投稿者「にらめっこWeb版スタッフ」のアーカイブ

VOL.162 記者雑感From気仙沼- Vol.15

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気仙沼市中心部の夏祭り。町内にできる災害公営住宅の入居予定者にも参加を呼びかけた。(8月9日)

気仙沼市中心部の貸し事務所で9月上旬、「企業内診断士、被災地での挑戦」という本の出版記念パーティーがあった。

富士通や三井物産など大手7社で別々に働く中小企業診断士有志が、昨年4月から市内3カ所の仮設商店街の飲食店を巡る「気仙沼バル」を開催。本はその経緯と問題点をまとめたものだった。

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今季のサンマ初水揚げ。鮮魚小売店には市民が行列を作った。(8月30日)

これまでに3回開かれたバルのことは知っていたが、催しに飽きていたので一度も覗かなかった。

が、パーティー前日に本を読み、当日、話を聞いて思い込みを恥じた。ITや飲食、マーケティングなど各界の診断士が強みを融合させたのも面白いが、普段はライバルの3商店街が手を組めば、という発想がいい。

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元の災害復旧のために任期途中で帰ることになった広島市からの応援職員2人。(9月5日)

著者の1人は「街おこしには若者、バカ者、よそ者が必要と言われる」と指摘。まとめ役の川居宗則さんは「よそ者だから3商店街をつなぐことができた」と話した。

パーティー会場の貸し事務所も、よそ者、かつ若者の杉浦恵一さんが8月に開いた。愛知県安城市出身の28歳。早くから東北にボランティアに入り、2011年6月に気仙沼市に住み着いた。

同年11月には月命日にろうそくで慰霊する「ともしびプロジェクト」を始め、他の様々な行事でも牽引役となった。

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気仙沼署は月命日の遺体捜索を続けている。この日も骨1本が見つかった。(9月11日)

しかしもはや震災から3年5カ月。「元気があれば役に立つと思っていたけれど、専門職や特殊な能力が必要な時期に来ている」。

そう考えて起業家のための事務所を作ることにした。
まずは都会から専門家を呼び込み、市内の人と関わってもらう。

その結果、地元に新たな仕事が生まれてこそ、本当の復興につながると信じている。ダーツ・バーだった被災物件を、友人・知人らの手を借り、数カ月かけて改装した。

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船内にたまった油混じりの水を処理する施設。3年半ぶりに復活した。(9月9日)

そうした動きに地元はどう応えているのか、今ひとつつかめない。

3商店街のうち、解体された第18共徳丸近くの「鹿折復幸マルシェ」は8月で閉鎖。
数百メートル離れた場所で「鹿折復幸マート」として9月以降、順次再開した。

しかしこれも仮設店舗。2年後には再び立ち退かなければならない。

漁港周辺の「南町紫市場」と「復興屋台村 気仙沼横丁」も近いうちに取り壊され、場合によっては鹿折と同じように別の場所で再度の仮設店舗入居を余儀なくされる。いずれも、一から街を作り直す区画整理という工事のためだ。先行きが不透明ななか、「街おこし」を考えている余裕はないのかもしれない。

が、これからも被災地と歩もうとするよそ者は、気づいている。地元がその気にならなければ、どうしようもないことを。

冒頭の本も「徐々に『気仙沼のヒトによるイベント』にシフトしていくべきと考えている」と提唱する。気仙沼に早く、バカ者が現れて欲しい。

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宮城県沿岸部を自転車で走る大会。気仙沼市中心部では今も建物の土台や津波で壊れたままの建物が残る。
(9月14日)

vol.162 記者雑感 From気仙沼-(Vol.15)


VOL.162 特別寄稿連載「半農半Xという生き方」塩見直紀

01

「ともいき」

阪神大震災の翌年、1996年から始めた自給農も今年で19年目となります。田んぼでは昔ながらに縦横30センチ間隔で手植えをし、その後、手押しの除草機を2度走らせます。

しばらくすると、手での田の草取り。
今年も変な天気でしたが、それでもおかげさまで収穫のときを迎えさせていただきました。手刈りをし、稲架(いなき)での天日干しを
終えて、ほっとしています。

田の草取りは私の好きな時間の1つですが、やはり一番好きな時間は、貴い時間だなと思うのは、田に落ちた稲穂を拾う、「落ち穂拾い」の時間です。

一本残らず全部拾ってしまいたいところですが、鳥など地球の仲間のためにあえて残していきます。

先人のこうした哲学、思想は、「共生(ともいき)」の時代のいま、なんとかひろめていけたらなと思っています。

「手塩にかける、工夫する」

激動の変革期を生きている私たち。これからどう生き、どんな時代になったらいいのか。何を取り戻し、何を創造していったらいいのか。

そんなことを日々考えているのですが、美しい日本語のなかに、ヒントがたくさんあることに気づきました。これを日常に取り戻したらいいのではないかと思うのです。

気になることばをいくつかご紹介しましょう。
いま注目していることばに「手塩(てしお)にかける」や「ひと手間かける」ということばがあります。

これからの時代は「手料理」「手仕事」「手入れ」「手当て」など、「手」に関することを取り戻してみるのもいいのかもしれません。

「工夫する」ということばも再度、光を当てるべきことばだと思います。宮崎を観光地にした「宮崎観光の父」と呼ばれる岩切章太郎という方の自伝に『心配するな工夫せよ』という本があるそうです。

いまはいろいろ心配事がいっぱいの時代ですが、岩切翁のように、あれこれ手を動かし、歩きながらも考え、頭をひねり、あきらめないで
いろいろ工夫してみる。

先人は「工夫する力」をもっていました。私たちも「心配するな工夫せよ」の精神を忘れずにいれたらと思うのです。

まちづくり&自己探求 塩見直紀のエッセイ より

塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表

1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コ塔Zプトを提唱。半農半X本は中国語訳され、台湾、中国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。

※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題
持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。
ex.半農半漁、半農半大工、半農看護師、半農半カフェ
半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。

まちづくり&自己探求

綾部市社会福祉協議会に隔月でボランティアエッセイ掲載。
それを「にらめっこ」に連載します。

vol.162 特別寄稿連載「半農半Xという生き方」塩見直紀


VOL.162 エコビレッジ from オーストラリア

オーストラリアでエコビレッジの立ち上げに参加している
日本人女性YAOさんのレポート

01

Eco Village “Paradice One Retreat”の目的

  • 持続可能な自給自足の生活をする事
  • 生活を共有するもの同士、お互い高め合って成長する事
  • 大規模なパーマカルチャーのプロジェクトの達成
  • 安全で健康的な食材を、お客様と一緒に共有する事
  • 可能な限り地球上に自然を残せるようにする事
  • ひらめき!を感じてもらえる「暮らしのモデル」を提供する事

「平和の日」に想う

01平和の日のために作ったビッグ ojo ode dios ojo de dios (スペイン語:オホ デ ディオス) 英語だとeye of gods神の目って意味になるかな。南アメリカの文化で、魔除けとして部屋に飾る。

9月21日。日本では秋分、ここオーストラリアでは春分を迎えました。春の始まりの日であるとともに、この日は国際平和の日でもありました。季節の切り替わりと、平和を祝福する意味を込めて、paradise one ではgroval peace party “EARTH DANCE”を主催しました。

earth dance のコンセプトは、音楽と踊りで繋がろうという、国際的イベントです。協定世界時間 午前12時 、同時に平和に向けて祈りをする時間も設定されています。

ここオーストラリア・バイロンベイでは午前10時。paradise oneではこの時間にみなで円をつくり平和に向けて祈り、平和の姿をイメージし、ともに呼吸をし、”平和”に対しての思いを共有し、この日は始まりました。

祈りのあと、畑へ行きこの日のために準備した新しいガーデンベットに種を蒔きました。畑での時間は、とても平和な時間が過ごせます。静かで、心地よく陽の光が身体を暖めてくれて、収穫の様子を想像します。

その後、ランチを共にいただき、平和を議題にしたトークセッションをしました。このトークでは、パレスチナ問題がメインに持ち上がり、パレスチナの歴史や現状を知り、今起きている問題について考える機会を参加者と共有する事が出来ました。

そこでは違う視野からの情報を受け入れるのに戸惑う人もいました。パレスチナで起きている問題だけではなく、どの争い事も、なにがもとで争いが起きているか、歴史的背景を知り、理解し、解決法はあるのか、どうしたら解決できるのか、具体的に、現実的に、そして行動に移す必要があると、感じました。

私は自分自身に、自分はなにができるのかを問い続けています。まだまだ私の情報量は浅く、もっと”知る”事が必要な段階にあるため、今は学びの時間です。

そして、トークセッションを終わると、ライブの演奏が始まり、オープンキャンバスでは、ペイントが始まり、”美”と”喜び”と”幸福”を共有する時間となりました。

 03最近の収穫!スパイラルブロッコリー

「平和」と言っても、具体的に何が平和なのかを考えた事がなかったので、この一日を通して、平和をイメージし、深く考え、それを共有するという体験をすることが出来ました。

私の思う、平和の状態とは、安心でき、幸せでいられる事。まだまだ解決しなければならない問題がたくさんあるという事も、再認識し、環境について、共生することについて、バランスについて、人間社会について…まずはしっかり現実を受けとめ、それから小さなことから始めて行こうと思います。

YAO

vol.162 エコビレッジfromオーストラリア


ぎむきょーるーむ・こどものはげまし方

01

子どものはげまし方「がんばろう」といってはいけないの?

0203

「子どもたちをはげますことは、とっても大事」とみんないう。
けど、「がんばれ!」っていってるだけでしょ?
といわれれば、そうかも。

「心をこめて、その子のためを思って…そこが重要だ」と、
子育て本には書いてある。
けど、それって精神論じゃん!04
雨乞いじゃん!

滝に打たれろ、みそぎをしろ、
根性入れてがんばれ!って
結局、また「がんばれ」かよ…
がんばれない子は、はげませないのか

02

慌てない!現状を慎重に知ることから

熊谷 喜一郎

「はげまし」については興味深い研究があります。「幻肢痛」という、事故などでなくした腕や脚が痛む現象があるんですが、これが起きる人と起きない人がいる。そのちがいは周囲のはげまし方にありました。

ひとつ目のはげまし方は、「痛みに寄り添うサポート」。「痛いんだね」と共感するなど、その人の痛みに注目して癒すはげましです。

もうひとつは、「社会的サポート」。社会復帰の手立てや介助の体制を考えるなど、痛みとは関係ないところでサポートする、いわば現実対応型です。

調査の結果、幻肢痛が起らなかったのは後者でした。腕や脚を失うとは、昨日まで信じていた自分の身体のかたちが変わったということですから、当然、未来の予測も裏切られる。とても大きな「予測誤差」です。そこでは、新しい身体で生きていくには、これからどう世界をつくり直せばいいのかをいっしょに考えることが、痛みを緩和させたわけです。

ここはすごく繊細なところです。私たちは、目の前で人が苦しんでいたり悩んでいたりすると同情の気持ちが湧いてくる。心が反応するんですね。はげまされる側も、たとえば「がんばれよ」などといわれるとありがたいと思う。思うけれど、では、これからどうすればいいのかというと途方に暮れてしまう。

勉強でもスポーツでもなんでもいい、目標をもってとりくんできたことが、大きな壁にぶつかって挫折する。子どもがぺしゃんとなる。親は慌てて「無理しなくていい」と、やめることで解決しようとする…。でも、昨日まで「がんばれ」と言っていた親が、急に「やめていい」といったら、子どもはグレます。ぼくならグレる(笑)。

05大切なのは、さきほどの「社会的サポート」と同じで、周囲の大人は「どこにどんな問題があった」「じゃあ、どこを変えたらいいだろう」と、いっしょに考えて、慎重に目標を再設定すること。現実をしっかり見きわめ、予測を子どもといっしょに徐々に変化させていくことです。

ここで、「具体的」というのはとても大切なことなんです。けれど、大人でも子どもでも抽象的にしか語れない人が少なくありません。自分のことを語るのに「私って、ダメなんです」「私って案外こうなんです」で終わってしまう。

大切なのは、「何月何日にどんなことが起きて、自分はどんなふるまいをしたのか」といった具体性なのですが、そこにつながらない。これでは反省のしようもないですよね。そうして「ダメだ」という抽象的なところだけで頭がぐるぐるまわってしまって、そこから抜け出せなくなる。

過去を具体的に語れる人は、未来の計画を具体的に立てられるといわれます。具体的にふり返るから、次の一歩をどうするのかを考えることもできるんでしょうね。

はげましって結局は、めんどうくさがらずに、丁寧に具体的におたがいの話をすりあわせていくことなんじゃないでしょうか。

<くまがい・しんいちろう>
小児科医。東京大学生先端科学技術センター特任講師。


06浜田 寿美男

「がんばれ」や「がんばろう」がほんとうの励ましになるのは、たがいがその脈絡を共有しているときだけです。あと一息で山頂にたどりつく手前ですわりこんだ仲間に、自分も座りこみたい気持ちのなかで「がんばろう」という。そこではたがいが同じ立場で脈絡を共有していますから、「励まし」が生きますし、声をかけられたほうも「励み」になります。

だけど、親や先生が子どもを励ますとなると、これがむつかしい。大人と子どもでは力がちがいすぎますし、立場もちがいます。そもそも生きている脈絡も大きく食いちがっています。「相手の気持ちになって」なんていいますが、じつはそれがいちばんむつかしいのです。

学校に行くような年齢になれば、いまは親と子でも、たがいの生活の脈絡が重なりあう機会が少なくて、相手の気持ちの流れがなかなか読めません。

07

だとすれば、子どもが自分の手を離れ、自分の知らない学校空間や仲間関係を生きるようになったと諦めて、この子にはもう親も読みきれない自分独自の生活の脈絡があるものだと見切る。

そのうえで、「がんばってるよね」というほうが、こちらも楽だし、子どもも楽。気楽なようですが、そのほうが「励み」にもなります。むしろ困るのは、切羽詰まった脅迫的な「がんばれ」です。これはこわい。

自分から離れた別の脈絡で、子どもたちががんばって、がんばって、でもうまくいかないことがある。そんなとき「がんばってもできないことはある」と思い直して、「まあゆっくりしようか」といえるかどうか。これってけっこう大事な気がします。

それに「できないからって、命まで取られることはない」。だからという妙ななぐさめ方で、「そうだよね」と納得して、ホッとする。「励み」というのは、そうした開き直った安心のうえで動きだすもの。

力を抜いて、まずはいまを生きること。いやいや、これは子どもにかぎらない話。じつをいえば、最近の私自身に向けた呪文です。

<はまだ・すみお>
発達心理学・法心理学者。奈良女子大学名誉教授。


VOL.162 エネルギー再考 山田征さん

01

これまでにない巨大産業が動き始めた!

山田征

巨大利権が動くこの問題を、抵抗者を出さないですすめていくための戦略がずっと前からすすめられていていました。特に原発を止めたいと思う人たちがうまくのせられて、逆に政府を応援する側に回ってしまった。その辺も含めて話していきたいと思います。

そもそも原発に替わるエネルギーは必要なのか…

結論から言いますと、必要ありません。なぜ必要ないのか?

原発は定期検査や、地震、事故などでの緊急停止の際も一瞬たりとも停電を起こさないように、初めから必ず同じ出力の火力発電が車のアイドリング状態で用意されています。これをバックアップ発電と呼んでいます。

いま現在日本中の原発全ては2011年3月11日に起きた地震と事故による緊急停止と順次始まった定期検査によって止まっています。それでも電気が足りないという事態は起こっていない。

なのに、なぜこんなに自然エネルギーが注目されているのでしょうか??一口で言えば、巨大な利権がからみはじめた国策だからです。

その国策について時系列順に話していきます。

自然エネルギー、再生可能エネルギーを国策として促進するという政策は、20数年前からスタートしました。

1994年、一般家庭でソーラーパネルを設置すると補助金を出すという制度がスタート。

1997年度から風力発電の風車を建てる民間企業に補助金を出す制度がスタート。風車は、1本が1億円から6億円くらいする高額な建造物。1本建てると1/3の補助金がでました。地方行政が建てる風車に対しては、1/2の補助金が出ました。風車の設置場所を地図に置き換えていくと日本列島のかたちになります。

2009年に民主党政権になり事業仕分け始まる。風車もまな板にあがり、その大半が止まったままだという指摘があった。風車は、風速0mでも外部電源で発電できる。

私たちは1kw、だいたい20数円で買っているが、事業者は電気をたくさん使うので1kw10数円で買えるが、発電した電気は10数円でしか売れなかったので全然儲けが出ない。

でも回さなくても、この風車を立てるときにもらえる、億単位の補助金で潤うというシステムになっていた。つまり補助金目当ての風車だったんですね。

次に、ソーラーパネル。2009年11月1日、民主党政権になった2ヶ月後に太陽光発電促進賦課金、固定価格買い取り制度が閣議決定されました。1994年度から補助金制度が始まり、さらにパネルを乗せる人を一気に増やすために、その家で使って余った電力を一般の電気利用者が買い取り負担します。

新聞などの報道では電力会社が買い取ると表現をしてますが、そうではなくて、一般の電気利用者が1kw42円で買い取る制度です。

民主党政権になってから事業仕分け(補助金の使われ方が妥当かどうかを仕分ける)と行政刷新会議(法案、法令、条例、法律的な決まり事を見直す会議)が始まった。

2011年1月にあった行政刷新会議で提言されたのが「再生可能エネルギー促進による規制緩和提言」。太陽光や風力とかいった発電設備を促進していくために規制をゆるめるというもの。

国有林(国立公園、国定公園、自然公園など)、保安林(水源林、防潮林、防風林、防砂林、野火止めなど災害から人命を守るための保安林)、それから農地(食糧の生産の場)。

こういったところは昔から建造物を建てたり、ボーリングしてはいけないという規制がかけられていますが、自然エネルギーを促進するためにその規制を緩和し、ソーラーパネル等を設置したらそれを緑化設備と見なすというものです。

日本にはいろんな生産工場があります。規制の中には「工場立地法」というものがあり、敷地の25%を緑地化する義務があります。ところがパネルの場合は樹木を皆伐しなければならないから、工場立地法と真逆になっていく。パネルも電気を生み出す工場なわけですね。

それで、考え出したのがソーラーパネルそのものを緑地帯、環境設備と見なすと提案。それを元にできたのが、2013年6月に閣議決定された「農山漁村再生可能エネルギー法」という法律です。

ふか金制度が決まったときにもう一つ決まったことがあります。それは契約アンペアが1万kw以上の事業者は使用料金が8割引になるというものです。

このときに何が起きたかというと、1万kwに満たない多くの中小企業が2012年の7月から契約を1万kwに切り替えました。また工場や企業だけでなく個人の場合でも同じようなことが起きています。

普通契約するアンペアは、その家屋内のデンキの使用状況(量)に合わせて決められますが、パネルをのせた場合は、のせたパネルの最大発電量に合わせた契約になりますので、たいてい、それまでより大きな数字になってしまいます。

つまり、電力会社は、社会全体で契約されたアンペア数の総量に合わせて発電設備を用意しますので、パネルをのせる家が増えれば増えるほど、電力会社はたくさん設備を増やすことになってしまいます。

そういうカラクリのもとに国策として自然エネルギー政策が進められようとしています。

ここ数年大変な災害が次々に起きています。気象情報の中に突風、竜巻、雷などの警報が目立ちます…それはこの自然エネルギーの政策と直接、間接に関係があると私は思っています。

(8月23日 岐阜市・上宮寺にて)

スマートグリッドは英語ではsmart grid(賢い電力網)

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スマートグリッドを構築するためにはスマートメーターが必要不可欠ですが、そのメリットデメリットを調べてみました。

メリット:

  • ピークシフトに対応できる。
    (そもそもピーク時は原発なしでも乗りきった…)
  • 電力会社の人件費削減が可能となる。(雇用促進に反するよなぁ…)
  • 契約や解約の煩わしい手続きが簡略化される。

デメリット・問題点:

  • 雇用減少の問題。
  • 通信セキュリティの問題。
  • 測定が正確すぎることによる問題。
  • スマートメーターに交換した直後から電力使用量が大きくなる(電気料金が高くなる)可能性あり!
  • それに何より、電磁波が飛び交うことによる健康被害の訴え、「節電」「自然エネルギー活用」という美辞麗句のもとに個人の生活に介入し管理しようという動きに、危うさを感じます。

太陽光発電のヒミツ○×Quiz

  • Q1ー自然の太陽の恵みで発電するからエコだね!
  • Q2ー最近のパネルは寿命も長いけど、災害時の非常電源も必要。
  • Q3ーメンテナンスいらずで楽々?。03
  • Q4ーパネル○○枚分で原発○基分も発電!
    電気料金が安くなる!
  • Q5ーソーラーパネルはリサイクルできるよ!
  • Q6ー火力発電所が減るから環境に優しいね。
  • Q7ーパネルを載せて売電すれば儲かる。
  • Q8ーパネルから電磁波が出てるってホント?
  • Q9ー企業も屋根にパネルを載せてエコを
    アピールしてる。
  • Q10ー脱原発のために代替エネルギーが必要だよ。
  • Q11ーメガソーラーはダメだけど、屋根ソーラーはいいよね。
  • Q12ー田舎にメガソーラーが増えて景観が悪い。
  • Q13ー電力自由化で太陽光の電気を買えるといいな。
  • Q14ー蓄電池があれば太陽光発電に使えるから助かるね。

私たちはどうしたらいいか。

山田さんのお話会でいつも思うことは、事実を知って、自分の生活を省みること、電気のムダ使いをやめ、便利さに安易に乗らないこと、でしょうか。しかし同時に打開策が見えない。選挙は1つの方法というけれど、実感を持てない。

では、エネルギー問題を他国から学ぶべき点を選択し、それを草の根運動として続けることはどうだろう。少しづつでも変化を実感できれば、それを未来に託すことはできる。経済優先の政策の結果が、人や自然をむしばんでいるのは紛れもない事実なのだから。(三)

山田 征(やまだ せい)プロフィール

1938年生まれ 東京三鷹市井口のヤドカリハウスを拠点に躍動中!◇同時多発テロをきっかけに毎月最終日曜、西東京市の公民館にて隠された真実をテーマとした勉強会『菜の花の会』を主宰◇フィリピン、スモーキーマウンテンの子ども達への支援など様々◇著書『山田さんのひとりNGO』『ただの主婦にできたこと』他

クイズの答え

Q-1,3,4,5,6,7,10,11,14 ×      Q-2,8,9,12,13 ○

vol.162 エネルギー再考 山田征さん

 


VOL.163 I’m Challenger 「一位一刀彫・彫り師東 直子さん」

01

一位一刀彫

一位はイチイの木。一刀彫は、一刀一刀に魂を込めて彫る、と父は言いますけど、もう一つ、ノミの削り跡を活かした、サクサクッとした作品がありますよね、ノミ跡一刀一刀残して彫るという意味合いでもあると思います。  木彫りにもいろいろあるけれど、一位一刀彫が何故こんなに素朴な優しい感じがでるのかな、って思ったとき、やっぱりこのイチイの木の素材のよさだなと思うんです。成長がとてもゆっくりな木なので、育つのに百年もかかる貴重な木です。手に取って見ると本当に年輪が細かくて美しい木で、あぁ、自分はすごくいいものに触れている、作らせてもらっているんだな、ということはよく感じます。イチイの木は軽いんですよ。木の中では柔らかくて彫りやすいです。

きっかけ

父が一刀彫を生業としていて、お弟子さんを何人もとって、作業場もあって…。そういう環境で育ってきて、絵を描いたり、ものを作る事は小さい時から好きでしたけど、一刀彫をまさか自分がやるとは思っていませんでした。  高校卒業後、地元で一刀彫とは関係のない仕事に就いていたんですけど、23、4歳頃から、何かものつくりをしたい、生涯続けられるような職を手につけたい、という思いが出てきました。でも、何がやりたいのか、何がやれるのかというのが自分でもわからなかったんです。そんな時、父が一刀彫で小さいものだったら、女性の直子でもできるかもしれないからやってみるか?と声をかけてくれたんです。  一刀彫は男性社会で、女性はいなかったんですけど、私が小さい時から物を作ったり、絵を描くのが好きだったのを見ていたから勧めてくれたのかもしれません。  それで、6年間勤めた職場を退職して、東彫刻に入門しました。当時は男性二人がうちに弟子入りをしている時だったので、私 も一、二年遅れで入門してそれから修業が始まったんです。  娘だからといって特別な事はなく、道具を研ぐ事などから始まり、木工機械や木取りも教わりましたが、体力的に男性と全く同じようにできない部分もあって、そこは助けてもらいながら。当時はまだ力もなくて、木工機械で何かあると大きなケガにつながってしまうので、そこが危なっかしいという事もあったと思います。他のお弟子さんにずいぶん助けてもらいました。だから自分はなるべく掃除とか、できることから一生懸命やろうと、最初の一年はほとんど掃除で終わったようなものでした。

