投稿者「にらめっこ高阪」のアーカイブ

vol.184 新連載!ここいく日記

ここいくの授業は、幼児から大人まで年齢別にプログラムがあります。幼児から性教育⁉と思われる人もいると思いますが、幼児期の子どもは何にでも興味津々で聞いてきます。「涙はどこから出てくるの?」「月はどうしてずっとついてくるの?」と。それと同じように、「赤ちゃんはどこからくるの?」「ママにはどうしておちんちんがないの?」「セックスって何?」と聞いてきます。幼児が対象の時はそんな素朴な疑問に答える授業をしています。

素朴な疑問に答えることからはじまります。
例えば、性器の話。男の子のおちんちんの後ろにぶら下がっている袋の中にある丸い玉2つ。大人の体に近づくと、この中でいのちのもとが作られる。いのちのもとの名前は精子。女の子もお腹の中に丸い玉を2つ持っている。女の子も同じように大人の体に近づくとそこでいのちのもとが作られる。いのちのもとの名前は卵子。
そして、精子は空気に触れると生きられないこと、だから空気に触れないように子宮へ送り届ける仕組み、性交についても話をします。お父さんの精子とお母さんの卵子が出会い一つになって赤ちゃんになる。赤ちゃんはお母さんのお腹の中で大きくなる。だから女の子のお腹の中には赤ちゃんが育つお部屋「子宮」と赤ちゃんが生まれてくる道「膣」がある。
性器は、いのちを作る大切な仕事をしている場所だとわかれば、大切にすることができます。下着や水着で隠れる場所「プライベートゾーン」は、ぼくだけ、わたしだけの大切な場所。ここぐらいまで話すと、おちんちんというだけでざわついていた子も大切な話をしていることがわかってきます。
精子と卵子の出会いも偶然で、みんなの命は奇跡のような確率で生まれたことを伝えると、どの子もキラキラした目で嬉しそうに聞いてくれます。
いのちの始まり受精卵、自分の始まりが、針の穴ぐらいの大きさだったことがわかると、とっても小さかったことに驚き、自分はここからこんなに大きくなったんだと誇らしげな笑顔を見せてくれます。

生まれてきた時の話を聞くのも子どもたちは大好き。
みんなは自分で生まれる日を決めて、自分の生れてくる力、生きる力を使って生まれてきたこと、そして元気に泣く力があったから、今こうしてここに生きていること。お母さんも痛みに耐え命がけで赤ちゃんを産んだこと、お父さんも他の家族もみんな赤ちゃんが生まれたことをとっても喜んだことを伝えると「ああ!そうなのか」と誇らしげで嬉しそうな顔をします。
これらの話しを通して、みんな違うし、みんな違っていいこと、自分だけでなく他の全ての人の命が尊いというメッセージも子どもたちの心に届きます。

性教育というと、どうしても「性交」を気にする大人たちがいますが、授業後に子どもたちからもらう感想文(感想文は、ここいくの宝物です!)は、親への感謝や、生まれた喜びに溢れています。性交についての感想はほぼありません。性交を伝えることを心配しているのは、大人なんだなぁ~と感じます。

担当:ここいくメンバー・中村暁子でした。

ここいく☎090-3446-8061(中村)


vol.184 リバース14号

花がスミレににているが、スミレの仲間ではなくタヌキモ科。葉の表面や花茎の繊毛から粘液を出し虫を捕らえる。

ムシトリスミレ  Pinguicula vulgaris L. var. macroceras Herder( タヌキモ科 ムシトリスミレ属 )  撮影:長屋泰郎

ムシトリスミレは高山の湿地に生える食虫植物。 葉の長さは5cmくらいで、ロゼットは10cm弱くらいの大きさになり、やや群生する。夏に分枝しない花茎を伸ばして、淡紫色の花をつける。ムシトリスミレの葉には腺毛が密生しており、粘液に小さな虫が絡め取られる。新しい葉は中央から古い葉を押し広げるように伸びてくる。古い葉は虫を抱えたまま土に返り、栄養分を返すと考えればいいのだろうか。7~8月、高さ5~15センチメートルの花茎の先に、紫色の唇形花を1個横向きに開く。捕虫はもっぱら葉で行われますが、花茎にも無数の粘液をつけており、ここでも虫と捕まえることができるそう。多年草。湿原や湿り気がある岩地、地面などに生育する。四国、中部地方以北の本州、北海道から周北極地方に広く分布する。

かんくろうさん(ミュージシャン)

2011年の東日本大震災、なにかしなければと思う自分がいました。それまでは、吉田拓郎のファンで、ファン同士がつながって、拓郎さんの歌の替え歌で反原発、なんて歌っていました。福島で避難を余儀なくされ、飼育していたダチョウや 豚などを放ったのが沈黙の街を闊歩していたり、この歳で 街を離れるなら、という悲惨な現状を歌にして訴えてみた。でも、言い過ぎもよくないからオブラートに包んで、やさしく本質を突く歌を歌っていました。あまり表現が強いとみんな引いちゃうからね。やんわりと、メッセージを伝えるようにしていました。
そんな活動をしていたら、「浜名湖フォークジャンボリー」に応募してみませんか?と声がかかりました。そしたら、選考に通っちゃって。大人数の前で歌うなんて初めての体験でした。それから7年・・・
最初はソーラーバスで登場!というスタイルで音楽活動をしようとは思っていませんでした。もともとボクはアウトドア志向で、キャンピングカーのつもりで、40年落ちのワーゲンを購入しました。屋外でラーメンとか、コーヒーを入れたらおいしいだろうなぁ、ソーラーパネルで発電した電気を使ったらおもろいやンって。
それが反原発の流れで、車にソーラーをつける理由が変わりました。自分の音響の電気は自分でまかなってみようって。野外コンサートというのはものすごい電気を使うんですね。で、電気は自前というスタイルで歌ったら、みんなが喜んでくれるんですよ。発電した電気はあえて直流電気を使っています。電気って流れの方向だけに伝わるのではなく ノイズの逆流も瞬時に伝わるのです。原発由来と 隔離していることにも意味があるのです。
フォークジャンボリーにはすごくたくさんの人が集まりますから、そこで、チャリティーグッズを販売して、売り上げのすべてを福島の子ども達に寄附しています。その他、エコフリーマーケットとかにも出向いて、歌ったり、グッズを売ったり、その売り上げも寄附する、そんな活動を続けています。
ボクの本業はウレタン加工の製造業です。端材がたくさん出るので、それをクッションにしたり、自分のマークをシルクプリントして、チャリテーグッズをつくります。自分で縫いますから 〔シンガー・ソーイング・ライター〕なんちゃって(笑)
今後めざすことは?って、よく聞かれるんですけど、ここまで来たのも、流れっていうか、自分の気持ちに添うことをしているだけです。
で、40年ぶりに新曲を書いたんです。4番まであるんですが、1番だけ披露させていただきます。

♪ 勿 体 無 意 ♪

も も も 勿体ない  も も も 勿体ない
錆びたバンパー 閉まらないドアー バネの飛び出た座席なのに
夢の ような 魔法 のエネルギー
この 車で さすらってみたい 青い風に吹かれてみたい
でも この車 燃費が悪くて 税金も 割高なのです

写真① 子どもたちがソーラーバスを見て「猫バスみたい」っていうので、ノリで装飾してみました。縫うのは得意ですし(^^)
写真② プラグを挿すだけで使える電源はありがたいですけど、ボクはあえて屋根にソーラーパネルをつけて発電して音響に使っています。
写真③ ライブハウスなどで現物のバスを見せられない時にMCネタとして このミニチュアバスをお見せして説明します。(小さいけどソーラーセル本物積んでます)

浜名湖フォークジャンボリーで初めて大勢の前で歌う。エコフリマなどで、ミュージシャンとして登壇する傍ら、自ら改造したソーラーバスで発電し音響に使う。
これは、原発に対する緩やかなアンチテーゼだ。
ちまたでは、おもろいおっさん、中村寛郎さん65才
http://mahalo2.sakura.ne.jp/genki


vol.184 ボーダーレス社会をめざして vol.43


NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子

個展を再開
3月にぎふ清流文化プラザで岐阜県の障がいのある人たちの展覧会「花さく、ハレ」がありました。出品作家約30名の中に選ばれ、息子の絵が展示されました。それをきっかけに息子は個展をやろうという気持ちになったようです。7年前に「もう僕は個展はやりません」と宣言したのにもかかわらず、同級生が個展を開いたり、知っている人が個展を開くとやたら気になり、出かけて行っては刺激を受けてきていました。同級生が書道の個展を開いた時には、相当ライバル心を持ち
「僕も賞を取って個展を開きます。」
と言い、書道の道具を一式揃えて、家で書道を始めました。
「あっちゃん、書道の個展を開こうと思ったら、全国コンテストで入賞しないとだめだし、難しいよ。あっちゃんには、絵があるから絵で個展開けばいいんじゃない。」
と伝えました。自分の絵が一部の人の間では、評価されているということが全く分からないようです。あれだけ私が褒めてるのにもかかわらず分からないのです。気持ちの上で個展をやると決めてからは「いつ個展をやるんですか?」としつこく聞いてくるので、7月14日~23日岐阜駅の隣のハートフルスクエアGの2階でやることにしました。それ以後、息子は新作を創らなくてはと、俄然張り切っていろいろな絵が出来上がってきています。これは???という作品が多いのですが、今回は本人が喜ぶ作品展を考えていますので、私が気にいらない作品もどんどん出そうと思っています。
自閉症の人は、一度言ったことは覆さないと思っていたのですが、「個展をしたい」とは・・・ちょっとびっくりです。1月頃から彼の調子がいまいち良くなかったのですが、毎日毎日絵を描き続けているので、少しずつ安定してきています。何かすることがあるというのは、自閉症の人には必要なようです。自由という時間が、一番彼らは苦手です。何をしていいか分からないからです。スケジュール表を作るなど、見通しが立つと気持ちが安定するのだと言われます。しかし、自閉症といっても十人十色です。そんなスケジュール表が必要な人ばかりではありません。息子はどちらかというと、スケジュール表は必要がない人です。自分で一日を組み立てることが出来るようになってきているので、人からの指図は苦手です。それだけ自分というものが出来、大人になったということでしょうか?
今回はDMも自分で作りました。どんな展示にするか?悩ましい所ですが、一緒に考えていこうと思っています。土、日、祝日は会場におりますので、是非ご来場下さい。


vol.184 人生これから えんぴつ・カフェ

第5回 えんぴつ・カフェの報告
今回は、お墓の話題で盛り上がりました。実家が遠い、墓守が負担にならないようにしたい、連れ合いと一緒の墓には入りたくない、そもそもお墓は要らない、散骨しておしまいにしたい、手元に置いておくのがいい・・・などなど、それぞれの思いを語り、共有しました。

千の風になって〜♪という歌の通り、お墓の前には亡き人はいないんだから、とか、いやいや、やはり、ご先祖さまがが帰るところとして必要だし、お墓の前で手を合わせると落ち着くし、墓に心のよりどころを感じるのも確か、なのでやっぱり必要だわ、とか。こんなおしゃべりを通じて、自分の考えを調整したり、確認したりするのが“えんぴつ・カフェ”です。
みなさまの参加を、お持ちしております。

次回のえんぴつ・カフェ
と き:第7回・7月21日(土)
じかん:13:30-15:30
ところ:産業文化センター2階第1会議室
会費500円
(紅茶&お菓子を楽しみながら、座談会形式で情報を交換しながら書き込んでいきます。)

えんぴつ・カフェ 開催日程
会場:各務原産業文化センター2F第4会議室
時間:13:30−15:30(会場は変更の場合がありますのでお申し込み際にご確認ください)

7月21日(土) おしゃべりしながらノートに書き込む

8月はお休み

9月20日(水) スペシャル第2弾「成年後見人制度って?」
講師:青木文子氏(司法書士)
成年後見人制度って知ってる?制度をよく理解し、自分や
家族のライフデザインを設計してみます。

10月18日(木) おしゃべりしながらノートに書き込む

11月18日(日) スペシャル第3弾「終末期医療を考える」
講師:木田盛夫氏(木田ファミリークリニック副院長)
終末期医療について、実情を検証しながら、在宅のメリット、デメリットを学びます。

12月はお休み

2019年 1月19日(土) スペシャル第4弾「在宅の現場から」
講師:入学佳宏氏(ケアマネージャー)
ケアマネージャーから在宅の現場の声を聞き、介護や看護
のあり方を考えます。

2月20日(水) おしゃべりしながらノートに書き込む

3月20日(水) スペシャル第5弾「どうお別れしますか?」
講師:市川雅清氏(一級葬祭ディレクター&終活アドバイザー)
えんぴつ・カフェで常に話題になる葬儀やお墓の問題それ
ぞれの土地柄や実情などを含め情報交換します。

スペシャル:講師の基調講演を聴いたあと、講師を囲み感じたことなどをシェアします。会費1,000円(紅茶&お菓子付き)

えんぴつカフェの問い合わせは
田辺 090-5638-7044 三上 090-7854-4561


vol.184 ホスピスナース奮戦記 vol.9

緩和ケアのむずかしさ
今日の一件目の訪問は、40代後半の女性だった。膵臓がんの末期。ベッドに横たわるその患者さんは、体中の脂肪も筋肉もすべて失ってしまったように痩せていた。肌の色は、黄疸もあって灰色がかった黄色をしていた。意識はもうろうとしていて、時折、おおきなうなり声をあげている。時々かろうじてうなずくだけの反応が確認できたが、もう意志疎通は難しかった。顔は苦しそうな表情をしていて、頻繁に寝返りを打っている。とても安らかな様子ではない。ベッドの脇には中学生くらいの息子さんと夫がいた。夫は、「妻は、朝からずっと痛み止めが効かなくてうなっている。痛みで落ち着かない。どうか痛み止めの量をあげて、楽にさせてあげてくれ」と言った。もう昨日から尿もでていないし、何も口にしない。家族の覚悟はできているという。
痛みや不安感の緩和は、ホスピスケアの中でも最優先事項。ただ私は訪問前に読んだ、前日に担当看護師の書いた記録がすごく気にかかっていた。そこには、患者さん本人から担当看護師に、「多少痛みがあってもかまわないから、痛み止めを減らしてほしい。痛み止めで意識が朦朧としたり、眠くなったりするのを極力抑えたい。痛みがあってもいいから、自分の息子としっかりした意識で会話できるように痛み止めを減らしてほしい。」と頼んだ様子が記録されていたのだ。
私は、ここでとても迷ってしまった。この状態で痛み止めの量を増やせば、たぶんきっとこの患者さんはこのまま意識がはっきりと戻らずに死を迎えるだろうと予測された。今ならかろうじてうなずいたりできる。
 私は、この家族を知らない、私はこの患者を知らない、彼女はどれだけ息子さんと会話できたのだろうか。昨日の夜からどれだけの痛みを抱えているのだろうか、またどれだけのことを伝えたのだろうか。家族に患者さん本人の希望で前日から痛み止めの量を減らしたことを伝えても、もうそれどころではなかった。患者さんの苦しそうな姿をみていると家族はいてもたってもいられない。そばにいる息子さんは、現実をみないようにしているのか、訪問中はずっとうつむいてゲームをしていた。今にも死にそうな変わり果てたお母さんの姿を前に、彼なりに踏ん張っているんだろう。本当は、ものすごく患者さんに聞きたかった。ちゃんと息子さんに伝えたいことを伝えられましたか?
今となっては本人にしかわからない。それができずに痛みだけに耐えていたら、と思うと心が痛んだ。また、そんなお母さんの姿をみているこの12歳の息子さんのことを思うとさらに心が痛んだ。この患者さんは現時点ですでにバイタルサインだけみても死が近いことが予測できたし、すでに相当量の痛み止めを必要としていたから、現時点で痛みのコントロールをしてなおかつ会話のできるような状態まで意識を戻せることはないだとうと思った。夫も他の親族もいよいよ最後だと言った。
私は、言葉だけがコミュニケーションではない、きっとこの患者さんは最期まで息子さんへ愛をこめていろんなメッセージをおくっているはずだ、と自分に言い聞かせて、痛み止めの量をあげる指示をもらった。パッチの痛み止めも張り替えて、必要な時に痛みや苦しそうなレベルに合わせてあげられる経口の痛み止めもあげて、新しい分量を家族にも説明した。帰る前に息子さんにもお別れをいったら、やっぱり黙ってじっとゲームの画面を見つめていた。
母親であり、妻であり、姉である患者さん、でもやっぱり自分の子供のことを一番考えていたのだろうと思う。この患者さんは、次の日に亡くなった。どうか、患者さんのメッセージが息子さんへ伝わっていますように。

 

わかばま〜く:プロフィール 1982年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。


vol.184 ぎむきょーるーむ 発達障がい大人が変われば「薬」はいらない!?

大人にとって「便利なもの」だから・・・・・・・・・・ 嶋田 和子
学校と医療がつながる理由

教師が手に負えない子は精神科医に

学校・医療者・薬がつながるのはなぜなのか?この疑問に答えるのは案外、カンタンかもしれません。
発達障がい、ときにADHD(注意欠陥・多動性障害)に使われる薬が、学校の先生や医療者、保護者、本人、そのほか本人をとりまく周囲の人たちにとって、たいへん「便利なもの」だからです。
飲めばある程度の、目に見える効果が得られると感じている人が多いわけです。多動が治まったり(治まったように見えたり)、勉強に集中できたり(できたように見えたり)、要するに子どもの言動に変化を及ぼすことができる(と思われる)薬なのです。
私はフリーのライターとして精神医療問題をテーマに、この7年いろいろ取材を重ねてきましたが、発達障がい、ときにADHDの対する投薬は、これまでの精神医療分野で問題になってきた多剤大量処方の問題とはまた別の側面があると感じています。
それは、集団にうまくなじめない子どもを、病気、障がいという概念を飛び越えて、その便利な薬によってなんとかしようとする大人の側の論理の存在です。
最近、「連携」ということが盛んにいわれるようになりました。学校と精神医療の連携です。一昨年の日本精神神経医学会において、そのシンポジウムに招かれた現役の中学校教師二人が、「学校現場は精神科医の助けをもとめている」とラブコールを送ったことは、私にはたいへんな驚きでした。教師では手に負えない子どもたちを精神科医にゆだねたいという、なんとも露骨な主張に、「教育の放棄である」として出席した先生たちに抗議文を送りましたが、いまなお、なしのつぶてです。

窮屈な教育現場の中で

しかし、私には驚きでしたが、現実の学校現場ではすでにそういうところにまで行ってしまっているのかもしれません。
スクールカウンセラーやソーシャルワーカーは、学校と精神医療をつなぐパイプ役になっているという話も聞きます。
それはある意味で、手のかかる子どもを教室から「排除」する役割も担っています。「排除」のために、発達障がい概念は大変便利であり、薬は手っ取り早い
手段なのです。
薬を飲めばなんとかなる。薬が解決してくれる。病気、障がいには薬は必要である・・・・・・。
発達障がいは服薬することで本人も楽になると言う考え方も広まっています。
「薬を出すこと以外できることはない」といった児童精神科医もいます。先日話を聞いた小学校の先生は「薬に疑問を抱いている教師は、ほとんどいません」といっていました。
社会全体がこの薬の「依存」に陥っているのです。
もちろん、こうした背景には、現代の教育現場の窮屈さもあるでしょう。クラスで起こったことはすべて担任の責任となれば、薬を飲んでもらって未然に「事件」を防ぎたいと考える先生がいたとしても不思議ではありません。校長の評価が気になったり、保護者の意見が気になったり・・・・・・その板挟みで学校の先生は「薬依存」に陥っていくのでしょう。
一クラスの人数が多すぎて、一人ひとりにかかわる余裕がないという事情もあるようです。書類仕事が多すぎるという意見も聞きます。そういう現実的な大人の側の問題の陰で、子どもが薬を飲むことになるとしたら、やはりその服薬はけっしてその子のためではない。
私はこの7月、『発達障害の薬物療法を考える』(彩流社)という本を出版しました。本を書くにあたってあるスクールソーシャルワーカーを取材し、本書の中で「闘うスクールソーシャルワーカー」として紹介しています。彼女はみずから子どもを医療につなげたことは一度もないといいます。
「発達障がいに精神科医はいらないです」といいきった彼女の言葉が印象的でした。「発達障がいは精神の問題じゃない。”発達“なのだから、かかわり方でよくなっていきます」。

子どもたちを医療に手渡す前に
前出、小学校の先生から聞いた話です。いつも人のものを取っては走って逃げる男の子がいました。先生も同級生も彼を追いかけ、取り返そうと躍起になりましたが、彼とずっとクラスがいっしょだった女の子がポツリといったそうです。「あーあ、ほっとけば、すぐに返してくれるのに」。
子どもたちは多様性の中で成長します。一方、障害児と健常児がいっしょに学ぶインクルージョンではない特別支援教育は「排除」の教育です。
多動ということで薬を飲ませて、その子がじっと椅子に座っていられることがそれほど重要なことでしょうか。薬を飲んでおちついたから、それで問題解決とばかりに、先生や周囲の大人がその子に対して丁寧にかかわることをやめてしまったら、その子にそのあと、どんな心の成長があるのでしょうか。あるいは、だからこそ、薬をやめることができないまま、延々と飲みつづけることになるのかもしれません。
連携という名のもとに教育現場が「医療化」することの“おかしさ”を、いま一度考え直してみる必要があります。子どもたちを医療に手渡す前に、学校の先生だけでなく、私たち大人の側も、できることはまだまだたくさんあるはずです。

しまだ・かずこ
フリーライター 2010年にブログ「精神医療の真実」を立ち上げ、精神医療の被害を中心に取材・執筆を続ける。著書に『ルポ 精神医療につながれる子どもたち』『発達障がいの薬物療法を考える』(彩流社)、『精神医療の現実・・・・・・処方薬依存からの再生の物語』(萬書房)

ジャパンマシニスト社 おそい・はやい・ひくい・たかいNo.99より


vol.184 半農半Xという生き方 vol.25

一人歩きの会
ふと思い立ち、自宅の綾部市からお隣の京丹波町の道の駅「和(なごみ)」まで歩いてみました。27号線沿い、約25キロの道のりです。朝方は雪で長靴を履いてだったので、約4時間ほどかかりました。車なら30分といったところでしょうか。時間はかかりましたが、歩くといろいろなものが見え、味わい深くすべてが愛おしく感じました。いつか、今度は和知から須知まで歩く予定です。そして、またもう1日かけて今度は須知から亀岡へ。さらに亀岡から京都市内をめざす予定です。なぜ歩くのか。そう問われれば、一度、先人のように京都まで歩いてみたかったからと答えるでしょう。我が村ではその昔、京都市内の有名社寺より、神輿を購入し、持ち帰ったという記録があります。歩くだけでも大変なのに、よくあの重いものを持ち帰ったものです。先人への敬意を表し、歩いてみたいと思うのでした。車ならあっという間ですが、排気ガスも出さず、化石燃料も減らさず、ゆっくりと風景を楽しみながら、歩いてみたいと、ふと思ったのです。

アザミの楽園
草刈りシーズンになりました。これから秋祭りのころまで、草刈りに追われる日々となります。草刈りの際、胸ポケットにはペンと紙を入れ、ひらめきがあったら書き留めています。五感が刺激されて、いいアイデアが浮かぶことが多く、草も刈れてきれいになり、アイデアも収穫でき、一石二鳥です。唯一残念なことは草むらのカエルをときどき殺してしまうこと。今年は平和でありますように。草を刈っていて、アザミ(薊)の花に出会うと、幼稚園の担任の先生のことを思い出します。遠足のときだったか、先生はぼくたちに「私はアザミが好きです」と言われたのです。そのことばをぼくはなぜか覚えているのでした。綾部にUターンをして19年ですが、野のアザミはできるだけ刈らず、残すようになりました。すると、畑の一画が美しいアザミ野に。村の方が足をとめ、「アザミってこんなにきれいだったかいな」と言われたときはうれしく思いました。タダと言っては何ですが、お金をかけず、アザミがきれいなミニ名所ができたらなと思い、今年もアザミを刈らずに大事に残します。

塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は翻訳されて、台湾、中国、韓国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。

※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景と する。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、 半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。


vol.184 未来に続く暮しの学び Part-26

続けるということ
5月1日、私たちの運営するエコビレッジ/リトリートセンター・パラダイスワンは5周年を迎えました。
試行錯誤をくり返した5年間ですが、これからどうしていこうかという、方向性の転機となる年を迎えた感じです。
この5年間で、パーマカルチャーを主軸とした畑つくりと様々な国籍の人たちとのネットワークは、うまく機能してきたと思います。また、音楽、アート、ヨガ、瞑想、ワークショップ・・・などいろいろな分野で活躍している人たちに場所を提供したことで、得られた気づきも多くありました。
ほんとにたくさんの人たちの力を借り、協力があればこそ続けてこられたと思うと、感謝と喜びであふれる思いです。しかし、その喜びの反面、打ち抜き検査で、市役所の衛生管理局から、いろいろと指摘されたのが5周年記念の5月1日。65人規模の団体を受け入れて一番忙しい時期に検査が入るとは。。。。。実は、その少し前から、施設の設備(配管やキッチンなど)いたるところに不具合が生じ始めていて今後の運営をどうするか考えていたので、これも面白いタイミングだなと思いました。
役所とは、うまくつきあっていこうと話し合い、やるしかないのですが、提出する書類の多さに頭をかかえ、憂鬱になりました。
まさに、やる気を吸い取られるという感じ。とにかく役所とのやり取りは、仕組みがややこしすぎますよね。例えば、コンポストのトイレ、排水の処理、飲み水の確保、残飯の処理、生活をするうえで不可欠な部分を自分たちの住む環境に適した方法で確立する。それを全部書類で市に提出しなければいけないというのは、相当量の作業です。
でもこのタイミングの出来事は、持続可能な生活とはなにかを問いかけられ、もう一度自分たちが考えるきっかけにもなりました。
社会の仕組みを理解したうえで、持続可能な生活をアピールしながら施設を運営すること。それが、今の自分たちのミッションだと思っています。       Yao


vol.184 菌ちゃん野菜応援団 第5話

どんどんお日さまが力強く輝くようになりましたね!!
日も長くなって我が家の子ども達はいつも6時過ぎまで遊び呆けております。
草の勢いも、日に日に無視できない高さになり。。先日は草刈り機をお借りして一気に広い畑を刈り取りました。もちろん、刈った草は畑に戻すんですよー。こんなところも循環なんですね。
畑仕事も本格始動。夏野菜の植え付けを済ませた方も多いのではないでしょうか??

