食は文化!食は芸術!「続・福島原発事故を考える」
流れの中で立ち止まり、もっと議論をしよう!
1973年にオイルショックで化石燃料の枯渇が問題となり、原子力エネルギーに突っ走って、今や日本には54基もの原発が点在している。そして今、福島原発の事故を受け、再生可能な自然エネルギーにシフトしようとしている。それはかつて世界大戦に突き進んでいった時の日本の姿を思い起こす。「目的」(=脱原発)をはっきりさせ「合い言葉」(=再生可能な自然エネルギー)をもたせ、ある種の興奮状態(=アクション)を作り出していく…。いまこそ、その大きな流れの中で立ち止まって、自分で考え、行動する勇気を持ちたい。「<原発>をやめて、今市民にできること」をテーマに講演された、山田征さんのお話の中から、「わたしたちにできること」を探ってみました。(以下は山田さんのお話の一部を要約したものです)
全ての原発がなくなっても電力不足にならない。
それは原発には火力・水力、2つの発電設備がセットになっているから。電力不足にならないのなら、新しくエネルギーを作る設備は要らないのでは??「石油の代替が原発」が世の中の流れとなった1973年に酷似していて、とても気になります。自然エネルギーの設備が増えれば個人負担も増える仕組みです。大きな企業になれば億単位の負担となります。経産省では個人の家庭でも、自然エネルギーの設備が増えると数千円の負担となるだろうとコメントしています。
そのカラクリは…「原発」も「自然エネルギー」も国策であるということ。今国会で問題になっている「再生エネルギー促進付加金」を全電力使用契約者から徴収する、つまり全電気利用者に負担させるという決定がされました。
自然エネルギーの発電設備は高額なため、なかなか普及できなかった。そこで業者がやりやすいようにと成立させた法案です。多くの人は今回の原発の恐ろしさで、自然なら安全と単純に思ってしまいました。しかし、その「自然エネルギー」つまり太陽光や風力発電、その他の発電設備を増やすための費用を全て自分たちが負担させられるということをご存じでしょうか?とりあえず今年度は「太陽光」の分だけですから一般家庭で2円から数十円で収まるようですが、今回の「再生エネルギー促進付加金」が可決されると、一般家庭で150円から200円以上の負担となり、自動的に銀行口座から引き落とされるのです。これには納得できません。ですから私は徴収分を差し引いて使用した電気料金分のみ振り込みました。すると三鷹に住む私の所へ東京電力から集金に来ました。「支払いを拒み続けるとどうなりますか?」と逆にたずねましたら「電気を止めます。これは法律ですから」と。それでは徴収分は行政の方に払うべきでは?と食い下がりましたら黙ってしまいました。
自然エネルギーにはまだ問題点があります。
下の図(各種発電設備の特徴)を見てください。電気をつくるのに外部電源がいるとはおかしな話です。しかも風車の羽は強化プラスチック(石油の固まり)で30?50tもあります。自然の風では重くて回らないため、中に組み込まれたコンピューターが風を検知し外からの電気で羽を回します。また「ソーラーパネル」の材料はシリコンやアルミです。それをつくるために大量の電気を使います。
このように「電気をつくる道具」をつくるためにたくさんの資源と大量の電気を消費します。しかも元手をとらないうちに耐用年数が終わってしまいかねません。そして新たなゴミ問題が生まれます。さらに、日本は山間部の多い国ですから、適地が少ない国です。今現在2000基以上の風車がありますが、適度な海浜地区はほとんど建てつくされ、人家の近くや山々の稜線が狙われています。そのため山の尾根まで資材を運ぶ幅広道路の建設からはじまります。風車は金槌を逆さに建てるようなモノですから基底部分は40m四方、深さ10mの穴を掘り、2000t以上のコンクリートを流し込みます。そのための作業場が造られます。
私たちは「火」を使う生活から離れつつあります。やかんや鍋を直火に乗せればお湯が沸きご飯が炊けます。でも今の私たちの社会は、火で電気をつくり、その電気で電気をつくる道具をつくり、その電気を使ってお湯を沸かしご飯を炊いているのです。そのようなものを造れば造るだけ、石油も石炭もガスもその他の資源もどんどん消えてしまい、残るのは原発からでるゴミ同様、たくさんの粗大ゴミです。何かを造るときは、それがゴミになるときのことまで考える必要があります。
「石油」という資源は飛行機を飛ばし車を走らせ、ありとあらゆるものを作りだすことのできるとても大切なものです。少しでも長持ちさせるようにしなければと思います。これから先の時代を生きていく人たちのことを考えて、私たちは立ち止まる勇気を持ちたい、と思います。(山田 征)
各種発電設備の特徴
プロフィール
やまだ せい
4人の娘達の子育てと共に、農家と直接関わりながら共同購入グループ「かかしの会」を約20年、地元の学校給食に有機農産物他食材全般を約17年にわたり搬入。仲間と共に レストラン「みたか・たべもの村」をつくる。並行して、反原発運動、沖縄県石垣島白保の空港問題他、さまざまな活動を経て現在に至る。著書:「ただの主婦にできたこと」(現代書館)、「山田さんのひとりNGO」(現代書館)他