vol.175 中高生平和を考える

ピンチヒッター・国枝の報告
この報告を載せていただくようになって4年目に入り、今回が第20回になります。この間に、中心になって原稿を書いてくれていた奏さんは高校3年生になり、受験の準備に追われいます。というわけで、原稿を書こうにも活動が完全にストップしている状況です。そこで今回、20年来高校生の平和活動を応援してきたボクが、ピンチヒッターとして全国高校生平和集会in沖縄と辺野古・高江について報告させてもらうことになりました。
※国枝 16年3月、37年勤務してきた県立高校を定年退職、教育に関わる仕事を続けながら、こういった活動を応援し続けています。

全国高校生平和集会in沖縄と辺野古・高江
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全国高校生平和集会
ここで何回か報告させてもらった「全国高校生平和集会」というのは、高校生が平和について自主的に学び、交流するために広島・長崎で開かれてきた集会で、今年で43回になります。この間、参加してくれた高校生たちは平和について様々な視点から学び、行動してきました。岐阜からも多くの高校生が参加し、現在では、医療や教育、地域おこしなど様々な分野で活躍しています。

沖縄での集会
1995年沖縄で起こった少女暴行事件を契機に、子どもの視点で「平和と戦争そして基地」について現地で学び、考えることを目的に翌1996年、第1回の「全国高校生平和集会in沖縄」が開かれました。それまで被爆地ヒロシマ・ナガサキで開かれていた集会を沖縄でもやりたいということで、現地の高校生と支援者が主体となって始められたのですが、その後しばらく中断していました。
それが、現政権の沖縄に対する圧力がどんどん強くなっていくなか、沖縄がオール沖縄として異議を唱えていく、そんな今を学び、平和について考えようということで2011年に再開、2015年にも行われました(この時の様子は司君が今年の3・4月号で報告してくれました)。
去年12月の集会で訪れた辺野古キャップシュワブ前のテントでは、予定になかった稲嶺名護市長のお話まで聞かせていただくことができ、その前向きなお話に考えさせられることも多かったようでした。
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高江のことで
今、オスプレイ離着陸帯が作られている東村高江は、辺野古からさらに車を飛ばして1時間以上かかるようなところで、とにかく遠いです(この記事を読んでいたくころには完成しているのではないかと思いますが)。
現地の人が差別のマトリョーシカ人形状態にたとえていますが、日本の課題を沖縄に押しつけ、沖縄の課題を山原に押しつけ、山原の課題を高江に押しつけるといった構図で、人口140人しかいない超ど僻地のムラに日米安保体制の矛盾が押しつけられています。
国が、米軍北部訓練場のうち約半分にあたる4,000㌶返還の条件として高江周辺に新しいヘリの離着陸帯6か所を建設することを受け入れ、それがオスプレイの使用も可能なものだとわかっていくなかで、住民の反対運動が始まりました。ただ、ここまで情報はあまり伝わってこず、ボクも現地に足を運ぶことはありませんでした。2011年の高校生集会の時、高校生を連れて訪れた高江のN4前の抗議テントは平穏でした。(写真はその時のものです。)
その後、県道から近いN4地区の2つのオスプレイ離着陸帯は13年、14年と相次いで完成します。しかし、その後騒音問題とかが知れわたり、しかも、残り4か所の工事が自然破壊を伴う難工事になるということもあり、工事は事実上停止していました。
それが、今年6月にお邪魔した時に聞いた「選挙が終わった頃が心配だ」という言葉通りの事態になってしまいました。今、高江は法を守って当たり前の人たちが、工事の年内完成を目指して、法を犯して当たり前といった調子で、作業を進めています。今ではとても高校生を連れていくことはできません。こんな場所がこの日本にあることを異常だと思いませんか?ただ、11月に行った現地で、この問題に関心を持って訪れる若者を何人も見かけたのは救いでした。
工事は間もなく完成するでしょう。けれども、ひとりでも多くの人がこの事実をしっかりと受け止め、これからますます沖縄に注目して、沖縄を特別扱いしないよう、そしてさせないよう見守っていかなくてはならないと強く思っています。