VOL.149 医食住 暮らし上手! 食「暗闇レストラン」 医「微生物のおかげ」 住「続・非電化生活」

01わたしたちは、人生の土台をしっかりと支えている衣食住という生活にもっとまなざしを向けるべきだ。もっと考え、もっと反省し、改良を重ね、知性と芸術的感性を生活の基本に差し向けようではないか。衣食住こそがわたしたちを生かし、現実にこの人生を歩ませているのだから。 (by ニーチェ)
にらめっこ編集室では「衣」を「医」に置き換え編集しました。

ダイニング・イン・ザ・ダーク

01暗闇レストランをご存じですか?
1999年にオープンした、チューリヒの「blindekuh」というレストラン。
「Blindekuh」のレセプションにはライトがあります。客はここで週変わりのメニューから前菜、メインメニュー(肉か魚かベジタリアン)、デザートを選ぶ。スイス国内で生産された新鮮な素材は、IP Suisseが保証しています。このラベルは、環境にやさしく、動物を搾取しない方法で作った農作物に与えられる。「暗闇で食べるからこそおいしいものを」と配慮しています。
携帯電話や蛍光時計は禁止なので、レセプションに預ける。また、室内は全席禁煙。
そして、いよいよ暗闇の中へ。給仕人の肩につかまり、1列になって席まで行く。しかし、給仕人もライトを持っていない。ここが「blindekuh」の変わった点。給仕人たちはなんと視覚障害者なのです。
テーブルセッティングは、通常のレストランと同様。グラスもフォークもナイフもある。飲み物に続いて料理が来たら、さあどうぞ召し上がれ!誰にも見えないから、もちろん、手で食べても構わない。
子どもも大歓迎。しかし、これまでの経験から、「blindekuh」は8歳以上であることを勧めている。暗闇は、やはり小さい子どもには恐怖だからというのが理由です。

「blindekuh」創始者のユルグ・シュピールマン氏は、視覚障害者で牧師。自宅に友人らを招いたとき、自分と同じ感覚を彼らにも味わってもらおうと、客を暗闇でもてなしていた。これを繰り返すうちに、レストランを開いてみようと思いついたという。

視覚障害者の雇用拡大と、視覚障害者への理解を目指して
「blindekuh」は、非営利で運営している。シュピールマン氏が、他の視覚障害者3人とつくったBlind-Liecht財団が運営主体だ。アンドレア・ブラーサーさんはソーシャルワーカー、トーマス・モーサー氏は歌手、そして、シュテファン・ツアッパー氏は心理学とインテリアを学んだ。
ツアッパーさんによると、人は視覚を失うと五感が研ぎ澄まされて、匂いや味に敏感になるとのこと。ツアッパーさん自身もまた、視覚障害者だから。彼はデザイナーとして活躍している最中、糖尿病で視力を失ってしまいます。
ひきこもる日々ーー
けれども、ツアッパーさんはくじけなかった。レストランの創業者として心の暗闇を抜け出し、喜びのあふれる明るい暗闇へと移り住んだのです。
彼は言いました。「寄付をもらって成り立つようなレストランにはしたくなかった」と。

暗闇レストランは、ツアッパーさん自身、来店客、働くスタッフと、全員を幸せにしている。CS(顧客満足)もES(社員満足)も両方、高い職場です。
障害者の雇用確保という課題にも大きく貢献しています。

「blindekuh」の狙いは3つ。1つは、視覚障害者への理解を深めてもらうこと。2つ目は晴眼者と視覚障害者の間の理解を深めること。3つ目は視覚障害者の雇用拡大だ。
盲導犬を連れたり、白い杖を持った視覚障害者たちを時おり街で見かける。しかし、そうした人たちとの接点はなかなかない。どういう生活をしているか、見えないとはどういうことかを考えることはあまりないように思います。スイスではバリアフリーが浸透していて、商店や医院は車椅子が通れるほど広いし、電車やバスや階段の昇降も、知らない人が即座に手を貸してくれます。それでも、やはり視覚障害者たちは弱い立場にいます。

