投稿者「にらめっこWeb版スタッフ」のアーカイブ

知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa/(1)自分らしい「骨壺」を作ろう!

自分らしい「骨壺」を作ろう!

水上勉には、もうひとつ“道楽”があった。それは骨壺を作ることである。とはいっても、人間が死ぬのは一度だけであるから、骨壺などひとつあればよさそうなものだが、彼は釉薬を工夫したり、土を変えてみたりして、いくつも作りつづけたそうだ。その来歴を振り返って、彼はこう綴る。

《九歳で京都の禅寺に入った私は、葬式や枕経をよみによくいったので、人の死には子供の時分から馴染んだと思う。京都の火葬場は、当時、北山にあって、のち等持院に入寺し、金閣寺の前を通って、大徳寺の般若林に通学したのでその火葬場へもよくゆき、骨壺も見た。日本の骨壺は、味けないものが多かった。(略)白い手袋をはめた人が、おもむろにとりだす壺は、量産品の顔をしていて、つまらぬものだった。(略)味けない骨壺は、のちに寺を出て大人になってから、友人知己の葬祭にゆくたびに、思いをあらためさせられた。なぜに、苦労多い人生を果てたのに、オリジナルな壺に入って楽しまないのだろうか。》(「骨壺の話」)

画廊の追悼展の一角に、大小ふたつの骨壺が置かれていた。それは作者の骨を収めるためには選ばれず、いわば骨壺たる役目から免除された骨壺であった。ぼくは実際に骨壺をつぶさに見た覚えがなかったので、水上が“味けない”と評した一般的な骨壺がどのようなものか知らないのだが、そこに陳列されていた骨壺はつやっぽい光沢を放ち、墓の下に埋もれさせるには確かに美しすぎるようだった。

だが彼は、こんな骨壺だったら中に入ってやってもいい、などと思いながら作ったのかもしれない。心筋梗塞から奇跡的に快復したとき、担当医師は「一万人にひとりの生還」と評したという。しかし水上の心臓は3分の2が壊死してしまい、その後もリューマチや悪性腫瘍、網膜剥離などに悩まされつづけた晩年だった。彼は着実に近づいてくる“死”と向き合い、腹を割って語り合ったことだろう。妙な言い方だが、“死”と酒を酌み交わしたこともあったかもしれない。“死”を遠ざけるのではなく、引き寄せるのでもなく、ほどよい距離を保って、うまく付き合おうとしていたのだろう。それは楽しくもあり、哀しくもある。骨壺を作って“死”に備えることが、すなわち生きることであるというのは、笑いながら涙をこぼすことと似ている。

彼の“死”との付き合い方は、徹底していた。例えばこんなふうにだ。

《月の半分以上は、信州の北御牧村で仕事をしているので、山の家の寝室も棺桶ふうにつくってある。ま四角の一メートル八〇、一間計算で三坪の部屋だが、なるべく、棺桶のイメージに似せて、板で囲い、むろん板床の上にベッドを置いている。ほかには、本棚の本と机がわきにあるだけ、あとは何もない。時に段ボール箱に入れたシャツだの、下着だのが入っているが、そんな殺風景な部屋をベッドに入る直前に一べつして、私は死ぬまねをする。「さようなら」とまっ暗闇の中で、声をだして誰にともなくいうのである。信州の場合は東京の妻と、障害を背負うている娘に長生きしてほしいというのである。よそにいるもう一人の娘にもいうのだ。そうして、私は、友人の誰彼と名はあげぬまでも、時々、日頃世話になっている人の顔を思いうかべながら、「さようなら」といい、仰向けになり、胸もとで手を合わせ組むのである。「さようなら、みなさん」》(「死ぬこと」)

往年の名女優サラ・ベルナールも、棺桶に薔薇の花を飾り立て、そこに入って寝ていたという。なぜそんなことをしていたのか、ぼくは詳しく知らないが、水上勉の心理はそれとは別のものだったろう。彼はこうつづける。

《死んだはずの夜があけた朝は気分がよい。ゆうべ死んだのだから、儲けたような気がするのである。これがいい。その日一日が儲け。おまけである。私はこの一日に雨がふればそれもうれしい。お天気なら尚更うれしい。どっちにしろ、二十四時間のおまけにもらったその一日を自由に送るのだ。自由に、誰に気がねもいらぬ一日を、好きなように生きるのである。このような朝がむかえられるのも、死んだればこそのことだと思う。》(同)

2004年9月8日の朝は、水上勉にとって最後の夜明けだった。多くの文学作品のほかに、手漉きの竹紙に描いた絵と、手作りの骨壺と、それにたくさんの人々への思いを遺して、彼は逝った。85歳だった。後日「お別れの会」が開かれ、祭壇は45本もの竹に囲まれたという。彼は今、みずから作った骨壺の中で眠っている。水上勉が残したもの てつりう美術随想録より

えっ?「骨つぼ」を自分で作る!?はい、そのとおり!

アクティバでは、農的生活の提案や生前準備ノート・『ゼロの昇天』の書き込みのワークショップ、自分の葬儀をデザインするなど様々な取り組みをしています。今回は、自分の生き様を反映させた、オリジナル骨つぼを作りました。

講師の柴田氏により、予め成形された各種の骨つぼにオリジナルな模様、切り口(フタ)、を工夫する参加者達。粘土の固まりからつくる人も。それぞれに個性がひかって、焼き上がりが楽しみ。

骨つぼ。それは終の棲家、と考えると、居心地のいい「つぼ」を作りたくなりませんか?というわけで、実際に作ってみることに。それがなかなか難しい。とりあえずペットのを作ってみようという人や、いやいやこだわりの自分のつぼを!と熱いひとときとなりました。

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骨つぼ・あ・ら・かると

01 沖縄の骨つぼは「厨子がめ(ジーシーガーミまたはズシガメ)中国風のコンパクトな家の形。昔は風葬や土葬の後にきれいに洗骨し収めていた。写真のズシガメは豪華ですが、位の低い人ほど飾りもなく質素でした。

 

 

 

01 ヘレニズム時代の間(前4世紀より)エトルリアの都市の工房は、死者の遺灰の収納を目的とした、多彩な雪花石膏製の骨壷の大量生産していた。これら骨壷は定番で、容器は通常、神話または埋葬に関する場面で装飾され、高浮彫にて加工される。対して死者は蓋の上に宴会に参加する姿勢で、蓋の上に下半身を寝かせた様子で表されている。

 

 

01 中国では、骨壺は生きているうちに用意すると長寿のお守りとして知られている。故人の写真を入れるために、どの骨壺にも真ん中に丸や四角の窪みがあります。

 

 

01 フランスでは、骨壺を持ち帰ってリビングなどに置いておく遺族が多く、一見骨壺と分からない美しいものが好まれる。木製、銅製、陶器、メッキ仕上げなど、色・素材共にさまざまな骨壺のバリエーションがある点は日本との大きな違い。

 

 

01 スポーツにちなんだボール型骨つぼも登場!
リビングに家族に囲まれて、あのころの熱い思い出をいつも一緒に。ボール型の各種骨つぼもあり。粋な計らいか、その人らしい器で。

 


知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa/(2)生前準備講座 第7回(11月30日)

知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa

生前準備講座 第7回(11月30日)

モギソウギの体験者レポートを交えながら、自分がイメージする葬儀の形やスタイルを模索しました。2年前にNPO法人「人生これから」が提案型のモギソウギを執り行った時の映像(写真参考)を参考に自分の葬儀をイメージしました。「生前葬をやりたい!」「密葬と家族葬の違いは?」「直葬ってなに?」「無宗教で葬儀!」「宗教にこだわらなくてもいいんだ」「会員制もありなんだね」参加者の興味は尽きません。一級葬祭ディレクターの市川さんが、現実の問題をどうクリアするか、自分はどうしたいかを明確に示しておくことが重要と締めくくりました。

01 惜別の炎 自分の思いと家族の思いのズレを抱えながらも自分らしくを貫きたいと話す柴田さん

 

 

 

 

 

01本人の意向を形にした仏式スタイルでもここまでできる

 

 

 

 

 

01 風の葬送(密葬後、友人達が企画)

 

 

 

 

 

01Gシバ翁・惜別の炎(密葬後、お別れの会として)

 

 

 

 

 

 

 

2009年4月24日
関市武芸川にあるアートギャラリー・是にて、3パターンのモギソウギを行った時の様子を見ていただき、自分の葬儀をイメージし、ノートに書き込みをしました。いよいよ次回は、自分葬をデザインします。


まいまいの看護師見習い奮戦記~From Newyork~/NY貧乏Nurseものがたり-7

NY貧乏Nuseものがたり part -7
まいまいの看護師見習い奮戦記 ~From Newyork~

坂村真民の詩集を読んでいておもわず涙した一言

01 「わたしにとって詩とは生きることであった。生きがたい世を生き抜くための杖であり支えであった。」
なんでかわかんないけどこれを読んだときに、心がざわざわ?って波だって涙がじーんってあふれてきた。自分にとっては 看護 がそれなんだって今は思う。だからこそもうひとふんばりしなきゃね。

最近毎週土曜日に病院でホスピス患者さんを訪ねてる。うちがボランティアしている訪問看護のホスピス部門で、自宅で様態が悪くなった患者さんや、やすらかな状態でいられなくなった人が一時的に病院で緩和ケアをうけてる時にたずねるんやけどね。

一人の患者さんが本当に安らかで、人生で失ったものに対しての執着がまったくないの。恋しく思うことはあっても What can you do? Take it easy なのね。この人はすべてを受け入れているからこそ、こんなに安らかな笑顔ができるんやろうか。きっとこの患者さんは最期も安らかに迎えるやろうって思った。

ホスピスの患者さんは末期で意識がもどらない人も多い。そんなときは手を握ってさすったりするだけやけど、なんかね、もうちょっとだけ何かできたらなって思う。そばにいて気持ちや体温をおくることができたらな、それとも本を読もうか歌をうたおうか、詩を読もうか、何ができるやろう。

患者さんにとってのうちはアカの他人、彼らの人生の0.1%にもみたない時間を過ごすわけやけど、うちはいつもその出会いに感謝する。あなたの人生の一部にいられたことにありがとう。ここにいさせてくれてありがとう。ってただそれだけやけど、もちろん私なんかいらない人もいる。でもできるだけ、行けるときにいきたいと思う。

10月30日はハロウィン

今日と明日のバイトは仮装して接客するんやお。それでうちは制作費$1ドルの岐阜の田舎にいそうなおばあちゃんの仮装した。もんぺと長靴と腕にはめる布とてぬぐいのほっかむり。これで十分田んぼにでれる。

ひさしぶりに普段のボランティアとかね、ホスピスのことからぽーんと離れて仮装のことばっかり考えてたら、すっごいいい息抜きになった。ワクワクするしね!通りにでたらどこもかしこもお店がちびっ子たちでいっぱいでにぎやかやったよ~。

最初は本当に正真正銘の田舎のおばあちゃんでね。お客さんに、何回も厨房の皿洗いの人かと思われた。あまりにも似合いすぎてるってバイトのみんなにいわれて土鍋もったり、テーブル拭くたび笑われたし。でもこれはたぶん日本人ならではの感覚やね。

それでね!頃合いを見計らって、おばあちゃん衣装を脱いだんだよ。実は脱いだらすごいんです・・みたいなね。休憩のときに下に着てた、いざというときのための、なんだかようわからん格好になったわけやけど、かわいい魔女っこみたいなね。みんなにみせてあげたかったな~。たぶん後にも先にもこんな格好絶対しない!

人生始めてくらいのミニミニでね。しかもヒールはいてね下に短いスパッツはいとったけど、まじめに恥ずかしかったさ~!でも一年に一回いやしね もう30近いしね。しかもハロウィーンやしね。恥ずかしがったら損やおっていわれて・・・。

腹くくって筋肉質の足みせて接客した(笑)ヒールで闊歩したことなんて一度もないからすぐ足痛くなって、最期は下にもんぺと長靴はきなおした。やっぱり足にも地球にもやさしいものが一番って心から思ったわけやけど。でも楽しむときに全力で楽しめる大人になりたいなって思った。何でも楽しめるっていうのは大切やね。本当にいつまでも遊び心は忘れたくないなって思った。

プロフィール

まいまい
ニューヨークの片隅在住。2010年6月に看護師国家試験取得。不況のあおりで就職難民・・・そんな日々の中で遂に2011年10月に就職!感じたこと、気づいたことをお届けさせていただきます。


ぎむきょーるーむ/好き?きらい?漢字学習!

好き?きらい?漢字学習

得意にさせた?むわが家の秘策

01親子で交換日記
わが家の場合、親子で交換日記をつけていました。そのときのルールが「知っている漢字を使おう」でした。だからといって、とくに添削などはせず(あまりひらがなばかりだと、チェックを入れましたが)、むしろ、私がなるべく漢字を使って、読み方を聞いてきたら教えていました。「漢字」という独立した勉強のほかに、実際に使うものであるという認識ができれば、必要性を感じるようです。(娘12歳・息子7歳)

結びつける
知っているなにかに結びつけられるとスラスラとのみこめるようです。“貝”は「海で拾ったよね」とか、“地”“池”は、それぞれの「へん」によって読みが似ていてもちがうね、とか。(息子7歳・3歳・娘 5歳)
01「本に夢中」が漢字好きに
私、漢字が大好きなんです。でも、勉強した覚えがない。それはなぜかといいますと…。やっぱり本が大好きで、一年間に借りた本が学校内でいちばん多いと表彰してもらったくらいなんです。いまも月に10冊以上読みます。自分の経験から実証されているので、娘たちにはなんでもいいから本を読んでおけば楽(?)なのよと。本に夢中になることが漢字を好きになるいちばん簡単な方法だと私は思います。(娘9歳・8歳)

 

受け継がれて3300年!!「漢字」は物語だ!

子どもを漢字ぎらいにさせない近道
01 文字は、人々がその時代の社会や生活の切実な求めに応じて、年月を費やし、心を尽くし、工夫を凝らして、つくりあげたものです。ましてや、「漢字」は、そののち3300年の長きにわたって受け継がれ、いまなお私たちの生活のうちに脈々と生きつづけてきたものです。漢字ほど時間を超えて、生命力を持ち続けた文字はほかにはありません。

古代の人たちが「漢字」として表現した世界。それは、けっして具体的な人や物の形を表したものだけではありません。自然と向きあったときの畏れや、人々の心の中に生まれた思いを表したもので、ひとつの「物語」として紡がれ、育まれてきたものです。ですから、そうした漢字をそれぞれ切り離して、その一字一字を孤立して扱うことはできないと考えます。そうすることで、漢字がそのはじめから形成された、規律あるつながりと、まとまりのある世界をずたずたに切り裂いてしまうからです。

ぼくが高校生に漢字を教える際には、漢字をひとつの世界として物語ることから始めます。ですから、こういう漢字があるから、とにかく覚えなさいという教え方とは、まったく異なった授業になります。 これまで彼らが学んできた漢字に対する既成概念を大きく崩していく。そのことに、彼らは大きな興味を示します。文化としての「漢字」に触れることへの、知的好奇心を刺激されるからでしょう。漢字をただ「暗記すべきもの」ととらえず、漢字に秘められた「物語」を読みこむ作業を子どもたちとおこなうことこそが、子どもを漢字ぎらいにさせない近道なのではないでしょうか。

現在、子どもたちに漢字を教えるときにパズル化したり、クイズ化したりする動きがあります。漢字の学習を通して脳を活性化させるとか、つまらない話しに結びつけたりもする。それは、漢字の一字一字をパターン化してとらえ、伝達のための手段としてしか考えていないからだと思います。しかし、漢字を学ぶことの本当の面白さは、そんなところにはないと断言できます。漢字を学ぶことで、子どもたちが歴史を超えて、はるか古代の人たちの精神に触れる。漢字について学ぶことで、そんな衝撃的ともいえる体験を子どもたちにしてもらえれば、と思うのです。

プロフィール

山本史也 大阪の公立高校の国語科教諭であると同時に、世紀の碩学、白川静の最後の薫陶を受け、文字文化研究所の漢字普及特別講師として活動、白川文字学を広く知らしめることにつとめている。著書多数。

漢字テストはなにをテストしているのか

01 漢字テストは、もちろん漢字を「正しく」書けるかどうかを検証しているのだが、じつは、学校教育においては、それだけではない。  漢字のテストは、自宅でちゃんと勉強する習慣があるかどうかをチェックすることができる。家でまったく準備してこなかったら、まずできないからだ。

さらに、子どもが勤勉かどうかも見ることができる。漢字を覚える練習は、まちがいなく「めんどう」で「つらい」。「根気」がよくないとできないからだ。こう考えてくると、漢字にまつわる学習は、儒教的・精神的教育の要素ももっているといえる。「黙々と書いて覚えるという行為」は、子どもたちにとって「修行・苦行」なのかもしれない。

担任していた子が「先生、私、漢字の練習が好きよ。なぜって、やればノートは埋まっていくし、なんとなく勉強したって感じになるじゃない。それに、テストもそこそこできるしさ…」とボクにいった。たしかに、そういうことってあるよな。べつにおもしろくはないんだけど、出来が目に見えることの喜びってあるよな。だが、ボクは、それをクラスの全員に期待はできないなとも思う。単純なようで、奥が深い漢字学習である。

(岡崎 勝 小学校教員・「お・は」編集人)

抜粋

にらめっこのバイブル:こども・きょういく・がっこうBOOK『おそい・はやい・たかい・ひくい』N0.34より抜粋

「漢字」をもっと知りたいあなたに

01「漢字遊びハンドブック」
著者/馬場雄二
仮説社 1,785円

「神さまがくれた漢字たち」
監修/白川静 著者/山本史也
理論社 1,260円

 

リンク

ジャパンマシニスト社

 

 


食は文化・食は芸術 緊急特集part-3 子どもを守れない国は滅びる 放射線による健康への影響 まず「知る」

放射線による健康への影響 まず「知る」

なんとなく、不安…放射線による健康への影響
まず「知る」ことから始めませんか?

知られざる内部被曝についてー25年たったチェルノブイリから福島を考えるー
講師:松井英介(岐阜環境医学研究所所長・医師)

生体系の中で生きる

今回の原発事故による放射線の放出を、みなさんはどのように受け止められたでしょうか。

私たちは空気なしでは生きていけません。また、私たちの身体は水でできていると言っても過言ではありません。私たちの祖先である小さな生き物は、海で生まれたといわれています。私たちの身体の7割、乳児の場合は8割が水に近い組成をもった水です。ナトリウムやカリウムなど塩分がバランスよく保たれた環境=内部環境の中で私たちの細胞は生きています。ホルモンの変動にあわせて微調整しながら、体温は一定に保たれています。心臓は私たちが生まれてからずっと一定のリズムを刻み続けています。

このような”いのち”の恒常性に支えられて、私たちは今ここにいます。そして、私たちは植物とは違って、ほかの生き物のいのちを自らの身体に取り込むことなしに、生きていくことができないのです。今回の事故は、あらためて私に、自分自身のいのちを、まわりのいのちとの関わりを考えさせてくれました。

大量の放射性物質を海に放出するとき、あるひとはこういいました。「海の水で薄まるから大丈夫!」。そのひとには、海に生き物がいっぱいいることを忘れていたのかもしれません。放射性物質をプランクトンが取り込み、それを小さな魚が食べ、その小さな魚を大きな魚が食べる。生態系の中でこのような食物連鎖を繰り返すうちに、放射性物質がだんだん濃くなることをご存知なかったのでしょう。

陸上でも同じです。乳牛は空気を吸っています。空気が汚染されれば、汚染物質を空気と共に肺に取り込みます。できるだけ自然な条件で育てようとされている畜産農家の乳牛は、アメリカ産の配合飼料ばかり食べているわけではありません。外に出て草を食べます。土も食べます。草や土が汚染されていれば、それも一緒に身体に取り込みます。

茨城の牛乳からセシウムが検出されたのはそのためでした。今回の事故の後、放射性物質は風の向きによっては数百キロ離れたところまで運ばれました。群馬県産の野菜からセシウム137が検出されたのは、風や雲と一緒に運ばれ、土の上に降り積もり、地下水に浸透していたセシウムの小さな粒を野菜が自らの体内に取り込んだ結果でした。

「放射線は距離の二乗に反比例して弱くなる」から、福島から200キロも離れた東京は大丈夫といったひとがいましたが、雨雲とともに運ばれてきた放射性物質は雨に混じって地上に降り注ぎ、その雨水を含んだ水道水は東京に暮らす人々の生活の中に入り込んできたのです。

放射性物質を含んだ水を飲んだ場合、一部は体内に残り、細胞の間にとどまった放射性物質の小さな粒子は、その周辺の細胞を照射します。放射性物質と細胞との距離が近いだけに、まわりの細胞に照射される放射線の強さは半端ではないのです。内部被曝の怖いところはここです。

胎児や小さな子どもは大人に比べ体重あたりでみると、甲状腺に取り込むヨウ素131の量もずっと多いのです。また、カリウムはナトリウムなどと共に、重要な塩分(電解質)ですが、カリウムと似た化学的性質をもったセシウム137は体内に取り込まれやすく、その影響は子どもにとってずっと深刻だと考えなければなりません。

放射線から身を守る

放射性物質を身体に取り込まないことにつきます。授乳中のお母さんには特別の配慮が必要です。体内で何回も繰り返し長時間にわたって、ごく近いところから放射線を浴びることを”内部被曝”といい、体外からごく短い時間放射線を浴びる胸部エックス線検査や胃透視検査などの外部被曝から区別しています。放射性物質は小さな粒ですが、そのまわりの細胞にとって、内部被曝の影響は、外部被曝と比べるとケタ違いに大きいのです。このことを大人も理解し、子どもにも教えないといけません。01

『見えない恐怖 放射線内部被曝』より
松井英介・著 旬報社 1,400円

今回の福島原発事故で自然界に放出された放射性物質の量は、人類史上例を見ないものであると考えられます。その意味でも世界中から注目されています。これから気の遠くなるほど長く続く放射線による健康影響をどうするのか、どのように生きていけばいいのか、子どもたちを交えて、私たち一人ひとりの生き方の問題として議論を深めていきたいものです。

 

国と自治体に次のような要求をしましょう。

1-国は、放射性物質に関する検査点と検査項目を時間的空間的にできるだけ細かく定め、全放射線核種に関する検査結果をreal timeで各自治体に通知すると共に、マスメディアおよびインターネット・メディアを通じて公開すること。

2-国は、数千キロメートル圏内をカバーするWSPEEDIの広域汚染状況予測値を誰でもわかりやすいアニメーションとして、1と同様、いつでもどこでもアクセスできるように、リアルタイムで公開すること。

3-水道水、野菜や肉、海藻や魚介類、牛乳などの飲食用農水産物の汚染状況に関しては、放射性核種と放射線量(基準値以下であってもその値を)明記すること。生産地も、できるだけ詳細に記載すること。

4-次のような内容の要求を、友だちや家族、職場の仲間と相談して、都道府県・区市町村議会を通じて、首長に要望してもらう形で、政府と東京電力にくり返し提出しましょう。

当面個人でできること

1-内部被ばくを常に意識し、子どもに発症してくるであろう晩発障がいを予防するための、子どもの安全最優先の日常行動計画を立てる。

2-妊産婦、乳児、14歳以下の子どもは、優先的に避難させるべく、学校・幼稚園・保育所や地域で知恵を集める。

3-野菜や肉、海藻や魚介類、牛乳などの飲食用農水産物は、汚染の極力少ないものを入手する。便利さと安価なものに頼っていた生活スタイルと価値観を転換させ、バランスよく食べ、運動し、身体の恒常性・免疫力を高める。

4-WSPEEDIの広域汚染状況予測値に目を光らせ、風下になることが予想されるときには、とくに降り始めの雨に濡れないようにする。

5-子どもの基準値を定めるように首相に手紙を書く。ICRPなどの基準値を鵜呑みにしない。

『見えない恐怖 放射線内部被曝』より

プロフィール

松井英介(まついえいすけ)
岐阜大学医学部付属病院勤務、放射線医学講座助教授。退任後、岐阜環境医学研究所を開設。日本呼吸器学会専門医。廃棄物、アスベスト問題などにも関わる。

そして、ぜひ心がけて欲しいこと。

自己防衛。やはりなんといっても「食」が大事。内部被ばくを防ぐ5つの食べ方を紹介します。

01「水で洗う」
まずは表面についた放射性物質を洗い流す。15分ほど水につけてから洗えば、表面の汚染がとれやすくなりさらに効果的。

 

01「酢漬け」
酢はセシウムやストロンチウムなどの金属イオンと結びついて抽出しやすい性質がある。クエン酸も同じような効果が。

 

01「ゆがく」
細切れにしてからゆがくと、さらに細菌膜が壊れやすくなり、取り込まれた汚染水分を効果的に搾り出すことができる。

 

01「塩もみ」
浸透圧により、放射性物質を含む水分を内側からしみ出させる。漬け物や和え物の下ごしらえとしてもおすすめ。

 

01「煮込む」
下ごしらえしてから素早く煮て、うまみを逃さないように。汁物料理の場合は味付けの汁は別に作って、あとで具を入れる。

 

基本は水洗いから。

まず、しっかり土を取り除き、皮を剥くこと。キャベツやほうれん草など複数の葉が重なり合っている野菜は、外側の葉を数枚捨てることで、大幅に放射性物質をカットできます。次に、水洗い。野菜の表面に傷がついている場合は、傷んだ部分を大きめに取り除く。問題は、食材の内側に入り込んだ放射性物質。セシウム、ストロンチウムは水に溶けやすいので洗ってからさらにゆがく、煮るという方法で細胞壁を軟らかくし、野菜内の水分を搾り出すのもおすすめ。塩を使って浸透圧でしみ出させる塩もみや塩漬けも効果的。また、この2物質が持つ金属イオンは酢と結びついて溶け出しやすいので、酢に浸すのもよい。その際、ゆで汁や煮汁、付け汁は飲まずに捨てます。


食は文化・食は芸術 緊急特集part-3 子どもを守れない国は滅びる 流れの中で立ち止まり、もっと議論をしよう!