今回私たちが行ったのはお芋の苗植えです。
SNSでよびかけたところ、お子様連れのママを含めて10名ほどが集まりました。 広い畑を耕運機でおこして畝立てをし、一本づつ植え付けていきます。
今回は干し芋に最適な紅はるかをチョイス♥芋掘りはしたことあるけど、苗を植えるのは初めてです!という方が多かったですよ。
まぁ、ザクッとやってグッと押し込んでギュツと踏み潰すんですけど。。ってわからんですね。。
ぜひ、体験に来てみてくださいね!人数が多かったので里芋の植え付けもできました。
こちらもザクザク歩きながらぽいっと
入れてざっと土をかけて。。はい、わかりませんね(^_^;)

土に触れてると最初はきついけど、そのうちだんだんと元気になる気がします。
いつまでもはつらつとしていたい方、ぜひ土いじりしてみてくださいねー。


vol.184 夢か悪夢かリニアが通る! vol.13

さよなら椿魚市場

JR名古屋駅西口近くで戦後約70年にわたり市民に愛されてきた「椿魚市場」が5月末、営業を終えました。JR東海が進めるリニア中央新幹線の名古屋新駅建設のため、立ち退かざるを得なくなったからです。最後まで営業したのは、マグロ専門店など7店。「長い間ありがとうございました」「体に気を付けてね」。場内には、店員と客が互いを労わり合う声が飛び交いました。 ジャーナリスト・井澤宏明

最終日の営業をほぼ終え、記念写真に収まる椿魚市場の人たち(5月31日)

戦後の露店から70年
戦後、椿神社周辺の露店からスタートした同市場。1950年ごろには、神社向いの約500平方メートルの敷地に木造の市場が建ち、30店余りが入りました。
東海道新幹線の開業(64年)に伴う区画整理で3分の2になった敷地に、鉄骨造りのビルが完成したのは67年のことです。
親子2代続く店も多く、家族同然の付き合いを続けてきました。トラックが来れば、手が空いている人は皆で魚介を降ろします。
リニア予定地にかかるのは市場のほんの一角。残った土地で商売を続けたいという人もいましたが、高齢の店主が多いため、土地を売って7店とも店を畳むことを決めました。
「魚富」の橋本博さん(84)は新制中学を卒業し、17歳からこの市場で働いてきました。「65年もやった商売やで、ぱっとやめよと言われても寂しい」とこぼします。リニアについて問うと、「我々高齢者には何の魅力もないな。忙しい人はいいだろうけど、新幹線でも速過ぎるぐらいだもんね」。
長男の隆夫さん(55)は「仕方がないですよね。サラリーマンの方でもリストラや倒産はあるので」と忙しく包丁を動かしていました。翌日から、別の市場でアルバイトをしながら、お得意さんへの配達を続けています。
新駅工事で立ち退き対象となる地権者は駅東西の約120人。「一日でも長くおりたい」と立ち退きに応じていない家もあります。
椿神社の杜の一部も予定地にかかり社殿も移動する必要がありますが、氏子の一人によると、土地を交換するか売却するか、まだ結論が出ていないそうです。

大深度地下から脱出できる?
名古屋市や春日井市では5月、リニアの大深度地下トンネルの住民向け説明会が開かれました。地下40メートル以上の深さの「大深度地下」使用認可を国土交通相に申請したことから行ったものですが、説明会開催の告知をトンネル上の住民に戸別に行わないで、自治体の広報誌や回覧で済ますなどずさんな対応が明らかになり、各会場で不満の声が上がりました。
10日に名古屋市東区で開かれた説明会には約130人が参加しました。会場には、JR東海の若い社員が大勢詰めていましたが、これらの社員がルート上の家を戸別に回ることがそんなに難しいとは思えません。
説明会では、地震などで緊急停車したとき、大深度地下から地上へどのように避難するのかを巡り、参加者から様々な疑問が投げかけられました。
JR東海によると、緊急時には車内からハシゴと階段でトンネル下部の避難通路まで降り、最寄り駅か約5キロごとにある非常口まで歩いて移動、エレベーターや階段を使い地上に脱出します。
これに対し、「乗客全員が避難するのに何時間かかるのか」という質問が出ましたが、担当者は「避難通路はしっかり加圧して火や煙は入ってこない構造になっており、避難の時間は関係ない。ゆっくりでいい」と回答。他の参加者から「乗客がパニックになる可能性がある。慌てなくていいと言うのは不親切だ」と指摘され、「開業までに、訓練を通して避難時間を決めていきたい」と答え直す場面もありました。
「車いすなどの障害者はどうするのか」という問いに対しては、「乗務員が背負って降ろす。乗客にも協力していただく」との答え。歩行困難な乗客を避難通路から車両で救出する計画も示しましたが、大深度地下でのバリアフリー対応が極めて難しいことをうかがわせました。
大深度法によると、国の認可を受ければ、大深度を地権者への補償なく使用することができます。JR東海は東京、神奈川、愛知の3都県の計50・3キロで大深度の使用を計画しています。

最終日もいつもと同じようにマグロをさばいた(宇野商店で)

 


vol.184 かなでの沖縄だより vol.8

平和について語り合いたいと、各務原市の中学生でつくったPeace of peace。主要メンバーの小田奏さんは、2017年春から沖縄の大学生に。それを機に彼女の平和への思いをリポートします。

6月23日は「慰霊の日」
去年もこのコラムに書かせてもらったのですが、6月23日が沖縄にとって特別の日だということを覚えてみえますか?
私も恥ずかしいことながら、沖縄に来てからこの日が慰霊の日、沖縄戦が終わった日だということを知りました。でも、去年のこの日は怖くて外に出ることができませんでした。この日、学校はお休み、沖縄全体が悲しみの色に染まります。それは戦争から73年経った今年も同じです。そんな私も沖縄県立芸術大学に入学して、モーツァルトレクイエムコンサート(戦没者を慰霊するコンサート)にも出演させていただき、さらに思いが深くなりました。
沖縄戦は太平洋戦争末期1945年、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いのことをいいます。太平洋戦争唯一の日本の国内で戦われた上陸戦です。その爪痕はまだ残っていて、戦争の恐ろしさを語ってます。大学のある首里もたくさんの犠牲者が出たところの1つです。首里教会には、銃撃戦でボロボロになった十字架がまだ残ってます。

日常生活

しかし、沖縄戦について考えなければならない、もっと知らなければならないとは思っているものの、悲惨なものすぎて、怖くて手を出せないというのが現状です。
最近、沖縄では基地の建設が強引に進められていたり、オスプレイ問題だったり、たくさんの問題で溢れかえってます。オスプレイが飛んでいるのをよく見るし、街では基地建設反対の運動がたくさん行われています。緊急着陸したり部品を落としたりと、トラブルが絶えないオスプレイやその他のヘリが飛んでいるのを間近で見ると、やっぱり「なんで飛んでるのかな?必要あるのかな?」と不思議に思うし、沖縄県に基地って必要なんだろうかと疑問に思います。
この前、アルバイト先の小学生の子に「かなちゃんにとっての平和ってなに?」って聞かれました。答えた後に私も「なら、りょうちゃんにとっての平和ってなに?」って聞き返したら、笑顔で 「みんなで遊んでる時!」って答えてくれました。小学一年生の子でもこんなことを聞いてくるって、もしかしたらなにか変だなと感じている部分ってあるのかなと考えてしまいました。私もまたおんなじようなことが起こるんじゃないかって感じているから…。変だなと思ったことを発信できる雰囲気であって欲しいし、「平和だよ!」って自信を持って言えるようになりたいなと思います。それよりも、今年の6月23日はしっかりと街に出て、平和の空気をしっかりと吸い込んで、平和であることに感謝したいと思っています。

写真上:「平和の礎」  写真右:平和祈願慰霊大行進・6月23日 午前9時~午前11時半まで、糸満市役所から平和祈念公園(糸満市摩文仁)まで約9㎞の道のりを歩きます。
(いずれも2016年撮影)

 


vol.184 プレゼントコーナー

PRESENTS 184号

1- あなたの
「エコな夏の過ごし方」教えて!
暑い夏もエコに涼しく過ごそう!あなたの工夫を教えてね。
2- 気になるにらめっこ紙面での広告
3- 気に入った記事、気に入らない記事の
タイトル1つ・その理由もお書きください。
4- ご希望のプレゼント名
(第1希望・第2希望)
5- 本紙をどこで入手されましたか?
6- 氏名、年齢、住所、郵便番号、電話番号、  家族構成

プレゼントご希望の方は
ハガキまたはe-mailで、上記のアンケートを
1〜6までご記入の上、編集部・プレゼント係りまでお送りください。
〆切:7月25日 当日消印有効。
A、Bはにらめっこ編集室に受け取りに来ていただける方。

宛先
〒504-0855 各務原市蘇原新栄町2-25
e-mail: info@niramekko.com
※お寄せいただいた個人情報は、本紙プレゼントの発送に限り、 使用させていただきます。

 

 

A.完熟もみがら堆肥いぶきのめぐみ (株)農トレ様より…3名様


もみがらに牛糞を混ぜて、発酵・炭化させた堆肥です。臭いニオイもなく、ふかふか!土つくりも苗つくりにも、マルチにも、プランターなどの土の再生にも!
いろいろ使える植物の強〜い味方です。

 

B.グルテンフリー ライスパスタ 青空の下つながろう会様より…3名様

2011年から福島の子どもたちを清見の大自然の中、思いきり戸外で遊ばせたいと始まった保養支援活動。毎年活動を続けています。貴重な活動資源を得るための商品・ライスパスタを提供していただきました。小麦粉不使用、岐阜県産はつしも使用。200g入り2袋。会の様子はface book「青空の下つながろう会」で検索してみてね。

 

C.Jazze! Liveご招待券 アートギャラリー是様より…ペア1組様

林かなトリオ。骨太で弾力のある音を奏でるベーシスト。女性的なしなやかなビート間の中に、ときおり見せるブラックフィーリングが魅力的なトリオです。当日は、是オリジナル石窯ピザ、オーガニックスウィーツなどもに加えカクテルバーも併設。真夏の夜のひとときを過ごしませんか?
7月29日 17:30開場 19:00開演 アートギャラリー是

 

D.CINEX映画招待券 シネックス様より…ペア3組様


映画館は映画の本当の魅力を堪能出来る、唯一無二の場所。皆と喜怒哀楽を共有するも良し。一人画面に没頭するも良し。TV画面やホームシアターでは味わえない、映画本来の姿を楽しみに、さあレッツゴー!写真は「きみへの距離、1万キロ」より。柳ヶ瀬のシネックスでご利用ください。


vol.183 環境特集Part-1 森・川・海 つながるいのち

私を自然と呼ぶ人もいる
私を母なる自然と呼ぶ人もいる
私は45億年以上も昔からここに存在している
あなたたち人間よりも2万2,500倍も昔から
人間がいなくても私は困らない
でも人間は私が必要
そうあなたたちの未来は私しだい
私が繁栄すれば あなたたちも繁栄する
私が壊れれば あなたたちも壊れる
さらに悪いことも
でも私は太古の昔からここに存在している
私はあなたたちより大きい
そして私は多くの生き物たちを飢えさせてきた
私の海
私の大地
絶え間なく流れる私の川
私の森
みんなあなたたちを受けいれてあげられる
でも見放すことだってできる
どのような生き方をあなたが選ぼうが
私のことを考えてくれようがくれまいが
どちらでも構わない
あなたたちの行動が あなたたちの運命を決める
私が決めるのではない
私は自然私の営みは続く
私は進化する覚悟ができている
あなたたちにはその覚悟があるのかしら?
NATURE DOSEN’T NEED PEOPLE
自然は人間を必要としない
PEOPLE NEED NATURE.
人間には自然が必要
ジュリア・ロバーツ/ Nature Is Speaking
「母なる自然 / Mother Nature」

森と川と海はつながっている。では森と人、川と人、海と人がどんな関わりを持っているのか、思いを馳せたり、考えたことがあるだろうか。180号の「平和特集」で、映画「カンタ!ティモール」の監督が、東ティモールの人とあいさつを交わすときに、「あなたの山の名前は?」と聞かれるとか。私たちの暮らしを支えてくれる「水」の出所。その山に感謝して暮らすのがあたりまえという文化。
私たちは水道から飲み水に適した水がいつでも出ることに、慣れてしまった。自然の恵みに感謝する気持ちを忘れないでおこう。森や川や海が元気でないと、私たちはその恩恵を受けられない。
NATURE DOSEN’T NEED PEOPLE
自然は人間を必要としない
PEOPLE NEED NATURE. 人間には自然が必要


萩原・ナバ・裕作さん

森と人をつなぐ
森には人間に必要なものがすべてそろっている。木々は家や家具、燃料となり、また、きのこや動物(肉)を育て、朽ちては肥料に。植物や木の実は人や動物の食料に…。森や里山はわたしたちの衣食住をまかなってきました。
ところが今、私たちの生活では手間を省くことが注目され、時短などがもてはやされています。手間を手放した分、森と人のつながりがなくなってきました。大事にしなくなり、気にしなくなってきた。さらに生活にかかわらなくなって森からどんどん遠ざかってしまった。子どもたちにはせめて、庭木に登ったり、垣根の根っこに潜るだけでもしてほしいです。子どもたちにとってはこれも「森」なんです。身近なところからまず「木に触れてほしい」とナバさん。(写真)
昔はちゃんと上手に木を育て、木を切るときにはお祓いなどをして、木を敬うことを忘れなかったんですね。でもその後、木がお金に見える時代がありました。お金のために次々と植林したものの、木材価格下落が原因で放棄されるようになったんです。そして、昔の人は木の性質もよく知っていて、それは伝統工芸とか曲げわっぱなどに活かされてきたのですが、職人さんが減ってきて、伝承していけるかどうか心配です。

里山の環境が気になります。
便利を覚えると元に戻れない。それは動物だって同じ。暮らしのために毎日森を活用しなくなって、人里との境界線がわかりにくくなりました。そうするうちにだんだん人里に降りてきて、ついに見つけた!食べ物がずらっと並んでいる!!しかもおいしい、となれば、もうその味を覚え何度もやってくるのは、当然の成り行き。来るな!と追い払っても、来る!しかし原因を作ったのは人間の方。甚大な被害に泣く前に、なぜ動物が人里に降りてくるのかという根本的な問題をとらえて対応しないとね。

森は”つくる、生み出す”場所、森とどうつながるか…今後の課題
きっかけ作りと継続的な活動が重要です。子どもに限らず、私たちも木というと木材となってからしか見ていないでしょ。まず生木に触れることだけでもいいから始めて欲しい。そしていろんな切り口で自然体験を積み重ねていく。「一本の木を切る」ということからでも算数、国語、理科、社会をはじめ全ての教科を学べますし、木工、染色、ライブ、アートがあったり、と木を絡めた学びの場はいっぱいあります。
そして遊び場としての森!森で暮らすとか、森の暗さを体験するとか。自分で確かめ、森の中に入っていくことをしてほしいです。頭の中だけでわかっていても、行動しにくいですし、感情を動かすのは体験です!
もう一つ、身近なビタミンN(Nature=自然)を取り入れることが大事。岐阜県は約80% が森林。他県を突出しています。気が向けばハイキングをしたり、自然を楽しんだりできる環境で恵まれています。出かけるのがおっくうだったら、公園や自宅の庭の木でも、とにかく触ってみて欲しい。そこからスタートしましょう。

はぎわら・なば・ゆうさく● 岐阜県立森林文化アカデミー准教授。自由な遊び&自由な学び 環境教育 インタープリテーション。「森と子どもをつなぎたい」「遊びと学びをつなぎたい」「自由と責任をつなぎたい」と思い、アカデミー内にプレーパークや森のようちえんといった実践現場を設け、毎日子どもたちから教わっています。2009年、野外自主保育「森のだんごむし」設立、2012年「みのプレーパーク」設立の仕掛け人。


長屋泰郎さん

自然の中に人工物が立ちはだかると生態系が狂う
川といっても上流、中流、河口と条件は違うけれど、生活排水の影響は、昔とくらべるとそんなに影響はあまりないと感じるよ。汚水処理場ができてから、キレイにしてから河川に流す仕組みになったからね、そのちからは大きい。それに、そこに生息する魚が水を浄化してくれている。でも、その魚も少なくなった。それよりも、河口堰だなぁ。あれができたおかげで、カワウが板取川上流まで上ってくるようになった。エサを求めて上流にやってくるんだ。鮎釣りのシーズン前に漁場に稚鮎を放流すると、すごい勢いで食べてしまう。カワウはグループで漁をする、賢いんです。鮎釣りシーズンになっても、成長した鮎の個体数が少なくて・・・。カワウの駆除に悩みが尽きない。生態系に狂いが生じた証拠だね。

にしても、川ガキがいなくなったよなぁ。小さいころから川で遊ぶっていうこと、しなくなった。親のせいかな。あぶないとか、先回りして禁止してしまう・・・そういう世代が「あそこにダムができるってよ!」っといっても、ピンとこないんじゃないかな。俺らは、早かった。自分たちが慣れ親しんだ自然(板取川)の中にダムができる話が持ち上がったとき、「ダムができるって知っとるか!?」とみんなが騒ぎ始めた。そして直ぐに運動が始まった。若者も含め地元板取の有志で「大釜倶楽部」を作ってダムを考える会として自然は自然のままにと、啓蒙活動も始めた。運動は闘争に変わっていった。それこそ巨大マンモスに竹槍でつついていくような状態。それでも粘り強く反対運動をしたが、ダム工事は進み、正式な調印までされてしまった。だけど大釜倶楽部の運動の成果として、工事の引き延ばしまでこぎつけた。その間に世の中が変わったんだ。原発があちこちに建設され、状況が変わった。需要の低迷などもあり、2006年に中部電力は建設中止を発表した。
われわれはソフトにやんわりじりじりと攻めたよ。マスコミにも何度も足を運んでもらって、紙面や映像として取り上げたもらった。大規模なダムの建設が止まるってめずらしかった。結局、中電は300億円くらいをばらまいたね。いくらお金をばらまいても結局は人口が減って地域の活性化にはつながらなかった。
[ダムで活性化ではなく、自然で人を集めていくべき。多くの人に川浦渓谷の美しさを知ってもらい、守ることの大切さを感じて欲しい]当時、泰郎さんが語ったことば(岐阜新聞)

ハンタイ!!と声をあげる前に
川浦渓谷の案内人でもある泰郎さんは「こぶしをあげて声を荒げてダム建設反対!ってやるのは好きじゃねぇんだ。それより、この渓谷の美しさを体感した人が、自然は守らなきゃ、と口々に伝えてくれる。草の根的だけど、それが大事」と話す。川浦渓谷には貴重な動植物が発見されており、保全対策も懸念されている。特に険しい岩場の水がしみ出す急斜面で長野県が西限とされている希少種のビランジ(ナデシコ科)の群生地、高山性の食虫植物・ムシトリスミレ(タヌキモ科)の発見者はいずれも泰郎さん。中電が計画していた川浦水力発電所について「環境アセスメントにこの2種の花は入っていない。よく調べて保全して欲しい」と訴えた。また水のきれいな渓谷に生息するナガレタドガエルやナガレヒキガエルもいて、まさに生物多様性が認められる渓谷だ。手つかずの原生林は豊かな暮らしを私たちに与えてくれる。
暮らしの中に川があり、川で遊び、川の恵みを受けて育った泰郎さんと共に運動を続けてきた人たち。その川が、経済の仕組みで川らしさがなくなることだけは避けたかった。ひたすらに生まれ育った土地を愛し、川を愛した泰郎さん。
「まぁ、あれがオレの青春だったなぁ。」と最後にひと言、感慨深げにつぶやいたのが印象的だった。
ながややすろう 庭師のかたわら、炭焼き小屋を建てて趣味の炭を焼く。アーティチョークや竹など思いも付かないものを炭にして楽しんでいる。写真家でもあり生粋のナチュラリスト。板取在住。

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7月21日は海の日

地球の7割は海です。そして地球の酸素の70%は海から作りだされている事、ご存じでしたか?森林はCO2を吸収し、光合成をして酸素を作っていますが、海の中でも光合成は行われ、太陽の光が届く海面に近いところに住んでいる植物プランクトンや、海藻が光合成をして酸素を供給してくれています。
外から見ているだけでは、一見きれいに見える海も、近年、地球温暖化や、開発、環境汚染などによって、悲鳴を上げています。ほんの数10年前まで、キラキラしていた海中は、人間の便利な生活と引き換えになくなってしまいました。
自然は、簡単に壊れてしまいますが、再生するには何十年もかかります。生態系にはかかせないサンゴは90%が死滅。海のゆりかご、アマモも90%が消えました。サンゴの天敵であるオニヒトデも大量発生。そして、漂流ゴミの山!
今まで散々自然を壊してきた人間としての償いとして、昔のイキイキとした海を取り戻すために私達ができることはなんでしょう?海での遊びを通して、海の生き物たちのことを話題にしてみましょう。自然の恵みによって私達は生かされていることを教えてあげてください。
身近にできる具体的な事を3つ上げるとすれば……
① 自分で出したゴミはもちろん、周りに落ちているゴミも積極的に拾おう。拾ったゴミは持ち帰るか所定の場所に捨てましょう。
ゴミは、街から雨に流され→排水溝を通って→川→海へたどり着きます。
② 日焼け止めは、海を汚します!自然環境に優しいオーガニック系の日焼け止めを!もしくは、海に溶けないウオータープルーフのものを。
③ サンゴがある海で泳ぐ時は、サンゴに触らない。蹴らない。立たない。砂地か岩場で立ちましょう。
ひとりひとりの小さな心掛けが、美しい地球を作っていきます。
mama_koeより

お二人のお話を伺って、森・川・海、そして人。「つながるいのち」を感じました。そして、共通する、自然に対する畏敬の念。まずは、それぞれのフィールドに親しみ、自然は私たちの生活と深くかかわっていることをしっかりと意識し、毎日感謝の気持ちをもって暮らしたいと思います。次回は海のエキスパートにお話を伺います!(編集部)


vol.183 アウトドア特集 エコキャンプ


キャンプとは自然との共生。自然の恵みに感謝して同時に自然に配慮することもエコキャンプに繋がりますね。

● 工夫はキャンプのいのち
いろいろ「エコ」について考えると「してはいけない」方に目が向いて、楽しく感じられなくなってきそうです。でも、工夫することはとても楽しいもの。「今日はこれだけの薪で料理をしよう」とか「ゴミが少なくなる工夫をしよう」とか、そうやっていろいろ考えるのも楽しいものです。キャンプ用品の豪華さなどで競うのではなく、「エコ度」で周りと競い合って欲しいなと思います。

● フィールドに刺激を与え過ぎないようにすべし!!
キャンプ場といっても、そこには沢山の生き物が住んでいます。芝生等の植物、土の中には無数の微生物もいます。例えば、そういうところに熱いお湯を流してしまったり、焚火台を使わずに焚火をしてしまったら、そこに棲む生物は死んでしまいます。

● 食材をとことん使い倒す
ふだん、野菜の皮などどこまで剥いていますか?野菜の皮近くは美味しいところばかりで、捨てるところはほとんどないなあと思っています。農薬のことなど気になるところですが、しっかり洗えば食べられる部分は結構あります。野菜くずをできるだけ少なくするようにしましょう。

● マイ箸・マイ皿・マイコップを準備!
一番簡単なエコキャンプへの第一歩。割り箸や紙皿も毎回使用していると、ゴミも増えるしコストもかかってしまいますよ。

● ゴミは出さない、持ち込まない
人間は「ゴミをいつまでも持っていたくないものなのです」と前に心理学の先生から聞いたことがあります。キャンプ場で出るゴミを減らすことはエコな意識の大切な一歩です。

● 汚れは拭き取るべし!!
ご飯を食べ終わった後に食器を洗う。そのまま炊事場で水に流す前に一手間、拭き取りましょう。この一手間だけでも十分エコ(^^)

● 自然からの贈り物
春の山は生命力に満ちあふれ、宝の山に変わります。3月から6月にかけて、コゴミ、タラ、ウド、ワラビにフキノトウ、タケノコなどなど、多くの植物が顔を出しています。
食卓に春の山菜を使った一品を加えると、時間に追われる生活の中でも春を感じることができます。少し、食べることを意識して植物を眺めてみるとおもしろいですよ。
こんなふうに生活に豊かな時間を与えてくれる山菜ですが、ちょっと気を付けたいこともあります。
困ったことに、根こそぎ山菜を採っていってしまう人や、むやみやたらと山を荒らす人がいます。これでは宝の山から宝が消えていってしまいます。自分が食べきれないほど採ったりせず、ほかの人のため、来年のために少し配慮してほしいな…と思います。
そして、宝探しに夢中になっていると、山の中に迷い込んで遭難する恐れもあります。山に入る時はくれぐれもご注意を。

たんぽぽ・・・花は天ぷらや三杯酢和えに。葉はゆでて酢の物やごま和えに。

こごみ・・・灰汁がないので茹でてすぐに食べられる。天ぷらや和え物で。

● 無駄を出さずにエコ・バーベキュー
ムダを出さない、残さない、後かたづけをしっかりすることが「エコ」につながります。野外で過ごしやすくなったこの季節、エコバーベキューに挑戦してみましょう。炭に霧吹きで水をかけ炭全体の火の起こり具合を整えます。焼き始めは炭全体が灰をかぶり白くなってきてから。この時点で網をのせます。これより早くのせると、ススや煙が食材につき、臭みがついてしまいます。
ポイント
温度チェック方法=15cm上に手をかざして3秒間我慢できる熱さがベストです。
バーベキュー成功のカギ=火加減は水加減(スプレー)肉がケムリくさくなって失敗するのは、炭がキチンと起きていないから。火の扱いが肉のうまみを変えます。炭から出る遠赤外線をしっかり利用しましょう。

【炭】
ホームセンターなどで売っているものの多くは黒炭。白炭は堅く、備長炭など。
・黒炭:原材料 ナラ・クヌギ
目が粗く、着火が早い。温度は約500度。
維持時間1~2時間
・白炭:原材料 ウバメカシ・カシ
目が細かく、着火が遅い。 温度は約700度。 維持時間2~3時間


vol.183 カタコトの部屋 買い物は投票

お買い物は、外国産よりも国内産、遠方よりも地域のものを。農産物は、低農薬や無農薬の表示があればそちらを選びたいですね。
できるなら、生産者の方に直接「これは無農薬ですか?」と聞いて買えるのがベスト。
加工品は、パッケージの裏の成分表示をチェック。
“たくさんあって、安くて、簡単”を求めれば、
添加物や農薬などの心配が…。
買い物は投票。
なにを大切にして買うものを選ぶのか、
ちょっと意識してみませんか?

「買い物は投票」という言葉は、実は中学校の家庭科の教科書にも登場しています。開隆堂が発行している中学校の、技術・家庭の教科書には次のように書かれてあります。
「購入は投票行為 消費者が何かを購入することは、結果としてそれがよいという意思表示となり、さらにそれを提供している企業を選択したことになります。購入することは、自分の意見を表明する投票行為と似ています。票が多く集まった商品は、さらに生産されることになります。わたしたちの選択が、次にど のような商品がつくられるかに影響を与えます。どの商品を選択するか、よく考えて購入しましょう」

イラスト/消費から持続可能な社会をつくる市民ネットワークH.Pより

あふれる情報の中から、[買う=投票する]のは、自分の判断。農薬はNG、添加物もできるかぎり避けたい、その気持ちを大切にしたいもの。ただ、圧倒的な情報量につい「この商品、いいかも」と手が伸びるのもわかります。反面、危険性をうながす情報もいっぱいあります。少量なら大丈夫と、食べ物を体に入れ体調不良になったとしたら?でも、努力すれば、いい商品を選ぶことはできます。そのためには普段から学ぶことが大事ですね。家族の健康を守るためにもしっかり学んでいきましょう!!

