vol.207 南の島よりハイタイ(こんにちは)連載-7

沖縄戦とは、太平洋戦争末期の1945年日本軍と沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍との間で行われた戦いです。日本軍は沖縄を本土防衛の最後の拠点とし、連合国軍は日本本土に攻め入るための基地として沖縄諸島を攻略しようと試みます。
沖縄戦では、民間人を巻き込んだ地上戦により、日米両軍と民間人合わせて20万人以上の犠牲者が出ており一般の犠牲者は、推計で10万人、沖縄県民の4人に1人が命を落とした壮絶な戦いになりました。
そんな中で悲劇の1つとして読谷村*(よみたんそん)のチビチリガマでの集団自決があります。3月末から激しい爆撃があり、4月1日に読谷村に上陸した米軍はチビチリガマに迫り、追い詰められた住人がガマの中で肉親を手にかける悲劇が。140人近くが避難していましたが85人が命を落とし、その半数は12歳以下の子どもたちでした。
その読谷村に海の見える「さとうきび畑」歌碑広場があります。平和を祈る歌「さとうきび畑」は1967年沖縄の地で誕生。歌詞の作者、寺島尚彦氏は、沖縄のサトウキビ畑の土の下にまだ埋もれたままの戦没者たちの魂に揺り動かされるように「さとうきび畑」を書き上げました。この歌に込められた平和の祈りを沖縄から永遠に発信し続けるために2012年4月1日読谷村に「さとうきび畑歌碑」が設立されました。歌碑の横には、ミュージックボックスが併設され、ボタンを押すと「さとうきび畑」が米軍上陸の地に流れます。
さて、皆さんは「慰霊の日」をご存知でしょうか。
1945年6月23日アメリカ軍が主体となった連合国軍と日本軍の間で起こった組織的な戦闘が終結したことから6月23日が「慰霊の日」と定められました。糸満市摩文仁の「平和祈念公園」で沖縄戦の犠牲者をしのび、追悼式や前夜祭が行われ世界の恒久平和を願う日です。沖縄全戦没者追悼式では沖縄の子供が書いた「平和の詩」の朗読があり、毎年、胸を熱くさせられます。そして全国75.5%の方々(沖縄タイムス社による)が「慰霊の日」を知らないという現実ですが、本土の方々にもぜひ、この「平和の詩」の朗読に耳を傾けてほしいものです。
今もなお地中には多くの戦没者の遺骨が残り、暮らしのなかで不発弾が見つかるという沖縄の現実に、一人でも多くの方が関心を持っていただけたらと切に願っています。

*読谷村 沖縄県の中部に位置し、全国で一番人口の多い村です。元祖、紅芋タルト発祥の地です。


かとう まみ プロフィール
岐阜市生まれ。桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ専攻卒業 ・2015年5月:写真集「奥飛騨に響く種蔵の里」(岐阜新聞社)出版 ・2019年6月:写真集「ばあちゃんぼくが継ぐ」(岐阜新聞社)出版・個展3回・(一社)二科会写真部会友 ・岐阜市美術展委嘱作家岐阜市美術展部会推進委員・岐阜県写真作家協会会員・二科会写真部岐阜支部委員・ギフフォトクラブ会員