vol.181 平和特集Part-3 ぎむきょーるーむ 子どもと「戦争・テロ」を話すとき

戦後70年を経た日本は「平和だよ」と
子どもたちにいえますか?
今も世界では「戦争・テロ」が起こっていて、
ニュースでも毎日のように悲惨なシーンが流れる。
それをじっと見つめる子どもになにを語れますか?
昨年夏の衆議院選から選挙権年齢は「18才以上」に。
新たな歴史が動いているいま、
大人として、あらためて考えること。

「戦争・テロ」わが家で伝える場合
祖父母の体験から
・ ネットやテレビのなどのメディアからではなく、人から人へ伝えるのがいちばん心にのこると思う。わたしの場合、祖父がシベリア抑留兵でやがてアル中に。祖母は戦火の中を逃げ回り、過酷な状況で子どもたちを育ててきたこと。祖母は死ぬまでそのことばかりを話していました。(匿名)


映画や本をもちいて
・ 『ちいちゃんのかげおくり』(あまんきみこ作/上野紀子絵/あかね書房)を読み聞かせしました。小1の娘には、戦争→家族がいなくなる→寂しい、という理解だけのようでしたが、あとからいろいろわかってくることもあると思うので、学年があがってからまたいっしょに読みたいです。(東京都/MM/娘6歳)

親としてのメッセージ
戦争は遠い国のできごとではなく、昔話でもなく、現実に起こっていることで、日本でも今後起こるかもしれない。絶対に戦争をしない、させないために、智恵を使い、声をあげつづける必要があることを伝えたい。安保法案に反対の立場でデモに参加したとき、子どもたちに「なぜデモをするのか」と問われ、自分なりに説明しました。世の中には戦争をしたがる人がいて、戦争によってお金儲けをしたり、良い思いをしたりする人もいる。権力をもつ人たちは国民に「戦争をしてもいいですか?」と聞いてくれることはなく、国民の知らないうちに着々と戦争を始める準備をしているのではないかと疑われても仕方ない状況になっていると思って、子どもたちにそのようなことを話しています。(神奈川県IT/息子11歳、娘8歳)

いま戦争・テロが起こる理由
伊勢﨑 賢治

紛争地から日本はどう見られているか
平和な国のこれから

遠い国で起きている、その背景にあるのは
 人間はなぜ戦争をするのか?戦争というのは、ふうつ国家対国家の争いです。争う理由にはいろいろありますが、「自分の国にはない、よその国にはあるものをほしがる」という人間の欲望が根底にあるといえるでしょう。
それは現代の紛争の構図を見ると、よくわかります。たとえばダイヤモンド。もとはただの石っころなのに、われわれは遠く離れた国にあるダイヤに希少価値を見出し、ほしがって取りに行く。このような資源は、取りに行く方はできるだけ有利な条件で取ろうとしますから、自分たちに都合のいい権力者に肩入れし、現地では資源も人も搾取される。利権をめぐって権力は腐敗し、住民の間に不満が広がると、やがて紛争が始まります。
いま深刻なのは、スマホや携帯の製造に不可欠なコルタンなどの稀少な鉱物が採れるアフリカのコンゴ民主共和国です。20年以上も紛争が続き、いま人類史上最大の人道的危機が起こっています。それらの鉱物は「紛争鉱物」と呼ばれますが、これらを狙った周辺国の介入によって内戦が起こり、また武装勢力が違法に採掘して資金源にしているのです。このため、欧米では紛争鉱物を使用する企業に対し規制を始めました。
では、日本はどうでしょう?欧米の流れを受けて規制している企業もありますが、スマホや携帯を実際に使う多くの人はそんな事情を知りもせず、無批判に消費しつづけています。ですが、遠い国で起こっている紛争は自分と無関係ではありません。

無知であることが怒りの対象に
テロについても同じことがいえます。
いま、テロリストの組織がなぜ拡大するかといえば、たとえば先ほどお話しした搾取や腐敗の構造、住民の貧しさなどに由来するいろいろな不満が、インターネットによって世界中でつながるからです。つまり、世界のグローバル化がこれまでに生んできた構造的な問題が、グローバル化の落とし子のようなネットワークの発達によって、皮肉にも横でつながってしまうのですね。
テロリストは、この構造的な問題にものすごい怒りがあるわけです。同じ言葉や宗教をもつ者同士が同じような目にあっているとなると、これは個人の憎悪から集団の憎悪になっていきます。それに、教義(ドグマ)がくっつき、行動に結びついていくのです。

