投稿者「にらめっこWeb版スタッフ」のアーカイブ

vol.182 ホスピスナース奮戦記 vol.7

ある日突然・・・

この日は、70代の女性を訪問した。夜10時を過ぎていたが、患者さんの夫と息子さんが疲れた、でも優しい笑顔で出迎えてくれた。様子をうかがうと、患者さんはその日の朝まではどうにか一人で歩いてトイレにもいっていたし、会話もできたようだった。少しではあるが、お茶を飲んだり食べ物も口にしていたようだった。それが夕方から容態が変わり、訪問したときは意識も朦朧としてとても一人では動けなかった。リクライニングチェアに座ったまま、体にはまったく力が入らない。なんと昼前から夜の10時までこの状態だと言う。この患者さんの今しか知らない自分にとっては、おそらく死期が近づいているのだろうということが一番に考えられた。それ以外に何か容態を急変させた要因があるか考えるが、患者さんとの意思疎通もままならずとても難しい。患者さんの夫は、患者さんが最後にいつ飲み物を口にしたか、いつトイレで用を済ませたのかもわからないようだった。とにかく夫と息子二人でどうしたらいいかわからないまま途方に暮れているようだった。そして急な変化にとまどっていた。今まですべて身の回りのことも自分でしていた患者さん。まさかこんな急に変化がくるとは思ってもみなかったと言った。ベッドも医療用ベッドでなく、少し体の重い患者さんは家族にとって負担が大きい。まず、ベッドの真ん中にもう一枚シーツを敷き患者さんを椅子からベッドへ移した。正直かなりしんどかった。息子さんにアシストを頼んでやっとベッドの真ん中へ楽な姿勢で休めるように移動させた。案の定おしりは真っ赤。すでに小さな褥瘡ができていた。ご本人は痛みで苦しい様子はなかったが、肌はみるからに痛々しかった。長時間同じ姿勢でずっと座っていたせいで、足もパンパンにむくんでいた。朦朧とする意識の中、バイタルをとって、いくつか質問をすると、かろうじてトイレに行きたいけど出ないということがわかった。おそらく12時間以上は尿は出ていないようだった。この容態で尿道カテーテルを入れるか、ものすごく迷ったが、患者さんが膀胱を抑えると痛いと言ったので、入れることにした。それから、念のためもう一枚タオルをおしりの下に敷いた。この日まで必要なかったため、おむつも、パッドも、そういった類のものは何も家になかった。患者さんの夫は、始め少し躊躇したが、清拭と体位交換のやりかたを一生懸命覚えようとした。息子さんは、お母さんのお下の世話はできないと、部屋の外にいたが、体位交換はお父さんと二人でやってみると言った。二人を見ていて、彼らが今抱いている不安が手に取ってわかるようだった。初めてが急にいっぺんにやってきたのだから無理もない。
帰る前に患者さんの夫と息子さんに、必要な時の症状緩和のための薬の使い方も説明した。それから、正直今回はとても難しいと思ったが、死期が近づいているようだということと、それにともなって見られる症状も説明した。患者さんの夫は少し涙ぐんでいた。
もしかしたら、この患者さんはもう二度と、しゃべることはできないかもしれない。最後に家族と交わした言葉は、なんだったろう。。。もしかしたら、この患者さんはもう二度と夫や息子の顔をみつめることはできないかもしれない。最後に家族の顔をみつめたのは、いつだろう。。。もしかしたら、この患者さんはもう二度と家族の手をにぎりしめることはできないかもしれない。最後に家族の手を握ったのは、いつだろう。。。
次の日に記録を読むと、患者さんは明け方に亡くなった。妻として母として家族には世話をさせまいと決めていたのだろうか。それとも、どんな容態であっても妻として母として、家族ともう少し同じ時間を共有したかっただろうか。どちらにしろ彼女の身体はとても早く変化し、最期を迎えた。夫にとっても、息子さんにとっても、私が帰った後あの一晩が有意義な時間であったといい。それが、このまだまだなホスピス看護師の私にとっての唯一の救いだ。
そして、今回もまた、家族と過ごす当たり前の時間が、本当はとてつもなく大切なものだと気づかされた。
禅の言葉、「一期一会」を思い出す。今日の出会いはただ一度きり、毎日顔を合わせる家族であっても友達であっても、その出会いというのは、二度と同じ時間をもつことはできない人生で一度きりの大切な時間。(ふっと心がかるくなる禅の言葉 永井政之監修 より)この言葉、前より深く心に刻もうと思う。

わかばま〜く:プロフィール 1982年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。


vol.182 ぎむきょーるーむ 続・10代の食生活これでいいのォ?

日本消費者連盟代表運営委員・富山洋子さんに聞く

いつまでも“ふっくら”コンビニおにぎり

食べやすくて、携帯食として人気のあるコンビニおにぎり。しかし、このおにぎりには予想以上に添加物がたくさん!半日以上立ってもふっくら柔らかく、のりも包装からするりと抜け、パリッとした歯ごたえ。まさに添加物のはたらきなのです。

表示だけではわからない

表示は使用量の多い順に書かれています。「塩飯」「ツナマヨネーズ」「海苔」のように、すでに調理済み・加工済みの材料についてはその名称のみでよく、それに使った調味料などの添加物を表示する義務がないので、そこに含まれるぶんを合わせるとかなりな量の添加物が使われていると推測されます。
さらに「一括表示」として同じ目的に使用されている添加物はまとめて「ph調整剤」などと表示すればいいことになっています。表示の最後に「原材料に小麦、大豆を含む」とありますが、この大豆は、輸入されたもので遺伝子組み換えのものを使っている可能性が大きい。

長持ちサンドイッチのナゾ

賞味期限は、おにぎりは26時間。サンドイッチは29時間となっています。柔らかいパンは水分を吸ってビチャビチャになりやすく、ハムやキュウリは変質したり腐ったりしやすいもの。それなのにおにぎりより長持ちするなんてよほど無理をさせているということでしょう。

ファミレス・ファストフード

これら外食産業の多くが輸入食品。このところ話題となっている中国産の野菜のように、日本では許可されていない添加物が使用されていることもあり、その安全性が問題になっています。また、日本ではジャガイモの芽止め以外に使用が禁止されている放射線照射食品も入りこむことがあります。安全性にかなり問題ありです。

「有機」「地場産」って・・・・・・

さて、メニューに『有機野菜』と書いてあるものは安心だと思う人もいるでしょう。有機野菜とは、栽培期間だけでなく、種まきや苗の植え付けをする2〜3年以上前から化学肥料や農薬を使っていない土地で栽培された農産物を指します。そして「有機(オーガニック)という表示は、農林水産大臣から認可を受けた第三者認証機関が生産工程を検査して、厳しい企画に合格した農産物だけに認められ、「有機JISマーク」をつけることができるものなのです。
「特別栽培農産物」というのもあって、農薬や化学肥料をまったく使わない、あるいは、ふつうの栽培法より農薬の使用回数や化学肥料の使用量が半分以下の夫野を言います(かつては「減農薬」「無農薬」という表示もありましたが、現在はそういう表示をしてはいけないことになっています)でも、調理されたものには原材料名や添加物を表示する義務は法律的にもないので、不確かになりがちです。
また、サラダなどのカットされた生野菜は消毒液につけているかもしれないので、野菜だからといって身体にいいかどうか不安です。もう一つ、「産直野菜」「自社農園」「地場産」「契約農家直送」。どこから来たって「産地直送」。本当かどうか私たちには確かめようがありません。こうした言葉にだまされてしまうのは、食べ物の物語を知らないから。それがどのような風土で、誰の手によって育てられたものかについて、私たちがあまりにも無関心だからなのでしょうね。

 

食べ方を押しつけられて
そもそもジャンクフードってなんでしょう?添加物がいっぱいのもの?ファストフード?ジャンクフードか否かは、食べることの関係性の中で位置づけられるとわたしは思います。食べ物はきわめて「個」にかかわってきます。と同時に社会のあり方に深くかかわっています。たとえば放射線照射食品は、肉や野菜を腐らせずに戦地に運ぶために軍事用に開発されたもの。学校給食も一般的になったのは戦時中で、銃後を守る小国民を養うためのものでした。戦場ではまさに食べ物は兵力を養う大切なもの。軍隊がまず現地でしたことは、食べ物の略奪です。そこに暮らしていた人たちのいのちや家や畑を踏み荒らし奪い取った食べ物を食べ、生き延びた兵隊さんたち。彼らが口にしたものは添加物にまみれていない、人々の命の糧となる生きもの、丹精込めて育てたものでしたが、それらは、いまでいうジャンクフードよりつらい食べものだったに違いありません。このように、戦場でも現在の食卓でも、奪い取ることをふくめて、個人が望んでいないのに、社会や国から食べ方を押しつけられることがいちばん問題だと思います。押しつけられて食べざるを得ない、それがいうならジャンクフードの本質だと、わたしはとらえています。(富山洋子)

 

C O L U M N

添加物の魔力をどうする?

情報過多の時代ですが、食べ物の選び方・食べ方を変えられない、変えようとしない。みんな、「わかっているけどやめられない」のはなぜか。それは添加物のメリットがあまりにも大きすぎるからです。添加物のメリットは「安い」「(調理の手間がかからず)簡単」「(24時間いつでも買えて)便利」「(見た目が)きれい」「おいしい(味にしたてることができる)」という5つに集約できます。
「知らなかった」という方もいらっしゃるかもしれませんが、裏側の表示を見れば全部書いてあります。うすうす気づいているのに、確かめようとせず、そういう食べ物を子どもに食べさせ続けるのか。それは、多少の犠牲を払っても、目先の5つのメリットを得たいからでしょう。結局、人は楽ということが好きなんです。でも、子どもの健康を犠牲にしてまでも、添加物によって得られるメリットがほんとうにいいのかどうか。「安いし簡単だし、おいしいからまぁいいや」では、もはや価値観の崩壊でしかない。崩壊した価値観のもとで育てられた子どもの心と体は、いったいどうなるのでしょう。

子どものときから食べ慣れた” つくられた”味

子どもたちが添加物がつくりだすおいしさの虜になるのは、なにも小学生、中学生になってからではありません。じつは、カップラーメン、スナック食品などの”ジャンクテイスト好き”になる下地は、乳幼児のころから家庭の食卓でつくられています。
一般的に体にはあまりよくないと思われているカップラーメン・スナック類と、いまやどの家庭でもあたりまえに使っているだしの素、スープの素、調理用タレなどとは、添加物の基本構造が同じ。食品裏の表示をみればすぐにわかりますが、共通するのは、「食塩」「化学調味料(アミノ酸)」「たんぱく加水分解物」・・・・これが加工食品の「黄金トリオ」、うまみのベースです。この黄金トリオの配合比率をさまざまに変え、そこに香料やエキスを混ぜることにより、どんな味もつくりだすことができる。こうした手軽に使える”○○の素”の味をわが家の味として、乳幼児のころから教え込んでいるのだから、やがてスナックやカップラーメンに出会ったときに、慣れ親しんだ味と同じものをそこに見いだし、やめられなくなるのです。

(安部司) 食品ジャーナリスト。食品業界の裏側を公開する『食品の裏側—みんな大好きな食品添加物』(東洋経済新報社)を出版し大きな反響を呼ぶ。

晴れときどき、ジャンクフード

自分の食べ物の芯をどこにもつか

エッセイスト  山本ふみこ

お楽しみ路線でいこう
ジャンクフード、ファストフード。それぞれの家の食の番人たち(多くは母親)は、かなりその安全、味覚への影響を心配している。食べる一方の立場にある人たち(多くは若者)にしても、ジャンクフードに味覚をひっぱられ、ファストフードに舌をならされていくことを、潔しとしていない。ほどほどにしないとなあ、とか。でも、しかたない面もあるんだよなあ、とか。
問題はどうやって、日本の食べ物(食べ方)、昔の味をとりもどすか。
ゆっくりがいいんじゃないかと、思う。

勘と眼力を鍛えて
おやつには、芋や野菜、くだもの、乾物類、餅、ご飯を使ったものを食べるのが好きだ。それにご飯と味噌汁中心のごはん。だけど、たまには、ジャンクフードによろめき、ファストフードに遊ぶ。
大事なのは、それぞれ自分の食べ物の芯をどこにもつか決めること。勘とか眼力を鍛えて、食品を選ぶこと。
いま、自分が考える理想の芯と、食生活がずれすぎているな、という人だって、ゆっくり理想に近づけばいい。てくてく歩く速度で、無理しないで。
てくてく歩きのあいだに、理想のおやつ、理想のごはんを、むずかしく考えていたことに気づくはずだ、自分の描く理想って、素朴ってことか?という具合に。もしかしたら、食べすぎていたことにも、気づくかもしれない。
事を急ぐと、頭でっかちになり、おやつとごはんを簡単にやさしくこしらえる面白さを味わえなくなる。たまには、どうしたって世話になる、コンビニやファストフードの位置づけが見えなくなる。

やまもと・ふみこ
1958年生まれ。エッセイスト、作家、著書に『わたしの葬儀』(晶文社)『人づきあい学習帖』(オレンジページ)『台所あいうえお』(バジリコ)『子どもと一緒に家のこと。』(ポプラ社)『家族のさじかげん』(家の光協会)など多数。

 

 

 

 

 

 


vol.182 半農半Xという生き方 vol.23

田も作り、詩も作ろう

「詩を作るより、田を作れ」。実利を優先したほうがいいことをすすめることわざです。なるほどと思いつつ、でも、何かしっくりこないところもあります。ある日、異なる3つのパターンが私の中に生まれました。 ① 「田を作るより、詩を作れ」。魂の表現も大事だとする芸術家的な考え方です。 ② 「詩も田も作るな」。これは詩は詩人に、田は農業のプロに任せたほうがいいというもの。きわめて現代的といえるかもしれません。 ③ 「詩も作ろう、田も作ろう」。1か0のどっちかではなく、やりたいなら、両方やってみたらというもの。私はこれこそ21世紀的だと思っています。この話を山梨県での講演の際、話してみたら、ある方がアンケートに「山梨にそんな町があります」と教えてくださいました。いまは笛吹市という市名となっていますが、合併前の旧八代町には、「田も作り、詩も作ろう」という標語の看板がいまも町に立っているようです。詩は詩作のみならず、短歌でも写真でも陶芸でもいい。土に触れつつ、みんなアーティストのまちをめざせたらすてきですね。

夢公開

いつも書かせていただいているこのミニエッセイですが、新しい2018年の最初の今回は筆者が「僕が住む綾部がこんなまちになったらいいなと思っていること、実現してみたい夢」を5つ書いてみます。 ① 綾部は世界平和をめざす人工言語「エスペラント語」を国内に広めたまちなので、エスペラント語のメニューを置くカフェなどが20店舗ほど生まれたら!② グンゼのTシャツを活かしたアート展がおこなえたら!③ 合気道の発祥地として、合気道をやっている若い世代の移住が増えれば!④全国の高校生によるアイデア選手権「平和甲子園」を実現できたら!⑤ これは個人的な夢ですが、百名山の1つ、南アルプスの塩見岳に登れたら!
いかがだったでしょうか?現在の綾部の人口は3万数千人で人口減少中ですが、市民みんなが夢を公開し合い、応援し合い、実現し合っていけば、新しい風がきっと吹き始めると思うのです。チャレンジのあるまちに若者は魅かれるそうです。

塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は翻訳されて、台湾、中国、韓国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。

※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景と する。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、 半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。


vol.182 菌ちゃん野菜応援団 第3話

3回目にしてタイトルに言及してみます。

 みなさん、菌ちゃんの「菌」ってなんだかわかりますか??
そう!今や日本中で厄介者扱いされているあの「微生物」のことですよ!
抗菌滅菌殺菌。どこに行っても菌は完全に悪者。一匹の菌も見逃さないぞー!なんてCM もたくさんありますね。でも、菌ってそんなに悪いのかなぁ??

だってね、3歳までにいかに泥んこ遊びをたくさんしたかで身体の丈夫さは決まる!なんて研究結果もあるくらいなんですよ。地球が生まれて45億年。この世界でいちばん早く生命活動を始めたのは。。。。微生物なんですよ!みんな知ってた??
私たちの身体も内臓も実は全て微生物だらけ!!消化も代謝も免役も。身体の活動の至るところで菌ちゃんは活躍しているんです。私たちは菌から離れては生きていけないんですよねぇ。この微生物といかに仲良くなれるか?が元気の秘訣といっても過言ではないんですよー!!!ってことで我らが菌ちゃん野菜応援団。今回はたくあん漬けです。
 夏の暑い日に種まきをし、汗を流しながら間引きをし、冬の雪が降るなか凍えながら力を込めて抜いて一本一本水で手洗いをし軒下に干す。
材料は大根、米ぬか、塩だけ。あとは時間と菌ちゃんの働きを待ちます。
時をためる暮らしが豊かだ、という映画もありましたね。
私たちはゆっくりゆっくり時をためて暮らしていくことをいとおしんでいます。抗菌より加菌。そんな生活も楽しいんですよー。加菌生活万歳!!!

 


vol.182 未来に続く暮らしの学び Part-24

アボリジニの人から教わったこと。

「エスノオーケストラ」の団体を通じて、先住民である一人の女性と知り合いました。
彼女はこの土地出身で、私たちと同じ世代です。彼女は、部族の中では戦士に値すると同時に、場を保つ役割も担っています。それぞれの部族の中で、受け継いでいく役割が決まっているのだそうです。彼女は自分の役割を理解し、それを受け継いでいくために自身が学ぶべきことを学んでいます。それは訓練なのだと言います。
3週間ほど私たちと生活を共にしてくれたことで、たくさんの気づきがありました。その一つ、精霊について。土地や川や木々には、それぞれ精霊が宿っていて、それぞれの意識、存在を尊敬しながら接していること。目に見えない存在とのコネクションが強い人たちなんだと感じました。もともとアボリジニの人たちは目に見えない存在とコネクトすること、それらの存在とかかわることをとても自然であたりまえのこと、と言います。

この土地の“気”を美しく保つには、浄化の煙をたくこと、そしてその後、どういった“気”を自分たちが保ちたいかを明らかにして、そのつど浄化していくことが大切だと教わりました。特別な能力が必要なのではなく、そういった態度、姿勢をもって接することが必要だと。
ものにあふれた生活のなかで、「見えない存在を、常に感じながら生活できているか」と聞かれると、こころもとないのですが、彼女は、「ただ時に意識を傾けて、見えないものを感じ取る時間を持ってみるといい」と教えてくれました。
 もう一つ、自分たちの祖先とつながること。自分たちはどこから来て、自分は何者なのか。それを明確にすることも大事なことだと言います。
自分たちの伝統的な文化とはなにか、まずはそれを知ること。エスノオーケストラで出会った人をとおして、それを学び合うことが必要だと感じています。伝統文化の交流です。自分がいる土地で、もともとのその土地の人たちの生活や生きる知恵。それを直接に教えてもらえるというのはとても貴重なこと。それは、部族の習わしに限らず、モノづくりの技術や、農作業ににもあてはまると思います。
まだその文化、伝統が生きていることに感謝し、それを学び、生活の中に取り入れていけるといいなと思います。

暮らしを学び、実践し、持続可能な生活に結びつけていくこと。それを心にとめて生活していこうと再認識した体験でした。yao


vol.182 夢か悪夢かリニアが通る vol.11


掘削前夜、変わる風景

リニア中央新幹線を巡る談合事件の捜査が東京地検特捜部により行われています。日本を代表する大手ゼネコン4社がトンネルや駅などの建設工事を受注調整して分け合ったとされるこの事件の根底にあるのは、建設の必要性をあいまいにしたまま9兆円という巨費を投じてしゃにむに突き進むリニア事業のゆがんだ姿です。沿線の住民が作る団体「リニア新幹線沿線住民ネットワーク」は昨年末、「独禁法違反という犯罪性の強い工事を続行することは決して認められない。JR東海はリニアの工事をいったん中止すべきだ」という声明を出しました。が、きょうも工事は続いています。             ジャーナリスト・井澤宏明

 

空中に巨大コンベヤー
岐阜県内初のリニア工事が一昨年末に始まった瑞浪市日吉町を1月末、久々に訪ねました。「そろそろ掘削工事が始まるらしい」と住民から連絡をいただいたからです。
品川―名古屋間286キロのうち86%がトンネルのリニア。工事中はトンネルの掘削口となり、完成後は緊急時の避難口となる「非常口」が地上数キロ置きにつくられます。
日吉町の南垣外地区にも1か所が予定されています。非常口から約400メートルの長さの斜坑を掘り、そこからリニア本線となる日吉トンネル(7.4キロ)を東西に掘り進めます。着工から1年をかけて非常口工事現場や残土置き場の整備が行われてきました。

生活道路や農地を横切り、建設された巨大コンベヤー

低い山々に囲まれた緩やかな谷間に広がる南垣外地区。その風景はしばらく見ぬ間に一変していました。高さ約20メートル、ジェットコースターのような巨大なベルトコンベヤーが生活道路を横切り、空を切り裂くように見下ろしています。
コンベヤーは非常口予定地から残土置き場まで約2キロも続き、谷全体がすっぽりと工場の内部か採石場になってしまったかのよう。人家の軒先から10メートルも離れていないところもあり、「これが動き始めたら住民は堪らないな」と重苦しい気持ちになります。
まだ掘削が始まっていないのにもかかわらず、辻々には交通誘導員が立っています。タンクローリーなどと出くわすたび、わずかに道幅が広くなった所で待たなければなりません。脱輪しそうな狭い道をバックさせられることも。
コンベヤーは、非常口から掘り出した残土約130万立方メートルの8割強を、耕作放棄地に整備した置き場に運び上げます。JR東海によると、掘削は今年度内を目途に始め、3年間続きます。当初、残土はダンプで運ぶ計画でしたが、工事車両の通行が1日最大460台という想定に住民が強い不安を訴えた結果、コンベヤーを使うことで車両を160台まで減らすことになりました。

消えたコジュケイ
南垣外地区では、リニア建設に伴う人家の立ち退きなどがないこともあって、工事に強く反対する声は上がってきませんでした。沿線各地で難航している残土の置き場が近くに確保出来たことも着工を早める一因となりました。自治会のメンバーは、建設中の生活への影響を少しでも減らそうと、JR東海や工事を請け負う清水建設などと話し合い、歩道設置などを実現してきました。
それでも、穏やかだった農村の環境が変わることは避けられません。
「(工事のない)日曜日が待ち遠しい」。非常口予定地の近くに住む女性はつぶやきます。リニア工事が始まり、車両や重機の音、樹木伐採の音などさまざまな雑音が耳に入るようになりましたが、「ノイローゼになっちゃうで、気にしないようにしてる」といいます。

人家に迫るコンベヤー。住民の暮らしは守られるのだろうか

庭先に来ていたコジュケイのつがいが姿を見せなくなり、これまでは田んぼのあぜ道までしか出てこなかったキジが庭に現れるようになりました。工事により、すみかを追われたようです。「今年はウグイスが鳴くだろうか」。こんなことを心配しなければならなくなりました。

目に見える変化だけではありません。掘削が始まれば、この連載でも触れたように、この地域では、ウランを掘り出す可能性があります。放射線を出し肺がんを引き起こすラドンが空中に放出される危険性と隣り合わせの工事です。
住民の男性に掘削直前の心情を問うと、「丁寧な仕事をやってほしいだけです」と言葉を絞り出しました。


vol.182 プレゼントコーナー

PRESENTS 182号

読者アンケート
1- あなたの
「実現したいことBest5」教えて!
5つも思い浮かばない?いえいえ、きっとあるはず。絶対やる!でもなんとなくやりたいな、でもOK!
2- 気になるにらめっこ紙面での広告
3- 気に入った記事、気に入らない記事のタ   イトル1つ・その理由もお書きください。
4- ご希望のプレゼント名
(第1希望・第2希望)
5- 本紙をどこで入手されましたか?
6- 氏名、年齢、住所、郵便番号、電話番号、 家族構成

 

プレゼントご希望の方は
ハガキまたはe-mailで、上記のアンケートを
1〜6までご記入の上、編集部・プレゼント係りまでお送りください。
〆切:3月26日 当日消印有効。
Cはにらめっこ編集室に受け取りに来ていただける方。
宛先
〒504-0855 各務原市蘇原新栄町2-25
e-mail: info@niramekko.com
※お寄せいただいた個人情報は、本紙プレゼントの発送に限り、 使用させていただきます。

 

A.JAZZe!ライブチケット

アートギャラリー是様より…2名様

サックス、ピアノ、ベースとそれぞれの楽器が自己主張しながらもハーモニーを奏でていく…ジャズの究極はアドリブ演奏。三輪トリオは卓越したプレーヤー3人が、是という空間を気ままにしかも確実に音の世界へ私たちを誘います。Live 5月19日(土)19:00〜

 

B.クリアファイル&ランチクロスのセット

にらめっこより…1名様

今号特集の漫画家・魚戸おさむさんの取材に伺ったおり、編集長がいただいてきた素敵な品を読者にプレゼント!
おみそ汁の作り方がついたクリアファイル、おいしそうなお弁当のイラストつきのランチクロス(52cm×52cm)。魚戸先生のイラストがなんとも温かです。

 

C.写真集『奥飛騨に響く種蔵の里』

加藤麻美様より…2名様

四季折々の写真が瑞々しく、そして懐かしい。何もない田舎にだからこそ、大切なものが今も残されている。そんな気持ちにさせてくれる写真集です。にらめっこ編集室でお受け取りください。

 

D.シネックス映画招待券

シネックス様より…ペア3組様

涙が出る程お腹を抱えて笑っちゃう!そんなひと時を過ごしたら、日々の細かな不安や心配事も、なんとかなるさと思えるかも。大きなスクリーンで鑑賞すれば、より映画の世界に入り込めますね。写真は「嘘八百」より。(招待券はシネックスマーゴではご使用なれません)


vol.181 平和特集Part-1 平和とは暮らしそのもの

平和とは暮らしそのもの

映画「カンタ!ティモール」から平和を考える
監督:広田奈津子さんに聞く

カンタ!ティモール・監督:広瀬 奈津子さん(中央)助監督/音楽:小向 定さん(右)長男 のはら君(3歳・左)