“目”で食べていることに、みな驚く
「blindekuh」が世界に広がっている理由は、雇用拡大もさることながら、見えない状態で食べることにあります。
客はみな、「味覚は、視覚に大きく影響される」ことにとても驚くという。チューリヒ郊外に住むある30代の主婦は「blindekuh」での体験を、「魚を注文しました。でも食べているときは、魚なのか肉なのかよく分からなかったわ。自分が、普段、いかに目に頼って食べているのかが分かって、とても良い体験になったわ。一度は行ってみるべきよ」。
理論的には、視覚が閉ざされると他の感覚が研ぎ澄まされるという。しかし、”暗闇”が刺激的すぎるのか、味覚は鈍くなるようですよ…。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク
暗闇の中の対話
鳥のさえずり、遠くのせせらぎ、土の匂い、森の体温、水の質感。足元の葉と葉のこすれる音、その葉を踏みつぶす感触。仲間の声、乾杯のグラスの音、暗闇のあたたかさ。ダイアログ・インザ・ダークはまっくらやみのエンターテイメントです。
参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、アテンド(視覚障害者)のサポートのもと、中を探検し、様々なシーンを体験します。その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、コミュニケーションの大切さ、人のあたたかさを思い出します。

対話(ダイアログ)と会話(コミュニケーション)の違い
「会話」は親しい人同士のおしゃべり。「対話」は異なる価値観などをすり合わせる行為。日本語は、閉じた集団の中であいまいに合意を形成するのにはとても優れた言葉。狭く閉じたムラ社会では、知り合い同士でいかにうまくやっていくかだけを考えればいいから、同化を促す「会話」のための言葉が発達し、違いを見つけてすり合わせる「対話」の言葉は生まれなかった。対話は民主主義を育てる大前提。日本は今、富ではなく貧の分かち合いの時代に入りました。何を大事にして何を諦めるのか、価値観をすり合わせながら、今後の方向性について、国民的な合意を形成していかなければならない。対話が切実に求められている。     (平田オリザ)朝日新聞より抜粋


 

人間が生きていけるのは、微生物のおかげ!

01私たちの世界は、肉眼では見えませんが、微生物に満ちています。きれいな空気の中にも1cm四方に約千匹もの微生物がいるといわれています。高度1万mの上空にも地下1万mの世界にも微生物はいます。もちろん海中にもたくさんの微生物がいます。そして私たち人間の腸の中にも「腸内細菌」と呼ばれる微生物がたくさん住んでいます。つまり私たち人間は微生物と共に生きているのです。
人間の腸内には、約300種類、約100兆個の腸内細菌が住みついているといわれています。その細菌たちは生命力の源であるエンザイム(酵素)を作っています。
腸内細菌には「善玉菌」と「悪玉菌」と呼ばれるものがあります。一般的には人間にとってよい働きをするものを「善玉菌」、ものを腐らせたり人間に害を及ぼすものを作り出す菌を「悪玉菌」といいます。人間に毒にも助けにもならない菌を「中間菌」といいます。この中間菌はまわりに善玉菌がいっぱいあると、自分も抗酸化酵素を出すようになりますが、悪玉菌が多いと、逆に自分も酸化酵素を出して悪玉菌に変わってしまいます。より多数派に染まってしまうのが「中間菌」です。
腸内細菌のバランスはとてもデリケートです。微生物というのは非常にもろい生物です・環境に左右されやすく、繁殖に適した環境だと一気に何千倍、何億倍にも増えますが、環境が悪いとすぐに死んでしまいます。
人間は悪玉菌を毛嫌いしますが、悪玉菌が増えるような環境を作っているのはほかならぬ自分自身です。自分の食生活の乱れ、生活習慣を棚に上げて微生物を責めることはできません。中間菌を悪玉にするか善玉にするかは自分自身の行いが決めているのです。

