投稿者「にらめっこ高阪」のアーカイブ

VOL.163 エコビレッジ from オーストラリア

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10月中旬の3日間。パーマカルチャーのイベントのホストをしました。日本食のシェフをやっていた日本女性と和食を提供。仕込みも含めて2日間。ランチとディナー、約70人分の日本食を作ったのはいい経験になった。 日本食は仕込みに手間がかかる。焼きおにぎり、煮物、キャベツとしその浅漬け、いんげんの胡麻和え、本当に素晴らしきかな和食!そして、味噌作りのワークショップに参加させてもらった。麹造りからの過程を学びました。元の麹菌は日本から取り寄せましたが、それ以降は、自分たちでできる!。しかも、豆麹(大豆とか、ひよこ豆)も起こせるんです!でも温度が上がりすぎると納豆になっちゃうらしいから、お米とか麦よりも難しいらしい。白みそと赤みその違いは大豆を茹でるか蒸すかでかわるんだって!茹でるのが白で、蒸すのが赤。で、たまり醤油は味噌つけるときに大豆の茹で汁を含ませてつけると浮いてきた水分がたまり醤油になるんやとー!!異国で、日本文化の新しい知識がついてちょっとうれしい♪

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そんなこんなで、毎週末イベントを主催していたため、忙しい生活を送っていました。03ようやく落ち着き、それとともに、人が入れ替わり、いまは新しい変化と移行の時期を迎えています。今度はこの新しいグループで何を作り上げていけるのか、いまはそれを見つけ出そうとしている段階です。 グループ生活では、コミュニケーションがとても重要です。それから、助け合い、支え合い、そして、受け入れる事、伝える事。それが重要になって来ます。新しい人たちは、新しい事を持って来てくれて、グループにシェアをしてくれます。たとえば、ヨガや音楽などのクラスなど、それぞれのスキルをグループに提供することができます。ガーデニングでも、今までと違う新しい知識を持っている人が、この場所でも適しているか、実践して、改善しようとしてくれます。新しい方法でガーデンベットをつくってみたりと、知恵を出し合い、お互いが学んでいる過程だと思います。 わたし個人的には、わずかな経験と知識をシェアできるよう、ペインティングセッションの時間を作りました。絵を描いてみたいというメンバーに、画材と空間を提供して、絵を描く時間を共有する。そういう時間を過ごすだけでも、生活の変化を感じられます。ここでの共同生活をどのように組み立てていくのか。持続可能な生活を模索しながら、2015年の幕開けは、新しく加わった音楽家とともに、なにを作っていけるか。これから楽しみです。                                YAO

 


緊急特集 ジャーナリスト・久保田弘信さん講演会「イスラム国」人質事件と日本のゆくえ

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回のを受けて

後藤さんは非常に優しい方で、取材のテーマがぼくと似ているんですね。戦争の中で非難民として生きる子どもたち、大変な思いをして暮らす家族、そういった人々に焦点を当てる。僕たちジャーナリストにとって、一番の喜びは「伝えること」、「知ってみなさんに考えてもらうこと」なんですが、メディアが扱う情報はどこか偏っています。取材をして帰国して、日本のメディアに使ってもらおうとしても、「うーん」といって使ってくれないんですね。日本のメディアは非常にセンセーショナルな映像を求めます。

昨年末に僕は遺書を残してイラクの最前線に行きました。「なにかあったときには僕の責任。ですからイラクの人を恨まないで下さい。二国間の関係がこじれるのが一番困ります。」と。後藤さんは最後シリアに行かれる前にビデオメッセージを残されました。『もし自分の身になにかあっても、シリアの人を恨まないで下さい』と。にもかかわらず、日本の首相はなんと言ったか。『罪を償わせる!』。何でそういう強固な言い方をするのかなと。間違いなく後藤さんはそのことばを望んでいないと思う。日本の首相がそういう発言をする中で、世界中のメディア、世界中の人々が「日本って右傾化しはじめたんだな」、というのを感じています。

このままでいいのか、それは僕が決めることではありません.僕は現地で撮ってきた情報をみなさんにお伝えして、こんなふうに日本って思われていますよ、そんな中で、このまま安倍首相が行っている「積極的平和外交」という方法に行くのかそれとも平和憲法を大事にしていくのかって、実は僕たち日本人が一人ひとりが考えなきゃならない時期に来たと思う。今までは「9条を守る」、「日本の平和外交をどういうふうにしていくか」ということは日本国内の問題だった。そのことを今は世界中が注目しています。日本は大きな分岐点に来たんだと海外のメディアが伝えていますし、海外の人たちは思っています。

人質事件に関して

安倍政権に対する批判もありますが、非常に残念なのは、またもや出ました「自己責任論」。イギリスのBBC系列のニュースペーパーで、日本は自国民になにかあると、行ったやつが悪いという国なんだ、と書かれていました。もちろん、湯川さんにいろいろ問題があったかもしれない、後藤さんも危険を承知で行ったのかもしれない。でも自分たちの国民が、第3国の人に殺されたときに、「行った本人が悪い!?」これ、日本独特の文化なんですね。危険を承知でやったんだから、死んでも仕方がないんじゃないか。こういう考え方をする日本は、ハイリスク・ローリターンを覚悟の上、自費で戦場に赴き、内情を取材する僕らジャーナリストにとって、非常にやりにくい国です。フランスのジャーナリストが、イスラム国ISISに拘束されて、無事帰って来たときには、英雄扱いでした。かたや日本では帰って来た本人が最初なんて言いますか?「ごめんなさい。ご迷惑かけて申し訳ありません」そこが違うと思うんですね。

イスラム圏は危険か?

今日も、各新聞社やテレビ局の方が大勢いらっしゃいました。インタビューを受けたときに「中東、それからイスラム圏の危険ってなんですか?」って聞かれたんですね。今回のニュースをきっかけに中東とかイスラムの国が危険だって言うふうに、なんか一面的に日本が伝えてしまっているところがある。
確かに危険はあります。政情が不安定な国ですし、問題は多々あるんですけど、僕たちは中東の国々のことをどれだけ知っているかって言うと、かなり知らない人が多いんですね。反面、日本という国は世界中から知られています。
で、今回の件があって、中東のことに少し思いを寄せる。イラクとシリアの間にはややこしい問題があり、イスラム国っていう新しい勢力がいるんだ、かつて戦争があったイラクってもう十年以上経っているが、その戦争後、どういう治安でどういう暮らしをしているんだろう、シリア内戦が起こった?シリアってどういう国なのか…僕たち知らないんですね。何か事件が起こって、その事件をきっかけに伝えられるだけで、その国の国民性とか、全然伝わってない。
イラクの人、シリアの人、それからトルコの人、ヨルダンの人、みんなが、日本のことよく知ってます。よく思っています。戦後、たった70年弱のあいだにここまで「復興した国」、もう1つは「戦争を放棄した国」って。特に今まで、イスラム圏との戦争に関わって来なかったということで、中東の人たちは、日本のことを非常によく思ってくれてます。僕らジャーナリストは肌でそれを感じているんです。

僕たちは中東を知らない。

後藤さんの死をきっかけにこれだけの人が集まってもらって、中東のことに思いを寄せてもらったら、この会の初めにしていただいた黙祷よりも彼は喜んでるんじゃないかと思うんです。いつ僕もそういう立場になるかわかりません。毎回覚悟しています。そのときに黙祷してもらったらうれしいです。でも、それ以上に僕が今まで伝えたいと思ったことを残された人たちが知ってくれたら、それが一番うれしいですね。  (文責・にらめっこ)

中東諸国の歴史ー①/6  1年かけて勉強しよう!

02中東諸国では、なぜここでこんなに戦争が起こっているのでしょうか?それは、「石油」という利権と、「宗教」 による対立があるから。特に 「石油」が大きなポイントで、この利権を得るために中東以外の諸外国も積極的にこの地域に関わってきました。
また、「宗教」による対立があるために、双方が利益や損失を考えて和平をする、といった事もなくなってしまいます。
そこへ来て、「イスラエル」という全く違う宗教と民族の国がポンと出来て、ますますゴタゴタになってしまいます。

元々、「中東」 の一帯には 「オスマン・トルコ帝国」 という名のデカい帝国がありました。言うなればこの帝国が中東地域を 「天下統一」 していた訳で、一時は東ヨーロッパから北アフリカまでその支配地域を延ばしていました。
同じ頃、ヨーロッパでは「大航海時代」 が訪れた。オスマン・トルコ帝国が中東地域を完全に制圧してしまったため、「陸がダメなら海だ!」 というワケです。

1500 年前後、日本がちょうど戦国時代だった頃。「ポルトガル」 「スペイン(イスパニア)」 「イギリス」 「オランダ」 などの国々が、まだ見ぬ世界を探求するために船を出し、貿易船と、それを襲う海賊と、海賊を倒す艦隊が入り乱れていました。コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは1492年ですね。
1600 年頃、大航海時代は 「探検の時代」 から 「支配の時代」 へと移っていく。探検航海によって世界の姿が解って来ると、その新しい世界を支配しようと、列強国が互いに争いを始めるようになります。ヨーロッパの軍隊は最新の武器で武装していますから、世界の国々をガンガン占領していきます。
こうして、その地域の住民の事など無視した 「領土の取り合い合戦」 が起こる事になります。このヨーロッパの強国が世界中の国々を 「植民地支配」 していく事が、その後の世界の歴史に大きく影響する事となります・・・(次号へつづく)


新米Nurseものがたり-(Vol.26)

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最初は、家でベッドから座っていた姿勢からすべりおちて大腿骨の骨折で入院した。手術後何日もたって、意識がなくなりICUに運ばれた。バイタルがかなり安定してるためにうちらの病棟に。でも、両足はもうすでに脈が無く、かすかな血流によって保たれている状態だった。血管の専門医も現時点での外科的な処置は、患者の生命の危険がともなうという判断で処置はなされず。そのかわりに薬の投与で塞栓や血栓が肺や脳をつまらせないようにする処置がとられた。意識もないため、食事は鼻からの経管栄養で投与されてた。
両腕は浮腫でむくみ、血液検査や点滴針をさすのが難しいために何度も針でさされてあざだらけだった。その痛々しい腕からは体液が常にしみ出る状態だった。両足は壊死さえ起こしてないものの氷のように冷たく紫がかった色をしていた。
まったく意識がない、つねってもゆすっても反応しない。瞳孔がおっきくなって動かないようにみえた。どうしちゃったんだ、何が起こったんだ、脳が機能してないのか…。

そんな状態でも、血液検査やものすごい量の薬の投与、4時間おきの鼻から胃にはいるチューブでの水分補給など、もう拷問に思えるくらいいろんなことをしなきゃいけなかった。この人は意識がない状態で、こういうことを望んでいるんだろうか。元のように意識が戻って、おかゆを食べたり家族とわずかでも会話ができるようになるんだろうか。
医者たちは誰もが口をそろえて早急に緩和ケアかホスピスに切り替えるといった。
前日、家族のヘルスケアプロキシ―(本人が判断できない状態のときに本人に代わってすべての医療ケアにかかわる決定をする人)と家族を交えてミーティングをした際に、DNR/DNI(心肺停止の時に挿管を含む蘇生をしないこと)が決まった。でも、緩和ケアのみにするか、ホスピスに切り替えるまでは、やはり延命をするために心肺蘇生以外のことは全部なされる。
それは、たぶん本人にとっても家族にとってもケアする側にとっても苦痛だと思う。

3日後には、経管栄養も外れて薬の数も最小限になってた。
ところが、家族がやってきて、「なんで食べ物を与えない?アイスクリームでもゼリーでもいいから食べさせろ。このまま餓死させたくない、点滴も辞めて、いったいどうゆうつもりだ!」と言ってきた。しかし、本人は意識がなく飲み込めないから食べさせることはできない。今の状態で無理やり口に何か入れたら、誤嚥性の肺炎になることは間違いない。
ケースバイケースだけど、基本的に緩和ケアやホスピスは延命につながることはしない。でも中国の人達は、文化的に食に対する意識がかなり強いといつも感じる。
ホスピス病棟でも、食べるたびに吐いて、食べるたびにおなかの張りを訴える中国人の患者さんに、それでも家族はひたすらおかゆを食べさせていた。吐く=体が受け付けない、意識がない=食べられない、ということではないのか。点滴も体が受け付けなければ、すぐに肺に影響がでて浮腫ができてくる。それでも、ちょっとでもいいから点滴で水分補給を!という家族は多い。前はそれもわかるような気がしてたけど…。

でも、最近は乾いていくという過程も死にゆくことのなかで自然なことなのではないかと思う。年をとるほど、肌はハリがなくなり、だんだん軽くなっていくのは、自然なことだと思う。軽い方が骨や関節に負担が少なくなるしね。死が近づいているとき、体が乾いていくのは、やっぱり自然なことだと思う。

人は何も食べたり飲んだりできなければ、死ぬ。それはとても自然なこと。人間に限らず、どんな生き物でもそう。生き続けるということは簡単なことではない。どんな環境にすむ生き物でも自分の命を保持するための栄養補給と水分補給ができなくなったら死ぬ。自分で生きる力が無くなった時、命は死ぬ。
それが医療の進歩のおかげで、昔なら助からない命も助かるようになってきた。食べるという行為なしに、胃や血管に直接、生命が維持できる栄養を届けることができるようになった。
これは奇跡のようであり、奇妙な現実でもあるとうちは思う。

森や草原や砂漠に住む哺乳類は、生まれた瞬間に母親の母乳を飲める力がなければ、死ぬ。でも人間の赤ちゃんは未熟児で生まれて母親のお乳を飲む力がなくても、みんながみんな死ぬわけではない。とくに先進国やNICUや他医療が整っていればいるほど生存率は高くなる。それは素晴らしいこと。ただそれがどんな命にも使われるべきかというと、そうでもないと思う。赤ちゃんは、その時期をのりこえるとたいてい自発呼吸、自分でお乳を飲んだり、自分で生命を維持していけるようになる。
それが、自分自身で生命を維持できる力の回復が見込めない人や、死が近い人に使われると、本人にとっても家族にとっても辛い時期が続く。何のための延命で、何のための栄養で、何のための医療なのか。本人のためなのか、家族のためなのか、そこにエゴはないのか。

命は死ぬ運命と一緒に誕生する。生まれれば死ぬ。そこに永遠はないし、きまった時間もない。
どんなふうに生きたいか、どんなふうに逝きたいか、どんなふうに生きてほしいか、逝ってほしいか、不吉とか暗いとかって毛嫌いせずに、普段から話しておくのはすごい大事だと思う。

 

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記者雑感 From気仙沼-(Vol.17)

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02 津波で廃校になった小学校跡地に市内初の災害公営住宅が完成し、1月31日に入居が始まった。あの日から1422日。「1日、1日、待っていた。でもまだ多くの人が仮設住宅にいるから、自分だけ喜んではいられない」。佐藤淑枝さん(72)は語った。
岩手県一関市の仮設住宅から引っ越したのは佐藤さい子さん(67)。独居で車を持たない佐藤さんは、古里を離れた仮設でも駅や店に近い方がいいと考えた。ところが住み始めた直後に腰を傷めて思うように歩けず、買い物にも行けない。そんな折、気仙沼市のスーパーが仮設巡回バスの運行を始めた。佐藤さんの所は週2回。店の軒先まで連れて行ってくれるし、道路が凍っても休まない。今では体がかなり回復した佐藤さんだが、「本当に助かる」と転居直前まで利用した。
スーパー近くの飲み屋で2年ほど前、潜水士の藤代隆久さん(42)と知り合った。どんな仕事か知りたくて昨年末、津波で壊れた岩手県宮古市の防波堤復旧現場にお邪魔した。大きなコンクリートブロックが隙間なく並ぶようクレーンを海中で誘導し、海底に着けばブロックを釣っていたワイヤーを工具で外す。これを繰り返して新しい防波堤ができる。藤代さんの姿は私の乗る船からは見えない。船上のスピーカーから、「ゼー、ハー」という呼吸音が聞こえる。「ああ、藤代さんは生きている」。なぜかそんなことを思った。
暮らしと復興を支える仕事は、買い物バスや潜水士以外にも多い。税別280円にもかかわらず、大口の工事現場に限って配達を始めた弁当屋もある。経営者の鈴木恒子さん(67)に会うと、「弁当より子どもの話を」と頼まれた。子ども劇団「うを座」。学芸会は勘弁して欲しいと思いつつ、稽古を覗いてみた。
大津波警報を伝える無線とサイレン。「いやあーっ」。幼なじみが目の前で津波にのまれた姉の実体験を高校2年の鈴木菜々さん(16)が演じる。高校3年の畠山沙樹さん(18)は、同居していた祖父が行方不明のままだ。仲間の船が無事か、港に見に行ったという。畠山さんは語りかける。「ほかの人のこと心配すんのは、すごくいいことだと思う。でも自分の命ぐらい何より大事にしてもいがったんではねえがな。4年もたつし、はやぐけえってこいや、みんな待ってっからさ」。
恐れ入った。辛い体験の再現に終わらず、「世界の支援を受けた私たちだからこそ、世界の子どもに目を向けよう」というメッセージを発する後半も圧巻だ。震災前はあまり感情を表に出さなかった畠山さん。たくさん泣いているうちに、笑ったり、怒ったりするようにもなった。声優を目指して、今春、関東の専門学校に進む。

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“天然のくらし”応援団 第1回は「農薬について」

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日常生活になじんでいる 殺虫剤、蚊取り線香なども農薬です!

発達障害とはどういう意味でしょう?胎児期や幼児期の脳機能の発達の障害で、その現れ方により注意欠陥多動性障害や自閉症スペクトラム、学習障害などとよばれます。
原因は遺伝とか子どもの育て方とかいわれたした。しかし、科学の進歩につれて環境の影響が大きいと分かりました。昨年11月9日、発達障害と環境との関係についての黒田洋一郎博士の講演会が各務原市でありました。環境中の水銀などの重金属や有機リンなどの農薬、ダイオキシンのような残留性有機汚染物質などが脳発達に影響し、安全な殺虫剤と宣伝されているネオニコチノイドも神経細胞に影響を与えることを説明しました。農薬などの環境汚染物質は発達障害と深い関係があります。
日本の農薬使用料は世界で2番目に多い!
「アメリカの農薬使用は多い」という人がいます。これは誤解です。経済協力機構OECDによると、日本の農薬使用量は長い間OECD加盟国で1番多かったのですが、最近の調査は韓国が1番で、日本が2番です。米国の農業は出費をできるだけ避け、防除が必要なほどの虫がいななければ殺虫剤を使いません。日本では虫などの発生を予想し、年間の防除予定を組み、防除が必要なほど虫がいなくとも散布することがあります。この結果、日本の農薬使用重量は単位面積あたりアメリカの約17倍です。この他に日本では農薬に分類しない「除草剤」なども民家近くで使われています。

アメリカの国立環境衛生研究所が昨年10月に発行した雑誌に、「神経発達障害と誕生前に農薬近く近く住むこと」という論文が発表されました。この論文は母親が妊娠中に有機リン殺虫剤を使用する農場の1.5キロメートル以内に住むと、子どもが自閉症スペクトラムになる可能性が60%増え、妊娠後期に住むと可能性は2倍になると報告しました。ピレスロイド殺虫剤(蚊取り線香によく使われる殺虫剤類)との関係も報告されています。
除草剤も心配です。今年1月、エポック・タイムズ紙に、よく使われている除草剤グリホサートは自閉症を起こすだろうという記事が出ました。結果は確定したものではありませんが、妊娠中や幼いお子さんをお持ちの方は、除草を考えるとき思い出してください。
このように最近の研究は発達障害は環境の汚染と強い関係があると次々に明らかにしています。脳は神経系の一部です。神経に影響するような殺虫剤は警戒しましょう。除草剤も安心できません。室内でゴキブリ駆除剤や蚊取り線香を安易に使うのは考え直しましょう。子どもや自分達の健やかな明日のためです。

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中高生・平和を語る

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今回は、今年1月大垣のようこそ先輩グループ主催で行われたワールドカフェ「どうしてカンボジアの子どもたちは目が輝いているの?」に参加して学んだこと、考えたことを紹介しようと思います。
この企画は、大垣のメンバーでわたしの友だちでもあるうきちゃんが、高校でカンボジアについて学んでいく中で、子どもたちが生き生きと目を輝かせて勉強しているのを見て驚き、「みんなと、カンボジアと日本の子どもや学校について考えてみたい」と提案したことからはじまっています。

 

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世界のほとんどの国には義務教育制度があります。ただし、その考え方には特定の年齢の間を義務教育の対象にする年齢主義と、特定の課程を終了するまでを義務教育の対象にする課程主義の2つがあり、私たちの国の義務教育は年齢主義を、カンボジアは課程主義を取っています。
どちらの国も義務教育の間は義務なので、親は子どもを学校に通わせなければなりません。でもカンボジアの場合、ポル・ポト政権時代※に学校教育が廃止され、学校は軍の基地や刑務所として使用されるなどして破壊されてしまいました。教員は知識人と見なされ、小学校教員の8割は殺されました。また焚書政策によってカンボジアの大半の書物は失われました。その傷跡は深く、今もなお教育の立て直しが行われています。そのため、カンボジアの子ども達は整っているとは言い難いような環境下で勉強しています。それでも、将来に夢や希望を抱いで毎日勉学に励んでいます。
就学率は小学校では90%を超えますが、卒業できるのはそのうちの半分です。カンボジアでは退学率、留年率が非常に高くなっています。家庭が貧しいため家の手伝いをしなくてはならず、学校へ続けて通うことができません。地方は、都市部と比べ学校数も教員数も極端に足りていません。そのため、地方に住んでいる子どもは都市の学校まで通わなければならないのですが、それができないといった事が起こります。そのような理由で、退学率・留年率は上がってしまいます。
カンボジアには、本当は勉強したいのにできない子ども達が沢山いるという現状があります。ワールドカフェでは、「カンボジアの子どもの目はどうして輝いているのか?」「理想の教育とは?」「どんな学校に通いたいか?」という3つのテーマでメンバーを替えながら話し合ったのですが、その中で出てきた「知らなかったことを自分で見つけた時に目が輝く」という意見が印象に残りました。私たちは、整った環境で義務教育を受け、卒業できるのが当たり前で、本当に目を輝かせて授業を受けてきたかと言えば疑問です。それが、カンボジアの子ども達には保障されていません。カンボジアでも、たくさんの人が学校に行けるようになればいいのになぁ…と考えました。学校に行くことによって世界への視野も広がり、たくさんの夢に出会うことができるようになるのではないかと考えました。
私たちの国は戦後70年、一度も戦争で人を殺さず、そして殺されずにやってきました。その間にたくさんの難題があったと思うのですが、しっかりとした教育を受けて、それを乗り越えたからこそ今の平和な日本があると私は思います。
この平和な日本が続くよう、私は願います。