作品

5年間修業して、みなそれぞれ彫号をもらって独立しました私は「直」という彫号をもらいました。独立後は男女関係なく、自分のオリジナルの作品を作って販売、営業も、と全部自分でやっていくわけです。私が一番ありがたかったのは、父の「自分のオリジナルの作品を産み出していきなさい」という考え方です。父は大きい木彫から、彫刻からありとあらゆるものをやる人で、「自分の真似はきっとできないだろうけど、直子の作品を作って行けばきっとやっていけるから」という言葉をよくもらっていました。人の真似じゃなくて、自分にしかできない作品を作って行きたい、という思いで今までやってきました。  私がつくるものは小さいものがほとんどです。もともと小物なら女性の私でもやっていけるかな、という気持ちもありました。しかも、小さな作品なら、大きいものを彫る父が、木取りをした後に残る部分で作ることができる。貴重なイチイの木を無駄のないように、良い部分を利用する事ができるんです。

女性職人展

独立して、さあこれからは自分で、という時に、全国の伝統工芸の職人さんばかりを取材している、東京のライターさんが取材に来てくださいました。それがきっかけで、東京で女性職人展が開催されて、毎年出させてもらっているんです。それは私にはありがたい出会いでした。男性社会の中の女性職人ということで、孤独を感じる事もあったんですけど、他の女性達がそれぞれ伝統工芸の作品を作っているのを見て、すごく刺激を受けました。ああ私も頑張っていいものを作らなきゃと、課題を持って帰り、もう一歩上に、もう一歩上にという気持ちになれたんです。  その一つのご縁からいろんな人と繋がる事もできました。仕事をいただいたり、今年10月には“伝統工芸ふれあい広場 渋谷ヒカリエ2014”に出させてもらいました。いろんな人やお客さんとお話しができたりして、より一刀彫を知ってもらうこともできました。家の中で作るばかりでなく、こちらから出かけて行くという事は大切だなと実感しています。

02

プロセス

作品作りは、まずデザインから始まります。私はデッサンしたものをコピーして、正面からと横からの型紙をつくります。それを機械場に持って行って、合う木を探して、型紙をあてて切り落とします(木取り)。機械を使うのはこの時だけで、その他は全て手作業になります。その後、粗彫り、中彫り、仕上げ。着色はしないで、木の色合いを大切にします。彫刻は要らない部分をとっていく、そうするとその本体が出てくるんです。  何をどう彫るか、デザインは楽しみと苦労の両方があります。入門して初めて思ったのが、頭に立体が全く浮かばなくて、はあ、なんて世界に入ってしまったんやろう、できるかなって。すごく後悔しました。でもそこはやっぱり父のおかげ、本当に何もできないところから教えてもらいました。  何を彫るか決まったとき、花などのように手元にその見本があれば一番いいのですが、動物などはそうはいきません。例えばネズミを彫るんだったら、ネズミの写真などの資料を図書館で探して見て参考にするんです。でも写真にない部分など、それでもわからない時は、今でも父に教わりに行きます。私、父が元気なうちに教わりたい事はまだまだいっぱいあるんです。

商品

03この世界に入って20年弱ですけど、もう辞めようと思った事は何回もありました。今も正直、これだけでやっていくのは大変なんです。一生懸命作っても売れないと仕事として成り立たないし。でも、ああもうできないかな、という時でも、常に自分の空いた時間に座って作って、ということをやっていると、ポツンポツンと注文が来たりもするんです。本当にもう細々とですけど、続けてこられたのはやっぱり好きだからだと思います。  商品は、一刀彫さんの中でお店を構えている方、高山市内だと四軒に置いてもらっています。売れるとやっぱり嬉しいですね。小さいですけど自分の中のヒット商品というのがあって、時々そういう商品も生まれて、やっていけるといいかなあって思うんです。この間、韓国からの観光客の方が私の作品を買って行ってくださったそうです。自分の作品が韓国の家庭に飾られる、何てすごいんだ!と思いますね。  私の作品にはカエルや花など、自然を題材にしたものが多いんです。カエルは、小さい作品になりやすいし、と父が力を入れて教えてくれた題材です。実際作ってみても、何に乗せても絵になるし、飽きないですね。もっと違うカエルも彫りたいし、カエルで日本一と言われたいですねぇ。  また、咲いている花を見ると、こんなふうに彫りたいな、咲いている花を胸元につけたような感覚の彫りをしたい、と思います。そして、一つの作品から何か背景が浮かぶというか、ストーリーのあるもの、そういう作品ができるといいですね。そこを目標にしています。  彫刻って、作り手その人が作品に出るものだと思うんです。だからというわけではないんですけど、やっぱりもっと自然の事などを知って、その上で彫れたら、そういうものも生まれてくるかな、と思うんです。        (高山市在住。43歳)

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VOL.163 暮らし上手 -医・食「そうだ、笑ってみよう!」part1

01

笑う門には福来たるといいます。確かに笑顔でいると福や幸せが寄ってくるような気がしますよね。では、私たちの身近な幸せである健康はどうでしょうか? 笑うことと健康は関係あるのでしょうか?「笑い」がストレスを解消し、病気を遠ざけることがさまざまな研究で明らかになりつつあります。生活習慣病の予防に「笑い」は大いに役立ちそうです。今回は、「笑い」と免疫力の関係をご紹介します。

ユーモアや笑いが「生きる力」を与える

2010年に起きた、チリのサンホセ鉱山落盤事故。その救出劇は、今もなお感動的な出来事として世界中の人々の記憶に残っていることでしょう。33名の鉱山作業員が地下700メートルの避難所に閉じ込められ、17日間連絡が途絶えたものの、その後無事であることが確認され、事故から69日後に全員が救出されました。 後日、作業員のチームリーダーが朝日新聞のインタビューに対し、過酷な状況の中、生き抜いた理由について、「希望があったこと、楽観的であり続けたこと、そしてユーモアを忘れなかったこと」と答えました。このことは、ユーモアや「笑い」がいかに、「ヒトの生きる力」と密接に関わるかを物語っています。

赤ちゃんは大人の「笑い」を真似て育つ

米国で行われた調査では、大人は1日に平均17回笑うと報告されています。「笑い」といっても、単に笑顔になるだけでなく、「ハ、ハ、ハ」と声を発する「笑い」もあります。ほとんどの動物は笑顔ができますが、ヒト以外では知能の発達した猿以外、笑い声を発することができません。笑うことは、脳にとって非常に高度な作業であるようです。人間の赤ちゃんには「天使の笑顔」といわれるような、寝入りばなに見せる笑顔があります。赤ちゃんをあやす時は、笑顔で接したり、褒めたりしないと、笑わない子どもに育ってしまいます。赤ちゃんは大人に笑顔を褒められることで、笑顔と「笑い」を学習していくのです。

年齢とともにストレスが増し、笑えなくなる

02「笑い」に関する様々なデータが報告されています。「声を出してよく笑う」を性別でみると、男性40%、女性60%で、女性のほうがよく笑うことが分かっています。 世代別ではどうでしょうか。「よく笑う」は30代が65%、40代が50%、50代が45%です。やはり年齢が若いほうがよく笑うようです。ある調査報告によると、小学生は1日に平均300回笑うが、70代では1日に2回程度しか笑わないと報告されています。 なぜ年齢を重ねるにつれて笑わなくなるのか。これについては、ストレス説が有力です。年齢とともにストレスが増え、笑えなくなるということです。ただ、先の調査では、人生で最もストレスが多いのが30代、40代ですが、60代、70代のほうが「笑い」の回数が少ないことから、ストレス以外の要因も大きいのではないかとの見方もあります。 つまり、脳機能が「笑い」と密接に関係しているのではないか、ということです。ただ、「笑い」により脳機能が高まるのか、脳の認識機能が高いことから「笑い」が促されるのか、どちらが一体先なのかということは、今のところまだよく分かっていません。

「笑い」は最高の”クスリ”!!

03「笑い」は、ストレス漬けの現代人にとって最も必要なもので、そして健康的でお金もかからず、しかも自分も周りも幸せにしてくれるものだからです。 「笑いの効用」は、まず何と言っても免疫力をアップすることです。ナチュラルキラー細胞(NK細胞)を増やして抗がん作用を高めたり、体内に侵入した病原菌などを撃退するのです。 大笑いすると酸素の取り込みが通常の3~4倍に上がり、脳に酸素がよく行き渡り、頭がよくなったり、記憶力の向上など、脳の若返りに役立つほか、ストレス解消に繋がります。 「大笑い」して身体がリラックスすると、アレルギーの原因たるIgE抗体が減少し、アトピーが改善するのだそうです。アレルギーの赤ちゃんをもつお母さんは、ぜひとも授乳時は笑ってあげて欲しいもので す。さらに「笑い」は、リウマチにも効果があります。関節リウマチの患者さんたちに、落語家、林家木久蔵さんの落語で大笑いさせた後、関節リウマチを悪化させるインターロイキン-6の値を測ったところ、その値は劇的に下がっていたそうです。そして、「現在あるどんな薬を使っても、短期間でこれほど数値を下げることはできない。」と感動したそうです。これを伝え聞いた木久蔵師匠は、「笑いはリウマチにキクゾー」と言ったとか、言わなかったとか… 「笑い」だけが薬ではありません。感動・感謝・喜び・祈り等々ポジティブ(前向き)な心の持ち方も、また様々な眠っている遺伝子をスイッチオンさせ、人の生命力向上に役立つのです。まさに心と身体は一体なのです。東洋医学が教える「身心一如」(身体と心は一つの如し)なのです。以上の考えは、また新潟大学教授、安保徹博士の「免疫論」、即ち、ストレス等で緊張した交感神経を和らげ、リラックスすることによって副交感神経優位を実現し、免疫力を向上させようとする考えと軌を一つにするものです。今日、「笑い」は単なる娯楽の域を遥かに超え立派な学問となっています。人がストレスで病気(気の病)を作り続ける限り、「笑い」は最高の”クスリ”であり続けるでしょう。

 


VOL.163 暮らし上手 -医・食「そうだ、笑ってみよう!」part2

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脳をリラックスさせ活性化させる

笑う効用は免疫力をアップさせるだけではありません。そもそも「笑い」とは、視覚、聴覚、触覚などの神経系統が刺激を受けて、脳に反応するものなので、脳とは密接な関係にあります。 噺家でもある医師が月1回「病院寄席」を開いて高座にあがっているそうです。笑いと脳の関係について調べる ために、寄席の前後、脳卒中を起こした患者さんたちの脳波と脳血流量を測定してみました。すると、約70%の人が寄席の後、アルファ波が増加し、脳内血流も上昇するという結果が出たそうです。 健康な人がリラックスした状態のときに発生するアルファ波が増えて、脳機能の低下を示すデルタ波やシーター波が減少しているというのは、脳を損傷している人にとって、笑いは脳機能回復に有効な証拠といえましょう。

暮らしの中に笑いを

02「笑いは副作用のない良薬」。そして、笑いはお金のかからない、いちばん身近な健康法ともいえます。ですから、楽しい時は豪快に笑いましょう。とはいえ、不景気な世の中、笑えるような状況じゃないという人、もともと笑うことが苦手という人もいるでしょう。そんな人は普段から「笑いのトレーニング」をしておくと、笑顔が作りやすくなります。たとえ作り笑いでも、顔の筋肉の動きによる脳への刺激で免疫力はアップするそうです。 人それぞれ「笑い」のツボは違いますが「笑い」を生活の中に取り入れて、ワッハッハと笑って、心も体も健康になりましょう。

笑いは効率のよいスポーツ

笑い過ぎてお腹が痛い」という言葉がありますが、これはなぜか?痛い部分、それは腹筋。「笑う」という行為には、筋肉が存分に使われているのです。 「笑い」によって刺激される身体の筋肉は、「腹直筋」「僧帽筋」「外腹斜筋」「大胸筋」の4つ。その他、「表情筋」といわれる、20種類以上もの顔面の筋肉も同時に刺激しています。女性にとっては「笑いジワができる」と敬遠されがちな「笑い」ですが、実はこの理論は大間違い。シワを気にして笑わないようにしていると、「表情筋」が衰えることで、かえって肌のツヤやハリに悪影響を及ぼしてしまうのです。つまり「笑い」は、楽しく、そして無意識にできる筋トレなのです。筋肉収縮運動ということは、もちろんカロリーも消費されているということになります。

笑顔体操

03朝起きたら、まず鏡を見て、笑顔を作る練習をしましょう。 顔の筋肉がほぐれていると、笑顔を作りやすくなります。 鏡を持って、自分の好きな笑顔を見つけましょう。目・口、左右対称に笑いましょう。目も笑う(目がなくなってしまうくらい細めましょう) 具体的には・・・ 1・口角を上げる(唇の両端が上を向くように)→ ほほの筋肉を鍛える  ・口を突き出して左右に繰り返し動かす  ・ほほを膨らませたりすぼめたりする*3回1セットで手が空いたと  きにすると効果的とのこと。 2・ 目をくっきりぱっちりあけ→目力を鍛える運動   ・目をぎゅっとつぶっては、ぱっと大きく開く。これを繰り返す

 

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VOL.163 カタコトの部屋 自然派ママたちの座談会「どうつくる?自分の時間」

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「ここ最近、ゆっくりと“自分の時間”を持てたことなんてない!」「“自分のための時間”なんて、考えるヒマもないわ!」というお母さんも多いかもしれませんね。たまにはほっと一息つける時間が欲しいですよね。そこで今回は、ままたちが「自分の時間」をどんなふうにつくったらいいか話し合いました。

子どもは可愛いけど…

Aさん:子どもがいなくても家事のあれこれで忙しいし、いればいたで宿題がわからないだの、お腹がすいたのって。コインランドリーで洗濯物やお金を入れているその間も、子どもはぎゃんぎゃん泣いてるし。そういう一つ一つに縛られてる?!て感じちゃう。 Mさん:掃除が終わった、と思っている所に子どもが帰って来て、02砂とか小石を部屋でこぼしたり、ため息がでるわ。 Aさん:子どもが生まれて諦めた事はいくつもあるよ。ピアノを弾く事、お化粧をすること、洋服を試着してから買うこともね。なかなか自分の時間ってないけど、ふっと自分になれる時間を作るということも必要だよね。 Nさん:子育ては24時間態勢だし、ちょっとリセットとか、そういうことしないとドンドン時間に飲み込まれちゃうよね。 Mさん:そのあげくに子どもに当たったりしてね。 Nさん:気分的な余裕が生まれると優しくもできるんだけど、自分の時間もなくてだんだん追いつめられると、誰に対してもトゲトゲしてきちゃう、そういう自分も嫌だし。子どもは大事なんだけど、自分の時間が作れないって、私もすごくストレスを感じた事があったわ。

時間の作り方、私の場合

Nさん:子どもが小さい頃は社宅住まいで同世代も多く、よくこどもを遊ばせるのを見ながらおしゃべりしてたの。でもあるとき、これってなんか生産的じゃないよね、もっと自分の時間がほしいわ、ということになって。じゃあ、子どもを遊ばせている2時間は順番に一人ずつフリーにしようって。その2時間は美容院、美術館、映画どこに行こうが、どう過ごそうがOK。その間に子ども同士がけんかして、多少アザとかできてもお互い様ねって。あったことも全部報告して。あんたの子、結構陰湿なことしてたわよ、とか(笑)。当時は夫も仕事が忙しいこともあって、そんなふうにしていたわ。 Mさん:そういう何でも言いあえる関係を作っていたんですね。 Aさん:私の場合、テレビにお守りしてもらう時もあるし、兄ちゃん達に任せた!っていうときもあるし。それから、自分がしたい勉強はもう本当にちょこちょこと。煮物を10分くらい煮込むときに本を読むとか、車を運転している時に講演会の録音したのを聞くとか。 Mさん:うちは最近やっと次女もパパがいれば夜も大丈夫になってきて、パパも行っておいでって言ってくれるから、時々夜のファミレスでママ友会を開きます。それから、うちはパパの親と同居だからおじいちゃんに見ていてもらうこともあります。同居のストレスもそうやって見てもらえることで軽減される気がするし、おじいちゃんも子どもも楽しそうだし。 Nさん:家族の協力というのはすごく大事だよね。

お仕事も大切な時間

Aさん:03私は週に一回だけど働きに行く時は、有料の託児に預けるの。そういうのを利用するのもひとつの手かなって思うよ。 Nさん:その辺は割り切ってね。 Aさん:でも、一生懸命働いても全部保育料に消えちゃったりすると、何のために働くのかなって思う時もあるのよね。 Nさん:でも、私はそうやっていくうちに自分のスキルが上がっていくんだとか、社会との繋がりもできる、と自己満足かもしれないけど思っていたの。取り残されるんじゃないかなんて不安もあったから、とにかく細々とでも仕事はしていたのね。 Aさん:そうか、そういう考え方もあるのね。 Nさん:まだまだ子どもを持つ女性は働きにくいよね。でもたとえ一週間に一日でも、時間をやりくりして働くということはママにとっては大事な自己実現の一つ。子育てというものを社会全体で温かく見守ってほしいね。

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05保育園に行かせるか、幼稚園に通い出すまでは仕方ない…。そうあきらめてしまっている方も少なくないでしょう。でも、子どもが小学校に行き出しても、付き合いは増えるわ、勉強は見なくちゃいけないわ、でお母さんの用事は増えるばかり。自由になる時間はなかなか持てません。そうこうしているうちに下の子も生まれ、またまた忙しい日々が続き、自分の時間なんてどこへやら…。そんなパターンが目に見えるようです。ところが、ある方法で自分の時間をしっかりとつくり出して、その貴重な時間を自分の夢を叶えるために使っているお母さんがいます。 さて、その方法とは? そう、カンのいい方ならもうおわかりでしょう(笑)。 それは“早起き”!! 現在Sさんは夜9時には子どもたちといっしょに就寝し、毎朝4時には起床。そこから3時間ほどを、静かで誰にもジャマされない“自分のための時間”として趣味に、夢の実現に、おおいに活用されているのです。そして“早起き”には単に自分の時間が持てるというだけでなく、数々のメリットがあるそうなんです。つまり、 ★子どもたちといっしょに寝るので、子どもたちの寝付きもスムーズで、自然に早寝早起きっ子になった。・「子どもを早く寝かせなきゃ!」とか「眠りそうになっても自分はまた起きないといけない」などのストレスがない。 ★朝、自分の時間を過ごした後に子どもたちが起きてくるので、機嫌よく「おはよう!」が言える。 ★昼間は“子どもたちのための時間”と割り切れるのであまりイライラしない。 ★そして何より「この子たちがいるから自分のやりたいことがやれない」という発想にならずにすむので、八つ当たりすることもない。―――などなど。 もちろん、「夜9時に寝ちゃったら、お父さんとの時間がなくなる」とか、子どもが夜もちょくちょく起きるとか、まだ授乳中とか、各家庭によって事情はさまざまでしょうが、もし可能ならトライしてみる価値はあると思いませんか?

育児のまぐまぐ!子育てのヒントより

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VOL.163 中高生・平和を語る

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私たちは、今の政権のままでは、不安なことがいっぱいだと考えています。政治に無関心な人も、今回だけはこのままでいいのかを真剣に考えてほしいと思います。  私たちの不安の第一は、集団的自衛権行使を容認することで、戦争のできる国になるのではないかということです。一内閣で憲法解釈を変更したのですが、国民の真意を問わなくていいのでしょうか? また、知る権利、表現の自由が危ないとも考えています。特定秘密保護法は12月10日に施行されました。これは、歴史で習った、第二次世界大戦の時のめっちゃ恐ろしい法律「治安維持法」と同じだと思います。  原子力はいらないと思うのですが、現政権は原発再稼働を推進しています。まだ福島第一原発は大変な状態で、火山の噴火や地震も多い、なのに、なんで再稼働?と思います。核のゴミを子ども達に残さないで下さい。食の安全も守って下さい。


02僕にとっての憲法九条は、誇りと安心です。今僕は、安心して生活できています。それは、憲法九条があるからです。僕は、中学一年生の時、幼なじみの友達を亡くしました。ものすごく悲しくて、皆で泣きました。たった一人のいのちでも、あんなに悲しかったのに、戦争が起きたら悲しむ人でいっぱいになると思います。
だからこそ、この平和憲法に感謝したいです。ものごとを武力で解決しないという平和憲法があるのは日本だけです。僕は、これを日本の一番の誇りだと思っています。戦後から現代まで平和でいられたのも、この憲法のおかげです。だからこそ、この平和憲法を守らないといけません。しかし、今ずっと守られてきたこの平和憲法の精神を、一内閣の解釈変更という形で簡単に変えられてしまいました。本当に悔しかったです。でも、この国の政治家を選んだのは僕たち国民です。政治家のレベルは国民のレベルだと思います。
だから、国民みんながちょっとでもいいから政治に関心を持てば、戦争の出来る国にも近づかないと思うし、今の憲法九条を守れると思います。僕はこれから、政治に関心のない人たちに自分の知っている限りのことを伝えて憲法九条を守るために、今の政治を変えていけるように、自分にできることを頑張っていきます。日本の未来を絶対に諦めず、自分たちの手で、守っていきたいと思います。皆で頑張りましょう。


03私にとっての九条は、みなさんが笑顔で暮らせている源だとおもいます。1945年8月、広島・長崎に原子爆弾が落とされました。たった一つの爆弾がたくさんの人のいのちを奪い、今もなお苦しんでいらっしゃる人たちはたくさんいます。  第九条は「戦争を放棄する」というきまりです。  戦後からこんにちまで平和でいられたのは、この憲法があったからだと私は思います。しかし今、また戦争をできる国にしようとしている人たちがいます。また戦争が起こってしまったら、今まで人を殺さなかった人が人を殺してしまうようになり、たくさんの人が亡くなり、たくさんの人が悲しみます。そんなことは絶対に反対です。  第九条のようなこんな素晴らしい憲法があるのは日本だけです。第九条が平和な世界にしてくれると私は信じます。このような憲法のある日本人ということに誇りを持ち、一日一日を大切にしていきたいと思います。また戦争をする国にしないため、自分のできることを精一杯努力し、頑張っていきたいと思います。私、一人の力では何もできません。皆で頑張りましょう。


 


VOL.163 新米Nurseものがたり-(Vol.25)

