VOL.169 浜 矩子さん講演会

平和のつどい
グローバル時代の救世主「日本国憲法」
〜正義と平和が出会うとき〜
浜 矩子さん(同志社大学教授・経済学)

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グローバル時代とは
まずグローバル時代とは、どういう時代なのかということからお話します。
今は「ヒト、モノ、カネ」が国境を越え自由に飛び交う時代。突き詰めると、「誰も一人では生きていけない時代」と同時に、「誰もが誰かのお世話になっている」そういうつながりの時代がグローバル時代だと思います。
このグローバル時代の本質を、我々に鮮烈な形で示してくれたのは、3.11東日本大震災が発生後に判明した一つの出来事でした。福島のあるちいさな部品工場が生産停止に追い込まれました。その結果として、世界中で自動車生産が止まったのです。グローバル経済の中で君臨する最強の自動車メーカーは、最弱な工場の支えがなければ事業を継続していくことが出来ない。このように、「誰も一人では生きていけない」というのが、このグローバル時代の経済です。金が国境を越えて暴走をすれば、リーマンショックみたいなものが起こる。ものづくりの拠点が国境を越えて移動すると、雇用の空洞化や地域の疲弊という問題が起きてくる。人が国境を越えて動くと、いまのシリア難民の受け入れを巡ってヨーロッパが右往左往する…。このように「ヒト、モノ、カネ」の動きに対して無力感を味わう。そのような国々の動きから我々をまさに救ってくれるのは、日本国憲法であり憲法9条であると思うのです。
ところが、あるタイプの人々は、誰も一人では生きていけない状況になればなるほど、自分だけの力で生きていこうという思いにとりつかれる。そういう傾向が国々の政治責任者のなかに強まって国家主義的な傾向が強まってしまう。そういう怖い状況も今の時代の大きな特徴となっています。

アベノミクスと外交安全保障政策とは表裏一体。その問題性。
今年の4月末、安倍首相はアメリカを訪問をし、4月29日の米国連邦議会の上院合同委員会にて演説をしました。同じ日の午後に笹川平和財団アメリカ本部で講演をしております。「アベノミクスとわたくしの外交、安全保障政策は表裏一体でございます。」という発言、これは政策責任者が決して持ってはいけない認識だと思います。さらに「日本がGDPを増やすことが出来れば、国防費を増やすことが出来る」と彼は明言したのです。
経済政策にはきわめて重要な2つの使命があります。1に均衡回復バランス。2に弱者救済。経済活動のバランスが崩れると猛烈なインフレとか、ひどいデフレ状態に陥るとか、バブル経済化したそのバブルが破綻して、恐慌に陥ってしまうとかが考えられます。そういう状態になると、最も痛むのは弱者たちということになります。したがって、経済の均衡を回復するという経済政策の第一目標と弱者救済という目標は自ずと表裏一体の関係にあるということです。このようにきわめて重要な使命を担っている経済政策を、外交安全保障政策の都合で振り回すことほど経済政策責任者として大罪はないだろうと思います。
それに加え、安倍発言にはもう一つ重大な問題が隠れています。彼の外交安全保障政策は何かというと、「戦後レジームからの脱却」です。戦後から脱却したいのであれば戦前に戻るしかない。それが彼らの外交安全保障政策の中身という事になります。しかし我々は未来永劫「戦後」という時代を生きていくわけです。25世紀、30世紀になろうが、「戦後」という時代なのですから。安倍政権が突き進んでいる道筋はアホノミクスで国家、安保法制をもって、富国強兵!この二つの道を通じて大日本帝国への道を立ち戻っていくということが非常にハッキリしています。

アホノミクスは第2ステージに!
ご承知の通り「新3本の矢」が登場しました。打ち出された対策は、「希望を生む強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」…なんともむずがゆくなる言葉が並びます。「希望を生む強い経済」には日本のGDPを600兆円に増やすという目標が掲げられています。同時にそれに相当する国防費を増やすことが出来るということになっていきます。さらになぜここで一億総活躍というのか。要するに日本のGDPを600兆円に増やすために一億総奮励努力せよ、と解釈できます。これからは高齢者も生涯現役です。そしてさらに、出生率を1.8に引き上げろと。生めよ増やせよというわけです。大きな経済、強い経済を作り上げるために、国民一人ひとりに総動員するという法令、これがアホノミクスの第2ステージというものです。