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エコビレッジ from オーストラリア

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昨年の12月21日はオーストラリアでは夏至にあたる日。季節の切り替わりのお祝いを込めて、party for the new paradigm(新しい形式でのイベント:意訳)というイベントを開催しました。
02このイベントの基本コンセプトは、ギフト。ギブ&テイクではなく、ギフトです。この考えをシェアし、実践して、体験を共有する事です。特徴は、参加者全員で共に作り上げるというところ。入場料はなし。その代わりに参加者は自分のギフトを持ち寄ります。今回は、事前に申し込みをしてもらい、なにをギフトするのかはっきりと伝えてもらうことにしたので、色々な形での参加とギフトが集まりました。

イベントに興味を持ちながらも、自分がなにをしたらいいのか解らない人は、ボランティアというかたちで参加してくれました。そして、このイベントの主旨を理解し、なんらかの形でのギフトを受け取り、自分もギフトをしたい、もっと積極的に参加したいと思って、再び来てくれる人たちがいました。たくさんのアート、ミュージック、ワークショップ、パフォーマンス、マッサージ、トーク、ご飯、そしてたくさんの笑顔と愛、様々な形での刺激を受けとてもいい経験になりました。

今回は2回目なので準備にも気合いが入りました。クルーの役割分担を明確にして、どうしたらチームワークがうまく機能するかが一つの課題でした。一つのイベントを作り上げる過程は、コミュニティー03(協働生活)にはとてもいいレッスンとなります。いかに、サポートしあえるか、各自が自分の役割を見つけられるようになる訓練にもなり、知恵を分ちあい、連帯感を築くいい機会となりました。それは、自分は人の為に何ができるのか、自分自身と向き合う機会となり、ほかの人は何が出来るのかを知ることができたからです。

それぞれのスキルを共有できるという事は、つぎは一緒にやってみようという意識が生まれます。連帯意識ががどんどん広がっていくことで、お互いを高め合うことにつながると思います。
私のできることは、「絵を通して表現をする事」なので、日本からこの期間に遊びに来てくれた、絵描きの友達と二人でライブペイントを披露しました。
人と絵を通してコミュニケーションをとるというのは、普段使わない感覚を使うのだなと体感しました。

こういった主旨のイベントは、めずらしいので理解するのに時間がかかる人もいます。物々交換でもなく、お金を払わなくてもよくって、ギブ&テイクでもない・・・「ギフトのみ」。それがどんなに楽しくて、自由な感覚なのかを分かち合い、これをいろんなところで実現可能にするために、いっしょにつながろう!とイベント参加者との絆も生まれました。その絆がわたしたちクルーを勇気づけてくれて、次なる熱意にもなりました。

さて写真はイベントの様子と、最近のパラダイスの畑の様子です。今は夏真っ盛り。亜熱帯気候特有の雨期でもあるため、今年は雨が頻繁に降ってくれて、畑の作物は順調に育っています。オクラ、ピーマン、ケール、キュウリ、ズッキーニ、スイカ、緑の夏野菜たちが私たちに収穫の喜びを与えてくれてます。
be happy YAO

 

 


カタコトの部屋 自然派ママたちの座談会「トイレトレーニング」

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悲喜こもごも、トイレ・トレーニング

Aさん:4男は生後3ヶ月からおむつなし育児(※)をして
いました。おっぱい飲ませておむつを替える前などにさせるとおしっこもウンチもしていたし、7ヶ月くらいからはおまるでもちゃんとしてたのよ。でも一昨年、8月にすごく暑くて、私がトイレに連れていくのもだるくて、しんどくて、ちょっと休んでいたの。そうしたら、9月に入った時にはもうイヤイヤ!っが始まって…。たった1ヶ月で時期を逸したのかなあ。「トイレ!」って言うから連れて行くと、ちょっと座っただけで、「降りる!」って。それで下ろしたとたんにジャー!したそうにしてるから「トイレ行こうか」って言うと「むーりー!」って…。
02Mさん:そう言う時なのかな?我が出て来たというか。
Aさん:おむつの中でできるなら、そっちの方がいいじゃん、みたいな感じ。漏らすと気持ち悪いように普通のパンツをはかせてみたんだけど、一日に何回も漏らされると洗濯の量も半端なくて、おむつに逆戻りしています。
Mさん:うちの長男の場合、おしっこはすんなりおむつ外せたのに、ウンチだけは4才過ぎてもおむつの中でないとできなかったの。ある日、スーパーに買い物に行った時に、ウンチって言うので、慌ててトイレに行って、4才なのにおむつ交換台の上でおむつに履き替え、そこでう?んってやってたんですよ。そうしたらちょうどそこへ同じくらいの男の子がぱーっとお母さんとおしっこしに来て、「えっ!おむつ?」と言って通り過ぎて出ていったんです。そのときはそのままウンチはしたんですけど、「お母さん、明日から俺、トイレでするわ」って。次の日からトイレでするようになったんです。いやぁ?、どこに何がころがっているかわからんなぁって思って(笑)。
Iさん:過渡期にはいろいろありますよね。うちは1才の終わりだったかな。おしっこ行きたいのに、こちらが声かけると拒否したりということがしょっちゅうで。育児書を見ると怒っちゃダメって書いてあるんだけど、ある程度大きくなったんだから、というのもわかってほしいし、こちらも我慢できないし、ちょくちょく怒ってました。
Mさん:漏らしても、これはしょうがないなと思える時と、いや、そこは!という時とあるよね。
Iさん:本人的にもわかっている時もありますよね。
Aさん:そう。子育ては思うようにはいかないんだよ、と教えてくれてるのかと思えるくらい(笑)。

 

トイレこわい?

Sさん:この子は最近時々教えてくれるようになりました。でも、おまるにいろいろ子どもの興味を惹くようなものがついているので、それで遊んじゃっておしっこをしなくなっちゃった。トイレにいる時間だけが長くなっちゃったの。
Mさん:最近のおまるって、音楽が流れたりすごいんですよね。
Iさん:音楽流れるし、光も出るし!
Sさん:子どもをトイレに誘うためにいろいろついているのかな。
Aさん:そういえば、上の子が小さい頃は、トイレが怖いって言って、よく漏らしていたわ。
Mさん:うちも、「トイレ怖いもん、でっかい穴があいてるし」って。お母さんがしている様子を見せるといいと聞いたから見せたり、足が浮かないように台も買ったし、おまるも買ったけど、結局そこじゃなかったのね。

 

こどもが悪いわけじゃないのよね

Aさん:お兄ちゃんが小学生になってもよく漏らしてて、あまりにもひどかったから病院に連れて行ったの。
Mさん:体の加減でそうなっているんだったら、なんとかしてあげたいもんね。
Aさん:その時は、腎臓にはなんの異常もないから、まあ、時期を待って、って言われたの。結局治まったんだけど。
Mさん:そういうとき、本当に待つしかないね。
Aさん:本に書いてあったんだけど、赤ちゃんは、させればトイレでもおまるでもできるのに、おむつをつけっぱなしにしていて、おむつの中でしなさいと親が教えているんだって。それを今度はトイレでしなさい、と習慣付けさせられるから可哀想だって。あぁ、そうかと思ったよ。
Mさん なるほど、この子にも早速やってみようかな。腰も座ってるから、もうおまるも使えるもんね。やる気に火がつきました。

※おむつなし育児 おむつの中でおしっこやうんちをすることを当たり前にしない育児法。 EC (Elimination Communication = 排泄コミュニケーション)とも言われ、今注目を集めています。日本でも昔から行なわれてきましたが、その智恵が伝承されることなく、途切れてしまっています。なるべくおむつの外でさせるようにすることで、赤ちゃんに気持ちよい排泄を導きます。いわゆるトイレトレーニングではありませんが、おむつが外れやすい傾向はあるようです。

 

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暮らし上手 -医・食 ぐずる子、さわぐ子は食事で変わる!「腸を整えよう」

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化学物質から身を守る「腸脳力」

 

情緒不安定な子どもたちは、加工食品から体内に取りこまれる食品添加物や農薬など、化学合成物資の被害者とも言えるでしょう。そうした、人体にとっては毒性をもった成分によって脳の生理現象が起こり、問題行動につながっていくからです。そんな毒から身を守ってくれているのも、じつは腸なのです。腸の中に食物が次々に運ばれてくると、腸はその栄養分や化学成分をいち早く分析し、すい臓、肝臓、胆のうに命令して、適切な反応をひき起こさせます。
たとえば、タンパク質や脂肪が体に入ってくれば、すい臓に命令してそれを分解してくれる酵素を腸に分泌させます。また、胆のうに指示して胆汁を腸に流し込みます。
また、食物と一緒に有害物質が侵入すれば、腸はこれをいち早く察知して大量の液体を分泌し、強制的に下痢を起こすことで、毒物を体外に排泄してくれます。じつは、下痢は生体の大切な防御反応として、とても重要な働きをしているのです。もし、この働きがなければ、私たち人間はたちまち毒素で中毒を起こして死んでしまうでしょう。
このように、腸は体に必要な物は取り入れ、有害な物は排泄するという善悪を判断する脳のような働きをする驚くべき「腸脳力」を備えているのです。
化学物質から子どもを守るためにも、腸の働きを健全化させておくことが、何よりも大事なのです

 

腸内環境が変われば意識が変わる

 

腸が「考える臓器」であるなら、腸内に入ってくる食べ物の質や量によって、考え方=意識が変わるということになります。
戦後、日本の食生活はカロリーという熱量の大小が中心の考えに重きが置かれ、「たくさん食べる人は健康だ」というような常識がまかり通るようになりました。
近年では肥満や生活習慣病の増加を受けて、量より質のほうが大事だと思う人が多くなりましたが、厚生労働省が「一日30品目を」とすすめてきたようにいろいろな食品をまんべんなく食べても調子が良くない人が大勢いますね。
それは「食物の質」の吟味に誤りがあったからにほかなりません。食物に含まれるビタミンやミネラル、食物繊維や酵素、抗酸化物質といった、ごく微量な栄養素こそが大切であり、それがないとうまく食べ物が燃焼しない不完全燃焼とでもいうべき状態をつくり出してしまいます。
少しの食べ物で元気に活動するためには、「食べものに備わる生命力」という質の吟味が大切になります。食材を選ぶのはお母さんの役割ですから、子どもたちの健康はお母さんの選択支にかかっているといってもよいでしょう。

 

人間はお腹にぬか床を抱えて生きている

おなかの内部には約300種類、100兆個の腸内細菌がいて、なんとその重さは1,5キロにもなるそうです。私たちは、おなかに微生物がたっぷりと含まれているぬか床を抱えて生きているといってもよいでしょう。
ぬか床の管理が悪くなると腐敗してしまい、悪いムシがわき悪臭が立ちこめて不愉快な状況がつくられてしまいますね。それと同じように、腸内が腐敗してくると、人間の意識や気分にも不機嫌な状態がつくられます。その結果、怒りっぽくなったり、過度に不安になったり、落ち込んだりといった精神の不安定な状態に陥りやすくなります。
ぬか漬けといったらきゅうりやなす、かぶやにんじんなどが定番で、肉やたまご、魚や乳製品などの動物性食品をぬか床につけることはありませんね。これはぬか床に入れると腐りやすく、管理が難しい食べ物だからです。
動物性食品の摂取量が多くなるほどに、おなかの腸内細菌の集団にも異常が起きて「悪玉菌」といわれる腐敗菌が増えて、腐敗毒素であるインドールやスカトール、フェノール、硫化水素、アンモニア、アミンなどの硫黄酸化物や窒素酸化物といった有毒成分が腸内で大量発生するのです。こうした「おなかのぬか床の腐敗」を防ぐためには、動物性食品を減らして、野菜や穀物を主体とした食事に変えることです。

 

大切な日々のぬか床管理

 

02おなかのぬか床をじょうずに発酵させるためには、塩の種類が重要なポイントになります。
微量ミネラルを除去した精製塩が市場に出回った当初、漬け物の味が悪くなったため、クレームが殺到したことがありました。そこで、当時の日本専売公社(民営化で現在は日本たばこ産業)は、にがりを含んだ粗塩を漬けもの用の塩としてあらたに売り出したのです。
乳酸菌には天然塩に含まれる微量ミネラルが必要のようで、質のいいぬか床づくりに海水を煮詰
めたり、天日乾燥してつくられて自然な塩を吟味して使うことが大切です。そしてそれは、ぬか床は毎日かき混ぜないと腐敗してしまうので、それが手間だからといって断念する人が多いですね。同様に、人間のおなかのぬか床も、たえず撹拌してあげないと腐ってしまうのです。
でも、人間のおなかの内臓までには手が届きませんね。では、いったいどうしたらよいのでしょう。それにはまず笑うこと。笑いによって横隔膜が振動することで、おなかのぬか床がゆらぎ、ほどよい撹拌 が行われるからです。
実際、「腹を抱えて笑う」ことで免疫力が上がることがわかっていますが、それはおなかのぬか床の発酵状態がよくなるため、といってもよいかもしれません。
ぬか床を冷蔵庫で長期保管しておくと、発酵が止まってしまいますが、それは低温では乳酸菌などの微生物の働きが悪くなるためです。ということは、おなかが冷えている子どもたちは、腸内細菌の働きが悪くなって、食べたものが不消化になり、下痢や軟便、腹痛、アレルギーなどの疾患や、食べても太れないといった体質になりやすいのです。

 

食物の皮が元気なぬか床をつくる

ぬか床には、ときどき米ぬかをあげないと発酵状態が悪くなってしまいます。同様に、おなかにもぬかつきの玄米を入れてあげる必要があります。麦ごはんや雑穀ごはんでもかなりおなかは元気になりますが、やはり、玄米ごはんに含まれるぬかの量はダントツに多いのです。
玄米だけでなく、果物や野菜の皮には亜鉛やカルシウム、マグネシウム、鉄分などの微量ミネラルや、食物繊維、酵素、ポリフェノールといった微生物の栄養となる成分がたくさん含まれていますから、皮ごと食べたいですね。

 

よくかめば、100年もつぬか床に

 

さらにおなかの発酵状態をよくするのが、だ液です。だ液に含まれているアミラーゼが、発酵促進剤として働きます。だから、だ液をたっぷり出したいのですが、ひと口30回以上かめば、だ液の分泌が盛んになり、おなかの腸内細菌の状態がよくなります。
それから、ぬか漬け上手のおばあちゃんから熟成したぬか床をもらってきて、家のぬか床に混ぜると、弱ったぬか床でも発酵状態がよくなります。これと同じように、人間の腸にも伝統製法でつくられたみそや醤油、漬け物や、塩こうじ、玄米甘酒、米あめといった発酵食品を入れてあげれば腸内環境が改善していくのです。
玄米と伝統製法の味噌汁、漬け物をよくかんで食べ、笑って過ごすことで、100年以上もつ丈夫なぬか床を腸内に作り上げましょう。

「ぐずる子、さわぐ子は食事で変わる!」より 岡部賢二・著廣済堂出版 1,200円+税


I’m Challenger 「落語家・正光寺しなのさん」

01

 言葉が持つ力

颯一郎は小さい頃から絵本がすごく好きな子でした。私が保育士をしていた関係で、家に絵本がたくさんあったという事もあるかもしれません。自閉症という障がいがあることで、大変なこと、辛いことも多かったんですけど、絵本が好きで助かったこともありました。例えば散歩に出かけて、泣いてそこから離れないとき、やりとりがオウム返しの絵本『わにさんどきっはいしゃさんどきっ』の台詞の「怒っていてもはじまらない」と、私が言うとぶすっとしながらも、「怒っていてもはじまらない」と言い、「もう少しがんばれ」と言うと「もう少しがんばれ」と言って起き上がって、散歩を続けたということがありました。
小学生の頃、日本語で遊ぼうというのがブームになった時に、彼はやっぱりとても言葉が好きなんですね。一番最後に名言集というのがあって、今日の名文というのがあるんです。そこがすごく好きで、それを本に作ったらそれをずっと諳んじるくらいになって。外を歩いているときによく独り言を言うので、菜の花が咲いていたら「菜の花や」と私が言うと「月は東に日は西に」って言ってくれる。で、雲を見て「おーい雲よ」と言うと「どこまで行くんだ」って詩の続きを言ってくれたり。それで本当に穏やかな気持ちになれました。また、親子読書といって親が本を読んで子どもがそこに感想を書く、というのもやりました。続けるうちに颯一郎が読んで、私が書く事になったんです。だんだんと出来事が書かれるようになってきました。最近は彼が日記代わりに書いている、という感じですね。まだ続いているんです。
他にも、バラエティ番組の、いろんな物の単位を言うゲームを、学校からの帰り道に二人でやっていると、そこに下校途中の同級生が混ざってきたりしたこともありました。そんなふうに、言葉で遊ぶという下地はその頃からあったんですね。
颯一郎がゆっくりとした発達だったからこそ、私は毎日のやり取りの中で、絵本の素晴らしさ、言葉の素晴らしさとか、そういうことがはっきりと目に見えて、幸せに感じていたんだと思います。

落語との出会い

中学2年の春でした。お世話になっている方が、颯一郎の独り言を聞いていて、「颯ちゃん、桂枝雀の落語を聞かせてみたらどうかなぁ」って言ってくださいました。それですぐ聞かせてみたんだけど、その時はちっとも好きじゃな
かった。でもその後、テレビの「えほん寄席」という子ども向けの落語を紹介する番組で「んまわし」※という落語にすっごいはまったんです。それでその頃はまだ落語の絵本が出てませんでしたので、番組を録画したものを颯一朗が再生して、私がそのせりふを全部紙に書いて、それを憶えて話し始めたのが落語の始まりです。それから3年間で18席の落語を覚えました。今ではいろんな方の落語のDVDを一緒に見て、颯一郎が特に笑った言葉や仕草を私がメモしておくんです。それを見せながら「どれ入れる?」と聞いて、颯一郎が決めて、落語に盛り込みます。どれも入れられない時もあります。でも、押しつけはしないです。というか、やりたくなければ、絶対やらないですけどね。
その後、小学校の特別支援学級で1、2年を担任してくださった先生に、「うちの子最近落語にハマりだしてね」と話したら、「じゃあ今度うちのお寺でするお盆会でやってみる?」と言ってくださって、初めて落語のお披露目をさせてもらいました。中学2年の夏の事です。
その時の姿は半パン、Tシャツ。手には100円ショップで買った扇子と手ぬぐい。四席させてもらったのですが、コピー落語で、見たまま聞いたままやるので、話す言葉はもう弾丸のようでした。でも、初めて人前で落語をする颯一朗の姿を私は泣きながらビデオに撮っていました。「すごーい!」って。終わった後にその先生と抱き合った事を覚えています。
2回目は、その年の暮れ、同じお寺の除夜会での年越し落語でした。その時、私の父が昔着ていた着物を着て落語をしたんです。そしたらもう全然違う。着物を着せたらこんなに変わるんやって思って。その時から岐阜のリサイクル着物ショップに通って、今では何着もあるんですよ。颯一郎も2年前から働いていますから、今では自分で買うようになりました。嬉しいですね。

颯一郎の落語

中学3年のときの合唱祭でゲスト出演された方が「もう一度あの歌声が聞きたい」っと目に留めてくださったんです。もともと声楽を学びたいという思いはあったんだけど、なかなか障がいのある子どもを教えるという先生がおられなかったので、困っているんですと話したら、ではご紹介しましょうかって言ってくださったんです。そのご縁で篠田弘美先生と出会え、そこから歌のレッスンがはじまり、落語で呼ばれた時にお歌も一緒に歌わせてもらってもいいですか?と、3年程前からは落語とお歌とセットでさせてもらうようになりました。そのときは必ず声楽で教えていただいて、合格が出てから歌わせてもらっています。
そうやって、落語じゃないものがくっついてきたので、もっと颯一郎の面白い所を出してもいいかも、と、電車のアナウンスの真似が上手なので演目に入れてみました。そうしたらお客さんにすごく喜んでもらえたんです。う?ん、面白くなってきたなぁって思いましたね。颯一郎も自分がやる会の名前を「おもしろ会」と名付けました。
最近では、落語の中にそこの会場名を入れるとか、お客さんが笑うのを聞いてから話すということもできるようになりました。前はおかまいなしだったけど、今はお客さんが笑ったら自分も一緒に笑って、それから話し始めるんです。周りの反応を見てするというのは自閉症の人にとっては難しい事なんです。だけど、それができてる、すごいですよね。
最初はね、お客さんも厳しかったですよ。「早口で何言ってるのかわからん」って言われたりもしました。でも、「この前よりおもしろかったよ」「歌がよくなったよ」と言われるようになりました。颯一郎が一生懸命落語をしているので、応援してくださっているのかもしれません。ありがたいことに、3年くらい前にやったところから、まだやってみえますか?と声をかけてもらったりもします。毎年定期的に呼んでくださる所や単発での依頼、併せて年間20回ほどさせていただいています。おかげさまで年々回数が増えてきています。私はよく一番前に座って、誰よりも笑ってるんです。
颯一郎も親の関わりだけではこうはならなかったです。いろんな人が関わってくださって、颯一郎の人生がひろがっていったんですね。多くの人のエッセンスが入って、それで今があるんですね。本当にありがたいと思います。あらためて人の力の素晴らしさを実感しています。                                    (母 直子さん・談)

編集部 颯一郎さん、初めて正光寺で落語をしたときはどんな感じでした?
颯一郎 笑いがとまらなくなるとか。
編集部 颯一郎さん自身も面白かった?
颯一郎 はい。
編集部 どんどんやりたいですか?
颯一郎 はい。

