米国では今、急激な「食品添加物離れ」が起こっています。ですが、それは科学的な根拠からというよりも、むしろ大衆の不安心理に基づくものであり、健康面からはかえってマイナスになりかねない要素を孕んでいます。
また、添加物はワインの保存性を飛躍的に高めることで、現在のように産地や生産年による味の違いを楽しむ「ワイン文化」を花開かせることに貢献しました。また、飢えに苦しむ地域では、食品添加物で栄養価と保存性を高めた特別の食品が子どもたちの命を救っています。
一方では今も、子どもの心に悪影響を与えかねない人工着色料入りのお菓子が欧州や米国、日本で出回っています。多くの研究者が安全性に疑問を呈している人工甘味料もあります。
合成着色料が発達障がいの一因に?欧州で論争
「この食品に使われている着色料は子どもを過剰に活動的にしたり、注意力を散漫にしたりする可能性があります」とロンドンのある個人商店でこんな警告表示が書かれたキャンディーが売られていた。この合成着色料は、石油や石炭を原料とする「タール色素」。うち6種類について、欧州連合(EU)は、添加に際して警告の表示を義務づけている。
これらの色素が、発達障害の注意欠陥・多動性障害(ADHD)に影響する可能性は、1970年代から指摘されてきた。色素が体内のヒスタミン分泌を促し、中枢神経系を刺激するという仮説が有力だ。有害な恐れがある着色料について、EUはなぜ使用を禁止せず、「警告つきで販売を認める」というあいまいな対応をしているのか。
話は2007年にさかのぼる。英国政府の食品基準庁(FSA)は、サウサンプトン大学の児童心理学者ジム・スティーブンスン名誉教授(68)らに、6種類のタール色素が一般の子どもの行動に与える影響調査を依頼した。背景には、英国の親たちの食品添加物への不安の高まりがあった。
使用続ける日本の駄菓子
日本でも「赤色40号」「赤色102号」「黄色4号」「黄色5号」として食品への添加が認められている。英国での実験結果は08年、食品添加物を扱う日本の厚生労働省の審議会でも取り上げられたが、「児童への重大な影響を示すデータとは判断できない」とし、タール色素への規制強化は見送られた。これらの色素は今も、国内産の駄菓子や輸入チョコ、キャンディーなどに使用されている。
スティーブンスンが挙げるキーワードは「先を見越した注意深さ」だ。「たとえ科学的根拠が完璧ではなくても、有害の可能性が強く示唆されれば、政府は用心深く使用を禁じるべきだ。それが未来の国民の安全につながるからだ」
人工甘味料は安全なのか
1965年に発見され、82年に日本の「味の素」が大量生産を始めた人工甘味料・アスパルテームは、安全性を巡り、激しい論争が繰り広げられてきた食品添加物の一つだ。
米国のダイエットペプシでアスパルテームに代わって使われたスクラロースは、砂糖を原料とする合成甘味料だ。アスパルテームほどの論争は巻き起こしていないが、動物実験では腸内環境の悪化を引き起こす可能性が指摘される。
コンビニと添加物
冷蔵・衛生管理の技術や物流効率が上がり、以前ほどの量の添加物を使う必要はなくなっている。それでも保存性やおいしさを高めるため必要な添加物も多い。また、中華麺など添加物がないと成り立たない食品もある。
ちくわやかまぼこなど水産練り製品について、少なくとも10年まで年5%ずつ保存料の使用が減った。結果として、腐敗を防ぐための温度管理費が上がり、廃棄量も増えて年間1772億円もの経費損失が出るはずだと計算をはじいている。
加工食品の表示に目をこらす消費者への対応に業界が腐心する一方で、同じ弁当でも店内で作って販売される場合は、表示は省略できる。外食や百貨店の量り売りに至っては、表示義務は適用されない。
なぜ「危ない」と思われるのか 総論
終戦直後の混乱した時期、有毒の人工甘味料や失明の恐れがあるメチルアルコールが出回っていた。同法では、化学物質が安易に食品に用いられるのを防ごうと「政府が安全性を確かめて承認した化学物質だけが、食品への添加物として使用できる」という、当時としては画期的な考え方を導入した。法を作った人々に、食の安全への強い意思があったことは疑いない。
当初57だった食品添加物は、現在では814に達し、食物の保存、着色、味や栄養や食感の向上、低カロリー化など様々な用途に使われている。
一方で、消費者は「食の安心」を強く求め、添加物を危険視する風潮も根強い。そこには、明確な根拠に基づく異議申し立てと、「よく分からない化学物質が体内に入ってくること」への強い不安が混在しているように見える。科学技術や政治、企業への漠然とした不信感も、不安に拍車をかけているようだ。
「敵か味方か」という一面的な見方を超えて、私たちは添加物とどう付き合えばいいのか
どっちも「自然」自分で選ぼう
絵本作家五味太郎
食べ物は自然に近ければ近いほどいい、という理念は当然ある。だけど、人間は一方で、狩猟採集生活の時代から「どうやって保存し飢えを免れるか」と懸命に努力してきた。その工夫の延長上にある。これも人間にとって自然なことじゃないかな。ただ今は「その工夫が行き過ぎたのでは」と多くの人が不安に思っている。それで「無添加」「地産地消」という話しになるんだけど、結構お金や手間がかかる。多少添加物が入っていても安い方がいい、と思う人もいるだろう。じゃぁ、何を食べるか。結局は自分で選ぶしかないし、選んだ責任は自分で取るしかない。この資本主義社会で、ある商品を買うか買わないか判断することは、ひとつの意見表明でもある。売れないモノはメーカーも作らない。高くても自分が安全と思うモノを食べたいんだったら、それに徹するのが消費者の仕事だよ。自分は食品の表示を意識しつつ、自分の味覚や嗅覚、胃袋という天然のセンサーを一番頼りにしている。後味が今ひとつだったり、腹にもたれたりするものは2度と食べない。この感覚を鋭敏にするには、子どものころの食生活をきちんとすることや、食べ過ぎないことが大事だと思うよ。