。そんな国に、筋田さんはまず学べる環境を作り、つぎに、親の仕事を探した。そんな支援がもう9年続いている。そして今、筋田さんの心の奥に燃えている次なる支援の形があった。
今年、一ヶ月の予定で一時帰国。一番先に買い求めた[地下足袋2足」これは何を意味しているか。
「『土の学校』知ってる?一握りの土の中には世界の人口と同じくらいのバクテリアがいるんだって。」話題が「山」から「農」へ急展開した。筋田さんの顔が変わる。『ネパールの子どもたちは今日、明日の食べ物を常に探している。イモ類だったり、かぼちゃのつるだったり。ネパールでなんとか野菜、雑穀を作れないものか、思案中。で、考えていても仕方がないので即実践しなきゃ。で、地下足袋を買ったんだ」。
自然栽培の木村秋則さんの本を片っ端から読んで、あの斜面に、あの土にはどんな栽培法がいいのか、と一人わくわくして考えている。その表情はほとんどガキ大将だ。何かを企んでいる顔、とてつもなく大きいこと。日本の食糧自給率も低いことを憂慮して、日本を救うための原点はネパールにあり!と豪語する筋田さんの何という魅力的なことか!私もつい「できることやらせてください!」すかさず「その目で土地を見に来てください。ネパールで待っています」…こういう展開になるとは…こんな出会いが人生を楽しくさせる。感謝。

筋田雅則(すじたまさのり)各務原市出身。
20代半ば、岐阜県山岳連盟のカシミール遠征隊へ招聘。その帰り、初めてネパールへ立ち寄る。その後、ネパールの同宿の山仲間と、「学校づくり」を開始し38校を建設。定年退職後、ネパールへ移住。首都カトマンドゥからバスで40分くらい東のサンガに情報交換の場として銀杏旅館を建設。旅館を運営しながら、ラムチェ村を中心にボランティア活動を行っている。ブログ『ネパール通信」では、ネパールでのボランティア活動報告を通して生きた現地情報を伝ている。

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時間 19:00から21:00(老若男女、経験・年齢不問、できる楽器持参、手ぶら問題なし!)
場所 アートギャラリー是(関市武芸川小知野489) TEL 0575-46-3878

01そもそも「276バンド」の名前の由来は?というと、般若心経のゴスペルバージョンに魅了されたメンバーが「般若心経の文字数は276文字、だよね。ストレートかつシンプル、これに決定!」。しかし、ゴスペルと般若心経。宗教の枠を超えてクロスオーバーな取り組みに異論反論も多々あり。そもそも般若心経とは…膨大な『般若経』600巻の精髄をまとめたもので、字数にしてわずか262 文字の短い経典で、題字を含めて276文字。般若心経…いろいろな解釈があります。アクティバはその意味をしっかり勉強し、理解して上で取り組んでいます。
今年3月18日、楽器をひとつマスターしたい、という声から実現した「パーカッションを楽しむ会」講師にパーカッショニスト・西田氏を招き特訓。音を楽しむことができました。これがきっかけとなり、バンド結成に至るわけですが、仲間が集い、いろいろな話題に花が咲き、その中で一つづつ形にしていく。
アクティバの活動のひとつです。

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Report-1 「自衛隊から国防軍へ…本当にいいの?」半田滋さん

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同盟国アメリカの本音は…
今の時代、冷戦はとっくに終わっているわけで、それほど差し迫った危機はない。冷戦時代にはソ連に対して潜在的驚異といっていました。今の防衛白書には、不安定・不確実要因がまだあると言っている。これは中国、北朝鮮をさしている。では、アメリカはこの状況をどう考えているか?今年の1月、最初の外遊にアメリカを希望した安倍首相は、オバマ大統領からは「多忙」と言って断られた。それでASEAN諸国に行った。2月にやっとオバマ大統領に会えて、安倍さんは歴代首相はじめて「集団的自衛権の行使を考慮している」と言ったのに、「我々にとって大事なのは経済成長を求めることだ」と、オバマさんはそれ以上言及しなかった。その後、韓国のパク大統領はアメリカの議会で演説しました。中金平・中国国家主席はオバマさんと8時間にわたって会談しました。安倍さんは30分ですよ。いかに安倍首相が冷遇されたか!これでほんとに同盟国として日本が大切と思われているんでしょうか?さらに日本は今、中国との間で、尖閣諸島の問題を抱えています。民主党政権から外務大臣がアメリカに「尖閣諸島に関しては日米安保条約の範囲内」と水を向けても、前のクリントン国務長官の時から、「領土問題は二カ国でよく話し合って」さらに「アメリカに迷惑をかけるな」とも言われたんです。

安倍首相のおかしな歴史認識、憲法認識
安倍さんのスローガンは「戦後レジームからの脱却」。戦後体制からの脱却という事は、戦後を作ってきた平和憲法を否定して、軽武装、経済優先で戦後を成長してきた日本を否定するっていう事なんです。憲法が施行されると直ちに教育基本法が作られて平和国家を根付かせるためずっと維持されてきた。しかし彼が最初に言ったのは教育基本法を変えること、国を愛する国民を作ること、でした。つづいて、防衛庁が防衛省に昇格、最後は国民投票法を作った。彼らが作ろうとしているのは戦前のような日本に戻すこと。安倍さんは任期途中で病気を理由に辞任したんですが、再任されて今度は河野談話(朝鮮半島における従軍慰安婦問題に関する反省とお詫びの言葉を述べたもの)・村山談話(過去の植民地支配と侵略戦争に対する痛切な反省とお詫びの言葉を述べた)、これを未来に向けて発信し直すという。今までの日本と違う歴史認識を掲げようと公言しています。
今年、最多168人が春の例大祭で靖国神社を公式参拝しました。そのうち132人が自民党議員。麻生副首相をはじめ閣僚3人も含まれる。このことに対して中国や韓国から批判されると、安倍さんは「どんな脅しにも屈しない」と。でもこのあとに、アメリカのワシントンポストで、「これは日本の危険な兆候」という論文が出るんです。アメリカの議会調査局の報告書のなかでも、安倍さんに対して「右翼の国粋主義者である」といわれた。中国や韓国に対しては強いけどアメリカには弱いんですね。
自民党の政治家の皆さんも、実際に軍隊を持ったこともないし、勇ましいことを言う人にかぎって、靖国には行くけど自衛隊の現場にも来ない。軍務を知らない、軍隊を知らない、そういう人たちが「国防軍を持つべきだ」、「軍法会議はあった方がいい」と主張している。知らないのに何でそんなことが言えるんだろう。

自衛隊の役割とは
自衛隊に入隊した人1年生から3年生までの10人にインタビューさせてもらいました。
「君たちは何で自衛官になりたいの?」8人が「東日本大震災の時自衛隊の活躍をみてあこがれました。」2人が、「自衛隊の平和維持活動を見てあこがれた。」ただの一人も国防のためといった人はいない。実際に今自衛隊は戦争をやったことがない。では何の活動しているか?それは国際活動、それもPKOだけではなく、国際緊急援助隊(スマトラ島の地震・津波、パキスタンの洪水に行って人助け)として活動をしている。
自衛隊が国民の役に立つ、世界の役に立つために何をしたらいいのか、この20年間の間にきちっと積み重ねてきたんです。これを今、根底から覆そうとしている。しかも、国防軍のことはよく分からんけど、歴史認識のことはひっくり返せばいいや、という人たちが集まって。これは何とか阻止しなければ。
この9条の会の活動を通じて、できるだけ多くの方に、日本国憲法の良さ、世界に例を見ない先進的な憲法をもっている日本の良さというものを広めていただきたいと思います。

はんだしげる●自衛隊同行取材などもとづく鋭い記事や論説で知られ、日本ジャーナリスト会議省受賞の『「戦地」派遣…変わる自衛隊』(岩波書店)『3.11後の自衛隊』(岩波ブックレット)などの著書のほか、講演を通じて、改憲動向に警告を発している。


カタコトの部屋 自然派ママたちの座談会「運動会のお弁当」

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– 好評なメニューってありますか?