地方創世とは?
国家は国民に奉仕するためにあるわけで、国民を唯一にして最大の顧客とするサービス事業者、それが近代的な民主主義的な国民国家における国家という位置づけです。地域の疲弊という問題に、どんな形で対処することが出来るのか、一生懸命考えて、メニューを出すのが彼ら(国家)の役割ですが、大日本帝国に立ち戻りたい人たちの頭の中では、この関係は完全に逆転しているのです。強い国家、大きな国家を作るために、国民が奉仕するとなっていると思います。女性活躍推進法というテーマもまったく同じです。今まで十分に利用してこなかった女性の力を取り入れることによって、日本経済の成長力を高めていくと。

我々がめざすべき世界とは!?
それは本日の副題「正義と平和が出会う時」ということになると思います。
旧約聖書の中の詩編に「慈しみと誠は巡り会い、正義と平和は抱き合う」というフレーズがあります。誰かの誠と誰かの誠が、一致しないとそこは決して巡り会うことはない。正義と平和の抱き合いがいかに難しいか、ということを歴史を通じて、我々にずっと示し続けてきているのが、パレスチナ情勢であるかと思います。イスラエルの正義とパレスチナの正義がぶつかったとき、そこに発生するのが、戦争であるという現実。最近においては、イスラム国を称するISの人たちの正義、その他の世界の正義というのはあまりにも違います。自分たちの正義を貫くために平和をこわしている、というのが残念ながら今日の実情です。

正義と平和が抱き合う場所に行くためには
日本国憲法が示している世界、憲法9条が我々に啓示してくれる世界はまさに、正義と平和を抱き合わせよう、そして慈しみと誠を巡り合わせようと、恒久的な反戦の誓いが集約されています。ではそこに到達するために、我々はどういう条件を押さえておくべきか、そのポイントは3つあります。
まずは「一つの原点回帰」。経済活動は、人間を幸せにすることができて、はじめて経済活動の名に値するということ。そういう観点から考えればブラック企業は絶対に存在しません。次に「バランス感覚」。孔子の論語に「おのが欲するところに従えども、矩を超えず」。自分がやりたいことを思う存分伸び伸びやるが、人権を踏みにじったりはしない欲と矩の黄金バランス。孔子曰く、人間は70ともなれば、その境地に達することが出来ると、論語の中でいっております。
最後に「3つの道具」。それは、「耳」と「目」と「手」であると思います。
耳は、「傾ける耳」。人の言い分もきちんと傾聴することができる、救いを求める弱者たちの声を敏感に察知出来る耳。目は、「涙する目」。人の痛みに思いを馳せて、泣くことが出来る目。経済学の生みの親であるアダム・スミスも経済活動を営む人間とは「共感性を有する人間たちである」というふうに言っています。人のために泣けることだと。最後に手ですが、「差しのべる手」でございます。弱者が必要としているときに、さしのべる手、ということですね。
これらをしっかり持っていれば、間違いなく我々はこの正義と平和が出会う場所に行けるだろうと思います。正義と平和が抱き合う場所にそしてそこはまさに、日本国憲法の世界であり、憲法9条の世界であります。そこにみなさまの大いなる3つの道具を持って、我々全員をどうぞ連れて行ってください。          (文責・にらめっこ)

11月1日「平和のつどい」が岐阜市民会館で行われました。1200人を超す来場者がありました。市民参加ステージでは・群読「命どぅ宝」、・来賓あいさつでは神山征二郎さん(映画監督)、・ロビーパネル展「憲法9条と日本の平和」があり、多くの人の「憲法を守りたい」という熱い思いを共有できた一日となりました。主催:2015ぎふ平和のつどい実行委員会