vol.180 メディアよもやま…


マスメディアを捨てよ、町に出よう!
僕がNHKにいた所為で、「メディアよもやまばなし」というこのコラムの「メディア」というのは、たぶんマスメディア(新聞・テレビなどいわゆるマスコミ)がイメージされ、画面には出てこない某キャスターの裏話とか、記事にはならなかった“真実の話”とかが期待されているのかもしれません。しかし今、「メディア=マスコミ」と考えている人はもはや少数で、青少年や実働世代の圧倒的多数にとっては、情報収集と共有の手段としてのメディアはインターネットがすべてでしょうね。江戸時代の公式メディアは辻々の「立て札」や「高札(こうさつ)」、寺の説教などであり、非公式のメディアは草双紙や芝居小屋の物語、浮世風呂や薬売りに聞いた噂話、お伊勢詣りの旅での見聞だったに違いありません。つまり、新聞・テレビに代表されるマス情報(大量生産・大量消費)やマス・コミュニケーションの仕組みは、大量流通時代の特別の産物にすぎなかったし、それは商業的にはどうやら終わりに差し掛かっているようです。
 メディアを語る本はゴマンとありますが、カナダのマーシャル・マクルーハンは『メディア論』で、「貨幣は交換や欲望を満たすメディアだ」「自動車は足の拡張としてのメディアだ」「コンピュータは中枢神経の拡張としてのメディアだ」といいます。活字やラジオは“ホットなメディア”として人々の参加をうながすが、テレビは人々の参加度が低い“クールなメディア”だとも言います。「白鳥の湖」を舞うダンサーにとっては身体がメディアであり、北朝鮮の主要メディアはロケットでしょうか。そもそもメディア:mediaとは、「中間、媒体、手段」を指す:mediumの複数形、何かを伝え表現する媒体です。意味があって重要なのは「何か」であって、媒体(新聞・テレビ)や媒介者(記者・アナウンサー・カメラマン)ではありません。私たちはほとんどの場合、記者・アナウンサー・カメラマン・ライター・芸能人など「代行者」が主観的に切り取った“現実らしきもの”に一喜一憂しているだけで、直接に現実に出会っているわけではない。また、私たちは長らく情報を集め、選び、味付けすることを代行者に任せ、自分自身でメディアを使ったり発信しようとしてきませんでした。受け身で過ごしてきたツケとして、不倫議員とお笑い芸人と、その場限りの強弁政権に、メディアを占領させてしまいました。
しかし時代は変わってきています。若者たちはSNSやBROG、インスタグラムなどで世界中に発信しはじめました。アメリカやヨーロッパ、韓国・台湾でも、普通の市民やグループが、自分たちの主張や表現を発信するメディア制度を獲得しています。もちろん金儲けやプロパガンダのフェイク(偽)ニュース、ネット詐欺も増えていますが、そこは賢明に見破って、政治家・商売人・代行者からメディアを解放し、寺山修司風に言えば、マスメディア依存を捨て、私たち自身がメディアになって、自分の表現をに取り戻していくことが、今、何より大切ではないでしょうか。
「メディアよもやまばなし」は今回で終了です。ご愛読、ありがとうございました。

つだまさお 「てにておラジオ」代表
1943 年金沢市生まれ。1966 年から NHK で、 主として報道番組の制作に従事。1995年から東邦学園短大、 立命館大学などで市民社会のメディアのあり方を教えたり、 全国の市民 メディアを繋ぐ仕事に携わる。2016年から、「みんなの森・ぎふメディアコスモス」で発信する市民による放送局「てにておラジオ」を運営。