着物を仕立て直した洋服は見事なできばえ。6月に公民館で開かれたファッションショーでは、その珍しさに、観衆は歩くモデルの服を触りまくった。奈良県の服飾デザイナーが昨年5月から月に1回、2カ所の仮設住宅の住民たちに教えた成果だ。この女性は75歳。往復2200キロを1人で運転して通い続けた。昨年10月には気仙沼から戻った翌日、墓地で転落して両手首を骨折。それでも今年3月、気仙沼行脚を再開した。材料の着物は、教室を始める前に、地元奈良の弟子らに提供を呼びかけた。
千枚以上が集まり、女性は通うたびに車で運び、仮設に保管していった。
ショーは盛況だったが、女性はこの1年間に「嫌な物も見た」。教室に参加せず、着物だけを取っていく人。仮設から新築の家に引っ越す時、大量に持ち去った人……。「嫌な物」以外で私が構成した記事は、7月の新聞に載った。すると、仙台市民から「母親の着物を届けたい」と連絡があった。女性に相談したら、「市役所に送って公平に配ってもらえば」とのこと。市の担当者にその旨を伝えたが「市が分けると、『なせあそこだけ』となるから困ります」。
多くを失った故か。物欲の強さや自己中心的な考え方に、寂しくなる時がある。6月の市議会で、ある議員が「小泉地区に、いい事業をつけてもらいたい」と要求した。農地でのがれき処理場建設を受け入れた地区の一つだ。様々な薬品や油を扱う処理場だけに、苦悩の末の決断だった。負担を引き受けた農家には感謝している。ただ、処理が終われば耕作できる状態に整備して返す約束だ。「いい事業を」はちょっと虫がいい。市も当然認めない。「では他の地区より優先して復興を」。議員は食い下がるのだった。
災害公営住宅の仮申し込みが始まった。希望者の多い物件は、「特に配慮が必要な世帯」が優先して入居できる。例えば「身体障害者で車いすを使う単身世帯」。私の事務所の隣に住んでいたおばあちゃんは、アパートが取り壊されたので、別のアパートに一人で暮らす。ある時、「私は高齢の独居だから、公営住宅の希望は優先されるわよね」と聞かれた。気持ちは分かるが、健康そのものだし、毎日パチンコに出かけて、居酒屋で晩酌をしているじゃないか。もっと大変な生活をしている人がたくさんいるのに。「調子に乗らない方がいいですよ」と言いたくなった。
本人に悪意はないけれど、もらって当然、いい扱いが当たり前。震災から2年半近く過ぎ、そういう人とそうでない人の差がはっきりしてた。
現役新聞記者(宮城県・気仙沼在住)
私のいる事務所兼住居は、1階の浸水のみですみましたが、3軒隣の警察署も、少し離 れた小学校も解体です。
節電といわずとも、家の周辺は真っ暗。人がいないから…街灯 もいらないわけで……
これから、気仙沼で自分の見たまま感じたままをお届けし