vol.172 暮らし直結! やきものの聖地にリニアが通る

世界に誇る日本の文化遺跡・可児市久々利(くくり)「大萱(おおがや)古窯跡群」

〜やきものの聖地にリニアが通る〜

画家・詩人・地方史研究家 黒野こうき

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40年ほど前のこと、山野に2月の風向あふれる頃であった。友人につれられて訪れた可児市の久々利。案内された里山の斜面で、友人が「足下にある陶片が桃山だよ」と教えてくれた。
約400年ほど前、可児市久々利の山中で日本の焼き物が華やいだ桃山陶と呼ばれる黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部などが作られていた。都での茶の湯の流行のなか、利休を始め信長、秀吉、家康などの戦国大名らがそれらの桃山陶を愛でた。

牟田洞古窯(むたぼらこよう)

牟田洞古窯(むたぼらこよう)

昭和5年、久々利の山中で陶芸家の荒川豊蔵が志野の陶片を発見したことによって、志野のふるさとが久々利の大萱であることがわかった。大萱には国宝の志野茶碗「卯花墻(うのはながき)」をはじめ、優れたやきものを焼いた牟田洞古窯(むたぼらこよう)、窯下古窯(かましたこよう)、弥七田古窯(やひちだこよう)などが点在する「大萱古窯跡群(おおがやこようせきぐん)」が県指定史跡として、約400年前の地形、環境を守りながら残されてきた。友人に案内されたのはその一角であった。久々利から土岐にぬける五斗蒔(ごとまき)街道(県道84号線)はやきもの街道である。その周辺は大萱古窯をはじめ中窯(なかがま)古窯、大平(おおひら)古窯、高根(たかね)古窯、元屋敷(もとやしき)古窯などが連なる日本のやきもの史上における重要な生産地であった。山中に眠るそれらの数多くの古窯と、多くの陶工らが歩いた五斗蒔街道をとりまく自然派やきもの愛好家にとって魅力的な里である。
現在、可児市によって大萱古窯跡群の発掘調査が行われており、志野のふるさと、桃山陶のさらなる解明が期待される。それは窯跡そのものの保全だけではなく、その周辺にあると思われる焼成に関わる作業場、製品を作った工房跡などの調査も行われており、調査によって当時の生産地のようすが明らかになってくる。市としては大萱古窯跡群一帯の保全を考えており、現在の県史跡から国史跡の指定をめざしている。
可児市が刊行している調査事業の冊子に、可児市長の富田氏は「私たち可児市民は、旧来の文化のうえに更なる新しい文化芸術を創造してきた先人の気風を受け継ぎ、温故知新の精神を大切に、誇りを持ってこれからも新たな文化創造に挑戦していく象徴として、この事業を位置づけている」と述べている。
やきもの好きな人にとって可児市久々利に遺る大萱古窯跡群は、聖地のようなあこがれの土地なのである。友人の説明を聞きながら私はいっぺんにやきものの世界に魅了され、日本のやきものの地を訪ね歩く愛好家の一人になった。東濃地方の山野を歩くと枯葉の下に桃山、江戸時代の陶片が転がっている。私たちが住む土地に、世界に誇る日本の文化遺跡が存在していたのだと実感しながら。
ちょうどそこに、狙ったようにリニア中央新幹線がやってくる。リニアの地上を走る路線が、大萱古窯跡群にある牟田洞古窯跡と窯下窯跡のあいだを通過するという。国史跡をめざしているやきものの聖地の真ん中に、リニアの高架路線が計画され、まもなく工事が開始されようとしている。地元では路線の地下化をJR東海に求め、全国の文化人や陶磁器研究者らから非難の声がわき起こったのも当然のことである。
現在、久々利にむかう土岐市側には中央自動車道、可児市側には東海環状自動車道の高架が横切っており、周辺にはゴルフ場が開発されている。地上を走るリニアの高架路線によって日本のやきものの聖地、志野のふるさと久々利の景観が一変する。JR東海がいう、高架路線のデザインを志野風にするとか、橋脚の間隔を考慮するといった問題ではない。
思い出されるのは、東京五輪の時のこと。江戸時代の古川柳、「日本橋絵にかく時は富士をかき」、あるいは「ふる雪の白きを見せぬ日本橋」と謳われた江戸のシンボルであった天下の日本橋が、首都高速道路建設によって、高速道のガード下になってしまったこと。それも可児市長がいうように、新たな文化創造に挑戦していく象徴なのであろうか。五斗蒔街道の風景を子孫に継承したいと切に願うのは私だけではあるまい。久々利その1
故荒川豊蔵氏の弟子となって久々利で作陶する陶芸家の知人が嘆いていた。彼がろくろを回す作業場の頭上をリニアが通過するという。読者の皆さん、工事が始まる前の久々利の風景をぜひ見ておいてください。経済神話にどっぷりとつかった現在の日本の中で、大萱古窯跡群の景色がどのように変貌していくのかを・・・

ご希望があれば、筆者が現地をご案内いたします。
問い合わせは、にらめっこ編集部まで。

今も現役の山ガール(?)の私は、学生時代、南アルプスの山小屋で一ヶ月間バイトした。小屋までのルートは夜叉神峠から。途中富士山が見えるポイントに立った。そこは山火事が起きたところ。「元の山の姿になるのに100年はかかるだろう」と案内人がつぶやいた。その時の光景と言葉がいまだに忘れられない。月日がその痛手を回復していくことになるけれど、とてつもない時間がかかる。それも自然の姿。しかし、大きな山懐にダンプカーを走らせ山肌に穴をあけコンクリートを打ち込み、挙げ句の果て電磁波をまき散らす乗り物を走らせる・・・経済効率のためには自然破壊はやむを得ない?分断される豊かな伏流水や動物たちの生息エリア、破壊される文化遺跡・・・巨額な開発費、山ガール
赤字となれば国が背負う、って、おい!
それ税金やん!これ以上負の遺産を残したくない!健康にも環境にも負荷を与えるリニア中央新幹線って、本当に必要なの?
私は絶対に乗らない!と決めた。(M)