食は文化!食は芸術!「続・福島原発事故を考える」

流れの中で立ち止まり、もっと議論をしよう!

1973年にオイルショックで化石燃料の枯渇が問題となり、原子力エネルギーに突っ走って、今や日本には54基もの原発が点在している。そして今、福島原発の事故を受け、再生可能な自然エネルギーにシフトしようとしている。それはかつて世界大戦に突き進んでいった時の日本の姿を思い起こす。「目的」(=脱原発)をはっきりさせ「合い言葉」(=再生可能な自然エネルギー)をもたせ、ある種の興奮状態(=アクション)を作り出していく…。いまこそ、その大きな流れの中で立ち止まって、自分で考え、行動する勇気を持ちたい。「<原発>をやめて、今市民にできること」をテーマに講演された、山田征さんのお話の中から、「わたしたちにできること」を探ってみました。(以下は山田さんのお話の一部を要約したものです)

全ての原発がなくなっても電力不足にならない。

それは原発には火力・水力、2つの発電設備がセットになっているから。電力不足にならないのなら、新しくエネルギーを作る設備は要らないのでは??「石油の代替が原発」が世の中の流れとなった1973年に酷似していて、とても気になります。自然エネルギーの設備が増えれば個人負担も増える仕組みです。大きな企業になれば億単位の負担となります。経産省では個人の家庭でも、自然エネルギーの設備が増えると数千円の負担となるだろうとコメントしています。

そのカラクリは…「原発」も「自然エネルギー」も国策であるということ。今国会で問題になっている「再生エネルギー促進付加金」を全電力使用契約者から徴収する、つまり全電気利用者に負担させるという決定がされました。

自然エネルギーの発電設備は高額なため、なかなか普及できなかった。そこで業者がやりやすいようにと成立させた法案です。多くの人は今回の原発の恐ろしさで、自然なら安全と単純に思ってしまいました。しかし、その「自然エネルギー」つまり太陽光や風力発電、その他の発電設備を増やすための費用を全て自分たちが負担させられるということをご存じでしょうか?とりあえず今年度は「太陽光」の分だけですから一般家庭で2円から数十円で収まるようですが、今回の「再生エネルギー促進付加金」が可決されると、一般家庭で150円から200円以上の負担となり、自動的に銀行口座から引き落とされるのです。これには納得できません。ですから私は徴収分を差し引いて使用した電気料金分のみ振り込みました。すると三鷹に住む私の所へ東京電力から集金に来ました。「支払いを拒み続けるとどうなりますか?」と逆にたずねましたら「電気を止めます。これは法律ですから」と。それでは徴収分は行政の方に払うべきでは?と食い下がりましたら黙ってしまいました。

自然エネルギーにはまだ問題点があります。

下の図(各種発電設備の特徴)を見てください。電気をつくるのに外部電源がいるとはおかしな話です。しかも風車の羽は強化プラスチック(石油の固まり)で30?50tもあります。自然の風では重くて回らないため、中に組み込まれたコンピューターが風を検知し外からの電気で羽を回します。また「ソーラーパネル」の材料はシリコンやアルミです。それをつくるために大量の電気を使います。

このように「電気をつくる道具」をつくるためにたくさんの資源と大量の電気を消費します。しかも元手をとらないうちに耐用年数が終わってしまいかねません。そして新たなゴミ問題が生まれます。さらに、日本は山間部の多い国ですから、適地が少ない国です。今現在2000基以上の風車がありますが、適度な海浜地区はほとんど建てつくされ、人家の近くや山々の稜線が狙われています。そのため山の尾根まで資材を運ぶ幅広道路の建設からはじまります。風車は金槌を逆さに建てるようなモノですから基底部分は40m四方、深さ10mの穴を掘り、2000t以上のコンクリートを流し込みます。そのための作業場が造られます。

私たちは「火」を使う生活から離れつつあります。やかんや鍋を直火に乗せればお湯が沸きご飯が炊けます。でも今の私たちの社会は、火で電気をつくり、その電気で電気をつくる道具をつくり、その電気を使ってお湯を沸かしご飯を炊いているのです。そのようなものを造れば造るだけ、石油も石炭もガスもその他の資源もどんどん消えてしまい、残るのは原発からでるゴミ同様、たくさんの粗大ゴミです。何かを造るときは、それがゴミになるときのことまで考える必要があります。

「石油」という資源は飛行機を飛ばし車を走らせ、ありとあらゆるものを作りだすことのできるとても大切なものです。少しでも長持ちさせるようにしなければと思います。これから先の時代を生きていく人たちのことを考えて、私たちは立ち止まる勇気を持ちたい、と思います。(山田 征)

各種発電設備の特徴

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プロフィール

やまだ せい
4人の娘達の子育てと共に、農家と直接関わりながら共同購入グループ「かかしの会」を約20年、地元の学校給食に有機農産物他食材全般を約17年にわたり搬入。仲間と共に レストラン「みたか・たべもの村」をつくる。並行して、反原発運動、沖縄県石垣島白保の空港問題他、さまざまな活動を経て現在に至る。著書:「ただの主婦にできたこと」(現代書館)、「山田さんのひとりNGO」(現代書館)他


食は文化・食は芸術 緊急特集part-3 子どもを守れない国は滅びる もっと知りたい!原発のこと!放射能のこと、エネルギーのこと!

もっと知りたい!

原発のこと!放射能のこと、エネルギーのこと!地球温暖化のことも…

今各地で行われているアクション。ムードで参加するのではなく、自分で調べて確かめて、よく考えて、行動したいですね。いま私たちにできることは「本当のことを知る」ことでは?でも…何が本当で、何が不誠実なのか…情報は一つではないので、あらゆる角度から取り入れることが大切です。そこで各地で行われる勉強会やイベント情報を集めてみました。都合がピタッとあう時にぜひ参加してみて!

映画上映会「ミツバチの羽音と地球の回転」

2011年11月5日(土)
午前の部 9:30-11:45(開場 9:00)
可児市文化創造センター 映像シアター
午後の部 13:30-15:45(開場 13:00)
中部学院大学各務原キャンパス 大講義室
協力費 前売り 800円(当日1,000円) 小中高大生 500円

日々の報道から放射能の恐ろしさを知らされています。フクシマの人々の苦しみを思います。今回の災害は、エネルギーについて考える大きなキッカケとなりました。太陽光や風力などの発電を促進し「脱原発」の社会づくりを前進させるという「再生エネルギー特別措置法案」がこの夏成立しました。際限なくあって当たり前と思っていたエネルギーについて、どうあったらよいのか一緒に考えたい。どうか参加してください。

問い合わせ:058-384-3150 清水

放射能勉強会 第4回「安心して暮らしてゆくために」

2011年11月26日(土)10:00-12:00
美濃かも文化の森みどりのホール
講師:田中 優 参加費 1,000円
問い合わせ:090-9939-8591 中山

みんなともだちtunagariフェスティバル Vol.2

(→ホームページへ

「人と人とのつながり」「地球環境とのつながり」「親子のつながり」「いろいろな考え方とのつながり」「地域とのつながり」「過去や未来とのつながり」などを参加して下さった皆さんと一緒に考えたり、感じたりできるお祭りを開催しよう!ということになりました。

世界おかあちゃん同盟の日設立記念イベント
2011年11月26日(土)10:00?16:00 雨天中止
岐阜市金公園文化センター前広場
☆ステージ・WORKショップ・クラフトショップ・オーガニックフードなど

田中 優 講演会「みんなと考える子どもたちの未来」
2011年11月26日(土)16:30-19:00 岐阜市金神社会館3F広間
参加費 1,000円(別途託児料・託児保険)
問い合わせ tunagariフェスティバル実行委員会・世界おかあちゃん同盟 ぎふ 090-3589-1454(早矢仕)

震災後、福島第一原発の事故を受けて、私たちは何をどう考えていけばいいのか…。原発の問題だけでなく、放射性物質とのかかわりあい方、地産地消をはじめ、節電など一個人、家庭の中で今後子育てをしていく上で、何を気をつければいいのか…。様々な視点から参加される方と考えるキッカケを作りたいと企画しました。

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アンケート取り隊・募集

お手伝いいただける方は、下記いずれかのかえる同盟者までご連絡下さい!
058-266-5004(岡田・mbカフェ)
058-385-4572(千田・空歩21)
0574-54-1355(櫻井・わらべ村)
058-383-8666(三上・にらめっこ)

 


第6回 こども芸術村作品展 今年のテーマは「森のいろ」

第6回 こども芸術村作品展
2011年10月12日(水)~15日(土) 岐阜現代美術館

今年のテーマは「森のいろ」

01 飛騨高山の森の中で、木や葉っぱなどの自然物を収集して、大きな鍋でぐつぐつ煮出して染料を作り、長い布に「森のいろ」を染めました。

今年も岐阜現代美術館で作品展を開催。広い空間に、子どもたちが染めた布や、Tシャツ、絵画を展示しました。

いつも思うことですが、本当に子どもの発想はおもしろいです。しかも、迷わず大胆に色を塗ったり構図を書いたりして、スタッフはいつもその想像力に圧倒されてます。

「自然、こども、アート」というキーワードで活動が始まった「こども芸術村」。来年もはじけるような子どもたちの笑顔に出会えることを願っています。

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ぐー・ちょき・ぱー ボーダレス社会を目指して(27) 伊藤佐代子

きょうだいを思う

先日岐阜特別支援学校で「きょうだい」についてお話をする機会がありました。きょうだいの話をし始めると何故か涙腺が緩んで涙が出てきます。参加して下さった人も涙を拭きながらの話し合いになりました。

障がいのある子を育てると同時にきょうだいを育てるのに親は苦悩をしています。きょうだいに辛い思いをさせたくない、できるだけのことをしてやりたいという思いに駆られながらも十分なことができない…そんなふうに子どもを思っている親が多いのではないかと思います。このきょうだいの事を話す機会を頂いたことで自分自身の考えをまとめることができました。

障がいのある子のきょうだいを育てるのに大切な事は

  1. きょうだいの方を優先しなくてはいけない時がある
  2. SOSを出していたらしっかり受け止める
  3. 1対1で向き合う時間を持つ
  4. 愛情は50:50
  5. 約束は必ず守る
  6. 私たちは子育ての原点を知っているということを自覚する
  7. その子らしく生きることができるよう応援する
  8. 信頼関係を築くこと…とことん信用する…自分の子だから
  9. 障がいのある子をしっかり育てている姿を見せること
  10. その子を大好きであること

…だと今は考えています。
子育ての原点を知っているというのは、学歴など全く関係のない世界で障がいのある子どもたちは暮らしています。何が大切か?成績ではない。まず生きること、そこに存在するということです。彼らがそこにいるだけで価値がある。彼らを知ることで周りの人は多くを学びます。

障がいのある子のきょうだいも一般の方もそこにいるということがまず一番に大切なことなんだと思います。と言っても障がいのある子を育てるのは大変です。いるだけでいいんだなんてお気楽な事は言っているわけにはいきませんが、きょうだいにはせめて「自由に自分の思い通りに生きてよ!」という考えになるのです。

愛情を注いだつもりでも「お母さんはお兄ちゃんの方がかわいいんでしょ」と言っていた娘が不憫で、申し訳ない気持ちはずーと持ち続けていました。体は一つしかありません。障がいのないきょうだいを思い葛藤しながら育ててきました。

プロフィール

伊藤 佐代子 (いとう さよこ)
伊藤淳司の母、岐阜障害者就業・生活支援センターの支援ワーカーをした後、NPO法人オープンハウスCANの理事長。地域で暮らす障がいのある方の生活支援や障がいのある方と書道を楽しんでいる。

リンク

NPO法人オープンハウスCAN


知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa おとなのあそぶ 瓢ヶ岳軽登山

おとなのあそぶ 瓢ヶ岳軽登山

アクティバ「おとなのあそぶ」では今回は軽登山を楽しみました。

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瓢ヶ岳(1,163m)頂上から望む高賀山

 10月7日am7:00集合出発!登山初心者も含め総勢7人と1匹。肌寒いのもつかの間、歩き始めるとうっすら汗ばむ陽気に、おしゃべりもはずむ。

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01 かつて山は、大学の山岳部や一部の社会人の山岳会によってリードされ、ごく一般の人たちには近寄りがたかったといわれていました。しかし、スポーツアルピニズムも有限のフィールドが底をつき、一般的なルートでの活躍は山小屋の整備やプロガイドの誕生もあり、若者から中年に、そして中高年にその場を明け渡す感じとなった。だから!山は自然の心地よさを求める中高年の天下です!

ですが、最近は「山ガール」とかが流行りだし、静かに自然の中に身を置いている空間に「キャー、めっちゃきれいやん!」「すっげー、気持ちいい!写メしなきゃ写メッ」と身なりも言葉も現代風な若者が混ざる。しかし、それもにぎやかでよし、としよう!

 


知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa アクティバ たんぼプロジェクト

9月24日(土) 稲刈り

 アクティバたんぼプロジェクト2年目のお米の出来は如何に?

01 今年は田んぼの一角に「古代米」を植えました。粒は濃紫色で大きい。稲も長くて一目で違いがわかりました。

 今年は一畳刈りの機械参入。しかし、台風15号の影響で田んぼはまだ完全には乾いておらず半分以上はぬかるみ、活躍はほんのちょっと。あえなく手作業にバトンタッチ。それでも、ありがたかった。稲刈り最中にメンバーが「カヤネズミ」の巣(跡)発見。

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カヤネズミの巣跡。

01 カヤネズミは日本で一番小さなネズミです。体長は6cmほど。体重は5gほどしかありません。ススキなどイネ科の植物でまりのような丸い巣を作るのでマリネズミという呼び名もあります。直径10cmくらいの大きさで見た目は鳥の巣のよう。その巣の中で子供を産み育てます。雄も雌も巣を作り、休憩用と子育て用と使い分けます。冬は地下にトンネルを掘って過ごします。ほ乳類で草の上に巣を作るのはこのカヤネズミだけ。特徴は周辺の葉っぱを引っ張ってきて細く裂いて丸めているところ。いあやぁ〜ほんと可愛い巣です。

10月4日(火) 脱穀・唐箕・籾すり

今年も登場。足踏み脱穀機。リズムに合わせてグィ〜ン、グィ〜ン…と足踏みしながらの脱穀。稲の束が絡むととたんに足踏みが重くなり、一定のリズムで回転させるのはなかなか難しい!唐箕(わらのクズや籾殻と米の入った籾とを選別する)も経験がものをいいますね。昨年の体験・経験が私たちにもちゃんと実っています。(^о^)

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 01脱穀した時にこぼれた米や、稲穂をていねいに拾い上げます。モッタイナイ!ですから。
出来栄えはいかに?
そのお味は来年の収穫祭で!

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知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa 生前準備講座|第4回「終末期医療について」ホスピスの基本的な考え方 |第5回「こころに残る遺言状について」

生前準備講座 第4回「終末期医療について」ホスピスの基本的な考え方

2011年8月31日(水) 岐阜中央病院 松尾啓子 看護師長
01 死は自然なことと認めます。無理な延命や意図的に死を招くことをしません。苦しみの中に生きている人もいます。これも命、何か意味があるはずと受け止めています。うれしい!とか楽しい!などと常に意識して感じるとNK細胞が増え免疫力がアップして生きる力をつけていくという生きがい療法、民間療法などでガンが治ったという例もあります。ですが、人は生きてきたようにしか死ねないんですね。

病院(ホスピス)はこれ以上増やさないだろうと思います。本来はお家(在宅)で過ごすのが一番。そのサポートを出来るシステムを確立したいと思っています。訪問看護とか、往診とか。中央病院をセンターとして各家庭を回る…看護という分野を医療と分離させていく動きもあります。人として人を看る。治療は医療として診る。ということです。

Q:ホスピスではみなワイワイにぎやかに過ごしているが孤立している人はいないのか?
A:みながみなワイワイと過ごしている訳じゃない。一人を好む方もいらっしゃる。それはその方の生き方だから、無理強いはしません。ただ、メッセージを発せられることもありますので、その時は寄り添うようにしています。
Q: 今年父を亡くしました。どう看護したらよかったのか迷ったのですが…
A: 迷った時はとにかく行動を!電話一本でもいいから。

 和やかな雰囲気ながらもとても充実した講座(内容)となりました。

生前準備講座 第5回「こころに残る遺言状について」伝えておきたい事柄

2011年9月28日(水)司法書士 青木文子 氏
01 「遺言を残すメリットは、法定相続分と異なる分配をしておくことができる。法定相続人以外のもの(友人。知人、公益機関)に遺贈することができる。様々な財産を相続財産として指定できる。家族関係が複雑な場合、相続人間のトラブルを未然に防止できる。なによりも自分の気持ちを伝えておくことができる。」と講師の青木さんは遺言は毎年自分の誕生日に書くことを進める。感謝の気持ち、自分の棚卸しにつながる。

内容は毎年更新して、日付が一番新しいものが有効となる。一通りの遺言についての基礎知識を得たあとに展開した「ワールド・カフェ」で各テーブル4人が「遺言」についてフランクに話し合いをしました。今回は、座学とワークショップを取り入れたひと味違う講座となりました。

「ワールド・カフェ」スタイルを取り入れ、遺言についてグループセッション。その後、一番記憶に残ったフレーズを書き留め、全員が発表。「気持ちを伝える」「行動する」「手紙を書く」など意見が出ました。

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リンク

岐阜中央病院
青木文子司法書士事務所


まいまいの看護師見習い奮戦記~From Newyork~

NY貧乏Nuseものがたり part -6
まいまいの看護師見習い奮戦記 ~From Newyork~

あるコロンビア人のおじいちゃんの話

病室にいくと見覚えのある顔に出会えた。たしか過去に何度もホスピス病棟に入退院を繰り返してたあの人だ。おくさんは英語がほとんどしゃべれない スペイン語のみ・・・

彼は私にイスラム教のChaplainを呼んでほしいと頼んできた。(病院にスピリチュアルケアのサービスがあって、リクエストさえすれば自分の宗教・またはどの宗教でもお祈りできるようトレーニングされた人がきてくれます)

彼、どうみてもラテンの顔でスペイン語が母国語なのに、イスラム???この辺のラテンアメリカの人はほとんどがカソリックだからびっくりした。そしたら、おじいちゃんはゆっくり話してくれた。

自分はムスリムで38年前に改宗したんだ。自分は一日に5回お祈りもするし、アラビア語でコーランを読む。家族も妻もみんなカソリックだけど、私はムスリムです。でも自分は他の宗教もリスペクトしていて、妻もモスクについてきたり、自分も妻のチャーチのミサにいったりもする。お互いに尊敬しあいさえすれば、何の問題もない。それぞれの宗教はそれぞれに美しい。うちはふと、みんながこんなふうに考えられたら紛争も戦争も生まれなかったやろうか・・と思った。

彼は、私の宗教についてもきいてきた。死んだらどうなると思う?天国と地獄はあるか?この世とあの世をどう考えるか?お線香はなんで焚くのか?お坊さんはなんでお輪を鳴らすのか?あの袈裟の色にはどんな意味があるのか?とまぁ、仏教徒とこたえたものの私が知らないことまでいっぱいいっぱいきいてきた。自分のあやふやな宗教観と、知らないことばっかりでちょっと恥ずかしくなっちゃった。でも、自分の知っている範囲で、信じることと、日本の文化を織り交ぜて話した。おじいちゃんはとても興味深そうにきいてくれて、最後に、美しいねって。

最後におじいちゃんは、私はね、死んだらムスリムとして土葬してもらいたいんだ。カソリックとしてお葬式はあげてほしくないし、火葬されるのも嫌だ。イスラムに従って一人のムスリムとして土に埋めてほしい。でも、貯めておいた8万円では、土葬もできないとわかって途方にくれたよ。そしたら、ホスピス訪問看護師の一人、モハメドさんが自分の希望をきいて、モスクやイスラム教の団体に連絡してくれた。そしたら、2つもの場所から連絡がきて、希望どおり土葬をしてくれることになったんだよ。

私はうれしくてね。やっぱりアラーはみていてくれてるんだね。アラーに感謝したよ。当然土葬の日には、私の家族は私の意志を尊重して、モスクでもイスラムを軽蔑することなくしきたりに従ってほしい。私はそれを願っている。それは全部家族に伝えてあるし、葬式などの手配も全部整っている。あとはもう待つだけだよって。

こんなケースはあんまりない。自分も周りも旅立つ準備ができていて、自分の希望や意志が周りにも伝わっていて、きっとそのとおりに実行されると思う。それは彼が家族や周りの人間に対して築いてきた人間関係の上に成り立っているものでもあって、またそれがかなえられる状況があったからこそ成り立ったものでもある。

もし病気が脳や意識障害をもたらしていたら、難しかったかもしれないし、アメリカじゃなかったらできなかったことかもしれない。生前から家族や親戚に自分がどういう人生を歩んでどういう最期を迎えたいかを伝えることは大切なことで、縁起でもないことを・・ってめんどうくさがらず、死も人生の一部であることを認識して話せるといいなぁ。

プロフィール

まいまい
ニューヨークの片隅在住。2010年6月に看護師国家試験取得。不況のあおりで就職難民・・・そんな日々の中で感じたこと、気づいたことを現地からお届けさせていただきます。

 


ぎむきょーるーむ 自己肯定感って・・・なんだろう?

