vol.197 しょうがいをみつめるvol.8

心が動くとき

 10年以上も前のことですが、今でも覚えている出来事があります。

 当時勤めていた学校では毎朝、着替えの時間というのがありました。しかし、担任していたBさんは全然着替えをしません。ただ、ニコニコしながら周りの様子を見ているだけで、教師からの働きかけがなければ、何分でも何時間でもそこに立っているというお子さんでした。初めは教師が手伝って一緒に着替えていましたが、一人で着替えをするスキルがないわけではありませんでしたので、自分でできるようになってほしいと、ついたてを立てて集中できるようにしてみたり、タイマーで着替えの時間を意識できるようにしてみたりとさまざまな方法を試してみました。しかし、まるで効果はありませんでした。
 困った私は、事例研でそのことを大学の恩師に相談をしました。すると恩師は、「Bさんの生活の中に着替えをしたいと思わせる何かがありますか。」と問われました。それを聞きハッとしました。それまでの私はどう着替えをさせるかばかりに意識が向いていて、最も大事なBさんの気持ちは無視していたのです。
 それ以降はBさんの好きなことや楽しめることを意識的に取り入れるようにしました。それでもすぐに着替えをしてくれるようにはなりませんでしたが、今では寮に入り、介助を受けながらも自立して生活を送られています。

 印象的な出来事がもう一つあります。
 Cさんはさまざまなことに不安感を抱きやすく苦手なこともたくさんあるお子さんでした。担任して間もない頃、ちょうど図工の絵の具遊びの時間でした。「図工しないの」と言って教室を出て行ってしまったCさん。追いかけて連れ戻そうとしたら、今度は「嫌ぁ」と言って泣くは暴れるは•••。なぜ嫌なのか問いかけても答えるだけの言葉はもっておらず、理由も分かりません。仕方がないので、教室の外でCさんと並んで座り、「今日は絵の具ペタペタだよ。でも嫌なのか。」などと話しかけながら様子を見守っていました。どの位たったでしょうか、何となく中の様子をチラチラ気にし始めたかと思うと、ついには自分から教室に入り着席。差し出された絵の具で洋服や手、顔を汚しながら目一杯遊ぶことができました。

 私たち教師は、子どもたちに対して「〇〇できるようになってほしい」「〇〇させたい」と思ってしまいがちです。そう思うこと自体はむしろ教師としては大切なことでもあるのですが、その思いが強ければ強いほど、時には子どもたちの心を置き忘れてしまうこともあるのではないかとも思うのです(10年前の私のように)。
 私たち一人一人に心があるように、子どもたち一人一人にも当然心があります。心が動けば自然と為すべきことをしてくれます。しかし、障がいのある子たちはその障がいゆえ、心が相手に伝わりにくいことがあります。だからこそ、私たち教師は彼らの心に人一倍敏感でなくてはならないと思うのです。
 その子の『心が動くポイント』って何だろうと考えられること、その子の『心が動くタイミング』を粘り強く待ち、適切なタイミングで支援できることが、教師の腕の見せ所なんだと、私は考えています。

 先述の恩師の講演を聞いた時のこと。「学校の先生たちは担任する1〜2年、長くても学校生活の12年間の子どもの姿や成長しかイメージできていないことが多く、また、その中で結果を出そうと焦っている。しかし、子どもの人生は学校を卒業してからの方が長く、その後の成長は目を見張るものがある。」それを聞いて、またしてもハッとさせられました。子どもたちの長い人生の成長を信じ、じっくりと目の前の子どもの心と向き合っていける教師でありたいと思います。  S.I