こだわりの生産者さんから直接買ってみました!
こんなところが気に入ってます!

子育てコミュニティtoco tocoさんのレポート
● 自然と調和していて、環境にも優しい育て方、考え方は、次世代にもつなげていってほしいです!育てている方の人柄もでていて、野菜も卵も鶏肉も、ものすごくパワフルで美味しいし、食べてげんきになるー!!(Mさん)
● 有機農家さん。鶏を広い場所で平飼いし、NOワクチンで育てています、その鶏の糞で有機肥料を自作。タネをとり繋ぎながら大切にお野菜を育てています。お野菜は素朴で優しい味がして美味しい♪(Sさん)
● 岐阜市の最高峰、百々ヶ峰から流れる水で、無農薬米を育てています。品種は、ハツシモ、ササニシキ。黒米なども。無農薬の農家!!というよりも、循環する社会、自然の中の人間、共存共生の精神も感じられてグッド!(Cさん)
● 農薬・肥料を使わない農法を選択されている農家さんをとくに応援したいのです!身近な農家さんだと『地産地消』にも繋がるし、直接買いに行けるので生産者さんの顔も分かるし、野菜にかける想いや愛情もよくわかります。小さくとも野菜の旨味がギュッと詰まっていて、そのまま食べても美味しい。シンプルな調理方法で済むので忙しい人の味方にもなると思います。(Fさん)
● 平飼いで、原料を厳選した(遺伝子組み換えを行なっていないポストハーベスト無農薬)自家配合飼料のみを使用し、添加や薬剤の投与は一切行っていない卵。血の混じる卵がほとんどないというところに愛情を感じます。(鶏はストレスがかかると卵に血が混じる。味や品質には問題はないそうですが。)味は、白身の美味しさが際立ち、おいしいです。(Aさん)
● ここの生産者さんのキャベツと他のキャベツで、ザワークラウト(発酵キャベツ)を作ったら明らかに発酵のパワー、菌ちゃんパワーが違って、味も違ったの。(Yさん)
● まずはなんと言っても貴重な減農薬いちご!聞くところによると一般栽培での農薬使用は60回以上。いちご摘みでは洗わずにそのまま食べるので、子ども連れでも安心して食べられました。そしてもちろん美味しい!!でも、農園の方は、減農薬だからと誇張することなく、それが当たり前のようにお話してくださるところも好感が持てました。(Hさん)

子育てコミュニティ toco toco
子育て世代のやってみたい、知りたい、学びたいことを、自ら企画・運営。誰かが講師、受講者という立場のない、一人一人が活躍する「学び合い会」を中心に、顔と顔を合わせて集う良さを生かした活動を展開中。

問い合わせ:facebook「子育てコミュニティtoco toco」


vol.183 かなでの沖縄だより vol.7

地元で報告会・・・「私が見た、沖縄!」

春休みの帰省中、3月28日「私が見た、沖縄」という題で沖縄の報告会をさせていただきました。
1年間沖縄にいて思った事は、今まで私が興味を持って考えて来たことやいろんな場でお話しして来たことが、特別なことではなくなってしまい、戦争のことや軍隊のことを深く考えなくなってしまったということです。
 今回の報告会は、 昨年の9月、大垣の「ようこそ先輩」のメンバーのみなさんとまわった沖縄平和ツアーのことを中心にお話ししました。聞きに来てくださった方の話も交えて、みんなで沖縄のことを話し合いました。
この1年で、私の中でもこの時の「辺野古」「高江」「伊江島のヌチドゥタカラの家」は忘れられないものになりました。私もまだまだ知らないことばかり。聴いてくださった方はもっと知らないことばかり。伝えることの大切さを改めて実感しました。伊江島を知らない。沖縄戦の終戦記念日を知らない。まだまだ知らない人がたくさんいるんだから、私もがんばって伝え、いっしょに学ばなくてはと思いました。
自衛隊のある各務原。「沖縄と各務原、どっちが飛行機の騒音うるさい?」という質問に 私はどっちと選ぶことができませんでした。18年間住んでいた各務原。1年しか住んでいない沖縄。そんなに変わらないと思ったし、やっぱりあんな大きな音をきいたら沖縄でも各務原でも怖いなと思うからです。
沖縄では最近よくオスプレイを見ます。鈍い音がするなと思って外を見ると、すごい低い位置で揺れながら飛んでいます。操縦してる人、オスプレイを飛ばしてる人は何も思わないのだろうかと不思議に思います。しかも人が住んでる家の上を…。今はそう思っていても、あと3年も住んだら日常になって、何も思わなくなってしまう自分がもしかしたらいるのかなと思うと、もっともっと恐ろしいです。
ここ1年、「平和ってなんだろう」と考えることがよくあります。伊江島のヌチドゥタカラの家を設立した阿波根昌鴻さんの言葉をよく思い出します。『平和の最大の敵は無関心である』『戦争の最大の友も無関心である』という言葉。報告会でもみんな頷いてくれました。私もそう思います。みんなが無関心になればなるほど色んなことが進んでしまう。無関心になることによって、取り返しのつかないことになってしまう。それって一番恐ろしいことなんじゃないかと私は思います。
8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が落ちたこと、8月15日に戦争が終わったこと、それはもちろん。沖縄戦のことも、もっともっと知ってほしいなと思います。
伝えられる人が少なくなって来ている今、私にできる事は学んでそれを伝える事。せっかく沖縄にいるのだから、今しか学べないことをたくさんたくさん学んでたくさんの人に伝えて知ってもらいたいと思います。
6月23日は沖縄戦の終戦記念日、この大切な日も忘れないでほしいです。

平和について語り合いたいと、各務原市の中学生でつくったPeace of peace。主要メンバーの小田奏さんは、2017年春から沖縄の大学生に。それを機に彼女の平和への思いをリポートします。


vol.183 リバース 13号

ビランジ Melandryum keiskei 原産地:日本(本州中部の山岳地帯)日本特産種  撮影:長屋泰郎

 ビランジ(ナデシコ科)は、本州の山地の日当たりのよい岩場に生える多年草。高さは10~30cm程で、若い茎や若い葉の色は暗赤色である。夏に赤紫~ピンク色の直径2cm程度の花をつける。
長野県が西限とされている高山植物で稀少種のビランジの群生地が、1999年、板取村川浦のダム建設予定地だった近くで見つかった。発見者は地元の自然愛好家・長屋泰郎氏。植物地理分類学会会員の故・成瀬亮司さんによると、「ビランジは長野県の伊那谷などの深山にまれに見られる多年草で、淡いピンク色のちいさな花をつける。ビランジの群生地はおそらく岐阜県内でははじめてで、ここが本州の西限となるのではないか。板取村の急しゅんで深い谷は、日射が少なく冷涼な環境のため、高山、亜高山性植物が残存できたようだ。山系一帯をよく調べて、貴重な種は保全すべき」と話した。当時、大規模な揚水発電所の計画がすすんでいた。(関連記事:環境特集Part-1)


小紅(おべに)の渡し

 船頭 高橋由香子さん

 

 

 

船ことばっておもしろいんですよ。

 岐阜市内を流れる長良川。鏡島大橋と下流の河渡橋の間、岐阜市一日市場(ひといちば)の右岸堤防上に船頭小屋があります。ここにちいさな看板があり、小紅の渡しの由来、利用時間や休航日、乗船心得などが書かれています。
かつて岐阜市の長良川には、それぞれその土地の地名がついた12から13ヶ所の渡しがありました。しかし、そのほとんどに橋が架かり、姿を消していくなかで、たった一つ残った「小紅の渡し」。遠い昔につけられた名前は地名ではなく、そのいわれも定かではありません。
 「小紅という名の由来は3つの説があります。1つ目は、乗り場に紅を採る草が生えていた。2つ目は、川を渡る花嫁が水面に顔を映して紅を直した。3つ目は、お紅という名の女性の船頭がいた、など。人それぞれの思いで解釈し、由来はハッキリしなくてもロマンがありますよね。」
「それにしても、船ことばっておもしろいんですよ。基本的に船頭の世界は口伝。独特な話しことばがあります。たとえば、船を縛るのを「しって」(長い手)。船を捕まえることを「とって」。一音一音に意味があるんですね。そんなことばの由来にはまって、いろいろ調べてみました。「あか」は水のこと。「あ」は天で「か」は動くと言う意味。あかは船にたまる水のことを指すのですが、天から動いてきたもの「風」「水」なんでしょうか。わたしは鵜飼観覧船に20年ほど船頭として務めましたが、「鵜のみにする」ということばも、鵜は魚を丸呑みにしますので、まさに鵜飼から来ているんですよ。また、鵜匠さんたちは「まわし場」と呼ばれる待機場所で漁の開始を待つのだそう。今でも段取りを整えることを「まわし」といいますよね。今の暮らしと、伝統的な文化や、口伝で伝えられていることばがリンクしていて興味が尽きません」。そう語る高橋さんのお話しは多岐にわたります。

移動手段はもっぱら徒歩

高橋さんは以前はバイクに乗っていましたが、自転車に変え、今では歩くことを基本としています。緩やかな時間がとても気に入っていると。渡し船のゆったりした時間も同じかもしれません。同時に視点が変わると風景も変わります。川面に遊ぶ水鳥、川面に映る雲のかたち、堤防を走る車、その遠くには金華山・・・普段なにげに映る景色も、船から見ると趣も変わる・・・。ちょっといい時間。小紅の渡しの上には鏡島大橋、下には河渡橋が架かってはいますが、小紅の渡しを利用する人は、毎月21日にある弘法さまの命日に鏡島弘法への参拝客だったり、レンタサイクルで周辺を走る人が利用したり、さまざま。あくまでも、県道の一部としての利用が基本。風情と実用を兼ね備えた小紅の渡しは、現代のめまぐるしく変わる状況のなか、古き良き時代へとタイムスリップしたような感覚になりました。

女船頭としてキャリアを積んだ高橋さんは、仲間がいればこそ、とも言う。男社会に女性がなじむのにやはり時間は必要だった。同期に女性が4人いたからここまでこられたと。しかし、移動手段を基本『歩き』にシフトした高橋さんには、流れる時間を楽しむ、という想いにぶれはない。

小紅の渡し船頭組合のメンバー4人が交代で渡し船を出しています。

小紅の渡し
運航時間 4月~9月 8:00~17:00
10月~3月 8:00~16:30
料金 無料
休航日 毎週月曜日及び12/29~12/31
ただし、月曜日が祝日もしくは21日と重な る場合は、その翌日を休航日とする。(悪天候、 増水時は欠航となります)
乗船場所 北岸:岐阜市一日市場
南岸:岐阜市鏡島(鏡島弘法 乙津寺 北)
お問合せ先 岐阜市土木管理課 058-214-4719


vol.183 ボーダーレス社会をめざして vol.42

NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子

継続は力なり

息子は40歳の自閉症スペクトラム障害。彼が小学校2年生の担任の先生が「継続は力なり」と私に言って下さったことが今でも思い出されます。何のことかなと当時は思っていたのですが、この言葉が意味することは、息子と共に生活をしてきて大黒柱となることばでした。ズーと同じことをし続ければ、何かしら結果が出るものです。

昨年末、東京で障がいのある人たちの展覧会「2017アジア・パラアート・書・TOKYO」国際交流展が日本チャリティ協会主催で行われました。海外の作家50名、日本作家50名が選ばれたのですが、私の書道教室から5名が選ばれました。あまりに多くビックリしてしまったのですが、書道教室の中に「創作書道」という時間を設けたのがこの結果に繋がったのかなと考えています。創作書道は、4年前から始めました。全国レベルの展覧会に応募するためと、もっと自由に書こうという思いから、大きな和紙に好きな文字を書く機会を設けました。今回入選された方は、こつこつと教室に通い続けて来て下さった方々です。入選後、個展を開こうとお誘いした所、創作書道をしてきた人が「個展をやりたい」と言って下さいました。作品はすぐにはできません。誰にでも調子のよい日、悪い日があります。長い間続けて来ている人には、作品のストックがあり、個展開催は夢ではなくなります。楽しく書道をすることが一番ではありますが、続けることによっていいことが起こるものです。
障がいのある人に対しての「継続は力なり」は、親に対する言葉でもあります。親がいかに忍耐強く彼らに付き合い、過保護にならず、彼らの好むものを見つけ出すか、親の腕にかかっています。私の周りには、馬・絵・水泳・ボウリング・卓球・和太鼓・陸上・演劇などなど多くの事にトライしている人がいます。親が付き添わなくてはいけない人もいますが、皆さん一生懸命に子どもさんをサポートしています。最近はお父さんの活躍もめざましいものがあります。少しでも彼らの現在・将来の余暇を充実させるためです。自由な時間を楽しく過ごすことは、人が生きていくには必要です。障がいのある人も一般の人と同じです。余暇を充実させるための「継続は力なり」があり、また生活面での「継続は力なり」もあります。
息子は小学校4年生から40歳まで毎日お風呂掃除をしてきています。家事を手伝うことによって就労能力が増すとも言われています。「継続は力なり」短い言葉の中にぎっしり大切なことが詰まっています。


vol.183 人生これから えんぴつ・カフェ

人生これから

人生のエンディングは誰もが迎える、ということはわかっていても、準備をするときを決めかねてしまう・・・エンディングという言葉に抵抗を感じる人も多いですね。だから、私たちは、ライフデザインノート「ゼロの昇天」。いま、これから、どう生きるかが大事。だって、人生これから!ですから。(^o^)

次回のえんぴつ・カフェ
と き:第6回・5月18日(金)
じかん:9:30-11:30
ところ:産業文化センター
2階第1会議室

会費700円

(コーヒーOR紅茶&お菓子を楽しみながら、座談会形式で情報を交換しながら書き込んでいきます。)

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えんぴつ・カフェ参加者の感想
第3回 3月14日(水) 大垣市
全員に1分という制限を課して順番に自己紹介。焦って30秒で終わった方、話し足りないという方。それぞれですが、なにを話すかあらかじめ整理しておくと、スムーズに話せます。これって、人生に似てませんか?生きている以上、やがて訪れる死。それまでをどう生きるか、あらかじめ心づもりがあれば、いざというときに慌てなくてもいいし、平穏な気持ちで迎えられるのでは?日ごろの整理整頓、大事ですね。なかなか処分できないのは、衣類、書籍、写真などでした。やりたいことリストは、旅行がナンバーワン。人の話を聞いて軌道修正もでき、なごやかな雰囲気であっという間の90分でした。

第4回 3月16日(金) 各務原市
今回はとても濃密な時間を共有しました。それぞれが抱えている問題をどのようにシェアしたらいいのか、その人の苦しみや痛みにどのような方法で寄り添えばいいのか・・・とても繊細で難しい問題。会の終盤で笑顔になれるにはどうしたらいいのか。印象的だったのが、自分史を書いてみたいという方に「キットがあります!」と情報を提供して下さったこと。その方の叔母さまが亡くなったとき「まるで結婚式のようだった。で、叔母が書いた『自分史』を読んで、叔母の人生を改めて知り、興味深かったです」葬儀が結婚式のよう?!それは素晴らしい。とてもいい話をシェアできました。

お・し・ら・せ

生き方セミナー5回講座
会場:産業文化センター第3会議室(予定)
時間13:30-15:30

第1回 6月20日(水)※産業文化センター4階会議室で行ないます。
テーマ:絵本の朗読から死生観をイメージする
講 師:浅井彰子氏(フリーアナウンサー)
*朗読を聞く前とあとの心の変化をセルフチェック

第2回 7月21日(土)
テーマ:介護・看護について
講 師:入学佳宏氏(ケアマネージャー)
*ケアマネージャーから現場の声を聞く

第3回 8月19日(日)
テーマ:終末期医療
講 師:木田盛夫氏(木田ファミリークリニック医院 院長)
*現役医師から、終末期を迎えた患者、家族のこころえを聞く

第4回 9月19日(水)
テーマ:成年後見人制度について
講 師:青木文子氏(司法書士)
*制度をよく理解し、いざというときに備える

第5回 10月18日(木)
テーマ:死生観のとらえ方
講 師:市川雅清氏(ライフ終活アドバイザー)
*葬儀、お墓、宗教の考えと現代のながれを知る

オプション 11月21日(水)
もしもの時に・・・最高の笑顔の撮影会
*プロのカメラマンに撮影していただきます。

えんぴつカフェ、生き方セミナーの問い合わせは
田辺 090-5638-7044 三上 090-7854-4561


vol.183 ホスピスナース奮戦記 vol.8


一人で死と向き合う
まだまだ寒い日の夕方。この日の最初の訪問は70代後半のうっ血性心不全を患っている男性。家族や親族がおらず大きな家に一人暮らしだった。一人暮らしでホスピスのサービスを受けるのは正直とても大変だ。肉体の死が近づく過程の在宅ケアというのは、身近に介護やケアできる人の存在なしでは難しい時がたくさんある。一人暮らしでも最期まで家にいたいという人はたくさんみえる。
到着する前の電話では息があがっているもののはっきりした声だった。ドアを開け患者さんに挨拶すると、かっぷくのいい「陽気なおじさん」というような雰囲気で家に迎えてくれた。かなり体重がありそうで、酸素用のチューブがほほにくいこんでいる。長くしゃべったり少しの動作で息切れしてしまうため、ほぼ24時間酸素が必要な状態だった。歩行車を使って屋内を移動するが、酸素の機械は大きいため部屋の片隅においてある。ベッドからキッチンまですべての行動範囲で酸素が届くように、延長用のチューブを長くつなげていた。このチューブが歩行車や足に何度もからまりそうになってその度にひやひやした。患者さんが一人の時に転んでしまったら、危険だなぁと思っていたら、昨日転んだばかりだという!幸いご近所さんが気づいて救急車を呼び、救急隊員に体を床からベッドまで持ち上げてもらってなんとかなったらしい。
ご近所に住む仲のいい知人男性が、一応のケアを受け持っているようだったが、限界があるように感じた。今回は、足のむくみが急に悪化したことに関しての訪問だった。たしかに両足が象の足のようにむくんでいた。尿はでているようだったので、医師の指示で、利尿薬の量を増やして様子をみることにしたが薬の管理も週一回の訪問看護師に任せているため、自分ではできない。増やした量の薬を一週間分に分けて薬の容器にいれた。それから、寝る時もテレビを見る時も足を高くしてみるように提案。ベッドを確認すると、ベッドの頭には5,6個の枕が置いてあった。背中に枕を積んでほぼ座っているような状態にしないと、息苦しくて眠れないのだそう。うっ血性心不全にはとても多い症状だけど、そういった枕を背中に入れるということさえ一人では相当難しい。息苦しさが増せば、緩和のために舌下投与のモルヒネを口からとることもできるが、一人きりで、窒息しそうな苦しさの時、ちゃんと緩和ができるんだろうか。この患者さんの一日一日を考えればかんがえるほど、サポートが足りてない・・・。
そうこうしているうちに、患者さんが一枚の写真をみせてくれた。かわいい目をしたグレーの大型犬とこの患者さんが一緒に写っていた。でも、この日の朝にこの愛犬とお別れしたことを教えてくれた。ラブラドールとピットブルのミックスの成犬。7年寄り添った家族のような存在だったけど、もう世話もしてあげられないし、自分ももうすぐ死ぬかもしれないからね、と寂しそうにいった。でももらってくれた人はとてもいい人達で、きっと幸せにしてくれると思うといって涙目で笑った。私ももらい泣き。本当は愛犬と最後まで一緒に居たかっただろうなぁ、こんな時だからこそたった一匹でも家族としてそばに居てほしかっただろうなぁって思った。今、この人は本当にひとりぼっちなんだなぁ。もちろん目には見えない次元ではたくさんのサポートがあるかもしれないけど、手に触れられる、肉体としてお互いの存在が感じあえるものが、いなくなちゃった。今はかろうじて身の回りのことができているから、陽気にふるまっているけれど、ふとした瞬間にどんなに寂しい思いをしていることだろう。息苦しい瞬間にどんなに怖い思いをしていることだろう。
帰り道、運転手さんとは一言もしゃべらず必死でパソコンをたたいた。ソーシャルワーカーにも担当看護師にも、安全面で日中のサポートを増やすことをお願いした。また、本人さえ了承すれば、病棟でのホスピスケアのほうが症状の緩和も安全面や衛生面でも良いのではないかとメールした。ご近所さんにもできることの限界がある。午前中4時間だけ週3でヘルパーさんが来てくれても、やっぱりできることの限界がある。
2週間もたたないうちに、この患者さんはまた転んでしまい容態は悪化、この時点ではほぼ意識もなくホスピス病棟に移ったが数日後には死んでしまった。あの時、もっと何かできていたのではないか。もっと安らかな状態で最期を迎えることはできなかっただろうか。自責の念と共に、またしても一人暮らしのホスピスケアの難しさを痛感した。

わかばま〜く:プロフィール 1982年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。


vol.183 ぎむきょーるーむ 電気と上手につきあうには

ケータイだけじゃない、テレビ、エアコン、
蛍光灯、ホットカーペット、電子レンジ、IH調理器・・・・・・

電気をできるだけ使わない発明家の暮らし
ほどほど便利。贅沢もあり、しあわせ度アップ。

ぼくたちは「新しい豊かさ」をめざす

アインシュタインは、こういったそうです。「ある問題をひき起こしたのと同じマインドセット(型にはまった、ものの見方・考え方)のままで、その問題を解決することはできない」
しかし、地球温暖化をはじめとする深刻な環境の問題を前に、私たちはいまだに、その問題をひき起こしたのと同じマインドセットで問題が解決すると思いこみ、ふるまっているようです。化石燃料がだめなら、原子力で。原子力がだめなら風力で。石油がだめならバイオ燃料で、食料危機なら遺伝子組み換えで、という具合です。日本列島が原発列島に変貌していく勢いを感じます。なにか、ほかの選択支があってもよさそうです。しかし、その選択支が「貧しい昔にもどる」のではなく、「新しい豊かさを実現する」ものでなくてはおもしろくありません。

「めんどうくさい」をたのしむよ!
そこで新しい豊かさを実現できる、電気を使わない「非電化製品」を発明してみたくなりました。冷房、暖房、冷蔵庫、掃除機、洗濯機、照明、除湿機といった非電化製品を4年がかりで作りました。
電化製品にはかないませんが、ほどほどの快適・便利なら、実現できることが確かめられました。
たとえば、「非電化除湿機」。10畳くらいの部屋なら十分に使える能力はあるし、補給品もいりません。故障の心配はなく、50年は使えるという点では快適・便利ですが、湿気を吸って満杯になると2時間ほど陽光にさらさなければならないという厄介さをともないます。数百台を試験的に販売してみました(価格15,000円)。エコロジー派の人からは「少々めんどうだけど、電気がいらない、なにも捨てない、半永久的に使えるからいい!」と好評でしたが、一般の人からは「めんどうくさい!」と不評でした(笑)。
もうひとつわかったことがあります。非電化製品は、ときには電化製品よりも「たのしめる」ということ。たとえば、「非電化コーヒー焙煎器」。無農薬有機栽培の質の高いコーヒー豆を安く買い求め、自分好みに煎って、「煎りたて、挽きたて、淹れたて」の絶品のコーヒーをゆっくりたのしむ。最高の贅沢を最低の価格で実現できることにおどろかされます。
一連の非電化製品を使うと、ほんとうに電気が必要なのは、テレビとコンピューターと照明くらいにかぎられ、電力消費量は五分の一以下になります。便利度は少しさがりますが、たのしみと健康度としあわせ度はあがったような気がします。原発列島に突き進むしかないというのは、ただの思い込み、あるいは誰かのスリコミかもしれませんね。

発明家:藤村靖之(ふじむら・やすゆき)
1944年生まれ。発明家。工学博士。非電化工房代表。著書に『愉しい非電化』(洋泉社)、共著に『テクテクノロジー革命』(大月書店)など。
非電化工房 http://www.hidenka.net

 

電化製品はすべて電磁波を出す!

家の中でもたくさん浴びちゃう・・・
環境問題の専門家・富山洋子さんと電磁波チェック!
家の中の電磁波を計測してもらったら、ビックリ!!
たくさんある電化製品、こんなにも電磁波があふれているなんて!

電気の使い方を見直す

携帯電話が広がって便利になったけど、電波を飛ばすアンテナ鉄塔による被害はまた深刻。日本では田園地帯に鉄塔と送電線がある風景があたりまえだけど、欧州のように送電線を地下に埋めるべきなのよね。
そもそも電気をたくさん使う「都市」に遠くに建てられている原子力発電所から大量の電気を送っているという問題もあると洋子さんは指摘した。

電磁波を予防するエプロンやシールなどのグッズもあるけれど、効果に根拠はないでしょう。電磁波を避けたかったらそれをさえぎるのではなく、そこから離れないと。外の鉄塔や送電線や住んでいる環境で直ぐにははなれられない残念な場合もあるけれど、家の中では電気から離れるのはもちろん、使わない生活を心がけるのがいちばん。
わが家では主な電気は冷蔵庫と灯りだけで、ご飯は土釜、日常の選択はほとんど手洗い。電子レンジやトースターもなく、エアコンも使わないせいか、電気代は月2,000円以内。太陽の向きや風の流れを意識し電気や便利さに頼らず生活していると、電気代の節約にもなって電磁波も避けることができるのよね。

電化製品の置き場所や使い方を考えよう!

・ 電子レンジ→電磁波ではないけれど、マイクロ波が2万Hz以上の高周波。使うときには9㍉ガウス、1メートル離れると3㍉ガウスに
・ テレビ 10㍉ガウス 2㍍離れれば4㍉ガウスに
・ エアコン吹き出し口 3.5㍉ガウス 部屋の中央では1㍉ガウス 2㍍離れればゼロに
・ ホットカーペット 30㍉ガウス以上!!!余熱で暖を取る
・ IH調理器計測器の張りが振り切れたまま!!!

