障害であるとは、単に足が不自由だとか、自閉症の診断があるということではありません。
足が不自由であるということで行きたい場所に行くことを制限されてしまったり、自閉症であることで人とのコミュニケーションでトラブルが生じやすかったり、生きていくうえで社会との間に生じるハードルのことをいいます。
これは、障害のある人に限ったことではなく、LGBTQの人たちや日本に住む外国人など少数派の人たちにもいえることで、多数派を中心として成り立っているこの社会で少数派の人たちが生きていくということは、より多くのハードル(障害)に阻まれやすく、より多くのハードル(障害)を乗り越えていかなければならないことにほかなりません。
では、多数派が圧倒的に有利なこの社会において、少数派の人たちの強みとは何でしょう。
つには「人としての成長」があげられます。
私たちは人生がうまくいかず壁にぶち当たると、悩み、苦しみを感じます。しかし、その苦難に耐え、乗り越えることで学びが得られることも知っています。
先述したとおり、障害のある人をはじめとする少数派の人たちは普通の人たちよりも多くの逆境に直面しやすく、悩みや苦しみを感じることも多いですが、それはその人を成長の機会にもなり得ます。
かつて発達障害の自助会に参加させてもらった際、当事者の方が自らの生きづらさを吐露する一方、そこから得た学びや前向きに生きていくためのマインドセットの方法を語られていました。また、悩みを開示した他の当事者の方に対し、自らの経験を通じて思いやりのある言葉をかけてらっしゃいました。当事者であり、多数派よりも多くのハードル(障害)にぶつかったからこその思慮深さと懐の深さに、多くを学ばせていただきました。
もう一つには「より良い社会を作る原動力になること」があげられます。
2019年大型の車椅子を利用している重度障害のある国会議員が誕生しました。当時話題になったのでニュースなどで目にした方もいらっしゃるでしょう。このことがきっかけとなり、国会のバリアフリーが一気に進んだと言われています。
近年、少数派の人たちが自ら声をあげる機会が増えてきました。それは多数派にとって当たり前の社会のあり方に一石を投じることとなり、時には物議を醸すこともありますが、長期的には誰もが生きやすい社会を作ることにつながっていくのではないでしょうか。
障害のある人たちと長年関わってきて、彼らの生き方・彼女らの声はわたし自身に多くの気づきや学びを与えてくれました。そして、それはわたし自身の成長にも寄与しています。今後も彼らから学び、彼女らと共に成長していけたらと思っています。