有機農業、ローカルな暮らし、ペースダウンした生活、多様性を大切にしたエコロジカルで持続可能な生き方は、少なからぬ数の人々が何年も前から言い続けてきたこと。機械化され、時間に追われ、競争が余儀なくされる社会では、大量生産による単一文化を企業がコントロールしています。工業文明とは、エコロジー的に持続不可能な社会の姿なのです。
複雑になりすぎた社会をもっとシンプルに、大きくなりすぎた人間のエゴを持続可能な大きさに戻していきましょう。
社会コストの視点で見る 「食とくらい」に対して「環境」を見る場合
社会コストとは私たちが知らない間に払われている、社会全体が負担する、社会がうまくいくために必要な費用のことです。私たちはいつも生活する上で結局なんらかの形でこの社会コストを負担しています。
食べ残しも実は大きな負担で、多い時は半分くらいがゴミになってしまう。またゴミの分別を面倒だと無分別に出すと、回収後の分別コストが大きく膨らんでしまうのですが、それは全て行政負担となり税金が使われます。
変化を恐れることなく、自身とユーモアと感謝の気持ちを持って日々暮らしていきませんか。 (食と位の環境経済学より)
かつては「今の人間が地球を荒らすと未来の自分の子孫が酷い目に遭う」という感じでしたが、現在では「今日の私が地球を荒らすと近い将来の自分が酷い目に遭う」というように自分自身の問題になってきています。これは、環境容量に対して人間の影響度はかなり大きく過剰になってきたため、影響が出るタイムラグが短くなってきたからでもあります。
持続可能とは…地球の再生産の力の中で最大の恩恵を受けて利用して生きていくことだと思います。
そのためには、少ない資源で最大限の恩恵を長期に受けられるようにする技術も必要でしょう。現在少なくとも世の中はそのような流れになり始めていると思います。昔は自動車はパワーがあるほど性能がいい、ガソリンの使用量がどれだけでもいいというところでしたが、現在はいかに燃費がいいか、いかに限られたガソリン使用量の中で最高の性能を引き出せるかということが、技術進歩の目標になってきています。
具体的な取り組み (地球レポートより)
「持続可能な社会」とは、2050年には90億人になるといわれる世界の全ての人が、「生活の質」を向上(もしくは維持)しながら、それでいて地球上の有限の資源を賢く循環させている社会のことです。
ストックホルムの南東にある美しい水辺の街、ハンマビー・ショースタッド臨海地区。
「持続可能」というコンセプトに徹底的にこだわり、環境負荷を1990年代の中ごろの半分にすることを目標にしています。
その目標に基づいて、土地利用、交通、建材、エネルギー、水と汚泥、ゴミ等について、それぞれに明確なゴールを数多く定めています。
たとえば、ほんの少しだけ例をあげると、土地の利用では「春と秋に少なくとも4-5時間の日照がある中庭スペースを15%以上確保する」、交通手段では「80%の住民が公共交通もしくは徒歩、自転車での移動をする」、エネルギー利用では「全ての暖房は、余熱もしくは再生可能エネルギーを利用する」、水に関しては「1日、ひとり100リットルの削減」、ゴミに関しては「80%の食品廃棄物を肥料、もしくはバイオエネルギーのために提供」……などなど、どれも具体的で、しかも野心的な目標ばかりです。
エネルギは都市に眠っている
都市人口が増えれば(生ゴミやトイレの数が増えるほど!?)、バイオガスの原料も増えるというわけです。また、バイオガスの組成は天然ガスと同じくほとんどがメタンですから、純度を高くすれば、すでにある天然ガスのインフラを全て使うことができます。実際ヨーロッパでは天然ガス網上に200以上のガス補給所があり、550万台のガス車が走っています。このインフラを使ってバイオガス車を増やしていくことが可能なのです。
ここでは、その処理の過程でメタンガスを取り出し、バイオガスを作っています。つまり、下水処理場であると同時にエネルギー会社でもあるのです。作られたバイオガスは家庭で使うガスとして供給される他、ストックホルム市内を走るバスなどの公共交通の燃料として使われています。日本でも家庭から出る年間の生ゴミの量は1000万トンにもなります。そのほとんどが、燃えるゴミとして出されて焼却されているわけで、これはもったいないですよね。バイオガスの資源だと考えれば、生ゴミの見方も変わります。
持続可能な未来を選択する
「◎◎しなければならない」というルールではなく、「持続可能な社会」を目指すための多用な選択肢が用意されている、というのがスウェーデンの印象です。つまり、スウェーデンの人々は誰かから強制されて義務感で持続可能な社会を目指しているのではなく、主体的に未来を選び取っている感覚があります。