※「んまわし」。「ん」のつくコトバを言って、その中の「ん」の数を競う「んまわし」というコトバあそびの落語。

02


食は文化・食は芸術「マクロビ美人になろう!」 

マクロビ美人になろう!
食べ物でこんなに変わる私たちの「からだ」「こころ」

「からだ美人」になる

食べ物は肌に表れる
私たちが自分の意思で摂り入れた食べ物が、消化、吸収されて重なる分解と合成の結果、皮膚、つまり肌ができあがります。皮膚のすぐ下には毛細血管が張り巡らされています。きれいな血液が流れていればクスミのない肌に、老廃物たっぷりのドロドロ血液だと紫外線に当たって化学反応を起こしソバカスができやすくなります。ヒトにはほ乳類(肉類・乳製品を含む)や鳥類・その卵類、甲殻類(シーフード)などのタンパク質や脂肪を消化・吸収・消費・排泄するシステムが完備されていません。何割かは身体のどこかで停滞してしまう…そして老廃物となってたまってしまいます。吸収され血中に入り込んだ栄養分は分解・合成と進行しながら体中をめぐりますが、脂肪として口に入りやすい動物性食品は、人体の温度より融解点が高いのでとけ込めずぷかぷか浮かんでいるイメージで全身をめぐります。同時に農薬や食品添加物などを一緒に食べているので、化学物質や摂取された過剰な糖分でもドロドロ血をつくって酸化血液を増やし続けています。各種多様な物質で私たちは体内の血液を汚しているわけですが、中でも美容健康上困るのは、これら酸化血液が酸化脂質や活性酸素を多量に含むと言うことです。酸化血によってつくられ、老化してしまった細胞が各組織を作り出し、それら器官・内臓が様々な症状を引き起こします。血液を汚さない食物を選び、老廃物を溜め込まない食べ方に努めたいものです。


01ほかにも、食べ物は・・・

  • 顔の造形に表れる
  • 体形・腕や脚の太さを決める
  • 爪や髪に表れる
  • 髪の生え方が変わる
  • からだの硬さにでる
  • 足・腰や身体を重くしている
  • 頭の冴え・目の輝きを決める
  • 風邪をひきやすくしている
  • キュートな口もと、セクシーな唇を作る
  • 目もと・目のまわりに表れる。

 

「こころ美人」になる

01食べ物は・・・
自分をうっとうしいと感じさせる
引きこもりを軽くする
小言・悪口を言わせる
イライラ・怒らせる
興奮やオーバーハイを静める
「心配性」「取り越し苦労」を起こす
「猜疑心(ねたみ・うたがう心)」を強くする
「涙もろさ」「悲しみ」「淋しさ」をつのらせている
「何でもスグとびつく」「すぐあきる」
「我慢できない」「スグきれる」心をつくる
「気が弱い」「恐がりや」を変える

食べ物は「自信」「確信」を育てる
甘い飲み物やお菓子、これらは気分をハイにします。足を地から浮かせてしまうことも。しかし、一人になったころには沈んだりボヤーッとして、時には「頭に来た。もうイライラする!!!」といった感情が走ることも。しばらくすると落ち着くのですが、極端に糖度が高いものを摂り続けると糖尿病や低血糖症を通り越して腎臓にダメージを与えてしまいます。こんな話があります。ある女性が「同じカロリーならご飯でなくても好きなケーキやフルーツを」という理屈で食べ続けていました。数年後腎臓がんが発見されました。同時に引っ込み思案になって、自分の能力を発揮できないでいました。病気を機に甘いものは全てやめ、玄米ご飯を300回噛んで食べると、そこには十分な甘みを感じることができました。よく噛んで植物性の副食を摂り続けることで快復に。ただ食事のルールを守っています。「いのちが愛おしいから」とわらって「自分はこれで行こう・もう大丈夫」と確たる自信を持ち、いつも同じ自分でいられるようになりました。

食べ方じょうず

01 マクロビオティックでは、何を食べるかといった「足し算」ではなく、何を控えたらいいかという「引き算」からスタートします。

(1) 極端に陽性エネルギーを多くもつ食品は、体調によってはしばらく控えます
動物性食品(肉類、卵類、乳製品、魚介類(白身魚の刺身や煮魚は時々はよい)およびその加工品。
(2) 極端に陰性エネルギーを多くもつ食品は控えましょう
油脂(バター、マーガリン、ラード、ショートニング、大豆油、コーン油、紅花油、ヤシ油、胚芽油、サラダ油)精製糖(白砂糖、あらめ糖、氷砂糖、ブドウ糖、乳糖、オリゴ糖、還元糖)油脂を多く含む加工食品(揚げ菓子、クッキー、ケーキ、パン類、インスタントラーメン、マカロニ、スパゲッティー、ドレッシング、マヨネーズ)
(3) 自律神経を乱しやすい食べ物
動物性食品(特に肉類、養殖魚類、牛乳)砂糖類の入った食べ物、食品添加物の入った食べ物、化学調味料、清涼飲料水、アルコール類。
(4) 体液(血液やリンパ液など)を汚し、循環不良を起こす食べ物は控えましょう
動物性食品(特に肉類、卵)、油脂類、砂糖類、精白された粉の食品の食べ過ぎ(パン類、パスタ類、麺類、菓子類)

01 極陽性食品といわれている食品に、肉類があります。これらの原材料は動物です。赤い血をもつ、つまりヘモグロビンをもつ以上は生存するためには塩分が必要であり、古塩(肉には必ず塩(Na)が成分として入っている。一度動物によって使われた塩分なので古塩と呼ぶ)として塩分を含んでいます。それは私たちの血液製造には何の役にも立たないと言われています。また、それらを食べると反動で極陰性の糖度がとびきり高い果物やジュース、甘いケーキやアイスクリーム、アルコール類を身体が要求してきます。両極端になると、気分が沈んだり不安や心配からビクビクすることもあります。そんなとき、頼りになる主食が玄米ご飯。春はハトムギや大麦(押し麦や丸麦)、重たい気分を軽くしたいときは、夏はコーンを、気を和らげたいときには、きびや粟を混ぜて炊きます。玄米ご飯は圧力をかけずに炊くことをおすすめします。土鍋で炊くとおいしいですよ!。水の分量は玄米の1.5倍が目安。中火で沸騰したらとろ火にして約15分〜20分。湯気からこんがりお焦げの匂いを感じたら火を止め20分蒸らします。

 

「火」の話し

食生活や住まいを中心とする熱の「火」を考えてみます。寒さが厳しくなるとヒトは身体が冷えてつらくなるので、何とかして暖をとるための工夫をしてきました。これは「食べて命を明日へつなぐ」という食という行為から始まったと言っても過言ではないでしょう。

現代に暮らす私たちが生活のために使う火力は、やはり自然界からの恵みであるもの、自然により近い「炎」から得られる火力が心身に最も馴染むのではないでしょうか。

マクロビオティックは食や住にこの「炎」という火力を人類にやさしい熱源として使います。たとえば玄米を水と自然塩ひとつまみとともに、土鍋に入れ、炎で炊いたご飯。それを身体の中に入れたとき、玄気パワーがジワッと広がり、次第に身体の一部に溶け馴染むのを感じます。天然の「火」の優しさと強さがそこにあるのです。

料理じょうずになろう

五感は変化を楽しんで、体内は外界とのバランスを摂り快適に暮らせるよう工夫された食生活がマクロビオティック料理です。春から夏へかけて食べ物は、より軽め、さっぱりしているものを好みます。「暑い」「熱い」は状況的に陽性といえます。身体は緩み陰性な飲み物・食べ物を求めます。従って、調理は気温の上昇につれ陰性度を高め、体内と対外のバランスを図ります。加熱時間を短く、味もあっさり目。残暑を過ぎたころ、緩んだ身体の体温は奪われ冷気やウイルスが忍び込みます。本格的な冬には今までとは反対を心がけます。気温が低く(陰性)なるのに比例して食事は陽性度を高めます。陽性度の高い根菜類を多く摂り、加熱時間も長く。味はやや濃いめ。このように自然と陰と陽のバランスを整えているんです。自然を感じることは「身体の声を聞く」ことにつながります。これからも、気候風土にあわせた果物や野菜など、地元で採れたものを摂るよう心がけましょう。『まくろ美美人』文芸社 著:カノン小林

01

COLUMN 血の話し

「風の谷のナウシカ」と血液は腸で造られるという「千島学説」が結びついた。そのわけは…

ある日、がん細胞って何なのかなあと、ぼーっと考えていたことがある。すると、宮崎駿アニメの中で私が一番好きな「風の谷のナウシカ」のイメージがふっと浮かんできた。あの“腐海の森”で、毒を出して人を寄せ付けないオウムを始めとする昆虫たちが、なぜか突然、がん細胞と重なって見えたのだ。

ナウシカは、キツネリスのテトが牙をむいて、自分の指にかみつき血を流しても「こわくないのよ、ほら、こわくない。ねっ」と言って、指を差し出し続ける。するとテトは、自分が噛んで傷つけたために流れているナウシカの指の血を、次第になめはじめる。ナウシカは知っていたのだ。攻撃してくるものは怯えているものであることを。怒っているものは、傷ついているものであることを。

人間が、毒を出す森である腐海を焼き尽くしてしまおうと攻撃を始めると、腐海の王である強大な蟲オウムが人間を殺そうと暴動を起こす。ナウシカは「怒らないで、こわがらなくていいの。私は敵じゃないわ」と言ってオウムを抱きしめる。

オウムは人間に攻撃されたため、足はちぎれ、からだから青い体液を流し続ける。目は怒りで赤く燃えている。死にかけているオウムに寄り添いナウシカは言う。「ごめん…ごめんね…。許してなんていえないよね。ひどすぎる…」すべてを破壊し尽すほど荒れ狂っていたオウムたちも、ナウシカのやさしい語りかけによって静まってゆく。ナウシカの愛だけが、オウムの怒りと凶暴性を失速させられるのだ。私はこの場面で毎回泣いてしまう。

ナウシカは知っていたのだ。腐海は、人間が汚した世界をきれいにするために生まれた森であることを。腐海の樹木は、汚れた土や水の毒をからだに取り入れて、地下で美しい水、空気、胞子、結晶を作っていたことを。腐海の蟲たちは、本当はみなその森を守る精であるということを…。

「風の谷のナウシカ」と「千島学説」が私の中で不思議に重なってしまった。千島学説(故・千島喜久男医学博士の学説)では、がんは、血液の汚れを警告しているものであり、がん細胞は汚れた血液の浄化装置だという考え方をしている。現代西洋医学のがんに対する考え方とは全く違う。

千島学説は、血液は骨髄ではなく小腸の絨毛で作られているという学説だから今の医学会では認められていない。この学説を認めてしまったら、現在の医学教育を根底から塗り替えなければいけなくなるからだという。

「偉大なる素人でありたい」と思った私は、医学的にどちらが正しいかというより、どういう考え方が私にとってより納得できるのか、前向きになれるのか、行動に移せそうなのかという物差しで選択していくしかないと思ったのだ。

そういう意味では、がん細胞=極悪非道の超悪玉、故に、どんな手段を使ってでも殺す、叩き潰すという、西洋医学の好戦的な考え方より、がん細胞は、血液の汚れを警告するため、血液を浄化するために生まれるのだから、まず、宿便をとって、腸の大掃除をして、腸内細菌叢のバランスを整え、血液をきれいにし、酸化したからだを中庸に戻し、がん細胞が生きにくい体内環境を作ろうという千島学説のメッセージの方が腑に落ちる感覚があった。

がんというものが“死の象徴”になっているのかもしれない。まるで、がんを叩きつぶせば死が消えてしまうかのように。死は決してなくならないのに。もちろん、死とは肉体という物資が消える現象に過ぎないのだが。

免疫力、生命力があることが何よりの鍵。私たちのからだには、毎日数千、数万個のがん細胞が生まれているのだという。なぜそれが、がんとして発病しないかというと、免疫力、生命力があれば、からだ自身が、がん細胞を退治し癒してくれるので発病には至らないのだという。
「スピリチュアルライフを始めよう」より抜粋

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©1984 二馬力・徳間書店・博報堂

 


ぐー・ちょき・ぱー/ボーダレス社会を目指して(28) 伊藤佐代子

ボーダレス社会をめざして(28) 伊藤 佐代子さん

個展

「あっちゃん、これ何て書いてあるの?これ何?」
「これは○○です。」
10月の末に息子が個展を開きました。その会場でのひとコマです。淳司を小さい頃から見てくれていた私の友人と淳司とのやり取りです。この会話を聞きながら、あ~これっていいな、自然体だー。聞いていてとても気持ちよく、その空気を楽しみました。5年ぶりにそれも一度引退宣言をしたのに個展が開催でき、いろいろな人が淳司に会いに、淳司の絵を見に来て下さいました。展覧会をすると最初に書いたようなことに思いがけず気づかされたりもします。淳司の今までがすべて蘇ってくる9日間でした。

個展を開くということはそんなに経験できることではありません。「個展を開けばいい」と私に言って下さった人も来て下さいました。淳司の絵を最初に世に出して下さった人です。14年前の話です。いつもカラーコピーをしているお店に行くと機械が故障をしていました。仕方なく遠かったのですが岐阜のパルコの文具店に淳司の暑中見舞いのはがきをカラーコピーするために行きました。ちょうどお客さんがなく店長さんと絵を描いた淳司の話をしていると「おもしろい絵だね。良かったら売ってあげるから作品を持ってきて下さい」と。夢のような出会いでした。その後すぐカレンダーをそのお店で売ってもらうことになったのですが、その人は私に「個展」という言葉を投げかけて下さいました。そんなこと出来る筈がない、夢のまた夢と思っていました。しかし、現実にそれが実現できている今は何なのでしょう?大きい賞を貰ったわけでもないのにたくさんの人に来ていただける展覧会を開くことができる幸せを感じています。

この「ぐーちょきぱー」を読んで励まされていますと会場を離れる時に言って下さった人も新聞を見て来て下さいました。なんて多くの人を巻き込んで淳司は生活しているのでしょう。今回の展覧会も淳司にとっても私にとっても有意義なものでした。毎回思うのですが、一人で生きているのではない、多くの人に支えられて生きているのだと。そして今置かれている環境と今まで出会った人に感謝・感謝です。

プロフィール

伊藤 佐代子 (いとう さよこ)
伊藤淳司の母、岐阜障害者就業・生活支援センターの支援ワーカーをした後、NPO法人オープンハウスCANの理事長。地域で暮らす障がいのある方の生活支援や障がいのある方と書道を楽しんでいる。

リンク

NPO法人オープンハウスCAN


知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa/(1)自分らしい「骨壺」を作ろう!

自分らしい「骨壺」を作ろう!

水上勉には、もうひとつ“道楽”があった。それは骨壺を作ることである。とはいっても、人間が死ぬのは一度だけであるから、骨壺などひとつあればよさそうなものだが、彼は釉薬を工夫したり、土を変えてみたりして、いくつも作りつづけたそうだ。その来歴を振り返って、彼はこう綴る。

《九歳で京都の禅寺に入った私は、葬式や枕経をよみによくいったので、人の死には子供の時分から馴染んだと思う。京都の火葬場は、当時、北山にあって、のち等持院に入寺し、金閣寺の前を通って、大徳寺の般若林に通学したのでその火葬場へもよくゆき、骨壺も見た。日本の骨壺は、味けないものが多かった。(略)白い手袋をはめた人が、おもむろにとりだす壺は、量産品の顔をしていて、つまらぬものだった。(略)味けない骨壺は、のちに寺を出て大人になってから、友人知己の葬祭にゆくたびに、思いをあらためさせられた。なぜに、苦労多い人生を果てたのに、オリジナルな壺に入って楽しまないのだろうか。》(「骨壺の話」)

画廊の追悼展の一角に、大小ふたつの骨壺が置かれていた。それは作者の骨を収めるためには選ばれず、いわば骨壺たる役目から免除された骨壺であった。ぼくは実際に骨壺をつぶさに見た覚えがなかったので、水上が“味けない”と評した一般的な骨壺がどのようなものか知らないのだが、そこに陳列されていた骨壺はつやっぽい光沢を放ち、墓の下に埋もれさせるには確かに美しすぎるようだった。

だが彼は、こんな骨壺だったら中に入ってやってもいい、などと思いながら作ったのかもしれない。心筋梗塞から奇跡的に快復したとき、担当医師は「一万人にひとりの生還」と評したという。しかし水上の心臓は3分の2が壊死してしまい、その後もリューマチや悪性腫瘍、網膜剥離などに悩まされつづけた晩年だった。彼は着実に近づいてくる“死”と向き合い、腹を割って語り合ったことだろう。妙な言い方だが、“死”と酒を酌み交わしたこともあったかもしれない。“死”を遠ざけるのではなく、引き寄せるのでもなく、ほどよい距離を保って、うまく付き合おうとしていたのだろう。それは楽しくもあり、哀しくもある。骨壺を作って“死”に備えることが、すなわち生きることであるというのは、笑いながら涙をこぼすことと似ている。

彼の“死”との付き合い方は、徹底していた。例えばこんなふうにだ。

《月の半分以上は、信州の北御牧村で仕事をしているので、山の家の寝室も棺桶ふうにつくってある。ま四角の一メートル八〇、一間計算で三坪の部屋だが、なるべく、棺桶のイメージに似せて、板で囲い、むろん板床の上にベッドを置いている。ほかには、本棚の本と机がわきにあるだけ、あとは何もない。時に段ボール箱に入れたシャツだの、下着だのが入っているが、そんな殺風景な部屋をベッドに入る直前に一べつして、私は死ぬまねをする。「さようなら」とまっ暗闇の中で、声をだして誰にともなくいうのである。信州の場合は東京の妻と、障害を背負うている娘に長生きしてほしいというのである。よそにいるもう一人の娘にもいうのだ。そうして、私は、友人の誰彼と名はあげぬまでも、時々、日頃世話になっている人の顔を思いうかべながら、「さようなら」といい、仰向けになり、胸もとで手を合わせ組むのである。「さようなら、みなさん」》(「死ぬこと」)

往年の名女優サラ・ベルナールも、棺桶に薔薇の花を飾り立て、そこに入って寝ていたという。なぜそんなことをしていたのか、ぼくは詳しく知らないが、水上勉の心理はそれとは別のものだったろう。彼はこうつづける。

《死んだはずの夜があけた朝は気分がよい。ゆうべ死んだのだから、儲けたような気がするのである。これがいい。その日一日が儲け。おまけである。私はこの一日に雨がふればそれもうれしい。お天気なら尚更うれしい。どっちにしろ、二十四時間のおまけにもらったその一日を自由に送るのだ。自由に、誰に気がねもいらぬ一日を、好きなように生きるのである。このような朝がむかえられるのも、死んだればこそのことだと思う。》(同)

2004年9月8日の朝は、水上勉にとって最後の夜明けだった。多くの文学作品のほかに、手漉きの竹紙に描いた絵と、手作りの骨壺と、それにたくさんの人々への思いを遺して、彼は逝った。85歳だった。後日「お別れの会」が開かれ、祭壇は45本もの竹に囲まれたという。彼は今、みずから作った骨壺の中で眠っている。水上勉が残したもの てつりう美術随想録より

えっ?「骨つぼ」を自分で作る!?はい、そのとおり!

アクティバでは、農的生活の提案や生前準備ノート・『ゼロの昇天』の書き込みのワークショップ、自分の葬儀をデザインするなど様々な取り組みをしています。今回は、自分の生き様を反映させた、オリジナル骨つぼを作りました。

講師の柴田氏により、予め成形された各種の骨つぼにオリジナルな模様、切り口(フタ)、を工夫する参加者達。粘土の固まりからつくる人も。それぞれに個性がひかって、焼き上がりが楽しみ。

骨つぼ。それは終の棲家、と考えると、居心地のいい「つぼ」を作りたくなりませんか?というわけで、実際に作ってみることに。それがなかなか難しい。とりあえずペットのを作ってみようという人や、いやいやこだわりの自分のつぼを!と熱いひとときとなりました。

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骨つぼ・あ・ら・かると

01 沖縄の骨つぼは「厨子がめ(ジーシーガーミまたはズシガメ)中国風のコンパクトな家の形。昔は風葬や土葬の後にきれいに洗骨し収めていた。写真のズシガメは豪華ですが、位の低い人ほど飾りもなく質素でした。

 

 

 

01 ヘレニズム時代の間(前4世紀より)エトルリアの都市の工房は、死者の遺灰の収納を目的とした、多彩な雪花石膏製の骨壷の大量生産していた。これら骨壷は定番で、容器は通常、神話または埋葬に関する場面で装飾され、高浮彫にて加工される。対して死者は蓋の上に宴会に参加する姿勢で、蓋の上に下半身を寝かせた様子で表されている。

 

 

01 中国では、骨壺は生きているうちに用意すると長寿のお守りとして知られている。故人の写真を入れるために、どの骨壺にも真ん中に丸や四角の窪みがあります。

 

 

01 フランスでは、骨壺を持ち帰ってリビングなどに置いておく遺族が多く、一見骨壺と分からない美しいものが好まれる。木製、銅製、陶器、メッキ仕上げなど、色・素材共にさまざまな骨壺のバリエーションがある点は日本との大きな違い。

 

 

01 スポーツにちなんだボール型骨つぼも登場!
リビングに家族に囲まれて、あのころの熱い思い出をいつも一緒に。ボール型の各種骨つぼもあり。粋な計らいか、その人らしい器で。

 


知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa/(2)生前準備講座 第7回(11月30日)

知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa

生前準備講座 第7回(11月30日)

モギソウギの体験者レポートを交えながら、自分がイメージする葬儀の形やスタイルを模索しました。2年前にNPO法人「人生これから」が提案型のモギソウギを執り行った時の映像(写真参考)を参考に自分の葬儀をイメージしました。「生前葬をやりたい!」「密葬と家族葬の違いは?」「直葬ってなに?」「無宗教で葬儀!」「宗教にこだわらなくてもいいんだ」「会員制もありなんだね」参加者の興味は尽きません。一級葬祭ディレクターの市川さんが、現実の問題をどうクリアするか、自分はどうしたいかを明確に示しておくことが重要と締めくくりました。

01 惜別の炎 自分の思いと家族の思いのズレを抱えながらも自分らしくを貫きたいと話す柴田さん

 

 

 

 

 

01本人の意向を形にした仏式スタイルでもここまでできる

 

 

 

 

 

01 風の葬送(密葬後、友人達が企画)

 

 

 

 

 

01Gシバ翁・惜別の炎(密葬後、お別れの会として)

 

 

 

 

 

 

 

2009年4月24日
関市武芸川にあるアートギャラリー・是にて、3パターンのモギソウギを行った時の様子を見ていただき、自分の葬儀をイメージし、ノートに書き込みをしました。いよいよ次回は、自分葬をデザインします。


まいまいの看護師見習い奮戦記~From Newyork~/NY貧乏Nurseものがたり-7

NY貧乏Nuseものがたり part -7
まいまいの看護師見習い奮戦記 ~From Newyork~

坂村真民の詩集を読んでいておもわず涙した一言

01 「わたしにとって詩とは生きることであった。生きがたい世を生き抜くための杖であり支えであった。」
なんでかわかんないけどこれを読んだときに、心がざわざわ?って波だって涙がじーんってあふれてきた。自分にとっては 看護 がそれなんだって今は思う。だからこそもうひとふんばりしなきゃね。

最近毎週土曜日に病院でホスピス患者さんを訪ねてる。うちがボランティアしている訪問看護のホスピス部門で、自宅で様態が悪くなった患者さんや、やすらかな状態でいられなくなった人が一時的に病院で緩和ケアをうけてる時にたずねるんやけどね。

一人の患者さんが本当に安らかで、人生で失ったものに対しての執着がまったくないの。恋しく思うことはあっても What can you do? Take it easy なのね。この人はすべてを受け入れているからこそ、こんなに安らかな笑顔ができるんやろうか。きっとこの患者さんは最期も安らかに迎えるやろうって思った。

ホスピスの患者さんは末期で意識がもどらない人も多い。そんなときは手を握ってさすったりするだけやけど、なんかね、もうちょっとだけ何かできたらなって思う。そばにいて気持ちや体温をおくることができたらな、それとも本を読もうか歌をうたおうか、詩を読もうか、何ができるやろう。

患者さんにとってのうちはアカの他人、彼らの人生の0.1%にもみたない時間を過ごすわけやけど、うちはいつもその出会いに感謝する。あなたの人生の一部にいられたことにありがとう。ここにいさせてくれてありがとう。ってただそれだけやけど、もちろん私なんかいらない人もいる。でもできるだけ、行けるときにいきたいと思う。

10月30日はハロウィン

今日と明日のバイトは仮装して接客するんやお。それでうちは制作費$1ドルの岐阜の田舎にいそうなおばあちゃんの仮装した。もんぺと長靴と腕にはめる布とてぬぐいのほっかむり。これで十分田んぼにでれる。

ひさしぶりに普段のボランティアとかね、ホスピスのことからぽーんと離れて仮装のことばっかり考えてたら、すっごいいい息抜きになった。ワクワクするしね!通りにでたらどこもかしこもお店がちびっ子たちでいっぱいでにぎやかやったよ~。

最初は本当に正真正銘の田舎のおばあちゃんでね。お客さんに、何回も厨房の皿洗いの人かと思われた。あまりにも似合いすぎてるってバイトのみんなにいわれて土鍋もったり、テーブル拭くたび笑われたし。でもこれはたぶん日本人ならではの感覚やね。

それでね!頃合いを見計らって、おばあちゃん衣装を脱いだんだよ。実は脱いだらすごいんです・・みたいなね。休憩のときに下に着てた、いざというときのための、なんだかようわからん格好になったわけやけど、かわいい魔女っこみたいなね。みんなにみせてあげたかったな~。たぶん後にも先にもこんな格好絶対しない!