Aさん:私、車麩のカツをよく入れる。「カツ=勝つ」だから。
Tさん:いいねえ。ボリュームあるけどヘルシーだし。
K さん:実家の母は私が子どもの頃運動会には毎回のり巻きを作ってくれていました。多分酢飯で傷みにくかったからじゃないかな。
K さん:大変じゃない?
Aさん:ううん。一気に巻けちゃうからおむすびを一個一個握るより簡単。前の晩から、かんぴょうやひじきを煮ておいて、朝にその具を酢飯に巻き込めばいいから。結構華やかになるし。できるならお稲荷さんとかもあるといいよね。
K さん:おじいちゃんおばあちゃん来たら喜ぶよね。
Tさん:のり巻きがあるだけですごい豪華に見えない?
一 同:見える、見える!
Aさん:卵焼きもよく作ります。ひじき煮とか入れてオープンオムレツにして、12分割くらいにして、盛りつけるときは立てて入れるときれいに見えるよ。
うちは大きいお重に詰めて持って行くの。それが一番楽だから。一段にはのり巻きとお稲荷さん詰めて、もう一段にさっきのカツとかオムレツとか、おかずをたくさん詰めて。
K さん:お重に入ってると普段とは違って特別な感じがするよね。

– 運動会ということで体調も考えますか?

Aさん:そういうガッツリ頑張っている時は陽性度※が高い時かな。だからお米は玄米ではなく、白米とか7分つきとかにしてます。
Tさん:長男が1年生の時、玄米は栄養価が高くておにぎりだけでもバランスとれてるって聞いたから、玄米のおにぎりしか持って行かなかったの。梨は持って行ったけど、運動会のお弁当なのに梅干しを入れたおにぎりだけ。今思うとあれはちょっとかわいそうだったなぁ。でも文句も言わず食べてくれたけど。
K さん:意外と気にしているのはお母さんだけだったりして。
Aさん:きゅうりの塩漬けもいいですよ。カリウムもナトリウムもあるから。密封容器にキュウリを5cmくらいのスティックに切って塩をまぶしておくと、それがお昼頃には程よく漬かっているの。
Tさん:漬け物みたいでおいしいし、子どももよく食べるよね。塩麹は腐りにくくする作用があるらしいから塩麹でもいいね。
Aさん:あと、ミニトマトは手でつまめるし、入れるときれいだよね。トマトの赤、卵焼きの黄色、カツの茶色、緑はキュウリ、白はごはんがあるし。五色揃うと栄誉バランスもいいって聞いたよ。
K さん:おいしそ~。子どもたち喜ぶでしょ?
Aさん:喜ぶとかより、とにかく腹減った!なの。(笑)
Tさん:なんでもおいしく感じるよね。基本、おいしいものしか持って行かないしね。
Aさん:そうね、この時とばかりに人参のグラッセとか嫌いなもの入れたりしないもんね。(笑)

– みなさん頑張ってますね!

01K さん:うちの子時々預かり保育に行くんだけど、毎回お弁当を持たせているの。まわりはみんな仕出し弁当だから、みんなと同じ物が食べたいって言うかな、と思ったけど、今日もお弁当作ってくれて嬉しいって。みんなと同じのじゃなくてもいいの?って聞いても僕はお弁当の方がいいんだって。そう言われると作りがいがありますよね。

Aさん:去年長男の中体連の時に、市大会、東海大会、全国大会と三回車麩のカツを作ったの。全国大会の前には「僕も一緒に作る、先輩たちに勝ってもらいたいから」て言って、一緒に2時に起きて作ったよ。
Tさん:手料理の持つ力がわかっているんだ!
Aさん:今は運動会でもコンビニ弁当買うとか、仕出し弁当や宅配ピザを頼むとか、学校の近くのカフェに行く人も多いらしいね。大変だから気持ちはわかるけど、以前講演会で、お弁当を作らないってことは、「あなたのために時間をかけてお弁当を作るのなんて嫌」って言ってるのと一緒だって聞いたの。「あなたのために愛も時間もかけられないわ」という無言のメッセージだって。怖いなぁと思って。だから私は絶対作るんだ!
K さん:考えてみれば、おじいちゃんおばあちゃん、兄弟と両親って、みんなが揃って外でお弁当を食べる時って運動会くらいしかないよね。今思うと、自分もあれが最後だったなぁ。

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暮らし上手 -住「ガンジーの思想に学ぶ」

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マハトマ・ガンジーは、非暴力・不服従という平和的なやり方でイギリスからの独立を達成しました。そして、チャップリンやキング牧師に影響を与えた人です。
当時のインドでは、大型機械によって大量生産されたイギリス製の綿布などが入ってきていたため、手工業がすたれ、多くの人々が失業し貧困に陥っていました。そのため、自分たちで棉を育て、糸に紡ぎ、機(はた)織りをして衣類を賄っていく事は重要な意味を持つ事でした。すべての人が食べるものや着るものに不自由しない生活が送れるようになることが、本当の独立であるとガンジーは説きます。
近代化や工業化こそすべての悪の根源であると見抜いていたガンジーは、昔ながらの自給自足的農村社会を再建する事を目指したのです。ガンジーの思想には真実があると私は思うようになりました。
手作業は遅れたことと思えるかもしれませんが、機械化による大量生産に成功したと言われる私たちは本当に幸せでしょうか。今の日本では物があふれるほどあり、食べるものや着るものに不自由している人はほとんどいません。このように豊かな生活ができるのは、工業化に成功したおかげであり、ガンジーの考えた事はあの当時のインドでは正しかったかもしれないが、今の日本にはガンジー思想も糸を紡ぐ道具の手紡ぎ車も必要ではない、とする意見が出てきてもおかしくありません。しかし、本当にそうでしょうか。

◎途上国に暮らして考えたこと

大量生産は天然資源を大量に消費し汚染物質を撒き散らします。さらに、大量廃棄を伴います。それによって地球温暖化、酸性雨、ダイオキシンなどの問題が生じており、地球環境は危機的状況にあると言われています。このような大量生産を続けていく事は不可能です。人々がそのような事に目覚めたからか、大量生産も行きつく所まで行ってしまったからか、物を作っても売れない消費不況と言われる時代になりました。この不況下、大競争時代だと叫ばれ、リストラの嵐が吹き荒れています。このような競争社会は、教育をもゆがめ、多くの人々の心を蝕んでいます。物が大量にあるにもかかわらず、人々は幸せではありません。しかも、私たちの物質的豊かさは途上国の人々の犠牲の上に成り立っています。機械のおかげで、労働から解放されるのはすばらしいことだという幻想がありますが、人手が省かれる分だけ失業者が生じ、失業しないための競争も益々過酷なものとなっていくだけです。糸紡ぎという安定した、立派な仕事を女性たちに提供しようとしたガンジーの取り組みに本当の解決法があるように思えました。