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今日はベルビュー病院のVNSNYホスピス病棟での仕事。サンクスギビング前日っていうこともあって、患者さんの数は少なかった。 その中の一人は、32歳。うちと同い年、きれいなの女の子やった。 朝から呼吸がかなり苦しそうで、意識はほとんどないものの、声を出しながら苦しんでいた。何が原因で苦しいのかわからないけど、痛みのようでもあり息ができなくて苦しんでるようにもみえた。隣で座ってたお母さんも辛そうだった。 同い年というのは、なぜか一番辛い。31歳でも33歳でもなくて、自分と同じ年に生まれて同じ年月を生きてきた32歳。同じ年に生まれたというのは、なんだか少し違う感覚を覚える。 途中なんども泣きそうになった。 ご家族によると、彼女はいつもほんとうに前向きで、がん治療にも一度も弱音を吐くことなく、最後まで精神的に強かったとお聞きした。32歳の若さで、乳がんで両方の乳房の切除、化学療法を経て、放射線療法をつい2,3日前まで受けてきた。それだけでも彼女の体はそうとう弱ってたと思う。肺炎も引き起こしてた。 朝から痛み止めや、鎮静剤、呼吸困難を和らげる薬を、かなりの量で投与して、午後になるころには、だいぶ静かになった。意識は完全になくなって、呼吸も浅くなった。 お母さんはベッドの上の娘さんを抱きしめながら、長いこと泣いてた。何度かたばこを吸うといって外にでて、涙をぬぐう姿がみえた。小雨が今にも雪にかわりそうな中・・・。 午後からは親戚や友達やいろんな人達が回りを彼女の周りを取り囲んで、いろんな思い出話をしたり、彼女に話かけたりしてた。 たとえ意識がなくなっても、耳は一番最後まで機能が残るとよく言う。最後まで話しかけてあげてください、いろんな話をしてくださいと、ご家族にはよく言う。 患者さんはたとえ反応しなくても、意識ないようにみえても、きっと全部聞いているし、感じている。 人は静かに眠っている状態を、安らかなという。 たとえ意識がなくても眉間にしわがよっていたり、うなり声を少しでもすると、痛みがあるととらえる。 もし患者さんが、痛みではなく、精神的な苦痛で苦しんでいたとしたら。悲しくて、怖くて、助けをもとめようとしていたら・・・ それでも医療従事者や家族は、うなっていたり苦しそうな顔をしたら、痛みと受けとり薬を投与する。顔が安らかに眠っている状態、またはそれに近い状態までそれを繰り返す。 薬を大量に投与して、症状を緩和させるのは、痛みや呼吸困難には必要だと思う。ただそれは同時にはっきりでもうっすらでもあった意識をも失わせてしまう。 言葉が発せられない状態で、それを痛みで苦しんでいるのとは違うとは、誰も言えない。 錯乱状態になったり、すごい体中が重くてしんどかったり、何か話そう、伝えようとしててもどうしても体がゆうこときかなくて、伝えられなかったり。身体的な痛みや苦しみはなくても、精神的な苦痛が大きいかもしれない。そういう人もいると思う。 声にならない声をきくことは、本当に難しい。 もしかしたら薬だけでなくマッサージセラピーで痛みや緊張が緩和できるかもしれない。アロマセラピーを併用したら、意識を失わせることなく、痛みや苦しみが軽減できるかもしれない。もしかしたら宗教的なお祈りや、手かざしによる霊気や浄霊で苦痛が軽減できるかもしれない。 患者さんに大量に大量に薬を投与するたびに、これでいいんだろうか、って思うの。 苦しそうにしている人をみると、針から薬を入れてくだけでなく、全身きれいにきれいにして、アロマオイルつかって、やさしくやさしくマッサージしてあげたくなる。

02

 

 


VOL.163 記者雑感 From気仙沼-(Vol.16)

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許されるミス、許されない作為

02 市内で初めて防災集団移転の土地造成(7区画)が終わった登米沢という地区で「強度不足」が発覚した。気仙沼市は法律の基準を満たすか検査して市民に引き渡したが、家を建てる業者が補強しないと何かあった時のための保険に入れないと主張したため、一部の市民は自費で地盤強化工事をせざるを得なかった。  議会でこの問題が取り上げられると、市は「調べる」と答弁。そのうち仕組みが分かってきた。地盤の強さが数字上で基準を上回っても、土を盛ってから1年未満など特殊な場合は、保険会社が個々に大丈夫かどうか判断する。不動産業界では当たり前らしいが、市民はそうそう家を新築しないので知らない。市にすると、戸建ての宅地を作る業務自体が平時はないから、こちらも知識なし。「強度不足」かと思ったら、市の勉強・説明が足りないだけだった。  こうして新しい宅地は少しずつできているけれど、物件はまだ足りない。百数十世帯が復興事業のために立ち退かなければならないため、市は「仮住ま03い」を新築する。プレハブではない。集合住宅とはいえ、かなり立派な建物だ。震災から何年もたてば民間アパートが空くだろうから、立ち退き対象者には自分で当座の住み家を探してもらい、家賃を移転補償として市が払う、はずだった。ところが3年8カ月たっても空きがない。  仮設住宅に移ればと思うが、「自宅を補修して住んでいた人に、あまり差のある暮らしはさせられない」との理由で新築する。費用は十数億円。復興事業が一段落すれば取り壊す物件もある。これは、予想・認識不足じゃないのか。

 

利用される被災地支援の実績

0411月8日、離島の大島で自衛隊と米豪両軍による「災害訓練」があった。3国合同も東北でのオスプレイ使用も初。当日の現場では、ひっそり抗議する人もいた。けれど、気仙沼は小野寺五典・元防衛大臣の出身地。まして大島は震災後の孤立状態を米海兵隊に助けられた経緯がある。島民に話を聞くと「頼もしい」とオスプレイに好意的な人が多い。「落ちるなら自分の家でもいいんだよ」とまで言われると、反論できなかった。理由の真偽はともかく、展示が中止になった各務原市とは相当の温度差だ。  それにしても、何度も墜落している機材で災害時にけが人を運ぶ、という論理には無理がある。はっきり軍事訓練だと言われたら、大島の人たちは受け入れたのだろうか。復興を巡る市の力不足は情けないが、悪意がない分まだ救いがある。「災害訓練」と称して軍事訓練をやるのは、被災時の支援実績をたてにしているだけに、卑劣きわまりない。

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現役新聞記者(宮城県・気仙沼在住) 私の居る事務所県住居は、1階の浸水のみですみましたが、3軒隣の警察署も、少し離れた小学校も解体です。節電といわずと、家の周辺は真っ暗。人がいないから…街灯もいらないわけで……これから、気仙沼で自分の視たまま感じたままをお届けします。


VOL.163 平和のつどい「今こそ求められる憲法の力」伊藤 真

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この国はアクセルだけで進んで来ちゃった。でも幸い大事故を起こさないでここまで来ました。しかし、ブレーキ役を果たしてくれる政治家や政党がいなくなった。それでも自由民主党の中にもリベラル派保守の人たちが、「憲法9条は大切なんだ!戦争だけはやっちゃいけない!」と叫んだり、社民党や共産党など、いわゆる野党がブレーキ役を果たしてくれてはいます。が、現実はどうでしょうか。押さえきれている野党がいるとはいいにくいですね。 法律は国が国民の自由を制限した社会の秩序を守るための道具ですが、憲法は国民が、国家権力の乱用に歯止めをかけるための道具です。憲法は、国民の権利(人権)・自由を守る法で、あくまでも人権保障が目的。近代の国家みんな共通です。そこに日本は、「戦争させない」という目的も追加しました。 人権を守るために、憲法の中に人権規制ばかりあるのはあたりまえですね。憲法を守らなければいけないのは、国の政治家や官僚や裁判官や自治体の首長さんや、職員のみなさんたち、公務員のみなさんたちです。ですから憲法を尊重し擁護する義務を負うとして、99条※にあえて、国民を入れなかった。国民には憲法を守る義務なんてこれっぽちもないんです。

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私たちが政治家たちに憲法を守らせるというのが国民主権。私たちが主体となって憲法をつくり、憲法どおりの仕事をさせることなんです。

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強い力は何も権力だけではありません。暴力や腕力、お金の力、会社関係、社会的地位、専門知識、いろんな強い力をもっている人が、それを理不尽に行使しようとするときに、ちょっと待ってください!これはおかしいぞ、弱い者いじめじゃないかって声をあげる。さまざまな強弱の関係がある中で、強い立場の人を縛り、弱い立場の人をまもっていく、というのが、今日の憲法の役割なんですね。 誰もが強い面もあれば弱い面もあります。多数派と少数派は入れ替わることもありますよね。他者への共感というのは単純だけど一番難しい。ではどうしたらいいか。イマジネーション・想像力を働かせることなんです。私は本土の東京の人間で、今の安倍政権になってから、政府はなにやっているんだ!とただ「政府」と言いますが、沖縄新聞を見ると、この政府がやっていることに対して「日本政府は・・・」というんですね。「日本政府vs琉球」。沖縄のみなさんたちは今どんな思いでいるんでしょう。そういう想像力、他者への共感・配慮、それが、憲法の最も大切な価値である個人の尊重ということに他ならないんですね。(憲法13条「すべての国民は個人として尊重される。」) 自分が他者と違っていい、ということを認めあえることは、自分が自分らしく生きればいいんだ、そう思えると心に余裕ができて自信がうまれます。そうすると、自分と違う他者の存在、いろんな違う考え、自分と違う宗教や国籍の人を認める心の余裕がうまれてきて、多様性を受け入れることができる。そういう社会ができていくんじゃないかと思うんです。 個人のレベルで人と同じ、人と違う、それと同じように、国のレベルでも他国と同じ、他国と違う、があっていいはずです。この他国と違うところ、日本だけ集団的自衛権が行使できない、日本だけ軍隊を持ってない、それは情けない、と思う人もいると思います。しかし、それこそ「誇り」なんです。

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憲法はもともと理想なんです。理想と現実は食い違う・・・むしろ、理想と食い違うからこそ、憲法という理想を掲げるんです。なにも9条だけではありません。14条の「法の元の平等」という理想。それから25条の生存権「すべて国民は健康的で文化的な最低限度の生活をする権利を有する」。いかにその理想に現実を近づけていけるか、それが、今を生きる私たちの責任です。さきの先輩たちが、自由で平和な世界を創って下さいました、それを、守るのは先輩たちへの責任なんです。そしてもちろん、次の世代へ引き継ぐ責任がある。両方への責任があるんです。そして憲法を知ってしまった者の責任。 話題にして下さい、声をあげて下さい、こうした集会に参加するのもいい、署名運動もそうです、パレードに参加するのもいいでしょう、新聞やテレビに投稿するのもいいでしょう、電話をかけてみるとか、地元の議員にファックスを流すだとか、とにかく声をあげ続けるということがとても大切なんです。 安倍政権が集団的自衛権を閣議決定したことを国民は忘れていませんからね!国民の知らないうちに憲法が変わってたなんて絶対に許しませんからね!というかたちで、私たちが声をあげ続ける、それが何よりも大切なことと思います。そして最後に私の好きな言葉で締めくくります。 Festina Lente(ゆっくりいそげ)

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伊藤さんのお話は90分でしたが内容は200分以上!!・・・日本国憲法の成り立ちの解説も含め、本当にわかりやすい!!!。紙面にはほんの一部の掲載となりましたが、全文をご希望の方は編集部までご連絡下さい。

 

 


VOL.163 ぎむきょーるーむ「10歳の疑問」

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Q:好きになると胸がドキドキするのはなぜ?
答える人 作家 伏見憲明
A:その人にどう思われているのか……
心配で、鼓動が高なる!

ドキドキって、」どんなときに起るものだろう。たとえば、 算数のテキストの答案が返されるとき。いったい自分が何点 とったのか心配で、心臓から口が飛びだしそうになる。それ から、遠足の前の晩に、明日友だちといっしょに 出かけるのが楽しみで、なかなか寝つけ ないときにもなる。あるいは、次の 日に注射をうたれることを考える と、心臓の音が重くなる。その ように人は、ひどく心配だった り、何かを強く望んだりする と、ドキドキする。 もちろん、だれかを好きになれ ば、その人にどう思われている のか、きらわれていないか、好き になってもらうにはどうしたらいい か、もしかしたらむこうも自分のことを好 きなのではないか…と、鼓動は高なる。好きになればな るほど、「こんなふうに思われたらいやだなあ」と、「こんな ふうに思われたいなあ」の思いも強くなるから、ドキドキの 大きさもテンポもはげしくなる! ふしみ・のりあき・作家。著書に「さびしさの授業」「男子のための 恋愛検定」(ともに「よりみちパン!セ」イースト・プレス)など

 

Q:おっぱいが大きくならなかったらどうしよう!
答える人 産婦人科医 今井理恵
A:大きくなり方は人によってちがいます。

女の子の乳房(おっぱいの正式な名前)が大きくなりはじめ るのは、8~9 才くらいです。そのころから卵巣から女性ホル モンをつくるようになり、女性ホルモンのはたらきによって 乳房は大きくなるのです。  乳房の大きくなり方は、人によってかなりちがいます。小  学生のうちからどんどん大きくなる人もいます し、大人になるまで乳房があまり大きくならな い人もいます。  乳房が大きくなることについての希望 も、人によってさまざまです。「なるべ く大きいほうがいい」と思っている人 もいれば、「小さめでスポーツをするの に、じゃまにならないほうがいい」と か「わたしは胸が小さいほうがかっこい いと思うので、大きくならないでほしい」 と思っている人もいます。  大豆や牛乳をたくさんとると大きくなるという 「うわさ」がありますが、それはほんとうではありません。 大きくても小さくても、それがその人の「自分らしさ」なのです。 いまい・りえ 産婦人科医。神奈川県勤労者医療生活協同組合・ 港町診療所勤務。子宮内膜症、月経困難症、PMS などを中心 とし、思春期外来にも応じる。監修書に「女性の悩み解決ガ イド“ほっ” とする生理痛の本」(築地書館)など。

Q:おちんちんのかたちが変だあ!
答える人 四国学院大学教授・メンズセンター運営委員長 大山治彦
A:顔がみんなちがうように、かたちも大きさもいろいろ。

それは心配だね。男ならみんな、一度は、自分のおちんちんのかたちや、 大きさなんかについて、いろいろ思ったり、なやんだりしたことがあるんじゃ ないかな。私もそうでした。きみとおんなじ。それでも、心配だったら、お 父さんとか、信頼できそうな大人の男の人に相談してごらん。今回は、お母 さんとか女の人じゃなくってね。でもね、おちんちんのかたちや大きさって、 いろいろあるんだよ。顔がみんなちがうようにね。  今度、おふろ屋さんや温泉などに連れていってもらって、いろいろな人の おちんちんを見たらいいよ。とくに、自分やおうちの人、友だちのおちんち んしか見たことのない人は、もっとたくさんの人のおちんちんを 見たほうがいいと思う。びっくりするくらい、いろいろな かたちや、大きさがあることがわかるよ。そして、でき れば、自分のおちんちんが好きになれるといいね。 おおやま・はるひこ 四国学院大学教授・メンズセンター運営委 員長。専門はジェンダー研究(男性学)、セクシュアリティ研究、 市民活動論など。

 

Q:あかちゃんはどこから来るの?
答える人 養護実践研究センター代表
茨城大学名誉教授 大谷尚子
A:お母さんのおなかにある子宮から

あかちゃんは自分が生まれたいときになると、お母さんに 「生まれたいよ」というサインを出します。そうすると、お母さ んの子宮(いのちの部屋)はギューッとちぢみます。子宮の中で暮らして いたあかちゃんは体を回転させながら、産道(いのちの道)を押し広げ、 その道を通って、お母さんの体から出てくるのです。その出口は、お母さ んの膣(ヴァギナ)です。  膣は女の人の体にあるもので、おしっこの出るところと、うんちの出る 肛門のあいだにあります。ふだんはせまい道なのですが、あかちゃんの出 したサインによって、広がっていくのです。あかちゃんは自分で体の姿勢 や動く向きを変えたりしながら上手に産道を通って出てきます。多くのあ かちゃんは自分の力で、この世に生まれてくるといえます。なお、あかちゃ んやお母さんのいのちを守るために、薬の力を借りたり、お母さんの産道 を通らない(お母さんのおなかを切る方法「帝王切開」)で生まれてくるこ ともあります。 おおたに・ひさこ 養護実践研究センター代表 茨城大学名誉教授。お・ は編集協力人。著書に『養護ってなんだろう「保健室の先生」といわれる 私たちの仕事とその意味』(小社刊)など。

 


VOL.163 環境講演会「子どもの脳が危ない」黒田洋一郎

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<発達障害と療育>

発達障害やグレーゾーンの子というのは、どういうことかというと脳の発達途中で、ある神経回路だけが障害があって、特定の行動だけ、例えば他者とのコミュニケーションなどがうまくできないなどがみられます。他は正常でいろんなことができます。線引きしたら、白黒別れるようですけど、実はその線引きの周りが全部灰色なんです。症状による診断ですので、医師によるバラつきが出てしまい、非常に診断が難しいんです。  発達障害と診断されるとずっとそのままかというと、そうではなく、たとえば2才のとき自閉症と診断された子が3才になったら発達障害でなくなったとか、かなりの人たちが自閉症から、特定されない広汎性発達障害に変わったという報告もあります。脳というものは一般的に思われているよりも、もうちょっと柔軟なものではないかと私は思っています。  治療療育するためには、脳の神経回路(シナプス)を新しく作れば良い。そういうと、「え?!」と驚かれる方がいますが、これは大人では昔からやってます。例えば巨人軍の長島さん。あの人は脳溢血で半身麻痺と言語障害でしたが、おそらく療育の良い方がついたことと、本人も必死で言語療法をやりました。するとかなり戻りましたね。大人の神経疾患ではリハビリテーションが当然なんです。  大人より子どもの方がはるかに脳が柔らくシナプスができやすい。そうすると、療育の中でも、特定の行動を繰り返すようなリハビリ的な行動療法で、治す事ができるんじゃないかと思うのです。これにはやっぱり早期発見、早期療育の重要性があるわけです。また、治療、回復、予防の可能性を考える時、家庭や社会環境も考えなきゃいけません。日本では最近、発達障害になった子どもへの接し方が悪くて子どもがますます悪くなってしまった、という二次障害の例が増えているそうです。

<発達障害と環境化学物質>

人間の脳には無数の神経回路があってそれは、化学物質でつくられています。そこへ、その化学物質と構造のよく似た“環境化学物質”(殺虫剤、農薬など)などが外から乱入すると、脳が本物の化学物質と間違えて、神経回路をつくる時に異常が起きてしまいます。  親からもらった遺伝子が正常でも、遺伝子が体を作る時にかく乱されると障害が起るということです。発達障害の原因は遺伝にあるのかと研究された結果、遺伝よりも環境の影響が強いんじゃないか、との考えが多くなってきました。そうすると、予防の可能性が出てくるんです。  悪い環境だったら、いい環境にしたら防げるということになります。だから、農薬などが発症の引き金になっている可能性は高いので、環境化学物質の曝露を避ける事で予防ができるということになります。これはかなり合理的な予防です。  発達障害を起こしうる環境化学物質としては、有機水銀や鉛等の重金属、それからPCBやダイオキシンなどの有機塩素化合物、有機リンやネオニコチノイドなどの農薬があげられます。特に、有機リンやネオニコチノイドなどが、アセチルコリンという重要な神経伝達物質に関係しています。  普通シナプスというのは胎児?4歳くらいで発達します。大人の脳には脳関門というものがあって、毒のあるものはなるべく脳の中に入れないようにしていますが、胎児や乳児の脳というのは、脳関門が未発達ですから、発達するまでの間は、素通りしてしまいます。だから母親が摂ったものが胎児に、母乳の中に出たものを乳児が飲むと一部は脳に移行する。発達の一番盛んな時期に危険なものが入りやすいということになります。

<昆虫と人間の脳>

02 近年ミツバチの大量死はネオニコチノイドなどの農薬汚染によることもはっきりしています。人と昆虫は違うと言う人もいます。もちろんいろいろ違うんですけど、こと神経系のシナプス伝達に関するかぎり基本的に同じなんです。だから記憶の研究も実はショウジョウバエを使ってやっているくらい、人の記憶と昆虫の記憶は似た仕組みだと、脳研究者の間では考えています。ですから、農薬が害虫だけに効いて、ヒトや益虫には効かないなんていうのは不可能なんです。  発達障害は療育で症状を軽減させることは可能ですけれども、大変な努力が必要です。発達障害の引き金になるような農薬などは、予防的にひとまず禁止にしておこう、というやり方がこれから段々主流になってくると思います。これを予防原則というんですけど、これは本当にこれからの哲学というか、ものの考え方の基本になるべきだと私は思っています。   (文責・にらめっこ)

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VOL.163 エコビレッジ from オーストラリア

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10月中旬の3日間。パーマカルチャーのイベントのホストをしました。日本食のシェフをやっていた日本女性と和食を提供。仕込みも含めて2日間。ランチとディナー、約70人分の日本食を作ったのはいい経験になった。 日本食は仕込みに手間がかかる。焼きおにぎり、煮物、キャベツとしその浅漬け、いんげんの胡麻和え、本当に素晴らしきかな和食!そして、味噌作りのワークショップに参加させてもらった。麹造りからの過程を学びました。元の麹菌は日本から取り寄せましたが、それ以降は、自分たちでできる!。しかも、豆麹(大豆とか、ひよこ豆)も起こせるんです!でも温度が上がりすぎると納豆になっちゃうらしいから、お米とか麦よりも難しいらしい。白みそと赤みその違いは大豆を茹でるか蒸すかでかわるんだって!茹でるのが白で、蒸すのが赤。で、たまり醤油は味噌つけるときに大豆の茹で汁を含ませてつけると浮いてきた水分がたまり醤油になるんやとー!!異国で、日本文化の新しい知識がついてちょっとうれしい♪

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そんなこんなで、毎週末イベントを主催していたため、忙しい生活を送っていました。03ようやく落ち着き、それとともに、人が入れ替わり、いまは新しい変化と移行の時期を迎えています。今度はこの新しいグループで何を作り上げていけるのか、いまはそれを見つけ出そうとしている段階です。 グループ生活では、コミュニケーションがとても重要です。それから、助け合い、支え合い、そして、受け入れる事、伝える事。それが重要になって来ます。新しい人たちは、新しい事を持って来てくれて、グループにシェアをしてくれます。たとえば、ヨガや音楽などのクラスなど、それぞれのスキルをグループに提供することができます。ガーデニングでも、今までと違う新しい知識を持っている人が、この場所でも適しているか、実践して、改善しようとしてくれます。新しい方法でガーデンベットをつくってみたりと、知恵を出し合い、お互いが学んでいる過程だと思います。 わたし個人的には、わずかな経験と知識をシェアできるよう、ペインティングセッションの時間を作りました。絵を描いてみたいというメンバーに、画材と空間を提供して、絵を描く時間を共有する。そういう時間を過ごすだけでも、生活の変化を感じられます。ここでの共同生活をどのように組み立てていくのか。持続可能な生活を模索しながら、2015年の幕開けは、新しく加わった音楽家とともに、なにを作っていけるか。これから楽しみです。                                YAO

 


緊急特集 ジャーナリスト・久保田弘信さん講演会「イスラム国」人質事件と日本のゆくえ

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回のを受けて

後藤さんは非常に優しい方で、取材のテーマがぼくと似ているんですね。戦争の中で非難民として生きる子どもたち、大変な思いをして暮らす家族、そういった人々に焦点を当てる。僕たちジャーナリストにとって、一番の喜びは「伝えること」、「知ってみなさんに考えてもらうこと」なんですが、メディアが扱う情報はどこか偏っています。取材をして帰国して、日本のメディアに使ってもらおうとしても、「うーん」といって使ってくれないんですね。日本のメディアは非常にセンセーショナルな映像を求めます。

昨年末に僕は遺書を残してイラクの最前線に行きました。「なにかあったときには僕の責任。ですからイラクの人を恨まないで下さい。二国間の関係がこじれるのが一番困ります。」と。後藤さんは最後シリアに行かれる前にビデオメッセージを残されました。『もし自分の身になにかあっても、シリアの人を恨まないで下さい』と。にもかかわらず、日本の首相はなんと言ったか。『罪を償わせる!』。何でそういう強固な言い方をするのかなと。間違いなく後藤さんはそのことばを望んでいないと思う。日本の首相がそういう発言をする中で、世界中のメディア、世界中の人々が「日本って右傾化しはじめたんだな」、というのを感じています。

このままでいいのか、それは僕が決めることではありません.僕は現地で撮ってきた情報をみなさんにお伝えして、こんなふうに日本って思われていますよ、そんな中で、このまま安倍首相が行っている「積極的平和外交」という方法に行くのかそれとも平和憲法を大事にしていくのかって、実は僕たち日本人が一人ひとりが考えなきゃならない時期に来たと思う。今までは「9条を守る」、「日本の平和外交をどういうふうにしていくか」ということは日本国内の問題だった。そのことを今は世界中が注目しています。日本は大きな分岐点に来たんだと海外のメディアが伝えていますし、海外の人たちは思っています。

人質事件に関して

安倍政権に対する批判もありますが、非常に残念なのは、またもや出ました「自己責任論」。イギリスのBBC系列のニュースペーパーで、日本は自国民になにかあると、行ったやつが悪いという国なんだ、と書かれていました。もちろん、湯川さんにいろいろ問題があったかもしれない、後藤さんも危険を承知で行ったのかもしれない。でも自分たちの国民が、第3国の人に殺されたときに、「行った本人が悪い!?」これ、日本独特の文化なんですね。危険を承知でやったんだから、死んでも仕方がないんじゃないか。こういう考え方をする日本は、ハイリスク・ローリターンを覚悟の上、自費で戦場に赴き、内情を取材する僕らジャーナリストにとって、非常にやりにくい国です。フランスのジャーナリストが、イスラム国ISISに拘束されて、無事帰って来たときには、英雄扱いでした。かたや日本では帰って来た本人が最初なんて言いますか?「ごめんなさい。ご迷惑かけて申し訳ありません」そこが違うと思うんですね。

イスラム圏は危険か?