人生始めてくらいのミニミニでね。しかもヒールはいてね下に短いスパッツはいとったけど、まじめに恥ずかしかったさ~!でも一年に一回いやしね もう30近いしね。しかもハロウィーンやしね。恥ずかしがったら損やおっていわれて・・・。

腹くくって筋肉質の足みせて接客した(笑)ヒールで闊歩したことなんて一度もないからすぐ足痛くなって、最期は下にもんぺと長靴はきなおした。やっぱり足にも地球にもやさしいものが一番って心から思ったわけやけど。でも楽しむときに全力で楽しめる大人になりたいなって思った。何でも楽しめるっていうのは大切やね。本当にいつまでも遊び心は忘れたくないなって思った。

プロフィール

まいまい
ニューヨークの片隅在住。2010年6月に看護師国家試験取得。不況のあおりで就職難民・・・そんな日々の中で遂に2011年10月に就職!感じたこと、気づいたことをお届けさせていただきます。


ぎむきょーるーむ/好き?きらい?漢字学習!

好き?きらい?漢字学習

得意にさせた?むわが家の秘策

01親子で交換日記
わが家の場合、親子で交換日記をつけていました。そのときのルールが「知っている漢字を使おう」でした。だからといって、とくに添削などはせず(あまりひらがなばかりだと、チェックを入れましたが)、むしろ、私がなるべく漢字を使って、読み方を聞いてきたら教えていました。「漢字」という独立した勉強のほかに、実際に使うものであるという認識ができれば、必要性を感じるようです。(娘12歳・息子7歳)

結びつける
知っているなにかに結びつけられるとスラスラとのみこめるようです。“貝”は「海で拾ったよね」とか、“地”“池”は、それぞれの「へん」によって読みが似ていてもちがうね、とか。(息子7歳・3歳・娘 5歳)
01「本に夢中」が漢字好きに
私、漢字が大好きなんです。でも、勉強した覚えがない。それはなぜかといいますと…。やっぱり本が大好きで、一年間に借りた本が学校内でいちばん多いと表彰してもらったくらいなんです。いまも月に10冊以上読みます。自分の経験から実証されているので、娘たちにはなんでもいいから本を読んでおけば楽(?)なのよと。本に夢中になることが漢字を好きになるいちばん簡単な方法だと私は思います。(娘9歳・8歳)

 

受け継がれて3300年!!「漢字」は物語だ!

子どもを漢字ぎらいにさせない近道
01 文字は、人々がその時代の社会や生活の切実な求めに応じて、年月を費やし、心を尽くし、工夫を凝らして、つくりあげたものです。ましてや、「漢字」は、そののち3300年の長きにわたって受け継がれ、いまなお私たちの生活のうちに脈々と生きつづけてきたものです。漢字ほど時間を超えて、生命力を持ち続けた文字はほかにはありません。

古代の人たちが「漢字」として表現した世界。それは、けっして具体的な人や物の形を表したものだけではありません。自然と向きあったときの畏れや、人々の心の中に生まれた思いを表したもので、ひとつの「物語」として紡がれ、育まれてきたものです。ですから、そうした漢字をそれぞれ切り離して、その一字一字を孤立して扱うことはできないと考えます。そうすることで、漢字がそのはじめから形成された、規律あるつながりと、まとまりのある世界をずたずたに切り裂いてしまうからです。

ぼくが高校生に漢字を教える際には、漢字をひとつの世界として物語ることから始めます。ですから、こういう漢字があるから、とにかく覚えなさいという教え方とは、まったく異なった授業になります。 これまで彼らが学んできた漢字に対する既成概念を大きく崩していく。そのことに、彼らは大きな興味を示します。文化としての「漢字」に触れることへの、知的好奇心を刺激されるからでしょう。漢字をただ「暗記すべきもの」ととらえず、漢字に秘められた「物語」を読みこむ作業を子どもたちとおこなうことこそが、子どもを漢字ぎらいにさせない近道なのではないでしょうか。

現在、子どもたちに漢字を教えるときにパズル化したり、クイズ化したりする動きがあります。漢字の学習を通して脳を活性化させるとか、つまらない話しに結びつけたりもする。それは、漢字の一字一字をパターン化してとらえ、伝達のための手段としてしか考えていないからだと思います。しかし、漢字を学ぶことの本当の面白さは、そんなところにはないと断言できます。漢字を学ぶことで、子どもたちが歴史を超えて、はるか古代の人たちの精神に触れる。漢字について学ぶことで、そんな衝撃的ともいえる体験を子どもたちにしてもらえれば、と思うのです。

プロフィール

山本史也 大阪の公立高校の国語科教諭であると同時に、世紀の碩学、白川静の最後の薫陶を受け、文字文化研究所の漢字普及特別講師として活動、白川文字学を広く知らしめることにつとめている。著書多数。

漢字テストはなにをテストしているのか

01 漢字テストは、もちろん漢字を「正しく」書けるかどうかを検証しているのだが、じつは、学校教育においては、それだけではない。  漢字のテストは、自宅でちゃんと勉強する習慣があるかどうかをチェックすることができる。家でまったく準備してこなかったら、まずできないからだ。

さらに、子どもが勤勉かどうかも見ることができる。漢字を覚える練習は、まちがいなく「めんどう」で「つらい」。「根気」がよくないとできないからだ。こう考えてくると、漢字にまつわる学習は、儒教的・精神的教育の要素ももっているといえる。「黙々と書いて覚えるという行為」は、子どもたちにとって「修行・苦行」なのかもしれない。

担任していた子が「先生、私、漢字の練習が好きよ。なぜって、やればノートは埋まっていくし、なんとなく勉強したって感じになるじゃない。それに、テストもそこそこできるしさ…」とボクにいった。たしかに、そういうことってあるよな。べつにおもしろくはないんだけど、出来が目に見えることの喜びってあるよな。だが、ボクは、それをクラスの全員に期待はできないなとも思う。単純なようで、奥が深い漢字学習である。

(岡崎 勝 小学校教員・「お・は」編集人)

抜粋

にらめっこのバイブル:こども・きょういく・がっこうBOOK『おそい・はやい・たかい・ひくい』N0.34より抜粋

「漢字」をもっと知りたいあなたに

01「漢字遊びハンドブック」
著者/馬場雄二
仮説社 1,785円

「神さまがくれた漢字たち」
監修/白川静 著者/山本史也
理論社 1,260円

 

リンク

ジャパンマシニスト社

 

 


食は文化・食は芸術 緊急特集part-3 子どもを守れない国は滅びる 放射線による健康への影響 まず「知る」

放射線による健康への影響 まず「知る」

なんとなく、不安…放射線による健康への影響
まず「知る」ことから始めませんか?

知られざる内部被曝についてー25年たったチェルノブイリから福島を考えるー
講師:松井英介(岐阜環境医学研究所所長・医師)

生体系の中で生きる

今回の原発事故による放射線の放出を、みなさんはどのように受け止められたでしょうか。

私たちは空気なしでは生きていけません。また、私たちの身体は水でできていると言っても過言ではありません。私たちの祖先である小さな生き物は、海で生まれたといわれています。私たちの身体の7割、乳児の場合は8割が水に近い組成をもった水です。ナトリウムやカリウムなど塩分がバランスよく保たれた環境=内部環境の中で私たちの細胞は生きています。ホルモンの変動にあわせて微調整しながら、体温は一定に保たれています。心臓は私たちが生まれてからずっと一定のリズムを刻み続けています。

このような”いのち”の恒常性に支えられて、私たちは今ここにいます。そして、私たちは植物とは違って、ほかの生き物のいのちを自らの身体に取り込むことなしに、生きていくことができないのです。今回の事故は、あらためて私に、自分自身のいのちを、まわりのいのちとの関わりを考えさせてくれました。

大量の放射性物質を海に放出するとき、あるひとはこういいました。「海の水で薄まるから大丈夫!」。そのひとには、海に生き物がいっぱいいることを忘れていたのかもしれません。放射性物質をプランクトンが取り込み、それを小さな魚が食べ、その小さな魚を大きな魚が食べる。生態系の中でこのような食物連鎖を繰り返すうちに、放射性物質がだんだん濃くなることをご存知なかったのでしょう。

陸上でも同じです。乳牛は空気を吸っています。空気が汚染されれば、汚染物質を空気と共に肺に取り込みます。できるだけ自然な条件で育てようとされている畜産農家の乳牛は、アメリカ産の配合飼料ばかり食べているわけではありません。外に出て草を食べます。土も食べます。草や土が汚染されていれば、それも一緒に身体に取り込みます。

茨城の牛乳からセシウムが検出されたのはそのためでした。今回の事故の後、放射性物質は風の向きによっては数百キロ離れたところまで運ばれました。群馬県産の野菜からセシウム137が検出されたのは、風や雲と一緒に運ばれ、土の上に降り積もり、地下水に浸透していたセシウムの小さな粒を野菜が自らの体内に取り込んだ結果でした。

「放射線は距離の二乗に反比例して弱くなる」から、福島から200キロも離れた東京は大丈夫といったひとがいましたが、雨雲とともに運ばれてきた放射性物質は雨に混じって地上に降り注ぎ、その雨水を含んだ水道水は東京に暮らす人々の生活の中に入り込んできたのです。

放射性物質を含んだ水を飲んだ場合、一部は体内に残り、細胞の間にとどまった放射性物質の小さな粒子は、その周辺の細胞を照射します。放射性物質と細胞との距離が近いだけに、まわりの細胞に照射される放射線の強さは半端ではないのです。内部被曝の怖いところはここです。

胎児や小さな子どもは大人に比べ体重あたりでみると、甲状腺に取り込むヨウ素131の量もずっと多いのです。また、カリウムはナトリウムなどと共に、重要な塩分(電解質)ですが、カリウムと似た化学的性質をもったセシウム137は体内に取り込まれやすく、その影響は子どもにとってずっと深刻だと考えなければなりません。

放射線から身を守る

放射性物質を身体に取り込まないことにつきます。授乳中のお母さんには特別の配慮が必要です。体内で何回も繰り返し長時間にわたって、ごく近いところから放射線を浴びることを”内部被曝”といい、体外からごく短い時間放射線を浴びる胸部エックス線検査や胃透視検査などの外部被曝から区別しています。放射性物質は小さな粒ですが、そのまわりの細胞にとって、内部被曝の影響は、外部被曝と比べるとケタ違いに大きいのです。このことを大人も理解し、子どもにも教えないといけません。01

『見えない恐怖 放射線内部被曝』より
松井英介・著 旬報社 1,400円

今回の福島原発事故で自然界に放出された放射性物質の量は、人類史上例を見ないものであると考えられます。その意味でも世界中から注目されています。これから気の遠くなるほど長く続く放射線による健康影響をどうするのか、どのように生きていけばいいのか、子どもたちを交えて、私たち一人ひとりの生き方の問題として議論を深めていきたいものです。

 

国と自治体に次のような要求をしましょう。

1-国は、放射性物質に関する検査点と検査項目を時間的空間的にできるだけ細かく定め、全放射線核種に関する検査結果をreal timeで各自治体に通知すると共に、マスメディアおよびインターネット・メディアを通じて公開すること。

2-国は、数千キロメートル圏内をカバーするWSPEEDIの広域汚染状況予測値を誰でもわかりやすいアニメーションとして、1と同様、いつでもどこでもアクセスできるように、リアルタイムで公開すること。

3-水道水、野菜や肉、海藻や魚介類、牛乳などの飲食用農水産物の汚染状況に関しては、放射性核種と放射線量(基準値以下であってもその値を)明記すること。生産地も、できるだけ詳細に記載すること。

4-次のような内容の要求を、友だちや家族、職場の仲間と相談して、都道府県・区市町村議会を通じて、首長に要望してもらう形で、政府と東京電力にくり返し提出しましょう。

当面個人でできること

1-内部被ばくを常に意識し、子どもに発症してくるであろう晩発障がいを予防するための、子どもの安全最優先の日常行動計画を立てる。

2-妊産婦、乳児、14歳以下の子どもは、優先的に避難させるべく、学校・幼稚園・保育所や地域で知恵を集める。

3-野菜や肉、海藻や魚介類、牛乳などの飲食用農水産物は、汚染の極力少ないものを入手する。便利さと安価なものに頼っていた生活スタイルと価値観を転換させ、バランスよく食べ、運動し、身体の恒常性・免疫力を高める。

4-WSPEEDIの広域汚染状況予測値に目を光らせ、風下になることが予想されるときには、とくに降り始めの雨に濡れないようにする。

5-子どもの基準値を定めるように首相に手紙を書く。ICRPなどの基準値を鵜呑みにしない。

『見えない恐怖 放射線内部被曝』より

プロフィール

松井英介(まついえいすけ)
岐阜大学医学部付属病院勤務、放射線医学講座助教授。退任後、岐阜環境医学研究所を開設。日本呼吸器学会専門医。廃棄物、アスベスト問題などにも関わる。

そして、ぜひ心がけて欲しいこと。

自己防衛。やはりなんといっても「食」が大事。内部被ばくを防ぐ5つの食べ方を紹介します。

01「水で洗う」
まずは表面についた放射性物質を洗い流す。15分ほど水につけてから洗えば、表面の汚染がとれやすくなりさらに効果的。

 

01「酢漬け」
酢はセシウムやストロンチウムなどの金属イオンと結びついて抽出しやすい性質がある。クエン酸も同じような効果が。

 

01「ゆがく」
細切れにしてからゆがくと、さらに細菌膜が壊れやすくなり、取り込まれた汚染水分を効果的に搾り出すことができる。

 

01「塩もみ」
浸透圧により、放射性物質を含む水分を内側からしみ出させる。漬け物や和え物の下ごしらえとしてもおすすめ。

 

01「煮込む」
下ごしらえしてから素早く煮て、うまみを逃さないように。汁物料理の場合は味付けの汁は別に作って、あとで具を入れる。

 

基本は水洗いから。

まず、しっかり土を取り除き、皮を剥くこと。キャベツやほうれん草など複数の葉が重なり合っている野菜は、外側の葉を数枚捨てることで、大幅に放射性物質をカットできます。次に、水洗い。野菜の表面に傷がついている場合は、傷んだ部分を大きめに取り除く。問題は、食材の内側に入り込んだ放射性物質。セシウム、ストロンチウムは水に溶けやすいので洗ってからさらにゆがく、煮るという方法で細胞壁を軟らかくし、野菜内の水分を搾り出すのもおすすめ。塩を使って浸透圧でしみ出させる塩もみや塩漬けも効果的。また、この2物質が持つ金属イオンは酢と結びついて溶け出しやすいので、酢に浸すのもよい。その際、ゆで汁や煮汁、付け汁は飲まずに捨てます。


食は文化・食は芸術 緊急特集part-3 子どもを守れない国は滅びる 流れの中で立ち止まり、もっと議論をしよう!

食は文化!食は芸術!「続・福島原発事故を考える」

流れの中で立ち止まり、もっと議論をしよう!

1973年にオイルショックで化石燃料の枯渇が問題となり、原子力エネルギーに突っ走って、今や日本には54基もの原発が点在している。そして今、福島原発の事故を受け、再生可能な自然エネルギーにシフトしようとしている。それはかつて世界大戦に突き進んでいった時の日本の姿を思い起こす。「目的」(=脱原発)をはっきりさせ「合い言葉」(=再生可能な自然エネルギー)をもたせ、ある種の興奮状態(=アクション)を作り出していく…。いまこそ、その大きな流れの中で立ち止まって、自分で考え、行動する勇気を持ちたい。「<原発>をやめて、今市民にできること」をテーマに講演された、山田征さんのお話の中から、「わたしたちにできること」を探ってみました。(以下は山田さんのお話の一部を要約したものです)

全ての原発がなくなっても電力不足にならない。

それは原発には火力・水力、2つの発電設備がセットになっているから。電力不足にならないのなら、新しくエネルギーを作る設備は要らないのでは??「石油の代替が原発」が世の中の流れとなった1973年に酷似していて、とても気になります。自然エネルギーの設備が増えれば個人負担も増える仕組みです。大きな企業になれば億単位の負担となります。経産省では個人の家庭でも、自然エネルギーの設備が増えると数千円の負担となるだろうとコメントしています。

そのカラクリは…「原発」も「自然エネルギー」も国策であるということ。今国会で問題になっている「再生エネルギー促進付加金」を全電力使用契約者から徴収する、つまり全電気利用者に負担させるという決定がされました。

自然エネルギーの発電設備は高額なため、なかなか普及できなかった。そこで業者がやりやすいようにと成立させた法案です。多くの人は今回の原発の恐ろしさで、自然なら安全と単純に思ってしまいました。しかし、その「自然エネルギー」つまり太陽光や風力発電、その他の発電設備を増やすための費用を全て自分たちが負担させられるということをご存じでしょうか?とりあえず今年度は「太陽光」の分だけですから一般家庭で2円から数十円で収まるようですが、今回の「再生エネルギー促進付加金」が可決されると、一般家庭で150円から200円以上の負担となり、自動的に銀行口座から引き落とされるのです。これには納得できません。ですから私は徴収分を差し引いて使用した電気料金分のみ振り込みました。すると三鷹に住む私の所へ東京電力から集金に来ました。「支払いを拒み続けるとどうなりますか?」と逆にたずねましたら「電気を止めます。これは法律ですから」と。それでは徴収分は行政の方に払うべきでは?と食い下がりましたら黙ってしまいました。

自然エネルギーにはまだ問題点があります。

下の図(各種発電設備の特徴)を見てください。電気をつくるのに外部電源がいるとはおかしな話です。しかも風車の羽は強化プラスチック(石油の固まり)で30?50tもあります。自然の風では重くて回らないため、中に組み込まれたコンピューターが風を検知し外からの電気で羽を回します。また「ソーラーパネル」の材料はシリコンやアルミです。それをつくるために大量の電気を使います。

このように「電気をつくる道具」をつくるためにたくさんの資源と大量の電気を消費します。しかも元手をとらないうちに耐用年数が終わってしまいかねません。そして新たなゴミ問題が生まれます。さらに、日本は山間部の多い国ですから、適地が少ない国です。今現在2000基以上の風車がありますが、適度な海浜地区はほとんど建てつくされ、人家の近くや山々の稜線が狙われています。そのため山の尾根まで資材を運ぶ幅広道路の建設からはじまります。風車は金槌を逆さに建てるようなモノですから基底部分は40m四方、深さ10mの穴を掘り、2000t以上のコンクリートを流し込みます。そのための作業場が造られます。

私たちは「火」を使う生活から離れつつあります。やかんや鍋を直火に乗せればお湯が沸きご飯が炊けます。でも今の私たちの社会は、火で電気をつくり、その電気で電気をつくる道具をつくり、その電気を使ってお湯を沸かしご飯を炊いているのです。そのようなものを造れば造るだけ、石油も石炭もガスもその他の資源もどんどん消えてしまい、残るのは原発からでるゴミ同様、たくさんの粗大ゴミです。何かを造るときは、それがゴミになるときのことまで考える必要があります。

「石油」という資源は飛行機を飛ばし車を走らせ、ありとあらゆるものを作りだすことのできるとても大切なものです。少しでも長持ちさせるようにしなければと思います。これから先の時代を生きていく人たちのことを考えて、私たちは立ち止まる勇気を持ちたい、と思います。(山田 征)

各種発電設備の特徴

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プロフィール

やまだ せい
4人の娘達の子育てと共に、農家と直接関わりながら共同購入グループ「かかしの会」を約20年、地元の学校給食に有機農産物他食材全般を約17年にわたり搬入。仲間と共に レストラン「みたか・たべもの村」をつくる。並行して、反原発運動、沖縄県石垣島白保の空港問題他、さまざまな活動を経て現在に至る。著書:「ただの主婦にできたこと」(現代書館)、「山田さんのひとりNGO」(現代書館)他


食は文化・食は芸術 緊急特集part-3 子どもを守れない国は滅びる もっと知りたい!原発のこと!放射能のこと、エネルギーのこと!

