まちカフェ 毎月 第2・第4 土曜日 10:00〜12:00
にらめっこ編集室(蘇原新栄町2-25)にて
出入り自由 参加費200円
こんなまちに住みたい!
こんなアイデア、みんな聞いて!
どうしたら実現できる?
「まちカフェ」は世代を超えた
井戸端会議。でも、おしゃべりを
形にする力へとつなげませんか?
参加希望の方は事前にご確認をお願いいたします。
☎058-383-8666
バングラデシュへ
私がバングラデシュに初めて行ったのは小学校一年生の時、家族での旅行でした。その時のことはあまり憶えていませんが、その数年後、教科書の国際協力政治、青年海外協力隊のページにバングラデシュの写真が載っていて、「見たことあるよ、ここ!」と強く印象に残ったんです。
大学生になり、国際文化学科に籍を置きました。開発のことを勉強していて、フィールドワークでバングラデシュの首都に行くことになりました。でも、私が興味を持ち見たかったのは、国から弾圧にあっている人たちがどうやって地域の中で生きていくのか、ということ。それで、いろいろ調べたら、先住民の人たちのことが出てきました。ぜひともそこに行きたいと思ったのですが、大学のゼミのフィールドワークで行けるところではないと。パスポートとビザがあっても行けない地域なんですね。外国人特別入域許可証やらが必要。つい最近まで紛争をしていたので。じゃあ、みんなが帰った後、ひとりで行くのでいいですか?と言ったら、それはハタチ超えているんだからどうぞ、と言われて(笑)その年の夏休みにリュック 背負って行ったんです。大学 3 年生の時です。
少数民族の村に暮らす人たち
首都ダッカからバスで12時間、チッタゴン丘陵地帯。バングラデシュの他の平野部とは違い、山が多く、焼き畑農業をして、50万人の先住民が住んでいます。そこは宗教や食べ物、使う言葉、文化が他のバングラデシュの地域とは違います。そこで私はとても素敵な人たちに出会いました。今日私が着ているのはそのチャクマの民族衣装です。
美しい自然と、昔からの暮らし。おばあちゃん、お母さんからつないで来た命を、次の世代につないでいく。そこでは、地域、家族、親戚、みんなで助けあって暮らすのが当たり前。私は彼らのファンになりました。
大好きな土地だったのですが、紛争の爪痕はずっと残っていました。中央政府から送られて来る軍隊がこの地域に入って来て、家もお寺も焼かれてしまったり、レイプ事件も起きたり・・・。そして、帰国の前日に私が見たのは、とてもきれいだった街が、村が、紛争により荒れた姿でした。車も動かないし、戒厳令や治安維持令とかが出たくらいひどかった。それから3、4年経ってますけど、紛争がいきなり勃発することが今もあるんです。
日本に帰って来てから、私はチッタゴン丘陵地帯という、たまたま出会った場所について、貪るように学びました。私にできること、なにかないかなぁって友だちに話しても、大学3年生は就職活動の時期。同世代の友だちは一緒に活動ができないけど、話しているうちに少しづつ後輩が集まってくれて、「NGOちぇれめいえproject」という団体を立ち上げました。「ちぇれめいえ」とは現地の言葉で「こどもたち」という意味です。
ちぇれめいえの活動
それから私は「NGOちぇれめいえproject」の現地駐在員として大学4年生を休学してバングラデシュに戻りました。お金があまりなかったので、お坊さんと小僧さんにいろんな言葉を教えてもらいながらお寺に住みました。
私たちが取り組んでいたのは、子どものこと、若者のこと、紛争があったときの緊急支援と日本との架け橋でした。子どもたちが安心して学べる環境を生み出したいと、「ちぇれママ&ちぇれパパ制度」という里親制度をつくって、25人の子どもたちを日本から支えることを始めました。中学校卒業まで寄宿舎学校で暮らせて、ご飯も食べられて勉強もできる生活を支えてくれる人たちが日本にいます。
また、バングラデシュの若者と日本の若者が一緒の時間を過ごし、笑い語るという「スタディツアー」も始めました。日本の若者がバングラデシュに行き、2週間一緒に過ごしますが、「どんな家庭に産まれても、子どもたちが教育を受けるにはどうしたらいい?」というようなテーマが毎年あり、答えが出ないようなことを毎日毎日話し合いました。一緒に村を歩くことで見えてくるものもありました。一緒に何かをしたい、そんな現地の若者たちがいたから、これを続けてきました。
1年経った時、現地の若者が「自分たちでも団体をつくるよ」といって「DABAGI(ダバギ)」という団体をつくり「豚で教育資金プロジェクト」という活動を始めました。最初に豚を小学生のいる貧しい家庭5軒に提供、その家庭は豚を育て繁殖させて、半年ごとに産まれる子豚を市場に売り、代金は子どもの教育費に。子豚のうち2匹は「DABAGI」に返し、それを次の貧しい家庭に貸し、その家でもまた同じサイクルができる。そうして村の中でお金と知識を回していくプロジェクトです。
国際協力って?
バングラデシュの山岳地帯の少数民族の村で、私は子どもや若者、おばちゃんたちと約2年間を過ごしましたが、家族や地域の強い絆など、現地の人たちの素晴らしさにたくさん出会いました。
今、バングラデシュやアフリカとか、発展途上と言われている国を助けようと、先進国からいろんな人たちが派遣されています。そして、企業やボランティアが人やお金を送っています。まだまだ自分たちの地点まで発展してない、と。でも、世界中の国や地域が「発展」という道の上に、一直線上に並んでいるわけではないと私は思っています。それぞれ、自分の前の道を歩んでいる。バングラは日本が歩いた道を進む必要はないし、ケニアはアメリカにもならないです。
私が過ごした村で人々が教えてくれたことは、村の発展の先の姿が先進国の都市ではないということでした。「ないもの探し」や「つくってあげよう」を前提にすると、「あるもの」が、見えなくなる。「ここにはこんなものがある、文化がある、人がいる」そんな視点が必要です。そして、最初から持ち込むプロジェクトではなく、現地から聞こえて来る必要なことに耳を傾けることも。
国際協力って、一方的に助けることじゃない。共に生きる、お互いに学びあうこと。大げさなことじゃない。それは日本にいる家族・親戚から始められます。
朝、ご近所さんに声をかけてみる。身体の不自由な人に席をゆずってみる。ちょっと離れた地方の活動をのぞいてみる。被災地に関心を持つ。国際協力はこの延長線上にあります。
そして、海を越えたところに住む子どもたちを応援してみる、それって実は楽しいことかもしれません。
私たちがたまたま日本に生まれたから知っていたこと。たまたまこの年代に生まれたからもっているもの、たまたま教育を受けたから学べたこと。それを誰かの幸せのために使えたら、その「うれしい」って気持ちを自分の大好きな人たちと共有できたら、こんな幸せなことはないなって。私は現地の人たちに、教えてもらいました。
静岡県出身・東京都在住
「peace of peace」主催「ワークショプ 世界がもし100人の村だったら、バングラデシュ・バージョン」(1月7日各務原市総合福祉会館)にて
バングラデシュ人民共和国/インドとミャンマーに国境を接する。1971年にパキスタンから独立。バングラデシュはベンガル語で「ベンガル人の国」を意味する。世界で最も人口密度が高い。
チッタゴン丘陵地帯/ジュマ( 焼き畑農業をする人)と総称される先住民族が暮らしている。チャクマ族、マルマ族、トリプラ族など、民族数は12 とも言われている。これら先住民族は、先住民族はいないとするバングラデシュ政府の同化政策によって迫害を受けている。
渡部 清花(わたなべ さやか)
東京大学大学院総合文化研究科・国際社会科学専攻・人間の安全保障プログラム修士。
静岡文化芸術大学在学中に、「NGOちぇれめいえproject」を設立し、バングラデシュのチッタゴン丘陵地帯にて、先住民族の子どもの教育と現地の若者による村おこしの取り組みを後押し。その後、UNDP(国連開発計画)の現地事務所の平和構築プログラムのインターンシップに参加。合計2年弱、バングラデシュに滞在し、現地の支援と日本への情報発信を続けた。現在も「NGOちぇれめいえproject」の活動を続け、日本からの支援を呼びかけている。
95名もの死者を出した韓国の加湿器殺菌剤事件。問題となったPHMG(ポリヘキサメチレングアニジン)は、通常おしぼりの消毒剤に使われている成分。「PHMGは、肌に触れたり、少量を口から飲食する場合には毒性は少ないが、鼻から吸引すると肺が膨らみ、呼吸困難になるなど致命的な肺の損傷を起こす」のです。気道を経由して入るとどういうことなのか。「経気道吸収」の影響について、身近な日用品を例にとってご紹介します。
除菌!除菌!除菌!
テレビCMで語られない中身とは?!
消臭剤にはトイレ用、室内用、車用などがあり、さらには置き方タイプからスプレータイプとさまざまな製品が販売されています。部屋の防臭からベッドやマットレス、靴やソファーなどの、洗濯機では洗えないものを消臭し、除菌するという宣伝文句で多くの家庭で使われています。その反面、消臭剤を大量に使用されていることについて忠告をする専門家や本が発売され、さまざまな情報があふれているのも事実です。
今回は、大量に使用される消臭スプレーの中身が、人体に与える影響と、成分を調べてみました。
除菌&消臭スプレーといえば「ファ○リー○」や「リ○ッシ○」が有名。売れ筋の「ファ○リー○」の成分はP&○のHPに掲載されています。
この商品は「家庭用品品質表示法」の対象外で、洗濯用洗剤や台所洗剤のように詳細に成分を表示する必要がない。しかし「除菌成分(有機系)」というような曖昧な表示で、Quat(第四級アンモニウム塩)などの危険な成分が入っていることが多いのです。スプレータイプのものは全製品表示義務がないですが、HPには書いてあるので要チェック!!https://www.myrepi.com/tag/myrepi-febreze-faq-safety
Quat(第四級アンモニウム塩)の
怖さとは・・・
Quat(第四級アンモニウム塩)は揮発性のもので、蒸気を浴びたりにおいを嗅ぐことで体内に吸収されます。原因不明のアレルギー症状、胸痛やめまい、動悸や不整脈、倦怠感やうつ、ぜんそくなど、さまざまな症状に影響していると言われています。
さらに、このQuat(第四級アンモニウム塩)を長期利用すると、今は健康でもシックハウス症候群や化学物質過敏症が起こる可能性がある・・・と考えると、日常生活に取り入れたくないものです。また、化学物質というのは、少量では問題はないと言われていますが、数十年の積み重ねで影響があるかもしれないと考えると、出来るだけ遠ざけたいですね。最近は化学物質が原因でアトピーやぜんそく、アレルギーなどが発症する可能性があると指摘する専門家が増えています。
2015年11月18日 アメリカの研究機関で発表
Quat(第四級アンモニウム塩)によって、雌のマウスで妊娠率や生まれる胎仔数の減少、オスでは精子濃度や運動性が減少したという研究が発表されました。毒性が発見されたきっかけは、大学の実験室の洗浄剤をQuat(第四級アンモニウム塩)に変えて以降、実験動物の流産が増えたことだと言います。カーペットや寝具に噴霧したものを吸い込んだり、子どもが舐めたりは危険、また車用の場合は直接気道吸収されるため、妊娠中の母親、赤ちゃん、若い男性は要注意です。寝具へのスプレーで噴霧される量の0.8%以上を吸い込むだけで危険だとのことです。
ペットに忍び寄る「除菌&消臭スプレー」
人間だけでなく、ペットも同じ危険にさらされています。ペット臭の防臭のため、マットに消臭スプレーをしたところ、中毒を起こし、ペットが吐いたり、ひきつけを起こしてしまったという事例も報告されています。また、消臭スプレーが原因で、肝臓を悪くし死亡した犬もいるそうです。このような化学物質を周囲で大量に使用され、さまざまな病気を引き起こし、ただでさえ短命が更に短くなる可能性があります。
じつはこの消臭剤、アメリカ版があるんです。その成分内容は、トウモロコシ由来消臭成分エタノール、香料となっており、日本版に入っている除菌成分が入っていません。海外で禁止されている成分が認められている日本!まさに添加物大国と言われるゆえんでしょう。
おしゃれなボトルのシャンプーやトリートメントの成分表示をチェックしてみて!「ノンシリコン」「ラウレル」「ラウレス」などカタカナ文字が目につきます。
「シリコン」とは、化学反応によってつくられる化学合成物のこと。シリコンは一度頭皮につくと落ちにくく、毛穴をふさぎ、髪が細くなり、抜けやすくなったりする、といわれています。シャンプーの成分は、90%以上が水と、界面活性剤で構成されています。水と油を混ぜ合わす力を持ったこの界面活性剤は、洗浄力が高いこともあり、下記のような現象が実際に起きています。
① 刺激が強くて、薄毛、頭皮の荒れの原因となる
② 一緒に配合されている成分の効能をかき消してしまう
③ 頭皮の皮質を取りすぎ、不足した脂を補うため皮脂の分泌 が盛んになる結果、表面は脂ぎって頭皮は乾燥している状態 に→薄毛、頭皮の荒れの原因となる
また、シャンプーの成分として、最も気をつけたいものが、ラウレス硫酸・ラウリル硫酸をはじめとした硫酸系洗浄成分です。これらは、洗浄力の高さと原料の安さから、一般的なシャンプーに使用されています。本来は床の洗浄に用いられる強力な洗浄剤。使い方を間違えると頭皮の皮脂を取りすぎたり乾燥による皮脂障害の原因にもなります。
シャンプーやトリートメントを選ぶときには、知名度、価格や香りで選択するのではなく
・ ノンシリコンであること
・ 硫酸系洗浄成分を使っていないこと
・ 天然由来洗浄成分を採用していること
これらを判断の基準にしながら、
使用感もよく、髪、頭皮に
安全なものを選びましょう。
まずは、有害物質である界面活性剤が成分として入っているシャンプーを一日2回以上使うのをやめ、毒性を少しでも少なくするために安心と言われているシャンプーを使うときにも、薄めた上で、泡ポンプなどで泡にして使うとよいでしょう。
消費者が知って、買わないこと。
皮膚の構造上、皮膚の表面温度が高いほど有害物質は体内に入りやすくなります。入浴時に使う入浴剤、シャンプー、ボディーソープ、入浴後にすぐに使う基礎化粧品などは要注意です。お風呂の温度は38度から40度くらい。吸収率が上がってしまいます。お湯の添加物、たとえば、「〜の湯」とかの入浴剤は極力使わないように!ゆずの皮、しょうぶ湯、びわの葉湯など、溶けてなくならないもの、自然のものを使いましょう。体を温める効果も抜群ですよ!「知る」ことは、「選ぶ」ことができる、さらに「守る」ことにつながります。
(「経皮吸収について」勉強会の内容をまとめました)
「在来種」や「固定種」と呼ばれる、昔から使われているタネは一粒一粒に特徴があり、多様性があり、早く育つものもあれば遅く育つものもある。 葉の形を見たり、成育の状況を見ながら、大きくなったものから収穫します。一度タネをまけば長い間収穫できますが、需要に合わせてまとまった量を定期的に 出荷することができないから、お金にするのは難しい。でも味も昔の野菜そのままで美味しいので家庭菜園に向いています。そして、いくら無農薬や有機肥料で 育てても、味を決める8割はタネ、本当に昔ながらの美味しい野菜を食べたいなら在来種を自分で育てるしかありません。
昔は日本の8割の人がなんらかの農業をやっていました。お侍だって自分の畑を耕して野菜を育てていました。 それがどんどん工業化が進み、高度成長期になると農村部に残って食べ物を育てる人が少なくなった。いまの日本では、215万軒(H27時点、農水省統計) の農家が1億2000万人の食べ物を作っている。だから効率が良くないといけないし、周年栽培(1年中栽培すること)して供給しなければならな い、だから社会全体の食の需要を賄うにはF1のタネが必要なんです。
オシベがない、タネができない「雄性不稔」
雄性不稔を使ったF1の技術はアメリカでできたもので、それがいま世界標準になっています。もともと日本にあったF1のタネはアブラナ科の野菜から作られていました。しかしアブラナ科の野菜は海外にほとんどないんです。菜っ葉なんて食べているのは日本、韓国、中国くらい、欧米ではあまり食べないんです。
雄性不稔の野菜かどうか、スーパーに並んでいるものを見てもわかりませんが、花を咲かせればすぐにわかります。試しに、スーパーで売っている大根やニンジン、タマネギなんかを庭に植えてみてください。やがて花が咲きますが、その花の先を虫眼鏡でよく見るとオシベがありませんから。つまり子孫を残せない野菜ばかりを食べてるんです、私たちは。それは危険なんじゃないのかと。でも誰もそんなこと知らないし、知ってるのはタネ屋だけだけど、タネ屋はそんなこと何も言わない。だから誰も知らないんです。
誰もタネを採らなくなった
日本の菜っ葉は交雑しやすいので、すべてのタネを一カ所で自家採種することは難しい。カブをやると菜っ葉のタネは取れないんです。みんな交雑しておかしくなっちゃうから。菜っ葉の下がカブに、カブの葉っぱが小松菜になったり白菜になっちゃったりするから。だからカブ以外のタネは他所から買うしかないんです。だからどんどん減ってるんです。
タネを採る人がいなくなったから、タネもなくなってきているんです。タネは買うものだという時代になってしまった。いまタネ採りの仕方を知っている農家は、80~90歳くらいの人だけ。50~60代の人たちはタネを採るなんて面倒くさい、買った方が安いし楽だしお金になる野菜ができると考えています。
「種採りをしたいんですけど、どうすればよいですか? 」とよく訊かれるんですが、難しいことなんてないんです。植物は人間に食べられるためじゃなくて、自分の子孫を残すために生きてるんだから、ほっとけばみんなタネになるんです。
「タネなし」を好む現代人
いまの人の「美味しい」は、甘くて柔らかいもの、生で食べられるもの。 昔の大根なんて堅くて辛い。なぜかというと細胞の一つひとつが緊密で均一だから。固定種で3〜4ヶ月かかるところをF1だと2ヶ月で収穫できる。ということは、細胞が水ぶくれのようにフニャフニャで、その細胞を維持するために細胞壁が強くなって根が崩れるのを防ぐ。だから大根おろしすると水分でペチャペチャなものが出てきて、おろし金の方には繊維が残っている。いまの大根はすぐに煮えますが、昔の大根は時間をかけると辛みが甘味にかわる、味も全然違うんです。
いまの子どもはトマトにタネがあるのも嫌がるという。子どもがよろこぶからという理由で、トマトまで雄性不稔になっています。本来植物は人間に食べられるために生きてるんじゃない、タネをつくって子孫を残すために生きている。そのタネを邪魔だというような世の中になってしまったんですね。
タネを残すために、私たちにできること
フランスでは4000〜5000人規模の「ココペリ」 というタネを交換する団体があります。タネを自由に売買できないので、会員制の組織を作って年会費を払って、カタログに載っているタネを会員が無料でもらえる 仕組みができました。育てた野菜は流通させずに自家消費して、採ったタネをまた会に送り返す。そのようなやり方で多様性が維持されています。
植物というものは本来変化していくべきものなんです。生命にとって「変化」は重大なテーマで、環境が変わったら自分も変わらなければ生き続けられない。植物というのは自分で歩けないので、根が生えた世界を生きるしかない。人間にとって神経や脳にあたるような思考する器官、自分の育っている環境を判断する能力は根の表面にあって、根を張ったその土地に合った子どもをつくって、それが花を咲かせて、また同じ土地に落ちてまた育っていく。その土地の環境にあった体に変わっていくんです。
私はタネ屋を継ぐ前、手塚治虫の漫画編集の仕事をしていました。彼のテーマ、作品の根幹は生命。命をつなぐこと、地球の環境と生命を持続させることでした。このタネ屋のテーマも同じです。このままだと世界はお金持ちや大企業の思う方向に進むだけであって、その中で私たち個人が生き延びるためには、自分でタネをまいて野菜を育てて、それを食べて、自分でタネを採って、それを自分の子どもにつなぐしかないと思っています。
それをやるかやらないか、それはあなたがたの問題です。うちはタネを提供するだけです。そして一度買ったタネは二度とうちから買わないでほしい、タネをちゃんと採って欲しい。あなたの土地に合ったタネを育てて欲しい。それが野口のタネの営業方針です。
<プロフィール>野口勲(のぐちいさお)さん
野口のタネ・野口種苗研究所代表。1944年生まれ。全国の在来種・固定種の野菜のタネを取り扱う種苗店を親子3代にわたり、埼玉県飯能市にて経営。著書に「いのちの種を未来に」「タネが危ない」等。家業を継ぐ前には、漫画家・手塚治虫氏の「火の鳥」初代担当編集者をつとめた経歴を持つ。(http://noguchiseed.com/)
一般財団法人 ネクストウィズダムファウンデーションより抜粋
Q1.ワクチンってどんなもの?
「生」とか「不活化」とか…、いったいなあに?
病気を起こすウイルスや細菌、また菌がつくりだす毒素の、病原性を弱めてつくった薬剤が予防接種液、ワクチンです。ワクチンは薬事法上、「生物由来製品」になっていて、「劇薬」です。その種類は、生ワクチン、不活化ワクチン、トキソイドにわかれます。
生ワクチンとは、生きたウイルスで、病気を起こさない程度に弱いウイルスを培養して使います。(ポリオ、麻しん、MR、BCG、おたふくかぜ、水ぼうそう)
不活化ワクチンは別名「死菌ワクチン」とも呼ばれ、病気を起こすウイルスや細菌を、薬物や熱を加えて、活動しないようにして使っています。(百日ぜき、日本脳炎、インフルエンザ、ヒブ)
トキソイドワクチンとは、細菌の出す毒素を、薬物や熱を加えて活動しないようにして使うワクチンのこと。(ジフテリア、破傷風)
Q2.どうして病気を予防できるの?
注射などでワクチンを体内に送りこみ、ごく軽く病気にかかった状態にし、人工的に免疫をつくろうというのが予防接種です。
免疫とは、私たちにそなわっているからだを守るしくみのこと。一度、外から体内に入ってきたウイルスや細菌などの異物を記憶して、その異物がふたたび入ってきたときに排除する。それが、免疫のはたらきです。免疫がつけば、ふたたび病気にならない、あるいはかかっても軽くすむ、という考え方です。
Q3.免疫って、どれくらいもつの?
自然に病気にかかることで得られる免疫とちがって、弱毒化したワクチンの場合、接種した人すべてに免疫がつくわけではありません。得られる免疫の効果や持続時間もいろいろ!ポリオのように九割以上の人に免疫がつくといわれているものもあれば、水ぼうそうのように七割くらいのものもあります。免疫が得られても、ワクチンによっては、その効果が一年や数年のこともあるといいます。
Q4.どうして副作用が起きるの?