その暮らしを脅かすもの・・・
開発という名の自然破壊
私が生まれた年に近くの田んぼにコウノトリがいたのですが、目撃されたのはそれが最後だったそうです。10歳の頃、タヌキなどの小動物がいっぱい住んでいた雑木林がブルドーザーで更地にされてしまった。タヌキの巣穴がありそうな藪を見て子どもごころにも「子育てしてるんだなー」って思ってた矢先のことでした。命がなかったことのように扱われ、何を軸にして生きていけばいいんだろうと思ったんです。すごくショックで、そのことが私の中で解決しないまま、高校を卒業。その頃にインディアンの教えの本に出会うんですね。それが第二の衝撃でした。本の名前は『父は空、母は大地』(パロル舎/現在絶版)。美しい絵に惹かれてちょっと開いたら、そのまま涙が止まらなくなって。本にはこうありました。「ワシントンの大首長が 土地を買いたいといってきた。どうしたら 空が買えるというのだろう?そして 大地を。」「大地は わたしたちに属しているのではない。わたしたちが 大地に属しているのだ。」(一部抜粋)これは、アメリカの第14代大統領フランクリン・ピアスがインディアンたちの土地を買収し居留地をあたえると申し出たときに、インディアンのシアトル酋長が、大統領にに宛てた手紙が元になっています。大地を母として大切にする人たちがいることを知り、嬉しくて居ても立ってもいられなくなりました。
それからカナダに行く機会ができ、いろんな先住民部族が集まるお祭りに立ち会いました。そこでおじいさんが「我々だけじゃないよ、大地を母と呼ぶ人たちは、世界中にいるんだ」ということを教えてくれた。そして「日本ももともとは家族だったんだよ、その視点で旅をしなさい」と言うアドバイスをいただき、大学4年間に縁の出来た場所を訪ねて行ったんです。

戦争の裏側にあるもの
各地を1人で旅する中で、東ティモールが国家を作ると聞いて興味を持ちました。調べてみると、東ティモールという小さな国が大きなインドネシア軍に軍事支配されたこと、日本がインドネシア軍に加担し続けていたことがわかりました。全然知らなかった。衝撃でした。
インドネシア軍は東ティモールへ武力で攻め入るのですが、国連はそれを認めず、いくつもの国が軍の行為を非難してインドネシアへの資金援助を断ちました。そんな中、日本はその埋め合わせをするかのように援助額を増やし、軍撤退を求める国連決議には反対票を投じ続けたのです。その間、東ティモールでは恐怖政治が24年続き、国民の三人に一人が命を落とした。その背景にはティモール沖の大きな油田開発があり、資源に頼る私たちの暮らしがあったのだと思います。

国家って何だろう
東ティモールの人々は壮絶な独立運動をして軍を追い払い、国家を作りました。でも、ティモールを旅するうち、それは必ずしも国家を作るための闘いではなかったのだとわかりました。彼らは正式なあいさつをするとき、自分の名を名乗った後、父方の姓、母方の姓を名乗り、さらに、自分の山の名前を名乗るんですね。その山から水をいただき、その山は魂が帰るところ。とても大事なんです。わたしは自分の山の名前がわからなくて叱られました。
日本に帰って調べたら、家の井戸水は近くの東谷山からで、水道水は愛知用水、木曽山系の山から来ていることがわかり、それぞれの山の上の神社にお参りに行きました。日本国家の一員であるずっと前に、この山の麓に住む者として支えられていたんですね。大地があり、森があり水があり、それがなければ1日も暮らせない。インドネシア軍は、軍に寝返るか、さもなくば殺すと人々に迫った。でも人々はどうしても土地を離れない。軍が撤退するまで24年間、頑なに軍のやり方を拒んだのです。そこに先祖が眠りその山を代々守ってきてその山に守られてきて。そういう文化が保たれてなかったら、土地はお金で売れるものになり、人間の根っこは大地につかなくなってしまう。
山を守り、そこで文化が育まれて、人の輪が健全であればそれこそが安全だと思います。そんなコミュニティが世界中に広がっていけばいいなと思います。

ティモールの人々の暮らし

ティモール人の9割が農民です。厳しい自然の中で暮らしのほとんどすべてを自分たちの手で営んでいます。
お百姓さんを見ていると、暮らしは芸術ですよね。たとえば牛追い歌。いい歌い手だと牛がよく働くので、村では重宝される。歌が下手だと牛は勝手に畔に上ちゃって休憩しちゃう・・・(笑)子どもも12歳くらいで歌の修行をしていました。そして収穫になると村人が籾を足で踏んで脱穀をします。そのステップがかっこいいんです。昼間ぐて〜っとしてたおじさんも、お祭りになるとかっこいい。
それは労働とは全然違う次元のことで、経済に換算できない人間のあり方そのものだと思う。それと、男の子を育てて思うのは、戦いたい欲求があるんだなぁ、って。山の暮らしの中では、祭りの準備で牛や豚を殺して捌いたり、狩りに出かけたりします。どちらが死ぬか分からないっていうくらい強い相手とやりやって、その命をいただく。それが村を支える。男の子は特に、そうした、命と深く関わるという行為を欲しているのではないかと。「戦いはだめ」と単純に思っていた私は、それでは片づけられない人間らしさや、生き死にに立ち会う意味、戦いの作法を知る必要があるのだということを理解しました。

星ふる島 ティモール
初めてティモールへ行った時、ある歌を聴きました。それはこう始まっていました。「ねぇ、仲間たち ねぇ大人たち 僕らのあやまちを 大地は知っているよ」。私は「僕らのあやまち」って何のことだろうと思いました。巨大な軍に攻撃される小さなティモールの人が「ぼくらの」と言うのです。その意味を知りたくて、歌っていた青年を探しに出かけました。彼にその意味を尋ねると、「歌は哲学だから、そんなこと聞かないで」って。「そんなことよりも島を見せてあげるよ」と言って、いろいろ連れて行ってもらった。島の暮らしを垣間見る中で、「ぼくらの」と歌われた意味が少しわかりました。ティモールの人々は、体の外側は体の内側だと言います。自分と相手が分けられない、命がひとつらなりにある世界観です。その精神的な土台の上で、独立運動があったのでした。
その歌は爆撃のさなかにひっそりと歌われたものでした。歌には日本語の詩がついて「星降る島」として歌われ、今ではハワイアンフラもつきました。

みえないものの力
インドネシア軍は侵攻当時、ティモール陥落は「一日で足りる」と言っていました。人権団体でさえ、東ティモールの独立は叶えば奇跡と囁いていたそうです。それが最後には軍が諦めて撤退した。それは大きな力ではなく、小さな一人ひとりの想いが働いたのだと思います。ティモールを旅して、私は人一人に秘められた力が何より強いのだと信じられるようになりました。
映画制作は全くの素人仕事で始まりました。険しい山道を行く時や取材の中で、不思議な力に助けられることが多々ありました。そのおかげで出来あがった映画だと思います。きっと「どうか次の世代が平和であるように」って、強く願って亡くなった人の想いが、私たちの仕事を助けてくれたのだと思います。その想い、意識というか、それがすごく大事なのではないかと思うようになりました。
ある村で長老が「死ぬことよりも魂が迷子になることの方が、よほど厄介なんだ」といいました。それは自分の身体が死んで終わり、ではないということ。魂が迷子になるというのは例えば、インドネシア軍から武器やお金を受け取って、本来の生き方ではない選択をすること。ティモールでは、極限状態でもNOと言い続けた人たちが圧倒的に多かった。すごいことだと思います。
振り返って、現代社会はみんなで迷子になっている気がします。経済発展を追い求めて、ゆたかになったつもりが、みんなで迷ってしまってる。どうしていいかわからなくなって、たくさんの子どもたちが自殺して・・・社会が病んでいると感じます。「魂が迷子になっちゃいけない」という言葉を、日本にいてよく思い出します。

 

星降る島 ほしふるしま
オーマルシーラ オーウルシーラ星降る島に 夜が明ける
朝つつむ 色あふれ
太陽も ほほえんで
ひとみ深く ひかりをゆく
時の空 貫いて
土の記憶 歌は続く
眠るたましいが 見守る島
小さな素足よ 大地に響け
太陽に 海に めぐみは満ちて
祈りの歌に 月が出会う
果てしない 弧を描く
オーマルシーラ オーウルシーラ
星降る島に 夜が明ける
原曲(アレックス作詞作曲)では「ねえ、仲間たち。ねえ、お偉い方々。僕らが間違ったことをすれば、大地はちゃんと知っているよ…」とはじまる。ゲリラ戦中に作られた歌。
作曲:Helder Alexio Lopez(通称アレックス/2017年11月9日急逝)
編曲:小向サダム(SADAM) 作詞:広田奈津子

 

豊かな自然があるちいさな島国・東ティモール。ポルトガルによる植民地支配、そしてインドネシア軍の占領後、1999年に独立をめざす国民による住民投票が行われたものの、インドネシア治安当局による暴力行為を受ける。そうした困難の末、2002年5月に独立を果たした。

 

笑顔があふれている街
ティモールでは見知らぬ人とすれ違っても目を合わせて笑顔を向けます。山村でも、村長にユーモアがあると村の雰囲気がいいですね。
インドネシア軍が1999年に破壊の限りを尽くし、民家の9割が焼けました。わたしが現地に入ったのが2002年。焼け出された難民も家に帰れてない状況でした。インドネシア軍に加担した日本から行くということを、現地の人たちはどう思うのだろう、って、飛行機から島が見えた瞬間に膝が震えちゃったんです。でも、会う人の笑顔に救われ、逆に悲惨な状況の話しを聞いてわたしが落ち込んでいると、肩をぱーんっとたたかれて、「そんな顔しちゃダメよ」、「笑ってなきゃダメよ」、って言われました。
ポリネシアの方で聞いた創世神話で、神さまが天を創って大地を創って、生き物を創っていって、最後におおきな木の根本に人間を座らせました。で、人間をつくる仕上げに神さまは、お腹をくすぐったんですって。すると人間があははって笑って、人間が完成しましたっていう神話。笑ってこそ人間。それをティモールで思い出した。こんなにいっぱいトラウマを抱えた人たちが、笑顔を忘れていない。笑えなくなったら人間じゃなくなっちゃう。傷を癒していく智恵なのかもしれません。逆に怒りや憎しみというものが、自分の身体を痛めてしまうということを、治療の現場でも言われるんですね。
治療師が患者にずっと寄り添って、めい想とか内観をしていきながら、その人の気づいてない過去の出来事や、精神的な後遺症で、記憶が消えてたりする部分を引き上げていき、怒りを流し出すことをしてはじめて、身体が回復をしていく。そういうのを間近で聞かせていただくと、人間って自分一人で復讐したり、それで気が晴れるっていう単純なものではなく、全いのちが関わり合っていて、良いことも悪いこともみんなの上に起きている、そういうことなんだと納得しました。

むら社会が平和の基本
特にアジアを見ると、議会制民主主義がヨーロッパから導入されても、うまく根付かない。日本でもものすごく長い時代、住民全員で参加する寄り合いみたいなものが、政治の場だったと思う。地域の大事なことを全員で話し合う。3日で解決しなければ、7日でも10日でも。毎日話し合いを続けると、全員が納得する時が来る。そんな時間のかかるやり方というのが大事だと思うんです。本当に人間らしいやり方。そのやり方が今は、議会制民主主義で政治は代表者に任せなさい、普通の人は労働しなさい、となって。「貧しさ」というものが作られたらますます人は労働から離れられなくなる。
ティモールの山村にいると、申し合わせたわけでもなく、みんなで進む方向を共有しているような感じがします。人間だけじゃなくて、生きとし生けるものが、「いのちがゆたかに生きる方向」という明確な矢印がある。自分が死んだとしても、いのち全体が生きる方向に向かう、そのために働こうとする意識のような。その矢印の方向を、私たちが間違えず、ぶれないようにしなければと思うんです。

平和憲法が果たす役割
取材の中で、人々は家族や子どもたちを失う深い悲しみを伝えてくれました。日本でも、その悲しみを経験した人たちが、力を合わせてあの日本国憲法を作ったんだと思うのです。文を読むと、そういう悲しみを経た人たちの、強い願い、次世代への祈りを感じます。
日本軍がティモール島でしたことの爪痕は、本当に残酷な形で残っています。ティモール人の手で掘らせた洞窟を牢屋にして、見せしめのために殺された場所や、子どもたちも動員されて死ぬような労働に従事させられたとか・・・。そういうことを思うと、不戦の誓い<9条>の存在というものが日本
軍が傷つけた土地の人にとって、せめてもの弔いであり、追悼であり、謝罪である、と思うんです。加害者としてのつらさと、家族を失い故郷を焼失したつらさ、その両方から、日本国憲法は絞り出されたように思うんです。政府がたとえどう変えようとも、私たち一人ひとりは変わっちゃいけないし、わたしは、「わたしの憲法」として、あの時代を生きた人たちとの約束として9条を持っていたい。こんなに大事なことを、多数決で変えていいはずがない。本来なら、未来を担う子どもにこそ聞くべきだと思います。

付録 チャーミングなおじさんたち
おじさんたちが、こんなにチャーミングなのかって思うことにたびたび遭遇しました。ティモールは失業率が高いというのもあって、ぶらぶらしているおじさんがとても多いんですね。ある時子どもたちが道端で焚き火を始めて、その焚き火を自転車で飛ぶみたいな遊びを始めたんです。危なっかしいなと思って見てたら、向こうからおじさんが来たので、あ、叱るのかな?と思ったんです。そしたらなんか棒ッキレに布みたいなのをつけて旗にして、「よし、行けー」って一緒に遊びはじめたんです。そんなふうに男の人が、チャーミングなままでいられることが許される社会って、いいなぁと。
誰の子どもでも遠慮なく叱り飛ばしているし、抱っこしているし、そういうのって、何かいいなぁって。平和だなぁって。経済的には深刻な問題かもしれないですけれど、なんかこのチャーミングさって、日本がここ数十年で失ってないかなぁって、思ってしまいました。

 

わたしがおもう平和 小向サダム

平和は与えられるものではなく自らなっていくもの。 固定概念の解放のプロセスのなかで、より近づいていくのではないでしょうか。肉体、思考からも解放をさせてくれるような芸術は、より豊かで平和な社会への水先案内人として僕らをいざなってくれる。 何気なく訪れる平和の喜びの瞬間を人と感じ合えた時、本当に清々しい気持ちになります。

 

 


vol.181 平和特集Part-2 「あらしのよるに」とわたしがおもう平和

日本国憲法公布71周年記念  2017年ぎふ平和のつどい 11月3日岐阜市民会館にて

「あらしのよるに」とわたしがおもう平和

記念講演 きむらゆういち氏(絵本作家)

オオカミのガブ ヤギのメイ

「あらしのよるに」。登場するのはヤギとオオカミですが、彼らにはお互いの情報がありません。相手がいくつで、男か女か、自分よりもえらそうか、それとも気安いのか、怖い感じなのか、全く分からないんです。わかっているのは声のみ。そうしたときに2人は心が通じるあえるんだろうか。
本というものはすべて主人公がいます。そして読んでいる人は、主人公に気持ちを乗り移らせてドキドキハラハラして、読みます。ですから、子どもに限らず読み物は10冊の本を読めば、10通りの主人公の気持ちになる。ということは自分以外の人の気持ちになっている。それだけでも絵本というのは価値がある、そう思っています。
今、主人公の気持ちになると言いましたが、みなさんは「あらしのよるに」を群読で聞いて、ヤギの気持ちで聞いていましたか?オオカミの気持ちで聞いてましたか?それとも2匹を見守っている気持ちで聞いていましたか?ありがとございます、この会場では3番目が一番多いんですね。1巻目では、真実を知っているのは読んでいる人だけ。ですから、ついつい見守っている人の気持ちになります。
「あらしのよるに」はいろんな方に紹介の文章を書いてもらいました。宮本亜門さんは「僕にとってのガブ(オオカミ)とメイ(ヤギ)は、国であり、人種であり、敵と味方であり、貧富であり、宗教であり、男と女であり、地球上のありとあらゆるものの姿である」と書いてくれました。そんなわけで、ガブとメイはありとあらゆるものの姿。それは読む人によっていろんなふうに見えていいんだな、と。

絵本を朗読する、きむらゆういちさん

「あらしのよるに」は7巻もありますから、最低限のメッセージは入っています。でも、僕はメッセージ本というのはあまり好きではないんですね。一人ひとり自由に受け取ってほしいから。本には「生きた世界」があるので、読み返す度に違ってもいいという気持ちで描いています。
「あらしのよるに」も、憲法を内側に隠している?そう受け取る人もいるだろうし、もしかしたら男と女の話し?と受けとる方もいるかもしれない。作者としては絵本という形で表現しているので、あえて平和についての話しをしなくても、と思うのですが、今日はこういう機会ですので、僕が思う平和のはなしをしたいと思います。

僕は戦後に生まれたのでアメリカを一度も敵と思っていなかったんです。テレビが入ってきて、毎日アメリカのホームドラマとか、子どものものから大人のものまでたくさんのドラマをやってました。そうするとアメリカ人に対して友好的な気持ちになっていくんですね。そう思うと今、日本の「ドラえもん」が海外でたくさん読まれているという事は、とてもいいことだと思います。例えば「この国は敵だ」と国家立場的に思っても、そこの人たちの暮らしぶりやその人たちのいろんな生活をドラマとして見ていたら、個人的にはとてもそんな気持ちにならないと思います。戦争って子どものケンカに似てますね。そっちがミサイルを持つならこちらも持つぞ、ってどんどん緊張を高めていく。お互いがそれをやっていったら最後はどうなるでしょう。
「あらしのよるに」でヤギとオオカミがお友だちになったと同じように、相手の事を知ると戦わなくてすむかもしれない。
日本はマンガとアニメの最大の輸出国です。もちろん絵本も海を渡っています。その結果、いろんな日本の暮らし、文化を広めていけるというのは素晴らしい事です。こういう文化交流をすることも含め、憲法9条を最大の日本の誇りとしてもっとアピールしないとね。

あらしのよるに逃げ込んだちいさな小屋の暗闇の中、2匹の動物が出会う。風邪をひいて鼻のきかない2匹は、お互いがオオカミとヤギ、つまり「食うもの」と「食われるもの」であることに気付かない。すっかり意気投合したヤギとオオカミは、翌日のお昼に会う約束をする。合言葉は、「あらしのよるに」。

ふしぎな友情物語が、いまはじまる。

群読「あらしのよるに」オオカミは和太鼓、ヤギは篠笛の音色に乗せて

 

憲法を人生の中に  吉田千秋(岐阜・九条の会)

今日11月3日は「文化の日」という祝日ですが、71年前に日本国憲法が公布された日です。その翌年の同日、当時の憲法担当大臣金森徳次郎は、「戦争を放棄した世界最初の憲法、そのこと自体が高い文化性を物語っている」と述べました。さらに、「戦争は文化を滅ぼすものであって、(中略)文化をして戦争を滅ぼさしめるべきが至当である」と、戦争と文化と憲法のつながりを明快に語っています。文化は人間を人間らしくさせてきた結晶ですから、この憲法をしっかり活かすことが私たちの暮らしと人生を生き生きと輝かせる基本・原点であり、ひいては戦争の廃絶にもつながるということです。 ところがこの憲法、とくに第9条を何としても変えようと躍起になっているいまの政権は危ないですね。こうした動きが出てくるのには、私たちの憲法の理解、とくに9条の理解をもっと深め、広げる点が足りなかったとも言えるでしょう。きむらさんも言われましたが、この憲法をもっともっと世界にも広めなければもったいないですね。
ところで平和ってなんでしょうか?戦争がない、ということだけでいいでしょうか。ドンパチやっている戦争状態がなくても、貧困や飢餓、差別、不衛生・病気、無教育などの常態化は、平和とは言えないでしょう。やはり明日の生活に不安がなく、みんなが今日を穏やかに過ごせることではないでしょうか。そういう点で「平和とはひとの痛みが分かること」が、大切だと思っています。これは四国の霊場の一つ「石手寺」に掲げてあった文ですが、今の様々な社会状況、人間のあり方をに照らしてみて、ピタッと当てはまります。
相手のことをよく知ること、相手の痛みが分かること、これをできないと自分勝手なことばかりしてしまい、ケンカになりるでしょう。〜ファーストの立場、ヘイトスピーチなどは、ケンカを売り、戦争へのきっかけになるものです。相手の立場・状況・意見をしっかり聞いて対話できること、この態度を基本にして、9条を壊そうとしている勢力に対してしっかり声をあげたいものです。戦争というのは庶民が望んだものでもなく、民衆が起こしたものでもありません。権力を握っている人たちが、権力を利用して「国のため」「国民のため」と称して起こしたものです。
いまこそしっかり憲法を守り、活かしたいものです・・・
「憲法を人生の中に」を合い言葉にして。

文章わたしがおもう平和
にらめっこ30周年記念パーティーにかけつけて下さった方々に「わたしがおもう平和」を書いていただきました。

*日常を元気に健やかに過ごせることです。家族で揃って食事できると平和だなと思います。30代女性
*経済的にも軍事的にも福利厚生的にも安平で和やかに過ごせるもの。50代
*あたり前に旅に行けること。人々と触れ合えること。50代女性
*あたり前の日常。大切な人が笑顔で暮らせる毎日が、そして自然も大切に、生き物皆が幸せであること。50代
*小さな所、まず自分、そして夫、子供が毎日笑っていられること。そして周りの環境がそうさせてくれていることが平和だと思います。40代女性
*ノーベル賞作家アレクシェヴィチの『戦争は女の顔をしていない』に出会って、これまで描かれてきた戦争/平和像が大逆転しました。70代男性
*あしたが今日よりいい日になると思えること。50代男性
*言語、身体的、環境、価値観など色んな違いがあるけれど、喜怒哀楽は太古の昔からずっと一緒。相手に壁を作らない事、信じる心。40代
*原発のない、戦争もない世の中。安全な食べ物が主流になってくれるとうれしい。40代
*戦争のない社会。貧困のない社会。50代
*個々の個性が尊重される世の中が平和だと思う。
*最後には笑えること。素直な思いを言いあえる、話しあえること。ハグすること。30代ありがとうございました♡
*戦争がない状態であることはもちろん、軍隊のない世界。軍事的にだけではなく、民生的にも豊かで安定した社会。これこそが積極的平和主義。70代男性
*ブータンのように幸福という言葉の意味がわからないように、平和ってどういう意味(いい意味で)言葉がなくなっている世界。50代男性
*普通の生活が普通に過ごすことが出来、何も意識せずに呼吸ができること。普通に町の景色が普通に変わって行く姿を何も意識せずに見れる事。40代
*おいしい物が食べれる事。60代女性
*手をとりあって、みんな笑顔♡60代女性

 

 


vol.181 カタコトの部屋 もっと政治・選挙を語ろう

もっと政治・選挙を語ろう

おしゃべり会・まずは「政治」「選挙」について何でも話すことから始めよう!
Hさん:本当、恥ずかしいんですけど、政治についてはよく知らなくて、政党の名前を聞いたことがあるな、くらい。投票もポスターの顔写真を見て、この人雰囲気良さそう…で決めていました。立候補者のマニフェストをまとめた一覧アプリみたいなのがあると、家事・育児の隙間時間に見れるんだけど…。
Aさん:個人で立候補者情報をまとめてネットであげてくれる人もいるけど、主観も入るだろうからどこまで信じて判断しようか、迷うわ。
Iさん:ゆっくり調べる時間も作り出せなくて、集団的自衛権、憲法改正、安保理という言葉もよく分からないまま、社会は進んでいく…家で一人ではなかなか勉強できないので、こうやって集まる場があるのは助かります。
Tさん:SNSで選挙や政治関係の発信をすると「いいね!」の数が激減するの。こうやって話せることは嬉しいな!
Sさん:私は、誰推しということではなく、選挙の仕組みをSNSで発信してみたら、選挙区に関係なく反応があったよ。
Hさん:むかし、「選挙に行っておかないと、政治に文句は言えない」と言われたことがあって、文句言いたいから行っておこう、と行くだけ行っていた。でも、正直、自分の一票では何も変わらないという気持ちもあるんです。
Aさん:私は仕事を辞めてネットや新聞を見る時間が少しできたら、「あれ、おかしいぞ」という、テレビでは発信していない情報がどんどん入ってくるようになって、政治にも興味を持つようになりました。
Tさん:私も3.11以後、様々な情報が入ってきて、政治がおかしいかも?と思い更に興味を持ち始めました。それまでは政治と生活のつながりをあまり感じられなかった。でも、自分たちのニーズを伝えないと、ニーズがないと同じ事と捉えられてしまうと聞いたこともあるよ。地域や行政の集まりに積極的に参加して、声をあげていかないと、だね。
Sさん:そうね、少しずつでも声をあげて変えていきたいね。

 2017年10月の衆議院選挙では、SNSに「#(ハッシュタグ)子どもと一緒に投票へ行こう」をつけてママたちが投稿するというムーブメントが起きました。前年に公職選挙法が改正され、「選挙人の同伴する子供(幼児、児童、生徒その他の年齢満十八年未満の者)は投票所に入ることができる。」となったことを受けての呼びかけです。ただ、騒いだりした場合は「この限りではない」とも書かれています。(これまでは投票所で柔軟に判断・適用してくれない限り、子どもと一緒に投票へは行けませんでした。)
親の投票についていったことのある子どもは選挙権を持ってからの投票率が、親について行ったことのない人に比べて、20%高いとのデータもあります。(下記参照)私たちがこうやって話していることもこどもたちは聞いているし、行動も無意識にでも見ています。
何も伝えないまま、わが子が投票権のある18歳になっちゃった!しかも無関心!!なぁんてことにならないように、今から少しずつでも政治や選挙について気軽に語れる家庭にしたいですね。
28年7月の衆議院選挙で投票に行った若者は52.5%。その中で…
Q1あなたは子どもの頃、親が行く投票についていったことがありますか?
「はい」63.0%「いいえ」41.8%
Q2あなたは家族と政治の話をしますか?
「よくする」76.4%「ほとんどない」40.6%
総務省「18歳選挙権に関する意識調査」より
(全国の18~20歳の3,000人を対象に調査・H.28年12月報告)

座間宮ガレイさんの「おっかなびっくり層 勉強会」に参加してみました。
【海外の選挙教育】
政治の教科書では「自分の一票が社会を変えるんだ」という意識から学びます。高校生になったらお酒を飲みながら政治の話をするのが当たり前の国もあるくらい。日本の選挙教育は遅れています。だから知らなくて当然なんです。今からでも学びましょう!
【1人が2票も持っている国政選挙】
国政選挙では、選挙区で1人(名前を書いて投票)、比例代表で1人(政党名を書いて投票)と、合わせて2票投票できます。2人国会に送れる力を持っているんです。読み違えると死に票(生かされなかった票)になることもあるので、自分の票を活かす投票を勉強しよう。
【党でなく、人で選ぼう】
○○○党に所属していても、党の方針とは違う意見を持つ候補者もいます。それを見極めるには直接会って、話して、信じられる人かどうか自分で決めることが1番。

ガレイさんと勉強会!2018年1月8日(月・祝)
★午前の部 10:00-12:30
場 所:カフェピルエット(一宮市猿海道)
定 員:10家族 参加費: 18才以上1,000円+ワンドリンク
テーマ: 子どもの疑問に答えたい!
〜政治・選挙の基本を知ろう、話そう〜
申込・お問合せ 子育てコミュニティtoco toco
★午後の部 14:00-16:00
場 所:岐阜市女性センター(ハートフルスクエアG内)
定 員:40名 参加費:1,500円
テーマ:座間宮ガレイさんの「岐阜市長選勉強会」
申込・お問合せ 090-6599-2876(清水)
s.heart9167302169@gmail.com
座間宮ガレイ・ざまみや がれい
石川県出身。2015年から全国各地で通算200回超の「お勉強会」を開催。全国を回ることで、全国の選挙情勢などを研究し続けている。
愛知県岡崎市では、こどもが泣いても走り回ってもへっちゃら!100人のママ&子どもお勉強会を成功させた。