電気は便利な暮らしをあたえてくれた。けれど、そのぶん日本はたくさんの生活の知恵を見失ってしまったと洋子さんはいう。それをとりもどせば、電磁波の少ない暮らしになるんだね。

なぜ電磁波はあぶないの?
スウェーデンをはじめ日本もふくむ世界各国でおこなわれた調査によれば、4㍉ガウスの電磁波を浴びつづけると小児白血病のリスクは2倍。発がん性や流産リスク、脳腫瘍の発生など、健康被害への影響も報告されています。
すぐに体に症状が現れるわけではなく、数年間もためこむことによる発病や妊娠時の影響という目に見えづらいリスク。そのため予防がおろそかになりがちですが、目に見えないからこそ気をつけるべき問題ですね。「被害の明らかな証拠がない」ことは、被害がないことの証拠ではありません。「予防原則」という考え方にもとづいて、とりわけ被害が大きく及ぶ子どもや胎児の立場に立ち、社会の問題として危険を避けるための方法をとることが、大人の責任といえるのではないでしょうか。


vol.183 半農半Xという生き方 vol.24

「生きがいブーム」
筆者が生まれた翌年の昭和41年、「生きがい」ということばがついた2冊の本が出版されました。1冊は精神科医の神谷美恵子さんの『生きがいについて』(みすず書房)。もう1冊は綾部に縁のある方で、出口日出麿・大本3代教主補による『生きがいの探求』(講談社)です。ともにベストセラーであり、いまも読み継がれている名著です。数年前、行事か何かで綾部の大本を訪れた際、日出麿教主補の「生きがい3部作」(『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』)のポスターが館内に貼ってあるのを見かけました。ポスターにはたしか「全国で“生きがい”ブームを巻き起こした話題の書」という文字がありました。調べてみると、たしかにこの昭和41年ころから日本人の生きがいブームが起こっていくようです。こんなことを思いつきました。綾部は「生きがい」を大事なコンセプトとすべきではないか。まちづくりや観光などのテーマにもすべきではないか、と。現代は「生きる意味」が失われつつあると言われます。そんな中、「生きがいブームの発祥地」ともいえる綾部には大きな役割がある。いま、そんなことを強く感じています。

わがまちAtoZ
 京都府南丹市日吉町の中世木地区(戸数53)の地域資源(地域の宝もの)をAからZまでの26のキーワードで紹介するミニブック制作のお手伝いをしました。どんなキーワードがあがったかというと、「N」は地域に伝わる伝統食「納豆餅」、「S」は珍しい山野草「せつぶん草」といったキーワードがあがっています。130字ほどの説明文を地元の方に書いていただき、それぞれ写真を添えています。サイズは音楽のCDジャケットサイズで、わずか16ページのミニブックですが、まちや村(自治会)のPRに、都会で暮らす地元出身の若い世代や地域の子どもたちに魅力を伝えるツールにもなります。自分のまちでもつくってみたいと思われる方はぜひご相談ください。見本を見てみたい方もお気軽にご一報ください(conceptforx@gmail.com 塩見直紀)。A4サイズ4ページの「地域資源発見シート」もつくっています。関心のある方はご一報ください。いつの日か、みなさまの案内で、まち(村)を歩かせていただき、地域の宝もの探しができたら幸いです。地域資源(宝もの)はきっとたくさん眠っています。

塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は翻訳されて、台湾、中国、韓国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。

※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景と する。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、 半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。


vol.183 菌ちゃん野菜応援団 第4話


今回は身近な菌活。お味噌について。

前回は菌と仲良くするといいんだよー、という記事を書きました。

お味噌は買うもの、と思ってる人は多いのですが、この頃若いママたちの間では手前味噌作りがブームになりつつある感じ。今年もたくさんのママ達と一緒に赤ちゃんをおんぶしたりちびっこを追いかけたりしながらわちゃわちゃといろんな味噌を仕込みました。
買うのと違って手前味噌は自分の常在菌がたっぷり。
こどもたちも一緒に作ればこれはもう春の楽しいイベントの1つ!!しかもお味噌汁を毎日飲むとガンになりにくかったり、放射線の害から身を守れたり、若々しくいられたり、と今や味噌はMiso として世界に認められ華やかに名をとどろかせているんです!

そんな日本が世界に誇る味噌を自分で作らないなんてもったいなさすぎる!!大人と一緒に作ってこどもたちに体験させる。文化の継承は何よりもの親から子へのプレゼントじゃないのかな?なんて思っています。

お味噌作りは実はとっても簡単。皆さんもお味噌、自分で作ってみませんか?


vol.183 未来に続く暮しの学び Part-25


ルーツを探る

この冬は音楽とアートと、採れたての野菜たちも音楽とコラボするという創造的で文化的な活動が充実し、とても楽しい時を過ごしました。

ほかにも、ペインティングリトリート、キューバやジャマイカの人たちの協同音楽プロジェクト。アフリカンドラムとダンスのリトリート。ジャマイカアーティストとのディナーイベント…など多彩なイベントが続きました。なかでもキューバ、ジャマイカ、ジンバブエなどのアーティストたちとのかかわりはとても新鮮で、彼らの人柄、音楽は心の琴線に触れ、自分の中になにかが弾けるような感覚を覚えました。

彼らの国はアフリカルーツ。そのルーツを感じられただけでも、私たちにはとても意味深い時間でした。

これまでいろんな国の人たちが、ここパラダイスを訪れてくれます。今回は特に自分のルーツを探るきっかけを与えてくれたように感じました。このような文化的なつながりは心に深く響きます。

私たちは多くの人たちと出会っては別れて、をくり返し生きていますが、人とのかかわりは、その人たちと時間や場所を共有し、食を共にして、少しずつお互いの文化を紹介しあい、理解していけるのだなと感じます。特にアフリカがベースにある国、キューバはスペインに、ジャマイカはイギリスに占領されたといえど、ルーツはアフリカ。かれらは音があれば踊る。踊りがあれば音が鳴る。そして歌いはじめる。歌うこと、演奏することが生活の一部であるかれらの姿。それが自然にある日々がうらやましい。ここパラダイスにも自然にわき出るような文化的要素を、日々の暮しに組み込んでいこう!そう思わせてくれた!と同時に、自分のルーツを探り、踊りや歌を学ぼう!とも。ないならつくればいい。そして習えばいい。まずはこの夏帰国したらしっかり盆踊りを歌って踊れるようにすること!この数ヶ月間は各国の伝統的な文化に触れたことで、日本の文化について改めて思いを馳せるきっかけとなりました。YAO

パラダイスで採れた野菜を次々に手にとり、軽やかなリズムで即興で歌うジャマイカのミュージシャン。

 


vol.183 夢か悪夢かリニアが通る! vol.12

発破が襲う「美しい村」
3000メートル級の山々が連なる南アルプスの山懐に抱かれた長野県大鹿村。「日本で最も美しい村」の看板が今や色あせて見えます。昨年12月、同村の生命線ともいえる県道で、リニア中央新幹線関連工事の発破による土砂崩落事故が起き、住民の生活や温泉旅館の営業がダメージを受けました。その記憶も冷めやらぬ中、同村最奥の釜沢地区では発破による掘削工事が始まり、住民が不安を抱え暮らしています。        ジャーナリスト・井澤宏明

釜沢地区で行われた発破テスト。皆が谷底にある坑口方向を見つめた

山が崩れたと思った 
3月28日、大鹿村釜沢地区に向かいました。南北朝時代、後醍醐天皇の皇子・宗良親王が暮らしたと伝わる「御所平」の地名が残る同地区には現在、赤石岳や小河内岳を望む急峻な斜面に、9世帯が暮らしています。沢のせせらぎや野鳥の声しか聞こえなかった山里は全長約25キロに及ぶ南アルプストンネル工事の長野県側最前線。除山非常口の掘削が始まっています。
この日、JR東海や鹿島JV(鹿島、飛島建設、フジタ)が地区住民の立ち合いのもと、同非常口で爆薬を使った発破テストを行い、騒音や振動を確認することになっていました。
同非常口では昨年12月、初めての発破が行われましたがその際、多くの住民が振動を感じました。「振動が斜面をズズズズとはい上がっていくように感じた」とミュージシャンの内田ボブさん。「山が崩れたかと思った」と恐怖を口にした住民もいます。
自治会長の谷口昇さん宅では発破後、ひどい雨漏りが始まり、風呂場のコンクリートがひび割れていました。その後も、山側に積んであった石垣が崩れ、寝室の壁まで迫ってきました。
谷口さんはJR東海に被害を訴えましたが、発破との因果関係は認められないまま。住民の不安をよそに、掘削を急ぐJR東海は今回の発破テストを提案してきました。
同非常口の坑口から約300メートル離れた集会場。住民、村役場やJR東海の職員など約20人が息をひそめ坑口方向を見つめる中、発破テストは行われました。「ゴーと聞こえた」という人はいましたが、多くの人は、音も振動も感じることは出来なかったようです。JR東海によると、爆薬の量は前回と同じ3キロですが、前回は坑口から40メートルで今回は110メートル。深くなっただけ、衝撃も小さかったのかもしれません。

石垣が崩れた谷口さん宅。「ドン」と家屋に押し寄せてきたという

悪夢と同居する日々
直後に行われた懇談会で、JR東海は住民に発破再開を伝えました。同地区は地滑り地帯で、村は毎年、道路のひび割れ計測を続けています。JR東海は今回のテストに間に合うように、地滑り計を5基設置しました。長野工事事務所大鹿分室の上野英和分室長は「発破でこちら(釜沢地区)に影響があるという認識は元々持っていなかった。これで数値としてしっかりするので、地元の皆さんに安心してもらえる」と胸を張ります。
それでも住民は安心などできません。懇談会後、「体感的なものが怖いんだ、俺らは。ここ(の斜面)は石をしょっている。それがドドドドと落ちてきたら、ということを常に考えてる」と訴える内田さんに、上野分室長は「我々はあくまでも数値でしか言えない」と応答。内田さんは「数値と現実がどれだけギャップがあるかということが問題なのよ」と、住民に寄り添う姿勢を求めました。
谷口さんによると翌29日、2回の発破があり、1回目ははっきりと音を、2回目は「ボーン」と感じたそうです。JR東海によると、発破は1日最大4回、夜中の1時や2時に行うこともあるといいます。「釜沢は何もなくても滑っているというデータがある。ちょっとした振動で地滑りを促進することもあるのでは」。谷口さんは不安に押しつぶされそうです。
4月1日、東京都内で開かれたリニアを考える集会。内田さんの奥さん、遠野ミドリさんは釜沢地区の今について参加者に報告しました。発破が始まった現状を「悪夢と同居する日々」と表現したうえで、「静かだったら、揺れなかったら、何をしてもいいんですか。(掘削)現場には多くの生物が生息し80デシベル以上の音が10 年間ほぼ毎日続きます。生態系に必ず影響が出るだろうということはバカでも分かります」と生き物の生活の場が壊されていくことへの危機感を訴えました。


vol.183 プレゼントコーナー

PRESENTS 183号

1- あなたの
「おススメスポット」教えて!
これからの行楽シーズン、あなたのおススメの
スポットを教えてね!
2- 気になるにらめっこ紙面での広告
3- 気に入った記事、気に入らない記事のタ   イトル1つ・その理由もお書きください。
4- ご希望のプレゼント名
(第1希望・第2希望)
5- 本紙をどこで入手されましたか?
6- 氏名、年齢、住所、郵便番号、電話番号、 家族構成

プレゼントご希望の方は
ハガキまたはe-mailで、上記のアンケートを
1〜6までご記入の上、編集部・プレゼント係りまでお送りください。
〆切:5月25日 当日消印有効。
Cはにらめっこ編集室に受け取りに来ていただける方。
宛先
〒504-0855 各務原市蘇原新栄町2-25
e-mail: info@niramekko.com
※お寄せいただいた個人情報は、本紙プレゼントの発送に限り、 使用させていただきます。

A.CINEX 映画招待券 シネックス様より…ペア3組様


真っ暗な中で椅子に座り、ただ映画を観る。スマホをいじることは許されません。あとは映画の世界観に身を委ねるのみ。こんな非日常を味わうには劇場に足を運ぶしかありません。さあ、どの映画を観ましょうか?(招待券はシネックス柳ヶ瀬でのご利用となります)

 

B.いろいろあるよ熊鈴 にらめっこより…3名様


クマやイノシシをはじめとする野生動物に人の存在を知らせるためのアイテムです。自然豊かなフィールドでは、私たち人間が侵入者。「おじゃましま〜す!」の気持ちで熊鈴を身につけよう。

 

 

C.せんたく石けんスノール にらめっこより…2名様


天然の植物油脂を100%使用。水に溶けやすく、泡立ちも豊かで汚れをきれいに落とします。蛍光漂白剤・香料・着色剤やLASなどの合成界面活性剤を使用していません。1kg入りです。(にらめっこ編集室でお受け取りください)

 

 

D.つくる・みらいの会ステッカーつくる・みらいの会様より…5名様


子育て、家事、学校やご近所のおつきあい…。毎日いろいろこなすかあちゃんがみんな本気になれば、 まちをかえる力もある!ピンク色とかえるのイラストが力み過ぎずいい感じのステッカーです。大と小、ピンク地と白地、お好きなものを選んでね。車に貼ってなかま拡散!>^_^<
(大277×97ミリ、小175×50ミリ)


vol.182「食」特集Part-1 漫画で伝える「食」のこと           漫画家 魚戸おさむさん

食育って、生きる力を育むこと 「食」特集Part-1

Vol.100で『食』を特集して以来、さまざまな角度から「食」に関する情報を取り上げてきました。今回は、にらめっこが伝えたいこと満載の漫画『玄米せんせいの弁当箱』『ひよっこ料理人』在宅医療の最新作『はっぴーえんど』の作者・魚戸おさむさんに、漫画家から視た「食」についてお話を伺いました。

漫画で伝える「食」のこと

漫画家魚戸おさむさんに聞く
「食」にかかわる人たちって魅力的な人が多いんです。

『食卓の向こう側』でいっぱい学んだ
—食べ物がどんな経緯で食卓にあがるか、食べ物の向こう側をひもといていくと全部つながっていて。だから食をおろそかにしたくないんだけど、今、時短とか、安い早いウマイとか、そういうのに私たちが踊らされています。
魚戸:ボクたちの漫画業界も、時短が入ってきてます。楽は別にいいんですが、楽だけで描いていたら、ちょっと手間のかかることの面白さや、意味合いというか奥深さを知らないまま漫画を描いちゃうんだろうなと。これは「食」も一緒だなと思うんですよ。楽は楽でちゃんとうまく利用していけばいい。要はバランスですよね。人としてのバランスが崩れてくると、何かしらひずみが出てくる。
—食に興味を持って、シリーズを描こうと思われたのですか?
魚戸:はい、ボクが興味があって。みんなが知らないこととか見てみる見ぬふりするような食の奥深い内容になると、敬遠されがち。でも個人的にはおもしろいと思ったので、だめ元で編集部に聞いたら、意外や意外「おもしろいかもしれない」って。「食の裏側ですよ、地味ですよ」、「いや、いいじゃないですかね」って。ちょうど「食卓の向こう側」(西日本新聞社に連載された記事)を知ったころだったので、こういうことを漫画に描けたら楽しいだろうなぁと思って描いたのが「玄米せんせいの弁当箱」だった。その前に「食卓の向こう側」のコミック編を描いたことがあって、それは西日本新聞社の記者さんたちと一緒につくったんです。名前は変えてますけど「玄米せんせい・・・」には、知る人ぞ知る、見る人が見ればわかる実在の人がいっぱい登場しています。その人たちを取材して描くのがすごく楽しかった。

業界では、グルメ漫画ははずさないっていう定説があるんです。『孤独のグルメ』、『深夜食堂』、『クッキングパパ』とか『美味しんぼ』。それに引き換え、「玄米せんせい…」や「ひよっこ…」では手作りとか、日本の伝統食とか、発酵などの話しで、描けば描くほど、地味だなぁって思いましたね。(笑)でも、グルメじゃないところに視点をあてただけで、いろんなことが見えてくる。たとえば吉田俊道さんの菌ちゃん野菜なんかもそうですけど、草の根で地道な活動をを広げている人たちがいっぱいいる。漫画を描くことでそういう人たちの応援にならないかなと思って。えらそうですけど、ね。活動をしている人は、吉田さんはじめ魅力的な人たちばかり。ものすごく楽しそうにやっていて、それが描く動機にもなっています。
—岐阜でも若い親さんたちが、吉田先生の講習を受け「菌ちゃん野菜応援団・岐阜支部」として活躍しています。集うことが楽しくて、作る環境があるなら作ろう!と子連れで畑に通っています。そして台所で出るゴミをムダにしない。「循環」がキーワードになっています。(菌ちゃん野菜応援団 参)
魚戸:吉田さんは、幼稚園や保育園で生ゴミで堆肥を作って土を作り、野菜を育てているんですね。ある幼稚園でにんじん嫌いな子が「にんじんは食べない!」って言っていたのに、収穫のとき逆に「食べるな!」って。「あんなに大事に育てたものを何で食べるんだ!」と言ったと聞きました。にんじんとか大根を食べない子どもたちが、自分たちで育てて、畑から抜いてその場で土だけとって洗わずにかぶりつく。そこまでやるのは、子どもたちは本物をわかっているから、動物的な勘みたいなね。

ものがたりを紡ぐ食べ物たち

—そうなったらしめたもんですね。ところで「玄米せんせい・・・」「ひよっこ…」を描いていて惹きこまれた点はありますか?
魚戸:食べ物って、ものがたりがひとつずつあるんですよね。料理を作る人だけじゃなくて、食べ物にかかわる人たちのことを想像したら、もう数え切れないくらいの人たちがかかわっている。実在の人をいっぱい取りあげたのは、その人自身のものがたりがおもしろいから。「食卓の向こう側」のおかげで、いろんな人を紹介してもらい、その人たちがみんなつながってたりしてもうホントにビックリしました。それでどんどん取材しては描き、描いては取材して楽しくなった。
—「玄米せんせい…」は、若者や大学生が対象で、「ひよっこ…」は、幼い子と高齢の方。共通しているのは“作ること”。魚戸さんご自身は料理は作られますか?

玄米せんせいの弁当箱 10巻 食べることは生きること より

魚戸:ひよっこ料理人を描いているときに、近くのガス会社が主催する男の料理教室に参加してみたんです。そこでは和洋中を学べました。洋食が一番パパッと作れたかな。中華は炒める前のいろんなものを細かく切るのが大変。和食は、やっぱりだしでしょ。だしも、かつお節を削ってね。でも今は簡単・便利・安いからと削り節のパックを使っている人が多い。実際計算したらね、かつお節を買って削った方がよっぽど安上がりなんです。あと、だしを取ったときの色が違う。市販のかつおパックはちょっと黄色っぽい。もう酸化が始まっているからでしょう。「ひよっこ・・・Vol.8」で描いたんですけど、紙コップに味噌汁を3種類作って、それを子どもに飲ませてどういう感想を言うかっていうイベント。そして、みなさんはどの味噌汁を子どもに伝えたいですか?って問いかけるんです。
A-粉末味噌 B-手前味噌 C-出汁入り味噌で、子どもの感想はAがお弁当屋さんの味噌、Bはおばあちゃんちの味噌 Cがお母さんの味!でみんながガクって(>_<)
—それだけ化学調味料のうまみ成分が身に染みついちゃうと、手作りのものが、薄味に感じて頼りなくなっちゃう。
魚戸:手作りのお味噌屋さんやしょう油屋さんに共通しているのは、昔ながらの作り方をしているところ。ある意味感動しますよ。こんな手間かけてやっているのかって。でも誇りを持っているし、楽しそうにやってるんですよ。

ひよっこ料理人 8巻 ひよっこたちの出航 より

 

食はからだと心を支える

魚戸:佐藤初女さんってご存じですか?もう亡くなりましたけど、ボクお会いしておにぎりをいただいたり、お弁当まで作ってもらったんです。佐藤さんを支援している方から、初女さんの漫画を描いてと言われたんですけど、結局実現しなかったんでが、「ひよっこ…」の最後、主人公がおばあちゃんになるでしょ、あれは、初女さんをイメージして描いたんです。初女さん、病んだ人を受け入れて、食を共にしてその人は癒されて帰って行くと言ってました。「わたしは何にもしていないです。ただ、みんなでご飯食べましょ」って。
—食ってそういう力があるんですね。1人で食べるより2人、2人より3人という感じ、食卓を囲むって大事なことだなって。
魚戸:ですよね。そこに来る方で共通しているのが、孤立している人・・・。大分県の安心院(あじむ)っていう村でも、いろんな人たちを受け入れてます。ある時、24,5才くらいの若者が来た。腰が曲がってしゃべらない。心配した親が安心院の噂を聞いて連れてきた。そこでもただ毎日一緒にご飯を食べて、昼間は畑をやってなんとなくその辺でぶらぶらしている。そのうちに、曲がっていた腰が伸びてきた。民宿のおばちゃんは「別にわたし何にもやっていないよ。ただ一緒にご飯食べて話しをしてるだけだよ」。一週間ほどしたら、見違えるほど若者らしくなって、「ボク東京に帰ります」って帰って行ったそうです。
—一緒に食べることって大事ですよね。今、こども食堂が全国的に広がっているけど、そういうことなんですね。
魚戸:そうですね。食べることを通じて、わかちあえたり、仲間として受けいれらたりするものだと思う。安心院のおばちゃんは、食べるものに意味があるって言っています。地元の食材で作られたものとか、手作りのもの。食べる人を意識して作ったもの。もちろん、買ったものでも、たとえインスタントの物でもみんなで食べる!ことに大きな意味があるんですね。

—食べることってコミュニケーションの潤滑油みたいですね。
一品持ち寄りパーティーも楽しいですよね。
魚戸:九州大学で、「一品持ち寄り弁当の日」っていうのをやっていて、登場する先生も実際にいる方です。ボクが食のことに目覚めたのが40代のころ。その頃、作るのがあたりまえの子どもたちを育てた人たちは、ほぼ毎日子どもたちと一緒に料理をすることを楽しんでた人たちです。「弁当の日」の竹下和男先生もおっしゃってましたけど、子どもって台所に入ってくるんですよね。それを今の親さんは追い返す。邪魔とか、あぶないとかって。そこをなんとか少しでもいいから台所にいさせてあげて欲しいですね。食材を混ぜるだけでもいいから。これボクが混ぜたんだよとか、みんなで食べるときに、そういって自慢したりして自尊心を満足させるというか。また、やらせてって違うことをやらせてあげるだけで、どんどん変わっていくし、料理を作ることがあたりまえになっていく。
—あぶないとか、散らかるとか、そういうのをちょっとガマンするってことですね。
魚戸:しょうがないもんね。できないんだから、汚くしても、大人だって、できないことやればグチャグチャになるしね。

今度は「在宅」がテーマ

—ところで、現在は在宅医療のお話を描かれています。
魚戸:はい、実は身近な人が亡くなって、死や介護や看護のことを改めて考えさせられて。これは避けられない問題です。日本では「死」をまだタブー視する傾向があります。今は、医療サイドから見た話ですが、今後は、家族はどう思っているのかというところまで掘り下げたい。在宅と言っても、自分たちが面倒を看るってどういうことが家で起きるのか、病院と家の違いは?金額の問題とかも含め、いろんなことがある。ボクも学びながら描いています。
人は老いて死ぬ…このことは避けて通れないし、遠ざけてちゃいけないなぁ、と、そういう気持ちになって読んでくれたら、と思ってます。
—介護や看護、延命のことなど日頃の会話というものがとても重要になってきますね。
魚戸:そこなんですよ。ボクの伯父は入院して肺が真っ白けでもう長くないと宣告された。それで、いとこたちも、このあとの治療どうするかを患者の伯父に一任させちゃった。そしたら、伯父は「オレは点滴がいい」って。栄養点滴がはじまったら、点滴だけで生きていかなきゃいけない。ベッドから出られない。意識はちゃんとしているけど、食べられない、飲めない・・・。看てる方も辛くて、水飲みたいと言われても誤嚥しちゃうのでできない。そんな状況をみながら、食の漫画とは全然違うテーマだと思って描いていましたが、実は根本的な部分は全てつながってると描き出してから気づきました。

食べられることが、生きる意欲につながる

「はっぴーえんど」第2巻 言えない想い より

—はっぴーえんど2巻にカレーを作る患者さんが登場します。
魚戸:いやあ、あれを描いたときに、「魚戸さん、また食の漫画描くの?」って言われて。食べることって、生きることだから何かどうしても描きたくなるんですよ。
—寝たきりの人も嚥下ができなくなると、生きる意欲も低下するんですよね。だから、食べることは生きることにダイレクトにつながっている。
魚戸:そうですね。ホスピスの先生と知り合って、ホスピスを見学させてもらったことがあるんです。ご自分の仕事外のときに、玄米スープを患者さんに提供してたんですよ。ご自分の思いだけで。だから看護師さんもみんな知らなくて。死期が迫っていそうな目も開かない患者さんでも、そのスープを飲めて「美味しい」って言うんです。先生が「もう一杯飲みますか?」って聞くとうんと頷くので、また口に入れてあげる。するとね、目がフーッと開いて、「あーおいしいね〜」って。それでちょっと顔色がよくなってきて、もう一杯飲むと目がぱーっと開いて「あーおいしい」って、肌が健康な人の色になる。部屋を出てから「先生、あれなんですか?」って聞いたら、「すごいでしょ。人はね、口からものを入れる入れないっていうのが、どれだけ活力になるかってこと。だから胃瘻はね、緊急手段であって、ある期間どうしても栄養を入れなきゃいけないときに、仮の栄養補給として開発されたもの。あれで延命するとかという話しじゃないんですよ」とおっしゃって、食べることは本当に生きることなんだと確信を得ました。
—あえて漫画で伝えたい理由、想いというのは・・・?
魚戸:「玄米せんせい・・・」のときからですね、そういう想いになったというか、今思うと、「食卓の向こう側」という記事を読んでからかな。こんなことが世の中の見えないところで起きている、暗いことばかりじゃなく、いいこともあるんだけど、見えないものを伝える手段として、漫画もできるんじゃないかと。それで、決して上から目線ではなく、こんなことも、あんなこともありますよ、という情報としても知ってもらう。それで、一人でも二人でも、読んだ人がなにか食に対する考え方が変わったり、なにか行動を起こしたりとかね、そういうことにつながっていったら、描いた甲斐があるなぁと思って。で、実際描き出すといろんな人にお会いして、お会いするうちに「実は魚戸さんの漫画を読んで、ボク食に目覚めました。」「わたしもです」、という人がいてビックリしました。
—「はっぴーえんど」ってどれくらい続くんですか?
魚戸:わかんないねぇ。ボクの師匠にまで、「魚戸君よくこんな漫画描くね」って言われて。
—師匠はどなたですか?
魚戸:「仁」ってドラマ、ご存じですか?その作者です。幕末に、現代の医者がタイムスリップして向こうで四苦八苦して人を助けるという話し。知識はあるけど道具がない、材料がないというなかで、どうやって医者として活躍するかという話しです。その先生に、そんなの描こうと思う漫画家は魚戸くんくらいしかいないよって言われて。それこそ、地味な漫画の極地みたいじゃないですか。死ぬ人を描くなんてね。「ひよっこ…」も、「玄米せんせい…」も、そうとう地味な部類に扱われてたけど、さらに地味・・・

ユーモアが緊張をほぐす

—ときどき主人公がずっこけますよね。
魚戸:あれやらないとボクが辛いんですよ。重くなりがちなテーマなので、その逆のことができるキャラクターがいいなって。笑いの中に真実が見えかくれする。ボクは、食育漫画を描こうという意識はないんですけど、担当の編集長に「魚戸さんさ、どこまで気づいているかしれないけど、世の中の食とかね、興味ある人から見たら、魚戸さんをね、神みたいな存在だと思っている人、いっぱいいますよ」って言われて、「まじですか!」(笑)

うおとおさむ/プロフィール 漫画家。 北海道函館市出身。
村上もとか氏(代表作「JIN-仁-」、「龍」、「六三四の剣」など)星野之宣氏(代表作「ブルーシティー」、「2001夜物語」「宗像教授異孝録」などなど)に師事し、 1985年「忍者じゃじゃ丸」でデビュー。代表作・家栽の人(作:毛利甚八)・ケントの箱舟(作:毛利甚八)・ナイショのひみこさん・がんばるな!!!家康・イリヤッド 入谷堂見聞録(作:東周斎雅楽)・食卓の向こう側コミック編(作:渡辺美穂・佐藤弘)・玄米せんせいの弁当箱(脚本:北原雅紀)・イーハトーブ農学校の賢治先生(案:佐藤成)・ひよっこ料理人(協力・鈴木真由美)・はっぴーえんど(監修・大滝秀一)*現在、ビッグコミックオリジナル(小学館)にて連載中

 

「ボクは食育のプロじゃないですよ。いいんですか?」と念を押されたが、「食」をいろんな方向から見つめてみたくて強攻取材となった。漫画なら伝わる!そんな思いは共通していた。ともすれば世の中の動きに逆行するかのような「手間」を重視した魚戸さんの食に対する視点は現代社会に対する警鐘か?でも、決して上から目線ではなくひとつの情報として伝われば、というスタンスは、とても穏やかなその人柄の表れだろう。今後、在宅医療の問題をどう発展していくのか、「はっぴーえんど」がとても楽しみだ。(三)


vol.182 「食」特集Part-2 映画0円キッチン

「食」特集Part-2

食べ物は大事、生きること そのものだから。
もったいない食料破棄に ついて考えさせられる。
映画『0円キッチン』は、 多くの気づきがありました。

世界で生産される食料の3分の1は食べられることなく廃棄されている。その重さは世界で毎年13億トン。「捨てられてしまう食材を救い出し、おいしい料理に変身させよう!」食材救出人のダーヴィドがヨーロッパ5カ国を巡る おいしく明るい”食”の旅路。 使った廃油は684.5L。走行距離5079Km。救出した食材690Kg。 「捨てられてしまう食材を救い出し、おいしい料理に変身させよう!」と考えた食材救出人のダーヴィドが廃油で走るキッチンカーでヨーロッパ5カ国の旅へ出発する。
初公開: 2015年6月7日
監督: ゲオルク・ミッシュ      上映時間: 1時間 22分
映画脚本: ダーヴィド・グロス   ジャンル: ドキュメンタリー
プロデューサー: Ralph Wieser

日本の食料廃棄
1年間に日本から発生する食品廃棄物は、食料消費全体の約3割にあたる『2000万~3000万トン』そのうち本来食べられたはずの、「食品ロス」は約632万トン。日本人1人当たりに換算すると、”お茶碗約1杯分の食べ物”が毎日捨てられている計算。日本の食料自給率は現在39%(平成27年度)で、大半を輸入に頼っていますが、その一方で、食べられる食料を大量に捨てているという現実があります。

 

ショックと憤りで、いてもたってもいられなくなり…

――「ゴミ箱ダイバー」になろうと考えたきっかけは?
ダーヴィド:以前の私は、「フードロスはあるだろうな」という程度の認識でした。それが、たまたまニューヨークなどでゴミ箱に入り込んで、まだ食べられるものを探す「ゴミ箱ダイバー」がムーブメントになっていることを知って、いろいろ調べてみたんです。それで、故郷のオーストリア・ザルツブルグのスーパーマーケットのゴミ箱をのぞいてみたら、もう、びっくり。多少はあるだろうと踏んでいたのですが、その量が想像をはるかに超えていて……。まだ新鮮な食べ物が山のように捨てられている現実に、いてもたってもいられなくなったんです。

ゴミ箱のなかは宝の山!?