◎生活の原点を大切にする意味

01生活に必要なものを、自分たちの手足を使って生み出していくというのは、決して、庶民が貧しかった江戸時代に戻ることではありません。私が特にガンジーの思想にひかれるのは、食べて着るという生活の原点を大切にしているからです。平和を脅かすのは、軍隊や武器だけではありません。自分たちが何を食べ、何を着るかが世界の人々が平和に暮らしていけるかどうかに密接に関わっているのです。この大切なことを私はガンジーに教えられました。私たちは、日々の生活をおくる上で多くのことを選択しています。朝食にご飯を食べるかパンを食べるかは、本当に些細なことのように思えますが、それによって日本の自給率が大きく変わってくることもまた事実です。些細な日常生活の中に、実は平和で豊かな生活がおくれるかどうかの鍵があるとガンジーは訴えたのでした。そして、スワデシ(国産品愛用)はすべての人の義務であるとガンジーは説きます。お金さえ払えば何を買っても許されるわけではないことに、気付かされました。
ガンジーはただ単にイギリスからの独立を求めていたのではありませんでした。イギリス人を追い払っても、その座をインド人のエリートが占めたのでは何の意味もないからです。イギリス人がいなくなった暁には、近代的工業を取り入れて、都市化したインドを築こうと主張する人々に対して、ガンジーは農村にこそ価値があると訴えます。
豊かな自然そのものが富です。自分たちの畑で作物と棉を育て、衣と食の必需品を自らの労働によって得て行く生き方の中にこそ、本当の自立、本当の豊かさがあるのだと、この事こそガンジーが本当に言いたかったことです。
さらに、多数が利益を得るために少数が犠牲になるのも仕方がないという考えをガンジーは非常に憎んでいました。「競争ではなく、協力こそ人間本来の生き方である」というガンジーの言葉に今こそ耳を傾ける時ではないでしょうか。競争社会を前提に、どうすれば競争に勝ち残れるかを考える前に、どうすれば、競争社会から、人々が協力し合える社会に脱皮できるかを考えるべきではないでしょうか。まじめに働く人なら誰でも生活が保証される社会こそ平和な社会です。ガンジーは50年以上も前にチャルカ(手紡ぎ車)を掲げて私たちの行くべき道を示してくれています。

(片山加世子)


暮らし上手 -医・食「続・腸のおはなし」

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直感力を身につけ世界とつながる

私たちの祖先である初期の脊椎動物は、単純な神経索(神経の束)と消化管(腸)だけで生存していたと言われています。こうした原始生物は人間のように思索することはありませんが、生きている以上何事か感じてはいたはずです。
つまり生物は「頭」ではなく、まず「腸」で感じている。その感情が神経を通じて筋肉に伝わり行為が生まれる。少なくとも原始生物はこのようにして生きているわけです。

生物レベルの「感じる力」のうえに新たな「考える力」が加わった

進化した生物であるならば、本来この2つの力を使いこなせなくてはなりません。「心」や「感情」の先にはさらに曖昧模糊とした意識の世界が控えています。それは「霊」の世界が控えているからです。霊などと言えば、科学や医学の対象ではないと忌避する人もいるかもしれません。が、必ずしもそうとは言えません。この点を無視してしまうと、人がより良く生きていくために不可欠な「直感力」や「人格」の本質が捉えにくくなってしまうからです。健康の定義についてWHOでは「身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、単に病気や虚弱ではないという事ではない」と明記しています。ここでいう「精神的」とは心の状態を指したもので「霊的」という表現とは意味合いが違います。
では「霊」とはいったいなにか?

「心で感じること」と「ひらめくこと」はイコールではない

霊と心の違いがピンとこない人は、両者を「直観」と「感情」という言葉に置き換えてみてください。直観は「外部からの情報をキャッチする」アンテナのようなイメージ。これは「腸に宿っている」と言われる感情(心)とはどこかしら性質が異なっていることがわかるでしょう。
では、アンテナはどこに付いていると考えか?たとえば、野生動物を思い浮かべてください。何も考えず、感じるままに行動することができるから、考えて行動する人間と比べはるかにナチュラルな動きができます。思ったことが行為に直結しないのであれば、それは「思いつき」に過ぎません。野生動物がそんな思いつきで行動していたらとても生きていられません。

感じる→心 (腸) 考える→頭 (脳) ひらめく→???

昔の人は「ひらめく=直観する」ことを「霊」という概念と結びつけ「霊感」などと呼んできました。どこか敬遠されがちな霊という概念も、人間の生理と結びつけ極力「科学の目」で捕らえなければならない感覚のひとつと言えるのです。
また、霊という言葉には、こうした「ひらめき」や「直観」だけでなく、「人格」や「品格」などという言葉とも重なり合います。そもそもこの「品格」は、外国人には伝わりにくい面を持っています。日本の武道の世界では心技体の「心」の部分に、勝負には直接関わりのない「品格」という概念を内包させるため、勝負を重視する競技スポーツとは相いれない面があるのです。なぜなら「心は死んだらなくなるが、霊はなくならない」。つまり、永遠普遍に続くものを求める感覚をどこかで持っているからです。

直感は脳ではなく「尾骨=しっぽ」でキャッチされる

心(感情)は消化管である腸と密接なつながりがあります。直観の場合、神経との関わりが深いことが想像できます。外界の刺激をキャッチするのは神経の役割ですが、神経は体中に張り巡らされています。肝心のアンテナは一体どこに立っているのでしょうか?私たちの体の構造をふまえた場合、脳と対極にある尾骨の神経がアンテナにふさわしいことが見えてきます。たった一対ですが、この神経がキャッチした情報は行為の起点である仙骨に即座に伝わります。野生動物の俊敏な動きは、この尾骨と仙骨の連動として捉えた方が理にかなっています。脊椎動物の歴史だけを見てもゆうに5億年以上の歳月が流れています。脳が生み出す「思考」よりも、脊髄に由来する「直観」、腸管に由来する「感情」「本能」のほうが遥かに古いでしょう。
体の感覚として捉えれば、自明のことであるはずが、人は数億年にわたって、脳を特異に発達させてきた結果、どうしても「頭で考える」ことに囚われ、それが
自分そのものであると思い込む傾向にあります。仏教の世界ではこうした脳に意識が偏った状態を「無明」と表現しています。これは「体を持って生きることを忘れてしまった」状態であると言えます。

こうして生きているのに生きている実感がない

この無明から抜け出すには、脳にばかり意識が偏った「頭でっかち」の状態に気づき、「意識の中心を肉体の中心に重ね合わせる」必要があります。それが座禅することの意味であり、この中心を重ね合わせる練習をくり返す中で「直観の回路とつながる=悟る」という体験が得られることになります。もちろん、「ハラ=下半身」には仙骨と尾骨だけでなく、感情の源と言っていい「腸」がどんと控え、しかも本能の母体である生殖器も隣接しています。つまり、ハラに意識を下ろすという事は必然的にこうした強烈な「生」のエネルギーと対峙することを意味します。

