「行きしぶり」にどうよりそうか…
「行きたくない」子どもの思いを受けとめる
大事なのは、その子が「行きたくない」という気持ちにちゃんと向き合うこと。行きしぶるには子どもなりの理由があるはず。学校でのいじめから、髪型が気に入らないなど、本当は理由はいろいろです。
また、それはかならずしも大人が理解しやすい言葉で表現されるとはかぎりません。ただシクシク泣いていたり、トイレから出てこないといった行為・行動だったりもする。
最初の時期は、言葉にならない思いを受けとめ、とにかくよりそう。行きしぶりの入り口レベルの子どもは、身近な大人に自分の思いをしっかり受けとめてもらえれば、無理に行かせようとしなくとも、自然に行きはじめる。では学校に行きさえすれば、それで問題は解決するのかどうかは、あとでふれます。
当人にすれば人生の一大事
子どもが行きしぶると、親は心がザワザワ、ドキドキします。それは「ここで甘やかしたらダメなんじゃないか、不登校になってしまうのでは?」という心配。さらに、たとえば母親なら「夫、舅・姑、近所からダメ嫁と見られる」という周囲の評価。多くの場合、親を苦しめているのは、この「世間体」や「バツの悪さ」です。
でも考えてみてください。じつは子どもがいちばんザワザワ、ドキドキしているんです。「親は自分をダメな子だと否定的に見るんじゃないか」と。大人の価値観や先入観が邪魔して、親は子どものSOSに気づかない。子どもにすれば「親は味方じゃない」と思うのも、無理のないことでしょう。
だから「学校を休むなんてダメだ」という頭ごなしの否定ではなく、「休んでも大丈夫。そんなときもあるよ」という余裕が必要です。その安心感をよりどころにして、きっと彼・彼女はまた行けるようになる。
もうひとついえば、子どもはどうしようもなく「しょぼいこと」で悩んだりします。この対応をどうするかです。笑いとばす子育てもありますが、笑われたことで傷つく子どももいる。いくら「そんなことぐらいで」といわれたって、当人にすれば「しぬか生きるか」の人生の一大事なのです。
としたら、「そっかぁー。それを気にしていたんだ」と、まずは話を聞き、思いを受けとめてあげてください。ついでに、親も自分が気になってしょうがなかったことや情けない体験を吐露するといいですよ。容姿や性格などの問題にかぎらず、鉄棒が苦手だったことなども。子どものプレッシャーはずいぶん軽くなると思います。
「ダメ」の蓄積か自己肯定か
ごていねいにも、「このまま不登校になったらたいへんなことになるわよ」と、不安や恐怖感をあたえる親がいます。するとまじめな子どもは追いこまれ、かえって動けなくなる。ひいては「自分はダメな人間」という自己否定感まで植えつけられてしまう。これは避けたい。親をはじめ周囲の大人たちとのかかわりで発せられる「ダメ」の蓄積が、じつは子どもをどんどん動きにくくしているのです。
反対に、否定されず丸ごと親や周囲の大人受けとめてもらった子どもは、弱くて情けない自分でもなんとかなるように思えてくる。これはとても大事なことで、いわゆる自己肯定感が芽ばえた子は、黙っていてもじい文で問題を引き受け自分の頭で考え、動き出します。
行きしぶりの段階では、親の先入観から将来を心配知るのではなく、どうしようもなく「しょぼいこと」で悩んでいるこどもの” いま”にしっかりよりそう。これにつきます。
冒頭の部分で学校に行きさえすれば問題は解決するかと疑問をはさみましたが、
人間の幸せは、学校に行く・行かないでは決まりません。自分は生きている価値があると思える自己肯定感。子どものころに、これをしっかり心の中に根付かせることが重要なのです。
親は子どもにあまり完璧を求めない方が安全です。子どもの頃にいっぱい失敗をして、たくさん悩んだ方がいい。目先の評価にとらわれず、人生の長いスパンの中で幸せを考えていきたいですね。子どもの行きしぶりや不登校も、もしかしたら親にたくさんのことを気づかせてくれる子どもからのギフトかもしれません。
NPO法人フリースペースたまりば理事長 西野博之