01今の自分に満足してる?
子どもの声

—– YES —–
・ 好きなこともあるし、家族も好きだし、友だちもいる。(小5・男子)
・学校でクラスの中心になって動くと「さすが!頼りになるわー」などといわれることがたくさんあるので、自分がやっていることは正しいんだと思える。(中3・女子)
・家族6人が元気でいてくれて、育ててくれてありがとうという気持ちです。(小5・女子)

—– NO —–
・ 目標があってもそれに向かっていけない。(小5・女子)
・ あらゆる問題を背負いすぎていて、いまにも崩れそう。(高2・男子)
・ 絵がうまくないし、スタイルもよくないし、頭が悪い、顔立ちが悪い。(中3・女子)

 

落ち続けてきたオレが息子にいったこと・・・玉袋筋太郎

01 少年時代?そりゃ自信なかったよ。運動できないし、勉強できないしさ。だけど卑屈になることもなかった。なんていうのかな、全員がスターになれるわけじゃなく、脇役もいる。それぞれにポジションがあって、オレもどっかいいとこあんだろう、ぐらいに思ってた。オレのいいところを認めてくれる仲間がいたしね。

ところが、小学校三年生のとき、授業中にウンコをもらすという大失敗をしでかしちゃったんだ。これって致命傷だよ。それまでのオレはおもしろいこといったりして、けっこう人気者だったわけ。もうすっかり凹んだね。

この大ピンチをどうやって乗りこえたかっていえば、やっぱり仲間がいたからだろうな。へたに同情されたり、かばわれたら立つ瀬ないけど、彼らだけは見て見ぬフリというか、そっとしておいてくれた。だから、またひょうきん者にもどれたんだと思う。

失敗したって、「そんなこと、どうってことないよ」っていってくれる人が一人でもいたら、子どもは楽になるんじゃないかな。近所のおじさんやおばさんでもいい。ついでに「いつもあいさつの声が大きくて気持ちいいね」なんて、ほめてくれたら最高だよね。自分を見てくれる人がいるって、自信につながるよ。

じつはいま、息子がメチャクチャおちこんでいるんだ。大学の推薦入試に失敗してさ。同じクラブから息子ともう一人が推薦枠のセレクトを受けて、息子だけ落ちた。親の目から見てもほめてやりたいくらい熱心にとりくんできたから、自信喪失なわけよ。

オレは息子に言ったんだ。「相手をねたむな。『よかったな』っていえれば、受験には失敗しても人生では合格だ」って。そしたら彼の表情が明るくなってきた。

大学入試の失敗なんて、長い目で見ればどうってことないともいったよ。オレなんて、仕事でどれだけセレクトに落ちつづけてきたか…。考えてみれば、人生は大半がつらいことや傷つくことばかりだよ。だけど、ひとつでもいいことがあれば生きていける。だから失敗をおそれるなっていいたいね。

それに、失敗しても笑えばなんとかなるって。「笑う門には福来たる」っていうだろう?失敗をみずから笑うことで、不思議とパワーが出てくる。例のピンチも、仲間の存在と「ウンコもらしの赤江(オレの本名)です」って笑いに転化することで乗りきれたんだよ。

漫才師 玉袋筋太郎
漫才コンビ「浅草キッド」のメンバー。著書に「男子のための人生のルール」(理論社)などがある。一児の父で、ライフワークはスナック通い。

「これでいいんだ」を積み重ねて・・・辰巳渚

01 大人になって働きはじめてからは、こんなことがありました。仕事がうまくできなくて、精神的にも肉体的にも参ってしまい、辞めざるをえなくなったのです。人と話すのもこわく、しばらく家のことだけをして過ごしていました。でも、そうしているうちに、ごはんがおいしかった、布団を干したら気持ちいい、部屋を掃除したらすっきりした。あたりまえのことをあたりまえに感じることができ、「ちゃんと自分がここにいる」と思えました。枯れていた自分が、満ちていったような気もしました。

このように、すごく落ち込んだ状態から、時間とともに自分をニュートラルにしていくことができたのも、子どもの頃に愛された思いや、何度でも自分で再生できる「支えになる言葉」があったからだと思います。

「あなたがいてよかったわ」。私は子どもたちによくいっていますが、親ができることのひとつは、そういった支えにできるような言葉かけをすることかもしれません。私は「家事塾」を主宰していますが、子どもは家のこと、身のまわりのことを体感することで、自分ができること、できないこともわかります。誰かの役に立つ実感も得られます。親も言葉をかけやすい。自尊感情が育めるものだとすれば、こういった日常でなのだと思います。

私の講座には、「家事のほんとうのやり方を知らない」といってくる人もいます。親子講座では、子どもの姿を見ているとアラばかりが気になってほめる部分が見つからないという人もいます。私が感じるのは、自分に対しても子どもに対しても理想が高く「これでいい」と思えない。自己評価が低い人が多いのかもしれないということです。

いま思えば、仕事をやめて家のことをひたすらしていたあの時期に、私は日常の小さな満足を得ることで「これでいいんだ」を積み重ねていたのだとも思います。

「家事塾」代表 辰巳 渚
2008年から、親子に家事の大切さとワザを説く「家事塾」を主宰。一男一女の母。「親子で楽しむこどもお手伝い塾」(明治書院)など著書多数。

抜粋

にらめっこのバイブル:こども・きょういく・がっこうBOOK『おそい・はやい・たかい・ひくい』N0.31より抜粋

リンク

ジャパンマシニスト社


(1)放射能から子どもを守れ

放射線から子どもを守れ

俳優:山本太郎氏が見た福島の現実

「戦時中、空襲から子どもたちを守るために疎開をさせた。どうして先人たちがやって来たことを今できないのか。国の対応は後手後手になっている、という考え方もあると思うが、僕は、政府じゃ今おこっていることを全て解ってるんじゃないかと。補償や賠償でお金がかかるし、人を動かせないという経済的な考え、目の前のお金を守るために人の命を犠牲にする政策だと思う」
01  「福島だけの問題ではない。全国的な問題で、全ての食品に対して汚染の可能性がある。それだけじゃなくて、放射性物質を浴びた汚泥(放射性セシウム濃度)200ベクレル以下のものはもう肥料として福島県以外に流通させてよいと。

今していることは、きれいな場所まで汚染される状況を作り上げている。日本から汚染されていない場所がなくなってしまう。いったい国は今、何をしているのか。ひょっとして、国の重要なことを決める人たちは、この国の未来をあきらめたんじゃないかと思える。ぜひみなさんで声を挙げていってほしい」

(‘11.7/20 ニュースアンカーより)

本の紹介

緊急出版 第2弾「放射能から子どもを守る」
552円+税(キラジェンヌ株式会社)

子どもたちを放射能から守るノウハウが満載。パパ&ママ必読!
子どもを守るママからのメッセージ
特別インタビュー UA「この世は楽園であると歌いたいし、今でもそう信じたい」/カヒミ・カリィ/中島デコ/吉川メイ/民(タミィ)/日登美/吉本多香美
◆Mother’s Action! 放射能について正しく知るために
放射能対策レシピ 放射能を徹底的に防ぐマニュアル 飲料/生活習慣/疎開/代替医療
01【注文先】
Mail: info@kirasienne.com
<必要事項>
1.名前(フリガナ)
2.商品発送先住所
3.連絡先電話番号
4.メールアドレス
5.年齢、住所
6.「放射能から子どもを守る」必要冊数
(インターネットでも購入できます。Amazon商品詳細ページへ)

 


(2)もうひとつのフクシマ インサイドストーリー

子どもを守れない国は滅びる・・・

もう一つのフクシマ インサイドストーリー

6月26日(日) 福島の子ども達を避難・疎開させる措置を求める署名を福島市長に届ける、原発反対のパレードに参加する、飛騨清見での夏休みの保養受け入れ先の受付という活動のため福島市に行ってきた。

放射線量は高いはずなのに、屋外でもほとんどの人がマスクをしていない。小雨でも、傘をさしている人も少ない。自分も岐阜を出るときにマスクを忘れてしまった。そうしたら福島にいるうちに喉がイガイガとするような違和感が。「ここの人たちは毎日こんな空気のところをマスクなしで過ごしているの!?」町並みも壊れてはいなくて、街を歩く人たちの恰好も普通。見ただけでは普通の生活をしているように見えた。

福島に行くまでは、こんな危険な目にあわされて福島では岐阜よりもずっと多くの人が原発反対を思い、なんらかのアクションを起こしていて、子ども達を避難させようと思う人も多いだろう、と思っていた。ところが、行動にうつす人は意外に少なく、あれ?という感じ。

当日、清見での保養に申し込んで来た人は6人だけ。他の保養先に申し込んで結果がまだ出ていないとか、こちらの宣伝不足もあったと思う。しかし、情報収集にやってくる人も少なく、ちょっと拍子抜けしてしまった。

ただ、福島の中でも、温度差があるようだ。家族の中でも、「国が安全と言っているから、ここに居ればいいんだよ。仕事だってあるし」というお父さん、引っ越したいと願うお母さんと子ども。おばあちゃんが庭先で作った野菜を食べられないと嫁が言うと、わしの作った物が食べれんのかと怒り、家族間が気まずくなったという人。引っ越しの話しを出せばそのたびに家族の意見が分かれ、家庭の空気が悪くなり、もうそれに疲れてしまって触れないようにしているという人…。

子ども達の受け入れ先を探しに学校の先生も来ていた。その先生は自分の子どもはすぐに疎開させたそうだ。生徒だって自分の子どもと一緒だ、疎開させたい。でもなかなかできないジレンマがある。学校の中にも温度差がある。その先生のように、原発はいやだ!という先生と、原発を肯定的に捉えている先生がいて、先生同士が一緒に行動をおこせない現状がある。

バラバラなのは学校だけではなかった。情報をネットで調べられない人のためとか、多くの人の目に触れるようにと、保養受け入れ先の情報一覧を西日本、東日本とわけて作るから、あなたの地域も載せないか、とある団体に声を掛けられた。申し込んだら西日本ではなんと自分一人だった!それでは一覧表が作れないと、知り合った受け入れ団体の人たちの連絡先を教えた。情報も行動も統一されてないし、それぞれにやることがあり過ぎて行き届かない部分が出てきてしまう感じがした。

清見の保養先では、ここに来たおかげでまた引っ越そうという気持ちになってきた、という人がいた。その人は避難のために一度引っ越したけれど、引っ越し先で子どもが「ゲンパツ、ゲンパツ」と言われたり、避けられたりして、結局福島に戻ったそうだ。でも、今回の体験でこうやって受け入れてくれる人たちがいるということもわかったし、何の心配もなく外で遊んだり野菜を食べられることはやっぱりいいし、と。

福島子供疎開企画『この夏みんな青空の下つながろう会』 千田陽子
文責・にらめっこ


(3)河田昌東さん講演会「放射能汚染と私たちの暮らし」

放射能勉強会 4回シリーズ
主催:農学友の会 共催:GIS研究会、花丸一座、東海芸術アカデミー
美濃加茂市 文化の森 みどりのホール 7/24 10:00~12:00

自分とフクシマとどういう関係があるのか

飯舘村は日本で最も美しい村とたたえられている三つの村のうちの一つです。事故後、村の郵便局の前で計ったカウンターは23.63マイクロシーベルト!恐ろしい数字です。もしここで一年間過ごしたら、原発労働者の被曝限界値の基準値を遙かに上回ってしまいます。なのに、住民は知らずに生活していた。その後、計画的避難区域に指定され、全員避難しなさいと…農家の人は土地を持って出ていくことは出来ないし、まだ1000人弱の人が残っている。非常に厳しい状況にあります。

25年前にチェルノブイリ4号炉が爆発しました。事故の直後、日本の電気事業連合会は「チェルノブイリの原発は日本とは違う特別な構造の原発で、日本では起こりえない!」と書いたパンフレットを配布しました。しかし、同じことが起きた。実際に事故が起こってみると、結果はほとんど一緒です。原発が持っている本質的な問題が浮上したのです。

放射能の影響

私たちは常に自然放射能を浴びています。放射能で細胞の遺伝子が傷つくのですが、私たちはそれを修復する酵素を持っています。普段はどんどん修復するのですが、たまに修復ミスを起こす。年をとるとミスも増えていきます。

放射能の他に化学物質の影響もありますが、年をとってガンが増えるのは当たり前。心臓病、糖尿病、とだんだん病気が増える、これも当たり前と考えます。問題は放射能がそれを加速させてしまうこと。若い人が年寄りの病気になる、ということ。しかし広島、長崎を経験された専門の先生方は、それを放射能の影響と認めない。チェルノブイリから多くのことを学んでいないのです。

また、放射能は成長ホルモンに大きく影響します。それは14歳以下の子どもが圧倒的に多く、男女比較をしてみると女性が多いのです。

怖いのは内部被曝 食べ物に要注意

内部被曝は細胞の中から体中に入って、放射線が遺伝子を壊していく。特に盛んに細胞分裂を起こしている赤ちゃん、小さい子どもなどは影響が大きいです。遺伝子の傷は若い人ほど広がるから、結果いろんな病気になったりします。

食べ物の影響は大きいですが、セシウムなどに汚染されたものを食べた後で綺麗な食べ物を食べたら、半減します。セシウム自体は2ヶ月ぐらいで体から出ていくんですが、ずーっと汚染された食品を食べ続けていると、あるレベルに達して、それが病気の原因になる。放射能の影響は、がんと白血病といわれていますがそれは間違いです。

確かに広島、長崎で原爆が落ちた後、がん、白血病が多発しましたが、(チェルノブイリも同様)病気全体からいえば発生の一割以下。それよりも心臓病、脳血管病、糖尿病、先天性異常、が多いです。福島も心配です。今のうちは何ともないが4,5年経ってからどうなるか非常に心配。

今後起こってくるのはおそらく海の魚の汚染で、食物連鎖が始まる。小さい魚からだんだん大きな魚に汚染が移っていく。今一番心配なのが、コウナゴ。この小さい魚は汚染したプランクトンを食べるから、連鎖はそこから始まるんです。

低容量の放射線の影響 (NPO法人知的人材ネットワークより)

福島の原発事故に際し、多くの人にとって問題なのは、低容量の放射線の影響です。今までに報告されている範囲では200mSv以下では、直接的な身体への影響はないと考えられています。ただ、これ以下の線量でも発がんリスクが上昇する可能性が心配されます。他にも影響があるかもしれないという不安もあります。

一度に大量の放射能を浴びた場合と、低容量の放射線を長期にわたって浴びた場合では身体への影響は異なります。私たちの身体は、容易に遺伝子の傷ついた細胞をはびこらせないための、何十もの抑制機構を持っています。

通常は傷つけられたDNAはすぐさま酵素により損傷部位が取り除かれ修復されます。そして変異した細胞を除去する最後の砦が免疫システムです。免疫機能が低下するような要因(過度なストレス、恐怖、絶望など)を取り除くことで、晩発性の病気を防ぐことにつながるのです。

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汚泥の汚染

次に問題となっているのが、下水処理場の汚泥の汚染。下水処理場は、台所の水、トイレの排水、側溝の水を集めて処理している。われわれの生活環境に入ってきた放射能を全部集めて処理している。当然汚泥の汚染が起きるのは福島県内だけでなく首都圏にも深刻な問題が広がってきている。政府は方針を出していないばかりか、最近はそれを焼却してもいいといい出した。もし8000ベクレル/キログラム以下であれば、将来家を建てる予定がない、あるいは井戸を掘る予定がないところは埋めてもいいともいった。これは全国に汚染を広げることを意味します。

 この問題に、私たちはどう関わったらいいのかしっかり考える必要がありますね。
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「汚染がれき」のゆくえ (アエラ8/8より)

岩手・宮城両県のがれきを全国で分散処理する計画が進んでいる。環境省の前提は「汚染はない」だが、稲わら、腐葉土のようなことはないのか。不安が広がっている。「放射性物質が運び込まれ、少しでも土壌や水に漏れだしたら子どもたちの健康はどうなるのか。不安です」と話すのは幼稚園児の母親。これまで主に東北・関東地方でわき起こってきた、放射性物質による健康被害への不安。それが遠く離れた西日本でも広がっている。

いまだ膨大ながれきが残る被災地の市町村は「反がれき受け入れ」の動きに困惑している。受け入れ側の住民にとっても被災地にとっても、不安の源となっているがれきの放射能だが、比較的最近まで目立った問題にはなっていなかった。

「被災地のがれき受け入れを全国に呼びかけた時点では、放射能が問題になるとは想定していなかった」それが問題視されるようになったのは6月下旬以降、東京都や千葉県柏市などの産業廃棄物処理施設で、ごみの焼却灰から高濃度の放射性物質が検出されたから。がれきを広域処理すれば、放射性物質が拡散する可能性がある。一方で、被災地だけでは処理しきれない—。原発事故で飛び散った放射性物質は、時間の経過と共に、影響範囲を着実に広げている。
——————————————
がれき処理を担うと表明した自治体・一部事務組合の一覧に岐阜県では、大垣市、高山市、多治見市、中津川市、瑞浪市、山形市、下呂市、岐阜羽島衛生施設組合、加茂衛生施設利用組合、南濃衛生施設利用事務組合があった。

 

質問タイム

Q: 近海魚はまだ大丈夫ですか?
A: 場所による。
千葉沖あたりは福島の南の方に海流が流れているからこれは危ないと思う。国は海の汚染、魚の汚染に関しては調べていない。本来ならもっと細かい汚染を調べ、データをとり発表する必要がある。

Q: 岐阜県にモニタリングポストがあるが・・・
A: 福島以外からも測定すれば検出するだろうが、生活に影響はないと思う。
食べ物は気をつけるしかない。産地を選ぶ、それもむずかしいとなると、汚染しにくい食べ物を食べる。たとえば野菜。キャベツの仲間アブラナ科は、カリウムが多いので汚染しやすいと覚えておく。トマト、なす、キュウリ、ネギの仲間は汚染しにくいから、そういうものを選んで食べるとか。あと、酢の物にするとよい。ただしその酢は飲まないこと。
(※われわれは、菜の花を植えてそこからセシウムを吸収する事業を展開。福島県内の学校のグランドの表土を5〜10センチ剥いで2〜3メートルの穴を掘って埋めることもしています。被曝を防ぐ方法としてとりあえずの策ですが・・・)

Q: 一才の子の免疫力低下が気になります。
A: 免疫力を強化すれば放射能の影響はかなり防ぐことができます。
そのためには、抗酸化性のビタミンA,E,Cが大事。ジャムなどに含まれているペクチンも有効で、セシウムを固くくっつけて便と一緒に排出させます。免疫力を増加させる方法もあります。アメリカのインディアンより風邪薬として使われてきた薬草・ヘキナシア(きく科・多年草)は抗ウィルス、免疫強化、殺菌消毒、抗感染症などの働きが確認されています。しかし、多量の摂取は副作用があるので注意してください。

Q: 脱原発に向けできることは?
A: 今後は、もんじゅが再開しないよう働きかけましょう。
ウラン燃料はあと60年しかもちません。それをカバーするために再処理工場(六カ所)を造った。もんじゅを停止すれば、使用済み燃料は六ヶ所に行かないので、六カ所も稼働できません。国民の一人として出来ることは、事実を知ること、声を挙げること、そして実行に移すことだと思います

プロフィール

河田 昌東(元四日市大学非常勤講師、チェルノブイリ救援・中部理事)

放射能勉強会のご案内

第3回 9月18日(日)
松井英介氏(岐阜環境医学研究所所長・医師)◆内部被曝について
第4回 11月26日(土)
田中 優氏(未来バンク事業組合理事長、天然住宅代表)◆安心して暮らしていくために

ぜひみたい映画『100,000年後の安全』

『100,000年後の安全』2009年/デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア/79分

原発から生まれる放射性廃棄物の放射能レベルが生物に無害になるまでには最低10万年を要すると考えられている。透明で無色 放射能を人間は関知できません再処理は危険だ。その過程でプルトニウムが流出するかも。

未来の地球の安全を問いかけるドキュメンタリー。放射性廃棄物を巡る問いかけてと印象的な映像…名古屋・大垣で上映され、今後の予定は未定。近隣映画館を要チェック。

 


第6回 こども芸術村 活動報告

2011年8月3日(水)~5日(金)

Step!「アートキャンプ」活動報告

長いなぁ〜各班に7.5mの布が配られました。
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布に絞り模様を施します。施し終わったらまず水に浸し、絞る。そうすることで染料がしみ込みやすくなります。
01 01

檜の葉っぱを拾ってきて煮詰めます。いい匂い!01 01
絞り模様を施した布を入れ20分は煮出します。
01 4種類の染料。生葉・木っ端・ターメリック・泥(ベンガラor黄土)どの鍋に入れようかな〜どんな色になるかなぁ〜
やっと終了!いよいよ日陰に干します。
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きれいな絞り模様!
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蓄光糸でネームが光る!もっともっとと、ひかりを溜めてみる子どもたち、ほんとかわいい!