ワクチンも他の薬剤同様、効果と同時に副作用(害作用)があります。ウイルスや生物の組織は、知らないうちに活性化したりするなど、いつなにが起きるかわからないところがあるのです。
またワクチンには製造過程で使用される化学薬品もふくまれています。たとえば、ウイルスが活動しないように使われているホルマリンや、防腐剤として水銀化合物のチメロサールが入っているものなどもあります。
これら成分の物質によって、注射部位の腫れや発疹、発熱、けいれん、アレルギー反応などが副作用としてあらわれます。呼吸困難やアナフィラキシーショックという重篤な全身症状を起こす場合も。さらに、免疫機能に支障をきたすギランバレー症候群や、ワクチン接種の際につくられる抗体が、自分自身の神経を攻撃してしまうことから発症すると考えられる、緊急散在性脳脊髄炎なども引き起こします。接種後、生ワクチンの場合は数ヶ月、不活化ワクチンの場合は一ヶ月間、なにか変わったことがあったら副作用の可能性も考えてみてください。
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予防接種 わが家の場合
病気にかかって強くなりたい(3児の母)
わが家の場合、長男は BCG、ポリオ、破傷風の予防接種を受けましたが、下の2人は、なんの予防接種も受けていません。
ポリオを機に悩みはじめる
ポリオ接種当日になって、数日前に遊んだお友だちの親から「子どもが溶連菌感染症にかかったので、うつっているかもしれない」という連絡が。はじめて聞く病名にとまどい、接種医に話したところ、「のどが赤いけれど大丈夫でしょう」。問診票にサインをし、接種しました。
翌日、長男は生まれてはじめて下痢をしました。しばらく様子を見ていたときです。「九州で、ポリオ予防接種の副作用が2名?」という新聞記事を見つけました。
接種は一時中断されましたが、再開してもワクチンのロットナンバーは副作用の疑いのあるものと変わらないようだったので、区の保健センターに問い合わせました。すると、「あまり心配なら、別のロットナンバーになる来年の春に接種すれば?」との答え。納得がいきませんでした。
その後は助産院の子育てサークルで話しあったり、ワクチントークの勉強会に参加しました。
接種回数も副作用も多い3種混合
3種混合(百日ぜき、ジフテリア、破傷風)については、長男だけ破傷風単独接種を選択しました。
3種混合はなにより接種回数が多いし、厚生労働省が配布する冊子『予防接種と子どもの健康』でも、副反応が初回接種1回めのあと100人中20人近い人に、3回めのあとでは100人中40~50人くらいの人に見られるとあり、それは「多すぎないかな〜」と思ったのです。実際、小児科で、接種後に腕が腫れて痛がっている子を目にしたら、受けたくないと直感的に思いました。
百日ぜきについては、複雑な経験があります。身近にある病気だとは思えず、また、かかったとしても初期であれば抗生物質が効くとのこと。心臓や肺が弱い子でもなかったので、予防接種は必要ないと思っていました。
しかし、当時1歳の次男が発症し、その2週間後、3歳の長男へ。実際にかかってみるとふつうのかぜと変わりません。聴診器をあてても判断できず、4人めの医師の診察でやっと百日ぜきだと判明。まっ赤な顔でせきをして呼吸困難になったり…、症状が激しくなる夜の看病がとくにたいへんだったことを覚えています。
「病気を甘くみている」と医師から注意を受けましたし、これから子育てしていけるのだろうかと、そのときは不安でたまりませんでした。でも、同じ価値観の友人たちにめぐり会い模索するなかで「自分の思うように育てていいんだよ」「こどもは治っているじゃない」という言葉をもらい、これもひとつの経験だと思うようになりました。自然にかかって強い免疫をつけ、丈夫に育ていくということが、なにより大切だと考えたのです。
現在進行形で悩んでいるのは、はしか(麻しん)について。子どものうちにかかったほうが軽くすむかもしれない。ほんものの病気にかかり、終生免疫を獲得したほうがいいと思いつつ、小学校にあがった今もかかっていません。一度は予防接種を受け、軽く病気にかからせておいたほうがいいのか…、考えてしまいます。
ジャパンマシニスト社「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」vol.70より
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よ〜く考えてから・・・
子どもの体に入る予防接種です。スーパーで食品成分表を確認するように、よく考えて選ぶ必要があるのではないでしょうか。【予防接種 添付文書】で検索すると、厚生労働省や製薬会社などが公開している添付文書が出てきます。ほとんどの予防接種についての添付文書が、インターネットで誰でも簡単に見ることができます。ちょっと小難しいかもしれませんが、「知ること」は「選ぶこと」そして「守ること」につながりますから、ぜひ検索を!! (にらめっこ編集部)
大学院生で、NGO「ちぇれめいえproject」代表の渡部清花さんをお招きして、ワークショップをしていただきました。
地球上の人口がどんどん増えていること、食料やエネルギー問題、アジアの人口が世界の60%であること、世界の人々はどんな割合でどのような人がいるのかを、ワークショップを通して考えることができました。
小学生から大人まで色々な世代で38名の参加がありました。
私が清花さんに出会ったのは、3年前の中学三年生の時でした。
清花さんからいろんな話を聞いてすごいなぁと思ったのを覚えてます。それから清花さんの書いたバングラ通信を読んだり、活動のFacebookを見たりしていて、清花さんを講師になにかできたらいいなぁと思うようになりました。そして今回、このようなワークショップを企画しました。
「所得が多いのは誰?」ゲームでは、アジアやアフリカと言った六大州別の人口比に合わせて参加者を振り分け(アジアは18人、南米は2人といったように)、そこに、GDPの規模に合わせてポネトチップを配ったのです。もちろん、州によって量は全く違います。
とてもリアルなゲームでした。富のある人たちは、分けてあげられる余裕があります。それが世界中に向けて本当にできれば、世界に飢える人はなくなるんじゃないかと思いました。
清花さんが行っていたバングラデシュ南東部のチッタゴン丘陵地帯、少数民族の人びとの暮らしには、他にはない豊かさがたくさんあると思いました。物質的に豊かになることで失うことがたくさんあることを知り、何を大切にすればいいのかを考えるべきだと思いました。私がPeace of Peace の活動をやってきて、私が本当に考えていきたいことがわかった気がします。清花ちゃん、素敵なメッセージをありがとうございました。
【参加者の感想】
・少しの時間だったけど、バングラデシュのことについてだったり、日本の今の状態だったりと、たくさん知ることができて、すごくうれしかった。バングラデシュに興味を持てた。日本では学べないことが、バングラデシュや、それ以外の国にはあるんだと思った。(15歳)
・自分の思っていたことが当たり前ではないとわかった。こんなことはふだん知ることがないので、ためになった。(16歳)
・紛争のことや文化、日本での取り組み、政府のことなど現地に行った人の言葉で聞けてよかったです。(15歳)
・今、この話でいろいろな事が分かりました。人には命があります。国が命をなくそうとしているのも分かりますが、でも、やっぱりやっていけないと思います。(8歳)
【渡部清花さんのプロフィール】
1991年4月8日生まれの大学院生。1年間大学を休学。アジアやアフリカの国々を訪れ、結局足が止まったのが7歳のころ初めて訪れたバングラデシュだった。フィールドワークを経て、現地のNGOに1年間滞在することを決意し、仲間とともに「ちぇれめいえproject」を立ち上げる。内閣府世界青年の船では世界13か国の家族と語り笑い涙した。大学では国際協力のゼミに所属。国内では沖縄・広島・長崎、と戦争の跡地をめぐる旅や、戦争体験者の声を記録する活動に関わる。ヒッチハイクや青春18きっぷが好き。少数民族、教育、言葉、文化、多文化共生、NPO/NGO・・・などに興味がある。(「ちぇれめいえproject」のHPより)
http://cheremeie.wixsite.com/cheremeieproject
二ホンミツバチの向こうに NO.Ⅰ
二ホンミツバチの訪れる花(蜜源樹)について考えてみよう。
ミツバチは、春はフキノトウ、タンポポに始まり、ウメ、ヒサカキ、ナタネ、イチゴ、サクラ、カエデ等々。夏はニセアカシヤ、クリ、キハダ、アオハダ、エゴノキ、シナノキ、カキ、トチノキ、ハリギリ、フジ、オオハンゴンソウ、スイカ、トウモロコシ等々。秋はアレチウリ、アメリカセンダングサ、セイタカアワダチソウ、ウド、シソ、キク、カナムグラ、ソバ等々。冬でさえもオオイヌノフグリ、セツブンソウ、サザンカ、ツバキ、チャ、ビワ等々の花を蜜源としています。ここにあげた植物はミツバチが訪れる植物のほんのわずかに過ぎません。
ミツバチの観察会で「この里山には花が咲く木がないのですが、ミツバチは住めるの?何処で蜜を集めるのですか?」という質問を受けたことがあります。そこには、ヒサカキ、タラ、コナラ、クリ、リョウブ、ヌルデ、スミレ、ミソハギ、アザミ等の小さな花の咲く木や草で繁っています。モミジやドングリのような花が咲かないと思っている木々にも、花は咲きます。しかも、二ホンミツバチはそのような小さな花を好むのです。多様な植物や動物、菌類の住む、昔からの里山は蜜源の宝庫です。
農地や山を、作物や材木を生産するだけの場と考えず、人間が自然に解け込める場と考えることはできないものでしょうか。今だけ自分だけのために日本の里山を荒廃させてはいけません。野生のミツバチの向こうに、子どもたちの未来が見えてくるはずです。
写真・三輪芳明(みわよしあき)プロフィール 1952年 関市生まれ。仲間と岐阜県では絶滅したと考えられていたコイ科の魚類ウシモツゴを発見、人工的な大量繁殖させ野生復帰に成功する。岐阜・美濃生態系研究会 二ホンミツバチ協会 日本チョウ類保全協会。
障害のある方たちの生活支援をしているNP0法人オープンハウスC N。余暇活動の一環で定期的にクラブ活動を開催している。お茶会をしたり、ピザを作ったり・・・。
二○○四年、伊藤さんが理事長に就任。それを機に伊藤さんは、自分は何ができるだろうと考えた。書道の師範免許を持っているから、「書道ならできる、よしやってみよう!」と最初は数名でスタートした。
でも、現実は課題だらけ。じっとしていられない、書けない、自分の意思で書かない・・・そうでない人もいますが、スタッフも書道の専門ではないし、一部屋で大勢でやっていると、当然ですが目が届かない・・・そんな状況を見て、一人ひとりまったく違う特性を持っているし、やる以上ベストな状況をつくらないと私が納得がいかない。それで九月からは、マン・ツー・マン体制にしました。
二○○六年、受講者の一人が「障害者による書道・写真全国コンテスト」で銀賞を受賞しました。その受賞記念として、にらめっこ編集部(当時の編集部は中央町)にて個展を開催したんです。以降、応募する作品が毎年受賞するようになり、その都度、受賞者には個展をすすめ、開催してきました。
個展をするとね、本人が目に見えて成長するんです。受賞と同時に個展の準備を始めるのですが、受賞作を中心に、その子だけの制作に時間を費やします。全部本人が主人公ですから、楽しいでしょうし、私も気合いが入ります。マンツーマンですから濃密な時間を持てます。たくさんの作品を作るには、紙のサイズ、紙質、筆の種類、墨もいろいろ使い分けます。特別扱いですよ。そして誉めて誉めて、その子と楽しい時間を過ごす。私は心から誉めますから。嘘っぽくほめても人を見分ける能力に長けている彼らには通じません。するとね、本当に変わるんです。今まで出来なかったことができるようになったりして、親さんもそれを見て変わる。子どもが認められると、自分も認められるということなんです。そして、希望を持てるように。じつはこれが一番大事なことなんです。
目的がハッキリすると、気持ちが定まる。見通しが立つようになると落ち着く。それは、すべての人に通じます。仲間が受賞して、他の親も『うちの子も可能性があるかも』と、希望を抱くようになります。
私の長男には自閉症があります。絵を描くことが好きで、描きためた作品を見た方から『すばらしいじゃない、個展をやったら?』とすすめられたことがありました。息子が誉められたのですが、私が認められたって・・・。とってもうれしかった。そして個展を開催したのですが、その時のノウハウが今とても役に立っています。
その時に感じた「認められてうれしい」という思いを、いろんな人に味わってもらいたくて、受賞された方に個展をすすめています。お金はかかりますが、それ以上に得られるものがありますから。
数年前、果たしてうちの子に出来るのかと個展を迷っていた親さんに、他の親さんが薦めてくれたことがありました。無意識のうちにあきらめてるんですね。それはいけない。どの人にも可能性はあるんだから。
個展をやってみて彼女が私に言いました。『伊藤さんが書けるようにしてくれた。出来ないとフタをしてしまいがちだけど、伊藤さんが書道で可能性のフタを開けてくれた』と。この言葉がとても印象にのこっています。うれしかったですね。
現在は30名の人が通い、講師も一人増えて二人体制に。創作の時間を作り、全国の公募展に積極的に応募している。13年の活動がじわじわと浸透して、作品の依頼も来るようになった。チャンスは平等にという思いから、全員に同じ字を書いてもらい、それを依頼者に選んでもらう。地道に続けてきたことが今、確実に実を結んでいる。アートが社会を変えていく、そのモデルとなる活動にエールを送りたい。
手作り味噌のおいしい理由
今年も味噌を仕込みました。各務原市に引っ越してきて早30年。毎年2月に仕込んでいます。なんで2月に仕込むのか。それは、寒仕込みといって冬は気温が低くゆっくり発酵するからです。時間をかけて発酵させた方が、味に深みが出ておいしく仕上がる。暑い時期に仕込むと気温が高いため、急激に発酵してしまいます。なんでも最初は徐行運転が肝心。しかも、冬は雑菌が少ない!というのが理由。そしてもう一つ、秋は米や大豆の収穫時、なので、新鮮な米と大豆を原料にできますね。これもおいしい味噌にはかかせない条件です。
にらめっこ編集室でも毎年2月に味噌仕込みをします。第2農園で作付けした大豆、今年の収穫は5キロ弱。(写真)玄米麹と天然塩をまぜて、ゆっくりと発酵させます。一年後が楽しみ〜!
一年の気温の様子。このような四季を感じてお味噌は醗酵する。やはり一年熟成させたお味噌は格別です。(資料提供:マルカワみそ)
トランプ選挙・メディアはなぜ世論を読み違えたのか?
アメリカで一番影響力のある新聞『ニューヨークタイムズ』が、大統領選挙開票日の夕方まで「ヒラリー・クリントン勝利の確率84%」と伝えていたのをはじめ、世界中のほとんどの新聞・テレビがクリントンが勝つと予想していましたが、劇的に勝利したのはトランプでした。長い選挙期間を通して一番忠実にトランプに密着していたはずのケーブルテレビ・CNNでさえ、「我々は現実に即した報道をしていなかった」と嘆いたほどメディアのショックは大きく、読者・視聴者からのマスメディアへの信頼は失墜しました。今年、大きな選挙を控えるヨーロッパでも日本でも、当選予測の根拠になる世論調査の問い直しは必至です。メディアの世論把握はいったいどうなっているのでしょう?
これまで新聞や大手テレビ局の世論調査の多くは、有権者の電話番号をコンピュータで無作為に選んでアンケートを取る「RDD(ランダム・デジット・ダイアリング)」という方法で行われています。固定電話への質問が基礎なので、働いている人、スマホの若者、低収入の人たちの意見が反映されにくく、日中在宅する年配者の反応が中心になりがちです。更に、答えない人や、本音を言わない人もいて、補正をしても数字の誤差が大きくなります。またメディア自身の価値観や先入観も問題です。例えば「政権を支持しているかどうか」という同じテーマでも、新聞社によって質問の仕方が違ったり、新聞社自身が期待する方向へ回答を誘導する技術によって、“世論”は少しずつ違ってきます。
大げさに仕立てられた報道も世論に影響します。CBSテレビのムーンベス会長は、今回「メディアを意識したトランプの選挙運動を大げさに報道したのは、米国にとってはよくないかもしれないが、CBSの視聴率にとってはすばらしい」と漏らしました。誇張された報道が、有権者が“勝ち馬に乗る”現象(バンドワゴン効果)を招く弊害もあります。
今回の報道の誤算は、これまで無視・軽視されてきた白人貧困層の怒りを、主流政治家やメディアが読めなかった結果だと言われます。メディアそのものが既得権層、エスタブリッシュメントだとも指摘されました。日本の主流メディアの記者も、多くは首都圏の有名大学を出た男性に偏っていることは否めません。メディアの現場に、さまざまな価値観や多様な文化をもったスタッフを配置しない限り、ますますマスメディアのエスタブリッシュ化が進み、報道と民意・世論とのミスマッチが進行するのではないでしょうか。
つだまさお・プロファイル
1943年金沢市生まれ。京都大学卒業後1966年~1995年NHK(福井・岐阜・名古屋・東京)で報道番組の制作・開発に従事する。その後東邦学園短大、立命館大学でメディアやジャーナリズムの在り方を教えたり、全国の市民メディアをつなぐ仕事に携わる。ぎふメディアコスモスの中から発信する市民による市民のための放送局「てにておラジオ」代表。
ホスピスというと、施設や病院を想像する方が多いと思います。でも(こちらでは)ホスピスケアは在宅が基本です。ご家族が患者さんのケアを担い、看取るのもご家族です。一人きりの患者さんや、ご家族が患者さんと一緒に住んでいない場合は、ヘルパーさんや住み込みの介護者を雇って、看取りまで任せている場合も多いです。ホスピスの医師、看護師、ソーシャルワーカー、スピリチュアルケアカウンセラーをはじめ様々な専門職がチームをつくり、在宅ケアのサポートをします。お家では症状の緩和が難しいときや、ご家族が患者さんのケアを担うことができなくなった時などは、ホスピス病棟のある病院か提携先の病院へ一時的に入院することはあります。薬の調節や外科的・内科的な施術で症状が安定すると、また在宅へと戻ります。
患者さんとってもご家族にとってもホスピスケアという選択は、目的がはっきりしていますが、期間のきまっていない旅のようなものです。ホスピスケアを受ける・切り替えるには、2名以上の医師から「現時点の状態で、このままこの病状や体の状態が続けば余命6か月未満でしょう」という診断が必要になります。ただ、この判断も数字や数値をもとにされることが多く、実際の死期は本当に様々です。本当にあっというまに亡くなる方もいらっしゃいますし、ホスピスに切り替えて在宅で症状緩和に集中したら逆に容態が安定してホスピス自体を卒業される方もいらっしゃいます。
どんな命も生まれたら死にます。それは自然の摂理です。とてもふつうのことです。人が生まれた時には24時間体制で赤ちゃんの世話をするように、人が死ぬときにもその人を24時間体制で世話をするのは、自然なことなのかもしれません。今は、死という体験が家を離れ、避けるべきもののように扱われる傾向が強いと感じます。病院でもそう感じます。社会全体の意識がすこしずつ変わっていく必要があるように思います。たとえば産休・育休があるように、看取り休暇が半年から1年ほど保障されていてもいいのになぁと思います。本当に簡単なことではないですから。
ホスピスケアで一番大切なのは、ご本人とご家族の意見が一致していることと、どのようなケア・看取りを実現させたいかということ。そこがぶれるととても辛い道のりになります。そして、訪れる変化を受け入れることができるかどうかです。昨日できていたことが、今日できなくなる・・・その喪失感や悲しみ、フラストレーションはご本人やご家族をとても苦しめます。あきらめではなく、受容というとても大切で難しいステップです。あきらめや、なげやりになると精神的にもとても辛いですし、受け入れられないと今度はケアの方向性やホスピスケア自体続けるのが難しくなります。
これから、現場での体験や感じたことをレポートします。
2016/12/16
午前12時過ぎに患者さんの自宅に着いた。とても大きなアパートだった。寝室までの廊下には、いろんなものが飾ってあった。
あの夜が最後だったんだ。
ほんとうは、心の中で思ってた。「奥さん、もうそっとしてあげましょう。旦那さん頑張って頑張って頑張って辛そうだよ。」
旦那さんは、心の底から奥さんを愛してたんだ。
奥さんが必死だから、旦那さんは最後の最後まで、「苦しくないよ、息苦しくないよ、大丈夫だよ」って繰り返した。あんなに痩せ細った身体で弱々しいのに、息をするのも辛そうなのに、頭はずっとはっきりしてた。目を閉じても眠りに落ちることなく・・・。本当は自分の体のこと一番わかってたの患者さんご本人だったのに。
奥さんはいてもたってもいられなくて、旦那さんの痰をどうにか咳をさせて吐き出させようと必死だった。旦那さんはそれに応えるように力をふりしぼって何度も咳をして、痰を出そうとした。力の限り・・・
とても辛そうだった。
看護師として、患者さんの容態をうっすらとわかりながらも二人の姿に押されて。。。
何もできずにオロオロしてた。情けない自分。
あの時、「これ以上は辛いだけです。最期の時はとても近いです。」最後まで言えなかった。奥さんに・・・
言えなかった。愛する力の果てを見た気がした。
次の日にレポートを読んだ。
I lost the fight
旦那さんは奥さんにこう言ったそう。そしてその何時間か後に死んだ。この言葉を読んだ時、ほんとうに自分の不甲斐なさを痛感した。ホスピスケアに切り替えた後もずっと、最後の最後まで闘っていたんだ。闘うのをやめていいはずの時に。痩せ細った誇り高き優しき戦士・・・そんなイメージが浮かんだ。
あるがままを受け入れるとは、辛く難しいこと。
起こっていることを受け入れ身をまかせられると、
なんと楽なことか。
わかばま〜く:プロフィール 1987年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、 ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。
現実に向き合うということ
今回は、ちょっと違う角度から見たコミュニティーについて書こうと思います。
夏のオーストラリアはとても暑い日々が続いています。
先週、シドニーから2時間ほどの場所で行われた、音楽、アートフェスティバルに行ってきました。
Re- Grow Festival (http://www.re-gen.org.au/) では、木を植えるプロジェクトがあり、農や自然エネルギーがテーマでした。
フェスティバルの行われた場所は、大きな湖畔。湖の対面には、発電所が立っていて、すぐ近くには鉱山があり、石炭を運んでいます。残念なことに、美しい湖は人間の脳に支障をきたすアメーバが住みついているため泳げないということです。
フェスティバルでは、自然エネルギーで電力を賄ったステージもありました。イベントの主旨がよく伝わってきます。
さらにこのイベントは、毎年、数千本の木を植え続けています。11年目を経て、67,000本もの木が植えられました。木を植える場所の土は、とても乾燥しています。だからこそ、木を植える必要があるのだと感じました。
発電のために、山を壊し、土地を破壊している、その現状を目のあたりにするのは、心が痛みます。でもそこから目をそらしてはいけないのだと強く感じました。
フェスティバルに来ている人たちの間では、景色がよくないという不満を言う人たちもいましたが、それよりも、自分たちになにができるのか、を話し合うきっかけになりました。
フェスティバルで音楽を流すにはたくさんの電力を使います。
電気を使うということは、景色が良くないというこの現状につながっているということを知るいい機会になると思いました。
電力会社に頼らない生活、自然とともにある生活の仕方。農について、パーマカルチャーについて、フェスティバルの形態について。音楽をとおして、アートをとおして、つながりを求めている私たち。文化と自然の共有のしかたとは。
これから、もっと意識的に活動していこうと思います。 Yao
「後世への贈り物」
いまから百年以上前の1894年(明治27)、キリスト教思想家・内村鑑三は箱根において、「後世への最大遺物」と題する講演をおこないました。多くの聴衆に、「我々は何をこの世に遺して逝こうか。金か。事業か。思想か」と問いかけたそうです。この講演は岩波文庫として版を重ね、今なお多くの人びとの精神を鼓舞し続けています。28歳のとき、私はこの本に出会い、大変衝撃を受けました。何歳の時、内村はこの講演をしたのだろう。調べてみたら、なんと33歳で驚きました。内村は講演の中で、お金や事業、思想を万人は残せないけれど、「何人にも遺し得る最大遺物」があります。それは「高尚なる生涯」です、と聴衆に熱く語っています。どう生きるべきか。どう暮らすべきか。いまを生きる世代は後世、将来世代からそう問われている気がします。いま、とても大事な時期です。年の初めのこの時期に、そんなことをたっぷり思索できたらと思います。余談ですが、京都の綾部からこの講演を聞きに行った人がいるそうです。当時、綾部駅はまだなく、園部まで歩き、そこから汽車で遠路、箱根をめざしたのでしょう。すごい先人が綾部にいたのですね。
鼓舞する団扇(うちわ)
15歳という若さで『啓発録』という書を書いた幕末の福井藩士、橋本左内(1834-1859)は、流されやすい時代を生きていくために、壁や扇子(せんす)にことばを書いたりはったりして、自身を鼓舞していたようです。いまと同じで、江戸時代も大変だったのですね。それにしても、扇子にことば。なるほどです。数年前、綾部の新しい団地のお祭りか何かの粗品として、「団扇(うちわ)をつくるのでその裏面に世界の名言を入れたい」という依頼があり、10ほど名言をセレクトしました。できあがった団扇を何本かいただき、いまも愛用しているのですが、使うたびに思うのは、ローテクの象徴のような団扇も、アイデア次第でおもしろいことができるかも、ということです。みんなで工夫して、工夫に工夫を重ねて、すてきな世界にしていきましょう。後世を想う一人ひとりのアイデアが地球を救うかもしれない、とぼくはそう思うのです。
塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は翻訳されて、台湾、中国、韓国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。
※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景とする。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。
以前からの読者の方、お久しぶりです。初めての方のために、タイトルの「ボーダレス社会をめざして」とは何か?少しご説明をしたいと思います。
私には39歳の自閉症の息子がいます。彼と私が経験してきたことや障がい者を取り巻く社会のことを書きながら、障がいのある人たちをほんの少し理解して頂けるきっかけを作ろうというのがタイトルの趣旨です。4年前の1月まで連載をしていたのですが、2012年3月、私に胃癌が見つかり手術をし、2/3の胃を摘出したことより心身ともにこの連載を続けるのは無理と判断して止めにしました。しかし、すこぶる元気になり、復活することになりました。
この4年の間に息子の生活が大きく変わったことをまず書かなくてはいけません。2年前に岐阜市内にあるアパートを借り、一人暮らしの練習を始めたのです。毎週アパートに2泊し、会社に行くという練習をしています。洗濯、掃除、食事作りなど一人でしなければいけないことがいっぱいですが、息子はとっても嬉しそうです。
どうして思い切って一人暮らしの練習を始めたのか?親子喧嘩が発端です。「この家出ていく?一人で暮らす?」なんて私が怒って言ったのに、息子が「はい。アパートに引っ越しします。」と答えたのです。もうびっくりでした。チャンス到来です。気が変わらないうちに、知り合いの人にアパートを借りたいのだけれど、部屋を見せてほしいと連絡し、二人で見に行き、その場で決めてきました。何でも早い方がいいです。その勢いに乗って、市役所へ行きヘルパーさんが使えるよう手続きをしました。部屋を使えるようにしなくてはいけないので、息子と一緒に家財道具などを買い揃えました。息子は私と一緒に行動するのを嫌うので、めったにないことですがこの時ばかりは仕方なく一緒に買物をしてくれました。2週間くらいですべて用意しましたので、忙しかったこと忙しかったこと。お茶碗等の食器など、こまごましたものまですべて息子本人が選びましたので、満足そうでした。体中から嬉しいオーラが出ていて、希望にあふれる感じがしました。
障がいがあっても何も変わらないんです。多くの人にお手伝いをしてもらって、自立または自分らしく生きることができるよう環境を整えなくてはいけないとつくづく思いました。これは親の大切な仕事ですね。これから私自身の癌のことも交えながら、障がいのある人に係ることをお伝えしていこうと思います。
NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子
今号は、
発達障害の診断基準って?
診断されたあと、
それから、子どもたちはどうなるの?
あいまいなままの特別支援
発達障害の支援のあり方は都道府県や自治体による差が大きい。診断名をもった子どもを通常学級で見ていくことを手放しつつあります。つまり、子どもを新しいかたちで分けはじめたのです。
医療機関ではADHDかLD、高機能自閉症(これは診断名としては公認されていません)かアスペルガー症候群かにふり分けられることが多いのです。診断基準は行動や症状の羅列で、同じ子どもが二つの診断名をもらうということも起きます。
一旦診断名がつくと、学校では「それでは」というかたちで、保護者と本人との面談などを通じて同意がはかられ、時間割のうち何曜日の何時間めは、支援教室に行くという個別教育計画が立てられます。特別支援教育の体制は、学校に校内委員会を作り、特別支援教育コーディネーターを中心に実態把握や校内での対応をしたうえで保護者の同意もふまえ、巡回相談員を通じて教育委員会に儲けられた専門家チームの検査や判断をするとされています。しかし専門家チームは当の子どもに接していませんし、個別教育計画は学校でなければ作れないので、実際にはこのプロセスを経なくても、診断がついた時点でゴーサインが出ているようなものです。
そもそも特別支援教室は個々の子どもの「弱点」を教育する場であり、さらに発達障害の子どものみを対象とするという取り決めはありません。ですから、あちこちの学年から不登校の子や家庭的な問題が背景にある子など、いろんな子が来ています。先生は一人だけで、個別の学習指導、人とのつきあい方などの援助ができる体制ではありません。それでも、通常学級で授業を受けているより楽しいので、本人は喜んで行くようになることが多いわけです。担任の先生にとっても、「トラブル」が減るので、支援教室に行かせる時間が徐々に増えていく傾向があります。
特別支援というならば、少なくとも支援の内容と方法を明確にし、その効果を一定期間内に評価し、計画を見直していく体制が必要ですが、それらはあいまいなままです。下手をすると、子ども本人の意思を担保にして「厄介払い」する場になりかねません。
ラベリングのデメリット
いま、日本の社会は能力主義がいきわたり、就労のハードルは高く、若い世代が派遣やアルバイトなど不安なかたちで仕事をせざるをえない現実があります。そうしたなか、人づきあいが苦手であったり、課題をなかなか期限通りには達成できない人が仕事を得たり続けていくことはむずかしいといえます。
障害による不利益を被ることが多いこの社会の中で、わざわざ障害名をラベリングし、特別支援教育というコースが新設されました。支援を受けることによって徐々に通級を減らしていけるのかどうかもまだ見えていませんし、通常学級での授業参加の実態がないことから成績評価ができない教科が出てくることも予想されます。小・中学校ではさほど問題にならなくても、高校受験の段階で、明らかな進路上の不利益が生じることも考えられます。
私は、こうした特別支援教育自体に賛成はしていません。ひいき目に見ても、障害のある子の一部は「特別支援教育の成果」として社会に受け入れるけれど、それ以外の子は、教育でやれることはやったのだから、あとは「家庭で責任をとりなさい」、という主旨のように思われてきます。
ADHDとされる子はたいていいつも怒られていて、「どうせ自分はダメだ」という気持ちになりがちだということはあります。そこをついて特別支援教育を誘われたりもします。しかし、迷われている方へいいたいことは、あまり先回りして不安を感じたりふりまわされるよりも、親も腹と腰を据えて、本人にとっていまなにが大事なのかということを、いちばん考えてほしいということです。
茨城大学教員 三輪壽二(みわしゅうじ)
茨城大学教育学部教員。日本社会臨床学会運営委員。精神科医療に心理職として約10年勤めたのち、2000年より現職。著書に『カウンセリングと学校づくり』(偕成社)、『カウンセリング幻想と現実』(共著、現代書館)、『子どもの<こころの危機>はほんとうか』(教育開発出版社)ほか。
予算不足で臨時講師
海和:「発達障害」と呼ばれる子どもが増えてきたためか、特別支援教育担当の教員が足らないって?
夏目:そうかも・・・非常勤講師がかなり動員されているね。
海和:普通学級にいるけど発達障害といわれる子どもたちも増えてはいると思う。
夏目:でも、「増えてきた」っていうけど、発達障害をはっきり確定できる診断はかなり少なくて、診断方法にも疑問はあるんだよな。非常に拙速で、アンケート用紙や適当な観察で医師や心理士といった「専門家」が判断しているケースが多いと思う。そういう診断をされた子どもが学級に来ても、騒ぐほどかと思うことも多い。
ほんとうに困っているのはその子
海和:私は特別支援学級をずっとやってきたけど、まぁ、なんとかなるよって感じで仕事してきたから、あんまり「発達障害」だからどうのってことはなかったな。
夏目:特に印象的だったことは?
