VOL.160 ぎむきょーるーむ・憲法入門!子どもと暮らす人に

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憲法入門!
子どもと暮らす人に

そもそも憲法ってなんですか?

教えて!! 憲法の基本 Q&A

Q:ここ数年「改憲」という言葉が急に多く聞かれるようになりました。なぜ、いま「変える」という意見が出ているのですか??

答える人(元外務省のお役人の天木直人さん)

A:まず「改憲」ということばの意味をはっきりさせる必要があります。今の憲法は、民主主義、基本的人権、戦争放棄といった大原則が盛りこまれています。

ですから「改憲」といった場合は、その原則の下につくられたさまざまな条文を見直すことを意味します。実際のところ、これから提出されてくる政府の憲法改正案も、そのようにしてつくられた憲法全体の改憲案になると思います。

しかし、憲法のどの条文がもっとも重要であるか、どの条文にもっとも関心があるかは、人によって違います。ある人は天皇制の是非について関心があり、ある人は男女平等の問題に関心があり、またある人は人間らしい最低限の生活が守られることに関心があったりします。

ですから、漠然と「改憲」というだけでは議論は進みません。どの部分の改憲を論じるかをまずはっきりさせてから、議論を始めなければなりません。

憲法9条を変えたいと言い出した政権

いまみんなが「改憲」といっているのは、その中でも戦争放棄と軍隊不保持を決めた憲法9条をどうするかということです。私も憲法9条にもっとも関心があります。ですから、私はこのことをはっきりさせるためにもいつも「憲法9条改憲問題」と断ったうえで話すことにしています。

そこで、なぜ、いま、憲法9条の改憲問題が論じられるようになったということです。それは、憲法9条が、平和と安全という根本問題にかかわってくる重要な条文であるからですが、同時に安倍首相をはじめ、歴代の自民党政権が常に「憲法9条を変えたい」と考えてきたからです。

今の日本国憲法は敗戦後、連合国の手によって武装解除されたときに作られました。日本を占領した連合軍は、2度と日本が軍国主義にならないよう憲法9条を求めました。日本国民も、もう、戦争はごめんだ、軍国主義はいやだ、といって、憲法9条を歓迎し、今日まで大切にしてきました。

しかし、国際情勢はどんどん変わっていきます。テロとか北朝鮮の脅威とかが叫ばれて、もはや軍隊を持たなくては日本を守れないという雰囲気になってきました。そのような雰囲気の中へ、安倍首相は自分の政権のときに憲法9条を変えたいとハッキリといいだしました。

Q:子どもと憲法について話せていません。
どう憲法を伝えたらいいか・・・…

答える人(前国立市長・上原公子さん)

01A:中米にコスタリカという小さな国があります。憲法で常備軍の軍隊禁止を規定した「軍隊のない」国です。

アメリカがイラク侵攻を起こしたとき、日本と同じようにコスタリカもアメリカ支持を表明しました。

しかし、大学生のロベルト・サモラ君は、大統領判断は違憲であるとして、最高裁憲法裁判所に訴えました。そして、裁判所は「イラク支持は違憲である」との判決を下したのです。

日本では、このような判決が出ること自体が驚きですが、もっと驚いたのは、裁判をロベルト君一人が起こしたものだったということです。

ロベルト君によると、コスタリカでは憲法をこのように使うことは特別なことではないのだそうです。憲法は学校でも教えますが、親もしょっちゅう憲法の話しをするようです。

それは、日常生活の中で、「これは、憲法に書いてあるあなたの権利だ」ということを、わかりやすく具体的なことで教えるのだそうです。

考えてみたら、日本国民は、「憲法」は九条のことは知っていても、なんだか難しい問題、自分とはあまり縁のない物というイメージが強いのではありませんか。

ですから、コスタリカの親たちのように、私たちも憲法をもっと日常の中で使わなくてはなりませんね。

たとえばクイズをつくって子どもと考える、とか

<問題>小学校と中学校は義務教育で、公立の学校の授業料は無料です。なにが義務なのか、どうして無料なのか。

<答え>憲法26条、第二項に、「すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを保証する」とあるから。

まわりの大人と国は教育を受けさせる義務があり、また第一項で教育を受けるのは権利として保護されているのです。こうして調べてみると、憲法には生活のなかにおける私たちの権利がたくさん書いてあります。お子さんと考えていてはいかがでしょう。

Q:9条が変わると、戦争することになるのですか?徴兵制が布かれることになるのでしょうか?

答える人『私たちが書く憲法前文』の大塚秀志さん

A:憲法に対する護憲でも改憲でもないもう一つの態度として「どうでもいい派」とでも呼ぶべき層が存在する、と思います。

はっきりと「改憲」についての意志や考えをもった人はじつは少数で、同じように「護憲」ももはや少数派で、この「どうでもいい派」が思いのほか、多数派の気がします。

この「どうでもいい派」が、それでは「護憲」「改憲」の選択を迫られたとき、どういう論議だと乗ってくるか、というと、その人の身近な「くらし」にどうかかわってくるか、つまり、自分にとって損か得か、です。

くらしをまもるためなら変わってもいい?

近ごろの日本では「国益」という言い方が好まれますが、結局のところ、イラク戦争が石油をめぐるアメリカの国益のためであったように、戦争は自分の損得でなされていきます。

人と人のエゴや利益が一致しないように、国と国のエゴや利益も一致しない。その解決のために力で勝ち負けを決める戦争をしない、と決める9条は連合国軍総司令部(GHQ)の人たちが他人事だからかけたのかもしれません。

逆にいうと、他人事じゃなければいえないほど困難な理想です。つまり9条は自分のエゴ、国家のエゴをものすごく高い理想を掲げることで抑制しようというものです。

9条が変わったら「くらし」は何が変わるか。答えは「理想」というものを掲げて人が生きることができなくなる、という一点です。

でも、「国のために死ぬ」という理想ができるじゃない、というかもしれないけど「誰かのために死ぬ」というのは「誰かのために殺しにいく」ということと同義語だし、自分が生きたいから他人も殺さない、たがいの利益のぶつかり合いはといえば、話し合い、妥協し合い、折り合っていくしかないわけで、それは「損」を受け入れることだし、他人と話す、ということをめんどうくさがらないことで、逆に、日々の「くらし」でそれができていないと「9条」というタテマエばかりでいいやがって、っていう気になってくる気がします。

改憲後は可能な徴兵制

9条が変われば「集団的自衛権の行使」なのか「国際貢献」「平和維持活動」なのかはともかく、自衛隊の人々が兵士に銃を向け殺すことは当然あります。いまやそれを「戦争」と呼ばないようにしているだけの話しです。

徴兵制についても「改憲」後は可能というか視野にあると思います。読売新聞社の改憲試案には徴兵拒否条項が入っていましたが、それは逆に「徴兵がある」ということが前提ですよね。

じゃぁ、拒否すればいい、と思うかもしれませんが、「空気」を読んで、まわりから浮かないようにすることが唯一の行動原理でさえあるこの国の人々がそのとき拒否できるのか、ネットでは「非国民」なる語が日常語とさえなっているいま、そういう非難が拒否した人に圧力とならない、という保証はありません。

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