芸術的なTシャツを森中に
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わんわんスタッフ・ハナは、いつもみんなと一緒

ライブペイント
ジャンベとディデュルドゥの軽快なリズムに合わせみんな思い思いに描きます。
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裂き織り。みんなの手が伸びる。古い衣服が別物に生まれ変わる。
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第6回 こども芸術村 作品展&芸術祭

作品展

日にち:2011年10月12日(水)~15日(土) 入場無料
時 間:10:00〜
展示内容
・アートキャンプでみんなで草木染めをした大きな布
・ステンシルで染めたTシャツ
・持ち寄った布を裂いて織った布
・思い出を書き留めた絵

芸術祭

日時:2011年10月15日(土)13:00~15:30
活動報告(Hop,Step)記録上映会、お楽しみミニコンサート&茶話会
みなさんお気軽に見に来てください


ボーダレス社会をめざして(26) 伊藤 佐代子さん

新しい命と

息子は赤ちゃんの泣き声が大の苦手です。自閉症と言われる人の中には音にとっても過敏で私たちが気にしないような音に反応する人がいます。赤ちゃんの泣き声、犬の鳴き声、サイレン、人のざわざわした話し声、子どもの悲鳴などです。彼らには騒音としか感じられないのかもしれません。

息子が小さい頃、そうとは知らずスーパーで買い物をしていたら突然赤ちゃんの泣き声が聞こえる方へ行き、赤ちゃんを叩こうとしました。びっくりしたのとどうして?という疑問を持ちました。苦手なんです。あの泣き声。

今、我が家では赤ちゃんの泣き声が毎日響き渡っています。娘に子どもができたからです。娘には子どもを産む前に淳司は泣き声が苦手なのを説明しました。さぁどうしよう??です。夜中泣き声が聞こえると淳司がかわいそうということで、まずは部屋を遠くにする(狭いマンションなので限界がある)ことにしました。その他は淳司に慣れてもらうしかない・・・。

そうこうするうちに出産をし、病院に赤ちゃんを見に行こうということになりました。どんな反応をするか楽しみでした。病院に行くと淳司を大歓迎するかのように大きな声で泣いていました。全然近くには寄れず遠巻きに見ていました。まぁ叩かないだけいいかなと思いました。

その後退院をしてきて毎日毎日泣き声が聞こえます。赤ちゃんが泣いていると何とも言えない顔をしています。嫌なのだろうなと思いつつ、ここは慣れてもらわないと困るからと知らん顔をしていました。しかし、赤ちゃんが泣き出したら自分で判断して自分の部屋に行くなど上手に回避をしています。

先日はお風呂を自分が先に入って、その後ベビーバスに適温のお湯を入れてくれていました。「誰が入れたの?お兄ちゃん?」と娘夫婦はびっくりし、「助かるねぇ〜」と感謝していました。その後も時々お湯を入れてくれて「僕、優しいですか?」と私に聞いてきました。優しい伯父さんになってくれて嬉しい限りです。

未知の世界でどうなるかと心配していたのですが妹の子どもということで、違う感情も入り気持ちをセーブできているのでしょう??娘婿もたびたび我が家に来ることで賑やかな日々を過ごしていますが、淳司はリズムを崩すことなく淡々と生活をしています。案ずるより産むは易しでした。

プロフィール

伊藤 佐代子 (いとう さよこ)
伊藤淳司の母、岐阜障害者就業・生活支援センターの支援ワーカーをした後、NPO法人オープンハウスCANの理事長。地域で暮らす障がいのある方の生活支援や障がいのある方と書道を楽しんでいる。

リンク

NPO法人オープンハウスCAN


はさ掛けトラストin黒川

はさ掛けのわらは家に佳し、田んぼに佳し、これぞ循環型ライフスタイル!01 01

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一株1~2本で田植えをした苗が見事に扇形に分けつしています。この田んぼでは、田植え希望者を一般から募り2日間で終了。参加者は親子連れが多かったとか。
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稲の分けつが進んでないけれど、浮草が生え根っこのまわりにはたくさんの微生物が住んでいる。水は浄化されよい環境を作ることができます。少し収量はおちますが味は抜群とか!

01農薬を使わない田んぼには両生類はもちろん水中昆虫など豊富!イトミミズには本と久しぶりに対面しました。

 
01 見た目はきれいですが、田植えと同時に除草剤をまいた田んぼ。一株が20本ぐらいあり分けつしていないし、風通しもよくなさそう。


田んぼとつながる家づくり

田んぼとつながる家づくり

アクティバ「大人の社会見学」として、白川町黒川で活動している「はさ掛けトラスト」さんを訪問しました。

自然農法&有機栽培に取り組んでいらっしゃる生産者さんのお話を伺って、午後からは土塗り体験も!循環型生活サイクルを実践されている「はさ掛けトラスト」のみなさんとの交流 は、とても有意義な1日となりました。

ストローベイル・ハウスは、直方体に圧縮したワラのブロック(ストローベイル)を積んで壁にし、表面を土で仕上げる北米生まれの建築。断熱性、調湿性、遮音性にすぐれ、健康にもよい、低エネルギー、環境循環型の持続可能な建築として、いまや世界中に広がっています。

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生産者の伊藤さんから説明を聞くメンバー。田んぼの畦には千石豆(ふじまめ)を栽培。豆の根粒菌は土を肥沃にすると聞く。

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はさ掛けトラストの塩月さんご夫婦と、生産者さんとの交流会。自然農法有機栽培のレクチャーを受けながら持参したおにぎり弁当をほおばる。採れたての野菜を手際よく調理してくださったので、つい箸が伸びる。地産地消をみなさんで楽しんでおられる姿に、お邪魔したメンバーからは憧れとも賞賛ともつかないため息がもれる。アクティバもなんとか田んぼと畑を切り盛りしているけれど、まだまだほど遠いなぁ…

美しい模様をかもしだす土壁。

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01いよいよ土壁塗りの体験。ワラが発酵した何となくつんを鼻を突く臭いに気後れしながら「エイッ」とバケツに手を突っ込み、土を握りしめ思いきり壁に塗りたくる。隙間なく土を塗るのは思ってた以上に力がいる。何度か繰り返すうちにコツが解ってきた。そうなるとどろんこ遊びの感覚から無心になって壁塗りに没頭!

01
塩月さんのレクチャー受け、
メンバーたちは思い思いに塗り始めた。

 

 

 

 

01
「はさ掛け」とは、かつて日本の農村の風物詩でもあったワラの伝統的な自然乾燥法。自らお米を作り、収穫したワラを乾燥させ、ワラの家づくりに参加しながら、人と人、人と地域、人と自然がつながり直す、結(ゆい)の再生運動です。

結:家の新築や回収、農作業で、お互いに労力を提供しあい、助け合いな がら行う組織や仲間のこと。(建築家・大岩剛一氏)

 


生前準備講座 第3回「介護と看護」

生前準備講座 第3回「介護と看護」

ケアマネージャー 相馬 清美さん(NPO法人DOREMIみらい 代表)

7月27日午後1時半から、川島ライフデザインセンターにて「生前準備講座」第3回が開かれました。今回のテーマは「介護と看護」。講師の実体験を映像で見た参加者は、介護される自分をイメージした。が、認知症は徐々に進行し、いつのまにか、というのが現実と知りショックを隠せない。しかも予防の方法もないという。病気を始め、自分は大丈夫、といいきれないゆえに、準備することの大事さを再認識しました。まさに「どう生きるか」が問われる講義となりました。

介護と看護の違い

介護とは<生活の場>

生きがいのある人生をおくりたい、自らが望む環境で生活を続けたいことに対して、手助けやお世話を行うのが介護。

看護とは<療養の場>

人間が健康的な日常生活をその人なりに支障なくおくれるように配慮することで、自分の力を発揮して生活ができるように支援するのが看護。

介護される自分をイメージして

01○嫁とは仲良く暮らす(嫁に嫌われない)
○財産管理(元気なうちに書く必要あり)
○最期はどこで死を迎えたいか
○介護施設やサービスをどこで受けたいか
○信頼できる病院・主治医をみつける
○経験豊富な介護支援専門員をみつける

最後に 自分の人生を見つめて
「生活の質」は自分の場所である
「人生の質」は自分の生き方である
と締めくくりました。

 


NY貧乏Nurseものがたり-5

まいまいの看護師見習い奮戦記 ~From Newyork~

Incarnation Children’s Center

01 インカネーション チルドレン センターっていうHIV/AIDSに感染した子ども達の施設にボランティアで行ってきた。医療専門者もソーシャルワーカーもいて、施設自体は寮みたいな感じやけど、そこは彼らの家。

全部で20人くらいの子どもたちが住んでて10代の子が多い。ほとんどの子がHIVという病気とうまくつきあえずにここへやってくる。もしくは家族や親戚からも適切なサポートがうけられずたどり着く。

虐待や見捨てられたりしてしまった子もいる。ある意味、彼らにとって最後の砦のような場所。でもそこで働く人はみんな熱心で、建物内にはたくさんのアートがあふれている。写真、絵、タイル…子どもたちが書いたものはとてもステキでカラフルだ!

HIV/AIDSをもった子どもたちと接するのは初めて。ボランティアはとにかく宿題みたり、一緒に遊んだりするだけやけど、でもきっと10代で一番多感な時。自分の病気を知って生きている子達やもん、難しいこともたくさんあるやろうと思う。実際にマネージャーさんからは、「10代だしね、本当に難しい子もいるよ」って聞いた。

でも彼らの明るさはいつも太陽のよう!今までうちは、自分の存在は彼らにとってあんまり意味のないものと思っていた。会話も弾まないし、彼らの使うスラングは正直わかんないものも多い。最近のゲームもテレビも映画も音楽も全然わかんない…でも今日、なんとなく彼らとのキョリが近づいたような気がした。彼らの笑顔はいつもとび抜けてる。

うちはHIVに感染したこともなければ命に関わるような病気もしたことがない。彼らがどう毎日を過ごしていて、病気をどう受け止めてるのかは想像でしかわかんない。もちろん話を聴くことはできるけど、今の私にはボランティアとして日曜日の4時間を過ごすだけで、何が自分にできて何がプラスになってるのかもわかんない。一緒にソファに座っておしゃべりしたり、ふざけあったりできること。ただ一緒に時間をすごせること。

彼らが今日も笑って生きていられること。
私も笑って生きていられること。
それを感謝しよう。

プロフィール

まいまい
ニューヨークの片隅在住。2010年6月に看護師国家試験取得。不況のあおりで就職難民・・・そんな日々の中で感じたこと、気づいたことを現地からお届けさせていただきます。


親が手を出していいとき悪いとき

01同じことをやってても
「放ったらかし」っていわれたり
「世話やきすぎ」っていわれたり

「自立」のためには
どっちがいいの?
出したその手を
またひっこめる

 

「しなくていいよ」もひとつの方法・・・郡司修一

少子化の影響で、一人の子どもをお世話する大人の手は確実に増えています。子どもに「〜しなさい」という要求行為やかわって「してあげる」代役行為は、もはや子どもにとって飽和状態なのです。「してもらう」ことへの慣れは自立性を確実にむしばみ、あげくのはてに「親に依存しながら親を否定する」ことに行く場合もあります。「お母さんが○○をしろといわなかったから」などと、他人まかせの姿勢になってしまうこともあります。

そこで私は、「しなくていいよ」というアプローチをおすすめしたいと思います。つまり、大人がこれまで「してほしい」と思っていた宿題。かたづけ、持ち物チェックなど「しなくていいよ」と通達するのです。子どもにとって。これは新鮮ですよ。

これは罰則ではなく、一種の渇望感を味わわせることが目的なのですから、「もうやらなくていい!」と怒るのではなく、笑顔で、あたりまえに伝えてみてください。「いまのあなたに必要ないようだから、やらなくていいよ。もう少し大人になると、もしかしてやりたくなるかもね」程度でいいのです。でも中途半端なことはしません。問題が整理整とんなら、徹底的にかたづけさせません。

こうすることで渇望感や飢餓状態をつくりだし、子どもの心に根ざす「必要感」をはっきり意識できるようになる場合もあります。子どものほうから「もう、かたづけたい」などといいだしたらしめたもの。「いいところに気がついたね」とか、「ちょっと立派な考えだね」などと認めつつ、「どうしてしたくなったの?」と理由を聞いて、子どもなりの考えを整理してあげるといいですね。

でもこのアプローチ、しょっちゅうだと効果は薄いです。子どもの年齢や性格、そして「ほんとうにこれをしてほしいかどうか?」を考えて、ここぞというときにどうぞ。また、宿題の場合は担任の先生の協力も必要です。「しばらく荒療治をしてみますので、よろしくお願いします」と連絡して、意識を共有できる担任だといいのですが。
01 学校では子どもが出来るだけ困らないようにと思うのが親心。でも、失敗の過剰な回避は、子どもの自立性をマヒさせていきます。忘れものをしたとき、なんでもいつでも届ける親は「下僕」化していきます。残念ながら、親のやさしさよりは「都合のよさ」のほうが強く伝わり、浸透してしまうのですね。

一方、「忘れ物をしても届けないよ」と宣言している家庭には一種の緊張感があり、子ども自身で「なんとかしなきゃ」と考えるようになります。失敗を味わわせ、そこから子どもなりの知恵や対処を学んでほしいという配慮ですね。ただし、「これがないと今日は大変!」というときには、やはり助けてあげたい。「してあげること」と「してあげないこと」のバランスとタイミングが大切です。

また、子どもの成長段階や性格をよく考え、探りながらためすことも必要です。とくに、小学校四年生ごろの思春期の入口からは慎重に。この時期に育ちつつある子どものプライドを最大限に気づかう必要があるでしょう。「親の思うようには困ってくれない!」ということもあるでしょう。でもそこから、わが子の持ち味を再認識でき、次なる「手出し」の方向が見えてくるかもしれません。

郡司修一/ぐんじ・しゅういち
(福島県の市立小学校教員 共著に『がっこう百科』)

「母ちゃん劇場」・・・山本ふみこ

手を出しすぎるか、ぜんぜん出さないか??これは、たいした問題じゃないと、わたしは思うんです。それは、母ちゃん(あるいは父ちゃん)の性質によるところだし、出しすぎる、出さなすぎる、ということは、それぞれ反省しているところだろうし。
01 大事なのは、ちゃんと見せるということだと思います。子どもにしてもらいたいことをして見せる。こんなふうなやり方がおすすめよ、というやり方を見せる、ということです。

ナイフでえんぴつを削る、食卓を台布巾で力を入れて拭く、本を大事にする、ノートは最後まで使う、パンツや靴下はこうたたむ、上着にブラシをかける、洗濯物を干す棹をきゅっと拭く、箒とはたきを使う…。これらすべてが「母ちゃん劇場」です。

わたしは毎日、主役をつとめています。子どもは見ています—。見ていて、すぐ真似してくれるとうれしいんですが、ま、だいたいは見てるだけ。

そうして自分が独立したとき、そっくりそのまんまのことをしてみるはずです。もっと合理的なやり方を発見したり、わたしたちがインチキして踏み外していたやり方を正道に戻したりすることもあるかもしれません。どちらにしても、そのときは、わたしたちにはあまり関わりのない話です。ちょっとつまらないですね。「ああ、見ていてくれたんだなぁ」としみじみする日をたのしみに、「母ちゃん劇場」の看板女優として、がんばりましょ。ちゃんちゃん。

山本ふみ子/やまもとふみこ
(エッセイスト・著書に「元気が出るふだんのごはん」(講談社文庫)「子どもと食べる毎日のごはん」(岩崎書店)「親がしてやれることなんて、ほんの少し」「人づきあいの練習帖」(オレンジページ)など。)

 

抜粋

にらめっこのバイブル:こども・きょういく・がっこうBOOK『おそい・はやい・たかい・ひくい』N0.31より抜粋

リンク

ジャパンマシニスト社


vol.159 エコビレッジfromオーストラリア

オーストラリアでエコビレッジの立ち上げに参加している
日本人女性YAOさんのレポート

01

Eco Village “Paradice One Retreat”の目的

  • 持続可能な自給自足の生活をする事
  • 生活を共有するもの同士、お互い高め合って成長する事
  • 大規模なパーマカルチャーのプロジェクトの達成
  • 安全で健康的な食材を、お客様と一緒に共有する事
  • 可能な限り地球上に自然を残せるようにする事
  • ひらめき!を感じてもらえる「暮らしのモデル」を提供する事

満月に行った収穫祭

オーストラリアと日本は季節が逆になるので、ここは秋分を迎えたところです。秋分に一番近い満月の日に収穫祭を行うのが、古くからの習わしであるという事で、前回の満月が日曜日でもあったので、paradiseoneの初めての「小さな収穫祭」を行いました。

畑の経験の浅い私たちですが、知恵を寄せ合って試行錯誤をしながら、開墾から始めた畑。すこしずつ少しずつ、畑からの産物を、食卓に持って来れるようになってきました。まずは、この土地の恵みに感謝を伝え、収穫できるサイズに育った野菜たちをみんなでいただきました。

今の時期は、ラディッシュ、大根、カボチャ、ビートルート、スイカ、メロン、青菜、中華野菜もよく育っています。

驚いた事に、大根はとても甘く、見かけもとてもユニークで、みんなを笑わせてくれました。

根菜とカボチャは豊作で、味もよく、スープにしたり、ピクルスを作ったり、いろいろと調理法も思考しながらいただいています。

01メロンとスイカは、収穫のタイミングを見極めるのが難しく、あたりはずれがありましたが、それでもみずみずしい果物をいただける事にはとても感謝しています。

この日は、収穫した野菜の野菜スープと、ピザ釜をつかって、直火で焼いたベジタブルピザをみんなでいただきました。

節の切り替わりの時期に、祭りを行い、各自の生産物を持ち寄り、近所のひとたちともシェアしていけるようにしていく事が目標です。
まずは友達や、近所の人たちに、たくさん育った野菜を、ギフトして、ギフトし合うコミュニティーが広がっていけるようにしたいと思っています。

まだ自分たちの状況は、自給自足のほんの始めの段階ですが、少しずつでも確実に、現実的に、このプロジェクトを大切に進めていこうと、再覚悟をした日でもありました。仲間がいるから、このプロジェクトが進んでいる事、そして祭りを通してみんなに感謝しあえた日。

自分たちだけのためにやっているのではなく、他の誰かのためにもやっている。それを心がけ、輪が波紋のように広がりつづけますように…

(Paradice One Retreat staff・YAO)

vol.159 エコビレッジfromオーストラリア


vol.159 ぎむきょーるーむ「大人未満」な子とつきあう

長~い! 反抗期 思春期 自立期 「大人未満」な子とつきあう

01

01
すれちがいはえんえんと ジャーナリスト 杉山由美子
子どもの思春期は、親の思秋期
長女も結婚、次女も就職。もう子育て終了。これからは、やりたい仕事をして少しは人様のお役に立って、人生のしめくくりに向かおう。
という矢先、長女が入院。じつは原因の痛みは、長女が10代からの持ち越しで、「たいしたことない」とみすごしてきたものだったから後悔も深い。

思えば娘には苦労をかけた。今も胸がうずくのは、長女の中学校時代。子どもが見えない、わからないときは親も混迷を深めていると、今だからいえる。

長女は荒れた。安いコスメを塗り、禁止されているルーズソックスをはき、制服の裾を上げ、眉を剃った。上級生の男の子たちをグループで追った。

01

どれもたわいのないことだったのに、私はいきり立った。なんとか軌道修正させようとやっきになって叱ったり説得した。

女性の経済的自立を標榜してきた私は、女の子が社会でどのように差別されているか、そのために差別されない学力と学歴をもつ必要があるとデータをもって解説した。

長女はまったく聞いていない。耳が閉じていえるいることがびんびん伝わるからくどくなる。くどくなるとそっぽを向く。しつこい私は「昨日言ったことだけど」と翌日に持ち出した。エンドレステープ。

「あれはまいったな!終わったと思っていたのにまた一からはじまるんだからね」長女は笑う。

思考停止していたのは私だった。

「メシの食える大人になる」のはたやすくないけれど
子育ては長い。やっかいな10代を超えればすんなりいくかというと、そうはいかない。

子どもは親だけでは育てられない。親が孤立して経済的に苦しくなれば、すぐ子どもに八つ当たりしてしまう。親も子も逃げ場や居場所、子どもを認めてくれる他の大人が、家庭の外に必要だとつくづく思う。

私は娘たちに「ワーキングマザーになったらできるだけめんどうをみるね」と話している。社会が若い人や子どもに厳しいから、せめて親がへとへとでもめんどうをみるしかないと思ってしまうのである。

01

いまの若者は自立してない、幼い、といわれるけれど……。
それでは「大人」って、どういう人?

石川憲彦(精神神経科医)

かつては「元服」など大人になる確かな節目がありました。
自然に学びながら生きていけば10代の初め頃には1人で世の中をわたっていける体力がつき、不器用ながらも「相場」とされる行動ができるようになり、また生殖能力がそなわってくる。

それがひととおりそろったところで元服となる。農業社会ではそれでよかった。しかし世の中が複雑化すればするほど生きぬくためのルールも複雑になり、大人の基準も複雑になっていきます。

工業社会では、知的合理性が体力にとってかわりましたが、知的合理性はテストの点だけでははかれるものでもない。ものさしがひとつではないから、大人の条件はさらに複雑になります。

とはいえそのころも、大人のイメージとは、自然界をみすえてどっしり構えている、しっかりしている、というものだったでしょう。

01

ところがいまのような情報産業社会では、どっしり、しっかりしていても、あまり意味がありません。情報産業社会で価値を生み出すのは想像力、イマジネーションだということですから、時代への感度の高さなどが大きな意味をもつとされる。

ところが想像力をはかるものさしなんてないのですから、どういう人が大人なのかわかりません。成果をはかるものさしがないのです。

農業社会にせよ工業社会にせよ、大人は実態を生み出してきました。そこは智恵の蓄積があり、老賢者もいた。
ところが実体経済なき金融資本主義の社会にはそれがない。こういう世の中で旧来の「大人」という理想像を求めるから、混乱するんですね。

これからの大人の条件は、かっこよく貧しくなること!

大人の基準って?
本来、どんな時代であれ、行きぬくには、体力とも知力とも違うタフさが必要です。それは「こうなったらおしまい」などと条件をつけず、立ち止まってじっくり考えながらものごとをすすめて、生きていこうとするタフさです。

01

それから、殺しあわずに生きていこうとする意志、共生していく意志をどれほどもっているか。このタフさと共生への意志以外に「大人の力」と呼べるものはないと私は思います。

そしてこういう力は、いま「幼い」といわれている人たちの代表、発達障がいとか知的障がいのある人たちのなかにもあるし、頭がいい、器用だといわれる人で、この力をもっていない人もたくさんいます。

その点では、10代も50代も同じ土俵だと思いますよ。いまの60代が大人か、といわれると、ねぇ。そして、「しっかりした大人」たちが原発を作ってきたことも忘れてはなりません。

これから先の大人イメージは、「かっこよく枯れて、貧しさも楽しめる才能」。商品化された欲望にふりまわされず、悠然と、人間同士たがいに見守りあいながら生きぬく才能なのです。

vol.159 ぎむきょーるーむ「大人未満」な子とつきあう


vol.159 ママたちの座談会 「布おむつについて」

01

おむつ、私の場合

Aさん 私が長男を妊娠した時に、布おむつを手縫いしました。
母が妹のおむつを畳んでいた記憶もあったし、そういうものだと思ってました。4人とも基本は布おむつで、紙おむつもちょくちょく使うというスタイルです。夜間や外に出る時は紙おむつの方が楽ですね。

Iさん うちは1人目の時から布おむつなんだけど、それは単純にもったいないって思って。自分も布おむつで育ったし。でも、「やめなさいよ、紙にしときなさいよ、楽だから」って、先輩ママが言うんですよ。義母さんも安かったからって、たくさん買ってくれたり。私は布にしたいんだけどなぁ、って思いながらも併用していましたが、最終的には布にしました。

01

Fさん 上の子は紙おむつだけで育てていたんですが、離乳食を始めるときに、食を見直して、それからどんどん生活のあらゆるものが変わっていきました。それで、2人目は布おむつにしようと思ってた時に、友人から布おむつと本をもらったんです。それまでは布おむつってどんなものかも知りませんでしたが、この子はほとんど布おむつです。

Sさん 次女三女の年子が布おむつをしてたときは、「2人が布おむつ、大変ねぇ!」ってよく言われたの。でも、紙おむつって、買う量も二倍だったら捨てる量も半端なくって、紙おむつだけでゴミ袋がパンパン!ゴミ出しが大変で。2人同時だったら断然布おむつの方が楽。だって洗う手間は一緒だし。

Aさん 私もゴミが増えるのが嫌だったのね。ゴミ出しがしんどくて。
使用済みの紙おむつを入れておくゴミ箱もどうしても臭くなるし。
それだったらまだ洗った方が…て。

Iさん 紙おむつだと無くなりかけたら「買いに行かなきゃ!」、また無くなってきたら買いに行って…。買いに行く事が面倒くさいじゃないですか(笑)。

Aさん 布だったら洗ってもすぐ乾くし、なくてもタオルで代用できるし。

Fさん 私は布おむつにしたのは4ヶ月からでした。最初はおむつ変えの回数も多いですし、それまでは紙おむつで。

Aさん 出産後1ヶ月か2ヶ月たつと身体がしっかりして来たのが自分でわかるし、そうすると布にしようかなって思えるね。

Iさん 気持ちもちょっと楽になってきてね。

布おむつにも種類が

01Fさん 布おむつも、成形型と輪おむつと二種類あるということを知らなくて、本を見て初めて知りました。

Aさん 成形は洗濯はラクチンだけど、結構中まで乾くのに時間がかからない?