自然界にあるものはすべてつながりをもち、互いに影響しあいながら微妙なバランスを保っています。そのため、人間から見たら「不要」なものでも、自然界にとっては「必要」なものもあるのです。農作物を育てるとき害虫被害を防ぐために農薬を使う、という言い方がされることがあります。しかし、この害虫という言い方も人間が自分たちの都合で勝手に名付けただけで自然界に害をなす虫など存在しません。人間は農作物に虫が付くことをとても嫌いますが、じつは害虫であれ益虫であれ「虫」が作物にとまることによって増える栄養素があるのです。それは「キチンキトサン」です。キチンキトサンというと、かにやエビの殻に含まれているものとして知られていますが、虫の体を覆っているかたい組織もキチンキトサンによって構成されたもの。そして、虫が作物など植物の葉っぱにとまると、葉っぱから「キトナーゼ」や「キチナーゼ」という酵素が出て、昆虫の足先や体からほんの少しの、それこそ何億分の一とかという微量なのですが、キチンキトサンを吸収して植物はみずからの栄養としていたのです。こうして植物から取り込まれた栄養素は、その植物を食べた動物の生命維持に貢献していたのです。しかしこの栄養のチェーンは、現在は農薬というハサミで断ち切られてしまってます。そしてキチンキトサンではなく、今度は防虫に使われた農薬が野菜に取り込まれ、それを食べる人間の健康を害しているのです。
農薬はさらに農作物のエネルギーの根元である土壌生物たちの命をも奪っています。農薬を定期的にまいている農地にはミミズもよい土壌細菌もいません。そんなやせた土地では作物が育たないので、そこに化学肥料がまかれます。化学薬品の力で作物はできますが、それは形だけのエネルギーのないものになってしまいます。
私たちは食べ物からエネルギーをもらっているのですから、その食べ物自体にエネルギーがなければ、いくら食べても健康にはなれません。

生物が生きていくうえで必要不可欠なのが酵素ですが、人が作ることができる量は決まっているといわれています。体から酵素がなくなったとき、人の命も終わってしまいます。その大切な酵素をもっとも消耗させるのがフリーラジカルです。現代社会はただでさえフリーラジカルが発生しやすい環境にあります。ストレス、大気汚染、紫外線、電磁波、細菌やウイルスの感染、レントゲンや放射線を浴びたときにもフリーラジカルは発生します。
しかし、フリーラジカルの発生原因の中には、こうした外的要因のほかに、自分の意志で防げるものもたくさんあります。飲酒やたばこの習慣、食品添加物の摂取、酸化した食物の摂取、薬品の摂取などはその代表です。これらの要因で消耗される酵素の量は膨大ですから、意識的に減らす努力をしなければ、必ず病気になってしまうでしょう。
自然環境がそうであるように、最初によいものをいくつか積み重ねると、よい環境が生まれます。よい食べ物、水、生活習慣を続ければ、自然と腸内環境は整い、酵素が豊富に生み出され、生命力あふれる人生を送ることができるでしょう。『病気にならない生き方』著・新谷弘美より

フリーラジカルとは
化学分野の専門用語で「対(ペア)になっていない電子(不対電子)をもっている原子や分子」のこと。電子は通常2個が対になって原子核の周りで安定しますが、ペアを持たない不対電子はとても不安定。そのため、フリーラジカルはほかの分子から電子1個を奪って安定しようとする。電子を奪われた方は逆に電子が足りない状態になる、これが「酸化される」ということ。フリーラジカルは、他の物質から電子を奪って、周りを酸化させる活性酸素のようなもの、と理解してください。また、細胞内の遺伝子を壊し、ガンの原因を作るなど、様々な健康被害をもたらすことで知られています。そもそもフリーラジカルは呼吸をしているだけでも発生します。人間は酸素を吸って細胞内の糖分や脂肪を燃やしてエネルギーを出していますが、この時に体内に取り込んだ酸素の2%がフリーラジカルになっています。悪物扱いされることの多いフリーラジカルですが、じつは体内に入り込んだウイルス、細菌、カビなどを退治し感染症を防ぐという、体にとって欠かせない働きもしています。ただ、それが一定量以上に増えてしまうと正常な細胞の細胞膜やDNAを壊してしまうのです。