さらにテロリストにとっては、われわれが無知であること、これが一番の敵なのではないでしょうか。構造的な問題について、日本人は往々にして無知です。一昨年11月にパリでテロが起こったこともあり、まるで無関心ではないでしょうが、無知であることは彼らにとって強烈な怒りの対象になることも知っておかなければならない。
テロは否定して憎むべきだけれど、テロをする側にも理由があることを知って、あまり必要以上にぼこぼこにしないというブレーキはやはり必要です。

やるべきことは「敵をつくらない」
そうはいっても、「平和な国」である日本はイスラム社会でも評判がいいです。シーア派とスンニ派の両方から好かれている先進国は、日本だけです。でも、この「平和国日本」のブランドは、この10数年でどんどん消えつつあります。
まず、2001年と2003年、小泉政権のときに、特別措置法を成立させおこなわれた2つの自衛隊派遣。国際法で見たら、あれは集団的自衛権の行使です。とくにイラクへの陸上自衛隊の派遣が致命的でした。あのときのわれわれのスタンスは、イラク国民とその周辺国の脳裏に確実に刻みこまれましたね。
そして極めつけは、2011年、アフリカ東部のジブチに自衛隊の拠点を設けたことです。「平和国日本」「九条の国日本」が、すでに軍事基地を持っているのです。
さらに今回の安保法制成立で、日本が軍事力と共にアメリカにどこまでもついて行けることになった。つまり、我々がアメリカのかわりにテロリストに狙われる可能性は否定できません。アメリカより日本の方が狙いやすいでしょう。海岸には原発がずらっとならんでいますから、それが狙われたらおしまいです。日本がどれだけ脆弱な社会か、ということです。
そんななかで国、自分たちを守るためにやるべきことは「敵をつくらない」ことです。敵をつくらない努力。それが国防にいちばんいいに決まっています。
日本は、アメリカとの同盟関係を断つことはできない。だったら、国防のために、アメリカにできないことをやるしかない。
それはなにか。通常戦力を積みあげることではなく、いわゆる内政支援です。テロリストが拠点とする地域は、内戦状態にあります。なぜ内戦が起こるかというと、いい政府ができないから。たとえばイラクでは、スンニ派だったらサダム・フセインをアメリカがやっつけたあと、スンニ派の人たちは差別され排除されてしまったために、彼らの不満やアメリカに対する憎悪がたまって、IS(イスラム国)の前身ができた。すべて、構造的な問題なのです。

中東諸国などでは軍事力をもつアメリカはたいていきらわれていますが、日本はいいイメージがあるから、相手の懐にも入れる。地道に内政にかかわり、「地域格差をつくらない」「特定の民族を差別しない」「人権を守る」など、条件をつけながら支援していく。そうやって積極的にかかわり「敵にならない」という道しか、我々にはないのだと思います。

共生の力を見につける
平和とは、なんなのか。ほかの言葉でおきかえると、「共存」とか「共生」とか、いまはやりの「インクルーシブネス(包括性)」「ダイバーシティー(多様性)」もありますね。いずれにしても、他者とともにある環境を生きていくこと。そこから始まると思うのです。
どうも日本人は、「私たち」「彼ら」といった線を引いたり、外国人を排除しようとしたりする排外体質がとても強い。ぼくは世界のいろいろな土地に行きましたが、日本人のこの傾向の強さをほんとうに実感します。でもこれは、国防の観点からもマイナスだと思います。
今後は、経済の状況もあるし、高齢化社会で労働力が必要だし、外国の人々はますます入ってきます。そのとき、彼らを差別したり排除したりせず、丁寧につきあって、みんなでわいわいやっていけるような、共生の能力を身につけること。つまり、多様性、共生という文化を構築していくことが必要なのです。それは、地方行政のレベルや、自分のご近所のレベルですることです。子どもたちに教えていくことも大事ですね。
そんな立ち位置を知って、できることを探していく。それをしていかないかぎり、われわれに未来はないということでしょうね。

いせざきけんじ○東京外国語大学教授・紛争屋
NGOや国連職員として紛争処理、武器解除などを経験し、「紛争解決請負人」と呼ばれる。ジャズトランペッターとしても活躍。著書に『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞出版)ほか。

①『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』(伊勢﨑賢治/朝日出版)
②『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子/朝日出版)
③『なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか ピース・コミニュケーションという試み』(伊藤剛/光文社新書)