もっと知りたい!

原発のこと!放射能のこと、エネルギーのこと!地球温暖化のことも…

今各地で行われているアクション。ムードで参加するのではなく、自分で調べて確かめて、よく考えて、行動したいですね。いま私たちにできることは「本当のことを知る」ことでは?でも…何が本当で、何が不誠実なのか…情報は一つではないので、あらゆる角度から取り入れることが大切です。そこで各地で行われる勉強会やイベント情報を集めてみました。都合がピタッとあう時にぜひ参加してみて!

映画上映会「ミツバチの羽音と地球の回転」

2011年11月5日(土)
午前の部 9:30-11:45(開場 9:00)
可児市文化創造センター 映像シアター
午後の部 13:30-15:45(開場 13:00)
中部学院大学各務原キャンパス 大講義室
協力費 前売り 800円(当日1,000円) 小中高大生 500円

日々の報道から放射能の恐ろしさを知らされています。フクシマの人々の苦しみを思います。今回の災害は、エネルギーについて考える大きなキッカケとなりました。太陽光や風力などの発電を促進し「脱原発」の社会づくりを前進させるという「再生エネルギー特別措置法案」がこの夏成立しました。際限なくあって当たり前と思っていたエネルギーについて、どうあったらよいのか一緒に考えたい。どうか参加してください。

問い合わせ:058-384-3150 清水

放射能勉強会 第4回「安心して暮らしてゆくために」

2011年11月26日(土)10:00-12:00
美濃かも文化の森みどりのホール
講師:田中 優 参加費 1,000円
問い合わせ:090-9939-8591 中山

みんなともだちtunagariフェスティバル Vol.2

(→ホームページへ

「人と人とのつながり」「地球環境とのつながり」「親子のつながり」「いろいろな考え方とのつながり」「地域とのつながり」「過去や未来とのつながり」などを参加して下さった皆さんと一緒に考えたり、感じたりできるお祭りを開催しよう!ということになりました。

世界おかあちゃん同盟の日設立記念イベント
2011年11月26日(土)10:00?16:00 雨天中止
岐阜市金公園文化センター前広場
☆ステージ・WORKショップ・クラフトショップ・オーガニックフードなど

田中 優 講演会「みんなと考える子どもたちの未来」
2011年11月26日(土)16:30-19:00 岐阜市金神社会館3F広間
参加費 1,000円(別途託児料・託児保険)
問い合わせ tunagariフェスティバル実行委員会・世界おかあちゃん同盟 ぎふ 090-3589-1454(早矢仕)

震災後、福島第一原発の事故を受けて、私たちは何をどう考えていけばいいのか…。原発の問題だけでなく、放射性物質とのかかわりあい方、地産地消をはじめ、節電など一個人、家庭の中で今後子育てをしていく上で、何を気をつければいいのか…。様々な視点から参加される方と考えるキッカケを作りたいと企画しました。

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アンケート取り隊・募集

お手伝いいただける方は、下記いずれかのかえる同盟者までご連絡下さい!
058-266-5004(岡田・mbカフェ)
058-385-4572(千田・空歩21)
0574-54-1355(櫻井・わらべ村)
058-383-8666(三上・にらめっこ)

 


第6回 こども芸術村作品展 今年のテーマは「森のいろ」

第6回 こども芸術村作品展
2011年10月12日(水)~15日(土) 岐阜現代美術館

今年のテーマは「森のいろ」

01 飛騨高山の森の中で、木や葉っぱなどの自然物を収集して、大きな鍋でぐつぐつ煮出して染料を作り、長い布に「森のいろ」を染めました。

今年も岐阜現代美術館で作品展を開催。広い空間に、子どもたちが染めた布や、Tシャツ、絵画を展示しました。

いつも思うことですが、本当に子どもの発想はおもしろいです。しかも、迷わず大胆に色を塗ったり構図を書いたりして、スタッフはいつもその想像力に圧倒されてます。

「自然、こども、アート」というキーワードで活動が始まった「こども芸術村」。来年もはじけるような子どもたちの笑顔に出会えることを願っています。

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ぐー・ちょき・ぱー ボーダレス社会を目指して(27) 伊藤佐代子

きょうだいを思う

先日岐阜特別支援学校で「きょうだい」についてお話をする機会がありました。きょうだいの話をし始めると何故か涙腺が緩んで涙が出てきます。参加して下さった人も涙を拭きながらの話し合いになりました。

障がいのある子を育てると同時にきょうだいを育てるのに親は苦悩をしています。きょうだいに辛い思いをさせたくない、できるだけのことをしてやりたいという思いに駆られながらも十分なことができない…そんなふうに子どもを思っている親が多いのではないかと思います。このきょうだいの事を話す機会を頂いたことで自分自身の考えをまとめることができました。

障がいのある子のきょうだいを育てるのに大切な事は

  1. きょうだいの方を優先しなくてはいけない時がある
  2. SOSを出していたらしっかり受け止める
  3. 1対1で向き合う時間を持つ
  4. 愛情は50:50
  5. 約束は必ず守る
  6. 私たちは子育ての原点を知っているということを自覚する
  7. その子らしく生きることができるよう応援する
  8. 信頼関係を築くこと…とことん信用する…自分の子だから
  9. 障がいのある子をしっかり育てている姿を見せること
  10. その子を大好きであること

…だと今は考えています。
子育ての原点を知っているというのは、学歴など全く関係のない世界で障がいのある子どもたちは暮らしています。何が大切か?成績ではない。まず生きること、そこに存在するということです。彼らがそこにいるだけで価値がある。彼らを知ることで周りの人は多くを学びます。

障がいのある子のきょうだいも一般の方もそこにいるということがまず一番に大切なことなんだと思います。と言っても障がいのある子を育てるのは大変です。いるだけでいいんだなんてお気楽な事は言っているわけにはいきませんが、きょうだいにはせめて「自由に自分の思い通りに生きてよ!」という考えになるのです。

愛情を注いだつもりでも「お母さんはお兄ちゃんの方がかわいいんでしょ」と言っていた娘が不憫で、申し訳ない気持ちはずーと持ち続けていました。体は一つしかありません。障がいのないきょうだいを思い葛藤しながら育ててきました。

プロフィール

伊藤 佐代子 (いとう さよこ)
伊藤淳司の母、岐阜障害者就業・生活支援センターの支援ワーカーをした後、NPO法人オープンハウスCANの理事長。地域で暮らす障がいのある方の生活支援や障がいのある方と書道を楽しんでいる。

リンク

NPO法人オープンハウスCAN


知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa おとなのあそぶ 瓢ヶ岳軽登山

おとなのあそぶ 瓢ヶ岳軽登山

アクティバ「おとなのあそぶ」では今回は軽登山を楽しみました。

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瓢ヶ岳(1,163m)頂上から望む高賀山

 10月7日am7:00集合出発!登山初心者も含め総勢7人と1匹。肌寒いのもつかの間、歩き始めるとうっすら汗ばむ陽気に、おしゃべりもはずむ。

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01 かつて山は、大学の山岳部や一部の社会人の山岳会によってリードされ、ごく一般の人たちには近寄りがたかったといわれていました。しかし、スポーツアルピニズムも有限のフィールドが底をつき、一般的なルートでの活躍は山小屋の整備やプロガイドの誕生もあり、若者から中年に、そして中高年にその場を明け渡す感じとなった。だから!山は自然の心地よさを求める中高年の天下です!

ですが、最近は「山ガール」とかが流行りだし、静かに自然の中に身を置いている空間に「キャー、めっちゃきれいやん!」「すっげー、気持ちいい!写メしなきゃ写メッ」と身なりも言葉も現代風な若者が混ざる。しかし、それもにぎやかでよし、としよう!

 


知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa アクティバ たんぼプロジェクト

9月24日(土) 稲刈り

 アクティバたんぼプロジェクト2年目のお米の出来は如何に?

01 今年は田んぼの一角に「古代米」を植えました。粒は濃紫色で大きい。稲も長くて一目で違いがわかりました。

 今年は一畳刈りの機械参入。しかし、台風15号の影響で田んぼはまだ完全には乾いておらず半分以上はぬかるみ、活躍はほんのちょっと。あえなく手作業にバトンタッチ。それでも、ありがたかった。稲刈り最中にメンバーが「カヤネズミ」の巣(跡)発見。

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カヤネズミの巣跡。

01 カヤネズミは日本で一番小さなネズミです。体長は6cmほど。体重は5gほどしかありません。ススキなどイネ科の植物でまりのような丸い巣を作るのでマリネズミという呼び名もあります。直径10cmくらいの大きさで見た目は鳥の巣のよう。その巣の中で子供を産み育てます。雄も雌も巣を作り、休憩用と子育て用と使い分けます。冬は地下にトンネルを掘って過ごします。ほ乳類で草の上に巣を作るのはこのカヤネズミだけ。特徴は周辺の葉っぱを引っ張ってきて細く裂いて丸めているところ。いあやぁ〜ほんと可愛い巣です。

10月4日(火) 脱穀・唐箕・籾すり

今年も登場。足踏み脱穀機。リズムに合わせてグィ〜ン、グィ〜ン…と足踏みしながらの脱穀。稲の束が絡むととたんに足踏みが重くなり、一定のリズムで回転させるのはなかなか難しい!唐箕(わらのクズや籾殻と米の入った籾とを選別する)も経験がものをいいますね。昨年の体験・経験が私たちにもちゃんと実っています。(^о^)

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 01脱穀した時にこぼれた米や、稲穂をていねいに拾い上げます。モッタイナイ!ですから。
出来栄えはいかに?
そのお味は来年の収穫祭で!

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知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa 生前準備講座|第4回「終末期医療について」ホスピスの基本的な考え方 |第5回「こころに残る遺言状について」

生前準備講座 第4回「終末期医療について」ホスピスの基本的な考え方

2011年8月31日(水) 岐阜中央病院 松尾啓子 看護師長
01 死は自然なことと認めます。無理な延命や意図的に死を招くことをしません。苦しみの中に生きている人もいます。これも命、何か意味があるはずと受け止めています。うれしい!とか楽しい!などと常に意識して感じるとNK細胞が増え免疫力がアップして生きる力をつけていくという生きがい療法、民間療法などでガンが治ったという例もあります。ですが、人は生きてきたようにしか死ねないんですね。

病院(ホスピス)はこれ以上増やさないだろうと思います。本来はお家(在宅)で過ごすのが一番。そのサポートを出来るシステムを確立したいと思っています。訪問看護とか、往診とか。中央病院をセンターとして各家庭を回る…看護という分野を医療と分離させていく動きもあります。人として人を看る。治療は医療として診る。ということです。

Q:ホスピスではみなワイワイにぎやかに過ごしているが孤立している人はいないのか?
A:みながみなワイワイと過ごしている訳じゃない。一人を好む方もいらっしゃる。それはその方の生き方だから、無理強いはしません。ただ、メッセージを発せられることもありますので、その時は寄り添うようにしています。
Q: 今年父を亡くしました。どう看護したらよかったのか迷ったのですが…
A: 迷った時はとにかく行動を!電話一本でもいいから。

 和やかな雰囲気ながらもとても充実した講座(内容)となりました。

生前準備講座 第5回「こころに残る遺言状について」伝えておきたい事柄

2011年9月28日(水)司法書士 青木文子 氏
01 「遺言を残すメリットは、法定相続分と異なる分配をしておくことができる。法定相続人以外のもの(友人。知人、公益機関)に遺贈することができる。様々な財産を相続財産として指定できる。家族関係が複雑な場合、相続人間のトラブルを未然に防止できる。なによりも自分の気持ちを伝えておくことができる。」と講師の青木さんは遺言は毎年自分の誕生日に書くことを進める。感謝の気持ち、自分の棚卸しにつながる。

内容は毎年更新して、日付が一番新しいものが有効となる。一通りの遺言についての基礎知識を得たあとに展開した「ワールド・カフェ」で各テーブル4人が「遺言」についてフランクに話し合いをしました。今回は、座学とワークショップを取り入れたひと味違う講座となりました。

「ワールド・カフェ」スタイルを取り入れ、遺言についてグループセッション。その後、一番記憶に残ったフレーズを書き留め、全員が発表。「気持ちを伝える」「行動する」「手紙を書く」など意見が出ました。

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リンク

岐阜中央病院
青木文子司法書士事務所


まいまいの看護師見習い奮戦記~From Newyork~

NY貧乏Nuseものがたり part -6
まいまいの看護師見習い奮戦記 ~From Newyork~

あるコロンビア人のおじいちゃんの話

病室にいくと見覚えのある顔に出会えた。たしか過去に何度もホスピス病棟に入退院を繰り返してたあの人だ。おくさんは英語がほとんどしゃべれない スペイン語のみ・・・

彼は私にイスラム教のChaplainを呼んでほしいと頼んできた。(病院にスピリチュアルケアのサービスがあって、リクエストさえすれば自分の宗教・またはどの宗教でもお祈りできるようトレーニングされた人がきてくれます)

彼、どうみてもラテンの顔でスペイン語が母国語なのに、イスラム???この辺のラテンアメリカの人はほとんどがカソリックだからびっくりした。そしたら、おじいちゃんはゆっくり話してくれた。

自分はムスリムで38年前に改宗したんだ。自分は一日に5回お祈りもするし、アラビア語でコーランを読む。家族も妻もみんなカソリックだけど、私はムスリムです。でも自分は他の宗教もリスペクトしていて、妻もモスクについてきたり、自分も妻のチャーチのミサにいったりもする。お互いに尊敬しあいさえすれば、何の問題もない。それぞれの宗教はそれぞれに美しい。うちはふと、みんながこんなふうに考えられたら紛争も戦争も生まれなかったやろうか・・と思った。

彼は、私の宗教についてもきいてきた。死んだらどうなると思う?天国と地獄はあるか?この世とあの世をどう考えるか?お線香はなんで焚くのか?お坊さんはなんでお輪を鳴らすのか?あの袈裟の色にはどんな意味があるのか?とまぁ、仏教徒とこたえたものの私が知らないことまでいっぱいいっぱいきいてきた。自分のあやふやな宗教観と、知らないことばっかりでちょっと恥ずかしくなっちゃった。でも、自分の知っている範囲で、信じることと、日本の文化を織り交ぜて話した。おじいちゃんはとても興味深そうにきいてくれて、最後に、美しいねって。

最後におじいちゃんは、私はね、死んだらムスリムとして土葬してもらいたいんだ。カソリックとしてお葬式はあげてほしくないし、火葬されるのも嫌だ。イスラムに従って一人のムスリムとして土に埋めてほしい。でも、貯めておいた8万円では、土葬もできないとわかって途方にくれたよ。そしたら、ホスピス訪問看護師の一人、モハメドさんが自分の希望をきいて、モスクやイスラム教の団体に連絡してくれた。そしたら、2つもの場所から連絡がきて、希望どおり土葬をしてくれることになったんだよ。

私はうれしくてね。やっぱりアラーはみていてくれてるんだね。アラーに感謝したよ。当然土葬の日には、私の家族は私の意志を尊重して、モスクでもイスラムを軽蔑することなくしきたりに従ってほしい。私はそれを願っている。それは全部家族に伝えてあるし、葬式などの手配も全部整っている。あとはもう待つだけだよって。

こんなケースはあんまりない。自分も周りも旅立つ準備ができていて、自分の希望や意志が周りにも伝わっていて、きっとそのとおりに実行されると思う。それは彼が家族や周りの人間に対して築いてきた人間関係の上に成り立っているものでもあって、またそれがかなえられる状況があったからこそ成り立ったものでもある。

もし病気が脳や意識障害をもたらしていたら、難しかったかもしれないし、アメリカじゃなかったらできなかったことかもしれない。生前から家族や親戚に自分がどういう人生を歩んでどういう最期を迎えたいかを伝えることは大切なことで、縁起でもないことを・・ってめんどうくさがらず、死も人生の一部であることを認識して話せるといいなぁ。

プロフィール

まいまい
ニューヨークの片隅在住。2010年6月に看護師国家試験取得。不況のあおりで就職難民・・・そんな日々の中で感じたこと、気づいたことを現地からお届けさせていただきます。

 


ぎむきょーるーむ 自己肯定感って・・・なんだろう?

01今の自分に満足してる?
子どもの声

—– YES —–
・ 好きなこともあるし、家族も好きだし、友だちもいる。(小5・男子)
・学校でクラスの中心になって動くと「さすが!頼りになるわー」などといわれることがたくさんあるので、自分がやっていることは正しいんだと思える。(中3・女子)
・家族6人が元気でいてくれて、育ててくれてありがとうという気持ちです。(小5・女子)

—– NO —–
・ 目標があってもそれに向かっていけない。(小5・女子)
・ あらゆる問題を背負いすぎていて、いまにも崩れそう。(高2・男子)
・ 絵がうまくないし、スタイルもよくないし、頭が悪い、顔立ちが悪い。(中3・女子)

 

落ち続けてきたオレが息子にいったこと・・・玉袋筋太郎

01 少年時代?そりゃ自信なかったよ。運動できないし、勉強できないしさ。だけど卑屈になることもなかった。なんていうのかな、全員がスターになれるわけじゃなく、脇役もいる。それぞれにポジションがあって、オレもどっかいいとこあんだろう、ぐらいに思ってた。オレのいいところを認めてくれる仲間がいたしね。

ところが、小学校三年生のとき、授業中にウンコをもらすという大失敗をしでかしちゃったんだ。これって致命傷だよ。それまでのオレはおもしろいこといったりして、けっこう人気者だったわけ。もうすっかり凹んだね。

この大ピンチをどうやって乗りこえたかっていえば、やっぱり仲間がいたからだろうな。へたに同情されたり、かばわれたら立つ瀬ないけど、彼らだけは見て見ぬフリというか、そっとしておいてくれた。だから、またひょうきん者にもどれたんだと思う。

失敗したって、「そんなこと、どうってことないよ」っていってくれる人が一人でもいたら、子どもは楽になるんじゃないかな。近所のおじさんやおばさんでもいい。ついでに「いつもあいさつの声が大きくて気持ちいいね」なんて、ほめてくれたら最高だよね。自分を見てくれる人がいるって、自信につながるよ。

じつはいま、息子がメチャクチャおちこんでいるんだ。大学の推薦入試に失敗してさ。同じクラブから息子ともう一人が推薦枠のセレクトを受けて、息子だけ落ちた。親の目から見てもほめてやりたいくらい熱心にとりくんできたから、自信喪失なわけよ。

オレは息子に言ったんだ。「相手をねたむな。『よかったな』っていえれば、受験には失敗しても人生では合格だ」って。そしたら彼の表情が明るくなってきた。

大学入試の失敗なんて、長い目で見ればどうってことないともいったよ。オレなんて、仕事でどれだけセレクトに落ちつづけてきたか…。考えてみれば、人生は大半がつらいことや傷つくことばかりだよ。だけど、ひとつでもいいことがあれば生きていける。だから失敗をおそれるなっていいたいね。

それに、失敗しても笑えばなんとかなるって。「笑う門には福来たる」っていうだろう?失敗をみずから笑うことで、不思議とパワーが出てくる。例のピンチも、仲間の存在と「ウンコもらしの赤江(オレの本名)です」って笑いに転化することで乗りきれたんだよ。

漫才師 玉袋筋太郎
漫才コンビ「浅草キッド」のメンバー。著書に「男子のための人生のルール」(理論社)などがある。一児の父で、ライフワークはスナック通い。

「これでいいんだ」を積み重ねて・・・辰巳渚

01 大人になって働きはじめてからは、こんなことがありました。仕事がうまくできなくて、精神的にも肉体的にも参ってしまい、辞めざるをえなくなったのです。人と話すのもこわく、しばらく家のことだけをして過ごしていました。でも、そうしているうちに、ごはんがおいしかった、布団を干したら気持ちいい、部屋を掃除したらすっきりした。あたりまえのことをあたりまえに感じることができ、「ちゃんと自分がここにいる」と思えました。枯れていた自分が、満ちていったような気もしました。

このように、すごく落ち込んだ状態から、時間とともに自分をニュートラルにしていくことができたのも、子どもの頃に愛された思いや、何度でも自分で再生できる「支えになる言葉」があったからだと思います。

「あなたがいてよかったわ」。私は子どもたちによくいっていますが、親ができることのひとつは、そういった支えにできるような言葉かけをすることかもしれません。私は「家事塾」を主宰していますが、子どもは家のこと、身のまわりのことを体感することで、自分ができること、できないこともわかります。誰かの役に立つ実感も得られます。親も言葉をかけやすい。自尊感情が育めるものだとすれば、こういった日常でなのだと思います。

私の講座には、「家事のほんとうのやり方を知らない」といってくる人もいます。親子講座では、子どもの姿を見ているとアラばかりが気になってほめる部分が見つからないという人もいます。私が感じるのは、自分に対しても子どもに対しても理想が高く「これでいい」と思えない。自己評価が低い人が多いのかもしれないということです。

いま思えば、仕事をやめて家のことをひたすらしていたあの時期に、私は日常の小さな満足を得ることで「これでいいんだ」を積み重ねていたのだとも思います。

「家事塾」代表 辰巳 渚
2008年から、親子に家事の大切さとワザを説く「家事塾」を主宰。一男一女の母。「親子で楽しむこどもお手伝い塾」(明治書院)など著書多数。

抜粋

にらめっこのバイブル:こども・きょういく・がっこうBOOK『おそい・はやい・たかい・ひくい』N0.31より抜粋

リンク

ジャパンマシニスト社


(1)放射能から子どもを守れ

放射線から子どもを守れ

俳優:山本太郎氏が見た福島の現実

「戦時中、空襲から子どもたちを守るために疎開をさせた。どうして先人たちがやって来たことを今できないのか。国の対応は後手後手になっている、という考え方もあると思うが、僕は、政府じゃ今おこっていることを全て解ってるんじゃないかと。補償や賠償でお金がかかるし、人を動かせないという経済的な考え、目の前のお金を守るために人の命を犠牲にする政策だと思う」
01  「福島だけの問題ではない。全国的な問題で、全ての食品に対して汚染の可能性がある。それだけじゃなくて、放射性物質を浴びた汚泥(放射性セシウム濃度)200ベクレル以下のものはもう肥料として福島県以外に流通させてよいと。