海和:手のかかる子はいるよね。乱暴したり、教室から抜け出したり。でも、本当に困っているのはその子どもだよね。怪我しないようにじっと黙って見ているしかできないんだけど・・・。ところが、親の中には「うちの子は、もっとやればできるはずだ」「身につかないのは、教え方が悪いせい」という人もいれば、逆に「どうせやっても意味がない」など投げやりな人もいて、そういう親とは、関係を作るのが難しくて・・・。
夏目:難しいよね、そのへんは。
海和:ありのままをまず肯定し、楽しんで学校へ行っているとか、生活してくれればまずよし!と思ってもらうことが基本だと思うんだけど。そのうえで、少しでもできたり、チャレンジしようとしたときは、いっしょに喜んでもらえればと思う。けれど、親なりに勉強した専門知識に固執して「指導はこの方法で」と強要してくる親さんもいて「その方法ではお子さんにはキツイだけですよ」っていってもなかなかわかってもらえないこともある。
夏目:それは普通学級でも同じだよ。親だけでなく同僚に対しても、かなり気を遣うことが多いでしょ。
海和:普通学級の子と交流するのはとても有意義だから、うまく連携したいんだけどね。ほかの子の勉強が遅れるから迷惑だとか、平均点が下がるだとか、とんでもないことをいう普通学級の担任もいる。結局、教員自体が「競争原理」に毒されているというか、狭い価値観でいるからそうなるんだね。
夏目:学級に障害を持った子どもがいれば、逆にそういう子どもたちから「健常」といわれる子も学ぶことも多いはずだけどね。
海和:子どもの方がうんと柔軟なこともあるし。以前、特別支援の教室に子どもが来ないので、おかしいと思っていたら、その子が普通学級の方へ行ってしまっていた。その子は、子どもたちがいたからその担任ともうまくやっていた(笑)
夏目:それは、おもしろい。子どもたち自身が、制度の枠組みを乗り越えるって感じだ。
成長のための共同協力者は、どこに?
夏目:特別支援教育における、海和さんが思う「望ましい教員の姿」は?
海和:障害児教育の分野は、昨日の学級が明日覆されるってこともままあるから「過信しない」こと。どの子にも当てはまる有用な理論はないということを知るべき。それと、保護者には、よくも悪くもわが子の別の一面を教えてくれるのが教員と思って欲しい。子どもの成長のために存在する「共同協力者」という感じがいちばんいいかな。
夏目:「特別支援学級か普通学級か、どちらがいいでしょう」と聞かれるけど、ぼくは普通学級でやればいいと思う。場合によっては、その先生との関係次第かな。とりあえず、支援学級を見学してみて、先生の雰囲気とか、学級児童の数なんかを聞いておくことだけは絶対に必要だと思うよ。
海和:子どもは、前に立つ人、あるいは友だちによって、刻々と態度や感情が変化するもの。同じ声かけでも、マニュアルでもちがいが出る。成長って、子どもを取り巻く大人や環境との関係性が生命。だから、子どもを見るときは、彼らを「まるごと」見ることだと思うよ。でないと、視野が狭くなったり、こちらの態度が傲慢になってしまう。ずっと、そんなことに気をつけて、子どもに関わってきた私の実感です。
故・高倉健さん主演の映画「駅 STATION」の舞台として知られる北海道・増毛駅。この駅を終点とするJR留萌線の留萌―増毛間が昨年12月、運行を終えました。JR北海道は全路線の約半分について、「もはや自社単独では維持できない」と発表しています。一方、JR東海のリニア中央新幹線建設には、財政投融資を活用した3兆円の国の融資が決まり、5000億円が貸し出されました。国鉄分割民営化から30年、大きな格差を感じざるを得ません。今回は、リニアをテーマにした映像撮影で訪ねた神奈川県相模原市を紹介します。 ジャーナリスト・井澤宏明
移転迫られる「地域の宝」
新宿駅から約40分、JR線と京王線の橋本駅向かいに、神奈川県立相原高校はあります。県内各地から農業と商業を学ぶ生徒が集まる、ユニークな専門高校です。
緑あふれる校内は住民が通り抜けでき、親子連れやお年寄りの姿が見られます。生徒たちは、自分たちが育てたニワトリや豚、牛から生産した「相こっこ卵」「相原ポーク」「相原牛乳」を販売するなど、日々の活動を通じて地域に溶け込んできました。
この高校の敷地に、リニア中央新幹線の中間駅・神奈川県駅が計画されています。それに伴い同校は、郊外への移転を余儀なくされているのです。
「リニア新幹線を考える相模原連絡会」代表の浅賀きみ江さん(67)は、30年余り前に引っ越してきて以来、同校のあるこの街を愛してきました。「知らない土地で、車もないし遠くにも行けないから、子どもを連れて毎日のように遊びに来させてもらったんです」。
以前にも、県立高校再編が検討され移転が取りざたされたことがありました。浅賀さんたちは市民団体を作り、校内を巡る散策会を教員らと開いて、「地域の宝」の存在を多くの市民に伝えてきました。
同校は1923年(大正12)に開校。その年に発生した関東大震災の被災地となった横浜に、生徒たち50人余りの自転車隊が農場で収穫した野菜を届けたという話は、今でも語り草です。広域避難場所にも指定され、東日本大震災でも、多くの帰宅困難者を受け入れました。
浅賀さんは「畑の土壌も、90年ぐらい生徒さんや職員さんが一生懸命耕して大事に作ってきた。せっかくこんなすばらしい環境があるのに」と惜しみ、「やれることは精一杯やっていきたい」と移転反対を訴え続けています。
山あいに巨大車両基地
相原高校のある相模原市緑区には、県駅以外にも、関東車両基地、変電施設、4つの非常口の建設が計画されています。
標高1000メートルを超える峰々が連なる丹沢山地の山あいにある鳥屋(とや)地区。住民の栗原晟(あきら)さん(71)が車両基地が計画されているのを新聞報道で知ったのは、2013年9月と最近のことです。
車両基地が長さ約2キロ、幅約250メートル、面積50ヘクタールにも及ぶ飛行場のような巨大なものであることや、工事車両がピーク時には1日1000台以上も走行することが分ってくるにつれ、「こんなもののために、町の人間の土地を奪われ、退去させられるのはたまらない」と思うようになったそうです。
車両基地の完成予想図は、2015年2月にようやく公開されました。図を見ると、複数の谷が埋められ、鳥屋小学校の背後に迫るように車両基地が計画されていることが分かります。
地域の真ん中を車両基地が貫き、多くの家屋が移転対象となる谷戸地域の自治会は建設反対を決議し、「リニア車両基地絶対反対!」の看板を掲げています。一方で、どうしても建設が避けられないのなら地域全体で移転を、とJR東海に要請していますが、話は平行線のままです。
住民、法廷に立つ
沿線住民ら738人が昨年5月、国のリニア計画認可取り消しを求めて東京地裁に起こした行政訴訟。原告として参加した栗原さんは12月9日の第2回口頭弁論で法廷に立ち、意見陳述しました。
「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」
日本初の公害問題となった足尾銅山鉱毒事件と闘った田中正造の言葉を引用して、リニア計画に疑問を投げかけました。
今回の取材を13分の映像にまとめた作品「リニアが来るまち」をOurPlanet-TVホームページ(http://www.ourplanet-tv.org)やYouTubeで公開しています。
プレゼントご希望の方は
ハガキまたはe-mailで、下記のアンケート1〜6をご記入の上、編集部・プレゼント係りまでお送りください。
〆切:3月25日 当日消印有効。(Cは3月10日)
B 、Dはにらめっこ編集室に受け取りに来ていただける方。
宛先:〒504-0855 各務原市蘇原新栄町2-25
※お寄せいただいた個人情報は、本紙プレゼントの発送に限り、使用させていただきます。
アンケート
1- あなたがこの春挑戦すること、したいことは?
温かくなって草木や虫、動物たちも動き始めます。さあ、あなたは?
2- 気になるにらめっこ紙面での広告
3- 気に入った記事、気に入らない記事のタイトル1つ
その理由もお書きください。
4- ご希望のプレゼント名 (第1希望・第2希望)
5- 本紙をどこで入手されましたか?
6- 氏名、年齢、住所、郵便番号、電話番号、家族構成
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A.「八海山 貴醸酒引換券」
ワインショップ サチ様より…3名様
貴醸酒とは、三段仕込みの最後の「留仕込み」に仕込み水の代わりに清酒を使う贅沢なお酒です。味が極めて濃く、食後酒向きの奥行きの深い味わいです。300ml入り。ワインショップサチさん(各務原市尾崎西町)で、商品とお引き換えください。
B.「無農薬 ほうじ茶」 ちゃぼぼ園様より…3名様
760年の歴史をもつ春日の在来種の茶木は、地中に深く根を伸ばし、大地に呼応し、自然の恵みだけで育ちます。無農薬、無添加の深く澄んだ味を楽しんで。にらめっこ編集室でお受け取りください。
C.「Jazz Barご招待券」 アートギャラリー是様より…2名様
3月12日(日)開場18:00 開演19:00 会場アートギャラリー是(関市武芸川小知野489)
ちょっと日常から離れて、大人なひとときはいかが?ピアノとウッドベースが奏でるジャズが心地よく心に、身体に染みわたります。(軽食と飲み物ご利用される場合の料金はご負担お願いします。)
https://www.facebook.com/%E6%98%AFZE-1169062646482636/
D.「粉石けん シャボン玉 スノール」 にらめっこより…2名様
良質の天然植物油脂を原料にした純石けん分99%の無添加石けん。手肌にやさしく、デリケートな衣類も洗えると好評です。にらめっこ編集室でお受け取りください。
E.「CINEX 映画招待券」シネックス様より…ペア3組様
主人公と一緒に泣いたり笑ったり、感激したり。自分とは違う人生をほんの少し体験する。いやあ〜、映画って本当にいいですね♪ (招待券はシネックスマーゴではご利用になれません)
仏教との出会い
得度式というお坊さんになる式で僧侶となり、10年です。
実は僕、お寺の生まれではなくて、美容師として生きていきたいと思っていました。お寺の娘さん(現在の妻)と出会ったのが、この世界に入るきっかけではありましたが、美容師を続けたくてお寺を継ぐことは考えていませんでした。結婚するとき、住職であるお義父さんから、「お寺は継がなくていい、結婚したからお坊さんになるなんて気持ちでなれるものじゃないよ」と言われました。だからといって仏教のことを考えることすらしないなんてどうなのかな、一応勉強だけでもと、自分で勉強をしてみたら、大分思ってた世界とは違ったんですね。
僕が小学校の頃にオウム真理教の事件がありました。宗教=オウムという1つの形ができている世代で、それまでは、お寺に入るだなんてそんな恐ろしい、みたいな(笑)。だけど、自分で本をめちゃめちゃ読んで学んでみると、全然違うんですよね。特に禅っていうのは宗教ではない、哲学のようなものだと思うんです。どんどん学んでいくうちに、これは思っていた程悪い世界じゃない、むしろ一生かけて学んでいく価値がある世界だなあと思って。そこから禅を学び始めたんですね。
そりゃあ僕も悩みましたよ。嫌でしたもん、頭剃るなんて(笑)。でも、何で自分は美容師になりたかったんだろうってよく考えたんですね。すると、あ、自分は人からかっこよく見られたかったんだ、と気づいた。で、かっこ良く見られたいというのと本当にカッコイイというのは、ちょっと違うんじゃないか。禅を学んでいくと、そういうふうに考える様になって、これは一生かけてでも学ぶべきものなのかなあと思って。で、大転換ですよね(笑)。
「今」「ここ」「自分」
人からカッコイイと思われたいということは、人からどう見られるかが自分の価値になる。そう考える人は、無条件に自分で自分を認めることができないんですよね。それって本当に苦しい。そうなるとへりくだってでも人から良く言われたいとか、自分を抑えて生きていくとか、そういうのに繋がっていきがちですよね。
禅の考えで「今」「ここ」「自分」という三つのベクトルがあるんですが、過去でも未来でもない今この瞬間に、自分がいるここで、自分が何をするか。それが大事なんだよ、と。それは意識的にしないとわからないですね。
出版
禅語って端的にポンと言うんですよね。そこから自分で、頭の中で考えるのではなくて、体験の中で理解していきなさい、というような姿勢なんです。でも、現代では、ポンってひと言だけではなかなか伝わらないですね。文字化というか言語化するというのが必須になってきています。
ただ、この本の冒頭にも書いたんですけど、頭で理解することがゴールではない、ということが大切なんです。最後の一歩は自分の体験として理解しないと、それは本当の理解じゃないんだ、っていうのが禅の基本です。それだけは分かっていただきたいです。その上で、そこに至るまでは文字がとっても大事なんですね。そういうことを感じたので、本にしました。
この本には文字以外のイメージとして写真が多く使われています。百聞は一見にしかずというか、文字だけでは伝わりにくいことが、写真を加えることでことばの意味がひろがるのではないかと思ったんです。
そして、出版社にこういうのを考えているんですけど、どうですかって伝えたら、1社からお返事いただいて。本当にありがたかったですね。
一押しの言葉
本の中で一番最初にもってきた「冷暖自知」。知識で本当のことは理解できない、体験じゃないとわからないよって言ってるんです。お風呂の温度が温かいか冷たいかは自分で入ってみないとわからない。入った人が仮に良いお湯だったとしても、41℃なのか39℃なのかわからないですからね。結局、あらゆることがそうだけど、自分の体験なくしては知ることはできないんだ。人から聞いて知ったつもりになっているのは、借り物の情報であって、知識とはいえない。ところが、今の社会は情報イコール知識というように考えられてます。情報というのは自分の生き方を左右するような知識までには上がらないんですよね。それをどうやったら知識までに高められるかといったら、ひとつはやっぱり体験だと思うんです。
僕も5歳と2歳の子どもがいるんですけど、失敗してもいいからいっぱい体験すればいいって思います。ただ、なかなか子どもだけで外で遊ばせるってことができなくなってきたりと、そういう環境も今は少なくなってきてるのかなって感じはありますね。
伝えるツール
ちょうど一ヶ月くらい前からなんですけど、ブログを始めたんですよ。僕、いまだにガラケーで、インターネットは未知の世界だったんですけど、仕事上メールのやり取りが必須になってきて、しょうがないなって思ってネット環境を整えました。そしたら、今って本当になんでも検索なんですね。それで、多くの人に知ってもらうということを最優先に考えれば、ブログという形でもいいのかなあって思いまして。
でも紙、いいですよね。僕は紙が好きなので最初はやっぱり「本」にこだわりましたが、ネットでは、日々の暮らしを綴るブログ「禅の視点-life-」を、もし良ければ読んでください。
仏教のよい点
仏教は、絶対者に対する信仰ではなくて、あくまでも本当に世の中はどうなっているのか、という見方で成り立っているので、他を否定しないんですね。
仏教は昔からある宗教と混ざり合ったりして、ものすごく形が変わりました。今、日本でもすごく混ざり合っていますけど。それがいけないというか、自分がないみたいにとられる人もいますけど、それは1つの寛容性の現れじゃないかと。他を否定しなければ、当然自分が変わることはあるんですね。それは別にいいんじゃないか、自分が変わったところで世界に存在する真理は何も変わらないんだから、といった寛容性というのはとてもいいですよね。
仏教の説き方で、待機説法というのがあるんですが、相手によって分かりやすく比喩を持って説き方を変えるんです。みんなに同じこと言うんじゃなくてね。そういうのは本当に面白いなあ、なるほどなあって思います。人にこういうことを伝えたいなって素朴に思いました。仏教、いいなと思いますね。
佐藤隆定(さとう・りゅうじょう)
1984年。愛知学院大学文学部在籍中、曹洞宗で出家得度。卒業後、福井県永平寺にて修行。現在、岐阜県美濃市霊泉寺副住職。禅僧でありつつエッセイストとしての顔ももつ。「生きる」という、人間にとって根源的・日常的な活動について禅という視点から考え、法話や執筆等を通じて多くの人々に伝える活動を行っている。
佐藤さんのブログ「禅の視点-life-」 http://www.zen-essay.com/
『糧になる禅語』(国書刊行会) 定価:1,300円+税
売り上げの内、著者分印税は、認定NPO法人 国境なき子どもたち(KnK)に全額寄付され、困難な状況下にある青少年の教育と自立のために活用されます。
腸内フローラと同じくらい大事だと言われている口内フローラとは?
口内フローラとは、口内にある細菌のバランスのこと。口の中には、いろいろな細菌が住みついていて、お花畑のように、細菌叢を作っていると言われています。善玉菌、悪玉菌、日和見菌と、腸内フローラと同じような状態で口の中にいるといわれています。ちなみに、その数は、約700種類、1000億個以上の細菌だと言われています。善玉菌の方が多ければ口内フローラはよいバランスが保たれていることになります。
腸内フローラと違う所は、細菌が血管に簡単に侵入できる点だと言われています。腸内フローラでは、万が一血管内に侵入したとしても、肝臓で解毒、つ まり細菌として働けないようにされてしまいます。が、口腔内から侵入した細菌は、解毒されずに体中に運ばれてしまいます。その時間は何と、90秒足らずだ と言われています。なので、虫歯をそのままにしておくと、命を落とすとか、歯槽膿漏によって、重大な病気になってしまうとか、昔からよく言われています。
そのためにも、口内フローラを見直して病気にならないように十分に注意することが必要になってきています。
口内環境が原因でおこる病気に注意
もともと、口内は呼吸器の末端であり、さまざまな疾患の引き金になりやすいことに加え、口内細菌は血管内に侵入する可能性が高い。それらがきっかけとなり、動脈硬化や悪性腫瘍、リウマチ、早産などの深刻な疾病につながる危険も高まってくるため、気を引き締めなければいけません。
虫歯や歯周病などの予防ケアはもちろんですが、これからは年齢とともに乱れがちな口内フローラを、いかにいい状態で保てるかが重要になってきます。
口内環境作りの鍵は唾液と乳酸菌
まずは、「天然の抗菌剤」である唾液の分泌を促すため、よくかんで唾液腺を刺激することです。そして、善玉菌を増やす乳酸菌を上手に摂取しましょう。糖質過多の食事を避けて、抗酸化作用の高いものを摂取することも大事。もちろん、正しいオーラルケアをしたうえでの話です。虫歯などの口内の問題が山積みで、手っとり早く口内フローラをよくしたいという人は、まず乳酸菌を摂取するように。乳酸菌を摂取すれば善玉菌が増え、口内のpH値が下がって病原菌の侵入を防げるから。口内フローラを整えることは、腸内フローラを整えることにつながります。
抗酸化作用の高い食品
NO.1は、バナナです。バナナはアミノ酸や各種ビタミンの宝庫であり、食物繊維もたっぷりと含まれた食品です。
次に、カボチャの黄、ニンジンの赤、ピーマンの緑・・・いわゆる緑黄色野菜の色は、カロチンという成分が含まれている証拠で、抗酸化作用の高さのバロメーターです。トマトに含まれるリコピンや、ナスに含まれるアントシアニンも抗酸化作用の高い成分です。色とりどりの野菜を食べて、抗酸化作用の恩恵にあずかりましょう。
そして、キャベツ、ほうれん草、ブロッコリー、ケールなど。
抗酸化作用の王様として君臨するのは、ニンニク、ショウガ、ネギ、セロリなどのいわゆる香味野菜!!旬に応じて手に入れて、できれば、皮ごといただきましょう!
口内フローラの改善方法その1
まず、「パタカラ体操」をやってみましょう。唾液の分泌を促して歯周病の予防にもなります。そのやり方は、
「パンダの宝物は、パパパンダからもらったラッパ。歩いてパタパタ、鳴らしてパタパタ、高かったラッパで財布の中身は空っぽ」と唱えます。それぞれの鍛えられる筋肉は、
•パ 唇 •タ 舌の中央 •カ 舌の奥 •ラ 舌の先 なので、「パタカラ」と唱えても良いのですが、文章にした方が楽しいかもしれませんね。舌の筋肉や唇の筋肉を鍛えることで唾液の分泌を多くし、歯周病を予防します。
悪玉菌を防ぐ飲み物は、緑茶がオススメ。食後に一口飲んでぶくぶくするだけでグッド。
改善方法 その2
♪寝る前の歯磨きは入念に行う。一か所あたり10秒。 ♪歯周ポケットを磨く。歯ブラシを歯に45度に当ててかきだす。 ♪良い睡眠をとって自律神経を整える。 ♪口で呼吸するのは辞めて、なるべく鼻で呼吸する。 ♪ビタミンDとAを取る。 ♪食事はよくかんで食べる。
特に歯の磨き方が大切です。鉛筆を握るくらいの弱い力で、スキマに入れて、なるべく細かく振動させて磨きます。動いていないと思うくらいの細かい動きがちょうどいい加減です。
気になる木枯らしの季節 究極の風邪予防!
風邪は万病のもと!そもそも、風邪とは?
風邪とは、主にウイルスの感染によって上気道(鼻腔や咽頭等)が炎症性の疾病に掛かった状態のことであり、咳嗽、咽頭痛、鼻汁、鼻づまりなど局部症状(カタル症状)、および発熱、倦怠感、頭痛などの全身症状が出現した状態のことである。 鼻汁は通常、風邪の初期はさらさらとした水様で、徐々に粘々とした膿性に変化する。
風邪の予防はヨーグルトでOK?
TVとかメディアで風邪の予防や対策は、ヨーグルトでOK!って本当?調べると、ヨーグルトには乳酸菌が入っているから。ただ、乳酸菌がウイルスをやっつける!のではなくて、乳酸菌によって腸内環境を整えて、免疫力を上げるっということなんです。
風邪予防の効果的な方法は?
では、免疫力を高めたうえで、風邪にならないための予防は何でしょうか?ずばり、感染経路の遮断です。1.手で口や鼻を触らないこと。2.手をこまめに洗うこと。3.外出時は、マスクをする。これだけで、風邪予防の確率はかなり上がるはずです。マスクは本当に大事です!では、万が一かかってしまったら、どうすればいいんでしょうか?これもずばり、あったかくして、寝る!!!これだけ。風邪にかかって熱が出るというのは体の中で、インフルエンザなどのウイルスを退治するために、白血球やほか免疫機能がフル回転しているんです。発熱は、体が治そうと頑張ってる証拠。体にいい食べ物を摂り、とにかく体を休めましょう。とくにビタミンCは、酸化を防ぎ、白血球が働きやすい環境を整えてくれると言われています。
究極の食べ物・しょうが
しょうがは、加熱したものを食べるように
•しょうがと玉ねぎのスープ•はちみつ入りのしょうが湯•しょうが入りはちみつレモン•ジンジャーミルクティー…まだまだいっぱいありますよ!風邪予防には、マスクを使って、なるべく鼻や口に触らないこと!もしも、風邪にかかってしまったら、ビタミンCとしょうがとヨーグルトをたくさん食べて寝る。これに限ります。
(参:健康の豆知識)
リニアに3兆円!議論深まった?
リニア中央新幹線の全線開業(東京・品川―新大阪間)を早めるため、全事業費約9兆円の3分の1に当たる3兆円を、国がJR東海に融資するための法案が11月11日、臨時国会で可決、成立しました。リニア計画は、民間企業であるJR東海が「全額自己負担」することを前提に国が認可したため、これまで国会で議論されることはほとんどありませんでした。リニア計画に初めて公的資金を投入するための法案が提出された今国会は、同計画を徹底的に検証するまたとないチャンスでした。はたして議論は深まったのでしょうか。 ジャーナリスト・井澤宏明
JR東海の負担減5000億円
「全線開業により、3大都市圏が1時間で結ばれ、人口7000万人の世界最大の巨大な都市圏が形成される。我が国の国土構造が大きく変革され、国際競争力の向上が図られるとともに、その成長力が全国に波及し、日本経済全体を発展させる」――10月4日の衆議院予算委員会で安倍晋三首相は、自らが「21世紀型インフラ」と呼ぶリニア計画の意義をこう主張しました。
今国会に提出された法案は、財政投融資(財投)を活用して、今から29年後の2045年の予定だったリニア全線開業を最大8年間早めることを目的としたものです。
国が財投債という国債を発行して調達した3兆円を、独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」を通じて貸し出します。JR東海は30年間、金利だけを支払い、元本は31年目から10年間で返済します。国の試算では、JR東海の負担は約5000億円減ることになります。
麻生財務相が無責任発言
衆議院予算委員会では、JR東海が確実に返済できるのかを問う共産・本村伸子氏に、麻生太郎財務相が「それまで生きている保証がありませんので、何ともわかりません」とおどけてみせ、本村氏から「無責任じゃないですか」とたしなめられる場面がありました。
26日の衆議院国土交通委員会では、参考人質疑が行われ、アラバマ大名誉教授の橋山禮治郎氏が、全線開業で実現するとされる巨大都市圏について、「現に出来ている。リニアが出来るから巨大都市圏がまた出来るんだということは二重計算だ」と否定的な見方を示しました。橋山氏は、日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)調査部長を務め、国内外の長期プロジェクトを検証してきました。
「東京集中が加速」
安倍首相はリニアを「地方創生回廊」の軸と位置付けています。これについても橋山氏は「リニアは東京集中を促進する」と、その効果に疑問を投げかけました。
推進側の立場から出席した政策研究大学院大政策研究センター所長・森地茂氏は「東海道新幹線が出来るときに、名古屋は没落すると言われていたが、現実はそうではなかった」と反論。東京女子大現代教養学部教授の竹内健蔵氏は東京集中を「否定できない」としながらも、「地方は割を食ってしまうから、(リニアを)やらない方がいいということにはならない」と述べました。
その理由について竹内氏は「東京と名古屋と大阪が一体化することによって国際競争力を増し、勝ち残っていくことができて初めて経済効果がたくさん日本に入ってくる。そういう経済効果が出てくれば、地域に恩恵があるはずだ」と説明しました。
「我田引鉄」のセンセイたち
これに対し橋山氏は「国にとってもっと重要なことがある。それは全国のJRの将来だ」と述べ、赤字路線維持に苦しみ、全路線の半分の「自力維持が困難」としているJR北海道や四国も視野に入れリニア計画を見直すことを求めました。さらに、「国会の決議で中断し、リニア計画は本当に大丈夫か検討することが将来世代への責任だ」と訴え、拙速な結論をいさめました。
専門家の見解を受けて議論は深まるかと思われましたが、リニア推進の議員からは残念ながら、我田引水をもじった「我田引鉄」をほうふつとさせる発言が相次ぎました。
「2020年の東京五輪までに、品川と甲府で部分開通したらどうだと。これは山梨県民みんなが言っている」(自民・中谷真一氏)、「2025年に誘致の構想がある大阪万博会場周辺にリニアを走らせ、国内外にアピールしては」(維新・椎木保氏)。
国土交通省の回答は、いずれも「難しい」でした。
推進議員からも懸念の声
法案の衆議院通過を受け11月10日、議論の場は参議院国土交通委員会に移りました。さすがに「良識の府」だけあって推進議員からも懸念の声が上がりました。
民進・野田国義氏はかつての財投改革を振り返りつつ、今回の財投について「先祖返りじゃないか、これを利用して公共事業等を広げていくんじゃないか」、維新・室井邦彦氏は全国に活断層が2000以上あるとされていることから、「リニアは地雷の上を走るんじゃないのかなという危険性もある」、日本のこころ・中野正志氏は東京五輪特需による建設費高騰で事業費は10兆円を超えると指摘し、「経営の足を引っぱることにならないか。第2の国鉄になることを懸念する声もある」と危機感を示しました。
国の支援を追い風に、JR東海は11月1日に長野県大鹿村で南アルプストンネル起工式を行い、12月13日には、岐阜県初の工事となる日吉トンネル(瑞浪市)着工を予定しています。
巨額な公的資金が投入されることになったリニア計画。国民が関心の目を注ぐことが、ますます必要になってくるでしょう。
Rさんの場合・第2子出産 家族/夫、長女Aちゃん(2歳)
産前
・Rさんに、困っていること、自分でやりたいこと、家族にし てほしいことなどを家族と相談してリストアップしてもらう。
・1品持ち寄りお宅を訪問し、Aちゃんと慣れる。Aちゃんの性格や食べ物の好み、病歴、アレルギーなども確認。
・助産師主催のお話会や、助産院で開催されるお茶会などに一緒に参加、最近のRさんの気持ちの変化や子どもの成長などを共有する。
・お産予定の産院の助産師さんと連絡。ケアの内容をお伝えし、緊急時ご家族で手が回らないことがあれば、ケアママ側に連絡いただくようお願いする。
入院中
産後3日目、Rさんのパパはお仕事、Aちゃんが朝から夜まで助産院で過ごすことに。朝、Rさんからヘルプの連絡をもらったので、食事を持参し、6時間ほど助産院でAちゃんと過ごしました。母親と赤ちゃんが休めるように別室を使わせてもらい遊びました。
産後
ご両親もいらっしゃっていましたが、遠方から来て家事をするということもあり、Aちゃんの遊び相手がほしいと連絡をもらいました。それでは!と、夕飯前の時間に、おかずを1品持ってケアママの子ども2人連れてお訪問。赤ちゃんの抱っこはご両親が、Aちゃんの遊び相手はケアママ親子が担当し、思いっきり遊びました。
Rさんの感想
実家が遠方なので本当に有り難かったです。特に、産前にケアママと一緒に過ごせたことは大きかったです。お腹が大きい中、長女と自分の二人っきりの時間が多かったので精神的にきつかったんです。
入院中は、あの日に来てもらえなかったら、どうなっていたか想像するだけでも恐ろしい。
第2子のお産では、長女との関わりが一番の心配事でした。両親と長女、お互い一緒に遊ぶことに慣れてないので、満たされない部分を、思いっきり満たしてもらえたのはよかったです。どうしても我慢させることが多くなってましたから。
ケアママと産前に話し合えたり、母子ともに遊びながら慣れていけたのはとても良かったです。信頼関係ができていたので、安心してお願いすることができました。
Tさんの場合・第3子出産 家族/夫、長女Bちゃん(5歳)、長男Cくん(2歳)
産前
・心配事は、やんちゃなCくんと、心の繊細なBちゃんの心のケア。Cくんの出産後に無理をして、長く続く体調不良を経験したので、今回は自分の体も大事にしたい。
・夫、実母、義母の助けを受けやすい環境でした。それでも困り事や、不安はあります。チームみんなでそれを理解し、産前、産後のサポート体制について確認しました。
・やんちゃなCくんのお世話は出産直前のママにはとっても負担でした。ケアママのアドバイスもあって、一時保育や保育園を利用。ママもCくんもハッピー♪
入院中
赤ちゃんが小さく生まれたため、搾乳が必須に。必要な搾乳機やほ乳瓶は買わずにケアママのものをシェア。受け渡しがてら楽しくおしゃべりができて、入院中のTさんも気分転換になりました。
産後
家族、親戚のサポートが手薄な頃に、Tさんの食の志向を知っているママたちが手作りのおかずを1品持ち寄り訪問。気心が知れた仲間と話せるだけで、精神的に気楽になり、その後の育児にも余裕が持てたようでした。
生まれてきた子は「おっぱいをあまり飲まない子」!