――ゴミ箱ダイブを体験して、どんな発見がありましたか?
ダーヴィド:最初はショックと腹立たしさで、これは何とかしなければと猛烈に使命感が湧いた。やっていくうちに、宝の山を探検しているような、ワクワクするような感じにもなってきて。まずは自分たちでできることからやってみようと、仲間といっしょに、ゴミ箱から救い出した食材を使った「0円キッチン」のイベントを始めました。「おなかがすいている人集まって!」と呼びかけて、みんなで料理して、みんなで食べる。その様子を撮影して、シリーズでウェブ上に公開したんです。そうしたら、思いがけずものすごい反響があって……。

「家に帰ったら、冷蔵庫を点検してください」

――家庭の冷蔵庫を抜き打ちでチェックするシーンは印象的ですね。賞味期限切れの食材が出てきて「どうしてこんなにしちゃったんですか?」と問い詰める…
ダーヴィド:あそこは私も一番好きなシーンのひとつです。家に冷蔵庫が あれば必ず思い当たるでしょうから。家に帰って真っ先に冷蔵庫を開けてみるというアクションにつなげられたらいいな、という思惑があったからです。フードロスの直接的な要因は、賞味期限です。賞味期限が過ぎた食材は自動的にゴミ箱行きという暮らし方が、この問題を深刻にしています。本当は、賞味期限が過ぎたものでも食べられるものが多い。この映画が一番伝えたいのはそこです。家庭の冷蔵庫で眠っていた賞味期限切れの食材で料理する映像をきっかけに、わが家の冷蔵庫にあるものはどうだろうと考えてもらいたかったんです。

自らの五感で「賞味期限」を判断する力を

――賞味期限切れのものを食べるという行為はなかなか勇気がいるのですが……。
ダーヴィド:そうですよね。そもそも賞味期限というのは、次々に新しい商品を売っていくために設けられた消費社会のシステムのひとつ。この映画は、フードロスをなくすために何ができるかということがメインテーマですが、この問題の根本にあるのはいまの消費社会なのだということも言いたかったんです。
幸い私たちの家庭の中にも、においや見た目、感触で、食べられるか否かを判断するという祖父母の世代の文化がまだかろうじて残っています。いまのフードロスの問題を考えるうえでも、将来の世界の食について考えるうえでも、これからの子どもたちには、自分自身の五感で本当の賞味期限を判断できる力を身につけさせていくことのほうが大切ではないでしょうか。

小さなきっかけがあれば、習慣は変えられる

――賞味期限にしろ、スーパーの廃棄にしろ、私たちの生活習慣にしろ、変えられないことはないということですね。
ダーヴィド:もちろん、変えられます。もっとも大切なのは、自分が買う食べ物の歴史に興味をもつこと。「産地はどこ?」「生産者は誰?」「旬のとき以外に買う必要はある?」……というように、食べ物がつくられる背景を考えながら買うことを習慣にすると、いろんな意味で自分と食べ物とのつながりをもっとリアルに感じられるようになる。食べ物の選び方も変わるし、食べ物への感謝も自然に生まれるのではないでしょうか。

「食べることが人々をつなげていく」

――来日した時も、「0円キッチン」のクッキングセッションをされたそうですね。
ダーヴィド:とても有意義なものでした。フードロスの問題は、廃棄食材の量など数字で語られることが多いのですが、それだと実感が持ちにくい。「0円キッチン」では、廃棄されようとしていた食材をおいしい料理によみがえらせていくクリエイティブなプロセスのなかで、大事なことが伝わっていくんです。実体験にまさるものはないということを、改めて思いました。
それが「もしかしたら」と考えるきっかけになる。食べることは人々をつなげていくといわれるように、まさしく、「0円キッチン」には、一人ひとりの気づきをつなげ、広げていく可能性があると思います。

食品ロスを減らすために日常生活でできる10ポイント
〜買いに行く前〜 (1)冷蔵庫や戸棚の食材の量を確認
(2)空腹状態で買い物に行かない
〜買い物中〜 (3)すぐ食べるものは棚の手前から取る
(手前ほど賞味期限の迫ったものが置かれているため)
(4)必要以上に買い過ぎない
〜調理中〜 (5)できるだけ食材を使いきる
〜 食べた後〜 (6)食べきれなかった料理は別のものに変身。やむを得ず捨てる場合は、水気を切って捨てる
〜 保管中〜 (7)賞味期限は美味しさの目安。自分の五感を使って判断する(8)地域や学校、職場で一人一品持ち寄り運動 を実施し、家庭の在庫の無駄をなくす
〜 外食する時〜 (9)飲食店などで注文し過ぎない。食べられる量を出してくれる店を選ぶ(10)残さずに食べる。

 

ダーヴィド・グロス David Gross
1978年オーストリア、ザルツブルグ生まれ。大学でコミュニケーション科学、演劇学、ジャーナリズムを学ぶ。以後、ジャーナリスト・ドキュメンタリー映画監督として活動。

(はじめよう、これからの暮しと社会KOKOCARAより)

 


vol.182 カタコトの部屋 牛乳、飲む?飲まない?

牛乳、飲む?飲まない?

 

栄養豊富で成長にかかせない食品とされる牛乳。しかし、牛乳には問題点があるという情報も…。今回は、積極的には牛乳を飲まない、という選択をしたママたちにお話しを聞いてみました。

 

わが家と牛乳

Kさん わが家では牛乳は飲んでいないです。牛乳のために牛が何回も搾乳されていることも気になるし、牛のお乳は仔牛を育てるためのもの。乳離れした人間には必要ないんじゃないかなぁって思って。
Nさん 私はホルモン剤など気になる事はあるけど、牛乳を使うと美味しい料理もあるし…。ただ、買う時は低温殺菌にしています。
Oさん 私は好きじゃないので飲みませんが、主人は牛乳好き。子どもは家では飲まないけど、給食では飲んでいます。カルシウムは他の食品でも取れるので、牛乳から摂る必要はないと思っています。でも、牛乳を飲む人には、自然放牧、抗生剤やホルモン剤無投薬のものを選んでほしいな。
Yさん 以前は飲みませんでしたが、同居の牛乳愛好家のお義母さんが子どもたちを愛してくださる気持ちを受け止めようと、今は感謝して飲んでいます。
Tさん 第1子妊娠中は牛乳を飲むとお腹が痛くなり飲めませんでしたし、牛乳は不要とさえ感じていました。でも第1子の入園を機に、豆乳より牛乳が好きだし、飲めるし、産地や生産者、遺伝子組み換え飼料かなどを気にして選んで、嗜好品としてありがたくいただこうと考えるようになりました。
Sさん 私はたまにカフェオレを飲むくらい。子どもは便が緩むので幼稚園でも飲んでいないです。「日本人には牛乳は消化しにくく、カルシウムを吸収できていない」と読んだこともあって、メリットも感じられないし、それでいいかな。
Mさん たまにシチューで使う程度です。第1子は年長から飲むのをやめていますが、たまには家族で飲むこともあります。毎日飲む健康食品ではなく、し好品と思っています。
Aさん 昔は飲んでいましたが、食材や調味料に気を配るようになったら、牛乳を飲むと家族全員のお腹が緩くなるようになり、やめました。今はおかずをクリーミーにしたいときでも雑穀などを使っています。


幼稚園や学校では

Kさん 昔から牛乳を使っていない幼稚園で、給食に牛乳が出ないんです。
Sさん 牛乳、ヨーグルトはやめてもらっています。
Aさん 幼稚園には入園の時に乳糖不耐症であること、万が一飲んでしまっても命の危険はないことを理解してもらって、飲まないようにしてもらっているよ。
Hさん 担任にはお腹が痛くなるから、と伝えていますが、先生によって対応が違って、子どもに対して「飲んだほうがいいので学校では飲めるようになる練習をするよ」「みんなが飲んでいるのに一人だけ飲めないのはかわいそう」と言われたときは「学校で練習することではないし、体調が悪くなったら学習どころではない」と話しました。かわいそうかは本人が感じることなのになあ…
Mさん 私も言われました。前例がなかったようで証明を提出する前は、入学前に学校に2度呼ばれました。「飲めないのはかわいそう」「パンの時にお茶は合わない」などと平行線でつらかったです。乳糖不耐症※に理解のあるお医者さんが近くにいることを知り、証明をいただき、学校に提出することができました。

※乳糖不耐症とはーーー乳糖を分解するラクターゼという酵素は、赤ちゃんの時にはほとんどの人が充分な量を持っているが、年齢を重ねるごとに減っていく。牛乳を飲むとおなかがゴロゴロしたり、下痢をしたり…これはラクターゼが不足して乳糖を分解できないために起る症状。

もし選ぶなら・・・
より自然に近いノンホモ・パスチャライズドの牛乳を。

牛乳の生産行程について考えてみませんか?
牛乳は以下のような工程で生産されます。

搾乳→集乳→計量→冷却・貯乳→均質化(ホモジナイズ)→殺菌→充填→日付印刷→製品検査→出荷

多くの牛乳では生乳本来の風味や栄養素の維持よりも生産効率が優先されてしまい、結果として臭みがある、乳糖不耐症の症状が出やすいなどのデメリットが発生しています。
一般的なホモジナイズド・超高温瞬間殺菌の牛乳が1Lあたり200円前後であるのに対し、ノンホモ・パスチャライズドの牛乳は400〜800円ほどとかなり高価です。しかし、体への影響を考えたらやはり高くても質の良い商品を選びたいもの。

牛乳は嗜好品として少量楽しむのがおすすめ。
体質的に合う・合わないがあるということ、カロリーが高くお腹に溜まるので牛乳を飲みすぎることも要注意。その分ご飯が食べられなくなり栄養が偏ってしまうことも考えられます。

食品の質を左右するのはどれだけ自然に近いかどうか。
科学技術のなかった時代から食されていたものは、人の手が入っているとはいえ今よりははるかに自然に近かったはずです。肉だって、野菜だって、もちろん乳製品だって。そしてそれらの食品は長い歴史の中で私たちの命をつないできてくれました。もちろん、食文化により腸内細菌が形成されるので日本での歴史が浅い乳製品などは大量に食べることが良いと思いません。

乳牛の生育環境にも注目しよう。
もちろん、生産方法以外にも生育中に投与される抗生物質やホルモン剤、遺伝子組み換え飼料、牧草の放射能汚染についても対策している牛乳を選ぶのがベストです。ただ、「動物性はNG!」「乳製品はダメ!」と言うのではなく、飼料もふくめた生産プロセスにも注目したいと思います。
「どの食品を摂るか」ということと併せて「どんな風に生産されたか」にも注目して食材を選びたいものですね。

子育てコミュニティ toco toco
子育て世代のやってみたい、知りたい、学びたいことを、自ら企画・運営。誰かが講師、受講者という立場のない、一人一人が活躍する「学び合い会」を中心に、顔と顔を合わせて集う良さを生かした活動を展開中。

問い合わせ:facebook「子育てコミュニティtoco toco」

 


vol.182 かなでの沖縄だより vol.6


沖縄に来て1年
沖縄に来て1年が経とうとしてます。
学内演奏会でソロを歌わせてもらったり、沖縄慰霊の日の記念行事として行われたモーツァルトの「レクイエム」コンサートに参加させてもらったりと、この一年でたくさんのこと経験させていただきました。今は1年生最後のビックイベント、門下生で上演する オペラ『ヘンゼルとグレーテル』の稽古に頑張っています。

最近のことで
2月4日に名護市長選がありました。でも、那覇からは遠いところの出来事といった感じで、詳しいことは伝わってきませんでした。大学で話題になることもなく、毎日の講義や稽古に追われてきました。アルバイト先の奥さんとはいろいろと話すのですが、それ以外は沖縄の生活に慣れてしまって、何の違和感も感じられなくなっています。オスプレイも飛んでいると言われますが、気になりません。基地のことなど、沖縄に行ったらもっと身近に感じられるのかなぁと思っていたのですが、そんなことはありませんでした。沖縄に来てもうすぐ1年たつのですが、そんな自分を少し怖くなる時があります。奥さんも、沖縄にもいろいろな思いを持っている人が居るので、米軍基地の問題とかなかなか話しづらいと言われます。
でも、今年11月に予定されている知事選には私も投票する権利があります。その時にはしっかりと考えて投票したいと思っています。

沖縄の季節
夏はとても暑くて、内地にいてこんなに肌が痛くなることってあったかな?と思うくらいにすぐ真っ赤になってしまいます。はじめて沖縄の夏を体験して、自分が少し黒くなった気がします。3月に帰省した時、同級生から「真っ黒になって帰って来ると思った」と言われました。でも2年目は日焼け対策も大丈夫!沖縄の夏の海で、悔いを残さないよう遊びたいです!!!
沖縄には「秋」という季節はない気がします。10月くらいまでは半袖でも大丈夫なくらい。11月後半くらいから少しづつ寒くなって12月後半には一気に寒くなり沖縄の冬です。
風がとても強く、とても冷たいと感じます。15度をきったら本当に寒いです。沖縄でも、ダウンコートを着ている人もいればストーブや暖房を使う人もいます。こたつも使う人、います。もちろん、私は沖縄の1年目の冬には耐えられそうです。各務原の方が断然寒いので、凍えるまではいきませんでした。でも、「そんなこと言ってるのは今だけだよ」ってよく言われます。「体が沖縄の気候に慣れれば寒くなるよ!」って…。
内地の友達と話していても、「沖縄、暖かいんでしょ?いいな」とよく言われます。でも、沖縄は沖縄でとても寒いです。
それが、2月も終われば、また暑い暑い長い長い夏がやって来ると思うと、気がおかしくなりそうです。
少し、沖縄の気候について知っていたもらえたでしょうか?

この一年、『かなでの沖縄だより』を、沖縄に行ったことのある人にも行ったことのない人にも、少しでも沖縄について知ってもらえたらと思って書いてきました。これからも少しでもたくさんのことが伝えられるよう、書き続けていきたいと思います。


vol.182 熱中世代発 リバース12号

キチョウ(キタキチョウ)
Euremamandarina(冬を生きるチョウ)

昨年の暮れも迫ったある日、庭で枯れ草を掃除していた妻が大きな声で僕を呼びました。こんなに寒い季節にヘビはいないはずです。庭に飛び出してみると、小さな黄色いチョウがいました。掌の中で横たわったチョウは、息を吹きかけると、わずかに触角を少し動かすのです。彼女は不思議そうに「冬に蝶がいるなんて、生きているの?」と尋ねます。ミドリシジミは卵で、オオムラサキは幼虫で、アゲハチョウやモンシロチョウはさなぎで、チョウは種類によって、卵、幼虫、さなぎ、成虫と4通り方法で冬を越します。彼女が見つけたキタキチョウは、成虫で越冬します。庭の枯れ草の間で冬眠していたのを見つけられてしまったのです。このチョウは落ち葉のすき間に放してあげました。昨今、チョウが少なくなる中、このチョウはまだその数を減らしていません。幼虫がマメ科の植物の、しかも多様な種類を食草としているからです。食草のミヤギノハギやメドハギ、コマツナギ、ハリエンジュ、ネムノキは市街地の公園や堤防に植えられています。食草に多様性を持ったことがこのチョウが数を減らさない要因なのでしょう。岐阜市の柳ヶ瀬付近の公園でさえ見る事ができます。また、岐阜市や各務原の市街地でも普通に見られます。
冬の温かい日にチョウを見る事があるかもしれません。黄色いチョウなら、キチョウかもしれませんよ。

 

キチョウは、チョウ目・シロチョウ科の蝶で草原や畑、市街地などに普通に見られます。最近「キチョウ」とされていた種は、ミナミキチョウが南西諸島に分布と、キタキチョは本州~南西諸島に分布の2種に分けられることになりました。外見による見分けは出来ません。本種はキタキチョウです。

 

写真・三輪芳明(みわよしあき)プロフィール 1952年 関市生まれ。仲間と岐阜県では絶滅したと考えられていたコイ科の魚類ウシモツゴを発見、人工的な大量繁殖させ野生復帰に成功する。岐阜・美濃生態系研究会 二ホンミツバチ協会 日本チョウ類保全協会。

 

 

庄司 正昭 さん

Permaculture Design Lab

 

 

Permaculture Design Labの大きな活動の一つに、パーマカルチャーの手法でのフォレストガーデン(食べられるお庭)造りがある。
「『高木、中高木、低木、草本、地覆類、根菜類、蔓性類』が森の7階層になります。それを庭に作るんですが、そのほとんどが食べられたり使えるものなんです。そして、庭ができたから完成、ではなくて、そこからが暮しのスタートだと僕は思ってるんです。お子さんと一緒に植えた果物の苗や木に、一つでも花が咲いたら「花が咲いた!」と喜び、実がついたりした日にゃあ、収穫できるのが楽しみでしょうがない。食べ物が庭に実るって豊かですよね。そういうことをもっと多くの人に知ってもらいたいです」と庄司さんは語る。
昨年、庄司さんは4人の仲間と共に静岡県菊川市の中学校でパーマカルチャーの授業を行った。
「総合学習の時間を使って『学校をパーマカルチャーの視点でデザインする』というテーマで、動物を飼ったり、雨水を溜める場所、暑い夏に日陰を作って休む場所を作るとか、学校が楽しくなるためのデザインをみんなに作ってもらいました。子どもたちはパーマカルチャーを知る事によって視点が本当に変わったって言ってくれました。 ゴミではなく資源。耕作放棄地ではなくてそこも資源。それをパーマカルチャーではProblem is solution(プロブレム イズ ソリューション)って言うんですけど、問題は解決の糸口。そういう視点でいろんな物事を見てくれました。」

フォレストガーデンのイメージ
(Permaculture Design LabのH.P.より)

生徒全員が参加できる学校での授業、そこに取り入れられることには大きな意義がある。 SD(持続可能な開発のための教育)の研究指定校とはいえ、公立中学校が授業にパーマカルチャーを取り入れることはまだ珍しい。12月の発表会では、全国各地の先生が同校の取り組みを学んだ。これが機会となって、パーマカルチャーがどんどん広がっていったら、と庄司さんは願っている。
関市洞戸に移住して8年、地中の空気と水を動かす「大地の再生」、暮らしのある庭「パーマカルチャーガーデン」造りなどの仕事や岐阜森林文化アカデミーの講師、自然農での米作りやしょうゆ造り…庄司さんの周りにはいつも自然と仲間が共にいる。
「僕たちは自然界から「ギフト」をもらって生きています。タネをまけば実がなるし、空気があるのもそう。なのに今、社会は自然を壊す方向へと向かっています。ギフトをくれている自然界、じゃあ僕らはその自然界のために何ができるのか、みんなで考えたいですね。」

 

しょうじ まさあき/Permaculture Design Lab、もりにわくらし代表/パーマカルチャーデザイナー、ネイチャーインタープリター
1970年宮城県生まれ 。 システムエンジニアとして働きながら、登山やキャンプなど自然の中で遊ぶことにに目覚める。 2000年にネイチャーガイドの勉強を始め、日本が誇る里山の素晴らしさと大切さを知り、昔ながらの日本文化(暮らし方)を守り繋ぐこと が必要と感じる。未来につながる暮らし方のデザインとして、パーマカルチャーに出会う。現在、築100年の古民家を借り、畑、田んぼ、コミュニティ作りなど、暮らしを楽しみ ながら、庭師、大地の再生(通気水脈改善)の他、子どもキャンプ、パーマカルチャーキャンプなど自然や暮らしを伝える活動も 行っている。           (関市洞戸在住)

 


vol.182 ボーダーレス社会をめざして vol.41

NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子

 

一人暮らしって危険

障がいのある息子が一人暮らしの練習をし始めたのは、27年4月からで、もうすぐ3年になろうとしています。

1年程前の話です。アパートにいる息子から夜9時頃に電話がかかってきました。電話はめったにかけてこないので何だろうと思い取ると、「竹下さんがみえました。キャッシュカードがいります」と言います。「はっ?誰その人?キャッシュカード?」訳がわかりません。やられた!!キャッシュカードは持ってないはずなので、サインをしてしまったか・・・。血が引いていきました。雨の中、急いで車でアパートに駆け付けました。名刺がちゃんと置いてあり、その人にお金を払ったと言います。よくよく見るとNHKでした。すぐその名刺に書かれている会社に電話をすると、NHKから委託され集金している会社だというのですが、なんか怪しく、「どうしてキャッシュカードなんていう訳?お宅は変な会社じゃない?これから警察に電話するけど。」と言うと「今はキャッシュカードで手続きができるので、担当者がそう言ったのだと思う」と言い訳をしていました。支払ったのは受信料の1ヶ月分で少ない金額だったので一安心しましたが、知らない人でも簡単にドアを開け、話し、簡単にお金を払ってしまうという事が判明しました。それにアパートに駆け付けた時には、玄関に鍵がかかっていませんでした。「どうして鍵がかけてないの!ハンコ押してない?自分の会社の名前言ってない?」など矢継ぎ早に質問をし、少々私の方がパニックになりました。この部屋の主は、障がい者だ。簡単に騙せると知ったら、息子が勤務している会社に行ってお金をたかることも考えられます。「知ってる人以外は、絶対に扉は開けないこと」と約束しましたが、果たしてどうなることやら???

ひとつ勉強をしましたが、一人で暮らすということはかなりのリスクを伴うのだと実感しました。これから本人がいろいろ経験して、体で覚えていく以外方法はないのでしょう。と思っていましたら、一人暮らしを希望する障がい者に支援をする公的なサービスが、この4月から始まることになったのです。「自立生活援助」というものです。これは障がい者支援施設やグループホーム等を利用していた障がい者が対象で、息子のような人は対象外になってしまうのですが、大きな一歩です。定期的に障がいのある人のお宅を訪問し、食事・洗濯・掃除などに課題はないか、公共料金や家賃に滞納はないか、体調に変化はないか、地域住民との関係はいいか?など必要な助言や医療機関との連絡をするというものです。このようなサービスが増えていくと一般の人と同様に、障がいのある人も一人暮らしを希望する人が多くなっていくのでは?と期待をしています。間違いなく、障がい福祉の世界は、明るい未来に向い進んでいます。

 

 

 


vol.182 人生これから えんぴつ・カフェ

人生これから
エンディングというと、「わたしにはまだ早いわ」、「ぼちぼち考えるわ」、「親に書いてもらうわ」とさまざまな反応が返ってきます。人生のエンディングは誰もが迎える、ということはわかっていても、準備をするときを決めかねてしまう・・・エンディングという言葉に抵抗を感じる人も多いですね。だから、私たちは、ライフデザインノート「ゼロの昇天」。いま、これから、どう生きるかが大事。だって、人生これから!ですから。(^o^)

第3回えんぴつ・カフェ開催
と き:2018年3月16日(金)
じかん:9:30-11:30
ところ:各務原市産業文化センター 2階 第一会議室
各務原市那加桜町2丁目186  電話: 058-371-2846
参加費1,000円(資料代700円
(コーヒーOR紅茶&お菓子付き、「ゼロの昇天」ご持参の方は500円)
書き直したり、気持ちが変わったりするのを見越してえんぴつで。。ひさびさに、学生になった気分で!あーだこーだとおしゃべりしながら、らくがき感覚で描き込んでみませんか?