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01この「つながっている」という感覚があれば、自分自身に脳力があろうがなかろうが、自信を持って生きていけるはずです。「頭で考える」という事から離れることができれば、その分、直感力もつきやすくなるでしょう。しかし、直観がしばしば「当てにならないもの」とされてしまうのは、頭(脳)で考えた「思いつき」に過ぎないからで、「しっぽ」でキャッチした「直観」と同じものではありません。私たちがなにかに悩み、たえず葛藤するのは、自分の本心を見失っているからで、脳が特異に発達し「生物である自分」から遠ざかってしまった人間の宿命かもしれません。そこで注目されるのが「ハラの自分」のもう一つの側面である「腸」の働きです。腸には、感情(心)とのつながりを問う以前に食べ物を消化・吸収・排泄する消化管としての役割も与えられています。食事が乱れて、腸の働きが低下すれば、それは感情の劣化となって現れます。肉体的には腸に便が停滞し、腐敗して悪玉菌がはびこっている状態であり、それは「心の曇り」とも重なり合うでしょう。

生物であるということ、そして、食べることで生きているということ

ここをスタート地点として、「私」という存在を捉え直すと、この時代に生きる私たちが何を失ってしまったか?何を取り戻せばいいのか?その答えが見えてくるはずです。変わっていく主体は自分自身にあります。社会に変化を求めてしまうと変化は往々にして手に届かなくなりますが、自分が変わるということだけ意識したらどうでしょうか?自分自身が生物であるということを突き詰めていくと、消化管である腸の存在が大きく浮かび上がってきます。その腸から栄養が運ばれることで活動する細胞、その細胞を活かすためのエネルギーを生み出しているミトコンドリア。腸ー細胞ーミトコンドリア このつながりのなかに自分自身を変えていく答えが無数に隠されています。漠然とした心や意識の世界も、こうした「生物としての自分」と決して無縁ではありません。むしろ、このつながりを大事にして、まずは体を元気にすること。そのために食べることの本質を捉え直してみること。
世の中が行き詰まってしまったのは、こうしたつながりを見失い、体を置き去りにし、頭の中で創り出した理屈ばかりで生きてきたからなのです。

『心と身体を変える【底力】は【腸】にある腸脳力』より
生命科学情報室代表・サイエンスライター長沼敬憲・著

 


I’m Challenger 和菓子職人・まっちん

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転職、岐阜へ

2004年に三重県で和菓子工房まっちんを開き、製造、販売、接客など全て一人でこなしていました。
僕の作るお菓子は、無農薬の素材、粉は全粒粉、砂糖は化学精製されていない洗双糖と粗糖を使用、厳選した材料で作っています。自分にしか作れないお菓子を誰もが安心して、美味しく食べてもらう、という気持ちで作っています。それが珍しいということで、イラストレーターの大橋歩さんが雑誌に取り上げてくださってから、ガラッと状況が変わりました。はじめは地元でひっそりしていたんですけど、 大橋さんとの出会いで、全国から注文が入り、多い時は3ヶ月待ちとなる程。しかし、体調を悪くしたり、だんだん一人での限界を感じるようになりました。辞めないと新しい事は入ってこない、そう思ったので一旦辞めて次に向かおうと約5年半営業していた店を閉めることにしました。ただ、閉店後も、自分にできることはお菓子作りなので、催事とか、ギャラリーやカフェのイベントなどに行って、お菓子を販売しながら、次の展開を模索していました。
そんな時に三重県でのオーガニックマーケットという催事に参加したことから、岐阜市でmbカフェ(当時)と和菓子屋ツバメヤを経営している岡田さんとの出会いがあって、岐阜市に来る事になりました。

和菓子作りスタート

01 24か25才のとき、マクロビのお店で食事をして、「あ、ご飯ってこんなに美味しいんだ!」と思ったんです。そこのお店のスタッフには、アレルギーのひどい方もいらっしゃったのですが、どの人も「私は食で治すんだ」って。そんな辛い状況でもとても明るく「食」で治していこうという前向きな姿にすごく感銘を受けました。
その時に「食」の大切さを感じて、自分も「食」に関わる事で何かできたらいいな、自分でお米を作って、それでお菓子を作れたらいいな、という思いで、地元で無農薬で作られている農家さんにお願いをして米作りの修行をさせていただいたきました。ワンシーズンでしたが、その時に、たまたま地元の温泉組合の方から、「催事にお菓子を出してみないか」という話しをいただいたんです。じゃあ出してみますっ!て返事はしたものの、和菓子作りは未経験。でも、地元のもち米や小豆などがちょうど収穫時期だったので、それらを使って和菓子を作ろう、というのが僕の和菓子作りのスタートでした。その時は本当に知識も技術もない、何もない、よく出したなって思うくらい。(笑)
後から思えば、この時声をかけてもらったことは、もう運命やなと。それがあるから今の自分がある。それがなかったら今の自分はない。多分岐阜にもいない。いろんなことが巡り巡って来てる、なんかいろいろ感じますね。

店を持ちたい!

01温泉組合の催事では、はじめて作った和菓子に「美味しくない」とか手厳しい意見をもらいました。でも、そう言いながらも期間中に何度も来てくれて、最後の日には「美味しくなった」とか「これからも出してくれ」という言葉もいただきました。人とのやり取りの中で、ありがたい厳しさ、優しさ、というのをたくさん味わってしまった。それが「お菓子を作りたい!」という気持ちになっていったんです。作っている時はとても大変で、これ以上もうできないと思っていたんですけど、その催事が終わった頃、50年くらい職人として働いた後、一人で和菓子工房を構えた和菓子職人の方に出会いました。その方の姿に惹かれたこともあって、どんどんどんどん、「自分でお菓子を作りたい」「お店を持ちたい」という強い気持ちになっていったんです。それでお米作りが終わってからはお菓子の勉強に専念しよう、それも修業に行くのではなく、独学にしようと決めていました。安心できる素材で自分にしか作れない身近なお菓子を作りたい。よし!全部自分で学んでいこう、と。右も左も何も分からないので、ひたすらあちこち食べ歩きながら、お菓子作りの構想を立てていったんです。
三重県の温泉の催事の方は毎期間、呼んでいただいて、出すたびにどんどん好評になって、一番の売り上げを出すようになりました。そうやって学びながら、頭の中はお菓子の事でいっぱいで、いつかは自分の店を持ちたい、という気持ちがどんどん強くなっていったんです。
そんな頃、ある大工さんがやってきて、「お前そこまでやって、お客さんもいるんだったら、お店をやれ。実家の一角に空きスペースがあるやろ、そこでやるべきや、おれが安く直してやる!」と。それでその大工さんに建物を造っていただいたのが、「和菓子工房まっちん」です。

独学の苦労と特権

和菓子工房では本当にいろんなお菓子を作りました。赤飯まんじゅうのアレンジで「雑穀おこわまんじゅう」「玄米おはぎ」、きび100%の「きびもち」、「よもぎ黒豆大福」だとか。田舎っぽい、大きいのが好きなんですよ。手が大きいというのもあるんですけど、細かいのを作るより、バーンとしたのを作りたいんです。その中でヒットしたお菓子は、「わらび餅」と「わらびまんじゅう」です。本当に試行錯誤の連続で、全国のわらび餅を食べ歩きして、自分が作りたい物にたどり着くまで3年かかりました。
多分、自分は人の何倍も勉強していると思います。それは自分には基礎がないから。今でもそうですけど、スランプになったらなかなか抜け出せなかったり、本を見てもわからないし。
これは僕が仕事としてやって行く事だから、ちゃんと学ばなあかんな、ちゃんと材料のことを知って、使って、作り上げる事はすごく大切だなと思いました。自分で考える。それは特定の店で修行していない特権だと思ってるんです。枠に縛られない、だからいろんなものを作れるんです。
実は、僕の家系はお菓子家系なんです。祖父は有名な職人で、全国の菓子組合の会長もやっていたし、父は酒まんじゅう屋、親戚には和菓子屋、ホットケーキ屋、甘味どころなど。でも、自分は和菓子は好きではなかった。甘い物があまり好きでなかったし。なんで今自分がお菓子を作っているんだろうって、たまに思います。完全にこれは運命、DNAやなと思っています。