上の子たちは、よく飲んだので予期していなかったママ。
そこで、経験したことのあるケアママや助産師さんからの情報などを
伝えました。
産前にはこんなことも一緒に!
★布おむつを母乳パットにする方法。晒しでおんぶや抱っこの練習。
★赤ちゃんにも安心安全な染め物、
晒しの発酵藍染めワークショップ。
Tさん感想
両親、義両親の手助けがあり、沐浴や産院までの送迎など体力面で助けてもらいました。が、食事は市販のお惣菜で準備してもらうことが多く、体があまり受け付けずに困ってました。なので食材の良さを生かしたシンプルな手作りの1品持ち寄りは、とても嬉しかったし、体も喜びました。
引きこもりがちな産後生活では、話しやすい友達が来てくれて話すだけでも精神的に回復し、パワーをもらえました。
ケアママさんたちにとても感謝しています。
産後の一品にオススメ!
玄米クラッカーの味噌ディップ・豆乳ヨーグルディップ
忙しいときも片手でつまめます。
子どもたちのおやつや、ちょっとしたパーティーメニューにも。産後のこもりがちな生活でもプチパーティー気分になれますよ♪
【味噌ディップ】
八丁味噌、おろししょうが、ごま、をお好みの分量で。
仕上げに青じそを
【ヨーグルトディップ】
一晩水切りした豆乳ヨーグルト、できれば、国産の非加熱はちみつを、お好みの分量で。
仕上げにコショウを振りかけます。
子育てコミュニティ toco toco
一宮市を拠点に活動する子育てコミュニティ。子どもと働く、助産師とのつながり、食べることは生きることの3つの柱を基盤に、砂糖や膨張剤を使わないおやつ作り、農薬や化学肥料を使わない野菜作り、自然な子育て学び合い会など開催。子どもへの関わりを通して、各世代が繋がり、それぞれの役割を発揮できる地域社会を目指して。活動案内はfacebookで紹介 http://www.facebook.com/tocotocodream
問合せtocotoco.enjoyhug@gmail.com 090-9902-7151(せんごく)
ピンチヒッター・国枝の報告
この報告を載せていただくようになって4年目に入り、今回が第20回になります。この間に、中心になって原稿を書いてくれていた奏さんは高校3年生になり、受験の準備に追われいます。というわけで、原稿を書こうにも活動が完全にストップしている状況です。そこで今回、20年来高校生の平和活動を応援してきたボクが、ピンチヒッターとして全国高校生平和集会in沖縄と辺野古・高江について報告させてもらうことになりました。
※国枝 16年3月、37年勤務してきた県立高校を定年退職、教育に関わる仕事を続けながら、こういった活動を応援し続けています。
全国高校生平和集会
ここで何回か報告させてもらった「全国高校生平和集会」というのは、高校生が平和について自主的に学び、交流するために広島・長崎で開かれてきた集会で、今年で43回になります。この間、参加してくれた高校生たちは平和について様々な視点から学び、行動してきました。岐阜からも多くの高校生が参加し、現在では、医療や教育、地域おこしなど様々な分野で活躍しています。
沖縄での集会
1995年沖縄で起こった少女暴行事件を契機に、子どもの視点で「平和と戦争そして基地」について現地で学び、考えることを目的に翌1996年、第1回の「全国高校生平和集会in沖縄」が開かれました。それまで被爆地ヒロシマ・ナガサキで開かれていた集会を沖縄でもやりたいということで、現地の高校生と支援者が主体となって始められたのですが、その後しばらく中断していました。
それが、現政権の沖縄に対する圧力がどんどん強くなっていくなか、沖縄がオール沖縄として異議を唱えていく、そんな今を学び、平和について考えようということで2011年に再開、2015年にも行われました(この時の様子は司君が今年の3・4月号で報告してくれました)。
去年12月の集会で訪れた辺野古キャップシュワブ前のテントでは、予定になかった稲嶺名護市長のお話まで聞かせていただくことができ、その前向きなお話に考えさせられることも多かったようでした。
高江のことで
今、オスプレイ離着陸帯が作られている東村高江は、辺野古からさらに車を飛ばして1時間以上かかるようなところで、とにかく遠いです(この記事を読んでいたくころには完成しているのではないかと思いますが)。
現地の人が差別のマトリョーシカ人形状態にたとえていますが、日本の課題を沖縄に押しつけ、沖縄の課題を山原に押しつけ、山原の課題を高江に押しつけるといった構図で、人口140人しかいない超ど僻地のムラに日米安保体制の矛盾が押しつけられています。
国が、米軍北部訓練場のうち約半分にあたる4,000㌶返還の条件として高江周辺に新しいヘリの離着陸帯6か所を建設することを受け入れ、それがオスプレイの使用も可能なものだとわかっていくなかで、住民の反対運動が始まりました。ただ、ここまで情報はあまり伝わってこず、ボクも現地に足を運ぶことはありませんでした。2011年の高校生集会の時、高校生を連れて訪れた高江のN4前の抗議テントは平穏でした。(写真はその時のものです。)
その後、県道から近いN4地区の2つのオスプレイ離着陸帯は13年、14年と相次いで完成します。しかし、その後騒音問題とかが知れわたり、しかも、残り4か所の工事が自然破壊を伴う難工事になるということもあり、工事は事実上停止していました。
それが、今年6月にお邪魔した時に聞いた「選挙が終わった頃が心配だ」という言葉通りの事態になってしまいました。今、高江は法を守って当たり前の人たちが、工事の年内完成を目指して、法を犯して当たり前といった調子で、作業を進めています。今ではとても高校生を連れていくことはできません。こんな場所がこの日本にあることを異常だと思いませんか?ただ、11月に行った現地で、この問題に関心を持って訪れる若者を何人も見かけたのは救いでした。
工事は間もなく完成するでしょう。けれども、ひとりでも多くの人がこの事実をしっかりと受け止め、これからますます沖縄に注目して、沖縄を特別扱いしないよう、そしてさせないよう見守っていかなくてはならないと強く思っています。
二ホンミツバチ(トウヨウミツバチ日本亜種) (Apis cerana japonica)
ミツバチは、ハチ目(膜翅目) ミツバチ科 ミツバチ属に分類され、現在、世界に9種が確認されており、24の亜種が知られています。昔から日本に住んでいるミツバチは、トウヨウミツバチの日本亜種で二ホンミツバチと呼ばれています。体長は1.0㎝~1.3㎝です。明治時代に輸入されたセイヨウミツバチによる養蜂が始まる以前は、この野生ミツバチを使った採蜜が各地で細々と行われていたようです。養蜂家が飼育し、蜂蜜の採取や果樹の受粉用に利用されているのはセイヨウミツバチです。クマのプーさんやミツバチマーヤでお馴染みのミツバチはこのセイヨウミツバチです。岐阜県は早くからこのミツバチを使う養蜂が盛んで近代養蜂発祥の地と呼ばれています。野生の二ホンミツバチは、寺や神社などにある大きな樹の洞や人家の床下、屋根裏、墓の中などの小さな空間に住んでいます。冬は、ミツバチにとって厳しい季節ですが、ネオニコチノイドなどの農薬の被爆を受ける心配のない季節でもあります。この季節は、ツバキやビワ、ホトケノザ、オオイヌノフグリ、ナズナなどから花粉や蜜を集めます。野生のミツバチが訪れる冬の花を探すのも楽しいことです。
写真・三輪芳明(みわよしあき)プロフィール 1952年 関市生まれ。仲間と岐阜県では絶滅したと考えられていたコイ科の魚類ウシモツゴを発見、人工的な大量繁殖させ野生復帰に成功する。岐阜・美濃生態系研究会 二ホンミツバチ協会 日本チョウ類保全協会。
折り紙は創る楽しみ、折る楽しみ、できあがったものを鑑賞する楽しみがあります。オリジナルな作品を開発することもできるし、自分がイメージしたものをどう表現するか、など折り紙の奥は深いですよ。見るだけなら紙がぐちゃっとなっても、それは個性とか、表現、といった風に理解でき、アート作品にもなります。しかし、紙ヒコーキとなると正確さが大事になります。まず中心をつくる。左右対称でも、アシンメトリーでもいいです。中心線は最後に決めてもいい。大切なのは、左右の重心がほぼ同じ場所であることです。重心の位置というより揚力の中心かな?揚力の位置が重心からあまり離れていると、上手く飛ばない。極端なアシンメトリーもあまり飛びません。飛ぶか飛ばないか、これはもう感覚ですね。計算はできないですが、バランスがとれていればどんな形でも飛ぶんです。どういう飛び方を狙うかによって、折り方や重心の位置が変わってきます。形に凝って非対象にしたかったら、重心の位置をどこにしたらいいのか、試していくと、いろいろ気づいてきます。
紙ヒコーキの魅力とは?
自分で考えたヒコーキを形にして実際に飛ばせるというところが一番魅力的ですかね。ほかの人が考えたモノを作るのも悪くはないんですが、自分のイメージ、こんなヒコーキがあったらおもしろいなあと思ったら、それをすぐ形にして、飛ばしてみることが出来ます。
もうひとつの魅力は、作ったもので遊べる!ということですね。想像して手を使い、走り回ったりと良い要素が全部入ってる。また、一人でも、大勢でも、家の中でも、外でも、雨の日でも風の日でも、元気なときも病気の時も、いつでもどこでもできる。折って飛ばすだけの全天候型の遊びです。
よく紙で作った模型を見ますね。たとえば、建物、橋、船、車などですが、船を造っても実際に水に浮かべることはできない。車は転がるけれど自分では走れない。しかし、紙ヒコーキは、自分で作れる本物のヒコーキです。だって飛ぶから(笑い)
飛ぶか飛ばないかは、じつは空気が決めるんです。空気を読まないと自分がいくら望んでも飛ばないものは飛ばない。いたってシンプルです。逆にこれ絶対に飛ばないだろうなと思っていたものが、飛ぶということもある。理にかなっていれば飛ぶんですね。紙ヒコーキは、いろいろ工夫して実際やってみて、どんどん工夫を重ねていけるおもしろさがあります。
空との会話を楽しむ
空に浮かぶ紙ヒコーキは「空との会話」をしているようです。よく飛ぶヒコーキは空に認められたとも感じます。
僕の友だちが、ゴムパチンコ動力を使って千葉から紙ヒコーキを飛ばしました。上昇気流に乗って、海の彼方に消えちゃった。でもちゃんと見つかったんです。東京湾を渡りなんと羽田空港に降りたんですよ!どう考えても2時間以上は飛んだ計算になる。旋回しながらずーっと飛んでいたと思います。直線距離にすると40キロくらい?しかも舞い降りたのが羽田空港!って、おもしろいでしょ。もう一つすごい報告もあります。気球に乗って37000メートルの高さから飛ばした人がいます。ドイツで飛ばして、回収されたのがオーストラリアでした。いくつも飛ばして見つかった一つでしたが、インドでも発見されたようです。
今一番興味深いのが、宇宙空間から地球へ、です。こんな小さな紙ヒコーキが宇宙ステーションから放たれ、地球に舞い降りる・・・なんて想像するだけでも楽しいですよね。実際、友人の計画に日本の からはオーケーが出ているんです。 も「やってみよう」ってことになったのですが、どこに落ちるかわからないような操作不能なものはやはり認可できないとか。法に触れるのかなぁ? 制御できれば問題ないらしいのですが、自然に任せて、成り行きを見守るということがあり得ないことかもしれないね。 紙なのでどこに落ちても問題ないように思うんだけど、ルールはルールです。でも、ワクワクしますよね。絶対にやりたいですよ。紙ヒコーキから宇宙の話になりましたが、壮大なロマンを感じますよね。
BOOK紹介
詩とインタビュー
詩集でもない、写真集でもない。といってインタビュー特集でもない。うーん、なんと説明したらよいか・・・そう!摩訶不思議なbookというしかない。そんな本です。マーマーマガジンがリニューアルした「詩とインタビュー まぁまぁマガジン」。
マーマーマガジンは、有機的な生活、人道的なファッション、新しい意識や生き方のこと、目に見えない世界のことを取り上げ、「自分を大切にすることが、自分のまわりの人や自然を大切にすることにつながる」・・・そんなコンセプトで編集され、読み応えのある本でした。しかし、めまぐるしく変わる時代に生きる私たちにとって、普遍的なものはなにか。そう問うたとき、編集長の服部みれいさんは詩とインタビューに落ち着いたのかもしれません。それが一番『自分らしい』と。
もう一つ、雑誌が変容した理由は、マーマーの編集部が東京から美濃に引っ越したこともあるようです。持続可能な生活になったことで、編集方法もシンプルに。「詩もインタビューも、アプローチは違いますが、言葉を使う表現の中では最もシンプルな「ほぐし場」だと思っています。どんどんほぐされていき、てきとうになって、ゆるんでいく先に、今という時へのヒントがあると感じています」とみれいさん。
いいなぁ、「てきとう、ゆるむ」…今後、私たちの暮らしのキーワードとなりそうです。
ドキュメンタリー
ドラマや映画の面白さは、原作や脚本の良し悪しで決まります。視聴者は優れたストーリーに操られたいのですが、見る前にオチが分かるような貧弱な脚本は興ざめです。そこで、ドラマより面白いドキュメンタリー番組のオススメです。ドキュメントとは、元々記録や資料のことで、実際の記録による映画や番組はドキュメンタリーと呼ばれます。「事実は小説より奇なり」と言われるように、時に経験したことのない意外な現実、想定外の状況に直面します。例えば、トランプ氏が劇的な勝利を収めていったアメリカ大統領選挙の中継、東日本大震災での津波や原発事故の過酷な映像は、私たちに深い衝撃を与えました。オリンピック/パラリンピックでの息詰まる演技や、大自然に生きる動物の姿は、私たちを引きつけてやみません。ドキュメンタリーは予定調和的なオチのないドラマです。
こうしたドキュメンタリー番組には、NHKを除けばなかなかゴールデンタイム(19時~22時)ではお目にかかれません。しかし番組表の隅っこをみると、中京テレビでは日曜深夜25時(午前1時)30分から『NNNドキュメント』、CBCでは日曜23時から『情熱大陸』、同じく日曜25時55分から『伝える’16』、メ~テレはときどき『メ~テレ・ドキュメント』、東海テレビもたまに『ドキュメンタリー劇場』などの力作を放送しています。先日発表された今年度の、「放送文化基金賞」最優秀賞(放送文化基金)と「日本放送文化大賞」(民間放送連盟)は、東海テレビのドキュメンタリー「人生フルーツ ある建築家と雑木林のものがたり」が受賞。高蔵寺ニュータウンを設計した津端修一さん夫妻の波乱の人生を描いたものです。また「放送文化基金賞」ラジオ部門最優秀賞は増えすぎた野生動物の駆除・殺処分を依頼された猟師たちの苦悩を追ったCBCの「贄の森(にえのもり)」でした。何気ないニュースの裏に潜んでいるものごとの真実や、人生の深い葛藤に迫るこれらの作品を見ると、思わず居住まいを正してしまいます。ところで、こんな面白い番組が、ほとんど深夜でしか放送されないのは何故でしょう?あまりスポンサーがつかないこと、私たちが見ようとしないので視聴率が低い、という悪循環です。これから年末は、芸術祭を狙ったドキュメンタリーの力作が出てくる季節です。あなたもちょっとハマッてみませんか?世の中捨てたモンじゃないなあ、と思えてくること請け合いです。
つだまさお・プロファイル
1943年金沢市生まれ。京都大学卒業後1966年~1995年NHK(福井・岐阜・名古屋・東京)で報道番組の制作・開発に従事する。その後東邦学園短大、立命館大学でメディアやジャーナリズムの在り方を教えたり、全国の市民メディアをつなぐ仕事に携わる。ぎふメディアコスモスの中から発信する市民による市民のための放送局「てにておラジオ」代表。
私はマンションに暮らしていますが、近年、近隣で吊り下げ型の殺虫剤や香りの強い柔軟剤が使われるようになり、それが窓や換気口から室内に入ってきて呼吸困難やふらつき、頭痛などの症状が現れ、苦しんでいます。私が過敏症で苦しんでいる事を伝えて、吊り下げ型の殺虫剤や柔軟剤を使用しない様にお願いして廻っています。(60代男性)
つり下げ式殺虫剤(または「虫よけ商品」)が近くにつるしてあり、困ったというメールを、「にらめっこ」の記事「香料について」を読んだ方から頂きました。私はそのような殺虫剤が広く使われているなら問題です。それで今回はつり下げ式殺虫剤を考えます。
つり下げ式殺虫剤は役にたつの?
つり下げ式殺虫剤が最近宣伝されているのを見ます。害虫を殺すために、普通、殺虫剤は大量に散布される。しかし、つり下げ式殺虫剤のように、徐々に蒸発して嫌な蚊やハエなどを殺す殺虫剤はあるのでしょうか?あれば相当強力なものでしょう。
つり下げ式「いやな虫を寄せ付けない」(アース製薬)や「いやな虫をシャットアウト」(興和)、「イヤな虫の屋内への侵入を防ぐ」(大日本除虫菊)、「虫よけバリア」(フマキラー)などが販売されていました。しかし、これらのつり下げ式殺虫剤はユスリカとチョウバエにしか有効ではありませんでした。日本にいるこれらの昆虫類は血を吸いません。
消費者庁の措置命令
この問題について、消費者庁は「4社が行った...表示は、対象商品の内容について、一般消費者に対し、実際のものよりも著しく優良であると示すものであり、景品表示法に違反するものである旨を一般消費者へ周知徹底すること」という措置命令を出しました(2015年2月20日)。措置命令とは、商品の品質や値段について実際よりも優れている、または安価であると消費者が誤解するような不当表示などをした業者に、消費者庁がその行為の撤回、再発の防止を命じる行政処分です。要するにあまり効果がないものを、他の虫(蚊など)にも効果があると思わせようとするもの、つまり詐欺に似ているとしました。
今のつり下げ式殺虫剤は?
現在販売されている主な虫よけ商品の有効成分はDDVPかメトフルトリンです。これらの殺虫剤は安全でしょうか。
DDVPはヒトに対する発がん性が疑われる
DDVP(ジクロルボス)は有機リン系殺虫剤です。有機リン剤には毒性が強いものが多い。2008年1月末の中国製ギョウザ中毒事件はギョーザに混入されたメタミドホスという有機リン剤の中毒でした。DDVPはメタミドホスほど強い毒ではありません。しかし、国際がん研究機関IARCはDDVPを「ヒトに対する発がん性が疑われる化学物質」(グループ2B)に分類しています。このようなものを他人に影響する場所につり下げて良いのでしょうか?
ピレスロイドはホルモンかく乱物質
メトフルトリンは除虫菊中の殺虫成分に似た合成化学物質、ピレスロイド系の殺虫剤です。この殺虫剤はあまり研究されていません。研究が少なく毒性がよく分からないということは、安全だという意味ではありません。「何が起こるか分からない」のです。
東京都健康安全研究センターによると、多くのピレスロイド系殺虫剤はエストロゲンのような性質を持ちます。また、1980年代初頭、米国でハイチからの難民にピレスロイド系のシラミ駆除剤を使った所、女性化乳房が多く現れたことが知られています。2003年の研究は、女性化乳房の原因をシラミ駆除剤に入っていたピレスロイド剤が男性ホルモン(アンドロゲン)の働きを妨害したためであると報告しています。女性化乳房とは男性の乳房が女性の乳房のようになることです。
総合防除
蚊などが多い場合、どうすれば良いでしょうか?害虫の防除のために、化学物質に依存するのは環境や人間の健康に良くないため、農水省や厚労省はIPMを勧めています。IPMとは一般に総合防除といいますが、農水省では「総合的病害虫・雑草管理」、厚労省では「総合的有害生物管理」という言葉を使っています。総合防除は害虫の侵入を防止し、繁殖がしにくい環境を作り、それでも害虫が多い場合にのみ、人間や環境に安全で駆除に有効な殺虫剤を使います。
具体的には
総合防除は特異な方法ではなく、蚊などの害虫の侵入を防ぐために網戸や蚊帳を使ったり、発生源対策として、わずかな水たまりでもなくすように空き缶やバケツなどを放置せずに整理する、植木鉢の受け皿に水をためないなどを先ず行います。これらの対策はデング熱やジカ熱のような蚊媒介感染症対策として国が勧めています。
殺虫剤使用
殺虫剤使用は環境と人間の健康に有害です。そのため他の方法で防げない場合の最終的選択肢となります。最も毒性が低い殺虫剤、例えばボウフラ駆除剤を使用します。殺虫剤を使う場合、その旨を近隣の人々に伝え、できれば合意を得た方が良いと思います。今年、農薬などを使用することを伝えなかったり、薬剤を説明せずに配布して健康に害を与えた場合は、賠償すべきだという判決が、佐賀地裁と広島地裁とから出ています。
わたなべかずお:福島県生まれ。新潟大学卒。浜松医科大学勤務(脳研究と教育に従事)医学博士、各務原ワークショップ主宰(毎月第4木曜日13:00〜渡部宅(各務原市蘇原東栄町)主に健康と環境に関することの勉強会)参加希望者はbandaikw@sala.dti.ne.jpまで
新しい実例をつくるためのイベント
毎年、パラダイスワンで行うイベント。今年は4日間。
参加者全員がイベントのために「なにか」を提供する。交換をしない。ギフトで成り立つ社会をどう実現するかということを、多人数で体験するというイベントです。
キーワードは、「自分のもっている、ほかの人のためにできること」。
参加希望者に事前に招待メールを送り、自分のしたいギフト、参加の形を書いて申し込んでもらいました。参加の内容に応じて、プログラムやシフトを組み、イベントを進めていきます。ミュージシャン、マッサージ、ワークショップ、シェフ、ペインター、ダンサー・・・などなど、多種多様な申し込みがありました。
毎年いろんな出来事が起こるこのイベントは、新しい人とつながり、コラボレーションがうまれ、お互いを認め、感謝しあえる素晴らしい体験となります。そして人生の学びにつながります。同時に、たくさんの課題も見えてきます。
いろんな参加者がいます。酔っぱらって騒ぐだけの人、エントリーに書いた内容を実行しない人、ただ楽しみにくるだけの人、自我を押しつける人・・・その現実を見て、集団としてこの問題とどう向き合っていこうかと、あちらこちらで議論がはじまります。この議論がとても重要です。なぜかというとヒントがいっぱい出てくるからです。単なるイベントで終わるのではなく、この仕組みを日常に取り入れるにはどうしたらいいのかと・・・。
調和のとれた生活。素晴らしいですが、簡単ではありません。まず試行錯誤でも始めることが必要です。今こそスタートする時期だと思います。
そこでEthno Orchestraをご紹介します。15か国からミュージシャンが集まり、それぞれの伝統的な音楽を共有し合うというプロジェクトです。私たちはそのホスト役を担ったのですが、自分たちの文化を共有し、音楽というツールでつながりオーケストラで美しい音楽を作り上げる。このオーケストラが奏でる音を聴いていると、それぞれの国の音楽が融合して、新しいけれど、どこか懐かしさも感じて、さらにイメージが広がり美しい情景が見えるようでした。
自分ができる「なにか」をツールとして、国境を越えてつながり合える。それはこれからの私たちの暮らしにとっても重要なことだと、あらためて感じました。
その「何か」をこれから探りたいと思います。 live in Paradise
「1人1研究所」
10年ほど前から、個人の方がつくっている小さな研究所に関心を持ってきました。きっかけはつれあいの里、山口県下関市を歩いていたとき、「腹話術研究所」という看板を見つけたこと。おもしろい研究所に出合って以来、個人研究所を探し求めてきました。環境や自然出産、まちづくり、場づくり・・・。テーマはほんとうに多様です。私はそれを「使命多様性」と呼んでいます。人はおそらく生涯、自分のテーマを探究し、学び続けるのが使命。あるとき、日本人全員が自分の研究所をつくり、各自のテーマを探究する国になったらどうだろうとひらめきました。名づけて、「1人1研究所」構想です。いま、政治経済の世界では、「成長戦略」ということばが使われます。たくさんの研究の中から、国家プロジェクトも生まれるかもしれません。1人ひとりがライフワークをもち、研究の成果を独占せず、世界に活かせたらと思います。みなさんなら、どんな研究所をつくりますか?どんなテーマを追い求めますか?研究所をつくるヒントは大好きなこと、得意なこと、気になることをあげることから始まります。
人は自分が置かれている立場を、すぐ状況のせいにするけれど、この世で成功するのは、立ち上がって自分の望む状況を探しに行く人、見つからなかったら作り出す人である(英国の作家バーナード・ショーのことば)。自分で自分を鼓舞し、困難の時代を乗り切り、未来を切り拓いていきましょう。
1月1日の気持ちを
世界中のみんなが大好きな言葉や詩などを紹介し合ったらどうだろう。それだけでもう地球学校になりそうです。2017年は酉(とり)年。想像力豊かに、翼をひろげ、新しい1年がすてきなものになるよう、星野富弘さんの以下の詩をこころを込めて贈ります。
笑顔で挨拶を交わし/小さなことにもよろこび/嘘を言わず/悪口も言わず/全てのことに感謝し/人のしあわせを祈る
1月1日の気持ちを/皆がみんな/12月31日まで持ち続けていられたら/美しい国になる
星野富弘 花の詩画集『速さのちがう時計』(偕成社・1992年)より
塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は翻訳されて、台湾、中国、韓国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。
※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景とする。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。
クラウドファンディングCrowdFundingとは、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語で、ある「志」を持った人や団体に対する資金を、ネットを通じて多数の支援者から収集し実現する手法です。
本誌「にらめっこ」に縁のある方が、「志」を実現するために、日々活動をしていらっしゃいます。一人は、種まく旅人さん。167号で取材させていただきました。もう一人は、『こども芸術村』でアートサポーターとして大活躍してくださっているアーティスト・大明さん。お二人の活動に興味、関心を持たれた方は、ファンディングにご協力を!
