vol.201 ボーダーレス社会をめざして vol.60

NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子

障がい者の人権

 「子どもを施設に入れたい」という若い親御さんに10年程前に、富山で出会いました。パネリストとして私は、地域で障がいのある人がいきいきと暮らすためにどうすればいいだろうか?グループホームではどのような暮らしをしているかを具体的に話していました。お子さんが小さいのに何故そんな早くから施設に入れることを考えるのだろうか?障がいのある人が、地域で何とか暮らせないだろうか?そればかりを考えていた私には、かなりショックでした。悔しくて涙がこぼれ、止まりませんでした。富山だからこんな考えをするのだろうか?と考えてみたり、障がいの重い軽いからくる考えなのだろうか?その会場では、入所施設で働いている人が、施設の内情を詳しく話してくれ、できれば地域で暮らそうという空気になりましたが、子どもとは言え一人の人として考えて欲しかった。
 今では、障がい者の「意思決定支援」が大切にされ、自分の思いを言葉にできない人の意思決定をどのようにしていくか、支援者、家族がすべてを決めてしまわないようになっています。厚生労働省はガイドラインを出し、最後の手段として本人の最善の利益を検討するようにしています。本人の人権を守るため、支援者は一生懸命取り組んでいます。
 そんな時代に、ある講演会で「あっちゃんの事、講師の人が話してたよ」と。何の連絡もなく、勝手に実名で息子のことが話されていました。障がい者の人権をどう思っているのでしょうか?障がい者を語る前に、障がい者についてどのような勉強をしてきた人なのでしょうか?他人の事を語る資格があるのか疑問です。
 私たちは、何か問題が起きると、まず立場を置き換えてみることをします。もし私が同じことをされたらどう思うのだろうか?今回は、明らかにNOです。知らない所で私の人生を語られるのって、どう考えてもおかしいでしょう。失礼極まりない話で、障がい者に関しては考えが甘いのでしょうか?頭の中では平等という事は分かっていても、無意識に差別をしてしまっていたのでしょう。小さい頃から障がいのある人についての教育を受けてきていない、また接してきていないから仕方がないことかもしれません。
 しかし、そんな事は言い訳にはなりません。普通に人権を考えたらとんでもない話なのです。抗議をし、本人に分かりやすい言葉で謝ってもらい、二度と息子の話はしないという約束をしましたが、釈然としないまま終止符がうたれました。
 私がこのコーナーで息子、娘の話を書きますが、二人ともに了解は得てあります。親子であっても別人格の2人なのですから、当然なのです。