Fさん 両方使ってみたけど、成形はメーカーによって乾きやすい、乾きにくいがあったり、厚さとかいろいろ違いますね。すぐ乾くし、畳み方でアレンジがきくから、私は結局、輪おむつの方が楽でした。

Iさん 成形はおむつカバーにおさまりがいいね。

Aさん ぺらぺらとしたところがないからね。うんちをとるときも成形の方が楽だったかな。

Sさん 布も使い分けだよね。

一同 うんうん。

Sさん 輪おむつは、干す時にぱんぱんってやるからあの快適さを保っていられるんだなって思う。それであのサイズがやっぱり使いやすいでしょう。あれより短かったり長かったりしても扱いにくいと思う。すごい!昔からの知恵だよね!

Fさん 輪おむつは日本独自のものだって本にありました。

Sさん うちにある布おむつで、六人兄弟のおうちからその親戚にもらわれて行って、そのあと我が家に来たのがあるの。大体6~8人くらいが使って、その後でうちが4人だから、もう10代目?
いい具合にくたびれていて、いつまでもつかなあって感じなんだけど、これを大事にとっておきたいの。いつか娘が受け継いで使ってくれたら嬉しいなあ。

おむつの中、見る?

Sさん 食にこだわるお母さんって結構いるけど、排泄に関しては、社会全体がすごくおろそかになっている気がする。面倒くさい、臭い、汚いみたいな。
でも、食べ物と同じくらい大事な事だから、紙でも布でもいいけど、気持ちを向けてみることは必要じゃないかな。親子一緒に「いいうんちが出たね」みたいなのでもいいし。

Aさん 私は「あ!シールが出て来た」ってこともあるから見るけど、最終的にはその人次第になるのかなあ。

Iさん 紙おむつだと便の状態を見ないで捨ててしまうわ。

Sさん 布だと洗う時にどうしても見るけどね。ああ、こんなに消化できてるんだぁとか、面白いよね。我が家は子どもと「今日は元気なうんち!」とか言うの。「今日はびちびち」「昨日あんなに冷たいもの食べたからよ」とか。

ニュートラルに行こう

01Fさん 紙おむつの高分子ポリマーとか、経皮毒のことを聞いたりして、布おむつの良さを再確認しました。
化学的なものはなるべく身体に入れたくないですから。

Sさん 高分子ポリマーって、熱冷ましによく使う冷却ジェルシートの主成分なんだよね。だから「おまたは大事よ、冷やしたらだめよ」って昔から言われているのに、そこに冷却ジェルシートを貼っているようなもんだよねえ。

Aさん 皮膚が1だとすると42倍の量を性器は経費毒を吸い込むから、石油製品は考えもの、という事を知って、自分が布ナプキンに変えたの。

そしたら仕事の時とか、やむなく紙ナプキンを使った日は気持ち悪くなるようになって。たった1ヶ月のうちの数日でも私は気持ち悪くなるのに、1年365日24時間、子どもにつけているのはなあ、できれば布でやってあげたいな、って思う。

Fさん 基本育児って楽しみたいから、布でなきゃって、あまりこだわりすぎるのも楽しめないような気がします。

Sさん こだわらずに紙おむつ派の人にも布おむつも試してみてほしいな。でも初期投資も必要だし、それこそお下がりとか、もらう機会でもあったら、いいチャンスと思う。

Fさん 私もきっかけは友達にいただいて、始めてみたら意外と洗濯の量が少なかったです。30枚あったけど、全部を1日で使う事はないですし。
軽くすすいで後は他のものと一緒に洗濯しているので、7、8枚のおむつってそんなに負担にならないです。

Aさん 先日、布おむつにしたら赤ちゃんのお尻が荒れちゃったっていう人がいて、おむつの洗濯に普通の合成洗剤使っていたから、赤ちゃん用洗剤にしてみたけど、それでもだめで。食べ物かなあとも思ったけど、巷によくある赤ちゃん洗剤だって結構きついのもあるんだよね。
そうすると、布おむつも石けんもオーガニックで、て考えると、どうしても布おむつの方が割高になるかな。でも、そこから自分の考え方が変わる。
じゃあ今私が使っている洗剤は何なんだろうとか、私が食べている物は何なんだろうとか考えると、自分の生活自体が自然な方にシフトしてくる。そういうきっかけになるんだったら素敵な事だよね。


vol.159 記者雑感 From気仙沼-(Vol.12)

159記者雑感

 わずか6区画ながら、防災集団移転用地の造成工事が気仙沼で初めて完成した。2100戸の災害公営住宅と、980区画の集団移転。公的な住宅再建の二本柱の一つが震災4年目に入って、ようやく形になった。早い世帯は、年内にも新居での生活を始める。

 山間部を切り開き、制度上限の1区画100坪(330平方メートル)の宅地を作った。1区画の費用は約2千万円。都会では100坪なんて考えられない。市職員に「広くて安い」と言うと、「あそこで2千万円なんかありえない」。各務原市では、蘇原沢上町や那加信長町とほぼ同じ値段だ(2014年国交省公示地価)。そうか。確かにありえない。 

集会所や周辺の道路を作ったら、単価は更に膨らむ。被災者はこれを、安い時価で買うことも借りることもできる。恵まれているのは間違いない。が、完成した宅地に立つと、「やっとここまで」という思いを抑えられなかった。

その2日後。別の山あいに、バッティングセンターが完成した。作ったのは、津波で妻と2人の娘を亡くした千葉清英さん(44)。野球少年の長男、瑛太さん(12)の気を紛らわそうと、岩手県のバッティングセンターに通ううち、「遠い。気仙沼に作って」と頼まれた。

 本業の乳製品販売の復活も見えないなか、「希望の飲むヨーグルト」を首都圏で売るなどして資金を稼いだ。プロ野球界が知るところとなり、著名選手やOBがPRに力を貸した。そうして完成したバッティングセンターには、投球ゲーム機や卓球台も備えた。野球少年だけでなく、ストレスを抱えたお年寄りや女性が発散できる場所にしたかったからだ。オープン初日、おじいさんと少年2人が連れだって来店するのを見て、つい、涙した。
 漁港周辺も少しずつ賑わいを取り戻しつつある。震災前は市内最多の年間100万人が訪れた「海の市」は、港町にありがちな観光案内所兼物販の施設。
4~6月に順次再開するが、あえて土産物屋を新規開店する守屋守昭さん(53)のような人もいる。
 経営していた水産加工場は全壊し、従業員53人は経理担当1人を除いて解雇。「また戻ってきて」と頼んだものの、小規模で再開した工場では全員を受け入れられない。がれき処理や建設業に転身した元従業員の話を聞いては、心が痛んだ。復興関連の仕事は、よくてあと数年。長く雇用できる場を作ろうと、小売りに乗り出した。印象に残った言葉は、「何十年もかけてできた街や会社が、すぐに戻る方がおかしい」。だから少しずつ、できれば独力で、歩む。

そんな芽が、少しずつ見えてきた震災4年目。ただ、まだ「芽」でしかない。


vol.159 新米Nurseものがたり-(Vol.21)

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がん治療に思うこと

うちの同級生は今、ちっちゃい子どもを育てながら、旦那さんのがんに毎日精一杯、真っ正面から向き合ってる。絶対に死なせない。
時々交換するメールにはいつもその言葉でしめくくられてる。
絶対に死なせない。

でも医者に、”もう治療のしようがない。ホスピスを紹介する。”っていわれた。放射線治療、抗がん剤治療、薬物、外科的な摘出手術だけが、がん治療なの?それができないとなれば、もう患者を見離すの?

 

正直、今の世の中のがん治療は数字や薬品に頼り過ぎやと思う。うちはがんのある患者さんとは、摘出手術をする外科と、ホスピスとでしか関わったことはない。がん治療の現場やオンコロジー病棟とかで働いた事もない、だから偉そうなこといえんけど、でもそれでもなんか違う。なんか絶対違う。根本が違うと思う。

本当は、すべての患者さんにがんがみつかった時点で、食べ物を見直すことをはじめてほしいと思う。食べるものは直接うちらの血となり体液となり細胞となる。

本当はがんがみつかったことをきっかけに、自分達のたべているもの、食べ方、生活の仕方、生き方についてじっくり考えて、原因を探していくことが、治療の第一歩であるべきやと思う。
その上で、どんな治療法があるかっていう選択肢、または治療をしない選択、どう生きていくかというプランなんかを、提示するべきやよね。

医者はあくまで患者が主導権をもって自分の病と向き合って、これからの生き方を決めていく上での専門家という立場であるべき。
患者自身にもそういう意識が必要。

それが、今の医療現場はそんなことには見向きもしない。
がんを発見した時点で、すぐにがん細胞を攻撃して排除することに集中する。それが患者の望むことで、患者のその後の人生に一番有効な治療だと患者自身が判断したらいいけどさ。
でもたいていの場合いろんな治療法、がんとの向き合い方があることすら知らせてくれない。

 

健康な細胞を一緒に殺してしまうような攻撃的な化学療法や放射線治療だけを続けて、一番肝心な、がん細胞をつくりだしてしまった原因を探る事をしなければ、治療しながらもがん細胞を体に生み出すような生活し続けるかもしれんやん。

がん細胞を生み出してしまった毒素や原因を体から排出する事や取り除くこと、新しい健康な細胞をうみだせるような食事や生活の仕方をとりいれることを同時にやっていかないと。

抗がん剤や放射線使えば使うほど、免疫システムの強化に直接つながる精神的やメンタルのケアもやっていかんと。そういうことを、がんや病気がみつかった時点でスタートさせんといかんと思う。

考えてみれば、抗がん剤も放射線も、人間の体にはただの劇薬で毒物でしかない。
病院でも、妊婦の看護師は抗がん剤扱えないし、そういう資格もってる看護師でもすっごい何重にも厚い手袋はめて、隔離された場所でしか扱えない、そんな薬品ってこと自体が、もうふつうの体には害にしかならないってことを物語ってる。
がん患者の体の中やって、がん細胞以外はふつうの健康な細胞が生きてるんやお。それを忘れちゃいかんと思う。

だいたい今の食品や水や環境には、人間や動物の体の中に、がん細胞をうみだしたり、細胞をがん細胞に変化しやすくなるいろんな物質がいっぱい含まれてる。

農薬、家畜に投与される自然界ではありえないような飼料/抗生物質/化学薬品/添加物、水にいれられる薬品、いろんなものが必然的にからだに異常を発生しやすくさせる。

 

今の世の中、ふつうにスーパーやコンビニで買ったものを生まれたときから食べてれば、みんなががんやほかの病気になってもおかしくない。そのくらいすさまじい化学薬品や化学調味料や保存料が世の中にはうじゃうじゃ出回ってる。

その上、日本人が何世代にもわたって続けてきた食生活とは全然違った食事をすれば、生活習慣病にもなるし、がんにでもなりえるし、いろんな病気になって当然。とくに乳製品や小麦製品をいっぱい使う西洋の食事は、みんな大好きやけど、みんなを病気にさせる。

ただでさえ今の日本はとてつもない種類の食べ物が出回ってる。そういうものを食べて育ったちびっ子たちが、中高生になったとき、和食中心の食事を好んでたべるわけがない。

知らず知らず日本人のDNAにはあわない偏った食習慣が、どんどん病気を生み出していくよね。何が自然で何が不自然か、何が体にとって大切なのか知らないまんま。

そういう自分も、日々のストレスや仕事の忙しさにやられてまう。
疲れとるし、楽したいし、甘いもの食べたいし、仕事のあとに一杯やりたいし、体に悪いと思ってはいても、ついついつい。。。
そんな毎日がやっぱり病やがんを生み出すんやな。時々ならいいんやて。でもいっつもはあかん。何かをかえないといけない時期やなと思う。

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vol.159 知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa

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人に寄り添う歌、それがシャンソンです。

シャンソンを楽しむジュジュの会 主宰

 

シャンソン歌手 小島美枝子さん

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シャンソンの教室をはじめて20年になるのですが、ちょっと誤解されてるなと思うことがあります。それはたぶん宝塚の影響だと思うのね。

宝塚は華やかな衣装を身につけ夢の世界を歌うけど、シャンソンは庶民の心の叫びを歌っています。

正直な思いをかくさずに歌う。
それがシャンソンの根底にあるんです。

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たとえば、戦場の兵士はふるさとを思い、母を想う。
子どもを慈しむ歌もあれば、男女間のジェラシーもあります。せつない娼婦を歌った内容もあります。
シャンソンは弱者に寄り添い、それを歌にしているんです。

弱い立場といえば、2011年3月11日の東日本大震災で被災された人たちもそうではないでしょうか。

私は当時の新聞記事、「桜が被災者をいやしている」を読んで『これだ!』と思いました。お金や物資を送るよりの苗木を贈りたい、そして植樹をしてもらおうと思いました。そのことを仲間に提案、募金やコンサートの収益金で苗木を購入する準備が整いました。

が、さて、どこに送ったらいいのか、ルートがない。苗木どころじゃないぞ、ボランティアサークルもとまどってしまった。

そんな中、ジュジュの会員の中に石巻市、北上川地区の議員と知り合いの人がいた。北上川河口付近の「北上桜公園」はかつて200本の桜の園であったが、津波で全部なぎ倒され跡形もなくなった。そこにぜひ植えたいと思ったの。

現地に立ったとき、声を失いました。大きな北上大橋も崩壊、北上桜公園には石碑が悲しげに残っているだけでした。今までの報道から得た情報とはまったく違う、なんかこう、川の怒濤、亡くなった方々の悲痛なうめき、そんな空気感が全身に伝わってきて茫然としました。

でも、人々は強かった、一生懸命立ち上がろうとされていた。私たちが行くととても喜んでくださったし、一生懸命話しをして接待してくださった。

植樹する桜公園の向かいには犠牲者を多く出した大川小学校がのぞめます。「大川小学校のみなさん!いつの日か桜の花になってここに帰ってきてください!」そう願って植樹式のときには、祈りの歌をうたいました。

泣きながら歌っておられたSさんは
「津波で主人を亡くし、息子も大川小学校の教師で犠牲となりました。歌など歌えなかったけど今日はじめて皆さんの輪に入って歌っている自分に気づきました。5年生の孫が岐阜県から派遣教師として石巻に来られたT先生にたいへんお世話になりました」

なんと、T先生は私の元同僚、よく知った仲でした。お孫さんは津波の当日、吉浜小学校の屋上で一晩あかし命拾いをしました。助かったことが恨みの対象となるなど…亡くなった人も気の毒、残された人の苦しさも伝わってきました。いつか「桜」がいやしてくれることを一緒に祈りました。

「桜通信」No.5より シャンソンを楽しむジュジュの会 発行

アクティバたんぼプロジェクト

 

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畦作り、周辺の草刈り たうえの準備

  • 015月18日(日)8:30~11:30

 

  • 場所01:アクティバ田んぼ(関市武芸川温泉を西へ1,200m)
  • 特典:アクティバ通貨一枚進呈(収穫祭でお米と
    引き換えよう!)

 

たんぼの周辺を気持ちいいエリアにしたいので、草刈りをします。刈った草は干して、たんぼに撒きます。電動草刈り機も用意しますが、草刈り鎌持参でお願いいたします。

たうえ

  • 5月25日(日)9:00~14:00

  • 場所:アクティバたんぼ(関市武芸川温泉を西へ1,200m)
  • 参加費:会員1,000円 非会員2,000円
    (アクティバ米のおにぎりと重ね煮の味噌汁つき)
  • 特典:アクティバ通貨一枚進呈(収穫祭でお米と引き換えよう!)

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たうえ体験!
子ども連れ参加大歓迎!

畦作り、たんぼ周辺の環境も整え、いよいよ「たうえ」。雨天決行
小さなお子さんも、お母さんも、じじもばばも、着替えを用意して豊穣の秋を想像して、せっせと苗を植えましょう!
たうえの後は、昨年収穫したアクティバのお米でおにぎり!いただきます。

草取り

  • 6月15日(日)9:30~15:00

  • 集合時間:9:30 道の駅ロック・ガーデンひちそう
  • 持ち物:お弁当、水、タオル、おやつ
  • 参加費:会員500円 非会員1,000円(保険・ガソリン代)

ガイド料が係る場合は参加者で均等割でご負担をお願いいたします。
参加人数(5人)に満たない場合は、中止する場合がございますのでご了承ください。

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たうえも終わり、草取りもやり終えたら、一息つきましょう、ということで、今回はちょっと遠出をします。飛騨小坂の滝めぐりにオトナの遠足です!
旧御嶽登山口の一の鳥居公園から歩きます。行程の大半が遊歩道林道です。途中の溶岩流の断面『巌立』〔天然記念物〕は圧巻です。歩きやすい服装で。

 

 

 

登録メンバー募集(無料)

ただ今アクティバでは登録メンバーを募集中!
応募はFax・Mail・Telなど、どんな方法でもOK。
イベントや、勉強会などに登録メンバーが活躍できる機会を実現したいと思います。相互に楽しめるようなスキルバンクです。
登録、お待ちしてます!

◆募集対象

  • 年齢、性別、職業、国籍、所属 団体など不問。
  • 活動への参加は自由を原則 とします。
  • 活動参加の際、実費負担を 原則とします。

◆申込方法

  • 登録用紙に記入し、FAX ,Mailでお寄せください。

◆アクティバの約束

  • 政治、宗教は持ち込まない。お互いの人格を尊重すること。
  • 積極的な活動をモットーとすること。

FAXでのお申込み

登録用紙(pdf)を印刷し、アクティバ事業部
058-383-8666(にらめっこ編集室内)まで
お送りください。

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メールでのお申し込み

  1. あなたがしたいことは?
  2. あなたができることは?
    (たとえば、得意とする技や趣味やボランティアなど。)
  3. あなたがしてほしいことは?
  • お名前(ふりがな)
  • ご職業
  • ご住所
  • お電話番号
  • 連絡先(FAX、e-mail)

を明記の上、
アクティバ事業部 info@niramekko.com (にらめっこ編集室内)
までお送りください。

アクティバの活動のメインは、「したいこと」と「できること」をつなぐこと。ネットワークが拡がれば、人生が豊かになる!そんな思いで活動を続けています。

2014年4月10日現在

1. わたしのしたいこと

  • 山県市を盛り上げたい(地元でイベントなど)
  • 自分の持つ資格を皆さまとシェアしたい
  • 生き方について情報交換
  • ハーブガーデンを作り、ハーブの効用を学びたい
  • facebookを使いこなしたい
  • ボランティア活動したい
  • 楽器をマスターしたい
  • 半農半X生活

2. わたしができること

  • お菓子作り
  • 色彩心理セラピー
  • シャンソンを共に楽しむ
  • アロマボディーケア
  • 健康体操
  • 川柳講座
  • タロット占い
  • 節約リメイク料理
  • 似顔絵を描く
  • 健康相談

3. わたしがしてほしいこと

  • ジャズライブを開いて欲しい
  • キャンドルナイトで一人づつエコな取り組みを話す会って面白そう!ぜひ実現してほしい
  • 自然農を広めたい、そのための勉強会や実践講座を開いて欲しい
  • フランクな英会話サロンを企画して欲しい
  • 生き方について情報交換会を!
  • 半農半Xという生き方の著者 塩見さんの講演会を開いて欲しい
  • 老いじたく講習会を!

vol.159 中高生・平和を語る

フクシマは終わっていない!