「種蒔く旅人」さんへの寄付金について
2015年2月に始まった種蒔きは、1年を経過して5,734人分蒔くことができました。
1:目的 47全都道府県を周り、米と小麦の種を1万人に渡す旅をする。
2:期間 集まった時点から1年間
3:目標額 100万円
4:リターン(寄付金の見返り)
◎リターンが不必要な方は、右記の口座に1円でもいいので振り込んでください。
◎リターンを希望される方へ
A: 寄付金500円:無農薬の米、小麦の種(各数十粒)を直接手渡します。配った順に番号が振ってあります。すでに通過した都府県で米と麦の種を 差し上げた方には、福袋(固定種・在来種)を着払いにて郵送します。
B:寄付金1,000円:米と小麦に加えて、福袋(固定種・在来種)。
C:寄付金10,000円:依頼主(寄付した方)の地域で、講演の場を与えて頂ければ、個人あるいは複数の人に対してお話します。また、聴衆全員に米と小麦の種を渡します。
●ゆうちょ銀行から、ゆうちょ銀行へ
名前 種蒔く旅人(タネマクタビビト)
預金種目 普通預金 記号14350
番号 87618061
●他の金融機関からゆうちょ銀行への振り込み
名前 種蒔く旅人(タネマクタビビト)
預金種目 普通預金 店名 四三八(ヨンサンハチ)
店番 438 口座番号 8761806
プロフィール 種まく旅人
元中学教師。その後渡仏し現代美術の世界に。帰国後、制作の傍ら農生活。耕運機事故でヘリで病院へ。治療中、最善の活動を模索し「種まく旅人」を計画 。現在に至る。写真は相棒の五郎八(ドーベルマン)
本紙167号に取材記事掲載 HPでバックナンバーを読むことができます。
若き画家を応援プロジェクト!
こんにちは! 「大明◎-16akiEN+」として創作活動をしている 「ひろあき」です。「だいみょう」とも呼ばれています。 画家としての収益は毎年数十万の赤字。現在アルバイトをしてやりくりしています。http://16akien.jimdo.com
◎略歴
2006年 エアブラシを始める。 2007年 中京TVにアーティストとして出演。 2010年多治見市文化会館にて個展。2012年 国立新美術館「三軌展」新人賞。杜稜賞。各務原市中央図書館、障がい者アート展「アートはちから」コラボ参加。2013年第39回 現創展(エアブラシ部門新創)新人賞。 2014年クリエーターズマーケットVol.30招待作家として展示。 2016年Next Epoch in KYOTO / 京都市美術館など多数。
大 明 ◎ の 活 動 を 支 援 す る !!
「ガンバレ!」 のキモチ◎ 支援金 ¥1,000
「いきて!」という優しさ◎ ごはんおごる ¥700
「もっと良いの造れ」 と叱咤激励◎ 画材費カンパ ¥300
・将来値打ちが上がると信じて作品を買う!
https://16akien.thebase.in/
・ファンクラブに加入!
売れない創作家「大明◎」を 応援する会
https://camp-fire.jp/projects/view/9755
いつもありがとうございます。
2017 年フランスのルーブルにて展示が決まりました。出展費用(発送・現地プロモーション込)として35万円の協賛金が必要です。
◎支援方法・直接 銀行に振り込む!
りそな銀行 名古屋支店 普通
2670176 スギヤマ ヒロアキ
岐阜県「こども芸術村」アートサポーターとして、子どもから絶大なる人気を得ています。
なぜ、多くの子が「発達障害」と呼ばれるの?
先天的な障害と誤診について
なぜ、注意欠陥/多動性障害(AD/HA)「発達障害」と呼ばれる子が増えたのか。
第一の理由は、学校にゆとりがなくなったからです。
少し前に、学級崩壊という言葉が流行しました。最近、この言葉を耳にすることは少なくなりましたが、その理由は学級や学校の崩壊が少なくなったからではなく、崩壊があたりまえのように多くなったため、ことさら特別の言葉を使う必要がなくなったからです。いずれにしても、学級崩壊の原因だと決めつけられたのは、おちつきのない子どもたちであり、そのときに使われた病名がAD/HDでした。
たしかに、学級崩壊の原因とされた子どもたちは、教室で立ち歩きをしたりしていました。しかし、これらの子どもたちの多くは、入学直後からというよりは、もっとあとになってからおちつきがなくなったのです。
ほんとうは途中から出現した行動でしかないものを、先天的な障害であるかのように、誤診してしまったのです。
「専門家」の手にゆだねると
第二の理由は、一部の家庭にゆとりがなくなったことです。
親は、わが子が平均から外れてしまうことを、とてもおそれるようになりました。このため、おちつきのない子どもや、勉強に集中できない子どもが、「専門家」の手にゆだねられるようになりました。ところが、その「専門家」たるや、にわか仕込みですので、頼まれるとつい、マニュアル頼みの過剰診断をしてしまうのです。
第三の理由は、大人の社会にゆとりがなくなったことです。
かつて一部の少年事件の加害者がAD/HDを有していたと喧伝されたし、今もそういう傾向があります。それは事件の原因を単純化させ、自己責任化させるのに役立ちました。その結果、事件に関係する社会状況が、かくされてしまった。
ここでも一部の「専門家」が、加害少年のもつAD/HAという「障害」が直接、事件を引き起こしたかのように過剰解釈をしていたのです。
世の中にゆとりがなくなって
こうして考えてくると、AD/HDといわれているものの大部分は、誤診ないし過剰診断によって水増しされているということがわかります。
多動、段取りが苦手、注意が集中しない、おしゃべりという特徴がそろった子どもの数は多くても、それが生まれつきのものであり、どこでも著しく多動で、しかも歳とともにだんだん軽くなるという診断基準に当てはまる子どもの数は、それほど多くはないのです。しかも、このような特徴が、個人内部の原因にもとづくものであれば、それらをそなえた子どもの数が、時代によって急増するわけがありません。
増えているように見えるのは、やはり世の中にゆとりがなくなっているから、というしかないでしょう。
精神科医 高岡 健 たかおか・けん
1953年生まれ。精神科医。岐阜大学医学部准教授。日本児童青年精神医学会理事。著書に『人格障害論の虚像』(雲母書房)、『心の病はこうしてつくられる』(批評社)『発達障害という希望』(雲母書房/ともに石川憲彦共著)など。
vol.77より
そもそも「発達障害」は診断名ではありませんでした。
発達障害が問題になり出したのは、農業社会から工業社会へと変化し始めた19世紀ころ。瞬発力や荒々しさは、農作業や自然の中で生きるには秀でた能力です。でも、机にじっとして本を読んだり、食事をするような、都市化された社会の常識からは歓迎されません。「おちつきがない」「お行儀が悪い」子どもたちは、新しい社会からはみ出す問題児になってしまった。人に求められる能力やマナーが変わって、新たなディスオーダー(社会的不適合)の子どもたちが出現したんですね。
「発達障害」と診断することの意味
子どもが「発達障害」と診断されると、「みんなの理解が広がる」とか「ほかの人に説明しやすくなった」などと歓迎されます。
たしかに人は「理解する」と、それまで感情、迷信、過去の差別意識などに支配されていた観念がぱっとひらけるようなことがあり、いったんはみんな安心できます。でも、こうして一瞬でなにかがひらけ、急に保護的に解放されるようなときには、要注意。解放をめざしたはずの「診断」によって、逆に自分で自分を制約したり、理解者によって生活を規制せよという抑圧が始まるからです。特に今の社会は、自己コントロールを求めますから、分相応と社会が認めているうちはよいですが、そこを超える解放への反動は大きい。これをおそれ、当人もいい病者たろうと自分で自分を縛り、そして家族、近しい人間にも抑圧が広がっていきます。
診断と診断名
診断が重要なのは、医者の権力を制約する必要性からです。とくに、治療の方向性を吟味するためにはとても大切。だから診断基準は必要です。それは、いわば法律やルールと同じように、医者が必ず誤る判断を未然に防ぎ、医師患者間の了解事項を明確にしてくれます。憲法みたいなもの。でも、憲法が権力者を保護するためにつかわれるようになると、これもまた要注意です。
ですから、学問的議論はさておき、診断名は患者の権利を保障するときに有利に活用できる防衛の切り札と考えてください。
診断名も変遷しつづけ、2年前からは「神経発達症群・神経発達障害群」という診断名が登場しました。「学習障害」は、「限局性学習症」になるというような調子です。「症」をもちいることで、「障害(社会的問題)じゃなく病気だよ」といいかえたいわけです。この間、アメリカでは1990年に2%といわれていたADHDが8%に。当初1万分の3人とされた自閉症では、いまや100人に1人ないし2人に急増しました。
診断名が定着していくと、さきほどいったような「新たな『障害』を理解しましょう」という風潮が教育界で強まりました。卒業後も、「発達障害支援法」で軽度の発達障がい者を障害者雇用枠で優先採用するため、それまで職を得られた障害者が作業所に追いやられる事態が深刻化しています。
石川憲彦 精神神経科医 Vol.90より
憲法をあらためて思う11月3日
今年は日本国憲法公布70周年、日本国憲法にとっては、とんでもない年寄りいじめの古希の年です。なぜならば、今まで憲法を軽視したり無視した政治家はいても、憲法を蔑視し嘲笑した政治家はいませんでした。安倍さんは日本国憲法のことを「みっともない憲法」と言った、ただ一人の総理大臣です。これは明らかに憲法尊重擁護義務違反ですね。この憲法というものを今日という日にもう一度、腰を据えて考え直しましょう。
政治と距離をとって学問的に憲法を論ずる、それが憲法学者、憲法研究者の使命ですね。その憲法学者、研究者に対して去年、マスコミが「安保法案は違憲ですか、合憲ですか」というアンケートをとりました。基本的に憲法を改正しない限りこれはできない、すなわち違憲という答えが100%出るんですが、菅官房長官は「合憲と考えている有名な憲法学者が三人いる」と言いました。世の中の人は、合憲という学者もいるんだと思う訳です。
合憲か違憲か、という議論をしてはいけない
憲法というものの本質を極めれば、普通の政策のように「どっちをとる?」と言えません。それが憲法です。日本における「憲法改正」論議の不思議をドイツからの視点からみてみましょう。
ベルリンの壁崩壊から27年。今日読んだドイツの新聞にはドイツの25%の人が、ベルリンの壁が11月9日に崩れたことを知らなかったという世論調査が発表されていました。戦後27年というと1972年です。当時の日本は田中内閣。当時は戦後27年。「もう戦後は終わった」と言われていて、子どもたちもヒロシマに原爆が落とされたことを知らない、なんて新聞が書く様になった頃です。だから不思議じゃないんです。つまり、ちゃんと教育していなければ、家庭で会話にしてこなければ、それくらいの時が経てば、子どもはわからない。で、それが大人になれば戦争についても知らない、という人が増えている訳です。
憲法は先人たちの努力の賜
私たちの政治、それを委ねる人たちに守らせるきまり、それが憲法です。
1832年5月27日にあった、南ドイツの小さな街・ハンバッハのお祭りでは、およそ3万人の市民が山の上のお城の王様に向かってその山をグルグル回りながらデモ行進をしました。みんな着飾って旗を振り太鼓をならし、歌を歌いながら。どんなお祭りかというと、実はその時王様が、出版の自由を制限するための検閲を政策としました。そこで、印刷業者や作家や学校の先生や市民が、検閲をやめてくれ!と王様に直訴したんです。大きなデモをやると警察が来て弾圧する。だからお祭りにした。まさにしたたかでしなやかな、検閲を辞めさせる、表現の自由を獲得するドイツ市民の素晴らしい戦いです。その時のデモ隊のたすき、旗の色が黒・赤・黄。それが今のドイツの国旗です。
世界に影響を与えた立憲主義の最も重要な旗柱のようなそのハンバッハのお祭り。日本国憲法97条の「過去幾多の試練に耐え」の試練の中身。そして「人類の多年にわたる自由獲得の努力」とは、どこからその努力が始まったのか。ドイツで言えばこのまさにハンバッハのお祭りです。岐阜で言えば、斎藤道三。岐阜駅を一歩降りますと金ピカの織田信長がいますけど(笑)。時の権力者たちはなんでもできた。ところが「信玄法度」と呼ばれる甲州法度之次第というものがありました。全文55か条の最後に「自分がもしこの法に反したときは、身分の高い低いは問わず、目安箱に自分を訴えてよろしい」。「信玄、お前は間違ったぞ、不法行為をやったぞ、そういうふうに言って知らせてください」と書いてあるのです。これが立憲主義の原本です。どの国の憲法も、そうやって先人たちの血と涙と汗と、多年にわたる無数の努力が結実したものなんですね。
しかし、今この国の総理大臣はまさにこの中世の王様やそれ以前の人たちよりはるかに劣った総理大臣です。なぜなら、安倍さんは自分が従わなければいけない憲法を「みっともない」と言う人ですから。そういう意味で今の憲法がいかに危ないかわかると思います。
憲法とは何か
「憲法とは私たちが守らなくていいただ1つの法」です。刑法とか道路交通法とか児童ポルノ禁止法とかという法律は守らないと、捕まったり損害賠償請求されたりします。でも、憲法だけは、私たちは守る義務はない。
99条では「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とあって、国民が入っていません。国民は守らせる側であって、憲法を破る可能性のある人を名指ししています。このことがとても重要です。
2012年、選挙では半分近くの人が投票に行かなかった。そして自民党が勝って安倍晋三は総理大臣になり「私は選挙で選ばれました」「安保法案は民意です。選挙で勝ったんですから、国民が認めているんです」と満面の笑み。うそつけ!と思ったところで遅いです。選挙は終わったのですから。これが民主主義の危ないところです。多数派が常に正しい訳ではない。怖いのは、多数派が暴走したときです。ヒトラーだって民主主義的多数派でつくりました。プーチンもフジモリ大統領も…そういう意味では、多数派で民主主義は破壊されるという恐怖の世界は、みなさんご存じの通りです。つまりみんなの一票で独裁がおこるわけです。だから民主主義だけでは独裁が生まれるから、憲法が必要になるのです。憲法というものは、たとえ民主主義でつくった政権であっても、決して破ってはいけないことを大きく掲げています。
立憲主義の車の両輪
第一は人権の保証。人権とは、道路にある交通標識だと私は言っています。車のハンドルを握ったら人格が変わる、暴走するというのは本当にあることですよね。どんなにスピードを出している人でも標識が目に入ると「あ、学校が近いんだな」「子どもがいるかもしれない」と想像力を発揮する。するとその運転手は必ずブレーキに足が行くんですよ。優しいきもちになる。急いでいても。想像力ですね。いろんな交通標識がわかりやすく書いてあると、「注意しよう」ってなるでしょう。そうやって強い強い運転手さん(権力者)に知らせるんですね。本当に弱者の立場が分かった人間が政治家になれば、やるべきことは直感的にわかるでしょう。わかっていない政治家が権力を持ったら国民の苦しさや安全についてもわからないんです。憲法の人権条項を読んでみてください。
日本国憲法103か条のうちの3分の1、10条から40条までが人権保証、その条文の3分の1が刑事手続きと人権裁判です。人権条項の3分の1も刑事手続きに割いてある憲法は、日本だけ。世界のどこを探してもないです。それが日本国憲法の国内的な権力の暴走を押さえるための安全装置なんです。
そして対外的な権力の暴走が戦争です。それを縛るのが9条です。ですから、9条と、31条から40条の2つが人権条項のところにガッチリと権力の暴走を制限している。それが立憲主義の日本国憲法において、最も重要なポイントと考えています。
私たちが国民が突きつけられている条文はただ1つ。第12条です。「この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」。つまり人権や自由はほっておいたらなくなっちゃう、私たちはいつもそれを意識して、守る努力を続けなさいということ。不断の努力というのは恒常的な努力、私たちの日常的な努力。同時に権力者は基本的人権を尊重しなければいけないんです。
そして97条は「現在、及び将来の国民に憲法を信託する」。人権も今の自民党憲法草案が通るようになったら、将来の日本の国民、私たちの孫やその次の世代は、公の秩序によって人権が制限されちゃうんです。私たちは切り札としてこの「人権」をぜったいに譲り渡さない、そういう戦いはしなきゃいけないんです。
日本国憲法の生命力
たとえば戦闘や何かで、羽田空港に日の丸で巻かれた3人の棺が帰ってきたとします。そこで安倍総理がこう言います。「申し訳なかった!武器使用基準が厳しいために、安保法案が厳しいために、こんな目にあわせてしまった!武力行使がしっかりできたら援護ができたのに、これこそ全て憲法がいけない!武力行使を禁止している憲法を変えなければますます死者が出ます、みなさん!」とあいさつした瞬間、国民が沸騰する。しっかり撃てる様にすれば助かるんだ…と。それは嘘です。撃ち合いになればもっと死ぬんです。でも、武力行使ができない憲法があるから死んだというレトリック。安倍総理はそう熱弁するでしょう。しかし、それを止める力が日本国憲法にある。我々は勝ってはいないけどまだ負けてはいません。憲法を変える変えないは一旦棚上げして、とにかく憲法を彼らに守らせよう!これは護憲派ではなく、「憲法を守らせる派」ですね。そういう形で日本国憲法を活かしていきましょう。 (文責・にらめっこ)
水島朝穂(みずしまあさほ)1953年東京生まれ。早稲田大法学学術院教授。(憲法学・法政策論)法学博士。著書に「憲法『私』論」(小学館)、「時代を読む」(柘植書房新社)など多数。北杜市に仕事場を持つ。
HP「平和憲法のメッセージ」http://www.asaho.com/
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F.「書籍 糧になる禅語」 佐藤隆定様より…3名様
幸福とは?自分とは?人生とは?禅の言葉が満たすのは腹ではなく、心。すっと沁み入り、それは心の糧となる。今号P1、2でお話しを伺った、佐藤隆定さん著、新感覚フォトエッセイの一冊。にらめっこ編集室でお受け取りください。
ひとり暮らし
ひとり暮らしを始めて7年、ジョイと出会って5年になります。私は抹消性の神経障害(進行性のニューロパチー)で、小学校の頃に症状がでてゆっくり進行し、車いす生活になったのが22歳の時。今も少しづつできないことが増えている状態です。ひとり暮らしを始めようと思ったのは、いつまでも親に頼れない、自立したいという気持ちからです。それだけでなく、福祉系の大学在学中に、障がいがあってもアクティブな方たちとの出会いが多かったこと。自分でご飯を食べられないような重度の障がいの方が、名古屋のAJU自立の家(※1)で、頑張って自立生活をされている姿に会い、私もできるんじゃない?と思えたことが大きいです。
ひとり暮らしになったら自由に買い物に行けて、あわよくば飲みにも行けるかなぁ、なんて淡い期待を抱いていたんです。ところが、何もできない。日常の生活の中でさえ落とした物を拾うことも大変だし、拾うことができても、その時に車椅子から落ちたら誰か来て助けてもらうまでどうしようもないんです。以前は不安で朝から夜までずっと携帯電話を首に下げていました。ベッドで休んでいる時にお客さんが来ても、起き上がるのに時間がかかるし、玄関までやっと行っても今度は鍵を開けるのが一苦労。一人暮らしを始める前は何とかなるだろうと思っていたのが、何ともならんなぁって。一ヶ月くらいして、長久手市にある介助犬総合訓練センター「〜シンシアの丘〜」(※2)に相談に行きました。
ジョイが来て
ジョイが来てくれて今は落とした物を拾ってくれる。もしも車椅子から転倒しても、携帯電話を探して持って来てくれるし、夜寝る前には電気を消してくれます。ベッドから起き上がるときも助けてくれます。私が寝ている状態で脇を少し開けると、そこから鼻でぐぐっと入って来てくれるんです。以前は起き上がるのに1時間かかっていたのが今は5分。疲れた時に横になることができるようになりました。それに、介助犬の効果は他にもあるんです。ジョイがいるだけで、「あらぁ、可愛い」っていろんな人に声をかけられる。だから周りの目線が全然怖くなくなったんですね。以前電車の中で、「邪魔だな、家から出るなよ」って言われたことがあるだけに、障がい者はみんな家にこもってろ、みんなそう思っているんだろうなぁって、怖かったんです。でもジョイが来てからは「可愛い」という言葉から始まって、「すごいね、頑張ってね」って言ってもらえます。「可哀想に」「邪魔だ」が「頑張ってね」になった、それは私にとって大きなことでした。
ジョイが来て私の行動範囲が広がり、みんなにビックリされるんです。遠くは大分県で自動車運転免許を取ったり、イベントで佐賀や博多にも行きました。ジョイのおかげで私の世界は本当に広がりました。
子どもに伝えたい
ジョイは、触られるとテンションが上がっちゃう性格なので、「触ってもいいですか?」と聞かれても、「ごめんなさい」と丁寧にお断りしていることが多いです。だけど、子どもさんに言われるとついOKしてしまうことが多いのですが、その時は「お仕事の時もあるから、一回私に聞いてね」と伝えています。
小学校低学年くらいの男の子は電動車椅子に興味ある子が多くて、「あの車椅子すげー!勝手に動いてる!」ってちょっと離れたところで言ってたりします。「これで動かしてるんだよ」って言うと「すごーい!」。そのすごーいが重なって偏見がなくなれば、障がいのある人も、社会の中で当たり前にいる人になるんだろうなって思うんです。
先日、スーパーで買い物していたら、ジョイを見て「あの子はお仕事しているから触っちゃダメなんだよ」ってお母さん達にお子さんが教えているんです。そういうのを見るとああ素敵だなって思います。子どもの頃は柔軟で吸収する力もあるので、小さな頃からいろいろ知ってもらえたらいいですね。
協会では夏休みに小中学生を対象とした介助犬教室をやっています。そこで「私はお父さんやお母さんに迷惑かけたくないなと思ってひとり暮らし始めたけど、実際には周りの人に迷惑かけることばっかしで・・・。介助犬(ジョイ)のおかげで、今の暮らしがあるんだよ」って話しをすることがあります。今では介助犬の啓発活動は私の生き甲斐のようなものになっています。
ジョイが着ているケープには大きく“介助犬”と書いてあるのに、「あ、盲導犬だ」と言われることも多いです。介助犬と盲導犬では同じ補助犬でも、お仕事の内容が違います。また、介助犬と盲導犬のユーザーさんでは困っていること、助けてほしいことの内容が違います。多くの方に正しい情報を伝えなくては、と思いますね。
一方で、障がいのある人も、介助犬がどんなことをしてくれるのか知らなかったり、「私なんかより重度の人が必要としているから」と手を挙げない風潮もあるんです。私のように介助犬が来たらこんなにも変わった、という方もいるので、障がいのある人にも介助犬のことをもっと知って欲しいですね。それに、病院の先生やリハビリテーション関係の方が知っていてくださると障がいのある人に対して情報提供もでき、介助犬がもっと身近になるのでは、と思います。
ジョイがいるから
ジョイが来たばかりの頃は、指示の出し方もうまくないし、ジョイがどうしていたいのかもわからず戸惑っていました。でも今では私は「ジョイは私で私はジョイだ」って思うようになりました。私はジョイのことをよく見ているけど、ジョイも私のことをよく見ていて、私のちょっとしたそぶりで動いてくれる。それは5年間という一緒に過ごした時間があるからこそでしょうね。今は「ジョイだったら大丈夫!」って思えて、どんどん外に出られるんです。もしジョイがいなかったら今の私の人生はなかった、それは確かですね。
いま私が目指しているのは、“取材されない”こと。盲導犬は認知が広がっていますが、介助犬や聴導犬はまだまだ珍しい存在で、取材の対象になっています。取材をしていただくことで広めることはできますが、取材されないはイコール普通の生活。それが、障がいのある人たちがどこに行っても困らない社会への一歩となると思うのです。(各務原市在住)
※1.【社会福祉法人AJU自立の家】施設の企画から運営に至るまで、障害者自身が中心となって進めています。「福祉を受ける」立場だけではなく、「福祉を創る」という積極的な取り組みの中から、たとえ寝たきりでも生きていてよかったといえる社会をめざし、名古屋の新しい福祉を担っている。http://www.aju-cil.com/
※2【社会福祉法人日本介助犬協会】1992年アメリカから一人の女性が介助犬を連れ帰り、それをサポートしようと集まったボランティアにより「介助犬協会」が発足。多くの方々の協力を得て、日本初の介助犬専門訓練施設「介助犬総合訓練センター ~シンシアの丘~」を2009年5月 愛知県長久手市に開所しました。http://s-dog.or.jp/
身近に自然がない人の場合は、どうすれば良いのでしょう?
自分をケアする、手持ちのカードをたくさん持っておくことです。友達や趣味、マイセラピストなど。マイスポットもいいですね。日帰りで 行ける場所、泊まりがけで行きたい場所、近くの神社でも良いです。そうした自分のお気に入りをいくつか持っておけば、状況に応じてカードを選ぶことができます。
人類は都会生活に慣れていない!?
「自然欠乏障がい」というものがあり、都会の人は心身の病気にかかりやすいとされています。夜勤や深夜労働は、年に2度(普通は1度)の健康診断を義務付けられていますが、こうした生活では、生活習慣病やうつの発症率が高いのです。
人間はずっと自然のなかで暮らし、現在のような都会型生活はここ100年ほどの変化です。人間にとっては違う惑星に来たくらいの激しい変化で、それに対応できていないのです。
では、不規則な生活の人が上手にリセットをするには?
週に一度でも自然に接することでリセットできます。時間がない時は、アロマで疑似的に自然を体感するだけでも違います。
食事も重要な要素で、スムーズな消化のためには副交感神経が優位でなければなりませんが、都会の生活では食後すぐに電車に乗ったり、会議に出たりし て、交感神経が働いてしまいます。これでは食べ物が心身の負担になってしまうだけです。食後にしっかりと“食休み”をとることを徹底したいですね。
自然欠乏症候群(自然欠乏障がい)とは?