やっぱり自分にできることは安心安全、誰もが美味しく食べてもらえるお菓子作り。 山本佐太郎商店の社長ともよく話し合うのは、“三十年後のおやつ作り”。震災以降食に対する不安だとか、さまざまな問題が起こって来ています。特に子どもはこれからの未来を背負っていく存在、不安なモノが蓄積されていくのは怖いです。おやつというのは暮らしには欠かせないものだし、安心な物を食べて、美味しいというのを記憶にもってもらえたら嬉しいですね。それが当たり前の日常になればいいなぁ、と思うんです。
ただ、全部本の通りの素材を使うんじゃなくて、身近でお気に入りの素材で作ってもらえたらいい。その家庭、家族、仲間で作るていうか、そういうのも一緒に作る絆みたいなものを大事にしてほしいですね。
素材にこだわる過ぎると、自分も経験があるんですけど、楽しくないし、逆に体を悪くするなぁと思いました。完全にいいものばかり摂らなきゃというその余裕のなさは、メンタル面に良くないと思うんです。やっぱり食事をするというのは、楽しくって、温かさもあって、いろんな意味を含めての食事だと思うんです。

今後

01「山本佐太郎商店&まっちん」っていうお菓子が全国に広がって、いろんな方に食べてもらえたら嬉しい。自分の関わったお菓子はいろんな人に伝えていきたい。自分が作って来たおやつというのも、家庭でつくってもらえるような気楽なお菓子としてみんなに知ってもらいたいです。お菓子作りをはじめて、本当にいろんな人との出会いがありました。出会った人の数だけ、自分の人生が広がったと感じます。お菓子でみんなと繋がっていく、というのも自分のテーマでもあるし、それが楽しいです。「お菓子で繋がる人生」そういうのもいいなぁ~。

おやつのレシピ本『まっちんのおやつ』

01『まっちんのおやつ』和菓子というよりもおやつ。おやつといったら気楽に、子どももおじいちゃんおばあちゃんもみんなに食べてもらえるかな、と。日本のおやつ作り、そんなイメージでみんなが簡単に作れて、楽しく美味しく広まってくれるとうれしいですね。
家庭で作るんだから、お金をかけずに、身近にある素材と道具で、簡単にいかにおいしく作れるか、そこにこだわりました。「ちんすこう」は子どもさんと一緒に形もぎゅっぎゅって握ったり、好きに作ってもらったら楽しいと思います。
この本、応用が無限大なんです。この半月餅というのによもぎを入れるとよもぎ半月餅。中にくるみ粒あんやフルーツを入れてもいい。砂糖を入れずに、余ったキンピラを入れたら、もちもちのおやきみたい。練乳も葛と砂糖と低温殺菌牛乳でビックリするくらい簡単にできます。添加物の心配もいらないし。本がクタクタになるくらいまで使ってもらえたら嬉しいです。
初めての出版という事で、右も左もわからず、とにかく夢中、全力でやりきったというか、もう正月もなくずっとお菓子作ってたなぁと。自分たちの思いを形にするっていうのは、こんなに難しい事なんだなぁとつくづく思いました。忘れられない一冊となりました。出版社: WAVE出版 1,470円

 


Report-2 東日本大震災取材報告

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東日本大震災から2年経過して、意識の低迷を感じています。がれきの撤去は進んでいるものの、その先が進んでいない。しかも、東松島市も被害甚大であるのに、あまり報道されていないんですね。池田町で新品の布団を380組集め送ったことで、池田町と東松島市とのつながりがスタートしました。
…今は孫と二人暮らし、その孫と二人で作業しているという。そういう現状はここ(離れたところ)にいるとわからないです。岐阜に帰るとほっとしている自分がいる。人の死が目の前にある現場は、つらい取材です。そんな中、自衛隊員はすごい働きをしていました。涙を拭いながらご遺体を探すために棒をさしている。動く命が最優先!動かない命はあとで!と。今現在も続けています。私たちは、そういうことを忘れてはならない。
被災地には、焼却灰に放射能がたまる、道路脇、雨樋の水にも…そういう現実を背負ってしまった。そこに人は住めない。人の手に負えない原発。我々の世代では解決できないかもしれない。覚悟しているが、記憶をきちんと持ち続けたい。子どもに『なぜ?』ときかれたらきちんと語れる大人を増やしたい。震災から2年経過した今、自分は記録を撮りながら、今もなお被災された方々に安息はない、そのことを絶対忘れないためにも、このような報告会をしています。

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★7月13(土)14(日)15(月)の3連休に東松島市・大曲海岸の清掃にいきます。今はとても素足では歩けません。少しでも素足で歩けるように…段階的に取り組み、素足で歩けるエリアを広げていきたいです。現地勉強会
01(地元の人の話を聞く)も含みます。参加希望者を募っています。
★みんなで作り上げていける参加型の映画制作を
考えている。
興味のある人はぜひお手伝いをお願いします。

 

 

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ぎむきょーるーむ・Can you speak English 英語教育って?

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小林:確かに差はあります。しかしたいてい一年も経たないうちにその差はなくなりますね。
岡崎:いま小学校でやろうとしている英語教育はゲームとか音楽を通して「まず親しもう」というものでしょう。
小林:基本はまず単語を覚え、文法をきちんと学ぶことにある。それはたいへんだし努力もいる。英語=楽しいという感覚だけでいると、そのギャップに戸惑うことになりかねない。

英会話、ピンとこない子どもたち
小林:英語が苦手で「必要ない」と開き直る子もいます。日常生活で英会話する機会なんて少ない。だから、会話ばかり英語学習の目的として掲げても…
岡崎:僕は名古屋港近くのまちで育ったので、アメリカ人によく声をかけられた。学校で習った「ジャック&ベティー」の会話のフレーズ、あんまり役にたたなかったなぁ。
小林:学校で教える英語は、文法とか単語も含めて、言語そのものをきっちり教えることが大切。基礎ができていれば、実際に英語を使う必要が出てきたときには必ず役に立つ。日本語とは異なる言葉の仕組みを学ぶおもしろさも、わかってもらいたい。


01ローマ字で楽になる

岡崎:英語教育の背景には
「国際化」という圧力がありますよね。
小林:国際理解を深めるためだったら、図書館で日本語の本を読んだ方が効果があると思う。生活の場で見かける外国人といえば、ブラジル人だったり、アジアのさまざまな国から来た人たちで、英語を母国語としない人が大多数を占めるわけですから。
岡崎:2011年から国公立の小学校5、6年生で英語教育が必修化に。日本の英語教育が変わり始めています。
小林:あれこれ欲ばらずに、せめてローマ字をきちんと教えといてくれたら、と思います。Aがア、B がブ、Pがプに結びつくといった音声面をきちんと理解させておくだけで、中学校での英語導入がすごく楽になります。