知らないことが多すぎて・・・

3月21日・22日の2日間、私は福島に行き、『東日本大震災・福島原発事故から3年:復興のいまと原発事故について学び交流する高校生のつどい』に参加してきました。

福島県高校生平和ゼミナールが企画してくれたこのつどいには、東京・埼玉・神奈川・千葉・長野・岩手・福島・岐阜などの都県から40人ほどの高校生の参加がありました。

初日は福島市内で集会があり、次の日には、放射能汚染の被害を受けた場所に見学に行き、何人かのお話も聞かせてもらいました。

見たこと、聞いたことがあまりにもたくさんで、しかも知らなかった事も多く驚きの連続でした。

時間も、21日の午後と22日の午前というほんの短い間のことで、頭の中に急に詰め込まれた感じで、記憶がごちゃごちゃになってしまってなかなかまとめきれません。

そこで、今回はひとまず、チェルノブイリ原発事故以来原発反対運動にたずさわり、福島原発の事故では福島原発告訴団団長として活動してみえる武藤類子さんのお話を紹介したいと思います。武藤さんは、福島の現状について、多くのことを話してくださいました。

最初は、たまり続け漏れ続ける汚染水の話でした。放射能に汚染された水は、原子力発電所のまわりの丸い大きなタンクに溜められます。しかし、ここに入りきらない汚染水が海にたくさん流れていきます。

また、原発では1日中高い放射線量の所で働いている人がたくさんいるそうです。とても悪条件の中で、そんなところで働いてくれる人は少なく、働き手が足りないからといって、色々な所から集められてきているのだそうです。

帰りたいのはヤマヤマだけど

避難させられている人たちの問題も深刻です。

汚染のひどいところは避難区域にされているのですが、それが3つに分けられていて、そのうち帰還困難区域は入ることも出来ず、未だに地震や津波の後片付けさえできていません。居住制限区域避難指示解除準備区域にしても、寝泊まりすることができず、住むどころではありません。

除染もそれほど進んでいませんが、それでも原発から20㌔~30㌔の村では、除染された土がたくさんあって、それがフレコンバックと呼ばれる、1.5㌧も入るゴミ袋に入っていて、そのゴミがたくさんあって、さらに増え続けています。

また、放射能に汚染された廃棄物を焼いて容積を減らす計画が福島県内で進んでいます。しかし、これらの汚染された土やゴミを最終的に処分する場所も決まっていません。これが現実です。

武藤さんは「こんな状態では福島で安心して暮らすことはできません。そこで私たちは福島原発告訴団をつくって福島原発を告訴・告発をしたのです」と最後に言われました。

私はたいへんショックを受けました。事故から3年たち、岐阜まで詳しい情報が流されてくることも少なくなりました。しかし、福島ではまだまだ汚染の問題は深刻なままのようでした。

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 この桜の下でお花見が出来るのはいつになる?帰還困難区域 飯舘村長泥に咲く桜
(12年のゴールデンウィーク)

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フレコンバック


vol.159 暮らし上手 -食「種を採る」

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トマトの種採り(水選)

  1. トマトは完熟のものを収穫し、さらに10日ほど置いて種までしっかり熟させる(追熟させる)。
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  2. まず半分に切り、スプーンの柄で種をかき出し、ボールにあける。
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  3. ピンに移して、直射日光が当たらないところに4日~1週間はど置き、発酵させる。目安としては、種のまわりのゼリー質がさらさらしてきたらOK。
    01
  4. 再びボールに移し、水洗いをする。
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  5. 新聞紙の上で乾燥させる。風で飛ばされないように注意。
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  6. お皿に移し、2週間ほど乾燥させて完了。

 

キュウリの種採り(水選)

  1. キュウリは黄色くなるまで畑で育てたものを収穫し、さらに10日ほど追熟させる。
  2. 中心に入った種を割らないよう、少しずらして縦に2つに切る。
  3. スプーンで種をかき出す。
  4. まわりのぬめりが取れるよう、よく水洗いをする。浮いてくる 種は実が詰まっていないので捨てる。
  5. 新聞紙に広げて乾燥させる。
  6. ある程度乾いたら、お皿に移してさらに2週間ほど乾燥させる。 大きな種は芯まで乾燥しにくいの で 特に注意が必要。水分を含んでいるとカビの原因に。

カボチャの種採り(水選)

  1. 収穫して追熱させたカボチャ。
  2. 半分に切り、スプーンで種をかき出す。
  3. タマネギやミカンが入っていた網の袋に入れてゴシゴシ 洗い、外側の綿をきれいに取りのぞく。
  4. キュウリとは逆で、カボチャは浮いたものが良い種。
  5. 浮いた種を、ザルですくい上げる。
  6. 新聞紙に広げ、さらにお皿に移して芯までよく乾燥させ る。カボチャはトマトやキュウリと違い、種が大きくなってからでも食べられる野菜なので、食べておいしかった カボチャの種を残すといい。

今回のまとめ 種の保存法

種は、温度の3つの条件が揃うと発芽する。だから、風通しの良い冷暗所に保存するのがベスト。

例えば紙の封筒に入れて冷蔵庫へ。種はいったん水を含んでしまうと、発芽しようとして体力を消耗するため、実際に蒔いたときに発芽率が下がってしまう。

種のまき方もいろいろ

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ニンジンは、高く伸びた茎の先に小さな花をたくさん咲かせ、ゴマのような種をたくさんつける。それが次第に倒れて、種が散らばる。だからニンジンはパラパラとたくさんの種を蒔く筋蒔き。

ダイコンは4粒ほどの小さな種が入った房を、そのまま落とす。だからダイコンは3~4粒の点蒔き。自然の姿を見続けると、育て方がよくわかる。

本当の野菜とは

01たしかに市場経済の観点で言えば、効率よく大量に作れるF1種の野菜は文句なしの優等生かもしれません。

しかし、野菜は生きものです。人間の都合に合わせて、種をつける力まで削がれた野菜に違和感を抱く人も少なくないでしょう。

F1種の便利さだけに流されていったら、本当の野菜が途絶えてしまうのではないか。そんな危機感を抱き、固定種の種を次世代へつないでいこうとしている人たちもいます。

「いまや世界中の人々が、子孫を残せなくなった野菜を食べています。それは自然界から見れば不自然なこと。F1の種しか残らなくなってしまってからでは、もう後戻りできない。だから自家採種できる固定種を売っているんです」と語るのは、野口勲さん。

埼玉県飯能市で、自家採種できる固定種を400~500種も扱う種屋さんです。

種は長期保存できません。誰かが毎年育てて採種し続けないと、この世から消えてしまいます。その意味で、野口さんが期待するのは、自分で育てて種を採ることのできる家庭菜園愛好家の存在。

みんなで育てて自分で種を採っていけば、それが最高のシードバンクになるだろうという発想です。

種と家庭菜園

「固定種は家庭菜園に向いている」と野口さんは言います。市場経済では欠点とされる生育のバラつきは、家庭菜園では逆に、少しずつ長い期間にわたって収穫できるというメリットに。

また、たとえ病虫害が発生したとしても、遺伝的な多様性を持つ固定種なら全滅はせずに、いずれかの株が免疫を獲得して生き残り子孫に受け継いでいく可能性が高いといいます。

なるべく農薬を使わずに育てたい家庭菜園にとって好都合です。そしてさらに、自分で種を採れること。

野菜を育てるということは、野菜という命の一生を見られることです。芽を出し、花を咲かせ、実を結び、種をつけ、その種から、また芽が出る…そんな自然の繰り返しの中で、命のバトンをつないでいく野菜の姿を見ることができたら、それは、家庭菜園ならではの贅沢と言えるかもしれません。

参考:「いのちの種を未来に」野口勲/創森社、
マクロビオティック健康相談室 シャロムヒュッテ、
モーションギャラリー<安曇野シードバンクプロジェクト>、
無印良品

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vol.159 暮らし上手 -食「種を考える」

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「種は買うものと思われがちだけど、自家採種した種の方が、その場所の環境に順応していて育てやすいんだよね」

昔の野菜はもっとおいしかった…
よく耳にする言葉です。たしかに昔の野菜は個性的で、大根にはもっと辛みがあり、人参には子どもが嫌うほどの強い香りがあったような気がします。

時代につれて、私たちの食べる野菜は変わってしまったのでしょうか? その裏には、「」の事情が大きく関わっているといいます。

二つの種

野菜の種は、「固定種(在来種)」と「F1種」に大別されます。

固定種の種

<伝統野菜・地方野菜・地場野菜と呼ばれるもので、その地域の気候風土のなかで何世代にもわたって選別・淘汰されて、その地域の風土に合った種として固定化したものを指す。丹波では、黒豆や小豆などがその代表的な例>

  • 何世代にもわたり、絶えず選抜
  • 淘汰され、遺伝的に安定した品種。
  • ある地域の気候、風土に適応した伝統野菜、地方野菜(在来種)
    を固定したもの。
  • 生育時期や形、大きさなどがそろわないこともある。
  • 地域の食材として根付き、個性的で豊かな風味を持つ。
  • 自家採取できる。

F1種の種

<人為的につくられた一代限りで、大量生産・大量消費にうってつけの種。一代限りのF1種は世代を超えて生命の受け渡しをすることができませんから、循環しない品種ともいえる>

  • 異なる性質の種を人工的に掛け合わせてつくった雑種の一代目
  • F2(F1の種から採取した種)になると、多くの株にF1と異なる性質が現れる。
  • 生育が旺盛で特定の病気に大病性をつけやすく、大きさも風味も
    均一。
  • 大量生産、大量輸送、周年供給などを可能にしている。
  • 自家採取では、同じ性質をもった種が採れない
    (種の生産や価格を種苗メーカーにゆだねることになる)

種子支配

F1種の普及は、思いがけない深刻な事態をもたらしています。種の多様性が、どんどん損なわれているのです。と同時に、種子支配も進行しています。

F1種が普及すると農家は毎年その種を種子会社から買うようになり、これまで自ら行っていた採種をしなくなります。その結果、その地域で固有に存在していた伝統的な品種が放棄され、次々と消滅しています。

種の多様性

多様性こそが自然の理であり、生命の理であると、フランス人植物学者ジャン=マリー・ペルトは述べています。現存する種の多様性を守ることは、調和のとれた都市の魅力や各々の民族の伝統を尊重することと同義であると、彼は熱く主張します。

種の多様性を取り戻すために、私たちはいったい何をすればいのでしょうか?

まず見直すべきは、農業のやり方です。現行農法においては、三点セットといわれる農薬、化学肥料、それらの使用に耐える品種が必須でした。しかしその過程で品種が画一化され、土壌を劣化させてきた事実があります。

農業の本文は、人々を食べさせることです。一時的な利益を追求するあまり、農地を傷めたり収穫を共倒れさせるようなことをすれば、飢えを招きかねません。

従って、私たちは永続的な農法を採用すべきです。その際求められるのは、農薬と化学肥料を使わないことを前提とした品種なのではないでしょうか?

循環する種子を復活させ、永続的な農法へ転換する、これができるかどうかは、私たちが自然に対して真摯な態度をとれるかどうかにかかっています。

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バングラディシュの新しい農業のムーブメント
ウピニック ノヤクリシー 10の原則

  1. 農薬は使わない
  2. 化学肥料は使わない
  3. 自家採取
  4. 混植でバランスをとる
  5. 自分達で作る野菜と野草をたいせつにする。
  6. 地下水は使わない
  7. 売れる物だけを作るのでなくトータルに考える。
    売れないものでバランスを取る物の有用性
  8. 家畜はハイブリッドでなくローカルなものを使う
  9. 魚などもすめる環境をまもる
  10. 自分たちの畑の周りに木を植えよう

ノヤクリシー有機農業に転換した農民に聞きました。

農薬と化学肥料によって土が疲弊し経費がかさみ実質的には生活は楽にならなかったこと、何か変だと思っている時にウピニックノヤクリシーの運動に出逢い実践を始めた。

最初は収量が減り皆からはチャコール(バカ)と言われた。
でも仲間も増えて今は変換して良かったと感じています。
家族の会話も増えてネパールにノヤクリシーを紹介に行ったり暮らしが充実しています。畑は混植がされて虫喰いも少ない畑と有機質堆肥のお陰で良く出来ると言っていました。

種も自分たちで採るために在来種を使うことになり発芽率も高まったそうです。感想として自信に満ちた生活をしている感じがしました。

種バンクは種を借りると来年2倍にして返すシステムです。
日本各地に種バンクができてノヤクリシー(新しい農業のムーブメント)有機農業が広がればいいな~と思っています。


vol.159 アウトドア特集「まぶしい季節。さぁ、どこ行こう?」

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観天望気(かんてんぼうき)

01観天望気とは、自然現象や生物の行動の様子などから天気を予想することで、天気のことわざのようなものです。
古くから天気を予想することは、漁師・農民・商人など多くの人々にとって重要なものであり、世界各地で人々は観天望気を用いて天気を予想してきました。

雲を使った予想は、気象学的に考えてもっとも信用性がある

  • 太陽や月に輪(暈)がかかると雨か曇り:
    温暖前線の接近に伴う巻層雲のため
  • うろこ雲(巻積雲)は雨の前ぶれ:
    温暖前線の接近によって高層雲が現れるため
  • 夏の朝曇りは晴れ
  • 山に笠雲がかかると雨や風:
    低気圧や前線に伴う風により、湿度の高い空気が山の斜面を上って水蒸気が凝縮するため
  • 上り雲(北に向かう雲)は雨、下り雲(南に向かう雲)は晴れ:
    低気圧の前面は南寄り、後面は北寄りの風となるため
  • 飛行機雲がすぐ消えると晴れ:上空の湿度が低いため
  • 飛行機雲が広がると悪天の前兆:上空の気流が安定していないため

鳥や虫などの状態から予想
日本では古来から予想してきた

  • ハチが低く飛ぶと雷雨:湿度が高いと、昆虫が低く飛ぶとされる
  • カエルが鳴くと雨:雨の前兆で空気が湿ると茂みから出て来て鳴く
  • ネコが顔を洗うと雨:
    湿度が高い時、顔や髭についた水滴をネコがぬぐうため
  • ミミズが地上に這い出したら大雨
  • ヤマバトが鳴くと雨になる・クモが糸を張ると翌日は雨は降らない

虹などの気象条件を利用したものや煙など人工的な現象を
対象とするもの

  • 夕焼けの次の日は晴れ:
    地球上の多くの場所では、天気が西から東へ移動するため
  • 朝虹は雨、夕虹は晴れ
  • 朝焼けは雨
  • 星が瞬くと風強し:強風下では、大気のゆらぎが強くなる。
  • 煙が立つか東にたなびけば晴れ、西にたなびくと雨:
    低気圧接近時は、東寄りの風が多いため
  • 鐘の音が遠くまで響けば雨・嵐:前線などで上空に暖かい空気が入ると、音波の伝播方向に影響を与えるため
  • リウマチが痛むと雨:気圧に結びつけた説明がされることもある
  • 茶碗のご飯粒がきれいに取れると雨:湿度が高いためとされる

ソーラークック

01ピーカンの日に
ぜひ試したい
「ソーラークック」
アウトドアだからこそできる!!

ソーラークッカー作りに準備するもの

  • レンジクリーンパネル2枚(ガスコンロの横に置くもの)
  • 空き缶(スチール)・網・割り箸4本・ふた(なくても大丈夫です)
  • アルミホイル
  1. 太陽の光を吸収しやすくするため、空き缶とふたはマジックやペンキなどで黒く塗りつぶします。
  2. 網の四隅に割り箸をたて、網が少し浮くようにします。
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  3. 1枚のレンジクリーンパネルを下に引き、そのうえに、網を置き、もう1枚のパネルを立てかけます。
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  4. 反射した太陽光が集まるように、立てかけたパネルを湾曲させ、アルミホイルをかぶせて、さらに表面を滑らかにします。
  5. その上から、アルミホイルをかけてこれで完成です
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ピーカンなら

  • 約20分ほどでお湯が沸きます(ただし沸騰はしない)
  • 鮭の香草焼き(黒アルミ箔に好みの香草を敷きその上に切り身をのせる。塩コショウ適宜、アルミ箔をとじソーラークッカーにセット。無風で外気20 度くらいなら2時間で熱が通り食べられる)
  • ホットケーキ(ミックス粉を溶き、生地が飯ごうにくっつかないようにアルミホイルを使用する。約2時間で焼きあがり!!

スローな時間を楽しもう!


I’m Challenger 山岳ガイド 赤木淳也さん

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山岳ガイド、アウトドアガイド、登山旅行家 赤木淳也さん

01自然の中に出かけて身体を動かして、なかまと過ごす、というのはすごく楽しいですし、気持ちいいですよね。

 

 

 

 

 

 

はじめての登山

父親が山とかアウトドアが好きだったので、子どもの頃からよく家族でキャンプ、サイクリングやスキーに行ったりしていました。

私が本格的に高い山に登ったのは中学1年生の時の穂高岳が初めてでした。その時はずっと雨で天気は良くなかったんですけど、宿泊した最初の山小屋・涸沢ヒュッテは、僻地にあるので衛星電話が引いてあったり、岩だらけの地下に小屋があるような形で、要塞みたいですごいなぁって思ったんですね。

翌日行った穂高山荘では、ガスで霧が濃くて見通しの悪い中、ヘリが入って荷揚げをしているところだったんです。すごいところですごいことをしているなあとその時は思いました。

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その後、高校3年の時、やってみたいことリストというのを作ってみたんです。その中の一つに「山小屋で働いてみたい」というのがありました。それで21歳のとき、燕岳にある燕山荘という山小屋の従業員になりました。

山小屋で勤務した5年間、なんでもしました。受付業務、調理、部屋の掃除、破れた布団の繕い、窓や階段の修理、登山道の整備や除雪も。冬には雪を溶かして水を作ったり、遭難者の救助もしました。

大きな小屋ですけど、生活の全てが凝縮されているというか。嫌なやつとも一緒にご飯食べなきゃいけないし(笑)。人間関係も含めいろんなことを学ばせてもらいました。でも、4年目くらいのときに、学んでいくことよりも失っていく時間の方が大きいと感じたときがあって、そろそろ辞め時かな、と。

とにかく上昇志向が強かったとき

当時の自分は妙に技術志向で、いろいろ技術を吸収したい時代でした。もっと山やクライミングの技術や経験を身につけたいという気持ちと、外国に住んでみたいという気持ちが重なり、30歳になって最後のチャンスと思いカナダにわたりました。

始めの一年半はカナダ。その後はカナダを拠点にアメリカ、ヨーロッパ、メキシコにクライミングに行きました。

日本のクライマーは一般的には、日本人同士で仲間を作って登ったりすることが多いんですけど、私の場合は、1人で行って、自分で生活基盤を作りながら、現地でパートナーを探して一緒に登る、という形をとっていたんです。

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地中海を見下ろしながら絶壁を登攀中。クライミングに飽きたらビーチに泳ぎに行くこともできる。
フランス南部マルセイユ近郊の岩場

当時はとにかく経験が欲しいばかりで妙に危険なことに首を突っ込んで、自分の限界までやっていました。

でも、だんだんと、山で気のあう奴らと一緒に楽しんでる方がいいな、というふうに変わって来て、難しいルートをやることよりも、仲間と一緒に楽しく過ごすというのが好きになりました。

日本との文化の違い

カナダではアウトドアが身近にあるんだなあと感じました。
気軽に山を始めています。日帰りだったらラフなスタイルで。気象条件が悪そうなときは行かないとか、無理もしないですし。普通に誰でも気軽にアウトドアを楽しんでる。

ガイドシステムというのも確立されているので、本格的な登山もさかんです。それが文化として認められている社会なので、クライミングしていても、あいつら気が狂ってる、なんてふうには思われないですし(笑)。

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カナディアンロッキーのレイクルイーズの岩場。観光地のすぐそばにもクライミングエリアがある。

ヨーロッパや北米の場合、登山とハイキングは全く別ものなんです。というのは、登山の領域に入った場合、氷河があったりしますので、アイゼン、ピッケル、ロープ、ヘルメットが絶対に必要なんです。で、ハイキングの領域には、岩場とか危険な箇所はほぼ出てこないんですよね。

日本の場合は、穂高岳や白山などのクラスの山では地形的に登山とハイキングの中間部分がいっぱい混じっているんですね。鎖場とか岩場とか出てきますからね。ですので、そういうところで線の引き方が難しいな、と思います。

ガイドの仕事とは

01ガイドというのは判断する仕事なんですよね。そのときどう判断するか、答えはない、もしくは答えはいくつかあって、その中からどれを判断するかっていうのが、そのガイドの力量というかセンスになってきます。

結局、何を優先するか。そのときの優先順位の問題になってくるので、それを言ったら間違っていた正しかったというのはわからないですけど、そこで山のピークを踏むことを優先するのか、安全を優先するのか、難しい。

ピークを踏む数を増やす事を楽しみにしている人もいれば、写真を撮りたい方もいらっしゃいますし。写真を撮りたい方はどんだけ吹雪こうが何があろうが写真摂りたいってなるんで、それをどう判断するか、ですね。

山を楽しむ

今、中高年だけでなく、山ガールとか言われるように若い子が山に登っていますよね。あの子たちはピークハントじゃないんですよね。

涸沢へ行って、そこでテントをはって山見て帰って来るとか。おしゃれな格好をしてキャンプするのが楽しいとか、そういう楽しみ方をしているんですよね。

雨が降ろうが何だろうがとにかくピークを踏むというのも一つかもしれないけれど、そういう別の楽しみもあるんじゃないのかな、というのは思いますけどね。

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氷河と岩と雪のアルパインクライミングのため、重い荷物を背負って山を目指す。
カナダ、バガブーにて。

登山は晴れていなければつまらないという方もいらっしゃいますけど、雨の日には雨の雰囲気がありますし、私は林の中で雨に打たれているとか、しっとりと静かに雨の中を歩くのもそれはそれで好きですけどね。

ずっと晴れていると逆にあまり面白くなくなっちゃうかもしれないですね。いろんなことがあるのがやっぱり自然で、いい日もあれば悪い日もあります。いい日ばっかりだったらあまり面白くないかなあ。

自然は一日として同じ日はないですし、その雨の日はその日しか楽しめない。
あと、そういった日の方が記憶に残ったりして、後から思い出すとみんなで笑い話になったりとか、そういうのはすごく多いですよね。

山の天気などは、ある程度は予測できても、やっぱり予想外のことはいっぱいあるので、その時に対処できるだけの能力をいっぱい持っておくことは必要ですね。

あらたな思い

日本に帰ってくる時に、今度は自分が発信していく方になりたいな、という思いを抱きました。それまでは自分が勉強する方、吸収する方だったんですよね。いろんな人に教えてもらい、いろんな経験もつんで、講習会も受けて。

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山小屋のわきで見かけたマーモット。油断するとすぐに食料を荒らされるが、元々ここは彼らのすみか。「自然保護」ではなく「野生は野生のままに」というスローガンをよく見かける。

それがカナダへ行って3年目くらいの頃から、いろんなことをやりながら発信していけたら、っていう思いが出て来たんです。今まで自分が経験したことなどを含めた情報発信。

今、雑誌に記事を書かせてもらっています。それプラス、講習会とか、山岳ガイドの養成とか、後輩の育成などをやっています。

独立しても、事務所をかまえるとか道具を揃えたりとかそういう形はとらずに、依頼されたガイドの仕事を本当にしっかりとガイドして行きながら、自分の時間を持ちながら、日本とカナダの二重生活を送りたいと思っています。

この11月に一つ検定があって、それを受ける予定です。ガイド協会の資格で山岳ガイドは1と2に別れて、山岳2の資格をとれば国内では全てのルートをガイドできるようになるので。

もっと気軽にアウトドアを楽しもう

私は山で過ごす時間が好きですね。準備段階でみんなでわーわー言って。山に行って楽しんで、帰ったら写真を見たり、みんなであのときはこうだったよねとか思い出を共有する。

これから自分が登山を楽しむなら、仲間と一緒にクライミングキャンプが混ざっているようなのがいいですね。沢登りしながら川原で火を焚いて、川で魚を釣って食べて。山菜とか採れたら最高ですね。そういう感じで一緒に輪を作っていきながら、みんなで活動をしていくというのは楽しいですね。

今はわりと誰でもアウトドアを楽しめるようなシステムというのができてきていると思うんですよね。

例えば会社の仲間や友達とか、今までは集まって旅行やボーリングに行ったりしていたのを、ちょっと志向を変えて一度山に行ってみるとか、キャンプをしてみるとか、川原でバーベキューするだけでも一応アウトドアですし、ラフティングの場合も簡単に申し込めますから、最初の一歩はそういうところから始めたらいいんじゃないかなと思います。


vol.158 現地レポート エコビレッジfromオーストラリア

オーストラリアでエコビレッジの立ち上げに参加している
日本人女性YAOさんのレポート

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Eco Village “Paradice One Retreat”の目的

  • 持続可能な自給自足の生活をする事
  • 生活を共有するもの同士、お互い高め合って成長する事
  • 大規模なパーマカルチャーのプロジェクトの達成
  • 安全で健康的な食材を、お客様と一緒に共有する事
  • 可能な限り地球上に自然を残せるようにする事
  • ひらめき!を感じてもらえる「暮らしのモデル」を提供する事

2013年5月、オーストラリアの東海岸中央付近のcoorabell,bayronbayでParadise One Retreatをopenしました。
元はリゾート施設として使われていた場所を、eco retreatとしてエコロジカルな生活を目指した宿泊施設に方向転換。住み込みのスタッフで持続可能なライフスタイルを模索しながら、自給自足を目指した生活を始めました。宿泊施設として運営を続ける大きな理由は、ここでの生活そのものを泊まりに来てくれたお客さんと共有する為です。

経済最優先から環境優先へ、生きる軸足をシフトしたい。そのためには、まずは自分たちから変わっていく。そしてその体験を共有して、伝えて行くことが必要だと思うからです。

食と環境は密接につながっています。私たちは自分たちで育てられないものは食べません。畑が整うまでの期間は、地元の野菜や、有機野菜を選んで購入しています。ここでは動物を育てていないので、当然のことですが動物は食べません。それでなくとも、肉を食べ続ける事は、さまざまな理由から環境破壊につながり、持続可能な生活を維持できないと思うので、ここではベジタリアンの食事を提供しています。

