VOL.148 ぐー・ちょき・ぱー ボーダレス社会を目指して(31) 伊藤佐代子

ボーダレス社会をめざして(31) 伊藤 佐代子さん

がん

息子が岐阜県芸術文化奨励という賞で表彰される2日前に私には癌の告知がされていました。「悪性でした」「ということは胃がんですか?」「そうです」体から血が引きました。不思議にあるがままに受け入れる事が出来、今自分がなすべき事は何か?家族に知らせ、仕事を何とかしなくてはと思いました。”生きる”ということに初めて向かい合いました。ただ、いとこが医者をしていて「早く見つかってよかった。治るから大丈夫」と言ってくれた言葉が何よりの心の支えでした。淳司の受賞のお祝いをしている時に娘から「お母さん今死んじゃったら・・・。私どうしたらいいの?」と電話があり、向こうで泣いている様子がわかりました。「何を食べてもおいしいし、たくさん食べれるから心配しないで」とは言ったものの、私自身は死というものを漠然と受け入れていたようで、その言葉でハッとしました。生きなきゃいけないんだ。そうか孫が成人式を迎える日まで生きないといけないんだ。相当疲れていたようで絶対生きなきゃ!なんて思いは全然ありませんでした。やはり頭の中が錯乱していたのでしょう。その後検査をたくさんし転移はしていなくて早期がんだと言われました。がんが分かってから手術まで約20日間、いろいろな経験をしました。明日が分からないということは実に暗い気持ちになります。明日があるから生きられるとよく言われますが、明るい未来があるから人は生きようとするのだとよく分かりました。淳司が幸いにも自分でいろいろな事ができるようになっていましたので、心配することなく入院ができました。手術後、病室にとても緊張した面持ちでお見舞いに来てくれました。手には鶴やバラなど5つほど折り紙を持っていました。「お母さんどうぞ」。何にも勝るお見舞いの品でした。34歳の子どもが折り紙か?なんて思いながらも、どういう思いで折り紙を折ったのだろうかと想像するとちょっと涙が出ました。退院の日までズーと窓際に飾り、癒されていました。淳司はどの程度私を心配してくれていたのか全く分からないのですが、ベッドに横たわっている私の元気な顔を見たら、すぐ病院の中の探検に出かけて行ってしまいました。

プロフィール

伊藤 佐代子 (いとう さよこ)
伊藤淳司の母、岐阜障害者就業・生活支援センターの支援ワーカーをした後、NPO法人オープンハウスCANの理事長。地域で暮らす障がいのある方の生活支援や障がいのある方と書道を楽しんでいる。

リンク

NPO法人オープンハウスCAN