こばやしせいじ/春日井市立中学校教員  おかざきまさる/お・は編集委員

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外国人とは目を合わせない(笑)

-山田さんは翻訳のお仕事もされていますよね。読むことはできるのに、ほんとうにしゃべれないのですか?たしか東大医学部卒。英語の勉強もそうとうされたでしょう?
当時、受験英語のバイブル「赤尾の豆単」というのがあってね。6941語、しっかりクリアしましたよ。コンサイスの辞書だってちぎって食べたからね。高級な文法なんかも覚えた。それでも英会話ができない。しゃべれないというより、聞きとれないんだな。それがネックになっているんだと思う。
それと大学時代の経験がトラウマになっているかもしれない。同郷の友人が一橋大学でESSクラブに入っていて、彼は英語がしゃべりたくてしょうがなかったわけ。下宿先の沿線にアメリカンスクールがあって、あるとき外国人が乗ってきたんだ。チャンス到来とばかりに彼が流暢に話しかけたら、すっごいスピードで話し返してきた。ぜんぜん聞きとれない!彼はまっ赤になってうつむいちゃうし、隣に座っていたぼくも困っちゃったよ。
英語の原書を電車の中で読んだこともあったんだけど、それ以来、外国人が電車に乗りこんできたら大急ぎで本をカバンにしまう癖がついた(笑)。難しそうな原書を読んでいるんだからと、話しかけられたら一大事だよ。

-ずいぶんアンバランスな英語力ですね。
英語学者の中にもアンバランスでいいという人はいるよね。つれあいは積極的な人で、ちゃんと英会話をモノにしたんだけど、彼女いわく受験英語がまったく役に立たないわけではないといっていた。やっぱり理解は早いって。要は外国人慣れ、英語慣れしていないんだ。ぼく個人でいえば「しゃべれません」ってカミングアウトしちゃえばいいんだろうけど。なまじ英語が読めるだけにその落差は大きい。いまだに英語を話しそうな外国人には近づかない、目を合わせないようにしているんだから。(爆笑)。
ぼくの経験からいえば、知識より環境だな。小学校から教えるより、英語を日常的に使う環境、たとえばいろいろな国籍の子がいっしょに学ぶとかいう発想のほうがいいんじゃないかな。

山田 真(小児科医、「ち・お」編集委員)


記者雑感 From気仙沼-(Vol.7)

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01歌を忘れたカナリアは、後ろの山に棄てましょか。
この童謡が頭に浮かんだのは、仮設住まいの女性から「料理することを忘れてしまった」と聞いたからだ。支援物資で暮らした避難所生活からやっと仮設に移ったのに、台所が狭くてまな板を置く場所すらない。独居だと食材の消費量が知れており、腐らせるのが勿体ないという思いが働く。結果、送迎バスで行くスーパーの298円や398円の弁当で食事を済ませるのが習慣になってしまった。添加物に目をつぶれば、確かに、おかずが豊富な商品は多い。
私も一人暮らし。外食が多いが、さもなくば自炊だ。スーパーで異常なほどの総菜や弁当を買うお年寄りにレジでとても待たされるのが気になり、そんな生活があることが分かった。誤解だといけないので幾人かに聞くと、別の女性も「仮設の人は、本当に作らなくなった。皆ではないけれど」とのこと。
2千戸の災害公営住宅建設を進める市は、どんな家が望ましいか、建築家や仮設の住民と今年に入って4回話し合った。工事費や立地など民間が介入しにくい要素は別として、「気仙沼らしさ」について、市は積極的に意見を求めた。
「もらったカツオを処理できるシンクをつけて下さい」。ある仮設の代表が発言した。そうそう、カツオは買わずにもらう物。ワカメやサンマも。確かに「気仙沼らしい」と、その時は笑っていた。けれどその後、料理することを忘れた冒頭の女性に会い、包丁を握らなくなった人がカツオをもらってどうするのかと疑問がわいた。
加えて。公営住宅は、地形や防災の面から、ほとんどが山間・内陸部にできる。防災集団の移転先も、津波を避けるために引っ越すのだから同じだ。田舎の山を切り開いて集落を作ることは、過疎の集中化・固定化につながる。そういう指摘は以前からあり、菅原茂市長も分かっている。なのに、「まずは落ち着ける家を」と望む被災市民の願いを前に、問題に蓋をしているように見える。
裏山に、真新しい公営住宅ができました。入居したお年寄りは、出来合いの弁当で命をつないでいます。もしそうなるなら、山に棄てられたカナリアではないのか。ただ、仮設の人々の生活がおかしくなったのは、狭い台所しか提供できなかった行政の責任だけではない。自ら何かを作ることを半ば放棄した、被災者の心の持ちようも大きい。
童謡は、条件が整えばカナリアも歌を思い出すだろうと前向きに終わる。被災者の皆さんは人間で、鳥ではないでしょう。

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新米Nurseものがたり-(Vol.16)

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笑顔に救われた

土曜日の仕事中、患者さんの気管切開のインナーカニュラを取り換えるときに、患者さんがおもいっきり咳して、痰やら唾液やらが顔にかかった。
目にも入ったような入らなかったような感じで、感染症をもつ患者さんやったから、一瞬体が硬直した。

でもたぶん目に入っていたとしてもごくごく少量やったし、すぐにジャアジャア水で目洗ったから大丈夫やと思う。 念のためERにも行ったけど、たぶん大丈夫でしょうとのこと。 たしかに唾液では感染しないし、血液であっても感染にはけっこうな量が要る。

というものの、やっぱりちょっと怖くなった。一瞬のうちにいろんなことが頭をめぐった。
こういうときの思考回路の速さすごいね。

でもほんと一瞬でいろんなことが起こるんやなって、あらためて思う。もうちょこっと気を付けよう。

そんなことがあった次の日やったこともあって、昨日は本当に疲れた。しかも昨日もその患者さん、本当に一日中吸引がひっきりなしに必要で、そのうえ立て続けに4回も便するで、きれいにしんといかんし、脊椎の骨折のせいで体位も変えるのに一苦労やし、昨日の夜は参った。

すんごくすんごく疲れてて、帰りもちょっと遅くなって、ごはん用意する気力もなく、近所のタイ料理やでテイクアウトすることにした。

待ってる間もぼーっとしてて、たぶん相当疲れ果てた暗い顔してたと思うけど、料理もってきてくれた女の人が、すんごい笑顔で、まさに微笑みの国の人の笑顔で、心がぽっと救われた気分になった。

おおげさやけど涙でそうになった。

ふいをつかれたその笑顔に、うちは笑顔で返答するには顔のうごきが鈍すぎた。でもお店をでてから、顔がほころんでちょっとだけ軽い気持ちになったんや~

いつかタイに微笑みの練習にいかなかんわ、うち。

ありがとう。

漠然と感じるむなしさ

今日は患者さんにおもいっきりつば吐かれて顔にかかった。

食事のトレーさげてもいいですか?ってきいただけなのに。一日中ずっとだんまり決めこんで、誰かが何かを話しかけようとすると、目つむったまま、 ぺっ!!!! って吐いてくる。それで誰も話かけないときはずーっとブツブツ呪文のように暴言を吐き続ける。ホームレスのおっちゃん。