子育てコミュニティ toco toco
子育て世代のやってみたい、知りたい、学びたいことを、自ら企画・運営。誰かが講師、受講者という立場のない、一人一人が活躍する「学び合い会」を中心に、顔と顔を合わせて集う良さを生かした活動を展開中。

問い合わせ:facebook「子育てコミュニティtoco toco」


vol.181 かなでの沖縄だより vol.5


今回は、前回に続いて9月の平和学習で回ってきたこと、考えたことを紹介します。

伊江島

早朝、那覇を出て、伊江島へ行きました。車でいろんなところを走ったのですが、さとうきび畑ばかりといった印象で、那覇とは大違いでした。伊江島で一番印象的なのは反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」、米軍との土地返還闘争中に集められたいろんなものが、所狭しと展示されいました。私はそこに飾ってあった阿波根さんが言った言葉「平和の最大の敵は無関心である 戦争の最大の友は無関心である」に、本当にその通りだと思いました。
展示を見終えてから、管理人のおばあちゃん(編者註:と彼女は思ったようですが、館長の謝花悦子さんでした)の話を伺ったのですが、「知らないことは罪だ」と言う言葉は、心にぐさっと来ました。知らないことで無関心になってしまうのではないかと思いました。知らないことがどれだけ恐ろしいことか…と考えると怖くなりました。おばあちゃんの熱い言葉に友だちと引き込まれ、気づいたら帰りのフェリーぎりぎりの時間で、お昼ご飯はフェリーの中になってしまいました。
伊江島はとても素晴らしいところでした。でもその裏には、沖縄戦で、すごいことがあったということを知りました。でも、そんなことを知らない人がたくさんいるはずだと思うと、何だか複雑な気持ちになりました。

辺野古と高江

午後には、辺野古と高江ゲート前に行きました。
辺野古の浜は、自然がすごく素敵なところだなぁと思いました。「だからこそここを守りたい。基地を作りたくない」と訴え続ける人の気持ちがわかりました。でも、こんな大自然の中に新しい基地を作るって、そこに行って初めて知りました。
そこで説明してくださった方が、各務原市出身の方でした。私と同じ。各務原市も自衛隊の基地があります。なんかつながりを感じました。基地との境のフェンス近くまでいったのですが、そこの向こうに米軍が見えました。私は怖くて近づけませんでした。
高江でびっくりしたのが、ゲート前にいるガードマン。時間になるとすぐ入れ替わり、ボタン1つで動いてるようでした。ガードマンまで軍隊のようで、少し怖かったです。そして「標的の村」でみた映画のままの光景。自分のなかでうまく整理ができませんでした。目の前におおきなヘリコプター、これをみるのが当たり前の生活になる恐ろしさ、。自分が住んでる那覇市ではありえない。基地の街各務原で18年間育った私ですが、全く経験したことのない、恐ろしい光景でした。
2か所とも、新聞やテレビではなかなか知ることの出来ないことを沢山教えていただいて良い経験になりました。
そして3日目、午前中に「前田高地」と「不屈館」へ行って仲間を送りました。

「ヌチドゥタカラの家」で館長のお話を聞く


vol.181 熱中世代発 リバース11号


「夕焼け小焼けのアカトンボ追われてみたのはいつの日か・・」童謡に出てくるトンボはこのトンボです。40年ほど前の事です。岐阜市の今のメディアコスモスのあたりのビルの屋上から空を見上げていました。すると、数えきれないほどの沢山のアキアカネが東北の方角から次から次へと飛んできたのです。次の日もその次の日も、トンボの大群は南西の方角を目指し飛んで行ったのです。平地で孵化した若い成虫は、夏に涼しい山地で過ごし秋になると平地に戻ります。夏休みの頃、伊吹山や奥美濃の高い山に登ると体に当たるほどのトンボの大群に出会います。彼らは、産卵のため山から下りて西南濃の水田地帯を目指したのでしょう。しかし、今ではもうその大群を見る事は出来ません。イネミズゾウムシやカメムシの防除薬を水田に使うようになってからでしょうか、それとも水田が用排水分離され、秋口から乾田化された所為でしょうか、近年アカネ類は激減してしまいました。近年の水生生物の減少に人間が関与している事は確かです。今年も、やっと少数のアキアカネを畑で見る事が出来ましたが、防草シートに覆われた農地、止まっている竿がプラスチック製品ではなんとも風情がありません。どのようにしたら、アキアカネの絶滅を防ぎ、あの大群を蘇らせることが出来るのでしょうか。先ずは自然を知る事から始めましょう。

アキアカネ(Sympetrum frequens)トンボ科アカネ属 に属します。北海道から九州まで見る事が出来ます。外国ではロシア、中国などに分布します。秋になると大挙して表れるので、アキアカネの名前が付いたと言われます。オスは、成熟しても腹部だけ赤くなり、頭部・胸部は赤くなりません。よく似たナツアカネは顔から尻尾まで真っ赤になるので見分ける事が出来ます。

 

写真・三輪芳明(みわよしあき)プロフィール 1952年 関市生まれ。仲間と岐阜県では絶滅したと考えられていたコイ科の魚類ウシモツゴを発見、人工的な大量繁殖させ野生復帰に成功する。岐阜・美濃生態系研究会 二ホンミツバチ協会 日本チョウ類保全協会。

 


vol.181 ボーダーレス社会をめざして vol.40


NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子

安全基地

「お母さんは、私とKくん(孫)を何があっても守ってくれるよね。」と3年ほど前に娘が言ったことがあります。この時、あ~娘は私のことをすごく信頼していて、今まで家族が安全基地になってきていたのだなと確信しました。ちょっと嬉しかったです。家族が「安全基地」として機能しなくては、安心して子どもは育たない。子どもが子どもらしく育つのに必要なことは、安心・安全な環境の中で、いろいろな生活体験をし、自分の価値をつかむこととどこかで勉強しました。家族が「安全基地」ということは、子どもにとっても親にとっても安心してくつろげる場所であるということでしょう。障がいのある子どもがいると障がいへの対応で、どうしてもきょうだいより障がいのある子の気持ちを優先してしまいます。よく娘が「お兄ちゃんの方がかわいいんでしょ。」「私の言う事なんかちっとも聞いてもらえない。」「私が行きたいところへ一度も旅行に行ったことがない」などなど。障がいのある息子の方が、理解力が乏しく、彼の言う事を聞いていれば、波風が立たず穏やかな生活が送れたからです。今から思えば、ここには安全基地の危機がありました。また、我が家では、言ってはいけないことがあったり、手のかかる息子に時間が取られ娘へのスキンシップが少なくなっていたように思います。親としては精いっぱい向き合っているつもりでも、上のような言葉を言われていたのですから、娘にとっては愛情が不足していたのでしょう。また小学生の頃、スイミングスクールへ通っていた時は、お兄ちゃんの世話や他の子から守ったりなど、年齢不相応の責任や負担をかけていたかもしれません。スイミングスクール以外でも同様です。私の娘への躾けは、かなり厳しいとある人から指摘されたことがあります。かわいそうだって。それは、障がいのあるお兄ちゃんを持つきょうだいとして、この先、ズーっと生きていかなくてはいけないので、強くなってほしいという思いがあったからです。でも、そんなに厳しくはなかったと自分では思っているのですが、人の目にはそのように映ったのですね。娘にはいつも「愛情は、ハーフ&ハーフだ」と答えていましたが、本当のそうだったのかは疑わしいものです。今は、娘は小学校の先生をしているのですが、何年か前に、「隣のクラスに発達障害の子がいるんだけど、来年は私が受け持ちたいと校長先生に言ったわ。」と。次の年、本当にその子の担任になりました。障がいのある子の強い味方になってくれました。子どもから35,6年後に、自分がやってきたことの結果?を教えてもらうことがあるのです。親として子どもに信頼される行動をとり続け、今では心の安全基地でいられればいいなと思っています。


vol.181 にらめっこ30周年記念


にらめっこ30周年記念パーティー
みなさん本当にありがとう!!!!

12月2日(土)コパン各務原にて

1987年、創刊号を発行したのがすべての始まりでした。当初はB4両面刷り。新聞に折り込むと、「嫁いだ街で孤独な子育てをしてた。こんなミニコミ紙があると心強い」という反応にスタッフ一同小躍りしたことが昨日のことのよう。その後、ポスティングに切り替えると、又違った反応が。誤字脱字からなかなか卒業できず、おしかりを受けることもしばしば・・・そんなことに一喜一憂しながら、偶数月の第4月曜日に発行してきました。今では、伝えたいことがいっぱいになり、A4版で24ページに。今後もみなさまのお力をお借りしながら、もう一踏ん張りしようかな!と思った会となりました。

多くの方にお世話になりながら、節目のイベントを中心に「にらめっこの30年の変遷」をたどってみました。
写真下段中央:創刊号立ち上げメンバー下村さん(右)花田さん(中央)。「にらめっこ」の名前の由来について。忙しくても一日一回は、目と目をあわせてちゃんと話そう。子どもはもちろん、家族ともね。
写真下段右:若いままさんたちからの豪華な花束を、ちびっ子たちから受け取ったときには、ついうるうる・・・

「いじめ問題」を取り上げたとき大きなヒントを下さった河合良房氏(弁護士)。

子どもの権利条約と子どもの人権について特集をしました。


にらめっこがこだわり続けた「食」。人が集まり、美味しい笑顔があふれる会となりました。料理は廣瀬麻紀さん。12種類ものメニューが彩りよく並べられ、会場が一段と華やかに。素材も地産地消・安心安全なものをを心がけて下さって、感涙!にらめっこのこだわりを形にして下さいました。


昨年5月、取材でつながったエビスバンドのみなさんと三上もサックス演奏♬80年代の懐かしい曲を演奏。シェーカーやマラカスでみんなでリズムにのって!最後は「糸」を生オケでみんなで大合唱しました。


最後はスタッフの一本締め!でお開きとなりました。


vol.181 ホスピスナース奮戦記 vol.6


あるフォトグラファー

玄関を入ったとたん、その娘さんはずっとしゃべり続けた。患者さんは心臓の疾患が悪化し、ホスピスサービスを受け始めた70代の女性だった。強い不安感と不眠を訴えていた。来月には個展も控えてアーティストとしてとても精力的に活動されている人のようだった。ベッドの上の彼女は目を閉じ、まるで何も見たくないと言っているようだった。バイタルは安定していたが、顔も手足も蒼白で、不安と恐怖で夜も眠れないと話した。両足のむくみは心臓疾患ではよく見る症状だが、ご本人は急な変化にとまどっていた。少し動くとしんどいようで、ベッドからトイレまで杖に頼って歩行するのがやっと。強い不安感が続き、落ち着くことができない。心の平安が欲しい。いくら落ち着こうとしても、心臓というのはやっぱり心の臓器、心と直結している。心臓の機能が普段通りに働いていない時というのは、とてつもない不安感に襲われるものなのだ。つい先週まで大丈夫だったのに、なぜ。なぜ。と繰り返す患者さん。眠りたいのに眠れない、落ち着きたいのに落ち着けない。私はこのまま死ぬの?もうすぐ死ぬの?
患者さんがホスピスサービスを受け始めたのは2週間ほど前。病状が悪化して初めて自分の死をはっきりと意識した今、否定から怒り、そして恐怖といった感情が渦巻いているようだった。アーティストとしての自分、ずっと一人で強く生きてきた自分を失いたくないという思いがひしひしと伝わってきた。なかば投げやりな態度もヒリヒリと痛いほど感じた。それでもアグレッシブな治療はしないという本人の意志ははっきりしているようだった。
一方娘さんは、自分の母親の死が近いことを現実として受け入れているようだった。もちろん食欲が落ちた母親を心配しあれこれ食べさせようと必死だった。なんとか落ち着けるように試行錯誤していた。それは患者さんにも伝わっていたと思う。しかし母親の穏やかでない態度や口調にどうしたらいいのかわからないようで、娘さん自身もとてもイライラしていた。時々喧嘩口調にもなる。娘さんの話をきくと、昨年パートナーを突然亡くしたばかりで、死を迎える準備の大切さを痛感しているのだと話した。そして、死別の悲しさも、人は生きて人は死ぬということも、わかっているつもりだと。母親が在宅でホスピスサービスを始めた時点で、死が近いことを覚悟しているようだった。だからこそ、お母さんの納得のいく形で少しずつ生前準備やいろいろな希望を聞いておきたい、アパートや光熱費などの生活の細かなことも教えておいてほしい。大人になってからは、お互いに忙しくゆっくりと母と子に戻る時間もなかったから、母として子としていろんな話をしたい。そう言った。離れているからこそ、会える時に・・・焦る気持ちも垣間見えた。しかし患者さんは、そういう娘さんに対して、なんで私が死ぬことを前提に話すの!早く死んでほしいっていうの!と怒りをぶつけるという。自分の母親に向かって死を迎える準備をしようなんて・・・と繰り返すのだそう。患者さんご本人にとっては、自分の体の変化やその先にある死を、現実としてまだ受け入れられていないのだ。このままでは娘さんと患者さんは、有意義な時間を過ごせそうにない。
ここは、ソーシャルワーカーやスピリチュアルケアワーカーにも訪問の頻度をあげる要請をしようと思った。ただ、今夜、症状を緩和するために何ができるかといえば、話を聞くことと一緒にいてあげること、薬を試してみることしかできない。主治医に連絡して、不安を和らげるのと眠れない症状に対して、一時的ではあるが、新しく薬を始めることにした。同時に、利尿剤の量も調整することにした。それで少しでも状態の緩和ができればと願う。あとは、精神的なサポート。しかし、日中にヘルパーさんが何時間か来るとはいえ、患者さんは一人で住んでいる。娘さんは車で3時間ほど離れたところに住んでいる。母親を一人きりにしていいのかと思い悩む娘さんは、その夜、結局もう一泊することにした。ただそこに居る、というのは何にもしてないようで実はとてもとても大切なこと。一人で過ごす夜を思えば、家族が一緒にいてくれることの安心感ははかりしれない。
この患者さん、写真はとれなくとも、今一度アーティストとして、窓から見える太陽の光に美しさを見出すことができるだろうか。
この訪問の後、ひどく考え込んでしまった。どう死んでいくかではない、死がおとずれるまでどう生きるか。できないことや無いものでなく、できることやあるものに焦点をあてる。。。それに尽きる。それは病気があってもなくても、すべての人に当てはまること。そう自分自身にもあらためて言い聞かせた。


vol.181 平和特集Part-3 ぎむきょーるーむ 子どもと「戦争・テロ」を話すとき

戦後70年を経た日本は「平和だよ」と
子どもたちにいえますか?
今も世界では「戦争・テロ」が起こっていて、
ニュースでも毎日のように悲惨なシーンが流れる。
それをじっと見つめる子どもになにを語れますか?
昨年夏の衆議院選から選挙権年齢は「18才以上」に。
新たな歴史が動いているいま、
大人として、あらためて考えること。

「戦争・テロ」わが家で伝える場合
祖父母の体験から
・ ネットやテレビのなどのメディアからではなく、人から人へ伝えるのがいちばん心にのこると思う。わたしの場合、祖父がシベリア抑留兵でやがてアル中に。祖母は戦火の中を逃げ回り、過酷な状況で子どもたちを育ててきたこと。祖母は死ぬまでそのことばかりを話していました。(匿名)


映画や本をもちいて
・ 『ちいちゃんのかげおくり』(あまんきみこ作/上野紀子絵/あかね書房)を読み聞かせしました。小1の娘には、戦争→家族がいなくなる→寂しい、という理解だけのようでしたが、あとからいろいろわかってくることもあると思うので、学年があがってからまたいっしょに読みたいです。(東京都/MM/娘6歳)

親としてのメッセージ
戦争は遠い国のできごとではなく、昔話でもなく、現実に起こっていることで、日本でも今後起こるかもしれない。絶対に戦争をしない、させないために、智恵を使い、声をあげつづける必要があることを伝えたい。安保法案に反対の立場でデモに参加したとき、子どもたちに「なぜデモをするのか」と問われ、自分なりに説明しました。世の中には戦争をしたがる人がいて、戦争によってお金儲けをしたり、良い思いをしたりする人もいる。権力をもつ人たちは国民に「戦争をしてもいいですか?」と聞いてくれることはなく、国民の知らないうちに着々と戦争を始める準備をしているのではないかと疑われても仕方ない状況になっていると思って、子どもたちにそのようなことを話しています。(神奈川県IT/息子11歳、娘8歳)

いま戦争・テロが起こる理由
伊勢﨑 賢治

紛争地から日本はどう見られているか
平和な国のこれから

遠い国で起きている、その背景にあるのは
 人間はなぜ戦争をするのか?戦争というのは、ふうつ国家対国家の争いです。争う理由にはいろいろありますが、「自分の国にはない、よその国にはあるものをほしがる」という人間の欲望が根底にあるといえるでしょう。
それは現代の紛争の構図を見ると、よくわかります。たとえばダイヤモンド。もとはただの石っころなのに、われわれは遠く離れた国にあるダイヤに希少価値を見出し、ほしがって取りに行く。このような資源は、取りに行く方はできるだけ有利な条件で取ろうとしますから、自分たちに都合のいい権力者に肩入れし、現地では資源も人も搾取される。利権をめぐって権力は腐敗し、住民の間に不満が広がると、やがて紛争が始まります。
いま深刻なのは、スマホや携帯の製造に不可欠なコルタンなどの稀少な鉱物が採れるアフリカのコンゴ民主共和国です。20年以上も紛争が続き、いま人類史上最大の人道的危機が起こっています。それらの鉱物は「紛争鉱物」と呼ばれますが、これらを狙った周辺国の介入によって内戦が起こり、また武装勢力が違法に採掘して資金源にしているのです。このため、欧米では紛争鉱物を使用する企業に対し規制を始めました。
では、日本はどうでしょう?欧米の流れを受けて規制している企業もありますが、スマホや携帯を実際に使う多くの人はそんな事情を知りもせず、無批判に消費しつづけています。ですが、遠い国で起こっている紛争は自分と無関係ではありません。

無知であることが怒りの対象に
テロについても同じことがいえます。
いま、テロリストの組織がなぜ拡大するかといえば、たとえば先ほどお話しした搾取や腐敗の構造、住民の貧しさなどに由来するいろいろな不満が、インターネットによって世界中でつながるからです。つまり、世界のグローバル化がこれまでに生んできた構造的な問題が、グローバル化の落とし子のようなネットワークの発達によって、皮肉にも横でつながってしまうのですね。
テロリストは、この構造的な問題にものすごい怒りがあるわけです。同じ言葉や宗教をもつ者同士が同じような目にあっているとなると、これは個人の憎悪から集団の憎悪になっていきます。それに、教義(ドグマ)がくっつき、行動に結びついていくのです。

さらにテロリストにとっては、われわれが無知であること、これが一番の敵なのではないでしょうか。構造的な問題について、日本人は往々にして無知です。一昨年11月にパリでテロが起こったこともあり、まるで無関心ではないでしょうが、無知であることは彼らにとって強烈な怒りの対象になることも知っておかなければならない。
テロは否定して憎むべきだけれど、テロをする側にも理由があることを知って、あまり必要以上にぼこぼこにしないというブレーキはやはり必要です。

やるべきことは「敵をつくらない」
そうはいっても、「平和な国」である日本はイスラム社会でも評判がいいです。シーア派とスンニ派の両方から好かれている先進国は、日本だけです。でも、この「平和国日本」のブランドは、この10数年でどんどん消えつつあります。
まず、2001年と2003年、小泉政権のときに、特別措置法を成立させおこなわれた2つの自衛隊派遣。国際法で見たら、あれは集団的自衛権の行使です。とくにイラクへの陸上自衛隊の派遣が致命的でした。あのときのわれわれのスタンスは、イラク国民とその周辺国の脳裏に確実に刻みこまれましたね。
そして極めつけは、2011年、アフリカ東部のジブチに自衛隊の拠点を設けたことです。「平和国日本」「九条の国日本」が、すでに軍事基地を持っているのです。
さらに今回の安保法制成立で、日本が軍事力と共にアメリカにどこまでもついて行けることになった。つまり、我々がアメリカのかわりにテロリストに狙われる可能性は否定できません。アメリカより日本の方が狙いやすいでしょう。海岸には原発がずらっとならんでいますから、それが狙われたらおしまいです。日本がどれだけ脆弱な社会か、ということです。
そんななかで国、自分たちを守るためにやるべきことは「敵をつくらない」ことです。敵をつくらない努力。それが国防にいちばんいいに決まっています。
日本は、アメリカとの同盟関係を断つことはできない。だったら、国防のために、アメリカにできないことをやるしかない。
それはなにか。通常戦力を積みあげることではなく、いわゆる内政支援です。テロリストが拠点とする地域は、内戦状態にあります。なぜ内戦が起こるかというと、いい政府ができないから。たとえばイラクでは、スンニ派だったらサダム・フセインをアメリカがやっつけたあと、スンニ派の人たちは差別され排除されてしまったために、彼らの不満やアメリカに対する憎悪がたまって、IS(イスラム国)の前身ができた。すべて、構造的な問題なのです。

中東諸国などでは軍事力をもつアメリカはたいていきらわれていますが、日本はいいイメージがあるから、相手の懐にも入れる。地道に内政にかかわり、「地域格差をつくらない」「特定の民族を差別しない」「人権を守る」など、条件をつけながら支援していく。そうやって積極的にかかわり「敵にならない」という道しか、我々にはないのだと思います。

共生の力を見につける
平和とは、なんなのか。ほかの言葉でおきかえると、「共存」とか「共生」とか、いまはやりの「インクルーシブネス(包括性)」「ダイバーシティー(多様性)」もありますね。いずれにしても、他者とともにある環境を生きていくこと。そこから始まると思うのです。
どうも日本人は、「私たち」「彼ら」といった線を引いたり、外国人を排除しようとしたりする排外体質がとても強い。ぼくは世界のいろいろな土地に行きましたが、日本人のこの傾向の強さをほんとうに実感します。でもこれは、国防の観点からもマイナスだと思います。
今後は、経済の状況もあるし、高齢化社会で労働力が必要だし、外国の人々はますます入ってきます。そのとき、彼らを差別したり排除したりせず、丁寧につきあって、みんなでわいわいやっていけるような、共生の能力を身につけること。つまり、多様性、共生という文化を構築していくことが必要なのです。それは、地方行政のレベルや、自分のご近所のレベルですることです。子どもたちに教えていくことも大事ですね。
そんな立ち位置を知って、できることを探していく。それをしていかないかぎり、われわれに未来はないということでしょうね。

いせざきけんじ○東京外国語大学教授・紛争屋
NGOや国連職員として紛争処理、武器解除などを経験し、「紛争解決請負人」と呼ばれる。ジャズトランペッターとしても活躍。著書に『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞出版)ほか。

①『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』(伊勢﨑賢治/朝日出版)
②『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子/朝日出版)
③『なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか ピース・コミニュケーションという試み』(伊藤剛/光文社新書)


vol.181 半農半Xという生き方 vol.22

いい街には
ふるさと綾部にUターンして、18年。綾部において、最近、感じていることが1つあります。データがあるわけではなく直感なのですが、講演会や勉強会が減っているのではないかということです。そんなことを考えていたら、ふとこんなことばが浮かんできました。「いいまちには、いい勉強会(講演会)がある」という仮説です。さらにいい街になっていくために、外部から魅力的な講師もお呼びする。市民にも登壇してもらう。みんなでアイデアを出し合うワークショップがある! いま、2つの勉強会を主宰しています。1つは「綾部ローカルビジネスデザイン研究会」。あやべ特産館や絵本カフェ「サクラティエ」を舞台に、綾部の地域資源を活かして、何かできないか探るもので、毎月第4金曜の夜、おこなっているもの。もう1つは、「スモールビジネス女性起業塾」(年10回開催、現在3期目)。自分の仕事を創ったすこし先を行く人の話をうかがい、哲学、気づき、経験などに学び、自分と地域を輝かそうというものです。「いいまちには、いい勉強会(講演会)がある」。ぼくはこの街をそんな街にしていきたいと思うのです。


「カフェを開くなら」
2015年、京都府中丹広域振興局からの依頼で、福知山、舞鶴、綾部で起業を考える女性を対象としたスモールビジネス起業塾がスタートしました。(現在は市民が事業を継承)月1回の講座で全10回、毎回テーマを変え、「交流・ツーリズム」「農家民宿」「農業・食育」「アート・デザイン」「まちづくり」などをテーマに、先輩起業家の話をうかがったり、自分ならどんなチャレンジするか、アイデア出しのワークショップをしています。この12月のテーマは「カフェ」。「あなたがカフェを開くなら、どんな場所(里山ゾーン、商店街内など)でどんなスタイルにしますか?店の売り、キーワード(アート、風景、自然食料理)などと屋号を3つあげてもらう課題を塾生に出しました。カフェを開く予定がない人にとっても自分のやりたいこと(天職)が見えてくる問いになると感じました。みなさんならどんなカフェを開きたいですか?縁側カフェ、お寺カフェ、猫カフェ、編み物カフェ、ミシンカフェ・・・。すてきなカフェがこの日本にもいろいろ生まれています。

塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は翻訳されて、台湾、中国、韓国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。

※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景とする。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。


vol.181 菌ちゃん野菜応援団 第2話

今回は土は癒しなのか?というテーマについて。
よく自分で育てた野菜は美味しい!土とふれあっていると元気になる、といいますね。
あれは果たして本当なのでしょうか??というお題です。

何をかくそうわたしは。。畑に二時間行けばそのあと半日はソファでひっくり返るし、せっかく育てた野菜が食べられなくて枯らしたり。そんなこといくらでもあります。スーパーの野菜はきれいだけど、自分で作ると土が付いていたり(当たり前だ!)少し虫食いがあったり(これも当たり前)。それが気持ち悪くて食べる気にならなかったんです。

 そもそも生ゴミを土に入れて土作りしたりしてるので果たしてこれは食べていいのか??なんて思っちゃったりしたんですよねぇ。。だからせっかく収穫したカボチャを腐らせたりジャガイモを放置して青く日焼けさせたり。なんてもったいない!!ということをたくさんしてきました。
でも今は違いますよ。
畑に行けば元気になるし、収穫したお野菜はもりもり食べるし。生ゴミは当たり前にちゃーんとコンポストへ分別するようになりました。
どれだけ失敗したっていい。
人はいつからでも変わっていけるんだなぁと実感してます。先日は植えてないのに実った稲!!そんなありえないような実り方をした稲をみんなで手刈りしました。
 ザクザクっとした稲の感触、たわわに実ったお米を持って大人も子どもも大興奮。
少し干したら足踏み脱穀機で脱穀をする予定です。
どんなお米になるのかなー。寒くなる前にお芋も掘らないとならないし。。

日々、畑仕事に追われてます、でも楽しい。畑には癒し効果はあるのか?ある!と今の私は断言できます。

さて、明日は何をしようかなー??