今していることは、きれいな場所まで汚染される状況を作り上げている。日本から汚染されていない場所がなくなってしまう。いったい国は今、何をしているのか。ひょっとして、国の重要なことを決める人たちは、この国の未来をあきらめたんじゃないかと思える。ぜひみなさんで声を挙げていってほしい」

(‘11.7/20 ニュースアンカーより)

本の紹介

緊急出版 第2弾「放射能から子どもを守る」
552円+税(キラジェンヌ株式会社)

子どもたちを放射能から守るノウハウが満載。パパ&ママ必読!
子どもを守るママからのメッセージ
特別インタビュー UA「この世は楽園であると歌いたいし、今でもそう信じたい」/カヒミ・カリィ/中島デコ/吉川メイ/民(タミィ)/日登美/吉本多香美
◆Mother’s Action! 放射能について正しく知るために
放射能対策レシピ 放射能を徹底的に防ぐマニュアル 飲料/生活習慣/疎開/代替医療
01【注文先】
Mail: info@kirasienne.com
<必要事項>
1.名前(フリガナ)
2.商品発送先住所
3.連絡先電話番号
4.メールアドレス
5.年齢、住所
6.「放射能から子どもを守る」必要冊数
(インターネットでも購入できます。Amazon商品詳細ページへ)

 


(2)もうひとつのフクシマ インサイドストーリー

子どもを守れない国は滅びる・・・

もう一つのフクシマ インサイドストーリー

6月26日(日) 福島の子ども達を避難・疎開させる措置を求める署名を福島市長に届ける、原発反対のパレードに参加する、飛騨清見での夏休みの保養受け入れ先の受付という活動のため福島市に行ってきた。

放射線量は高いはずなのに、屋外でもほとんどの人がマスクをしていない。小雨でも、傘をさしている人も少ない。自分も岐阜を出るときにマスクを忘れてしまった。そうしたら福島にいるうちに喉がイガイガとするような違和感が。「ここの人たちは毎日こんな空気のところをマスクなしで過ごしているの!?」町並みも壊れてはいなくて、街を歩く人たちの恰好も普通。見ただけでは普通の生活をしているように見えた。

福島に行くまでは、こんな危険な目にあわされて福島では岐阜よりもずっと多くの人が原発反対を思い、なんらかのアクションを起こしていて、子ども達を避難させようと思う人も多いだろう、と思っていた。ところが、行動にうつす人は意外に少なく、あれ?という感じ。

当日、清見での保養に申し込んで来た人は6人だけ。他の保養先に申し込んで結果がまだ出ていないとか、こちらの宣伝不足もあったと思う。しかし、情報収集にやってくる人も少なく、ちょっと拍子抜けしてしまった。

ただ、福島の中でも、温度差があるようだ。家族の中でも、「国が安全と言っているから、ここに居ればいいんだよ。仕事だってあるし」というお父さん、引っ越したいと願うお母さんと子ども。おばあちゃんが庭先で作った野菜を食べられないと嫁が言うと、わしの作った物が食べれんのかと怒り、家族間が気まずくなったという人。引っ越しの話しを出せばそのたびに家族の意見が分かれ、家庭の空気が悪くなり、もうそれに疲れてしまって触れないようにしているという人…。

子ども達の受け入れ先を探しに学校の先生も来ていた。その先生は自分の子どもはすぐに疎開させたそうだ。生徒だって自分の子どもと一緒だ、疎開させたい。でもなかなかできないジレンマがある。学校の中にも温度差がある。その先生のように、原発はいやだ!という先生と、原発を肯定的に捉えている先生がいて、先生同士が一緒に行動をおこせない現状がある。

バラバラなのは学校だけではなかった。情報をネットで調べられない人のためとか、多くの人の目に触れるようにと、保養受け入れ先の情報一覧を西日本、東日本とわけて作るから、あなたの地域も載せないか、とある団体に声を掛けられた。申し込んだら西日本ではなんと自分一人だった!それでは一覧表が作れないと、知り合った受け入れ団体の人たちの連絡先を教えた。情報も行動も統一されてないし、それぞれにやることがあり過ぎて行き届かない部分が出てきてしまう感じがした。

清見の保養先では、ここに来たおかげでまた引っ越そうという気持ちになってきた、という人がいた。その人は避難のために一度引っ越したけれど、引っ越し先で子どもが「ゲンパツ、ゲンパツ」と言われたり、避けられたりして、結局福島に戻ったそうだ。でも、今回の体験でこうやって受け入れてくれる人たちがいるということもわかったし、何の心配もなく外で遊んだり野菜を食べられることはやっぱりいいし、と。

福島子供疎開企画『この夏みんな青空の下つながろう会』 千田陽子
文責・にらめっこ


(3)河田昌東さん講演会「放射能汚染と私たちの暮らし」

放射能勉強会 4回シリーズ
主催:農学友の会 共催:GIS研究会、花丸一座、東海芸術アカデミー
美濃加茂市 文化の森 みどりのホール 7/24 10:00~12:00

自分とフクシマとどういう関係があるのか

飯舘村は日本で最も美しい村とたたえられている三つの村のうちの一つです。事故後、村の郵便局の前で計ったカウンターは23.63マイクロシーベルト!恐ろしい数字です。もしここで一年間過ごしたら、原発労働者の被曝限界値の基準値を遙かに上回ってしまいます。なのに、住民は知らずに生活していた。その後、計画的避難区域に指定され、全員避難しなさいと…農家の人は土地を持って出ていくことは出来ないし、まだ1000人弱の人が残っている。非常に厳しい状況にあります。

25年前にチェルノブイリ4号炉が爆発しました。事故の直後、日本の電気事業連合会は「チェルノブイリの原発は日本とは違う特別な構造の原発で、日本では起こりえない!」と書いたパンフレットを配布しました。しかし、同じことが起きた。実際に事故が起こってみると、結果はほとんど一緒です。原発が持っている本質的な問題が浮上したのです。

放射能の影響

私たちは常に自然放射能を浴びています。放射能で細胞の遺伝子が傷つくのですが、私たちはそれを修復する酵素を持っています。普段はどんどん修復するのですが、たまに修復ミスを起こす。年をとるとミスも増えていきます。

放射能の他に化学物質の影響もありますが、年をとってガンが増えるのは当たり前。心臓病、糖尿病、とだんだん病気が増える、これも当たり前と考えます。問題は放射能がそれを加速させてしまうこと。若い人が年寄りの病気になる、ということ。しかし広島、長崎を経験された専門の先生方は、それを放射能の影響と認めない。チェルノブイリから多くのことを学んでいないのです。

また、放射能は成長ホルモンに大きく影響します。それは14歳以下の子どもが圧倒的に多く、男女比較をしてみると女性が多いのです。

怖いのは内部被曝 食べ物に要注意

内部被曝は細胞の中から体中に入って、放射線が遺伝子を壊していく。特に盛んに細胞分裂を起こしている赤ちゃん、小さい子どもなどは影響が大きいです。遺伝子の傷は若い人ほど広がるから、結果いろんな病気になったりします。

食べ物の影響は大きいですが、セシウムなどに汚染されたものを食べた後で綺麗な食べ物を食べたら、半減します。セシウム自体は2ヶ月ぐらいで体から出ていくんですが、ずーっと汚染された食品を食べ続けていると、あるレベルに達して、それが病気の原因になる。放射能の影響は、がんと白血病といわれていますがそれは間違いです。

確かに広島、長崎で原爆が落ちた後、がん、白血病が多発しましたが、(チェルノブイリも同様)病気全体からいえば発生の一割以下。それよりも心臓病、脳血管病、糖尿病、先天性異常、が多いです。福島も心配です。今のうちは何ともないが4,5年経ってからどうなるか非常に心配。

今後起こってくるのはおそらく海の魚の汚染で、食物連鎖が始まる。小さい魚からだんだん大きな魚に汚染が移っていく。今一番心配なのが、コウナゴ。この小さい魚は汚染したプランクトンを食べるから、連鎖はそこから始まるんです。

低容量の放射線の影響 (NPO法人知的人材ネットワークより)

福島の原発事故に際し、多くの人にとって問題なのは、低容量の放射線の影響です。今までに報告されている範囲では200mSv以下では、直接的な身体への影響はないと考えられています。ただ、これ以下の線量でも発がんリスクが上昇する可能性が心配されます。他にも影響があるかもしれないという不安もあります。

一度に大量の放射能を浴びた場合と、低容量の放射線を長期にわたって浴びた場合では身体への影響は異なります。私たちの身体は、容易に遺伝子の傷ついた細胞をはびこらせないための、何十もの抑制機構を持っています。

通常は傷つけられたDNAはすぐさま酵素により損傷部位が取り除かれ修復されます。そして変異した細胞を除去する最後の砦が免疫システムです。免疫機能が低下するような要因(過度なストレス、恐怖、絶望など)を取り除くことで、晩発性の病気を防ぐことにつながるのです。

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汚泥の汚染

次に問題となっているのが、下水処理場の汚泥の汚染。下水処理場は、台所の水、トイレの排水、側溝の水を集めて処理している。われわれの生活環境に入ってきた放射能を全部集めて処理している。当然汚泥の汚染が起きるのは福島県内だけでなく首都圏にも深刻な問題が広がってきている。政府は方針を出していないばかりか、最近はそれを焼却してもいいといい出した。もし8000ベクレル/キログラム以下であれば、将来家を建てる予定がない、あるいは井戸を掘る予定がないところは埋めてもいいともいった。これは全国に汚染を広げることを意味します。

 この問題に、私たちはどう関わったらいいのかしっかり考える必要がありますね。
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「汚染がれき」のゆくえ (アエラ8/8より)

岩手・宮城両県のがれきを全国で分散処理する計画が進んでいる。環境省の前提は「汚染はない」だが、稲わら、腐葉土のようなことはないのか。不安が広がっている。「放射性物質が運び込まれ、少しでも土壌や水に漏れだしたら子どもたちの健康はどうなるのか。不安です」と話すのは幼稚園児の母親。これまで主に東北・関東地方でわき起こってきた、放射性物質による健康被害への不安。それが遠く離れた西日本でも広がっている。

いまだ膨大ながれきが残る被災地の市町村は「反がれき受け入れ」の動きに困惑している。受け入れ側の住民にとっても被災地にとっても、不安の源となっているがれきの放射能だが、比較的最近まで目立った問題にはなっていなかった。

「被災地のがれき受け入れを全国に呼びかけた時点では、放射能が問題になるとは想定していなかった」それが問題視されるようになったのは6月下旬以降、東京都や千葉県柏市などの産業廃棄物処理施設で、ごみの焼却灰から高濃度の放射性物質が検出されたから。がれきを広域処理すれば、放射性物質が拡散する可能性がある。一方で、被災地だけでは処理しきれない—。原発事故で飛び散った放射性物質は、時間の経過と共に、影響範囲を着実に広げている。
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がれき処理を担うと表明した自治体・一部事務組合の一覧に岐阜県では、大垣市、高山市、多治見市、中津川市、瑞浪市、山形市、下呂市、岐阜羽島衛生施設組合、加茂衛生施設利用組合、南濃衛生施設利用事務組合があった。

 

質問タイム

Q: 近海魚はまだ大丈夫ですか?
A: 場所による。
千葉沖あたりは福島の南の方に海流が流れているからこれは危ないと思う。国は海の汚染、魚の汚染に関しては調べていない。本来ならもっと細かい汚染を調べ、データをとり発表する必要がある。

Q: 岐阜県にモニタリングポストがあるが・・・
A: 福島以外からも測定すれば検出するだろうが、生活に影響はないと思う。
食べ物は気をつけるしかない。産地を選ぶ、それもむずかしいとなると、汚染しにくい食べ物を食べる。たとえば野菜。キャベツの仲間アブラナ科は、カリウムが多いので汚染しやすいと覚えておく。トマト、なす、キュウリ、ネギの仲間は汚染しにくいから、そういうものを選んで食べるとか。あと、酢の物にするとよい。ただしその酢は飲まないこと。
(※われわれは、菜の花を植えてそこからセシウムを吸収する事業を展開。福島県内の学校のグランドの表土を5〜10センチ剥いで2〜3メートルの穴を掘って埋めることもしています。被曝を防ぐ方法としてとりあえずの策ですが・・・)

Q: 一才の子の免疫力低下が気になります。
A: 免疫力を強化すれば放射能の影響はかなり防ぐことができます。
そのためには、抗酸化性のビタミンA,E,Cが大事。ジャムなどに含まれているペクチンも有効で、セシウムを固くくっつけて便と一緒に排出させます。免疫力を増加させる方法もあります。アメリカのインディアンより風邪薬として使われてきた薬草・ヘキナシア(きく科・多年草)は抗ウィルス、免疫強化、殺菌消毒、抗感染症などの働きが確認されています。しかし、多量の摂取は副作用があるので注意してください。

Q: 脱原発に向けできることは?
A: 今後は、もんじゅが再開しないよう働きかけましょう。
ウラン燃料はあと60年しかもちません。それをカバーするために再処理工場(六カ所)を造った。もんじゅを停止すれば、使用済み燃料は六ヶ所に行かないので、六カ所も稼働できません。国民の一人として出来ることは、事実を知ること、声を挙げること、そして実行に移すことだと思います

プロフィール

河田 昌東(元四日市大学非常勤講師、チェルノブイリ救援・中部理事)

放射能勉強会のご案内

第3回 9月18日(日)
松井英介氏(岐阜環境医学研究所所長・医師)◆内部被曝について
第4回 11月26日(土)
田中 優氏(未来バンク事業組合理事長、天然住宅代表)◆安心して暮らしていくために

ぜひみたい映画『100,000年後の安全』

『100,000年後の安全』2009年/デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア/79分

原発から生まれる放射性廃棄物の放射能レベルが生物に無害になるまでには最低10万年を要すると考えられている。透明で無色 放射能を人間は関知できません再処理は危険だ。その過程でプルトニウムが流出するかも。

未来の地球の安全を問いかけるドキュメンタリー。放射性廃棄物を巡る問いかけてと印象的な映像…名古屋・大垣で上映され、今後の予定は未定。近隣映画館を要チェック。

 


第6回 こども芸術村 活動報告

2011年8月3日(水)~5日(金)

Step!「アートキャンプ」活動報告

長いなぁ〜各班に7.5mの布が配られました。
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布に絞り模様を施します。施し終わったらまず水に浸し、絞る。そうすることで染料がしみ込みやすくなります。
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檜の葉っぱを拾ってきて煮詰めます。いい匂い!01 01
絞り模様を施した布を入れ20分は煮出します。
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やっと終了!いよいよ日陰に干します。
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きれいな絞り模様!
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蓄光糸でネームが光る!もっともっとと、ひかりを溜めてみる子どもたち、ほんとかわいい!

芸術的なTシャツを森中に
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わんわんスタッフ・ハナは、いつもみんなと一緒

ライブペイント
ジャンベとディデュルドゥの軽快なリズムに合わせみんな思い思いに描きます。
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裂き織り。みんなの手が伸びる。古い衣服が別物に生まれ変わる。
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第6回 こども芸術村 作品展&芸術祭

作品展

日にち:2011年10月12日(水)~15日(土) 入場無料
時 間:10:00〜
展示内容
・アートキャンプでみんなで草木染めをした大きな布
・ステンシルで染めたTシャツ
・持ち寄った布を裂いて織った布
・思い出を書き留めた絵

芸術祭

日時:2011年10月15日(土)13:00~15:30
活動報告(Hop,Step)記録上映会、お楽しみミニコンサート&茶話会
みなさんお気軽に見に来てください


ボーダレス社会をめざして(26) 伊藤 佐代子さん

新しい命と

息子は赤ちゃんの泣き声が大の苦手です。自閉症と言われる人の中には音にとっても過敏で私たちが気にしないような音に反応する人がいます。赤ちゃんの泣き声、犬の鳴き声、サイレン、人のざわざわした話し声、子どもの悲鳴などです。彼らには騒音としか感じられないのかもしれません。

息子が小さい頃、そうとは知らずスーパーで買い物をしていたら突然赤ちゃんの泣き声が聞こえる方へ行き、赤ちゃんを叩こうとしました。びっくりしたのとどうして?という疑問を持ちました。苦手なんです。あの泣き声。

今、我が家では赤ちゃんの泣き声が毎日響き渡っています。娘に子どもができたからです。娘には子どもを産む前に淳司は泣き声が苦手なのを説明しました。さぁどうしよう??です。夜中泣き声が聞こえると淳司がかわいそうということで、まずは部屋を遠くにする(狭いマンションなので限界がある)ことにしました。その他は淳司に慣れてもらうしかない・・・。

そうこうするうちに出産をし、病院に赤ちゃんを見に行こうということになりました。どんな反応をするか楽しみでした。病院に行くと淳司を大歓迎するかのように大きな声で泣いていました。全然近くには寄れず遠巻きに見ていました。まぁ叩かないだけいいかなと思いました。

その後退院をしてきて毎日毎日泣き声が聞こえます。赤ちゃんが泣いていると何とも言えない顔をしています。嫌なのだろうなと思いつつ、ここは慣れてもらわないと困るからと知らん顔をしていました。しかし、赤ちゃんが泣き出したら自分で判断して自分の部屋に行くなど上手に回避をしています。

先日はお風呂を自分が先に入って、その後ベビーバスに適温のお湯を入れてくれていました。「誰が入れたの?お兄ちゃん?」と娘夫婦はびっくりし、「助かるねぇ〜」と感謝していました。その後も時々お湯を入れてくれて「僕、優しいですか?」と私に聞いてきました。優しい伯父さんになってくれて嬉しい限りです。

未知の世界でどうなるかと心配していたのですが妹の子どもということで、違う感情も入り気持ちをセーブできているのでしょう??娘婿もたびたび我が家に来ることで賑やかな日々を過ごしていますが、淳司はリズムを崩すことなく淡々と生活をしています。案ずるより産むは易しでした。

プロフィール

伊藤 佐代子 (いとう さよこ)
伊藤淳司の母、岐阜障害者就業・生活支援センターの支援ワーカーをした後、NPO法人オープンハウスCANの理事長。地域で暮らす障がいのある方の生活支援や障がいのある方と書道を楽しんでいる。

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NPO法人オープンハウスCAN


はさ掛けトラストin黒川

はさ掛けのわらは家に佳し、田んぼに佳し、これぞ循環型ライフスタイル!01 01

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一株1~2本で田植えをした苗が見事に扇形に分けつしています。この田んぼでは、田植え希望者を一般から募り2日間で終了。参加者は親子連れが多かったとか。
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稲の分けつが進んでないけれど、浮草が生え根っこのまわりにはたくさんの微生物が住んでいる。水は浄化されよい環境を作ることができます。少し収量はおちますが味は抜群とか!

01農薬を使わない田んぼには両生類はもちろん水中昆虫など豊富!イトミミズには本と久しぶりに対面しました。

 
01 見た目はきれいですが、田植えと同時に除草剤をまいた田んぼ。一株が20本ぐらいあり分けつしていないし、風通しもよくなさそう。


田んぼとつながる家づくり

田んぼとつながる家づくり

アクティバ「大人の社会見学」として、白川町黒川で活動している「はさ掛けトラスト」さんを訪問しました。

自然農法&有機栽培に取り組んでいらっしゃる生産者さんのお話を伺って、午後からは土塗り体験も!循環型生活サイクルを実践されている「はさ掛けトラスト」のみなさんとの交流 は、とても有意義な1日となりました。

ストローベイル・ハウスは、直方体に圧縮したワラのブロック(ストローベイル)を積んで壁にし、表面を土で仕上げる北米生まれの建築。断熱性、調湿性、遮音性にすぐれ、健康にもよい、低エネルギー、環境循環型の持続可能な建築として、いまや世界中に広がっています。

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生産者の伊藤さんから説明を聞くメンバー。田んぼの畦には千石豆(ふじまめ)を栽培。豆の根粒菌は土を肥沃にすると聞く。

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はさ掛けトラストの塩月さんご夫婦と、生産者さんとの交流会。自然農法有機栽培のレクチャーを受けながら持参したおにぎり弁当をほおばる。採れたての野菜を手際よく調理してくださったので、つい箸が伸びる。地産地消をみなさんで楽しんでおられる姿に、お邪魔したメンバーからは憧れとも賞賛ともつかないため息がもれる。アクティバもなんとか田んぼと畑を切り盛りしているけれど、まだまだほど遠いなぁ…

美しい模様をかもしだす土壁。

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01いよいよ土壁塗りの体験。ワラが発酵した何となくつんを鼻を突く臭いに気後れしながら「エイッ」とバケツに手を突っ込み、土を握りしめ思いきり壁に塗りたくる。隙間なく土を塗るのは思ってた以上に力がいる。何度か繰り返すうちにコツが解ってきた。そうなるとどろんこ遊びの感覚から無心になって壁塗りに没頭!

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塩月さんのレクチャー受け、
メンバーたちは思い思いに塗り始めた。

 

 

 

 

01
「はさ掛け」とは、かつて日本の農村の風物詩でもあったワラの伝統的な自然乾燥法。自らお米を作り、収穫したワラを乾燥させ、ワラの家づくりに参加しながら、人と人、人と地域、人と自然がつながり直す、結(ゆい)の再生運動です。

結:家の新築や回収、農作業で、お互いに労力を提供しあい、助け合いな がら行う組織や仲間のこと。(建築家・大岩剛一氏)

 


生前準備講座 第3回「介護と看護」

生前準備講座 第3回「介護と看護」

ケアマネージャー 相馬 清美さん(NPO法人DOREMIみらい 代表)

7月27日午後1時半から、川島ライフデザインセンターにて「生前準備講座」第3回が開かれました。今回のテーマは「介護と看護」。講師の実体験を映像で見た参加者は、介護される自分をイメージした。が、認知症は徐々に進行し、いつのまにか、というのが現実と知りショックを隠せない。しかも予防の方法もないという。病気を始め、自分は大丈夫、といいきれないゆえに、準備することの大事さを再認識しました。まさに「どう生きるか」が問われる講義となりました。

介護と看護の違い

介護とは<生活の場>

生きがいのある人生をおくりたい、自らが望む環境で生活を続けたいことに対して、手助けやお世話を行うのが介護。

看護とは<療養の場>

人間が健康的な日常生活をその人なりに支障なくおくれるように配慮することで、自分の力を発揮して生活ができるように支援するのが看護。

介護される自分をイメージして

01○嫁とは仲良く暮らす(嫁に嫌われない)
○財産管理(元気なうちに書く必要あり)
○最期はどこで死を迎えたいか
○介護施設やサービスをどこで受けたいか
○信頼できる病院・主治医をみつける
○経験豊富な介護支援専門員をみつける

最後に 自分の人生を見つめて
「生活の質」は自分の場所である
「人生の質」は自分の生き方である
と締めくくりました。

 


NY貧乏Nurseものがたり-5

まいまいの看護師見習い奮戦記 ~From Newyork~

Incarnation Children’s Center

01 インカネーション チルドレン センターっていうHIV/AIDSに感染した子ども達の施設にボランティアで行ってきた。医療専門者もソーシャルワーカーもいて、施設自体は寮みたいな感じやけど、そこは彼らの家。

全部で20人くらいの子どもたちが住んでて10代の子が多い。ほとんどの子がHIVという病気とうまくつきあえずにここへやってくる。もしくは家族や親戚からも適切なサポートがうけられずたどり着く。

虐待や見捨てられたりしてしまった子もいる。ある意味、彼らにとって最後の砦のような場所。でもそこで働く人はみんな熱心で、建物内にはたくさんのアートがあふれている。写真、絵、タイル…子どもたちが書いたものはとてもステキでカラフルだ!