今日も、各新聞社やテレビ局の方が大勢いらっしゃいました。インタビューを受けたときに「中東、それからイスラム圏の危険ってなんですか?」って聞かれたんですね。今回のニュースをきっかけに中東とかイスラムの国が危険だって言うふうに、なんか一面的に日本が伝えてしまっているところがある。
確かに危険はあります。政情が不安定な国ですし、問題は多々あるんですけど、僕たちは中東の国々のことをどれだけ知っているかって言うと、かなり知らない人が多いんですね。反面、日本という国は世界中から知られています。
で、今回の件があって、中東のことに少し思いを寄せる。イラクとシリアの間にはややこしい問題があり、イスラム国っていう新しい勢力がいるんだ、かつて戦争があったイラクってもう十年以上経っているが、その戦争後、どういう治安でどういう暮らしをしているんだろう、シリア内戦が起こった?シリアってどういう国なのか…僕たち知らないんですね。何か事件が起こって、その事件をきっかけに伝えられるだけで、その国の国民性とか、全然伝わってない。
イラクの人、シリアの人、それからトルコの人、ヨルダンの人、みんなが、日本のことよく知ってます。よく思っています。戦後、たった70年弱のあいだにここまで「復興した国」、もう1つは「戦争を放棄した国」って。特に今まで、イスラム圏との戦争に関わって来なかったということで、中東の人たちは、日本のことを非常によく思ってくれてます。僕らジャーナリストは肌でそれを感じているんです。

僕たちは中東を知らない。

後藤さんの死をきっかけにこれだけの人が集まってもらって、中東のことに思いを寄せてもらったら、この会の初めにしていただいた黙祷よりも彼は喜んでるんじゃないかと思うんです。いつ僕もそういう立場になるかわかりません。毎回覚悟しています。そのときに黙祷してもらったらうれしいです。でも、それ以上に僕が今まで伝えたいと思ったことを残された人たちが知ってくれたら、それが一番うれしいですね。  (文責・にらめっこ)

中東諸国の歴史ー①/6  1年かけて勉強しよう!

02中東諸国では、なぜここでこんなに戦争が起こっているのでしょうか?それは、「石油」という利権と、「宗教」 による対立があるから。特に 「石油」が大きなポイントで、この利権を得るために中東以外の諸外国も積極的にこの地域に関わってきました。
また、「宗教」による対立があるために、双方が利益や損失を考えて和平をする、といった事もなくなってしまいます。
そこへ来て、「イスラエル」という全く違う宗教と民族の国がポンと出来て、ますますゴタゴタになってしまいます。

元々、「中東」 の一帯には 「オスマン・トルコ帝国」 という名のデカい帝国がありました。言うなればこの帝国が中東地域を 「天下統一」 していた訳で、一時は東ヨーロッパから北アフリカまでその支配地域を延ばしていました。
同じ頃、ヨーロッパでは「大航海時代」 が訪れた。オスマン・トルコ帝国が中東地域を完全に制圧してしまったため、「陸がダメなら海だ!」 というワケです。

1500 年前後、日本がちょうど戦国時代だった頃。「ポルトガル」 「スペイン(イスパニア)」 「イギリス」 「オランダ」 などの国々が、まだ見ぬ世界を探求するために船を出し、貿易船と、それを襲う海賊と、海賊を倒す艦隊が入り乱れていました。コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは1492年ですね。
1600 年頃、大航海時代は 「探検の時代」 から 「支配の時代」 へと移っていく。探検航海によって世界の姿が解って来ると、その新しい世界を支配しようと、列強国が互いに争いを始めるようになります。ヨーロッパの軍隊は最新の武器で武装していますから、世界の国々をガンガン占領していきます。
こうして、その地域の住民の事など無視した 「領土の取り合い合戦」 が起こる事になります。このヨーロッパの強国が世界中の国々を 「植民地支配」 していく事が、その後の世界の歴史に大きく影響する事となります・・・(次号へつづく)


新米Nurseものがたり-(Vol.26)

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最初は、家でベッドから座っていた姿勢からすべりおちて大腿骨の骨折で入院した。手術後何日もたって、意識がなくなりICUに運ばれた。バイタルがかなり安定してるためにうちらの病棟に。でも、両足はもうすでに脈が無く、かすかな血流によって保たれている状態だった。血管の専門医も現時点での外科的な処置は、患者の生命の危険がともなうという判断で処置はなされず。そのかわりに薬の投与で塞栓や血栓が肺や脳をつまらせないようにする処置がとられた。意識もないため、食事は鼻からの経管栄養で投与されてた。
両腕は浮腫でむくみ、血液検査や点滴針をさすのが難しいために何度も針でさされてあざだらけだった。その痛々しい腕からは体液が常にしみ出る状態だった。両足は壊死さえ起こしてないものの氷のように冷たく紫がかった色をしていた。
まったく意識がない、つねってもゆすっても反応しない。瞳孔がおっきくなって動かないようにみえた。どうしちゃったんだ、何が起こったんだ、脳が機能してないのか…。

そんな状態でも、血液検査やものすごい量の薬の投与、4時間おきの鼻から胃にはいるチューブでの水分補給など、もう拷問に思えるくらいいろんなことをしなきゃいけなかった。この人は意識がない状態で、こういうことを望んでいるんだろうか。元のように意識が戻って、おかゆを食べたり家族とわずかでも会話ができるようになるんだろうか。
医者たちは誰もが口をそろえて早急に緩和ケアかホスピスに切り替えるといった。
前日、家族のヘルスケアプロキシ―(本人が判断できない状態のときに本人に代わってすべての医療ケアにかかわる決定をする人)と家族を交えてミーティングをした際に、DNR/DNI(心肺停止の時に挿管を含む蘇生をしないこと)が決まった。でも、緩和ケアのみにするか、ホスピスに切り替えるまでは、やはり延命をするために心肺蘇生以外のことは全部なされる。
それは、たぶん本人にとっても家族にとってもケアする側にとっても苦痛だと思う。

3日後には、経管栄養も外れて薬の数も最小限になってた。
ところが、家族がやってきて、「なんで食べ物を与えない?アイスクリームでもゼリーでもいいから食べさせろ。このまま餓死させたくない、点滴も辞めて、いったいどうゆうつもりだ!」と言ってきた。しかし、本人は意識がなく飲み込めないから食べさせることはできない。今の状態で無理やり口に何か入れたら、誤嚥性の肺炎になることは間違いない。
ケースバイケースだけど、基本的に緩和ケアやホスピスは延命につながることはしない。でも中国の人達は、文化的に食に対する意識がかなり強いといつも感じる。
ホスピス病棟でも、食べるたびに吐いて、食べるたびにおなかの張りを訴える中国人の患者さんに、それでも家族はひたすらおかゆを食べさせていた。吐く=体が受け付けない、意識がない=食べられない、ということではないのか。点滴も体が受け付けなければ、すぐに肺に影響がでて浮腫ができてくる。それでも、ちょっとでもいいから点滴で水分補給を!という家族は多い。前はそれもわかるような気がしてたけど…。

でも、最近は乾いていくという過程も死にゆくことのなかで自然なことなのではないかと思う。年をとるほど、肌はハリがなくなり、だんだん軽くなっていくのは、自然なことだと思う。軽い方が骨や関節に負担が少なくなるしね。死が近づいているとき、体が乾いていくのは、やっぱり自然なことだと思う。

人は何も食べたり飲んだりできなければ、死ぬ。それはとても自然なこと。人間に限らず、どんな生き物でもそう。生き続けるということは簡単なことではない。どんな環境にすむ生き物でも自分の命を保持するための栄養補給と水分補給ができなくなったら死ぬ。自分で生きる力が無くなった時、命は死ぬ。
それが医療の進歩のおかげで、昔なら助からない命も助かるようになってきた。食べるという行為なしに、胃や血管に直接、生命が維持できる栄養を届けることができるようになった。
これは奇跡のようであり、奇妙な現実でもあるとうちは思う。

森や草原や砂漠に住む哺乳類は、生まれた瞬間に母親の母乳を飲める力がなければ、死ぬ。でも人間の赤ちゃんは未熟児で生まれて母親のお乳を飲む力がなくても、みんながみんな死ぬわけではない。とくに先進国やNICUや他医療が整っていればいるほど生存率は高くなる。それは素晴らしいこと。ただそれがどんな命にも使われるべきかというと、そうでもないと思う。赤ちゃんは、その時期をのりこえるとたいてい自発呼吸、自分でお乳を飲んだり、自分で生命を維持していけるようになる。
それが、自分自身で生命を維持できる力の回復が見込めない人や、死が近い人に使われると、本人にとっても家族にとっても辛い時期が続く。何のための延命で、何のための栄養で、何のための医療なのか。本人のためなのか、家族のためなのか、そこにエゴはないのか。

命は死ぬ運命と一緒に誕生する。生まれれば死ぬ。そこに永遠はないし、きまった時間もない。
どんなふうに生きたいか、どんなふうに逝きたいか、どんなふうに生きてほしいか、逝ってほしいか、不吉とか暗いとかって毛嫌いせずに、普段から話しておくのはすごい大事だと思う。

 

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記者雑感 From気仙沼-(Vol.17)

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02 津波で廃校になった小学校跡地に市内初の災害公営住宅が完成し、1月31日に入居が始まった。あの日から1422日。「1日、1日、待っていた。でもまだ多くの人が仮設住宅にいるから、自分だけ喜んではいられない」。佐藤淑枝さん(72)は語った。
岩手県一関市の仮設住宅から引っ越したのは佐藤さい子さん(67)。独居で車を持たない佐藤さんは、古里を離れた仮設でも駅や店に近い方がいいと考えた。ところが住み始めた直後に腰を傷めて思うように歩けず、買い物にも行けない。そんな折、気仙沼市のスーパーが仮設巡回バスの運行を始めた。佐藤さんの所は週2回。店の軒先まで連れて行ってくれるし、道路が凍っても休まない。今では体がかなり回復した佐藤さんだが、「本当に助かる」と転居直前まで利用した。
スーパー近くの飲み屋で2年ほど前、潜水士の藤代隆久さん(42)と知り合った。どんな仕事か知りたくて昨年末、津波で壊れた岩手県宮古市の防波堤復旧現場にお邪魔した。大きなコンクリートブロックが隙間なく並ぶようクレーンを海中で誘導し、海底に着けばブロックを釣っていたワイヤーを工具で外す。これを繰り返して新しい防波堤ができる。藤代さんの姿は私の乗る船からは見えない。船上のスピーカーから、「ゼー、ハー」という呼吸音が聞こえる。「ああ、藤代さんは生きている」。なぜかそんなことを思った。
暮らしと復興を支える仕事は、買い物バスや潜水士以外にも多い。税別280円にもかかわらず、大口の工事現場に限って配達を始めた弁当屋もある。経営者の鈴木恒子さん(67)に会うと、「弁当より子どもの話を」と頼まれた。子ども劇団「うを座」。学芸会は勘弁して欲しいと思いつつ、稽古を覗いてみた。
大津波警報を伝える無線とサイレン。「いやあーっ」。幼なじみが目の前で津波にのまれた姉の実体験を高校2年の鈴木菜々さん(16)が演じる。高校3年の畠山沙樹さん(18)は、同居していた祖父が行方不明のままだ。仲間の船が無事か、港に見に行ったという。畠山さんは語りかける。「ほかの人のこと心配すんのは、すごくいいことだと思う。でも自分の命ぐらい何より大事にしてもいがったんではねえがな。4年もたつし、はやぐけえってこいや、みんな待ってっからさ」。
恐れ入った。辛い体験の再現に終わらず、「世界の支援を受けた私たちだからこそ、世界の子どもに目を向けよう」というメッセージを発する後半も圧巻だ。震災前はあまり感情を表に出さなかった畠山さん。たくさん泣いているうちに、笑ったり、怒ったりするようにもなった。声優を目指して、今春、関東の専門学校に進む。

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“天然のくらし”応援団 第1回は「農薬について」

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日常生活になじんでいる 殺虫剤、蚊取り線香なども農薬です!

発達障害とはどういう意味でしょう?胎児期や幼児期の脳機能の発達の障害で、その現れ方により注意欠陥多動性障害や自閉症スペクトラム、学習障害などとよばれます。
原因は遺伝とか子どもの育て方とかいわれたした。しかし、科学の進歩につれて環境の影響が大きいと分かりました。昨年11月9日、発達障害と環境との関係についての黒田洋一郎博士の講演会が各務原市でありました。環境中の水銀などの重金属や有機リンなどの農薬、ダイオキシンのような残留性有機汚染物質などが脳発達に影響し、安全な殺虫剤と宣伝されているネオニコチノイドも神経細胞に影響を与えることを説明しました。農薬などの環境汚染物質は発達障害と深い関係があります。
日本の農薬使用料は世界で2番目に多い!
「アメリカの農薬使用は多い」という人がいます。これは誤解です。経済協力機構OECDによると、日本の農薬使用量は長い間OECD加盟国で1番多かったのですが、最近の調査は韓国が1番で、日本が2番です。米国の農業は出費をできるだけ避け、防除が必要なほどの虫がいななければ殺虫剤を使いません。日本では虫などの発生を予想し、年間の防除予定を組み、防除が必要なほど虫がいなくとも散布することがあります。この結果、日本の農薬使用重量は単位面積あたりアメリカの約17倍です。この他に日本では農薬に分類しない「除草剤」なども民家近くで使われています。

アメリカの国立環境衛生研究所が昨年10月に発行した雑誌に、「神経発達障害と誕生前に農薬近く近く住むこと」という論文が発表されました。この論文は母親が妊娠中に有機リン殺虫剤を使用する農場の1.5キロメートル以内に住むと、子どもが自閉症スペクトラムになる可能性が60%増え、妊娠後期に住むと可能性は2倍になると報告しました。ピレスロイド殺虫剤(蚊取り線香によく使われる殺虫剤類)との関係も報告されています。
除草剤も心配です。今年1月、エポック・タイムズ紙に、よく使われている除草剤グリホサートは自閉症を起こすだろうという記事が出ました。結果は確定したものではありませんが、妊娠中や幼いお子さんをお持ちの方は、除草を考えるとき思い出してください。
このように最近の研究は発達障害は環境の汚染と強い関係があると次々に明らかにしています。脳は神経系の一部です。神経に影響するような殺虫剤は警戒しましょう。除草剤も安心できません。室内でゴキブリ駆除剤や蚊取り線香を安易に使うのは考え直しましょう。子どもや自分達の健やかな明日のためです。

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中高生・平和を語る

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今回は、今年1月大垣のようこそ先輩グループ主催で行われたワールドカフェ「どうしてカンボジアの子どもたちは目が輝いているの?」に参加して学んだこと、考えたことを紹介しようと思います。
この企画は、大垣のメンバーでわたしの友だちでもあるうきちゃんが、高校でカンボジアについて学んでいく中で、子どもたちが生き生きと目を輝かせて勉強しているのを見て驚き、「みんなと、カンボジアと日本の子どもや学校について考えてみたい」と提案したことからはじまっています。

 

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世界のほとんどの国には義務教育制度があります。ただし、その考え方には特定の年齢の間を義務教育の対象にする年齢主義と、特定の課程を終了するまでを義務教育の対象にする課程主義の2つがあり、私たちの国の義務教育は年齢主義を、カンボジアは課程主義を取っています。
どちらの国も義務教育の間は義務なので、親は子どもを学校に通わせなければなりません。でもカンボジアの場合、ポル・ポト政権時代※に学校教育が廃止され、学校は軍の基地や刑務所として使用されるなどして破壊されてしまいました。教員は知識人と見なされ、小学校教員の8割は殺されました。また焚書政策によってカンボジアの大半の書物は失われました。その傷跡は深く、今もなお教育の立て直しが行われています。そのため、カンボジアの子ども達は整っているとは言い難いような環境下で勉強しています。それでも、将来に夢や希望を抱いで毎日勉学に励んでいます。
就学率は小学校では90%を超えますが、卒業できるのはそのうちの半分です。カンボジアでは退学率、留年率が非常に高くなっています。家庭が貧しいため家の手伝いをしなくてはならず、学校へ続けて通うことができません。地方は、都市部と比べ学校数も教員数も極端に足りていません。そのため、地方に住んでいる子どもは都市の学校まで通わなければならないのですが、それができないといった事が起こります。そのような理由で、退学率・留年率は上がってしまいます。
カンボジアには、本当は勉強したいのにできない子ども達が沢山いるという現状があります。ワールドカフェでは、「カンボジアの子どもの目はどうして輝いているのか?」「理想の教育とは?」「どんな学校に通いたいか?」という3つのテーマでメンバーを替えながら話し合ったのですが、その中で出てきた「知らなかったことを自分で見つけた時に目が輝く」という意見が印象に残りました。私たちは、整った環境で義務教育を受け、卒業できるのが当たり前で、本当に目を輝かせて授業を受けてきたかと言えば疑問です。それが、カンボジアの子ども達には保障されていません。カンボジアでも、たくさんの人が学校に行けるようになればいいのになぁ…と考えました。学校に行くことによって世界への視野も広がり、たくさんの夢に出会うことができるようになるのではないかと考えました。
私たちの国は戦後70年、一度も戦争で人を殺さず、そして殺されずにやってきました。その間にたくさんの難題があったと思うのですが、しっかりとした教育を受けて、それを乗り越えたからこそ今の平和な日本があると私は思います。
この平和な日本が続くよう、私は願います。

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エコビレッジ from オーストラリア

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昨年の12月21日はオーストラリアでは夏至にあたる日。季節の切り替わりのお祝いを込めて、party for the new paradigm(新しい形式でのイベント:意訳)というイベントを開催しました。
02このイベントの基本コンセプトは、ギフト。ギブ&テイクではなく、ギフトです。この考えをシェアし、実践して、体験を共有する事です。特徴は、参加者全員で共に作り上げるというところ。入場料はなし。その代わりに参加者は自分のギフトを持ち寄ります。今回は、事前に申し込みをしてもらい、なにをギフトするのかはっきりと伝えてもらうことにしたので、色々な形での参加とギフトが集まりました。

イベントに興味を持ちながらも、自分がなにをしたらいいのか解らない人は、ボランティアというかたちで参加してくれました。そして、このイベントの主旨を理解し、なんらかの形でのギフトを受け取り、自分もギフトをしたい、もっと積極的に参加したいと思って、再び来てくれる人たちがいました。たくさんのアート、ミュージック、ワークショップ、パフォーマンス、マッサージ、トーク、ご飯、そしてたくさんの笑顔と愛、様々な形での刺激を受けとてもいい経験になりました。

今回は2回目なので準備にも気合いが入りました。クルーの役割分担を明確にして、どうしたらチームワークがうまく機能するかが一つの課題でした。一つのイベントを作り上げる過程は、コミュニティー03(協働生活)にはとてもいいレッスンとなります。いかに、サポートしあえるか、各自が自分の役割を見つけられるようになる訓練にもなり、知恵を分ちあい、連帯感を築くいい機会となりました。それは、自分は人の為に何ができるのか、自分自身と向き合う機会となり、ほかの人は何が出来るのかを知ることができたからです。

それぞれのスキルを共有できるという事は、つぎは一緒にやってみようという意識が生まれます。連帯意識ががどんどん広がっていくことで、お互いを高め合うことにつながると思います。
私のできることは、「絵を通して表現をする事」なので、日本からこの期間に遊びに来てくれた、絵描きの友達と二人でライブペイントを披露しました。
人と絵を通してコミュニケーションをとるというのは、普段使わない感覚を使うのだなと体感しました。

こういった主旨のイベントは、めずらしいので理解するのに時間がかかる人もいます。物々交換でもなく、お金を払わなくてもよくって、ギブ&テイクでもない・・・「ギフトのみ」。それがどんなに楽しくて、自由な感覚なのかを分かち合い、これをいろんなところで実現可能にするために、いっしょにつながろう!とイベント参加者との絆も生まれました。その絆がわたしたちクルーを勇気づけてくれて、次なる熱意にもなりました。

さて写真はイベントの様子と、最近のパラダイスの畑の様子です。今は夏真っ盛り。亜熱帯気候特有の雨期でもあるため、今年は雨が頻繁に降ってくれて、畑の作物は順調に育っています。オクラ、ピーマン、ケール、キュウリ、ズッキーニ、スイカ、緑の夏野菜たちが私たちに収穫の喜びを与えてくれてます。
be happy YAO

 

 


カタコトの部屋 自然派ママたちの座談会「トイレトレーニング」

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悲喜こもごも、トイレ・トレーニング

Aさん:4男は生後3ヶ月からおむつなし育児(※)をして
いました。おっぱい飲ませておむつを替える前などにさせるとおしっこもウンチもしていたし、7ヶ月くらいからはおまるでもちゃんとしてたのよ。でも一昨年、8月にすごく暑くて、私がトイレに連れていくのもだるくて、しんどくて、ちょっと休んでいたの。そうしたら、9月に入った時にはもうイヤイヤ!っが始まって…。たった1ヶ月で時期を逸したのかなあ。「トイレ!」って言うから連れて行くと、ちょっと座っただけで、「降りる!」って。それで下ろしたとたんにジャー!したそうにしてるから「トイレ行こうか」って言うと「むーりー!」って…。
02Mさん:そう言う時なのかな?我が出て来たというか。
Aさん:おむつの中でできるなら、そっちの方がいいじゃん、みたいな感じ。漏らすと気持ち悪いように普通のパンツをはかせてみたんだけど、一日に何回も漏らされると洗濯の量も半端なくて、おむつに逆戻りしています。
Mさん:うちの長男の場合、おしっこはすんなりおむつ外せたのに、ウンチだけは4才過ぎてもおむつの中でないとできなかったの。ある日、スーパーに買い物に行った時に、ウンチって言うので、慌ててトイレに行って、4才なのにおむつ交換台の上でおむつに履き替え、そこでう?んってやってたんですよ。そうしたらちょうどそこへ同じくらいの男の子がぱーっとお母さんとおしっこしに来て、「えっ!おむつ?」と言って通り過ぎて出ていったんです。そのときはそのままウンチはしたんですけど、「お母さん、明日から俺、トイレでするわ」って。次の日からトイレでするようになったんです。いやぁ?、どこに何がころがっているかわからんなぁって思って(笑)。
Iさん:過渡期にはいろいろありますよね。うちは1才の終わりだったかな。おしっこ行きたいのに、こちらが声かけると拒否したりということがしょっちゅうで。育児書を見ると怒っちゃダメって書いてあるんだけど、ある程度大きくなったんだから、というのもわかってほしいし、こちらも我慢できないし、ちょくちょく怒ってました。
Mさん:漏らしても、これはしょうがないなと思える時と、いや、そこは!という時とあるよね。
Iさん:本人的にもわかっている時もありますよね。
Aさん:そう。子育ては思うようにはいかないんだよ、と教えてくれてるのかと思えるくらい(笑)。

 

トイレこわい?