自然の中の一部である人間は元々、自然の中にある音や季節感、雲や風、星の動き、朝昼夜の生活リズムなどを感覚的にとらえて生活してきました。
それが特に都心部ではビルに囲まれ、土や木は慰め程度に存在するだけで、日常的に本当の自然に触れる機会が異常に少ないのが現状です。また子ども達は自然の中で遊ぶことが少なく、自宅でのゲームなどにいそしんで、むしろ外で遊ぶ事が危険視されている風潮まであります。
その都会的な生活が、遺伝子レベルに大きな影響や違和感を与えているといわれているのです。
自然欠乏症候群の症状
左記のように自然環境やリズムを無視した生活をしている事で、子ども達の心身に次のような影響がでるとされています。
• 集中力が欠如して、一つの事に集中できない。
• 落ち着きがなく、じっとしていられない。
• 我慢弱くなり、わがままになる。
• 他人に対する気遣い、人付き合いが苦手になる。
このような症状からもわかるように、多動性障害(ADHD)の原因の一種とも言われているのが自然欠乏症候群なのです。
幼い頃から、色々と変化が多い自然環境の中ではなく、平面的なパソコンやスマホの中や、コンクリート上での生活など、自然とはほど遠い生活環境の中で暮らしていることで、五感が十分に育たない事が大きな原因になっています。
どうすれば防げるの?
じゃあ子どものために都市生活を捨て、田舎暮らしをはじめよう!なんて事はなかなか簡単にできる事じゃないですよね。
もちろん生き方として引越しを選ぶというのも選択の一つだとは思いますが、そうではなくてもっと身近に出来ることを意識することが何より大切です。
• 休みの日を使って田舎に行ってみる。
• 森林のある公園で過ごす。
• パソコンやスマートフォン、ゲームから切り離した日を作る。
• 近所に土いじり、川遊びに出かける。
• 空を見上げる。etc…
もちろん夏休みなどを使って海や山に旅行に行ったり、キャンプをしたり自然教室のような体験学習に申し込むなども理想的ですが、簡単でもいいので定期的に日常生活を離れ、自然に触れる機会を意識して回数多く作ってあげると、子どもたちもわれわれ大人も、徐々に自然界との調和が取れていきます。
自然の中で過ごす効果
自然の中で過ごす効果は、子どもたちにとって良い影響を与えるのはもちろんですが、ストレス過多な大人にとっても様々な良い効果をもたらしてくれます。
例えば風や川のせせらぎ、鳥の声などの自然の音を聞くことは、ストレスを解消させる癒し効果が非常に高いです。
また太陽の光を浴びる事で、皮膚上でビタミンDが生成され、免疫力が格段にあがり病気を未然に防ぐ効果が高まりますし、昼夜の体内リズムが整えられ精神的にも安定していきます。
さらに自然のエネルギーを浴び、木々の多様な色彩をみたり土や木に触れる事で、脳が活発に動き脳の発育に非常に効果的です。森や川、朝や昼の香りを嗅ぐことで五感が刺激され感性豊かに五感が研ぎ澄まされていきます。
筆者は個人的に3.11以降、自然回帰の傾向が日本でもすごく強くなってきていると感じています。最近のアウトドアブームなどをみてみてもわかりやすいですよね。
子どもたちの成長のためにも、大人たちがリラックスして本来の姿で過ごす手助けをするためにも、自然と触れ合って、自然の恩恵に感謝した生活を心がけていきたいところです。
ぜひ今週末あたりちょっと自然に触れにいく時間を作ってみてはいかがでしょうか?
『自然欠乏症候群』
身体と心のその「つらさ」、自然不足が原因です。
著・山本竜隆(医師・医学博士)
ワニブックス[PLUS]新書
「住民の理解」って何だ?
リニア中央新幹線の建設が本格化するのを前に、各地で行われている工事説明会。終了後、報道陣の前でJR東海の責任者がしばしば口にする言葉に、「住民の理解」があります。
国土交通大臣が2014年のリニア建設計画認可に際して、「地域の理解と協力」をJRに求めたことを意識したものですが、理解したかどうかを判断するのは本来、住民のはず。
ところが、理解をお願いする側のJRが、理解が「得られた」とか「進んだ」と口にするのです。
ジャーナリスト 井澤宏明 (各務原市在住)
少女の問い
「大鹿の人は、リニアはやめてほしいと言っている。こっちの気持ちが伝わらないのに、そちら(JR)の人は『大鹿村の人は理解された』とか言っているので意味が分からない」
9月7日、長野県大鹿村で開かれた南アルプストンネルの工事説明会。中学生の少女の言葉は、人口1000人余りの静かな山里で続く説明会の意味を鋭く問うものでした。
これに先立つ8月23、24日、住民の生命線である県道を改修し、リニア工事車両を通すための工事説明会が、中川、大鹿両村で開かれました。
不安の声が多く寄せられたのにも関わらず、JR東海中央新幹線建設部の澤田尚夫担当部長は直後の取材に、「住民の理解は得られたと考えている」、「ご理解は深まったという感触を持っている」と答えていました。この判断を受け29日、県道改修工事は始まりました。
冒頭の説明会。参加した住民約130人のうち、この少女を含む約20人が質問に立ちました。大半は、工事への不安やJRへの不信を表明したもので、工事を歓迎するものはありません。
少女の質問に対し、澤田部長は「きょうの説明会では、反対だとか理解できないという意見が多いが、一方で、リニアを推進するという意見を多くいただいている」と反論。「リニアは今後の日本のインフラとして必要だと思っているので、工事をやらせていただきたい」と主張しました。
「影響、想像できない」
南アルプストンネルは、国立公園やユネスコ(国連教育科学文化機関)エコパークにも指定されている南アルプスの山腹に、恵那山トンネル(約8.6キロ)の3倍、約25キロのトンネルを掘るというもの。山梨側は昨年12月、着工しています。
大鹿村では、非常口4か所から掘り出される約300万立方メートルの残土輸送などで、1日最大1350台もの工事車両の通過が見込まれています。う回ルートができるまでの1年余り、保育所や小学校などが集まる村中心部の国道を、1日最大68台の工事車両が通ります。
これに対し、1歳と3歳の子どもを抱える母親は「うちの子は肺が弱いので、排気ガスでぜんそくにならないか心配」、介護施設で働く女性は「暮らしが大きく変わってしまうことで、認知症の方にどんな影響があるか想像できない」と不安を訴えました。
村では1961年(昭和36)の「三六災害」で、大西山が大崩壊し、ふもと集落の42人が犠牲になっています。トンネル工事の最前線となる釜沢地区の女性は「雨が降っただけでも大きな石が落ちてくる場所。発破の振動による土砂災害が心配」と、懸念を口にしました。
それでも「理解は進んだ」
平日午後7時から始まった説明会が終わったのは10時半前。「住民の理解は、また進んだと考えている」。終了後、報道陣の取材に応じた澤田部長は、型通りの認識を示しました。
「住民の理解」について、澤田部長は「村民の方全員がどうぞどうぞ、という状態を『理解』というのであれば、それは難しいと思っているが、これまで説明したことに対して、こういうことを守りながらやってくれという感じの質問が多いので、次の段階に移れる時期に来たかなと思っている」と話しています。
JRは、年明けにもトンネルの掘削を始めたいとしています。
「地域の疲弊も」
前号の「ウラン、本当に避けられる?」で紹介した瑞浪市日吉町の南垣外地区。10月最初の日曜日、県内初のリニア工事となる日吉トンネル(南垣外工区)の工事説明会が開かれました。
説明会は非公開でしたが、出席した約50人の住民にJRは「ウラン鉱床のようなウラン濃度が高い土を掘削する可能性は低いと考える」と説明しました。
万が一、国際原子力機関(IAEA)の報告書を参考に定めた管理値を超えるウラン濃度の土を掘り出した場合、最終処分方法が決まるまで工事現場で保管し、遮水シートや土で覆って管理値以下に抑える、という説明もありました。
最終処分方法が決まっていないことや、工事で出た湧水のウラン濃度が管理値を超えた場合、薄めて管理値以下にして流す、といったJRの説明への不安の声も会場から上がったそうです。
住民は、1日最大460台という工事車両が地域にとって死活問題だと、JRに訴えてきました。JRは説明会直前になって、残土を運ぶ長さ2キロ弱のベルトコンベアを設置することで、160台に減らす案を示しましたが、住民の不安は消えません。
「一番危険なのは命に関わる交通。ウランも危険。全部マイナスなんです。地域が疲弊してしまう心配もある」と南垣外自治会長の熊谷盛治さん(65)。自分たちの生活を守るため、住民の悩みが尽きることはありません。
「食べることは生きること」が大きなテーマのtocotoco。
家族の健康や環境を考えて、食品や調味料は選びたい。
でも、何を基準に選べばいい?
8人のママたちが座談会形式で情報交換しました。
Aさん:わが家では、不飽和脂肪酸という体に良いものが含まれていると聞いたので、オリーブオイルを料理のメインに使っています。でも、選び方がよくわからないの。
Bさん:科学溶剤を使用しないで抽出したオリーブオイルには『エ キストラ・バージン』とか『バージン』と表記されているそうなので、私はそういう物を選んで買ってるわ。
Cさん:オリーブオイルだけじゃなくて、菜種油やごま油なども、科学溶剤を使ったものと、昔ながらの圧搾製法で搾油したものがあるよね。どの油も、圧搾製法を選びたいね。
Eさん:菜種って日本で昔から使われていたんですよね、惹かれる わ!
Fさん:菜種油でも、サラダ油は体によくないらしいよ。
Dさん:私は菜種の遺伝子組み換えや、農薬が気になるなあ。
Bさん:原料が遺伝子組み換えでないものでも、農薬や除草剤を使用していないか、外国産の物は、どんな状態で運ばれて来たのかとか、気になることは多いね。
Gさん:私は容器も気になるの。プラスチック容器は避けて、遮光できる色付きのビンに入っているのを選んでます。
Bさん:原料のこと、工程のことなどを明らかにしてくれるとか、搾油を昔ながらの手作業でしている生産者さんって信頼できると思う。
Hさん:昔からの製法で今も作り続けてくれている生産者さんは、とても有り難い。大事にしていきたいね。
Cさん:美容や健康をキャッチコピーに大々的に宣伝をしている商品もあるけど、すぐ飛びつかないで、じっくり見極めたいね。
私たちの身体を構成する細胞を包む細胞膜(さいぼうまく)は油で出来ています。脳の60%は油で出来ています。水をお肌につけると弾きますね。油は染み込みますね。お肌の表面は油という事です。
「サラダ油を飲むことが出来ますか?」
飲むことが出来ない方がほとんどですね。サラダ油の問題点は製造の過程で多くの薬品が使用される事と、トランス脂肪酸(マーガリンやショートニングなどに含まれています。悪玉コレステロールを増やし様々な不調のもととなり、最近では子宮内膜症や不妊症など婦人科系のトラブルの原因としても注目されています。)を含むという事です。商品成分表示に植物性油脂、食用精製加工油脂、食用植物油としか表示はされていません。それは化学反応によって変えられた不自然な油。市販のマヨネーズやマーガリンなどにも使用されているので避けていただくと良いでしょう。
まずは悪い油を口に入れない事から見直してください。特に6歳までに90%の脳細胞が出来ます。幼少期に溜まった油が将来の病気の原因になるかもしれません。
油はエネルギー源としての役割と、身体の組織を正常に機能させる働きがあります。毎日の口に入れるものを変えてご自身の細胞を守ってあげてください。
子宝先生の漢方の野崎薬局 薬剤師鍼灸師 野崎利晃
(にらめっこ163号コラムより抜粋)
Eさん:砂糖って、原料や色の違いなど種類が多くてどれを買おうか迷うわ。
Fさん:子どもの腸を整えるというオリゴ糖が気になるのだけれど、どうなのかな?
Aさん:オリゴ糖という名前の商品でも、オリゴ糖より砂糖の方が多く含まれている商品もあるよ。人工甘味料や酸化防止剤、香料、保存料などが入っている物もね。
Cさん:もし甘みで腸内を整えたいなら、私だったら生の加熱 していない蜂蜜を選ぶかな。
Bさん:てんさい糖が良いと聞いて使っていたけど、遺伝子組み替えのてんさいだったり、農薬が使ってある物もあるので、てんさい糖ならなんでもいいわけじゃないんだなぁって思ったわ。
Dさん:砂糖でなくても、蜂蜜や麦芽あめ、甘酒など、色々な甘みがあるし。
Gさん:おやつにするなら、干し芋や干し柿も甘くて子どもは好きだよ。子どもと一緒に手軽に作れるしね!
Cさん:そうそう、うちでは、砂糖は全く使わないよ。甘みがどうしても必要な時は、みりんや甘酒、米ぬかを使ってい ます。
砂糖・甘味料の種類
白砂糖、グラニュー糖、ざらめ、氷砂糖など精製されたものは、消化吸収が早い分、消耗も早いので血糖値の上下が激しく、低血糖症がおこりやすいと言われています。
三温糖は、白い砂糖を精製したあとに残った糖液をくり返し煮詰めて作ったもので、茶色い色は焦げてついた色で、成分的には白砂糖とほとんど変わりません。
黒砂糖・きび砂糖・てんさい糖など精製されていないものは、 ゆっくりと消化される分、血糖値の上下が緩慢で、 かつ吸収に時間がかかるので少しの糖分で長い時間もちます。
その他、砂糖以外の天然甘味料として、蜂蜜・米あめ・メープルシロップ・あま酒などがあります。
注:乳幼児には蜂蜜、黒糖は避けましょう。「乳幼児ボツリヌス症」になるリスクがあります。
人工甘味料(アスパルテーム、サッカリン、スクラロース、アセスルファムカリウム、ネオテームなど)はノンカロリーですが、長い目で見ると太る。また、発がん性、不妊症、化学物質過敏症、血液のがん、てんかん、また精神的な病気などのリスクが高まるものもあるとされています。
砂糖を始めとする甘味には、強い依存性、低血糖症の原因、肥満の原因、虫歯の原因、胃腸を弱くする、栄養欠乏になる、免疫力の低下、うつなど精神的な影響、などが言われています。
日頃から甘い物は食べ過ぎないようにして、砂糖を使うときは精製された白砂糖、グラニュー糖、人工甘味料などはできるだけ避けましょう。
参加ママの感想
★とても勉強になりました。まずは、今日話しに出た食材を可能な範囲でこだわってみたいと思います。
★岡本よりたかさんの本で、農薬だけじゃなく肥料も気に掛け、有機なら安心ってことではないんだな、と読んだことがあったけど、実際の買い物に生かしきれていないことに気付けました。
★有機、無添加という文字につられて買うのではなく、その言葉の意味や背景を知ることが大事だと感じました。
★楽しくてためになるお話がたくさん聞けてよかったです。ただ、私はあまり突き詰めていくと続かないタイプなので(金銭面も含め)バランスが崩れない程度に実践していきたいです。
こんな映画みつけたよ!
「シュガー・ブルース 家族で砂糖をやめたわけ」
子どもの健康を心配する1人の働く母親である女性監督が、砂糖と闘う自らの家族の生活と、行動する姿を5年間に渡り記録した究極のセルフ・ドキュメンタリー。ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、3大陸8ヶ国を巡って、科学者や研究者、医師、糖尿病の患者、健康食を推奨する人たち、政治家、食品関係のジャーナリストや弁護士、砂糖業界の関係者らを取材。精製された砂糖が身体と精神に及ぼす作用を探り、砂糖の歴史をひも解き、多国籍企業と医療関係者、政治家らが一体となった強大な砂糖業界の闇に迫る。
子育てコミュニティ toco toco
一宮市を拠点に活動する子育てコミュニティ。子どもと働く、助産師とのつながり、食べることは生きることの3つの柱を基盤に、砂糖や膨張剤を使わないおやつ作り、農薬や化学肥料を使わない野菜作り、自然な子育て学び合い会など開催。子どもへの関わりを通して、各世代が繋がり、それぞれの役割を発揮できる地域社会を目指して。活動案内はfacebookで紹介 http://www.facebook.com/tocotocodream
問合せtocotoco.enjoyhug@gmail.com 090-9902-7151(せんごく)
日本は平和だと思いますか?
山中さんのお話の中心は、医師になってからアフリカで活動してきたこと、そして平和について思うことの2点でした。
「日本は平和だと思いますか?」
山中さんの問いかけに、私は平和だと答えました。けれども、講演が終わったとき、本当に平和なのかと不思議を感じました。アフリカではHIVの感染症が非常に流行っていて、小さいうちに死んでしまう子ども、お母さんお父さんがエイズになって死んでしまい、子どもたちだけで生活しなければならない子、路上生活をしている子、食べるものが少なくて、十分な栄養を取ることができず手足を細くして栄養失調によってお腹をぽっこりさせて…いつのまにか死んでしまう子…そんな、子どもたちがたくさんいるというのです。それがアフリカの現状だと言うのです。
一方日本は高齢化がすすみ、子どもたちの貧困も増え、沢山の人が自殺します。親に不満がある、自分が思ってることが言えない、伝えられない社会になりつつあるそんな現状です。
アフリカでは、エイズになっても、親がいなくても生きていることが幸せという人が多いというのです。誰も自殺しようなんて思っていません。子どもたちは、いまを精一杯生きていけるということを、当たり前のようい「幸せだ」と言うそうです。
日本は…と思ったとき、やっぱり不思議に思いました。
違った立場で生きている人のことを考えたい
その後、交流会をしました。40名ほどの参加者があり、中高生、大学生も多々いました。人の思いはそれぞれ違うけれど、話し合っていて違った立場で生きている人のことを考えることが必要なんじゃないかと感じました。
今、少しずつなにかが変わりつつある…そう感じる日本。戦後70年ここまでやってこられたのは日本だからだと思います。作った世界を壊すことは簡単だけど、壊したものをもとに戻すことはとても大変…それを一番体験したのは日本だと私は思います。
今後、どうあるべきなのか考えなければならないと思います。
アフリカの人達と今の僕の生活が違いすぎて、幸せの価値観が全く違いました。アフリカの人達は、日々の生活を一生懸命生きていました。親がいない子も自分で生きようとしていました。アフリカの人達は、生きていることに幸せを感じていました。そして、今の僕たちの生活は、アフリカに比べるとものすごい豊かで発展してて、全く違います。けれども、自ら命を捨てる人がたくさんいます。
豊かになるにつれて、生きていることの幸せを忘れてしまっていると思いました。でも、豊かになるのは全然いいことだと思うし、幸せが人それぞれ違うのも当たり前だけど、生きていることの幸せを忘れずに生活することが大切だと思いました。そうすれば、自殺する人もいなくなると思いました。(司)
参加者の感想
・ 今回の講演で、アフリカの子ども達は本当に学校に通えることになった
ら、すごく頑張ると思いました。カンボジアの子ども達は、絵の勉強をす
るととても楽しそうに描き、すごく吞み込みが早くて絵が上手です。何か
をすることがとても楽しいと思える意欲があるからと、山中先生が言っ
ていたことは事実だと思いました。(中2)
・当たり前のことが出来なくても、幸せに生きるって凄いと思った。(小6)
・「平和」とか「自分の幸せ」って何だろうって深く考えさせられた。(中3)
・貧しいけど自分たちにはないものを持っている。(家族や物を大切にす
る)アフリカの子どもからみたら、俺らは幸せに見えるのかな?(高2)
ベニシジミ (Lycaena phlaeas)
チョウ目(鱗翅目) シジミチョウ科 ベニシジミ亜科に分類される。
前翅長は1.5㎝ほどの小型の蝶です。
タンポポやヒメジョオン、ソバなどの花で吸蜜するところをよく見かけます。日本では沖縄県を除く日本全土に生息しています。濃尾平野では3月下旬から11月までこの蝶を見ることができます。
国外ではユーラシア大陸、北アメリカに生息しています。
幼虫で越冬し、食草はスイバ、ギシギシ、ノダイオウなどのタデ科植物で、卵も食草に産みつけます。幼虫は脚の無いワラジムシのような形をしており、黄緑色ですが紫の縦縞がある場合もあります。これは食草であるスイバなどの葉と葉脈の色彩に似せた保護色だと思われます。シジミチョウ科の幼虫の多くは甘い分泌物で蟻を誘い蟻に守ってもらう性質がありますが、ベニシジミの幼虫にはその器官が無く蟻は集まらないようです。
春や秋(低温期)に羽化した蝶は、明るい赤色の部分が大きくとても綺麗です。それに比べ夏の蝶は黒い部分が大きく稀に赤色の部分が消えてしまい黒い蝶になることさえあります。
蝶といえば、モンシロチョウやモンキチョウ、アゲハチョウを思い浮かべる方が多いと思います。しかし、沖縄県を除けば、一年を通じて日本で最も普通にいつでも見ることのできる蝶はベニシジミなのです。
チロチロと、ソバの花やヒメジョオンの花を求めて飛ぶ紅色の小さな蝶を探してみてください、畑の周りや河川の堤防で見つけることができるでしょう。きっと楽しい一日になることでしょう。
写真・三輪芳明(みわよしあき)プロフィール 1952年 関市生まれ。仲間と岐阜県では絶滅したと考えられていたコイ科の魚類ウシモツゴを発見、人工的な大量繁殖させ野生復帰に成功する。岐阜・美濃生態系研究会 二ホンミツバチ協会 日本チョウ類保全協会。
刀といえば、日本の歴史上は、いわゆる武器として連想してしまいますが、明治9年の廃刀令で刀は作れなくなりました。昭和26年サンフランシスコ講和条約締結を機に作刀が再開されました。それを記念して講和記念刀をそれぞれの刀工が作りました。そして文化庁から認可された刀工のみが「美術的に価値のある刀」を創ることを許されました。そこからが今の現代刀の始まりです。
僕は二代目です。この世界に入ったのは33才。それまでは会社勤めでした。仕事も中間職になり、淡々とした日々になんか物足りなさを感じ、会社を退職したんです。こちらで就職活動をしてたんですが、父が「ひまなら炭でも切ってろ」(炉に入れる炭を適切な大きさに切る)というから手伝って。それが刀鍛冶になるきっかけでした。職人の仕事はたいへんなんですが、なんか素直に入れましたね。
5年間修行を積んで、38才の時に文化庁主催の作刀試験を受けました。
すべてが感覚の仕事
まず温度管理。火の温度、鉄を温める温度、行程の最後になる水の温度。感覚の仕事ですからその日の天気、炭の切り具合、自分の体調なども影響してきます。最初は玉鋼と言う固まりを、おせんべいの様に5ミリくらいの厚さにつぶします。それを台にして5、6段積み、表面が真っ赤になってのり状に溶けるまで鉄を熱します。その温度は1300度以上。それに達したところで叩いて・・・それが鍛錬です。
焼き入れ温度も感覚です。焼き入れはだいたい800度から900度前後ですが、長い刀でも先から手元まで全部同じでないといけない。そういう状態にして水槽の中に入れ急冷し刀身を硬化させます。すべての条件が揃ったときにいちばんいい刀ができる。長い刀になると20日から1ヶ月くらいかかります。短い刀でだいたい半月くらい。休みなしです。あとは、研ぎ師などの職方さんに出すだけです。
作刀は許可制ですので、長い刀は月に2本。短い刀は月に3本と決まっています。そして、刀を美術品として文化庁が法律を作って製作を承認しています。
刀の鑑賞の仕方
まず、刀は大きく分けると、太刀、刀、脇差し、短刀。そのほかに槍とか長刀とかがありますが、みなさんがイメージされるのはその4種類でしょう。そして白いところが刃、黒いところを地といいます。刃には一振一振違う刃文が見られます。刀鍛冶の個性が出る刃文は似ているようで全部違います。比較すれば誰でも十分にわかります。刃文は大きく分けて、直刃と乱刃、その2種類。黒いところの地には鍛錬してできた木目、杢目などの地肌が見えます。ここも鍛冶屋の個性が出ます。
刀の見方は、この刃文を楽しんだり、この地金を見るのもあります。
たのしむときにはまず最初に「姿」。日本刀が美術品といわれているのはまず、姿が美しいから。「和反り」といって、すぅっときれいな姿を観ていただいて、その次に刃文とか、地金をたのしんでいただく。
飾ってあるのを見ているとほとんどガラス越しで、みなさん同じに見えてしまうんですね。その場合は、斜めに見ることです。自分の目線をその刀にあわせるようにして上下します。斜めから見ると刃文はよく見えます。作品によっては、雲のような、本当にこまかい刃文もありますし、大きく波がうねっているのもあれば、水滴を垂らしにじんでいるようなものなど、いろいろです。そのなかで、刃が白く冴えているとか、白くぼぉーっとしているとか、いろんな刀があります。視点を変えることで、ご自分なりの楽しみ方を見つけていただければと思います。
刀は日常から遠ざかった美術品のようですが、じつは、刀言葉といい、刀が由来の言葉がいっぱいありました。たとえば、付け焼き刃 、反りが合わない 、元のさやに収まる 、抜き差しならぬ 、助太刀(すけだち)、切羽(せっぱ)詰まる、土壇場(どたんば)、相槌(あいづち)を打つ、一刀両断、きんつば・・・などなど。なにげなく使っている言葉ですが、それらの言葉の意味を知ると、「刀」の姿形、製作工程などを表して、さらに歴史にもつながり・・・一段と興味を覚えました。 (三上)
エジプト人の私から見た日本
イスラム教、心が落ち着くコーラン。
この素晴らしさをみんなに知って欲しい・・・
アイシャ・ワリードさん(中学2年生 岐阜市在住)
「エジプトと日本とどちらがいい?」とよく聞かれます。私は「どっちも好き」と答えます。違いはいろいろあります。たとえば、エジプトではヒジャーブ(イスラム式スカーフ)をしているのが当たり前で、していない人の方が目立ちます。その覆い方は様々で、種類もいろいろあります。ヒジャーブは女性を守ろうとしている現れです。また、エジプトの学校は1日4時間です。夏休みは4ヶ月、宿題はありません。ピアスもオーケーです。中学まで男女が別々です。学校の生活は朝8時には着席、8時20分からコーランを読みます。午後2時まで授業があり、その後、下校。宗教の関係で豚肉は食べません。
日本に来て8年になります。今までいろいろな出来事がありました。ある日のこと、給食のメニューがハンバーガーでした。でも、自分の前には配られなくて、お母さんが持って来てくれたお弁当を食べてといわれました。家に帰って「ママ、なんで私はお弁当なの?」と聞きました。「それはね、みんなと違うからだよ。」といわれた時、頭が真っ白になりました。自分と違う人はあまり好きにならない日本人・・・髪を見せても肌を見せても平気な日本人・・・。そんなふうに思ってしまい、私のなかに日本との距離ができてしまいました。でも、今は、日本の人は「人を思いやる素直な心、きれい好き、ルールが守れる(犯罪が少ない)」というとても素晴らしい面があると思います。それぞれ違いがあっても、いいと思います。
中学生になった今は、笑顔を意識しています。友だちもたくさんでき、学校生活も楽しめるようになりました。それと同時にいろいろ宗教を調べてみました。イスラム教。この素晴らしさをみんなに知って欲しいと思います。誰もが落ち着くというコーランを読んで、この宗教はほんとうに素晴らしいと思いました。コーランは全部アラビア語。暗記することはとてもいい勉強になります。
週1回、岐阜市北部にあるモスクでエジプトの人やいろいろな人に会えるけど、今毎日会っている人もいつか会えなくなると思うので大事にしたいと思います。
この10月26日~30日、沖縄に世界各地から1万人ものウチナンチュ(沖縄人)が集って「第6回世界ウチナンチュ大会」が開かれています。沖縄から職や食を求めて、海外へ移住した人たちやその家族は、今や40数万人。ハワイを中心とするアメリカとブラジルへそれぞれ20万人、メキシコ・ボリビア・ペルー・アルゼンチンなど中南米に多く、それぞれの移住先で沖縄県人による親睦団体を作って、活発な情報交換や地位向上運動などを続けてきました。そうした世界中でのさまざまな取り組みや、スポーツ・芸能などの活動を沖縄の県紙『琉球新報』『沖縄タイムス』が、毎日細かく報じていることを、私は恥ずかしながらほとんど知りませんでした。またカリフォルニアのバークレー市議会は、沖縄県人会の働きかけで、普天間基地の辺野古移設に抗議する沖縄連帯決議を採択し、ハワイのホノルル市議会は辺野古移転の賛否で揺れているということで、移民たちはそれぞれ移住した先で、故郷の平和を求めて一生懸命運動しているのです。
これら沖縄の新聞は、失業率や児童の相対的貧困率が本土の倍近いこと、一人家庭の貧困率や学生のブラックバイトの割合が全国一であることなどを、さまざまな家庭の具体的な実態からレポートしています。もちろん辺野古基地や東村のヘリパッド建設に対する村人たちの体を張った闘いは、いつもトップニュース。去年の安保法制審議の最中に、某党の「芸術文化懇話会」講師である著名作家が「(政府に批判的な)沖縄の2つの新聞は潰してしまえ」と暴言を吐きました。彼の情報力・創造力の貧困さには呆れますが、本土のメディアを見ているだけでは、沖縄の人たちが置かれている切迫した雰囲気は、ほとんど伝わってこないことも確かです。(私は、9月末に沖縄・読谷村で、「FMよみたん」や沖縄国際大学の有志が中心になって開いた「第14回市民メディア全国交流集会in OKINAWA」に参加して、こうした情報格差の実情や、さまざまな工夫を凝らした沖縄からの発信の一端を知ったのですが、これは別途報告したいと思います。)
さてあまたの沖縄の歌い手の中で「ネーネーズ」の唄声は、一際胸の奥深くまで響きます。出稼ぎ、移民などで別れた親しい人への切々とした慕情や哀しみ、深い愛、支配者への不屈の思いを独特のトーンで歌い上げて美しい。世界中に移民を送り出してきたポルトガルの民族音楽ファドにも通じるようです。
つだまさお・プロファイル
1943年金沢市生まれ。京都大学卒業後1966年~1995年NHK(福井・岐阜・名古屋・東京)で報道番組の制作・開発に従事する。その後東邦学園短大、立命館大学でメディアやジャーナリズムの在り方を教えたり、全国の市民メディアをつなぐ仕事に携わる。ぎふメディアコスモスの中から発信する市民による市民のための放送局「てにておラジオ」代表。
人の痛みに寄り添うということは・・・ 沖縄 ヘリパッド 標的の村
沖縄・高江ヘリパッドを考える
今、世界のあちこちで争いが絶えず、病気や貧困のため命を落とす現実があり、各国(一部の富裕層)のエゴのために犠牲を強いられる地域や人々・・・断片的な情報にこころを痛めても、自分とそれらの問題が直接結びついているわけでもない。間接的に関わっているといわれても実感が伴わない。そして、日常の生活に紛れてしまい、つい問題を棚の上に置いてしまう。
断片的にメディアから流れる情報を読み知った風な気になる。ほんとうはどうなんだろう。事実を知るための情報は、自分でたぐり寄せるしかない。もしくは現地へ赴くか。それにも限界がある。
沖縄の基地移設問題、同じく沖縄の高江ヘリパッドの問題。
人ごとでいいのか、自分の生活には関わりがないし、と言えないことは、次の記事を読んだらどうだろう。
キャンプ岐阜
(沖縄タイムス、琉球新報、共同通信合同企画 47NEWSより)
1956年2月、岐阜県と山梨県に駐留していた米海兵隊・第3海兵師団は移動を始めた。行き先は沖縄。当時、岐阜労協事務局長として米軍基地反対運動の先頭に立っていた渡辺嘉蔵(85)は「うれしかったけれど、沖縄に行くのか、と思った」と振り返った。複雑な心境だった。
(キャンプ岐阜(現・航空自衛隊岐阜基地)は戦前、旧日本陸軍が使用した各務原飛行場。川崎航空機工業(現・川崎重工業)岐阜工場が隣接し海兵隊にとっても使用価値は高かった。だが地元でのトラブルは深刻だった。反対運動を率いていた渡辺は「酔っぱらっての誤射、発砲事件はしょっちゅう。女性がいる職場では、米兵から守るために男性が護衛付きの出退勤をしていた」と証言する。)
55年、冷戦構造が深まり米国が東アジアの米軍再編を検討する中、沖縄では当時、米軍による大規模な土地接収が始まっていた。
沖縄を統治していた陸軍を主体とした琉球列島米国民政府(USCAR)が、接収に抵抗する住民を「合法的」に弾圧することを可能にした「土地収用令」を布告。真和志村(現・那覇市新都心地区)を皮切りに、各地で住民をカービン銃で威圧して家屋を壊し畑をならして整地していった。
沖縄の多くの米軍基地は、旧日本軍跡地や国有地を利用した本土の基地とは違い、民有地を強制的に接収して造られていった。「銃剣とブルドーザー」による支配は住民をおびえさせ、怒りは沖縄全土に広がった。(中略)
第3海兵師団に属する下級部隊の部隊史は「日本から米軍の地上部隊を撤退させるという日米合意に基づいて、沖縄に移転した」と記す。ここでの「日本」は「本土」を指すことは明白だ。米国は、日本本土を含めた東アジア情勢激変への対応に、米軍が継続支配し事実上、自由にできた沖縄を使ったのだった。
基本的人権の尊重を定めた日本国憲法が沖縄に適用されたのは本土復帰の1972年。この間、本土では司法の場でも憲法と安全保障条約の優位性が議論になる一方、憲法が及ばない沖縄には、次々と基地が造られていった。
(渡辺嘉蔵さんは今年2月、90歳で死去)
9月22日 沖縄は今!辺野古基地・高江ヘリパッドを問う!という辺野古基地建設反対の集いに参加した。(瑞穂市総合センター)
講師の安次富(あしとみ) 浩さん(沖縄ヘリ基地反対協共同代表)は言う。
「高江にオスプレイのヘリパッドをつくることは、歴代の県政で賛成しているし、村長たちも賛成している。国立公園にして世界遺産に登録するといっている。自然を破壊してなにが自然遺産ですか!!オスプレイが飛ぶところが世界遺産ですか?矛盾しています。
やんばるの森を護らなきゃとみんな頑張っています。
軍事防衛は国に従え、これでは酷策です。抑止力!?それは後付けです。
しかし私たちには自己決定権がない。沖縄のみらいは沖縄に住んでいる私たちが決める!それが地方自治じゃないですか?