 


vol.181 未来に続く暮らしの学び Part-23


エスノオーケストラ

エスノ(エスニック)オーケストラとは、世界中で催されている文化交友プロジェクトです。それぞれの国の人たちが集い、その国につたわる伝統的な曲を紹介し、それをオーケストラ編成で全員で演奏するというスタイルです。
 今回のグループは、オーストラリア、アボリジニ、フィジー、ソロモン島、ジャマイカ、パプアニューギニア、ポルトガル、イギリス、スエーデン、イスラエル、から総勢25人の音楽家たちが集まり、オーケストラを編成しました。
それぞれに伝わる文化を歌、音、踊りをとおして共有する。そしてみんなで演奏する。なんて美しいんだろう。そしてなんて平和的なんだろう。その過程に私は何度も感動しました。
島国の人たちにとっては、文化は生活そのものです。その土地に伝わる歌、踊り、衣装などもしっかり残っています。逆に先住民であるアボリジニの人たちの文化は、強制的にどんどん薄められています。それでも、わずかに先住民のことばと、歌は残っています。わずかでも残っている文化を伝承していかないと、途絶えてしまいます。自分たちでその文化を探っていかないと、生き方を見つけられない状態でもあるのです。
だからこそ、国、人種に関係なく、いま引き継いでいける世代が、同じ民族でなくとも、いまある文化を、共有してそれを伝えていく。それがとても大事なのだと思います。

 そこで自分自身を振り返ってみました。自分の世代、育った環境には伝統的な踊り、歌があったのかどうか、あったとしてもきちんと教えてもらったのか記憶にありません。もちろん地域差はあると思いますが、伝え方が弱まっていると感じられます。だからこそ、伝承していくことは、とても価値のあることだと思います。

日本の文化。今度帰るときには盆踊りの一曲を歌えて、踊れるようにしよう!!!今の時代は、いろんな文化がどんどん混ざり合っていっています。文化の融合、素敵なアクションだと思います。でも同時に、自分を育んでくれた地域の文化を知ること、それを伝承することはとても大切です。
今ある美しい文化。みんなで残していきたいですね!Yao


vol.181 夢か悪夢かリニアが通る vol.10

命の水 奪う 山岳トンネル

3000メートル級の山々が連なる南アルプス。赤石山脈とも呼ばれ岳人たちに愛されてきたこの山々は、国立公園やユネスコのエコパーク(生物圏保存地域)にも登録され、世界自然遺産登録も目指しています。片や、リニア中央新幹線は全長約25キロにも及ぶトンネルで、この山脈の南部を貫く計画です。その影響は駿河湾に注ぐ大井川の流量を減らすだけにとどまらず、生態系や流域の暮らしに取り返しのつかない結果をもたらす恐れがあります。今回は沿線1都6県で唯一着工していない静岡県のお話です。    ジャーナリスト・井澤宏明

毎秒2トンの水が減る

「毛細血管のように本流に注ぐ無数の支流が、滅水ないし枯れる恐れがある」。自作の地図で説明する服部さん(9月8日、東京都内で)

11月上旬、静岡市の大井川源流部を訪ねました。JR静岡駅から約3時間、畑薙第一ダムの奥に、紅葉の渓谷を縫うように未舗装の林道が続いています。マイクロバスが大きく揺れるたびに座席から体が跳ね上がり、天井に何度も頭をぶつけそうになりました。登山の最前線となる二軒小屋ロッヂはシーズンを終え、小屋終いの支度を始めていました。
この人里離れた山の中に、トンネルの掘り出し口となる2つの非常口が設けられ掘削が行われる予定です。工事が始まってしまえば、この美しい谷は、工事車両が行き交う工事現場になるだけでなく、工事が終わった後も、掘り出された膨大な残土がうず高く積まれる処分場になってしまいます。
「大井川の流量が毎秒約2トン減る」。JR東海が2013年に公表した南アルプストンネルの影響予測は地元に衝撃を与えました。これは、大井川の下流域7市約60万人の給水量にあたるのです。
江戸時代は東海道屈指の難所とされ、「越すに越されぬ」と馬子唄にうたわれた大井川も、多くの発電用ダム建設で水を奪われ、「河原砂漠」と称されるようになりました。住民の「水返せ運動」の甲斐あって河川維持のための放流も実現しましたが、渇水期には毎年のように生活、工業、農業各用水の取水制限が続いています。

静岡にメリットない
流域や静岡県の抗議を受け、JR東海は事業認可後の2015年になって対策を打ち出しました。水が減るのは、本来は大井川に流れ込むはずの地下水が、トンネル掘削により湧き水となって流出してしまうため。そこで、トンネルと約11キロ下流の椹島(さわらじま)の大井川をつなぐ「導水路トンネル」を掘って湧水を放流し、毎秒約1.3トンの水を戻すというのです。残り約0.7トンは、「必要に応じて」ポンプでくみ上げる計画です。
ところが、2トン「全量」の回復ではないことに流域は再び反発。静岡県の川勝平太知事は今年4月、「トンネル湧水の全量を恒久的かつ確実に大井川に戻すことを早期に表明すること」をJR東海に求めました。
それでも「全量」回復に応じないJR東海に業を煮やした川勝知事は10月の定例会見でリニア建設について、「静岡県にとってはまったくメリットがない」と批判。中日新聞によると、これに対しJR東海の柘植康英社長は、リニア開業により東海道新幹線の静岡県内の駅に止まる本数が増えることを挙げ、「メリットはある」と反論しました。
流域が求める協定締結の目途も立たないままJR東海は11月15 日、南アルプストンネル静岡工区の工事契約を結んだと発表しました。

多くの生き物が死滅する
そもそも、大井川の水を「水資源」ととらえるだけなら「全量回復」でも済まされるのかもしれません。が、この水は多くの生き物の「生きる糧」でもあります。
「導水路トンネルは、人間の都合にのみ配慮した保全策に過ぎず、減水の根本的な解決にならない」と喝破するのは静岡県焼津市に住むクライマー服部隆さん(64)。その訳を、「水が戻るのは椹島より下流の本流のみで、それより上流部には一滴の水も戻らないからだ」と指摘します。
上流部に水が戻らないと何が起きるのでしょうか。服部さんは、「渓谷美の喪失」「豊かな森の後退」「多くの動植物、生物の減少や死滅」を挙げ、「南アルプス南部の素晴らしさは、豊かな大井川水系があってこそ。リニアトンネル掘削は、その核心的価値の喪失につながる」と主張、エコパーク登録が取り消される可能性にも言及しています。

大井川と燕沢の合流地点。トンネル掘削で掘り出された残土の処分場が計画され、その高さは約65メートルにも及ぶ。周囲は地滑り地形で大井川の水をせき止めてしまう恐れがある(11月10日、静岡市葵区で)


vol.181 プレゼントコーナー

1- あなたがおもう「これだけは残したい!日本に伝わるもの・こと」って?
日本に伝わるいろんなものが消えつつあるけれど、あなたは何を残して、後の世代に繋いでいきたいですか?
2- 気になるにらめっこ紙面での広告
3- 気に入った記事、気に入らない記事のタ   イトル1つ・その理由もお書きください。
4- ご希望のプレゼント名
(第1希望・第2希望)
5- 本紙をどこで入手されましたか?
6- 氏名、年齢、住所、郵便番号、電話番号、 家族構成

プレゼントご希望の方は
ハガキまたはe-mailで、上記のアンケートを
1〜6までご記入の上、編集部・プレゼント係りまでお送りください。
〆切:1月25日 当日消印有効。
C、Dはにらめっこ編集室に受け取りに来ていただける方。
宛先
〒504-0855 各務原市蘇原新栄町2-25
e-mail: info@niramekko.com http//www.niramekko.com
※お寄せいただいた個人情報は、本紙プレゼントの発送に限り、 使用させていただきます。

 

A.よりよく生きるためのライフデザインノート「ゼロの昇天」
マザーハウスingより…3名様
前号で大好評だったため、第2弾のプレゼント。人生のことを考えて記入、と堅苦しく考えがず、気軽にどんどん書いてみましょう。おなじみの高畠純先生のイラストがやさしい気持ちにさせてくれます。
えんぴつ・カフェ(P-13参)に参加の方はご持参くださいね!

 

 

B.CINEX 映画招待券
シネックス様より…ペア3組様
過去の人物がどんな生き方をしたのか。スクリーンを通じてそんなことに触れると、その人が身近に感じられたり、作家ならば遺された作品が今までとは違って感じたり。映画っていろんなものを与えてくれますね。写真は「ロダンカミーユと永遠のアトリエ」より。

 

C.ヤジロプレーン
にらめっこより…各2名様

木の温もりあるヤジロベエスタイルの置物。ちょっとした風にも飛行機が揺れて、お部屋の動きあるアクセントに。ヘリコプタータイプもあります。ご希望を明記してね。(高さ29cm×横42cm)

 

D.作家のてしごとのお皿
にらめっこより…2名様

一枚の粘土をくるりと曲げて足に。黒いお皿は、お料理、お菓子など、盛りつけるものをぐーんと引き立てます。片側の端には白地にサッと描いた模様がアクセント。作家の手作りならではの一品もののお皿です。(約 縦165×横285×高さ20mm)

 

 


vol.180 チャレンジャー チョモランマ山下さん

ボードゲームという文化
ボードゲームは運任せのものや、ちょっと大人っぽいゲーム、考えたり知識が問われるようなゲームとかいろんなタイプがあります。ボクが持っているのは、ほとんどがドイツのゲームです。さすが家庭を大事にするドイツだけあって夕飯の後にゲームをする家庭が多いんです。また「ドイツ年間ゲーム大賞」という名誉ある賞が設けられており、ゲーム製作者側にとっても文化として成り立っているのを感じます。
ゲームには対象年齢、所要時間、適正人数が書かれているんです。3歳児から遊べる簡単なゲームから、ゲーマー向けなものまで、本当に数多く存在します。どのゲームに共通して言えることは、簡単に言えばジレンマが効いてること。いろんな選択肢を悩んで、選択して、クリアしていく。その時の快感が飽きさせない要因だと思います。その魅力に惹かれ、気づいたら100個以上集めていました。
ボードゲームをより楽しむなら、たとえば、キャンプ。アウトドアでのひとときを卓を囲んでゲームをしながら過ごす。普段と違った環境はゲームが至極の楽しみとなります。
老若男女、家族や友人、初対面の人、いろんな人が入り交じって遊ぶのが特におもしろいですね。育った環境も違うし、年齢の振り幅が大きいのですが、そんなのまったく関係なく楽しめるのが魅力。初対面の人どうしも、ゲームが終わるころにはすっかり打ち解けて、体も心もほぐれていくんです。ボクの実感です。

ボードゲームが日本を変える!?
今のゲームってデジタルが多いでしょ。ボクもファミコン世代ですのでデジタルゲームを否定はしませんが、一人で遊べてしまうところに難点を感じます。公園の滑り台の上に座っている子たちが、互いにゲーム機を持ってなにやら対戦ゲームをしている。直ぐ隣の子の顔も見ずに、ですよ。言葉も交わさない、相手を見ない、ただゲーム機の画面に夢中で指をせわしなく動かすだけ。そんな光景をよく見かけます。デジタルゲームは子どもの成長に合わせて進化していきますが、アナログゲームはそこを求めてはいません。幼児とお母さんを対象にゲーム会を開いたときのことです。小学校入学前の子どもはなかなかじっとしておれず、ルール通り進められないことが多いんです。でも、ゲームを通して、木のおもちゃに触れること、サイコロを振るだけでも面白い。そこにコミュニケーションが生まることがわかりました。
今は家庭に人がいない。お父さんもお母さんも忙しくて家にいないから1人ゲームが流行るんでしょうね。これはいち家庭の問題じゃないですね。ボードゲームはルールはいたって単純なので、おじいさんやおばあさんがいるといっしょに遊べるのがいい。気分がほぐれるし、使う脳の場所がデジタルとは違うことも注目されています。ボードゲームが流行れば日本の環境が変わるんじゃないですか。

根本は人と人とのつながり
ボクは、ゲームをするのも好きなんですが、説明したり、ゲーム運びというか、ファシリテーター的な役割が好きなんです。なかでも特定の人をいじったり、上げ足を取ったりすると、ゲームが盛り上がるので、卓を囲んだなかでこの人ならいいかな、という人を無意識に選んでますね。それでみんながハッピーになれたらもっとうれしいです。
お正月になると家族が集まって、双六とか、福笑い、トランプとかやりませんでしたか?ボクもその時のみんなの笑い声、笑顔、共有した時間、おやつを食べながらゲームをする楽しさは、かけがえのない思い出となってます。
ボクは縁あって、郡上市の「まちやど」というゲストハウスでボードゲームをやらせてもらっていたところ、地元の友達やたまたま宿泊してた人などがゲームを通じてどんどん仲良くなっていくのが面白くて。それが講じて、ボーコン(ボードゲームコンパ)をまちやどオーナーとコラボ企画で定期的に開催しています。郡上八幡のカフェや飲食店にちゃぶ台とボードゲームを持参して、自己紹介なしでいきなりゲームを始めたりするんですが、ゲームで打ち解けてからの乾杯!なので、その後の食事会の会話も盛り上がります。景品もそのお店のチケットを用意し、お店との相乗効果も図っています。ゲーム会で商店街が賑やかなったらうれしいですね。
最近は郡上から飛び出して、美濃市のイタリア食堂「DONI DONI」さんからも声をかけて頂いて、不定期でボードゲーム交流会をやっています。コンパにしてもいいし、例えば、会社とか企業の先輩後輩でゲームをすると、その人となりがわかります。1つのゲームをやれば人とのつながりは強くなると思います。
楽しくゲームをする、その根本は一人一人を大事にしようという関係性というか、思いやりが大事です。人と人とのつながりが大事で、ゲームはあくまでもきっかけの1つですね。

自発的にコミュニケーション
ボードゲームは認知症予防になるんじゃない?というお話しもよくお聞きしてます。老人ホームに入っている人も様々ですが、ホームの入所者さんというとなんか受け身なイメージです。単純にゲームをするだけではなく、お互い教えったり、自分のお気に入りのゲームを披露するのもいいですよね。簡単なゲームを覚えて、人にうまく説明することも大事。いい脳トレになると思います。老人ホームに地域の子どもを呼んで交流するといいですね。その中に、ボードゲームコーナーがあったりして。

このワクワク感を広めたいんです
いくつかのゲームをご紹介します。たとえば、『タイムライン』という年表を構築していくようなゲーム。月面旅行は西暦何年?洗濯機が発明されたのは?などと書かれたカードを西暦順に並べていくゲーム。紀元前の出来事やものも出てきたりして、勘と知識の両方が必要になってきます。雑学的知識が役に立つのがおもしろいですし、ゲームをしながら、時の流れも感じます。このゲームは年齢の違う人とやるとさらにおもしろくなると思います。
『スピードカップ』は、5色のカップをカードに表示された順に並べ替える、という単純なゲーム。並べ終えたら素早くチーンとベルを鳴らす。これは速さを競うゲームです。
そもそもこういうボードゲームの存在を知らない人が多いと思います。ボードゲームと聞くと、人生ゲームやunoしか知らない人が多いと思うのですが、
もっと楽しい世界があることを、多くの人に知ってもらいたいですね。   (郡上市在住)

ボードゲーム・ファシリテーターとして活動中。ちゃぶ台担いでどこへでも繰り出します。
興味ある方は、ぜひお気軽にお問い合わせください。
メール : chomoyamashita@gmail.com
instagram : chomoyama

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「タイムライン」
遊びながら歴史雑学に詳しくなれるカードゲーム。全220枚のカードには、歴史上の事件、発見、発明など様ーな出来事が記されており、これらのカードを年代順に正しく並べていく。楽しみながら歴史の知識も身につく、子どもから大人までエキサイティングにプレイできるゲーム。

 

 

「スティッキー」
ひとりずつ順番にサイコロを振り、示された色の木の棒を慎重に抜いて得点を競いましょう。バランスを崩して、木のリングが床についてしまったらゲーム終了。

 

 

「ゲーム・ワニに乗る?」
それぞれ動物7種類を1つずつ持ち、サイコロに従ってアクションを起こしたり、動物をワニに乗せていきます。バランスを崩して動物が落ちたら、その動物を引き取る。手持ちの動物が早く無くなった人が 勝ち!

 

 

「スピードカップス」
課題を解決しスピードを競います。「チン!」のベルが好評です。カップは横並びか縦に積み上げるかです。カードの課題をよく見て判断しましょう。絵につられて一瞬迷ってしまいますよ。よく見てくださいね。


vol.180 続・ミネラルのお話し

講演会 「子どもの食と発達障がいを考えてみよう」より抜粋
講師・国光 美佳さん(8月19日多治見市産業文化会館)

 ミネラルは体や心での様々な働き、生理機能や調節作用なども司っている重要な栄養素です。働きがすごく幅広くある中で、私が今一番注目しているところは酵素との関係です。
私たちのからだは、酵素が働いていろんな生命活動をしています。食べたりする時は消化酵素が働くから消化できる。それから、肉や魚など食べたものがそのまま血や肉になる訳じゃなくて、代謝酵素というものが働いて、体の中で代謝がおき、そこで変換していく。脳の中に作られる神経伝達物質、ドーパミンやセロトニンも酵素によって作られるわけなんです。その酵素は、ミネラルがないとちゃんと働いてくれない。だから酵素だけ摂っていてもダメってことなんですね。ミネラルもしっかり摂らないとうまくまわっていかない。そうするとわたしたちの生命活動の肝心要のところをミネラルが占めてる。しかも、ホルモンや神経伝達物質、神経や精神的なものにも影響があるという事で非常に重要視しています。
ミネラルは蓄積できないです。朝昼晩でしっかりとっていただきたい栄養素です。

ADHDと診断されたお子さんは、脳の中の、順序立てて行動する分野、それから喜びや満足を得るために待つということがとても苦手です。このエリアの脳の部分が弱いという説もあります。そうかもしれません。ただし、こういうことが改善した子たちがいるんですね。
また、私が関わった方に、46才で発達障害と診断され、30代からうつ症状を持っている人がいました。聴覚過敏、睡眠障害も、低体温もありましたし、いろんなこと抱えてた人なんですが、その人がミネラルを補給する食生活をしていく中で、耳の聞こえ方がコントロールできるようになっていった、という事例がありました。
なんだかおかしいから病院に行く、それだけが解決策じゃないな、というのを感じています。脳の機能にはやっぱり食べ物が影響するんですね、体の臓器ですから。発達障害って本当にいろんな視点から見ていかないといけないな、という事を感じています。

Q:発達障害の子は、生まれる前の母親のミネラル不足が影響しているとは考えられますか?また、今の子どものミネラル不足は次世代に受け継がれていくのでしょうか?
A:多少は影響があると思うんですが、妊娠、出産に関しては受精卵の強さ弱さというのもあるので、全てが母体のを全部引き継いでいるとも思えないです。
発達障害の診断が今15人に1人と言われてます。その何割かがひょっとしたら生まれた時から何か脳の状態が弱かったり、過敏症など生まれた時から持ってた子もいるかもしれないですが、「この子も診断おりるのかなあ」と言う子に診断が出ているのが現状です。そういう子たちを見ていると、離乳食に始まり、幼児の時にどんなものを食べていたか。小さい時からスナック菓子だの、ハンバーガーだの、そういうものばかりを食べていた。そういう子たちが抱えている発達障害といわれる症状が食の取り組みで改善していく姿を見ると、決して生まれ持ったものだけでもないんじゃないかな。今これだけ現代食が問題をはらんでいる事を考えると、いろんな原因があると思うんです。
今のこの食の取り組みは、今の目の前の子どもだけじゃなくて、未来の子どもたちを助けて幸せに生きていける社会になることの見本になるんじゃないかなって、そんなふうに感じています。

Q:ミネラルをサプリでとってもいいですか?
A:基本的には食べ物でミネラルをとってくださいとお話ししています。サプリメントにはマルチミネラルというのもありますが、ミネラルは114種類もあるので、あんまり偏って摂ってはいけない、ということ。自分の判断で「あ、マグネシウムがいいって言ってたから、マグネシウムのサプリメント」って、これ安いから買っちゃおう、なんてそれだけを飲むとマグネシウムだけの成分が入り、それがバランスを崩す訳です。
食べ物から摂る時というのは、例えば鉄分を取りたいからとほうれん草やひじき食べるけど、ほうれん草って鉃だけでできているわけではありません。どんな土地で作られたかという事も重要ですし、目に見えない栄養素が入ってもいます。
なので、サプリメントの場合はまず、自己判断で選ぶのは過剰摂取の害になる可能性もあるのでやめていただきたい。それから、ものによっては防腐剤とか、添加物も入っているので要注意です。
ただし、うつ症状のひどい方とか、食事ができないとか、精神薬をやめていきたい段階の方なんかは食事だけでは辛い。そういう方に関してはキチンと検査し、あなたにとってこういう成分のサプリメントが必要ですよ、と処方してくれる専門医のもとで摂ってください、と言っています。

 

国光 美佳 くにみつ みか
NPO法人「食品と暮らしの安全基金」勤務を経て、 著書「食べなきゃ、危険!食卓はミネラル不足」 「食事でかかる新型栄養失調」(三五館) にて発達障がい児、低体温児のミネラル補給による改善例を執筆。
月刊誌「食品と暮らしの安全」にて、食事の見直しによる発達障がい、ダウン症、うつ症状など改善事例を連載。 「ミネラル不足の実態と対処法」について講演活動、食生活相談、 またアートセラピーを通して、心と体のケアによる子育て支援活動を行っている。

 

魚きらいなお子さんに〜ミネラルふりかけ〜
【材料】
イワシ、あご、昆布などの粉末…あわせて大さじ5
あおさの粉末…大さじ5ごま…大さじ5
しょうゆ…大さじ2 酢…大さじ1塩…小さじ1
【作り方】
① 醤油、塩、酢をフライパンで弱火にかける。
② イワシ・あご・昆布・あおさの粉末、ごまを①に入れ、遠火の弱火で炒る。
* 魚が苦手なお子さん向けに作ったふりかけです。たっぷりあおさのりを加えることで風味がよくなり、食べていくうちに味覚がかわり、次第に魚や野菜も食べられるように。
* あおさは、セロトニン生成に使われるマグネシウムを豊富に含むおすすめミネラル食材です。

お母さんを笑顔に〜ママスペシャルスープ〜
【材料】(2~3人分)
イワシ、あご、昆布などの粉末、そば粉、 味噌…小さじ1
エキストラバージンオリーブオイル 、各大さじ1
お湯…250~300cc 酢またはレモン汁…小さじ1/2〜1
【作り方 】
① マグカップに大さじ2杯の水を入れておき、そば粉を入れて混ぜておく(だまにならずに混ぜることができます)
② 他の材料をたしてお湯を注ぐ
*簡単アレンジ。トマトとバジルを入れてイタリアンスープに。ごま油と青のりをプラスして中華風に。

お鍋ひとつで簡単調理〜時短・煮込みそば〜
【材料】(2~3人分)
蕎麦(乾麺:蕎麦粉8割以上)…200g  水…1.5リットル
ねぎ、すり胡麻…適量  だし粉(煮干し、昆布、あごの粉末)…大さじ2
しょうゆ…45cc  シソ、梅干し…適量  岩塩…少々
エキストラバージンオリーブオイル …小さじ1
【作り方 】
① 鍋に水をいれ、沸騰したら蕎麦を入れてゆでる。
② ①にだし粉、醤油、岩塩を入れて味をととのえる。
③ 器に盛り付け、すり胡麻、千切りにしたシソ、梅干し、ネギをのせ、オリーブオイルをかけて出来上がり。
* 蕎麦のゆで汁ごと味付けすることで、ミネラルを逃さない調理法。 ゆで汁はマグネシウムがたっぷり!


vol.180 フッ素配合って、いいの?


アメリカに住む女性が「水道水にフッ素が添加されててとても飲めないんだよね」とつぶやくのを聞いたとき、子どものころ虫歯予防で、歯に塗られた記憶が蘇った。フッ素ってなに?そもそも虫歯の原因は?気になったので調べてみました。

日本では水道水は塩素消毒はされています。
水道水フッ化物添加(すいどうすいフッかぶつてんか)とは、フッ素の化合物(フッ化物)を上水道中に添加し、多数の住民を対象として虫歯を予防する手法。 北アメリカとオーストラリアでは、多くの自治体が安価な費用で効果を期待できるとの考えにより、水道水へのフッ化物添加を実施している。世の中は知らぬ間に既成事実となってしまっていることが多いものです。アメリカでは実に70%近くの水道水にフッ化物が添加されており、オーストラリアやブラジル、カナダ、マレーシアなど世界で24カ国にフッ素添加が広がっています。
フッ素といえば、歯医者さんが “当然”のように虫歯予防に効くとフッ素塗布をしていますね。日本でも相当な圧力により水道水添加を実現させる動きが止みません。歯みがき粉にしっかり入ってる商品も多々ありますが…。

フッ素添加で本当に虫歯予防になるのだろうか。
こんな文献を発見。
内容は一般的に言われている虫歯になる原因を否定するものですが、とても理にかなった納得できる説だと思います。
そもそも虫歯になる原因は、
「歯につくプラーク(歯垢)に隠れている菌が酸を作って歯を溶かしていく。菌が酸を作るには、歯についた食べカスに含まれる糖分を見つけ出し酸へ変化して歯を溶かしていく。だから虫歯になって歯に穴があいていく。」
つまり「はみがきをしないと口腔内細菌が原因で虫歯になるので、はみがきをきちんとしよう」という理論。ただ、ずっとおかしいと思うことがありました。

それは、「虫歯になる野生動物はいない」ということです。彼らは食事をした後に、はみがきはしません。でも歯は虫歯もなく丈夫なままです。もし食事後に歯につくカスが原因で虫歯になる細菌を作るなら、野生動物も同じように虫歯になってもいいんじゃないか?という素朴な疑問が解決されないままでした。

記事「虫歯は食事で治そう」では・・・
虫歯は食べ物の細菌が直接的な原因ではなく、食べるものと食べる頻度の食生活が原因になってるようです。

口の中が酸性になると歯が溶け出す
通常は唾液によって口の中をアルカリ性にして歯が溶けるのを防ぐのですが、食事をとると一気に口の中が酸性化して歯の溶ける環境を作ってしまうそうなんです。例えばオレンジジュースとかスポーツドリンクは酸性飲料なので、歯をずっと漬けておくと歯の表面が柔らかくなって簡単に傷をつけることができるそうです!昔、コーラ飲むと歯が溶けるなんて都市伝説的な噂ありましたが、当たらずも遠からずだった!?