 

          参加者の感想
第1回 えんぴつ・カフェ 2018年1月17日(水)

第1回の「えんぴつ・カフェ」

・ノートを購入したことがひとつステップをクリアしたと思ってしまい、実は開いてないんです。(笑)
・連れ合いに、そろそろ書いといてよ、と言われていた。でも、どこをどう書けばいいのか、検討もつかない…
・わたしは終活中なんです。大病をして、漠然としていた死が身近になった。これからどう生きていくかがとても大切に思う。
・助産師として仕事をしています。生まれる現場にも死は隣りあわせと感じています。
・孤独のすすめ(五木寛之)を読んで、死に向かって生きているんだなと思った。過去の思い出にひたって、奮い立たせることもある。思い出も大事。
・在宅で看取った。生きるってどういうことか考え込んだ。ノートを生かす方法を考えたい。
・子育て真っ最中のときに、義理の父母が認知になったのでほんと大変です。母を亡くしたとき、家族葬で母の生い立ちを知ることができた。このノートははじめの一歩として活用したい。
・子どもに接する仕事をしています。自分自身をちゃんと振り返りができるようになりたい。
● 整理整頓 衣服、写真、年賀状や手紙、資料、本・・・書き出して、シェア。全員が気になっている物を「整理するぞ!宣言」をして終了しました。

第2回 えんぴつ・カフェ 2018年2月9日(金)
● やりたいことをリストアップ。5分間で書き出すワークでは、参加者の数だけ項目が出てきて、その人の人生観も浮き彫りになりました。
・自分を見つめ直すいい機会になった。

・みなさんの積極的な生き方が刺激になった。などの意見がありました。

 

定価700円

問い合わせ:「ゼロの昇天」編集委員まで

田辺 090-5638-7044 三上 090-7854-4561


vol.182 ホスピスナース奮戦記 vol.7

ある日突然・・・

この日は、70代の女性を訪問した。夜10時を過ぎていたが、患者さんの夫と息子さんが疲れた、でも優しい笑顔で出迎えてくれた。様子をうかがうと、患者さんはその日の朝まではどうにか一人で歩いてトイレにもいっていたし、会話もできたようだった。少しではあるが、お茶を飲んだり食べ物も口にしていたようだった。それが夕方から容態が変わり、訪問したときは意識も朦朧としてとても一人では動けなかった。リクライニングチェアに座ったまま、体にはまったく力が入らない。なんと昼前から夜の10時までこの状態だと言う。この患者さんの今しか知らない自分にとっては、おそらく死期が近づいているのだろうということが一番に考えられた。それ以外に何か容態を急変させた要因があるか考えるが、患者さんとの意思疎通もままならずとても難しい。患者さんの夫は、患者さんが最後にいつ飲み物を口にしたか、いつトイレで用を済ませたのかもわからないようだった。とにかく夫と息子二人でどうしたらいいかわからないまま途方に暮れているようだった。そして急な変化にとまどっていた。今まですべて身の回りのことも自分でしていた患者さん。まさかこんな急に変化がくるとは思ってもみなかったと言った。ベッドも医療用ベッドでなく、少し体の重い患者さんは家族にとって負担が大きい。まず、ベッドの真ん中にもう一枚シーツを敷き患者さんを椅子からベッドへ移した。正直かなりしんどかった。息子さんにアシストを頼んでやっとベッドの真ん中へ楽な姿勢で休めるように移動させた。案の定おしりは真っ赤。すでに小さな褥瘡ができていた。ご本人は痛みで苦しい様子はなかったが、肌はみるからに痛々しかった。長時間同じ姿勢でずっと座っていたせいで、足もパンパンにむくんでいた。朦朧とする意識の中、バイタルをとって、いくつか質問をすると、かろうじてトイレに行きたいけど出ないということがわかった。おそらく12時間以上は尿は出ていないようだった。この容態で尿道カテーテルを入れるか、ものすごく迷ったが、患者さんが膀胱を抑えると痛いと言ったので、入れることにした。それから、念のためもう一枚タオルをおしりの下に敷いた。この日まで必要なかったため、おむつも、パッドも、そういった類のものは何も家になかった。患者さんの夫は、始め少し躊躇したが、清拭と体位交換のやりかたを一生懸命覚えようとした。息子さんは、お母さんのお下の世話はできないと、部屋の外にいたが、体位交換はお父さんと二人でやってみると言った。二人を見ていて、彼らが今抱いている不安が手に取ってわかるようだった。初めてが急にいっぺんにやってきたのだから無理もない。
帰る前に患者さんの夫と息子さんに、必要な時の症状緩和のための薬の使い方も説明した。それから、正直今回はとても難しいと思ったが、死期が近づいているようだということと、それにともなって見られる症状も説明した。患者さんの夫は少し涙ぐんでいた。
もしかしたら、この患者さんはもう二度と、しゃべることはできないかもしれない。最後に家族と交わした言葉は、なんだったろう。。。もしかしたら、この患者さんはもう二度と夫や息子の顔をみつめることはできないかもしれない。最後に家族の顔をみつめたのは、いつだろう。。。もしかしたら、この患者さんはもう二度と家族の手をにぎりしめることはできないかもしれない。最後に家族の手を握ったのは、いつだろう。。。
次の日に記録を読むと、患者さんは明け方に亡くなった。妻として母として家族には世話をさせまいと決めていたのだろうか。それとも、どんな容態であっても妻として母として、家族ともう少し同じ時間を共有したかっただろうか。どちらにしろ彼女の身体はとても早く変化し、最期を迎えた。夫にとっても、息子さんにとっても、私が帰った後あの一晩が有意義な時間であったといい。それが、このまだまだなホスピス看護師の私にとっての唯一の救いだ。
そして、今回もまた、家族と過ごす当たり前の時間が、本当はとてつもなく大切なものだと気づかされた。
禅の言葉、「一期一会」を思い出す。今日の出会いはただ一度きり、毎日顔を合わせる家族であっても友達であっても、その出会いというのは、二度と同じ時間をもつことはできない人生で一度きりの大切な時間。(ふっと心がかるくなる禅の言葉 永井政之監修 より)この言葉、前より深く心に刻もうと思う。

わかばま〜く:プロフィール 1982年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。


vol.182 ぎむきょーるーむ 続・10代の食生活これでいいのォ?

日本消費者連盟代表運営委員・富山洋子さんに聞く

いつまでも“ふっくら”コンビニおにぎり

食べやすくて、携帯食として人気のあるコンビニおにぎり。しかし、このおにぎりには予想以上に添加物がたくさん!半日以上立ってもふっくら柔らかく、のりも包装からするりと抜け、パリッとした歯ごたえ。まさに添加物のはたらきなのです。

表示だけではわからない

表示は使用量の多い順に書かれています。「塩飯」「ツナマヨネーズ」「海苔」のように、すでに調理済み・加工済みの材料についてはその名称のみでよく、それに使った調味料などの添加物を表示する義務がないので、そこに含まれるぶんを合わせるとかなりな量の添加物が使われていると推測されます。
さらに「一括表示」として同じ目的に使用されている添加物はまとめて「ph調整剤」などと表示すればいいことになっています。表示の最後に「原材料に小麦、大豆を含む」とありますが、この大豆は、輸入されたもので遺伝子組み換えのものを使っている可能性が大きい。

長持ちサンドイッチのナゾ

賞味期限は、おにぎりは26時間。サンドイッチは29時間となっています。柔らかいパンは水分を吸ってビチャビチャになりやすく、ハムやキュウリは変質したり腐ったりしやすいもの。それなのにおにぎりより長持ちするなんてよほど無理をさせているということでしょう。

ファミレス・ファストフード

これら外食産業の多くが輸入食品。このところ話題となっている中国産の野菜のように、日本では許可されていない添加物が使用されていることもあり、その安全性が問題になっています。また、日本ではジャガイモの芽止め以外に使用が禁止されている放射線照射食品も入りこむことがあります。安全性にかなり問題ありです。

「有機」「地場産」って・・・・・・

さて、メニューに『有機野菜』と書いてあるものは安心だと思う人もいるでしょう。有機野菜とは、栽培期間だけでなく、種まきや苗の植え付けをする2〜3年以上前から化学肥料や農薬を使っていない土地で栽培された農産物を指します。そして「有機(オーガニック)という表示は、農林水産大臣から認可を受けた第三者認証機関が生産工程を検査して、厳しい企画に合格した農産物だけに認められ、「有機JISマーク」をつけることができるものなのです。
「特別栽培農産物」というのもあって、農薬や化学肥料をまったく使わない、あるいは、ふつうの栽培法より農薬の使用回数や化学肥料の使用量が半分以下の夫野を言います(かつては「減農薬」「無農薬」という表示もありましたが、現在はそういう表示をしてはいけないことになっています)でも、調理されたものには原材料名や添加物を表示する義務は法律的にもないので、不確かになりがちです。
また、サラダなどのカットされた生野菜は消毒液につけているかもしれないので、野菜だからといって身体にいいかどうか不安です。もう一つ、「産直野菜」「自社農園」「地場産」「契約農家直送」。どこから来たって「産地直送」。本当かどうか私たちには確かめようがありません。こうした言葉にだまされてしまうのは、食べ物の物語を知らないから。それがどのような風土で、誰の手によって育てられたものかについて、私たちがあまりにも無関心だからなのでしょうね。

 

食べ方を押しつけられて
そもそもジャンクフードってなんでしょう?添加物がいっぱいのもの?ファストフード?ジャンクフードか否かは、食べることの関係性の中で位置づけられるとわたしは思います。食べ物はきわめて「個」にかかわってきます。と同時に社会のあり方に深くかかわっています。たとえば放射線照射食品は、肉や野菜を腐らせずに戦地に運ぶために軍事用に開発されたもの。学校給食も一般的になったのは戦時中で、銃後を守る小国民を養うためのものでした。戦場ではまさに食べ物は兵力を養う大切なもの。軍隊がまず現地でしたことは、食べ物の略奪です。そこに暮らしていた人たちのいのちや家や畑を踏み荒らし奪い取った食べ物を食べ、生き延びた兵隊さんたち。彼らが口にしたものは添加物にまみれていない、人々の命の糧となる生きもの、丹精込めて育てたものでしたが、それらは、いまでいうジャンクフードよりつらい食べものだったに違いありません。このように、戦場でも現在の食卓でも、奪い取ることをふくめて、個人が望んでいないのに、社会や国から食べ方を押しつけられることがいちばん問題だと思います。押しつけられて食べざるを得ない、それがいうならジャンクフードの本質だと、わたしはとらえています。(富山洋子)

 

C O L U M N

添加物の魔力をどうする?

情報過多の時代ですが、食べ物の選び方・食べ方を変えられない、変えようとしない。みんな、「わかっているけどやめられない」のはなぜか。それは添加物のメリットがあまりにも大きすぎるからです。添加物のメリットは「安い」「(調理の手間がかからず)簡単」「(24時間いつでも買えて)便利」「(見た目が)きれい」「おいしい(味にしたてることができる)」という5つに集約できます。
「知らなかった」という方もいらっしゃるかもしれませんが、裏側の表示を見れば全部書いてあります。うすうす気づいているのに、確かめようとせず、そういう食べ物を子どもに食べさせ続けるのか。それは、多少の犠牲を払っても、目先の5つのメリットを得たいからでしょう。結局、人は楽ということが好きなんです。でも、子どもの健康を犠牲にしてまでも、添加物によって得られるメリットがほんとうにいいのかどうか。「安いし簡単だし、おいしいからまぁいいや」では、もはや価値観の崩壊でしかない。崩壊した価値観のもとで育てられた子どもの心と体は、いったいどうなるのでしょう。

子どものときから食べ慣れた” つくられた”味

子どもたちが添加物がつくりだすおいしさの虜になるのは、なにも小学生、中学生になってからではありません。じつは、カップラーメン、スナック食品などの”ジャンクテイスト好き”になる下地は、乳幼児のころから家庭の食卓でつくられています。
一般的に体にはあまりよくないと思われているカップラーメン・スナック類と、いまやどの家庭でもあたりまえに使っているだしの素、スープの素、調理用タレなどとは、添加物の基本構造が同じ。食品裏の表示をみればすぐにわかりますが、共通するのは、「食塩」「化学調味料(アミノ酸)」「たんぱく加水分解物」・・・・これが加工食品の「黄金トリオ」、うまみのベースです。この黄金トリオの配合比率をさまざまに変え、そこに香料やエキスを混ぜることにより、どんな味もつくりだすことができる。こうした手軽に使える”○○の素”の味をわが家の味として、乳幼児のころから教え込んでいるのだから、やがてスナックやカップラーメンに出会ったときに、慣れ親しんだ味と同じものをそこに見いだし、やめられなくなるのです。

(安部司) 食品ジャーナリスト。食品業界の裏側を公開する『食品の裏側—みんな大好きな食品添加物』(東洋経済新報社)を出版し大きな反響を呼ぶ。

晴れときどき、ジャンクフード

自分の食べ物の芯をどこにもつか

エッセイスト  山本ふみこ

お楽しみ路線でいこう
ジャンクフード、ファストフード。それぞれの家の食の番人たち(多くは母親)は、かなりその安全、味覚への影響を心配している。食べる一方の立場にある人たち(多くは若者)にしても、ジャンクフードに味覚をひっぱられ、ファストフードに舌をならされていくことを、潔しとしていない。ほどほどにしないとなあ、とか。でも、しかたない面もあるんだよなあ、とか。
問題はどうやって、日本の食べ物(食べ方)、昔の味をとりもどすか。
ゆっくりがいいんじゃないかと、思う。

勘と眼力を鍛えて
おやつには、芋や野菜、くだもの、乾物類、餅、ご飯を使ったものを食べるのが好きだ。それにご飯と味噌汁中心のごはん。だけど、たまには、ジャンクフードによろめき、ファストフードに遊ぶ。
大事なのは、それぞれ自分の食べ物の芯をどこにもつか決めること。勘とか眼力を鍛えて、食品を選ぶこと。
いま、自分が考える理想の芯と、食生活がずれすぎているな、という人だって、ゆっくり理想に近づけばいい。てくてく歩く速度で、無理しないで。
てくてく歩きのあいだに、理想のおやつ、理想のごはんを、むずかしく考えていたことに気づくはずだ、自分の描く理想って、素朴ってことか?という具合に。もしかしたら、食べすぎていたことにも、気づくかもしれない。
事を急ぐと、頭でっかちになり、おやつとごはんを簡単にやさしくこしらえる面白さを味わえなくなる。たまには、どうしたって世話になる、コンビニやファストフードの位置づけが見えなくなる。

やまもと・ふみこ
1958年生まれ。エッセイスト、作家、著書に『わたしの葬儀』(晶文社)『人づきあい学習帖』(オレンジページ)『台所あいうえお』(バジリコ)『子どもと一緒に家のこと。』(ポプラ社)『家族のさじかげん』(家の光協会)など多数。

 

 

 

 

 

 


vol.182 半農半Xという生き方 vol.23

田も作り、詩も作ろう

「詩を作るより、田を作れ」。実利を優先したほうがいいことをすすめることわざです。なるほどと思いつつ、でも、何かしっくりこないところもあります。ある日、異なる3つのパターンが私の中に生まれました。 ① 「田を作るより、詩を作れ」。魂の表現も大事だとする芸術家的な考え方です。 ② 「詩も田も作るな」。これは詩は詩人に、田は農業のプロに任せたほうがいいというもの。きわめて現代的といえるかもしれません。 ③ 「詩も作ろう、田も作ろう」。1か0のどっちかではなく、やりたいなら、両方やってみたらというもの。私はこれこそ21世紀的だと思っています。この話を山梨県での講演の際、話してみたら、ある方がアンケートに「山梨にそんな町があります」と教えてくださいました。いまは笛吹市という市名となっていますが、合併前の旧八代町には、「田も作り、詩も作ろう」という標語の看板がいまも町に立っているようです。詩は詩作のみならず、短歌でも写真でも陶芸でもいい。土に触れつつ、みんなアーティストのまちをめざせたらすてきですね。

夢公開

いつも書かせていただいているこのミニエッセイですが、新しい2018年の最初の今回は筆者が「僕が住む綾部がこんなまちになったらいいなと思っていること、実現してみたい夢」を5つ書いてみます。 ① 綾部は世界平和をめざす人工言語「エスペラント語」を国内に広めたまちなので、エスペラント語のメニューを置くカフェなどが20店舗ほど生まれたら!② グンゼのTシャツを活かしたアート展がおこなえたら!③ 合気道の発祥地として、合気道をやっている若い世代の移住が増えれば!④全国の高校生によるアイデア選手権「平和甲子園」を実現できたら!⑤ これは個人的な夢ですが、百名山の1つ、南アルプスの塩見岳に登れたら!
いかがだったでしょうか?現在の綾部の人口は3万数千人で人口減少中ですが、市民みんなが夢を公開し合い、応援し合い、実現し合っていけば、新しい風がきっと吹き始めると思うのです。チャレンジのあるまちに若者は魅かれるそうです。

塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は翻訳されて、台湾、中国、韓国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。

※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景と する。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、 半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。


vol.182 菌ちゃん野菜応援団 第3話

3回目にしてタイトルに言及してみます。

 みなさん、菌ちゃんの「菌」ってなんだかわかりますか??
そう!今や日本中で厄介者扱いされているあの「微生物」のことですよ!
抗菌滅菌殺菌。どこに行っても菌は完全に悪者。一匹の菌も見逃さないぞー!なんてCM もたくさんありますね。でも、菌ってそんなに悪いのかなぁ??

だってね、3歳までにいかに泥んこ遊びをたくさんしたかで身体の丈夫さは決まる!なんて研究結果もあるくらいなんですよ。地球が生まれて45億年。この世界でいちばん早く生命活動を始めたのは。。。。微生物なんですよ!みんな知ってた??
私たちの身体も内臓も実は全て微生物だらけ!!消化も代謝も免役も。身体の活動の至るところで菌ちゃんは活躍しているんです。私たちは菌から離れては生きていけないんですよねぇ。この微生物といかに仲良くなれるか?が元気の秘訣といっても過言ではないんですよー!!!ってことで我らが菌ちゃん野菜応援団。今回はたくあん漬けです。
 夏の暑い日に種まきをし、汗を流しながら間引きをし、冬の雪が降るなか凍えながら力を込めて抜いて一本一本水で手洗いをし軒下に干す。
材料は大根、米ぬか、塩だけ。あとは時間と菌ちゃんの働きを待ちます。
時をためる暮らしが豊かだ、という映画もありましたね。
私たちはゆっくりゆっくり時をためて暮らしていくことをいとおしんでいます。抗菌より加菌。そんな生活も楽しいんですよー。加菌生活万歳!!!

 


vol.182 未来に続く暮らしの学び Part-24

アボリジニの人から教わったこと。

「エスノオーケストラ」の団体を通じて、先住民である一人の女性と知り合いました。
彼女はこの土地出身で、私たちと同じ世代です。彼女は、部族の中では戦士に値すると同時に、場を保つ役割も担っています。それぞれの部族の中で、受け継いでいく役割が決まっているのだそうです。彼女は自分の役割を理解し、それを受け継いでいくために自身が学ぶべきことを学んでいます。それは訓練なのだと言います。
3週間ほど私たちと生活を共にしてくれたことで、たくさんの気づきがありました。その一つ、精霊について。土地や川や木々には、それぞれ精霊が宿っていて、それぞれの意識、存在を尊敬しながら接していること。目に見えない存在とのコネクションが強い人たちなんだと感じました。もともとアボリジニの人たちは目に見えない存在とコネクトすること、それらの存在とかかわることをとても自然であたりまえのこと、と言います。

この土地の“気”を美しく保つには、浄化の煙をたくこと、そしてその後、どういった“気”を自分たちが保ちたいかを明らかにして、そのつど浄化していくことが大切だと教わりました。特別な能力が必要なのではなく、そういった態度、姿勢をもって接することが必要だと。
ものにあふれた生活のなかで、「見えない存在を、常に感じながら生活できているか」と聞かれると、こころもとないのですが、彼女は、「ただ時に意識を傾けて、見えないものを感じ取る時間を持ってみるといい」と教えてくれました。
 もう一つ、自分たちの祖先とつながること。自分たちはどこから来て、自分は何者なのか。それを明確にすることも大事なことだと言います。
自分たちの伝統的な文化とはなにか、まずはそれを知ること。エスノオーケストラで出会った人をとおして、それを学び合うことが必要だと感じています。伝統文化の交流です。自分がいる土地で、もともとのその土地の人たちの生活や生きる知恵。それを直接に教えてもらえるというのはとても貴重なこと。それは、部族の習わしに限らず、モノづくりの技術や、農作業ににもあてはまると思います。
まだその文化、伝統が生きていることに感謝し、それを学び、生活の中に取り入れていけるといいなと思います。

暮らしを学び、実践し、持続可能な生活に結びつけていくこと。それを心にとめて生活していこうと再認識した体験でした。yao


vol.182 夢か悪夢かリニアが通る vol.11


掘削前夜、変わる風景

リニア中央新幹線を巡る談合事件の捜査が東京地検特捜部により行われています。日本を代表する大手ゼネコン4社がトンネルや駅などの建設工事を受注調整して分け合ったとされるこの事件の根底にあるのは、建設の必要性をあいまいにしたまま9兆円という巨費を投じてしゃにむに突き進むリニア事業のゆがんだ姿です。沿線の住民が作る団体「リニア新幹線沿線住民ネットワーク」は昨年末、「独禁法違反という犯罪性の強い工事を続行することは決して認められない。JR東海はリニアの工事をいったん中止すべきだ」という声明を出しました。が、きょうも工事は続いています。             ジャーナリスト・井澤宏明

 

空中に巨大コンベヤー
岐阜県内初のリニア工事が一昨年末に始まった瑞浪市日吉町を1月末、久々に訪ねました。「そろそろ掘削工事が始まるらしい」と住民から連絡をいただいたからです。
品川―名古屋間286キロのうち86%がトンネルのリニア。工事中はトンネルの掘削口となり、完成後は緊急時の避難口となる「非常口」が地上数キロ置きにつくられます。
日吉町の南垣外地区にも1か所が予定されています。非常口から約400メートルの長さの斜坑を掘り、そこからリニア本線となる日吉トンネル(7.4キロ)を東西に掘り進めます。着工から1年をかけて非常口工事現場や残土置き場の整備が行われてきました。

生活道路や農地を横切り、建設された巨大コンベヤー

低い山々に囲まれた緩やかな谷間に広がる南垣外地区。その風景はしばらく見ぬ間に一変していました。高さ約20メートル、ジェットコースターのような巨大なベルトコンベヤーが生活道路を横切り、空を切り裂くように見下ろしています。
コンベヤーは非常口予定地から残土置き場まで約2キロも続き、谷全体がすっぽりと工場の内部か採石場になってしまったかのよう。人家の軒先から10メートルも離れていないところもあり、「これが動き始めたら住民は堪らないな」と重苦しい気持ちになります。
まだ掘削が始まっていないのにもかかわらず、辻々には交通誘導員が立っています。タンクローリーなどと出くわすたび、わずかに道幅が広くなった所で待たなければなりません。脱輪しそうな狭い道をバックさせられることも。
コンベヤーは、非常口から掘り出した残土約130万立方メートルの8割強を、耕作放棄地に整備した置き場に運び上げます。JR東海によると、掘削は今年度内を目途に始め、3年間続きます。当初、残土はダンプで運ぶ計画でしたが、工事車両の通行が1日最大460台という想定に住民が強い不安を訴えた結果、コンベヤーを使うことで車両を160台まで減らすことになりました。

消えたコジュケイ
南垣外地区では、リニア建設に伴う人家の立ち退きなどがないこともあって、工事に強く反対する声は上がってきませんでした。沿線各地で難航している残土の置き場が近くに確保出来たことも着工を早める一因となりました。自治会のメンバーは、建設中の生活への影響を少しでも減らそうと、JR東海や工事を請け負う清水建設などと話し合い、歩道設置などを実現してきました。
それでも、穏やかだった農村の環境が変わることは避けられません。
「(工事のない)日曜日が待ち遠しい」。非常口予定地の近くに住む女性はつぶやきます。リニア工事が始まり、車両や重機の音、樹木伐採の音などさまざまな雑音が耳に入るようになりましたが、「ノイローゼになっちゃうで、気にしないようにしてる」といいます。

人家に迫るコンベヤー。住民の暮らしは守られるのだろうか

庭先に来ていたコジュケイのつがいが姿を見せなくなり、これまでは田んぼのあぜ道までしか出てこなかったキジが庭に現れるようになりました。工事により、すみかを追われたようです。「今年はウグイスが鳴くだろうか」。こんなことを心配しなければならなくなりました。

目に見える変化だけではありません。掘削が始まれば、この連載でも触れたように、この地域では、ウランを掘り出す可能性があります。放射線を出し肺がんを引き起こすラドンが空中に放出される危険性と隣り合わせの工事です。
住民の男性に掘削直前の心情を問うと、「丁寧な仕事をやってほしいだけです」と言葉を絞り出しました。


vol.182 プレゼントコーナー

PRESENTS 182号

読者アンケート
1- あなたの
「実現したいことBest5」教えて!
5つも思い浮かばない?いえいえ、きっとあるはず。絶対やる!でもなんとなくやりたいな、でもOK!
2- 気になるにらめっこ紙面での広告
3- 気に入った記事、気に入らない記事のタ   イトル1つ・その理由もお書きください。
4- ご希望のプレゼント名
(第1希望・第2希望)
5- 本紙をどこで入手されましたか?
6- 氏名、年齢、住所、郵便番号、電話番号、 家族構成

 

プレゼントご希望の方は
ハガキまたはe-mailで、上記のアンケートを
1〜6までご記入の上、編集部・プレゼント係りまでお送りください。
〆切:3月26日 当日消印有効。
Cはにらめっこ編集室に受け取りに来ていただける方。
宛先
〒504-0855 各務原市蘇原新栄町2-25
e-mail: info@niramekko.com
※お寄せいただいた個人情報は、本紙プレゼントの発送に限り、 使用させていただきます。

 

A.JAZZe!ライブチケット

アートギャラリー是様より…2名様

サックス、ピアノ、ベースとそれぞれの楽器が自己主張しながらもハーモニーを奏でていく…ジャズの究極はアドリブ演奏。三輪トリオは卓越したプレーヤー3人が、是という空間を気ままにしかも確実に音の世界へ私たちを誘います。Live 5月19日(土)19:00〜

 

B.クリアファイル&ランチクロスのセット

にらめっこより…1名様

今号特集の漫画家・魚戸おさむさんの取材に伺ったおり、編集長がいただいてきた素敵な品を読者にプレゼント!
おみそ汁の作り方がついたクリアファイル、おいしそうなお弁当のイラストつきのランチクロス(52cm×52cm)。魚戸先生のイラストがなんとも温かです。

 

C.写真集『奥飛騨に響く種蔵の里』

加藤麻美様より…2名様

四季折々の写真が瑞々しく、そして懐かしい。何もない田舎にだからこそ、大切なものが今も残されている。そんな気持ちにさせてくれる写真集です。にらめっこ編集室でお受け取りください。