沖縄は差別されています。そして差別する側に差別しているという意識はないんですね。歴史的事実を知る努力をしよう。
先の衆議院選挙、参議院選挙も沖縄は自民党を拒否しました。それが「基地はいらない!」という沖縄の民意です。それなのに選挙の開票翌日から高江では強制撤去が実行されました。ほとんど暴力的に。沖縄の民意はまったく無視されたのです。安倍政権は民意を無視して強硬手段で沖縄・高江にヘリパッドをつくろうとしています。これは、沖縄に限りません。
私たちは主権者です。
運動で法律も変えられる!不当な判決は覆すことができる!それには、学区単位の地域で集まってまちづくりをして、そこで子どもたちとどう関わっていくか。子どもと関わるということは未来と関わるということ。これこそが原動力です。
創意。工夫。努力。情熱。この4つがそろえば世論を変えることができる。
平和なときこそ観光地になり得る。沖縄の特産を活かした食事を出す、沖縄の野菜はぬちぐすい(いのちの薬)、地産地消の観光地にしたい。エコツーリズムっていうんですね。どうか沖縄に来て下さい。高江まで行かなくていいです。観光でいいです。かりゆしのホテルに泊まってください。少し高いですが。そして、沖縄の野菜を食べて、沖縄のお土産を買ってください。私たちはそれだけでうれしいです。」(「かりゆし(嘉例吉)」とは、沖縄の方言で「めでたい」という意味)
集会の最初に紹介された名護市長・稲嶺進さんのメッセージが胸に残る。「背負ってきた荷物の重さ、苦しさを知っている私たちは、自ら進んでその荷物を他の誰かに押しつけたくありません。だから今は歯を食いしばって負担に耐え、私たちとともに背負ってくれる誰かが現れるのを待っているのです。
沖縄に観光に行くだけでもともに背負うことになるのなら自分たちにもできる。しかし、その言葉に甘えず、歴史的事実を知る努力はしなけらばならない。そのために集会や勉強会にはすすんで足を運ぼうと思う。 (三)
パーマカルチャーフェスティバル
オーストラリアは、9月22日が春分。春を迎える、お祝い、お祭りとして、週末の3日間に、パーマカルチャーを軸にしたフェスティバルを主催しました。
テーマは、畑から台所へ。
自分たちの食べる野菜を、どのように育て収穫するのか、そして収穫した野菜をどういただくか、調理の仕方を3日間にかけて学ぶワークショップに、音楽などのイベントを交えて行いました。
春(オーストラリアは今が春です)は種植え、土づくりの時期。まずは、土づくりのワークショップです。
耕さない畑づくりー最初にコンポストづくりです。窒素と炭素の配合によって発酵を促し、生ごみなどを分解していく方法です。ウッドチップ、生ごみ、枯れ葉、雑草などの青葉、モルチ、鶏糞、モルチ、そして土の順にレイヤーをつくります。各レイヤーごとしっかり濡らすことが重要。大体3か月くらいで分解されて、いい土となっていきます。
この状態でも、一番上のレイヤーの土に直接、苗を植えることもできるので、今回はインゲン豆を植えました。
そのあと、バナナの木の植えわけの仕方、根菜の根分け、根植え、竹で作る柵づくりをしました。
台所では、発酵食品のワークショップを行い、ベジタリアン韓国風キムチづくり、インドネシアなどでは評判のテンペづくり、そして小麦粉を使わないでつくる、生姜の蒸しケーキ。生姜の蒸しケーキは、お米、ソバの実、豆を大体3分の1づづ、一晩水に浸し、発芽させた状態にさせます。あとはブレンダ―で生姜と砂糖と重層と混ぜて、蒸すだけです。
小麦粉を使うよりも、栄養価が高く、おいしく食べられます。
畑での知識、台所での知識、そして、音楽を交えた夜のディナーパーティーをとおして、自分たちの食を創っていく。街から参加してくれた人達が、自分の場所でできる畑づくりを学べ、土、畑、食を通してつながり合う素敵な時間となりました。
grow your own food!! YAO
パーマカルチャーとは、オーストラリアのビル・モリソンとデビット・ホルムグレンが構築した人間にとっての恒久的持続可能な環境を作り出すためのデザイン体系のことです。 この言葉は、パーマネント(永久な)とアグリカルチャ-(農業)あるいはカルチャー(文化)を組み合わせた造語です。
プラスチック不使用の天然ラップが日本上陸
エコラップ ECO WRAP
☆ ECO WRAPは地球に優しい自然素材からできた、何度でも繰り返し使えるフードラップです。布は認定オーガニックコットン、コットン、ヘンプ×オーガニックコットンの3種類あります。 地元バイロンの蜜蝋、オーガニックホホバオイル、天然樹脂を使っています。
☆蜜蝋の効能☆ 自然界の抗生物質と言われるほど高い抗菌効果があります。 保湿、抗菌性、防水性に優れています。
☆ホホバオイルの効能☆ 非常に酸化しにくく、数年間保存が可能です。 殺菌作用、反バクテリア作用、抗酸化作用、高い保湿効果
☆使い方☆ 食品や器などを包む時は手の温かみで形を整えピッタリと押さえて下さい。 冷たくなると固くなり形をキープします。
☆お取り扱い方☆ 使用後は水または中性洗剤で手洗い、自然乾燥させれば何度でも繰り返し使えます。 高温、多湿での保管やお湯(蜜蝋は60~70°cで溶け始めます)、電子レンジ等でのご使用、生肉や生魚、柑橘類へのご使用はお避け下さい。使い始めはコップや容器に蜜蝋や香りが残りますがお使いいただくうちに消えていきます。食品には蜜蝋や香りはつきません。 お手入れの度合いにより使用期間は変わります。 夏場での直射日光はお避け下さい。 ラップがベタついた時は一旦冷蔵庫に入れて冷たくすると、ベタつきはなくなります。
☆SMALL 800円 (20×20cm) キュウリやリンゴなどの切り口やお茶碗、コップなど
☆MEDIUM 1200円(27×27cm) お皿やサラダボール、おにぎり、野菜、チーズ、ケーキなど
☆LARGE 1800円(33×33cm) 大皿、大きめのボール、サンドイッチ、大きめの野菜(かぼちゃ、キャベツ、葉野菜など) made with love 1枚1枚丁寧に手作りしてます。
Contact ecowrap8@gmail.com
(Yoko Zirov ・オーストラリア在住)
☆岐阜県では、「もりのいえ」さんにありますよ〜。
もりのいえ(中津川市加子母)TEL/FAX 0573-7-3268
「新・糸へんの時代」
2011年の今年の漢字は「絆(きずな)」でした。あれから5年半を経て、日本も世界もますます「糸へん」を大事にしていかないといけない時代になっている。そんな感じがします。「糸へん」の漢字をあらためてあげてみると、縁(えん、えにし、ネットワーク)、結(ゆい、協働)、編(あむ、組み合わせ、編集)、絵(芸術、アート)、緑(自然、環境)、継(つなぐ、継続)、練(ねる、きたえる、みがく)などがあげられます。なんといっても「縁」は糸へんの漢字の代表ですね。「縁」といえば、必ず思い出すのが、柳生家家訓「小才は人に会っても縁に気づかず、中才は縁に気づいて縁を生かさず、大才はそでふれあった縁をも生かす」ということばです。未来に向かって新しい風を起こすには、多様な「出会い」が大事になってきます。それぞれの地でいろいろな物語が生まれたらいいですね。
「自己紹介が地球を救う」
講演などの機会をいただいたとき、あるワークをおこないます。それは「大好きなこと」「得意なこと」
「ライフワーク」「生きがい」「気になるテーマ」などのなかから、自分にとって大事なキーワードを3つシートに書いて発表いただくというもの。東京などの都会や地方の農村部でもおこなってきて、わかったことがあります。それは3つのキーワード出しをすると、その3つがすべて重なる人が会場に誰もいないということ。みんな異なる家庭で育ち、違う師や友と出会っています。学んできたことや読んできた本も違うし、旅してきたところも異なりますね。みんな3つのキーワードが違うことを私は「使命多様性」と呼んでいます。1人ひとりが3つのキーワードを使っての自己紹介を聞いていて感じたのは、自分の夢や好きなことを語る自己紹介の大事さでした。グループや地域内で、日本各地で、そして世界で、こうした自己紹介ができるだけされることが平和への道で、とても大事だと思うのです。あるとき、「自己紹介が地球を救う」ということばがふと生まれました。他者のキーワードに刺激を受けたり、それを応援することにつながったり、自己紹介から新しい関係性がこのまちで何か生まれたらうれしいですね。
※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景とする。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。
塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は中国語訳され、台湾、中国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。
Q1:行きしぶり・不登校をしたきっかけ、理由は?
子どもたちの声から( )内は、行きしぶり・不登校をした当時の学年。時間を経て、ふり返り、語ってくれました。
◆ 最初は「闇のかたまり」だった。 (小2ほか)
◆ いっぱいある。しんどくなったときに教室では「なかよし(支援クラス)に行ってきて」といわれ、なかよしに行ったら「来ちゃダメ」といわれて、また教室に行ったら「なかよしに行ってきて」といわれた。いやなことばっかりやから、頭悪いほうがまだマシやと思ったから。(小2・女子)
◆ 授業中、頭がぼーっとして、つまらなくて行きたくなかったから。そのあと、朝起きられなくなって、行こうとするとおなかが痛くなった。(小4・女子)
◆ 担任とあわなかった。支援学級の担任が変わった。できないことをわかってもらえなかった。(小5・男子)
◆ いまとなっては、はっきりこれだというのはわかりません。行けなくなりはじめた当初は、ものすごく軽微なものですが、いじめだけが理由だと思っていました。年齢を経てふり返るなかで、家族との関係、自分自身の性格など瀧にわたっていて決められないと思うようになりました。(中1・女子)
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人が「しぶる」ということ
浜田寿美男(発達心理学・法心理学者)
たいていは「なんとなく行きたくない」
「不登校」というのは「学校に行っていない」状態を、第三者的に見た用語で、当事者である子ども自身の気持ちからいえば、「登校しぶり」というほうが正解かもしれません。実際、「学校なんか絶対に行かない」と文字どおり拒否している子はむしろまれで、たいていは「なんとなく行きたくない」「気が重い」といって、行くことをしぶっているのです。
「行く」ことが前提、「でも行けない」
この「しぶる」という言葉はなかなかビミョウです。そこにはなにか望ましいとされる状態が前提としてあって、それがうまくいかないのです。
「登校しぶり」も、ただただ「行きたくないから行かない」というのなら楽なのですが、「行く」ことが前提としてあって「でも行けない」、その二重性が悩ましいところです。幼い子どもの「登園しぶり」などもそうです。
二重性を引き受ける
「〜しなくてはいけない」ということになっているけれども、「〜したくない」。人間というのは、こういう二重性を生きるややこしい生き物です。
思いめぐらせてみれば、そうした場面が登校や登園だけでなく、いろんな場面にあります。これをどう考え、どのように日常のなかでこなしていくのかは、子どもだけの問題ではありません。この二重性そのものは避けようがありません。
そこでできることは、この二重性を二項対立にしてしまわずに、「〜しなくてはいけない」と脅迫的に思いこまされているところを、「まあまあ」といいながら窮屈に考えず、自分は「〜したくない」と決めつけているところを、「でも〜してみたい」気持ちもあるよなと思い直して、機を待つこと。二重性をなくしてしまうことはできませんが、せめて緩めることはできるものです。
「不登校」の子どもがなにかのきっかけで学校に行けるようになって、でも、かならずしも喜んで行っているわけではない。そんな様子が見えても、ふっと「なかなかしぶいじゃない」と思ったりすることがあります。もちろん、登校しさえすればいいというようなことではありません。でも、この人間の二重性を引き受けている姿を見ると、なにか「しぶい」と思えてしまうんですね。
無理して登校しているところから、いいんだ休んだって、と開き直って、ふっと楽になる。そういう引き受け方もまたしぶい。人生は複雑なものです。
はまだすみお 発達心理学・法心理学者として子どもの発達や供述の心理を研究。奈良女子大学名誉教授。川西市子どもの人権オンブズパーソン。『子どもが巣立つということ・・・・・・この時代の難しさのなかで』(小社刊)など著書多数。
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園児・小学低学年の場合
ストレスの源泉から離れれば症状は消えます。
心理カウンセラー 内田良子
園児の「いやだ」に向き合う
保育園・幼稚園の子どもの登園しぶりについて、最近は相談の切り口が変化してきているように感じます。
「こだわりが強い」「反抗期のいやいやが手に負えない」「育てにくい子」などという訴えになっています。発達障がいではないかと心配する親御さんが増えました。
イヤイヤ期の手に負えない反抗の内容を聞くと、登園前に集中しています。
反抗して手に負えないとき、「子どもはなにかいってませんか?」と聞けば、「保育園に行きたくない」「ママとおうちにいたい」と泣いたり叫んだりしているというのです。
これほどわかりやすい子どもの訴えを親が受けとめられないのは、なぜでしょう。保育園に行っている場合は、親が仕事を休めないのひとことにつきます。子どもの「いやだ」につきあっていたら、「仕事が続けられない」と心を鬼にして、力ずくで動かそうとして泥沼化しています。怒りといら立ちからも手も出ています。
「いやだ」とことばで訴えても通じない状況が続くと、子どもは発熱や頻尿、腹痛や持病の悪化、夜泣きやチックなどが出ます。かぜをひくと治りが悪く、医者がよいがくり返され、専門医を受診すると「発達障がいのグレーゾーン」といわれるケースがよくあります。
具合の悪いときは休んで治す
小学校に入学すると、学校は休まず通うのがあたりまえの社会になります。担任とクラスメイトに恵まれると、学校は楽しい場所になります。
最近の小学校は、団塊の世代が去ったあと、若い先生が多くなりました。学校づくりが未熟で授業も若葉マークの先生に、いうことを聞かないおませな生徒がそろうと、怒ったり罰をあたえる教室が増えていきます。子どもたちは緊張し、精神的に疲れ、いら立ちます。こうした教室環境が続くと心身ともに疲れた子がストレスから体調を崩しはじめます。
親ができることは、「具合の悪いときは休んで治す」という基本の基に立つことです。休めば元気になり、食欲も笑いももどり、ストレスの原因である学校から離れると、ストレス性の症状は消えます。子どもの心の健康に必要なのは「身体の声を聞いて、早めに休む」こと、子どもの訴えや言い分をしっかり聞くことです。
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小学校高学年の場合
しばらくは、本人に下駄を預けて様子を見守る
児童精神科医 山登敬之
親子の間にちょっと距離が
小学校高学年と言えば、年齢的には思春期の入り口、難しい年頃です。どこがどう難しいのか。まずなにを考えているのかわからない。親のいうことを聞かない。何をいっても生返事。そこでもっと強くいうと、反抗するか部屋にひきこもるか。そんな姿が想像できます。それまでの子供っぽさは薄れてきて、親子の間にもちょっと距離ができてきます。それが思春期の始まり。
初期に身体症状が現れる理由
この種の問題が難しいのは、備えあれば憂いなしという心がまえができないこと。ではどうするか?具体的には、まず、不登校が一般的にどういうものか知っておくといいでしょう。もちろん学校に行けない子どもは一人ひとり異なる事情を抱えていますから、番人に通用する理屈や対処の仕方があるわけではありません。しかし、ある程度は似通った経過をたどるものです。先のことがなんとなくでもわかれば、多少はおちついて事にあたれます。
大切なのは家族のコミュニケーション
高学年以上の不登校には、本人にも理由がわからないことが多いものです。思春期には自意識がボン!と膨らむので、友人たちとそりがあわなくなったり周囲の目が気になったりして、集団のなかにいるのがつらくてたまらない子もいます。こういうケースでは不登校の理由をうまく表現できません。
しばらくは、学校に行く行かないは本人に下駄を預けて様子を見守ること。そして、直接的であれ間接的であれ『キミのことはちゃんと見ているし、いつでも力になる準備がある』というメッセージを伝えていきましょう。プレッシャーをかけるのは禁物です。
前回までプラスチックから出てくる女性ホルモン様物質の問題を取り上げました。今回は、塩化ビニルと、塩化ビニルの可塑剤で男性ホルモンを妨害するフタル酸を取り上げます。塩化ビニルは製造時や使用中、使用後の全てで問題があるプラスチックです。
塩化ビニルはポリ塩化ビニルやビニール、塩ビという名前でも知られています。塩化ビニルの構成単位(モノマー、単量体)も塩化ビニルと呼ばれることがあります。両者の混同を避けるため、モノマーを塩化ビニルモノマーと呼びます。
塩化ビニルの製造時
塩化ビニルモノマーは肝臓などのがんを起こします。WHOの国際がん研究機関IARCは塩化ビニルモノマーを、ヒトに対する発がん性が認められるグループ1に分類しています。
塩化ビニルの使用中
塩化ビニル自体は固く、もろく、変質しやすい。塩化ビニルに柔らかい性質を与えたり、着色したりするために、大量の添加物が加えられ、製品が作られます。添加物は使用中に塩化ビニルから出ます。今回は添加物質、フタル酸の問題を後に触れます。
塩化ビニルの使用後
塩化ビニルの焼却によりダイオキシン類が発生します。現在は焼却炉の改善などにより、ダイオキシンの発生量は抑えられています。畑で土壌をおおうために使う塩化ビニルなどが野焼きされることがあります。野外での焼却はダイオキシンが発生するだけでなく、様々な塩素を含む有害物質を発生させます。家の内装、特に壁紙のほとんどは塩化ビニルです。私たちは塩化ビニル容器の中で生活している様なものです。火災が起こると野焼きと同じく危険な物質ができます。
フタル酸類の問題
コルボーン博士がフタル酸をホルモンかく乱物質として取り上げて以来、フタル酸が問題になっています。問題になっているフタル酸とは、フタル酸エステル類のことです。フタル酸は可塑剤として塩化ビニルの60%も使われることがあります。塩化ビニルは電線の被覆やフローリング材、壁紙、自動車部品、かばん、接着剤、プラスチック手袋、輸液用のバッグやチューブなどの医療用材料、消しゴム、ペンキなどに使われています。驚くことに、マニキュアやすぐ蒸発しないように香料などの化粧品などにも使われます。
生殖への影響
フタル酸エステルは男性ホルモン(テストステロン)の作用を妨害します。フタル酸エステルにより男性ホルモンの減少や精巣の構造変化、受精能低下、精子数の減少が見られ、女性でも女性ホルモン減少や卵巣機能不全が起きます。胎児や乳児が被ばくすると、特に強い影響が出ます。
発がん性
国際保健機関の国際がん研究機関は、フタル酸の一部が人間の発がん物質の可能性があるとして、グループ2Bに分類しています。労働者がフタル酸に曝されると基準以下であっても、肺や肝臓の異常や精巣の萎縮、肝臓がんが発生すると、ごく最近報告されました。
その他の小児や胎児に対する影響
小児がフタル酸エステルに被ばくすると、ぜん息や湿疹を起こしやすくなり、妊娠中に被ばくすると、幼児の身体発達の変化や自閉症に似た小児の行動が現れるといわれます。妊娠中に強いフタル酸被ばくをすると、男性乳児の肛門と陰茎との距離が短くなるそうです。これは男子が女性化したことでしょう。今後も多くのことが分かってくるでしょう。
フタル酸を避けるために
フタル酸の一部は規制されています。しかし、現在でも多量に使われ、あらゆる所にあります。フタル酸を完全に避けるのは不可能です。しかし、減らせばそれだけ良いでしょう。特に幼い子どもやこれから生まれる世代を守るために!みな様も可能な範囲で減らそうと試みましょう。例えば:
・化粧品や香料は最低限に使いましょう。
・やわらかいプラスチック製のおもちゃには、フタル酸が多く含まれます。子どもに与えないようにしましょう。
・台所のプラスチック製品を少なくしましょう。
・ペンキを買う際は、「フタル酸樹脂」という表記は避ける。
・食品用ラップを使わない。一時的に蓋をするなら皿でも十分。
・ファストフードを食べないように。(ファストフードの摂取量が多い人ほどフタル酸の曝露が大きかったという研究報告が出ました)
・有機食品は農薬などが少ないが、フタル酸汚染が起こることがあります。製造・流通業者は製品の取扱方に注意を。
・家の中のほこりを少なくしましょう。(ほこりには有害物質が多い)
※【可塑剤】そのままではもろくて変形や加工がしにくい樹脂を、軟らかく、加工しやすくするために加える物質。
<span style=”font-size: small;”>わたなべかずお:福島県生まれ。新潟大学卒。浜松医科大学勤務(脳研究と教育に従事)医学博士、各務原ワークショップ主宰(毎月第4木曜日13:00〜渡部宅(各務原市蘇原東栄町)主に健康と環境に関することの勉強会)参加希望者はbandaikw@sala.dti.ne.jpまで</span>
プレゼントご希望の方は
ハガキまたはe-mailで、下記のアンケート1〜6をご記入の上、編集部・プレゼント係りまでお送りください。
〆切:11月25日 当日消印有効。
B、Dはにらめっこ編集室に受け取りに来ていただける方。
宛先:〒504-0855 各務原市蘇原新栄町2-25
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※お寄せいただいた個人情報は、本紙プレゼントの発送に限り、 使用させていただきます。
1- あなたが理想とする自分の住む街の姿は?