01


 

電気を使わない冷蔵庫!?!?
「快適、便利、スピード」より大切なもの 続・非電化生活

01豊かさを問い直そう

非電化工房の藤村さんが提唱する「非電化」とは、単に「電気を使わない暮らし」にとどまりません。エネルギーやお金に頼らなくても、技術をうまく使いこなして愉しく生きていこう、という哲学が背景にあります。
問題なのは持続性を損なう技術。ときおり開かれる非電化冷蔵庫のワークショップは「文化系のおかあさん」と小さいお子さんが優先的に参加できるようにしています。お母さんでも作れるほど、シンプルな技術が使われているのです。自分で作れば壊れたときも自分で直せます。先端的な科学技術の一方で、誰もが使える技術を取り戻す。それが科学や技術の暴走を防ぐブレーキになるだろうと、藤村さん。

なぜ、電気を使わなくても冷やせるの?
01ここで利用されているのは、「放射冷却」と「水の自然対流」という現象です。
放射冷却とは、物体の表面から赤外線が放射されることでものの温度が下がることです。よく晴れた夜には地面から赤外線が空に向かって放射されるため気温が下がります。乾燥した砂漠で夜の冷え込みが激しいのはこのため。「水の自然対流」というのは、温かい水は上昇し、冷たい水は下方にたまるという、誰もが経験的に知っている仕組みです。
冷蔵庫の貯蔵室には(容量200リットル)は熱伝導率の高い金属でつくり、その周りに大量の水(約250リットル)を蓄えます。この水が保冷材の役目を果たします。冷蔵庫上部には赤外線を放射するための放熱版を貼り、板の内側が保冷材の水と接するように作られています。貯蔵物の熱は貯蔵室の金属を介して周囲の水に伝えられ、その熱は自然対流で丈夫に移動します。次に放熱版に伝えられ、放射冷却の仕組みで熱が外部に放射されるのです。

01 01

11月の最後の土曜日は無買デー

なんだ?何も買わない日?うーん、ちょっと違う。「1年に1度、余計なものを買わずに過ごしませんか?」と呼びかける日なんだって。買い物以外の楽しいことに目を向けて「ゆったり」この時期こそそんな1日が大切なのでは?って。

このムーブメントは1992年にカナダで始まり、今年で20回目を迎え、今や世界64カ国、150万人以上が参加する国際的イベント。日本には1999年に上陸し、翌年無買デージャパン・ネットワークが設立されました。開催日は北米やアジア諸国では感謝祭(11月の第4木曜日)の翌日の金曜日。ヨーロッパや日本では11月最後の土曜日。クリスマスシーズンも近く、小売業の売り上げが1年でもっとも高い頃です。

過剰消費に焦点を当てつつ、ライフスタイルの転換を呼びかけるというテーマは深刻ながら、この日は世界各地でウィットに富んだユニークなイベントが行われています。たとえば、クレジットカードをハサミで切るサービス・ストリート・シアター、No Shop店。(何も売らない店)の出店、「無買教会」の牧師が商店街のレジで除霊をして回るなど。
日本では毎年恒例として、京都の繁華街で「禅タクロース」の瞑想パフォーマンス、東京では「ナマケモノ倶楽部」などのNPO/NGOが「買い物をナマケル」呼びかけをします。
これらのメッセージには大量消費社会や消費至上主義的なライフスタイルへの警鐘が込められており、テレビCMや流行に盲従するだけでは人類も地球もおかしくなってしまう、そうではない「本当の豊かさ」を考えようと主張している。このような「気づき」をひとびとに与えるためにキャッチーで知的でユーモラスで、ウィットに富んだスタイルを特徴とする文化変革運動となっている。

2012,11,24 Buy Nothing Day

禅タクロース伝説
禅をしている知人が「あなたが居る処から大改革が始まるんだ」「買い物をする人たちの心の平穏を祈って瞑想しよう」と言っていたのを思い出した。目の前にゴミ置き場に捨てられたサンタの衣装…1999年の無買デーのイベントにと閃いたのです。