酸性食品の食事が多い人、しょっちゅう間食する人は虫歯になりやすい
口の中の酸をアルカリ性にするために唾液の果たす役割は虫歯を作らせない上で重要なポイントのようです。酸性を加速する食事を取る人や、いつも甘いものなど口の中でモゴモゴなにか食べている間食好きの人は、口の中がアルカリ性にならないので、必然的に虫歯になりやすい口腔内環境を作っていたということですね。
肉類や魚類、穀物系は酸性食品で、野菜や果物はアルカリ食品なので、今の人は殆ど酸性食品を避けては通れない食生活ですね。砂糖は酸性ではないし、果物は果糖が含まれてますが、猿やゴリラは虫歯にならないのをみると砂糖が虫歯を作るというのは正しい理論にはならないようですね。

虫歯も治せるほどの効果絶大!スーパー虫歯予防方法
そうはいっても酸性食品抜きの食事はできないからムリ!という方も多いかと思いますが、これらの事実から確実に虫歯予防と健康を手に入れる2大方法は、
1.食後のはみがきの後に、重曹うがいをする
これは本当に効く安全&スーパーマウスウォッシュです!重曹は唾液にも含まれているHCO3-という成分が含まれており、酸を中和してアルカリ性に変えてくれるんです。
大量の唾液を口に入れるようなものですから口腔内を一気にアルカリ性へ変える手助けをしてくれます!
そのため、ある程度の虫歯でしたら虫歯になる酸が薄まるので虫歯が治ってしまうんです!さらにホワイトニング効果もあり、重曹はスーパーアイテムです。

 しかし、虫歯予防と言って健康被害を促進する意味不明な日本の歯科事情にぶちあたりました。
日本の水道水にフッ素添加運動は過去に何度も行われては、何とか潰していくという常に危険にさらされている状況。
幸いなことに日本水道協会はこのフッ素添加については否定的な見方から、政府の別の圧力団体からのプレッシャーにも一貫してNOを貫いています。
困ったのは全国医師会の見解。以下、その見解を箇条書き抜粋します。
・むし歯予防を目的としたフッ化物の応用は、わが国における地域口腔保健向上へのきわめて重要な課題であることをあらためて確認。
・国民の口腔保健向上のためフッ化物の応用を推奨する。
・水道水フロリデーション(フッ素化)が優れた地域保健施策として位置づけられているため、水道水フロリデーションを推奨する。
どうですか?それで、子どもが歯の定期検診に行くたびに味付きフッ素ジェルを塗布するのです。しかも、どの歯医者も何かとこの「フッ化物塗布」を推奨しています。

そして更に水道水にフッ化物添加を推奨しているのです。

こうしたフッ化物も海外の様々な専門家の見解や意見などは日本で紹介されることはなく、日本人は、ただただ歯医者がすすめるので良いものだと思ってしまうのです。
(ライフスタイル「新発見」より抜粋)

まず立ち止まって、本当に必要かどうか、自分でしっかり確認したいものですね。


vol.180 電磁波をどう避ける?


 多くの電化製品に囲まれて生活するわたしたち。住宅を作るときに必要な屋内配線は、この20年で5~6倍に増えているそうです。また、電磁波過敏症というアレルギー症状があることも知られてきています。
目に見えない電磁波。どんなところに発生するのか、
こどもたちを電磁波から守る方法はあるのか、
考えてみました。

どうしたら電磁波を防ぐ、減らすことができるかな?
☆冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、パソコンなどの家電製品のアースを使用する!
アースとは、漏電などを防止するため、余分な電気を大地に流すためのもの。アース差し込み口が無くても、取り付けタイプのアースも販売されています。また、電化製品の取扱説明書を見ると、アースを取って使用してくださいと書かれています。世界各国のコンセントは3穴タイプ(+、-、アース)に対して、日本だけは2穴タイプと、電磁波を受けやすい環境になっています。
☆使っていない電源コードは抜く!
コンセントをさしているだけで、電場が発生しています。
☆バッテリー式や電池式の製品を使用する
同じ電化製品でも、バッテリー式や電池式は電磁波の数値が下がります。(掃除機、卓上ライトなど)
☆できるだけ離れる!
・携帯電話で通話する時は、スピーカーやイヤホンを使う。
・電子レンジ、食洗機の使用中は離れる。
・乗り物はモーターやタイヤの近くから離れる。
・充電中の機器から離れる。など
☆眠る時の環境を整える
・寝ている時は、日中傷ついた細胞を修復したり再生したりする時間。電化製品を減らしたり、ブレーカーを落としてみたりして体感してみる。
・壁に触れない配置にする(壁を伝って流れている)。
・2階で寝る場合は1階の照明の上は避ける
☆定期的に体のアーシングをする
裸足で土の上に立つ、川で遊ぶなど、大地や水に触れることで人間の体から電磁波を放出することをアーシングといいます。子どもと一緒にどろんこ遊び、畑仕事、アウトドアなどで親子で、楽しくアーシングできますね。

電磁波対策・わたしのばあい
ちいさなことから、確実に電磁波カット!
★ 我が家はオール電化住宅でした。家の中で怠さを感じることが多く、電磁波の影響でないかと感じるようになりました。どこから手をつければいいのか、お金がかかることもあり、迷いました。私が、子どもと一緒に台所に立ちたいという思いが強かったので、主人と相談し、IH調理器具をガスコンロに変えることから始めました。思い切りが必要でしたが、今では安心して台所に立って、子どもと料理ができます。家族により安全な食事を食べてもらうことができて良かったと思っています。(Tさん)

★2階で子どもを寝かしつけてから、子どもが寝ている場所の真下の照明をつけて、仕事をしていました。電磁波のことを知ってからは、他の明かりで作業するように。また、寝る前に使用していない電化製品のコンセントをできるだけ抜くようにしました。主人の趣味のゲームは「自動更新するので、抜かないで」と言われていましたが、つい、抜いてしまいました!が、朝、電源を入れるとすぐに更新を始め、夜間はコンセントを抜いても大丈夫♪ということがわかりました!笑 (Nさん)

★我が家では、電気代削減の観点から、使ってない電化製品のコンセントや、使ってない部分のブレーカーは落としていました。(主人がまめな性格です 笑)さらに寝ている間は、寝室周りのブレーカーを落としてみました。柔らかい灯りの電池式ライトを用意して、灯りにも癒されながら眠るようになりました。電池式ライトが近くにあるので、災害時、懐中電灯を取りに行かなくてもよく、とっさの対応ができると思います。また、夜中、テレビは使わないからと、安易にコンセントを抜いて寝た所、主人の録画予約していた番組が途中で消えてしまっていることがありました!子どもを寝かしつけて自分も寝てしまうことが多くて・・・でも、最近の主人の趣味の話が聞けて、夫婦の会話が盛り上がりました。家族で折り合いをつけて、できるだけ電磁波が発生しないような環境を整えたいです。(Sさん)

子育てコミュニティ toco toco
子育て世代のやってみたい、知りたい、学びたいことを、自ら企画・運営。誰かが講師、受講者という立場のない、一人一人が活躍する「学び合い会」を中心に、顔と顔を合わせて集う良さを生かした活動を展開中。

問い合わせ:facebook「子育てコミュニティtoco toco」


vol.180 かなでの沖縄だより-4

自分で車の運転ができない私は、4月に沖縄へ来て以来那覇から出ることもできず、平和学習どころではありませんでした。それが、9月26日から28日の3日間、岐阜の仲間が来てくれて、平和学習漬けの3日間を過ごすことが出来ました。今回と次回はその報告をさせてもらいます。

南部戦跡巡り

初日、午前中は南部をまわった。沖縄に住み始めて半年がたつが、那覇市から出たことがなかった私は、南部の道路を走っていてドラマに出てくるような道ばかり、あぁ沖縄だと思った。具志川城跡、魂魄の塔、喜屋武岬、平和の礎に行った。
魂魄の塔では、沖縄戦で道路や畑の中などいたるところに散乱していた遺骨を集めて祀ったのがこの塔であることを初めて知った。沖縄には全国の都道府県の塔があるが、唯一沖縄の塔だけない。もしかしたら この魂魄の塔が沖縄の塔だと言えるのではないかと私は思った。平和の礎を初めて見た。 テレビでしか見たことなかったので、はじめ見たときの量の多さに圧倒された。6月23日の慰霊の日にテレビで見た、碑に向かって泣いている人々を思い出した。そのことを考えたら 普通ではいられなかった。ゾッとした。沖縄戦の犠牲者が見つかれば見つかるほどこの碑が増えていくと思うと、戦争って本当に怖いものだと改めて思った。
沖縄にいる間に慰霊の日の平和公園へ行ってみたい。

会沢さん
午後には沖縄中部の読谷へ。ペンションマーミナーの会沢さんに初めてお会いした。会沢さんが、私たちに歌をプレゼントしてくださった。その歌を聴いたとき、会沢さんが伝えたい思いが伝わってきた。音楽をやっている私は、何か通じるものがあると感じた。会沢さんのように、好きな音楽を通して自分が伝えたいことを伝えるって素敵なことだと思った。

チビチリガマとシムクガマ
会沢さんに案内していただきチビチリガマとシムクガマへ。チビチリガマは最近事件があったばっかりで、私もどうなっているか心配していた。チビチリガマは、避難していた住民140人中83人が集団自決して亡くなった。そのうち6割が18歳以下の子どもたち。シムクガマは約1000人の住民が避難していたガマで、ここに避難していた人たちはみな助かった。どちらのガマもすごく暗かった。
シムクガマは明かりを消したらなにも見えない。あそこにいたということを考えるだけで怖いと思う。私ははじめ、2つのガマとも入るのを躊躇してしまった。いい言葉で表現できないけれど、怖かった。私が印象に残っているのは、涙目になりながら 必死に訴えている、私達に説明してくださる会沢さんの姿。あの会沢さんの姿は忘れられない。
集団自決の話をしてくださったとき、集団自決とは、集団で自決するように仕組まれたのであり、自らの意思で死を選んだわけではないとおっしゃった。

戦争は人を殺す。人が人を殺す。怖いことだと改めて思った。あとあと後悔は絶対にしたくないと思った、だからちゃんと学んでいきたいと思った1日目でした。(続く)

チビチリガマにて(17.09.26.)


vol.180 熱中世代発 リバース10号

ウラナミシジミ(Lampides boeticus)

絶望への挑戦
鱗翅目シジミチョウ科の蝶。15㎜~20㎜。翅の裏面に褐色と白の波文様があります。ウラナミシジミの名はここに由来はここに由来します。翅の表面は美しい青紫色で黒い縁取りがあります。後翅には尾状突起と呼ばれる細い尾状の突起があります。尾状突起の付け根には紅色に縁どられた黒い小さな円紋があり、ポイントを成しています。アフリカ、アジア、ヨーロッパ南部に分布し、国内では北海道の札幌近くまで見る事が出来ます。食草はエンドウ、ダイズ、インゲンマメ、マメ科の植物です。小豆などマメ科の栽培種を好むため豆類の害虫としても有名です。クズ、ハギなどマメ科の野生種も食草として利用します。木曽の高原のスキー場でミヤコグサの花の間を飛び回る数知れない多くのウラナミシジミを見たことがあります。
本州のどこででも見る事が出来る蝶ですが、寒さに弱く、越冬が可能な地域は千葉県以西で、しかも、冬でも暖かい海岸部だけです。四国や九州でさえも南端の海岸に沿って越冬が可能なだけで内陸部のチョウは全て寒さで死滅します。毎年、絶滅を知りながら北上を繰り返す小さなチョウの不思議さと健気さに感動します。
暖かい秋の日差しの中、インゲン豆や小豆の畑の近くを探して見てはいかがでしょう。きっと、小さな青い挑戦者を見つける事が出来ることでしょう。

写真・三輪芳明(みわよしあき)プロフィール 1952年 関市生まれ。仲間と岐阜県では絶滅したと考えられていたコイ科の魚類ウシモツゴを発見、人工的な大量繁殖させ野生復帰に成功する。岐阜・美濃生態系研究会 二ホンミツバチ協会 日本チョウ類保全協会。

今でこそ知られるようになった「DV」「PTSD」という言葉だが、一般的ではなかった頃から、フェミニストカウンセラー(※)の講座を受講し、女性の相談にのってきた吉岡さん。現在は「NPΟ法人オフィス・マハロ」の代表理事として、スタッフと共に小牧市の女性センター電話相談の窓口となり、様々な問題の解決に東奔西走している。
小牧市は工場が多い土地柄、ブラジル、ボリビア、中国など外国籍の人が多く暮らす。日本人と結婚したが言葉が壁となり、細かな意思の疎通ができずDVに発展。また、近くの名古屋市からDV被害者が逃げ込んでくる、そんな事例が少なくない。
「DV被害者を加害者からどう避難させるかだけではなく、その後の被害者の自立支援がとても重要。それには就労、生活、子育て、精神的ケアなど、あらゆる面でのサポートが必要です。個人の善意では限界があり、社会的制度を使わないととてもできません。行政と手を組むことが必要なんです。」と、吉岡さんは語る。
「相談を受けたらまず、解決しなくてはいけない優先順位を決め、それを行政や専門家に繋ぎ、私たちはその人の思いを受けとめます。
誰にでも自分の中に、困難を乗り越える力というのはあるんだけど、あまりにも痛めつけられていると、それに気付かない。自分の置かれている立場の異常さに気付かないし、私たちのアドバイスも伝わらない、それほどに傷ついています。そういう方が電話してくるということはすごいことなんです。いろんな思いの中でよく頑張ったね、電話してきてくれてありがとう、と伝えます。法人名のマハロ(ハワイの言葉でありがとう)はそこからつけたんです」
相談内容は、ちょっと聞いてくれる?で始まり、あぁすっきりした、ありがとう。で終わる軽いものから、DV、離婚、中には「今手首を切りました・・・」という深刻なものも。しかし、どの問題も結局行き着くところはジェンダー(※)なのだという。
「女性に求められるのは気配り、優しさ、調和など。男性には男らしさ、凛々しさ、リーダーシップなど。更に、女性の場合は自分の人生なのに、自分に決定権がなかった。そういう社会の中で知らず知らずに育って来た私たち。女性の生き辛さは女性にしかわからないんですよ。だから電話相談をうけるスタッフは全員女性です。行政や議会、警察など、いろんな決定権を持っている人たちに女性がもっと増えるといいのですが…」
「活動の原動力は『理不尽なものに対する怒り』ですね。でも、この社会には理不尽な事がありすぎる。その全部に向き合っていたら何もできなくなっちゃうでしょ。だから相談対象が女性限定なんです。生きている以上悩みはつきないし、今の社会はみんな孤立しています。一人で抱え込まないで小さな悩みでも相談してほしい。
そして、人に寄り添う活動をする人がもっともっと増えるといいな、と思うんです」

※フェミニストカウンセラー
女性のための、女性によるカウンセリング。「女性の生き難さは個人の問題ではなく、社会の問題である」というフェミニズムの視点をもって、それぞれの女性の問題解決をサポートする。
※ジェンダー
「ジェンダー gender」という言葉は国際的に用いられている英語で、日本では「社会的性別」と定義。「ジェンダー」は、国・地域社会や時代の性役割や規範によって異なります。たいていはジェンダーによって、固定的な性役割や性差別が生じるため、片方の性にとっては生きにくい社会を形成します。

相談窓口のスタッフが新しく入るときは、気晴らしできる趣味はあるのか必ず聞きます。私の場合は、愛車TOYOTA86で高速道路を走る事、年に1~2回お泊まり女子会をして友だちと思いっきりお喋りして笑う事、時代小説を読む事、です。

小牧市女性電話相談
☎ 0568-71-9805

月・火・木10:00-16:00 金19:00-20:30
祝日もOK! 秘密厳守します。

小牧市民以外の方でも、お気軽にご相談ください。

 

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エンディングというと、「わたしにはまだ早いわ」、「ぼちぼち考えるわ」、「親に書いてもらうわ」とさまざまな反応が返ってきます。人生のエンディングは誰もが迎える、ということはわかっていても、準備をするときを決めかねてしまう・・・エンディングという言葉に抵抗を感じる人も多いですね。
だから、私たちは、ライフデザインノート「ゼロの昇天」。いま、これから、どう生きるかが大事。
実は「ゼロ」には深〜い訳があるんです。

「ゼロ」は空なり、「無」といわず。
「空」とは?たとえば、器。なにもない内部があってこそ器としての用をなす。「なにもない」というものが「ある」ことの意義は人生に似ています。ゼロから始まりゼロで終える。緊張感や躍動感に満ちた「空」が充実した間こそ「生きた証」。そして限りなくゼロになる条件を整え始めるのが、生前準備。終焉は、実態が「なにもない」ことになるのですが、実はそこから「大いなる存在が現れる」と考えたいものです。

 

・自分の思いを書き留めてみよう!

・日常生活の備忘録として

・家族に「ありがとう」を伝えるノートとして

B5版 44ページ 2色
発行:マザーハウスing
イラスト:高畠純
(にらめっこの表紙でおなじみの純さんのイラスト。先生にお願いし、ほのぼのシリーズで再登場しました!!)
編集人:田辺桜子、佐藤浩子、中本江利、三上みき
定価:700円

※まとめ買いの方へ頒布価格
30冊以上 600円
50冊以上 500円
郵送の場合は送料はご負担をお願いいたします。


vol.180 メディアよもやま…


マスメディアを捨てよ、町に出よう!
僕がNHKにいた所為で、「メディアよもやまばなし」というこのコラムの「メディア」というのは、たぶんマスメディア(新聞・テレビなどいわゆるマスコミ)がイメージされ、画面には出てこない某キャスターの裏話とか、記事にはならなかった“真実の話”とかが期待されているのかもしれません。しかし今、「メディア=マスコミ」と考えている人はもはや少数で、青少年や実働世代の圧倒的多数にとっては、情報収集と共有の手段としてのメディアはインターネットがすべてでしょうね。江戸時代の公式メディアは辻々の「立て札」や「高札(こうさつ)」、寺の説教などであり、非公式のメディアは草双紙や芝居小屋の物語、浮世風呂や薬売りに聞いた噂話、お伊勢詣りの旅での見聞だったに違いありません。つまり、新聞・テレビに代表されるマス情報(大量生産・大量消費)やマス・コミュニケーションの仕組みは、大量流通時代の特別の産物にすぎなかったし、それは商業的にはどうやら終わりに差し掛かっているようです。
 メディアを語る本はゴマンとありますが、カナダのマーシャル・マクルーハンは『メディア論』で、「貨幣は交換や欲望を満たすメディアだ」「自動車は足の拡張としてのメディアだ」「コンピュータは中枢神経の拡張としてのメディアだ」といいます。活字やラジオは“ホットなメディア”として人々の参加をうながすが、テレビは人々の参加度が低い“クールなメディア”だとも言います。「白鳥の湖」を舞うダンサーにとっては身体がメディアであり、北朝鮮の主要メディアはロケットでしょうか。そもそもメディア:mediaとは、「中間、媒体、手段」を指す:mediumの複数形、何かを伝え表現する媒体です。意味があって重要なのは「何か」であって、媒体(新聞・テレビ)や媒介者(記者・アナウンサー・カメラマン)ではありません。私たちはほとんどの場合、記者・アナウンサー・カメラマン・ライター・芸能人など「代行者」が主観的に切り取った“現実らしきもの”に一喜一憂しているだけで、直接に現実に出会っているわけではない。また、私たちは長らく情報を集め、選び、味付けすることを代行者に任せ、自分自身でメディアを使ったり発信しようとしてきませんでした。受け身で過ごしてきたツケとして、不倫議員とお笑い芸人と、その場限りの強弁政権に、メディアを占領させてしまいました。
しかし時代は変わってきています。若者たちはSNSやBROG、インスタグラムなどで世界中に発信しはじめました。アメリカやヨーロッパ、韓国・台湾でも、普通の市民やグループが、自分たちの主張や表現を発信するメディア制度を獲得しています。もちろん金儲けやプロパガンダのフェイク(偽)ニュース、ネット詐欺も増えていますが、そこは賢明に見破って、政治家・商売人・代行者からメディアを解放し、寺山修司風に言えば、マスメディア依存を捨て、私たち自身がメディアになって、自分の表現をに取り戻していくことが、今、何より大切ではないでしょうか。
「メディアよもやまばなし」は今回で終了です。ご愛読、ありがとうございました。

つだまさお 「てにておラジオ」代表
1943 年金沢市生まれ。1966 年から NHK で、 主として報道番組の制作に従事。1995年から東邦学園短大、 立命館大学などで市民社会のメディアのあり方を教えたり、 全国の市民 メディアを繋ぐ仕事に携わる。2016年から、「みんなの森・ぎふメディアコスモス」で発信する市民による放送局「てにておラジオ」を運営。


vol.180 訪問看護日記 fromニューヨーク

深い学び

60代のALSの患者さん。ALSは、意識や感覚ははっきりあっても体がどんどん動かなくなっていくので、とてつもなく辛い。また、ケアも難しい。どんどん動かなくなる肉体という乗り物の中に、閉じ込められた状態といったらいいのか。ホスピスで出会うALSの患者さん達はどの方もとても精神的に苦しんでおられる。体の自由が利かなくなるのに加えて、そのうちに息さえもできなくなるということを知りながら生きる恐怖。肉体と意識がお互いに連動しないギャップの中で生きる苦痛。この日訪問した患者さんは、左手のみがかろうじて動く状態で、コミュニケーションはすべてiPadと呼び出しベルを使っていた。もうしゃべることはできないが、食べ物や飲み物を飲み込むことはまだできていて、呼吸も継続的に自発呼吸ができている。iPadを使って質問に答えてくれる。先週までは左手でコップがつかめたのに、今週はもう何もつかめないととても悲しそうに伝えてくれた。毎日少しずつ体が動かなくなっていく、その精神的な苦痛と、肉体的な痛みを考えると、いたたまれない。この先、嚥下や呼吸に関わる筋肉も動かなくなることを考えると、想像を超える怖さだと思う。呼吸ができなくなって死ぬのを知っている、というのはどんなに恐ろしいだろうと思う。この患者さんはホスピスで、DNR(蘇生処置の拒否)を希望しているので挿管拒否も含まれる。
また話すことができないため、意志疎通に倍以上時間がかかるし、体が動かせないため、ちょっとした体位交換や痛み止め投与などが頻繁に必要になる。ケアをする側も、忍耐をもって頻繁に痛みの緩和やその時々の患者さんの必要なことにできる限り応えていくことが必要となる。たった1時間程度の訪問でも、言いたいことが伝わらないフラストレーションや、痛みがうまくコントロールできない苦しみが、痛いほど伝わってきて、その苦痛に飲み込まれそうになるほどだった。病気に意味を見出そうと努力しても、果たして自分だったら、このALSに意味を見出してALSを受けいれることができるだろうか。もしも、病が体からのシグナルであったり、何かを気付くため、魂が成長するための試練であったりするならば、なんと難易度の高い試練なのだろう。患者さんにとっても家族にとっても。
ただ筋肉が自分の思った通りに動かせること、ただしゃべれること、ただ寝返りをうつこと、ふつうに息をすること、食べること、飲むこと、そのすべてがとてもとても愛おしく素晴らしいことなんだよ、と言われている気がした。思い返せば、この当たり前のことを、普段自分はないがしろにしていないか?ただ食べるという行為も、ただ息を吸ったり吐いたりも、本当は、一口一口が、一息一息が、とてつもなく愛おしい瞬間なのだ。
自分の体へ、自分のすることなすこと、もっともっと意識を向けてみよう。自分の体にもっと愛を伝えよう、感謝しよう。そんなことを考えさせられる訪問だった。患者さんへ。。。私がこんなことを言ってもあなたの苦痛を減らすことはできないし気休めにもならないけれど、あなたの生きる姿は、この短い時間にとてもとても多くのことを教えてくれて、深い学びを与えてくれました。本当にありがとうございました。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気

わかばま〜く:プロフィール 1982年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、 ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。


vol.180 ぎむきょーるーむ 「家事」を子どもが身につけるには


洗濯
・上履きを水につける。持ち帰ったらその場で水につけておくと、汚れが落ちやすくなります。
・下着や衣類の下洗い。女の子だったら生理で汚れた下着、スポーツをしている子だったら砂まみれになったウェアなど、そのまま洗濯機に入れたら汚れが落ちない。汚れは固形石けんをつけてこすればOK。

食事
・調理時の助手として。調理中は手が離せないことも多いです。野菜の皮をむく、切るなど。
・盛りつけ。楽しんでできることの一つ。その子のこだわり、センスが活かせます。
・食器をさげる、水にひたしておく。自分のぶんをさげるとき、家族の食べ終わったものも、いっしょにさげる。
(弁当箱も同じ。これは家族の仕事ではなく、「自分のことは自分で」の領域。)

 

掃除・かたづけ
・ほうき、はたきを活用。掃除機を出すまでもない空間なら、さっと手にとって使えキレイになります。
・出したらもどす。片付かないと悩むより、「出したら元の場所にもどす」を基本に。
・風呂に入り終わったら換気扇もしくは窓を開けておく。
・最後に入ったら栓を抜き、湯垢がつくあたりをスポンジでさっと拭く。(洗濯に残り湯を使う場合はしない)

 

 

10歳前後 性差についての語り方  岡崎 勝
男性の家事を頼りにできる日常があれば
母親にしてもらうことに慣れてしまうと
「男尊女卑」「性別役割分業」という過去の遺物にしがみついているのは、どちらかというと年齢にかかわらず男性が多いのではないでしょうか。
10歳のころの子どもたちはある部分については家事への興味関心は高いので、いっしょにお菓子作りなどすることにはやりたい気持ちをもっています。大人と同じことができるという喜びだったり、親といっしょに過ごす時間が楽しかったりします。
ふつうに家事労働に男女平等意識を持つことは、子どもたちにとって重要です。とくに男の子を参加させることは、とても意味のある、生きるためのスキルを身につける大事なことなのです。
男性が家事労働を忌諱(きき)し、妻など女性にそれを「してもらう」コトになれてしまうと、あきらかに自立から遠ざかります。母親依存、妻依存という男子・男性にいいことはなにもありません。「濡れ落ち葉」「ついてく男」「家庭内生ゴミ」「留守がいい」などと揶揄され、惨めな生活を送ることをなんとも思わない男子・男性は別ですが。

誰でも、やってあたりまえ
もし家族に父親がいるのなら、彼が家事に向き合っている姿をしっかりとみせなくてはなりません。風景のなかに「お父さんが家事をしている日常」があれば、その中で育った男の子は、家事が好きかどうかは別ですが、「家事は家族誰であっても、やってあたりまえ」ということが理解できます。
お父さんがいなくても、家族の協働性はとても大事です。「とてもうれしい」とか「大きくなったから助かる」と頼りにしていることをきちんと伝えるべきでしょう。
お母さん同士の集まりで「夫が今日は休みなので、お昼とおやつを用意してから来たのよ」などといっているのを聞くと、「こりゃーダメだ」と思います。なにがダメか?家族に男の子がいたら、将来いっしょに住んでくれる女性を捜すのはたいへんでしょう。女の子だったら、こんなめんどうな世話をしなくちゃならない男との結婚なんてしないでしょ。
以前、若い女性から「岡崎センセー、誰かいい男いませんか。できれば、家事育児にちゃんと参加してくれる人ですけどね」といわれることがありました。しかし、最近はそういう声すら聞きません。なぜか、そういう「いい男」はすでにゲットされていて、「カスといっしょになるくらいなら結婚なんてしません」というのです。
イクメンなどという言葉が一人歩きしていますが、男が家事をやるのはふつうの時代なのです。(小学校教員)

 

思春期前後 適切な労働対価を 山田 真(小児科)
働ける環境をつくることから
今も役に立っている経験

「昔の子どもはお手伝いをしていたのに、この頃の子はしない。お手伝いさせるべきだ」という人がいます。それで「お手伝い」が学校の宿題になったりします。宿題としてだされると、お母さんが「なにか手伝うことないかしらね」と探すことになります。親が手伝って欲しいと思っていないのに無理に手伝いをさせても、子どもが手伝った喜びを味わうこともないでしょうし、こんな手伝いに意味があるとも思えません。
昔の子どもたちがしていたのは、家事の分担でした。大家族で父母ともに働いている場合、子どもが家事の一部を担わなくてはならなかったのです。僕自身は田舎の開業医の一人っ子で家族は三人でしたが、小学校のころから食材の買い出し係をしていました。看護師さんはいないので、看護師資格のない母が看護師がわりで父の診断を手伝っていました。
ですから、食材の買い物はぼくがしなければならなかったのです。このおかげで、ボクは買い物が好きになりました。いま、連れ合いとの生活で家事分担をしていますが、買い物好きになったことが役に立っています。

子どもの仕事は勉強?