Sさん:この子は最近時々教えてくれるようになりました。でも、おまるにいろいろ子どもの興味を惹くようなものがついているので、それで遊んじゃっておしっこをしなくなっちゃった。トイレにいる時間だけが長くなっちゃったの。
Mさん:最近のおまるって、音楽が流れたりすごいんですよね。
Iさん:音楽流れるし、光も出るし!
Sさん:子どもをトイレに誘うためにいろいろついているのかな。
Aさん:そういえば、上の子が小さい頃は、トイレが怖いって言って、よく漏らしていたわ。
Mさん:うちも、「トイレ怖いもん、でっかい穴があいてるし」って。お母さんがしている様子を見せるといいと聞いたから見せたり、足が浮かないように台も買ったし、おまるも買ったけど、結局そこじゃなかったのね。

 

こどもが悪いわけじゃないのよね

Aさん:お兄ちゃんが小学生になってもよく漏らしてて、あまりにもひどかったから病院に連れて行ったの。
Mさん:体の加減でそうなっているんだったら、なんとかしてあげたいもんね。
Aさん:その時は、腎臓にはなんの異常もないから、まあ、時期を待って、って言われたの。結局治まったんだけど。
Mさん:そういうとき、本当に待つしかないね。
Aさん:本に書いてあったんだけど、赤ちゃんは、させればトイレでもおまるでもできるのに、おむつをつけっぱなしにしていて、おむつの中でしなさいと親が教えているんだって。それを今度はトイレでしなさい、と習慣付けさせられるから可哀想だって。あぁ、そうかと思ったよ。
Mさん なるほど、この子にも早速やってみようかな。腰も座ってるから、もうおまるも使えるもんね。やる気に火がつきました。

※おむつなし育児 おむつの中でおしっこやうんちをすることを当たり前にしない育児法。 EC (Elimination Communication = 排泄コミュニケーション)とも言われ、今注目を集めています。日本でも昔から行なわれてきましたが、その智恵が伝承されることなく、途切れてしまっています。なるべくおむつの外でさせるようにすることで、赤ちゃんに気持ちよい排泄を導きます。いわゆるトイレトレーニングではありませんが、おむつが外れやすい傾向はあるようです。

 

03

 

 

 


暮らし上手 -医・食 ぐずる子、さわぐ子は食事で変わる!「腸を整えよう」

01

 

化学物質から身を守る「腸脳力」

 

情緒不安定な子どもたちは、加工食品から体内に取りこまれる食品添加物や農薬など、化学合成物資の被害者とも言えるでしょう。そうした、人体にとっては毒性をもった成分によって脳の生理現象が起こり、問題行動につながっていくからです。そんな毒から身を守ってくれているのも、じつは腸なのです。腸の中に食物が次々に運ばれてくると、腸はその栄養分や化学成分をいち早く分析し、すい臓、肝臓、胆のうに命令して、適切な反応をひき起こさせます。
たとえば、タンパク質や脂肪が体に入ってくれば、すい臓に命令してそれを分解してくれる酵素を腸に分泌させます。また、胆のうに指示して胆汁を腸に流し込みます。
また、食物と一緒に有害物質が侵入すれば、腸はこれをいち早く察知して大量の液体を分泌し、強制的に下痢を起こすことで、毒物を体外に排泄してくれます。じつは、下痢は生体の大切な防御反応として、とても重要な働きをしているのです。もし、この働きがなければ、私たち人間はたちまち毒素で中毒を起こして死んでしまうでしょう。
このように、腸は体に必要な物は取り入れ、有害な物は排泄するという善悪を判断する脳のような働きをする驚くべき「腸脳力」を備えているのです。
化学物質から子どもを守るためにも、腸の働きを健全化させておくことが、何よりも大事なのです

 

腸内環境が変われば意識が変わる

 

腸が「考える臓器」であるなら、腸内に入ってくる食べ物の質や量によって、考え方=意識が変わるということになります。
戦後、日本の食生活はカロリーという熱量の大小が中心の考えに重きが置かれ、「たくさん食べる人は健康だ」というような常識がまかり通るようになりました。
近年では肥満や生活習慣病の増加を受けて、量より質のほうが大事だと思う人が多くなりましたが、厚生労働省が「一日30品目を」とすすめてきたようにいろいろな食品をまんべんなく食べても調子が良くない人が大勢いますね。
それは「食物の質」の吟味に誤りがあったからにほかなりません。食物に含まれるビタミンやミネラル、食物繊維や酵素、抗酸化物質といった、ごく微量な栄養素こそが大切であり、それがないとうまく食べ物が燃焼しない不完全燃焼とでもいうべき状態をつくり出してしまいます。
少しの食べ物で元気に活動するためには、「食べものに備わる生命力」という質の吟味が大切になります。食材を選ぶのはお母さんの役割ですから、子どもたちの健康はお母さんの選択支にかかっているといってもよいでしょう。

 

人間はお腹にぬか床を抱えて生きている

おなかの内部には約300種類、100兆個の腸内細菌がいて、なんとその重さは1,5キロにもなるそうです。私たちは、おなかに微生物がたっぷりと含まれているぬか床を抱えて生きているといってもよいでしょう。
ぬか床の管理が悪くなると腐敗してしまい、悪いムシがわき悪臭が立ちこめて不愉快な状況がつくられてしまいますね。それと同じように、腸内が腐敗してくると、人間の意識や気分にも不機嫌な状態がつくられます。その結果、怒りっぽくなったり、過度に不安になったり、落ち込んだりといった精神の不安定な状態に陥りやすくなります。
ぬか漬けといったらきゅうりやなす、かぶやにんじんなどが定番で、肉やたまご、魚や乳製品などの動物性食品をぬか床につけることはありませんね。これはぬか床に入れると腐りやすく、管理が難しい食べ物だからです。
動物性食品の摂取量が多くなるほどに、おなかの腸内細菌の集団にも異常が起きて「悪玉菌」といわれる腐敗菌が増えて、腐敗毒素であるインドールやスカトール、フェノール、硫化水素、アンモニア、アミンなどの硫黄酸化物や窒素酸化物といった有毒成分が腸内で大量発生するのです。こうした「おなかのぬか床の腐敗」を防ぐためには、動物性食品を減らして、野菜や穀物を主体とした食事に変えることです。

 

大切な日々のぬか床管理

 

02おなかのぬか床をじょうずに発酵させるためには、塩の種類が重要なポイントになります。
微量ミネラルを除去した精製塩が市場に出回った当初、漬け物の味が悪くなったため、クレームが殺到したことがありました。そこで、当時の日本専売公社(民営化で現在は日本たばこ産業)は、にがりを含んだ粗塩を漬けもの用の塩としてあらたに売り出したのです。
乳酸菌には天然塩に含まれる微量ミネラルが必要のようで、質のいいぬか床づくりに海水を煮詰
めたり、天日乾燥してつくられて自然な塩を吟味して使うことが大切です。そしてそれは、ぬか床は毎日かき混ぜないと腐敗してしまうので、それが手間だからといって断念する人が多いですね。同様に、人間のおなかのぬか床も、たえず撹拌してあげないと腐ってしまうのです。
でも、人間のおなかの内臓までには手が届きませんね。では、いったいどうしたらよいのでしょう。それにはまず笑うこと。笑いによって横隔膜が振動することで、おなかのぬか床がゆらぎ、ほどよい撹拌 が行われるからです。
実際、「腹を抱えて笑う」ことで免疫力が上がることがわかっていますが、それはおなかのぬか床の発酵状態がよくなるため、といってもよいかもしれません。
ぬか床を冷蔵庫で長期保管しておくと、発酵が止まってしまいますが、それは低温では乳酸菌などの微生物の働きが悪くなるためです。ということは、おなかが冷えている子どもたちは、腸内細菌の働きが悪くなって、食べたものが不消化になり、下痢や軟便、腹痛、アレルギーなどの疾患や、食べても太れないといった体質になりやすいのです。

 

食物の皮が元気なぬか床をつくる

ぬか床には、ときどき米ぬかをあげないと発酵状態が悪くなってしまいます。同様に、おなかにもぬかつきの玄米を入れてあげる必要があります。麦ごはんや雑穀ごはんでもかなりおなかは元気になりますが、やはり、玄米ごはんに含まれるぬかの量はダントツに多いのです。
玄米だけでなく、果物や野菜の皮には亜鉛やカルシウム、マグネシウム、鉄分などの微量ミネラルや、食物繊維、酵素、ポリフェノールといった微生物の栄養となる成分がたくさん含まれていますから、皮ごと食べたいですね。

 

よくかめば、100年もつぬか床に

 

さらにおなかの発酵状態をよくするのが、だ液です。だ液に含まれているアミラーゼが、発酵促進剤として働きます。だから、だ液をたっぷり出したいのですが、ひと口30回以上かめば、だ液の分泌が盛んになり、おなかの腸内細菌の状態がよくなります。
それから、ぬか漬け上手のおばあちゃんから熟成したぬか床をもらってきて、家のぬか床に混ぜると、弱ったぬか床でも発酵状態がよくなります。これと同じように、人間の腸にも伝統製法でつくられたみそや醤油、漬け物や、塩こうじ、玄米甘酒、米あめといった発酵食品を入れてあげれば腸内環境が改善していくのです。
玄米と伝統製法の味噌汁、漬け物をよくかんで食べ、笑って過ごすことで、100年以上もつ丈夫なぬか床を腸内に作り上げましょう。

「ぐずる子、さわぐ子は食事で変わる!」より 岡部賢二・著廣済堂出版 1,200円+税


I’m Challenger 「落語家・正光寺しなのさん」

01

 言葉が持つ力

颯一郎は小さい頃から絵本がすごく好きな子でした。私が保育士をしていた関係で、家に絵本がたくさんあったという事もあるかもしれません。自閉症という障がいがあることで、大変なこと、辛いことも多かったんですけど、絵本が好きで助かったこともありました。例えば散歩に出かけて、泣いてそこから離れないとき、やりとりがオウム返しの絵本『わにさんどきっはいしゃさんどきっ』の台詞の「怒っていてもはじまらない」と、私が言うとぶすっとしながらも、「怒っていてもはじまらない」と言い、「もう少しがんばれ」と言うと「もう少しがんばれ」と言って起き上がって、散歩を続けたということがありました。
小学生の頃、日本語で遊ぼうというのがブームになった時に、彼はやっぱりとても言葉が好きなんですね。一番最後に名言集というのがあって、今日の名文というのがあるんです。そこがすごく好きで、それを本に作ったらそれをずっと諳んじるくらいになって。外を歩いているときによく独り言を言うので、菜の花が咲いていたら「菜の花や」と私が言うと「月は東に日は西に」って言ってくれる。で、雲を見て「おーい雲よ」と言うと「どこまで行くんだ」って詩の続きを言ってくれたり。それで本当に穏やかな気持ちになれました。また、親子読書といって親が本を読んで子どもがそこに感想を書く、というのもやりました。続けるうちに颯一郎が読んで、私が書く事になったんです。だんだんと出来事が書かれるようになってきました。最近は彼が日記代わりに書いている、という感じですね。まだ続いているんです。
他にも、バラエティ番組の、いろんな物の単位を言うゲームを、学校からの帰り道に二人でやっていると、そこに下校途中の同級生が混ざってきたりしたこともありました。そんなふうに、言葉で遊ぶという下地はその頃からあったんですね。
颯一郎がゆっくりとした発達だったからこそ、私は毎日のやり取りの中で、絵本の素晴らしさ、言葉の素晴らしさとか、そういうことがはっきりと目に見えて、幸せに感じていたんだと思います。

落語との出会い

中学2年の春でした。お世話になっている方が、颯一郎の独り言を聞いていて、「颯ちゃん、桂枝雀の落語を聞かせてみたらどうかなぁ」って言ってくださいました。それですぐ聞かせてみたんだけど、その時はちっとも好きじゃな
かった。でもその後、テレビの「えほん寄席」という子ども向けの落語を紹介する番組で「んまわし」※という落語にすっごいはまったんです。それでその頃はまだ落語の絵本が出てませんでしたので、番組を録画したものを颯一朗が再生して、私がそのせりふを全部紙に書いて、それを憶えて話し始めたのが落語の始まりです。それから3年間で18席の落語を覚えました。今ではいろんな方の落語のDVDを一緒に見て、颯一郎が特に笑った言葉や仕草を私がメモしておくんです。それを見せながら「どれ入れる?」と聞いて、颯一郎が決めて、落語に盛り込みます。どれも入れられない時もあります。でも、押しつけはしないです。というか、やりたくなければ、絶対やらないですけどね。
その後、小学校の特別支援学級で1、2年を担任してくださった先生に、「うちの子最近落語にハマりだしてね」と話したら、「じゃあ今度うちのお寺でするお盆会でやってみる?」と言ってくださって、初めて落語のお披露目をさせてもらいました。中学2年の夏の事です。
その時の姿は半パン、Tシャツ。手には100円ショップで買った扇子と手ぬぐい。四席させてもらったのですが、コピー落語で、見たまま聞いたままやるので、話す言葉はもう弾丸のようでした。でも、初めて人前で落語をする颯一朗の姿を私は泣きながらビデオに撮っていました。「すごーい!」って。終わった後にその先生と抱き合った事を覚えています。
2回目は、その年の暮れ、同じお寺の除夜会での年越し落語でした。その時、私の父が昔着ていた着物を着て落語をしたんです。そしたらもう全然違う。着物を着せたらこんなに変わるんやって思って。その時から岐阜のリサイクル着物ショップに通って、今では何着もあるんですよ。颯一郎も2年前から働いていますから、今では自分で買うようになりました。嬉しいですね。

颯一郎の落語

中学3年のときの合唱祭でゲスト出演された方が「もう一度あの歌声が聞きたい」っと目に留めてくださったんです。もともと声楽を学びたいという思いはあったんだけど、なかなか障がいのある子どもを教えるという先生がおられなかったので、困っているんですと話したら、ではご紹介しましょうかって言ってくださったんです。そのご縁で篠田弘美先生と出会え、そこから歌のレッスンがはじまり、落語で呼ばれた時にお歌も一緒に歌わせてもらってもいいですか?と、3年程前からは落語とお歌とセットでさせてもらうようになりました。そのときは必ず声楽で教えていただいて、合格が出てから歌わせてもらっています。
そうやって、落語じゃないものがくっついてきたので、もっと颯一郎の面白い所を出してもいいかも、と、電車のアナウンスの真似が上手なので演目に入れてみました。そうしたらお客さんにすごく喜んでもらえたんです。う?ん、面白くなってきたなぁって思いましたね。颯一郎も自分がやる会の名前を「おもしろ会」と名付けました。
最近では、落語の中にそこの会場名を入れるとか、お客さんが笑うのを聞いてから話すということもできるようになりました。前はおかまいなしだったけど、今はお客さんが笑ったら自分も一緒に笑って、それから話し始めるんです。周りの反応を見てするというのは自閉症の人にとっては難しい事なんです。だけど、それができてる、すごいですよね。
最初はね、お客さんも厳しかったですよ。「早口で何言ってるのかわからん」って言われたりもしました。でも、「この前よりおもしろかったよ」「歌がよくなったよ」と言われるようになりました。颯一郎が一生懸命落語をしているので、応援してくださっているのかもしれません。ありがたいことに、3年くらい前にやったところから、まだやってみえますか?と声をかけてもらったりもします。毎年定期的に呼んでくださる所や単発での依頼、併せて年間20回ほどさせていただいています。おかげさまで年々回数が増えてきています。私はよく一番前に座って、誰よりも笑ってるんです。
颯一郎も親の関わりだけではこうはならなかったです。いろんな人が関わってくださって、颯一郎の人生がひろがっていったんですね。多くの人のエッセンスが入って、それで今があるんですね。本当にありがたいと思います。あらためて人の力の素晴らしさを実感しています。                                    (母 直子さん・談)

編集部 颯一郎さん、初めて正光寺で落語をしたときはどんな感じでした?
颯一郎 笑いがとまらなくなるとか。
編集部 颯一郎さん自身も面白かった?
颯一郎 はい。
編集部 どんどんやりたいですか?
颯一郎 はい。

※「んまわし」。「ん」のつくコトバを言って、その中の「ん」の数を競う「んまわし」というコトバあそびの落語。

02


食は文化・食は芸術「マクロビ美人になろう!」 

マクロビ美人になろう!
食べ物でこんなに変わる私たちの「からだ」「こころ」

「からだ美人」になる

食べ物は肌に表れる
私たちが自分の意思で摂り入れた食べ物が、消化、吸収されて重なる分解と合成の結果、皮膚、つまり肌ができあがります。皮膚のすぐ下には毛細血管が張り巡らされています。きれいな血液が流れていればクスミのない肌に、老廃物たっぷりのドロドロ血液だと紫外線に当たって化学反応を起こしソバカスができやすくなります。ヒトにはほ乳類(肉類・乳製品を含む)や鳥類・その卵類、甲殻類(シーフード)などのタンパク質や脂肪を消化・吸収・消費・排泄するシステムが完備されていません。何割かは身体のどこかで停滞してしまう…そして老廃物となってたまってしまいます。吸収され血中に入り込んだ栄養分は分解・合成と進行しながら体中をめぐりますが、脂肪として口に入りやすい動物性食品は、人体の温度より融解点が高いのでとけ込めずぷかぷか浮かんでいるイメージで全身をめぐります。同時に農薬や食品添加物などを一緒に食べているので、化学物質や摂取された過剰な糖分でもドロドロ血をつくって酸化血液を増やし続けています。各種多様な物質で私たちは体内の血液を汚しているわけですが、中でも美容健康上困るのは、これら酸化血液が酸化脂質や活性酸素を多量に含むと言うことです。酸化血によってつくられ、老化してしまった細胞が各組織を作り出し、それら器官・内臓が様々な症状を引き起こします。血液を汚さない食物を選び、老廃物を溜め込まない食べ方に努めたいものです。


01ほかにも、食べ物は・・・

  • 顔の造形に表れる
  • 体形・腕や脚の太さを決める
  • 爪や髪に表れる
  • 髪の生え方が変わる
  • からだの硬さにでる
  • 足・腰や身体を重くしている
  • 頭の冴え・目の輝きを決める
  • 風邪をひきやすくしている
  • キュートな口もと、セクシーな唇を作る
  • 目もと・目のまわりに表れる。

 

「こころ美人」になる

01食べ物は・・・
自分をうっとうしいと感じさせる
引きこもりを軽くする
小言・悪口を言わせる
イライラ・怒らせる
興奮やオーバーハイを静める
「心配性」「取り越し苦労」を起こす
「猜疑心(ねたみ・うたがう心)」を強くする
「涙もろさ」「悲しみ」「淋しさ」をつのらせている
「何でもスグとびつく」「すぐあきる」
「我慢できない」「スグきれる」心をつくる
「気が弱い」「恐がりや」を変える

食べ物は「自信」「確信」を育てる
甘い飲み物やお菓子、これらは気分をハイにします。足を地から浮かせてしまうことも。しかし、一人になったころには沈んだりボヤーッとして、時には「頭に来た。もうイライラする!!!」といった感情が走ることも。しばらくすると落ち着くのですが、極端に糖度が高いものを摂り続けると糖尿病や低血糖症を通り越して腎臓にダメージを与えてしまいます。こんな話があります。ある女性が「同じカロリーならご飯でなくても好きなケーキやフルーツを」という理屈で食べ続けていました。数年後腎臓がんが発見されました。同時に引っ込み思案になって、自分の能力を発揮できないでいました。病気を機に甘いものは全てやめ、玄米ご飯を300回噛んで食べると、そこには十分な甘みを感じることができました。よく噛んで植物性の副食を摂り続けることで快復に。ただ食事のルールを守っています。「いのちが愛おしいから」とわらって「自分はこれで行こう・もう大丈夫」と確たる自信を持ち、いつも同じ自分でいられるようになりました。

食べ方じょうず

01 マクロビオティックでは、何を食べるかといった「足し算」ではなく、何を控えたらいいかという「引き算」からスタートします。

(1) 極端に陽性エネルギーを多くもつ食品は、体調によってはしばらく控えます
動物性食品(肉類、卵類、乳製品、魚介類(白身魚の刺身や煮魚は時々はよい)およびその加工品。
(2) 極端に陰性エネルギーを多くもつ食品は控えましょう
油脂(バター、マーガリン、ラード、ショートニング、大豆油、コーン油、紅花油、ヤシ油、胚芽油、サラダ油)精製糖(白砂糖、あらめ糖、氷砂糖、ブドウ糖、乳糖、オリゴ糖、還元糖)油脂を多く含む加工食品(揚げ菓子、クッキー、ケーキ、パン類、インスタントラーメン、マカロニ、スパゲッティー、ドレッシング、マヨネーズ)
(3) 自律神経を乱しやすい食べ物
動物性食品(特に肉類、養殖魚類、牛乳)砂糖類の入った食べ物、食品添加物の入った食べ物、化学調味料、清涼飲料水、アルコール類。
(4) 体液(血液やリンパ液など)を汚し、循環不良を起こす食べ物は控えましょう
動物性食品(特に肉類、卵)、油脂類、砂糖類、精白された粉の食品の食べ過ぎ(パン類、パスタ類、麺類、菓子類)

01 極陽性食品といわれている食品に、肉類があります。これらの原材料は動物です。赤い血をもつ、つまりヘモグロビンをもつ以上は生存するためには塩分が必要であり、古塩(肉には必ず塩(Na)が成分として入っている。一度動物によって使われた塩分なので古塩と呼ぶ)として塩分を含んでいます。それは私たちの血液製造には何の役にも立たないと言われています。また、それらを食べると反動で極陰性の糖度がとびきり高い果物やジュース、甘いケーキやアイスクリーム、アルコール類を身体が要求してきます。両極端になると、気分が沈んだり不安や心配からビクビクすることもあります。そんなとき、頼りになる主食が玄米ご飯。春はハトムギや大麦(押し麦や丸麦)、重たい気分を軽くしたいときは、夏はコーンを、気を和らげたいときには、きびや粟を混ぜて炊きます。玄米ご飯は圧力をかけずに炊くことをおすすめします。土鍋で炊くとおいしいですよ!。水の分量は玄米の1.5倍が目安。中火で沸騰したらとろ火にして約15分〜20分。湯気からこんがりお焦げの匂いを感じたら火を止め20分蒸らします。

 

「火」の話し

食生活や住まいを中心とする熱の「火」を考えてみます。寒さが厳しくなるとヒトは身体が冷えてつらくなるので、何とかして暖をとるための工夫をしてきました。これは「食べて命を明日へつなぐ」という食という行為から始まったと言っても過言ではないでしょう。

現代に暮らす私たちが生活のために使う火力は、やはり自然界からの恵みであるもの、自然により近い「炎」から得られる火力が心身に最も馴染むのではないでしょうか。

マクロビオティックは食や住にこの「炎」という火力を人類にやさしい熱源として使います。たとえば玄米を水と自然塩ひとつまみとともに、土鍋に入れ、炎で炊いたご飯。それを身体の中に入れたとき、玄気パワーがジワッと広がり、次第に身体の一部に溶け馴染むのを感じます。天然の「火」の優しさと強さがそこにあるのです。

料理じょうずになろう

五感は変化を楽しんで、体内は外界とのバランスを摂り快適に暮らせるよう工夫された食生活がマクロビオティック料理です。春から夏へかけて食べ物は、より軽め、さっぱりしているものを好みます。「暑い」「熱い」は状況的に陽性といえます。身体は緩み陰性な飲み物・食べ物を求めます。従って、調理は気温の上昇につれ陰性度を高め、体内と対外のバランスを図ります。加熱時間を短く、味もあっさり目。残暑を過ぎたころ、緩んだ身体の体温は奪われ冷気やウイルスが忍び込みます。本格的な冬には今までとは反対を心がけます。気温が低く(陰性)なるのに比例して食事は陽性度を高めます。陽性度の高い根菜類を多く摂り、加熱時間も長く。味はやや濃いめ。このように自然と陰と陽のバランスを整えているんです。自然を感じることは「身体の声を聞く」ことにつながります。これからも、気候風土にあわせた果物や野菜など、地元で採れたものを摂るよう心がけましょう。『まくろ美美人』文芸社 著:カノン小林

01

COLUMN 血の話し

「風の谷のナウシカ」と血液は腸で造られるという「千島学説」が結びついた。そのわけは…

ある日、がん細胞って何なのかなあと、ぼーっと考えていたことがある。すると、宮崎駿アニメの中で私が一番好きな「風の谷のナウシカ」のイメージがふっと浮かんできた。あの“腐海の森”で、毒を出して人を寄せ付けないオウムを始めとする昆虫たちが、なぜか突然、がん細胞と重なって見えたのだ。

ナウシカは、キツネリスのテトが牙をむいて、自分の指にかみつき血を流しても「こわくないのよ、ほら、こわくない。ねっ」と言って、指を差し出し続ける。するとテトは、自分が噛んで傷つけたために流れているナウシカの指の血を、次第になめはじめる。ナウシカは知っていたのだ。攻撃してくるものは怯えているものであることを。怒っているものは、傷ついているものであることを。