この人も生まれたときは、お母さんのお乳のんでた。どんな人生を歩んできたのかは知らないけど、そう思うと、なんだか怒る気にはならなく、この社会の漠然としたむなしさみたいなもんを感じる。今日も、またまたおなじ患者さんに、今度は面と向かって顔につばを思いっきり吐かれて、顔中がつばだらけになった。その2,3日あと、今度は別の看護師が顔面蹴りをいれられてた。彼が仮にHIV陽性でもC型肝炎もってても、そんな少量の唾液や体液からは感染することはまずないから怖くない。

01うちはなんでこんな仕事をしてるんやろうと正直少し思ったりもした。でもこれがこ
の社会の生み出す現実なんや。ストレスや体に負担がかからないほうがおかしいくらい、今の生活はストレス要因がいっぱい。

それが今の世の中なんやね…。


知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa

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田うえ( 6月2日)曇り

米作りに挑戦して今年で4年目。その土地にあった農法で試行錯誤しながら、何とか収穫はできるものの、まだまだ課題は多い。無農薬、無化学肥料はあたりまえにしたいね。
「農作業に携わることは、自然界の摂理に目覚め、人間性を回復することである。」(ガンジー)なるほど、土に触れていると落ち着いた気持ちになるわけだ。主食であるお米作りに関わることができて、ほんとうにありがたいことです。

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今年は、田んぼで苗作りをしました。この田んぼで育つから、稲も環境が変わらないから安心。
まずは、苗取りの説明から。田うえ初体験!の参加者は真剣そのもの。

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労働のあとは、簡素な食卓に笑顔がこぼれます。
昨年獲れたアクティバ米を3分づきにしたご飯と、重ね煮でつくったお味噌汁。キャベツの一夜漬け。そして、神戸の郷土料理「いかなごの釘煮」は参加者のお母様のお手製。
みんなで食卓を囲み、話題はつきない。異世代交流の場となった田うえでした。
楽しかった?!

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カタコトのへや・自然派ままたちの座談会「夏休みのお昼ごはん」

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夏休みの食事、みなさんどうされてますか?

01Kさん:うちは夏になるとどうしても麺類が多くなって…野菜も 食べさせたいんですけど、でも、手は抜きたいし(笑)。
一 同:麺は多くなるよねぇ。冷やし中華とかそうめんとか。
Aさん:夏は暑くってご飯やお味噌汁は入らなくなるよね。
Oさん:うちも麺が大好きで、毎日でも飽きないくらい。私は 助かるんだけど、ずっとそれだと、秋になったときに体がだ るくなっちゃうかな。だから蕎麦をちょっと多めにするとか、 疲れが出始めたら冷や麦を葛の入ってる物に変えたりしていま す。後、重ね煮は冷えてもおいしいので、作って冷蔵庫に入れてお きます。
Aさん:重ね煮、いいよね。うちもそうめんの上に重ね煮を乗せて、お汁をかけて、っ ていうスタイルにするとみんな結構食べます。化学調味料を使ってないカップラー メンもおやつに常備してあるんだけど、食べる時は重ね煮を入れなさいよ、って よく言うの。おいしくなるから、何にでも入れちゃう。日持ちもするし、夏のマ マのお助け食材!
Tさん:義母がそうめんのときに、キュウリ、ハム、薄焼き卵のそれぞれ千切りを麺 つゆの中に入れて一緒に食べるんですよ。そうめんだけだったら栄養がないか  ら、って。あ、それいい!と思って今はそうしています。

長い休みの間の昼食作り、何か工夫は?

Aさん:夏休みって朝、昼、晩ごはん+おやつ。それをほぼ毎日用意しなくちゃいけ ないよね。疲れてきちゃうから、いかに手を抜くか、というところに焦点があた るよね。うちは夜ご飯の時、ちょっと頑張っておかずをいっぱい作っておくの。 例えば素揚げした茄子を麺つゆに漬けておいて、生
01姜とか大葉 とか入れて、次の日の食事用に残しておくの。かなりたくさん 作りますよ。
T さん:うちは夏休みだけじゃなくて、一年中昼食は前日の夕飯 の残りなんです。土日は夫もいるからすごく作ります。そうす ると後はご飯と漬け物あればいいから。朝食はみそ汁とご飯な んですけど、みそ汁は一回に二日分作ります。
Aさん:あと、いかに子どもを使うか。そうめんとかだったら子 どもでも茹でられるよね。
Oさん:そうそう。夏休みは結構、お昼ご飯つくってみる?って。 自分の好きなメニューだったら手伝ってくれるから。
Aさん:うちも卵焼いていい?って言うから、いいよ、焼いて焼いて!って。そうめ んの上に卵焼きドーンと乗せて、キュウリも自分たちで切らせてドーンと乗せて、 とか。子どもたちも「栄養バランスが」なんて家庭科で習ったことをもっともら しく言いながらやってたりして面白いよ。

おやつはどうですか?

Aさん:子どもって口開けばお腹すいたって言わない?
Oさん:暇になると言う。お腹すいたって言うから、一生懸命用意して呼んでも、今 度はやりたいことができて全然来なかったり。さっきのは何!?みたいな。
Kさん:うちは、私が10時頃になって家事が一段落すると、ゆったりとしたいから、  ついついおやつを食べちゃいます。子どもにはラムネか、昆布か、あと海苔。海苔 は大好きなので。暑いときに何か食べたいと言ったらパイナップルを一口大に切っ て冷凍しておいて、出しています。
Oさん:うちもこの時期の安くなった苺を買いだめして冷凍庫に入れておいて、それ と豆乳や甘酒と混ぜてアイスクリームにしています。
Aさん:おいしそ?う!甘酒アイスおいしいもんねえ。
Kさん:カルピスを豆乳で割ってレモン果汁を入れる、というのもちょっとトロ?っ としてさっぱりもするし。

01Aさん:食べてても大丈夫そうなおやつを買い置いておくの。スナック菓 子とかはそんなにめちゃめちゃには買わないようにしておいて、お 煎餅とか、氷とか置くようにして。で、お菓子食べ過ぎて体調悪 くなった時には、ほらみろ!って言ってやる。(笑)ちょっと考 えた方がいいかもよって。でも、小さいうちは意識的に外に連れ 出して気分転換させないと止まんなくなっちゃうかなぁ。
Sさん:うちは、ご飯をたくさん食べさせるとか、おにぎりをたくさ ん作っておくとかするとあんまりおやつおやつと言わなくなりま した。お菓子は買ってないです。
一 同:すご?い!
Aさん:それ一番だよね。
Sさん:食べたそうになったらしょうがないから、一緒になって遊ぶんです。
Aさん:そうだよね、なんかぐじゅぐじゅ言い始めたら「外行こう!」って言った方 がいいよね。

夏は水分補給にも気をつけたいですね。

Aさん:飲み物を切らさないように気をつけています。お水でもいい んだけど、玄米コーヒーはスポーツドリンクの変わりに飲んでもい いって聞いたから、玄米コーヒーを切らさないようにしています。

01Oさん:うちも玄米コーヒーと番茶で、夏は麦茶が入ります。
Aさん:夏に麦茶を飲むってすごく理にかなっていていいと聞いたよ。
Kさん:うちは梅ジュースです。お茶ばかりだと飽きちゃうし、市販のジュースは買 いたくないので。漬けた梅の実はそのまま食べるかジャムにして。で、その梅ジャ ムで寒天をつくって夏休みのおやつにします。これから夏に向けて大量に仕込み ます。
Aさん:熱中症予防に梅ジュースはいいんだってね。
Kさん:去年はママ友達と「梅ジュースを自慢する会」をしました。黒糖でつくる人 もいれば氷砂糖の人もいて。私はてんさい糖でつくるし。なんかみんなそれぞれ 持ち味があって、面白かったですよ。

夏休みならでは、ということは?