子育て支援の充実、情報公開、障がいある人にやさしい、などなど、具体的に教えてね。
2- 気になるにらめっこ紙面での広告
3- 気に入った記事、気に入らない記事のタイトル1つ
その理由もお書きください。
4- ご希望のプレゼント名 (第1希望・第2希望)
5- 本紙をどこで入手されましたか?
6- 氏名、年齢、住所、郵便番号、電話番号、家族構成
A.CINEX 映画招待券 ペア3組様 (シネックス様より)
主人公に自分を重ねて、ときめいたり、泣いたり怒ったり…。そんな非日常のひと時を映画館で過ごしてみる。心の栄養剤になる、かも!
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ちょっとした風にも飛行機が揺れて、お部屋の動きあるアクセントに。ヘリコプタータイプもありますよ。
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D.作家もの 黒い平皿 2名様 (にらめっこより)
一枚の粘土をくるりと曲げて足に。黒い塗りとジグザグ模様の間の金色のラインが全体を引き立てています。何を盛りつけても引き立ちそう!横285mm 縦70mm 厚15mm
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E.八海山 麹だけでつくった あまさけ引換券 3名様 (ワインショップサチ様より)
砂糖を一切使わずに、麹の力で優しい甘さを引き出した「あまさけ」。よい麹づくりにこだわりを持つ八海山ならではの、上品な仕上がりとなりました。825g入り。ノンアルコールです。
※ワインショップサチさん(各務原市尾崎西町)で商品とお引き換えください。
お金というものは人間が作ったものですから、それがないと生きていけないということはないはず。お金があることでみんなが幸せになるんならいいんだけど、どうも今の社会を見ていると、いろんなトラブルの元になっているのはお金なのかなあって思う訳です。
大事なものは決まっているし、優先しなきゃならないものはお金があろうとなかろうと、同じじゃなきゃおかしいんじゃないかと。そういうふうに考えると、何が正しいのか、っていうのが見えてくる気がする。お金があるからといってその判断が変わってしまうのは、私はおかしいと思うんですよ。
物々交換からお金の歴史が始まった、みたいなことになっていますが、物々交換もしないほうがよかったんじゃない?だって別に必要な人が必要なものをもらって、あげられる人はあげられるだけでいい。それに見合ったものをくれっていうのはおかしいんじゃないかと・・・。で、もしその交換という概念がなければ、お金というものも必要じゃなくなるんじゃないかと思うんです。ただ、これはとても都合の良い考え方かもしれませんけどね。
お金が悪い訳じゃないんです。「交換する」ということが必要なら、同じ価値を決められているお金は確かに便利かもしれません。だけど、せっかく人間が作ったものなのに「貯める」ことができるようになったあたりから、お金を持っている人と、持ってない人とのあいだに、たいへんな差が生じてしまった。
お金って人間でいうと血液と一緒で、回さなきゃいけない。ひとところに溜まっていると病気になってしまう。
それから、預ける、貯める、利息がつく。それもおかしいですよね。預けとくと増えちゃうんですから。で、借りた人は逆に利子が生じ元金より多く返さなくちゃならない。そうするとどんどん、どんどん貧富の差が広がってしまう。その辺が不公平というか、貧富の差をつけるためのシステムなんじゃないかな。でも、それも人間が作ったことですから、やめてしまえばまた違う性質を持たせることだってできるんじゃないかな、と思うんです。
私は昨年、定年まで3年ありましたが退職しました。お金のいらない世界を想像しなかった頃の私は、とにかくお金持ちになりたい、いっぱい好きなものを買って、大きな家に住んだり、高級な車に乗ったり、贅沢な生活がしたいなあと思っていたんです。だけど、私の考えているお金のいらない社会は、誰もがなんでも持つことができて、大きい家に住もうと思ったら住めるし、いい車に乗ろうと思ったら乗れる。もしお金が存在しない社会だったら、私は自分が住むのにちょうどいい大きさの家、乗るのに都合のいい車、それでいいじゃない、と思ったんです。まさに「足るを知る」ですね。
科学とか技術面では確かに進歩して来たと思います。いろいろ失敗しながら進んでいくのが人間かなあと思いますけど、ここで経済っていうのも限界が来たんじゃないかと思いまして、仕組みを考え直すなり、なんらか手をうたないと良くないなぁと思うんです。
そもそも人間がつくったものを最初からありきで考えてしまうと、根本的なところから考え直せない。間違った方向に当然のように進んでしまっても、それでいいと思ってしまいがちになるんです。そこで私は軌道修正をしたいと思いました。
お金のいらない社会なんて、荒唐無稽な話しかもしれませんけど、想像してみるってことが必要かなと。自分の心の中に作るのは勝手ですからね。それで、基準が自分の心の中にできると、この混沌とした、何が正しいのか分からない社会でも、判断基準ができるのではと、私はそんなふうに思います。
お金をちょっと横においといて物事を考えてみる・・・自分の考えを整理するのに役立つんじゃないかな、なんて考えております。あまり堅苦しく考えずに、そんな想像を巡らせてみるなんていうのもいいかな、今回のお話しをそういうきっかけにしていただけたらなぁと思っています。
インタビューで…
2003年にこの本を出版した頃から、こういう活動を始めました。最初は三人で寸劇をやっていて、落語の形にしたのは2009年くらいからです。落語は習ってはいません。ただ、好きなのでよく聞きに行ったりはします。プロの落語を見て、なんかまねできないかな、とかよく思ってますね。
ぼくの本は2人の会話が多いので、落語だったら独りで2人の会話ができるから合ってるかなと思って。それと、普通にずっとしゃべっていても聞いている人が飽きちゃうし、話しに入りにくいかなと思って。そんなことで落語という形にしました。
お金のいらない国っていう突拍子もない内容なので笑わせることが目的じゃないので、落語といっても「笑い」は意識して作ってないですね。ただ、何度か聞いてくれた人のなかには、そんなに笑うか!?っていうくらい笑う人がいるんですよ。ぼく、あんまり受けるのには慣れていないんで、あんまりうけてもやりにくいですね、変なもんで(笑)。ただ、聞いてくれた人につまらなかったって思われたら嬉しくはないけど、あり得ないだろって思われるのは、いいんです。想像さえできれば、その人の中ではだいぶ変わるんですよ。現実、自分以外の周りがどうであろうと、そういう世界が想像できるってことが大事なんだとぼくは思いますね。
話しの途中でも言いましたが、お金は「ない」という前提で今の世の中の問題を考えると、じゃあどうしたらいいのか、という本質的なことが見えてくると思うんですよ。それには、まず自分の中が変わるってことが大事じゃないかなと思って。最初からあり得ないことって考えもしないと、それ以上イメージはふくらまないし、変わるって事は望めないんですよね。
7月17日(日)「谷汲赤い電車まーけっと」にて
お金のいらない国シリーズは、お金の存在しない世界に迷い込んだ青年が、そこに暮らす人々とのかかわりの中から、お金とは何か、仕事とは何かに気づいていく物語。一人ひとりがこの社会の異常さ不自然さに気づき行動を起こせば未来は変えられる!第4話では「所有」という観念の不思議さを「お金」だけではなく、人間関係の制度とも絡めていてユニークな内容。
著者/長島龍人 『地球村』出版 900円+税 ※ネット通販をご利用ください。
長島龍人(ながしまりゅうじん)1958年、東京生まれ。
武蔵野美術大学卒業後、広告代理店入社。2015年退社。
2003年、「お金のいらない国」を出版。以後、寸劇、落語、歌などを自ら演じ、理想社会のイメージを伝えている。現在は名古屋市在住。
お金のいらないシリーズは現在4巻出版され、仕事、生活、結婚制度、病院の役割、学校や教育のありかたなど多岐にわたっている。
HPは「人間って何だ?」で検索!
「赤い電車ま~けっと」毎月第3日曜日 鉄道模型運転会、マーケット&ステージ
開催会場:谷汲昆虫館(旧 名鉄 谷汲駅)〒501-1311 揖斐郡揖斐川町谷汲徳積1412-1
電話:0585-56-3833(9:30~16:30)(月曜及び月曜祝日の場合は翌平日 休館)
ミツバチやアリの群れは、いわば巨大な「脳」にあたるという。そしてその仕組みにはリーダーがおらず、極めて民主主義的な処理がなされているという。
ミツバチやアリは女王バチや女王アリという名称から、女王がリーダーだと思われがちですが、彼女らは繁殖に専念しており、群れの宿命を決定することはありません。 分蜂のように群れ全体の運命を決める際、声高に自己主張するリーダーもいない。だが彼らは、新たな営巣地を巧みに選び出すことができます。
「リーダーのいない民主主義」はありえないように思えます。リーダーが決断をしなければその集団はさまよい、何も選べずに結果的に滅びてしまうのではない か、と。しかしミツバチは特定のリーダーをもたず、多様な意見を述べ合って、しかも合意形成する仕組みをもっています。どうしてそんなことが可能なのでしょうか。
分蜂の際、新しい営巣地を探す探索ミツバチは等しく自己主張をします。しかし「しつこく」主張はしません。「いい場所があった ぞ!」と何度か激しく尻振りダンスをした後、ダンスをやめます。別の探索バチが確認しに行き「確かに良い」と報告するに任せるのです。
探索バチが1匹で「いいぞ」と言っても、他の探索バチが「そうでもないよ」と報告すると、その候補地を支持するハ チはいなくなります。真に優れた候補地だけが、支持する探索バチの数を増やしていく。もっと優れた場所があとで見つかったら、あっさりそちらに傾く。最良の判 断が可能なんです。
人間の場合、しつこく自己主張する人がいるとその意見に流されやすくなったり、リーダーの自己主張が激しいと、 それに反する意見を述べにくくなったり・・・逆にリーダーの判断におべんちゃらを述べるメンバーが増えて、間違った決断をしてしま うことになりかねません。が、ミツバチにはそれがないのです。
ミツバチには異論反論を自由に述べることが保証されています。そして自分の主張をいつまでも曲げずにしつこく続けるものもいません。意見に触発された探索バチ が「確かにあそこはいいよ」と報告し、その数が定足数に達すると「じゃあそこで決まりだな」と群れ全体で合意が取れ、一斉に移動を始めます。
ミツバチのこうした意志決定を、『ミツバチの会議』の著者・シーリーは大学の教授会運営に活かしています。いたずらにしつこく自己主張する人がいると判断がねじ曲げられてしまうので、あらかじめ全員一人ひとりの意見を聞くことを前提とし、議論を重ねることで成功しているといいます。
ある意見が提出されたら「今の意見をどう思いますか」と一人ひとりに尋ねると新たな視点を加える有益な意見が出されます。多種多様な意見が出たところでまた意見を引き出すと、ステージを一つ上がった議論が可能になり、合意が醸成されていくのです。
ハーバード大学の白熱教室はこれに近いスタイルをとっています。教授は自分の考えを押しつけず、できる限り多様な意見を引き出す。新たな意見が出るたびに新たな視点が加えられたことを喜び、さらに深化した議論を進めるのです。
ミツバチから学ぶ民主主義より
人間は一見、養蜂という技術でミツバチを支配下に置いたようにも見受けられますが、実はミツバチも巧みに繁殖に都合のいい人間と出会って長
い年月を生きのびてきた昆虫ではないかと思います。ミツバチと人が共生し、自然界の一動物として人がもう少し謙虚に生きたなら樹木や草花は目的を持って、生き生きと果実を実らせ、開化し、蜜を流し、この先のみらいの地球を多彩にあふれた情景に包まれることを約束してくれるに違いありません。<ミツバチの大地パンフレットより>
BOOK紹介
民主主義のプロセスとは何であるかを考える知恵がつまっている。たとえば、討議の初めにリーダーが行うべきことは「集団の繁栄にみんなが関係している」と気付かせ、「問題の範囲、解決のために使える資源、手順の規則」など中立的な情報を与えることだ。その後「リーダーが集団の考えに及ぼす影響をできるだけ小さくする」ことで「自由に質問ができる雰囲気を作り出し」「疑問や異議の表明を奨励」することこそ重要なのだ、と。なぜなら「集団が選択肢を探す能力は、一個人の力に勝る」から。
ここで集団とは同じ方向を向く人々のことではなく、選択肢を可能な限り拡(ひろ)げることのできる、アイデア集団のことを意味する。その選択肢を必ず表現することで情報を共有し、もっとも優れた結論を出すことができる。著者が挙げている正反対の例は、ブッシュ大統領による2003年のイラク侵攻決定である。リーダーを喜ばせようと、周囲が早すぎる合意をした事例だという。ミツバチから学ばねばならないほど、今や人間は、多様な解答を探ることをしなくなっている。
書評・田中優子(法政大学教授・近世比較文化)より
Thomas. D. Seeley 52年生まれ。米国コーネル大学教授(生物学)。片岡夏実訳、築地書館・2,940円
DVD紹介
イフホーム監督の祖父との記憶やミツバチへの愛情を織り交ぜながら、現在、人間の活動が地球の多様な生命のみならず自らの存在もおびやかしている現実を紡ぎ出す。それらは鋭い文明批判でもあり、小さな「いのち」を通して、自然と人間の持続可能な関係を問いかける必見のドキュメンタリーである。
2012年ドイツ、オーストラリア、スイス合作
「リニア中央新幹線の全線開業を最大8年間前倒しする」。参院選で与党が大勝したことを受け、安倍首相はそう表明しました。国が財投債という国債を発行して調達した約3兆円を、長期間、超低金利でJR東海に貸し付け、2045年の大阪延伸を早めようというのです。
リニア計画は、JR東海の「全額自己負担」を前提に国が認可したはず。「公費の投入は話が違う」(7月25日付毎日)、「リニア延伸 前倒しに壁」(7月26日付読売)。メディアも疑問を投げかけ始めました。
アベノミクスの目玉事業にリニアが躍り出た今こそ、私たちは冷静な目を持ちたい。今回は、岐阜県内のリニア工事で、ウランが掘り出される恐れのあることについてお伝えします。 ジャーナリスト 井澤 宏明(各務原市在住)
立ち退き240件
リニア中央新幹線の品川―名古屋間286キロのうち岐阜県内を通るのは55.1キロ。88%の48.6キロがトンネル、6.5キロが高架や橋などです。
JR東海から用地交渉を請け負っている県によると、リニア建設による県内の立ち退きは、住宅や倉庫などの建物約160件。さらに、岐阜県駅へのアクセス道路となる濃飛横断自動車道(中津川工区)建設による約80件が見込まれています。
測量が進まないと正確には分からないそうですが、多くの住民が、長年慣れ親しんだ住宅や土地を離れざるをえないことになります。
人形峠の悲劇
県内のリニア工事では、東京ドーム10杯分を超える約1280万立方メートルの残土が発生すると予想されています。
リニアが通る瑞浪、御嵩の地中には、国内最大の埋蔵量といわれるウラン鉱床群があります。万が一、放射性物質であるウランが掘り出されると、ラドンガスが発生して空気中に放出され、それを吸った人が肺がんなどにかかる恐れがあります。
ウラン埋蔵量が東濃地方に次いで多い岡山・鳥取県境の人形峠。1950年代から60年代に行われた採掘で野積みされてきたウラン残土に、住民は苦しめられてきました。人口100人足らずの地区で11人ががんで死亡し、うち6人が肺がんの犠牲になりました。
小出裕章・元京都大学原子炉実験所助教は、約1000人の鉱山労働者のうち約70人が肺がん死すると予測しました。
「掘ってみないと・・・」
JR東海は「(リニア)計画路線はウラン鉱床を回避している」と説明しています。その根拠として、旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団)が1963年から87年に行った約1400本のボーリング調査で、ウラン濃度を確認し、ウラン鉱床の位置を把握していることを挙げています。
旧動燃のボーリング約1400本のうち、リニアルート近くに位置しているのはわずか6本で、ルートをすべてカバーしているわけではありません。JR東海の言い分が正しいのかどうか、旧動燃を引き継いだ日本原子力研究開発機構東濃地科学センターに尋ねてみました。
「ウラン鉱床を回避しているとはいえる」。電話取材に応じた職員はJR東海の言い分を認めながらも、「ウラン鉱床と呼べるほどの規模ではないものはあると思う。そういうところは、実際に掘ってみないと分からない」と話しました。
ルート上に高放射線量
ウラン鉱床以外でも高放射線量。そんなデータが今年2月と3月、市民団体が行った調査で観測されました。ウラン鉱床を避けているはずのリニアルート上で、ウラン鉱床よりも高い放射線量を記録したのです。
毎時0.341マイクロシーベルトの最高値を観測したのは、御嵩町次月のリニアルート上、品川から245キロ地点。2月の同じ日、国内最大規模の月吉鉱床内と周辺計4か所で測定した結果は、0.3マイクロシーベルト未満でした。
この調査を受け、市民団体「リニアを考える岐阜県民ネットワーク」はウランやラドンガスの再調査を要請。これに対しJR東海は「(品川から)245キロ地点については、これまで実施した調査から、ウラン鉱床ではないと考えている」と答えました。高放射線量の原因については、ウラン成分が含まれる花崗岩が地表に露出していることを挙げています。
調査メンバーの「多治見を放射能から守ろう!市民の会」代表の井上敏夫さん(67)は「放射線量からみて、リニアルート上はウラン鉱床より安全だとは言えない。地下にほぼ同じレベルでウランが存在し、ウラン残土が出る危険がある」と警鐘を鳴らしています。
JR東海は今秋にも、ウラン鉱床に近い瑞浪市の日吉トンネル南垣外工区の工事に着手するとしています。
残土被害、過去にも
残土が住民の生活に被害を与えた例は、県内にもありました。可児市で2003年、ため池のマスなどの魚が大量死し、この水を使っていた農家がその年の稲作を中止したのです。
東海環状自動車道の建設工事で出た黄鉄鉱を含む残土を、上流の谷筋に埋めたことが原因でした。
JR東海の柘植康英社長は記者会見で「(日吉トンネルの)施工にあたっては、ボーリング調査などで地質の状況を確認しながら掘削する。掘削中の放射線量、排水中のウラン濃度を把握し、慎重に対応していく」と述べています。
しかし、県内のリニア工事では、基準値を超えるフッ素や水銀が2012年から14年の事前調査で検出されていたにもかかわらず、JR東海が県に報告していなかったことが今年2月になって明らかになりました。日吉トンネル予定地周辺に住む男性は「(地元とJR東海では)危機意識のレベルが違う」と不安を隠せません。
放射能汚染は、発生してからでは取り返しがつきません。
ウランを掘り出さないという確証が得られ、住民に十分納得のいく説明ができるまで着工はしない。それがJR東海の最低限の責任ではないでしょうか。
前回の「防災ピクニック」で、日頃の「防災」についての取り組みが大切と、しみじみと実感したママたち。被災した時のことを想像すると、いろんなことが気になります。そこで、自らの「防災力」をUPすべく、6人のママが集合!
防災グッズをつくってみたり、体験してみたり。
今回は、その中から気軽に挑戦しやすい「身近なもので子どもをおんぶ!」と「レジ袋でつくろう!簡易おむつ」をご紹介します。
どちらもちょっとしたコツがあり、いざという時に急にやってもなかなか上手にはできません。みなさんもお友だちと練習してみませんか?
これらのテクニックを身につければ、非常時だけでなく日常でも重宝しますよ♪
災時こそ、避難・配給に並ぶ・物資を運ぶなど、小さな子どがいても両手を使いたいもの。
そこで、おんぶ紐がなくても、身近な物で子どもをおんぶする練習をしました。
《用意するもの》
兵児帯、晒し、スカーフやブランケットなどをつなげた1本の紐(4mあるとよい)
《手順》
1.紐の真ん中を子どもの背中に当てる(赤ちゃんは寝かせて。立てる子どもは立って)
2.子どもの両脇の下を通して、胸の前で紐を合わせて持つ
3.子どものお尻に手を添え、紐を胸ぐらを掴むように持ち、同じ目線になるまで子どもを持ち上げる
4.子どもを背中に背負う。(子どもの手が大人の肩に乗るくらいの高さで背負う)
5.一まとめにして持っていた紐をそれぞれの肩にかける
6.肩にかかっている紐はあごで止め、右肩にかかっている紐を子どもの足の付け根~お尻に回し、自分の左脇の下を通して前へ持っくる
7.あごで止めていた紐と、左脇の下を通した紐を交換して、同じように子どものお尻を包み、右脇の下へ持ってくる
8.きゅーっと紐を引っ張り、子どもと自分の背中を密着させる。
9.左脇を通した紐を、右肩紐の下を通す。反対も同様に通す(胸の上で紐をクロスした状態)
10.胸の上辺りで紐を結んで完成!
※肩への紐の食い込みが痛い場合、紐の幅を広げ、肩をすっぽりと覆うようにする。紐の幅を広げることで、乳腺の圧迫や肩こりの予防にも。
※この方法は、胸の上に結び目がくるので、胸が強調されません。
※紐だけでは不安という方は、バスタオルや服を背当てになるように挟みましょう。
※ゆるいおんぶはNG!子どもが隙間から落ちたり、紐が首に引っかかることもあります。
※最初は手伝ってもらいながら練習しましょう。
・輪おむつをたすきにかけて、子どもを座らせたらあ〜ら、スリングに早変わり!
・晒し、兵児帯でのおんぶは3才15kgまでも背負うことができるんですって!
《用意するもの》
大きめのレジ袋、布(タオルや晒しなど)、はさみ
《手順》
1.持ち手の端と袋の両脇を切って開き、その上に清潔な布をおく
2.布の上に子どものお尻がくるように寝かせ、背中部分にある持ち手をお腹の前で結ぶ
3.もう一方の持ち手を持ち上げ、お腹を覆い、結んだ持ち手の下を通して胸の方へ出す
4.余った部分は下に折り返す
※いくつかの結び方がありますが、動き回る子どもが使うと、どれもほどけてしまいました。その場合はガムテープで固定するなどの工夫をしましょう。
参加ママの感想
★普段の生活の中で、身近にあるものを見て「これもおんぶ紐につかえるかも!」と考える視点が生まれました。
★止血や防寒、手ぬぐいやマスク、避難時のロープとして、燃やして着火剤として様々な使い道ができる。晒し、すごい!
★実家で使わない兵児帯発見!防災リュックや車の中に常備します。
★頭で分かっていても、災害時は気が動転してしまうと思うので、みんなで実践、練習できたことがよかったです。
★すぐにはうまくできなかったので、やってみることが大事だと実感しました。知っているだけでは、災害時に実践できないだろうなと感じました。
おすすめBOOK
4コマですぐわかるみんなの防災ハンドブック
もしもの時に役に立つ防災の知識や知恵を4コマ漫画で紹介しています。サッと読める4コマ漫画に目を通しておけば、いざというときにすぐに行動できそうです。
草野かおる 著/渡辺 実 監修
ディスカヴァー・トゥエンティワン/出版
子育てコミュニティ toco toco
一宮市を拠点に活動する子育てコミュニティ。子どもと働く、助産師とのつながり、食べることは生きることの3つの柱を基盤に、砂糖や膨張剤を使わないおやつ作り、農薬や化学肥料を使わない野菜作り、自然な子育て学び合い会など開催。子どもへの関わりを通して、各世代が繋がり、それぞれの役割を発揮できる地域社会を目指して。活動案内はfacebookで紹介しています。 http://www.facebook.com/tocotocodream
問い合わせ tocotoco.enjoyhug@gmail.com
今後のtoco toco
9/10(土)防災camp @一宮市
9/5,12 オーガニック子育てお話会 @一宮市
9/29 ゆいのわ市親子ふれあい広場にて兵児帯学び合い会、姫トレなど企画 @犬山市 さら・さくら
10月アイマルシェ、一宮市本町商店街おいち祭りなどに参加予定
高校で音楽を勉強している私は、2年生の時、修学旅行の行き先が沖縄ではなく、高校3年になった今回、初めて沖縄へ行ってきました。目的は大学のオープンキャンパス、しかもひとり旅でした。
初めての沖縄
8月1日から3日間、沖縄の大学のオープンキャンパスに行くために沖縄へ行ってきました。 沖縄へ行くのは初めてでした。
私がその大学に興味を持ったのは、「自分がやりたいことができる!」という理由でした。この大学は、沖縄のことが勉強できる日本では数少ない大学のひとつでもあります。学校は沖縄らしい建物で、裏手に首里城が見える、とても素敵な所でした。
私がこの大学に興味を持った後で、元アメリカ兵による女性の拉致殺害事件が起こりました。この事件のことを知るにつれて「そんなイメージの沖縄へ行くのが本当にいいのかあ?」と思ったこともありました。空港に着くなり迷彩服を着たアメリカ兵らしき人を見て、そんな経験は初めてだったのでビックリしました。でも、初めて行った沖縄は、「本当にそんな悲惨な事件があったの?」「今でも基地の問題などたくさんあるけど、本当?」と思うくらい平和な沖縄でした。
初日は沖縄探検
空港から出るなり、空気が全然違っていました。最近の沖縄に関するニュースから想像していた沖縄とは正反対で、とても明るくてビックリしました。
1日目はオープンキャンパスの前日で特に予定もなく、一人で沖縄を探検しました。沖縄と言えば海、最初はビーチに行きました。想像していたとおり、青い空と青い海がとってもすてきでした。帰りにパイナップルを買いに寄った道の駅のおばちゃんは、「県外から来たよ」って伝えたら、いろんなことをたくさん教えてくれました。沖縄の人はみんなフレンドリーで、誰もが気軽に話しかけてくれるし、いろんなことを教えてくれました。人と人との距離感がとても近く感じられました。
次に国際通りに行きました。そこは観光客がたくさんで、いろんなお店があって楽しかったです。
でも、宿に入って見たテレビのニュースはほとんど基地問題でした。とはいっても、今騒がれている高江のニュースを見ることはできませんでした。それなのに、半日かけて探検してきた沖縄は「本当に沖縄で問題が起きているの?」って思えるくらい平和で、どこを見てもきれいな景色、オレンジの瓦屋根の沖縄らしい家、何もかもが不思議に思えました。
沖縄がすっかり好きになりました
オープンキャンパスはとっても充実していて、2日間が瞬く間に過ぎてしまいました。
オープンキャンパスが終わってからも夜の飛行機まで時間があったのですが、暑さに疲れてしまって大学近くの首里城に行くのがやっとでした。その後、空港に戻って沖縄そばと海ぶどうの夕食を食べ、飛行機に乗りました。
こんな3日間だったのですが、沖縄と、大学がすっかり好きになった3日間でした。最初は不安だった沖縄一人旅ですが、最後には逆に帰りたくなくなってしまいました。
行く前に持たされてしまった悪いイメージの沖縄と、帰ってきてからの沖縄のイメージは正反対になってしまいました。
私が出会った沖縄の人たちはみんな明るく、とっても親切でした。でも、そんな沖縄が激しい地上戦に巻き込まれ 今でもたくさんの米軍施設を抱えて、たくさんの米兵がいる……とても不自然だし、不思議だなと思いました。
しかし、考えてみれば沖縄は沖縄の人たちのものです。私が今回見ることができた「今の沖縄」があるのは、一人一人が自分の街を思い続けて大切にしてきたからじゃないかなと思います。
沖縄は同じ日本です。
もっともっと沖縄に興味をもち、たくさん学ばなければならないことがあると感じました。