周辺の森は植林だった楠林から、原生林の植物を植え直し、rainforestをよみがえらせ、動物たちとの共生を取り戻すという大きなプロジェクトも現在進行中です。木を植えて行くのは、長い期間のプラン作りが必要なので、3年後、5年後のイメージを想像しながら進めて行こうとしているところです。

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あるものを利用してガーデンベッドを製作中のYAO(右)とスタッフ。

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私たちは今、大規模なパーマカルチャーのプロジェクトの初期段階に取り組んでいます。

ここでの共同生活は、自分は一人で生きているのではなく、支え合い、協力し合い、補い合いながら生きている事を教えてくれます。そしてそれを外部に発信できるような力をも与えてくれます。ここに訪れてくれる方々にいい影響が及ぶように、努力しています。また、ここの運営を支える仕事にお給料はありません。稼ぐために働くのではなく、持続可能な生活モデルというプロジェクトを発展させて行く事が目的だからです。共通の志を持ち続けるにはそのためのミーティングは欠かせません。

私にしてみれば新しいことの連続ですが、日々を大切にたのしんで生活をしています。

“Paradice One Retreat” stuff YAO:日本人スタッフとして日本料理を四苦八苦しながら、ゲストに提供。また、アートで施設内の壁をペイントしたり、オブジェを作って空間デザインをしています。

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これからの時代の鍵となるものに、コミュニティというものがあります。自給自足をするといっても、すべて自分だけでできるわけではありません。地域の中で助け合っていくことが不可欠です。そんなコミュニティのひとつの形態として、エコビレッジというものが現在注目されています。

エコビレッジとは、お互いが支え合う社会づくりと環境に負荷の少ない暮らし方を追い求める人々が作るコミュニティのことです。多くは田舎にできていますが、中には都市部にできているものもあります。50人?200人ぐらいの人たちが共同生活を営んでいます。

日本のエコビレッジはどこにあり、どんな形態で運営されているのでしょうか……
一つひとつご紹介していきます。
木の花ファミリー(静岡県富士宮市下条923-1)

01富士がくっきりと映える木の花ファミリーの
田んぼ

  • TEL:0544-58-7568/FAX:0544-58-8015
  • http://www.konohana-family.org/
  • 設立:1994年/位置:富士山の西の麓/人口:46名
    「地球を汚さない暮らしをしよう!」という想いを抱いた20名のメンバーにより創立。

特徴

  • 血縁、世代を超えた共同生活
  • 3つの住居で生活(本宅・まことの家1号館・2号館)
  • 収入はファミリーで得て、大人全員で平等に分配
    (血縁を超えたひとつの家計)
  • 化学肥料、化学農薬を使わない自然農法により、食べるものの
    ほとんどを自給
  • 化学肥料、化学農薬を使わない自然農法により、食べるものの
    ほとんどを自給
  • 玄米菜食をベースにした健康な食生活、EM菌の活用
  • 自然をモデルにした調和の精神、こころを磨くことを重視
  • 創立以来一晩も欠かさない夜のミーティングで日々の運営を決定
  • 心の問題をはじめ、あらゆる事柄を全員でシェアする
  • 心の病を持つ人を受け入れ、回復を支援
  • 富士宮市との共同事業により有機農業実践講座などを実施
  • 自然食レストランや出版・教育事業などの「いのちの村」づくりを
    推進

vol.158 ぎむきょーるーむ・「早寝、早起き、朝ごはん」

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● 疑うことがなかったけれど

人間としてはあたりまえのことを幼少時からさせないのは、成長の妨げになるような気がします。朝ご飯だけでなく、食事は三回とるものだし、子どもは早く寝るものだと思うし、早起きは三文の得だとなにも疑わずに思っていました。大人になったら、ちがってきましたが。
(7歳・3歳)

01● 小学生までは

早寝・早起きをしなければ、朝食をゆっくりおいしく食べられない。朝食は、脳と体を動かす大切なエネルギー補給源。朝食抜きでは一日を元気に過ごせないと思うから。…といいつつ「早寝・早起き」に関してはいちばん大切にすべきかな…と思っている。中学生になると、それなりに夜やらねばならない勉強もあるわけで…。もちろん、ゲームやネットをやっているくらいなら「寝ろ!」という私ではあるけれど。
(14歳・13歳)

● 朝ごはん、食べないといけない?

早寝・早起きはよいと思いますが、やはり子どもは朝ごはんを食べないといけないのでしょうか?大人ならいろいろ考え方もあり、一日二食、一日一食などもいらっしゃいますよね(青汁だけで生きている方もいるくらいです)。
(12歳・9歳・6歳)

● もって生まれた体質

早寝!わが家の息子たちは、どんなに運動しても、9時半前に寝ることはほとんどないです。いっしょに遊んだ子どもたちの親が「昨日は夕飯食べながら7時前に寝ちゃった?」といっているのを聞くとうらやましく思いますが、これはもう、もって生まれた体質だと思います。
(8歳・5歳)

● 共働きではむずかしい

早寝。共働きで帰宅後は時間に追われて、なかなか早寝させれません(いいわけ)。朝ごはん。食べるだけはかならず食べるようにしていますが、その内容がひどい。ふりかけごはんのみということもたびたびあり。けれど、朝も時間に追われている(いいわけ)のでなかなかできません。(7歳)

● 健康的な生活が送れる制度を

国に人の生活をとやかくいわれたくない。それより、そういう健康的な生活が送れるような制度(たとえばヨーロッパなどは20日以上続けて休暇をとらなければいけないとか)をどんどん入れて変えてほしい。提唱すれば(いえば)いいというもんでもないし、なにも変わらない。(9歳・3歳)

「早寝、早起き、朝ごはん」をいろいろな角度で考えてみると…

「自己責任」が極端なかたちになると… 山田 真
今の時代は新自由主義の時代といわれ、それは自己責任の時代ともいわれます。どんな時代かといいますと、たとえば健康面では、「病気になるのは個人の不摂生の結果だから、病気になっても国は面倒をみない、医療費などは自己負担。だから、病気にならないために、国民一人ひとりはあらゆる努力をしなくてはいけない」と国が宣言する時代だということです。極端なかたちになると、国民はすべて「健康を保つこと」を義務づけられたりしますが、それが実行されたのが『健康増進法』という法律の制定でした。健康であることが国民の義務になっているような社会では、生まれつき病気や障がいをもってる人は不適格な国民としてあらかじめ排除されてしまう危険がありますし、年をとって病気になった人なども非国民あつかいされてしまう危険性があります。それはとてもおそろしい社会です。
そのおそろしさは、「早寝早起き朝ごはん」という一見おそろしげでないスローガンの中にも潜んでいます。国が国民すべてに一定の枠にはまった生活スタイルをとるように求める時代は、やはりとてもおそろしい時代なのです。
やまだ・まこと 小児科医、「ちいさい・おおきい」編集委員

多様性が受け入れられる社会を 桜井智恵子
「早寝早起き朝ごはん運動」ができない家庭はたくさんある。週に一度以上、ひとりで朝ごはんを食べる子は全体の半分だ。子どもが起きるより早く出勤する親や、夜中の仕事で朝早くは起きられないような親、心身ともに弱っている親がいたりと、もういろいろな家庭がある。
社会には黒い人、黄色い人、若い人、お年寄り、障がいのある人…いろんな人間がいる。人びとの多様性が受け入れられることが、その社会のキャパシティでもある。子育てをもっと懐深く共有することは、包容力のある社会を育て、私たち全体の未来の大きな利益になる。
さくらい・ちえこ 大阪大谷大学教員「ちいさい・おおきい」編集委員。専門は教育学

子どもの知的欲求を無視していないか? 藤井誠二
01「早寝早起き朝ごはん運動」の背景には学力低下の問題があります。学力を上げるためには、朝早く起きて、ごはんを食べて勉強したほうがいいんだ、と主張している方々が多いし、朝ごはんを食べている子どものほうが学力が高いみたいなことをいわれる…
ぼくはひねくれているから、もし、勉強がほんとうに面白いものだとしたら、朝ごはん食べたかどうかなんて関係ないだろうという気もするけれど。塾に通っているとか、親の教育熱心さとか、いろんな要素もからんでいるはずで、単純に朝ごはんと学力向上をつなげるのには違和感がぬぐえません。
ふじい・せいじ ノンフィクションライター

大人たちの自己満足運動が始まった 岡崎 勝
「早寝早起き朝ごはん運動」は、「早起きは三文の徳」の現代版ともいえる。しかし、わざわざ「国民運動」になってしまうところがすごい。
寝ることや起きることは、非常に個別的なことである。どうも、日本全体が健全という中身に「勤勉な生活」をイメージしているようだ。しかも、「精神力」がその基盤にあるので、怠けることは「社会的に許されない」というムードがあふれている。早寝もいいけど、遅寝もときどきはあっていいんじゃないか?とか、早起きもあんまり早いとつらいよねえ、というときもあっていい。
そして、忘れてはいけないのは、この運動は、「早寝早起きなんていってたら、勉強している時間が短くなるじゃん」という子どもたちのつっこみに耐えられないくらいの、法律や条例で「善意の顔で押しつける」、非常に危険な大人たちの自己満足運動だということなのだ。  おかざき・まさる お・は編集人

「早寝・早起き・朝ごはん」国民運動とは、平成18年文部科学省が提唱したもので、その推進母体として「早寝・早起き・朝ごはん」全国協議会が設置された。そこが構想するのは、経済界、メディア、行政、各種団体、PTAなどが参画する国民運動。

 


好評連載! 中高生・平和を語る

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標的の村

0112月1日に岐阜で上映された映画「標的の村」をみてきました。この映画は、沖縄で今起こっているヘリパッド移設増強反対運動に取り組む高江の人達を記録したドキュメンタリー映画です。今回は、映画を見た感想と、この後の感想交流会で出た意見についてお話ししたいと思います。

感想交流会では「自分達が住んでいる日本なのに、ちゃんとした情報、現状を知らなかったことが、一番くやしいと思った」という声があがりました。沖縄の人々は、戦後もずっとずっと戦いを続けています。そう思ったとき、あなたはどうおもいますか?悲しくなりませんか?

私は「戦時中から今までずっと苦しめられているんだなぁ…」と思い涙があふれてきます。ヘリパットを作ってほしくないという住民の思いから、現場で座り込むのです。自分の命もあるのに、動いているクレーンにしがみつき、必死に止めようとする人々がいる。皆さん、想像できますか?

現実にそのようなことが起こっているんです。国は自分達の生活を守ろうという人達を「通行妨害」で訴えました。現場にも行っていない7歳の女の子まで訴えられたのです。ほんと、ありえません。

一昨年9月、10万人が結集した県民大会での知事の訴え、そして反対にもかかわらず、電話一本で「オスプレイ」配備が県に通達されたのです。どんな意見も聞いてもらえず、国民の意見を馬鹿にしてるのですか?…心が苦しくなりました。

感想交流会では「自分達が住んでいる日本なのに、ちゃんとした情報、現状を知らなかったことが、一番くやしいと思った」という声があがりました。沖縄の人々は、戦後もずっとずっと戦いを続けています。そう思ったとき、あなたはどうおもいますか?悲しくなりませんか?

私は「戦時中から今までずっと苦しめられているんだなぁ…」と思い涙があふれてきます。ヘリパットを作ってほしくないという住民の思いから、現場で座り込むのです。自分の命もあるのに、動いているクレーンにしがみつき、必死に止めようとする人々がいる。皆さん、想像できますか?

現実にそのようなことが起こっているんです。国は自分達の生活を守ろうという人達を「通行妨害」で訴えました。現場にも行っていない7歳の女の子まで訴えられたのです。ほんと、ありえません。

一昨年9月、10万人が結集した県民大会での知事の訴え、そして反対にもかかわらず、電話一本で「オスプレイ」配備が県に通達されたのです。どんな意見も聞いてもらえず、国民の意見を馬鹿にしてるのですか?…心が苦しくなりました。

感想交流会の中でよく出てきたのが、2012年9月29日の配備強行前夜、アメリカ軍普天間基地ゲート前を人々が完全閉鎖したシーンについてです。腕を組み座り込む人々、それを排除していく警察。1人を4人がかりで、手足を持ち運んでいく……車はレッカーで運ばれ、泣きながら沖縄の歌を歌い続ける人々の姿…。ジャーナリストたちも排除されていく…それをみている、アメリカ兵の笑顔…。
それは、実際にあったこととは思えないようなシーンでした。警察も沖縄の人なのだから、いやならいやと言えばいいのに…それも言えないのは情けないと私たちは思いました。

私は、沖縄の問題を日本中の一人ひとりが考えていくべきだと思いました。また、この映画を日本中の人々が全員みるべきだと思いました。

私たちにとって、この先色んなことを知ることや、周りに発信することが必要だと思いました。また、それぞれが、自分に出来ることや思うことを語り合う場をつくり、交流することも必要だと思いました。

その結果、何かが、急に変わるということはないでしょう。しかし、こうした交流の時間を過ごせる輪が広がることがとても大切だと思っています。「何がなんだかわからない!」って思う人もたくさんいると思います。でも、あきらめずに、一人ひとりの力を信じて、出来る限りのことを頑張って行きたいと思ってます。

ぜひ、皆さんも私たちと一緒に交流してみませんか?

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〔註〕高江:沖縄本島の東北端に近く、北部訓練場に囲まれた集落で、那覇から車で3時間近くかかる。
同訓練場の用地の約半分が返還されることになった代償として、ヘリコプター着陸場(ヘリパッド)の移設増強工事が進んでいるが、これ以上の基地機能強化に反対する住民らが、工事現場で座り込みを続けている。


新米Nurseものがたり-(Vol.20)

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しあわせって、なんだろう。異国にいてつくづく感じること

なんで北欧のほうが幸せ度が高くて 日本や韓国が国民の幸せ度が低いかを最近よく思う。

デンマークやノルウェイ、ブータンもちょっと前までは幸せ度が高くて話題になってた。ようは、いろいろあってもやっぱり今の暮らしがハッピーさって思える人が多いってことやおね。

アメリカで、とくにニューヨークでその国からの移民をみかけない国は、多分国民の幸せ度も高い国。
たとえば、今住んでるクイーンズは世界でもっとも多民族・多国籍の住む場所で、中国・台湾・香港・マカオ・フィリピン・インドネシア・マレーシア・バングラディシュ・タイ・ベトナム・韓国・北朝鮮・ロシア・ウズベキスタン・ウクライナ・カザフスタン・ポーランド・チェコ・イタリア・ルーマニア・ギリシャ・アルメニア・トルコ・ブルガリア・アイルランド・パキスタン・インド・ネパール・チベット・ビルマ・ジャマイカ・キューバ・ほとんどの中南米の国・中央と西アフリカの国々・・・はほぼ見かける。

それ以外の国、たとえばヨーロッパの人達(アイルランドやイタリアやギリシャを除いた)、あと北欧の国の人達はほぼみないし、いてもアメリカによっぽどの目的(アート、ビジネス)があって移民してきた人。ブータンもみないし、オーストラリアやニュージーランドもみない。UAEもみない。

 

01移民してきた人達はみんな故郷を思う気持ちが強くて、恋しさあれど、今の暮らしのほうがましという。 物質的な豊かさが増して、最低限の人権は守られる。移民が多ければ、その国の食べ物は流通してその国の宗教の寺院やコミュニティーセンターもあって、英語がしゃべれなくても、違法だろうと合法だろうと現金収入の道さえ確保できれば、なんとか生活していける。子どもは学校に行けるし、むしろ働かせたりしたら即児童労働やなんやと、捕まる。

子どもは大人になるころには、英語もペラペラになって親を助け、仕事もビザもなんとかなって、立派なアメリカ人となってまた家族をつくっていく。そのころには、食べるものも、着るものも、しゃべる言葉さえも、アメリカナイズされて、民族性は薄れていく。2世ともなれば、言葉はなんとか親の母国語をうけつぐものの、アイデンティティは半々のような曖昧なものになっていく。
文化も風習も伝統も、知ってても、触れたり経験しないまま、育っていく・・・。

日本の近代の住宅地もそうやないかと。うちも土着文化にあんまり触れないまま育ったことがけっこう悲しかった。 新しく山を切り開いた新興住宅地で、伝統のお祭りも昔から伝わることもなく、隣町のお太鼓やお囃子がちょっとうらやましかった。おばあちゃんちにいくと、祭でおくるまを曳いて、ちびっこもみんな法被きて、ちんとろ船があって、あの独特な土地の熱気がうらやましかった。

いくら移民がきても、その国はなくならないし、その土地の伝統も文化も受け継がれていくやろうけど、やっぱり、その土地からきた人達がどんどんアメリカナイズされていくのも、またなんだか複雑で。 その土地の人々の幸せ度アップとコミュニティーが維持できるような仕組み(北欧の国のような国自体がたくさんのものに頼らずにまわっていってる)をどんどんつくっていかんとなって思う。ちびっ子たちが大学や若い時に故郷を離れたとしても、定住するのに戻ってきたいと思える土地づくりというか・・・

世界もいろんな国の人が、わざわざ移民として遠く離れた異国の国で暮らさなくてもいいような、そんな世の中になればなって思う。

うちはその土地で先祖代々生きてきた、その土地で、土地とのつながりをもって、その土地の空気や水で、その土地で収穫されたものを食べて、いろんな風習や伝統を受け継ぎながら、生きていくのが、一番人間の体に健康的やと思う。DNAにもそれが一番自然なはず。そうゆう暮らしがハッピーと思えるような、生き方や生活ができるといいんやけどね。

アメリカ生活が長いと複雑な思いに囚われます。

あ~日本が恋しいなぁ・・・

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知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa

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「楽観主義バイアスを理解し自分らしく生きること」

01テーマに座学のあと、意見交換を行いました。楽観バイアスを理解し、その時に備える。その時、とは・・・すなわち「死」。悲観的だろうと、楽観的だろうと『死』は必ず迎えることになる。その時をどうイメージするか、参加者全員で意見交換をしました。

楽観主義バイアスは、楽しく生きていくために(人生トータルの幸福度を上げるのに)とても重要なこと。多くの人はものごとをつい楽観的に考えがちです。いざというときのパラシュートは準備しておけるよう、自分の中のバランスをうまく調整していきたいものです。
あらゆることに対して楽天的に考え期待をしながらも、現実的な備えを怠らない。』物の見方は長い期間をかけて培われてきたもの。そう簡単に変わるものではありませんが、私たちもそう考えられるように意識的に変えていきませんか?

あなたは1.2.3のうち、どのペンギンですか?

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  • 1.悲観的なペンギン
  • 2.極端に楽天的なペンギン
  • 3.楽天的なペンギンで、念のために
  • パラシュートを背負ったペンギン

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01参加者11名中2番のペンギンと思った方が3名。 1寄りの3が1名、7名の方が3番ペンギンでした。

 

 

生前準備ノートは3番のペンギンのパラシュートになるのかな?

 

 

「人生これから」

01モグラのとおり道をふさいで、水もれを防ぐために「あぜぬり」もします。田ぐわで、どろ土をあぜの内側と上部に押しつけて、ぬりかためていきます。これは、どろ壁(かべ)をぬりつける感じで。
あぜから水がもれないようにすることが目的ですので、足を使ってペタペタとぬるやり方もあります。
どろんこ遊び感覚で、お子さん連れの家族の参加大歓迎!ビオトープにはめだかやかえるがいっぱい!

「あぜつくり」

(昼食後アクティバ会員は25年度の総会をします)
4月20日(日)10:00-14:00

  • 場所:アクティバの田んぼ(関市武芸川温泉を西へ1,2km)
  • 参加費:会員1,000円 非会員2,000円
    (アクティバ米のおにぎり、味噌汁、漬け物付き)
  • 持ち物:長靴、鍬、スコップ、着替え、水、タオル

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記者雑感 From気仙沼-(Vol.11)

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・ 津波が4階まで押し寄せた気仙沼向洋高校。3階には車が突っ込んだままだ(1月28日)

私立東陵高校(気仙沼市)の春のセンバツ出場が決まった。市内の高校としては26年ぶりの甲子園だ。昨秋の東北大会で準優勝したものの、決勝は13-2と大敗。選ばれたのは「被災地枠」だろうと、他社の記者らと噂した。もちろんそんな物はないが、少なくとも関東以北の全国紙や全国ネットは大きく取り上げた。逆にこういう話題でもないと震災関連の記事が載りにくい状況に、かなり前からなっている。

取材に行った1月下旬、高台の高校から市街地を見下ろすと、盛り土の山、山、山……。アルファベットチョコだったか、ああいう台形の塊をテーブルに無造作に並べた感じだ。実際のチョコは巨大で、てっぺんで重機が土をならしている。本当にあの上に工場や家が建つんだろうか。

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・ 魚市場近くの仮設店舗でたい焼きを売る小野寺さん夫妻。震災以後6万個を焼き上げた(11月30日)

高校から国道45号を30キロほど南へ行くと小泉海岸。県内最高の14・7メートルの防潮堤が作られる。がれきを取り除いた後はほぼ手つかずで、国道の海側も陸側も巨大な湿地帯のようだ。少し前、その様子を撮影し、空き地に止めた車に戻った。草刈りの休憩をしていた女性に呼び止められた。「新聞?最近記事見ないよ。忘れられるの、一番つらいんだよぉ」。頭を下げるしかなかった。

忘れないために。市は有識者を交え、伝えるべき、残すべきものを選び始めた。「震災伝承検討会議」。2年近く市内と南三陸町の被害を記録してきたリアス・アーク美術館の山内宏泰学芸員は初会合で言った。「忘れないで、じゃ弱い。覚えとけよ、です」。

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・ 気仙沼市は戸建て・長屋の災害公営住宅すべてを地元業者に発注する協定を結んだ(12月27日)

何をか。「過去の津波の情報も記録もあったのに、無視してきたと言わざるを得ない」「河口を埋め立て、先端に石油タンクを23基作った。そんな街が津波を受けたから、これだけの被害が出た。課題や反省点を伝えないと」。防災会議のような内容だったが、身内とも言える学芸員の指摘を、市はきちんと受け止めて欲しい。

1月中旬、中国地方を巡った。広島平和祈念公園の石碑に有名な「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」を見た。気分転換の旅なのに東北を思い出してしまった。震災と原爆は違う。けれども、石巻の指定避難所で多くの人が亡くなった。気仙沼は津波後の火災が被害を広げた。人災の面があるのは否めない。だからこそ、次の惨事は防げるはずなのだが。

市は1月27日、流された石油タンクの近くに壊れにくいタンク8基を作ると発表した。うーん。翌28日の第2回伝承検討会議。資料はこう謳っていた。「これまでも、地震・津波の被害を受けた地でありながら、同じことを繰り返した結果となった」

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・ 大手コンビニの依頼で気仙沼西高校の生徒が 「気仙沼復活(フカカツ)弁当」を考えた
(1月13日)


カタコトの部屋「ママが働くとき」

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それぞれの仕事

  • Oさん:
    私は歯科衛生士の仕事をしています。以前は月曜から金曜までの仕事をしていたんですが、学校から帰る時間までに私が帰れないこともあって、子どもが不安定になってしまったんです。子どもが休みの日に自分が仕事に行くことは不安だったんですけど、子どもが、やっぱり平日にお帰りって言ってくれた方がいい、土日には仕事に行ってもいいよって言ってくれて、それで今は土日中心で、他にも学校が休みで職場が忙しい日は出て行く時もあります。
  • Mさん:
    私はずいぶん前ですが、上の子が6ヶ月の時に仕事を再開しました。家でできる仕事だったので、子どもが眠っている時にしたり、締切りが迫れば、友人に時間いくらでお礼してベビーシッターをしてもらったりしてこなしていました。
  • Sさん:
    私の今の仕事はおんぶひもや布ナプキン等をハンドメイドして販売したり、おんぶひもの講習も要望があればやっています。本当はお母さんをサポートするような仕事をして行きたいんだけど、なかなか難しい。やりたいこととやれることの間を埋めるのが今の仕事なんだけど、ここからどういうふうに踏み出そうかなって今模索中です。
  • Aさん:
    私は、週に1日カフェでランチを作って、月に3回くらい料理教室を開き、月に1,2回はイベントに出店。準備や何かでほとんど毎日動いています。この間年輩の男性に、週に一回ランチ作る、それは働いているうちに入らない、遊んでいるっていうんや、って言われたの。きっと企業戦士で一生懸命にガーッと働いてきたんだろうな、それを働くってこの人は言うんだろうなって思ったけど、ママがその通りにしたら家族は崩壊するよ。

「働く」「仕事」ってなに?

