やっぱりこんなときは見逃せない!!
きつい言葉にグサッ
「なんでこんな問題がわからないのか。若年性アルツハイマーじゃないのか」といわれ、息子は質問をしなくなった。校長に担任を替えてほしいとお願いしたが叶わず、息子には「人生は思うようにいかないことがある」と伝えました。
異常ですよ!
給食が食べられないときは「残していいですか?」と断りに行く決まり。毎回いいにいく長男。昼休みに職場に電話がかかり「また食べられなくて、もどしました。異常ですよ。」とどなられました。(息子23才、専門2年、高3)
ついていけないのでは?
勉強の苦手な息子…「4年生以降もっと授業内容が難しくなるので、ついていけないのでは?」と支援級をすすめられました。 (息子小4,小1)
自分たちで解決したい
教員と子ども、親も結局は人と人。親としては何か要望を伝えるのは子どもの健康と命にかかわることと決め、中学へ入ってからは人権に関することも考えていますが、子どもたち自身がなにかあっても「いやだけど自分たちで解決するから学校へはいわないで」ということが多いので、結局は黙っていることが多いです。 (娘中3,息子小5、小3)
*****************************************
細かいチェック、やめません?
社会学者 宮台真司
「子どもの領分に介入しない」
たとえば、昨今の親たちは昔に比べて自己防衛的で、物事を細かく気にします。それで「子どもの領分」に過剰に介入することになりました。その結果、子ども自身で人間関係をつくり、人間関係のトラブルを解決し、人間関係のほころびを修復する力が、弱くなっています。親の劣化が子どもの劣化をもたらしています。
親が劣化した結果、子どもに関わるおとなにーー学校の先生などにーー親が求める事柄にも問題が出ています。たとえば、幼稚園などで「子どものケンカになぜ先生が介入しないのか」と訴える親が増えました。たしかに、ケンカが起こる直前に先生が介入すれば、親としては安心でしょう。でもそれは親の自己満足です。
昔から「子どもの領分」があるとされてきたのは、なぜでしょうか。子どもが自分で問題を解決することで知恵や自信を獲得することが大切だからです。これは古今東西変わらない真理です。
昨今の親は教員に依存しすぎです。教員がダメだと子どもがダメになると思い込む。教員にはそれぞれ個性があり、ポジティブ面、ネガティブ面、いろいろあります。それに細かく目くじらを立てるのは愚昧で、子どもに悪影響を与えます。
担任が教員として多少不適任な資質をもっていようと、親が子どもの前で声だかにいえば、子どもは先生を信頼できなくなります。教員に対して声だかにいえば、教員が自信をなくし、萎縮します。どちらの場合も子どもにとって状態がかえって悪化します。
「なんだって大丈夫」とドッシリかまえる
担任とあわないこともあるでしょうが、神経質になるより、どんな担任に当たろうが大丈夫と思えるような、子どものための「揺るぎない環境」を親たちが作ってあげればいい。それだけの話しです。親は、子どもが育つ環境としてどういう状態をもたらしたいのか。「最終目標」をはっきりさせるべきです。ネガティブをチェックするより、ポジティブな価値をしっかりみさだめるのです。
親はこまかいチェックをやめ、いちいちのクレームもやめる。むしろ「なんだって大丈夫」とどっしりとかまえるのです。「ちょっと変わった先生だけど、平気だよ」と。なにごとも人生の通過点。「あの先生もよく見ればいいとこあるよ」と、ほかの人に同調せずに自分で評価する力を身につける機会にするのもいい。
*****************************************
学校だけが世界じゃない
山下耕平(NPO法人フォロ事務局長)
担任の先生との関係…難しいですね。その難しさも、年齢によって違うような気もします。わたしはフリースクールにかかわっているのですが、フリースクールに来ている人は、いったんは学校に見切りをつけてきているといえます。学校だけが世界じゃないと言うことは、頭の片隅において頂くのもよいかと思います。
閉じていると問題がエスカレート
小学校のとくに中学年ころまでの子どもにとって、担任の先生の存在は、親がわりというか、絶対的に信頼したい人なのかもしれないと思います。だから、その人の悪口は聞きたくないし、聞いても否認してしまう。ましてや自分の親が先生のことを悪く言うとなると、子どもは板挟みというか、困ってしまうのではないでしょうか。
だから、問題な先生だとしても、子どもにとっては、ことは単純じゃないなと思います。
仮に親に問題を置き換えてみると、どうでしょう。虐待などで周囲から見たら問題のある親でも、子どもにとってはかけがえのない存在です。親をとりかえることはできませんし、第3者の目線を入れながら、粘り強く関係を調整していくことが必要でしょう。
担任の存在というのは、親と同じではないですが、特に小さい子にとっては、大きな存在にはちがいないと思います。家庭が閉じてしまっていると問題がエスカレートしまうように、学校のクラスも閉じてしまっていると、問題がこじれてしまうように思います。
親は先走らない
とはいえ、問題はいまのしくみのなかで起きていることで、そこで親はどうすればよいのかってことですよね。まず、相談できる第三者が必要だと思います。そして、自分の悔しさや怒りと、子ども本人の気持ちをゴッチャにしないこと。なんにせよ、親が先走らないことは大事ではないでしょうか?
そして、不登校に関わってきた立場でいうと、子どもが学校を休みたがっていたら、休んでもらったらよいと思います。一時的にでも距離をとることは、大事なことです。この場合、休むことが第三者的な役割にもなるでしょう。そして、ほんとうは先生にも、そういう第三者が必要なんだと思います。いずれにしても、いまのしくみのなかでも、どうにかして第三者的な空気を入れることが大事だろうと思う次第です。