HIV/AIDSをもった子どもたちと接するのは初めて。ボランティアはとにかく宿題みたり、一緒に遊んだりするだけやけど、でもきっと10代で一番多感な時。自分の病気を知って生きている子達やもん、難しいこともたくさんあるやろうと思う。実際にマネージャーさんからは、「10代だしね、本当に難しい子もいるよ」って聞いた。

でも彼らの明るさはいつも太陽のよう!今までうちは、自分の存在は彼らにとってあんまり意味のないものと思っていた。会話も弾まないし、彼らの使うスラングは正直わかんないものも多い。最近のゲームもテレビも映画も音楽も全然わかんない…でも今日、なんとなく彼らとのキョリが近づいたような気がした。彼らの笑顔はいつもとび抜けてる。

うちはHIVに感染したこともなければ命に関わるような病気もしたことがない。彼らがどう毎日を過ごしていて、病気をどう受け止めてるのかは想像でしかわかんない。もちろん話を聴くことはできるけど、今の私にはボランティアとして日曜日の4時間を過ごすだけで、何が自分にできて何がプラスになってるのかもわかんない。一緒にソファに座っておしゃべりしたり、ふざけあったりできること。ただ一緒に時間をすごせること。

彼らが今日も笑って生きていられること。
私も笑って生きていられること。
それを感謝しよう。

プロフィール

まいまい
ニューヨークの片隅在住。2010年6月に看護師国家試験取得。不況のあおりで就職難民・・・そんな日々の中で感じたこと、気づいたことを現地からお届けさせていただきます。


親が手を出していいとき悪いとき

01同じことをやってても
「放ったらかし」っていわれたり
「世話やきすぎ」っていわれたり

「自立」のためには
どっちがいいの?
出したその手を
またひっこめる

 

「しなくていいよ」もひとつの方法・・・郡司修一

少子化の影響で、一人の子どもをお世話する大人の手は確実に増えています。子どもに「〜しなさい」という要求行為やかわって「してあげる」代役行為は、もはや子どもにとって飽和状態なのです。「してもらう」ことへの慣れは自立性を確実にむしばみ、あげくのはてに「親に依存しながら親を否定する」ことに行く場合もあります。「お母さんが○○をしろといわなかったから」などと、他人まかせの姿勢になってしまうこともあります。

そこで私は、「しなくていいよ」というアプローチをおすすめしたいと思います。つまり、大人がこれまで「してほしい」と思っていた宿題。かたづけ、持ち物チェックなど「しなくていいよ」と通達するのです。子どもにとって。これは新鮮ですよ。

これは罰則ではなく、一種の渇望感を味わわせることが目的なのですから、「もうやらなくていい!」と怒るのではなく、笑顔で、あたりまえに伝えてみてください。「いまのあなたに必要ないようだから、やらなくていいよ。もう少し大人になると、もしかしてやりたくなるかもね」程度でいいのです。でも中途半端なことはしません。問題が整理整とんなら、徹底的にかたづけさせません。

こうすることで渇望感や飢餓状態をつくりだし、子どもの心に根ざす「必要感」をはっきり意識できるようになる場合もあります。子どものほうから「もう、かたづけたい」などといいだしたらしめたもの。「いいところに気がついたね」とか、「ちょっと立派な考えだね」などと認めつつ、「どうしてしたくなったの?」と理由を聞いて、子どもなりの考えを整理してあげるといいですね。

でもこのアプローチ、しょっちゅうだと効果は薄いです。子どもの年齢や性格、そして「ほんとうにこれをしてほしいかどうか?」を考えて、ここぞというときにどうぞ。また、宿題の場合は担任の先生の協力も必要です。「しばらく荒療治をしてみますので、よろしくお願いします」と連絡して、意識を共有できる担任だといいのですが。
01 学校では子どもが出来るだけ困らないようにと思うのが親心。でも、失敗の過剰な回避は、子どもの自立性をマヒさせていきます。忘れものをしたとき、なんでもいつでも届ける親は「下僕」化していきます。残念ながら、親のやさしさよりは「都合のよさ」のほうが強く伝わり、浸透してしまうのですね。

一方、「忘れ物をしても届けないよ」と宣言している家庭には一種の緊張感があり、子ども自身で「なんとかしなきゃ」と考えるようになります。失敗を味わわせ、そこから子どもなりの知恵や対処を学んでほしいという配慮ですね。ただし、「これがないと今日は大変!」というときには、やはり助けてあげたい。「してあげること」と「してあげないこと」のバランスとタイミングが大切です。

また、子どもの成長段階や性格をよく考え、探りながらためすことも必要です。とくに、小学校四年生ごろの思春期の入口からは慎重に。この時期に育ちつつある子どものプライドを最大限に気づかう必要があるでしょう。「親の思うようには困ってくれない!」ということもあるでしょう。でもそこから、わが子の持ち味を再認識でき、次なる「手出し」の方向が見えてくるかもしれません。

郡司修一/ぐんじ・しゅういち
(福島県の市立小学校教員 共著に『がっこう百科』)

「母ちゃん劇場」・・・山本ふみこ

手を出しすぎるか、ぜんぜん出さないか??これは、たいした問題じゃないと、わたしは思うんです。それは、母ちゃん(あるいは父ちゃん)の性質によるところだし、出しすぎる、出さなすぎる、ということは、それぞれ反省しているところだろうし。
01 大事なのは、ちゃんと見せるということだと思います。子どもにしてもらいたいことをして見せる。こんなふうなやり方がおすすめよ、というやり方を見せる、ということです。

ナイフでえんぴつを削る、食卓を台布巾で力を入れて拭く、本を大事にする、ノートは最後まで使う、パンツや靴下はこうたたむ、上着にブラシをかける、洗濯物を干す棹をきゅっと拭く、箒とはたきを使う…。これらすべてが「母ちゃん劇場」です。

わたしは毎日、主役をつとめています。子どもは見ています—。見ていて、すぐ真似してくれるとうれしいんですが、ま、だいたいは見てるだけ。

そうして自分が独立したとき、そっくりそのまんまのことをしてみるはずです。もっと合理的なやり方を発見したり、わたしたちがインチキして踏み外していたやり方を正道に戻したりすることもあるかもしれません。どちらにしても、そのときは、わたしたちにはあまり関わりのない話です。ちょっとつまらないですね。「ああ、見ていてくれたんだなぁ」としみじみする日をたのしみに、「母ちゃん劇場」の看板女優として、がんばりましょ。ちゃんちゃん。

山本ふみ子/やまもとふみこ
(エッセイスト・著書に「元気が出るふだんのごはん」(講談社文庫)「子どもと食べる毎日のごはん」(岩崎書店)「親がしてやれることなんて、ほんの少し」「人づきあいの練習帖」(オレンジページ)など。)

 

抜粋

にらめっこのバイブル:こども・きょういく・がっこうBOOK『おそい・はやい・たかい・ひくい』N0.31より抜粋

リンク

ジャパンマシニスト社


vol.159 エコビレッジfromオーストラリア

オーストラリアでエコビレッジの立ち上げに参加している
日本人女性YAOさんのレポート

01

Eco Village “Paradice One Retreat”の目的

  • 持続可能な自給自足の生活をする事
  • 生活を共有するもの同士、お互い高め合って成長する事
  • 大規模なパーマカルチャーのプロジェクトの達成
  • 安全で健康的な食材を、お客様と一緒に共有する事
  • 可能な限り地球上に自然を残せるようにする事
  • ひらめき!を感じてもらえる「暮らしのモデル」を提供する事

満月に行った収穫祭

オーストラリアと日本は季節が逆になるので、ここは秋分を迎えたところです。秋分に一番近い満月の日に収穫祭を行うのが、古くからの習わしであるという事で、前回の満月が日曜日でもあったので、paradiseoneの初めての「小さな収穫祭」を行いました。

畑の経験の浅い私たちですが、知恵を寄せ合って試行錯誤をしながら、開墾から始めた畑。すこしずつ少しずつ、畑からの産物を、食卓に持って来れるようになってきました。まずは、この土地の恵みに感謝を伝え、収穫できるサイズに育った野菜たちをみんなでいただきました。

今の時期は、ラディッシュ、大根、カボチャ、ビートルート、スイカ、メロン、青菜、中華野菜もよく育っています。

驚いた事に、大根はとても甘く、見かけもとてもユニークで、みんなを笑わせてくれました。

根菜とカボチャは豊作で、味もよく、スープにしたり、ピクルスを作ったり、いろいろと調理法も思考しながらいただいています。

01メロンとスイカは、収穫のタイミングを見極めるのが難しく、あたりはずれがありましたが、それでもみずみずしい果物をいただける事にはとても感謝しています。

この日は、収穫した野菜の野菜スープと、ピザ釜をつかって、直火で焼いたベジタブルピザをみんなでいただきました。

節の切り替わりの時期に、祭りを行い、各自の生産物を持ち寄り、近所のひとたちともシェアしていけるようにしていく事が目標です。
まずは友達や、近所の人たちに、たくさん育った野菜を、ギフトして、ギフトし合うコミュニティーが広がっていけるようにしたいと思っています。

まだ自分たちの状況は、自給自足のほんの始めの段階ですが、少しずつでも確実に、現実的に、このプロジェクトを大切に進めていこうと、再覚悟をした日でもありました。仲間がいるから、このプロジェクトが進んでいる事、そして祭りを通してみんなに感謝しあえた日。

自分たちだけのためにやっているのではなく、他の誰かのためにもやっている。それを心がけ、輪が波紋のように広がりつづけますように…

(Paradice One Retreat staff・YAO)

vol.159 エコビレッジfromオーストラリア


vol.159 ぎむきょーるーむ「大人未満」な子とつきあう

長~い! 反抗期 思春期 自立期 「大人未満」な子とつきあう

01

01
すれちがいはえんえんと ジャーナリスト 杉山由美子
子どもの思春期は、親の思秋期
長女も結婚、次女も就職。もう子育て終了。これからは、やりたい仕事をして少しは人様のお役に立って、人生のしめくくりに向かおう。
という矢先、長女が入院。じつは原因の痛みは、長女が10代からの持ち越しで、「たいしたことない」とみすごしてきたものだったから後悔も深い。

思えば娘には苦労をかけた。今も胸がうずくのは、長女の中学校時代。子どもが見えない、わからないときは親も混迷を深めていると、今だからいえる。

長女は荒れた。安いコスメを塗り、禁止されているルーズソックスをはき、制服の裾を上げ、眉を剃った。上級生の男の子たちをグループで追った。

01

どれもたわいのないことだったのに、私はいきり立った。なんとか軌道修正させようとやっきになって叱ったり説得した。

女性の経済的自立を標榜してきた私は、女の子が社会でどのように差別されているか、そのために差別されない学力と学歴をもつ必要があるとデータをもって解説した。

長女はまったく聞いていない。耳が閉じていえるいることがびんびん伝わるからくどくなる。くどくなるとそっぽを向く。しつこい私は「昨日言ったことだけど」と翌日に持ち出した。エンドレステープ。

「あれはまいったな!終わったと思っていたのにまた一からはじまるんだからね」長女は笑う。

思考停止していたのは私だった。

「メシの食える大人になる」のはたやすくないけれど
子育ては長い。やっかいな10代を超えればすんなりいくかというと、そうはいかない。

子どもは親だけでは育てられない。親が孤立して経済的に苦しくなれば、すぐ子どもに八つ当たりしてしまう。親も子も逃げ場や居場所、子どもを認めてくれる他の大人が、家庭の外に必要だとつくづく思う。

私は娘たちに「ワーキングマザーになったらできるだけめんどうをみるね」と話している。社会が若い人や子どもに厳しいから、せめて親がへとへとでもめんどうをみるしかないと思ってしまうのである。

01

いまの若者は自立してない、幼い、といわれるけれど……。
それでは「大人」って、どういう人?

石川憲彦(精神神経科医)

かつては「元服」など大人になる確かな節目がありました。
自然に学びながら生きていけば10代の初め頃には1人で世の中をわたっていける体力がつき、不器用ながらも「相場」とされる行動ができるようになり、また生殖能力がそなわってくる。

それがひととおりそろったところで元服となる。農業社会ではそれでよかった。しかし世の中が複雑化すればするほど生きぬくためのルールも複雑になり、大人の基準も複雑になっていきます。

工業社会では、知的合理性が体力にとってかわりましたが、知的合理性はテストの点だけでははかれるものでもない。ものさしがひとつではないから、大人の条件はさらに複雑になります。

とはいえそのころも、大人のイメージとは、自然界をみすえてどっしり構えている、しっかりしている、というものだったでしょう。

01

ところがいまのような情報産業社会では、どっしり、しっかりしていても、あまり意味がありません。情報産業社会で価値を生み出すのは想像力、イマジネーションだということですから、時代への感度の高さなどが大きな意味をもつとされる。

ところが想像力をはかるものさしなんてないのですから、どういう人が大人なのかわかりません。成果をはかるものさしがないのです。

農業社会にせよ工業社会にせよ、大人は実態を生み出してきました。そこは智恵の蓄積があり、老賢者もいた。
ところが実体経済なき金融資本主義の社会にはそれがない。こういう世の中で旧来の「大人」という理想像を求めるから、混乱するんですね。

これからの大人の条件は、かっこよく貧しくなること!

大人の基準って?
本来、どんな時代であれ、行きぬくには、体力とも知力とも違うタフさが必要です。それは「こうなったらおしまい」などと条件をつけず、立ち止まってじっくり考えながらものごとをすすめて、生きていこうとするタフさです。

01

それから、殺しあわずに生きていこうとする意志、共生していく意志をどれほどもっているか。このタフさと共生への意志以外に「大人の力」と呼べるものはないと私は思います。

そしてこういう力は、いま「幼い」といわれている人たちの代表、発達障がいとか知的障がいのある人たちのなかにもあるし、頭がいい、器用だといわれる人で、この力をもっていない人もたくさんいます。

その点では、10代も50代も同じ土俵だと思いますよ。いまの60代が大人か、といわれると、ねぇ。そして、「しっかりした大人」たちが原発を作ってきたことも忘れてはなりません。

これから先の大人イメージは、「かっこよく枯れて、貧しさも楽しめる才能」。商品化された欲望にふりまわされず、悠然と、人間同士たがいに見守りあいながら生きぬく才能なのです。

vol.159 ぎむきょーるーむ「大人未満」な子とつきあう


vol.159 ママたちの座談会 「布おむつについて」

01

おむつ、私の場合

Aさん 私が長男を妊娠した時に、布おむつを手縫いしました。
母が妹のおむつを畳んでいた記憶もあったし、そういうものだと思ってました。4人とも基本は布おむつで、紙おむつもちょくちょく使うというスタイルです。夜間や外に出る時は紙おむつの方が楽ですね。

Iさん うちは1人目の時から布おむつなんだけど、それは単純にもったいないって思って。自分も布おむつで育ったし。でも、「やめなさいよ、紙にしときなさいよ、楽だから」って、先輩ママが言うんですよ。義母さんも安かったからって、たくさん買ってくれたり。私は布にしたいんだけどなぁ、って思いながらも併用していましたが、最終的には布にしました。

01

Fさん 上の子は紙おむつだけで育てていたんですが、離乳食を始めるときに、食を見直して、それからどんどん生活のあらゆるものが変わっていきました。それで、2人目は布おむつにしようと思ってた時に、友人から布おむつと本をもらったんです。それまでは布おむつってどんなものかも知りませんでしたが、この子はほとんど布おむつです。

Sさん 次女三女の年子が布おむつをしてたときは、「2人が布おむつ、大変ねぇ!」ってよく言われたの。でも、紙おむつって、買う量も二倍だったら捨てる量も半端なくって、紙おむつだけでゴミ袋がパンパン!ゴミ出しが大変で。2人同時だったら断然布おむつの方が楽。だって洗う手間は一緒だし。

Aさん 私もゴミが増えるのが嫌だったのね。ゴミ出しがしんどくて。
使用済みの紙おむつを入れておくゴミ箱もどうしても臭くなるし。
それだったらまだ洗った方が…て。

Iさん 紙おむつだと無くなりかけたら「買いに行かなきゃ!」、また無くなってきたら買いに行って…。買いに行く事が面倒くさいじゃないですか(笑)。

Aさん 布だったら洗ってもすぐ乾くし、なくてもタオルで代用できるし。

Fさん 私は布おむつにしたのは4ヶ月からでした。最初はおむつ変えの回数も多いですし、それまでは紙おむつで。

Aさん 出産後1ヶ月か2ヶ月たつと身体がしっかりして来たのが自分でわかるし、そうすると布にしようかなって思えるね。

Iさん 気持ちもちょっと楽になってきてね。

布おむつにも種類が

01Fさん 布おむつも、成形型と輪おむつと二種類あるということを知らなくて、本を見て初めて知りました。

Aさん 成形は洗濯はラクチンだけど、結構中まで乾くのに時間がかからない?

Fさん 両方使ってみたけど、成形はメーカーによって乾きやすい、乾きにくいがあったり、厚さとかいろいろ違いますね。すぐ乾くし、畳み方でアレンジがきくから、私は結局、輪おむつの方が楽でした。

Iさん 成形はおむつカバーにおさまりがいいね。

Aさん ぺらぺらとしたところがないからね。うんちをとるときも成形の方が楽だったかな。

Sさん 布も使い分けだよね。

一同 うんうん。

Sさん 輪おむつは、干す時にぱんぱんってやるからあの快適さを保っていられるんだなって思う。それであのサイズがやっぱり使いやすいでしょう。あれより短かったり長かったりしても扱いにくいと思う。すごい!昔からの知恵だよね!

Fさん 輪おむつは日本独自のものだって本にありました。

Sさん うちにある布おむつで、六人兄弟のおうちからその親戚にもらわれて行って、そのあと我が家に来たのがあるの。大体6~8人くらいが使って、その後でうちが4人だから、もう10代目?
いい具合にくたびれていて、いつまでもつかなあって感じなんだけど、これを大事にとっておきたいの。いつか娘が受け継いで使ってくれたら嬉しいなあ。

おむつの中、見る?

Sさん 食にこだわるお母さんって結構いるけど、排泄に関しては、社会全体がすごくおろそかになっている気がする。面倒くさい、臭い、汚いみたいな。
でも、食べ物と同じくらい大事な事だから、紙でも布でもいいけど、気持ちを向けてみることは必要じゃないかな。親子一緒に「いいうんちが出たね」みたいなのでもいいし。

Aさん 私は「あ!シールが出て来た」ってこともあるから見るけど、最終的にはその人次第になるのかなあ。

Iさん 紙おむつだと便の状態を見ないで捨ててしまうわ。

Sさん 布だと洗う時にどうしても見るけどね。ああ、こんなに消化できてるんだぁとか、面白いよね。我が家は子どもと「今日は元気なうんち!」とか言うの。「今日はびちびち」「昨日あんなに冷たいもの食べたからよ」とか。

ニュートラルに行こう

01Fさん 紙おむつの高分子ポリマーとか、経皮毒のことを聞いたりして、布おむつの良さを再確認しました。
化学的なものはなるべく身体に入れたくないですから。

Sさん 高分子ポリマーって、熱冷ましによく使う冷却ジェルシートの主成分なんだよね。だから「おまたは大事よ、冷やしたらだめよ」って昔から言われているのに、そこに冷却ジェルシートを貼っているようなもんだよねえ。

Aさん 皮膚が1だとすると42倍の量を性器は経費毒を吸い込むから、石油製品は考えもの、という事を知って、自分が布ナプキンに変えたの。

そしたら仕事の時とか、やむなく紙ナプキンを使った日は気持ち悪くなるようになって。たった1ヶ月のうちの数日でも私は気持ち悪くなるのに、1年365日24時間、子どもにつけているのはなあ、できれば布でやってあげたいな、って思う。

Fさん 基本育児って楽しみたいから、布でなきゃって、あまりこだわりすぎるのも楽しめないような気がします。

Sさん こだわらずに紙おむつ派の人にも布おむつも試してみてほしいな。でも初期投資も必要だし、それこそお下がりとか、もらう機会でもあったら、いいチャンスと思う。

Fさん 私もきっかけは友達にいただいて、始めてみたら意外と洗濯の量が少なかったです。30枚あったけど、全部を1日で使う事はないですし。
軽くすすいで後は他のものと一緒に洗濯しているので、7、8枚のおむつってそんなに負担にならないです。

Aさん 先日、布おむつにしたら赤ちゃんのお尻が荒れちゃったっていう人がいて、おむつの洗濯に普通の合成洗剤使っていたから、赤ちゃん用洗剤にしてみたけど、それでもだめで。食べ物かなあとも思ったけど、巷によくある赤ちゃん洗剤だって結構きついのもあるんだよね。
そうすると、布おむつも石けんもオーガニックで、て考えると、どうしても布おむつの方が割高になるかな。でも、そこから自分の考え方が変わる。
じゃあ今私が使っている洗剤は何なんだろうとか、私が食べている物は何なんだろうとか考えると、自分の生活自体が自然な方にシフトしてくる。そういうきっかけになるんだったら素敵な事だよね。


vol.159 記者雑感 From気仙沼-(Vol.12)

159記者雑感

 わずか6区画ながら、防災集団移転用地の造成工事が気仙沼で初めて完成した。2100戸の災害公営住宅と、980区画の集団移転。公的な住宅再建の二本柱の一つが震災4年目に入って、ようやく形になった。早い世帯は、年内にも新居での生活を始める。

 山間部を切り開き、制度上限の1区画100坪(330平方メートル)の宅地を作った。1区画の費用は約2千万円。都会では100坪なんて考えられない。市職員に「広くて安い」と言うと、「あそこで2千万円なんかありえない」。各務原市では、蘇原沢上町や那加信長町とほぼ同じ値段だ(2014年国交省公示地価)。そうか。確かにありえない。 

集会所や周辺の道路を作ったら、単価は更に膨らむ。被災者はこれを、安い時価で買うことも借りることもできる。恵まれているのは間違いない。が、完成した宅地に立つと、「やっとここまで」という思いを抑えられなかった。

その2日後。別の山あいに、バッティングセンターが完成した。作ったのは、津波で妻と2人の娘を亡くした千葉清英さん(44)。野球少年の長男、瑛太さん(12)の気を紛らわそうと、岩手県のバッティングセンターに通ううち、「遠い。気仙沼に作って」と頼まれた。

 本業の乳製品販売の復活も見えないなか、「希望の飲むヨーグルト」を首都圏で売るなどして資金を稼いだ。プロ野球界が知るところとなり、著名選手やOBがPRに力を貸した。そうして完成したバッティングセンターには、投球ゲーム機や卓球台も備えた。野球少年だけでなく、ストレスを抱えたお年寄りや女性が発散できる場所にしたかったからだ。オープン初日、おじいさんと少年2人が連れだって来店するのを見て、つい、涙した。
 漁港周辺も少しずつ賑わいを取り戻しつつある。震災前は市内最多の年間100万人が訪れた「海の市」は、港町にありがちな観光案内所兼物販の施設。
4~6月に順次再開するが、あえて土産物屋を新規開店する守屋守昭さん(53)のような人もいる。
 経営していた水産加工場は全壊し、従業員53人は経理担当1人を除いて解雇。「また戻ってきて」と頼んだものの、小規模で再開した工場では全員を受け入れられない。がれき処理や建設業に転身した元従業員の話を聞いては、心が痛んだ。復興関連の仕事は、よくてあと数年。長く雇用できる場を作ろうと、小売りに乗り出した。印象に残った言葉は、「何十年もかけてできた街や会社が、すぐに戻る方がおかしい」。だから少しずつ、できれば独力で、歩む。

そんな芽が、少しずつ見えてきた震災4年目。ただ、まだ「芽」でしかない。


vol.159 新米Nurseものがたり-(Vol.21)

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がん治療に思うこと

うちの同級生は今、ちっちゃい子どもを育てながら、旦那さんのがんに毎日精一杯、真っ正面から向き合ってる。絶対に死なせない。
時々交換するメールにはいつもその言葉でしめくくられてる。
絶対に死なせない。

でも医者に、”もう治療のしようがない。ホスピスを紹介する。”っていわれた。放射線治療、抗がん剤治療、薬物、外科的な摘出手術だけが、がん治療なの?それができないとなれば、もう患者を見離すの?