しかし、こうした経験は60年代以上も昔のこと。いまはたいていの家庭で子どもが家事を分担する必要がなくなっているようです。
子どもは労働などせず、勉強をしていればいい、子どもの仕事は勉強と考えられているのが、いまのこの国の状況と思いますが、ぼくは少しちがいます。
中学生の年齢だったら、学校へ行きたくないとき、学校がつらくなったとき、働けるといいと思うのです。たとえば、保育園で働くというようなことは、中学生でもできます。働くという選択肢が認められていないからひきこもるしかなくなるともいえます。
ですから、ぼくは「お手伝い」でなく、子どもでも対価がもらえるような『労働』をできるようにすることを提案しておきます。

やまだ・まこと   小児科医。八王子中央診療所所長。「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」代表。『お・は』編集協力人。


vol.180 エコビレッジfromオーストラリア


こちらは春ですよ〜

オーストラリアは9月なかばからだんだんと暖かくなってきました。

9月23日は春分。夜もそんなに冷え込むこともなく過ごしやすい季節ですが、昼間の太陽のしたでは、初夏を思わせます。やっぱりこちらの太陽は強いですね。

暖かくなってくると、冬眠していた動物たちも活発に動き出します。とくに蛇は暖かい太陽を求めて動き回っています。ニシキ蛇はともかく、毒をもつキングブラウンスネークという蛇を見るとやはりドキッとします。でもこちらが怖がって攻撃しなければ、とくに害はないので、かれらが通過するまでちゃんと待つようにしています。イグアナとハリネズミもよくみかけるようになりました。ここの原住民の間では、イグアナは女性性、蛇は男性性の象徴として受け止められています。
この動物を見たから、ということでもないのですが個人的に、この時期、蛇とイグアナが活発にうごいてる様子をみて、女性性、男性性のバランスをとることが、いまの時期に必要なのかなと思います。

春は、わたしたち人間の世界でも、ものごとが動き出す時期だと思います。ここパラダイスのコミュニティーでも、ながく滞在していた数人が、次の土地へと出ていき、新しいメンバーが加わり、数か月、旅行で離れていたメンバーが帰ってきたり、そんな動きの多い時期。
春のスタートともに新しい動きに合わせていけばいいのかなと思っています。

変化を受け入れるのは、簡単なことではありませんが、自然の流れとひとつとしてとらえようと思っています。

もうひとつ!!!今回ここで伝えたいこと、夢が現実になりつつあること!!私たちは、パーマカルチャーの考えを取り入れ、野菜作りをしています。はじめはここに住むメンバー(10〜15人程度)を養えるほどの量の収穫でしたが、今回、30人のヨガりトリートを10日間ホストしていて、、、、、なんと60〜70%の野菜を自分たちの畑から提供することができました!!!自分たちの夢が、現実になってると思える体験。とっても嬉しく感じました。


vol.180 ボーダーレス社会をめざして-vol.39

NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子

 

障害者差別解消法

7、8年前、グループホームをつくろうと、行動をしたことがあります。事業所近くに適当な土地が見つかり、その近辺の人に説明をしようと出向きました。予定地の周りの人にビラを配ったところ、びっくりすることが起きました。3、4人に取り囲まれ、グループホームでは夜に誰か見張りの人がいるのか?車いすじゃないのか?車いすだと移動制限があり襲われることはないから安全だけれど、一人で歩く人は何をするか分からないから、危険だと。この言い方はどうなんでしょう?障がいのある子どもを持つ私に面と向かって、そのように平気で言われる。それを言われた方たちは、昔からその土地に住んでいらっしゃる高齢の方ばかりでした。この偏見に満ちた考えには驚いたのと同時にショックでした。世の中には、まだこんな考えの人がいるんだ。自分の家の近くには障がい者の施設は来て欲しくないのだなと。
平成28年4月から障害者差別解消法(正式名称:障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)がスタートしました。この法律では「不当な差別取り扱い」を禁止し、「合理的配慮の提供」を求めています。例えば、受付の対応を拒否する、本人を無視して介助者や支援者、付添の人にだけ話しかける、学校の受験や入学を拒否する、不動産屋さんなどで障がい者向けの物件はないと対応しない、保護者や介助者が一緒にいないとお店に入れないなど正当な理由なく拒否することです。正当な理由があると判断した場合は、障がいのある人にその理由を説明し、理解を得るよう勤めることが求められます。私を取り囲んだ人たちは、明らかに法律違反になります。これから、この法律により一般の方がどのように変わって下さるのか楽しみです。それにはまず障がいのある人たちを理解してもらわないといけないのですが、小学校、中学校で同じクラスに障がいのある子がいる、または特別支援学級と交流するなど、少しでも接点があると理解はしやすいのかなと思います。

現在は、障がいのある人たちは、ヘルパーさんと一緒に外出できる制度が出来ていて、出かける人が増えました。岐阜市を歩いている時や電車の中でよく見かけます。社会のルールを学ぶため公共交通機関を使って移動をしています。ヘルパーさんと一緒にお風呂へ入る方もいらっしゃいます。体を清潔に保つことを学びます。時間はかかりますが、少しずつ彼らは学んでいきます。私を取り囲んだ人たちの既成概念「障がい者は怖い人」を払拭するためには、障がい者自身が社会に出て、知ってもらうということが必要になります。どうか障がいのある人たちを街中で見かけましたら、温かい目でそっと見守って頂けると嬉しいです。いつか障害者差別なんて言葉がなくなることを願っています。


vol.180 半農半Xという生き方-vol.21

2つの方程式
いまから25年ほど前のこと。企業に入社した1年目、京セラの稲盛和夫さんの成功の方程式に出合いました。「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」という有名なものです。いくら熱意と能力があっても、考え方がマイナスなら結果が大きく異なっていくというもの。この方程式に影響を受けている人も多いことでしょう。最近、こんな方程式にも出合いました。すてきだなと思ったので紹介します。それは「OLD+OLD=NEW(古い+古い=新しい)」というもの。今年は僕にとっては20数回目の米づくりでした。わが家では、縦横30センチ間隔に手植え(OLD)、除草機や手で草とり(OLD)、手刈り&稲木での天日干し(OLD)をしています。こうしたことをフェイスブックなどで都会にむけて情報発信するとどうなるか。都会の若い世代はどう考えるかというと、新鮮(NEW)だということです。100年を軽く超える古民家でつけものなど発酵食をいただく。これもとってもとってもNEWなことです。おもしろい時代ですね。「OLD+OLD=NEW」なことを日本各地で探したり、育てたりするといいかも。そんなことを考えています。

ことば貯金のススメ
2年前、母校の大学で講演の機会をいただきました。母校の訪問は卒業以来です。影響を受けた先生と約25年ぶりに再会させていただき、2つのお礼を言いました。先生の授業で良書をたくさん紹介いただき、本好きになったこと。いいことばをメモするようになったことです。いまの自分を振り返って、特によかったなと感じているのは、「ことば貯金」をしてきたことです。20代のはじめころから、精神を鼓舞されることばに出合うと書き留め、ノートに写したりしてきたのですが、それがいま、いろいろな銀行のいろんな口座が知らないうちに満期を一斉に迎えているように感じるのです。「ことば貯金」がいまの私を支え、エッセイや企画書などを書く際、とても役立っています。最近では書き留めてきたことばを独占せず、みんなにも活かしていただきたく、公開。すると、またしあわせがやってくることを実感しています。放てば満てり、ですね。

塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は翻訳されて、台湾、中国、韓国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。

※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景とする。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。


vol.180 夢か悪夢かリニアが通る!-vol.9

水源を貫く 長大トンネル

東海道本線・熱海―三島間を短時間で結ぶために計画された丹那トンネル。ほぼ1世紀前の1918(大正7)年に着工され完成までに16年もの歳月を要しました。この難工事を描いた吉村昭著「闇を裂く道」(文藝春秋)には、工事が進むにつれトンネル真上の丹那盆地を潤してきた渓流が次々と枯れ、追い詰められた住民がむしろ旗を立て建設事務所に押しかける姿が描かれています。これはただの昔話ではありません。全286キロのうち86%がトンネルのリニア中央新幹線は地下水脈を切って進むため、山梨実験線では既に多くの水枯れが発生しているのです。                     ジャーナリスト・井澤宏明

 

「水が枯れる」
中津川市と隣接する長野県南木曽町。旧中山道の妻籠宿で知られるこの町の貴重な水源地を、リニアの中央アルプストンネルが貫く計画です。JR東海は「影響は小さい」と主張しますが、南木曽町の住民からは「水がめに穴を空けたら水が枯れる」と不安の声が上がっています。
非常時には町の人口4260人の約3分の1を支える町内最大の水源地約85ヘクタールが「妻籠水道水源保全地区」です。2つの湧水の水源地を開発から守るため1999年、長野県の条例によって指定されました。
この水源は、水量の安定した濁らない水を住民に届けてきました。公益財団法人「妻籠を愛する会」常務理事の藤原義則さん(69)は「昭和30年代前半、妻籠宿じゅうを探してやっと見つけた貴重でうまい水です。これに代わる水源は見つかっていません」と言います。
長野県飯田市と中津川市をつなぐ中央アルプストンネルは、長さ約23.3キロにも及び、途中で水道水源保全地区の地下を1キロ弱にわたって横切ります。
「どこまで掘ってきたら水源に影響が出てくるのか、誰にも分からない」と心配するのは町議の坂本満さん(67)。地質調査技士の顔も持つ坂本さんは、トンネルのルート上に、水を豊富に蓄える複数の断層が走っていることに危惧を感じています。
同じように中央アルプスを貫いた中央自動車道・恵那山トンネル工事では、百数十か所に及ぶ断層・破砕帯の掘削で、高圧の異常出水にたびたび襲われました。坂本さんは「水が全部、岐阜県側に抜けてしまうのでは」と最悪のケースも想定します。

「週刊金曜日」2017年9月29日1154号より(連絡先03-3221-8521)

JR東海が追加調査
水道水源保全地区で一定規模以上の工事をするためには、長野県知事の同意を得る必要があります。知事は県環境審議会の意見を聞くことになっているため現在、審議会で専門家による検討が進められています。
JR東海はこれまで、「トンネル掘削により、トンネル内に湧出する地下水があっても周辺の限られた範囲に留まり、それ以外の深層や浅層の地下水への影響は小さい」と説明してきました。つまり、掘削するのは深層の硬い岩盤なので、浅層にある水源への影響は小さいというのです。
一方で、「断層付近の破砕帯等、地質が脆弱な部分を通過することがあり、集中的な湧水が発生する可能性がある」と地下水位への影響の可能性を認めています。
これに対して、審議会の専門委員会メンバーは「影響がないとするにはそれなりの詳細な根拠が必要」と指摘。「水源の涵養源は浅層の水だと決めつけてしまわず、(深層の)硬い岩盤の破砕帯や亀裂帯を通じて来ている水もあるかもしれない」とこれまでの説明の再考を求め、JR東海は今ごろになって追加調査を行っています。

岐阜県でも
町リニア対策協議会委員も務める坂本さんはこの専門委員会に出席し、「水道水源保全地区の真下をトンネルが通過することが決まってしまっていることに違和感がある。今からでも中止するか、ルートを変更する必要があるのでは」と訴えました。
長野県から中津川市に2005年、「越県合併」した旧山口村にも、長野県の水道水源保全地区に指定されていた場所があります。トンネルはこの地区も貫き影響が懸念されますが、岐阜県には知事の同意を必要とする制度はなく、専門家の検討も行われていません。JR東海は、この旧山口村から南木曽町方面に向け掘削する準備を進めています。

妻籠宿を歩く観光客。多くの外国人客にも愛されているこの静寂が、リニア工事が始まっても保たれるだろうか。(南木曽町で)


vol.180 天然生活応援団「菌ちゃん野菜応援団岐阜支部」

こんにちは。菌ちゃん野菜応援団岐阜支部です。

農薬や化学肥料を使わず菌ちゃん(微生物)と共に育ちあう、美味しくてとても元気な野菜作りを仲間と共に目指しています。

私達が大事にしていることは誰もが無理をしないこと。小さな子を抱えている人が多いので一人ではできないこともたくさん。

やれるときにやれる人がやれることをしよう。誰かが無理をするのではなくみんなで助け合おう。

そんな風にぼちぼち畑とお付き合いをしています。ある日、そんな仲間が集まって収穫。背中に赤ちゃんおんぶしたり、誰かが誰かの子どもを見守ったり。時には簡易プールなんかも登場して作業を進めていくんです。面白そうでしょう??

子どもと一緒に土にふれあったり野菜を作ったりしたい。そんなことを考えている仲間はもしかしたらたくさんいるのかも。

一人ではとても管理しきれないけれどみんなでやれば何かきっと形になる。

人と人との横の繋がりを大事にしたいと思っています。

気になった方はのぞいてみてくださいね。

TOPIC

マコモダケの収穫をしました〜
 マコモダケはマコモの根元に出来る肥大した茎の部分を指します。このマコモはイネ科マコモ属の多年草で別名「ハナガツミ」とも呼ばれ、東アジアや東南アジアに広く分布し、日本でも全国の河川や湖沼の水辺に群生しているのを見られます。
マコモはさながら巨大なイネといった様子で、草丈は2m前後に。中国をはじめ、ベトナム、タイ、ラオス、カンボジアなど東南アジア諸国で古くから食用や薬用として身近な植物で、日本でも「古事記」や「万葉集」などにもその名前が出ているそうです。北アメリカ大陸では、インディアンが古くから近縁種のアメリカマコモの種を食べる習慣をもち、この種=穀物をワイルドライスと呼び、今でも各地で栽培されています。
 このマコモには黒穂菌(くろぼきん)が寄生しやすく、感染しているマコモは夏を過ぎると、寄生した黒穂菌の影響で根元の部分の茎が肥大してきます。その膨らんで太くなった茎の部分を「マコモダケ」と呼びます。
この黒穂菌の胞子は成熟すると墨のように真っ黒で、かつてはマコモダケから採取した黒穂菌の胞子を「マコモズミ」と呼び、お歯黒や眉墨、漆器の顔料などに用いられてきた歴史もあります。
マコモダケはクセがなく、柔らかい筍のような歯ざわりがあり、ほのかな甘味ととうもろこしのような香りがします。

 

 

なかま・募集してます!
お問い合わせは 070-2626-6675(各務)まで

 


vol.180 プレゼントコーナー

プレゼントご希望の方は
ハガキまたはe-mailで、下記のアンケート1〜6をご記入の上、編集部・プレゼント係りまでお送りください。
〆切:11月25日 当日消印有効。
A、Bはにらめっこ編集室に受け取りに来ていただける方。
宛先:〒504-0855 各務原市蘇原新栄町2-25
e-mail: info@niramekko.com
※お寄せいただいた個人情報は、本紙プレゼントの発送に限り、使用させていただきます。

アンケート
1- あなたの「今年1番うれしかったこと」をおしえて!
今年、あなたが1番うれしかったことってなに?喜びのおすそわけしてね!
2- 気になるにらめっこ紙面での広告
3- 気に入った記事、気に入らない記事のタイトル1つ
その理由もお書きください。
4- ご希望のプレゼント名 (第1希望・第2希望)
5- 本紙をどこで入手されましたか?
6- 氏名、年齢、住所、郵便番号、電話番号、家族構成

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A.ゆりかごカレンダー2018 ゆりかご助産院様より…3名様

シンプルなデザインながら、月の満ち欠け、満潮・干潮時刻、旧暦も記載してあるカレンダーは毎年好評!予定だけでなく、出来事や体調も記入しておくと、月といろんな物事との関係も見えてきたりして。
(にらめっこ編集室でお受け取りください。)

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B.9条ボールペン にらめっこより…3名様

本体横のつまみを引っ張るとあ〜らなんと、日本国憲法第9条のアピール文が!国際的に緊張感が走るこの頃、9条の心を大切に、平和な世界を築きたいね。まずは、身近な人との対話を大切にすることから始めようか。(にらめっこ編集室でお受け取りください。)

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C.CINEX映画招待券 シネックス様より…ペア3組様

ヒューマンドラマも、アニメも、サスペンスもアクションも、何でもOK!とにかくあなたの「この映画が観たい!」が大優先。
笑ったり泣いたり、感情の開放がリフレッシュさせてくれます。写真は「アメイジング・ジャーニー神の小屋より」から。(招待券はシネックスマーゴではご利用できません。)

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よりよく生きるためのライフデザインノート「ゼロの昇天」
マザーハウスingより…3名様

人生のエンディングは必ず来ます。そのことをしっかり受け入れた瞬間から、関心事が「今これからどう生きるか」にシフトします。 書きやすいと大好評の「ゼロの昇天」の改訂版。さらに書きやすく、奥深い内容となりました。


*** お知らせ えんぴつカフェ開催します***

ライフデザインノートの書き込みワークショップ

えんぴつ・カフェ開催
と き:2018年1月17日(水)9:30-11:30
ところ:各務原中央ライフデザインセンター
2階 第一会議室
各務原市蘇原中央町(市民会館隣接)電話: 058-389-1820
参加費1,000円(資料代700円・モーニングコーヒー付き)

定価700円

・ライフデザインノートを日常生活の備忘録として使う
・家族に「ありがとう」を伝えるノートとして使う
ノートへの書き込みは、えんぴつで!
書き直したり、気持ちが変わったりするのを見越して。
ひさびさに、学生になった気分で!あーだこーだとおしゃ
べりしながら、らくがき感覚で描き込んでみませんか?

 

問い合わせ:「ゼロの昇天」編集委員まで

田辺 090-5638-7044 佐藤 080-2645-9785
中本 090-4162-2409 三上 090-7854-4561


vol.179 チャレンジャー KazuTomo

<KazuTomo>

カズ)デュオを組んで今年で7年目です。音楽の専門学校で出会いました。初めてセッションした時、トモが今まで出会ったことのないレベルのギターを弾くんですよ。衝撃的でしたねえ。今でもトモはギターに対してすごくストイック。それが良さだし、性格がギターにも出てると思うんですよね。喋らない感じなんですけど、思いやりや人の事を考える優しさもある。でもとにかくギターに対してはすごいです。
トモ)だって、それ譲ったら僕は何も残らない。(笑)
カズ)僕は直感人間なんです。「これだ!」と思った時に勘で動いちゃう。トモはいろいろ頭を使ってやるタイプ。逆にそれがうらやましかったりもするんですけど。まったく違うタイプでも、こうして結果うまくいってる。性格も全然違うのに、なのになんでこんなに合うんだろう、不思議だなぁって。
トモ)腹立つ時があるんですよ。僕が時間かけて段階踏んで考えて来たのに、ぱっと言ったカズの言葉の方が良かったりしたときなんか。音楽をやっていなかったら絶対友だちじゃないと思う(笑)。

<ライブ>

カズ)デュオを組んでからは路上ライブを昼も夜もやっていました。真夏の昼もやってるので、周りの人が見かねて差し入れしてくださったりね。つい最近まで続けていた路上ライブの経験、それがあるから今があると思ってます。
会場でライブをするようになって感じるのは、名古屋は内気なお客さんが多いということ。だけどちゃんと伝わっているんだろうなって思う。僕は必ずお客さんの目を一人一人見ながら歌うんですけど、ちゃんと伝わってる人には伝わってるって、そうはっきり感じます。ライブの後で「本当は良かったんです〜。話しかけられなかったんです〜」というメールが来たりして(笑)。名古屋はそういう人が多いです。九州はそういう人はいなくて、もうガンガン来ます。でも、それはそれぞれの良さですよね。

 

<ハチドリ>

カズ)曲は全てオリジナルで、僕が作詞作曲しています。
「ハチドリ」は「ぎふハチドリ基金(※)」のためのオリジナルソングです。ぎふハチドリ基金の登録団体で、学習支援を無償で行なっている「てらこや」へおじゃまして、子どもたちと触れ合ったり、担当の方からいろいろとお話しを伺ったりしてできた曲なんです。僕は曲を書く時には刺激やインスピレーション受けるために外に出たり旅行に行ったりします。今回も直に触れないとたぶん書けないな、と思ったのでお願いして伺いました。
少しだけの触れ合いでしたが、子どもたちはキラキラした目で、僕らに夢を語ってくれたりしました。今キツイ状況なのかもしれないけど、一生懸命今自分ができることをやって、これからに繋げていってるんだなあ、それは僕らが夢を追っているのとベクトルが同じだなって感じました。そういうのをイメージしながら、「大丈夫」「頑張れ」を使わずに、子どもたちに寄り添っていける曲にしたいと思ってできた曲なんです。
「大丈夫」「頑張れ」を使わないというのは、僕だったらどうかなぁって思ったから。僕もトモも、お互い不登校だった時期があったんですよ。そういう時に僕らは「頑張っているんだよ。そんな頑張れって言われてももう頑張れないよ」って思っていたし、「大丈夫」と言われても、「え、何が大丈夫なの?僕は今大丈夫じゃないんだよ」って。誰に助けを求めたらいいのか、という状況にいたんです。そういうこと思ったら、大丈夫とか頑張れって、言わない方がいいね。って。
ハチドリ基金に関わってみて、子どもたちを支援されている方や団体があるんだということ、子どもたちも貧困とかいろんな状況があるんだ、ということを突きつけられたというか。でも、それが現実なので、目を背けてはいけないなって。

そういう場に行ったのも初めてで、最初は何も言葉が出ませんでした。それぐらい衝撃的だったんです。
トモ)実際に行って子どもたちとしゃべったりすると、後に抱えているものがあるんだろうけど、これやりたい、あれやりたいとか、ちゃんと夢を持っている。頑張っているのに頑張れとはやっぱり言えない。僕らなりに背中を押せる曲とか、僕らができることをしていこうって二人で話しました。
カズ)そういう状況に僕らが出会えたのはすごく縁がある、すごくいいことだな、と単純に嬉しかったです。今までにない経験でした。

<曲つくり>

カズ)僕は言葉をすごく大事にしていて、もちろんメロディーも大事なんですけど、やっぱり言葉って人の心に直接届くもの。僕は意識していなかったんですが、カズの歌は人のために書いてるよね、って言ってくれた人がいるんです。僕の歌にいろんな人が共感してくれて、涙したり笑顔になったりしてくれてるのかと思うと、ああ、誰かのために書きたいなあっていうのはより思いますね。そして、それはずーっと変わらずにやっていくとは思うんです。
トモ)カズが曲を持って来て、僕がギターを弾くんですけど、僕の中では歌が物語の主人公で、その主人公の背景がギター。背景によって人の感じ方って変わるじゃないですか。主人公が言いたい事をいかに人に伝わるように弾くか、みたいな意識ですね。メロディーとか、その曲の雰囲気をもっと引き出せるギターを弾く。なんか1つの絵画をつくるイメージです。
カズ)最近、出だしの音を聞くだけでKazuTomoの曲だってわかる、って言われるようになりました。お客さんが僕らの音楽に触れてくれた瞬間に「あ、KazuTomoだ」って思ってくれる。嬉しいですねえ。
トモ)“自分たちの音”っていうのはこういうことなのかな、って思います。
カズ)僕たちは育った環境も、聞いて来た音楽も全く違うんですよ。僕はJポップとかフォーク。小さい頃から音楽は好きで、昔のビデオを見ても音楽があるとノリノリで踊ってます。本格的にやりだしたのは、中学生の時。バンドを始めて、初めて舞台に立って歌いました。高校の時はギターを買ってもらって、今に至るみたいな感じです。
トモ)僕は小さい頃から父親の影響で、中学生くらいまでクラシックしか聞いた事がなかったんです。楽器を持ったのは高校生に入ってから。でも高校一年の時に学校に行ってない時期があって、で、戻る時に「戻るくらいならちゃんとやりたい事をやろう」と思って、ギターと、吹奏楽部に入ってサックスをやったりして。なので、音楽をちゃんとやりはじめたのって高校2年生のはじめくらいかな。
カズ)違う感性が重なった時に、カズトモのハーモニー、色になる、というのは、なんか自分たちも不思議でしかないですね。
トモ)最初はお互い感覚的にぶつけあうだけで、俺だ俺だって二人でやっていて、なかなかうまくいかなくて。今はおいしいとことれるようになって来たかな。

<拠点を福岡に>

カズ)来年2月から名古屋から福岡に拠点を移すことになりました。ありがたいことに、声をかけてくださった方がいて、その方と一緒に事務所を持って活動することになったんです。それに伴い、僕たちの活動の内容はがらっと変わると思うんです。以前から二人で「変わらなきゃね」「常に新しいものを追求して、それに追いついていかないと」ってよく話していたので、そういう時期に来たんだ、という感じです。
トモ)だんだんと実家が遠くなっていく・・・(笑)
カズ)福岡に行っても名古屋にはファンの人がいてくださるし、ハチドリやいろんな繋がりがあるので、帰って来ることは多いと思います。もちろんメジャーを目指しています。それを目指して僕は九州から反対を押し切って出て来たので。そうでないと親に怒られます(笑)。

 

岩佐一成-Iwasa Kazunari
Vocal&Guitar
ヴォーカルをつとめる“Kazu”
透き通った歌声や、切なく力強い声の持ち主。
幼少期から音楽にふれあうことが多く、高校3年生からギターを始め、1ヶ月で曲を完成させる。
出身地:長崎県松浦市

 

伊藤智美- Ito Tomomi
Guitar&Chorus
ギターコーラスをつとめる“Tomo”
ギターと猫をこよなく愛している。お洒落なコードを自由自在に操り、Kazuの歌声をより一層よくする。
フラットピックを使わず、ギターをパーカッシブに弾く独特の奏法にもご注目!
出身地:岐阜県下呂市

<ライブ予定>9/9 :栄ベース  23 :下呂市交流会館・10/14 :しがくかん 10/21 :ぎふハチドリ基金5周年・2018/1/20 :名古屋市千種 5/R

・問合せはKazuTomo公式H.Pから

http://kazutomo0409.wixsite.com/kazutomo-official-hp

※「ぎふハチドリ基金」
特定非営利活動法人ぎふNPOセンターが2012年創設した、地域の力で岐阜の未来(子ども・若者・子育て家庭)を支える仕組み。「ぎふハチドリ基金」がNPOなど市民団体の活動を支えることにより、地域の支え合いが広がり、公的支援制度の隙間に陥っている人たちにも、支援の手をすぐに差し伸べることができます。
http://www.gifunpo-fund.org/


vol.179. えっ!栄養失調!?!?!