 

D.シネックス映画招待券

シネックス様より…ペア3組様

涙が出る程お腹を抱えて笑っちゃう!そんなひと時を過ごしたら、日々の細かな不安や心配事も、なんとかなるさと思えるかも。大きなスクリーンで鑑賞すれば、より映画の世界に入り込めますね。写真は「嘘八百」より。(招待券はシネックスマーゴではご使用なれません)


vol.181 平和特集Part-1 平和とは暮らしそのもの

平和とは暮らしそのもの

映画「カンタ!ティモール」から平和を考える
監督:広田奈津子さんに聞く

カンタ!ティモール・監督:広瀬 奈津子さん(中央)助監督/音楽:小向 定さん(右)長男 のはら君(3歳・左)

その暮らしを脅かすもの・・・
開発という名の自然破壊
私が生まれた年に近くの田んぼにコウノトリがいたのですが、目撃されたのはそれが最後だったそうです。10歳の頃、タヌキなどの小動物がいっぱい住んでいた雑木林がブルドーザーで更地にされてしまった。タヌキの巣穴がありそうな藪を見て子どもごころにも「子育てしてるんだなー」って思ってた矢先のことでした。命がなかったことのように扱われ、何を軸にして生きていけばいいんだろうと思ったんです。すごくショックで、そのことが私の中で解決しないまま、高校を卒業。その頃にインディアンの教えの本に出会うんですね。それが第二の衝撃でした。本の名前は『父は空、母は大地』(パロル舎/現在絶版)。美しい絵に惹かれてちょっと開いたら、そのまま涙が止まらなくなって。本にはこうありました。「ワシントンの大首長が 土地を買いたいといってきた。どうしたら 空が買えるというのだろう?そして 大地を。」「大地は わたしたちに属しているのではない。わたしたちが 大地に属しているのだ。」(一部抜粋)これは、アメリカの第14代大統領フランクリン・ピアスがインディアンたちの土地を買収し居留地をあたえると申し出たときに、インディアンのシアトル酋長が、大統領にに宛てた手紙が元になっています。大地を母として大切にする人たちがいることを知り、嬉しくて居ても立ってもいられなくなりました。
それからカナダに行く機会ができ、いろんな先住民部族が集まるお祭りに立ち会いました。そこでおじいさんが「我々だけじゃないよ、大地を母と呼ぶ人たちは、世界中にいるんだ」ということを教えてくれた。そして「日本ももともとは家族だったんだよ、その視点で旅をしなさい」と言うアドバイスをいただき、大学4年間に縁の出来た場所を訪ねて行ったんです。

戦争の裏側にあるもの
各地を1人で旅する中で、東ティモールが国家を作ると聞いて興味を持ちました。調べてみると、東ティモールという小さな国が大きなインドネシア軍に軍事支配されたこと、日本がインドネシア軍に加担し続けていたことがわかりました。全然知らなかった。衝撃でした。
インドネシア軍は東ティモールへ武力で攻め入るのですが、国連はそれを認めず、いくつもの国が軍の行為を非難してインドネシアへの資金援助を断ちました。そんな中、日本はその埋め合わせをするかのように援助額を増やし、軍撤退を求める国連決議には反対票を投じ続けたのです。その間、東ティモールでは恐怖政治が24年続き、国民の三人に一人が命を落とした。その背景にはティモール沖の大きな油田開発があり、資源に頼る私たちの暮らしがあったのだと思います。

国家って何だろう
東ティモールの人々は壮絶な独立運動をして軍を追い払い、国家を作りました。でも、ティモールを旅するうち、それは必ずしも国家を作るための闘いではなかったのだとわかりました。彼らは正式なあいさつをするとき、自分の名を名乗った後、父方の姓、母方の姓を名乗り、さらに、自分の山の名前を名乗るんですね。その山から水をいただき、その山は魂が帰るところ。とても大事なんです。わたしは自分の山の名前がわからなくて叱られました。
日本に帰って調べたら、家の井戸水は近くの東谷山からで、水道水は愛知用水、木曽山系の山から来ていることがわかり、それぞれの山の上の神社にお参りに行きました。日本国家の一員であるずっと前に、この山の麓に住む者として支えられていたんですね。大地があり、森があり水があり、それがなければ1日も暮らせない。インドネシア軍は、軍に寝返るか、さもなくば殺すと人々に迫った。でも人々はどうしても土地を離れない。軍が撤退するまで24年間、頑なに軍のやり方を拒んだのです。そこに先祖が眠りその山を代々守ってきてその山に守られてきて。そういう文化が保たれてなかったら、土地はお金で売れるものになり、人間の根っこは大地につかなくなってしまう。
山を守り、そこで文化が育まれて、人の輪が健全であればそれこそが安全だと思います。そんなコミュニティが世界中に広がっていけばいいなと思います。

ティモールの人々の暮らし

ティモール人の9割が農民です。厳しい自然の中で暮らしのほとんどすべてを自分たちの手で営んでいます。
お百姓さんを見ていると、暮らしは芸術ですよね。たとえば牛追い歌。いい歌い手だと牛がよく働くので、村では重宝される。歌が下手だと牛は勝手に畔に上ちゃって休憩しちゃう・・・(笑)子どもも12歳くらいで歌の修行をしていました。そして収穫になると村人が籾を足で踏んで脱穀をします。そのステップがかっこいいんです。昼間ぐて〜っとしてたおじさんも、お祭りになるとかっこいい。
それは労働とは全然違う次元のことで、経済に換算できない人間のあり方そのものだと思う。それと、男の子を育てて思うのは、戦いたい欲求があるんだなぁ、って。山の暮らしの中では、祭りの準備で牛や豚を殺して捌いたり、狩りに出かけたりします。どちらが死ぬか分からないっていうくらい強い相手とやりやって、その命をいただく。それが村を支える。男の子は特に、そうした、命と深く関わるという行為を欲しているのではないかと。「戦いはだめ」と単純に思っていた私は、それでは片づけられない人間らしさや、生き死にに立ち会う意味、戦いの作法を知る必要があるのだということを理解しました。

星ふる島 ティモール
初めてティモールへ行った時、ある歌を聴きました。それはこう始まっていました。「ねぇ、仲間たち ねぇ大人たち 僕らのあやまちを 大地は知っているよ」。私は「僕らのあやまち」って何のことだろうと思いました。巨大な軍に攻撃される小さなティモールの人が「ぼくらの」と言うのです。その意味を知りたくて、歌っていた青年を探しに出かけました。彼にその意味を尋ねると、「歌は哲学だから、そんなこと聞かないで」って。「そんなことよりも島を見せてあげるよ」と言って、いろいろ連れて行ってもらった。島の暮らしを垣間見る中で、「ぼくらの」と歌われた意味が少しわかりました。ティモールの人々は、体の外側は体の内側だと言います。自分と相手が分けられない、命がひとつらなりにある世界観です。その精神的な土台の上で、独立運動があったのでした。
その歌は爆撃のさなかにひっそりと歌われたものでした。歌には日本語の詩がついて「星降る島」として歌われ、今ではハワイアンフラもつきました。

みえないものの力
インドネシア軍は侵攻当時、ティモール陥落は「一日で足りる」と言っていました。人権団体でさえ、東ティモールの独立は叶えば奇跡と囁いていたそうです。それが最後には軍が諦めて撤退した。それは大きな力ではなく、小さな一人ひとりの想いが働いたのだと思います。ティモールを旅して、私は人一人に秘められた力が何より強いのだと信じられるようになりました。
映画制作は全くの素人仕事で始まりました。険しい山道を行く時や取材の中で、不思議な力に助けられることが多々ありました。そのおかげで出来あがった映画だと思います。きっと「どうか次の世代が平和であるように」って、強く願って亡くなった人の想いが、私たちの仕事を助けてくれたのだと思います。その想い、意識というか、それがすごく大事なのではないかと思うようになりました。
ある村で長老が「死ぬことよりも魂が迷子になることの方が、よほど厄介なんだ」といいました。それは自分の身体が死んで終わり、ではないということ。魂が迷子になるというのは例えば、インドネシア軍から武器やお金を受け取って、本来の生き方ではない選択をすること。ティモールでは、極限状態でもNOと言い続けた人たちが圧倒的に多かった。すごいことだと思います。
振り返って、現代社会はみんなで迷子になっている気がします。経済発展を追い求めて、ゆたかになったつもりが、みんなで迷ってしまってる。どうしていいかわからなくなって、たくさんの子どもたちが自殺して・・・社会が病んでいると感じます。「魂が迷子になっちゃいけない」という言葉を、日本にいてよく思い出します。

 

星降る島 ほしふるしま
オーマルシーラ オーウルシーラ星降る島に 夜が明ける
朝つつむ 色あふれ
太陽も ほほえんで
ひとみ深く ひかりをゆく
時の空 貫いて
土の記憶 歌は続く
眠るたましいが 見守る島
小さな素足よ 大地に響け
太陽に 海に めぐみは満ちて
祈りの歌に 月が出会う
果てしない 弧を描く
オーマルシーラ オーウルシーラ
星降る島に 夜が明ける
原曲(アレックス作詞作曲)では「ねえ、仲間たち。ねえ、お偉い方々。僕らが間違ったことをすれば、大地はちゃんと知っているよ…」とはじまる。ゲリラ戦中に作られた歌。
作曲:Helder Alexio Lopez(通称アレックス/2017年11月9日急逝)
編曲:小向サダム(SADAM) 作詞:広田奈津子

 

豊かな自然があるちいさな島国・東ティモール。ポルトガルによる植民地支配、そしてインドネシア軍の占領後、1999年に独立をめざす国民による住民投票が行われたものの、インドネシア治安当局による暴力行為を受ける。そうした困難の末、2002年5月に独立を果たした。

 

笑顔があふれている街
ティモールでは見知らぬ人とすれ違っても目を合わせて笑顔を向けます。山村でも、村長にユーモアがあると村の雰囲気がいいですね。
インドネシア軍が1999年に破壊の限りを尽くし、民家の9割が焼けました。わたしが現地に入ったのが2002年。焼け出された難民も家に帰れてない状況でした。インドネシア軍に加担した日本から行くということを、現地の人たちはどう思うのだろう、って、飛行機から島が見えた瞬間に膝が震えちゃったんです。でも、会う人の笑顔に救われ、逆に悲惨な状況の話しを聞いてわたしが落ち込んでいると、肩をぱーんっとたたかれて、「そんな顔しちゃダメよ」、「笑ってなきゃダメよ」、って言われました。
ポリネシアの方で聞いた創世神話で、神さまが天を創って大地を創って、生き物を創っていって、最後におおきな木の根本に人間を座らせました。で、人間をつくる仕上げに神さまは、お腹をくすぐったんですって。すると人間があははって笑って、人間が完成しましたっていう神話。笑ってこそ人間。それをティモールで思い出した。こんなにいっぱいトラウマを抱えた人たちが、笑顔を忘れていない。笑えなくなったら人間じゃなくなっちゃう。傷を癒していく智恵なのかもしれません。逆に怒りや憎しみというものが、自分の身体を痛めてしまうということを、治療の現場でも言われるんですね。
治療師が患者にずっと寄り添って、めい想とか内観をしていきながら、その人の気づいてない過去の出来事や、精神的な後遺症で、記憶が消えてたりする部分を引き上げていき、怒りを流し出すことをしてはじめて、身体が回復をしていく。そういうのを間近で聞かせていただくと、人間って自分一人で復讐したり、それで気が晴れるっていう単純なものではなく、全いのちが関わり合っていて、良いことも悪いこともみんなの上に起きている、そういうことなんだと納得しました。

むら社会が平和の基本
特にアジアを見ると、議会制民主主義がヨーロッパから導入されても、うまく根付かない。日本でもものすごく長い時代、住民全員で参加する寄り合いみたいなものが、政治の場だったと思う。地域の大事なことを全員で話し合う。3日で解決しなければ、7日でも10日でも。毎日話し合いを続けると、全員が納得する時が来る。そんな時間のかかるやり方というのが大事だと思うんです。本当に人間らしいやり方。そのやり方が今は、議会制民主主義で政治は代表者に任せなさい、普通の人は労働しなさい、となって。「貧しさ」というものが作られたらますます人は労働から離れられなくなる。
ティモールの山村にいると、申し合わせたわけでもなく、みんなで進む方向を共有しているような感じがします。人間だけじゃなくて、生きとし生けるものが、「いのちがゆたかに生きる方向」という明確な矢印がある。自分が死んだとしても、いのち全体が生きる方向に向かう、そのために働こうとする意識のような。その矢印の方向を、私たちが間違えず、ぶれないようにしなければと思うんです。

平和憲法が果たす役割
取材の中で、人々は家族や子どもたちを失う深い悲しみを伝えてくれました。日本でも、その悲しみを経験した人たちが、力を合わせてあの日本国憲法を作ったんだと思うのです。文を読むと、そういう悲しみを経た人たちの、強い願い、次世代への祈りを感じます。
日本軍がティモール島でしたことの爪痕は、本当に残酷な形で残っています。ティモール人の手で掘らせた洞窟を牢屋にして、見せしめのために殺された場所や、子どもたちも動員されて死ぬような労働に従事させられたとか・・・。そういうことを思うと、不戦の誓い<9条>の存在というものが日本
軍が傷つけた土地の人にとって、せめてもの弔いであり、追悼であり、謝罪である、と思うんです。加害者としてのつらさと、家族を失い故郷を焼失したつらさ、その両方から、日本国憲法は絞り出されたように思うんです。政府がたとえどう変えようとも、私たち一人ひとりは変わっちゃいけないし、わたしは、「わたしの憲法」として、あの時代を生きた人たちとの約束として9条を持っていたい。こんなに大事なことを、多数決で変えていいはずがない。本来なら、未来を担う子どもにこそ聞くべきだと思います。

付録 チャーミングなおじさんたち
おじさんたちが、こんなにチャーミングなのかって思うことにたびたび遭遇しました。ティモールは失業率が高いというのもあって、ぶらぶらしているおじさんがとても多いんですね。ある時子どもたちが道端で焚き火を始めて、その焚き火を自転車で飛ぶみたいな遊びを始めたんです。危なっかしいなと思って見てたら、向こうからおじさんが来たので、あ、叱るのかな?と思ったんです。そしたらなんか棒ッキレに布みたいなのをつけて旗にして、「よし、行けー」って一緒に遊びはじめたんです。そんなふうに男の人が、チャーミングなままでいられることが許される社会って、いいなぁと。
誰の子どもでも遠慮なく叱り飛ばしているし、抱っこしているし、そういうのって、何かいいなぁって。平和だなぁって。経済的には深刻な問題かもしれないですけれど、なんかこのチャーミングさって、日本がここ数十年で失ってないかなぁって、思ってしまいました。

 

わたしがおもう平和 小向サダム

平和は与えられるものではなく自らなっていくもの。 固定概念の解放のプロセスのなかで、より近づいていくのではないでしょうか。肉体、思考からも解放をさせてくれるような芸術は、より豊かで平和な社会への水先案内人として僕らをいざなってくれる。 何気なく訪れる平和の喜びの瞬間を人と感じ合えた時、本当に清々しい気持ちになります。

 

 


vol.181 平和特集Part-2 「あらしのよるに」とわたしがおもう平和

日本国憲法公布71周年記念  2017年ぎふ平和のつどい 11月3日岐阜市民会館にて

「あらしのよるに」とわたしがおもう平和

記念講演 きむらゆういち氏(絵本作家)

オオカミのガブ ヤギのメイ

「あらしのよるに」。登場するのはヤギとオオカミですが、彼らにはお互いの情報がありません。相手がいくつで、男か女か、自分よりもえらそうか、それとも気安いのか、怖い感じなのか、全く分からないんです。わかっているのは声のみ。そうしたときに2人は心が通じるあえるんだろうか。
本というものはすべて主人公がいます。そして読んでいる人は、主人公に気持ちを乗り移らせてドキドキハラハラして、読みます。ですから、子どもに限らず読み物は10冊の本を読めば、10通りの主人公の気持ちになる。ということは自分以外の人の気持ちになっている。それだけでも絵本というのは価値がある、そう思っています。
今、主人公の気持ちになると言いましたが、みなさんは「あらしのよるに」を群読で聞いて、ヤギの気持ちで聞いていましたか?オオカミの気持ちで聞いてましたか?それとも2匹を見守っている気持ちで聞いていましたか?ありがとございます、この会場では3番目が一番多いんですね。1巻目では、真実を知っているのは読んでいる人だけ。ですから、ついつい見守っている人の気持ちになります。
「あらしのよるに」はいろんな方に紹介の文章を書いてもらいました。宮本亜門さんは「僕にとってのガブ(オオカミ)とメイ(ヤギ)は、国であり、人種であり、敵と味方であり、貧富であり、宗教であり、男と女であり、地球上のありとあらゆるものの姿である」と書いてくれました。そんなわけで、ガブとメイはありとあらゆるものの姿。それは読む人によっていろんなふうに見えていいんだな、と。

絵本を朗読する、きむらゆういちさん

「あらしのよるに」は7巻もありますから、最低限のメッセージは入っています。でも、僕はメッセージ本というのはあまり好きではないんですね。一人ひとり自由に受け取ってほしいから。本には「生きた世界」があるので、読み返す度に違ってもいいという気持ちで描いています。
「あらしのよるに」も、憲法を内側に隠している?そう受け取る人もいるだろうし、もしかしたら男と女の話し?と受けとる方もいるかもしれない。作者としては絵本という形で表現しているので、あえて平和についての話しをしなくても、と思うのですが、今日はこういう機会ですので、僕が思う平和のはなしをしたいと思います。

僕は戦後に生まれたのでアメリカを一度も敵と思っていなかったんです。テレビが入ってきて、毎日アメリカのホームドラマとか、子どものものから大人のものまでたくさんのドラマをやってました。そうするとアメリカ人に対して友好的な気持ちになっていくんですね。そう思うと今、日本の「ドラえもん」が海外でたくさん読まれているという事は、とてもいいことだと思います。例えば「この国は敵だ」と国家立場的に思っても、そこの人たちの暮らしぶりやその人たちのいろんな生活をドラマとして見ていたら、個人的にはとてもそんな気持ちにならないと思います。戦争って子どものケンカに似てますね。そっちがミサイルを持つならこちらも持つぞ、ってどんどん緊張を高めていく。お互いがそれをやっていったら最後はどうなるでしょう。
「あらしのよるに」でヤギとオオカミがお友だちになったと同じように、相手の事を知ると戦わなくてすむかもしれない。
日本はマンガとアニメの最大の輸出国です。もちろん絵本も海を渡っています。その結果、いろんな日本の暮らし、文化を広めていけるというのは素晴らしい事です。こういう文化交流をすることも含め、憲法9条を最大の日本の誇りとしてもっとアピールしないとね。

あらしのよるに逃げ込んだちいさな小屋の暗闇の中、2匹の動物が出会う。風邪をひいて鼻のきかない2匹は、お互いがオオカミとヤギ、つまり「食うもの」と「食われるもの」であることに気付かない。すっかり意気投合したヤギとオオカミは、翌日のお昼に会う約束をする。合言葉は、「あらしのよるに」。

ふしぎな友情物語が、いまはじまる。

群読「あらしのよるに」オオカミは和太鼓、ヤギは篠笛の音色に乗せて

 

憲法を人生の中に  吉田千秋(岐阜・九条の会)

今日11月3日は「文化の日」という祝日ですが、71年前に日本国憲法が公布された日です。その翌年の同日、当時の憲法担当大臣金森徳次郎は、「戦争を放棄した世界最初の憲法、そのこと自体が高い文化性を物語っている」と述べました。さらに、「戦争は文化を滅ぼすものであって、(中略)文化をして戦争を滅ぼさしめるべきが至当である」と、戦争と文化と憲法のつながりを明快に語っています。文化は人間を人間らしくさせてきた結晶ですから、この憲法をしっかり活かすことが私たちの暮らしと人生を生き生きと輝かせる基本・原点であり、ひいては戦争の廃絶にもつながるということです。 ところがこの憲法、とくに第9条を何としても変えようと躍起になっているいまの政権は危ないですね。こうした動きが出てくるのには、私たちの憲法の理解、とくに9条の理解をもっと深め、広げる点が足りなかったとも言えるでしょう。きむらさんも言われましたが、この憲法をもっともっと世界にも広めなければもったいないですね。
ところで平和ってなんでしょうか?戦争がない、ということだけでいいでしょうか。ドンパチやっている戦争状態がなくても、貧困や飢餓、差別、不衛生・病気、無教育などの常態化は、平和とは言えないでしょう。やはり明日の生活に不安がなく、みんなが今日を穏やかに過ごせることではないでしょうか。そういう点で「平和とはひとの痛みが分かること」が、大切だと思っています。これは四国の霊場の一つ「石手寺」に掲げてあった文ですが、今の様々な社会状況、人間のあり方をに照らしてみて、ピタッと当てはまります。
相手のことをよく知ること、相手の痛みが分かること、これをできないと自分勝手なことばかりしてしまい、ケンカになりるでしょう。〜ファーストの立場、ヘイトスピーチなどは、ケンカを売り、戦争へのきっかけになるものです。相手の立場・状況・意見をしっかり聞いて対話できること、この態度を基本にして、9条を壊そうとしている勢力に対してしっかり声をあげたいものです。戦争というのは庶民が望んだものでもなく、民衆が起こしたものでもありません。権力を握っている人たちが、権力を利用して「国のため」「国民のため」と称して起こしたものです。
いまこそしっかり憲法を守り、活かしたいものです・・・
「憲法を人生の中に」を合い言葉にして。

文章わたしがおもう平和
にらめっこ30周年記念パーティーにかけつけて下さった方々に「わたしがおもう平和」を書いていただきました。

*日常を元気に健やかに過ごせることです。家族で揃って食事できると平和だなと思います。30代女性
*経済的にも軍事的にも福利厚生的にも安平で和やかに過ごせるもの。50代
*あたり前に旅に行けること。人々と触れ合えること。50代女性
*あたり前の日常。大切な人が笑顔で暮らせる毎日が、そして自然も大切に、生き物皆が幸せであること。50代
*小さな所、まず自分、そして夫、子供が毎日笑っていられること。そして周りの環境がそうさせてくれていることが平和だと思います。40代女性
*ノーベル賞作家アレクシェヴィチの『戦争は女の顔をしていない』に出会って、これまで描かれてきた戦争/平和像が大逆転しました。70代男性
*あしたが今日よりいい日になると思えること。50代男性
*言語、身体的、環境、価値観など色んな違いがあるけれど、喜怒哀楽は太古の昔からずっと一緒。相手に壁を作らない事、信じる心。40代
*原発のない、戦争もない世の中。安全な食べ物が主流になってくれるとうれしい。40代
*戦争のない社会。貧困のない社会。50代
*個々の個性が尊重される世の中が平和だと思う。
*最後には笑えること。素直な思いを言いあえる、話しあえること。ハグすること。30代ありがとうございました♡
*戦争がない状態であることはもちろん、軍隊のない世界。軍事的にだけではなく、民生的にも豊かで安定した社会。これこそが積極的平和主義。70代男性
*ブータンのように幸福という言葉の意味がわからないように、平和ってどういう意味(いい意味で)言葉がなくなっている世界。50代男性
*普通の生活が普通に過ごすことが出来、何も意識せずに呼吸ができること。普通に町の景色が普通に変わって行く姿を何も意識せずに見れる事。40代
*おいしい物が食べれる事。60代女性
*手をとりあって、みんな笑顔♡60代女性

 

 


vol.181 カタコトの部屋 もっと政治・選挙を語ろう

もっと政治・選挙を語ろう

おしゃべり会・まずは「政治」「選挙」について何でも話すことから始めよう!
Hさん:本当、恥ずかしいんですけど、政治についてはよく知らなくて、政党の名前を聞いたことがあるな、くらい。投票もポスターの顔写真を見て、この人雰囲気良さそう…で決めていました。立候補者のマニフェストをまとめた一覧アプリみたいなのがあると、家事・育児の隙間時間に見れるんだけど…。
Aさん:個人で立候補者情報をまとめてネットであげてくれる人もいるけど、主観も入るだろうからどこまで信じて判断しようか、迷うわ。
Iさん:ゆっくり調べる時間も作り出せなくて、集団的自衛権、憲法改正、安保理という言葉もよく分からないまま、社会は進んでいく…家で一人ではなかなか勉強できないので、こうやって集まる場があるのは助かります。
Tさん:SNSで選挙や政治関係の発信をすると「いいね!」の数が激減するの。こうやって話せることは嬉しいな!
Sさん:私は、誰推しということではなく、選挙の仕組みをSNSで発信してみたら、選挙区に関係なく反応があったよ。
Hさん:むかし、「選挙に行っておかないと、政治に文句は言えない」と言われたことがあって、文句言いたいから行っておこう、と行くだけ行っていた。でも、正直、自分の一票では何も変わらないという気持ちもあるんです。
Aさん:私は仕事を辞めてネットや新聞を見る時間が少しできたら、「あれ、おかしいぞ」という、テレビでは発信していない情報がどんどん入ってくるようになって、政治にも興味を持つようになりました。
Tさん:私も3.11以後、様々な情報が入ってきて、政治がおかしいかも?と思い更に興味を持ち始めました。それまでは政治と生活のつながりをあまり感じられなかった。でも、自分たちのニーズを伝えないと、ニーズがないと同じ事と捉えられてしまうと聞いたこともあるよ。地域や行政の集まりに積極的に参加して、声をあげていかないと、だね。
Sさん:そうね、少しずつでも声をあげて変えていきたいね。

 2017年10月の衆議院選挙では、SNSに「#(ハッシュタグ)子どもと一緒に投票へ行こう」をつけてママたちが投稿するというムーブメントが起きました。前年に公職選挙法が改正され、「選挙人の同伴する子供(幼児、児童、生徒その他の年齢満十八年未満の者)は投票所に入ることができる。」となったことを受けての呼びかけです。ただ、騒いだりした場合は「この限りではない」とも書かれています。(これまでは投票所で柔軟に判断・適用してくれない限り、子どもと一緒に投票へは行けませんでした。)
親の投票についていったことのある子どもは選挙権を持ってからの投票率が、親について行ったことのない人に比べて、20%高いとのデータもあります。(下記参照)私たちがこうやって話していることもこどもたちは聞いているし、行動も無意識にでも見ています。
何も伝えないまま、わが子が投票権のある18歳になっちゃった!しかも無関心!!なぁんてことにならないように、今から少しずつでも政治や選挙について気軽に語れる家庭にしたいですね。
28年7月の衆議院選挙で投票に行った若者は52.5%。その中で…
Q1あなたは子どもの頃、親が行く投票についていったことがありますか?
「はい」63.0%「いいえ」41.8%
Q2あなたは家族と政治の話をしますか?
「よくする」76.4%「ほとんどない」40.6%
総務省「18歳選挙権に関する意識調査」より
(全国の18~20歳の3,000人を対象に調査・H.28年12月報告)

