電気を消して、星を眺めてみよう
人生を変えた出来事に感謝できる余裕を
「アースディいわき」 仕掛け人 インディアン 吉田さん
幻の聖火ランナー
「正直ホッとしているんです。そもそも復興を冠にしたオリンピックには違和感を覚えていましたから。」そう語る吉田さんは、福島県いわき市出身。原発から40キロほど離れたところに住まいがあった。原子力発電所には小学校の時に社会見学に行くなど、日常の中に原発があったので特別に意識はしてこなかった。だが大人になって、なんかおかしい、事実が報じられてない、それどころか隠蔽してるんじゃないか?と不信感を覚えはじめたという。そんな時に、震災があり、原発事故が起こった。事故後さらに事実が報じられてない現実に、見えない放射性物質とどう向き合えばいいのか、当時1歳4ヶ月の子どももいてすごく悩んだ。
「ライフラインが止まり、物資も入ってこないし身動きも取れない。4月11日にまた地震がありさらに混乱しました。こんな状況で子育ては厳しいなと感じ、愛知県の小牧市に自主避難を決意したんです。」
フクシマのありのままを伝えられるチャンス
「2020東京五輪。日本での聖火のスタートが福島県のいわき市に決まった。そうであるならば、福島がふるさとである自分としては『実はわたしは自主避難をしています。こうして聖火を持って走りに来ました』そんな気持ちとともに、生まれ故郷で何かのメッセージを伝えたいという気持ちが強くて聖火ランナーに応募したんです。」という吉田さんは、問題含みの東京オリンピック開催については、賛成でも反対でもなく、悪いイメージも抱いていない。純粋にスポーツを楽しむ世界的なイベントであれば、反対する理由もないと。「日本の文化としていいもの、特に『もったいない精神』を世界に紹介できたり広めたりできるいいチャンス、とも思っていました。そして、ありのままのいわき市を走って、復興には今道半ばという現状を世界に伝えたかったんです」。と聖火ランナーに応募した当時の気持ちを語る。
自主避難した地で「アースデイいわき」開催
小牧に来ても故郷を離れたことに負い目を感じる日々。もともと福島県の山奥を買い取って、子ども達に自然体験をとおしてたくましく育って欲しいと、インディアン村を運営していた。その旗振り役の自分がこちらに避難した・・・。人に会うのも辛い日々が続いていた。その時、福島県の友人から、「今までどおり君らしく活動して愛知の人にちゃんと恩返しをしなさい」とお尻を叩かれ、ようやく外に出ることができた。それで福島の山の中でやっていた「アースディいわき」という活動をもう一度やってみようと、いろんな人に声をかけたら県外から自主避難をされている方が1200人以上もいることを知った。そう人たちの応援隊、そういう事実を知ってもらう啓発イベントとして「アースデイいわき」をイベントの聖地・名古屋の久屋大通で復活させたのが2013年。
「翌年はモリコロパークで『アースデイいわき』をやったんですが、その頃かな、オリンピックが東京に決まったのは。『アンダーコントロール』と世界に発信した安倍首相。その前の野田氏も『収束した』と・・・。現場を見てないのか?と、ますます不信感が湧き出てきました。フレコンパック(汚染土を詰めた黒いビニール袋)の行先も決まらず、山積みのまま。タンクの汚染水の処理も決まらずに、ですよ。この事故をきっかけに原発はやめよう、という論調に変わると思っていたのに、なかったことにしようとしています。」
原発事故の後から生活スタイルを変えた吉田さん。エネルギー消費を少しでも削減しようとした結果、夜型から朝型にシフトした。
「夜は電気を消して星空を眺めます」。かすかな輝きも心にしみるという。
今回のコロナウィルス問題は、9年前の原発事故による放射能問題「見えないものに、怯える」いう状況にとても似ているという。もし復興五輪として予定通りオリンピックが開催されていたら、東北の支援はもうそこでストップしてしまうんじゃないかという一抹の恐れみたいなものもあった。その可能性もある。
「だから、聖火ランナーとして『復興はまだ道半ば』を伝えたかったんです。」
インディアン吉田(吉田拓也)プロフィール
2007年、福島県いわき市の山奥で「インディアン村づくり」をスタート。その村で「アースデイいわき」を開催。震災の影響で村づくりは道半ばとなってしまう。未だ復興への道のりは遠いが、東北にエールを送るとともに、第二の故郷「こまき」のみんなと誰もが楽しくワクワクするような「インディアン村」を期間限定で小牧山に再現復活させるなどの活動をしている。特定非営利活動法人インディアン・ヴィレッジ・キャンプ理事長。(小牧市在住)