連載-[13] 現役記者がお届けしています
38ヶ月目の「再開」
気仙沼市で発行される日刊紙「三陸新報」の記者が4月に市議に転身した。記者は好き。でも、行政の間違いを指摘するだけ。
それで事態が変わればいいが、放置されることも多い。決定前から政策に関わり、古里をきちんと復興させたい。強い思いから、15年間持ったペンを置いた。
5月下旬の震災調査特別委員会では、実態に合わない住宅再建の支援金制度を変えるよう求めて「見直しもあり得る」との答弁を引き出すなど、積極的に質問した。
市が震災遺構として残す予定の気仙沼向洋高校を仮に解体した際の費用を尋ねると、担当職員は「分かりません」。市長から「県の予算に上がっている」と注意され、職員が「調べます」と答え直す一幕もあった。
震災後に建造した遠洋マグロはえ縄漁船(4月19日)
「政治家」になりたがる記者はたまにいるが、彼の場合、本当に街のため、復興のため、という姿勢が伝わってくるので清々しい。選挙運動も他の候補者と違った。事務所は津波が庭先まで来た自宅。
2歳前の次男をひざであやしていると、支持者が来る。都会では珍しくない自転車遊説を、起伏だらけのこの街でやり通した。楽しそうだったのか、小1の長男と3歳の長女が「自分も選挙出る」と言ったそうだ。
同じ頃、62歳の知り合いが居酒屋を再開した。避難先の関東から2012年に戻って物件を探したが、ない。ようやく空き倉庫を見つけたものの、今度はそんな小口の改装工事をしてくれる業者を探すのに時間を要した。
その気になって帰郷してから店を開くまで約1年半。借金は相当だし、体は少しなまったけれど、厨房で動く大将の目は生き生きしている。
波路上保育所の落成式で踊りを披露する子供たち(5月23日)
再開と言えば、津波で浸水した市立波路上保育所も、別の場所に新しく完成。被災した市立の2幼稚園と3保育所は、これですべて移転新築や補修を終えた。5月の落成式でそうと知り、まだ残っていたのかと驚いた。
逆に「やはり」と思ったのが、災害公営住宅の入居時期が遅れるという市の発表だ。JR気仙沼駅前住宅は2016年3月入居のはずだったのに、16年10月(64戸)と17年5月(131戸)にずれこむ。終の住み家を用意するのに震災から6年もかかるのが、この「先進国」の現状だ。
入居予定者への説明会では、始まる30分近く前から市長が受付に立って頭を下げ続けた。一人暮らしの70代の女性は「別の所に変えようか。でも、東京から長男夫婦と孫が来ると駅前が便利だし……」と迷っていた。
官民問わず、多くの人は精いっぱい働いている。ただ、市民の目に見える変化が極めて少ない。何とか自分の足元を固めた人以外は、それがとても不安なのだ。
南気仙沼地区ではまだ住宅の基礎部分が残っている。左奥に見える家も立ち退きになる(5月24日)
3年ぶりに再開したシャークミュージアム(4月2日)
vol.160 記者雑感 From気仙沼-(Vol.13)