その大きな原因はミネラル不足!

現代人の食生活では、主に以下の3つの要因からミネラルが不足しやすいのです。

(1)加工食品を多く食べるようになった
共働きの家庭が増えたこともあり、家庭では冷凍食品やお惣菜など調理加工済みの食品をとることが多くなりました。これらの多くは水煮して冷凍された食品を原料に使っているために水溶性の栄養分がほとんど失われています。また変色を防いで見た目を良くするためにミネラルを奪う「リン酸塩」という添加物が加えられています。

(2)野菜が栄養を失った
現在流通している野菜は、一昔前の野菜と比較して何倍も栄養価が低いと言われています。それは化学肥料の大量使用 で土が有機分を失い、野菜が様々な種類のミネラルを吸収できなくなっているからです。また品種改良によって生育期間が短くなることで、光合成によって生成 されるビタミン量も少なくなっています。例えば、1950年と2010年で人参に含まれる栄養素を比較すると、ビタミンA(βカロチン)で81%の減、ビ タミンCや鉄分では60%も減少していたというデータがあります。

(3)砂糖の摂取量が増えた
コンビニや自販機がこれだけ多いと、子どもたちも甘いお菓子や清涼飲料水を摂取する機会が増えています。砂糖はせっかく取り入れた体内のビタミンやミネラルを大量に失わせる作用があります。砂糖を分解するために多くのビタミンB群やミネラルを消費するからです。

このような理由で、カロリーは十分すぎるほどとれていても、栄養失調になってしまっている子どもが多いらしいのです。(もちろん大人もですが)

なかでも食品添加物の一つ「リン酸塩」に注目!!

「リン酸塩」は食品を柔らかくしたり、弾力を付けたり、保湿性を高めたり、食感を良くしたりなどの結着剤やPh調整剤など多岐にわたり用いられています。リン酸塩は体内では吸収されず毒性がなく身体に入っても尿といっしょに排出されます。食品の裏がわには一括表示で「ph調整剤」とあるものには、たいていリン酸塩が含まれています。まったく表示されないリン酸塩もあるので、すべてを避けることはできません。だから、リン酸塩という表示を見たら、買わないようにした方がいいです。
なぜリン酸塩が身体に悪いのか?!ここがとっても重要です。リン酸塩が身体の中に入るとミネラルとくっついて、私達のカラダの大切な「微量ミネラル」を一緒に体外に排出してしまうからです。ですから、骨や歯になる大事なカルシウム・ミネラルが奪われてミネラル不足→新型栄養失調を引き起こしてしまいます!!

ミネラルがないとビタミンも身体に吸収されません!現代病として最近では、骨粗鬆症や骨軟化症などが増え、子どもの成長不良も増えているそうです。

COLUMN
日本人は千年以上も前から、イワシと大豆でミネラルを摂ってきました。今は食生活の欧風化で、味噌汁を飲むことが減り、豆腐を食べることも減っています。化学調味料がだしと思う人が多くなって、煮干しでだしをとらなくなり、ミネラルの摂取量が減ったのです。一番多く使われているのは、味の素の「ほんだし」。原材料を見ると「調味料(アミノ酸等)で、これは化学調味料。それから食塩、砂糖類、4番目にかつお節。このだしではミネラルはとれません。かつお節は、骨を取り除いたかつおの身を1〜2時間煮て、ミネラルが取り除かれます。豆腐もマグネシウムを含むにがりを使わないで、ミネラルを含まない凝固剤を使ったものが増えています。

 

脳の発達と活動に欠かせないミネラル

発達障害の様々な特徴は、脳機能の不全が原因だといわれています。特に脳の離れた部位を連携する長い軸索の結合が不安定になっていたり、さらには脳の情報伝達の要となる神経伝達物質が足りていないことが、発達障害特有の特徴をつくりだしているという説が有力です。
そこで脳の栄養面で問題となるのが、ミネラル不足です。
ミネラルは脳の神経伝達物質を作り出すためにとても重要な役割を担っています。
神経伝達物質には、セロトニンやドーパミンなどと呼ばれるものがありますが、いずれも興奮や意欲や平穏さなど人間の内に様々な感情を生み出すもとになります。つまり、神経伝達物質によって人間の心はバランスを保っているわけです。ということは、神経伝達物質をつくりだすのに必要なミネラルは、人間の心を支える栄養素ともいえるわけです。実際に発達障害のない人でもカルシウムやマグネシウムの摂取が不足すると、イライラしたり、睡眠障害になりやすいことはよく知られています。カルシウムやマグネシウムは天然の精神安定剤ともえるミネラルなのです。
他にも亜鉛が不足すると、不安感やイライラが増し、味覚障害による偏食が起きやすいようです。さらに鉄、マンガン、銅などのミネラルも脳の働きに不可欠なミネラルです。しかし、発達障害の方は感覚過敏を持っている場合が多いので、これらのミネラルを大量に消費しやすく、そのために脳の燃料不足になりやすいのです。

 

ミネラル摂取法
第一段階ーどの料理にもかけて!混ぜて!
① 主食の見直しとだしの活用
家庭のメニューはそのまま。主食は白米や玄米に雑穀を2割ほど入れて炊く。副菜には、いわし・あご(トビウオ)・昆布の粉末(天然だし調味粉)をかける。なければ、いわし・あご・昆布でだしを取り、そのあと鍋から取り出し刻んで毎食時に食べましょう。

② 良質な油を補充
エキストラバージン・オリーブ油、ごま油、えごま油、亜麻仁油など低精製の良質油を非加熱で、できあがった料理にかけて毎日食べる。味噌汁に一滴とか、ドレッシングにしてもグッド!

第2段階ー食材と調理法で
① ミネラル豊富な食卓へ。主食は玄米にし、ミネラルを多く含む小魚や貝類(煮干し、めざし、ししゃも、牡蠣、しじみ)、種子や豆類(そば、ごま、大豆、大豆食品)、木の実(クルミ、アーモンド、ピスタチオ、栗など)を献立や間食に取り入れる。
② リン酸塩を避ける。冷凍食品、ハム、ソーセージ、ちくわ、はんぺんなどの練り製品、ケーキ類など多くの加工食品に使われています。
③ 下茹でや、あく抜きでもミネラルは流れ出るので、素材を丸ごと使い切る。

小若 順一・国光 美佳 (著) 『食品と暮らしの安全基金』(三五館)


vol.179 ミネラル不足による栄養失調


夏だからこそミネラルが大切!
日差しが強くて気温の高い夏は、一年でとくに汗をかきやすい時期です。カラダの中から出ていく汗には、じつは水分だけではなくミネラルも含まれています。このように私たちは気づかないうちに生活の中でミネラルを失っています。
【汗に含まれるおもなミネラル】
・ ナトリウム・カリウム・マグネシウム・カルシウムなど

ミネラル不足になる現代の食生活
① 弁当、惣菜、冷凍食品、レトルト食品などの原料に、水溶性成分とともにミネラルが溶け出た「水煮食品」が、たくさん使われるようになっている。
② 「リン酸塩」がたくさんの加工食品に添加され、ミネラルの吸収を阻害している。
③ 加工食品の原材料の大半が精製されていて、水煮食品と対になる「油脂」も精製されてミネラルが抜かれている。

落ち着きのなさや、イライラ、気分の落ち込みなどに苦しんでいた人たちが、ミネラル豊富な食事で回復していると聞きました。一体どういうこと?

「子どもの毎朝の大泣きがピタリと治った」「気持ちの切り替えがスムーズになりました」。栄養バランスの良さを売りにする宅配弁当でも、ミネラルは極端に不足していました。加工食品に頼りがちな現代の食生活では、知らないうちにミネラル不足になってしまう恐れがあります。ならば、サプリメント(栄養補助食品)で手軽に補給すればいい――と考えがちですが、どのように溶けて吸収されるか分からない点が多い上、逆に過剰摂取の恐れもあるので、基本は食事の工夫だといいます。たとえば、料理のだしには、煮干し、アゴ(トビウオ)、昆布などを選ぶ▽ゆでるより、汁ごと食べる煮込みや蒸し料理にする▽外食やコンビニの加工食品が中心の人なら、納豆を1品加えたり、練りゴマや海苔をふりかけたりする――などです。
国立健康・栄養研究所前理事長の医師、渡辺昌さんは「気分の落ち込みなどが食事で治ることは確かにある。科学的な検証は難しいが、軽い心身の不調なら、すぐ病院で薬をもらうのではなく、まずは食事を見直すことが大切だ」と語る。
”NPO法人「食品と暮らしの安全発行『心身を害するミネラル不足食品』”参照

ミネラル不足で起きる症状の一例を見てみる
足がつる:足がつるという症状は、色々な場面で起こりますね。
・夜中に寝ているとき・運動中にいきなり・朝目覚めたとき
多くの場合は就寝中や朝目覚めるとき、運動中などに見られます。運動不足がたたったのだと考えている人もいるようですが、実は原因はそれだけではないのです。
栄養バランスが乱れていたり、高齢により食が細い場合などに足がつるという症状が出てきます。体内のイオンバランスは一定に保たれていますが、偏食などの影響で乱れるためです。病気などを抱えておらず、直接的な原因が見つからないなら、多くの場合ミネラルが不足しているのが問題となっています。

特にマグネシウムが不足すると、
・不安感・イライラ・こむら返り(足がつる)・循環器障害(不整脈など)・頭痛などの症状が起こるといわれています。

どんな時にマグネシウムが体外に出されてしまうかというと、ストレスがかかると細胞を守るため体外に排出されてしまうし、お酒を飲んだりしても、カフェインを含むコーヒーなどを飲んでも、インスタントラーメンを食べても、どんどんマグネシウムは失われていきます。

COLUMN
9月は残暑厳しい日が続きます。脱水症状などにまだまだ注意が必要です。水分補給は大事ですが、大量の汗などからナトリウムを多く失う場合に、「飲む点滴」と言われる経口補水液を手作りしてみましょう!
まずは、一番基本となる作り方です。
500ml ペットボトル 1本分
・水   500ml
・砂糖  大さじ2杯
・塩   小さじ1/4杯
味見して「うすいっ!」「まずいっ!」と感じたら、レモン、カボスなどの、柑橘系の果汁(クエン酸)を、大さじ1~2杯加えてみてください。
オススメはハチミツレモン味!クエン酸を加えると、おいしく飲みやすいだけではなく、疲労回復効果と吸収速度も上がります。また、砂糖をハチミツに変えるとより吸収がよくなります。
※1歳未満の乳児にはハチミツは禁止です。
【ハチミツが砂糖よりも良い理由とは?】
何よりも、 カロリーが低いうえ、天然の栄養素をたくさん含んでいます。特にビタミンが豊富!ビタミンB1・B6・C、ナイアシン、葉酸、パントテン酸など。そしてミネラルも豊富!鉄分、カルシウム、カリウムなど、ミネラルや他にも、様々な栄養が豊富に含まれます。さらにハチミツには、強い殺菌・抗菌力があります。
経口補水液は、ボトルに入れて直接口をつけて飲むことが多いので菌の繁殖を抑える効果も、期待できます。
ただし経口補水液は日持ちしません。作ったら、その日のうちに飲みましょう。衛生面にも気をつけて!ドリンクボトルは、毎日洗い、中も乾燥させましょう!


vol.179 カタコトの部屋 防災de Communication

伝言ダイヤル
NTTが提供する災害用伝言ダイヤル「171(いない)」
毎月1日と15日に体験利用ができます。家族や親戚、友達と一緒に使い方を覚えておくと、もしもの時に役立ちます。
ウェブ版災害用伝言板も http://www.web171.jp/

さらしでおんぶ
4~5mのさらし1本で、子どもをおんぶする方法です。災害時、手元におんぶ紐があるとは限りません。通常は15kgまでの子どもが対象ですが、大人を背負うこともできます。意識の無い人、けがをしている人を運ぶ時にも使えます。また、さらしは、包帯やタオル、目隠し、ハンモック、おむつ、整理用ナプキン、料理用のざるなど、様々な物の代わりに活用することができます。

パーソナルカード作成の提案
パーソナルカードを作ることで、自助力(自分の命は自分で守る力)
受援力(援助を受ける力)を高めることが出来ます。

1年に1度、子どもの誕生日、結婚記念日、防災の日など日を決め、内容を更新していくといいですね。家族の詳細情報や行動パターン、範囲は日々変わるので、それに対応した情報が必要になります。コピーをして、ランドセル、習い事のかばんなど、子どもが一人になる時に持ち歩くかばんにも入れておきましょう。

① 家族写真…写真に氏名、年齢を書き込む。写真がはがれた時のことを想定し、裏に、氏名、年齢、住所なと記入する。
② 家族からのメッセージ…絶対に必要な情報ではないが、もし、家族に会えなかった時、励みになるのは確かだと思う。
③ 氏名、性別、血液型、住所、園・学校名など
④ 病気・投薬について…服用している薬名を書く。また、それが手に入らなかった時、代わりになる薬名も書くとよい。
⑤ アレルギー物質と、食べられる食品名(商品名)
・食べられる炊き出し料理名…除去してほしいアレルギー物質だけを伝えても、適応した食品、食事はなかなか手に入らない。災害時、支給されやすい商品、メニューをしらべ、具体的に書くと、援助する側が探しやすい。
⑥ 防災ハザードマップ…子どもが一人で避難所まで行くことを想定して作成する。避難経路に選ぶと危険だと想定される大きな建物や河川、化学工場など周辺は、近道でも通らないように注意書きを入れるとよい。
⑦ 避難場所、標識…⑥のマップと連動させる
⑧ 連絡方法
⑨ 保険証、免許証などのコピー なども必携。

 

 

 

防災リュック“これだけは入れておきたい”ベスト5
3~4人のグループに分かれ、各自準備した、ベスト5を発表。選んだ理由や使い方などを発表しました。次に、各グループの代表が小グループ内での気付きや学びを全体へ向けて発表。写真はある参加者のベスト5です。

多かったもの ① 水、食料 ② トイレセット(おむつ、着替え、ウェットティッシュ、目隠しなど) ③ 多機能ラジオ(ライト、サイレン、充電器など)他には・・・サランラップ、タオル、電池、スーパー袋、防寒シート、防災頭巾、ファイヤースターター、ナイフなど。

買ってみたけれど、使ったことのない多機能ラジオやホイッスルを使ってみたり、子どもに使わせてみたり。多機能ラジオは手回し式と充電式を比べてみると、充電式の方がパワーがあると判断。使ってみたら壊れてしまったという経験談もあり、実際に使ってみることが大事だと痛感!参加者自作の防災頭巾は、裁縫初心者でも作りやすいシンプルな作り方。ヘルメットに比べれば耐久性に劣る防災頭巾ですが、埃や落下物から頭を守り、枕や座布団など活用法は様々です。

 

防災de Communication に参加して

岐阜市のお母ちゃん【げんきっずより】

・防災グッズで、具体的に何が必要かとても参考になりました。ラジオ、懐中電灯、充電器、サイレンが一体化されているものが、ひとつで何役も使えるのでいいなと思いました。
・非常食でも無添加があると知り、取り入れたいです。
・寝室にスニーカーを置く。わが家でも実践しよう。
・主人と初めて防災について話した気がします。防災頭巾や家族写真、電話番号の控えが参考になりました。
・防災には興味があるけれど実際には何も備えていない人が多く、一歩を踏み出す機会を持てて良かった。みんなで取り組めば楽しくでき、様々な視点があって新しい気付きがありました。今後、秋にげんきっず防災ピクニック、県の広域防災センターの見学を予定しています。また他の地域との交流をして、災害協定を結べたらと思ってます。地域の防災訓練に参加したとき、子育て世代の参加率の低さに危機感を覚えました。地域の交流や昔の災害の話を聞く機会を設けたいと思いました。

 

一宮のお母ちゃん【toco tocoより】

・防災ピクニックは何度経験してもその時々で新たな学びがあります。子どもの年齢で準備する物や行動が変わってくると思いました。
・居住地域は違っても「家族を守りたい」という強い気持ちは同じ。地域の特徴がわかり、地域は違っても、お互いの地域の防犯ハザードマップを作成し意見交換することをしてみたいと思いました。
・げんきっずのお母さん達が熱心に取り組んでくださり、嬉しかったです。小さな命を守ってきた経験のある“お母さん”だからこそ、真剣に取り組めるのだと感じました。防災は、自分の命は自分で守れる子になること、大事な命であること、あなたが大好きだってこと、子どもに伝える絶好の機会です。防災ピクニック、防災食ランチなど自身が取り組みやすいことから実践していくのがいいと思います。

 

子育てコミュニティ toco toco
子育て世代のやってみたい、知りたい、学びたいことを、自ら企画・運営。誰かが講師、受講者という立場のない、一人一人が活躍する「学び合い会」を中心に、顔と顔を合わせて集う良さを生かした活動を展開中。お問い合せ(仙石) tocotoco.hug@gmail.com


vol.179 かなでの沖縄だより-3

レクイエム、心を込めて歌えました

沖縄平和祈念堂

6月11日 モーツァルトレクイエムコンサート(「ぬちぬぐすーじさびらコンサート」)が無事に終演しました。(※1)会場の沖縄平和祈念堂は思っていたのとはまったく違い、中に入ったらすぐに大きな大仏さんがいてビックリしました。
すごく響いて、うたっていてすごく気持ちよかったし、沖縄戦でお亡くなりになった24万人を越える人たちの魂を鎮めるための「レクイエム(鎮魂歌)」だけあって感じることがたくさんありました。

沖縄戦のことをまだ何も知らない私は、勉強してからまたここに来たいと思いました。私の記憶の中で、沖縄戦(※2)は「小学校・中学校の時にやったかなぁ?」というあいまいなものです。戦争と言えば、広島・長崎に原爆が落とされたということだけが頭にあり、沖縄のことはどうしても忘れがちになってしまいます。高校でも、音楽科だった私は修学旅行で沖縄に来ていません。しかし、沖縄に住んでみると、アジア太平洋戦争の末期にここですごいことが起きてたんだということが伝わって来て、ここにいるうちにしっかり学ぶべきだと思いました。

6月23日が沖縄戦の区切りとなった日で、「慰霊の日」として休日になるということはこちらにきて初めて知りました。家を出た近くに「うどんやま」という小さな丘みたいなものがあり、そこにも碑のようなものが建てられていて、薄く名前が刻まれてます。しかし、この日は怖くて、とても良い天気だったにもかかわらず、家から出てそこへ行く気にさえなれませんでした。また、家から遠く海が見えるのですが、いつもなら綺麗と思える海がそうは思えず、なにかどよんとしてました。私のアルバイト先の奥さんも「いつもは綺麗に見える糸満の海も、その日は綺麗に見えなかったよ」…と言ってました。

沖縄にいる多くの人の心が慰霊の気持ちで満ち溢れているこの日だからこそ、悲しみに包まれて海がきれいに見えなかったのかなぁと思いました。

そんなわけで外に出ることができなかったお昼、平和祈念式典をテレビで見ました。高校生が朗読する詩(※3)を聞いて涙が出てきました。初めて沖縄で迎えた慰霊の日、沖縄の人だけじゃなく、内地の人にも、広島や長崎だけじゃない、沖縄で起こったことももう少し知って欲しいと思いました。

※1ぬちぬぐすーじさびらコンサートin摩文仁「モーツアルトレクイエムコンサート」(日時:6月11日午後6時):沖縄戦などで亡くなられた24万余の人々が刻銘されている平和の礎、そのすべての方々の追悼と沖縄平和祈念堂をはじめ平和祈念公園から全世界に恒久平和の祈りを発信するためのコンサートです。沖縄平和祈念堂のHPより
※2沖縄戦:太平洋戦争末期の1945年、沖縄で繰り広げられたアメリカ軍と日本軍との戦い。特に4月1日米軍が沖縄本島に上陸してから6月23日に日本軍の組織的抵抗が終わるまでの約80日間は日米両軍に多くの犠牲者が出たばかりでなく、沖縄県民の4人に1人が無くなったと言われている。両軍、民間人を合わせた戦没者は20万人以上に達する。
※3「沖縄慰霊の日 平和の詩 2017」で検索


vol.179 熱中世代発 リバース9号

ツマグロヒョウモン(Argyreus hyperbius)
タテハチョウ科 名前は、端(ツマ)に黒い豹のような紋のある蝶の意味です。雌の前翅に黒い紋があり、雌の翅紋により名づけられました。
分布は、本州(千葉県以西)、四国、九州、南西諸島。多化性で、暖かい南西諸島南部では一年中見る事が出来ます。国外ではユーラシア大陸の北部からアメリカ大陸まで分布しています。
美濃地方では3月下旬から10月まで見ることができます。幼虫で越冬し、成虫は年4回~5回発生します。幼虫はパンジーやニオイスミレなどの園芸種のスミレの類を好んで食べ、在来のスミレではタチツボスミレ、スミレを食べます。(参考・フィールドガイド日本のチョウ)

50年ほど前は紀伊半島の南部まで行かないと見られない蝶でした。私の中学生のころは一年に一頭捕る事が出来るかどうかの珍しい蝶でした。岐阜県で普通に見られるようになったのは最近の事です。東京近辺で普通に見られるようになったのは2000年代に入ってからです。昆虫の生息域の北上は、地球の温暖化の結果の具体的な証拠であると同時にパンジーのような外来の園芸植物の植栽も一因といえます。この蝶の北上はスミレを食草とする他のヒョウモン蝶の類を減らすこととなっています。私たちの生活が、自然に与える負の影響を考えなければならない時が来ているのです。

写真・三輪芳明(みわよしあき)プロフィール 1952年 関市生まれ。仲間と岐阜県では絶滅したと考えられていたコイ科の魚類ウシモツゴを発見、人工的な大量繁殖させ野生復帰に成功する。岐阜・美濃生態系研究会 二ホンミツバチ協会 日本チョウ類保全協会。

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野菜のように洗えないお茶。ちゃぼぼ園のお茶は完全無農薬だから安心して飲めること、そして、その香ばしい香りにファンも多い。
ちゃぼぼ園がある揖斐郡旧春日村の茶畑は伊吹山の麓、標高330mの斜面に位置する。昼夜の温度差が大きく、ガラガラな土質はお茶栽培の理想的条件ではあるが、春日の茶木である「在来種」は、深い根をもち地面に肥料を撒いても意味がない。
 もともと春日茶は業者の間では昔から味をよくするためのブレンド用として使われるのみで名前は知られることがなかった。加えて、新茶や旨味のあるお茶がもてはやされる時代になった。「在来種」は自然の力だけで育つため新茶が市場に出る時期は遅く、出荷された時には安く買い叩かれてしまっていた。生産者たちは労力に見合わないと、一時期「改良種」への植え替えを試みたものの、何百年もの間その地にしっかりと根の張ったお茶の木は、簡単に抜くことができず改良種への転向は叶わなかった。更に高齢化で後継者がいないお茶農家も多く、760年の歴史を持つ春日の茶畑は、徐々に姿を消しつつあった。

在来種の茶畑はまるでジグソーパズルのように木が入り組んでいる。「在来種」とひと言で表しても、幾種もの茶木が一緒に植えられているからであり、このことが春日のお茶に深い味わいを与えているとも言われている。中村さんの茶畑の木は表面が平に刈り揃えられているが、これは全部に均等に日光が当たるようにと、中村さんの亡きお父さん考案のスタイルである。

夫の転勤で春日から一旦離れた中村さんだが、子どもたちが巣立つと、消えようとしている春日のお茶を守りたい一心で生家に戻りお茶づくりを始めた。シーズンともなれば、茶畑の草取りから、茶摘み、焙煎、袋つめ、ラベルのデザイン、発送、配達など全てをこなす。
中村さんはお茶の葉とのコラボ商品の開発にも余念がない。アイデアは次から次へと浮かぶようだ。実際形になったものでは、ケーキ、プリン、米麺、石けん、ソーセージ、などなど。お茶を出した後にもその茶葉には栄養の6割を含まれるとあって、丸ごといただくためのアイデアは次から次と浮かんでくるようだ。
にらめっこの編集室では、出し殻として捨てるのがもったいなくて、干して粉末にしてふりかけにしたこともある、と中村さんに話すと、
「そこまでちゃぼぼのお茶を愛してくれてありがとう」と声高らかに笑われた。
「でも、天ぷらにしたり、漬物に混ぜたりする方もいらっしゃいますから、茶葉の使い方も人それぞれだなと思います。安心、安全、というのが当たり前なちゃぼぼの茶葉ならではの頂き方なのでしょう」とも。

中村さんは春日の特徴あるこの茶畑を村の人たちと一緒になって守りたい、盛り上げたいと奮闘の日々を重ねている。
春日のお茶に惚れこみ、多くの人にその味を知って欲しい、そして守っていきたい。その姿勢は一貫している。
機械が入れない土地だからこその手作業。無農薬が当たり前なお茶づくり。この土地に息づくお茶の文化を守りたい一心で、がむしゃらに動いてきた。今後は持続可能にするための工夫が必要とされる。楽天家のさよさんだが急に真剣な顔になった。
「そうなんです。これからは後継者をしっかり育てることも、私の使命かなと思っています。」

なかむらさよ:プロフィール
1950年旧揖斐郡春日村に生まれる。小学校5、6年とソフトボールで連続優勝!県立揖斐高校でソフト部に入りピッチャーとなる。子供服のデザインに進む予定が訳あって和裁塾に。のちに広告会社に転職。その後結婚。子供の手が離れてからPOPクリエーターとして働くが、春日在来茶の貴重性を知り保護意識が芽生え、在来茶の栽培農家として奮闘、現在に至る。その間、紅茶が日本茶葉でもできることを知り、地域起こしになればと「庵・花茶ティーファクトリー」を立ち上げ、紅茶作りも始める。

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お月見の由来
豊作の祈願と、収穫の感謝
電気がなかった時代には、月明かりは農作業の大きな助けとなっていたのですね。そのため、月に感謝を捧げたのだそうです。農作物の豊作の祈願と、収穫の感謝をする秋は、様々な農作物の収穫の時期です。お米もその中の1つですが、昔の日本人にとっては、お米の出来・不出来は、とても重要なことでした。