座間宮ガレイさんの「おっかなびっくり層 勉強会」に参加してみました。
【海外の選挙教育】
政治の教科書では「自分の一票が社会を変えるんだ」という意識から学びます。高校生になったらお酒を飲みながら政治の話をするのが当たり前の国もあるくらい。日本の選挙教育は遅れています。だから知らなくて当然なんです。今からでも学びましょう!
【1人が2票も持っている国政選挙】
国政選挙では、選挙区で1人(名前を書いて投票)、比例代表で1人(政党名を書いて投票)と、合わせて2票投票できます。2人国会に送れる力を持っているんです。読み違えると死に票(生かされなかった票)になることもあるので、自分の票を活かす投票を勉強しよう。
【党でなく、人で選ぼう】
○○○党に所属していても、党の方針とは違う意見を持つ候補者もいます。それを見極めるには直接会って、話して、信じられる人かどうか自分で決めることが1番。

ガレイさんと勉強会!2018年1月8日(月・祝)
★午前の部 10:00-12:30
場 所:カフェピルエット(一宮市猿海道)
定 員:10家族 参加費: 18才以上1,000円+ワンドリンク
テーマ: 子どもの疑問に答えたい!
〜政治・選挙の基本を知ろう、話そう〜
申込・お問合せ 子育てコミュニティtoco toco
★午後の部 14:00-16:00
場 所:岐阜市女性センター(ハートフルスクエアG内)
定 員:40名 参加費:1,500円
テーマ:座間宮ガレイさんの「岐阜市長選勉強会」
申込・お問合せ 090-6599-2876(清水)
s.heart9167302169@gmail.com
座間宮ガレイ・ざまみや がれい
石川県出身。2015年から全国各地で通算200回超の「お勉強会」を開催。全国を回ることで、全国の選挙情勢などを研究し続けている。
愛知県岡崎市では、こどもが泣いても走り回ってもへっちゃら!100人のママ&子どもお勉強会を成功させた。

子育てコミュニティ toco toco
子育て世代のやってみたい、知りたい、学びたいことを、自ら企画・運営。誰かが講師、受講者という立場のない、一人一人が活躍する「学び合い会」を中心に、顔と顔を合わせて集う良さを生かした活動を展開中。

問い合わせ:facebook「子育てコミュニティtoco toco」


vol.181 かなでの沖縄だより vol.5


今回は、前回に続いて9月の平和学習で回ってきたこと、考えたことを紹介します。

伊江島

早朝、那覇を出て、伊江島へ行きました。車でいろんなところを走ったのですが、さとうきび畑ばかりといった印象で、那覇とは大違いでした。伊江島で一番印象的なのは反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」、米軍との土地返還闘争中に集められたいろんなものが、所狭しと展示されいました。私はそこに飾ってあった阿波根さんが言った言葉「平和の最大の敵は無関心である 戦争の最大の友は無関心である」に、本当にその通りだと思いました。
展示を見終えてから、管理人のおばあちゃん(編者註:と彼女は思ったようですが、館長の謝花悦子さんでした)の話を伺ったのですが、「知らないことは罪だ」と言う言葉は、心にぐさっと来ました。知らないことで無関心になってしまうのではないかと思いました。知らないことがどれだけ恐ろしいことか…と考えると怖くなりました。おばあちゃんの熱い言葉に友だちと引き込まれ、気づいたら帰りのフェリーぎりぎりの時間で、お昼ご飯はフェリーの中になってしまいました。
伊江島はとても素晴らしいところでした。でもその裏には、沖縄戦で、すごいことがあったということを知りました。でも、そんなことを知らない人がたくさんいるはずだと思うと、何だか複雑な気持ちになりました。

辺野古と高江

午後には、辺野古と高江ゲート前に行きました。
辺野古の浜は、自然がすごく素敵なところだなぁと思いました。「だからこそここを守りたい。基地を作りたくない」と訴え続ける人の気持ちがわかりました。でも、こんな大自然の中に新しい基地を作るって、そこに行って初めて知りました。
そこで説明してくださった方が、各務原市出身の方でした。私と同じ。各務原市も自衛隊の基地があります。なんかつながりを感じました。基地との境のフェンス近くまでいったのですが、そこの向こうに米軍が見えました。私は怖くて近づけませんでした。
高江でびっくりしたのが、ゲート前にいるガードマン。時間になるとすぐ入れ替わり、ボタン1つで動いてるようでした。ガードマンまで軍隊のようで、少し怖かったです。そして「標的の村」でみた映画のままの光景。自分のなかでうまく整理ができませんでした。目の前におおきなヘリコプター、これをみるのが当たり前の生活になる恐ろしさ、。自分が住んでる那覇市ではありえない。基地の街各務原で18年間育った私ですが、全く経験したことのない、恐ろしい光景でした。
2か所とも、新聞やテレビではなかなか知ることの出来ないことを沢山教えていただいて良い経験になりました。
そして3日目、午前中に「前田高地」と「不屈館」へ行って仲間を送りました。

「ヌチドゥタカラの家」で館長のお話を聞く


vol.181 熱中世代発 リバース11号


「夕焼け小焼けのアカトンボ追われてみたのはいつの日か・・」童謡に出てくるトンボはこのトンボです。40年ほど前の事です。岐阜市の今のメディアコスモスのあたりのビルの屋上から空を見上げていました。すると、数えきれないほどの沢山のアキアカネが東北の方角から次から次へと飛んできたのです。次の日もその次の日も、トンボの大群は南西の方角を目指し飛んで行ったのです。平地で孵化した若い成虫は、夏に涼しい山地で過ごし秋になると平地に戻ります。夏休みの頃、伊吹山や奥美濃の高い山に登ると体に当たるほどのトンボの大群に出会います。彼らは、産卵のため山から下りて西南濃の水田地帯を目指したのでしょう。しかし、今ではもうその大群を見る事は出来ません。イネミズゾウムシやカメムシの防除薬を水田に使うようになってからでしょうか、それとも水田が用排水分離され、秋口から乾田化された所為でしょうか、近年アカネ類は激減してしまいました。近年の水生生物の減少に人間が関与している事は確かです。今年も、やっと少数のアキアカネを畑で見る事が出来ましたが、防草シートに覆われた農地、止まっている竿がプラスチック製品ではなんとも風情がありません。どのようにしたら、アキアカネの絶滅を防ぎ、あの大群を蘇らせることが出来るのでしょうか。先ずは自然を知る事から始めましょう。

アキアカネ(Sympetrum frequens)トンボ科アカネ属 に属します。北海道から九州まで見る事が出来ます。外国ではロシア、中国などに分布します。秋になると大挙して表れるので、アキアカネの名前が付いたと言われます。オスは、成熟しても腹部だけ赤くなり、頭部・胸部は赤くなりません。よく似たナツアカネは顔から尻尾まで真っ赤になるので見分ける事が出来ます。

 

写真・三輪芳明(みわよしあき)プロフィール 1952年 関市生まれ。仲間と岐阜県では絶滅したと考えられていたコイ科の魚類ウシモツゴを発見、人工的な大量繁殖させ野生復帰に成功する。岐阜・美濃生態系研究会 二ホンミツバチ協会 日本チョウ類保全協会。

 


vol.181 ボーダーレス社会をめざして vol.40


NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子

安全基地

「お母さんは、私とKくん(孫)を何があっても守ってくれるよね。」と3年ほど前に娘が言ったことがあります。この時、あ~娘は私のことをすごく信頼していて、今まで家族が安全基地になってきていたのだなと確信しました。ちょっと嬉しかったです。家族が「安全基地」として機能しなくては、安心して子どもは育たない。子どもが子どもらしく育つのに必要なことは、安心・安全な環境の中で、いろいろな生活体験をし、自分の価値をつかむこととどこかで勉強しました。家族が「安全基地」ということは、子どもにとっても親にとっても安心してくつろげる場所であるということでしょう。障がいのある子どもがいると障がいへの対応で、どうしてもきょうだいより障がいのある子の気持ちを優先してしまいます。よく娘が「お兄ちゃんの方がかわいいんでしょ。」「私の言う事なんかちっとも聞いてもらえない。」「私が行きたいところへ一度も旅行に行ったことがない」などなど。障がいのある息子の方が、理解力が乏しく、彼の言う事を聞いていれば、波風が立たず穏やかな生活が送れたからです。今から思えば、ここには安全基地の危機がありました。また、我が家では、言ってはいけないことがあったり、手のかかる息子に時間が取られ娘へのスキンシップが少なくなっていたように思います。親としては精いっぱい向き合っているつもりでも、上のような言葉を言われていたのですから、娘にとっては愛情が不足していたのでしょう。また小学生の頃、スイミングスクールへ通っていた時は、お兄ちゃんの世話や他の子から守ったりなど、年齢不相応の責任や負担をかけていたかもしれません。スイミングスクール以外でも同様です。私の娘への躾けは、かなり厳しいとある人から指摘されたことがあります。かわいそうだって。それは、障がいのあるお兄ちゃんを持つきょうだいとして、この先、ズーっと生きていかなくてはいけないので、強くなってほしいという思いがあったからです。でも、そんなに厳しくはなかったと自分では思っているのですが、人の目にはそのように映ったのですね。娘にはいつも「愛情は、ハーフ&ハーフだ」と答えていましたが、本当のそうだったのかは疑わしいものです。今は、娘は小学校の先生をしているのですが、何年か前に、「隣のクラスに発達障害の子がいるんだけど、来年は私が受け持ちたいと校長先生に言ったわ。」と。次の年、本当にその子の担任になりました。障がいのある子の強い味方になってくれました。子どもから35,6年後に、自分がやってきたことの結果?を教えてもらうことがあるのです。親として子どもに信頼される行動をとり続け、今では心の安全基地でいられればいいなと思っています。


vol.181 にらめっこ30周年記念


にらめっこ30周年記念パーティー
みなさん本当にありがとう!!!!

12月2日(土)コパン各務原にて

1987年、創刊号を発行したのがすべての始まりでした。当初はB4両面刷り。新聞に折り込むと、「嫁いだ街で孤独な子育てをしてた。こんなミニコミ紙があると心強い」という反応にスタッフ一同小躍りしたことが昨日のことのよう。その後、ポスティングに切り替えると、又違った反応が。誤字脱字からなかなか卒業できず、おしかりを受けることもしばしば・・・そんなことに一喜一憂しながら、偶数月の第4月曜日に発行してきました。今では、伝えたいことがいっぱいになり、A4版で24ページに。今後もみなさまのお力をお借りしながら、もう一踏ん張りしようかな!と思った会となりました。

多くの方にお世話になりながら、節目のイベントを中心に「にらめっこの30年の変遷」をたどってみました。
写真下段中央:創刊号立ち上げメンバー下村さん(右)花田さん(中央)。「にらめっこ」の名前の由来について。忙しくても一日一回は、目と目をあわせてちゃんと話そう。子どもはもちろん、家族ともね。
写真下段右:若いままさんたちからの豪華な花束を、ちびっ子たちから受け取ったときには、ついうるうる・・・

「いじめ問題」を取り上げたとき大きなヒントを下さった河合良房氏(弁護士)。

子どもの権利条約と子どもの人権について特集をしました。


にらめっこがこだわり続けた「食」。人が集まり、美味しい笑顔があふれる会となりました。料理は廣瀬麻紀さん。12種類ものメニューが彩りよく並べられ、会場が一段と華やかに。素材も地産地消・安心安全なものをを心がけて下さって、感涙!にらめっこのこだわりを形にして下さいました。


昨年5月、取材でつながったエビスバンドのみなさんと三上もサックス演奏♬80年代の懐かしい曲を演奏。シェーカーやマラカスでみんなでリズムにのって!最後は「糸」を生オケでみんなで大合唱しました。


最後はスタッフの一本締め!でお開きとなりました。


vol.181 ホスピスナース奮戦記 vol.6


あるフォトグラファー

玄関を入ったとたん、その娘さんはずっとしゃべり続けた。患者さんは心臓の疾患が悪化し、ホスピスサービスを受け始めた70代の女性だった。強い不安感と不眠を訴えていた。来月には個展も控えてアーティストとしてとても精力的に活動されている人のようだった。ベッドの上の彼女は目を閉じ、まるで何も見たくないと言っているようだった。バイタルは安定していたが、顔も手足も蒼白で、不安と恐怖で夜も眠れないと話した。両足のむくみは心臓疾患ではよく見る症状だが、ご本人は急な変化にとまどっていた。少し動くとしんどいようで、ベッドからトイレまで杖に頼って歩行するのがやっと。強い不安感が続き、落ち着くことができない。心の平安が欲しい。いくら落ち着こうとしても、心臓というのはやっぱり心の臓器、心と直結している。心臓の機能が普段通りに働いていない時というのは、とてつもない不安感に襲われるものなのだ。つい先週まで大丈夫だったのに、なぜ。なぜ。と繰り返す患者さん。眠りたいのに眠れない、落ち着きたいのに落ち着けない。私はこのまま死ぬの?もうすぐ死ぬの?
患者さんがホスピスサービスを受け始めたのは2週間ほど前。病状が悪化して初めて自分の死をはっきりと意識した今、否定から怒り、そして恐怖といった感情が渦巻いているようだった。アーティストとしての自分、ずっと一人で強く生きてきた自分を失いたくないという思いがひしひしと伝わってきた。なかば投げやりな態度もヒリヒリと痛いほど感じた。それでもアグレッシブな治療はしないという本人の意志ははっきりしているようだった。
一方娘さんは、自分の母親の死が近いことを現実として受け入れているようだった。もちろん食欲が落ちた母親を心配しあれこれ食べさせようと必死だった。なんとか落ち着けるように試行錯誤していた。それは患者さんにも伝わっていたと思う。しかし母親の穏やかでない態度や口調にどうしたらいいのかわからないようで、娘さん自身もとてもイライラしていた。時々喧嘩口調にもなる。娘さんの話をきくと、昨年パートナーを突然亡くしたばかりで、死を迎える準備の大切さを痛感しているのだと話した。そして、死別の悲しさも、人は生きて人は死ぬということも、わかっているつもりだと。母親が在宅でホスピスサービスを始めた時点で、死が近いことを覚悟しているようだった。だからこそ、お母さんの納得のいく形で少しずつ生前準備やいろいろな希望を聞いておきたい、アパートや光熱費などの生活の細かなことも教えておいてほしい。大人になってからは、お互いに忙しくゆっくりと母と子に戻る時間もなかったから、母として子としていろんな話をしたい。そう言った。離れているからこそ、会える時に・・・焦る気持ちも垣間見えた。しかし患者さんは、そういう娘さんに対して、なんで私が死ぬことを前提に話すの!早く死んでほしいっていうの!と怒りをぶつけるという。自分の母親に向かって死を迎える準備をしようなんて・・・と繰り返すのだそう。患者さんご本人にとっては、自分の体の変化やその先にある死を、現実としてまだ受け入れられていないのだ。このままでは娘さんと患者さんは、有意義な時間を過ごせそうにない。
ここは、ソーシャルワーカーやスピリチュアルケアワーカーにも訪問の頻度をあげる要請をしようと思った。ただ、今夜、症状を緩和するために何ができるかといえば、話を聞くことと一緒にいてあげること、薬を試してみることしかできない。主治医に連絡して、不安を和らげるのと眠れない症状に対して、一時的ではあるが、新しく薬を始めることにした。同時に、利尿剤の量も調整することにした。それで少しでも状態の緩和ができればと願う。あとは、精神的なサポート。しかし、日中にヘルパーさんが何時間か来るとはいえ、患者さんは一人で住んでいる。娘さんは車で3時間ほど離れたところに住んでいる。母親を一人きりにしていいのかと思い悩む娘さんは、その夜、結局もう一泊することにした。ただそこに居る、というのは何にもしてないようで実はとてもとても大切なこと。一人で過ごす夜を思えば、家族が一緒にいてくれることの安心感ははかりしれない。
この患者さん、写真はとれなくとも、今一度アーティストとして、窓から見える太陽の光に美しさを見出すことができるだろうか。
この訪問の後、ひどく考え込んでしまった。どう死んでいくかではない、死がおとずれるまでどう生きるか。できないことや無いものでなく、できることやあるものに焦点をあてる。。。それに尽きる。それは病気があってもなくても、すべての人に当てはまること。そう自分自身にもあらためて言い聞かせた。


vol.181 平和特集Part-3 ぎむきょーるーむ 子どもと「戦争・テロ」を話すとき

戦後70年を経た日本は「平和だよ」と
子どもたちにいえますか?
今も世界では「戦争・テロ」が起こっていて、
ニュースでも毎日のように悲惨なシーンが流れる。
それをじっと見つめる子どもになにを語れますか?
昨年夏の衆議院選から選挙権年齢は「18才以上」に。
新たな歴史が動いているいま、
大人として、あらためて考えること。

「戦争・テロ」わが家で伝える場合
祖父母の体験から
・ ネットやテレビのなどのメディアからではなく、人から人へ伝えるのがいちばん心にのこると思う。わたしの場合、祖父がシベリア抑留兵でやがてアル中に。祖母は戦火の中を逃げ回り、過酷な状況で子どもたちを育ててきたこと。祖母は死ぬまでそのことばかりを話していました。(匿名)


映画や本をもちいて
・ 『ちいちゃんのかげおくり』(あまんきみこ作/上野紀子絵/あかね書房)を読み聞かせしました。小1の娘には、戦争→家族がいなくなる→寂しい、という理解だけのようでしたが、あとからいろいろわかってくることもあると思うので、学年があがってからまたいっしょに読みたいです。(東京都/MM/娘6歳)

親としてのメッセージ
戦争は遠い国のできごとではなく、昔話でもなく、現実に起こっていることで、日本でも今後起こるかもしれない。絶対に戦争をしない、させないために、智恵を使い、声をあげつづける必要があることを伝えたい。安保法案に反対の立場でデモに参加したとき、子どもたちに「なぜデモをするのか」と問われ、自分なりに説明しました。世の中には戦争をしたがる人がいて、戦争によってお金儲けをしたり、良い思いをしたりする人もいる。権力をもつ人たちは国民に「戦争をしてもいいですか?」と聞いてくれることはなく、国民の知らないうちに着々と戦争を始める準備をしているのではないかと疑われても仕方ない状況になっていると思って、子どもたちにそのようなことを話しています。(神奈川県IT/息子11歳、娘8歳)

いま戦争・テロが起こる理由
伊勢﨑 賢治

紛争地から日本はどう見られているか
平和な国のこれから

遠い国で起きている、その背景にあるのは
 人間はなぜ戦争をするのか?戦争というのは、ふうつ国家対国家の争いです。争う理由にはいろいろありますが、「自分の国にはない、よその国にはあるものをほしがる」という人間の欲望が根底にあるといえるでしょう。
それは現代の紛争の構図を見ると、よくわかります。たとえばダイヤモンド。もとはただの石っころなのに、われわれは遠く離れた国にあるダイヤに希少価値を見出し、ほしがって取りに行く。このような資源は、取りに行く方はできるだけ有利な条件で取ろうとしますから、自分たちに都合のいい権力者に肩入れし、現地では資源も人も搾取される。利権をめぐって権力は腐敗し、住民の間に不満が広がると、やがて紛争が始まります。
いま深刻なのは、スマホや携帯の製造に不可欠なコルタンなどの稀少な鉱物が採れるアフリカのコンゴ民主共和国です。20年以上も紛争が続き、いま人類史上最大の人道的危機が起こっています。それらの鉱物は「紛争鉱物」と呼ばれますが、これらを狙った周辺国の介入によって内戦が起こり、また武装勢力が違法に採掘して資金源にしているのです。このため、欧米では紛争鉱物を使用する企業に対し規制を始めました。
では、日本はどうでしょう?欧米の流れを受けて規制している企業もありますが、スマホや携帯を実際に使う多くの人はそんな事情を知りもせず、無批判に消費しつづけています。ですが、遠い国で起こっている紛争は自分と無関係ではありません。

無知であることが怒りの対象に
テロについても同じことがいえます。
いま、テロリストの組織がなぜ拡大するかといえば、たとえば先ほどお話しした搾取や腐敗の構造、住民の貧しさなどに由来するいろいろな不満が、インターネットによって世界中でつながるからです。つまり、世界のグローバル化がこれまでに生んできた構造的な問題が、グローバル化の落とし子のようなネットワークの発達によって、皮肉にも横でつながってしまうのですね。
テロリストは、この構造的な問題にものすごい怒りがあるわけです。同じ言葉や宗教をもつ者同士が同じような目にあっているとなると、これは個人の憎悪から集団の憎悪になっていきます。それに、教義(ドグマ)がくっつき、行動に結びついていくのです。

さらにテロリストにとっては、われわれが無知であること、これが一番の敵なのではないでしょうか。構造的な問題について、日本人は往々にして無知です。一昨年11月にパリでテロが起こったこともあり、まるで無関心ではないでしょうが、無知であることは彼らにとって強烈な怒りの対象になることも知っておかなければならない。
テロは否定して憎むべきだけれど、テロをする側にも理由があることを知って、あまり必要以上にぼこぼこにしないというブレーキはやはり必要です。

やるべきことは「敵をつくらない」
そうはいっても、「平和な国」である日本はイスラム社会でも評判がいいです。シーア派とスンニ派の両方から好かれている先進国は、日本だけです。でも、この「平和国日本」のブランドは、この10数年でどんどん消えつつあります。
まず、2001年と2003年、小泉政権のときに、特別措置法を成立させおこなわれた2つの自衛隊派遣。国際法で見たら、あれは集団的自衛権の行使です。とくにイラクへの陸上自衛隊の派遣が致命的でした。あのときのわれわれのスタンスは、イラク国民とその周辺国の脳裏に確実に刻みこまれましたね。
そして極めつけは、2011年、アフリカ東部のジブチに自衛隊の拠点を設けたことです。「平和国日本」「九条の国日本」が、すでに軍事基地を持っているのです。
さらに今回の安保法制成立で、日本が軍事力と共にアメリカにどこまでもついて行けることになった。つまり、我々がアメリカのかわりにテロリストに狙われる可能性は否定できません。アメリカより日本の方が狙いやすいでしょう。海岸には原発がずらっとならんでいますから、それが狙われたらおしまいです。日本がどれだけ脆弱な社会か、ということです。
そんななかで国、自分たちを守るためにやるべきことは「敵をつくらない」ことです。敵をつくらない努力。それが国防にいちばんいいに決まっています。
日本は、アメリカとの同盟関係を断つことはできない。だったら、国防のために、アメリカにできないことをやるしかない。
それはなにか。通常戦力を積みあげることではなく、いわゆる内政支援です。テロリストが拠点とする地域は、内戦状態にあります。なぜ内戦が起こるかというと、いい政府ができないから。たとえばイラクでは、スンニ派だったらサダム・フセインをアメリカがやっつけたあと、スンニ派の人たちは差別され排除されてしまったために、彼らの不満やアメリカに対する憎悪がたまって、IS(イスラム国)の前身ができた。すべて、構造的な問題なのです。

中東諸国などでは軍事力をもつアメリカはたいていきらわれていますが、日本はいいイメージがあるから、相手の懐にも入れる。地道に内政にかかわり、「地域格差をつくらない」「特定の民族を差別しない」「人権を守る」など、条件をつけながら支援していく。そうやって積極的にかかわり「敵にならない」という道しか、我々にはないのだと思います。

共生の力を見につける
平和とは、なんなのか。ほかの言葉でおきかえると、「共存」とか「共生」とか、いまはやりの「インクルーシブネス(包括性)」「ダイバーシティー(多様性)」もありますね。いずれにしても、他者とともにある環境を生きていくこと。そこから始まると思うのです。
どうも日本人は、「私たち」「彼ら」といった線を引いたり、外国人を排除しようとしたりする排外体質がとても強い。ぼくは世界のいろいろな土地に行きましたが、日本人のこの傾向の強さをほんとうに実感します。でもこれは、国防の観点からもマイナスだと思います。
今後は、経済の状況もあるし、高齢化社会で労働力が必要だし、外国の人々はますます入ってきます。そのとき、彼らを差別したり排除したりせず、丁寧につきあって、みんなでわいわいやっていけるような、共生の能力を身につけること。つまり、多様性、共生という文化を構築していくことが必要なのです。それは、地方行政のレベルや、自分のご近所のレベルですることです。子どもたちに教えていくことも大事ですね。
そんな立ち位置を知って、できることを探していく。それをしていかないかぎり、われわれに未来はないということでしょうね。

いせざきけんじ○東京外国語大学教授・紛争屋
NGOや国連職員として紛争処理、武器解除などを経験し、「紛争解決請負人」と呼ばれる。ジャズトランペッターとしても活躍。著書に『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞出版)ほか。

①『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』(伊勢﨑賢治/朝日出版)
②『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子/朝日出版)
③『なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか ピース・コミニュケーションという試み』(伊藤剛/光文社新書)


vol.181 半農半Xという生き方 vol.22

いい街には
ふるさと綾部にUターンして、18年。綾部において、最近、感じていることが1つあります。データがあるわけではなく直感なのですが、講演会や勉強会が減っているのではないかということです。そんなことを考えていたら、ふとこんなことばが浮かんできました。「いいまちには、いい勉強会(講演会)がある」という仮説です。さらにいい街になっていくために、外部から魅力的な講師もお呼びする。市民にも登壇してもらう。みんなでアイデアを出し合うワークショップがある! いま、2つの勉強会を主宰しています。1つは「綾部ローカルビジネスデザイン研究会」。あやべ特産館や絵本カフェ「サクラティエ」を舞台に、綾部の地域資源を活かして、何かできないか探るもので、毎月第4金曜の夜、おこなっているもの。もう1つは、「スモールビジネス女性起業塾」(年10回開催、現在3期目)。自分の仕事を創ったすこし先を行く人の話をうかがい、哲学、気づき、経験などに学び、自分と地域を輝かそうというものです。「いいまちには、いい勉強会(講演会)がある」。ぼくはこの街をそんな街にしていきたいと思うのです。


「カフェを開くなら」
2015年、京都府中丹広域振興局からの依頼で、福知山、舞鶴、綾部で起業を考える女性を対象としたスモールビジネス起業塾がスタートしました。(現在は市民が事業を継承)月1回の講座で全10回、毎回テーマを変え、「交流・ツーリズム」「農家民宿」「農業・食育」「アート・デザイン」「まちづくり」などをテーマに、先輩起業家の話をうかがったり、自分ならどんなチャレンジするか、アイデア出しのワークショップをしています。この12月のテーマは「カフェ」。「あなたがカフェを開くなら、どんな場所(里山ゾーン、商店街内など)でどんなスタイルにしますか?店の売り、キーワード(アート、風景、自然食料理)などと屋号を3つあげてもらう課題を塾生に出しました。カフェを開く予定がない人にとっても自分のやりたいこと(天職)が見えてくる問いになると感じました。みなさんならどんなカフェを開きたいですか?縁側カフェ、お寺カフェ、猫カフェ、編み物カフェ、ミシンカフェ・・・。すてきなカフェがこの日本にもいろいろ生まれています。

塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は翻訳されて、台湾、中国、韓国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。

※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景とする。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。