 

正直、今の世の中のがん治療は数字や薬品に頼り過ぎやと思う。うちはがんのある患者さんとは、摘出手術をする外科と、ホスピスとでしか関わったことはない。がん治療の現場やオンコロジー病棟とかで働いた事もない、だから偉そうなこといえんけど、でもそれでもなんか違う。なんか絶対違う。根本が違うと思う。

本当は、すべての患者さんにがんがみつかった時点で、食べ物を見直すことをはじめてほしいと思う。食べるものは直接うちらの血となり体液となり細胞となる。

本当はがんがみつかったことをきっかけに、自分達のたべているもの、食べ方、生活の仕方、生き方についてじっくり考えて、原因を探していくことが、治療の第一歩であるべきやと思う。
その上で、どんな治療法があるかっていう選択肢、または治療をしない選択、どう生きていくかというプランなんかを、提示するべきやよね。

医者はあくまで患者が主導権をもって自分の病と向き合って、これからの生き方を決めていく上での専門家という立場であるべき。
患者自身にもそういう意識が必要。

それが、今の医療現場はそんなことには見向きもしない。
がんを発見した時点で、すぐにがん細胞を攻撃して排除することに集中する。それが患者の望むことで、患者のその後の人生に一番有効な治療だと患者自身が判断したらいいけどさ。
でもたいていの場合いろんな治療法、がんとの向き合い方があることすら知らせてくれない。

 

健康な細胞を一緒に殺してしまうような攻撃的な化学療法や放射線治療だけを続けて、一番肝心な、がん細胞をつくりだしてしまった原因を探る事をしなければ、治療しながらもがん細胞を体に生み出すような生活し続けるかもしれんやん。

がん細胞を生み出してしまった毒素や原因を体から排出する事や取り除くこと、新しい健康な細胞をうみだせるような食事や生活の仕方をとりいれることを同時にやっていかないと。

抗がん剤や放射線使えば使うほど、免疫システムの強化に直接つながる精神的やメンタルのケアもやっていかんと。そういうことを、がんや病気がみつかった時点でスタートさせんといかんと思う。

考えてみれば、抗がん剤も放射線も、人間の体にはただの劇薬で毒物でしかない。
病院でも、妊婦の看護師は抗がん剤扱えないし、そういう資格もってる看護師でもすっごい何重にも厚い手袋はめて、隔離された場所でしか扱えない、そんな薬品ってこと自体が、もうふつうの体には害にしかならないってことを物語ってる。
がん患者の体の中やって、がん細胞以外はふつうの健康な細胞が生きてるんやお。それを忘れちゃいかんと思う。

だいたい今の食品や水や環境には、人間や動物の体の中に、がん細胞をうみだしたり、細胞をがん細胞に変化しやすくなるいろんな物質がいっぱい含まれてる。

農薬、家畜に投与される自然界ではありえないような飼料/抗生物質/化学薬品/添加物、水にいれられる薬品、いろんなものが必然的にからだに異常を発生しやすくさせる。

 

今の世の中、ふつうにスーパーやコンビニで買ったものを生まれたときから食べてれば、みんなががんやほかの病気になってもおかしくない。そのくらいすさまじい化学薬品や化学調味料や保存料が世の中にはうじゃうじゃ出回ってる。

その上、日本人が何世代にもわたって続けてきた食生活とは全然違った食事をすれば、生活習慣病にもなるし、がんにでもなりえるし、いろんな病気になって当然。とくに乳製品や小麦製品をいっぱい使う西洋の食事は、みんな大好きやけど、みんなを病気にさせる。

ただでさえ今の日本はとてつもない種類の食べ物が出回ってる。そういうものを食べて育ったちびっ子たちが、中高生になったとき、和食中心の食事を好んでたべるわけがない。

知らず知らず日本人のDNAにはあわない偏った食習慣が、どんどん病気を生み出していくよね。何が自然で何が不自然か、何が体にとって大切なのか知らないまんま。

そういう自分も、日々のストレスや仕事の忙しさにやられてまう。
疲れとるし、楽したいし、甘いもの食べたいし、仕事のあとに一杯やりたいし、体に悪いと思ってはいても、ついついつい。。。
そんな毎日がやっぱり病やがんを生み出すんやな。時々ならいいんやて。でもいっつもはあかん。何かをかえないといけない時期やなと思う。

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vol.159 知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa

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人に寄り添う歌、それがシャンソンです。

シャンソンを楽しむジュジュの会 主宰

 

シャンソン歌手 小島美枝子さん

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シャンソンの教室をはじめて20年になるのですが、ちょっと誤解されてるなと思うことがあります。それはたぶん宝塚の影響だと思うのね。

宝塚は華やかな衣装を身につけ夢の世界を歌うけど、シャンソンは庶民の心の叫びを歌っています。

正直な思いをかくさずに歌う。
それがシャンソンの根底にあるんです。

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たとえば、戦場の兵士はふるさとを思い、母を想う。
子どもを慈しむ歌もあれば、男女間のジェラシーもあります。せつない娼婦を歌った内容もあります。
シャンソンは弱者に寄り添い、それを歌にしているんです。

弱い立場といえば、2011年3月11日の東日本大震災で被災された人たちもそうではないでしょうか。

私は当時の新聞記事、「桜が被災者をいやしている」を読んで『これだ!』と思いました。お金や物資を送るよりの苗木を贈りたい、そして植樹をしてもらおうと思いました。そのことを仲間に提案、募金やコンサートの収益金で苗木を購入する準備が整いました。

が、さて、どこに送ったらいいのか、ルートがない。苗木どころじゃないぞ、ボランティアサークルもとまどってしまった。

そんな中、ジュジュの会員の中に石巻市、北上川地区の議員と知り合いの人がいた。北上川河口付近の「北上桜公園」はかつて200本の桜の園であったが、津波で全部なぎ倒され跡形もなくなった。そこにぜひ植えたいと思ったの。

現地に立ったとき、声を失いました。大きな北上大橋も崩壊、北上桜公園には石碑が悲しげに残っているだけでした。今までの報道から得た情報とはまったく違う、なんかこう、川の怒濤、亡くなった方々の悲痛なうめき、そんな空気感が全身に伝わってきて茫然としました。

でも、人々は強かった、一生懸命立ち上がろうとされていた。私たちが行くととても喜んでくださったし、一生懸命話しをして接待してくださった。

植樹する桜公園の向かいには犠牲者を多く出した大川小学校がのぞめます。「大川小学校のみなさん!いつの日か桜の花になってここに帰ってきてください!」そう願って植樹式のときには、祈りの歌をうたいました。

泣きながら歌っておられたSさんは
「津波で主人を亡くし、息子も大川小学校の教師で犠牲となりました。歌など歌えなかったけど今日はじめて皆さんの輪に入って歌っている自分に気づきました。5年生の孫が岐阜県から派遣教師として石巻に来られたT先生にたいへんお世話になりました」

なんと、T先生は私の元同僚、よく知った仲でした。お孫さんは津波の当日、吉浜小学校の屋上で一晩あかし命拾いをしました。助かったことが恨みの対象となるなど…亡くなった人も気の毒、残された人の苦しさも伝わってきました。いつか「桜」がいやしてくれることを一緒に祈りました。

「桜通信」No.5より シャンソンを楽しむジュジュの会 発行

アクティバたんぼプロジェクト

 

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畦作り、周辺の草刈り たうえの準備

  • 015月18日(日)8:30~11:30

 

  • 場所01:アクティバ田んぼ(関市武芸川温泉を西へ1,200m)
  • 特典:アクティバ通貨一枚進呈(収穫祭でお米と
    引き換えよう!)

 

たんぼの周辺を気持ちいいエリアにしたいので、草刈りをします。刈った草は干して、たんぼに撒きます。電動草刈り機も用意しますが、草刈り鎌持参でお願いいたします。

たうえ

  • 5月25日(日)9:00~14:00

  • 場所:アクティバたんぼ(関市武芸川温泉を西へ1,200m)
  • 参加費:会員1,000円 非会員2,000円
    (アクティバ米のおにぎりと重ね煮の味噌汁つき)
  • 特典:アクティバ通貨一枚進呈(収穫祭でお米と引き換えよう!)

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たうえ体験!
子ども連れ参加大歓迎!

畦作り、たんぼ周辺の環境も整え、いよいよ「たうえ」。雨天決行
小さなお子さんも、お母さんも、じじもばばも、着替えを用意して豊穣の秋を想像して、せっせと苗を植えましょう!
たうえの後は、昨年収穫したアクティバのお米でおにぎり!いただきます。

草取り

  • 6月15日(日)9:30~15:00

  • 集合時間:9:30 道の駅ロック・ガーデンひちそう
  • 持ち物:お弁当、水、タオル、おやつ
  • 参加費:会員500円 非会員1,000円(保険・ガソリン代)

ガイド料が係る場合は参加者で均等割でご負担をお願いいたします。
参加人数(5人)に満たない場合は、中止する場合がございますのでご了承ください。

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たうえも終わり、草取りもやり終えたら、一息つきましょう、ということで、今回はちょっと遠出をします。飛騨小坂の滝めぐりにオトナの遠足です!
旧御嶽登山口の一の鳥居公園から歩きます。行程の大半が遊歩道林道です。途中の溶岩流の断面『巌立』〔天然記念物〕は圧巻です。歩きやすい服装で。

 

 

 

登録メンバー募集(無料)

ただ今アクティバでは登録メンバーを募集中!
応募はFax・Mail・Telなど、どんな方法でもOK。
イベントや、勉強会などに登録メンバーが活躍できる機会を実現したいと思います。相互に楽しめるようなスキルバンクです。
登録、お待ちしてます!

◆募集対象

  • 年齢、性別、職業、国籍、所属 団体など不問。
  • 活動への参加は自由を原則 とします。
  • 活動参加の際、実費負担を 原則とします。

◆申込方法

  • 登録用紙に記入し、FAX ,Mailでお寄せください。

◆アクティバの約束

  • 政治、宗教は持ち込まない。お互いの人格を尊重すること。
  • 積極的な活動をモットーとすること。

FAXでのお申込み

登録用紙(pdf)を印刷し、アクティバ事業部
058-383-8666(にらめっこ編集室内)まで
お送りください。

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メールでのお申し込み

  1. あなたがしたいことは?
  2. あなたができることは?
    (たとえば、得意とする技や趣味やボランティアなど。)
  3. あなたがしてほしいことは?
  • お名前(ふりがな)
  • ご職業
  • ご住所
  • お電話番号
  • 連絡先(FAX、e-mail)

を明記の上、
アクティバ事業部 info@niramekko.com (にらめっこ編集室内)
までお送りください。

アクティバの活動のメインは、「したいこと」と「できること」をつなぐこと。ネットワークが拡がれば、人生が豊かになる!そんな思いで活動を続けています。

2014年4月10日現在

1. わたしのしたいこと

  • 山県市を盛り上げたい(地元でイベントなど)
  • 自分の持つ資格を皆さまとシェアしたい
  • 生き方について情報交換
  • ハーブガーデンを作り、ハーブの効用を学びたい
  • facebookを使いこなしたい
  • ボランティア活動したい
  • 楽器をマスターしたい
  • 半農半X生活

2. わたしができること

  • お菓子作り
  • 色彩心理セラピー
  • シャンソンを共に楽しむ
  • アロマボディーケア
  • 健康体操
  • 川柳講座
  • タロット占い
  • 節約リメイク料理
  • 似顔絵を描く
  • 健康相談

3. わたしがしてほしいこと

  • ジャズライブを開いて欲しい
  • キャンドルナイトで一人づつエコな取り組みを話す会って面白そう!ぜひ実現してほしい
  • 自然農を広めたい、そのための勉強会や実践講座を開いて欲しい
  • フランクな英会話サロンを企画して欲しい
  • 生き方について情報交換会を!
  • 半農半Xという生き方の著者 塩見さんの講演会を開いて欲しい
  • 老いじたく講習会を!

vol.159 中高生・平和を語る

フクシマは終わっていない!

知らないことが多すぎて・・・

3月21日・22日の2日間、私は福島に行き、『東日本大震災・福島原発事故から3年:復興のいまと原発事故について学び交流する高校生のつどい』に参加してきました。

福島県高校生平和ゼミナールが企画してくれたこのつどいには、東京・埼玉・神奈川・千葉・長野・岩手・福島・岐阜などの都県から40人ほどの高校生の参加がありました。

初日は福島市内で集会があり、次の日には、放射能汚染の被害を受けた場所に見学に行き、何人かのお話も聞かせてもらいました。

見たこと、聞いたことがあまりにもたくさんで、しかも知らなかった事も多く驚きの連続でした。

時間も、21日の午後と22日の午前というほんの短い間のことで、頭の中に急に詰め込まれた感じで、記憶がごちゃごちゃになってしまってなかなかまとめきれません。

そこで、今回はひとまず、チェルノブイリ原発事故以来原発反対運動にたずさわり、福島原発の事故では福島原発告訴団団長として活動してみえる武藤類子さんのお話を紹介したいと思います。武藤さんは、福島の現状について、多くのことを話してくださいました。

最初は、たまり続け漏れ続ける汚染水の話でした。放射能に汚染された水は、原子力発電所のまわりの丸い大きなタンクに溜められます。しかし、ここに入りきらない汚染水が海にたくさん流れていきます。

また、原発では1日中高い放射線量の所で働いている人がたくさんいるそうです。とても悪条件の中で、そんなところで働いてくれる人は少なく、働き手が足りないからといって、色々な所から集められてきているのだそうです。

帰りたいのはヤマヤマだけど

避難させられている人たちの問題も深刻です。

汚染のひどいところは避難区域にされているのですが、それが3つに分けられていて、そのうち帰還困難区域は入ることも出来ず、未だに地震や津波の後片付けさえできていません。居住制限区域避難指示解除準備区域にしても、寝泊まりすることができず、住むどころではありません。

除染もそれほど進んでいませんが、それでも原発から20㌔~30㌔の村では、除染された土がたくさんあって、それがフレコンバックと呼ばれる、1.5㌧も入るゴミ袋に入っていて、そのゴミがたくさんあって、さらに増え続けています。

また、放射能に汚染された廃棄物を焼いて容積を減らす計画が福島県内で進んでいます。しかし、これらの汚染された土やゴミを最終的に処分する場所も決まっていません。これが現実です。

武藤さんは「こんな状態では福島で安心して暮らすことはできません。そこで私たちは福島原発告訴団をつくって福島原発を告訴・告発をしたのです」と最後に言われました。

私はたいへんショックを受けました。事故から3年たち、岐阜まで詳しい情報が流されてくることも少なくなりました。しかし、福島ではまだまだ汚染の問題は深刻なままのようでした。

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 この桜の下でお花見が出来るのはいつになる?帰還困難区域 飯舘村長泥に咲く桜
(12年のゴールデンウィーク)

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フレコンバック


vol.159 暮らし上手 -食「種を採る」

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トマトの種採り(水選)

  1. トマトは完熟のものを収穫し、さらに10日ほど置いて種までしっかり熟させる(追熟させる)。
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  2. まず半分に切り、スプーンの柄で種をかき出し、ボールにあける。
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  3. ピンに移して、直射日光が当たらないところに4日~1週間はど置き、発酵させる。目安としては、種のまわりのゼリー質がさらさらしてきたらOK。
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  4. 再びボールに移し、水洗いをする。
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  5. 新聞紙の上で乾燥させる。風で飛ばされないように注意。
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  6. お皿に移し、2週間ほど乾燥させて完了。

 

キュウリの種採り(水選)

  1. キュウリは黄色くなるまで畑で育てたものを収穫し、さらに10日ほど追熟させる。
  2. 中心に入った種を割らないよう、少しずらして縦に2つに切る。
  3. スプーンで種をかき出す。
  4. まわりのぬめりが取れるよう、よく水洗いをする。浮いてくる 種は実が詰まっていないので捨てる。
  5. 新聞紙に広げて乾燥させる。
  6. ある程度乾いたら、お皿に移してさらに2週間ほど乾燥させる。 大きな種は芯まで乾燥しにくいの で 特に注意が必要。水分を含んでいるとカビの原因に。

カボチャの種採り(水選)

  1. 収穫して追熱させたカボチャ。
  2. 半分に切り、スプーンで種をかき出す。
  3. タマネギやミカンが入っていた網の袋に入れてゴシゴシ 洗い、外側の綿をきれいに取りのぞく。
  4. キュウリとは逆で、カボチャは浮いたものが良い種。
  5. 浮いた種を、ザルですくい上げる。
  6. 新聞紙に広げ、さらにお皿に移して芯までよく乾燥させ る。カボチャはトマトやキュウリと違い、種が大きくなってからでも食べられる野菜なので、食べておいしかった カボチャの種を残すといい。

今回のまとめ 種の保存法

種は、温度の3つの条件が揃うと発芽する。だから、風通しの良い冷暗所に保存するのがベスト。

例えば紙の封筒に入れて冷蔵庫へ。種はいったん水を含んでしまうと、発芽しようとして体力を消耗するため、実際に蒔いたときに発芽率が下がってしまう。

種のまき方もいろいろ

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ニンジンは、高く伸びた茎の先に小さな花をたくさん咲かせ、ゴマのような種をたくさんつける。それが次第に倒れて、種が散らばる。だからニンジンはパラパラとたくさんの種を蒔く筋蒔き。

ダイコンは4粒ほどの小さな種が入った房を、そのまま落とす。だからダイコンは3~4粒の点蒔き。自然の姿を見続けると、育て方がよくわかる。

本当の野菜とは

01たしかに市場経済の観点で言えば、効率よく大量に作れるF1種の野菜は文句なしの優等生かもしれません。

しかし、野菜は生きものです。人間の都合に合わせて、種をつける力まで削がれた野菜に違和感を抱く人も少なくないでしょう。

F1種の便利さだけに流されていったら、本当の野菜が途絶えてしまうのではないか。そんな危機感を抱き、固定種の種を次世代へつないでいこうとしている人たちもいます。

「いまや世界中の人々が、子孫を残せなくなった野菜を食べています。それは自然界から見れば不自然なこと。F1の種しか残らなくなってしまってからでは、もう後戻りできない。だから自家採種できる固定種を売っているんです」と語るのは、野口勲さん。

埼玉県飯能市で、自家採種できる固定種を400~500種も扱う種屋さんです。

種は長期保存できません。誰かが毎年育てて採種し続けないと、この世から消えてしまいます。その意味で、野口さんが期待するのは、自分で育てて種を採ることのできる家庭菜園愛好家の存在。

みんなで育てて自分で種を採っていけば、それが最高のシードバンクになるだろうという発想です。

種と家庭菜園

「固定種は家庭菜園に向いている」と野口さんは言います。市場経済では欠点とされる生育のバラつきは、家庭菜園では逆に、少しずつ長い期間にわたって収穫できるというメリットに。

また、たとえ病虫害が発生したとしても、遺伝的な多様性を持つ固定種なら全滅はせずに、いずれかの株が免疫を獲得して生き残り子孫に受け継いでいく可能性が高いといいます。

なるべく農薬を使わずに育てたい家庭菜園にとって好都合です。そしてさらに、自分で種を採れること。

野菜を育てるということは、野菜という命の一生を見られることです。芽を出し、花を咲かせ、実を結び、種をつけ、その種から、また芽が出る…そんな自然の繰り返しの中で、命のバトンをつないでいく野菜の姿を見ることができたら、それは、家庭菜園ならではの贅沢と言えるかもしれません。

参考:「いのちの種を未来に」野口勲/創森社、
マクロビオティック健康相談室 シャロムヒュッテ、
モーションギャラリー<安曇野シードバンクプロジェクト>、
無印良品

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