8月10日、「こどもかいぎ」という映画を観ました。にらめっこの名前の由来は、<どんなに忙しくても1日に一回は目と目を合わせて、こどもと対話をしよう!>という想いから名付けたことを思い出しました。
普段、家庭でも学校でも会話はしています。でも、対話することと会話は違います。例えば、友人との軽いおしゃべりや、日常の出来事について話すことが会話(chat)。その目的は、相手のことを知る/理解を深めること。 一方、対話(dialogeu)は、相手の考えや感情に対してより深く向き合い、理解を深め合うコミュニケーションを指し、自分と異なる考えに対しては、「それはおかしい/違う」でなく、「なんでそう思う?」と質問することとなります。
そこで、「こどもかいぎ」の狙いはなんなのか、探ってみました。
こどもかいぎの目的は何ですか?
子どもたちは「対話」という「心のスキンシップ」を重ねることによって、「安心して話す」ことを覚え、「自分の気持ちを言葉にする」という術を身につけ、他人との違いをポジティブに認識し、人とのコミュニケーションを楽しめるようになります。
子どもはじっとしていることが苦手。『こどもかいぎ』では、正解も、答えも、なくていい。自由に、思ったことを発言できる居場所を作ることが大切だと私たちは考えています。
『かいぎ』はディベートではありません。他方を言い負かすことではなく、お互いの話を聞き、理解しようと努め、新しい価値観を生み出そうとする機会です。
コミュニケーションが得意な人、そして「声の大きい人」が有利? そのような「不均衡を是正」するためにも、小さい頃からの発言・対話の経験と積み重ねが必要だと感じています。
コミュニケーションは社会で生きていく上で、欠かせないもの。人間の悩みのほとんどは人間関係とコミュニケーションの不和から生じます。
対話をすることで、「自分と異なる考えがある」ことを知り、お互いに歩み寄り、信頼関係をつくり、将来的な解決に至る道筋をつくこともあるのではないかと思います。
圧倒的な暴力の前には、対話は時に無力です。それは事実。「言葉で言えば良いのに、何で鉄砲とか使うの?」これは、『こどもかいぎ』で戦争の話になった時に、参加していた女の子が発言した言葉です。
生まれることや死について、語り合うこともありますが、楽しみにしていること、保育園で苦手なこと、お楽しみ会でどんな劇をやりたいかなど、日常生活にも関わる内容について話し合うこともあります。
エピソード ①
子どものころ、月初めの土曜の夜「家族会議」を開いていました。もう、ん10年も前の話です。今となってはどんな話をしたのかあまり記憶にないのですが、子ども心に普段たべれないおやつが並べられるので楽しくて待ち遠しったなぁ。5人兄弟で長女が仕切役。議題は「おこずかい」「お手伝い」「役割分担」などで話し合った記憶があります。子どもは言いたい放題。両親はニコニコしながら耳を傾けてくれていたように思います。それで何かが改善したかというと、それも記憶にないんですが、話を聞いてもらえることと、「話し合い」という場を設けてくれたことは、親に感謝してます。(mi)
エピソード ②
にらめっこ15周年の時に、アフリカ系アメリカ人のアリーン・ロビンソンという方が率いる「ウモジャ」というアフリカンドラム&ダンスチームを日本に招聘しました。ある日、全員でモンキーパークに遊びに行った時、ダンスメンバーの一人の少女と引率の大人が何やら揉めて、しまいには大声での口論となってしまいました。私はどうしていいかわからず、結果静観していたのですが、最終的には双方とも納得したようで、「I Love You」と言い合いながら笑顔でハグしてことは収まりました。その時に、文化の違いを痛感。自分の思いをちゃんと伝え、たとえ激昂しても思いを伝える、同時に相手を受け入れる準備をする。一部始終を見ていて、私もこうありたいと思いました。(mi)