人間が、毒を出す森である腐海を焼き尽くしてしまおうと攻撃を始めると、腐海の王である強大な蟲オウムが人間を殺そうと暴動を起こす。ナウシカは「怒らないで、こわがらなくていいの。私は敵じゃないわ」と言ってオウムを抱きしめる。

オウムは人間に攻撃されたため、足はちぎれ、からだから青い体液を流し続ける。目は怒りで赤く燃えている。死にかけているオウムに寄り添いナウシカは言う。「ごめん…ごめんね…。許してなんていえないよね。ひどすぎる…」すべてを破壊し尽すほど荒れ狂っていたオウムたちも、ナウシカのやさしい語りかけによって静まってゆく。ナウシカの愛だけが、オウムの怒りと凶暴性を失速させられるのだ。私はこの場面で毎回泣いてしまう。

ナウシカは知っていたのだ。腐海は、人間が汚した世界をきれいにするために生まれた森であることを。腐海の樹木は、汚れた土や水の毒をからだに取り入れて、地下で美しい水、空気、胞子、結晶を作っていたことを。腐海の蟲たちは、本当はみなその森を守る精であるということを…。

「風の谷のナウシカ」と「千島学説」が私の中で不思議に重なってしまった。千島学説(故・千島喜久男医学博士の学説)では、がんは、血液の汚れを警告しているものであり、がん細胞は汚れた血液の浄化装置だという考え方をしている。現代西洋医学のがんに対する考え方とは全く違う。

千島学説は、血液は骨髄ではなく小腸の絨毛で作られているという学説だから今の医学会では認められていない。この学説を認めてしまったら、現在の医学教育を根底から塗り替えなければいけなくなるからだという。

「偉大なる素人でありたい」と思った私は、医学的にどちらが正しいかというより、どういう考え方が私にとってより納得できるのか、前向きになれるのか、行動に移せそうなのかという物差しで選択していくしかないと思ったのだ。

そういう意味では、がん細胞=極悪非道の超悪玉、故に、どんな手段を使ってでも殺す、叩き潰すという、西洋医学の好戦的な考え方より、がん細胞は、血液の汚れを警告するため、血液を浄化するために生まれるのだから、まず、宿便をとって、腸の大掃除をして、腸内細菌叢のバランスを整え、血液をきれいにし、酸化したからだを中庸に戻し、がん細胞が生きにくい体内環境を作ろうという千島学説のメッセージの方が腑に落ちる感覚があった。

がんというものが“死の象徴”になっているのかもしれない。まるで、がんを叩きつぶせば死が消えてしまうかのように。死は決してなくならないのに。もちろん、死とは肉体という物資が消える現象に過ぎないのだが。

免疫力、生命力があることが何よりの鍵。私たちのからだには、毎日数千、数万個のがん細胞が生まれているのだという。なぜそれが、がんとして発病しないかというと、免疫力、生命力があれば、からだ自身が、がん細胞を退治し癒してくれるので発病には至らないのだという。
「スピリチュアルライフを始めよう」より抜粋

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©1984 二馬力・徳間書店・博報堂

 


ぐー・ちょき・ぱー/ボーダレス社会を目指して(28) 伊藤佐代子

ボーダレス社会をめざして(28) 伊藤 佐代子さん

個展

「あっちゃん、これ何て書いてあるの?これ何?」
「これは○○です。」
10月の末に息子が個展を開きました。その会場でのひとコマです。淳司を小さい頃から見てくれていた私の友人と淳司とのやり取りです。この会話を聞きながら、あ~これっていいな、自然体だー。聞いていてとても気持ちよく、その空気を楽しみました。5年ぶりにそれも一度引退宣言をしたのに個展が開催でき、いろいろな人が淳司に会いに、淳司の絵を見に来て下さいました。展覧会をすると最初に書いたようなことに思いがけず気づかされたりもします。淳司の今までがすべて蘇ってくる9日間でした。

個展を開くということはそんなに経験できることではありません。「個展を開けばいい」と私に言って下さった人も来て下さいました。淳司の絵を最初に世に出して下さった人です。14年前の話です。いつもカラーコピーをしているお店に行くと機械が故障をしていました。仕方なく遠かったのですが岐阜のパルコの文具店に淳司の暑中見舞いのはがきをカラーコピーするために行きました。ちょうどお客さんがなく店長さんと絵を描いた淳司の話をしていると「おもしろい絵だね。良かったら売ってあげるから作品を持ってきて下さい」と。夢のような出会いでした。その後すぐカレンダーをそのお店で売ってもらうことになったのですが、その人は私に「個展」という言葉を投げかけて下さいました。そんなこと出来る筈がない、夢のまた夢と思っていました。しかし、現実にそれが実現できている今は何なのでしょう?大きい賞を貰ったわけでもないのにたくさんの人に来ていただける展覧会を開くことができる幸せを感じています。

この「ぐーちょきぱー」を読んで励まされていますと会場を離れる時に言って下さった人も新聞を見て来て下さいました。なんて多くの人を巻き込んで淳司は生活しているのでしょう。今回の展覧会も淳司にとっても私にとっても有意義なものでした。毎回思うのですが、一人で生きているのではない、多くの人に支えられて生きているのだと。そして今置かれている環境と今まで出会った人に感謝・感謝です。

プロフィール

伊藤 佐代子 (いとう さよこ)
伊藤淳司の母、岐阜障害者就業・生活支援センターの支援ワーカーをした後、NPO法人オープンハウスCANの理事長。地域で暮らす障がいのある方の生活支援や障がいのある方と書道を楽しんでいる。

リンク

NPO法人オープンハウスCAN


知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa/(1)自分らしい「骨壺」を作ろう!

自分らしい「骨壺」を作ろう!

水上勉には、もうひとつ“道楽”があった。それは骨壺を作ることである。とはいっても、人間が死ぬのは一度だけであるから、骨壺などひとつあればよさそうなものだが、彼は釉薬を工夫したり、土を変えてみたりして、いくつも作りつづけたそうだ。その来歴を振り返って、彼はこう綴る。

《九歳で京都の禅寺に入った私は、葬式や枕経をよみによくいったので、人の死には子供の時分から馴染んだと思う。京都の火葬場は、当時、北山にあって、のち等持院に入寺し、金閣寺の前を通って、大徳寺の般若林に通学したのでその火葬場へもよくゆき、骨壺も見た。日本の骨壺は、味けないものが多かった。(略)白い手袋をはめた人が、おもむろにとりだす壺は、量産品の顔をしていて、つまらぬものだった。(略)味けない骨壺は、のちに寺を出て大人になってから、友人知己の葬祭にゆくたびに、思いをあらためさせられた。なぜに、苦労多い人生を果てたのに、オリジナルな壺に入って楽しまないのだろうか。》(「骨壺の話」)

画廊の追悼展の一角に、大小ふたつの骨壺が置かれていた。それは作者の骨を収めるためには選ばれず、いわば骨壺たる役目から免除された骨壺であった。ぼくは実際に骨壺をつぶさに見た覚えがなかったので、水上が“味けない”と評した一般的な骨壺がどのようなものか知らないのだが、そこに陳列されていた骨壺はつやっぽい光沢を放ち、墓の下に埋もれさせるには確かに美しすぎるようだった。

だが彼は、こんな骨壺だったら中に入ってやってもいい、などと思いながら作ったのかもしれない。心筋梗塞から奇跡的に快復したとき、担当医師は「一万人にひとりの生還」と評したという。しかし水上の心臓は3分の2が壊死してしまい、その後もリューマチや悪性腫瘍、網膜剥離などに悩まされつづけた晩年だった。彼は着実に近づいてくる“死”と向き合い、腹を割って語り合ったことだろう。妙な言い方だが、“死”と酒を酌み交わしたこともあったかもしれない。“死”を遠ざけるのではなく、引き寄せるのでもなく、ほどよい距離を保って、うまく付き合おうとしていたのだろう。それは楽しくもあり、哀しくもある。骨壺を作って“死”に備えることが、すなわち生きることであるというのは、笑いながら涙をこぼすことと似ている。

彼の“死”との付き合い方は、徹底していた。例えばこんなふうにだ。

《月の半分以上は、信州の北御牧村で仕事をしているので、山の家の寝室も棺桶ふうにつくってある。ま四角の一メートル八〇、一間計算で三坪の部屋だが、なるべく、棺桶のイメージに似せて、板で囲い、むろん板床の上にベッドを置いている。ほかには、本棚の本と机がわきにあるだけ、あとは何もない。時に段ボール箱に入れたシャツだの、下着だのが入っているが、そんな殺風景な部屋をベッドに入る直前に一べつして、私は死ぬまねをする。「さようなら」とまっ暗闇の中で、声をだして誰にともなくいうのである。信州の場合は東京の妻と、障害を背負うている娘に長生きしてほしいというのである。よそにいるもう一人の娘にもいうのだ。そうして、私は、友人の誰彼と名はあげぬまでも、時々、日頃世話になっている人の顔を思いうかべながら、「さようなら」といい、仰向けになり、胸もとで手を合わせ組むのである。「さようなら、みなさん」》(「死ぬこと」)

往年の名女優サラ・ベルナールも、棺桶に薔薇の花を飾り立て、そこに入って寝ていたという。なぜそんなことをしていたのか、ぼくは詳しく知らないが、水上勉の心理はそれとは別のものだったろう。彼はこうつづける。

《死んだはずの夜があけた朝は気分がよい。ゆうべ死んだのだから、儲けたような気がするのである。これがいい。その日一日が儲け。おまけである。私はこの一日に雨がふればそれもうれしい。お天気なら尚更うれしい。どっちにしろ、二十四時間のおまけにもらったその一日を自由に送るのだ。自由に、誰に気がねもいらぬ一日を、好きなように生きるのである。このような朝がむかえられるのも、死んだればこそのことだと思う。》(同)

2004年9月8日の朝は、水上勉にとって最後の夜明けだった。多くの文学作品のほかに、手漉きの竹紙に描いた絵と、手作りの骨壺と、それにたくさんの人々への思いを遺して、彼は逝った。85歳だった。後日「お別れの会」が開かれ、祭壇は45本もの竹に囲まれたという。彼は今、みずから作った骨壺の中で眠っている。水上勉が残したもの てつりう美術随想録より

えっ?「骨つぼ」を自分で作る!?はい、そのとおり!

アクティバでは、農的生活の提案や生前準備ノート・『ゼロの昇天』の書き込みのワークショップ、自分の葬儀をデザインするなど様々な取り組みをしています。今回は、自分の生き様を反映させた、オリジナル骨つぼを作りました。

講師の柴田氏により、予め成形された各種の骨つぼにオリジナルな模様、切り口(フタ)、を工夫する参加者達。粘土の固まりからつくる人も。それぞれに個性がひかって、焼き上がりが楽しみ。

骨つぼ。それは終の棲家、と考えると、居心地のいい「つぼ」を作りたくなりませんか?というわけで、実際に作ってみることに。それがなかなか難しい。とりあえずペットのを作ってみようという人や、いやいやこだわりの自分のつぼを!と熱いひとときとなりました。

01 01

01 01

骨つぼ・あ・ら・かると

01 沖縄の骨つぼは「厨子がめ(ジーシーガーミまたはズシガメ)中国風のコンパクトな家の形。昔は風葬や土葬の後にきれいに洗骨し収めていた。写真のズシガメは豪華ですが、位の低い人ほど飾りもなく質素でした。

 

 

 

01 ヘレニズム時代の間(前4世紀より)エトルリアの都市の工房は、死者の遺灰の収納を目的とした、多彩な雪花石膏製の骨壷の大量生産していた。これら骨壷は定番で、容器は通常、神話または埋葬に関する場面で装飾され、高浮彫にて加工される。対して死者は蓋の上に宴会に参加する姿勢で、蓋の上に下半身を寝かせた様子で表されている。

 

 

01 中国では、骨壺は生きているうちに用意すると長寿のお守りとして知られている。故人の写真を入れるために、どの骨壺にも真ん中に丸や四角の窪みがあります。

 

 

01 フランスでは、骨壺を持ち帰ってリビングなどに置いておく遺族が多く、一見骨壺と分からない美しいものが好まれる。木製、銅製、陶器、メッキ仕上げなど、色・素材共にさまざまな骨壺のバリエーションがある点は日本との大きな違い。

 

 

01 スポーツにちなんだボール型骨つぼも登場!
リビングに家族に囲まれて、あのころの熱い思い出をいつも一緒に。ボール型の各種骨つぼもあり。粋な計らいか、その人らしい器で。

 


知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa/(2)生前準備講座 第7回(11月30日)

知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa

生前準備講座 第7回(11月30日)

モギソウギの体験者レポートを交えながら、自分がイメージする葬儀の形やスタイルを模索しました。2年前にNPO法人「人生これから」が提案型のモギソウギを執り行った時の映像(写真参考)を参考に自分の葬儀をイメージしました。「生前葬をやりたい!」「密葬と家族葬の違いは?」「直葬ってなに?」「無宗教で葬儀!」「宗教にこだわらなくてもいいんだ」「会員制もありなんだね」参加者の興味は尽きません。一級葬祭ディレクターの市川さんが、現実の問題をどうクリアするか、自分はどうしたいかを明確に示しておくことが重要と締めくくりました。

01 惜別の炎 自分の思いと家族の思いのズレを抱えながらも自分らしくを貫きたいと話す柴田さん

 

 

 

 

 

01本人の意向を形にした仏式スタイルでもここまでできる

 

 

 

 

 

01 風の葬送(密葬後、友人達が企画)

 

 

 

 

 

01Gシバ翁・惜別の炎(密葬後、お別れの会として)

 

 

 

 

 

 

 

2009年4月24日
関市武芸川にあるアートギャラリー・是にて、3パターンのモギソウギを行った時の様子を見ていただき、自分の葬儀をイメージし、ノートに書き込みをしました。いよいよ次回は、自分葬をデザインします。


まいまいの看護師見習い奮戦記~From Newyork~/NY貧乏Nurseものがたり-7

NY貧乏Nuseものがたり part -7
まいまいの看護師見習い奮戦記 ~From Newyork~

坂村真民の詩集を読んでいておもわず涙した一言

01 「わたしにとって詩とは生きることであった。生きがたい世を生き抜くための杖であり支えであった。」
なんでかわかんないけどこれを読んだときに、心がざわざわ?って波だって涙がじーんってあふれてきた。自分にとっては 看護 がそれなんだって今は思う。だからこそもうひとふんばりしなきゃね。

最近毎週土曜日に病院でホスピス患者さんを訪ねてる。うちがボランティアしている訪問看護のホスピス部門で、自宅で様態が悪くなった患者さんや、やすらかな状態でいられなくなった人が一時的に病院で緩和ケアをうけてる時にたずねるんやけどね。

一人の患者さんが本当に安らかで、人生で失ったものに対しての執着がまったくないの。恋しく思うことはあっても What can you do? Take it easy なのね。この人はすべてを受け入れているからこそ、こんなに安らかな笑顔ができるんやろうか。きっとこの患者さんは最期も安らかに迎えるやろうって思った。

ホスピスの患者さんは末期で意識がもどらない人も多い。そんなときは手を握ってさすったりするだけやけど、なんかね、もうちょっとだけ何かできたらなって思う。そばにいて気持ちや体温をおくることができたらな、それとも本を読もうか歌をうたおうか、詩を読もうか、何ができるやろう。

患者さんにとってのうちはアカの他人、彼らの人生の0.1%にもみたない時間を過ごすわけやけど、うちはいつもその出会いに感謝する。あなたの人生の一部にいられたことにありがとう。ここにいさせてくれてありがとう。ってただそれだけやけど、もちろん私なんかいらない人もいる。でもできるだけ、行けるときにいきたいと思う。

10月30日はハロウィン

今日と明日のバイトは仮装して接客するんやお。それでうちは制作費$1ドルの岐阜の田舎にいそうなおばあちゃんの仮装した。もんぺと長靴と腕にはめる布とてぬぐいのほっかむり。これで十分田んぼにでれる。

ひさしぶりに普段のボランティアとかね、ホスピスのことからぽーんと離れて仮装のことばっかり考えてたら、すっごいいい息抜きになった。ワクワクするしね!通りにでたらどこもかしこもお店がちびっ子たちでいっぱいでにぎやかやったよ~。

最初は本当に正真正銘の田舎のおばあちゃんでね。お客さんに、何回も厨房の皿洗いの人かと思われた。あまりにも似合いすぎてるってバイトのみんなにいわれて土鍋もったり、テーブル拭くたび笑われたし。でもこれはたぶん日本人ならではの感覚やね。

それでね!頃合いを見計らって、おばあちゃん衣装を脱いだんだよ。実は脱いだらすごいんです・・みたいなね。休憩のときに下に着てた、いざというときのための、なんだかようわからん格好になったわけやけど、かわいい魔女っこみたいなね。みんなにみせてあげたかったな~。たぶん後にも先にもこんな格好絶対しない!

人生始めてくらいのミニミニでね。しかもヒールはいてね下に短いスパッツはいとったけど、まじめに恥ずかしかったさ~!でも一年に一回いやしね もう30近いしね。しかもハロウィーンやしね。恥ずかしがったら損やおっていわれて・・・。

腹くくって筋肉質の足みせて接客した(笑)ヒールで闊歩したことなんて一度もないからすぐ足痛くなって、最期は下にもんぺと長靴はきなおした。やっぱり足にも地球にもやさしいものが一番って心から思ったわけやけど。でも楽しむときに全力で楽しめる大人になりたいなって思った。何でも楽しめるっていうのは大切やね。本当にいつまでも遊び心は忘れたくないなって思った。

プロフィール

まいまい
ニューヨークの片隅在住。2010年6月に看護師国家試験取得。不況のあおりで就職難民・・・そんな日々の中で遂に2011年10月に就職!感じたこと、気づいたことをお届けさせていただきます。


ぎむきょーるーむ/好き?きらい?漢字学習!

好き?きらい?漢字学習

得意にさせた?むわが家の秘策

01親子で交換日記
わが家の場合、親子で交換日記をつけていました。そのときのルールが「知っている漢字を使おう」でした。だからといって、とくに添削などはせず(あまりひらがなばかりだと、チェックを入れましたが)、むしろ、私がなるべく漢字を使って、読み方を聞いてきたら教えていました。「漢字」という独立した勉強のほかに、実際に使うものであるという認識ができれば、必要性を感じるようです。(娘12歳・息子7歳)

結びつける
知っているなにかに結びつけられるとスラスラとのみこめるようです。“貝”は「海で拾ったよね」とか、“地”“池”は、それぞれの「へん」によって読みが似ていてもちがうね、とか。(息子7歳・3歳・娘 5歳)
01「本に夢中」が漢字好きに
私、漢字が大好きなんです。でも、勉強した覚えがない。それはなぜかといいますと…。やっぱり本が大好きで、一年間に借りた本が学校内でいちばん多いと表彰してもらったくらいなんです。いまも月に10冊以上読みます。自分の経験から実証されているので、娘たちにはなんでもいいから本を読んでおけば楽(?)なのよと。本に夢中になることが漢字を好きになるいちばん簡単な方法だと私は思います。(娘9歳・8歳)

 

受け継がれて3300年!!「漢字」は物語だ!

子どもを漢字ぎらいにさせない近道
01 文字は、人々がその時代の社会や生活の切実な求めに応じて、年月を費やし、心を尽くし、工夫を凝らして、つくりあげたものです。ましてや、「漢字」は、そののち3300年の長きにわたって受け継がれ、いまなお私たちの生活のうちに脈々と生きつづけてきたものです。漢字ほど時間を超えて、生命力を持ち続けた文字はほかにはありません。

古代の人たちが「漢字」として表現した世界。それは、けっして具体的な人や物の形を表したものだけではありません。自然と向きあったときの畏れや、人々の心の中に生まれた思いを表したもので、ひとつの「物語」として紡がれ、育まれてきたものです。ですから、そうした漢字をそれぞれ切り離して、その一字一字を孤立して扱うことはできないと考えます。そうすることで、漢字がそのはじめから形成された、規律あるつながりと、まとまりのある世界をずたずたに切り裂いてしまうからです。

ぼくが高校生に漢字を教える際には、漢字をひとつの世界として物語ることから始めます。ですから、こういう漢字があるから、とにかく覚えなさいという教え方とは、まったく異なった授業になります。 これまで彼らが学んできた漢字に対する既成概念を大きく崩していく。そのことに、彼らは大きな興味を示します。文化としての「漢字」に触れることへの、知的好奇心を刺激されるからでしょう。漢字をただ「暗記すべきもの」ととらえず、漢字に秘められた「物語」を読みこむ作業を子どもたちとおこなうことこそが、子どもを漢字ぎらいにさせない近道なのではないでしょうか。

現在、子どもたちに漢字を教えるときにパズル化したり、クイズ化したりする動きがあります。漢字の学習を通して脳を活性化させるとか、つまらない話しに結びつけたりもする。それは、漢字の一字一字をパターン化してとらえ、伝達のための手段としてしか考えていないからだと思います。しかし、漢字を学ぶことの本当の面白さは、そんなところにはないと断言できます。漢字を学ぶことで、子どもたちが歴史を超えて、はるか古代の人たちの精神に触れる。漢字について学ぶことで、そんな衝撃的ともいえる体験を子どもたちにしてもらえれば、と思うのです。

プロフィール

山本史也 大阪の公立高校の国語科教諭であると同時に、世紀の碩学、白川静の最後の薫陶を受け、文字文化研究所の漢字普及特別講師として活動、白川文字学を広く知らしめることにつとめている。著書多数。

漢字テストはなにをテストしているのか

01 漢字テストは、もちろん漢字を「正しく」書けるかどうかを検証しているのだが、じつは、学校教育においては、それだけではない。  漢字のテストは、自宅でちゃんと勉強する習慣があるかどうかをチェックすることができる。家でまったく準備してこなかったら、まずできないからだ。

さらに、子どもが勤勉かどうかも見ることができる。漢字を覚える練習は、まちがいなく「めんどう」で「つらい」。「根気」がよくないとできないからだ。こう考えてくると、漢字にまつわる学習は、儒教的・精神的教育の要素ももっているといえる。「黙々と書いて覚えるという行為」は、子どもたちにとって「修行・苦行」なのかもしれない。

担任していた子が「先生、私、漢字の練習が好きよ。なぜって、やればノートは埋まっていくし、なんとなく勉強したって感じになるじゃない。それに、テストもそこそこできるしさ…」とボクにいった。たしかに、そういうことってあるよな。べつにおもしろくはないんだけど、出来が目に見えることの喜びってあるよな。だが、ボクは、それをクラスの全員に期待はできないなとも思う。単純なようで、奥が深い漢字学習である。

(岡崎 勝 小学校教員・「お・は」編集人)

抜粋

にらめっこのバイブル:こども・きょういく・がっこうBOOK『おそい・はやい・たかい・ひくい』N0.34より抜粋

「漢字」をもっと知りたいあなたに

01「漢字遊びハンドブック」
著者/馬場雄二
仮説社 1,785円

「神さまがくれた漢字たち」
監修/白川静 著者/山本史也
理論社 1,260円

 

リンク

ジャパンマシニスト社

 

 


食は文化・食は芸術 緊急特集part-3 子どもを守れない国は滅びる 放射線による健康への影響 まず「知る」

放射線による健康への影響 まず「知る」

なんとなく、不安…放射線による健康への影響
まず「知る」ことから始めませんか?

