vol.225 夢か悪夢かリニアが通る! vol.54

 静岡県焼津市に住む「ナウシカ山の会」代表でクライマーの服部隆さん(72)は昨年7月、山仲間ら4人と南アルプスの大井川源流部、西俣支流の蛇抜沢(じゃぬけさわ)の遡行に挑みました。山梨、静岡、長野の3県にまたがるリニア中央新幹線の南アルプストンネル(約25km)は、大井川源流部の東俣、西俣の真下だけでなく、この蛇抜沢など無数の沢の真下も貫く計画です。国の有識者会議でJR東海は、トンネル掘削により蛇抜沢を含めた大井川源流部の8つの沢で流量減少が予測されるなどと環境影響評価(環境アセスメント)では示さなかった深刻な被害の恐れを明らかにしました。「『その影響を強く受ける』とされる沢を、我々山ヤこそが自分の足で、自分の目で、五感を駆使して、その自然の姿を確かめよう」(報告書より)と計画したのが今回の遡行です。    井澤 宏明・ジャーナリスト

「枯れる」沢を遡行

魚がすめなくなる
 服部さんは18歳の春休みに登った安倍川上流の山から望んだ南アルプスに魅せられて半世紀、南、北、中央アルプスの山や谷、海外の岩場を、裁判所職員として働きながら登ってきました。
蛇抜沢は南アルプス南部の中核をなす荒川三山の最高峰・悪沢岳(東岳、標高3141メートル)を源流とする沢です。悪沢岳は深田久弥の「日本百名山」で知られ、南アルプス国立公園、ユネスコエコパーク(生物圏保存地域)の一部です。
JR東海はトンネル掘削による沢の流量減少の恐れに言及する一方で、アクセスの困難さなどを理由に沢の上流域の調査は行なわず、ドローンなどを使った調査にとどめてきました(同社によると今年2月現在、33沢のうち上流域まで遡行調査したのは2沢だけ)。
蛇抜沢の下流部は急流で、次から次へと現れる滝は水量が多くて直登できません。ロープで安全を確保しながら沢から離れた草付きを登る「高巻き」やロープに体重を預けて沢に降りる「懸垂下降」を繰り返し、標高差約200メートルを登るのに約3時間を要したといいます。
遡行中にウェアラブル(装着型)カメラで撮った映像を見た静岡県専門部会の塩坂邦雄委員(株式会社サイエンス技師長、工学博士)は、沢岸の岩肌から流れ出ている複数の「湧水」に着目。この湧水は「水がたまっている断層破砕帯から一年中安定して出ている大井川の上流部の沢を支える水」だとし、「トンネルを掘ると断層破砕帯にぶつかるから、圧力のかかった水が全部トンネルに抜けて湧水が出なくなるので、沢が砂漠化し魚がすめなくなってしまう」と危惧しています。

山の悲鳴が聞こえる
今回の遡行の映像は「大井川の水を守る62万人運動」YouTube公式チャンネルで公開されています。蛇抜沢は緑が濃く、鳥のさえずりも多く、ツキノワグマのフンなど動物の痕跡も多く見つかりました。「南アルプス南部の自然の豊かさを体現している素晴らしい沢だ」と服部さんは言います。
服部さんは、国のリニア工事認可取り消しを求め沿線住民ら782人が起こした行政訴訟「ストップ・リニア!訴訟」(東京地裁は請求棄却、東京高裁で係争中)の原告でもあります。参加の動機を「南アルプスに人間の勝手で穴をあけて水が抜け、そこに落ち度もなく生きている生き物、植物が死んでいく、殺されていくのがどうしても我慢できない。彼らは日本語がしゃべれない。だったら僕が代理人になろうという思いだった」と振り返ります。
静岡県には南アルプストンネルの本坑(長さ8.9キロ)の他、先進坑(8.9キロ)、千石斜坑(3 キロ)、西俣斜坑(3.5 キロ)、工事用トンネル(3.9 キロ)、導水路トンネル(11キロ)の計6本のトンネルが掘られます(数字は「約」)。服部さんは「南アルプスの内臓をえぐり出すに等しい。私には南アルプスの悲鳴がはっきりと聞こえる」と批判しますが、声を上げ続ける山岳関係者は数えるほどしかいません。
4月20日には長野県松本市で開かれる登山者集会「南アルプスからのSOS」で登壇する予定の服部さん。「南アルプスは次の世代に必ず引き継いでいかなきゃならない公共財産。すべての沢の水を決して減らしてはいけない」と訴え続けています。