月を眺め、月を愛でる
古来から、日本人は、月を眺めて楽しむ習慣がありました。和歌などに「月」がよく詠まれていることからも分かりますね。
秋の月は、1年の中で最も美しいとも言われていたようで、それがお月見に繋がっているとも考えられています。

お月見の団子やすすきの由来
団子 月を信仰の対承として、豊作の祈願と収穫の感謝をするので、お米を使って月に似せた団子を作って、お供えするようになったと言われています。
また、秋には里芋が収穫されますが、十五夜のお月見にはこの里芋をお供えする風習もあります。
最近では、お団子だけの場合が多いようですが、地域によっては、お団子を里芋に似せた形にしているところもあるようです。
すすきと萩 お月見では、団子と一緒に、すすきと萩を飾りますね。すすきは、稲穂に似ていることから、お米の豊作を願って飾られます。
地域によっては、すすきではなく稲穂を飾るところもあります。
萩は、神様の箸の意味合いがあるそうです。神様が萩を使って団子を食べる・・・ということでしょう。
また、すすきも萩も、邪気を避けるとも言われていますので、団子と一緒に飾るものとして使われるようになりました。


vol.179 メディアよもやま…

「8月ジャーナリズム」のフシギ

 旧盆に敗戦記念日が重なる8月、日常から離れてわが身を振り返ったりすることがあります。メディアも日ごろの騒ぎを一瞬やめて、ジャーナリズムの使命感を思い出したかのように、戦争の記録・反省の番組を放送するクセがあります。8月だけジャーナリズムらしくなったりするメディアを「8月ジャーナリズム」と揶揄する向きもあって(笑)。
戦争もの「NHKスペシャル」の8月ラインナップでは、6日『原爆死72年目の真実~』、「“原爆の絵”は語る~ヒロシマ 被爆直後の3日間~」、9日『沖縄と核』、12日『本土空襲~日本はこうして焼き尽くされた~』、14日『証言ドキュメント 忘れられた戦場~樺太・40万人の悲劇~』、15日『全記録 インパール作戦』が並び、教育テレビ「ETVスペシャル」では、5日『告白~満蒙開拓団の女たち~』、12日『原爆と沈黙~長崎浦上地区の受難~』、19日『戦争の中のくらしの記録~名もなき庶民が綴った1763通の手紙~』、BSでは6日「戦後72年の郵便配達」、12日「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」 、ドラマでは12日の『1942年のプレイボール』と続きました。
さらにラジオや地方局の企画もあったので、NHKの「8月ジャーナリズム」は壮観だったと言えますね。民放はNNNドキュメント(NTV系列)で6日に『4400人が暮らした町~吉川晃司の原点・ヒロシマ平和公園~』、13日『弾除け神社~奉納写真2万枚の思い~』、テレビ朝日「テレメンタリー」の7月30日『爆心地を語る~78人の証言テープ~』が予告されていましたが、他にもあったでしょう。(この原稿の締め切りは7月末なので、かなりの見逃しもあるでしょう。)
秘密保護法や安保法制問題、共謀罪法制化の時には、あまり抵抗しているように見えなかったメディアが、なぜ8月はこんなにも熱心に(?)戦争の記憶や体験を発掘しようとするのでしょう。長く報道現場にいた私にもよくわかりませんが、日本人はどうも季節ごとの行事や風習を大事に守る心性が強いように思います。“お笑いファースト”の視聴者も、故郷で法事や墓参りをするお盆には、先祖の声にも耳を傾けようという殊勝な心持ちになるのでしょうか。カタイ話題では視聴率が取れないと嘆く編成局幹部も、春ごろから“敗戦企画”を促すのですから、不思議なものです。広島局、長崎局では、新しい“原爆モノ”を発掘・提案することが、その局の記者やディレクターの評価に関わりさえするのです。東京本部ももちろんです。ついでに言えば、“赤い羽根募金の12月”になると、日ごろは通りにくい人権問題のハードルが下がるのです。手練れのディレクターたちは、そうした編成心理の機微を突いて、いつもは避けられがちなネタを巧みに会議で通していくウラ技を駆使します。そうした虚々実々の「8月ジャーナリズム」、今年は単なる“企画と視聴の習慣”を越えて、リアルにキナ臭さが漂っていたように感じたのは私だけでしょうか?

 

つだまさお 「てにておラジオ」代表
1943 年金沢市生まれ。1966 年から NHK で、 主として報道番組の制作に従事。1995年から東邦学園短大、 立命館大学などで市民社会のメディアのあり方を教えたり、 全国の市民 メディアを繋ぐ仕事に携わる。2016年から、「みんなの森・ぎふメディアコスモス」で発信する市民による放送局「てにておラジオ」を運営。


vol.179 訪問看護日記 fromニューヨーク

その人にとって最良の選択とは・・・

プエルトリコ出身の98歳の患者さん。咳が止まらないから見てほしいという訪問リクエストだった。アルツハイマー型認知症、その他にもいろいろと病名が連なっていた。呼びかけにあまり反応はしないが、時折反応が返って来るときがあった。寝たきりで、もう自分で動くことはできない。少し拘縮が始まっていた。家族は別のところに住んでいて、何人かのヘルパーさんが交替で24時間世話をしている。アパートには患者さんとヘルパーさんのみ。ホスピスでもこういう形はとても多い。
訪問した時は、バイタルサイン※もとても安定していて、痛みや苦しみがある様子ではなく、呼吸も表情もおだやかだった。咳もしていなかった。ただ、聴診器で肺の音を聞くと左右ともに、水分が入っているような大きな音がした。よく誤嚥性肺炎になっていないなぁと思うほど大きな音だった。ヘルパーさんに話をきくと、やっぱりヨーグルトや水分をあげたあとによく咳をしてとまらなくなるようだった。水もとろみをつけたり、そのままだったりヘルパーさんによってまちまちだった。患者さんとの意思疎通がとても難しいので、一定の水分量はあげないとと思うヘルパーさんも多い。この患者さんは意識がはっきりしない状態の時がおおいそうなので、よけいに気を付けたい。ヘルパーさんにとっては、仕事だからと思って食事も一生懸命あげようとする人が多い。でも、ホスピスケアではそれがプラスにならないことが多い。娘さんに電話して、「誤嚥(マイクロアスピレーション※も含めて)しているようなので、本人の意識がはっきりして嚥下が上手にできる時以外はできるだけ何もあげないことを徹底してください」と伝えた。むせたり咳してしまうようなら、なるべく食べ物も飲み物も控えて様子を見てくださいと。娘さんは、「じゃあこの先栄養はどうやってとるのか、脱水症状を起こしてしまうではないか、このままでは死んでしまうではないか」と言った。続けて、「じゃあ点滴はできるのか、経管栄養で栄養をいれるのか」、と立て続けてに質問がきた。 ここが一番難しいところで、基本的にはどれもしない。食べられなくなったら、飲めなくなったら、その時はその変化を受けいれる。本人がまだまだおなかがすいて食べたい、飲みたいといったら別の話だし、もし本人か家族が点滴や経管での栄養補給を希望するなら、基本的にホスピスケアでなく一般的な医療に戻ることになる。ホスピスケアでも、ごくごく少量なら点滴をやる場合もあるが、家族の心理的な面への対応の場合が多い。病にもよる。経管栄養もホスピスに来た時点で継続することはあっても、新しく始めるということはまずない。私も、この患者さんのように食べることや飲むことが身体的に出来なくなってきたら、それを受け入れることが、自然な成り行きのような気がしている。娘さんは、「母は認知症で意志疎通が難しいから、おなかがすいてるかもしれないし、のどが渇いてるかもしれないし、それがただ伝えられないだけだと思う」としきりに言った。そのとおりかもしれない。初めて会ってたった1時間しか訪問していない私にはわからない。ただこのままでは、いつ誤嚥性肺炎を起こしてもおかしくないので、アドバイスできることはぜんぶ伝えて、全員のヘルパーさんにもわかるように壁に張り紙をしてアパートをあとにした。
家族にとっては、自分の家族が、それまで食べたり飲んだりできていたのに、食べられなくなって、飲めなくなって、死んでいくということはとても辛いこと。受け入れられないのはとても自然なことだと思う。意志疎通の難しい患者さんだとなおさらだ。ただ、一ついえるのは、変化は必ず訪れるということ。その変化を一つ一つ受け入れていくこと。難しいがとても大切だと思う。
点滴や経管栄養で身体的な現状維持につながったとしても、その期間本人がそれによって楽になったり幸せに感じたりしているのかということ。クオリティーオブライフの改善が見込めるか保てるか。家族のエゴでそのような決定をしていないかということ。そんなことを、あらためて考えさせられた訪問だった。

※バイタル=心拍数、血圧、呼吸、体温のこと ※マイクロアスピレーション=微量誤嚥

わかばま〜く:プロフィール 1982年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、 ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。


vol.179 ぎむきょーるーむ コミュ力

小学校で 小学校教員 大和俊広

外国語活動が入って現場はやや混乱
コミュニケーション能力の育成がさかんにいわれるようになったきっかけは2011年の教育指導要綱改訂から。
●子どもをとりまく社会構造の変化が、子どもたちに影響を及ぼし、近年の若者は良好な人間関係の形成やコミュニケーションに課題がある。●日本経済団体連合会の調査でも、企業が学生を採用するにあたって重視する能力一位であり、グローバル化に対応した能力の育成を求める社会的要請が高まっている。
というようなことが能力養成の根拠だったと理解しています。
まず、小学校の現場では、外国語活動が入ったことが、大きな変化でした。「なーんで、英語を学ぶ必要性のない小学生が英語でコミュニケーション?」とか、「まずは生活言語である日本語では?」と考える教員たちを混乱(?)させながら、「とりあえずやるしかないか〜!」と半ばあきらめ気味に、でもそこそこ真面目にとりくんできたように思います。

関係性に支えられた「生活」を積み重ねることで

以前、脳性麻痺の友だちが、「知的障害者はコミュニケーション能力が低いといわれるが、そんなことはない。まわりの人間の知的障害者に対するコミュニケーションがないだけだ」といっていたことが印象的です。
かつて放課後の外遊びやコミュニティが担っていた、コミュニケーション能力育成の役割を学校が担うのならば、「授業」としてではなくて「スキマや遊び」の時間として、子どもたちを集団で遊ばせればよいなどと、不適に思ってしまいます。

やまと・としひろ  神奈川県公立小学校教員
全国学校の「遊び」と「スキマ」研究所所長として、「多様」で「寛容」で「楽しい」学校を目指す。10才と6才の二児の父。

中学校で  中学校教員 伊藤育雄

形だけや即席の指導では悪循環
 「アクティブ・ラーニング」とか「ユニバーサルデザイン化」とか、最近やたらに、カタカナ文字が教育現場に氾濫している。「コミュニケーション」もカタカナだが…
コミュニケーションとは、語源がラテン語の「コミュナス」(共同の・共有の)で、「コミュニティー」も同じ語源のようだ。学校という「コミュニティー」(共同社会)で「コミュニケーション」(たがいに意思・感情・思考を伝達し合うこと)がおこなわれることはあたりまえのことである。教科教育でもあつかわれるが、コミュニケーションは学校でのすべての活動でおこなわれていることである。家庭でも、コミュニケーションは日常的に行われている。
学校生活や家庭生活が充実したものであれば、自分の意思や感情を規制することなく発信しようとする意欲がわき出し、コミュニケーションは活発になる。そんななか、コミュニケーション技術の指導は各場面で必要最低限のものでよい。そして、SNSではなく、直接コミュニケーションをすることが、中学生のコミュニケーション能力アップにとって必要なことではないか。

いとう・いくお 愛知県公立中学校教員 2016年度からはハーフタイムの再任用で中学生に週3日社会科を、非常勤で大学生に週1日「学級担任の心得」を担当。

 

上手に話す?自己主張できる?相手を思いやる?

対談 劇作家・演出家 平田オリザ×小学校教員 岡崎 勝

コミュニケーション教育というけれど

平田:イギリスとかドイツの社会では、自己主張ができることは大人になってからも必要とされる能力ですが、日本では必ずしもそうではありません。日本で子どもに自己主張だけを教育したところで、トラブルが起こったとき先生に相談に行けば、「そこは空気読めよ」というダブルバインド(二重拘束)が待っている。子どもは「自分の意見をいうように言われたのに・・・」と混乱しますがこれは、笑い話ではなく、あたりまえにいま教室で怒っていることです。

いろんな意見が許される場をつくる

岡崎:子どものコミュニケーションスキルは一人ひとり当然ちがいますが、ディベートがすごくうまい子たちは、学校のなかの空気を読むのが暗黙の規範のようになっていて、それにのっかっているだけのようにも見えます。
平田:これまでの日本の教育は「確実な知識や情報を得る」ことがめあてになっていましたが、これからは「バラバラで多様な意見が出るのがいい」というのをひとつの重要なめあてにして、さらに次の段階で「そのなかで合意形成をとる」ことをしていく。その二段階を区別しておこなうことが大事です。

子どもが不条理と向き合う機会を

平田:わたしは昭和37年生まれで、おそらく日本民族が始めて食うに困らずに子育てできるようになった最初の世代です。物がないときはがまんさせるのは簡単でしたが、そうではない時代に、しかも宗教心の薄い日本社会での子育ては「しつけ」の面でも難しい。演劇的なところでいえば、子どもにとっての「暗闇」みたいなものがなくなってしまったと感じています。家の中でのかくれるところだったり、ヒミツをつくれるようなところだったり。今の子どもたちが実生活で経験できない事柄をシュミレーションする、つまり「人生の不条理に向き合わせる」ことが演劇教育の最大の役割だと思っています。

生活のなかに演劇をとり入れる

岡崎:ボクは『学校は生活の場』という意識で、朝暗い顔をしている子がいたら、「どうしたん だ?じゃぁ、先生がきみの役やるから、きみがお母さんになって、お母さんがいっていたことをいってみるか」なんていって、5分くらいの短い時間で生活劇のようなことをやっていたんですが、それをすることで子どもたちが役割意識をもって、自分がやったことを対象化していけるというのはありました。
平田:基本的に人間には演じることに対する原理的欲求のようなものがあって、自分ではない他者を演じることに喜びのようなものを感じるんですね。変身願望のようなものもあるから、さきほどおっしゃったロールプレイ(役割演劇)で相手と入れ替わってみるのはいいと思います。

「対話」に必要な他者性

岡崎:役割を演じる、立場を入れかえるというのはある面で他者意識が必要ですが、今学校や家庭で大人は子どもに対して「相手の立場に立って考えなさい」「思いやりをもちもちなさい」と口酸っぱくしていっています。
平田:いちばん象徴的なのはいじめのロールプレイです、そもそも日本のいじめの深刻なところは、いじめている側にいじめているという意識がないところなんです。『相手の立場に立ちなさい』と教えられると、まじめな子ほど相手の気持ちがわからないのはダメなことだと思ってしまうようですが、同一化を強いるというのは、すごく危険なことだと思います。
岡崎:教室は関係の場だから、おたがいの気持ちなんてそう簡単に理解できないんだけれど、そういう人間同士がどうやってその空間の中で距離を取りながら、生活するかが大事なんじゃないかと思う。
平田:コミュニケーションを考えるとき、まず「会話」と「対話」を区別することが大事です。「会話」は親しい人同士のおしゃべり。「対話」は異なる価値観をもった人とのすりあわせや情報の交換といったことです。対話をするためには、どうしても他者性が必要ですが、日本の学校の教室は非常に同調圧力が強いので他者がいない。価値観をすりあわせるような議論が必要な時には対話力が一番重要ですが、それを教える授業は、国語教育にも英語教育にもありません。特に日本語には、この「対話」という概念が薄いという問題もあります。ですから「対話」を教えるためには、教室の中に他者性をもってこなければいけない。そこで、演劇というフィクションの力が大事だと、わたしは思うんですね。


vol.179 エコビレッジfromオーストラリア

Part-21 私たちの役割

日本は梅雨明けと同時に蒸し暑い日々が続いているそうですが、こちらは真冬。といっても、日中の太陽の下での畑仕事では、汗ばむほど。ただ夜になるとかなり冷え込むので、温度差に注意しないとと思うこの頃です。

冬はオフシーズン。リトリート滞在の方が少ないので、この時季は、コミュニティーとしての運営を中心において生活をしています。

短期のボランティアの人たちと、畑仕事、敷地の手入れ、キムチづくり、味噌づくり、いろいろと冬ならではの仕込み、手入れの作業が中心の日々。個人的に、発酵食品を手作りするのが好きなので、大量に収穫した白菜でキムチを仕込んだり、米麹をつくり10キロの味噌を仕込んだりと、自分が育った日本の食文化を伝える過程を愉しんでいます。同時に、各国から来るボランティアの人たちとも、この知識や行程を共有できることはとても意味のあることだと思います。

ただ、冬というシーズンは、こもりがちになり、外の世界とうまくリンクさせたり、自分たちの生活にばかり没頭して外を見てない自分に気づいたりします。自分たちだけが満足していても、持続可能な暮らしに結びつかない。常に、「発信する」「共感してもらう」という気持ちを持って、日々の生活を重ねていきたいと思います。

私たちの目的は未来に続く持続可能な生活を作っていくこと。しかし自分たちの弱さが出ると、独占欲だったり、支配するといった感情が見え隠れし始めます。そんなとき短期のボランティアの人たちを通して伝わってくるそれぞれの人生の選択。そこからまたあらたな気づきを得られたりします。

今後は、視野を広げること、視点を変えてみることなどを意識をして共同生活を続けたいと思っています。  Yao

生活の中心の場・このテラスでいつもランチタイムです。


vol.179 ボーダーレス社会をめざして-vol.38

NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子

命の重さ

「障がい者は不幸しか作れない。いない方がいい。」と言って知的障がい者福祉施設「津久井やまゆり園」で殺傷事件が起きてから、約1年が経とうとしています。あの事件の夜、私はテレビを見ながら涙を流していました。事件が起きてすぐ、手をつなぐ育成会が、障がいのある人に向けてメーッセージを出しました。それがテレビのニュースで流れていたのです。
・・容疑者は「障がい者はいなくなればいい」と話していたそうです。みなさんの中には、そのことで 不安に感じる人もたくさんいると思います。そんなときは、身近な人に不安な気持ちを話しましょう。みなさんの家族や友達、仕事の仲間、支援者は、きっと話を聞いてくれます。そして、いつもと同じように毎日を過ごしましょう。不安だからといって、生活のしかたを変える必要はありません。障がいのある人もない人も、私たちは一人ひとりが大切な存在です。障がいがあるからといって誰かに傷つけられたりすることは、あってはなりません。もし誰かが「障がい者はいなくなればいい」なんて言っても、私たち家族は全力でみなさんのことを守ります。ですから、安心して、堂々と生きてください。・・というものです。
「私たち家族は全力で守る」という文言に障がいのある人の親の気持ちが込められています。障がいのある子どもを持つ親は、彼らを何があっても守るんだと思っています。現在、障がいがある息子は、とても穏やかに、楽しく、充実した毎日を送っています。親である私も、とても幸せな日々を送っています。今日までの道のりが決して楽だったわけではありませんが、不幸と思ったことは一度もありませんし、障がいのある人がいなくなればいいと思ったことも一度もありません。優生思想・・能力が劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人権を後世に遺そうという思想・・というものがありますが、何が劣っていて、何が優秀と言うのでしょう?後世に何を残すというのでしょうか?人の命の重さは同じです。被害にあわれた方の氏名が公表されませんでした。神奈川県警は、「施設にはさまざまな障がいを抱えた方が入所しており、被害者の家族が公表しないでほしいとの思いを持っている」と言い、被害者の家族の一人は「日本では、全ての命はその存在だけで価値があるという考え方が当たり前ではなく、優生思想が根強いため」と説明しました。彼らはこんな大事件にあっても誰にも知られず亡くなり、さもいなかったかのように扱われたのです。亡くなられた人の名前が、新聞に出ないことは今までにはなく、これこそが人権侵害だと思いました。子どもは、自分とは違う一人の人であることを、親は自覚しなくてはいけないのです。大きな課題を残したまま、この事件は終わりました。


vol.179 半農半Xという生き方-vol.20

風景修復士
草刈りのシーズンになりました。秋祭りの頃まで約半年、草と向き合う日々となります。
今日は「草」に関することばをいくつかご紹介しましょう。アメリカの哲学者エマーソンは「雑草とは、その美点がまだ発見されていない植物である。」といいます。私たちは雑草といういい方をしますが、長所を見出していないだけなのですね。草刈りは大変ですが、こんなことも教わりました。草を刈ることで、そこに光が差し込みます。そこに眠る多様な植物の種子に、発芽のチャンスを提供できます。草刈りはそうした仕事といえるかもしれません。背丈が高い草に覆われると、たしかに光は差し込まないけれど、刈るとそこに眠る種子にとってはチャンス到来となりますね。数年前、草を刈っていたとき、「風景修復士」ということばがふと生まれました。絵画や文化財を修復する専門家を「修復士」と呼びます。私たちは草刈りを通じて、もしかしたら、風景の修復をおこなっているのかもしれないと思ったのです。大変な草刈りの作業のなかでも、「風景修復士」ということばを思い出すことで、草刈りがすこしでも楽しいものとなればうれしいです。最後に、「草」という文字が入った二宮尊徳さんの歌を紹介しましょう。「この秋は雨か嵐かしらねども今日の勤めの田草とるなり」


新しい組み合わせをつくろう

会社員時代、同期生や先輩には芸大出身者が多く、アイデアをたくさんつくれるということに驚きました。以来、どうしたらアイデアが出せるかが自分のテーマの1つになるのですが、いろいろ本をたくさん読むなかで、たどりついた結論は「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」(ジェームス・W・ヤング)というシンプルな答えでした。たくさんの著書がある脳科学者の茂木健一郎さんは、「世界を変える魔法は『組み合わせ』の中にこそある」といいます。今後のまちづくりにおいても、産業創出においても、キーワードは「新しい組み合わせ」を1つでもつくっていくことにつきると言えるのかもしれません。会話したことがなかった市民同士が出会うこと。旅する人と市民とが出会い、会話が生まれること。「新しい組み合わせ」が2017年の後半も、たくさん生まれていくことを祈っています。
福祉とアート、農と医、林業とITなど、いろいろな組み合わせをつくっていきましょう。

 

塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は翻訳されて、台湾、中国、韓国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。

※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景とする。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。

 

 


vol.179 夢か悪夢かリニアが通る!-vol.8

あふれる残土 谷を埋める

「JR東海 3兆円借り入れ完了へ」。新聞の片隅に小さな記事が載っていました。「リニア中央新幹線の全線開業を最大8年間前倒しする」という安倍首相の掛け声のもと打ち出された財政投融資による貸し付けが7月12日に完了することを伝えるものでした。国の試算によると、財投活用でJR東海の負担は約5000億円減るといいます。安倍首相とJR東海の葛西敬之名誉会長が会食を重ねる仲であることは良く知られています。国会を騒がせた森友、加計問題とどこか似ていると感じるのは私だけでしょうか。リニア事業が公的資金投入にふさわしいのかどうか、考える材料をこれからもお示ししていきたいと思います。                                       ジャーナリスト・井澤宏明

希少植物の生息地も
リニアは品川―名古屋間の9割近くが地底を走るため、東京ドーム約45杯分、5680万立方メートルの残土が発生すると言われています。JR東海は、受け入れ先がほとんど決まらないまま掘削工事を進めています。

リニアのトンネル出入口予定地。右奥の山林に残土処分場候補地が広がる(御嵩町美佐野で)

岐阜県内の残土処分場候補地の一つが御嵩町美佐野の山林。近くにリニアのトンネル出入口が予定され、かつてはゴルフ場計画がありました。周辺を工業団地にする思惑を持つ町は、県を通じて候補地に名乗りを上げました。
住民らで作る「御嵩町ハナノキ調査グループ」の調査で、周辺にハナノキの成木80本、幼木と稚樹400本以上を確認。ミカワバイケイソウ、シデコブシなどの希少植物のほか、生息数が世界で1000羽以下と推定されるサギ科のミゾゴイが営巣していた可能性が高いことや、猛きん類サシバの営巣も分かっています。
「氷河期の生き残り」として知られるカエデの仲間ハナノキは、岐阜、長野、愛知3県のごく限られた地域に自生する日本固有種です。住宅やゴルフ場開発などで生育に適した里山の低湿地が減少し、環境省のレッドリストで絶滅の危険が増大している「絶滅危惧Ⅱ類」に指定されています。
国立研究開発法人森林総合研究所の菊地賢・主任研究員(42)は候補地一帯について、「ハナノキが広範囲に生息し、比較的自然度の高い状態が維持されている。保全上、重要な地域だ」と評価しています。

群生地は避けられたが…
今年6月、JR東海は地権者に説明会を行い、町有地を含む約30ヘクタールの山林に約90万立方メートルの残土を埋め立て、平地3か所計約10ヘクタールを造成する計画を伝えました。ハナノキが群生する谷は避けられたものの、「ハナノキ調査グループ」の篭橋まゆみさん(62)によると、10本以上のハナノキや多くの希少植物が予定地に生息しているといいます。
隣の可児市では2003年、東海環状自動車道工事で出た残土に含まれる黄鉄鉱による水質汚染で、魚が大量死し、稲作も出来なくなる被害が起きました。御嵩町議会でもこの事件が取り上げられ、処分場下流の河川が汚染されるのではないかという懸念が示されました。市民団体が昨年行った調査で、高い放射線量を記録した御嵩町次月は目と鼻の先。ウラン残土が持ち込まれるのではという不安も消えません。

「谷の上流に残土を置かれてしまうと、下流で生活している者は居ても立ってもいられない」。裁判の後、記者会見する米山さん(左から2人目)ら(東京都内で)

「なぜ綿密に検討しなかったのか」
残土の問題は、沿線住民ら738人が昨年、国のリニア計画認可取り消しを求めて起こした行政訴訟でも取り上げられています。
今年6月23日、東京地裁で開かれた第5回口頭弁論では長野県松川町の米山義盛さん(62)が意見陳述しました。米山さんが暮らすのは、天竜川に沿って南北に細長く伸びる盆地・伊那谷。1961年の「三六災害」で、土石流、地滑り、河川の氾濫が起き、死者・行方不明者約130人、家屋の全壊・流失・半壊約1500戸にも及んだ地域です。
米山さんは法廷で、「残土の最終置き場の候補としてJR東海が検討しているのは、伊那山地の非常に崩れやすい谷や沢ばかり。水が削ってできた谷や沢を人為的に埋め立てるのは元来危険なことです」と指摘しました。
さらに、「JR東海は、残土の活用の見通しや、谷や沢に残土を置く危険性について、計画の立案段階でなぜもっと綿密に検討しなかったのでしょうか。国土交通省は、膨大な量となることが確実な残土の処分方法が盛り込まれていない工事実施計画をなぜ認可したのでしょうか」と疑問を投げかけました。