知られざる内部被曝についてー25年たったチェルノブイリから福島を考えるー
講師:松井英介(岐阜環境医学研究所所長・医師)

生体系の中で生きる

今回の原発事故による放射線の放出を、みなさんはどのように受け止められたでしょうか。

私たちは空気なしでは生きていけません。また、私たちの身体は水でできていると言っても過言ではありません。私たちの祖先である小さな生き物は、海で生まれたといわれています。私たちの身体の7割、乳児の場合は8割が水に近い組成をもった水です。ナトリウムやカリウムなど塩分がバランスよく保たれた環境=内部環境の中で私たちの細胞は生きています。ホルモンの変動にあわせて微調整しながら、体温は一定に保たれています。心臓は私たちが生まれてからずっと一定のリズムを刻み続けています。

このような”いのち”の恒常性に支えられて、私たちは今ここにいます。そして、私たちは植物とは違って、ほかの生き物のいのちを自らの身体に取り込むことなしに、生きていくことができないのです。今回の事故は、あらためて私に、自分自身のいのちを、まわりのいのちとの関わりを考えさせてくれました。

大量の放射性物質を海に放出するとき、あるひとはこういいました。「海の水で薄まるから大丈夫!」。そのひとには、海に生き物がいっぱいいることを忘れていたのかもしれません。放射性物質をプランクトンが取り込み、それを小さな魚が食べ、その小さな魚を大きな魚が食べる。生態系の中でこのような食物連鎖を繰り返すうちに、放射性物質がだんだん濃くなることをご存知なかったのでしょう。

陸上でも同じです。乳牛は空気を吸っています。空気が汚染されれば、汚染物質を空気と共に肺に取り込みます。できるだけ自然な条件で育てようとされている畜産農家の乳牛は、アメリカ産の配合飼料ばかり食べているわけではありません。外に出て草を食べます。土も食べます。草や土が汚染されていれば、それも一緒に身体に取り込みます。

茨城の牛乳からセシウムが検出されたのはそのためでした。今回の事故の後、放射性物質は風の向きによっては数百キロ離れたところまで運ばれました。群馬県産の野菜からセシウム137が検出されたのは、風や雲と一緒に運ばれ、土の上に降り積もり、地下水に浸透していたセシウムの小さな粒を野菜が自らの体内に取り込んだ結果でした。

「放射線は距離の二乗に反比例して弱くなる」から、福島から200キロも離れた東京は大丈夫といったひとがいましたが、雨雲とともに運ばれてきた放射性物質は雨に混じって地上に降り注ぎ、その雨水を含んだ水道水は東京に暮らす人々の生活の中に入り込んできたのです。

放射性物質を含んだ水を飲んだ場合、一部は体内に残り、細胞の間にとどまった放射性物質の小さな粒子は、その周辺の細胞を照射します。放射性物質と細胞との距離が近いだけに、まわりの細胞に照射される放射線の強さは半端ではないのです。内部被曝の怖いところはここです。

胎児や小さな子どもは大人に比べ体重あたりでみると、甲状腺に取り込むヨウ素131の量もずっと多いのです。また、カリウムはナトリウムなどと共に、重要な塩分(電解質)ですが、カリウムと似た化学的性質をもったセシウム137は体内に取り込まれやすく、その影響は子どもにとってずっと深刻だと考えなければなりません。

放射線から身を守る

放射性物質を身体に取り込まないことにつきます。授乳中のお母さんには特別の配慮が必要です。体内で何回も繰り返し長時間にわたって、ごく近いところから放射線を浴びることを”内部被曝”といい、体外からごく短い時間放射線を浴びる胸部エックス線検査や胃透視検査などの外部被曝から区別しています。放射性物質は小さな粒ですが、そのまわりの細胞にとって、内部被曝の影響は、外部被曝と比べるとケタ違いに大きいのです。このことを大人も理解し、子どもにも教えないといけません。01

『見えない恐怖 放射線内部被曝』より
松井英介・著 旬報社 1,400円

今回の福島原発事故で自然界に放出された放射性物質の量は、人類史上例を見ないものであると考えられます。その意味でも世界中から注目されています。これから気の遠くなるほど長く続く放射線による健康影響をどうするのか、どのように生きていけばいいのか、子どもたちを交えて、私たち一人ひとりの生き方の問題として議論を深めていきたいものです。

 

国と自治体に次のような要求をしましょう。

1-国は、放射性物質に関する検査点と検査項目を時間的空間的にできるだけ細かく定め、全放射線核種に関する検査結果をreal timeで各自治体に通知すると共に、マスメディアおよびインターネット・メディアを通じて公開すること。

2-国は、数千キロメートル圏内をカバーするWSPEEDIの広域汚染状況予測値を誰でもわかりやすいアニメーションとして、1と同様、いつでもどこでもアクセスできるように、リアルタイムで公開すること。

3-水道水、野菜や肉、海藻や魚介類、牛乳などの飲食用農水産物の汚染状況に関しては、放射性核種と放射線量(基準値以下であってもその値を)明記すること。生産地も、できるだけ詳細に記載すること。

4-次のような内容の要求を、友だちや家族、職場の仲間と相談して、都道府県・区市町村議会を通じて、首長に要望してもらう形で、政府と東京電力にくり返し提出しましょう。

当面個人でできること

1-内部被ばくを常に意識し、子どもに発症してくるであろう晩発障がいを予防するための、子どもの安全最優先の日常行動計画を立てる。

2-妊産婦、乳児、14歳以下の子どもは、優先的に避難させるべく、学校・幼稚園・保育所や地域で知恵を集める。

3-野菜や肉、海藻や魚介類、牛乳などの飲食用農水産物は、汚染の極力少ないものを入手する。便利さと安価なものに頼っていた生活スタイルと価値観を転換させ、バランスよく食べ、運動し、身体の恒常性・免疫力を高める。

4-WSPEEDIの広域汚染状況予測値に目を光らせ、風下になることが予想されるときには、とくに降り始めの雨に濡れないようにする。

5-子どもの基準値を定めるように首相に手紙を書く。ICRPなどの基準値を鵜呑みにしない。

『見えない恐怖 放射線内部被曝』より

プロフィール

松井英介(まついえいすけ)
岐阜大学医学部付属病院勤務、放射線医学講座助教授。退任後、岐阜環境医学研究所を開設。日本呼吸器学会専門医。廃棄物、アスベスト問題などにも関わる。

そして、ぜひ心がけて欲しいこと。

自己防衛。やはりなんといっても「食」が大事。内部被ばくを防ぐ5つの食べ方を紹介します。

01「水で洗う」
まずは表面についた放射性物質を洗い流す。15分ほど水につけてから洗えば、表面の汚染がとれやすくなりさらに効果的。

 

01「酢漬け」
酢はセシウムやストロンチウムなどの金属イオンと結びついて抽出しやすい性質がある。クエン酸も同じような効果が。

 

01「ゆがく」
細切れにしてからゆがくと、さらに細菌膜が壊れやすくなり、取り込まれた汚染水分を効果的に搾り出すことができる。

 

01「塩もみ」
浸透圧により、放射性物質を含む水分を内側からしみ出させる。漬け物や和え物の下ごしらえとしてもおすすめ。

 

01「煮込む」
下ごしらえしてから素早く煮て、うまみを逃さないように。汁物料理の場合は味付けの汁は別に作って、あとで具を入れる。

 

基本は水洗いから。

まず、しっかり土を取り除き、皮を剥くこと。キャベツやほうれん草など複数の葉が重なり合っている野菜は、外側の葉を数枚捨てることで、大幅に放射性物質をカットできます。次に、水洗い。野菜の表面に傷がついている場合は、傷んだ部分を大きめに取り除く。問題は、食材の内側に入り込んだ放射性物質。セシウム、ストロンチウムは水に溶けやすいので洗ってからさらにゆがく、煮るという方法で細胞壁を軟らかくし、野菜内の水分を搾り出すのもおすすめ。塩を使って浸透圧でしみ出させる塩もみや塩漬けも効果的。また、この2物質が持つ金属イオンは酢と結びついて溶け出しやすいので、酢に浸すのもよい。その際、ゆで汁や煮汁、付け汁は飲まずに捨てます。


食は文化・食は芸術 緊急特集part-3 子どもを守れない国は滅びる 流れの中で立ち止まり、もっと議論をしよう!

食は文化!食は芸術!「続・福島原発事故を考える」

流れの中で立ち止まり、もっと議論をしよう!

1973年にオイルショックで化石燃料の枯渇が問題となり、原子力エネルギーに突っ走って、今や日本には54基もの原発が点在している。そして今、福島原発の事故を受け、再生可能な自然エネルギーにシフトしようとしている。それはかつて世界大戦に突き進んでいった時の日本の姿を思い起こす。「目的」(=脱原発)をはっきりさせ「合い言葉」(=再生可能な自然エネルギー)をもたせ、ある種の興奮状態(=アクション)を作り出していく…。いまこそ、その大きな流れの中で立ち止まって、自分で考え、行動する勇気を持ちたい。「<原発>をやめて、今市民にできること」をテーマに講演された、山田征さんのお話の中から、「わたしたちにできること」を探ってみました。(以下は山田さんのお話の一部を要約したものです)

全ての原発がなくなっても電力不足にならない。

それは原発には火力・水力、2つの発電設備がセットになっているから。電力不足にならないのなら、新しくエネルギーを作る設備は要らないのでは??「石油の代替が原発」が世の中の流れとなった1973年に酷似していて、とても気になります。自然エネルギーの設備が増えれば個人負担も増える仕組みです。大きな企業になれば億単位の負担となります。経産省では個人の家庭でも、自然エネルギーの設備が増えると数千円の負担となるだろうとコメントしています。

そのカラクリは…「原発」も「自然エネルギー」も国策であるということ。今国会で問題になっている「再生エネルギー促進付加金」を全電力使用契約者から徴収する、つまり全電気利用者に負担させるという決定がされました。

自然エネルギーの発電設備は高額なため、なかなか普及できなかった。そこで業者がやりやすいようにと成立させた法案です。多くの人は今回の原発の恐ろしさで、自然なら安全と単純に思ってしまいました。しかし、その「自然エネルギー」つまり太陽光や風力発電、その他の発電設備を増やすための費用を全て自分たちが負担させられるということをご存じでしょうか?とりあえず今年度は「太陽光」の分だけですから一般家庭で2円から数十円で収まるようですが、今回の「再生エネルギー促進付加金」が可決されると、一般家庭で150円から200円以上の負担となり、自動的に銀行口座から引き落とされるのです。これには納得できません。ですから私は徴収分を差し引いて使用した電気料金分のみ振り込みました。すると三鷹に住む私の所へ東京電力から集金に来ました。「支払いを拒み続けるとどうなりますか?」と逆にたずねましたら「電気を止めます。これは法律ですから」と。それでは徴収分は行政の方に払うべきでは?と食い下がりましたら黙ってしまいました。

自然エネルギーにはまだ問題点があります。

下の図(各種発電設備の特徴)を見てください。電気をつくるのに外部電源がいるとはおかしな話です。しかも風車の羽は強化プラスチック(石油の固まり)で30?50tもあります。自然の風では重くて回らないため、中に組み込まれたコンピューターが風を検知し外からの電気で羽を回します。また「ソーラーパネル」の材料はシリコンやアルミです。それをつくるために大量の電気を使います。

このように「電気をつくる道具」をつくるためにたくさんの資源と大量の電気を消費します。しかも元手をとらないうちに耐用年数が終わってしまいかねません。そして新たなゴミ問題が生まれます。さらに、日本は山間部の多い国ですから、適地が少ない国です。今現在2000基以上の風車がありますが、適度な海浜地区はほとんど建てつくされ、人家の近くや山々の稜線が狙われています。そのため山の尾根まで資材を運ぶ幅広道路の建設からはじまります。風車は金槌を逆さに建てるようなモノですから基底部分は40m四方、深さ10mの穴を掘り、2000t以上のコンクリートを流し込みます。そのための作業場が造られます。

私たちは「火」を使う生活から離れつつあります。やかんや鍋を直火に乗せればお湯が沸きご飯が炊けます。でも今の私たちの社会は、火で電気をつくり、その電気で電気をつくる道具をつくり、その電気を使ってお湯を沸かしご飯を炊いているのです。そのようなものを造れば造るだけ、石油も石炭もガスもその他の資源もどんどん消えてしまい、残るのは原発からでるゴミ同様、たくさんの粗大ゴミです。何かを造るときは、それがゴミになるときのことまで考える必要があります。

「石油」という資源は飛行機を飛ばし車を走らせ、ありとあらゆるものを作りだすことのできるとても大切なものです。少しでも長持ちさせるようにしなければと思います。これから先の時代を生きていく人たちのことを考えて、私たちは立ち止まる勇気を持ちたい、と思います。(山田 征)

各種発電設備の特徴

01

プロフィール

やまだ せい
4人の娘達の子育てと共に、農家と直接関わりながら共同購入グループ「かかしの会」を約20年、地元の学校給食に有機農産物他食材全般を約17年にわたり搬入。仲間と共に レストラン「みたか・たべもの村」をつくる。並行して、反原発運動、沖縄県石垣島白保の空港問題他、さまざまな活動を経て現在に至る。著書:「ただの主婦にできたこと」(現代書館)、「山田さんのひとりNGO」(現代書館)他


食は文化・食は芸術 緊急特集part-3 子どもを守れない国は滅びる もっと知りたい!原発のこと!放射能のこと、エネルギーのこと!

もっと知りたい!

原発のこと!放射能のこと、エネルギーのこと!地球温暖化のことも…

今各地で行われているアクション。ムードで参加するのではなく、自分で調べて確かめて、よく考えて、行動したいですね。いま私たちにできることは「本当のことを知る」ことでは?でも…何が本当で、何が不誠実なのか…情報は一つではないので、あらゆる角度から取り入れることが大切です。そこで各地で行われる勉強会やイベント情報を集めてみました。都合がピタッとあう時にぜひ参加してみて!

映画上映会「ミツバチの羽音と地球の回転」

2011年11月5日(土)
午前の部 9:30-11:45(開場 9:00)
可児市文化創造センター 映像シアター
午後の部 13:30-15:45(開場 13:00)
中部学院大学各務原キャンパス 大講義室
協力費 前売り 800円(当日1,000円) 小中高大生 500円

日々の報道から放射能の恐ろしさを知らされています。フクシマの人々の苦しみを思います。今回の災害は、エネルギーについて考える大きなキッカケとなりました。太陽光や風力などの発電を促進し「脱原発」の社会づくりを前進させるという「再生エネルギー特別措置法案」がこの夏成立しました。際限なくあって当たり前と思っていたエネルギーについて、どうあったらよいのか一緒に考えたい。どうか参加してください。

問い合わせ:058-384-3150 清水

放射能勉強会 第4回「安心して暮らしてゆくために」

2011年11月26日(土)10:00-12:00
美濃かも文化の森みどりのホール
講師:田中 優 参加費 1,000円
問い合わせ:090-9939-8591 中山

みんなともだちtunagariフェスティバル Vol.2

(→ホームページへ

「人と人とのつながり」「地球環境とのつながり」「親子のつながり」「いろいろな考え方とのつながり」「地域とのつながり」「過去や未来とのつながり」などを参加して下さった皆さんと一緒に考えたり、感じたりできるお祭りを開催しよう!ということになりました。

世界おかあちゃん同盟の日設立記念イベント
2011年11月26日(土)10:00?16:00 雨天中止
岐阜市金公園文化センター前広場
☆ステージ・WORKショップ・クラフトショップ・オーガニックフードなど

田中 優 講演会「みんなと考える子どもたちの未来」
2011年11月26日(土)16:30-19:00 岐阜市金神社会館3F広間
参加費 1,000円(別途託児料・託児保険)
問い合わせ tunagariフェスティバル実行委員会・世界おかあちゃん同盟 ぎふ 090-3589-1454(早矢仕)

震災後、福島第一原発の事故を受けて、私たちは何をどう考えていけばいいのか…。原発の問題だけでなく、放射性物質とのかかわりあい方、地産地消をはじめ、節電など一個人、家庭の中で今後子育てをしていく上で、何を気をつければいいのか…。様々な視点から参加される方と考えるキッカケを作りたいと企画しました。

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アンケート取り隊・募集

お手伝いいただける方は、下記いずれかのかえる同盟者までご連絡下さい!
058-266-5004(岡田・mbカフェ)
058-385-4572(千田・空歩21)
0574-54-1355(櫻井・わらべ村)
058-383-8666(三上・にらめっこ)

 


第6回 こども芸術村作品展 今年のテーマは「森のいろ」

第6回 こども芸術村作品展
2011年10月12日(水)~15日(土) 岐阜現代美術館

今年のテーマは「森のいろ」

01 飛騨高山の森の中で、木や葉っぱなどの自然物を収集して、大きな鍋でぐつぐつ煮出して染料を作り、長い布に「森のいろ」を染めました。

今年も岐阜現代美術館で作品展を開催。広い空間に、子どもたちが染めた布や、Tシャツ、絵画を展示しました。

いつも思うことですが、本当に子どもの発想はおもしろいです。しかも、迷わず大胆に色を塗ったり構図を書いたりして、スタッフはいつもその想像力に圧倒されてます。

「自然、こども、アート」というキーワードで活動が始まった「こども芸術村」。来年もはじけるような子どもたちの笑顔に出会えることを願っています。

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ぐー・ちょき・ぱー ボーダレス社会を目指して(27) 伊藤佐代子

きょうだいを思う

先日岐阜特別支援学校で「きょうだい」についてお話をする機会がありました。きょうだいの話をし始めると何故か涙腺が緩んで涙が出てきます。参加して下さった人も涙を拭きながらの話し合いになりました。

障がいのある子を育てると同時にきょうだいを育てるのに親は苦悩をしています。きょうだいに辛い思いをさせたくない、できるだけのことをしてやりたいという思いに駆られながらも十分なことができない…そんなふうに子どもを思っている親が多いのではないかと思います。このきょうだいの事を話す機会を頂いたことで自分自身の考えをまとめることができました。

障がいのある子のきょうだいを育てるのに大切な事は

  1. きょうだいの方を優先しなくてはいけない時がある
  2. SOSを出していたらしっかり受け止める
  3. 1対1で向き合う時間を持つ
  4. 愛情は50:50
  5. 約束は必ず守る
  6. 私たちは子育ての原点を知っているということを自覚する
  7. その子らしく生きることができるよう応援する
  8. 信頼関係を築くこと…とことん信用する…自分の子だから
  9. 障がいのある子をしっかり育てている姿を見せること
  10. その子を大好きであること

…だと今は考えています。
子育ての原点を知っているというのは、学歴など全く関係のない世界で障がいのある子どもたちは暮らしています。何が大切か?成績ではない。まず生きること、そこに存在するということです。彼らがそこにいるだけで価値がある。彼らを知ることで周りの人は多くを学びます。

障がいのある子のきょうだいも一般の方もそこにいるということがまず一番に大切なことなんだと思います。と言っても障がいのある子を育てるのは大変です。いるだけでいいんだなんてお気楽な事は言っているわけにはいきませんが、きょうだいにはせめて「自由に自分の思い通りに生きてよ!」という考えになるのです。

愛情を注いだつもりでも「お母さんはお兄ちゃんの方がかわいいんでしょ」と言っていた娘が不憫で、申し訳ない気持ちはずーと持ち続けていました。体は一つしかありません。障がいのないきょうだいを思い葛藤しながら育ててきました。

プロフィール

伊藤 佐代子 (いとう さよこ)
伊藤淳司の母、岐阜障害者就業・生活支援センターの支援ワーカーをした後、NPO法人オープンハウスCANの理事長。地域で暮らす障がいのある方の生活支援や障がいのある方と書道を楽しんでいる。

リンク

NPO法人オープンハウスCAN


知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa おとなのあそぶ 瓢ヶ岳軽登山

おとなのあそぶ 瓢ヶ岳軽登山

アクティバ「おとなのあそぶ」では今回は軽登山を楽しみました。

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瓢ヶ岳(1,163m)頂上から望む高賀山

 10月7日am7:00集合出発!登山初心者も含め総勢7人と1匹。肌寒いのもつかの間、歩き始めるとうっすら汗ばむ陽気に、おしゃべりもはずむ。

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01 かつて山は、大学の山岳部や一部の社会人の山岳会によってリードされ、ごく一般の人たちには近寄りがたかったといわれていました。しかし、スポーツアルピニズムも有限のフィールドが底をつき、一般的なルートでの活躍は山小屋の整備やプロガイドの誕生もあり、若者から中年に、そして中高年にその場を明け渡す感じとなった。だから!山は自然の心地よさを求める中高年の天下です!

ですが、最近は「山ガール」とかが流行りだし、静かに自然の中に身を置いている空間に「キャー、めっちゃきれいやん!」「すっげー、気持ちいい!写メしなきゃ写メッ」と身なりも言葉も現代風な若者が混ざる。しかし、それもにぎやかでよし、としよう!

 


知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa アクティバ たんぼプロジェクト

9月24日(土) 稲刈り

 アクティバたんぼプロジェクト2年目のお米の出来は如何に?

01 今年は田んぼの一角に「古代米」を植えました。粒は濃紫色で大きい。稲も長くて一目で違いがわかりました。

 今年は一畳刈りの機械参入。しかし、台風15号の影響で田んぼはまだ完全には乾いておらず半分以上はぬかるみ、活躍はほんのちょっと。あえなく手作業にバトンタッチ。それでも、ありがたかった。稲刈り最中にメンバーが「カヤネズミ」の巣(跡)発見。

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カヤネズミの巣跡。

01 カヤネズミは日本で一番小さなネズミです。体長は6cmほど。体重は5gほどしかありません。ススキなどイネ科の植物でまりのような丸い巣を作るのでマリネズミという呼び名もあります。直径10cmくらいの大きさで見た目は鳥の巣のよう。その巣の中で子供を産み育てます。雄も雌も巣を作り、休憩用と子育て用と使い分けます。冬は地下にトンネルを掘って過ごします。ほ乳類で草の上に巣を作るのはこのカヤネズミだけ。特徴は周辺の葉っぱを引っ張ってきて細く裂いて丸めているところ。いあやぁ〜ほんと可愛い巣です。

10月4日(火) 脱穀・唐箕・籾すり

今年も登場。足踏み脱穀機。リズムに合わせてグィ〜ン、グィ〜ン…と足踏みしながらの脱穀。稲の束が絡むととたんに足踏みが重くなり、一定のリズムで回転させるのはなかなか難しい!唐箕(わらのクズや籾殻と米の入った籾とを選別する)も経験がものをいいますね。昨年の体験・経験が私たちにもちゃんと実っています。(^о^)

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 01脱穀した時にこぼれた米や、稲穂をていねいに拾い上げます。モッタイナイ!ですから。
出来栄えはいかに?
そのお味は来年の収穫祭で!