01Sさん: 私の中では今やっていることも、立派に仕事なんだけど、でもなかなか仕事と認めてもらえない。幼稚園でも趣味でハンドメイドやってるくらいにしか思われていないみたい。今、幼稚園で役員やっているんだけど、幼稚園のイベントと仕事が重なって、仕事の方は行かざるを得ないから行ったんだけれど、他の役員の人からはえ?!そっちに行くんだって言われて。なかなか理解してもらえないというのが…。自由がきく反面で仕方ないのかなぁ。

Aさん: 3年前、自分が勉強したいことの費用を稼ぎたくてフルに働いていた時があって、そのときは子どもたちの様子がおかしくなっちゃった。子どもたちが情緒不安定になったり、私が忙しいから食事もできあいのものが増えて、風邪引きやすくなったりアトピーが出たり。しまいには、私が仕事に行く時に限って熱が出るようになったり。夏休みは子どもを夏休み保育や学童に預けて仕事していたけど、その支払いで給料も消えて、その時になんのために働いているんだ?って思った。結局その仕事は半年でやめて、勉強も中途半端に終わってしまったの。社会と繋がっていたいという思いがあっても、それで子ども に毎日寂し思いをさせて、となると、自分自身の自己表現と母親としての責任というのがものすごくぐらついてくる。そのバランスをうまくとってやっていける仕事があるといいな、って思うな。

 

仕事と子ども

01Oさん 私、歯科衛生士という仕事がすごく好きで、月に何日かでも、自分が自分でいられる場所だと思えるんです。その日があるので、平日に主婦やお母さんとして頑張ろうかな、と思えます。でも、ちょっと後ろめたい気持ちもあるんですよ。自分はそうやって楽しい仕事をしているんだけど、子どもはいいよって言ってくれているけど、実際はどうなんだろうとか。

Mさん 私が印象に残っているのは、上の子が6年生の時に、イベントを主催して、帰りが12時過ぎちゃった。家に帰ったら上の子が起きて待っていて、うわ、何言われるんだろうと思ったら、「お母さんお疲れさま」って。その時、親が一生懸命やっていれば子どもはその背中を見てるんだって思ったの。だから、ぶれずに、お母さんは子育てが楽しい、働くことが楽しいって頑張ってやればいいと思う。絶対それは子どもに伝わると思う。子どもはちゃんと見てるもん。でも、子どもがいいよって言ってくれてるからと、あぐらをかいて外の仕事を増やすと、子どもが寂しい思いをするよね。

Oさん 何歳くらいまでそういう配慮が必要かしら。

Mさん 友人で、子どもが中学生になったら思春期でいろいろ心配だからと仕事を辞めた人いるよ。

Aさん へぇ?!逆に?

Oさん 中学生くらいになればいいと思っていたんだけど。

Mさん 中学生はさなぎの時代っていうからね。殻にこもちゃって中でウゴウゴ動いているから、ちょっとの変化でも親がまず感じていたいってその人は仕事を辞めたの。でも、人それぞれ。その人はそういうふうに思ったってことね。

Aさん 私、自分では憶えていないんだけど、中学生の時に、親が、そろそろ働きに行ってもいいかなぁって聞いたら、鍵っ子なんてやだ!高校生になったらいいよって言ったらしいの。だからその子どもの個性というのもあるよね。

今はお金じゃなくても…

Sさん 子どもが小さい時って、子どものことと家のことだけで終わっちゃう。楽しいけど、子どもは可愛いけど、それはそれでシンドイよね。なんかそこでちょっとね、社会に出られて、話しができて、ちょこっとそこで、金額じゃなくても役に立ったとか、感謝されたとかほしいよね。

Aさん 主婦の仕事って感謝されないからね。

Sさん そう!いくらやってもね。

Aさん ね!換算すると月給30万円以上の労働といわれてるのにね。なのに三食昼寝付きとかひどいこと言われちゃう。そりゃ昼寝することもあるけどさ(笑)。

Sさん 私は母や女性である事、小さい子がいることを言い訳にしないで、強みにしてしまえばいいんだって思うの。でも、そういう私もまだまだ修業途中なんだけど。

Mさん お給料もらうだけが仕事じゃなくて、家事も立派な仕事だよね。私は女の人はすごくオールマイティで、能力もあると思う。でも、家事って限りなくあるし、女の人でも家事が苦手な人もいるし、そこは個人差に注目して、その家によってルールを作ったりして、家族全員が幸せになれたらいいよね。

私にとって、働くとは?

  • 01自分自身が生きるために稼ぐ手段、自分を成長させる(この分野で成長したいと思う)手段、社会に属するものと してその社会に貢献する手段。
  • 「働く」とはどういうことかと聞かれて、私は最初に「お金を稼ぐ」と思いました。だけどいろいろと考えてみると「働く」ということはお金を稼ぐことだけではないことがわかりました。家で料理を作ったり、掃除をしたりしている人やボランティアをしている人は、決してお金をもらっているわけではないけど働いていると思いました。
  • 私にとって「働く」ということは、「生活をしていくために仕事をしてお金を稼ぐこと」。

ママたちが働く時って、理由やスタイル、職場や家庭環境と、一人ひとり違います。今回集まってくれたママたちも、状況が変わり、悩みも変わっていくかもしれません。結婚、妊娠出産、子育て、そして仕事をするとき、常に選択に迫られる女性ですが、それぞれのスタイルを認めながら、お互いに手を繋いで元気に生きたいですね。みなさまからのいろんなご意見もお聞かせください。お待ちしてます。


暮らし上手・住 持続可能な暮らし方

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有機農法からみた循環の捉え方

01【食糧自給】

有機的な生産方法により、自分たちの食料はできる限り自分たちで生産する。または、地産地消のネットワークを持つ。

【住まいや技術】

化石燃料にできるだけ頼らない持続可能なエネルギーを利用する。また、エネルギー消費の少ない生活形態を実践する。雨水や排水の利用、 排泄物や生ゴミ等を資源として活用する仕組みを持つ。

【経済】

グローバリズムよりもローカリズム。地域内の物質循環や地域生活、地域の文化を豊かにし相互連帯を維持するための経済を求める。地域通貨や市民銀行などの新しい経済の仕組みを生かす。

【コミュニティ】

住民間の交流や合意形成、自治力を重視する。また、社会や組織に働きかける力(エンパワーメント)を持つ。

なんか字面が固いですが、たとえば、【食糧自給】の項目にある、有機的な生産方法は、右に記しましたが、すべてが循環しています。循環は自然がもたらすシステムです。

大地があって、太陽があって、水があって、雨がふり、風が吹き…。そういう自然物と自然現象の中で植物が育ち、私たち動物が生きられます。そういうあたりまえなことが意識の中から抜けてしまいがちです。しかし、自然の中で、自然の声を聞きながら、自然と共生していく農のある生活は、自分の生き方を整えてくれる力を持っていると思います。

自然界の物質は、循環を繰り返す

01土壌中の微生物や菌類たちが多ければ多いほど、その土壌は健康である…この点を理解して頂いて、左のイラストをご覧ください。
これは『生物圏における物質の循環』について、わかりやすいようにイラストにしたものです。人間は生きるために様々な家畜(牛・豚・鶏など)を飼い、その生産物(卵や食肉、牛乳など)を家畜たちから得ています。

そしてその家畜たちが排泄した糞を、落ち葉や籾殻などの植物残渣と合わせて、肥料として扱いやすくします。 これが【堆肥とよばれる有機物】です。

この【堆肥】を圃場に散布して耕耘すると、土壌中の微生物たちがそれをムシャムシャと食べることで微生物たちの体内で消化され、再度糞として排泄されます。
また、土壌中の菌類たちがその糞や堆肥を分解して、自然界由来の無機物に変化させてくれます。

窒素】【リン酸】【カリウム】【カルシウム】など、植物が生育するために必要な栄養素はこうして土壌中で作られて、野菜や果樹、 そして健康で生命力に溢れた野菜や果実を人間が食することで、その生命力を身体に取り込み、人の営みに必要な活力を得ることができます。

そして人の営みも、循環を繰り返す

01花卉などの植物がスクスクと健康に育つ元気の源となるのです。
そして健康で生命力に溢れた野菜や果実を人間が食することで、その生命力を身体に取り込み、人の営みに必要な活力を得ることができます。

物質の循環について上記では説明しましたが、下のイラストでは『伝統的な農業の循環』について描かれています。人が生きていくために家畜を飼いながら田畑を耕す際に、家畜の糞と落ち葉や藁などを発酵させた堆肥を圃場に入れ、米や野菜などの作物を栽培する。

人間が農耕を始めてから、何千年も繰り返されてきた【営農の循環】です。いえ【人類の営みの循環】と言い換えても良いのかもしれません。

『The circle of life』
「The circle of life」は生活の循環とも言えますし、人生の循環とも言える。そして生命の循環とも言えます。
この輪の中で生活し、営農し、学び、喜び、悲しみ、愛し合い、そして生きていく。
家族で楽しくゆっくりと美味しい食事を楽しみながら、この輪をちょっぴり意識して生きていく。

有機農業とは、地域の資源である有機物を使用し、田畑の生き物を生態系に沿ってバランス良く管理する。そのことで土壌が健康になり、健康な土が作物を健康にし、健康に育った作物が人々の健康を支える…。
このように、自然界(圃場内)を健康な状態に保つことで、様々な問題を解決する持続可能な生産システムのことです。

『BIO Farm 風の丘農園』農園主・kobaさんより

 


暮らし上手・食 ほんとうに美味しい野菜の食べ方

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たまねぎ、だいこん、ごぼう、さといも、などなどの野菜の皮、そして一番だいじな「成長点」は生きる力になる!

01「えー、野菜の皮をむくのは常識でしょう?」。

そんな声が聞こえますが、プロの料理人は、ゴボウの中身は捨てても皮は捨てません。
だって、皮にこそ味があるから。害虫やばい菌、紫外線など、野菜の周りに存在するさまざまな「外敵」から、大切な部分を守る皮は命のバリアー。とても栄養価が高いんです。

これは科学的にも証明されています。有害な活性酸素を中和して、体の老化防止や発がん抑制など、病気予防や健康維持に効果があるとされる抗酸化物質ファイトケミカルは、植物の皮に集中しているのです。

想像してみてください。直射日光が照り付ける夏の日に、あなたが裸で長時間、鉄棒にぶら下がった姿を。体は大やけど間違いなしだけど、ナスビはそんな中で黒光りしている。それはあの皮に、紫外線に対抗するファイトケミカルの一種、ポリフェノールがたくさん含まれているからです。

玉ネギを軒先につるしておけば何ヶ月も保存できるのも、茶色の薄い皮の中にあるケルセチンというファイトケミカルのおかげ。あの皮には、人間が本来持っている長寿遺伝子のスイッチをオンにする効果があるケルセチンが、中身の30倍も含まれているんです。

でも皮は食べられないって? いえいえ。そんなときはみそ汁やスープのだしに使いましょう。お湯にしばらく漬けるだけで、何割かの成分が出てきます。カレーを作るときも、皮だけを煮出してもいいし、具と一緒に煮込む場合は網袋に入れ、ルーを加える前に取り出せばOKです。煮出した皮もごみに出しちゃいけませんよ。庭の土に混ぜれば、このパワーが土壌中の微生物を活性化させ、とびきり元気な野菜が育ちます。

01「だって皮には農薬がついているから…」

なんて言う人がいますが、そんなに農薬が心配なら、イチゴとピーマンの皮こそむくべきでしょう。それに比べたら根もの野菜の皮なんかほとんどないに等しいです。単に人は、習慣を変えるのをおっくうに感じるものなのだと思います。

「最初ニンジンの皮をむくなと言われたとき、とても抵抗があったけど、今は逆に、皮をむくように言われたら、とても抵抗感があります」。

長崎県佐世保市の江永保育園の栄養士、河上愛子さんの言葉です。人の感覚もどんどん変わります。まずはやってみてください。一週間でウンチが変わりますよ。

さて、ここで問題です。玉ネギの皮以外にも、土に戻したときに、なかなか分解しないところ、つまり土の中の菌ちゃん(微生物)が食べきれないほど、非常に元気で生命力あふれる部分が、野菜にはあるんです。それはどこでしょうか。

生長点が大事 生きる力取り込んで

土に戻してもなかなか分解しない、元気で生命力あふれる部分とは、新芽の出る場所「生長点」です。キャベツ、レタスなら芯の部分、ホウレンソウ、ダイコン、ニンジンなら葉の付け根付近などにあります。というわけで、「生長点こそいただこう」です。

生ごみリサイクルで野菜を作ろうと、野菜くずを土に返したキャベツの芯から芽が吹き出しているのを見て、そのすさまじい生きる力に本当に感動します。

うそだと思うなら、玉ネギを縦割りし、そのまま放置してみてください。皮のバリアーを破られた玉ネギの内部は腐敗していきますが、それでも芯の付近は腐るどころか、ぐっと頭をもたげて成長しだすんですよ。玉ネギのけなげな生命力に脱帽です。

この芯は加熱したらまったく硬くありません。「なんでこんな柔らかくて元気なところを今まで捨ててたんだろう。これまで誰かに洗脳されていたのかなあ」。食べ物があなたの細胞になり、体と心をつくるのです。あなたがすぐ何かのせいにしてあきらめてしまうとしたら、その本当の理由は、野菜の中で簡単にあきらめる部分だけを食べていたからではないですか?

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夏の生長点といえば、カボチャやキュウリ、トマト、ナス、ピーマンなどのわき芽です。新しい命が吹き出ているこの部分には、たくさんの成長促進物質が生産されています。家庭菜園している方、どうぞ捨てないで自分の体に取り込んでください。和(あ)え物や汁ものの具に最適です。

最近、野菜売り場に並び始めた「スプラウト」は、発芽して一週間ほどの盛んに生長している野菜のことで、ビタミンやミネラル、ファイトケミカルなどの宝庫です。栄養学はまだ栄養素の十分の一も発見していないといわれているのですが、未知の成分は、こんな生長点の中にあると私はみています。

野菜は90%以上が水分。私たちはその中のごく微量な成分(生きる力)をいただいているのです。それがたっぷり詰まった皮や生長点を捨てることが、どんなにもったいないことか。

特に家庭菜園で、小さいうちに間引いた野菜は全体が生長点のようなもの。柔らかい根っこまで全体を丸ごといただいてください。
これこそが「いのちいただきます」の真骨頂。元気にならないわけがない!


「つくる・みらい」の会 発足!

「つくる・みらい」の会 発足!!

私たちが住む各務原市で、私たちが心地よく暮らすために、暮らしに関わるいろんな問題に意識を向け、自分たちの手に負えない事柄などを行政、有識者、専門家などの力を借りながら解決の糸口を見つけ、みらいをつくっていきたい。そんな思いをこめ「つくる・みらい」。感心ある方、いっしょに「みらい」を創りませんか?

01「つくる・みらい」の会の活動
・定期的に各務原市長と懇談会を持ちます。
ただし市長は超多忙なため日程調整が必要。
♪農業について(無農薬・生ごみを堆肥にし生活の循環を考える)♪子育て支援について♪教育、
福祉について♪環境・エネルギー問題について
♪まち作りについて、などなど。
「つくる・みらい」の会は、さまざまテーマで市長と懇話会をもち、提案や要望を一つでも実現していくために市民の有志が集う会です。
市長との懇談会は、テーマごとに関心のある
参加者で構成します。
・各務原市の市民なら誰でも参加できます。
・特定の宗教、政治団体とは一切関係ありません。

 

「つくる・みらい」の活動報告

01初回は10月2日、子育て真っ最中のお母さん達が浅野市長と初懇談会を持ちました。テーマは「農業」。かねてから、耕作放棄農地が気になっていた Kさん。「市内の放棄農地を市が借り上げ市民に開放し、[生ごみを堆肥にする循環型の自然農]の取り組みをしていただけませんか?」と提言。農政課の方々にもご出席いただいており、コンポストの助成金支給をはじめとし、市民農園の現状などの説明を受けました。最後に、このような会を定期的に持ちたいと要望し、2ヶ月に1回(要調整)開くことになりました。

第2回目は12月3日。今回のテーマは「福祉」。福祉といっても幅が広いので、・医療費のこと・ふれあいバス・障がい者アート展で気づいたことなど、項目別に質問や要望を織り交ぜ懇談会を持つことができました。

医療について:現在、各務原市は中学生までが医療費無料となっています。が、そのせいか、小児科や耳鼻科などはいつも超満員。(季節柄もありますが)無料のメリット・デメリットをあげながら、人が持つ本来の治癒能力を高め、予病、未病への取り組みについて意見交換をしました。ふれあいバス:各エリアで意見交換会が展開されており、便数が多くなることを期待したい。障がい者アート展について:障がいのある人の特性をよく理解するため、障がい者アート展はとてもよかった。ただ、作品が少なかった気がしたので、来年はさらに見応えのある展覧会にしてほしい。などなど。市長と意見交換するのは初めて、という若いお母さんは「とてもいい経験になりました」と話していました。次回は2014年2月の予定です。

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興味のある人は、「つくる・みらい」の会   まとめ役   各務(090-3568-0174)まで。
次回の市長との懇話会の日程が決まり次第連絡をさせていただきます。


話題にしよう「けんぽう」のこと

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おすすめBOOK

01『今だから、日本国憲法』
地湧社 盛 泰寛 編・松尾弌之 解説

人類普遍の理想が主張されている日本国憲法。その精神にもとづいて、重要テーマごとにストーリー性をもたせるよう条文を組み替えたら、散文のような読みやすさが生まれた。改憲論をはじめ、憲法論議が続く一方で、私たちの生活実感からますます遠ざかっていく憲法。いま改めて普通の人たちが自らの判断と行動の基準を憲法に求めようとするとき、身近に学ぶためのテキストとして最適。

 

 

 

 

日本国憲法第2章 戦争放棄の条文。バッグに、携帯ストラップに、さりげなく人目につくよう身につけて!

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先着10名様限り!お早めに!  申し込みは「にらめっこ」編集部まで!

 


ぎむきょーるーむ「小中学生の叱り方あああ」

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● 余裕があるとき、ないとき(息子16歳)
自分に余裕があるときはまず子どもの気持ちを受け止めてから叱るようにしていますが、余裕がないとキーッとなって、感情のままに叱ってしまいます。●つい、ねちねちと(娘12歳・6歳・歳)
最初に大声でいって、あとはネチネチ理由を聞く(反省)。●過激かも(娘13歳・12歳)
どなる、避難する、げんこつ。パンチ。外に出す…。怒らないで、叱ることができたらいいです。

●冷静に叱るとイヤミ?(息子16歳)
思春期には、冷静に叱るとイヤミに聞こえるらしい。「電車に遅れそう」などと、前もって叱ってしまい、タイミングをはずしてしまうことが多い。

● 同時に叱らない(息子6歳)
父親と母親、同時に叱らないように気をつけています。● 感情的になりたくないけど(息子10歳、娘8歳)
感情的にならないよう、しつこくならないようにしたいが、結局、感情的にしつこく怒っている。● 子どもの人格は傷つけない(息子11歳・8歳)
これ以上いってはいけないという一線は守るようにしています。子どもの人格を傷つけるかもしれない言葉とかはいわない。
●過去を蒸し返さない(娘12歳、息子11歳・8歳)エスカレートして、過去のことを掘り返して叱らないようにしています。

●くらべないで叱る(息子6歳、娘4歳)

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● どんなとき、叱られる? (娘12歳双子)
こどもに「どんなとき、叱られてると思う?」と聞いたら「お母さんがしんどいとき」といわれました。

01● 知人にすべて筒抜け?(息子8歳・1歳)
約束の時間までに帰ってこなかったので、玄関の鍵を閉めておいた(ふだんは鍵をかけていない)。インターホンで「開けて?」といったが謝らなかったので、インターホン越しに思いっきりクドクドと叱った。そうしたらたまたま知り合いの人が通りかかっていて、全部聞かれていた(恥)。

● これは大変!(息子7歳、娘2歳)
息子が娘(2歳)に自分のおちんちんを触られているのに、そのままにしていた。娘はただの興味で触っているのに、息子がニヤけていたので、「これは大変!」とその場で叱ってしまいました。もっと穏やかに注意するべきだと反省しました。のちの性教育に影響しないかと心配になりました。

なにを守ろうとしていますか?  大学教員 桜井知恵子

叱る理由って
日本の場合、小学校高学年の親は次のようなことで子どもを叱っている。
① 家のお金を持ち出して買い食い ② 塾やけいこ事をさぼった ③ 12時頃まで起きていてテレビを見ていた ④ 机や部屋を何日もちらかしたまま⑤ レストランで大声を出してふざけた ⑥ 明日テストなのに勉強しない 日本では、子どもが言うことを聞かなかったり、行儀の悪いことをしたり、いつまでも機嫌を直さなかったりする行動に対して頻繁に叱るようだ。しかし、生活自立が不十分だったり、調べ物などで本が使いこなせなくても叱ることは少ないという。
日本では「いうことをきく子がよい子」、米国ではたとえば「他者に対して自己を主張し対等に渡りあってゆける子がよい子」とされていて、文化による違いも大きいのだ。

親はなににこだわっているか

01 毎日いっしょにくらす親子。親がリーダーシップをとっているので、子どもはせかされたり、押しつけられたりする。そうしなくちゃ生活が回らないから、子どもには気の毒だけれどしょうがない。常識に生きる大人と、自由が基本の子ども。だから、ぶつかりあいはあたりまえで、その場面に「叱る」が登場する。
問題は叱り方より、なにを守るために叱っているのかということだ。キレイ好きな人は「かたづけなさい!」を連発するだろうし、ちらかっていても気にならない人は、そこでは叱らない。でも、テストの成績に関しては厳しいかもしれない。つまり、子どもを叱るとは、親がなににこだわっているかということ。
親は自分を観察し、それを知ってほしい。「私は子どもをどうしたいのか、自分はどう生きたいのか。それが、相手にとってはどうなのか」が、そのつど問われる。
あなたは、子どもとのくらしでなにを守ろうとしていますか?そこに目を向けて、叱るということを、親それぞれが自分の生き方を考える絶好のチャンスとしてほしい。