しあわせって、なんだろう。異国にいてつくづく感じること
なんで北欧のほうが幸せ度が高くて 日本や韓国が国民の幸せ度が低いかを最近よく思う。
デンマークやノルウェイ、ブータンもちょっと前までは幸せ度が高くて話題になってた。ようは、いろいろあってもやっぱり今の暮らしがハッピーさって思える人が多いってことやおね。
アメリカで、とくにニューヨークでその国からの移民をみかけない国は、多分国民の幸せ度も高い国。
たとえば、今住んでるクイーンズは世界でもっとも多民族・多国籍の住む場所で、中国・台湾・香港・マカオ・フィリピン・インドネシア・マレーシア・バングラディシュ・タイ・ベトナム・韓国・北朝鮮・ロシア・ウズベキスタン・ウクライナ・カザフスタン・ポーランド・チェコ・イタリア・ルーマニア・ギリシャ・アルメニア・トルコ・ブルガリア・アイルランド・パキスタン・インド・ネパール・チベット・ビルマ・ジャマイカ・キューバ・ほとんどの中南米の国・中央と西アフリカの国々・・・はほぼ見かける。
それ以外の国、たとえばヨーロッパの人達(アイルランドやイタリアやギリシャを除いた)、あと北欧の国の人達はほぼみないし、いてもアメリカによっぽどの目的(アート、ビジネス)があって移民してきた人。ブータンもみないし、オーストラリアやニュージーランドもみない。UAEもみない。
移民してきた人達はみんな故郷を思う気持ちが強くて、恋しさあれど、今の暮らしのほうがましという。 物質的な豊かさが増して、最低限の人権は守られる。移民が多ければ、その国の食べ物は流通してその国の宗教の寺院やコミュニティーセンターもあって、英語がしゃべれなくても、違法だろうと合法だろうと現金収入の道さえ確保できれば、なんとか生活していける。子どもは学校に行けるし、むしろ働かせたりしたら即児童労働やなんやと、捕まる。
子どもは大人になるころには、英語もペラペラになって親を助け、仕事もビザもなんとかなって、立派なアメリカ人となってまた家族をつくっていく。そのころには、食べるものも、着るものも、しゃべる言葉さえも、アメリカナイズされて、民族性は薄れていく。2世ともなれば、言葉はなんとか親の母国語をうけつぐものの、アイデンティティは半々のような曖昧なものになっていく。
文化も風習も伝統も、知ってても、触れたり経験しないまま、育っていく・・・。
日本の近代の住宅地もそうやないかと。うちも土着文化にあんまり触れないまま育ったことがけっこう悲しかった。 新しく山を切り開いた新興住宅地で、伝統のお祭りも昔から伝わることもなく、隣町のお太鼓やお囃子がちょっとうらやましかった。おばあちゃんちにいくと、祭でおくるまを曳いて、ちびっこもみんな法被きて、ちんとろ船があって、あの独特な土地の熱気がうらやましかった。
いくら移民がきても、その国はなくならないし、その土地の伝統も文化も受け継がれていくやろうけど、やっぱり、その土地からきた人達がどんどんアメリカナイズされていくのも、またなんだか複雑で。 その土地の人々の幸せ度アップとコミュニティーが維持できるような仕組み(北欧の国のような国自体がたくさんのものに頼らずにまわっていってる)をどんどんつくっていかんとなって思う。ちびっ子たちが大学や若い時に故郷を離れたとしても、定住するのに戻ってきたいと思える土地づくりというか・・・
世界もいろんな国の人が、わざわざ移民として遠く離れた異国の国で暮らさなくてもいいような、そんな世の中になればなって思う。
うちはその土地で先祖代々生きてきた、その土地で、土地とのつながりをもって、その土地の空気や水で、その土地で収穫されたものを食べて、いろんな風習や伝統を受け継ぎながら、生きていくのが、一番人間の体に健康的やと思う。DNAにもそれが一番自然なはず。そうゆう暮らしがハッピーと思えるような、生き方や生活ができるといいんやけどね。
アメリカ生活が長いと複雑な思いに囚われます。
あ~日本が恋しいなぁ・・・