韓国人のおじさん
昨日と一昨日受け持った患者さんに韓国人のおじさんがいた。
奥さんがつきっきりで看病してる。口頭がんで、がん細胞の切除のあと気管切開をして、放射線と化学療法に備えて、胃瘻もつけた。
今はうまくしゃべれないけど、飲み物も食べ物もちゃんと口から摂取できる。放射線と化学療法が始まると、胃瘻からチューブで栄養をとることになる。何も飲めなくなるし食べられなくなる。つらい選択だ。
最初は、やっぱり韓国の人からみる日本人への見えないバリアみたいなものを感じる。自分が感じてるだけなのかもしれない。むしろ自分がバリアをはってるのかもしれない。
メディアから流れる情報がつくりあげる壁。
でもすぐにそんなものはなくなる。人間と人間との付き合い、たとえ国が違えど、歴史がどうでも、政治問題がどうでも、結局は人間と人間との付き合いの中で、伝わるものは伝わるし、わかる。
患者さんは、英語もうまく話せないうえに、言葉さえうまく発せられない。でも、笑顔は伝わるし、どんなケアをする看護師なのかも伝わるし、文化が本当に近いこともすぐわかる。
韓国は、多少の民族性は違えど、文化的には中国よりも他のどこのアジアの国よりも、感覚が近い。
ヘイトスピーチはじめメディアをみると、本当にやるせなくなる。マイナスなことばかりで。。。。
でも、初めて日本人と話をしたり関わったりした韓国の人も、きっとわかるはず、あぁ、いろんな感覚が近いなって。
今日もそんな感触がした。
ここでうちができることは、人と人とのかかわりの中で日本っていう国の良さを伝えること。
日本人だからこそ得意な、繊細な作業、丁寧な仕事、まじめさ、そうゆうものを地道に看護を通して伝えられたらと思う。
とはいっても余裕のないときは、人相が豹変して叫びまくる私。
いっつも余裕もって笑顔で対応できる仕事場がいいよね。
この前受け持ったおじさん
・・・まだ50代か60代やったと思う。がんが末期で体中が浮腫で動けなかった。ベッドで体拭くのに動かすだけでも痛みが激しかった。
でも意識はものすごくはっきりしてて、不安や孤独や恐怖が部屋中にただよってた。家族は一回もみなかった。
部屋にいくたびに、ぶっきらぼうにしか返事してくれなかった。 でも、一回「これからどうなるの?おれは死ぬの?」ってうちの目をみていわれて、正直返事に困った・・・
「・・・どうなるか誰にもわかりません。」ってなんとも無難な返事しかできなかった。
実際、本当に誰にもわかんない。明日死ぬかもしれないし、まだあと5,6年生きるかもしれない。
ホスピスに来る人は、医者が予後6か月以内って判断して、緩和ケアのみを希望する人がくる。けど、医者だって神様じゃない。死神でもない。いろんな数字や体の状態をみて、いろんな数値をみたら今の医学ではそう長くはないでしょう。
って決める。そこで、その人の精神状態や、生きる力、家族のサポート、食事、心の状態、などなどそこまで総合的にみる医者は多分いないし、みたからといって、数字は絶望的でもきっともっと長く生きるでしょう、なんていえない。
ほんとうにわからない。奇跡みたいなこともおこるかもしれないし、あっというまに死んでしまうかもしれない。
人間の生と死なんて、数値や傾向だけじゃわかんないもの。
科学や今の医療に人の生きること死ぬことがすべてわかってたまるか。コントロールされてたまるかと思う。
医療なんて、その人が少しでもハッピーに生きていくために、必要なときだけ人生にとりいれるもの。
人によってその割合が大きい人も小さい人もあるかもしれないけど、大切なことは、その人が自分の人生の主導権を握っているってこと。
どう生きたいか、どう逝きたいか。
医療システムや医者に振り回されてはいけない。難しいけど、人生はその人のものだから。
このおじさん、一週間後に死んだ。正直ほっとした。ほんとうに看ているだけで苦しかった。
受け持っているときは、自分が彼のような状態だったら、意識ないほうがましだな。。。って何回も何回も思ってしまうほど、痛みと恐怖と孤独と近づく死が彼をとりまいてた。
一日一日が、一夜一夜が、本当に長くて辛く感じてたやろうなって思う。
彼は、彼の人生を彼らしく終われたんやろうか。。。
彼のあの目はしばらく忘れられなさそうや。
vol.160 新米Nurseものがたり-(Vol.22)