「日経ビジネス」8月20日号が「リニア新幹線 夢か、悪夢か」と題した特集を組み注目されています。葛西敬之・JR東海名誉会長のインタビューでは、「私がじゃなくて、神様が見ても、誰が見たって(リニアは)いけるんです」という「神懸かりな」言葉を引き出しました。これに対し、「WiLL」11月号は「朝日に成り果てた『日経ビジネス』」などの記事で先の特集を批判。その内容はさておき、新聞やテレビが本格的に取り上げてこなかったリニアの是非を巡る議論が、多くの人の目にさらされることを歓迎したいと思います。 ジャーナリスト・井澤宏明
「安全神話」に守られて
静岡で準備工事
リニア沿線7都府県のうち、唯一工事が始まっていなかった静岡県で9月18日、JR東海は南アルプストンネル工事の準備のため、作業員宿舎と林道の工事に着手しました。
南アルプストンネル工事の影響で「毎秒2トン減る」と予測されている大井川の水を巡り、静岡県とJR東海の対立は解決しないまま。2027年開通に向けて切羽詰まってきたJR東海が見切り発車した形ですが、積み残された課題は何も解決していません。その一つに、トンネル工事で掘り出される膨大な残土があります。
「東日本大震災前の東京電力の考え方と変わらない」。昨年2月、大井川源流部の残土置き場について話し合っていた静岡市の有識者協議会で、委員の明星大学准教授・長谷川裕彦さん(57)(自然地理学)がJR東海の姿勢を批判しました。
計画では、大井川本流と燕沢の合流地点に、東京ドーム約3杯分に当たる約370万立方メートルの残土の大部分を最大約70メートルの高さに積み上げるとしています。
すぐ上流にある千枚岳(2879メートル)は、これまでも大規模な崩壊を繰り返してきました。山頂から深層崩壊が起こった場合、土石流や水分をあまり含まない岩屑なだれが上千枚沢を駆け下り、大井川本流に達して対岸に積み上げられた残土にせき止められ、より大規模な土砂ダムができてしまう恐れもあります。長谷川さんは、「最悪のシナリオを検討しておくべきだ」と、JR東海に繰り返し迫りました。
岩屑なだれを確認
ところがJR東海は、山腹からの小規模な土石流を想定したシミュレーションしか行わず、「土石流は大井川本流には達しない」と主張。「規模が大きい崩壊ほど、発生確率は低くなる」などとして、長谷川さんが提案した深層崩壊を想定したシミュレーションを行うことを頑なに拒否しました。
静岡県で準備工事が始まる直前の9月15日、東京都日野市の明星大学に、長谷川さんを訪ねました。
南アルプスの氷河地形などを研究してきた長谷川さんは学生時代、先鋭的な登山で知られる山学同志会にも所属していた「山ヤ」です。
「日本で一番地質が脆弱なところ」(長谷川さん)を掘る南アルプストンネルに疑問を感じていましたが、2015年に静岡市の有識者協議会の委員に就任し、「(リニアを)作る形で進めるにしても、地形学を専門にしている人間として、残土置き場が本当にそこでいいのか、明確にしなくちゃいけないと思って取り組んできた」と話し、次のように警鐘を鳴らします。
「千枚岳の山頂直下に崩壊前兆地形がたくさんあって、大規模な地震があったとき、雨水をたっぷり吸いこんでいると、一気に崩れることが十分ある。科学者として山を見てきた立場から言うと、次の東海地震で起こってもおかしくない」
長谷川さんたちの現地調査により、古く見積もっても1000年から2000年前、上千枚沢で少なくとも2回の岩屑なだれが発生し、大井川本流より100メートル、80メートルの高さまで堆積したことも分かりました。
これは、JR東海が「1000年に1回以上の規模」として想定したという土石流よりも大規模な岩屑なだれが起きていたことを意味します。専門家の警告に背を向け続けるJR東海について長谷川さんは、「安全神話に守られていたときの電力会社と同じ」と苦言を呈します。
大井川本流をせき止めた土砂ダムが決壊して、下流域の住民に被害を及ぼさないためにも、「残土を置いたとき、置いていないときをシミュレーションしたらどう違うのか、JR東海は明らかにする義務を負っている」と長谷川さん。JR東海が、東電の轍を踏むのを黙って見過ごすことはできません。