01Kさん:夏はいつまでも明るいから、なかなか家に帰りたがらないので、一度幼稚園 のお友達と一緒に、夕方から遊ぼうって言って、仕込んでおいたカレーを公園で ランタンで照らしてみんなで食べて、夜7時半くらいには解散、ってしたことが ありました。後は帰ってお風呂に入って寝るだけなので、楽しいし、楽だし、よかっ たです。
Aさん:夏休みって体が冷えにくい時期だから、冷えて調子が悪くなる事も少ないか ら、お口の冒険はよくするよ。夏休みの間に一回はランチに行こうね、というの は決めていて、好きなところに連れて行って、好きなだけ食べ てって。外食で身に付くマナーっていうのもあるから、そうい うのも大事にしたいし。で、自分の体に合わない物を食べた時 の体の調子とか対処法とか、自分で体感して身につけてほしい の。食べ過ぎたからちょっとダメかも、って言ったら、じゃあ どうする?って投げかけます。
Oさん:そういうことができるようにするには、6才までに味覚は 作られるっていうから、少なくともそれくらいまでは親が食べ物 に気をつけるといいんでしょうね。うちの子を見てても、やっぱ り慣れ親しんだ味を美味しく思うみたい。そうしたら小さい時の 食事は大事なんだなぁ、と思います。

 


暮らし上手 -住「循環する暮らし」

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01ベランダや部屋の中でも可能で、段ボールコンポストとして都市部にどんどん拡がっています。ハエなどが入らないよう、古い肌着などの布で上部を覆う。底も含めて全体を古い毛布や一回り大きい段ボール箱などで囲んだりすると、冬でも発酵しやすい。
中に入れる基材をいったん特大の洗濯ネット(100円ショップなどでも扱っています)にいれてから段ボールに入れると、空気が混ざりやすく段ボールが痛みにくくてお勧めです。
また、中に入れる基材はピートモスやもみ殻くんたん、腐葉土などいろいろありますが、竹を粉末にしたものも有効。

 

01用意するもの
○ダンボ-ル箱(容器) ・みかん箱などの厚めの箱を一箱
(縦30cm×横45cm×高さ30cm程度)
※薄い箱であればニ重にすると良いです
○基材(それぞれ園芸店、ホ-ムセンタ-で購入できます)
・ピ-トモス(土壌改良剤、20?入り袋、約600円程度)
・くんたん(土壌改良剤、15?入り袋、約500円程度)
○箱の底に敷く下敷き用のダンボール(底の強度を上げる)
○木片4つまたは5cm巾のガムテープなどの芯5つ
(風通しをよくする)
○その他
・新聞紙(床の汚れ防止)
・移植ごて(ダンボール内をかき混ぜるため)
・温度計(生ごみ分解温度の確認用)
・はかり(投入する生ごみの計量用…自宅にあれば)

●作り方
①ダンボール箱(容器)の底から基材が出ないように隙間を
ガムテ-プでふさぎます。(側面の取っ手の穴もふさぐ。)
②箱の底に下敷き用のダンボールを1枚敷き、二重にします。
③基材のピ-トモスとくんたんを3対2(15?と10?)の割
合でダンボ-ル箱の中に入れ、よくかき混ぜます。
④温度が15~20℃位の場所で、箱の足用に使う木片4つ(ま
たはガムテープの芯5つ)の上にダンボ-ル箱を置きます。
⑤生ごみ(水気の多い物は三角コ-ナ-等で水切りする)を一日 に約500g程度入れます。
⑥生ごみを入れるたびに(生ごみを入れない日も)全体をよくか き混ぜ空気が中に入るようにします。
⑦温度計を基材の中心部に差し、温度変化で微生物の働きを確認。⑧ 生ごみを入れたり、かき混ぜる時以外はふたをし、バスタオル 等をかけます。(保温、防虫、防臭のため)
⑨段ボールがいっぱいになったら、生ごみの投入をやめ、ダンボー ル箱から出して同量の土と混ぜて約一ヶ月寝かすと 堆肥の出 来上がりです。

《発酵分解について》
♥発酵分解はすぐには始まりません。1~2週間の間に生ごみを 入れてかき混ぜると温度も30℃(置く場所やお住まいの気温に よって多少異なる)を超えるようになり、生ごみの種類や量に より60℃を超えることもあります。バスタオルをかけると温 度が保たれます。
♣生ごみを入れなくても、1日1回はかき混ぜます。
♦ダンボールの全面から分解による水分が発生するので、ビニー ル袋などで覆わずに通気を良くします。
生ごみは小さくするほど発酵分解が早いです。

 

01《温度について》
♠温度が上がらない場合は、使用済みてんぷら油などの廃食油 (200cc以下。但し頻繁に入れない)、天かす、米ぬかなどを入 れると発酵分解は早まりますが、油類は入れすぎると臭いが出 ます。
♥冬など気温が低い時は、厚手のペットボトルに70℃程度のお湯を(やけどをしないように)入れて、ダンボールの外側四隅に 置き、上に毛布をかけるとダンボールの中の温度が保たれます。

《臭いについて》
生ごみを入れても入れなくてもかき混ぜることが悪臭を出さないポイント。
♣ふたを開けるとカビや土のにおい及び発酵臭が多少あります。
♦生ごみが多かったり、よくかき混ぜないと水分の多いかたまり ができて悪臭が出る場合があります。
♠一度に多量の魚やイカの内臓などを入れると強いアンモニア臭 が出ることがあります。この場合は、基材を2~3?加えてよ くかき混ぜると臭いは弱まります。臭いが気になる場合は外側 のダンボ-ル箱を二重にしてみます。
♥防腐剤の使われていない柑橘類の皮やコーヒーかす(少量)で 臭いが多少和らぎます。
《虫、カビなどについて》
♣ 暖かくなると小バエが発生しやすくなるので、必ずふたを し、 バスタオルか新聞紙をかけます。
♥入れる生ごみはためずに水をよく切ってから箱に入れます。 生 ごみを4~5日以上入れずにかき混ぜないでおくとダニが発 生することがあります。使用済みてんぷら油などの廃食油、天 かす、米ぬかなどを入れてよくかき混ぜると温度が上がり、ダ ニが発生しにくく、またハエの幼虫がいても死んでしまいます。 (ただし、入れ過ぎると臭いのもとになるので、気をつけること。)
♦カビなどのアレルギ-のある方は室外で使ってください。 た だし、温度差のない暖かい所がよいです。

《使用期間について》
♠一日の生ごみ投入量が平均500gだと3ヶ月くらいは生ご み を処理できます。 基材のかたまりが多くなり、べたついた状態 になったら、生ごみを入れるのを止め、約一週間かき混ぜます。 (一日平均500gが適量)
♣その後、同量の土と混ぜ、約1ヶ月寝かせてから堆肥と
して使用します。