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知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa 生前準備講座|第4回「終末期医療について」ホスピスの基本的な考え方 |第5回「こころに残る遺言状について」

生前準備講座 第4回「終末期医療について」ホスピスの基本的な考え方

2011年8月31日(水) 岐阜中央病院 松尾啓子 看護師長
01 死は自然なことと認めます。無理な延命や意図的に死を招くことをしません。苦しみの中に生きている人もいます。これも命、何か意味があるはずと受け止めています。うれしい!とか楽しい!などと常に意識して感じるとNK細胞が増え免疫力がアップして生きる力をつけていくという生きがい療法、民間療法などでガンが治ったという例もあります。ですが、人は生きてきたようにしか死ねないんですね。

病院(ホスピス)はこれ以上増やさないだろうと思います。本来はお家(在宅)で過ごすのが一番。そのサポートを出来るシステムを確立したいと思っています。訪問看護とか、往診とか。中央病院をセンターとして各家庭を回る…看護という分野を医療と分離させていく動きもあります。人として人を看る。治療は医療として診る。ということです。

Q:ホスピスではみなワイワイにぎやかに過ごしているが孤立している人はいないのか?
A:みながみなワイワイと過ごしている訳じゃない。一人を好む方もいらっしゃる。それはその方の生き方だから、無理強いはしません。ただ、メッセージを発せられることもありますので、その時は寄り添うようにしています。
Q: 今年父を亡くしました。どう看護したらよかったのか迷ったのですが…
A: 迷った時はとにかく行動を!電話一本でもいいから。

 和やかな雰囲気ながらもとても充実した講座(内容)となりました。

生前準備講座 第5回「こころに残る遺言状について」伝えておきたい事柄

2011年9月28日(水)司法書士 青木文子 氏
01 「遺言を残すメリットは、法定相続分と異なる分配をしておくことができる。法定相続人以外のもの(友人。知人、公益機関)に遺贈することができる。様々な財産を相続財産として指定できる。家族関係が複雑な場合、相続人間のトラブルを未然に防止できる。なによりも自分の気持ちを伝えておくことができる。」と講師の青木さんは遺言は毎年自分の誕生日に書くことを進める。感謝の気持ち、自分の棚卸しにつながる。

内容は毎年更新して、日付が一番新しいものが有効となる。一通りの遺言についての基礎知識を得たあとに展開した「ワールド・カフェ」で各テーブル4人が「遺言」についてフランクに話し合いをしました。今回は、座学とワークショップを取り入れたひと味違う講座となりました。

「ワールド・カフェ」スタイルを取り入れ、遺言についてグループセッション。その後、一番記憶に残ったフレーズを書き留め、全員が発表。「気持ちを伝える」「行動する」「手紙を書く」など意見が出ました。

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リンク

岐阜中央病院
青木文子司法書士事務所


まいまいの看護師見習い奮戦記~From Newyork~

NY貧乏Nuseものがたり part -6
まいまいの看護師見習い奮戦記 ~From Newyork~

あるコロンビア人のおじいちゃんの話

病室にいくと見覚えのある顔に出会えた。たしか過去に何度もホスピス病棟に入退院を繰り返してたあの人だ。おくさんは英語がほとんどしゃべれない スペイン語のみ・・・

彼は私にイスラム教のChaplainを呼んでほしいと頼んできた。(病院にスピリチュアルケアのサービスがあって、リクエストさえすれば自分の宗教・またはどの宗教でもお祈りできるようトレーニングされた人がきてくれます)

彼、どうみてもラテンの顔でスペイン語が母国語なのに、イスラム???この辺のラテンアメリカの人はほとんどがカソリックだからびっくりした。そしたら、おじいちゃんはゆっくり話してくれた。

自分はムスリムで38年前に改宗したんだ。自分は一日に5回お祈りもするし、アラビア語でコーランを読む。家族も妻もみんなカソリックだけど、私はムスリムです。でも自分は他の宗教もリスペクトしていて、妻もモスクについてきたり、自分も妻のチャーチのミサにいったりもする。お互いに尊敬しあいさえすれば、何の問題もない。それぞれの宗教はそれぞれに美しい。うちはふと、みんながこんなふうに考えられたら紛争も戦争も生まれなかったやろうか・・と思った。

彼は、私の宗教についてもきいてきた。死んだらどうなると思う?天国と地獄はあるか?この世とあの世をどう考えるか?お線香はなんで焚くのか?お坊さんはなんでお輪を鳴らすのか?あの袈裟の色にはどんな意味があるのか?とまぁ、仏教徒とこたえたものの私が知らないことまでいっぱいいっぱいきいてきた。自分のあやふやな宗教観と、知らないことばっかりでちょっと恥ずかしくなっちゃった。でも、自分の知っている範囲で、信じることと、日本の文化を織り交ぜて話した。おじいちゃんはとても興味深そうにきいてくれて、最後に、美しいねって。

最後におじいちゃんは、私はね、死んだらムスリムとして土葬してもらいたいんだ。カソリックとしてお葬式はあげてほしくないし、火葬されるのも嫌だ。イスラムに従って一人のムスリムとして土に埋めてほしい。でも、貯めておいた8万円では、土葬もできないとわかって途方にくれたよ。そしたら、ホスピス訪問看護師の一人、モハメドさんが自分の希望をきいて、モスクやイスラム教の団体に連絡してくれた。そしたら、2つもの場所から連絡がきて、希望どおり土葬をしてくれることになったんだよ。

私はうれしくてね。やっぱりアラーはみていてくれてるんだね。アラーに感謝したよ。当然土葬の日には、私の家族は私の意志を尊重して、モスクでもイスラムを軽蔑することなくしきたりに従ってほしい。私はそれを願っている。それは全部家族に伝えてあるし、葬式などの手配も全部整っている。あとはもう待つだけだよって。

こんなケースはあんまりない。自分も周りも旅立つ準備ができていて、自分の希望や意志が周りにも伝わっていて、きっとそのとおりに実行されると思う。それは彼が家族や周りの人間に対して築いてきた人間関係の上に成り立っているものでもあって、またそれがかなえられる状況があったからこそ成り立ったものでもある。

もし病気が脳や意識障害をもたらしていたら、難しかったかもしれないし、アメリカじゃなかったらできなかったことかもしれない。生前から家族や親戚に自分がどういう人生を歩んでどういう最期を迎えたいかを伝えることは大切なことで、縁起でもないことを・・ってめんどうくさがらず、死も人生の一部であることを認識して話せるといいなぁ。

プロフィール

まいまい
ニューヨークの片隅在住。2010年6月に看護師国家試験取得。不況のあおりで就職難民・・・そんな日々の中で感じたこと、気づいたことを現地からお届けさせていただきます。

 


ぎむきょーるーむ 自己肯定感って・・・なんだろう?

01今の自分に満足してる?
子どもの声

—– YES —–
・ 好きなこともあるし、家族も好きだし、友だちもいる。(小5・男子)
・学校でクラスの中心になって動くと「さすが!頼りになるわー」などといわれることがたくさんあるので、自分がやっていることは正しいんだと思える。(中3・女子)
・家族6人が元気でいてくれて、育ててくれてありがとうという気持ちです。(小5・女子)

—– NO —–
・ 目標があってもそれに向かっていけない。(小5・女子)
・ あらゆる問題を背負いすぎていて、いまにも崩れそう。(高2・男子)
・ 絵がうまくないし、スタイルもよくないし、頭が悪い、顔立ちが悪い。(中3・女子)

 

落ち続けてきたオレが息子にいったこと・・・玉袋筋太郎

01 少年時代?そりゃ自信なかったよ。運動できないし、勉強できないしさ。だけど卑屈になることもなかった。なんていうのかな、全員がスターになれるわけじゃなく、脇役もいる。それぞれにポジションがあって、オレもどっかいいとこあんだろう、ぐらいに思ってた。オレのいいところを認めてくれる仲間がいたしね。

ところが、小学校三年生のとき、授業中にウンコをもらすという大失敗をしでかしちゃったんだ。これって致命傷だよ。それまでのオレはおもしろいこといったりして、けっこう人気者だったわけ。もうすっかり凹んだね。

この大ピンチをどうやって乗りこえたかっていえば、やっぱり仲間がいたからだろうな。へたに同情されたり、かばわれたら立つ瀬ないけど、彼らだけは見て見ぬフリというか、そっとしておいてくれた。だから、またひょうきん者にもどれたんだと思う。

失敗したって、「そんなこと、どうってことないよ」っていってくれる人が一人でもいたら、子どもは楽になるんじゃないかな。近所のおじさんやおばさんでもいい。ついでに「いつもあいさつの声が大きくて気持ちいいね」なんて、ほめてくれたら最高だよね。自分を見てくれる人がいるって、自信につながるよ。

じつはいま、息子がメチャクチャおちこんでいるんだ。大学の推薦入試に失敗してさ。同じクラブから息子ともう一人が推薦枠のセレクトを受けて、息子だけ落ちた。親の目から見てもほめてやりたいくらい熱心にとりくんできたから、自信喪失なわけよ。

オレは息子に言ったんだ。「相手をねたむな。『よかったな』っていえれば、受験には失敗しても人生では合格だ」って。そしたら彼の表情が明るくなってきた。

大学入試の失敗なんて、長い目で見ればどうってことないともいったよ。オレなんて、仕事でどれだけセレクトに落ちつづけてきたか…。考えてみれば、人生は大半がつらいことや傷つくことばかりだよ。だけど、ひとつでもいいことがあれば生きていける。だから失敗をおそれるなっていいたいね。

それに、失敗しても笑えばなんとかなるって。「笑う門には福来たる」っていうだろう?失敗をみずから笑うことで、不思議とパワーが出てくる。例のピンチも、仲間の存在と「ウンコもらしの赤江(オレの本名)です」って笑いに転化することで乗りきれたんだよ。

漫才師 玉袋筋太郎
漫才コンビ「浅草キッド」のメンバー。著書に「男子のための人生のルール」(理論社)などがある。一児の父で、ライフワークはスナック通い。

「これでいいんだ」を積み重ねて・・・辰巳渚

01 大人になって働きはじめてからは、こんなことがありました。仕事がうまくできなくて、精神的にも肉体的にも参ってしまい、辞めざるをえなくなったのです。人と話すのもこわく、しばらく家のことだけをして過ごしていました。でも、そうしているうちに、ごはんがおいしかった、布団を干したら気持ちいい、部屋を掃除したらすっきりした。あたりまえのことをあたりまえに感じることができ、「ちゃんと自分がここにいる」と思えました。枯れていた自分が、満ちていったような気もしました。

このように、すごく落ち込んだ状態から、時間とともに自分をニュートラルにしていくことができたのも、子どもの頃に愛された思いや、何度でも自分で再生できる「支えになる言葉」があったからだと思います。

「あなたがいてよかったわ」。私は子どもたちによくいっていますが、親ができることのひとつは、そういった支えにできるような言葉かけをすることかもしれません。私は「家事塾」を主宰していますが、子どもは家のこと、身のまわりのことを体感することで、自分ができること、できないこともわかります。誰かの役に立つ実感も得られます。親も言葉をかけやすい。自尊感情が育めるものだとすれば、こういった日常でなのだと思います。

私の講座には、「家事のほんとうのやり方を知らない」といってくる人もいます。親子講座では、子どもの姿を見ているとアラばかりが気になってほめる部分が見つからないという人もいます。私が感じるのは、自分に対しても子どもに対しても理想が高く「これでいい」と思えない。自己評価が低い人が多いのかもしれないということです。

いま思えば、仕事をやめて家のことをひたすらしていたあの時期に、私は日常の小さな満足を得ることで「これでいいんだ」を積み重ねていたのだとも思います。

「家事塾」代表 辰巳 渚
2008年から、親子に家事の大切さとワザを説く「家事塾」を主宰。一男一女の母。「親子で楽しむこどもお手伝い塾」(明治書院)など著書多数。

抜粋

にらめっこのバイブル:こども・きょういく・がっこうBOOK『おそい・はやい・たかい・ひくい』N0.31より抜粋

リンク

ジャパンマシニスト社


(1)放射能から子どもを守れ

放射線から子どもを守れ

俳優:山本太郎氏が見た福島の現実

「戦時中、空襲から子どもたちを守るために疎開をさせた。どうして先人たちがやって来たことを今できないのか。国の対応は後手後手になっている、という考え方もあると思うが、僕は、政府じゃ今おこっていることを全て解ってるんじゃないかと。補償や賠償でお金がかかるし、人を動かせないという経済的な考え、目の前のお金を守るために人の命を犠牲にする政策だと思う」
01  「福島だけの問題ではない。全国的な問題で、全ての食品に対して汚染の可能性がある。それだけじゃなくて、放射性物質を浴びた汚泥(放射性セシウム濃度)200ベクレル以下のものはもう肥料として福島県以外に流通させてよいと。

今していることは、きれいな場所まで汚染される状況を作り上げている。日本から汚染されていない場所がなくなってしまう。いったい国は今、何をしているのか。ひょっとして、国の重要なことを決める人たちは、この国の未来をあきらめたんじゃないかと思える。ぜひみなさんで声を挙げていってほしい」

(‘11.7/20 ニュースアンカーより)

本の紹介

緊急出版 第2弾「放射能から子どもを守る」
552円+税(キラジェンヌ株式会社)

子どもたちを放射能から守るノウハウが満載。パパ&ママ必読!
子どもを守るママからのメッセージ
特別インタビュー UA「この世は楽園であると歌いたいし、今でもそう信じたい」/カヒミ・カリィ/中島デコ/吉川メイ/民(タミィ)/日登美/吉本多香美
◆Mother’s Action! 放射能について正しく知るために
放射能対策レシピ 放射能を徹底的に防ぐマニュアル 飲料/生活習慣/疎開/代替医療
01【注文先】
Mail: info@kirasienne.com
<必要事項>
1.名前(フリガナ)
2.商品発送先住所
3.連絡先電話番号
4.メールアドレス
5.年齢、住所
6.「放射能から子どもを守る」必要冊数
(インターネットでも購入できます。Amazon商品詳細ページへ)

 


(2)もうひとつのフクシマ インサイドストーリー

子どもを守れない国は滅びる・・・

もう一つのフクシマ インサイドストーリー

6月26日(日) 福島の子ども達を避難・疎開させる措置を求める署名を福島市長に届ける、原発反対のパレードに参加する、飛騨清見での夏休みの保養受け入れ先の受付という活動のため福島市に行ってきた。

放射線量は高いはずなのに、屋外でもほとんどの人がマスクをしていない。小雨でも、傘をさしている人も少ない。自分も岐阜を出るときにマスクを忘れてしまった。そうしたら福島にいるうちに喉がイガイガとするような違和感が。「ここの人たちは毎日こんな空気のところをマスクなしで過ごしているの!?」町並みも壊れてはいなくて、街を歩く人たちの恰好も普通。見ただけでは普通の生活をしているように見えた。

福島に行くまでは、こんな危険な目にあわされて福島では岐阜よりもずっと多くの人が原発反対を思い、なんらかのアクションを起こしていて、子ども達を避難させようと思う人も多いだろう、と思っていた。ところが、行動にうつす人は意外に少なく、あれ?という感じ。

当日、清見での保養に申し込んで来た人は6人だけ。他の保養先に申し込んで結果がまだ出ていないとか、こちらの宣伝不足もあったと思う。しかし、情報収集にやってくる人も少なく、ちょっと拍子抜けしてしまった。

ただ、福島の中でも、温度差があるようだ。家族の中でも、「国が安全と言っているから、ここに居ればいいんだよ。仕事だってあるし」というお父さん、引っ越したいと願うお母さんと子ども。おばあちゃんが庭先で作った野菜を食べられないと嫁が言うと、わしの作った物が食べれんのかと怒り、家族間が気まずくなったという人。引っ越しの話しを出せばそのたびに家族の意見が分かれ、家庭の空気が悪くなり、もうそれに疲れてしまって触れないようにしているという人…。

子ども達の受け入れ先を探しに学校の先生も来ていた。その先生は自分の子どもはすぐに疎開させたそうだ。生徒だって自分の子どもと一緒だ、疎開させたい。でもなかなかできないジレンマがある。学校の中にも温度差がある。その先生のように、原発はいやだ!という先生と、原発を肯定的に捉えている先生がいて、先生同士が一緒に行動をおこせない現状がある。

バラバラなのは学校だけではなかった。情報をネットで調べられない人のためとか、多くの人の目に触れるようにと、保養受け入れ先の情報一覧を西日本、東日本とわけて作るから、あなたの地域も載せないか、とある団体に声を掛けられた。申し込んだら西日本ではなんと自分一人だった!それでは一覧表が作れないと、知り合った受け入れ団体の人たちの連絡先を教えた。情報も行動も統一されてないし、それぞれにやることがあり過ぎて行き届かない部分が出てきてしまう感じがした。

清見の保養先では、ここに来たおかげでまた引っ越そうという気持ちになってきた、という人がいた。その人は避難のために一度引っ越したけれど、引っ越し先で子どもが「ゲンパツ、ゲンパツ」と言われたり、避けられたりして、結局福島に戻ったそうだ。でも、今回の体験でこうやって受け入れてくれる人たちがいるということもわかったし、何の心配もなく外で遊んだり野菜を食べられることはやっぱりいいし、と。

福島子供疎開企画『この夏みんな青空の下つながろう会』 千田陽子
文責・にらめっこ


(3)河田昌東さん講演会「放射能汚染と私たちの暮らし」

放射能勉強会 4回シリーズ
主催:農学友の会 共催:GIS研究会、花丸一座、東海芸術アカデミー
美濃加茂市 文化の森 みどりのホール 7/24 10:00~12:00

自分とフクシマとどういう関係があるのか

飯舘村は日本で最も美しい村とたたえられている三つの村のうちの一つです。事故後、村の郵便局の前で計ったカウンターは23.63マイクロシーベルト!恐ろしい数字です。もしここで一年間過ごしたら、原発労働者の被曝限界値の基準値を遙かに上回ってしまいます。なのに、住民は知らずに生活していた。その後、計画的避難区域に指定され、全員避難しなさいと…農家の人は土地を持って出ていくことは出来ないし、まだ1000人弱の人が残っている。非常に厳しい状況にあります。

25年前にチェルノブイリ4号炉が爆発しました。事故の直後、日本の電気事業連合会は「チェルノブイリの原発は日本とは違う特別な構造の原発で、日本では起こりえない!」と書いたパンフレットを配布しました。しかし、同じことが起きた。実際に事故が起こってみると、結果はほとんど一緒です。原発が持っている本質的な問題が浮上したのです。

放射能の影響

私たちは常に自然放射能を浴びています。放射能で細胞の遺伝子が傷つくのですが、私たちはそれを修復する酵素を持っています。普段はどんどん修復するのですが、たまに修復ミスを起こす。年をとるとミスも増えていきます。

放射能の他に化学物質の影響もありますが、年をとってガンが増えるのは当たり前。心臓病、糖尿病、とだんだん病気が増える、これも当たり前と考えます。問題は放射能がそれを加速させてしまうこと。若い人が年寄りの病気になる、ということ。しかし広島、長崎を経験された専門の先生方は、それを放射能の影響と認めない。チェルノブイリから多くのことを学んでいないのです。

また、放射能は成長ホルモンに大きく影響します。それは14歳以下の子どもが圧倒的に多く、男女比較をしてみると女性が多いのです。

怖いのは内部被曝 食べ物に要注意

内部被曝は細胞の中から体中に入って、放射線が遺伝子を壊していく。特に盛んに細胞分裂を起こしている赤ちゃん、小さい子どもなどは影響が大きいです。遺伝子の傷は若い人ほど広がるから、結果いろんな病気になったりします。

食べ物の影響は大きいですが、セシウムなどに汚染されたものを食べた後で綺麗な食べ物を食べたら、半減します。セシウム自体は2ヶ月ぐらいで体から出ていくんですが、ずーっと汚染された食品を食べ続けていると、あるレベルに達して、それが病気の原因になる。放射能の影響は、がんと白血病といわれていますがそれは間違いです。

確かに広島、長崎で原爆が落ちた後、がん、白血病が多発しましたが、(チェルノブイリも同様)病気全体からいえば発生の一割以下。それよりも心臓病、脳血管病、糖尿病、先天性異常、が多いです。福島も心配です。今のうちは何ともないが4,5年経ってからどうなるか非常に心配。

今後起こってくるのはおそらく海の魚の汚染で、食物連鎖が始まる。小さい魚からだんだん大きな魚に汚染が移っていく。今一番心配なのが、コウナゴ。この小さい魚は汚染したプランクトンを食べるから、連鎖はそこから始まるんです。

低容量の放射線の影響 (NPO法人知的人材ネットワークより)

福島の原発事故に際し、多くの人にとって問題なのは、低容量の放射線の影響です。今までに報告されている範囲では200mSv以下では、直接的な身体への影響はないと考えられています。ただ、これ以下の線量でも発がんリスクが上昇する可能性が心配されます。他にも影響があるかもしれないという不安もあります。

一度に大量の放射能を浴びた場合と、低容量の放射線を長期にわたって浴びた場合では身体への影響は異なります。私たちの身体は、容易に遺伝子の傷ついた細胞をはびこらせないための、何十もの抑制機構を持っています。

通常は傷つけられたDNAはすぐさま酵素により損傷部位が取り除かれ修復されます。そして変異した細胞を除去する最後の砦が免疫システムです。免疫機能が低下するような要因(過度なストレス、恐怖、絶望など)を取り除くことで、晩発性の病気を防ぐことにつながるのです。

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汚泥の汚染

次に問題となっているのが、下水処理場の汚泥の汚染。下水処理場は、台所の水、トイレの排水、側溝の水を集めて処理している。われわれの生活環境に入ってきた放射能を全部集めて処理している。当然汚泥の汚染が起きるのは福島県内だけでなく首都圏にも深刻な問題が広がってきている。政府は方針を出していないばかりか、最近はそれを焼却してもいいといい出した。もし8000ベクレル/キログラム以下であれば、将来家を建てる予定がない、あるいは井戸を掘る予定がないところは埋めてもいいともいった。これは全国に汚染を広げることを意味します。

 この問題に、私たちはどう関わったらいいのかしっかり考える必要がありますね。
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「汚染がれき」のゆくえ (アエラ8/8より)

岩手・宮城両県のがれきを全国で分散処理する計画が進んでいる。環境省の前提は「汚染はない」だが、稲わら、腐葉土のようなことはないのか。不安が広がっている。「放射性物質が運び込まれ、少しでも土壌や水に漏れだしたら子どもたちの健康はどうなるのか。不安です」と話すのは幼稚園児の母親。これまで主に東北・関東地方でわき起こってきた、放射性物質による健康被害への不安。それが遠く離れた西日本でも広がっている。

いまだ膨大ながれきが残る被災地の市町村は「反がれき受け入れ」の動きに困惑している。受け入れ側の住民にとっても被災地にとっても、不安の源となっているがれきの放射能だが、比較的最近まで目立った問題にはなっていなかった。

「被災地のがれき受け入れを全国に呼びかけた時点では、放射能が問題になるとは想定していなかった」それが問題視されるようになったのは6月下旬以降、東京都や千葉県柏市などの産業廃棄物処理施設で、ごみの焼却灰から高濃度の放射性物質が検出されたから。がれきを広域処理すれば、放射性物質が拡散する可能性がある。一方で、被災地だけでは処理しきれない—。原発事故で飛び散った放射性物質は、時間の経過と共に、影響範囲を着実に広げている。
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がれき処理を担うと表明した自治体・一部事務組合の一覧に岐阜県では、大垣市、高山市、多治見市、中津川市、瑞浪市、山形市、下呂市、岐阜羽島衛生施設組合、加茂衛生施設利用組合、南濃衛生施設利用事務組合があった。

 

質問タイム

Q: 近海魚はまだ大丈夫ですか?
A: 場所による。
千葉沖あたりは福島の南の方に海流が流れているからこれは危ないと思う。国は海の汚染、魚の汚染に関しては調べていない。本来ならもっと細かい汚染を調べ、データをとり発表する必要がある。

Q: 岐阜県にモニタリングポストがあるが・・・
A: 福島以外からも測定すれば検出するだろうが、生活に影響はないと思う。
食べ物は気をつけるしかない。産地を選ぶ、それもむずかしいとなると、汚染しにくい食べ物を食べる。たとえば野菜。キャベツの仲間アブラナ科は、カリウムが多いので汚染しやすいと覚えておく。トマト、なす、キュウリ、ネギの仲間は汚染しにくいから、そういうものを選んで食べるとか。あと、酢の物にするとよい。ただしその酢は飲まないこと。
(※われわれは、菜の花を植えてそこからセシウムを吸収する事業を展開。福島県内の学校のグランドの表土を5〜10センチ剥いで2〜3メートルの穴を掘って埋めることもしています。被曝を防ぐ方法としてとりあえずの策ですが・・・)

Q: 一才の子の免疫力低下が気になります。
A: 免疫力を強化すれば放射能の影響はかなり防ぐことができます。
そのためには、抗酸化性のビタミンA,E,Cが大事。ジャムなどに含まれているペクチンも有効で、セシウムを固くくっつけて便と一緒に排出させます。免疫力を増加させる方法もあります。アメリカのインディアンより風邪薬として使われてきた薬草・ヘキナシア(きく科・多年草)は抗ウィルス、免疫強化、殺菌消毒、抗感染症などの働きが確認されています。しかし、多量の摂取は副作用があるので注意してください。

Q: 脱原発に向けできることは?
A: 今後は、もんじゅが再開しないよう働きかけましょう。
ウラン燃料はあと60年しかもちません。それをカバーするために再処理工場(六カ所)を造った。もんじゅを停止すれば、使用済み燃料は六ヶ所に行かないので、六カ所も稼働できません。国民の一人として出来ることは、事実を知ること、声を挙げること、そして実行に移すことだと思います

プロフィール

河田 昌東(元四日市大学非常勤講師、チェルノブイリ救援・中部理事)

放射能勉強会のご案内

第3回 9月18日(日)
松井英介氏(岐阜環境医学研究所所長・医師)◆内部被曝について
第4回 11月26日(土)
田中 優氏(未来バンク事業組合理事長、天然住宅代表)◆安心して暮らしていくために

ぜひみたい映画『100,000年後の安全』

『100,000年後の安全』2009年/デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア/79分

原発から生まれる放射性廃棄物の放射能レベルが生物に無害になるまでには最低10万年を要すると考えられている。透明で無色 放射能を人間は関知できません再処理は危険だ。その過程でプルトニウムが流出するかも。

未来の地球の安全を問いかけるドキュメンタリー。放射性廃棄物を巡る問いかけてと印象的な映像…名古屋・大垣で上映され、今後の予定は未定。近隣映画館を要チェック。